神宗紹天法古運德建功英文烈武欽仁聖孝皇帝、諱は頊、英宗の長子、母は宣仁聖烈皇后高氏という。慶暦八年四月戊寅に濮王宮に生まれる、祥光室を照らし、群鼠五色の気を吐いて雲と成す。八月、名を仲鍼と賜う。率府副率を授け、三遷して右千牛衛将軍に至る。嘉祐八年、英宗に侍して慶寧宮に入居し、嘗て神人の己を捧げて天に登るを夢む。英宗即位す、安州観察使を授け、光国公に封ず。是の年五月壬戌、東宮に於いて経を受く。
帝は隆準龍顔、動止皆常度有り。而して天性好学、請問日晏に至りて食を忘る、英宗常に内侍を遣わして之を止めしむ。帝は衣冠を正し拱手す、大暑と雖も、未だ嘗て扇を用いず。侍講王陶入侍す、帝は弟の顥を率いて之に拝す。
治平四年
四年正月丁巳、英宗崩ず、帝即皇帝位す。戊午、天下に赦し常赦の原さざる所の者を赦す。馮行己を遣わして遼に告哀す。己未、皇太后を尊びて太皇太后と曰い、皇后を皇太后と曰う。宰相韓琦を命じて山陵使と為す。辛酉、孫坦等を遣わして遼に即位を告げ、大行皇帝の詔を以て夏国主及び西蕃の唃廝囉に賜う。丙寅、群臣表三上し、始めて迎陽門の幄殿に御し政を聴く。先帝の疾に侍せし内医は、皆不謹に坐し之を貶す。東平郡王允弼・襄陽郡王允良に朝朔望せしむるを詔す。呉奎終喪を以て、復た枢密副使を授く。戊辰、韓琦を以て司空を守り侍中を兼ね、曾公亮を行門下侍郎兼吏部尚書・英国公に進封し、文彦博を行尚書左僕射・検校司徒兼中書令とし、富弼を武寧軍節度使に改め鄭国公に進封し、曹佾を昭慶軍節度使・検校太傅に改め、張昪を河陽三城節度使に改め、宗諤を同中書門下平章事にし、集慶軍節度使・検校尚書左僕射に改め、欧陽修・趙槩に並び尚書左丞を加え、仍参知政事とし、陳升之を戸部侍郎とし、呂公弼を刑部侍郎とし、允弼・允良に並び守太保を加え、弟の東陽郡王顥を昌王に進封し、鄠国公頵を楽安郡王に進封す。群臣進秩差有り。
二月乙酉、初めて紫宸殿に御す。向氏を立てて皇后と為す。丁亥、入内内侍省・皇城司の合覆奏事並びに条を執り覆奏するを詔す。戊子、交阯郡王李日尊を南平王に進封す。邈川首領董氈に検校太保を加う。山陵の須うる所は、応に三司・転運司に委ね計置せしめ、輒に民を擾さしむる毋れと詔す。提挙医官院に医官を試み御脈を診するに堪うる者六人を詔す。庚寅、四月十日を以て同天節と為す。辛卯、白虹日を貫く。壬辰、公主下嫁する者は舅姑礼を行わしむと詔す。甲辰、西蕃首領拽羅缽・鳩令結の二人、蕃部三百余帳を誘いて夏国に投ぜしむ、捕獲し、之を斬りて以て徇す。
三月壬子、曹佾に検校太尉兼侍中を加う。礼部進士及第・出身四百六十一人に賜う。甲寅、陝西宣撫使郭逵、蕃部の党令征等を討ち、之を平らぐ。昌王顥に公使錢歳万緡を賜い、半ば之を与う。丙辰、昌王顥・楽安郡王頵、官を解き服を行わんことを乞う、許さず。癸亥、入内内侍省の官既に寿聖節に任子したる者は、同天節に権めて奏薦を罷むと詔す。壬申、欧陽修罷めて亳州を知る。癸酉、呉奎参知政事。乙亥、允良薨ず。
閏月癸未、太白晝見す。甲申、夏国主諒祚、使を遣わして謝罪す。辛卯、斉・密・登・華・邠・耀・鄜・絳・潤・婺・海・宿・饒・歙・吉・建・汀・潮等十八州の知州、慶・渭・秦・延四州の通判、其の選は並びに中書に従い、恩例を以て奏授する毋れと詔す。乙未、張昪、太子太師を以て致仕す。庚子、直言を求むるを詔す。御史中丞王陶、知県資序の人を挙げて御史裏行と為すを許すを乞い、之に従う。癸卯、王安石出でて江寧府を知る。甲辰、諸路の帥臣及び副総管或いは移易有るは、慶暦の故事に依らしむと詔す。乙巳、孟夏農労の時に当たり、監司をして州県に戒飭して事を省め、民を勧めて田に力を尽くさしめ、民に艱食する者あれば之を振恤せしむるを詔す。
夏四月庚戌、大行皇帝の諡を南郊に請う。辛酉、内外の上る所の封事は、張方平・司馬光に詳定して以て聞かしむと詔す。丙寅、囚を録す。御史中丞王陶・侍御史呉申・呂景、大臣を過毀するを以て、陶は出でて陳州を知り、申・景は各銅二十斤を罰す。呉奎罷めて青州を知る。使を遣わして陝西・河北・京東・京西路を循行し、体量安撫せしむ。壬申、奎復位す。州郡の歳貢する飲食果薬を罷む。癸酉、陝西・河東の経略・転運司に主兵の臣僚に怯懦老病なる者を察して以て聞かしむるを詔す。
五月辛巳、久旱を以て、宰臣に命じて雨を祷らしむ。乙巳、宝文閣成る、学士・直学士・待制の官を置く。
六月己酉、遼、蕭余慶等を遣わして来たり弔祭す。己未、河北の流民を振恤す。辛未、天下の官吏に徭役の利病を知りて議して寛減すべき者あれば以て聞かしむと詔す。乙亥、中書・枢密の細務は之を有司に帰すと詔す。
秋七月庚辰、富民にして妃嬪の家と婚姻し夤縁して官を得る者を察せしむと詔す。甲申、石蕃来貢す。己丑、尚書戸部郎中趙抃・刑部郎中陳薦に命じ、中外の封事を同詳定せしむ。辛卯、英宗憲文肅武宣孝皇帝の諡を天地・宗廟・社稷に告ぐ。壬辰、宝冊を福寧殿に上る。丙午、文州曲水県令宇文之邵、上書して得失を指陳す。
八月丁未朔、太白晝見す。戊午、西夏の和市を復す。己巳、京師地震す。癸酉、英宗を永厚陵に葬る。
九月丁丑の日、諸路の逃亡田の税額を減ずることを詔す。壬午の日、僖祖及び文懿皇后を祧(祖廟より遷す)。乙酉の日、英宗の神主を太廟に祔(合祀)し、楽を『大英之舞』と曰う。戊子の日、両京・畿内・鄭州・孟州の囚人の罪一等を減じ、山陵の役に服した民はその賦を蠲(免)ず。辛卯の日、顥を徙封して岐王とし、頵を高密郡王とす。富弼を尚書左僕射とす。孫思恭等を遣わして遼に報謝し、且つ生辰・正旦を賀す。壬辰の日、周世宗の從曾孫貽廓を録(登用)して三班奉職とす。甲午の日、遼、耶律好謀等を遣わして来朝し即位を賀す。戊戌の日、王安石を以て翰林學士とす。辛丑の日、韓琦罷めて司徒・鎮安武勝軍節度使・判相州とす。吳奎・陳升之罷む。樞密副使呂公弼を樞密使とし、張方平・趙抃並びに參知政事とし、邵亢を樞密副使とす。壬寅の日、曾公亮を以て尚書左僕射とし、文彥博を司空とす。潮州地震す。癸卯の日、權御史中丞司馬光を以て翰林學士とす。
冬十月丙午の日、漳州・泉州諸州地震す。丁未の日、富弼罷めて判河陽とす。戊申の日、建州・邵武軍・興化軍地震す。己酉の日、初めて邇英閣に御し、侍臣を召して經史を講讀せしむ。右諫議大夫・權御史中丞滕甫を以て諸路監司の課績を考(考査)せしむ。張方平、父憂(父の喪)により去位す。庚戌の日、陝西轉運司に度僧牒を給す。穀を糴(買い入れ)て霜旱の州縣を振(救済)せしむるを令す。癸丑の日、翰林學士・御史中丞・侍御史知雜事に材堪(才能適任)の御史を各二人挙ぐることを詔す。將作監主簿常秩を闕(朝廷)に赴かしむることを詔す。甲寅の日、『資治通鑒序』を制して司馬光に賜う。癸酉の日、青澗城を治むる種諤、綏州を復す。
十一月丁丑の日、近臣に各々才行(才能と行い)可任使(任用に堪える)の者一人を挙ぐることを詔す。戊寅の日、直言を求むることを詔す。丙戌の日、二府に各々知る所を挙ぐることを詔す。丁亥の日、考課院に令して諸州の上る所の縣令の治状を詳定せしむ。戊子の日、宰臣を分命して雪を祈らしむ。河東交城縣に馬監を置く。庚寅の日、近臣、官を挙ぐるに當たらず、三たび劾せられたる者は、中書別に奏して旨を取ることを詔す。乙未の日、内外の文武官に各々材徳行能ある者を挙ぐることを詔令す。
十二月丙辰の日、西南の龍蕃来貢す。辛酉の日、来歳の日食正旦を以て、乙丑より殿を避け、膳を減じ、朝賀を罷む。壬戌の日、起居の日に轉對官二人を増すことを詔す。丙寅の日、州縣の吏並びに縁(便乗)りて奸を爲し、獄多く瘐死(獄死)するを致す、歳終に死者の多寡を会(集計)し、以て其の罪を制す。令と爲す。己巳の日、遼、蕭傑等を遣わして来朝し正旦を賀す。
二月辛亥の日、諸路に毎季雨雪を上らしむるを令す。乙卯の日、孔若蒙、衍聖公を襲封す。壬戌の日、河東の饑民に粟を貸す。
三月庚辰の日、夏主諒詐卒す、使を遣わして来朝し哀を告ぐ。丙戌の日、刑を恤(憐れ)むることを詔す。戊子の日、太皇太后の慶壽宮・皇太后の寶慈宮を作る。丁酉の日、簡州に木連理(木の枝が連なる瑞祥)あり、潭州に毛(羽毛)雨ふる。
夏四月乙巳の日、翰林學士王安石に越次(順序を越えて)入對せしむることを詔す。戊申の日、宰臣を命じて雨を禱らしむ。樞密直學士李參を以て尚書右丞・判西京留守司御史台とす。辛亥の日、同天節、群臣及び遼使初めて紫宸殿に上壽す。
五月甲戌の日、饑民を募りて廂軍に補う。庚辰の日、兩制及び國子監に諸王宮學官を挙ぐることを詔す。戊戌の日、慶成軍を廃す。
六月癸卯の日、唐の魏征・狄仁傑の後を録(登用)す。丁未の日、占城来貢す。辛亥の日、諸路に水利を興すことを詔す。乙亥の日、河、棗強縣に決す。丙寅の日、司馬光・滕甫に命じて國用を裁定せしむ。
秋七月癸酉の日、謀殺已に傷つけ、案問(審問)欲に挙(発覚)せんとし自首する者は、謀殺より二等を減ずるに従うことを詔す。乙亥の日、秦州新築の大甘穀口砦を名づけて甘穀城と曰う。丁丑の日、諸路の帥臣・監司及び兩制・知雜御史已上に、各々武勇謀略の三班使臣二名を挙ぐることを詔す。布衣王安國に進士及第を賜う。己卯の日、群臣三たび表を上りて奉元憲道文武仁孝の號を上ることを請う、許さず。陳升之、樞密院事を治む。濮州雷澤縣堯陵に守戸を給す。壬午の日、恩州・冀州の河決を以て、水死の家に緡錢及び下戸に粟を賜う。甲申の日、京師地震す。乙酉の日、又震え、大雨。辛卯の日、河朔の地大いに震うるを以て、沿邊安撫司及び雄州刺史に命じて遼人の動息を候い以て聞かしむ。圧死者に緡錢を賜う。京師の地再び震う。壬辰の日、御史中丞滕甫・知制誥吳充を遣わして河北を安撫せしむ。癸巳の日、深州の溢水を疏(疏通)す。甲午の日、河北路の囚罪一等を減ず。丁酉の日、河北安撫司に空名の誥敕を賜い、民に入粟を募る。己亥の日、回鶻来貢す。
八月壬寅の日、京東路・京西路に河北の流民を存恤(救済保護)することを詔す。京師地震す。甲辰の日、又震う。乙卯の日、河東及び鄜延路轉運司に空名の誥敕を賜い、民に入粟を募りて邊を實(充實)にせしむ。甲子の日、中書門下に詔し、屬近(親族)行尊(年長者)の者一人を考(選考)し、之を王とす。丙寅の日、宗諤の平章事を罷む。丁卯の日、張宗益等を遣わして遼主の生辰・正旦を賀す。
九月辛未の日、太祖の曾孫舒國公從式を進封して安定郡王とす。丁亥の日、後妃臣僚の薦奏推恩(推挙による恩典)を減ず。戊子の日、莫州地震し、声雷の如し。丁酉の日、三司に詔して宗室の月料、嫁娶・生日・郊禮の給賜を裁定せしむ。
冬十月辛丑の日、天下の繫囚に衣食薪炭を給す。乙卯の日、奉宸庫の珠を出し、付して河北に馬を買わしむ。戊辰の日、銷金(金糸細工)の服飾を禁ず。
十一月癸酉、太白星が昼間に現れた。癸未、宰臣に命じて雪を祈らせた。丙戌、太廟に朝饗し、ついで郊宮にて斎戒した。青城後苑を廃す。丁亥、圜丘にて天地を祀り、大赦を行い、群臣にそれぞれ進秩した。乙未、京師及び莫州に地震があった。
十二月己亥朔、宰臣に命じて雪を祈らせた。癸卯、瀛州に大地震があった。庚戌、夏国主秉常に詔を賜い、塞門・安遠の二砦を納れてその綏州に帰することを許した。辛亥、唐の段秀実の後裔を録用した。癸丑、郊廟・社稷にて雪を祈った。庚申、判汝州富弼を集禧観使とし、詔して駅伝に乗って闕に赴かせた。壬戌、雪が降った。甲子、遼が耶律公質らを遣わして正旦を賀せしめた。
二月己亥、富弼を同中書門下平章事とした。庚子、王安石を参知政事とした。翰林学士呂公著に命じて『英宗実録』を修撰させた。乙巳、帝は災変のため正殿を避け、膳を減らし楽を撤した。甲子、陳升之・王安石が三司条例を創置し、新法の施行を議した。
三月乙酉、詔して漕運・塩鉄等の官に各々財用の利害を具して奏聞させた。丙戌、宰臣に命じて雨を祈らせた。戊子、秉常が誓表を上り、塞門・安遠の二砦を納れ、綏州を乞うた。詔してこれを許した。乙未、旱魃のため囚徒を慮した。
四月丁酉朔、群臣ふたたび尊号を上ったが、許されなかった。戊戌、内外の土木工事を省く。壬寅、遼が耶律昌らを遣わして同天節を賀せしめた。丁未、唐介が薨じ、その喪に臨んだ。戊申、宰臣富弼・曾公亮が旱魃のため上表して罪に待ったが、詔して允さなかった。癸丑、曾公亮を西京奏安仁宗・英宗御容礼儀使とした。丁巳、諸路に使者を遣わし、農田水利賦役を巡察させた。戊午、外任の大使臣で年七十以上の者は、監司に体量させ、直ちに致仕を除する者は、さらに子孫に推恩を与えない。甲子、殿に御し膳を復した。河北の帰業流民の夏税を免じた。
五月辛未、紫宸殿に宴し、初めて楽を用いた。己卯、河北の役兵に特支銭を賜う。癸未、翰林学士鄭獬を罷めて杭州知事とし、宣徽北院使王拱辰を罷めて応天府判官とし、知制誥銭公輔を罷めて江寧府知事とした。丁亥、仁宗・英宗の御容を会聖宮及び応天院に奉安した。甲午、西京の囚徒の罪一等を減じた。台州の民延賛ら九人、年各々百歳以上、ともに本州の助教を授けた。
六月丁巳、右諫議大夫・御史中丞呂誨が王安石を論じたため、罷めて鄧州知事とした。翰林学士呂公著を御史中丞とした。龍図閣直学士張掞に命じて兼ねて編排録用勲臣子孫をさせた。壬戌、太白星が昼間に現れた。
秋七月乙丑朔、日食すべきところ、雲陰のため見えず。庚午、詔して御史中丞に推直官及び兼権御史すべき者を挙げさせた。甲戌、東平郡王允弼が薨じた。辛巳、淮・浙・江・湖の六路均輸法を立てた。壬午、水害を受けた州軍を振恤し、なお竹木税及び酒課を蠲免した。癸未、詔して今後文臣が右職に換える者は、実に謀勇あり、かつ績効を著したる者にして、すなわち取旨を得ることを得るとす。甲申、日の下に五色の雲あり。己丑、韓琦が『仁宗実録』を上り、曾公亮が『英宗実録』を上った。
八月癸卯、侍御史劉琦を貶して処州塩酒務監とし、御史裏行銭顗を貶して衢州塩税監とす。これも王安石を論じたためなり。乙巳、殿中侍御史孫昌齢が新法を論じたため、貶して蘄州通判とした。丙午、同修起居注範純仁が言事多く安石に忤うを以て、罷めて同知諫院とした。戊申、河が東行に徙る。夏国が旧蕃儀に従うことを請う、詔してこれを許す。己酉、範純仁を河中府知事とした。甲寅、神御殿に朝した。辛酉、秘書省著作佐郎程顥・王子韶をともに太子中允・権監察御史裏行とした。壬戌、待御史知雑事劉述・同判刑部丁諷が刑名の勅を受けて即時に下さざるに坐し、劉述を貶して江州知事とし、丁諷を貶して復州通判とした。審刑院詳議官王師元が許遵の議する刑名の当たらずを言うに坐し、貶して安州税監とした。
九月甲子朔、交州が来貢した。乙丑、古勿峒の効順首領儂智会を右千牛衛大将軍とした。丁卯、常平給斂法を立てた。戊辰、内庫の緡銭百万を出して河北の常平粟を糴った。丁丑、孫固らを遣わして遼主の生辰・正旦を賀せしめた。辛卯、奉慈廟を廃した。壬辰、秘書省著作佐郎呂恵卿を太子中允・崇政殿説書とした。
冬十月丙申、富弼を罷めて武寧軍節度使・判亳州とした。曾公亮・陳升之をともに同中書門下平章事とした。綏州に城を築き、郭逵に命じて将を選び守具を置かしめた。郭逵は趙禼を遣わして夏人の納れる安遠・塞門の二砦を交わし、地界を定めた。夏人は初めの盟に背き、趙禼は綏州に城を築き、二砦と交換せず、よって名を改めて綏徳城とすことを請うた。戊戌、蕃官礼賓使折継世を忠州刺史とし、左監門衛将軍嵬名山を供備庫使とし、なお姓名を賜って趙懐順とす。丙辰、詔して御史の請対は、ともに許して直ちに閣門より上殿せしむ。戊午、宗諤ふたたび平章事となる。己未、夏人が来たり封冊を謝す。辛酉、楊承信の曾孫立・田重進の曾孫章を録用して三班借職とした。
十一月乙丑、韓絳に命じて三司条例を制置せしむ。甲戌、詔して祖宗の後の世襲補外官は、袒免親にあらざれば名を賜い官を授くることを罷む。丙子、諸路の提刑武臣を罷む。『農田水利約束』を頒布した。壬午、邇英閣に御して講を聴く。汴口の役兵に銭を賜う。己丑、天下の囚徒の罪一等を減じ、徒以下はこれを釈放した。
閏月庚子、御河を浚う。壬子、交子務を置く。この月、官を差して諸路の常平広恵倉を提挙せしめ、兼ねて管勾農田水利差役事をさせた。
是の歳、交州来り貢ぐ。