嘉祐中、宰相韓琦等儲君を立てんことを請う、仁宗曰く「宗子に既に賢知にして付すべき者有り、卿等其れ憂うる勿れ」と。時に帝方に濮王の喪に服す。六年十月辛卯、起して秦州防禦使・知宗正寺と為す、帝終喪を以て辞す。奏四上し、乃ち聴す。喪終わり、復た前命を授く、又辞す。七年八月、宗正を罷むるを許し、復た岳州団練使と為す。戊寅、皇子に立つ。癸未、今の名に改む。帝詔を聞き疾を称し、益々辞を堅くす。詔して同判大宗正事安国公従古等をして往きて旨を諭さしめ、即ち臥内に於て帝を起して入らしむ。甲辰、清居殿に見ゆ。是より、日再び朝し、或いは禁中に侍す。九月、斉州防禦使・鉅鹿郡公に遷る。
嘉祐八年
五月戊午、富弼を以て枢密使と為す。戊辰、初めて延和殿に御す。疾未だ平らかならざるを以て、宰臣に命じて天地・宗廟・社稷及び寺観に祈福し、又嶽瀆名山に祈る。
六月辛卯、契丹蕭福延等を遣わして来たり祭吊す。
秋七月壬子、初めて紫宸殿に御す。帝六月癸酉より殿に御せず、是に至り始めて百官に見ゆ。癸亥、歳星昼に見ゆ。乙丑、星大小数百西に流る。戊辰、百官南郊に大行皇帝の諡を請う。
八月癸巳、生日を以て寿聖節と為す。
九月辛亥、光国公仲鍼を以て忠武軍節度使・同中書門下平章事・淮陽郡王と為し、名を頊と改む。戊午、福寧殿に仁宗の諡冊を上る。
冬十月甲午、仁宗を永昭陵に葬る。
十一月丙午、太廟に祔す。大風霾有り。己酉、東西二京の罪囚一等を減じ、山陵の役戸及び霊駕の過ぐる所の民租を免ず。辛亥、契丹蕭素等を遣わして来たり即位を賀す。
十二月己巳、初めて邇英閣に御し、侍臣を召して経史を講読せしむ。乙亥、淮陽郡王頊出閣す。
この年、于闐及び西南蕃が来朝して貢物を献じた。
三月壬寅、秦悼王の塚を修築することを命じ、守護官を置く。戊午、囚徒を録する。辛酉、土雨が降る。
夏四月癸未、宮女百三十五人を放免する。甲午、相國天清寺及び醴泉観において雨を祈る。諸軍に差等を以て銭を賜う。
五月己亥、二股河を浚渫する。戊申、皇太后が政務を返上する。庚戌、初めて前後殿に御す。壬子、詔して曰く、「皇太后の称するを聖旨とし、出入の儀衛は章獻太后の故事の如くせよ。其の須要ある所は、内侍に聖旨を録して有司に付し、覆奏して即ち行え」と。丙辰、皇太后の宮殿の名を慈壽と曰す。己未、熒惑星が太微上將を犯す。壬戌、病癒えたことを以て、宰臣に命じて天地・宗廟・社稷及び宮観に謝せしむ。
閏月戊辰、輔臣の爵を一等進む。
六月己亥、淮陽郡王頊を以て潁王と為し、祁國公顥を保甯軍節度使・同中書門下平章事・東陽郡王と為し、鄠國公頵を左衛上將軍と為す。宗室教授を増す。丁未、同知大宗正事一員を増す。辛亥、睦親・廣親の宅を造る。辛酉、太白星が昼間に現れる。壬戌、歳星が昼間に現れる。
八月甲辰、周世宗の後裔を録する。甲寅、太白星が太微垣に入る。乙卯、兵部員外郎呂誨等四人を遣わして賀契丹太后生辰・正旦使と為し、刑部郎中章岷等四人を遣わして賀契丹主生辰・正旦使と為す。丙辰、内侍都知任守忠、不法に坐し、保信軍節度副使に貶じ、蘄州に安置す。丁巳、上供米三万石を以て宿・亳二州の水災戸を賑済す。
九月丁卯、武挙を復す。庚午、夏国に詔して、使人を精選し、彝章を紊さざるよう戒励せしむ。
冬十月丙申、中外の近臣・監司に詔して、治行素著にして升擢に備うべき者二人を挙げしむ。
十一月乙亥、陝西の戸の三丁に一丁を科し、刺して義勇軍と為す、凡そ十三万八千四百六十五人、各々銭二千を賜う。諫官司馬光累疏を上てて之を諫む、允されず。戊寅、内侍の養子の令を復す。
十二月乙巳、土雨が降る。丙辰、契丹、耶律烈等を遣わして來朝し壽聖節を賀し、蕭禧等を遣わして來朝し明年の正旦を賀す。
この年、畿内・宋・亳・陳・許・汝・蔡・唐・潁・曹・濮・濟・単・濠・泗・廬・壽・楚・杭・宣・洪・鄂・施・渝の諸州、光化・高郵の両軍に大水あり、使者を遣わして巡視せしめ、疏治と賑恤を行い、其の賦租を蠲免す。西蕃の瞎氊の子瞎欺米征が内附す。
二月甲辰、大風、昼冥し。丁未、囚を録す。是の月、礼部奏名の進士・明経諸科及び第出身三百六十一人を賜う。
三月己巳、『明天暦』を頒布す。
夏四月戊戌、詔して崇奉濮安懿王の典礼を議せしむ。辛丑、詔して監司・知州の歳薦する吏は徒に数を充すことなからしむ。丙午、仁宗の御容を景霊宮に奉安す。丁未、白気西方より起こる。
五月癸亥、詔して名実を綜核するをもって臣下を励ます。丙子、詔して今より皇子及び宗室の属卑なる者は、検校師・傅の官を授くることなからしむ。乙酉、詔して宗室の王に封ぜられたる者の子孫は爵を襲ぐ。
六月壬辰、囚を録す。己酉、詔して尚書に三省・御史台を集めて濮安懿王を奉ずる典礼を議せしむ。甲寅、尚書省の集議を罷め、官司に典故を博く求めしめ、経に合するを務めしむ。詔して官を遣わし契丹と疆界を定めしむ。
秋七月癸亥、富弼罷む。丙寅、詔して乗輿の服御を減ず。丙子、宮女百八十人を放つ。丁丑、太白昼に見ゆ。己卯、群臣五たび尊号を上るも、允さず。庚辰、張昪罷む。文彦博を以て枢密使と為す。
八月庚寅、京師大雨、水あり。癸巳、水に被れる諸軍に米を賜い、官を遣わして軍民の水死する者千五百八十人を視わしめ、其の家に緡銭を賜い、主なき者を葬祭す。乙未、雨災を以て、詔して躬を責め言を乞う。初め、学士詔を草して曰く「執政大臣、其れ天変を惕み思え」と。帝其の後に書して曰く「雨災は専ら朕の不徳を戒むるなり、更に曰く『徳を協わせ交わり修めよ』とすべし」と。己亥、水災を以て、開楽宴を罷む。壬子、工部郎中蔡抗等を以て賀契丹生辰使に充て、侍御史趙鼎等を以て賀契丹正旦使に充つ。乙卯、袞冕の制度を減ず。丙辰、陝西に壮城兵を置く。
九月壬戌、雨、大宴を罷む。己巳、災異風俗を以て制挙人を策す。壬午、太白南斗を犯す。乙酉、久雨を以て、使を遣わして嶽瀆名山大川に祈る。
冬十月乙巳、雨木氷。
十一月庚午、景霊宮に朝饗す。辛未、太廟を饗す。壬申、南郊に事あり、大赦す。皇太后の冊を上る。皇后を冊す。斉州を以て興徳軍節度と為す。辛巳、百官に恩を加う。
十二月辛亥、太白昼に見ゆ。
是歳、蔣・波・繡・雲・龍賜等州来貢す。
二月乙酉の朔、白虹日を貫く。
三月庚申、彗星晨に室に見ゆ。辛酉、諫官傅堯俞・御史趙鼎・趙瞻を黜す。戊辰、上親しく囚を録す。庚午、彗星の故に正殿を避け、膳を減ず。辛未、呂誨等を黜したることを詔して内外に示す。癸酉、災異を以て躬を責め、詔して転運使に獄訟を察し、役調の利病大なる者を以て聞かしむ。辛巳、彗星晨に昴に見ゆ、太白の如く、長さ丈有五尺。壬午、畢に孛す、月の如し。
夏四月丙午、詔して有司に部内の左道・淫祀及び善良を賊殺して令に奉ぜざる者を察せしめ、罪は赦すことなからしむ。
五月甲子、知雑御史・観察使以上の歳挙人を罷む。乙丑、彗星張に至りて没す。戊辰、宰相に謂ひて曰く、「朕公等と日を論じて治道を論ぜんと欲す。中書の常務に定制有る者は、有司に付して之を行はしむ。」
六月己酉、囚を録す。
秋七月乙丑、濮王の子孫及び魯王の孫の爵を一等進む。
八月庚子、傅卞等を遣はして遼主の生辰を賀し、張師顔等を遣はして正旦を賀す。
九月壬子の朔、日食有り。癸亥、待制・諫官・朝官少卿郎中遷選の歳月補員格を定む。庚辰、妃嬪・公主以下の薦服親の夫を禁ず。
冬十月壬午の朔、仙游県君任氏の墳域を以て園と為す。乙酉、詔して両日に一度邇英閣に御す。丁亥、詔して礼部に三歳に一度貢挙せしむ。甲午、詔して宰臣・参知政事に才行の士にして館職を試むべき者各五人を挙げしむ。
十一月戊午、帝豫せず、大慶殿に祷る。己未、宰相始めて事を奏す。辛酉、天下の囚の死罪を一等降し、流以下は之を釈す。
十二月乙未、宰相天地・宗廟・社稷に祈る。壬寅、潁王頊を立てて皇太子と為す。癸卯、大赦す。文武の官の子にして父の後たる者に勳一転を賜ふ。遼、蕭靖等を遣はして正旦・寿聖節を賀す。
是歳、使を遣はして違約数寇を以て夏国を責め、諒祚方物を献じて謝罪す。
治平四年
四年春正月庚戌の朔、群臣尊號を上りて體乾膺曆文武聖孝皇帝と曰ふ。天下の囚の罪を一等降し、徒以下は之を釈す。大風霾有り。辛亥、京師の逋曲錢を蠲す。丁巳、帝福寧殿に崩ず、寿三十六。諡して憲文肅武宣孝皇帝と曰ひ、廟號を英宗とす。
帝睦親宅に居るより、孝徳著聞す。濮安懿王薨じ、服玩の物を諸子に分かつに、帝の得たる所は悉く以て王府の旧人にして既に葬りて辞去する者に與ふ。宗室に金帯を仮りて銅帯を以て帰る者有り、主吏以て告ぐ。帝曰く、「真に吾が帯なり。」と。之を受く。殿侍に命じて犀帯を鬻がしむ、直錢三十萬、之を亡す。帝亦問はず。初め皇子を辞し、潭王宮教授周孟陽に請ひて奏を作らしむ。孟陽勸戒有るや、即ち謝して之を拝す。奏十餘り返して允さず、始めて召に就く。舍人に戒めて曰く、「謹んで吾が舍を守れ。上に適嗣有らば、吾帰らん。」と。既に皇子と為りて後は、慎靜恭默、猷為する所無し。而して天下陰に其の聖徳有るを知る。即位して後は、近臣を命ずる毎に、必ず官を以てし名を以てせず。大臣従容として以て言ふ。帝曰く、「朕宮中に小臣を命ずるも、亦未だ嘗て名を以てせざるなり。」と。一日、神宗に語りて曰く、「国家の旧制、士大夫の子帝女を尚ふ者は、皆行を升して以て舅姑の尊を避く。義甚だ謂ふ所無し。朕嘗て此を思ひ、寤寐平らかならず。豈に富貴の故を以て、人倫長幼の序を屈せしむべけんや。可く有司に詔して之を革むべし。」と。会ひて疾有りて果たさず。神宗其の事を述ぶ。
紀の賛
賛に曰く、昔人の言に、天の命ずる所は、人は違う能わずと。信なるかな。英宗は明哲の資を以て、継統の命を膺け、心を執り固く譲り、将に終身せんとす、而して卒に帝位を践む。豈に天命ならずや。其の政に臨むに及び、臣下奏有れば、必ず朝廷の故事と古の治の宜き所とを問い、毎に裁決有るに、皆群臣の意表に出づ。疾疹を以て大いに為す所有るに克わざるも、然れども百世の下をして、高風を欽仰し、至徳を詠歎せしむ。何ぞ其れ盛んなるや。彼の隋の晉王広、唐の魏王泰の神器を窺覦し、矯揉して嫡を奪い、遂に禍の原を啓く。誠に何の心ぞや。誠に何の心ぞや。