宋史

本紀第十一 仁宗三

仁宗三

慶曆元年

慶曆元年春正月辛亥の朔、大慶殿に御して朝を受く。己未、唃廝囉に河西節度使を加ふ。壬申、詔して歳に春分を以て高禖を祠らしむ。是の月、元昊和を請ふ。

二月己亥、壽國公昕薨ず。辛亥、大宴を罷む。京東西・淮・浙・江南・荊湖に宣毅軍を置く。甲辰、詔して臣僚外任を受くる者は、臨遣に因りて恩を祈ることを得ざらしむ。丙午、京師薬を雨ふ。是の月、元昊渭州を寇し、環慶路馬歩軍副総管任福好水川に敗れ、福及び将佐軍士死者六千余人。

三月庚戌の朔、金堤を修す。乙卯、詔して郡国の挙人を止め、辺機を以て名と為し恩沢を希求することを得ざらしむ。

夏四月甲申、資政殿学士陳執中を以て陝西馬歩軍都総管兼経略安撫沿辺招討等使・知永興軍と為す。詔して夏竦仍り永興軍を判せしむ。乙巳、徳音を下す。陝西の囚死罪一等を降し、流以下は之を釈く。軍士に緡銭を特支し、辺民鈔略せられし者の親属を振撫す。

五月丁巳、繫囚を録す。甲子、内蔵の緡銭一百万を出だして軍費を助く。乙丑、皇長子を追封して褒王と為し、名を昉と賜ふ。丁卯、陝西経略安撫沿辺招討都監を罷む。辛未、宋庠・鄭戩罷む。王挙正を参知政事と為し、任中師・任布を枢密副使と為す。詔して夏竦軍を鄜州に屯し、陳執中軍を涇州に屯せしむ。癸酉、衛士を閲試す。

六月壬辰、詔して陝西諸路総管司に辺備を厳にし、輒゙賊界に入ること毋く、賊至らば則ち之を禦がしむ。乙巳、詔して近臣に河北・陝西・河東の知州・通判・県令を挙げしむ。

秋七月丙辰、月心後星を掩ふ。戊午、月南斗を掩ふ。壬戌、万勝軍を置く、凡そ二十指揮。是の月、元昊麟・府州を寇す。

八月戊寅、詔して鄜延部署に兵を以て麟・府を援がしむ。甲申、河北に場を置き戦馬を括市し、縁辺七州軍は括を免ず。乙未、潼関新置の楼櫓を毀つ。庚子、月歳星を掩ふ。乙巳、民間の材勇なる者を募りて神捷指揮を補ふ。是の月、元昊金明砦を寇し、寧遠砦を破る。砦主王世亶・兵馬監押王顯之に死す。豊州を陥とす。知州王余慶・兵馬監押孫吉之に死す。

九月壬子、河東に命じて大鉄銭を鑄かしむ。乙亥、義倉を復置す。

冬十月甲午、詔して陝西都部署を罷め、四路を分ちて使を置く。陝西営田務を置く。己亥、銅符・木契を罷む。是の月、河北の城池を修す。

十一月壬子、涇原路強壮弓箭手を置く。丙辰、廩粟を発し、価を減じて以て京城の民を済ふ。甲子、景霊宮に朝饗す。乙丑、太廟・奉慈廟を饗す。丙寅、天地を圜丘に祀り、大赦し、元を改む。陝西来年の夏税十の二を蠲め、及び麟・府の民二年の賦租を免ず。臣僚に家廟を立つることを許す。功臣は品数に限らず戟を賜ふ。天下の解額を増す。京東八州の塩禁を弛む。是の月、江・饒・池の三州に令して鉄銭を鑄たしむ。

十二月丙子、百官に恩を加う。丁丑、司天監『崇天萬年曆』を上る。戊寅、陝西四路総管及び転運使に営田を兼ねしむるを詔す。甲午、陝西護塞軍を置く。

是歳、湖南洞蠻の徽州知州楊通漢、方物を貢ぐ。

慶暦二年

二年春正月丁巳、京師の榷塩法を復す。壬戌、京西の閒田を以て内附の蕃族にして親属なき者を処するを詔す。河北に使を遣わして兵を募り、万人に及ぶ者を賞す。癸亥、磨勘院に提点刑獄の功罪を考へ三等と為し、以て黜陟を待つを詔す。

二月乙未、河北の強壮に手背を刺して義勇軍と為すを詔す。

三月甲辰朔、殿前指揮使・両省都知に武臣にして将たるに堪ふるの才を挙ぐるを詔す。丁巳、杜衍、河東を宣撫す。辛酉、晁宗愨罷む。己巳、契丹、蕭英・劉六符を遣わし来たりて書を致し、地を割くを求む。是月、礼部奏名の進士・諸科及び第出身八百三十九人に賜ふ。

夏四月戊寅、御史中丞・諫官に命じ三司の用度を同較し、其の不急なる者を罷む。庚辰、知制誥富弼、契丹に報使す。

五月辛亥、繫囚を録す。壬子、皇后及び宗室の婦の郊賜を半減す。甲寅、三館の臣僚に封事を上り及び請対を聴くを詔す。丙辰、医官の右職に換ふることを得ざるを詔す。戊午、大名府を建てて北京と為す。河北州軍の繫囚の罪一等を降し、杖・笞以下は之を釈す。乙酉、左蔵庫の月進銭を罷む。戊辰、金を銷して服飾と為すを禁ず。是月、契丹、兵を幽州に集め、来侵を声言し、河北・京東皆辺備と為す。

六月甲戌、内蔵の銀・紬・絹三百万を出だして辺費を助く。癸未、特奏名の武芸人を以て三班に補す。丙戌、北平軍を置く。丙申、蕃落の将士の騎射を閲す。戊戌、南郊の臣僚賜与を減省するを詔す。

秋七月丙午、任布罷む。丁未、軍校にして戦沒し子孫なき者には、其の家に緡銭を賜ふを詔す。戊午、大雨雹。呂夷簡を以て枢密院事を兼判せしめ、章得象を枢密使を兼ねしめ、晏殊に平章事を加ふ。癸亥、富弼、再び契丹に使す。京官にして病を告ぐる者は、一年にして方ち朝参を聴すを詔す。

八月丁丑、制挙人を策す。戊寅、武挙人の騎射を試みるを策す。甲申、白気北斗を貫く。戊子、内蔵庫の緡銭十万を出だして北京行宮を修す。己亥、使を遣わし京東を安撫し、盗賊を督捕せしむ。

九月丙午、呂夷簡、改めて枢密使を兼ぬ。乙丑、契丹、耶律仁先・劉六符を遣わし誓書を持ち来る。

閏月戊戌、河北民間の科徭を罷む。是月、元昊、定川砦を寇し、涇原路馬歩軍副都総管葛懷敏戦沒し、諸将死者十四人、元昊大いに渭州を掠めて去る。

冬十月庚戌、陝西の保捷軍を刺す。甲寅、使を遣わし涇原路を安撫す。丙辰、知制誥梁適、契丹に報使す。戊午、定州の禁軍二万二千人を発して涇原に屯す。庚申、将校陣亡を恤ひ、其の妻女にして依る所なき者は宮中に養ふを詔す。丙寅、契丹、使を遣わし来たりて再び誓書を致し、兵を徹するを報ず。

十一月壬申、黒気北斗の柄を貫く。辛巳、都部署兼招討等使を復し、韓琦・范仲淹・龐籍に命じ分ち之を領せしむ。甲申、泰山の処士孫復を以て国子監直講と為す。

この年、占城が馴象三頭を献上す。

慶曆三年

三年春正月庚午朔、皇子曦を鄂王に封ず。辛未、曦薨ず。丙子、陝西の歳市木を三分の一減ず。辛巳、輔臣に詔して天下の賦役を蠲減することを議せしむ。戊子、将校にして王事に死し子孫なき者の親属を録することを詔す。辛卯、徳順軍を置く。壬辰、唐の狄仁傑の後を録す。癸巳、元昊自ら名を曩霄とし、人を遣わして来たり款を納れ、夏国と称す。

二月丙午、陝西招討韓琦・范仲淹・龐籍に銭各百万を賜う。辛酉、四門学を立つ。

三月壬申、衛士の武技を閲す。戊子、呂夷簡を罷めて司徒しと・監修国史と為し、軍国大事と議せしむ。章得象を昭文館大学士と為し、晏殊を集賢殿大学士と為し並びに枢密使を兼ね、夏竦を枢密使と為し、賈昌朝を参知政事と為す。

夏四月戊戌朔、瓊林苑に幸して騎士を閲す。癸卯、保安軍判官邵良佐を遣わして元昊に使せしめ、封冊して夏国主と為すことを許し、歳賜として絹十万匹・茶三万斤を賜う。甲辰、韓琦・范仲淹を枢密副使と為す。乙巳、夏竦を本鎮に還らしむることを詔し、杜衍を枢密使と為す。丙辰、春夏雨降らざるを以て、使者を遣わして嶽瀆に祠禱せしむ。甲子、呂夷簡の軍国大事と議することを罷む。

五月丁卯朔、日食あり。庚午、繋囚を録す。戊寅、諸路の転運使に並びに按察使を兼ねしめ、歳ごとに官吏の能否を具して以て聞かしむることを詔す。庚辰、相国寺・会霊観に雨を祈る。癸未、御史六員を置き、推直官を罷む。丁亥、武学を置く。戊子、雨降る。己丑、雨を謝す。辛卯、禁中に欽天壇を築く。乙未、近臣方略を試むる者六人を薦ぐ、官を授くるに差あり。是の月、忻州に地大いに震う。虎翼卒王倫、沂州に叛く。

六月甲辰、諸路の漕臣に詔し、部内の官吏をして茶・塩・礬及び坑冶の利害を条して以て聞かしむ。

秋七月辛未、二府に詔し、奏事の常制に限らず、敷陳留対することを得しむ。丙子、王挙正罷む。壬午、陝西管内の営田を罷む。甲申、任中師に命じて河東を宣撫せしめ、范仲淹に陝西を宣撫せしむ。乙酉、王倫を獲る。

八月乙未朔、官に命じて編敕を詳定せしむ。戊戌、諫官に詔して日ごとに内朝に赴かしむ。丁未、范仲淹を参知政事と為し、富弼を枢密副使と為す。壬子、白気北斗魁を貫く。癸丑、韓琦、范仲淹に代わり陝西を宣撫す。甲寅、太白昼に見ゆ。戊午、武学を罷む。

九月丁卯、輔臣に詔して天章閣に対せしむ。戊辰、呂夷簡太尉を以て致仕す。乙亥、任中師罷む。丁丑、執政大臣は仮休に非ざれば私第に謁を受くることを許さざることを詔す。是の月、桂陽洞蛮辺を寇し、湖南提刑兵を募りてこれを討平す。

冬十月丙午、中書・枢密に詔し、諸路の転運使を同選せしむ。丁未、県令佐能く編戸の隠偽を根括して以て賦入を増す者は、其の数に量りてこれを賞することを詔す。戊申、二府に詔し、諸路の提刑を同選せしむ。甲寅、諸路の転運判官を復す。乙卯、兵書を修することを詔す。壬戌、二府に詔し、新定の磨勘式を頒たしむ。甲子、水洛城を築く。是の月、光化軍乱し、これを討平す。

十一月丙寅、上清宮火災あり。癸未、館職に闕あるは、両府・両省の保挙を以てし、然る後に召試して補用することを詔す。丁亥、蔭補法を更む。壬辰、職田を限る。是の月、五星皆東方に在り。

十二月乙巳、桂陽監の徭賊復た辺を寇す。丁巳、大雨雪、木氷。河北赤雪を雨らす。交阯馴象五頭を献ず。安化州蛮来たり貢す。

慶曆四年

四年春正月庚午、京城に雪寒あり、詔して三司に命じ価を減じて薪米を出し以て之を済わしむ。壬申、西蕃磨氈角入貢す。乙亥、荊王元儼薨ず。辛卯、太常禮儀院上新修の『禮書』及び『慶曆祀儀』を上る。

二月丙申、奉宸庫の銀三万両を出し陝西の饑民を振恤す。己酉、白虹日を貫く。甲寅、陝西四路馬歩軍都総管・経略安撫招討使を罷め、随路都総管・経略安撫招討使を復置す。

三月癸亥朔、旱を以て内侍を遣わし雨を祈る。辛未、広済河の歳漕軍儲二十万石を省く。乙亥、詔して天下の州県に学を立て、科挙法を更定す、語は『選挙志』に在り。己卯、御書治道三十五事を出し講読官に賜う。庚辰、唐の郭子儀の後を録す。甲申、衡・道州・桂陽監の民で徭賊に劫略せられたる者の賦役を一年免ず。

夏四月丙申、詔す、湖南の民で誤って征徭軍に殺されたる者には、帛を賜い其の家を存撫せよと。丁酉、宜州蛮区希範叛す、詔して広西転運鈐轄司に兵を発し討捕せしむ。壬子、錫慶院を以て太学と為す。

五月庚午、繫囚を録す。壬申、国子監に幸して孔子を謁す、有司旧儀はただ肅揖に止まると言うも、帝特再拝す。直講孫復に五品服を賜う。遂に武成王廟に幸し、又玉津園に幸して種稻を観る。乙亥、撫州生金山を献ず。丙子、詔す、西川の知州軍監で、罷任して未だ界を出でずして卒したる者の子孫一人を録せよと。戊寅、詔して人を募り粟を納めしめ淮南の饑を振恤せしむ。乙酉、忻州言上す、地震有り、声雷の如しと。丙戌、曩霄人を遣わし来たり、復た臣と称す。

六月壬子、天下の繫囚の流・徒罪を一等降じ、杖・笞は之を釈す。范仲淹を陝西・河東に宣撫せしむ。癸丑、詔す、諸軍で戦傷により廃停して自ら存すること能わず及び死事の家の孤老には、月に米を給せ、人三斗と。

秋七月戊寅、宗室徳文等十人を封じて郡王・国公と為す。壬午、月熒惑を犯す。癸未、契丹使を遣わし来たり夏国を伐つを告ぐ。甲申、夷人三江砦を寇し、淯井監の官兵之を撃ち走らす。丙戌、詔す、諸路の転運・提刑に守令で治状有る者を察挙せしめよと。

八月辛卯、賈昌朝に命じて天下の農田を領せしめ、范仲淹に刑法事を領せしむ。甲午、富弼を河北に宣撫せしむ。戊戌、右正言余靖に命じて報使として契丹に往かしむ。保州雲翼軍官吏を殺し、城を拠りて叛く。庚子、右正言田況に命じて保州を度視せしめ、仍って便宜行事を聴す。丙午、宗室の官を進め差有らしむ。戊午、詔す、輔臣の薦むる官を以て諫官・御史と為すこと毋かれと。

九月辛酉、保州平ず。壬戌、詔す、保州の官吏で乱兵に死して親属無き者は、官之を殯斂し、兵官で被害され及び戦没したる者は、並びに其の家を優賜せよ。民田で蹂躪せられたる者は、其の租を蠲免せよと。癸亥、真宗の賢妃沈氏を以て徳妃と為し、婉儀杜氏を賢妃と為す。戊辰、呂夷簡薨ず。庚午、晏殊罷む。乙亥、使を遣わし湖南を安撫す。甲申、杜衍を同中書門下平章事兼枢密使・集賢殿大学士と為し、賈昌朝を枢密使と為し、陳執中を参知政事と為す。丁亥、宗室を太清楼に宴し、苑中にて射す。

冬十月庚寅、曩霄に誓詔を賜い、歳賜の銀・絹・茶・彩凡二十五万五千。陳堯佐薨ず。丙申、范仲淹に命じて三館秘閣の書籍を繕校するを提挙せしむ。癸丑、桂陽蛮降り、蛮酋三人に奉職を授く。

十一月壬戌、西界内附の香布を以て団練使と為す。己巳、詔して朋党相い訐り、及び按察の恣に苛刻を為し、文人の肆に言行怪しき者を戒む。己卯、上莊穆皇后の諡を改めて章穆と曰い、莊献明肅皇太后を章献明肅と曰い、莊懿皇太后を章懿と曰い、莊懷皇后を章懷と曰い、莊惠皇太后を章惠と曰う。庚辰、景霊宮に朝饗す。辛巳、太廟・奉慈廟に饗す。壬午、冬至、圜丘にて天地を祀り、大赦す。

十二月壬辰、百官に恩を加う。乙未、曩霄を封じて夏国主と為す。丁酉、詔して州県に先帝の賜う所の七条を以て相い誨敕せしむ。辛亥、保安・鎮戎軍に榷場を置く。

是歳、黎州邛部川山前・山后百蛮都鬼主牟黑来貢す。

慶曆五年

五年春正月甲戌、河東・陝西諸路の招討使を罷む。乙亥、言事御史を復置す。丙子、契丹使を遣わし来たり夏国を伐ち還るを告ぐ。庚辰、知制誥余靖に命じて報使として契丹に往かしむ。癸未、詔す、京朝官で弾奏に因り、未だ責罰せられざるも、但だ改移差遣有る者は、並びに四周年磨勘とすと。乙酉、范仲淹・富弼罷む。丙戌、杜衍罷む、賈昌朝を以て同中書門下平章事兼枢密使・集賢殿大学士と為し、王貽永を枢密使と為し、宋庠を参知政事と為し、吳育・龐籍並びに枢密副使と為す。

二月辛卯の日、詔して京朝官の保任による叙遷法を廃止し、また蔭補の限年法を廃止す。壬辰の日、曩霄(夏の元昊)初めて人を遣わして正旦を賀す。癸卯の日、久しくひでりあるを以て、詔して州県に刑獄を淹滞えんたいせしむることなからしむ。辛亥の日、相国天清寺及び会霊祥源観にて雨を祈る。癸丑の日、桂陽監より唐和ら再び内寇すと奏す。乙卯の日、雨を謝す。

三月己未の日、詔して大宗正に諸宗子に経を授け学を務めしむるを励ます。辛酉の日、韓琦罷免さる。癸亥の日、詔して礼部に貢挙を行わしむ。甲子の日、宜州の蛮賊区希范平ぐ。庚午の日、東方に黄気あり、虹の如く月を貫く。甲戌の日、詔して監司に属吏を按察せしめ、官を差して体量せしむることなからしむ。甲申の日、詔して陝西に曩霄の称臣するを以て、繫囚の罪一等を降し、笞刑の者は釈放し、辺兵には順次に緡銭を賜う。民の去年の逋負ふふは皆責めず、その租税の半を蠲免けんめんす。麟州・府州は嘗て羌にかすめられたるを以て、逋負租税を除くことこれに同じ。丙戌の日、入粟による補官を廃止す。

夏四月丁亥朔の日、司天監言う、日食あるべしと。陰晦にして見えず。繫囚を録し、官を遣わして三京の囚を録す。辛卯の日、曩霄初めて人を遣わして乾元節を賀す。戊申の日、章得象罷免さる。賈昌朝を以て昭文館大学士と為し、陳執中を同中書門下平章事・集賢殿大学士兼枢密使と為す。庚戌の日、呉育を参知政事と為し、丁度を枢密副使と為す。

五月己巳の日、諸路の転運判官を廃止す。

閏月丙午の日、曩霄人を遣わして冊命を謝す。

六月丁卯の日、益州・梓州の上供絹を歳に三分の一減じ、紅錦・鹿胎は半減す。

秋七月戊申の日、広州地震す。

八月庚午の日、荊南府・岳州地震す。

九月庚寅の日、詔して文武官既に致仕して挙官の犯罪に連坐すべき者は、これを除く。辛卯の日、重陽を以て、太清楼にて近臣・宗室を曲宴し、遂に苑中にて射る。

冬十月乙卯の日、契丹使いを遣わして九龍車及び獲たる夏国の羊馬を献ず。辛酉の日、章献明粛皇后・章懿皇后の神主を太廟にあわせまつる。大赦を行い、転運使の按察を兼ねるを廃止す。庚午の日、瓊林苑に幸し、遂に楊村にて畋猟でんりょうす。使いを遣わして獲たるものを馳せて太廟に薦め、父老を召し、飲食・茶帛を賜う。辛未の日、暦を夏国に頒つ。庚辰の日、宰臣の枢密使を兼ねるを廃止す。

十一月丁亥の日、冬至、崇政殿にて宗室を宴す。己酉の日、詔して河北の長吏に殿直・供奉官の武才ある者を挙げしむ。

是歳、施州の溪洞蛮及び西南夷の龍以特来貢す。

慶暦六年

六年春正月戊申の日、広南の戍兵を善地に移し、以て瘴毒を避く。

二月戊寅の日、青州地震す。詔して陝西経略安撫及び転運司に諸費を裁節し、及び置くところの官員の用なき者を議して以て聞かしむ。

三月辛巳の朔、日食あり。繫囚を録す。庚寅、登州地震し、岠嵎山崩る、是より後屡々震ひ、毎に海底に雷の如き声あり。甲午、月歳星を犯す。是の月、礼部奏名の進士・諸科及び第出身八百五十三人に賜ふ。

夏四月甲寅、使を遣はし湖南戍兵に方薬を賜ふ。

五月甲申、京師雹降り、地震す。丙戌、繫囚を録す。戊子、邛州塩井の歳課緡銭一百万を減ず。丙申、詔して陝西に蕃部の馬を市はしむ。丁酉、京東の人劉巹・劉沔・胡信謀反し、誅せらる。

六月庚戌の朔、詔して夏竦に河北監司と帥臣・長吏の職に堪へざる者を察せしむ。丁巳、流星営室の南に出で、其の光地を燭し、隠然として声あり。丙寅、久旱に因り、民多く暍死す、命じて京城に井三百九十を増鑿せしむ。丁丑、詔して制科を礼部貢挙に随はしむ。

秋七月丁亥、月南斗を犯す。庚寅、河東経略司言上す、雨忻・代等州の城壁を壊すと。

八月癸亥、賢良方正能直言極諫を策試し、並びに武挙人を試す。癸酉、呉育を以て枢密副使と為し、丁度参知政事と為す。

九月甲辰、登州言上す、巨木三千余あり海に浮び出づと。

冬十月辛未、詔して兵を発し湖南徭賊を討たしむ。

十一月己卯、官を遣はし夏国公封界を議せしむ。癸未、湖南徭賊英・韶州界を寇す。辛丑、東韓村に畋猟し、乗輿の過ぐる所及び囲内の田は、其の租を一年蠲免す。

是歳、邈川首領唃廝囉・西蕃瞎氈・磨氈角・安化州蛮蒙光速等来貢す。交阯馴象十を献ず。道州部瀧酋李石壁等降る。

慶曆七年

七年春正月丙子の朔、大慶殿に御して朝を受く。丁亥、詔す、河北にて括る所の馬死する者は、二年を限りて之を償はしむ。己亥、『慶曆編敕』を頒つ。壬寅、詔して連州の民徭害を被る者の来年夏租を減ず。

二月己酉、詔して益州交子三十万を取る、秦州に於て人を募り中糧に入らしむ。丙辰、内侍二人をして月給軍糧を提挙せしむ。

三月壬午、繫囚を録す。癸未、詔す、天下に能く民力を寛恤する事を言ふ者有らば、有司駅置を以て聞えしめ、其の副を以て之を転運司に上らしめ、其の可行なる者を詳かにして輒ち之を行はしむ。後苑の龍船を毀つ。丁亥、旱に因り、大宴を罷む。癸巳、詔して正殿を避け、常膳を減ず。中外臣僚に許して実封にて三事を条上せしむ。乙未、賈昌朝罷免せらる、陳執中を以て昭文館大学士と為し、夏竦同中書門下平章事・集賢殿大学士と為し、呉育を給事中として帰班せしめ、文彦博を枢密副使と為す。出猟を罷む。丁酉、夏竦を以て枢密使と為し、文彦博参知政事と為し、高若訥を枢密副使と為す。辛丑、西太一宮に雨を祈り、還るに及びて遂に雨降る。壬寅、陳執中・宋庠・丁度旱に因り、官一等を降す。

夏四月丁未、雨に謝す。己酉、詔す「前京東転運使薛紳は専ら文吏を任じ郡県の細過を伺察し、江東転運使楊弦・判官王綽・提点刑獄王鼎は苛刻を尚び相ひ、並びに職を削りて知州と為す、自今より復た部使者として用ふること毋れ」。壬子、正殿に御し、常膳を復す。乙卯、執中・庠・度の官を復す。己巳、詔す、諫官は公事に非ざれば私謁すべからず。

五月戊寅の日、詔して武臣で知州・軍を歴任し過失なき者でなければ、同提点刑獄を授けぬとす。己丑の日、降伏した徭(ヤオ族)の唐和らを峒主に補任す。己亥の日、翰林学士楊察に命じて天下の滞納租税を免除放免せしむ。辛丑の日、詔して西北の二辺に大事あるときは、二府と両制以上の者を交えて議せしむ。

六月乙巳の日、詔して猛獣を飼い人を害することを禁ず。辛酉の日、詔して天下の知県は訴訟を審理するのでなければ差遣してはならぬ。壬戌の日、詔して臣僚で朝見する者は、京師に留まること十日を過ごさず。

秋七月癸未の日、太祖・太宗・真宗の御容を南京鴻慶宮に奉安す。甲申の日、徳音を下す:南京畿内の囚人の罪を一等降し、徒刑以下はこれを釈放す。民に夏税の半額を賜う。災害による損傷で未納の税及び官物の欠損で横領でないものを除く。辛丑の日、貢物の余りを近臣に贈ることを禁ず。

八月乙丑の日、河北を四路に分け、それぞれに都総管を置く。

九月丁酉の日、詔して『一州一県勅』を刪定せしむ。

冬十月壬子の日、李迪薨ず。甲子の日、広親宅に幸し、太祖・太宗の神御殿を謁し、宗室を宴し、器幣を差等ありて賜う。乙丑の日、河陽・許州地震す。

十一月乙未の日、真宗の諡を加え奉る。丙申の日、景霊宮に朝饗す。丁酉の日、太廟・奉慈廟を饗す。戊戌の日、冬至、圜丘にて天地を祀り、大赦を行ふ。貝州宣毅卒の王則、城に拠りて反す。

十二月戊申の日、百官に恩を加ふ。庚戌の日、枢密直学士明鎬をして河北を体量安撫せしむ。癸丑の日、詔して貝州に官兵を導き賊を捕らへしむる者あらば、諸衛上将軍を授く。甲寅の日、内侍を遣はし勅榜を以て貝州の賊を招安せしむ。

是歳、西蕃の磨氈角来貢す。

慶暦八年

八年春正月丁丑の日、文彦博を河北宣撫使とし、明鎬をその副とす。壬午の日、江寧府火災あり。乙未の日、日赤くして光なし。

閏月辛丑の日、貝州平る。甲辰の日、河北を曲赦し、貝州平定の将士に緡銭を賜ひ、戦没した者は官を以て葬祭し、兵の踏みし民田の税を免除し、貝州を恩州と改む。戊申の日、文彦博を同中書門下平章事・集賢殿大学士とす。官吏将士の功ある者は差等ありて遷擢す。辛酉の日、親従官顔秀ら四人、夜禁中に入りて変を謀る。宿衛兵これを捕へ殺す。丙寅の日、王則を都市にて磔く。丁卯の日、貝州知事張得一、賊に降りたる罪に坐し誅せらる。

二月癸酉の日、『慶暦善救方』を頒つ。夏国より来りて曩霄の卒したるを告ぐ。己卯の日、瀛・莫・恩・冀州に緡銭二万を賜ひ、飢民の売りし子を贖ひ還さしむ。丁酉の日、宣祖・太祖・太宗の御容を睦親宅に奉安す。

三月甲辰の日、詔して礼部に貢挙を行はしむ。辛亥の日、使者を遣はし陝西を体量安撫せしむ。甲寅の日、龍図閣・天章閣に幸し、輔臣に詔して曰く「西陲の備禦、兵冗にして賞濫れ、従ふ所を知らず。卿等各おの見る所を以て条奏せよ」。また翰林学士・三司使・開封府知事・御史中丞に詔して曰く「朕が躬の闕失、左右の朋邪、中外の険詐、州郡の暴虐、民に便ならざる法令、朕聞かんと欲す。其れ悉く以て陳べよ」。壬戌の日、霖雨のため、囚人を録す。癸亥の日、朝政の得失・兵農の要務・辺防の備・将帥の能否・財賦の利害・銭法の是非並びに讒人の政を害し、奸盗の俗を乱すこと及び微を防ぎ漸を杜ぐるの策につき、知制誥・諫官・御史等を召してこれを諭し、悉く篇に対せしむ。

夏四月己巳朔の日、曩霄の子諒祚を封じて夏国主とす。壬申の日、丁度罷む。明鎬参知政事となる。

五月辛酉の日、夏竦を罷免し、宋庠を枢密使とし、龐籍を参知政事とした。

六月戊辰朔、近臣に文武の官で将帥の任に堪える材能ある者を挙げるよう詔を下した。丙子の日、河が澶州の商胡埽で決壊した。壬辰の日、長雨のため斎戒して祈った。甲午の日、明鎬が卒した。乙未の日、館閣の官は必ず親民の職を一任務えてからでなければ、省・府および転運使・提点刑獄の差遣に就くことを許されると詔した。丙申の日、章得象が薨じた。

秋七月戊戌の日、河北の水害により、州県に命じて飢えた民を募り軍兵とした。辛丑の日、鋳鉄銭の鋳造を停止した。

八月己丑の日、河北・京東・京西路の水害により、秋の宴を罷めた。

九月戊午の日、三司に命じ、今年の江・淮の漕米を転じて河北の州軍に給するよう詔した。

冬十一月己亥の日、「皇帝欽崇國祀之寶」を作った。壬戌の日、倉の米を出し、価格を下げて畿内の貧民を救済した。

十二月乙丑朔、霖雨が災いとなったため、徳音を頒布し、来年の元号を改め、天下の囚人の罪を一等減じ、徒刑以下の者は釈放した。内蔵の銭帛を出して三司に賜い、穀物を買い河北を救済し、流民の通過する所では官が宿舎を設けて止め、携帯する物には税を徴収しないこととした。丁卯の日、美人張氏を貴妃に冊立した。戊子の日、使者を遣わして利州路を体量安撫させた。

この年、廬州合肥県で稲が二度実った。交州が来貢した。

皇祐元年

皇祐元年春正月甲戌朔、日食があった。河北の水害により、上元の灯りを張ることを止め、音楽の演奏を停止した。庚戌の日、張士遜が薨じた。己未の日、緡銭二十万で穀種を買い、河北の貧民に分け与えるよう詔した。辛酉の日、台諫の官は朝廷の得失・民間の利害に関すること以外は、風聞をもって弾奏してはならないと詔した。

二月戊辰の日、河北に疫病が流行したため、使者を遣わして薬を頒布した。辛未の日、禁軍十指揮を発して京東路・京西路に赴かせ、盗賊に備えさせた。

三月丁巳の日、拘禁中の囚人を審理記録した。己未の日、契丹が使者を遣わして夏国を討伐したことを告げてきた。庚申の日、翰林院学士の錢明逸を報聘使として契丹に遣わした。この月、礼部が奏上した進士・諸科の及第者に及第・出身を賜った者は千三百九人であった。

四月癸未の日、梓州転運司が淯井監の夷人が平定されたと上言した。

六月甲子の日、河北で復業した民の租賦を二年間免除した。甲戌の日、初めて観文殿大学士を置いた。戊寅の日、中書・枢密は会議以外では賓客と通じてはならないと詔した。戊子の日、転運使・提点刑獄は、管轄下の官吏が賄賂を受け取ったことを察知しなかった場合は降格・罷免すると詔した。

秋七月丁酉の日、臣僚が要職・近侍の内臣を保薦することを禁ずる詔を下した。己未の日、諸州に毎年薬を買い民の疾病を治療するよう詔した。

八月壬戌の日、陳執中を罷免す。文彥博を昭文館大學士と為し、宋庠を同中書門下平章事・集賢殿大學士と為し、龐籍を樞密使と為し、高若訥を參知政事と為し、梁適を樞密副使と為す。甲申の日、制舉・武舉の者を策試す。

九月乙巳の日、廣源州の蠻儂智高、邕州を寇す。詔して江南・福建等の路に兵を発して備えしむ。戊午の日、太白星、南斗を犯す。己未の日、武挙を罷む。

冬十一月丙申の日、詔す、河北の災害を受けし民、八十歳以上及び篤疾にて自ら存し難き者には、人ごとに米一石・酒一斗を賜う。辛丑の日、詔す、民に冤ありて貧しく闕に詣で難き者は、監司に訴えて以て聞かしむるを聴す。

十二月甲子の日、入內供奉の高懷政を遣わし、邕州の盗賊を督捕せしむ。

是の歳、大留国、来貢す。