宋史

本紀第十 仁宗二

仁宗二

明道元年

明道元年春二月癸卯、呂夷簡が『三朝寶訓』を上進した。丙午、広南に任官する者は二任を過ぎてはならず、貪欲と汚職を防ぐとの詔を下した。庚戌、張士遜を同中書門下平章事・集賢殿大學士に任じた。戊午、故宰臣の孫を登用し、将作監主簿に試補させた。甲子、員外郎以上で致仕した者の子を校書郎に、三丞以上の者の子を齋郎に登用する詔を下した。丁卯、真宗の順容李氏を宸妃とした。この日、宸妃が薨去した。

三月戊子、『天聖編敕』を頒布した。戊戌、江・淮の旱魃により、使者を派遣して長吏とともに囚人を記録し、流罪以下は一等を減じ、杖罪・笞罪は釈放させた。己亥、婺州・秀州の丁身銭を免除した。

夏四月丙午、囚人を記録した。戊午、棣州知州の王涉が官地を職田として不正に申請した罪により、広南の牢城に配流された。

五月癸酉、使者を派遣して河北の城池と器甲を点検し、官吏の能力を密かに調査させた。壬午、杭州・秀州の二つの塩場を廃止した。

秋七月丙申、諸路の転運使に国子監の講官を推薦させる詔を下した。丁酉、王曙が罷免された。太白星が昼間に現れ、一ヶ月経ってようやく消えた。

八月辛丑、晏殊を枢密副使に任じた。丙午、晏殊が参知政事となった。甲寅、楊崇勳を枢密副使に任じた。辛酉、唃廝囉に甯遠大将軍・愛州団練使を授けた。壬戌、大内で火災が発生し、八殿に延焼した。癸亥、延福宮に移り御所とした。甲子、呂夷簡を修内使に任じた。乙丑、群臣に直言して欠失を指摘させる詔を下した。丁卯、大赦を行った。

九月庚寅、受命宝を改めて作った。丙申、皇太后が金銀器を出して左蔵庫の緡銭二十万と交換し、内廷修復の費用に充てさせた。

冬十月庚子、黄白の気が五筋紫微垣を貫いた。丁巳、漢陽軍に命じて倉庫の粟を発して飢民を救済させる詔を下した。

十一月甲戌、内廷の修復が完成したため、天安殿で天地に恭謝の礼を行い、太廟を謁し、大赦を下し、元号を改め、百官の位階を進め、諸軍に厚く賞を与えた。この日、宮中に還御した。己卯、冬至、百官を率いて文徳殿で皇太后を賀し、天安殿に御して朝賀を受けた。壬辰、延州が夏王趙徳明の卒去を報告した。癸巳、徳明の子元昊を定難軍節度使・西平王に任じた。

十二月壬寅、楊崇勳を枢密使に任じた。戊午、強盗を捕らえた者は上奏して裁決を仰ぎ、みだりに殺してはならないとの詔を下した。壬戌、西北に蒼白の気が天を横切った。

この年、京東・淮南・江東に飢饉が発生した。

明道二年

二年春正月己卯、詔して発運使に上供米百万斛を以て江・淮の飢民を賑わしめ、使を遣わして督視せしむ。

二月戊戌、含誉星東北方に見ゆ。庚子、詔して江・淮の民で飢死した者は、官これを葬祭す。乙巳、皇太后袞衣・儀天冠を服し太廟を饗け、皇太妃は亜献、皇后は終献たり。是日、皇太后の尊号を上りて応元斉聖顕功崇徳慈仁保寿皇太后と曰う。丁未、先農を東郊に祀り、籍田に躬耕し、大赦す。百官尊号を上りて睿聖文武体天法道仁明孝徳皇帝と曰う。

三月庚午、百官に恩を加う。丁亥、会霊観・上清宮・景德開宝寺に雨を祈る。庚寅、皇太后の不を以て、大赦し、常赦の原さざる所を除く。乾興以来貶死した者は官を復し、謫せられた者は内に徙す。甲午、皇太后崩ず、遺詔して皇太妃を尊びて皇太后とす。呂夷簡を山陵使とす。

夏四月丙申朔、大行皇太后の遺留物を出だして近臣に賜う。壬寅、宸妃李氏を追尊して皇太后とす、是に至りて帝始めて宸妃の生みし所なるを知る。甲辰、大行皇太后山陵五使を以て並びに追尊皇太后園陵使を兼ねしむ。戊申、崇政殿西廂にて聴政す。己酉、乾元節上寿を罷む。壬子、詔して臣僚・宗戚・命婦、進献を以て恩沢を祈り、及び親戚に縁りて表章を通ずることを得ざらしむ。創修寺観を罷む。帝始めて親政し、僥倖を裁抑し、中外大いに悦ぶ。癸丑、宋綬・范仲淹を召還す。丙辰、内侍江徳明等並びに交通請謁に坐して黜せらる。己未、呂夷簡・張耆・夏竦・陳堯佐・范雍・趙稹・晏殊皆罷む。張士遜を昭文館大学士とし、李迪を同中書門下平章事・集賢殿大学士とし、王随を参知政事とし、李諮を枢密副使とし、王徳用を簽書枢密院事とす。壬戌、紫宸殿に御し、張士遜を山陵使兼園陵使とす。癸亥、大行太后の諡を上りて荘献明粛と曰い、宸妃李氏を追尊して皇太后とし、諡を荘懿と曰う。

五月戊辰、詔して礼部貢挙す。癸酉、詔して中外、皇太后垂簾の日の事を輒ち言うこと勿れ。乙亥、群牧制置使を罷む。丙子、宰臣張士遜に命じ『謝太廟』及び『躬耕籍田記』を撰せしむ。検討宋祁言う、皇太后廟に謁するは後世の法に非ず、乃ち止めて『籍田記』を撰す。戊寅、繫囚を録す。

六月甲午朔、日食あり。壬寅、周世宗及び高季興・李煜・孟昶・劉継元・劉鋹の後を録す。癸卯、審刑・大理に命じ配隷刑名を詳定せしむ。戊午、天下の歳貢物を減ず。

秋七月丁丑、詔して耀州富平県事張亀年の秩を増し再任せしむ、其の治行風を以て天下に告ぐ。戊子、詔して蝗旱を以て、尊号「睿聖文武」の四字を去り、以て天地宗廟に告げ、仍て中外に令して闕政を直言せしむ。

八月甲午朔、契丹使来たり弔慰祭奠す。壬寅、奉慈廟を作る。甲辰、詔して中外、荘献明粛太后の父の諱を避くること毋れ。丁巳、端明殿学士を置く。

九月甲戌、洪福院に幸し、荘懿太后の梓宮に臨む。丙子・壬午、臨むこと之の如し。

冬十月癸巳朔、太白南斗を犯す。甲午、登州の民の金を採ることを禁ず。丁酉、荘献明粛皇太后・荘懿皇太后を永定陵に祔葬す。甲辰、詔して両川の歳貢する綾錦羅綺紗を以て、三分の二を糸由絹に易え、軍須に供せしむ。己酉、荘献明粛太后・荘懿太后の神主を奉慈廟に祔す。癸丑、徳音を下し、東・西京の囚の罪一等を降し、徒以下は之を釈す。二太后の陵に縁る応奉民戸は、租賦科役を免ずること差あり。丙辰、周王祐を贈りて皇太子とす。戊午、張士遜・楊崇勳罷む、呂夷簡を門下侍郎・同中書門下平章事・昭文館大学士とし、王曙を枢密使とし、王徳用を枢密副使とし、宋綬を参知政事とし、蔡斉を枢密副使とす。

十一月癸亥朔、薛奎罷む。詔して宗室の俸を増す。太白南斗を犯す。乙丑、美人張氏を追冊して皇后とす。甲戌、寇准を贈りて中書令とす。

十二月丙申、提点刑獄を復置す。丁酉、詔して諸路転運使・副は、歳毎に遍く部を歴り、仍て州軍に令して至る所の月日を具して以て聞かしむ。甲辰、京東の飢を以て、内蔵絹二十万を出だして其の民の歳輸に代う。乙巳、詔して周廟を修す。丁未、詔して台官は中丞・知雑の保薦せざる者は任ずること勿れ。戊申、宮人二百を出す。乙卯、皇后郭氏を廃して浄妃・玉京沖妙仙師とし、長寧宮に居らしむ。御史中丞孔道輔、諫官・御史を率い、殿門に大呼して対を請う、詔して宰相に告げて皇后の廃すべき状を以てす。丙辰、道輔及び諫官范仲淹を出だし、仍て詔して台諫は自今相率いて対を請うこと毋れ。丁巳、詔して明年改元す。辺臣の堡砦を増置することを禁ず。

是歳、畿内・京東西・河北・河東・陝西蝗あり、淮南・江東・両川飢あり、使を遣わして安撫し、民租を除く。注輦国来貢す。

景祐元年

景祐元年(1034年)春正月甲子の日、江・淮の漕米を発して京東の飢民を賑済す。丙寅の日、詔して開封府界の諸県に糜粥を作らせて飢民を救済せしめ、諸々の災害を受けた州軍もまたこれに倣わしむ。戊辰の日、詔して三司に景祐元寶錢を鋳造せしむ。甲戌の日、詔して執政大臣に兵農の改めるべき制度を議して奏聞せしむ。詔して民に募り蝗の種を掘らせ、菽米を与う。癸未の日、詔して礼部の試験する挙人は十に其二を取ることとし、進士は三回挙げられ、諸科は五回挙げられてかつて殿試を経た者、進士は五回挙げられて年五十、諸科は六回挙げられて年六十、およびかつて先朝の御試を経た者は、皆名を以て奏聞せしむ。甲申の日、淮南飢饉あり、内蔵の絹二十万匹を出してその民の歳輸に代う。丁亥の日、崇政殿説書を置く。庚寅の日、詔して淮南の上供を一年停止す。

二月乙未の日、書判拔萃科を廃す。辛丑の日、詔して礼部貢院に、諸科挙人で七回挙げられた者は、年齢を限らず、並びに特奏名を許す。甲辰の日、江・淮の漕米二百万石を暫く減ず。戊申の日、詔して麟州・府州に蕃・漢の飢民を賑済せしむ。

三月壬午の日、諸路の災害を受けた州軍の今年の夏税を免ず。癸未の日、詔して解州の畦戶の逋塩をその半を蠲免す。是の月、礼部奏名の進士・諸科の及第・出身七百八十三人に賜う。

夏四月丁酉の日、開封府判官龐籍言う、尚美人が内侍を遣わし教旨と称して工人の市租を免ず。帝は内侍を杖ち、仍て詔して有司に、今後宮中より伝命するも、輒ち受くることなからしむ。癸丑の日、詔して殿中侍御史・監察御史裏行を置く。

五月辛酉の日、布十万端を出し、銭に易えて河北の軍儲を糴う。丁卯の日、民間の錦を織り刺繍して服飾と為すことを禁ず。西川の歳織錦上供もまた之を罷む。癸酉の日、詔して台諫で未だ郡守を歴任せざる者に郡を与う。壬午の日、繫囚を録す。是の月、契丹主宗真の母、子に政を還し、出でて慶陵に居す。

六月壬辰の日、交州の民六百余人内附す。庚子の日、畿内の災害を受けた民の税の半を免ず。己酉の日、制挙・武挙人を策試す。乙卯の日、詔して州県官が非理に科決して罪人を死に至らしめた者は、並びに奏して裁断を聴く。

閏月甲子の日、泗州にて淮・汴溢る。己巳の日、常州無錫縣に大風屋を発く。乙亥の日、天下の無額寺院を毀つ。壬午の日、玳瑁・龜筒の器の造作を罷む。

秋七月丙申の日、壽州下蔡縣の溺死した家に差等有りて銭を賜う。己亥の日、樞密使王曙に同平章事を加う。辛丑の日、詔して文武の提刑は互いに薦論することを得ざらしむ。壬子の日、詔して轉運使と長吏に、所部の官を挙げて専ら常平倉粟を領せしむ。甲寅の日、河、澶州橫隴埽に決す。

八月庚申の日、薛奎卒す。壬戌の日、星、張・翼に孛す。癸亥の日、王曙卒す。甲子の日、月、南斗を犯す。戊辰の日、帝豫せず。庚午の日、王曾を以て樞密使と為す。辛未の日、星変を以て、大赦し、正殿を避け、常膳を減じ、輔臣をして延和殿閣に奏事せしむ。壬申の日、詔して淨妃郭氏をして外に出で居らしめ、美人尚氏を入道せしめ、楊氏を別宅に安置す。

九月壬辰の日、百官、只日に前殿に御することを請う、先帝の故事の如く、詔して可とす。丁酉の日、帝康復し、正殿に御し、常膳を復す。甲辰の日、詔して皇后曹氏を立つ。丙午の日、熒惑、南斗を犯す。

冬十月庚申の日、淮南・江・浙・荊湖制置發運使を罷め、詔して淮南轉運に發運の事を兼ねしむ。乙亥の日、郊廟の《景安》・《興安》・《祐安》の曲を作る。

十一月己丑の日、曹氏を冊して皇后と為す。癸丑の日、《大安》の曲を作りて以て聖祖を饗す。

十二月癸酉の日、西平王趙元昊に佛經を賜う。

是歳、南平王李德政、馴象二頭を献ず、詔して之を還す。開封府・淄州に蝗あり。

景祐二年

二年春正月癸丑、邇英閣と延義閣の二閣を設け、『尚書・無逸』の篇を屏風に書写す。

二月戊午、延福宮に御して大楽を観る。癸亥、旧来資善堂に給事した者は皆恩賞を推し及ぼす。戊辰、李迪罷免し、王曾を門下侍郎・同中書門下平章事・集賢殿大学士と為し、王随・李諮を枢密院事と知らしめ、蔡齊・盛度を参知政事と為し、王德用・韓億を同知枢密院事と為す。

三月戊申、内庫の珠を出して三司に賜い、経費を助けしむ。

夏四月庚午、天下に楽を知る者あらば、所在に於いて推薦して聞かしむとの詔を下す。

五月甲午、徭・獠、雷州・化州を寇す。桂州・広州に会兵してこれを討たしむとの詔を下す。丙申、繫囚を録す。庚子、太祖・太宗・真宗の廟は並びに万世遷さず、南郊に於いて上帝に升侑するには、太祖を以て定配と為し、二宗は迭配すべしと議す。丙午、天下の繫囚の罪一等を降し、杖刑以下はこれを釈放す。丁未、広西より鎮寧州の蛮が入寇せりと奏す。

六月丁巳、幕職官の初任で考課未了の者は推薦するなからしむとの詔を下す。乙亥、『一司一務及び在京勅』を頒布す。鎮寧の蛮、降伏を請う。

秋七月戊申、西京の采柴務を廃し、山林を民に賦し、官はその十分の一を取る。

八月壬子朔、強盗法を軽くすとの詔を下す。甲寅、紫宸殿に宴し、初めて楽を用う。甲戌、安肅門の砲場に幸して戦闘訓練を閲す。己卯、提点銀銅坑冶鑄錢官を置く。

九月壬寅、新楽を按ず。己酉、睦親宅を作る。中丞杜衍等に命じて三司の胥吏を淘汰せしむ。宋綬、『中書総例』を上る。

冬十月辛亥朔、朝集院を復置す。癸亥、群牧制置使を復す。丁卯、諸路の歳輸緡銭は、福建・二広は銀に易え、江東は帛に易えしむとの詔を下す。庚午、熒惑、左執法を犯す。

十一月戊子、廃后郭氏薨ず。癸巳、景霊宮に朝饗す。甲午、太廟・奉慈廟を饗す。乙未、圜丘に於いて天地を祀り、大赦を行ふ。五代及び諸国の後裔を録用す。宗室で諸司使以下殿直に任ずる者は、西班官に換授す。百官、尊号を上りて景祐体天法道欽文聡武聖神孝徳皇帝と曰す。丁未、百官に恩を加ふ。

十二月壬子、唃廝囉に保順軍留後を加ふ。丙子、長吏で民を導き水利を修め荒田を開く能ある者はこれを賞すとの詔を下す。

是歳、鎮戎軍に饑饉頻発するを以て、弓箭手に粟麦六万石を貸与す。

景祐三年

三年春正月壬辰、郭氏を追復して皇后と為す。丁酉、皇后郭氏を葬る。

二月丙辰、官に命じて太常の鐘律を較定せしむ。壬戌、両制・礼官に詔して京師の士民の服用・居室の制を詳定せしむ。甲子、広南の兵民瘴毒に苦しむを以て、医薬を置く。丁卯、陝西の三白渠を修す。

三月癸巳、商賈の見銭を以て官茶を算請する法を復す。乙未、新定の鐘律を観る。戊戌、両省・卿監・刺史・閣門以上の致仕する者に詔して、奉給を分司官の如く給し、長吏は歳時にこれを労賜せしむ。維州を改めて威州と為す。

夏五月庚辰、館閣の逸書を購求す。丙申、繫囚を録す。丙戌、天章閣待制范仲淹大臣を譏刺するに坐し、職を落として饒州を知る。集賢校理余靖・館閣校勘尹洙・歐陽修並びに職を落とし外に補せらる。百官に越職して事を言うことを戒むる詔を下す。

六月壬申、虔州・吉州水溢れ、城郭・廬舍を壊し、溺死した家に差等有りて銭を賜う。

秋七月丁亥、民間の私に編敕・刑書を写すことを禁ず。乙未、大宗正司を置く。庚子、大雨震電す。太平興國寺災有り。辛丑、三京の罪囚一等を降し、徒以下これを釈す。

八月己酉、民間の冠服・居室・車馬・器用の制に犯すの禁を班す。乙卯、月南斗に犯す。

九月庚辰、睦親宅に幸して宗室を宴す。癸巳、熒惑南斗に犯す。是の月、申心喪解官の法を定む。

冬十月丁未、章得象等に命じて諸路の提刑を考課せしむ。甲寅、朝集院を作る。

十一月戊寅、保慶皇太后楊氏崩ず。辛卯、保慶太后の諡を上りて莊惠と曰う。

十二月丙寅、李諮卒す。丁卯、王德用枢密院事を知り、章得象同知枢密院事と為る。

是歳、南平王李德政・西南蕃来貢す。南丹州の莫淮戟内附す。

景祐四年

四年春正月壬午、諸州の解額を均すべしと詔す。

二月己酉、莊惠皇太后を永定陵に葬る。己未、神主を奉慈廟に祔す。庚申、徳音を下す:東京・西京及び霊駕の過ぐる州県の囚の罪一等を降し、徒以下これを釈す。乙丑、赤帝の像を宮中に置きて嗣を祈る。

三月甲戌、天章閣侍講を置く。戊寅、礼部に詔して貢挙を行わしむ。

夏四月乙巳、呂夷簡が『景祐法寶新錄』を上進す。甲子、呂夷簡・王曾・宋綬・蔡齊罷免せらる。王隨を門下侍郎・同中書門下平章事・昭文館大學士と為し、陳堯佐を同中書門下平章事・集賢殿大學士と為し、盛度を樞密院事知らしめ、韓億・程琳・石中立を參知政事と為し、王鬷を同知樞密院事と為す。

五月庚戌、皇子生まる。繫囚を録し、死罪一等を降し、流罪以下は之を釈す。是の日、皇子薨ず。乙卯、旱の為に、使いを遣わして三京の繫囚を決せしむ。丙寅、芝生が化成殿の楹に化す。

六月乙亥、杭州の江潮堤を壊す。使いを遣わして祭を致す。戊子、『神武秘略』を出して辺臣に賜う。己丑、太祖の御容を揚州建隆寺に奉安す。

秋七月丁未、詔して河東・河北の州郡に辺備を密かに厳にせしむ。戊申、星数百西南に流れて壁東に至る有り、大なる者は其の光地を燭し、黒気長さ丈余、畢宿の下に出づ。

八月甲戌、越州水害有り、溺死せし民家に差有りて銭を賜う。甲午、詔して三司・轉運司に常平銭穀を借る毋からしむ。

冬十一月癸亥、登州・萊州の売金場を罷む。

十二月甲申、並州・代州・忻州並びに地震を言上す。吏民圧死する者三万二千三百六人、傷つく者五千六百人、畜擾死する者五万余。使いを遣わして其の民を撫存し、死傷の家に差有りて銭を賜う。

是歳、滑州の民の蠶被を成す、長さ二丈五尺。唃廝囉・龜茲・沙州来貢す。

寶元元年

寶元元年春正月甲辰、雷す。丙辰、地震及び雷発の時ならざるを以て、詔して轉運使・提挙刑獄に其の部内の官吏を按せしむ。並州・代州・忻州の圧死民家の去年の秋糧を除く。

二月壬申、詔して復た日々前殿に御す。甲午、安化蠻宜州・融州を寇す。

三月戊戌朔、王隨・陳堯佐・韓億・石中立罷免せらる。張士遜を門下侍郎・同中書門下平章事・昭文館大學士と為し、章得象を同中書門下平章事・集賢殿大學士と為し、王鬷・李若穀並びに參知政事と為し、王博文・陳執中を同知樞密院事と為す。己亥、邵州・澧州・潭州の三州駐泊兵を発して安化州蠻を討たしむ。是月、禮部奏名進士・諸科及第出身七百二十四人に賜う。

夏四月癸酉、王博文卒す。乙亥、張觀を以て同知樞密院事と為す。壬辰、宜州・融州の夏稅を除く。

五月乙巳、繫囚を録す。

六月戊寅、童子の挙を罷む。己卯、建州大水有り、民の廬舍を壊す。死傷の家に差有りて銭を賜い、其の主無き者は、官之を葬祭す。甲申、詔して天下諸州に月毎に雨雪の状を上せしむ。

秋七月壬戌、制挙人を策試す。癸亥、武挙人を策試す。

八月丁卯、淮南・江・浙・荊湖制置発運使を復置す。庚辰、熒惑(火星)南斗を犯す。

九月戊申、詔して曰く、祀事に応じ、既に誓戒を受けながら虔恭を失う者は、赦を以て原ゆることなからしむ。宜州・融州の蛮討伐の兵に緡銭を賜う。

冬十月丙寅、詔して百官の朋党を戒む。

十一月甲辰、詔して広西鈐轄に兵を進めて安化蛮を討たしむ。乙巳、詔して宜州・融州の民で嘗て軍役に従った者は今夏の税を免じ、糧を運んだ者はその半を免ず。戊申、景霊宮に朝饗す。己酉、太廟及び奉慈廟に饗す。庚戌、圜丘にて天地を祀り、大赦し、改元す。百官、尊号を上りて宝元体天法道欽文聡武聖神孝徳皇帝と曰う。乙卯、県令奏挙の法を復す。王曾薨ず。

十二月癸亥朔、百官に恩を加う。甲子、京師地震す。丙寅、鄜延路、趙元昊の反を言上す。甲戌、辺人と元昊との互市を禁ず。己卯、奉寧軍節度使・知永興軍夏竦を兼ねて涇原・秦鳳路安撫使とし、振武軍節度使・知延州範雍を兼ねて鄜延・環慶路安撫使とす。

是歳、達州大水す。黎州蛮来貢す。

宝元二年

二年春正月己酉、王随卒す。辛亥、安化蛮平ぐ。癸丑、趙元昊、表を奉りて帝を称し改元することを請う。

三月丁未、皇宋通宝銭を鋳る。乙卯、衛士を閲試す。戊午、陝西縁辺の軍士に緡銭を賜う。

夏四月癸亥、唃廝囉の二子瞎氈・磨氈角に団練使を授く。乙丑、宮女二百七十人を放つ。壬申、昭州にて蛮寇のために糧運中に死した者の家の徭役を二年、賦租を一年免ず。丁亥、河東・陝西の民に粟を入れて辺を実することを募る。

五月癸巳、詔して近臣に方略材武の士各二人を挙げしむ。己亥、皇族及び諸命婦・女冠・尼等の非時の入内を禁ず。癸卯、近臣に命じて三司と共に浮費節省を議せしむ。丙午、使を遣わして陝西・河東を体量安撫せしむ。己酉、繫囚を録す。壬子、王徳用罷免せられ、夏守贇を以て枢密院事を知らしむ。

六月壬戌、詔して浮費を省み、乗輿の服御より宮掖の須う所に至るまで、宜しく簡約に従うべし、若し吏兵の禄賜は、概ね裁減を行わしむることなからしむ。戊辰、詔して諸致仕官で嘗て贓を犯した者は、子孫に推恩するなからしむ。丁丑、益州火災し、廬舎三千余区を焚く。壬午、趙元昊の官爵を削り、属籍より除く。

秋七月丁巳、詔して宗室、南郊及び乾元節の恩に遇う時は、一子に官を許し、余は五歳にして官を授くべし。戊午、夏竦を以て涇州を知らしめ、兼ねて涇原・秦鳳路沿辺経略安撫使・涇原路馬歩軍都総管とし、范雍を兼ねて鄜延・環慶路沿辺経略安撫使・鄜延路馬歩軍都総管とす。

八月丁卯、篳篥城の唃廝波を以て本族軍主に補す。甲戌、皇子生まる。丙子、三京の囚の罪一等を降し、徒以下はこれを釈く。辛巳、輔臣に命じて高禖の祠に報祠せしむ。

九月壬寅、詔して河北転運使に都大制置営田屯田事を兼ねしむ。乙卯、内庫の銀四万両を出して粟を易え、益・梓・利・夔路の飢民を賑す。

十月庚午、麟・府州及び川・陝の軍士に緡銭を賜う。甲申、詔して両川の飢民、剣門関を出づる者を禁ぜず。

十一月戊子朔、内庫の珠を出し、緡銭三十万に易えて辺境の儲蓄を糴す。丁酉、盛度・程琳罷め、御史中丞孔道輔を出す。壬寅、王鬷を以て枢密院事を知らしめ、宋庠を参知政事とす。

十二月庚申、詔して審刑院・大理寺・刑部に賓客を通ずること毋からしむ。壬申、詔す、「御史員闕は、朕自ら挙げて択ばん」。

是歳、曹・濮・単州に蝗あり。

康定元年

康定元年春正月丙辰朔、日食あり。壬戌、国子監に学田五十頃を賜う。是月、元昊延州を寇し、鄜延・環慶両路副都総管劉平・鄜延副都総管石元孫を執る。詔して陝西運使明鎬に強壮を募りて辺備に備えしむ。

二月丁亥、夏守贇を宣徽南院使・陝西馬歩軍都総管・経略安撫使とす。詔して潼関に設備す。辛卯、月・太白倶に昴を犯す。壬辰、夏守贇に沿辺招討使を兼ねしむ。内蔵の緡銭十万を出して戍辺の禁兵の家を賜う。知制誥韓琦に陝西を安撫せしむ。白気繩の如く日を貫く。甲午、畿内・京東西・淮南・陝西の馬を括る。丙申、詔して諸路転運使・提刑に辺事を知る者を訪わしめて以て聞かしむ。丁酉、詔して枢密院に宰臣と辺事を議わしむ。辛丑、内蔵の緡銭八十万を出して陝西に付し軍儲を市糴せしむ。丙午、徳音す、延州・保安軍の流罪以下を釈し、寇の攻掠せし地は今夏の税を除き、戍兵及び戦死する者は其の家に緡銭を賜う。是日元を改め、尊号「宝元」の字を去り、中外の臣庶に封章を上りて事を言うことを許す。丁未、詔して陝西に民力を量り、科する芻糧を蠲す。癸丑、范雍を尚書吏部侍郎・安州知州に降す。甲寅、内庫の珠を出して民の馬直を償う。

三月丙辰、詔して大臣に陝西の攻守の策を条奏せしむ。癸亥、韓琦に命じて陝西の城池を治めしむ。乙丑、虎翼軍を閲し戦を習わしむ。辛未、詔して延州に戦没の軍士の子孫を録し、月に糧を給す。丙子、大風、昼暝、是夜黒気長さ数丈あり、東南に見ゆ。丁丑、大宴を罷む。詔して中外に闕政を言わしむ。戊寅、王鬷・陳執中・張観罷め、晏殊・宋綬を以て枢密院事を知らしめ、王貽永を同知枢密院事とす。詔して按察官に才将帥に堪うる者を挙げしむ。庚辰、詔して参知政事に辺事を同議せしむ。辛巳、徳音す、天下の囚の罪を一等降し、徒以下は之を釈す。京師・河北・陝西・河東の諸軍に緡銭を賜い、陝西の夏税十の二を蠲し、河東の科する粟を減ず。

夏四月丙戌、陝西沿辺の堡砦を省く。癸巳、詔して諸の戍辺の軍に月に内侍を遣わし其の家を存問し、病には医薬を致し、死には之を斂葬せしむ。甲午、使を遣わし陝西の強壮軍を籍す。乙未、契丹国母復た使を遣わし来たり乾元節を賀す。乙巳、河北の強壮軍を増補す。丙午、鄜延路兵馬都監黄徳和、軍を棄つるに坐し要斬に処す。丁未、劉平・石元孫に官を贈り、其の子孫を録す。辛亥、延州金明栲栳砦を築く。

五月甲寅朔、詔して前殿に奏事するに五班を過ぐること毋からしめ、余は後殿に対せしむ。大官に命じて食を賜わしむ。壬戌、張士遜致事し、呂夷簡を門下侍郎・同中書門下平章事・昭文館大学士とす。癸酉、詔して夏守贇に進みて鄜州に屯せしむ。戊寅、夏竦を以て陝西馬歩軍都総管兼招討使とす。是月、元昊塞門砦を陥し、兵馬監押王継元之に死す、又安遠砦を陥す。

六月丙戌、詔して假日に崇政殿に御し前殿の如く事を視る。丁亥、夏守贇を同知枢密院事とす。甲午、三京の囚の罪を一等降し、徒以下は之を釈す。乙未、南京鴻慶宮神御殿火災。壬寅、使を遣わし京東・西を体量安撫せしむ。甲辰、陝西・河北・河東・京東西の弓手を増置す。

秋七月乙丑、使を遣わし元昊を討つことを以て契丹に告ぐ。庚午、諸軍を閲し戦を習わしむ。戊寅、皇子昕を忠正軍節度使とし、寿国公に封ず。

八月戊戌、金箔を以て仏像を飾ることを禁ず。癸卯、尚書屯田員外郎劉渙を遣わし邈川に使わす。戊申、夏守贇罷め、杜衍を以て同知枢密院事とす。辛亥、詔して范仲淹・葛懐敏に兵を領して塞門等砦の蕃騎を境外に駆逐せしめ、仍弓箭手を募り、地を給して之に居らしむ。

九月甲寅、滑州に河溢る。戊午、李若穀罷め、宋綬・晁宗愨を参知政事とし、鄭戩を同知枢密院事とす。戊辰、晏殊を枢密使とし、王貽永・杜衍・鄭戩を並びに枢密副使とす。甲戌、詔して使臣・諸班・諸軍に武芸ある者に自ら陳せしむ。辛巳、諸軍を閲し戦を習わしむ。是月、元昊三川砦を寇し、都巡検楊保吉之に死す。又師子・定川堡を囲み、戦士の死者五千余人、遂に乾溝・乾河・趙福の三堡を陥す。環慶路兵馬副都総管任福、白豹城を破る。

冬十月乙未、銅符・木契・傳信牌の制を定む。甲辰、方略士六十一人を登用し、官を授くるに差等あり。

十一月壬戌、大星西南に流れ、声雷の如きこと三たびあり。

十二月癸未、内蔵庫より絹一百萬を出だして軍儲の糴を助く。詔して南京に大火を祠らしむ。丙戌、詔して常平緡錢を以て軍儲の糴を助く。癸卯、宋綬卒す。戊申、當十錢を鑄し、權として邊費を助く。