史記

巻一百五 扁鵲倉公列傳 第四十五

扁鵲

原文扁鵲

扁鵲は、勃海郡鄭の人であり、姓は秦氏、名は越人である。若い時、人の客舎の長を務めていた。客舎の客であった長桑君が通りかかると、扁鵲は彼を特に異人とあらなし、常に丁たぐいにもてなした。長桑君もまた扁鵲が普通の人ではないと知っていた。出入りすること十数年、そこで扁鵲を呼んで二人きりで座り、ひそかに語って言うには、「私は秘伝の処方を持っているが、年老いたので、あなたに伝えたい。あなたは漏らしてはならない」と。扁鵲は「謹んで承知しました」と言った。そこで彼は懐中の薬を扁鵲に取り出して言うには、「これを上池の水で飲むと、三十日で物事がわかるようになるだろう」と。そして彼の秘伝の処方の書をすべて扁鵲に与えた。忽然として見えなくなり、おそらく人ではなかったのであろう。扁鵲は彼の言葉に従って薬を三十日間飲むと、垣の向こう側の人々が見えるようになった。これをもって病気を見ると、五臓の癥結がすべて見え、ただ診脈を名目とするだけであった。医者として、ある時は斉に、ある時は趙にいた。趙にいた時は扁鵲と名乗った。

原文扁鵲者,勃海郡鄭人也,姓秦氏,名越人。少時為人舍長。舍客長桑君過,扁鵲獨奇之,常謹遇之。長桑君亦知扁鵲非常人也。出入十餘年,乃呼扁鵲私坐,閒與語曰:「我有禁方,年老,欲傳與公,公毋泄。」扁鵲曰:「敬諾。」乃出其懷中藥予扁鵲:「飲是以上池之水,三十日當知物矣。」乃悉取其禁方書盡與扁鵲。忽然不見,殆非人也。扁鵲以其言飲藥三十日,視見垣一方人。以此視病,盡見五藏癥結,特以診脈為名耳。為醫或在齊,或在趙。在趙者名扁鵲。

晉の昭公の時、諸大夫が強くて公族が弱く、趙簡子が大夫として国事を専断していた。簡子が病気になり、五日間人事不省となったので、大夫たちは皆恐れ、そこで扁鵲を召した。扁鵲が入って病気を診察し、出てくると、董安于が扁鵲に尋ねた。扁鵲は言うには、「血脈は正常です。何を怪しむことがありましょうか。昔、秦の穆公がかつてこのようになり、七日目に目覚めました。目覚めた日に、公孫支と子輿に告げて言うには、『私は天帝の所へ行き、とても楽しかった。私が長くいたのは、ちょうど学ぶべきことがあったからだ。天帝が私に告げて言うには、「晉国はまさに大乱し、五代の間安らかでない。その後、覇者が出るが、年老いる前に死ぬ。その覇者の子がやがてあなたの国の男女の区別をなくさせるであろう」と』。公孫支はこれを書き記して蔵し、秦の策書はここに出たのである。献公の乱、文公の覇、そして襄公が殽で秦軍を破り、帰って放縦淫らに耽ったこと、これらはあなたの聞くところである。今、主君の病気はこれと同じであり、三日を出ずに必ず快方に向かい、快方に向かえば必ず何かを言うでしょう」と。

原文當晉昭公時,諸大夫彊而公族弱,趙簡子為大夫,專國事。簡子疾,五日不知人,大夫皆懼,於是召扁鵲。扁鵲入視病,出,董安于問扁鵲,扁鵲曰:「血脈治也,而何怪!昔秦穆公嘗如此,七日而寤。寤之日,告公孫支與子輿曰:『我之帝所甚樂。吾所以久者,適有所學也。帝告我:「晉國且大亂,五世不安。其後將霸,未老而死。霸者之子且令而國男女無別。」』公孫支書而藏之,秦策於是出。夫獻公之亂,文公之霸,而襄公敗秦師於殽而歸縱淫,此子之所聞。今主君之病與之同,不出三日必閒,閒必有言也。」

二日半を経て、簡子は目覚め、諸大夫に告げて言うには、「私は天帝の御所に至り、大いに楽しみ、百神と鈞天に遊び、広楽九奏の万舞を観たが、三代の楽とは似ておらず、その音は心を動かすものがあった。一頭の熊が私を捕らえようとしたので、天帝は私にこれを射るよう命じられた。私は熊を射て、熊は死んだ。羆が来たので、また射ると、羆に当たり、羆は死んだ。天帝は大いに喜び、二つの笥を賜ったが、どちらにも副えの物があった。私は子供が天帝の側にいるのを見た。天帝は一匹の翟犬を私に託し、『お前の子が壮年になった時にこれを賜え』と言われた。天帝は私に告げて言われた、『晋国はやがて世を経て衰え、七代で滅びる。嬴姓(秦)が范魁の西で周人を大いに破るが、それもまた所有することはできぬであろう』と。」董安于はこの言葉を受け、書き記して蔵した。扁鵲の言葉を簡子に告げると、簡子は扁鵲に田四万畝を賜った。

原文居二日半,簡子寤,語諸大夫曰:「我之帝所甚樂,與百神游於鈞天,廣樂九奏萬舞,不類三代之樂,其聲動心。有一熊欲援我,帝命我射之,中熊,熊死。有羆來,我又射之,中羆,羆死。帝甚喜,賜我二笥,皆有副。吾見兒在帝側,帝屬我一翟犬,曰:『及而子之壯也以賜之。』帝告我:『晉國且世衰,七世而亡。嬴姓將大敗周人於范魁之西,而亦不能有也。』」董安于受言,書而藏之。以扁鵲言告簡子,簡子賜扁鵲田四萬畝。

その後、扁鵲が虢を通りかかった。虢の太子が死んだ。扁鵲は虢の宮門の下に至り、方術を好む中庶子に問うて言うには、「太子は何の病にかかり、国中で穰(除災の祭)を行うことが他の何事よりも盛んなのか?」中庶子が言うには、「太子は血気が時に応じず、交錯して泄れることができず、外に暴発したため、中害となったのです。精神が邪気を止めることができず、邪気が畜積して泄れることができない。それゆえ陽は緩やかで陰は急となり、故に突然に蹷(気絶)して死んだのです。」扁鵲が言うには、「その死は今からどのくらいの時か?」「鶏鳴(夜明け前)から今に至るまでです。」「収められたか?」「未だです。その死はまだ半日にも満たないのです。」(扁鵲は言う、)「私、斉の勃海の秦越人と申す者で、家は鄭にありますが、未だに精光(太子の御容光)を拝し、御前に侍謁したことはありません。太子が不幸にも死なれたと聞き、私が生き返らせることができます。」中庶子が言うには、「先生はまさかでたらめを言っているのではありませんか?どうして太子が生き返ると言えるのですか!私が聞くところでは、上古の時、医に俞跗という者がおり、病を治すのに湯液や醴灑を用いず、鑱石や撟引、案扤や毒熨を用い、一たび(患部を)撥ねれば病の応(兆うかがが現れ、五蔵の輸(経穴)に因り、皮を割き肌を解き、脈を訣(分け)筋を結び、髓脳を搦(取り)、荒(横隔膜)を揲(押さえ)(腹膜)を爪(探り)、腸胃を湔浣(洗い)、五蔵を漱滌(清め)、精を練り形を易えたと申します。先生の方がもしこのようであれば、太子は生き返らせることができるでしょう。このようでないのに生き返らせようとするなら、咳く嬰児にさえ告げることはできません。」終日しばらくして、扁鵲は天を仰いで嘆息して言うには、「あなたの為す方術は、管をもって天を窺うがごとく、隙間から文様を見るようなものです。越人の為す方術は、脈を切ることも、色を望むことも、声を聴くことも、形を写すことも待たず、病の所在を言い当てます。病の陽(表徴)を聞けば、その陰(裏の原因)を論じ得、病の陰を聞けば、その陽を論じ得る。病の応は大表(体表)に現れ、千里を出ずして(遠く離れていても)、決断すること極めて多く、曲げて止めることはできません。あなたが私の言葉を誠実でないと思うなら、試みに(私を)入れて太子を診させてください。必ずやその耳鳴りと鼻の張りを聞き知り、その両股をたどって陰部に至るまで、まだ温かさが残っているはずです。」

原文其後扁鵲過虢。虢太子死,扁鵲至虢宮門下,問中庶子喜方者曰:「太子何病,國中治穰過於眾事?」中庶子曰:「太子病血氣不時,交錯而不得泄,暴發於外,則為中害。精神不能止邪氣,邪氣畜積而不得泄,是以陽緩而陰急,故暴蹷而死。」扁鵲曰:「其死何如時?」曰:「雞鳴至今。」曰:「收乎?」曰:「未也,其死未能半日也。」「言臣齊勃海秦越人也,家在於鄭,未嘗得望精光侍謁於前也。聞太子不幸而死,臣能生之。」中庶子曰:「先生得無誕之乎?何以言太子可生也!臣聞上古之時,醫有俞跗,治病不以湯液醴灑,鑱石撟引,案扤毒熨,一撥見病之應,因五藏之輸,乃割皮解肌,訣脈結筋,搦髓腦,揲荒爪幕,湔浣腸胃,漱滌五藏,練精易形。先生之方能若是,則太子可生也;不能若是而欲生之,曾不可以告咳嬰之兒。」終日,扁鵲仰天嘆曰:「夫子之為方也,若以管窺天,以郄視文。越人之為方也,不待切脈望色聽聲寫形,言病之所在。聞病之陽,論得其陰;聞病之陰,論得其陽。病應見於大表,不出千里,決者至眾,不可曲止也。子以吾言為不誠,試入診太子,當聞其耳鳴而鼻張,循其兩股以至於陰,當尚溫也。」

中庶子は扁鵲の言葉を聞き、目は眩然として瞬きせず、舌は撟然として上がらず、ついに扁鵲の言葉を持って入り、虢君に報告した。虢君はこれを聞いて大いに驚き、中闕に出て扁鵲に会い、言うには、「ひそかに高義(高尚な医術)を聞いてから久しいですが、未だに御前に拝謁したことはありませんでした。先生が小国にお通りになり、幸いにも(太子を)挙げて(救って)くだされば、偏国(辺境の国)の寡臣(私)はこの上もなく幸せです。先生がいれば生き返り、先生がいなければ棄てられて溝壑に埋められ、長く終わり(永眠し)、帰ることができません。」言葉が終わらないうちに、ため息をつき胸を押さえ、魂精が泄れ横たわり、涙を流して長く潸然とし、忽忽として睫毛に(涙を)受け、悲しみ自ら止めることができず、容貌が変わり改まった。扁鵲が言うには、「太子の病は、いわゆる『尸蹷』というものです。陽が陰の中に入り、胃を動かし繵縁(絡みつき)、経維の絡(経脈や絡脈)の中に入り、別れて三焦・膀胱に下る。それゆえ陽脈は下って遂(進み)、陰脈は上って争い、会気(気の交わる所)が閉塞して通じず、陰は上り陽は内に行く。下内は鼓動しても起きず、上外は絶えて使役されず、上には絶陽の絡があり、下には破陰の紐がある。陰を破り陽を絶つので、色はすでに廃れ脈は乱れ、故に形は静かで死んだようになる。太子はまだ死んではいません。陽が陰に入り支蘭蔵(臓腑の間の隔たり)に至る者は生き、陰が陽に入り支蘭蔵に至る者は死ぬ。凡そこの数事は、皆五蔵が蹙中(急に中を塞がれる)する時に突然に起こるものです。良工(名医)はこれを取り(治し)、拙者は疑い危うくするのです。」

原文中庶子聞扁鵲言,目眩然而不瞚,舌撟然而不下,乃以扁鵲言入報虢君。虢君聞之大驚,出見扁鵲於中闕,曰:「竊聞高義之日久矣,然未嘗得拜謁於前也。先生過小國,幸而舉之,偏國寡臣幸甚。有先生則活,無先生則棄捐填溝壑,長終而不得反。」言末卒,因噓唏服臆,魂精泄橫,流涕長潸,忽忽承睫,悲不能自止,容貌變更。扁鵲曰:「若太子病,所謂『尸蹷』者也。夫以陽入陰中,動胃繵緣,中經維絡,別下於三焦、膀胱,是以陽脈下遂,陰脈上爭,會氣閉而不通,陰上而陽內行,下內鼓而不起,上外絕而不為使,上有絕陽之絡,下有破陰之紐,破陰絕陽,(之)色[已]廢脈亂,故形靜如死狀。太子未死也。夫以陽入陰支蘭藏者生,以陰入陽支蘭藏者死。凡此數事,皆五藏蹙中之時暴作也。良工取之,拙者疑殆。」

扁鵲はそこで弟子の子陽に命じて鍼を研ぎ石を砥ぎ、外三陽五会の穴を取らせた。しばらくして、太子は蘇生した。そこで子豹に命じて五分割の温熨を行わせ、八減の剤を合わせて煮て、両脇の下を交互に温めた。太子は起き上がって坐った。さらに陰陽を調え、ただ湯薬を二十日間服用させて元の状態に戻した。それゆえ天下の人々は皆、扁鵲が死人を生かすことができると思った。扁鵲は言った、「越人(扁鵲の名)が死人を生かせるわけではない。これはもともと生きるべきものであり、越人がただそれを起こさせただけである」。

原文扁鵲乃使弟子子陽厲鍼砥石,以取外三陽五會。有閒,太子蘇。乃使子豹為五分之熨,以八減之齊和煮之,以更熨兩脅下。太子起坐。更適陰陽,但服湯二旬而復故。故天下盡以扁鵲為能生死人。扁鵲曰:「越人非能生死人也,此自當生者,越人能使之起耳。」

扁鵲が斉を訪れると、斉の桓侯は彼を賓客として遇した。朝廷に入って謁見し、言った、「君には腠理に病があります。治療しなければ深くなるでしょう」。桓侯は言った、「寡人には病はない」。扁鵲が退出すると、桓侯は側近に言った、「医者は利益を好むものだ。病のない者を相手にして功績にしようとする」。五日後、扁鵲が再び謁見し、言った、「君には血脈に病があります。治療しなければ深くなる恐れがあります」。桓侯は言った、「寡人には病はない」。扁鵲が退出すると、桓侯は不機嫌になった。五日後、扁鵲が再び謁見し、言った、「君には腸胃の間に病があります。治療しなければ深くなるでしょう」。桓侯は返事をしなかった。扁鵲が退出すると、桓侯は不機嫌になった。五日後、扁鵲が再び謁見し、桓侯を遠くから見ると退いて逃げ出した。桓侯は人をやってその理由を尋ねさせた。扁鵲は言った、「病が腠理にある時は、湯熨の及ぶところです。血脈にあれば、鍼石の及ぶところです。それが腸胃にあれば、酒醪の及ぶところです。それが骨髓にあれば、たとえ司命の神でもどうすることもできません。今やそれは骨髓にあります。臣はそれゆえに何も申し上げません」。五日後、桓侯は体に病が発し、人をやって扁鵲を召したが、扁鵲はすでに逃げ去っていた。桓侯はついに死んだ。

原文扁鵲過齊,齊桓侯客之。入朝見,曰:「君有疾在腠理,不治將深。」桓侯曰:「寡人無疾。」扁鵲出,桓侯謂左右曰:「醫之好利也,欲以不疾者為功。」後五日,扁鵲復見,曰:「君有疾在血脈,不治恐深。」桓侯曰:「寡人無疾。」扁鵲出,桓侯不悅。後五日,扁鵲復見,曰;「君有疾在腸胃閒,不治將深。」桓侯不應。扁鵲出,桓侯不悅。後五日,扁鵲復見,望見桓侯而退走。桓侯使人問其故。扁鵲曰:「疾之居腠理也,湯熨之所及也;在血脈,鍼石之所及也;其在腸胃,酒醪之所及也;其在骨髓,雖司命無柰之何。今在骨髓,臣是以無請也。」後五日,桓侯體病,使人召扁鵲,扁鵲已逃去。桓侯遂死。

聖人が微かな兆しを予め知り、良医に早く事に当たらせることができれば、病は治癒し、身は生き延びることができる。人々が患うところは、病が多いことである。医者が患うところは、治療の道が少ないことである。それゆえ病には六つの不治がある。驕り高ぶって道理を論じない、これが第一の不治である。身を軽んじて財を重んじる、これが第二の不治である。衣食を適切にすることができない、これが第三の不治である。陰陽が乱れ、臓気が定まらない、これが第四の不治である。形が痩せ衰えて薬を服用できない、これが第五の不治である。巫を信じて医を信じない、これが第六の不治である。このうち一つでもあれば、重く治りにくいのである。

原文使聖人預知微,能使良醫得蚤從事,則疾可已,身可活也。人之所病,病疾多;而醫之所病,病道少。故病有六不治:驕恣不論於理,一不治也;輕身重財,二不治也;衣食不能適,三不治也;陰陽并,藏氣不定,四不治也;形羸不能服藥,五不治也;信巫不信醫,六不治也。有此一者,則重難治也。

扁鵲の名声は天下に知れ渡った。邯鄲を通るとき、婦人を貴ぶと聞けば、すぐに帯下医となった。雒陽を通るとき、周の人が老人を愛すると聞けば、すぐに耳目痺医となった。咸陽に入って来るとき、秦の人が小児を愛すると聞けば、すぐに小児医となった。習俗に従って変化したのである。秦の太醫令李醯は、自分の技量が扁鵲に及ばないことを自覚し、人をやって彼を刺殺させた。今日に至るまで天下で脈を言う者は、扁鵲に由来するのである。

原文扁鵲名聞天下。過邯鄲,聞貴婦人,即為帶下醫;過雒陽,聞周人愛老人,即為耳目痹醫;來入咸陽,聞秦人愛小兒,即為小兒醫:隨俗為變。秦太醫令李醯自知伎不如扁鵲也,使人刺殺之。至今天下言脈者,由扁鵲也。

倉公

原文倉公

太倉公とは、斉の太倉長、臨菑の人であり、姓は淳于、名は意という。若くして医方術を好んだ。高后八年、同じ郡の元里の公乗陽慶に師事した。陽慶は七十余歳で、子がなく、意に従来の処方を全て捨てさせ、代わりに秘伝の処方をすべて授け、黄帝・扁鵛の脈書を伝え、五色による診病、人の死生を知り、疑わしきを決し、治療可能かを定め、および薬論を授けたが、非常に精妙であった。これを三年間受け、人の病を治し、死生を決するのに多く験があった。しかし諸侯の間を左右に行き遊び、家を家とせず、あるいは人の病を治さないこともあり、病家にはこれを怨む者が多かった。

原文太倉公者,齊太倉長,臨菑人也,姓淳于氏,名意。少而喜醫方術。高后八年,更受師同郡元里公乘陽慶。慶年七十餘,無子,使意盡去其故方,更悉以禁方予之,傳黃帝、扁鵲之脈書,五色診病,知人死生,決嫌疑,定可治,及藥論,甚精。受之三年,為人治病,決死生多驗。然左右行游諸侯,不以家為家,或不為人治病,病家多怨之者。

文帝四年中、人が上書して意を告発し、刑罪により伝送されて西の長安に赴くこととなった。意には五人の娘がおり、付き従って泣いた。意は怒り、罵って言った。「子を生んでも男子を生まず、緊急の際に使える者がいない!」そこで末娘の緹縈は父の言葉を悲しみ、父に従って西へ向かった。上書して言う。「妾の父は吏であり、斉中ではその廉平を称えられておりましたが、今、法に坐して刑に当たります。妾はひそかに痛むのは、死者は再び生き返らず、刑を受けた者は再び元に戻らないことでございます。たとえ過ちを改めて自新しようとも、その道がなく、遂に叶いません。妾は身を官婢に入れて、父の刑罪を贖い、父が行いを改めて自新できるようにしたいと存じます。」上書が聞き届けられ、上はその志を悲しまれ、この歳中に肉刑の法も廃止された。

原文文帝四年中,人上書言意,以刑罪當傳西之長安。意有五女,隨而泣。意怒,罵曰:「生子不生男,緩急無可使者!」於是少女緹縈傷父之言,乃隨父西。上書曰:「妾父為吏,齊中稱其廉平,今坐法當刑。妾切痛死者不可復生而刑者不可復續,雖欲改過自新,其道莫由,終不可得。妾願入身為官婢,以贖父刑罪,使得改行自新也。」書聞,上悲其意,此歲中亦除肉刑法。

意が家に居た時、詔が下り、治した病で死生を験した者が何人いるか、その主たる者の名は誰かを召し問うた。

原文意家居,詔召問所為治病死生驗者幾何人也,主名為誰。

詔して故太倉長臣意に問う。「方技の長ずるところ、および治すことのできる病は何か。その書はあるか。皆どこで学を受けたか。学を受けて幾年か。かつて験があったのは、何県何里の人か。何の病か。医薬を施した後、その病の状は皆どのようであったか。詳しく悉く答えよ。」臣意対えて曰く。

原文詔問故太倉長臣意:「方伎所長,及所能治病者?有其書無有?皆安受學?受學幾何歲?嘗有所驗,何縣里人也?何病?醫藥已,其病之狀皆何如?具悉而對。」臣意對曰:

臣意に問う。「診て治した病で、病名は多く同じであるのに診断が異なり、あるいは死に、あるいは死なないのは、なぜか。」対えて曰く。「病名は多く互いに類似しており、知ることができない。故に古の聖人はこれに脈法を作り、度量を起こし、規矩を立て、権衡を懸け、繩墨に案じ、陰陽を調え、人の脈を別けてそれぞれに名付け、天地と相応じ、人と参合させた。故に百病を別けてこれを異ならせ、数ある者はこれを異ならせることができ、数なき者はこれを同じくする。しかし脈法は全てを験することはできず、疾人を診て度をもってこれを異ならせ、初めて同じ名を別け、病の主たる所が居る場所を命ずることができる。今、臣意が診たものは、皆診籍がある。これを別ける所以は、臣意が師から受けた方が丁度完成し、師が死んだため、故に診たことを籍に表し、死生を決することを期し、失ったところ得たところを観て脈法に合うかを見たからである。故に今に至るまで知っているのである。」

原文問臣意:「所診治病,病名多同而診異,或死或不死,何也?」對曰:「病名多相類,不可知,故古聖人為之脈法,以起度量,立規矩,縣權衡,案繩墨,調陰陽,別人之脈各名之,與天地相應,參合於人,故乃別百病以異之,有數者能異之,無數者同之。然脈法不可勝驗,診疾人以度異之,乃可別同名,命病主在所居。今臣意所診者,皆有診籍。所以別之者,臣意所受師方適成,師死,以故表籍所診,期決死生,觀所失所得者合脈法,以故至今知之。」

臣意に問うて曰く、「病の死生を期する所、或いは期に応ぜざるは、何の故ぞ」と。対えて曰く、「これ皆飲食喜怒の節せざるか、或いは薬を飲むに当たらず、或いは鍼灸に当たらず、以て故に期に中らずして死するなり」と。

原文問臣意曰:「所期病決死生,或不應期,何故?」對曰:「此皆飲食喜怒不節,或不當飲藥,或不當鍼灸,以故不中期死也。」

臣意に問う、「意の能く病の死生を知り、薬用の宜しき所を論ずるや、諸侯王大臣に嘗て意に問う者有りや否や。及び文王病む時、意に診治を求めざるは、何の故ぞ」と。対えて曰く、「趙王、膠西王、済南王、呉王皆人をして来たり臣意を召さしむ。臣意敢えて往かず。文王病む時、臣意家貧しく、人の為に病を治めんと欲す。誠に吏の以て除拘せんことを恐るるなり。故に名数を移し、左右家生を修めず、出でて国中を行き游び、善く方数為す者に事うること久し。事うること数師を見、悉く其の要事を受け、其の方書の意を尽くし、及び解論す。身は陽虚侯国に居り、因りて侯に事う。侯朝に入る。臣意之に従いて長安に至る。以て故に安陵の項処等の病を診ることを得たり」と。

原文問臣意:「意方能知病死生,論藥用所宜,諸侯王大臣有嘗問意者不?及文王病時,不求意診治,何故?」對曰:「趙王、膠西王、濟南王、吳王皆使人來召臣意,臣意不敢往。文王病時,臣意家貧,欲為人治病,誠恐吏以除拘臣意也,故移名數,左右不修家生,出行游國中,問善為方數者事之久矣,見事數師,悉受其要事,盡其方書意,及解論之。身居陽虛侯國,因事侯。侯入朝,臣意從之長安,以故得診安陵項處等病也。」

臣意に問う、「文王の病を得て起たざる所以の状を知るや」と。臣意対えて曰く、「文王の病を見ず。然れども窃かに文王の喘ぎ、頭痛み、目明らかならざるを聞く。臣意心に之を論ずるに、以て病に非ざるなりと為す。肥えて精を蓄え、身体摇るぐことを得ず、骨肉相任ずることを得ざるを以て、故に喘ぐ。医に当たらずと為す。脈法に曰く『年二十は脈気趨くべく、年三十は疾歩すべく、年四十は安坐すべく、年五十は安臥すべく、年六十已上は気大いに董るべし』と。文王年未だ二十に満たず、方に脈気の趨くべきに在りて而も之を徐にす。天道四時に応ぜず。後に聞く、医の之を灸するや即ち篤しと。此れ病を論ずるの過ちなり。臣意之を論ずるに、以て神気争いて邪気入る。年少の能く復する所に非ざるなり。以て故に死す。所謂気なる者は、当に飲食を調え、晏日を択び、車歩し志を広くし、以て筋骨肉血脈に適し、以て気を瀉すべし。故に年二十、是れ『易眢』と謂う。法に砭灸に当たらず。砭灸は気の逐うに至る」と。

原文問臣意:「知文王所以得病不起之狀?」臣意對曰:「不見文王病,然竊聞文王病喘,頭痛,目不明。臣意心論之,以為非病也。以為肥而蓄精,身體不得搖,骨肉不相任,故喘,不當醫治。脈法曰『年二十脈氣當趨,年三十當疾步,年四十當安坐,年五十當安臥,年六十已上氣當大董』。文王年未滿二十,方脈氣之趨也而徐之,不應天道四時。後聞醫灸之即篤,此論病之過也。臣意論之,以為神氣爭而邪氣入,非年少所能復之也,以故死。所謂氣者,當調飲食,擇晏日,車步廣志,以適筋骨肉血脈,以瀉氣。故年二十,是謂『易眢』。法不當砭灸,砭灸至氣逐。」

臣意に問う、「師慶は安くにか之を受く。斉の諸侯に聞くや否や」と。対えて曰く、「慶の師受する所を知らず。慶家富み、善く医を為す。人の為に病を治むるを肯ぜず。当に此の故を以て聞かざるなり。慶又臣意に告げて曰く『慎んで我が子孫をして若の我が方を学ぶを知らしむる毋れ』と」と。

原文問臣意:「師慶安受之?聞於齊諸侯不?」對曰:「不知慶所師受。慶家富,善為醫,不肯為人治病,當以此故不聞。慶又告臣意曰:『慎毋令我子孫知若學我方也。』」

臣意に問う、「師慶は何を以て意に見えて意を愛し、意に方を悉く教えんと欲するや」と。対えて曰く、「臣意師慶の方善きを為すを聞かず。意の慶を知る所以は、意少時諸方事を好む。臣意其の方に試みるに、皆多く験あり、精良なり。臣意聞く、菑川の唐裏の公孫光古伝方を善く為すと。臣意即ち往きて之に謁す。見えて之に事うることを得、方化陰陽及び伝語法を受く。臣意悉く之を書して受く。臣意他に精方を受くることを尽くさんと欲す。公孫光曰く『吾が方は尽きたり。公の所を愛して為さざるに非ず。吾が身已に衰え、復た之に事うる所無し。是れ吾が年少の時に受くる所の妙方なり。悉く公に与う。人以て教うる毋れ』と。臣意曰く『事えて公の前に侍するを見ることを得、禁方を悉く得る、幸甚し。意死すとも妄りに人に伝えず』と。居ること間有りて、公孫光間処に在り。臣意深く方を論ず。言を見るに百世之を為すも精なりと。師光喜びて曰く『公必ず国工と為らん。吾に善くする者有り、皆疎なり。同産臨菑に処る。方を善く為す。吾若かず。其の方甚だ奇なり。世の聞く所に非ざるなり。吾年中の時、嘗て其の方を受けんと欲す。楊中倩肯ぜず、曰く「若は其の人に非ず」と。胥と公往きて之を見よ。当に公の方に喜ぶを知らん。其の人亦老いたり。其の家富みを給す』と。時に未だ往かず。会うに慶の子男殷馬を献ぜんとして来る。因りて師光馬を王の所に奏す。意以て故に殷と善くすることを得。光又意を殷に属して曰く『意数を好む。公必ず謹みて之に遇え。其の人聖儒なり』と。即ち書を為して以て意を陽慶に属す。以て故に慶を知る。臣意慶に事うること謹みたり。以て故に意を愛するなり」と。

原文問臣意:「師慶何見於意而愛意,欲悉教意方?」對曰:「臣意不聞師慶為方善也。意所以知慶者,意少時好諸方事,臣意試其方,皆多驗,精良。臣意聞菑川唐裏公孫光善為古傳方,臣意即往謁之。得見事之,受方化陰陽及傳語法,臣意悉受書之。臣意欲盡受他精方,公孫光曰:『吾方盡矣,不為愛公所。吾身已衰,無所復事之。是吾年少所受妙方也,悉與公,毋以教人。』臣意曰:『得見事侍公前,悉得禁方,幸甚。意死不敢妄傳人。』居有閒,公孫光閒處,臣意深論方,見言百世為之精也。師光喜曰:『公必為國工。吾有所善者皆疏,同產處臨菑,善為方,吾不若,其方甚奇,非世之所聞也。吾年中時,嘗欲受其方,楊中倩不肯,曰「若非其人也」。胥與公往見之,當知公喜方也。其人亦老矣,其家給富。』時者未往,會慶子男殷來獻馬,因師光奏馬王所,意以故得與殷善。光又屬意於殷曰:『意好數,公必謹遇之,其人聖儒。』即為書以意屬陽慶,以故知慶。臣意事慶謹,以故愛意也。」

臣意に問うて曰く、「吏民に嘗て事として意の方(医術)を学び、及びことごとく意の方を得たる者ありや。何の県里の人ぞ」と。対えて曰く、「臨菑の人宋邑。邑は学び、臣意は五診を以て教うること歳余。済北王は太醫高期・王禹を遣わして学ばしめ、臣意は経脈の高下及び奇絡結を以て教え、当に論ずるに俞の居る所、及び気の当に上下出入する邪正逆順を以てし、以て鑱石に宜しくし、砭灸の処を定むること歳余。菑川王は時に太倉馬長馮信を遣わして方を正さしめ、臣意は案法の逆順を以て教え、薬法を論じ、五味及び和齊湯の法を定む。高永侯の家丞杜信、脈を喜び、来りて学び、臣意は上下経脈五診を以て教うること二歳余。臨菑召裏の唐安来りて学び、臣意は五診上下経脈、奇咳、四時に応ずる陰陽の重を以て教う。未だ成らずして、除して齊王の侍醫と為す」と。臣意に問う、「病を診して死生を決するに、能く全く失うこと無きか」と。臣意対えて曰く、「意の病人を治するや、必ず先ず其の脈を切(診)り、乃ち之を治す。敗逆の者は治すべからず、其の順の者を乃ち治す。心脈に精しからず、期する所の死生、治すべきを視るに、時時に之を失う。臣意は全くすること能わず」と。

原文問臣意曰:「吏民嘗有事學意方,及畢盡得意方不?何縣里人?」對曰:「臨菑人宋邑。邑學,臣意教以五診,歲餘。濟北王遣太醫高期、王禹學,臣意教以經脈高下及奇絡結,當論俞所居,及氣當上下出入邪[正]逆順,以宜鑱石,定砭灸處,歲餘。菑川王時遣太倉馬長馮信正方,臣意教以案法逆順,論藥法,定五味及和齊湯法。高永侯家丞杜信,喜脈,來學,臣意教以上下經脈五診,二歲餘。臨菑召裏唐安來學,臣意教以五診上下經脈,奇咳,四時應陰陽重,未成,除為齊王侍醫。」問臣意:「診病決死生,能全無失乎?」臣意對曰:「意治病人,必先切其脈,乃治之。敗逆者不可治,其順者乃治之。心不精脈,所期死生視可治,時時失之,臣意不能全也。」

太史公曰く

原文太史公曰

太史公曰く、女は美悪無く、宮に居ればねたまれ見わる。士は賢不肖無く、朝に入れば疑われ見わる。故に扁鵲は其の伎を以てわざわいを見、倉公は乃ち跡を匿して自ら隠れながら刑に当たる。緹縈尺牘に通じ、父以て後にやすんずるを得たり。故に老子曰く「美好なる者は不祥の器」と、豈に扁鵲等を謂うや。倉公の若き者は、謂うべし、之に近しと。

原文太史公曰:女無美惡,居宮見妒;士無賢不肖,入朝見疑。故扁鵲以其伎見殃,倉公乃匿跡自隱而當刑。緹縈通尺牘,父得以後寧。故老子曰「美好者不祥之器」,豈謂扁鵲等邪?若倉公者,可謂近之矣。

【索隱述贊】上池の祕術、長桑の伝うる所。始めて趙簡を候い、夢の鈞天を知る。言いて虢の嗣を占い、屍蹶起これよりここに起こる。倉公罪を贖い、陽慶賢を推す。效驗状多し、のっとりて篇にそなう。

原文【索隱述贊】上池祕術,長桑所傳。始候趙簡,知夢鈞天。言占虢嗣,屍蹶起焉。倉公贖罪,陽慶推賢。效驗多狀,式具於篇。

【正義】胃は大きさ一尺五寸、直径五寸、長さ二尺六寸、横一尺、水穀三斗五升を受け容れ、その中には常に穀二斗、水一斗五升を留める。小腸は大きさ二寸半、直径八分の少半、長さ三丈二尺、穀二斗四升、水六升三合の大半を受け容れる。回腸は大きさ四寸、直径一寸半、長さ二丈二尺、穀一斗、水七升半を受け容れる。広腸は大きさ八寸、直径二寸半、長さ二尺八寸、穀九升三合八分の一を受け容れる。ゆえに腸胃は凡そ長さ五丈八尺四寸、合わせて水穀八斗七升六合八分の一を受け容れる。これが腸胃の長短と水穀を受け容れる数である。肝の重さは四斤四両、左に三葉、右に四葉、凡そ七葉、魂を蔵することを主る。心の重さは十二両、中に七孔あり、三毛あり、精汁三合を盛り、神を蔵することを主る。脾の重さは二斤三両、扁平で広さ三寸、長さ五寸、散膏半斤あり、血を温め五蔵を主り、意を蔵することを主る。肺の重さは三斤三両、六葉と両耳、凡そ八葉、魂魄を蔵することを主る。腎は二枚あり、重さ一斤一両、志を蔵することを主る。胆は肝の短葉の間にあり、重さ三両三銖、精汁三合を盛る。胃の重さは二斤十四両、紆曲屈伸し、長さ二尺六寸、大きさ一尺五寸、直径五寸、穀二斗、水一斗五升を盛る。小腸の重さは二斤十四両、長さ三丈二尺、広さ二寸半、直径八分の少半、回り積もって十六曲、穀二斗四升、水六升三合の大半を盛る。大腸の重さは三斤十二両、長さ二丈一尺、広さ四寸、直径一寸半、臍に当たり、右に回って十六曲、穀一斗、水七升半を盛る。膀胱の重さは九両二銖、縦横九寸、溺九升九合を盛る。口の広さは二寸半。唇から歯までの長さは九分。歯より後ろから会厭までの深さは三寸半、大きさ五合を容れる。舌の重さは十両、長さ七寸、広さ二寸半。咽門の重さは十両、広さ二寸半、胃までの長さは一尺六寸。喉嚨の重さは十二両、広さ二寸、長さ一尺二寸、九節あり。肛門の重さは十二両、大きさ八寸、直径二寸の大半、長さ二尺八寸、穀九升三合八分の一を受け容れる。

原文【正義】胃大一尺五寸,徑五寸,長二尺六寸,橫尺,受水穀三斗五升,其中常留穀二斗,水一斗五升。小腸大二寸半,徑八分分之少半,長三丈二尺,受穀二斗四升,水六升三合合之大半。回腸大四寸,徑一寸半,長二丈二尺,受穀一斗,水七升半。廣腸大八寸,徑二寸半,長二尺八寸,受穀九升三合八分合之一。故腸胃凡長五賬八尺四寸,合受水穀八斗七升六合八分合之一,此腸胃長短受水穀之數也。肝重四斤四兩,左三葉,右四葉,凡七葉,主藏魂。心重十二兩,中有七孔,三毛,盛精汁三合,主藏神。脾重二斤三兩,扁廣三寸,長五寸,有散膏半斤,主血溫五藏,主藏意。肺重三斤三兩,六葉兩耳,凡八葉,主藏魂魄。腎有兩枚,重一斤一兩,主藏志。膽在肝之短葉間,重三兩三銖,盛精汁三合。胃重二斤十四兩,紆曲屈申,長二尺六寸,大一尺五寸,徑五寸,盛穀二斗,水一斗五升。小腸重二斤十四兩,長三丈二尺,廣二寸半,徑八分分之少半,回積十六曲,盛穀二斗四升,水六升三合合之大半。大腸重三斤十二兩,長二丈一尺,廣四寸,徑一寸半,當齊,右回十六曲,盛穀一斗水七升半。膀胱重九兩二銖,縱廣九寸,盛溺九升九合。口廣二寸半。脣至齒長九分。齒已後至會厭,深三寸半,大容五合也。舌重十兩,長七寸,廣二寸半。咽門重十兩,廣二寸半,至胃長一尺六寸。喉嚨重十二兩,廣二寸,長一尺二寸九節。肛門重十二兩,大八寸,徑二寸太半,長二尺八寸,受穀九升三合八分合之一。

手の三陽の脈は、手から頭まで長さ五尺、五に六を乗じて三丈となる。手の三陰の脈は、手から胸中まで長さ三尺五寸、三に六を乗じて一丈八尺、五に六を乗じて三尺、合わせて二丈一尺となる。足の三陽の脈は、足から頭まで長さ八尺、六に八を乗じて四丈八尺となる。足の三陰の脈は、足から胸まで長さ六尺五寸、六に六を乗じて三丈六尺、五に六を乗じて三尺、合わせて三丈九尺となる。人の両足の蹻脈は、足から目まで長さ七尺五寸、二に七を乗じて一丈四尺、二に五を乗じて一尺、合わせて一丈五尺となる。督脈・任脈は各々長さ四尺五寸、二に四を乗じて八尺、二に五を乗じて一尺、合わせて九尺となる。凡そ脈の長さは一十六丈二尺である。これが所謂十二経脈の長短の数である。寸口は、脈の大会するところ、手太陰の動くところである。人が一呼すれば脈は三寸行き、一吸すれば脈は三寸行き、呼吸して息が定まれば、脈は六寸行く。人は一日一夜に凡そ一万三千五百息する。脈は五十周して身を巡り、漏刻の水は百刻下る。営衛は陽に二十五度行き、陰に二十五度行く。一度を一周と為す。ゆえに五十度にして再び手太陰に会する。寸口とは、五蔵六府の終始するところである。故に寸口を法とするのである。

原文手三陽之脈,從手至頭長五尺,五六合三丈。手三陰之脈,從手至胸中長三尺五寸,三六一丈八尺,五六三尺,合二丈一尺。足三陽之脈,從足至頭長八尺,六八合四丈八尺。足三陰之脈,從足至胸長六尺五寸,六六三丈六尺,五六三尺,合三丈九尺。人兩足蹻脈,從足至目長七尺五寸,二七一丈四尺,二五一尺合一丈五尺。督任脈各長四尺五寸,二四八尺,二五一尺,合九尺。凡脈長一十六丈二尺也,此所謂十二經脈長短之數也。寸口,脈之大會,手太陰之動也。人一呼脈行三寸,一吸脈行三寸,呼吸定息,脈行六寸。人一日一夜凡一萬三千五百息。脈行五十周於身,漏水下百刻。營衛行陽二十五度,行陰二十五度。度為一周也,故五十度復會於手太陰。寸口者,五藏六府之所終始,故法於寸口也。

肺気は鼻に通じ、鼻が和すればすなわち臭香を知る。肝気は目に通じ、目が和すればすなわち白黒を知る。脾気は口に通じ、口が和すればすなわち穀味を知る。心気は舌に通じ、舌が和すればすなわち五味を知る。腎気は耳に通じ、耳が和すればすなわち五音を聞く。五蔵が和せざれば、すなわち九竅通ぜず。六府が和せざれば、すなわち留まって癰と為る。

原文肺氣通於鼻,鼻和則知臭香矣。肝氣通於目,目和則知白黑矣。脾氣通於口,口和則知穀味矣。心氣通於舌,舌和則知五味矣。腎氣通於耳,耳和則聞五音矣。五藏不和,則九竅不通;六府不和,則留為癰也。