史記

巻九十七 酈生陸賈列傳 第三十七

酈食其

原文酈食其

酈生食其は、陳留高陽の人である。書を読むことを好み、家は貧しく落魄し、衣食の業とするものなく、里の監門吏となった。しかし県中の賢豪も彼を使役しようとはせず、県中の者は皆、彼を狂生と呼んだ。

原文酈生食其者,陳留高陽人也。好讀書,家貧落魄,無以為衣食業,為里監門吏。然縣中賢豪不敢役,縣中皆謂之狂生。

陳勝・項梁らが蜂起し、諸将が地を徇って高陽を過ぎる者が数十人に及んだが、酈生はその将が皆、握齱(器量が狭く)で苛礼を好み、自らを是とし、大度の言を聴くことができないと聞き、酈生は深く自らを隠匿した。後に沛公が兵を将いて陳留の郊を略していると聞き、沛公の麾下の騎士が丁度酈生の里の子であった。沛公は時々、邑中の賢士豪俊について尋ねた。騎士が帰ると、酈生は彼に会って言った。「私は沛公が傲慢で人を軽んじるが、大略が多いと聞く。これはまさに私が願って従い交わりたい者である。どうか私を先に紹介してほしい。もし沛公にお目にかかれば、『臣の里に酈生という者がおります。年は六十余り、身長八尺、人は皆、彼を狂生と呼びますが、彼は自ら、私は狂生ではないと言っております』と申し上げてほしい。」騎士は言った。「沛公は儒者を好みません。諸客で儒冠をかぶって来る者があれば、沛公はすぐにその冠を解き、その中に小便をします。人と話すときは、常に大声で罵ります。儒生として説くことはできません。」酈生は言った。「ただ言ってみよ。」騎士は従容として酈生が戒めた通りに言った。

原文及陳勝、項梁等起,諸將徇地過高陽者數十人,酈生聞其將皆握齱好苛禮自用,不能聽大度之言,酈生乃深自藏匿。後聞沛公將兵略地陳留郊,沛公麾下騎士適酈生裏中子也,沛公時時問邑中賢士豪俊。騎士歸,酈生見謂之曰:「吾聞沛公慢而易人,多大略,此真吾所願從游,莫為我先。若見沛公,謂曰『臣里中有酈生,年六十餘,長八尺,人皆謂之狂生,生自謂我非狂生』。」騎士曰:「沛公不好儒,諸客冠儒冠來者,沛公輒解其冠,溲溺其中。與人言,常大罵。未可以儒生說也。」酈生曰:「弟言之。」騎士從容言如酈生所誡者。

沛公が高陽の伝舎に至り、人をして酈生を召させた。酈生が至り、入って謁見すると、沛公はちょうど床に踞って二人の女子に足を洗わせながら、酈生に会った。酈生が入ると、長揖して拝礼せず、言うには、「足下は秦を助けて諸侯を攻めようとするのか、それとも諸侯を率いて秦を破ろうとするのか」と。沛公は罵って言うには、「豎儒め、天下は同じく秦に苦しむこと久しい、故に諸侯は相率いて秦を攻めるのである。どうして秦を助けて諸侯を攻めるなどと言うのか」と。酈生は言うには、「必ず徒を聚め義兵を合わせて無道の秦を誅するならば、長者に対して踞って会うのは宜しくない」と。ここにおいて沛公は洗うのを止め、起きて衣を整え、酈生を延いて上座に就かせ、謝した。酈生は因って六国の合従連衡の時を説いた。沛公は喜び、酈生に食を賜い、問うて言うには、「計は将にいずくに出づべきか」と。酈生は言うには、「足下は糾合の衆を起こし、散乱の兵を収め、万人に満たず、以て径に強秦に入らんと欲するは、これ所謂虎口を探る者である。夫れ陳留は、天下の衝、四通五達の郊なり、今その城にはまた多く粟を積む。臣はその令と善し、請う、之を使わしめ、令をして足下に下らしめん。もし聴かざれば、足下は兵を挙げてこれを攻めよ、臣は内応とならん」と。ここにおいて酈生を行かせ、沛公は兵を引いてこれに随い、遂に陳留を下した。酈食其を号して広野君と為す。

原文沛公至高陽傳舍,使人召酈生。酈生至,入謁,沛公方倨床使兩女子洗足,而見酈生。酈生入,則長揖不拜,曰:「足下欲助秦攻諸侯乎?且欲率諸侯破秦也?」沛公罵曰:「豎儒!夫天下同苦秦久矣,故諸侯相率而攻秦,何謂助秦攻諸侯乎?」酈生曰:「必聚徒合義兵誅無道秦,不宜倨見長者。」於是沛公輟洗,起攝衣,延酈生上坐,謝之。酈生因言六國從橫時。沛公喜,賜酈生食,問曰:「計將安出?」酈生曰:「足下起糾合之眾,收散亂之兵,不滿萬人,欲以徑入彊秦,此所謂探虎口者也。夫陳留,天下之衝,四通五達之郊也,今其城又多積粟。臣善其令,請得使之,令下足下。即不聽,足下舉兵攻之,臣為內應。」於是遣酈生行,沛公引兵隨之,遂下陳留。號酈食其為廣野君。

酈生はその弟の酈商を言上し、数千人を将として沛公に従い西南の地を略させた。酈生は常に説客として、諸侯に馳せ使いした。

原文酈生言其弟酈商,使將數千人從沛公西南略地。酈生常為說客,馳使諸侯。

漢三年の秋、項羽が漢を撃ち、滎陽を抜き、漢兵は遁れて鞏・洛を保った。楚人は淮陰侯が趙を破り、彭越が数たび梁の地に反するを聞き、則ち兵を分けてこれを救った。淮陰侯はちょうど東に向かって斉を撃ち、漢王は数たび滎陽・成皋に困り、計らいて成皋以東を捐て、鞏・洛に屯して楚に拒がんと欲した。酈生は因って言うには、「臣聞く、天の天を知る者は、王事成るべく、天の天を知らざる者は、王事成るべからずと。王者は民人を以て天と為し、而して民人は食を以て天と為す。夫れ敖倉は、天下の転輸久しく、臣聞く、その下に乃ち蔵粟甚だ多しと。楚人は滎陽を抜き、敖倉を堅守せず、乃ち引いて東し、適卒をして成皋を分守せしむるは、これ乃ち天の漢を資する所以なり。方今楚は取り易くして漢は反って退くは、自らその便を奪う、臣窃かに過ちと為す。且つ両雄倶に立たず、楚漢久しく相持して決せず、百姓騒動し、海内揺蕩し、農夫は耒を釈き、工女は機を下り、天下の心未だ定まる所有らず。願わくは足下急ぎ復た兵を進め、滎陽を収取し、敖倉の粟に拠り、成皋の険を塞ぎ、大行の道を杜ぎ、蜚狐の口を距て、白馬の津を守り、以て諸侯に効実形制の勢を示せば、則ち天下帰する所を知らん。方今燕・趙は已に定まり、唯だ斉未だ下らず。今田広は千里の斉に拠り、田閒は二十万の衆を将いて歴城に軍し、諸田の宗強く、海に負い河済に阻まれ、南は楚に近く、人多く変詐有り、足下数十万の師を遣わすと雖も、未だ歳月を以て破るべからず。臣請う、明詔を奉じて斉王を説き、漢の為にし東藩と称せしめん」と。上は言うには、「善し」と。

原文漢三年秋,項羽擊漢,拔滎陽,漢兵遁保鞏、洛。楚人聞淮陰侯破趙,彭越數反梁地,則分兵救之。淮陰方東擊齊,漢王數困滎陽、成皋,計欲捐成皋以東,屯鞏、洛以拒楚。酈生因曰:「臣聞知天之天者,王事可成;不知天之天者,王事不可成。王者以民人為天,而民人以食為天。夫敖倉,天下轉輸久矣,臣聞其下乃有藏粟甚多。楚人拔滎陽,不堅守敖倉,乃引而東,令適卒分守成皋,此乃天所以資漢也。方今楚易取而漢反卻,自奪其便,臣竊以為過矣。且兩雄不俱立,楚漢久相持不決,百姓騷動,海內搖蕩,農夫釋耒,工女下機,天下之心未有所定也。願足下急復進兵,收取滎陽,據敖倉之粟,塞成皋之險,杜大行之道,距蜚狐之口,守白馬之津,以示諸侯效實形制之勢,則天下知所歸矣。方今燕、趙已定,唯齊未下。今田廣據千里之齊,田閒將二十萬之眾,軍於歷城,諸田宗彊,負海阻河濟,南近楚,人多變詐,足下雖遣數十萬師,未可以歲月破也。臣請得奉明詔說齊王,使為漢而稱東藩。」上曰:「善。」

そこでその策に従い、再び敖倉を守り、酈生をして斉王を説かせて言わしめた、「王は天下の帰するところを知っておられるか」と。王は言った、「知らない」と。酈生は言った、「王が天下の帰するところを知れば、斉国は得て保つことができる。もし天下の帰するところを知らなければ、斉国は保つことができないであろう」と。斉王は言った、「天下はどこに帰するのか」と。酈生は言った、「漢に帰する」と。斉王は言った、「先生はどうしてそう言うのか」と。酈生は言った、「漢王と項王は力を合わせて西に向かって秦を撃ち、先に咸陽に入った者をその地の王とする約束をした。漢王が先に咸陽に入ったが、項王は約束を破って王位を与えず、漢中に王として封じた。項王は義帝を移して殺した。漢王はこれを聞き、蜀漢の兵を起こして三秦を撃ち、関を出て義帝の所在を責め、天下の兵を集め、諸侯の後裔を立てた。城を降せばその将を侯とし、得た財貨は士卒に分け与え、天下とその利益を共にし、豪傑・英傑・賢才は皆喜んでこれを用いられる。諸侯の兵は四方から集まり、蜀漢の穀物は船を並べて下ってくる。項王には約束を倍する悪名があり、義帝を殺した罪がある。人の功績を記録せず、人の罪を忘れない。戦勝しても賞を与えず、城を抜いても封を与えない。項氏でなければ用いられない。印を刻むのに吝嗇で、角がすり減っても授けようとしない。城を攻めて財貨を得ても、蓄積して賞与しない。天下はこれに背き、賢才はこれを怨み、誰も用いられようとしない。故に天下の士は漢王に帰する。座して策をめぐらすことができる。漢王は蜀漢より発し、三秦を平定し、西河の外を渡り、上党の兵を引き抜き、井陘を下り、成安君を誅し、北魏を破り、三十二城を挙げた。これは蚩尤の兵であり、人の力ではなく、天の福である。今や既に敖倉の穀物を占め、成皋の険を塞ぎ、白馬の津を守り、太行の坂を断ち、蜚狐の口を拒んでいる。天下で後に服する者は先に滅びる。王は速やかに漢王に下るべきである。そうすれば斉国の社稷は保つことができる。漢王に下らなければ、危亡は立ち待つばかりである」と。田広はもっともだと思い、酈生の言を聞き入れ、歴下の兵の守戦の備えを解き、酈生と共に日々酒を飲みふけった。

原文乃從其畫,復守敖倉,而使酈生說齊王曰:「王知天下之所歸乎?」王曰:「不知也。」曰:「王知天下之所歸,則齊國可得而有也;若不知天下之所歸,即齊國未可得保也。」齊王曰:「天下何所歸?」曰:「歸漢。」曰:「先生何以言之?」曰:「漢王與項王力西面擊秦,約先入咸陽者王之。漢王先入咸陽,項王負約不與而王之漢中。項王遷殺義帝,漢王聞之,起蜀漢之兵擊三秦,出關而責義帝之處,收天下之兵,立諸侯之後。降城即以侯其將,得賂即以分其士,與天下同其利,豪英賢才皆樂為之用。諸侯之兵四面而至,蜀漢之粟方船而下。項王有倍約之名,殺義帝之負;於人之功無所記,於人之罪無所忘;戰勝而不得其賞,拔城而不得其封;非項氏莫得用事;為人刻印,刓而不能授;攻城得賂,積而不能賞:天下畔之,賢才怨之,而莫為之用。故天下之士歸於漢王,可坐而策也。夫漢王發蜀漢,定三秦;涉西河之外,援上黨之兵;下井陘,誅成安君;破北魏,舉三十二城:此蚩尤之兵也,非人之力也,天之福也。今已據敖倉之粟,塞成皋之險,守白馬之津,杜大行之阪,距蜚狐之口,天下後服者先亡矣。王疾先下漢王,齊國社稷可得而保也;不下漢王,危亡可立而待也。」田廣以為然,乃聽酈生,罷歷下兵守戰備,與酈生日縱酒。

淮陰侯は酈生が軾に伏して斉の七十余城を下したと聞き、夜に兵を平原に渡して斉を襲った。斉王田広は漢兵が来たと聞き、酈生が自分を売ったと思い、言った、「お前が漢軍を止めれば、お前を生かしてやる。そうでなければ、お前を煮殺すぞ」と。酈生は言った、「大事を挙げる者は細かいことにこだわらず、盛んな徳は辞譲しない。お前の父上はお前のためにさらに言うことはしない」と。斉王はついに酈生を煮殺し、兵を率いて東へ逃げた。

原文淮陰侯聞酈生伏軾下齊七十餘城,乃夜度兵平原襲齊。齊王田廣聞漢兵至,以為酈生賣己,乃曰:「汝能止漢軍,我活汝;不然,我將亨汝!」酈生曰:「舉大事不細謹,盛德不辭讓。而公不為若更言!」齊王遂亨酈生,引兵東走。

漢の十二年、曲周侯酈商は丞相として兵を率いて黥布を撃ち功があった。高祖は列侯功臣を挙げるにあたり、酈食其のことを思った。酈食其の子の疥はしばしば兵を率いたが、功はまだ侯に当たらず、上はその父の故をもって、疥を高梁侯に封じた。後に食邑を武遂に改め、三世を嗣いだ。元狩元年のうちに、武遂侯平は詐って詔を出し衡山王から百斤の金を取った罪に坐し、棄市に当たるが、病死したため、国は除かれた。

原文漢十二年,曲周侯酈商以丞相將兵擊黥布有功。高祖舉列侯功臣,思酈食其。酈食其子疥數將兵,功未當侯,上以其父故,封疥為高梁侯。後更食武遂,嗣三世。元狩元年中,武遂侯平坐詐詔衡山王取百斤金,當棄市,病死,國除也。

陸賈

原文陸賈

陸賈は楚の人である。客として高祖に従い天下を定め、口弁の士として名があり、左右に侍し、常に諸侯に使わされた。

原文陸賈者,楚人也。以客從高祖定天下,名為有口辯士,居左右,常使諸侯。

高祖の時、中国は初めて平定され、尉他が南越を平定し、それによって王となった。高祖は陸賈を遣わして尉他に印綬を賜り、南越王とした。陸生が到着すると、尉他は椎結して箕踞し、陸生に会った。陸生はそこで進み出て尉他を説いて言った、「足下は中国人であり、親戚兄弟の墳墓は真定にある。今足下は天性に背き、冠帯を棄て、わずかな越の地をもって天子に対抗し敵国となろうとしている。禍いはまさに身に及ぼうとしている。そもそも秦はその政を失い、諸侯豪傑が一斉に立ち上がったが、ただ漢王が先に関中に入り、咸陽を占拠した。項羽は約束を破り、自ら西楚の霸王と称し、諸侯は皆これに属した。これは至って強いと言えよう。しかし漢王は巴蜀より起こり、天下を鞭撻し、諸侯を脅かし略奪し、ついに項羽を誅して滅ぼした。五年の間に、海内は平定された。これは人力によるものではなく、天の建てたるところである。天子は君王が南越に王たることを聞き、天下を助けて暴逆を誅することをせず、将相が兵を移して王を誅そうとしているのを、天子は百姓が新たに労苦しているのを憐れみ、しばらくこれを休ませ、臣を遣わして君王に印綬を授け、符を剖き、使節を通わせた。君王は郊外に出迎え、北面して臣と称すべきであるのに、新たに造り未だ集まらざる越をもって、ここに屈強であろうとしている。漢がもしこれを聞けば、王の先祖の塚を掘り焼き、宗族を夷滅し、一偏将に十万の兵を率いさせて越に臨ませれば、越は王を殺して漢に降ることは、手を反覆するが如きものである。」

原文及高祖時,中國初定,尉他平南越,因王之。高祖使陸賈賜尉他印為南越王。陸生至,尉他魋結箕倨見陸生。陸生因進說他曰:「足下中國人,親戚昆弟墳在真定。今足下反天性,棄冠帶,欲以區區之越與天子抗衡為敵國,禍且及身矣。且夫秦失其政,諸侯豪桀并起,唯漢王先入關,據咸陽。項羽倍約,自立為西楚霸王,諸侯皆屬,可謂至彊。然漢王起巴蜀,鞭笞天下,劫略諸侯,遂誅項羽滅之。五年之閒,海內平定,此非人力,天之所建也。天子聞君王王南越,不助天下誅暴逆,將相欲移兵而誅王,天子憐百姓新勞苦,故且休之,遣臣授君王印,剖符通使。君王宜郊迎,北面稱臣,乃欲以新造未集之越,屈彊於此。漢誠聞之,掘燒王先人冢,夷滅宗族,使一偏將將十萬眾臨越,則越殺王降漢,如反覆手耳。」

そこで尉他は蹶然として起き上がり坐り直し、陸生に謝って言った、「蛮夷の中に長く居り、まったく礼儀を失っていた。」そして陸生に問うて言った、「私は蕭何・曹参・韓信とどちらが賢いか。」陸生は言った、「王は賢いようである。」また言った、「私は皇帝とどちらが賢いか。」陸生は言った、「皇帝は豊沛より起こり、暴秦を討ち、強楚を誅し、天下のために利を興し害を除き、五帝三王の業を継ぎ、中国を統治した。中国の人は億を以て数え、土地は万里に及び、天下の膏腴の地に居り、人衆は車輿多く、万物は殷富で、政は一家より出る。天地が剖判して以来未だ嘗て有らざるところである。今王の衆は数十万に過ぎず、皆蛮夷であり、山海の間に崎嶇として居ることは、譬えば漢の一郡の如くである。王はどうして漢と比べられようか。」尉他は大笑して言った、「私は中国に起こらなかったから、ここに王たるのである。もし私が中国に居たならば、どうして漢に及ばないことがあろうか。」そこで大いに陸生を喜ばせ、数ヶ月留めて飲んだ。そして言った、「越の中には語るに足る者がいなかった。生が来てから、私は日に聞かざる所を聞くようになった。」陸生に嚢中の装飾品で千金に値するものを賜り、その他の贈り物も千金であった。陸生はついに尉他を拝して南越王とし、臣と称して漢の約束を奉じさせた。帰って報告すると、高祖は大いに喜び、賈を太中大夫に拝した。

原文於是尉他乃蹶然起坐,謝陸生曰:「居蠻夷中久,殊失禮義。」因問陸生曰:「我孰與蕭何、曹參、韓信賢?」陸生曰:「王似賢。」復曰:「我孰與皇帝賢?」陸生曰:「皇帝起豐沛,討暴秦,誅彊楚,為天下興利除害,繼五帝三王之業,統理中國。中國之人以億計,地方萬里,居天下之膏腴,人眾車轝,萬物殷富,政由一家,自天地剖泮未始有也。今王眾不過數十萬,皆蠻夷,崎嶇山海閒,譬若漢一郡,王何乃比於漢!」尉他大笑曰:「吾不起中國,故王此。使我居中國,何渠不若漢?」乃大說陸生,留與飲數月。曰:「越中無足與語,至生來,令我日聞所不聞。」賜陸生橐中裝直千金,他送亦千金。陸生卒拜尉他為南越王,令稱臣奉漢約。歸報,高祖大悅,拜賈為太中大夫。

陸生はしばしば進み出て詩書を称えて説いた。高帝はこれを罵って言った、「乃公は馬上に居て天下を得たのだ。どうして詩書を用いようか。」陸生は言った、「馬上に居て得たとしても、はたして馬上に居て治めることができるでしょうか。かつて湯武は逆に取って順に守り、文武を併用した。これが長久の術である。昔、呉王夫差・智伯は武を極めて亡び、秦は刑法を任じて変えず、ついに趙氏を滅ぼした。もし秦がすでに天下を併せた後、仁義を行い、先聖に法ったならば、陛下はどうして天下を得ることができたでしょうか。」高帝は不機嫌ながらも慚愧の色を示し、陸生に言った、「試みに私のために秦が天下を失った理由、私が天下を得た理由、および古の成敗の国について著してくれ。」陸生はそこで存亡の徴を大略述べ、合わせて十二篇を著した。一篇を奏上するごとに、高帝は未だ嘗て善しと称えざることはなく、左右は万歳を呼び、その書を「新語」と号した。

原文陸生時時前說稱詩書。高帝罵之曰:「乃公居馬上而得之,安事詩書!」陸生曰;「居馬上得之,寧可以馬上治之乎?且湯武逆取而以順守之,文武并用,長久之術也。昔者吳王夫差、智伯極武而亡;秦任刑法不變,卒滅趙氏。鄉使秦已并天下,行仁義,法先聖,陛下安得而有之?」高帝不懌而有慚色,乃謂陸生曰:「試為我著秦所以失天下,吾所以得之者何,及古成敗之國。」陸生乃粗述存亡之徵,凡著十二篇。每奏一篇,高帝未嘗不稱善,左右呼萬歲,號其書曰「新語」。

孝恵帝の時、呂太后が政事を執り行い、諸呂を王にしようと欲し、口を挟む大臣を畏れた。陸生は自ら量ってこれと争うことができぬとし、病と称して免職し家に居た。好畤の田地が良く、家を構えるに適しているので、そこに住んだ。五人の男子があったので、かつて越に使いした時に得た嚢中の装飾品を売って千金とし、子らに分け与え、子ごとに二百金ずつ与え、生産を営ませた。陸生は常に安車に四馬を繋ぎ、歌舞・鼓・琴・瑟を奏する侍者十人を従え、宝剣は百金の価値があり、その子らに謂って曰く、「汝らと約束しよう。汝らの家を訪れる時は、汝らが我が人馬の酒食を供し、欲望を極めさせよ。十日で次の家に移る。我が死ぬ家には、宝剣・車騎・侍従者を得るがよい。一年のうちに往来して他の客を訪れることは、多くても二、三度を超えぬ。数度見れば鮮やかでなくなる。長く公を煩わすことはせぬ」と。

原文孝惠帝時,呂太后用事,欲王諸呂,畏大臣有口者,陸生自度不能爭之,乃病免家居。以好畤田地善,可以家焉。有五男,乃出所使越得橐中裝賣千金,分其子,子二百金,令為生產。陸生常安車駟馬,從歌舞鼓琴瑟侍者十人,寶劍直百金,謂其子曰:「與汝約:過汝,汝給吾人馬酒食,極欲,十日而更。所死家,得寶劍車騎侍從者。一歲中往來過他客,率不過再三過,數見不鮮,無久慁公為也。」

呂太后の時、諸呂を王とし、諸呂は権力を擅にし、少主を脅かして劉氏を危うくせんと欲した。右丞相陳平はこれを憂え、力及ばず争えず、禍が己に及ぶを恐れ、常に燕居して深く思案していた。陸生が往って請うたが、直ちに入って座に就くと、陳丞相はちょうど深く思案しており、時に応じて陸生に会わなかった。陸生が曰く、「何をかかくも深く思案されるのか」と。陳平が曰く、「生は我が何を思案するか推し量れるか」と。陸生が曰く、「足下は位は上相、三萬戸侯の食邑を受け、極めて富貴で欲するもの無しと言えよう。然るに憂慮があるとすれば、ただ諸呂と少主とを患うるに過ぎぬ」と。陳平が曰く、「然り。之を如何にせん」と。陸生が曰く、「天下安んずれば、相に注意す。天下危うければ、将に注意す。将相が和調すれば、則ち士は務めて附く。士が務めて附けば、天下たとえ変有りとも、即ち権は分かれぬ。社稷の為に計るは、両君の掌握に在るのみ。臣は常に太尉絳侯に謂わんと欲したが、絳侯は我と戯れ、我が言を軽んずる。君何ぞ太尉と歓を交え、深く結ばれぬか」と。陳平のために呂氏に関する数事を画策した。陳平はその計を用い、乃ち五百金を以て絳侯の寿とし、厚く具えて楽飲した。太尉もまた之に報いること同じくした。この両人が深く結ぶと、則ち呂氏の謀は益々衰えた。陳平は乃ち奴婢百人、車馬五十乗、銭五百萬を以て陸生に遺わし、飲食の費とした。陸生は此を以て漢廷の公卿の間に遊び、名声は甚だ盛んであった。

原文呂太后時,王諸呂,諸呂擅權,欲劫少主,危劉氏。右丞相陳平患之,力不能爭,恐禍及己,常燕居深念。陸生往請,直入坐,而陳丞相方深念,不時見陸生。陸生曰:「何念之深也?」陳平曰:「生揣我何念?」陸生曰:「足下位為上相,食三萬戶侯,可謂極富貴無欲矣。然有憂念,不過患諸呂、少主耳。」陳平曰:「然。為之柰何?」陸生曰:「天下安,注意相;天下危,注意將。將相和調,則士務附;士務附,天下雖有變,即權不分。為社稷計,在兩君掌握耳。臣常欲謂太尉絳侯,絳侯與我戲,易吾言。君何不交驩太尉,深相結?」為陳平畫呂氏數事。陳平用其計,乃以五百金為絳侯壽,厚具樂飲;太尉亦報如之。此兩人深相結,則呂氏謀益衰。陳平乃以奴婢百人,車馬五十乘,錢五百萬,遺陸生為飲食費。陸生以此游漢廷公卿閒,名聲藉甚。

及び諸呂を誅し、孝文帝を立てるに及び、陸生は頗る力有り。孝文帝即位し、人をして南越に使わさんと欲した。陳丞相等は乃ち陸生を太中大夫と為し、往って尉他を使わしめ、尉他に黄屋を去り制を称するを止めさせ、諸侯に比せしめんとし、皆意旨の如くであった。語は南越語中に在り。陸生は竟に寿を以て終わった。

原文及誅諸呂,立孝文帝,陸生頗有力焉。孝文帝即位,欲使人之南越。陳丞相等乃言陸生為太中大夫,往使尉他,令尉他去黃屋稱制,令比諸侯,皆如意旨。語在南越語中。陸生竟以壽終。

平原君朱建は、楚の人である。故に嘗て淮南王黥布の相と為り、罪有りて去り、後復た黥布に事えた。布が反せんと欲した時、平原君に問うと、平原君は之を非とし、布は聴かずして梁父侯に聴き、遂に反した。漢既に布を誅し、平原君が諫めて謀に与からざるを聞き、誅せられずに済んだ。語は黥布語中に在り。

原文平原君朱建者,楚人也。故嘗為淮南王黥布相,有罪去,後復事黥布。布欲反時,問平原君,平原君非之,布不聽而聽梁父侯,遂反。漢已誅布,聞平原君諫不與謀,得不誅。語在黥布語中。

平原君は人となり弁舌有り口達者で、廉を刻み剛直、長安に家す。行いは苟も合せず、義を以て容れられることを取らぬ。辟陽侯は行い正しからず、呂太后の寵幸を得た。時に辟陽侯は平原君と知り合おうと欲したが、平原君は肯じて見えぬ。及び平原君の母死す。陸生は素より平原君と善くし、之を訪れた。平原君の家貧しく、未だ喪を発するに足るもの無く、方に服具を仮貸せんとしていた。陸生は平原君に喪を発せしめた。陸生は往って辟陽侯に見え、賀して曰く、「平原君の母死せり」と。辟陽侯曰く、「平原君の母死せりとて、何ぞ乃ち我を賀するのか」と。陸賈曰く、「前日君侯は平原君と知り合おうと欲したが、平原君は義を以て君を知らぬ。其の母の故である。今其の母死せり。君誠に厚く喪を送らば、則ち彼は君の為に死せん」と。辟陽侯は乃ち百金を奉じて往きて賻した。列侯貴人は辟陽侯の故を以て、往きて賻すること凡そ五百金に及んだ。

原文平原君為人辯有口,刻廉剛直,家於長安。行不茍合,義不取容。辟陽侯行不正,得幸呂太后。時辟陽侯欲知平原君,平原君不肯見。及平原君母死,陸生素與平原君善,過之。平原君家貧,未有以發喪,方假貸服具,陸生令平原君發喪。陸生往見辟陽侯,賀曰:「平原君母死。」辟陽侯曰:「平原君母死,何乃賀我乎?」陸賈曰:「前日君侯欲知平原君,平原君義不知君,以其母故。今其母死,君誠厚送喪,則彼為君死矣。」辟陽侯乃奉百金往稅。列侯貴人以辟陽侯故,往稅凡五百金。

辟陽侯は呂太后に寵愛されていたが、ある者が孝惠帝に辟陽侯を誹謗したので、孝惠帝は大いに怒り、官吏に下して誅殺しようとした。呂太后は恥じて、口を出すことができなかった。大臣たちも多くは辟陽侯の行いを害悪とみなし、ついに誅殺しようとした。辟陽侯は危急に陥り、人をやって平原君に会おうとした。平原君は辞退して言った、「獄事が差し迫っており、あなたにお会いするわけにはまいりません」と。そこで孝惠帝の寵臣である閎籍孺に会いに行き、彼を説得して言った、「あなたが皇帝の寵愛を得ている理由は、天下に知られぬ者はありません。今、辟陽侯は太后に寵愛されながらも官吏に下され、道を行く者は皆、あなたが讒言したと言い、彼を殺そうとしています。今日、辟陽侯が誅殺されれば、明日には太后が怒りを抱き、あなたをも誅殺されるでしょう。どうして肌を脱いで、辟陽侯のために皇帝に言上なさらないのですか。皇帝があなたの言うことを聞いて辟陽侯を釈放すれば、太后は大いに喜ばれます。両主が共にあなたを寵愛されれば、あなたの貴さ富みは倍増することでしょう」と。そこで閎籍孺は大いに恐れ、その計略に従い、皇帝に言上したところ、果たして辟陽侯を釈放した。辟陽侯が囚われていた時、平原君に会おうとしたが、平原君は辟陽侯に会わず、辟陽侯は自分を見捨てたと思い、大いに怒った。そして彼が成功して自分を出してくれた時、はじめて大いに驚いたのである。

原文辟陽侯幸呂太后,人或毀辟陽侯於孝惠帝,孝惠帝大怒,下吏,欲誅之。呂太后慚,不可以言。大臣多害辟陽侯行,欲遂誅之。辟陽侯急,因使人欲見平原君。平原君辭曰:「獄急,不敢見君。」乃求見孝惠幸臣閎籍孺,說之曰:「君所以得幸帝,天下莫不聞。今辟陽侯幸太后而下吏,道路皆言君讒,欲殺之。今日辟陽侯誅,旦日太后含怒,亦誅君。何不肉袒為辟陽侯言於帝?帝聽君出辟陽侯,太后大驩。兩主共幸君,君貴富益倍矣。」於是閎籍孺大恐,從其計,言帝,果出辟陽侯。辟陽侯之囚,欲見平原君,平原君不見辟陽侯,辟陽侯以為倍己,大怒。及其成功出之,乃大驚。

呂太后が崩御すると、大臣たちは諸呂を誅殺したが、辟陽侯は諸呂と最も深い関係にありながら、ついに誅殺されなかった。その身を全うするための計画は、すべて陸生と平原君の力によるものであった。

原文呂太后崩,大臣誅諸呂,辟陽侯於諸呂至深,而卒不誅。計畫所以全者,皆陸生、平原君之力也。

孝文帝の時、淮南厲王が辟陽侯を殺害したが、それは諸呂の縁故によるものであった。文帝はその食客である平原君が計略をめぐらしたと聞き、官吏に捕らえさせて処罰しようとした。官吏が門に至ったと聞き、平原君は自殺しようとした。諸子や官吏たちは皆言った、「事の成否はまだ分からないのに、どうして早々に自殺なさるのですか」と。平原君は言った、「私が死ねば禍は絶え、お前たちの身には及ばないだろう」と。そこで自ら剣で首を刎ねて死んだ。孝文帝はこれを聞き惜しんで言った、「私は彼を殺すつもりはなかったのだ」と。そこでその子を召し出し、中大夫に任じた。匈奴に使いしたが、単于が無礼であったので、単于を罵り、ついに匈奴の中で死んだ。

原文孝文帝時,淮南厲王殺辟陽侯,以諸呂故。文帝聞其客平原君為計策,使吏捕欲治。聞吏至門,平原君欲自殺。諸子及吏皆曰:「事未可知,何早自殺為?」平原君曰:「我死禍絕,不及而身矣。」遂自剄。孝文帝聞而惜之,曰:「吾無意殺之。」乃召其子,拜為中大夫。使匈奴,單于無禮,乃罵單于,遂死匈奴中。

初め、沛公が兵を率いて陳留を通り過ぎた時、酈生が軍門に踵を接して上謁し言った、「高陽の賤民酈食其でございます。ひそかに沛公が風雨に曝れながら、兵を率いて楚を助けて不義を討たれると承り、謹んで従者の労をねぎらい、お目にかかり、口で天下の便利な事を図りたいと願います」と。使者が入って通報すると、沛公はちょうど足を洗っており、使者に問うて言った、「どのような人物か」と。使者が答えて言った、「その様子は大儒者のようで、儒者の衣を着、側注の冠をかぶっております」と。沛公は言った、「私に代わって謝ってくれ、私は今、天下の事をなすのに忙しく、儒者に会う暇はないと言え」と。使者が出て謝って言った、「沛公が謹んで先生にお詫び申し上げます。今、天下の事をなすのに忙しく、儒者に会う暇はございません」と。酈生は目を怒らせ剣に手をかけ使者を叱って言った、「行け! もう一度入って沛公に言え、我は高陽の酒徒なり、儒者ではないと」と。使者は恐れて謁見の札を落とし、跪いて札を拾い、走って戻り、再び入って報告して言った、「客は天下の壮士でございます。臣を叱りつけ、臣は恐れて、ついに謁見の札を落としてしまいました。『行け! もう一度入って言え、おれは高陽の酒徒だ』と申しました」と。沛公は急いで足の水気を拭い矛を杖にして言った、「客を招き入れよ!」と。

原文初,沛公引兵過陳留,酈生踵軍門上謁曰:「高陽賤民酈食其,竊聞沛公暴露,將兵助楚討不義,敬勞從者,願得望見,口畫天下便事。」使者入通,沛公方洗,問使者曰:「何如人也?」使者對曰:「狀貌類大儒,衣儒衣,冠側注。」沛公曰:「為我謝之,言我方以天下為事,未暇見儒人也。」使者出謝曰:「沛公敬謝先生,方以天下為事,未暇見儒人也。」酈生瞋目案劍叱使者曰:「走!復入言沛公,吾高陽酒徒也,非儒人也。」使者懼而失謁,跪拾謁,還走,復入報曰:「客,天下壯士也,叱臣,臣恐,至失謁。曰『走!復入言,而公高陽酒徒也』。」沛公遽雪足杖矛曰:「延客入!」

酈生が入り、沛公に揖して曰く、「足下は甚だ苦しみ、衣を暴き冠を露わし、兵を将いて楚を助けて不義を討たんとす。足下は何ぞ自ら喜ばざるや。臣は事を以て見えんと願うに、而して曰く『吾方に天下を以て事と為し、未だ暇あらずして儒人を見る』と。夫れ足下は天下の大事を興し、天下の大功を成さんと欲するに、目皮を以て相うれば、恐らくは天下の能士を失わん。且つ吾は足下の智は吾に如かず、勇は又吾に如かざるを度る。若し天下に就かんと欲して相見えざれば、窃かに足下の為に之を失わんとす」と。沛公謝して曰く、「郷者に先生の容を聞き、今先生の意を見る」と。乃ち延べて之を坐らせ、天下を取る所以を問う。酈生曰く、「夫れ足下は大功を成さんと欲せば、陳留に止まるに如かず。陳留は、天下の拠衝にして、兵の会地なり。粟を積むこと数千万石、城守甚だ堅し。臣素より其の令に善し、足下の為に之を説かんと願う。臣を聴かざれば、臣は請う足下の為に之を殺し、而して陳留を下さん。足下は陳留の衆を将い、陳留の城に拠り、而して其の積粟を食らい、天下の従兵を招かん。従兵既に成れば、足下は天下に横行し、能く足下を害する者あらざるべし」と。沛公曰く、「敬って命を聞く」と。

原文酈生入,揖沛公曰:「足下甚苦,暴衣露冠,將兵助楚討不義,足下何不自喜也?臣願以事見,而曰『吾方以天下為事,未暇見儒人也』。夫足下欲興天下之大事而成天下之大功,而以目皮相,恐失天下之能士。且吾度足下之智不如吾,勇又不如吾。若欲就天下而不相見,竊為足下失之。」沛公謝曰:「鄉者聞先生之容,今見先生之意矣。」乃延而坐之,問所以取天下者。酈生曰:「夫足下欲成大功,不如止陳留。陳留者,天下之據衝也,兵之會地也,積粟數千萬石,城守甚堅。臣素善其令,願為足下說之。不聽臣,臣請為足下殺之,而下陳留。足下將陳留之眾,據陳留之城,而食其積粟,招天下之從兵;從兵已成,足下橫行天下,莫能有害足下者矣。」沛公曰:「敬聞命矣。」

ここにおいて酈生は乃ち夜に陳留令を見え、之を説いて曰く、「夫れ秦は無道を為して天下之に畔く。今足下は天下と従えば則ち以て大功を成すべし。今独り亡秦の為に城を嬰ねて堅く守らば、臣窃かに足下の為に之を危ぶむ」と。陳留令曰く、「秦の法は至って重し。妄言すべからず。妄言する者は類無し。吾は応うべからず。先生の臣を教うる所以は、臣の意に非ざるなり。願わくば復た道うること勿れ」と。酈生は留まって宿し臥し、夜半の時に陳留令の首を斬り、城を踰えて下り沛公に報ず。沛公は兵を引いて城を攻め、県令の首を長竿に縣して以て城上の人に示し、曰く、「趣かに下れ。而して令の頭は已に断たれたり。今より後下る者は必ず先ず之を斬らん」と。ここにおいて陳留人は令の已に死せるを見て、遂いに相率いて沛公に下る。沛公は陳留南城門上に舍し、其の庫の兵に因り、積粟を食らい、出入すること三月を留まり、従兵は万を以て数う。遂に入りて秦を破る。

原文於是酈生乃夜見陳留令,說之曰:「夫秦為無道而天下畔之,今足下與天下從則可以成大功。今獨為亡秦嬰城而堅守,臣竊為足下危之。」陳留令曰:「秦法至重也,不可以妄言,妄言者無類,吾不可以應。先生所以教臣者,非臣之意也,願勿復道。」酈生留宿臥,夜半時斬陳留令首,踰城而下報沛公。沛公引兵攻城,縣令首於長竿以示城上人,曰:「趣下,而令頭已斷矣!今後下者必先斬之!」於是陳留人見令已死,遂相率而下沛公。沛公舍陳留南城門上,因其庫兵,食積粟,留出入三月,從兵以萬數,遂入破秦。

評論

原文评论

太史公曰く、世の酈生の書を伝うるは、多く曰く漢王已に三秦を抜き、東して項籍を撃ち、而して軍を鞏洛の間に引きしとき、酈生は儒衣を被り往きて漢王を説けりと。乃ち是れに非ず。沛公の未だ関に入らざるより、項羽と別れて高陽に至り、酈生兄弟を得たり。余は陸生の新語書十二篇を読み、固より当世の弁士なり。平原君子に至りては余と善し、是を以て具に之を論ずるを得たり。

原文太史公曰:世之傳酈生書,多曰漢王已拔三秦,東擊項籍而引軍於鞏洛之閒,酈生被儒衣往說漢王。乃非也。自沛公未入關,與項羽別而至高陽,得酈生兄弟。余讀陸生新語書十二篇,固當世之辯士。至平原君子與余善,是以得具論之。

【索隠述賛】広野大度、始め側注を冠す。踵門して長揖し、深く器し重く遇す。斉を説き歴下、鼎に趣くも何ぞ懼れん。陸賈越に使い、尉佗懼怖す。相説きて国安く、書成りて主悟る。

原文【索隱述贊】廣野大度,始冠側注。踵門長揖,深器重遇。說齊曆下,趣鼎何懼。陸賈使越,尉佗懾怖,相說國安,書成主悟。