藺相如

廉頗は、趙の良将である。趙の恵文王十六年、廉頗は趙の将として斉を伐ち、これを大いに破り、陽晋を取った。上卿に拝され、勇気をもって諸侯に聞こえた。藺相如は、趙の人である。趙の宦者令繆賢の舎人であった。

趙の恵文王の時、楚の和氏の璧を得た。秦の昭王はこれを聞き、人を遣わして趙王に書を送り、十五城をもって璧と交換したいと願った。趙王は大将軍廉頗や諸大臣と謀った。秦に与えようとすれば、秦の城は得られない恐れがあり、ただ欺かれるのみである。与えまいとすれば、ただちに秦の兵が来ることを患う。計略が定まらず、秦に返答する使者となり得る人を求めたが、得られなかった。宦者令繆賢が言うには、「臣の舎人藺相如を使者とすることができます。」王が問うて、「どうして彼を知るのか。」と。答えて言うには、「臣はかつて罪を犯し、ひそかに計らって燕に亡走しようとしました。臣の舎人相如が臣を止めて、言うには、『君はどうして燕王を知るのか。』と。臣が語って言うには、『臣はかつて大王に従って燕王と国境で会いました。燕王はひそかに臣の手を握り、「友と結びたい」と言いました。これによって彼を知るので、ゆえに行こうとするのです。』と。相如は臣に言うには、『そもそも趙は強く燕は弱い。そして君は趙王に寵愛されている。ゆえに燕王は君と結ぼうとするのである。今、君は趙を逃れて燕に走る。燕は趙を畏れる。その勢い、必ずや君を留めず、君を縛って趙に帰すであろう。君は肉袒して斧質に伏し罪を請うた方がましである。そうすれば幸いに免れることができる。』と。臣はその計に従い、大王もまた幸いに臣を赦されました。臣はひそかに思うに、その人は勇士であり、智謀がある。使者とすべきである。」と。ここにおいて王は召し出して会い、藺相如に問うて言うには、「秦王が十五城をもって寡人の璧と交換したいと願う。与えるべきか否か。」と。相如は言うには、「秦は強く趙は弱い。許さざるを得ません。」と。王が言うには、「我が璧を取り、我に城を与えなければ、どうするか。」と。相如は言うには、「秦が城をもって璧を求め、趙が許さなければ、理屈は趙にある。趙が璧を与え、秦が趙に城を与えなければ、理屈は秦にある。この二つの策を均しくすれば、むしろ許して秦に理屈を負わせるべきです。」と。王が言うには、「誰を使者とすべきか。」と。相如は言うには、「王に必ずや適任者がいなければ、臣が璧を奉じて使いに往くことを願います。城が趙に入れば璧は秦に留めます。城が入らなければ、臣は璧を完うして趙に帰ることを請います。」と。趙王はここにおいてついに相如を遣わし、璧を奉じて西の秦に入らせた。

原文趙惠文王時,得楚和氏璧。秦昭王聞之,使人遺趙王書,原以十五城請易璧。趙王與大將軍廉頗諸大臣謀:欲予秦,秦城恐不可得,徒見欺;欲勿予,即患秦兵之來。計未定,求人可使報秦者,未得。宦者令繆賢曰:「臣舍人藺相如可使。」王問:「何以知之?」對曰:「臣嘗有罪,竊計欲亡走燕,臣舍人相如止臣,曰:『君何以知燕王?』臣語曰:『臣嘗從大王與燕王會境上,燕王私握臣手,曰「願結友」。以此知之,故欲往。』相如謂臣曰:『夫趙彊而燕弱,而君幸於趙王,故燕王欲結於君。今君乃亡趙走燕,燕畏趙,其勢必不敢留君,而束君歸趙矣。君不如肉袒伏斧質請罪,則幸得脱矣。』臣從其計,大王亦幸赦臣。臣竊以爲其人勇士,有智謀,宜可使。」於是王召見,問藺相如曰:「秦王以十五城請易寡人之璧,可予不?」相如曰:「秦彊而趙弱,不可不許。」王曰:「取吾璧,不予我城,奈何?」相如曰:「秦以城求璧而趙不許,曲在趙。趙予璧而秦不予趙城,曲在秦。均之二策,甯許以負秦曲。」王曰:「誰可使者?」相如曰:「王必無人,臣願奉璧往使。城入趙而璧留秦;城不入,臣請完璧歸趙。」趙王於是遂遣相如奉璧西入秦。

秦王が章臺に坐して相如を見る。相如は璧を奉じて秦王に奏す。秦王は大いに喜び、美人及び左右に伝えて示す。左右は皆万歳を呼ぶ。相如は秦王に趙の城を償う意なきを見て、乃ち前に進みて曰く、「璧に瑕あり、請う王に指示せん」と。王は璧を授く。相如は因りて璧を持ちて却き立ち、柱に倚り、怒髪冠を衝く。秦王に謂ひて曰く、「大王璧を得んと欲し、人をして書を発して趙王に至らしむ。趙王悉く群臣を召して議す。皆曰く『秦は貪にして、其の彊きを負ひ、空言を以て璧を求め、城を償ふは恐らく得べからず』と。議して秦に璧を与へんと欲せず。臣以爲らく、布衣の交はり尚ほ相欺かず、況んや大國においてをや。且つ一璧の故を以て彊秦の歓を逆らふは不可なり。是に於て趙王乃ち斎戒すること五日、臣をして璧を奉ぜしめ、書を庭に拝送せしむ。何ぞや。大國の威を厳にして敬を修むるなり。今臣至るに、大王臣を見るに列観にて、礼節甚だ倨し。璧を得て、之を美人に伝へ、以て臣を戲弄す。臣大王に趙王の城邑を償ふ意なきを観る。故に臣復た璧を取り返す。大王必ずや臣を急かさんと欲せば、臣の頭今璧と倶に柱にて碎けん」と。相如其の璧を持ちて柱を睨み、以て柱を撃たんと欲す。秦王其の璧を破らんことを恐れ、乃ち辞謝して固く請ひ、有司を召して図を案ぜしめ、此より以往十五都を指して趙に予ふとす。相如度るに秦王特だ詐りを以て詳らかに趙に城を予ふる爲にして、実は得べからずと。乃ち秦王に謂ひて曰く、「和氏の璧は天下の共に伝ふる寶なり。趙王恐れて敢へて献ぜざるを得ず。趙王璧を送る時、斎戒すること五日。今大王も亦た宜しく斎戒すること五日、九賓を廷に設け、臣乃ち敢へて璧を上ぐべし」と。秦王之を度り、終に彊ひて奪ふべからずと。遂に斎すること五日を許し、相如を広成伝に舎す。相如度るに秦王斎すと雖も、決して約を負ひて城を償はざるべしと。乃ち其の従者をして褐を衣せしめ、其の璧を懐かしめ、径道より亡れて、璧を趙に帰らしむ。

原文秦王坐章臺見相如,相如奉璧奏秦王。秦王大喜,傳以示美人及左右,左右皆呼萬歳。相如視秦王無意償趙城,乃前曰:「璧有瑕,請指示王。」王授璧,相如因持璧卻立,倚柱,怒髮上沖冠,謂秦王曰:「大王欲得璧,使人發書至趙王,趙王悉召群臣議,皆曰『秦貪,負其彊,以空言求璧,償城恐不可得』。議不欲予秦璧。臣以爲布衣之交尚不相欺,況大國乎!且以一璧之故逆彊秦之驩,不可。於是趙王乃齋戒五日,使臣奉璧,拜送書於庭。何者?嚴大國之威以修敬也。今臣至,大王見臣列觀,禮節甚倨;得璧,傳之美人,以戲弄臣。臣觀大王無意償趙王城邑,故臣復取璧。大王必欲急臣,臣頭今與璧倶碎於柱矣!」相如持其璧睨柱,欲以撃柱。秦王恐其破璧,乃辭謝固請,召有司案圖,指從此以往十五都予趙。相如度秦王特以詐詳爲予趙城,實不可得,乃謂秦王曰:「和氏璧,天下所共傳寶也,趙王恐,不敢不獻。趙王送璧時,齋戒五日,今大王亦宜齋戒五日,設九賓於廷,臣乃敢上璧。」秦王度之,終不可彊奪,遂許齋五日,舍相如廣成傳。相如度秦王雖齋,決負約不償城,乃使其從者衣褐,懷其璧,從徑道亡,歸璧於趙。

秦王斎すること五日後、乃ち九賓の礼を廷に設け、趙の使者藺相如を引く。相如至りて秦王に謂ひて曰く、「秦は繆公以来二十余君、未だ嘗て堅明なる約束有る者あらず。臣誠に王に欺かれて趙に負かんことを恐る。故に人をして璧を持ちて帰らしめ、間を以て趙に至らしむ。且つ秦は彊くして趙は弱し。大王一介の使を遣はして趙に至らしめば、趙直ちに璧を奉じて来らん。今秦の彊きを以て先づ十五都を割きて趙に予ふれば、趙豈に璧を留めて大王に得罪せんや。臣大王を欺くの罪誅さるべきを知る。臣請う湯鑊に就かん。唯だ大王と群臣と孰れか計議せんことを」と。秦王と群臣と相視みて嘻す。左右或は相如を引いて去らんと欲す。秦王因りて曰く、「今相如を殺すも、終に璧を得ること能はざるべし。而して秦趙の歓を絶つ。因りて之を厚く遇して、趙に帰らしむるに如かず。趙王豈に一璧の故を以て秦を欺かんや」と。卒に廷に相如を見て、礼を畢へて之を帰す。

原文秦王齋五日後,乃設九賓禮於廷,引趙使者藺相如。相如至,謂秦王曰:「秦自繆公以來二十餘君,未嘗有堅明約束者也。臣誠恐見欺於王而負趙,故令人持璧歸,間至趙矣。且秦彊而趙弱,大王遣一介之使至趙,趙立奉璧來。今以秦之彊而先割十五都予趙,趙豈敢留璧而得罪於大王乎?臣知欺大王之罪當誅,臣請就湯鑊,唯大王與群臣孰計議之。」秦王與群臣相視而嘻。左右或欲引相如去,秦王因曰:「今殺相如,終不能得璧也,而絶秦趙之驩,不如因而厚遇之,使歸趙,趙王豈以一璧之故欺秦邪!」卒廷見相如,畢禮而歸之。

相如既に帰る。趙王以て賢大夫と爲し、諸侯に辱しめられざるを以て、相如を拝して上大夫と爲す。秦も亦た城を以て趙に予へず。趙も亦た終に璧を秦に予へず。

原文相如既歸,趙王以爲賢大夫使不辱於諸侯,拜相如爲上大夫。秦亦不以城予趙,趙亦終不予秦璧。

其の後秦趙を伐ち、石城を抜く。明年、復た趙を攻め、二万人を殺す。

原文其後秦伐趙,拔石城。明年,復攻趙,殺二萬人。

秦王が使者を遣わして趙王に告げ、王と西河外の澠池において好会を為さんと欲す。趙王は秦を畏れ、行かざらんと欲す。廉頗・藺相如計りて曰く、「王行かずんば、趙の弱く且つ怯なるを示すなり」と。趙王遂に行き、相如従う。廉頗境に送り至り、王と訣別して曰く、「王行き、道里を度り会遇の礼畢りて還るは、三十日を過ぎず。三十日に還らずんば、則ち請う太子を立てて王と為し、以て秦の望みを絶たん」と。王之を許し、遂に秦王と澠池に会す。秦王酒を飲み酣にして曰く、「寡人窃に聞く、趙王音を好むと。請う瑟を奏せん」と。趙王瑟を鼓す。秦の御史前に進み書して曰く「某年月日、秦王趙王と会飲し、趙王に瑟を鼓せしむ」と。藺相如前に進みて曰く、「趙王窃に聞く、秦王善く秦声を為すと。請う盆缶を秦王に奏し、以て相娯楽せん」と。秦王怒りて許さず。是に於いて相如前に進みて缶を進め、因り跪きて秦王に請う。秦王肯へて缶を撃たず。相如曰く、「五歩の内に在りて、相如請う得以て頸の血を大王に濺がん」と。左右相如を刃せんと欲す。相如目を張りて之を叱す。左右皆靡く。是に於いて秦王懌ばず、一たび缶を撃つ。相如顧みて趙の御史を召し書せしめて曰く「某年月日、秦王趙王の為に缶を撃つ」と。秦の群臣曰く、「請う趙の十五城を以て秦王の寿と為さん」と。藺相如亦曰く、「請う秦の咸陽を以て趙王の寿と為さん」と。秦王酒竟りて、終に勝を趙に加ふる能はず。趙亦盛んに兵を設けて以て秦を待つ。秦敢えて動かず。

原文秦王使使者告趙王,欲與王爲好會於西河外澠池。趙王畏秦,欲毋行。廉頗、藺相如計曰:「王不行,示趙弱且怯也。」趙王遂行,相如從。廉頗送至境,與王訣曰:「王行,度道裏會遇之禮畢,還,不過三十日。三十日不還,則請立太子爲王。以絶秦望。」王許之,遂與秦王會澠池。秦王飲酒酣,曰:「寡人竊聞趙王好音,請奏瑟。」趙王鼓瑟。秦禦史前書曰「某年月日,秦王與趙王會飲,令趙王鼓瑟」。藺相如前曰:「趙王竊聞秦王善爲秦聲,請奏盆鮓秦王,以相娯樂。」秦王怒,不許。於是相如前進鮓,因跪請秦王。秦王不肯撃鮓。相如曰:「五歩之内,相如請得以頸血濺大王矣!」左右欲刃相如,相如張目叱之,左右皆靡。於是秦王不懌,爲一撃鮓。相如顧召趙禦史書曰「某年月日,秦王爲趙王撃鮓」。秦之群臣曰:「請以趙十五城爲秦王壽」。藺相如亦曰:「請以秦之咸陽爲趙王壽。」秦王竟酒,終不能加勝於趙。趙亦盛設兵以待秦,秦不敢動。

既に罷みて国に帰り、相如の功大なるを以て、上卿に拝し、位を廉頗の右に在らしむ。廉頗曰く、「我趙の将と為り、城を攻め野に戦うの大功有り。而るに藺相如徒に口舌を以て労と為し、位我が上に居る。且つ相如素より賤人なり。吾羞ぢて、其の下に在るを忍ばず」と。宣言して曰く、「我相如を見れば、必ず之を辱めん」と。相如聞き、肯へて之と会せず。相如毎に朝する時、常に病と称し、廉頗と列を争はんと欲せず。已にして相如出で、廉頗を見るに、相如車を引きて避匿す。是に於いて舎人相与に諫めて曰く、「臣の親戚を去りて君に事ふる所以の者は、徒に君の高義を慕ふなり。今君廉頗と同列に在り、廉君悪言を宣べて君之を畏れ匿す。恐懼甚だ殊なり。且つ庸人尚ほ之を羞づ。況んや将相に於いてをや。臣等不肖、請う辞して去らん」と。藺相如固く之を止めて曰く、「公の廉将軍を視るや、孰れか秦王と与にせん」と。曰く、「若かず」と。相如曰く、「夫れ秦王の威を以てするに、而るに相如廷に之を叱し、其の群臣を辱む。相如駑なれども、独り廉将軍を畏れんや。顧みるに吾之を念ふ、強秦の兵を趙に加へざる所以の者は、徒に吾両人の在るを以てするなり。今両虎共に闘はば、其の勢倶に生くる無からん。吾が此れを為す所以の者は、先づ国家の急を以てし、後に私讎を後にするなり」と。廉頗之を聞き、肉袒して荊を負ひ、賓客に因りて藺相如の門に至り謝罪す。曰く、「鄙賤の人、将軍の此くまでに寬大なるを知らず」と。卒に相与に驩び、刎頸の交はりを為す。

原文既罷歸國,以相如功大,拜爲上卿,位在廉頗之右。廉頗曰:「我爲趙將,有攻城野戰之大功,而藺相如徒以口舌爲勞,而位居我上,且相如素賤人,吾羞,不忍爲之下。」宣言曰:「我見相如,必辱之。」相如聞,不肯與會。相如毎朝時,常稱病,不欲與廉頗爭列。已而相如出,望見廉頗,相如引車避匿。於是舍人相與諫曰:「臣所以去親戚而事君者,徒慕君之髙義也。今君與廉頗同列,廉君宣惡言而君畏匿之,恐懼殊甚,且庸人尚羞之,況於將相乎!臣等不肖,請辭去。」藺相如固止之,曰:「公之視廉將軍孰與秦王?」曰:「不若也。」相如曰:「夫以秦王之威,而相如廷叱之,辱其群臣,相如雖駑,獨畏廉將軍哉?顧吾念之,彊秦之所以不敢加兵於趙者,徒以吾兩人在也。今兩虎共鬥,其勢不倶生。吾所以爲此者,以先國家之急而後私讎也。」廉頗聞之,肉袒負荊,因賓客至藺相如門謝罪。曰:「鄙賤之人,不知將軍寬之至此也。」卒相與驩,爲刎頸之交。

是歳、廉頗東に斉を攻め、其の一軍を破る。二年を居て、廉頗復た斉の幾を伐ち、之を抜く。後三年、廉頗魏の防陵・安陽を攻め、之を抜く。後四年、藺相如将として斉を攻め、平邑に至りて罷む。其の明年、趙奢秦軍を閼与の下に破る。

原文是歳,廉頗東攻齊,破其一軍。居二年,廉頗復伐齊幾,拔之。後三年,廉頗攻魏之防陵、安陽,拔之。後四年,藺相如將而攻齊,至平邑而罷。其明年,趙奢破秦軍閼與下。

附 趙奢

原文附 趙奢

趙奢は、趙の田部の吏である。租税を収めるのに平原君の家が租を出そうとせず、奢は法によってこれを治め、平原君の用事者九人を殺した。平原君は怒り、奢を殺そうとした。奢はそこで説いて言うには、「君は趙において貴公子であられる。今、君の家を放縦にして公に奉じなければ法は削がれ、法が削がれれば国は弱まり、国が弱まれば諸侯が兵を加え、諸侯が兵を加えれば趙は無くなる。君どうしてこの富を得られようか。君の貴きをもって、公に奉じて法の如くすれば上下平らかになり、上下平らかになれば国は強く、国が強ければ趙は固く、そして君は貴戚として、どうして天下に軽んぜられようか」と。平原君は賢しとし、王に言上した。王はこれを用いて国賦を治めさせると、国賦は大いに平らかになり、民は富み府庫は充実した。

原文趙奢者,趙之田部吏也。收租稅而平原君家不肯出租,奢以法治之,殺平原君用事者九人。平原君怒,將殺奢。奢因説曰:「君於趙爲貴公子,今縱君家而不奉公則法削,法削則國弱,國弱則諸侯加兵,諸侯加兵是無趙也,君安得有此富乎?以君之貴,奉公如法則上下平,上下平則國彊,國彊則趙固,而君爲貴戚,豈輕於天下邪?」平原君以爲賢,言之於王。王用之治國賦,國賦大平,民富而府庫實。

秦が韓を伐ち、軍を閼与に駐めた。王は廉頗を召して問うて言うには、「救うことができるか」と。対えて言うには、「道遠く険狭にして、救い難し」と。また楽乗を召して問うと、楽乗の答えは廉頗の言葉の如くであった。また召して趙奢に問うと、奢は答えて言うには、「その道遠く険狭なるは、譬えば猶お両鼠の穴中に闘うが如く、勇ある者が勝つであろう」と。王はそこで趙奢を将とし、これを救わせた。

原文秦伐韓,軍於閼與。王召廉頗而問曰:「可救不?」對曰:「道遠險狹,難救。」又召樂乘而問焉,樂乘對如廉頗言。又召問趙奢,奢對曰:「其道遠險狹,譬之猶兩鼠鬥於穴中,將勇者勝。」王乃令趙奢將,救之。

軍は邯鄲を去ること三十里にして、軍中に令して言うには、「軍事を以て諫める者有らば死す」と。秦軍は武安の西に軍し、秦軍は鼓譟して兵を勒し、武安の屋瓦はことごとく振るった。軍中の候一人、急ぎ武安を救うべしと言う者あり、趙奢は直ちにこれを斬った。壁を堅くし、二十八日留まって行かず、またさらに塁を増した。秦の間者が来て入ると、趙奢は善く食わせてこれを遣わした。間者はこれを以て秦将に報じると、秦将は大いに喜んで言うには、「国を去ること三十里にして軍行かず、しかして塁を増すとは、閼与は趙の地ならず」と。趙奢は既に秦の間者を遣わすと、甲を巻いてこれに向かい、二日一夜にして至り、善く射る者に閼与より五十里を去って軍せしめた。軍塁成ると、秦人はこれを聞き、悉く甲を着けて至った。軍士の許暦、軍事を以て諫めんことを請うと、趙奢は言うには、「これを内せよ」と。許暦は言うには、「秦人は趙師のここに至るを意にせず、その来る気盛んなり。将軍は必ず厚くその陣を集めてこれを持たるべし。然らずんば、必ず敗る」と。趙奢は言うには、「令を受けんことを請う」と。許暦は言うには、「鈇質の誅に就かんことを請う」と。趙奢は言うには、「胥に後令邯鄲」と。許暦はまた諫めを請うて言うには、「先ず北山上に拠る者は勝ち、後るる者は敗る」と。趙奢は諾し、即ち万人を発してこれに向かわせた。秦兵は後れて至り、山を争うも上るを得ず、趙奢は兵を放ってこれを撃ち、大いに秦軍を破った。秦軍は解けて走り、遂に閼与の囲みを解いて帰った。

原文兵去邯鄲三十里,而令軍中曰:「有以軍事諫者死。」秦軍軍武安西,秦軍鼓譟勒兵,武安屋瓦盡振。軍中候有一人言急救武安,趙奢立斬之。堅壁,留二十八日不行,復益增壘。秦間來入,趙奢善食而遣之。間以報秦將,秦將大喜曰:「夫去國三十里而軍不行,乃增壘,閼與非趙地也。」趙奢既已遣秦間,巻甲而趨之,二日一夜至,今善射者去閼與五十裏而軍。軍壘成,秦人聞之,悉甲而至。軍士許暦請以軍事諫,趙奢曰:「内之。」許暦曰:「秦人不意趙師至此,其來氣盛,將軍必厚集其陣以待之。不然,必敗。」趙奢曰:「請受令。」許暦曰:「請就鈇質之誅。」趙奢曰:「胥後令邯鄲。」許暦復請諫,曰:「先據北山上者勝,後至者敗。」趙奢許諾,即發萬人趨之。秦兵後至,爭山不得上,趙奢縱兵撃之,大破秦軍。秦軍解而走,遂解閼與之圍而歸。

趙の恵文王は奢に号して馬服君と賜い、許暦を国尉とした。趙奢はここにおいて廉頗・藺相如と同位となった。

原文趙惠文王賜奢號爲馬服君,以許暦爲國尉。趙奢於是與廉頗、藺相如同位。

後四年、趙の恵文王卒し、子の孝成王立つ。七年、秦と趙の兵が長平に相距つ。時に趙奢は既に死に、藺相如は病篤く、趙は廉頗を遣わして将とし秦を攻めさせた。秦は数たび趙軍を敗り、趙軍は壁を固くして戦わず。秦は数たび挑戦すれども、廉頗は肯わず。趙王は秦の間者の言を信じた。秦の間者の言うには、「秦の悪むところは、独り馬服君趙奢の子の趙括を将とするを畏るるのみ」と。趙王はこれによって括を将とし、廉頗に代えさせた。藺相如は言うには、「王は名によって括を使わんとすれば、膠して柱に瑟を鼓するが如きものなり。括は徒らにその父の書伝を読む能くするのみで、合変を知らざるなり」と。趙王は聴かず、遂にこれを将とした。

原文後四年,趙惠文王卒,子孝成王立。七年,秦與趙兵相距長平,時趙奢已死,而藺相如病篤,趙使廉頗將攻秦,秦數敗趙軍,趙軍固壁不戰。秦數挑戰,廉頗不肯。趙王信秦之間。秦之間言曰:「秦之所惡,獨畏馬服君趙奢之子趙括爲將耳。」趙王因以括爲將,代廉頗。藺相如曰:「王以名使括,若膠柱而鼓瑟耳。括徒能讀其父書傳,不知合變也。」趙王不聽,遂將之。

奢の子は括

原文奢子 括

趙括は少時より兵法を学び、兵事を論じ、天下に並ぶ者なしと自負した。かつて父の奢と兵事を論じたが、奢は難くすることができなかったが、善しとは言わなかった。括の母が奢にその理由を尋ねると、奢は言った、「兵は死地であるのに、括はそれを易しく言う。趙が括を将としなければよいが、もし必ず彼を将とするならば、趙軍を破る者は必ず括であろう」。括が出征しようとする時、その母は王に上書して言った、「括を将とすべきではありません」。王が「なぜか」と問うと、答えて言った、「初め私がその父に仕えた時、彼は将軍であり、自ら捧げて飲食を進める者は数十人、友とする者は数百人、大王及び宗室から賜ったものは全て軍吏や士大夫に与え、命令を受けた日からは家事を問わなかった。今、括が一旦将となると、東向きに座って臣下を朝見させ、軍吏は敢えて仰ぎ見る者もなく、王が賜った金帛は家に持ち帰って蔵め、日々便利な田宅で買えるものがあれば買っている。王は彼をその父と比べてどう思われますか。父子の心は異なり、願わくば王には派遣なさいませんように」。王は言った、「母はそれを措いておけ、私は既に決めた」。括の母はそこで言った、「王がついに彼を派遣されるなら、もし不適任のことがあれば、私は連座の罪を免れますでしょうか」。王は承諾した。

原文趙括自少時學兵法,言兵事,以天下莫能當。嘗與其父奢言兵事,奢不能難,然不謂善。括母問奢其故,奢曰:「兵,死地也,而括易言之。使趙不將括即已,若必將之,破趙軍者必括也。」及括將行,其母上書言於王曰:「括不可使將。」王曰:「何以?」對曰:「始妾事其父,時爲將,身所奉飯飲而進食者以十數,所友者以百數,大王及宗室所賞賜者盡以予軍吏士大夫,受命之日,不問家事。今括一旦爲將,東向而朝,軍吏無敢仰視之者,王所賜金帛,歸藏於家,而日視便利田宅可買者買之。王以爲何如其父?父子異心,原王勿遣。」王曰:「母置之,吾已決矣。」括母因曰:「王終遣之,即有如不稱,妾得無隨坐乎?」王許諾。

趙括が廉頗に代わると、全ての規律を変更し、軍吏を取り替えた。秦の将軍白起はこれを聞き、奇兵を放ち、偽って敗走し、その糧道を絶ち、その軍を二つに分断したので、士卒は心を離した。四十余日、軍は飢え、趙括は精鋭の兵卒を率いて自ら奮戦したが、秦軍が趙括を射殺した。括の軍は敗れ、数十万の兵衆は遂に秦に降伏し、秦は彼らを全て生き埋めにした。趙が前後に失った者は合わせて四十五万であった。翌年、秦軍は遂に邯鄲を包囲し、一年余り、ほとんど脱することができなかった。楚や魏などの諸侯が救援に来たおかげで、ようやく邯鄲の包囲を解くことができた。趙王もまた括の母の先の言葉により、結局彼女を誅殺しなかった。

原文趙括既代廉頗,悉更約束,易置軍吏。秦將白起聞之,縱奇兵,詳敗走,而絶其糧道,分斷其軍爲二,士卒離心。四十餘日,軍餓,趙括出鋭卒自博戰,秦軍射殺趙括。括軍敗,數十萬之衆遂降秦,秦悉阬之。趙前後所亡凡四十五萬。明年,秦兵遂圍邯鄲,歳餘,幾不得脱。賴楚、魏諸侯來救,乃得解邯鄲之圍。趙王亦以括母先言,竟不誅也。

廉頗

原文廉頗

邯鄲の包囲が解けてから五年後、燕が栗腹の謀を用い、「趙の壮年者は長平で尽き、その孤児はまだ壮年ではない」と言って、兵を挙げて趙を撃った。趙は廉頗を将とし、撃たせ、鄗において燕軍を大破し、栗腹を殺し、遂に燕を包囲した。燕は五城を割いて和を請うたので、ようやくこれを聞き入れた。趙は尉文をもって廉頗を信平君に封じ、仮の相国とした。

原文自邯鄲圍解五年,而燕用栗腹之謀,曰「趙壯者盡於長平,其孤未壯」,舉兵撃趙。趙使廉頗將,撃,大破燕軍於鄗,殺栗腹,遂圍燕。燕割五城請和,乃聽之。趙以尉文封廉頗爲信平君,爲假相國。

廉頗が長平から免職されて帰還した時、勢いを失った折であったから、かつての食客は皆去った。後に再び将軍に用いられると、食客たちはまた戻って来た。廉頗が言うには、「客たちは退け」と。客が言うには、「ああ、君は何と見込みが遅いのか。そもそも天下は市場の道理で交わるもので、君に勢いがあれば我らは君に従い、君に勢いがなければ去る。これは当然の道理であり、何を怨むことがあろうか」と。六年を経て、趙は廉頗をして魏の繁陽を伐たせ、これを抜いた。

原文廉頗之免長平歸也,失勢之時,故客盡去。及復用爲將,客又復至。廉頗曰:「客退矣!」客曰:「籲!君何見之晩也?夫天下以市道交,君有勢,我則從君,君無勢則去,此固其理也,有何怨乎?」居六年,趙使廉頗伐魏之繁陽,拔之。

趙の孝成王が卒し、子の悼襄王が立ち、楽乗に廉頗の代わりをさせた。廉頗は怒り、楽乗を攻め、楽乗は走った。廉頗は遂に魏の大梁に奔った。その翌年、趙は李牧を将とし燕を攻めさせ、武遂・方城を抜いた。

原文趙孝成王卒,子悼襄王立,使樂乘代廉頗。廉頗怒,攻樂乘,樂乘走。廉頗遂奔魏之大梁。其明年,趙乃以李牧爲將而攻燕,拔武遂、方城。

廉頗が大梁に長く居たが、魏は彼を信用して用いることができなかった。趙は秦の兵に幾度も困らされ、趙王は再び廉頗を得たいと思い、廉頗もまた趙に再び用いられたいと思った。趙王は使者を遣わし、廉頗がまだ用いるに足るかどうかを見させた。廉頗の仇敵である郭開は使者に多く金を与え、廉頗を誹謗するよう命じた。趙の使者が廉頗に会うと、廉頗はそのために一食に斗の米、肉十斤を食べ、鎧を着て馬に上り、まだ用いるに足ることを示した。趙の使者が帰って王に報告して言うには、「廉将軍は老いてはいますが、まだよく飯を食べます。しかし臣と座っているうちに、しばらくして三度も矢(屎)を遺しました」と。趙王は老いたと思い、遂に召し寄せなかった。

原文廉頗居梁久之,魏不能信用。趙以數困於秦兵,趙王思復得廉頗,廉頗亦思復用於趙。趙王使使者視廉頗尚可用否。廉頗之仇郭開多與使者金,令毀之。趙使者既見廉頗,廉頗爲之一飯斗米,肉十斤,被甲上馬,以示尚可用。趙使還報王曰:「廉將軍雖老,尚善飯,然與臣坐,頃之三遺矢矣。」趙王以爲老,遂不召。

楚は廉頗が魏にいることを聞き、密かに人を遣わして彼を迎えた。廉頗は一度楚の将となったが、功績がなく、言うには、「私は趙の人を用いたい」と。廉頗はついに寿春で死んだ。

原文楚聞廉頗在魏,陰使人迎之。廉頗一爲楚將,無功,曰:「我思用趙人。」廉頗卒死於壽春。

附 李牧

原文附 李牧

李牧は、趙の北辺の良将である。常に代の雁門に駐屯し、匈奴に備えた。便宜を以て官吏を置き、市租は皆幕府に輸入して、士卒の費用に充てた。日に数頭の牛を撃ちて士卒を饗し、射騎を習わしめ、烽火を謹み、間諜を多くし、戦士を厚く遇した。約束を定めて曰く、「匈奴がもし侵入して盗みを働けば、急ぎ収容して保ち、敢えて捕虜を捕える者は斬る」と。匈奴が毎度侵入するや、烽火を謹み、直ちに収容して保ち、敢えて戦おうとしなかった。このように数年を経ても、また失うところはなかった。しかし匈奴は李牧を臆病と見做し、趙の辺境の兵士もまた我が将軍は臆病であると思った。趙王が李牧を譴責すると、李牧は元の通りであった。趙王は怒り、彼を召し返し、他の者を代わりに将とさせた。

原文李牧者,趙之北邊良將也。常居代鴈門,備匈奴。以便宜置吏,市租皆輸入莫府,爲士卒費。日撃數牛饗士,習射騎,謹烽火,多間諜,厚遇戰士。爲約曰:「匈奴即入盜,急入收保,有敢捕虜者斬。」匈奴毎入,烽火謹,輒入收保,不敢戰。如是數歳,亦不亡失。然匈奴以李牧爲怯,雖趙邊兵亦以爲吾將怯。趙王讓李牧,李牧如故。趙王怒,召之,使他人代將。

歳余りして、匈奴が毎度来ると、出て戦った。出て戦うと、数度不利で、失亡多く、辺境は田畑を耕し家畜を飼うことができなかった。再び李牧を請うた。牧は門を閉ざして出ず、固より病と称した。趙王は乃ち再び強いて起用し、兵を将いることを命じた。牧曰く、「王が必ず臣を用いられるなら、臣は以前の通りにして、敢えて命令を奉じます」と。王はこれを許した。

原文歳餘,匈奴毎來,出戰。出戰,數不利,失亡多,邊不得田畜。復請李牧。牧杜門不出,固稱疾。趙王乃復彊起使將兵。牧曰:「王必用臣,臣如前,乃敢奉令。」王許之。

李牧が到着すると、以前の約束の通りにした。匈奴は数年、得るところがなかった。終には臆病と思った。辺境の士卒は日に賞賜を得て用いられず、皆一戦を願った。ここにおいて乃ち選りすぐった戦車を具えて千三百乗を得、選りすぐった騎兵を得て一万三千匹、百金の士五万人、弓を引き絞る者十万人を揃え、悉く統率して戦いを習わしめた。大いに畜牧を放し、人民は野に満ちた。匈奴が小規模に侵入すると、偽って敗北し勝たず、数千人を以てこれを委ねた。単于がこれを聞き、大いに衆を率いて侵入して来た。李牧は多く奇陣を為し、左右の翼を張ってこれを撃ち、大いに匈奴を破り殺すこと十余万騎に及んだ。襜襤を滅ぼし、東胡を破り、林胡を降し、単于は奔走した。その後十余年、匈奴は敢えて趙の辺城に近づかなかった。

原文李牧至,如故約。匈奴數歳無所得。終以爲怯。邊士日得賞賜而不用,皆原一戰。於是乃具選車得千三百乘,選騎得萬三千匹,百金之士五萬人,彀者十萬人,悉勒習戰。大縱畜牧,人民滿野。匈奴小入,詳北不勝,以數千人委之。單于聞之,大率衆來入。李牧多爲奇陳,張左右翼撃之,大破殺匈奴十餘萬騎。滅襜襤,破東胡,降林胡,單于奔走。其後十餘歳,匈奴不敢近趙邊城。

趙の悼襄王元年、廉頗が既に魏に亡命した後、趙は李牧を使わして燕を攻め、武遂・方城を抜いた。二年を経て、龐煖が燕軍を破り、劇辛を殺した。後七年、秦が趙の将扈輒を武遂で破り殺し、斬首十万に及んだ。趙は乃ち李牧を以て大将軍とし、宜安で秦軍を撃ち、大いに秦軍を破り、秦の将桓齮を敗走させた。李牧を武安君に封じた。三年を経て、秦が番吾を攻めると、李牧は秦軍を撃ち破り、南は韓・魏を拒んだ。

原文趙悼襄王元年,廉頗既亡入魏,趙使李牧攻燕,拔武遂、方城。居二年,龐暖破燕軍,殺劇辛。後七年,秦破殺趙將扈輒於武遂,斬首十萬。趙乃以李牧爲大將軍,撃秦軍於宜安,大破秦軍,走秦將桓齮。封李牧爲武安君。居三年,秦攻番吾,李牧撃破秦軍,南距韓、魏。

趙王遷の七年、秦は王翦を使わして趙を攻め、趙は李牧・司馬尚を使わしてこれを防がせた。秦は多く趙王の寵臣郭開に金を与え、反間の計を為し、李牧・司馬尚が反逆を欲していると讒言した。趙王は乃ち趙蔥及び斉の将顔聚を使わして李牧に代えさせた。李牧は命令を受けず、趙は人を使わして密かに捕えさせて李牧を得、これを斬った。司馬尚を廃した。後三月、王翦は機に乗じて急に趙を撃ち、大いに趙蔥を破り殺し、趙王遷及びその将顔聚を虜とし、遂に趙を滅ぼした。

原文趙王遷七年,秦使王翦攻趙,趙使李牧、司馬尚禦之。秦多與趙王寵臣郭開金,爲反間,言李牧、司馬尚欲反。趙王乃使趙蔥及齊將顏聚代李牧。李牧不受命,趙使人微捕得李牧,斬之。廢司馬尚。後三月,王翦因急撃趙,大破殺趙蔥,虜趙王遷及其將顏聚,遂滅趙。

原文

太史公が曰く、死を知れば必ず勇あり、死するは難きに非ず、死を処するは難きなり。方に藺相如が璧を引きて柱を睨み、及び秦王の左右を叱するや、勢ひ誅せらるるに過ぎざるも、然れども士或は怯懦にして敢えて発せざるあり。相如一たび其の気を奮ひ、威信敵国に及び、退きて頗を譲り、名太山に重し、其の智勇を処する、兼ね之れ有りと謂ふべし。

原文太史公曰:知死必勇,非死者難也,處死者難。方藺相如引璧睨柱,及叱秦王左右,勢不過誅,然士或怯懦而不敢發。相如一奮其氣,威信敵國,退而讓頗,名重太山,其處智勇,可謂兼之矣!

索隠述賛

原文索隱述贊

清く梠り凛凛たり、壮気熊熊たり。各誠義を竭し、遞に雌雄と爲る。和璧聘返り、澠池好通ず。荊を負ひて懼を知り、節を屈して工を推す。辺を安んじ策を定むるは、頗・牧の功なり。

原文淸梠凜凜,壯氣熊熊。各竭誠義,遞爲雌雄。和璧聘返,澠池好通。負荊知懼,屈節推工。安邊定策,頗、牧之功。