史記

巻五十五 留侯世家 第二十五

張良

原文張良

留侯張良は、その先祖は韓の人である。大父の開地は、韓の昭侯・宣恵王・襄哀王に相となった。父の平は、釐王・悼恵王に相となった。悼恵王の二十三年に、平は卒した。その死後二十年にして、秦が韓を滅ぼした。良は年少で、まだ韓に仕官していなかった。韓が破れると、良は家の僮僕三百人を有し、弟が死んでも葬らず、ことごとく家財を用いて客を求め秦王を刺し、韓のために仇を報いようとした。これは大父・父が五代にわたって韓に相となったゆえである。

原文留侯張良者,其先韓人也。大父開地,相韓昭侯、宣惠王、襄哀王。父平,相釐王、悼惠王。悼惠王二十三年,平卒。卒二十歲,秦滅韓。良年少,未宦事韓。韓破,良家僮三百人,弟死不葬,悉以家財求客刺秦王,為韓報仇,以大父、父五世相韓故。

良はかつて淮陽で礼を学んだ。東に行き倉海君に会った。力士を得て、重さ百二十斤の鉄椎を作らせた。秦の皇帝が東に巡游したとき、良は客とともに秦皇帝を博浪沙において狙撃したが、誤って副車に当たった。秦皇帝は大いに怒り、天下を大いに索め、賊を求めること甚だ急であった。これは張良のためである。良はそこで名姓を改め、下邳に亡匿した。

原文良嘗學禮淮陽。東見倉海君。得力士,為鐵椎重百二十斤。秦皇帝東游,良與客狙擊秦皇帝博浪沙中,誤中副車。秦皇帝大怒,大索天下,求賊甚急,為張良故也。良乃更名姓,亡匿下邳。

張良はかつて暇を見てゆったりと歩き、下邳の橋の上を遊んでいた。一人の老父がおり、粗末な衣を着て、張良のところに来ると、わざと自分の履を橋の下に落とし、振り返って張良に言った。「若者、下りて履を取れ。」張良は愕然とし、殴ろうとした。彼が年老いているため、強いて我慢し、下りて履を取った。父は言った。「私に履を履かせよ。」張良はすでに履を取ったので、長跪して彼に履を履かせた。父は足を受けて、笑って去った。張良は非常に驚き、目で追った。父は一里ほど行って、また戻り、言った。「若者は教えられる者である。五日後の明け方、ここで私に会え。」張良はこれを怪しみ、跪いて言った。「承知した。」五日後の明け方、張良は行った。父はすでに先にいて、怒って言った。「老人と約束して、遅れるとは、どうしたことか。」去りながら言った。「五日後にもっと早く会え。」五日後の鶏鳴の時、張良は行った。父はまた先にいて、再び怒って言った。「遅れるとは、どうしたことか。」去りながら言った。「五日後にもっと早く来い。」五日後、張良は夜の半ば前に往った。しばらくして、父も来て、喜んで言った。「このようであるべきだ。」一編の書を取り出し、言った。「これを読めば王者の師となろう。十年後に興る。十三年後に若者は私を済北で見るであろう、穀城山の下の黄石がすなわち私である。」遂に去り、他に言葉はなく、再び会うことはなかった。翌朝その書を見ると、太公兵法であった。張良はこれを異とし、常に習い誦読した。

原文良嘗間從容步游下邳圯上,有一老父,衣褐,至良所,直墮其履圯下,顧謂良曰:「孺子,下取履!」良鄂然,欲毆之。為其老,彊忍,下取履。父曰:「履我!」良業為取履,因長跪履之。父以足受,笑而去。良殊大驚,隨目之。父去里所,復還,曰:「孺子可敎矣。後五日平明,與我會此。」良因怪之,跪曰:「諾。」五日平明,良往。父已先在,怒曰:「與老人期,後,何也?」去,曰:「後五日早會。」五日雞鳴,良往。父又先在,復怒曰:「後,何也?」去,曰:「後五日復早來。」五日,良夜未半往。有頃,父亦來,喜曰:「當如是。」出一編書,曰:「讀此則為王者師矣。後十年興。十三年孺子見我濟北,穀城山下黃石即我矣。」遂去,無他言,不復見。旦日視其書,乃太公兵法也。良因異之,常習誦讀之。

下邳に住み、任侠を為した。項伯はかつて人を殺し、張良に従って匿われた。

原文居下邳,為任俠。項伯嘗殺人,從良匿。

十年後、陳勝らが兵を起こすと、張良もまた少年百余人を集めた。景駒が自立して楚の仮王となり、留にいた。張良は彼に従おうとしたが、道中で沛公に会った。沛公は数千人を率い、下邳の西を攻略し、張良はこれに属した。沛公は張良を廄将に任じた。張良はしばしば太公兵法をもって沛公を説き、沛公はこれを善しとし、常にその策を用いた。張良が他人に説くときは、皆理解されなかった。張良は言った。「沛公は恐らく天授である。」故に遂に彼に従い、景駒に会いに行かなかった。

原文後十年,陳涉等起兵,良亦聚少年百餘人。景駒自立為楚假王,在留。良欲往從之,道還沛公。沛公將數千人,略地下邳西,遂屬焉。沛公拜良為廄將。良數以太公兵法說沛公,沛公善之,常用其策。良為他人者,皆不省。良曰:「沛公殆天授。」故遂從之,不去見景駒。

沛公が薛に行ったとき、項梁に会った。項梁が楚の懐王を立てた。張良はそこで項梁を説いて言った。「君はすでに楚の後裔を立てられた。韓の諸公子の横陽君成は賢明である。王に立てて、味方を増やすことができます。」項梁は張良に韓成を求めさせ、韓王に立てた。張良を韓の申徒とし、韓王と共に千余人を率いて西進し韓の地を攻略させ、数城を得たが、秦はすぐにまたこれを奪回し、潁川を往来して遊撃兵となった。

原文及沛公之薛,見項梁。項梁立楚懷王。良乃說項梁曰:「君已立楚後,而韓諸公子橫陽君成賢,可立為王,益樹黨。」項梁使良求韓成,立以為韓王。以良為韓申徒,與韓王將千餘人西略韓地,得數城,秦輒復取之,往來為游兵潁川。

沛公が雒陽から南に出て轘轅を通るとき、張良は兵を率いて沛公に従い、韓の十余城を落とし、楊熊の軍を撃破した。沛公はそこで韓王成に陽翟を留守させ、張良と共に南進し、宛を攻め落とし、西に入って武関に入った。沛公は兵二万人をもって秦の嶢関の下の軍を撃とうとした。張良が説いて言った。「秦の兵はなお強く、軽々しく攻めることはできません。臣は聞くに、その将は屠殺者の子で、商人の如く利で動かしやすいと。願わくは沛公はしばらく陣を留め、人を先に行かせ、五万人分の食糧を準備させ、さらに山上に旗幟を多く掲げさせ、疑兵と為し、酈食其に重宝を持たせて秦の将を誘わせてください。」秦の将は果たして叛き、連和して共に西進し咸陽を襲おうとした。沛公はこれに従おうとした。張良は言った。「これはただその将が叛こうとしているだけで、士卒が従わない恐れがあります。従わなければ必ず危険です。その隙に乗じて撃つに如きはありません。」沛公はそこで兵を率いて秦軍を撃ち、大破した。遂に北進して藍田に至り、再戦し、秦兵はついに敗れた。遂に咸陽に至り、秦の王子嬰が沛公に降った。

原文沛公之從雒陽南出轘轅,良引兵從沛公,下韓十餘城,擊破楊熊軍。沛公乃令韓王成留守陽翟,與良俱南,攻下宛,西入武關。沛公欲以兵二萬人擊秦嶢下軍,良說曰:「秦兵尚強,未可輕。臣聞其將屠者子,賈豎易動以利。願沛公且留壁,使人先行,為五萬人具食,益為張旗幟諸山上,為疑兵,令酈食其持重寶啗秦將。」秦將果叛,欲連和俱西襲咸陽,沛公欲聽之。良曰:「此獨其將欲叛耳,恐士卒不從。不從必危,不如因其解擊之。」沛公乃引兵擊秦軍,大破之。遂北至藍田,再戰,秦兵竟敗。遂至咸陽,秦王子嬰降沛公。

沛公は秦の宮殿に入ると、宮室・帷帳・狗馬・重宝・婦女が数千にのぼり、留まって居住したいと思った。樊噲が沛公に諫めて外に出て宿泊するよう勧めたが、沛公は聞き入れなかった。良が言うには、「そもそも秦が無道であったからこそ、沛公はここまで来られたのである。天下のために残賊を除くには、縞素を資とすべきである。今秦に入ったばかりで、すぐにその楽しみに安んじるのは、いわゆる『桀を助けて虐をなす』というものである。また『忠言は耳に逆らえども行いに利あり、毒薬は口に苦けれども病に利あり』と申す。どうか沛公は樊噲の言葉をお聞き入れください。」沛公はそこで軍を引き返して覇上に駐屯した。

原文沛公入秦宮,宮室帷帳狗馬重寶婦女以千數,意欲留居之。樊噲諫沛公出舍,沛公不聽。良曰:「夫秦為無道,故沛公得至此。夫為天下除殘賊,宜縞素為資。今始入秦,即安其樂,此所謂『助桀為虐』。且『忠言逆耳利於行,毒藥苦口利於病』,願沛公聽樊噲言。」沛公乃還軍霸上。

項羽が鴻門に到着すると、沛公を撃とうとした。項伯は夜中に駆けて沛公の軍営に入り、ひそかに張良に会い、一緒に逃げ去ろうとした。良は言った、「臣は韓王のために沛公をお送りしたのであり、今事態が急を要するからといって、逃げ去るのは不義です。」そこで詳しく沛公に話した。沛公は大いに驚き、「どうしたらよいか」と言った。良は言った、「沛公は本当に項羽に背こうとお考えですか。」沛公は言った、「浅はかな者が私に関を守って諸侯を入れないように教え、秦の地をすべて王になれると言ったので、その言葉に従ったのだ。」良は言った、「沛公はご自身で項羽を退けることができるとお考えですか。」沛公はしばらく黙っていたが、言った、「もちろんできない。今どうしたらよいか。」良はそこで強く項伯を引き留めた。項伯が沛公に会った。沛公は酒を交わして長寿を祝い、賓客としての縁を結んだ。項伯に命じて、沛公が項羽に背くつもりはなく、関を守ったのは他の盗賊に備えただけだと詳しく言わせた。項羽に会って後、事態が収まったことは、項羽の事績の中に記されている。

原文項羽至鴻門下,欲擊沛公,項伯乃夜馳入沛公軍,私見張良,欲與俱去。良曰:「臣為韓王送沛公,今事有急,亡去不義。」乃具以語沛公。沛公大驚,曰:「為將奈何?」良曰:「沛公誠欲背項羽邪?」沛公曰:「鯫生敎我距關無內諸侯,秦地可盡王,故聽之。」良曰:「沛公自度能卻項羽乎?」沛公默然良久,曰:「固不能也。今為奈何?」良乃固要項伯。項伯見沛公。沛公與飲為壽,結賓婚。令項伯具言沛公不敢倍項羽,所以距關者,備他盜也。及見項羽後解,語在項羽事中。

漢元年正月、沛公は漢王となり、巴蜀を領有した。漢王は良に金百鎰、珠二斗を賜ったが、良はすべて項伯に献上した。漢王もまた良に命じて厚く項伯に贈り物をさせ、漢中の地を請わせた。項王はこれを許し、ついに漢中の地を得た。漢王が封国へ赴くとき、良は襃中まで送り、良を韓に帰らせた。良はそこで漢王に説いて言った、「王はなぜ通った桟道を焼き絶って、天下に戻る心のないことを示し、項王の心を固められないのですか。」そこで良を帰らせた。行く途中で、桟道を焼き絶った。

原文漢元年正月,沛公為漢王,王巴蜀。漢王賜良金百鎰,珠二斗,良具以獻項伯。漢王亦因令良厚遺項伯,使請漢中地。項王乃許之,遂得漢中地。漢王之國,良送至襃中,遣良歸韓。良因說漢王曰:「王何不燒絕所過棧道,示天下無還心,以固項王意。」乃使良還。行,燒絕棧道。

良が韓に到着すると、韓王成は良が漢王に従ったため、項王は成を封国に行かせず、従わせて一緒に東へ向かった。良は項王に説いて言った、「漢王は桟道を焼き絶ち、戻る心はありません。」そこで斉王田栄が反乱を起こしたことを、文書で項王に告げた。項王はこれによって西の漢を憂える心がなくなり、兵を発して北の斉を撃った。

原文良至韓,韓王成以良從漢王故,項王不遣成之國,從與俱東。良說項王曰:「漢王燒絕棧道,無還心矣。」乃以齊王田榮反,書告項王。項王以此無西憂漢心,而發兵北擊齊。

項王は結局韓王を行かせようとせず、侯に封じたが、また彭城で彼を殺した。良は逃亡し、間道を通って漢王のもとに帰った。漢王もすでに三秦を平定して戻っていた。再び良を成信侯とし、従わせて東進して楚を撃った。彭城に至ると、漢軍は敗れて戻った。下邑に至り、漢王は馬から下りて鞍に腰掛けて尋ねた、「私は関以東の地を放棄して投げ出したいと思うが、誰と共に功を立てることができるか。」良が進み出て言った、「九江王黥布は楚の勇将で、項王と不和がある。彭越は斉王田栄とともに梁の地で反乱を起こしている。この二人は急ぎ使うことができる。そして漢王の将軍の中では韓信だけが大事を任せられ、一面を担当できる。もし放棄するならば、この三人に投げかければ、楚を破ることができます。」漢王はそこで随何を遣わして九江王布を説得させ、また人をやって彭越と連絡を取らせた。そして魏王豹が反乱を起こすと、韓信に兵を率いてこれを撃たせ、ついで燕・代・斉・趙を平定させた。そしてついに楚を破ったのは、この三人の力によるものであった。

原文項王竟不肯遣韓王,乃以為侯,又殺之彭城。良亡,間行歸漢王,漢王亦已還定三秦矣。復以良為成信侯,從東擊楚。至彭城,漢敗而還。至下邑,漢王下馬踞鞍而問曰:「吾欲捐關以東等棄之,誰可與共功者?」良進曰:「九江王黥布,楚梟將,與項王有郄;彭越與齊王田榮反梁地:此兩人可急使。而漢王之將獨韓信可屬大事,當一面。即欲捐之,捐之此三人,則楚可破也。」漢王乃遣隨何說九江王布,而使人連彭越。及魏王豹反,使韓信將兵擊之,因舉燕、代、齊、趙。然卒破楚者,此三人力也。

張良は病弱であり、特に将軍として出陣することはなく、常に謀略を巡らし、時折漢王に従った。

原文張良多病,未嘗特將也,常為畫策,時時從漢王。

漢の三年、項羽が漢王を滎陽に急迫して包囲すると、漢王は恐れ憂い、酈食其と謀って楚の権勢を挫こうとした。食其は言う、「昔、湯が桀を討ち、その子孫を杞に封じた。武王が紂を討ち、その子孫を宋に封じた。今、秦は徳義を失い、諸侯の社稷を侵し伐ち、六国の後裔を滅ぼして、立錐の地すら与えなかった。陛下がもし六国の後裔を再び立て、皆に印綬を授けられれば、その君臣百姓は必ずや陛下の徳を戴き、風に従い義を慕って、臣妾たらんことを願うでしょう。徳義が既に行き渡れば、陛下は南面して覇を称え、楚は必ずや襟を整えて朝するでしょう」。漢王は言う、「善し。急いで印を刻め。先生は行ってこれを佩びさせよ」。

原文漢三年,項羽急圍漢王滎陽,漢王恐憂,與酈食其謀橈楚權。食其曰:「昔湯伐桀,封其後於杞。武王伐紂,封其後於宋。今秦失德棄義,侵伐諸侯社稷,滅六國之後,使無立錐之地。陛下誠能復立六國後世,畢已受印,此其君臣百姓必皆戴陛下之德,莫不鄉風慕義,願為臣妾。德義已行,陛下南鄉稱霸,楚必斂衽而朝。」漢王曰:「善。趣刻印,先生因行佩之矣。」

食其が未だ出発せぬうち、張良が外から来て謁見した。漢王は食事中であり、言う、「子房、前に来い。客が我がために楚の権勢を挫く計略を立ててくれた」。酈生の言葉をことごとく子房に告げて言う、「どうか」。良は言う、「誰が陛下にこの計略を画いたのですか。陛下の大事は去りました」。漢王は言う、「どういうことか」。張良は答えて言う、「臣は請う、前の箸を借りて大王のためにこれを籌策いたします」。言う、「昔、湯が桀を討ち、その子孫を杞に封じたのは、桀の死命を制することができると度ったからです。今、陛下は項籍の死命を制することができますか」。言う、「できぬ」。「これが一つの不可です。武王が紂を討ち、その子孫を宋に封じたのは、紂の首を得ることができると度ったからです。今、陛下は項籍の首を得ることができますか」。言う、「できぬ」。「これが二つの不可です。武王が殷に入り、商容の里門に表を立て、箕子の拘束を解き、比干の墓を封じました。今、陛下は聖人の墓を封じ、賢者の里門に表を立て、智者の門に式することができますか」。言う、「できぬ」。「これが三つの不可です。鉅橋の粟を発し、鹿臺の銭を散じて、貧窮に賜いました。今、陛下は府庫を散じて貧窮に賜うことができますか」。言う、「できぬ」。「これが四つの不可です。殷の事が既に畢り、革を偃げて軒と為し、干戈を倒置し、虎皮を以て覆い、天下に再び兵を用いぬことを示しました。今、陛下は武を偃げ文を行い、再び兵を用いぬことができますか」。言う、「できぬ」。「これが五つの不可です。馬を華山の陽に休め、為すところ無きことを示しました。今、陛下は馬を休めて用いるところ無きことができますか」。言う、「できぬ」。「これが六つの不可です。牛を桃林の陰に放ち、再び輸積せぬことを示しました。今、陛下は牛を放って再び輸積せぬことができますか」。言う、「できぬ」。「これが七つの不可です。かつて天下の游士がその親戚を離れ、墳墓を棄て、故旧を去り、陛下に従って游ぶのは、ただ日夜咫尺の地を望むためです。今、六国を復し、韓・魏・燕・趙・齊・楚の後を立てれば、天下の游士は各々そのあるじに帰って事え、その親戚に従い、その故旧墳墓に返るでしょう。陛下は誰と共に天下を取るのですか。これが八つの不可です。かつて楚がただ強からざるのみならず、六国が立てば再び挫かれてこれに従うでしょう。陛下はどうしてこれを臣とすることができますか。誠に客の謀を用いれば、陛下の大事は去ります」。漢王は食事を止め、口中のものを吐き出して罵る、「豎儒め、幾くんぞ而公の事を敗らんとす」。命じて急ぎ印を銷させた。

原文食其未行,張良從外來謁。漢王方食,曰:「子房前!客有為我計橈楚權者。」具以酈生語告於子房,曰:「何如?」良曰:「誰為陛下畫此計者?陛下事去矣。」漢王曰:「何哉?」張良對曰:「臣請藉前箸為大王籌之。」曰:「昔者湯伐桀而封其後於杞者,度能制桀之死命也。今陛下能制項籍之死命乎?」曰:「未能也。」「其不可一也。武王伐紂封其後於宋者,度能得紂之頭也。今陛下能得項籍之頭乎?」曰:「未能也。」「其不可二也。武王入殷,表商容之閭,釋箕子之拘,封比干之墓。今陛下能封聖人之墓,表賢者之閭,式智者之門乎?」曰:「未能也。」「其不可三也。發鉅橋之粟,散鹿臺之錢,以賜貧窮。今陛下能散府庫以賜貧窮乎?」曰:「未能也。」「其不可四矣。殷事已畢,偃革為軒,倒置干戈,覆以虎皮,以示天下不復用兵。今陛下能偃武行文,不復用兵乎?」曰:「未能也。」「其不可五矣。休馬華山之陽,示以無所為。今陛下能休馬無所用乎?」曰:「未能也。」「其不可六矣。放牛桃林之陰,以示不復輸積。今陛下能放牛不復輸積乎?」曰:「未能也。」「其不可七矣。且天下游士離其親戚,棄墳墓,去故舊,從陛下游者,徒欲日夜望咫尺之地。今復六國,立韓、魏、燕、趙、齊、楚之後,天下游士各歸事其主,從其親戚,反其故舊墳墓,陛下與誰取天下乎?其不可八矣。且夫楚唯無彊,六國立者復橈而從之,陛下焉得而臣之?誠用客之謀,陛下事去矣。」漢王輟食吐哺,罵曰:「豎儒,幾敗而公事!」令趣銷印。

漢の四年、韓信が齊を破り、自ら立って齊王たらんと欲すると、漢王は怒った。張良が漢王を説き、漢王は良を使わして齊王信に印を授けさせた。その言葉は淮陰侯の事の中にある。

原文漢四年,韓信破齊而欲自立為齊王,漢王怒。張良說漢王,漢王使良授齊王信印,語在淮陰事中。

その秋、漢王は楚を追って陽夏の南に至り、戦い利あらずして固陵に壁し、諸侯の期は至らなかった。良が漢王を説き、漢王はその計を用いると、諸侯は皆至った。その言葉は項籍の事の中にある。

原文其秋,漢王追楚至陽夏南,戰不利而壁固陵,諸侯期不至。良說漢王,漢王用其計,諸侯皆至。語在項籍事中。

漢の六年正月、功臣を封ず。良は未だ嘗て戦闘の功有らず、高帝曰く、「籌策を帷帳の中に運らし、勝を千里の外に決するは、子房の功なり。自ら斉の三萬戸を択べ」と。良曰く、「始め臣は下邳に起り、上と留に会す、此れ天の臣を以て陛下に授くるなり。陛下臣の計を用い、幸ひにして時に中る、臣は留に封ぜられんことを願ふ、敢へて三萬戸に當たらじ」と。乃ち張良を留侯と封じ、蕭何らと俱に封ず。

原文漢六年正月,封功臣。良未嘗有戰鬬功,高帝曰:「運籌策帷帳中,決勝千里外,子房功也。自擇齊三萬戶。」良曰:「始臣起下邳,與上會留,此天以臣授陛下。陛下用臣計,幸而時中,臣願封留足矣,不敢當三萬戶。」乃封張良為留侯,與蕭何等俱封。

六年、上已に大功臣二十餘人を封ず、其の餘日夜功を爭ひ決せず、未だ封を行ふを得ず。上雒陽の南宮に在り、複道より望見す、諸將往々相與に沙中に坐して語るを。上曰く、「此れ何の語ぞ」と。留侯曰く、「陛下知らざるか、此れ謀反なり」と。上曰く、「天下安定に属す、何の故ぞ反かん」と。留侯曰く、「陛下布衣より起り、此の属を以て天下を取る、今陛下天子と為るに、封ずる所は皆蕭・曹の故人にして親愛する所、而して誅する所は皆生平の仇怨なり。今軍吏功を計るに、天下以て遍く封ずるに足らず、此の属は陛下の盡く封ずること能はざるを畏れ、又た平生の過失及び誅せらるるを疑はるるを恐る、故に即ち相集まりて謀反するなり」と。上乃ち憂ひて曰く、「之を奈何に為さん」と。留侯曰く、「上平生の憎む所、羣臣の共に知る所、誰か最も甚だしき者」と。上曰く、「雍齒は我と故有り、數たび嘗て我を窘辱す。我之を殺さんと欲す、其の功多きが為に、故に忍びず」と。留侯曰く、「今急ぎ先づ雍齒を封じて羣臣に示せば、羣臣雍齒の封ぜらるるを見て、則ち人人自ら堅んずるなり」と。是に於て上乃ち酒を置き、雍齒を什方侯と封じ、而して急ぎ丞相・御史に趣して功を定め封を行はしむ。羣臣酒を罷めて、皆喜びて曰く、「雍齒尚ほ侯と為る、我が属は患ひ無し」と。

原文六年上已封大功臣二十餘人,其餘日夜爭功不決,未得行封。上在雒陽南宮,從複道望見諸將往往相與坐沙中語。上曰:「此何語?」留侯曰:「陛下不知乎?此謀反耳。」上曰:「天下屬安定,何故反乎?」留侯曰:「陛下起布衣,以此屬取天下,今陛下為天子,而所封皆蕭、曹故人所親愛,而所誅者皆生平所仇怨。今軍吏計功,以天下不足遍封,此屬畏陛下不能盡封,恐又見疑平生過失及誅,故即相聚謀反耳。」上乃憂曰:「為之奈何?」留侯曰:「上平生所憎,羣臣所共知,誰最甚者?」上曰:「雍齒與我故,數嘗窘辱我。我欲殺之,為其功多,故不忍。」留侯曰:「今急先封雍齒以示羣臣,羣臣見雍齒封,則人人自堅矣。」於是上乃置酒,封雍齒為什方侯,而急趣丞相、御史定功行封。羣臣罷酒,皆喜曰:「雍齒尚為侯,我屬無患矣。」

劉敬、高帝に説きて曰く、「関中に都せよ」と。上之を疑ふ。左右の大臣皆山東の人、多く勧めて上に雒陽に都せしむ、「雒陽は東に成皋有り、西に殽黽有り、河に倍き、伊雒に向ふ、其の固亦た恃むに足る」と。留侯曰く、「雒陽は此の固有りと雖も、其の中小にして、數百里を過ぎず、田地薄く、四面敵を受く、此れ武を用ふるの國に非ず。夫れ関中は左に殽函、右に隴蜀、沃野千里、南に巴蜀の饒有り、北に胡苑の利有り、三面を阻みて守り、獨り一面を以て東に諸侯を制す。諸侯安定なれば、河渭天下を漕輓し、西に京師を給す。諸侯變有れば、流れに順ひて下れば、以て委輸するに足る。此れ所謂る金城千里、天府の國なり、劉敬の説是なり」と。是に於て高帝即日駕し、西に関中に都す。

原文劉敬說高帝曰:「都關中。」上疑之。左右大臣皆山東人,多勸上都雒陽:「雒陽東有成皋,西有殽黽,倍河,向伊雒,其固亦足恃。」留侯曰:「雒陽雖有此固,其中小,不過數百里,田地薄,四面受敵,此非用武之國也。夫關中左殽函,右隴蜀,沃野千里,南有巴蜀之饒,北有胡苑之利,阻三面而守,獨以一面東制諸侯。諸侯安定,河渭漕輓天下,西給京師;諸侯有變,順流而下,足以委輸。此所謂金城千里,天府之國也,劉敬說是也。」於是高帝即日駕,西都關中。

留侯、關に入るに從ふ。留侯性病多く、即ち道引し穀を食はず、門を杜して出でず歳餘。

原文留侯從入關。留侯性多病,即道引不食穀,杜門不出歲餘。

帝は太子を廃し、戚夫人の子趙王如意を立てようとされた。大臣多く諫争したが、未だ確固たる決断を得られなかった。呂后は恐れ、為すべきを知らなかった。或る人が呂后に言うには、「留侯はよく計策を画き、帝は彼を信用しておられる」と。呂后はそこで建成侯呂沢に命じて留侯を脅迫させ、言うには、「君は常に帝の謀臣として仕えてきた。今、帝が太子を替えようとされているのに、君はどうして高枕で安眠していられようか」と。留侯は言う、「そもそも帝は幾度も困窮危急の中にあられ、幸いにも臣の策を用いられた。今、天下は安定し、寵愛ゆえに太子を替えようとされる。骨肉の間のこと、たとえ臣ら百余りがいても何の益があろうか」と。呂沢は強いて要請して言う、「我がために計策を画け」と。留侯は言う、「これは口舌で争うのは難しい。ただ、帝が招くことのできない者が天下に四人いる。その四人は年老いているが、皆、帝が人を侮慢すると思い、故に山中に逃げ隠れ、義として漢の臣とならない。しかし帝はこの四人を高く評価しておられる。今、公が誠に金玉璧帛を惜しまず、太子に書を書かせ、謙った言葉と安車を用い、さらに弁士に命じて固く請わせれば、来るべきである。来たら、客として遇し、時々従って入朝させ、帝に彼らを見せれば、必ず異なって問われるであろう。問われて、帝がこの四人の賢さを知れば、一助となるであろう」と。そこで呂后は呂沢に命じて人を使わし、太子の書を奉じ、謙った言葉と厚い礼をもって、この四人を迎えさせた。四人は至り、建成侯の邸に客となった。

原文上欲廢太子,立戚夫人子趙王如意。大臣多諫爭,未能得堅決者也。呂后恐,不知所為。人或謂呂后曰:「留侯善畫計筴,上信用之。」呂后乃使建成侯呂澤劫留侯,曰:「君常為上謀臣,今上欲易太子,君安得高枕而臥乎?」留侯曰:「始上數在困急之中,幸用臣筴。今天下安定,以愛欲易太子,骨肉之間,雖臣等百餘人何益。」呂澤彊要曰:「為我畫計。」留侯曰:「此難以口舌爭也。顧上有不能致者,天下有四人。四人者年老矣,皆以為上慢侮人,故逃匿山中,義不為漢臣。然上高此四人。今公誠能無愛金玉璧帛,令太子為書,卑辭安車,因使辯士固請,宜來。來,以為客,時時從入朝,令上見之,則必異而問之。問之,上知此四人賢,則一助也。」於是呂后令呂澤使人奉太子書,卑辭厚禮,迎此四人。四人至,客建成侯所。

漢十一年、黥布が反し、帝は病んで、太子に将とさせてこれを撃たせようとした。四人は互いに言った、「我々が来たのは、太子を存続させるためである。太子が兵を将いることは、事危うい」と。そこで建成侯に説いて言った、「太子が兵を将いれば、功があっても位は太子を益さず、功がなく帰れば、これより禍を受けるであろう。かつ太子が共にする諸将は、皆かつて帝と天下を定めた梟将である。今、太子に彼らを将わせるのは、羊に狼を将わせるのと異ならず、皆肯って尽力せず、その無功は必至である。臣は聞く、『母が愛されれば子は抱かれる』と。今、戚夫人は日夜御前に侍し、趙王如意は常に抱かれて前に居る。帝は『終に不肖の子を愛子の上に置くことはしない』と言われ、その太子の位に代わることは明らかである。君はどうして急いで呂后に請わせ、隙を見て帝に泣いて言わせないのか。『黥布は天下の猛将で、よく兵を用いる。今、諸将は皆陛下の旧来の同輩であるのに、太子にこの連中を将わせるのは、羊に狼を将わせるのと異ならず、肯って用いられず、かつ布がこれを聞けば、鼓行して西進するであろう。帝は病んでおられても、強いて輜車に載り、臥してこれを護れば、諸将は敢えて尽力せざるを得ない。帝は苦しまれても、妻子のために自ら努められるべきである』と」と。そこで呂沢は直ちに夜、呂后に会い、呂后は隙を見て帝に泣いて言上し、四人の意の如くにした。帝は言われた、「我はただあの小僧では確かに派遣に足らず、そなたが自ら行くのだ」と。そこで帝は自ら兵を将いて東に向かい、群臣は居守りし、皆灞上まで送った。留侯は病み、自ら努めて起き、曲郵に至り、帝に会って言った、「臣は従うべきですが、病が甚だしい。楚人は剽悍で敏捷です。願わくは帝には楚人と鋒を争わないでください」と。そこで帝に説いて言った、「太子を将軍とし、関中の兵を監させてください」と。帝は言われた、「子房は病んでいても、強いて臥して太子を傅えよ」と。この時、叔孫通は太傅であり、留侯は少傅の事を行った。

原文漢十一年,黥布反,上病,欲使太子將,往擊之。四人相謂曰:「凡來者,將以存太子。太子將兵,事危矣。」乃說建成侯曰:「太子將兵,有功則位不益太子;無功還,則從此受禍矣。且太子所與俱諸將,皆嘗與上定天下梟將也,今使太子將之,此無異使羊將狼也,皆不肯為盡力,其無功必矣。臣聞『母愛者子抱』,今戚夫人日夜待御,趙王如意常抱居前,上曰『終不使不肖子居愛子之上』,明乎其代太子位必矣。君何不急請呂后承間為上泣言:『黥布,天下猛將也,善用兵,今諸將皆陛下故等夷,乃令太子將此屬,無異使羊將狼,莫肯為用,且使布聞之,則鼓行而西耳。上雖病,彊載輜車,臥而護之,諸將不敢不盡力。上雖苦,為妻子自彊。』」於是呂澤立夜見呂后,呂后承間為上泣涕而言,如四人意。上曰:「吾惟豎子固不足遣,而公自行耳。」於是上自將兵而東,羣臣居守,皆送至灞上。留侯病,自彊起,至曲郵,見上曰:「臣宜從,病甚。楚人剽疾,願上無與楚人爭鋒。」因說上曰:「令太子為將軍,監關中兵。」上曰:「子房雖病,彊臥而傅太子。」是時叔孫通為太傅,留侯行少傅事。

漢の十二年、上(高祖)は英布の軍を撃ち破って帰還したが、病はますます重くなり、ますます太子(恵帝)を廃そうと欲した。留侯(張良)が諫めたが、聞き入れられず、病と称して政務を見なかった。叔孫通太傅は古今の事例を引いて説き、死を賭けて太子を守ろうとした。上は偽ってこれを許したが、なお廃そうと欲していた。

原文漢十二年,上從擊破布軍歸,疾益甚,愈欲易太子。留侯諫,不聽,因疾不視事。叔孫太傅稱說引古今,以死爭太子。上詳許之,猶欲易之。及燕,置酒,太子侍。四人從太子,年皆八十有餘,鬚眉皓白,衣冠甚偉。上怪之,問曰:「彼何為者?」四人前對,各言名姓,曰東園公,角里先生,綺里季,夏黃公。上乃大驚,曰:「吾求公數歲,公辟逃我,今公何自從吾兒游乎?」四人皆曰:「陛下輕士善罵,臣等義不受辱,故恐而亡匿。竊聞太子為人仁孝,恭敬愛士,天下莫不延頸欲為太子死者,故臣等來耳。」上曰:「煩公幸卒調護太子。」

酒宴の席に及んで、酒を設け、太子が侍った。四人の者が太子に従っており、年はいずれも八十余り、鬚眉は真っ白で、衣冠は非常に立派であった。上は怪しんで問うて言った、「彼らは何をする者か」。四人は進み出て答え、それぞれ姓名を言い、東園公、角里先生、綺里季、夏黄公と称した。

原文四人為壽已畢,趨去。上目送之,召戚夫人指示四人者曰:「我欲易之,彼四人輔之,羽翼已成,難動矣。呂后真而主矣。」戚夫人泣,上曰:「為我楚舞,吾為若楚歌。」歌曰:「鴻鴈高飛,一舉千里。羽翮已就,橫絕四海。橫絕四海,當可奈何!雖有矰繳,尚安所施!」歌數闋,戚夫人噓唏流涕,上起去,罷酒。竟不易太子者,留侯本招此四人之力也。

上はそこで大いに驚き、言った、「私は諸公を数年求めていたが、諸公は私を避けて逃れていた。今、諸公はどうして自ら私の子(太子)と交遊するのか」。四人は皆言った、「陛下は士を軽んじ罵ることを好まれる。臣らは義によって辱めを受けることをせず、故に恐れて隠れ住んでいた。ひそかに聞くに、太子のご人柄は仁孝で、恭敬して士を愛し、天下の者が首を長くして太子のために死のうと欲しない者はないと。故に臣らは参ったのであります」。上は言った、「煩わしいが、諸公には幸いにも最後まで太子を補佐し守っていただきたい」。

原文留侯從上擊代,出奇計馬邑下,及立蕭何相國,所與上從容言天下事甚衆,非天下所以存亡,故不著。留侯乃稱曰:「家世相韓,及韓滅,不愛萬金之資,為韓報讐彊秦,天下振動。今以三寸舌為帝者師,封萬戶,位列侯,此布衣之極,於良足矣。願棄人間事,欲從赤松子游耳。」乃學辟穀,道引輕身。會高帝崩,呂后德留侯,乃彊食之,曰:「人生一世間,如白駒過隙,何至自苦如此乎!」留侯不得已,彊聽而食。

四人が寿(長寿の祝い)を述べ終えると、小走りに去って行った。上は目で送り、戚夫人を呼んで四人の者を指し示して言った、「私は彼(太子)を廃そうと思ったが、あの四人が彼を補佐し、羽翼はすでに成ってしまった。動かし難い。呂后こそがお前の主となるであろう」。戚夫人は泣いた。上は言った、「私のために楚の舞を舞え。私はお前に代わって楚の歌を歌おう」。歌に曰く、「鴻雁高く飛び、一挙に千里。羽翮すでに成り、四海を横絶す。四海を横絶す、当に如何せん。矰繳有りと雖も、尚お安くにか施さん」。

原文後八年卒,謚為文成侯。子不疑代侯。

歌を数度繰り返すと、戚夫人は嘆息して涙を流した。上は立ち上がって去り、酒宴は罷められた。結局太子を廃しなかったのは、留侯がもともとこの四人を招いた力によるのである。

原文子房始所見下邳圯上老父與太公書者,後十三年從高帝過濟北,果見穀城山下黃石,取而葆祠之。留侯死,并葬黃石冢。每上冢伏臘,祠黃石。

留侯張不疑は、孝文帝の五年に不敬の罪に坐して、国を除かれた。

原文留侯不疑,孝文帝五年坐不敬,國除。

評論

原文評論

太史公が曰く、学者は多く鬼神無しと言うが、然し物有りと言う。留侯の見た老父が書を与えた事に至っては、亦怪しむべきである。高祖が困窮に陥った事は数度に及ぶが、留侯は常に功績と力を有していた。豈に天に非ずと言えようか。上(高祖)が曰く、「帷帳の中に於いて籌策を運らし、千里の外に於いて勝を決するは、吾れ子房に如かず」と。余は其の人を計るに魁梧奇偉ならんと思いしが、其の図を見るに至りて、状貌は婦人の好女の如し。蓋し孔子が曰く、「貌を以て人を取れば、之羽を失う」と。留侯も亦云う可きである。

原文太史公曰:學者多言無鬼神,然言有物。至如留侯所見老父予書,亦可怪矣。高祖離困者數矣,而留侯常有功力焉,豈可謂非天乎?上曰:「夫運籌筴帷帳之中,決勝千里外,吾不如子房。」余以為其人計魁梧奇偉,至見其圖,狀貌如婦人好女。蓋孔子曰:「以貌取人,失之子羽。」留侯亦云。

【索隠述賛】留侯は倜儻にして、志は憤惋を懐く。五代韓に相たり、一朝漢に帰す。履を進むるは宜しく仮り、籌を運らすは神算なり。横陽既に立ち、申徒扞を作す。灞上に危を扶け、固陵に乱を静む。人は三傑と称し、弁は八難を推す。赤松遊を願い、白駒絆がれ難し。嗟彼の雄略、曾て魁岸に非ず。

原文【索隱述贊】留侯倜儻,志懷憤惋。五代相韓,一朝歸漢。進履宜假,運籌神算。橫陽既立,申徒作扞。灞上扶危,固陵靜亂。人稱三傑,辯推八難。赤松願游,白駒難絆。嗟彼雄略,曾非魁岸。