越王句踐

越王句踐は、その先祖は禹の末裔であり、夏后帝少康の庶子である。會稽に封ぜられ、禹の祭祀を奉守した。文身斷髮し、草萊を披いて邑を営んだ。後二十餘世を経て、允常に至る。允常の時、呉王闔廬と戦い、互いに怨み伐つこととなった。允常が卒し、子の句踐が立ち、これが越王となった。

原文越王句踐,其先禹之苗裔,而夏后帝少康之庶子也。封於會稽,以奉守禹之祀。文身斷髮,披草萊而邑焉。後二十餘世,至於允常。允常之時,與呉王闔廬戰而相怨伐。允常卒,子句踐立,是爲越王。

元年、呉王闔廬は允常の死を聞き、乃ち師を興して越を伐った。越王句踐は死士をして挑戦せしめ、三行、呉の陣に至り、呼んで自ら剄した。呉の師はこれを見る。越は因って呉師を襲撃し、呉師は檇李に敗れ、呉王闔廬を射て傷つけた。闔廬は将に死せんとして、その子夫差に告げて曰く、「必ず越を忘れるなかれ」と。

原文元年,呉王闔廬聞允常死,乃興師伐越。越王句踐使死士挑戰,三行,至呉陳,呼而自剄。呉師觀之,越因襲撃呉師,呉師敗於檇李,射傷呉王闔廬。闔廬且死,告其子夫差曰:「必毋忘越。」

三年、句踐は呉王夫差が日夜兵を勒め、且つ越に報いんとするを聞き、越は呉の未だ発せざるに先んじて往きてこれを伐たんと欲した。范蠡諫めて曰く、「不可なり。臣聞く、兵は凶器なり、戦は逆徳なり、争いは事の末なりと。陰謀して逆徳をなし、凶器を好み用い、身を末事に試みるは、上帝これを禁じ、行う者は利あらず」と。越王曰く、「吾は已にこれを決せり」と。遂に師を興す。呉王これを聞き、悉く精兵を発して越を撃ち、これを夫椒に敗る。越王は乃ち余兵五千人を以て會稽に保ち棲す。呉王追いてこれを囲む。

原文三年,句踐聞呉王夫差日夜勒兵,且以報越,越欲先呉未發往伐之。范蠡諫曰:「不可。臣聞兵者凶器也,戰者逆德也,爭者事之末也。陰謀逆德,好用凶器,試身於所末,上帝禁之,行者不利。」越王曰:「吾已決之矣。」遂興師。呉王聞之,悉發精兵撃越,敗之夫椒。越王乃以餘兵五千人保棲於會稽。呉王追而圍之。

越王、范蠡に謂いて曰く、「子に聴かざるを以ての故に此に至る。これを為すに奈何」と。蠡対えて曰く、「満ちたるを保つ者は天と与にし、傾くを定むる者は人と与にし、事を節する者は地を以てす。卑辞厚礼を以てこれに遺わし、許さざれば、身を以てこれと市す」と。句踐曰く、「諾」と。乃ち大夫種をして呉に行成せしめ、膝行頓首して曰く、「君王の亡臣句踐、陪臣種をして敢えて下執事に告げしむ。句踐は臣たることを請い、妻は妾たることを請う」と。呉王将にこれを許さんとす。子胥、呉王に言いて曰く、「天は越を以て呉に賜う。許すなかれ」と。種還り、以て句踐に報ず。句踐は妻子を殺し、宝器を燔き、触戦して死せんと欲す。種、句踐を止めて曰く、「夫れ呉の太宰嚭は貪りなり。利を以て誘うべし。請う、間行してこれを言わん」と。ここにおいて句踐は美女宝器を以て種に令し、間を以て呉の太宰嚭に献ぜしむ。嚭受け、乃ち大夫種を呉王に見ゆ。種頓首して言いて曰く、「願わくは大王、句踐の罪を赦し、その宝器を尽く入れしめたまえ。不幸にして赦さずんば、句踐は将にその妻子を尽く殺し、その宝器を燔き、悉く五千人をして触戦せしめ、必ず当たる所有らん」と。嚭因って呉王を説いて曰く、「越は以て服して臣と為る。若し将にこれを赦さば、これ国の利なり」と。呉王将にこれを許さんとす。子胥進み諫めて曰く、「今越を滅ぼさずんば、後必ずこれを悔いん。句踐は賢君、種・蠡は良臣なり。若し国に反らば、将に乱を為さん」と。呉王聴かず、卒に越を赦し、兵を罷めて帰る。

原文越王謂范蠡曰:「以不聽子故至於此,爲之柰何?」蠡對曰:「持滿者與天,定傾者與人,節事者以地。卑辭厚禮以遺之,不許,而身與之市。」句踐曰:「諾。」乃令大夫種行成於呉,膝行頓首曰:「君王亡臣句踐使陪臣種敢告下執事:句踐請爲臣,妻爲妾。」呉王將許之。子胥言於呉王曰:「天以越賜呉,勿許也。」種還,以報句踐。句踐欲殺妻子,燔寶器,觸戰以死。種止句踐曰:「夫呉太宰嚭貪,可誘以利,請閒行言之。」於是句踐以美女寶器令種閒獻呉太宰嚭。嚭受,乃見大夫種於呉王。種頓首言曰:「願大王赦句踐之罪,盡入其寶器。不幸不赦,句踐將盡殺其妻子,燔其寶器,悉五千人觸戰,必有當也。」嚭因説呉王曰:「越以服爲臣,若將赦之,此國之利也。」呉王將許之。子胥進諫曰:「今不滅越,後必悔之。句踐賢君,種、蠡良臣,若反國,將爲亂。」呉王弗聽,卒赦越,罷兵而歸。

句踐が會稽に困窮したとき、慨然として嘆いて言うには、「我はここで終わるのか」と。文種が言うには、「湯は夏臺に繋がれ、文王は羑里に囚われ、晉の重耳は翟に奔り、齊の小白は莒に奔ったが、その終わりには王霸となった。これより観れば、どうして急に福とならぬことがあろうか」と。

原文句踐之困會稽也,喟然嘆曰:「吾終於此乎?」種曰:「湯系夏臺,文王囚羑里,晉重耳奔翟,齊小白奔莒,其卒王霸。由是觀之,何遽不爲福乎?」

呉が既に越を赦すと、越王句踐は國に帰り、乃ち身を苦しめ思慮を焦がし、膽を座席に置き、坐臥するや直ちに膽を仰ぎ、飲食するにもまた膽を嘗めた。言うには、「汝は會稽の恥を忘れたか」と。自ら耕作し、夫人は自ら織り、食には肉を加えず、衣には重ねた采色を用いず、節を折って賢人に下り、賓客を厚く遇し、貧しきを振るい死者を弔い、百姓とその労苦を同じくした。范蠡に國政を治めさせようとしたが、蠡は答えて言うには、「兵甲の事は、種は蠡に及ばず、國家を鎮撫し百姓に親附するは、蠡は種に及ばず」と。ここにおいて國政を挙げて大夫種に属し、而して范蠡をして大夫柘稽と行成し、呉に質とならしめた。二年にして呉は蠡を帰した。

原文呉旣赦越,越王句踐反國,乃苦身焦思,置膽於坐,坐臥卽仰膽,飲食亦嘗膽也。曰:「女忘會稽之恥邪?」身自耕作,夫人自織,食不加肉,衣不重采,折節下賢人,厚遇賓客,振貧弔死,與百姓同其勞。欲使范蠡治國政,蠡對曰:「兵甲之事,種不如蠡;塡撫國家,親附百姓,蠡不如種。」於是舉國政屬大夫種,而使范蠡與大夫柘稽行成,爲質於呉。二歳而呉歸蠡。

句踐が會稽より帰って七年、その士民を撫循し、以て呉に報いんと欲した。大夫逢同が諫めて言うには、「國は新たに流亡し、今や復た殷富となり、繕飾して利を備えれば、呉は必ず懼れ、懼れれば難必ず至らん。且つ鷙鳥の撃つや、必ずその形を匿す。今夫れ呉の兵は齊・晉に加わり、怨みは楚・越より深く、名は天下に高く、實は周室を害し、德少なくして功多し、必ず淫んで自ら矜る。越の計を爲すには、齊を結び楚に親しみ晉に附し、以て呉を厚くするに若くは莫し。呉の志広ければ、必ず戦を軽んず。是れ我その權を連ね、三國之を伐ち、越その弊を承けば、克つべし」と。句踐が言うには、「善し」と。

原文句踐自會稽歸七年,拊循其士民,欲用以報呉。大夫逢同諫曰:「國新流亡,今乃復殷給,繕飾備利,呉必懼,懼則難必至。且鷙鳥之撃也,必匿其形。今夫呉兵加齊、晉,怨深於楚、越,名髙天下,實害周室,德少而功多,必淫自矜。爲越計,莫若結齊,親楚,附晉,以厚呉。呉之志廣,必輕戰。是我連其權,三國伐之,越承其弊,可克也。」句踐曰:「善。」

二年を居て、呉王將に齊を伐たんとす。子胥諫めて言うには、「未だ可からず。臣聞く、句踐は食に重味を加えず、百姓と苦樂を同じくすと。この人死せずんば、必ず國の患いとならん。呉に越あるは腹心の疾、齊と呉とは疥癬なり。願わくは王齊を釋き先ず越せよ」と。呉王聽かず、遂に齊を伐ち、之を艾陵に敗り、齊の高・國を虜として帰る。子胥を譲る。子胥言うには、「王喜ぶ毋かれ」と。王怒る。子胥自殺せんと欲す。王聞きて之を止む。越の大夫種言うには、「臣観るに呉王の政驕りたり。請う試みに之に粟を貸すを嘗めて、以てその事を卜らん」と。貸しを請う。呉王與えんと欲す。子胥諫めて與うる勿れとす。王遂に之に與う。越乃ち私に喜ぶ。子胥言うには、「王諫を聽かず、後三年にして呉其れ墟と爲らんか」と。太宰嚭之を聞き、乃ち數たび子胥と越の議を爭い、因って子胥を讒して言うには、「伍員は貌忠にして實は忍人なり。その父兄顧みず、安んぞ王を顧みんや。王前に齊を伐たんと欲し、員強く諫め、已にして功有り、是を用いて反って王を怨む。王伍員を備えずんば、員必ず亂を爲さん」と。逢同と共に謀り、王に讒す。王始めは從わず、乃ち子胥をして齊に使わしむ。其の子を鮑氏に託するを聞く。王乃ち大いに怒り、言うには、「伍員果たして寡人を欺けり」と。役より反り、人をして子胥に屬鏤の劍を賜いて自殺せしむ。子胥大笑して言うには、「我は而が父をして霸たらしめ、我又た若を立てし。若初め呉國の半ばを我に予えんと欲し、我受けず。已に、今若反って讒を以て我を誅す。嗟乎、嗟乎、一人固より獨立すべからず」と。使者に報いて言うには、「必ず吾が眼を取って呉の東門に置き、以て越兵の入るを観よ」と。ここにおいて呉は嚭に政を任す。

原文居二年,呉王將伐齊。子胥諫曰:「未可。臣聞句踐食不重味,與百姓同苦樂。此人不死,必爲國患。呉有越,腹心之疾,齊與呉,疥癬也。願王釋齊先越。」呉王弗聽,遂伐齊,敗之艾陵,虜齊髙、國以歸。讓子胥。子胥曰:「王毋喜!」王怒,子胥欲自殺,王聞而止之。越大夫種曰:「臣觀呉王政驕矣,請試嘗之貸粟,以卜其事。」請貸,呉王欲與,子胥諫勿與,王遂與之,越乃私喜。子胥言曰:「王不聽諫,後三年呉其墟乎!」太宰嚭聞之,乃數與子胥爭越議,因讒子胥曰:「伍員貌忠而實忍人,其父兄不顧,安能顧王?王前欲伐齊,員彊諫,已而有功,用是反怨王。王不備伍員,員必爲亂。」與逢同共謀,讒之王。王始不從,乃使子胥於齊,聞其讬子於鮑氏,王乃大怒,曰:「伍員果欺寡人!」役反,使人賜子胥屬鏤劍以自殺。子胥大笑曰:「我令而父霸,我又立若,若初欲分呉國半予我,我不受,已,今若反以讒誅我。嗟乎,嗟乎,一人固不能獨立!」報使者曰:「必取吾眼置呉東門,以觀越兵入也!」於是呉任嚭政。

三年を居て、句踐范蠡を召して言うには、「呉は已に子胥を殺し、諛う者衆し。可ならんか」と。對えて言うには、「未だ可からず」と。

原文居三年,句踐召范蠡曰:「呉已殺子胥,導諛者衆,可乎?」對曰:「未可。」

翌年の春に至り、呉王は北に諸侯と黄池で会し、呉国の精兵は王に従い、ただ老弱のみが太子と共に留守を守った。句踐は再び范蠡に問うと、蠡は「可なり」と言った。そこで習流二千人を発し、教士四万人、君子六千人、諸御千人を以て、呉を伐った。呉の軍は敗れ、遂に呉の太子を殺した。呉は王に急を告げたが、王はちょうど諸侯と黄池で会しており、天下にこれを聞かれることを恐れ、秘した。呉王は黄池で盟を結んだ後、人を遣わして厚礼を以て越に和睦を請わせた。越もまた呉を滅ぼすことはできぬと自ら量り、呉と和を結んだ。

原文至明年春,呉王北會諸侯於黃池,呉國精兵從王,惟獨老弱與太子留守。句踐復問范蠡,蠡曰「可矣」。乃發習流二千人,教士四萬人,君子六千人,諸御千人,伐呉。呉師敗,遂殺呉太子。呉告急於王,王方會諸侯於黃池,懼天下聞之,乃祕之。呉王已盟黃池,乃使人厚禮以請成越。越自度亦未能滅呉,乃與呉平。

その後四年にして、越は再び呉を伐った。呉の士民は疲弊し、軽鋭の兵は全て斉・晋で死に尽くしていた。そこで越は大いに呉を破り、そのまま留まって三年間包囲した。呉の軍は敗れ、越は遂に再び呉王を姑蘇の山に棲ませた。呉王は公孫雄を遣わし、肉袒して膝行して進み、越王に和睦を請うて言うには、「孤臣夫差、敢えて腹心を布く。かつて会稽で罪を得たが、夫差は命に逆らわず、君王と和を結んで帰ることができた。今、君王が玉趾を挙げて孤臣を誅せんとされる。孤臣は命を聴くのみである。思うに、会稽の時のように孤臣の罪を赦そうとされるのか。」句踐は忍びず、許そうとした。范蠡は言った、「会稽の事は、天が越を呉に賜うたのに、呉は取らなかった。今、天が呉を越に賜うている。越はどうして天に逆らえようか。かつて君王が早朝遅くまで勤めたのは、呉のためではなかったか。二十二年も謀っておきながら、一朝にしてこれを棄てるのは、よろしいか。そもそも天が与えるのに取らねば、かえってその咎を受ける。『柯を伐る者はその則遠からず』と申す。君は会稽の恥を忘れたのか。」句踐は言った、「子の言を聴きたいが、その使者を忍びない。」范蠡はそこで進軍の太鼓を鳴らし、言った、「王は既に政を執事に委ねられた。使者は去れ。さもなければ罪を得るであろう。」呉の使者は泣いて去った。句踐はこれを憐れみ、人を遣わして呉王に告げさせた、「われ王を甬東に置き、君に百家を授けよう。」呉王は謝して言った、「われは老いた。君王に仕えることはできぬ。」遂に自殺した。そして顔を覆い、言った、「われ顔あって子胥に見えることなし。」越王はそこで呉王を葬り、太宰嚭を誅した。

原文其後四年,越復伐呉。呉士民罷弊,輕鋭盡死於齊、晉。而越大破呉,因而留圍之三年,呉師敗,越遂復棲呉王於姑蘇之山。呉王使公孫雄肉袒膝行而前,請成越王曰:「孤臣夫差敢布腹心,異日嘗得罪於會稽,夫差不敢逆命,得與君王成以歸。今君王舉玉趾而誅孤臣,孤臣惟命是聽,意者亦欲如會稽之赦孤臣之罪乎?」句踐不忍,欲許之。范蠡曰:「會稽之事,天以越賜呉,呉不取。今天以呉賜越,越其可逆天乎?且夫君王蚤朝晏罷,非爲呉邪?謀之二十二年,一旦而棄之,可乎?且夫天與弗取,反受其咎。『伐柯者其則不遠』,君忘會稽之蚯?」句踐曰:「吾欲聽子言,吾不忍其使者。」范蠡乃鼓進兵,曰:「王已屬政於執事,使者去,不者且得罪。」呉使者泣而去。句踐憐之,乃使人謂呉王曰:「吾置王甬東,君百家。」呉王謝曰:「吾老矣,不能事君王!」遂自殺。乃蔽其面,曰:「吾無面以見子胥也!」越王乃葬呉王而誅太宰嚭。

句踐は既に呉を平定すると、兵を率いて北に淮を渡り、斉・晋の諸侯と徐州で会し、周に貢を致した。周の元王は人を遣わして句踐に胙を賜い、伯に命じた。句踐は去り、淮を南に渡り、淮上の地を楚に与え、呉が侵した宋の地を宋に返し、魯に泗東の地百里を与えた。この時、越の兵は江・淮の東に横行し、諸侯は皆賀し、霸王と号した。

原文句踐已平呉,乃以兵北渡淮,與齊、晉諸侯會於徐州,致貢於周。周元王使人賜句踐胙,命爲伯。句踐已去,渡淮南,以淮上地與楚,歸呉所侵宋地於宋,與魯泗東方百里。當是時,越兵橫行於江、淮東,諸侯畢賀,號稱霸王。

范蠡は遂に去り、斉から大夫種に書を送って言った、「飛ぶ鳥尽きれば、良弓蔵され、狡兎死すれば、走狗烹らる。越王は人となり長頸鳥喙、ともに患難を分かつべくも、ともに楽しむべからず。子は何故去らぬのか。」種は書を見て、病と称して朝せず。ある人が種が乱を起こさんと讒言したので、越王は種に剣を賜って言った、「子は寡人に呉を伐つ七術を教えた。寡人はその三を用いて呉を敗った。その四は子にある。子はわがために先王に従ってこれを試みよ。」種は遂に自殺した。

原文范蠡遂去,自齊遺大夫種書曰:「蜚鳥盡,良弓藏;狡兔死,走狗烹。越王爲人長頸鳥喙,可與共患難,不可與共樂。子何不去?」種見書,稱病不朝。人或讒種且作亂,越王乃賜種劍曰:「子教寡人伐呉七術,寡人用其三而敗呉,其四在子,子爲我從先王試之。」種遂自殺。

句踐卒し、子の王鼫与が立った。

原文句踐卒,子王鼫與立。

鼫與、不壽、翁、翳、之侯

原文鼫與、不壽、翁、翳、之侯

王鼫與が卒し、子の王不壽が立つ。王不壽が卒し、子の王翁が立つ。王翁が卒し、子の王翳が立つ。王翳が卒し、子の王之侯が立つ。王之侯が卒し、子の王無彊が立つ。

原文王鼫與卒,子王不壽立。王不壽卒,子王翁立。王翁卒,子王翳立。王翳卒,子王之侯立。王之侯卒,子王無彊立。

無彊

原文無彊

王無彊の時、越は師を興して北は斉を伐ち、西は楚を伐ち、中国と強を争う。楚の威王の時に当たり、越は北の斉を伐つ。斉の威王は人を遣わして越王を説いて曰く、「越が楚を伐たないのは、大なるは王たらず、小なるは伯たらずなり。越が楚を伐たないことを図る所以は、晋を得ざるがためなり。韓・魏は固より楚を攻めず。韓が楚を攻めれば、その軍を覆し、その将を殺せば、則ち葉・陽翟危うく、魏もまたその軍を覆し、その将を殺せば、則ち陳・上蔡安からず。故に二晋が越に事えるは、軍を覆し将を殺すに至らず、馬汗の力を効せず。晋を得ることを重んずる所以は何ぞや」と。越王曰く、「晋に求むる所は、刃を頓えて兵を接するに至らず、況んや城を攻め邑を囲むことにおいてをや。願わくは魏は大梁の下に聚まり、斉は南陽莒の地に試兵し、常・郯の境に聚まることを願う。然らば則ち方城の外は南せず、淮・泗の間は東せず、商・於・析・酈・宗胡の地、夏路以左は、以て秦に備うるに足らず、江南・泗上は以て越を待つに足らざるべし。則ち斉・秦・韓・魏は楚に志を得ん。是れ二晋戦わずして地を分かち、耕さずして之を穫るなり。此れを為さずして、河山の間に刃を頓えて以て斉秦に用いられんとは、待つ所此の如く其の計を失う、奈何ぞ其れ此を以て王たらんや」と。斉の使者曰く、「幸いなるかな越の亡びざるは。吾其の智を用いること目の如きを貴ばず、豪毛を見て其の睫を見ざるなり。今王は晋の失計を知るも、自ら越の過ちを知らず、是れ目論なり。王が晋に待つ所は、馬汗の力有るに非ず、又軍を合し和を連ねる可きに非ず、将に之を待ちて以て楚の衆を分かたんとす。今楚の衆は既に分かる、何ぞ晋を待たん」と。越王曰く、「奈何」と。曰く、「楚の三大夫九軍を張り、北は曲沃・於中を囲み、以て無仮の関に至るは三千七百里、景翠の軍は北に魯・斉・南陽に聚まる。此れより大なるを分つ有らんや。且つ王の求むる所は、晋楚を闘わしむるなり。晋楚闘わずんば、越兵起こらず、是れ二五を知りて十を知らざるなり。此時楚を攻めざれば、臣是を以て越の大なるは王たらず、小なるは伯たらずと知る。復讎・龐・長沙は、楚の粟なり。竟澤陵は、楚の材なり。越兵を窺いて無仮の関を通ぜば、此の四邑は貢事を郢に上せざるべし。臣聞く、王を図りて王たらずとも、其の敝は以て伯たるべしと。然るに伯たらずんば、王道失うなり。故に願わくは大王の転じて楚を攻めんことを」と。

原文王無彊時,越興師北伐齊,西伐楚,與中國爭彊。當楚威王之時,越北伐齊,齊威王使人説越王曰:「越不伐楚,大不王,小不伯。圖越之所爲不伐楚者,爲不得晉也。韓、魏固不攻楚。韓之攻楚,覆其軍,殺其將,則葉、陽翟危;魏亦覆其軍,殺其將,則陳、上蔡不安。故二晉之事越也,不至於覆軍殺將,馬汗之力不效。所重於得晉者何也?」越王曰:「所求於晉者,不至頓刃接兵,而況于攻城圍邑乎?願魏以聚大梁之下,願齊之試兵南陽莒地,以聚常、郯之境,則方城之外不南,淮、泗之閒不東,商、於、析、酈、宗胡之地,夏路以左,不足以備秦,江南、泗上不足以待越矣。則齊、秦、韓、魏得志於楚也,是二晉不戰分地,不耕而穫之。不此之爲,而頓刃於河山之閒以爲齊秦用,所待者如此其失計,柰何其以此王也!」齊使者曰:「幸也越之不亡也!吾不貴其用智之如目,見豪毛而不見其睫也。今王知晉之失計,而不自知越之過,是目論也。王所待於晉者,非有馬汗之力也,又非可與合軍連和也,將待之以分楚衆也。今楚衆已分,何待於晉?」越王曰:「柰何?」曰:「楚三大夫張九軍,北圍曲沃、於中,以至無假之關者三千七百里,景翠之軍北聚魯、齊、南陽,分有大此者乎?且王之所求者,鬬晉楚也;晉楚不鬬,越兵不起,是知二五而不知十也。此時不攻楚,臣以是知越大不王,小不伯。復讎、龐、長沙,楚之粟也;竟澤陵,楚之材也。越窺兵通無假之關,此四邑者不上貢事於郢矣。臣聞之,圖王不王,其敝可以伯。然而不伯者,王道失也。故願大王之轉攻楚也。」

ここにおいて越は遂に斉を釈いて楚を伐つ。楚の威王兵を興して之を伐ち、大いに越を敗り、王無彊を殺し、尽く故呉の地を取ること浙江に至り、北は斉を徐州に破る。而して越は此を以て散じ、諸族子争いて立ち、或いは王と為り、或いは君と為り、江南海上に濱り、楚に服して朝す。

原文於是越遂釋齊而伐楚。楚威王興兵而伐之,大敗越,殺王無彊,盡取笔呉地至浙江,北破齊於徐州。而越以此散,諸族子爭立,或爲王,或爲君,濱於江南海上,服朝於楚。

閩君搖

原文閩君搖

その後七世を経て、閩君搖に至り、諸侯を助けて秦を平定した。漢の高祖は再び搖を越王とし、越の祭祀を奉ぜしめた。東越、閩君は、皆その子孫である。

原文後七世,至閩君搖,佐諸侯平秦。漢髙帝復以搖爲越王,以奉越後。東越,閩君,皆其後也。

范蠡

原文范蠡

范蠡は越王句踐に仕え、身を苦しめ力を尽くし、句踐と深く謀ること二十余年、遂に呉を滅ぼし、会稽の恥を雪ぎ、北に兵を淮に渡して斉・晋に臨み、中国に号令し、周室を尊ぶに至り、句踐は覇者となり、范蠡は上将軍と称された。国に帰還すると、范蠡は大いなる名声の下には長く留まり難く、且つ句踐の人物は患難を共にすることはできても、安楽を共にすることは難しいと考え、書をしたためて句踐に辞した。「臣は聞く、主君が憂えば臣は労し、主君が辱められれば臣は死す、と。昔、君王が会稽で辱められた時、私が死ななかったのは、この事(復讐)のためであった。今や既に恥を雪いだ以上、臣は会稽の時の誅罰に従うことを請う。」句踐は言った。「孤は汝と国を分かちて有さん。そうでなければ、汝を誅するであろう。」范蠡は言った。「君は令を行い、臣は意を行います。」そこで軽い宝器・珠玉をまとめ、自らその私的な徒属と共に舟に乗り海を渡って行き、遂に帰らなかった。ここにおいて句踐は会稽山を表して范蠡の奉邑とした。

原文范蠡事越王句踐,旣苦身力,與句踐深謀二十餘年,竟滅呉,報會稽之恥,北渡兵於淮以臨齊、晉,號令中國,以尊周室,句踐以霸,而范蠡稱上將軍。還反國,范蠡以爲大名之下,難以久居,且句踐爲人可與同患,難與處安,爲書辭句踐曰:「臣聞主憂臣勞,主辱臣死。昔者君王辱於會稽,所以不死,爲此事也。今旣以雪恥,臣請從會稽之誅。」句踐曰:「孤將與子分國而有之。不然,將加誅于子。」范蠡曰:「君行令,臣行意。」乃裝其輕寶珠玉,自與其私徒屬乘舟浮海以行,終不反。於是句踐表會稽山以爲范蠡奉邑。

范蠡は海を渡って斉に出て、姓名を変え、自ら鴟夷子皮と称し、海辺で耕作し、身を苦しめ力を尽くし、父子で産業を治めた。幾ばくもなくして、財産数十万を得た。斉人はその賢を聞き、宰相に任じた。范蠡は喟然として嘆いて言った。「家にあれば千金を得、官にあれば卿相に至る。これは布衣の極みである。長く尊い名声を受けるのは、不祥である。」そこで宰相の印を返上し、その財産を全て散じ、知友や郷党に分け与え、重宝を懐にし、密かに行って去り、陶に留まった。ここは天下の中心で、交易の有無の路が通じ、生計を立てて富を致すことができると考えたのである。ここにおいて自ら陶朱公と称した。再び父子で耕作・畜産、売買、時機を待って物を転売し、十分の一の利を追うことを約束した。幾ばくもなくして、資財は巨万に累なった。天下は陶朱公と称えた。

原文范蠡浮海出齊,變姓名,自謂鴟夷子皮,耕于海畔,苦身戮力,父子治産。居無幾何,致産數十萬。齊人聞其賢,以爲相。范蠡喟然嘆曰:「居家則致千金,居官則至卿相,此布衣之極也。久受尊名,不祥。」乃歸相印,盡散其財,以分與知友鄕黨,而懷其重寶,閒行以去,止于陶,以爲此天下之中,交易有無之路通,爲生可以致富矣。於是自謂陶朱公。復約要父子耕畜,廢居,候時轉物,逐什一之利。居無何,則致貲累巨萬。天下稱陶朱公。

朱公は陶に住み、末子を生んだ。末子が成長するにつれて、朱公の次男が人を殺し、楚に囚われた。朱公は言った、「人を殺して死ぬのは、当然の報いである。しかし私は聞く、千金の子は市で死なぬと」。末子に行かせようと告げた。そこで黄金千溢を袋に詰め、粗末な器に入れ、一牛車に載せた。末子を遣わそうとしたところ、朱公の長男が固く請うて自分が行きたいと言い、朱公は聞き入れなかった。長男は言った、「家に長子あればこれを家督とし、今弟が罪あるに、父上は遣わさず、かえって末弟を遣わそうとされる。これは私が不肖だからである」。自殺しようとした。その母が言上して言った、「今末子を遣わしても、必ずしも次男を生かせるとは限らないのに、先に長男を空しく失うことになりましょう。どうなさいますか」。朱公はやむなく長男を遣わし、一通の手紙をしたためて旧知の莊生に託した。曰く、「到着したならば莊生のところに千金を進上し、そのなすがままに任せ、慎んで事を争ってはならない」。長男は出発したが、また私的に数百金を持参した。

原文朱公居陶,生少子。少子及壯,而朱公中男殺人,囚於楚。朱公曰:「殺人而死,職也。然吾聞千金之子不死於市。」告其少子往視之。乃裝黃金千溢,置褐器中,載以一牛車。且遣其少子,朱公長男固請欲行,朱公不聽。長男曰:「家有長子曰家督,今弟有罪,大人不遣,乃遺少弟,是吾不肖。」欲自殺。其母爲言曰:「今遣少子,未必能生中子也,而先空亡長男,柰何?」朱公不得已而遣長子,爲一封書遺故所善莊生。曰:「至則進千金于莊生所,聽其所爲,愼無與爭事。」長男旣行,亦自私齎數百金。

楚に至ると、莊生の家は城壁に背いており、藜や藋を分けて門に至り、住まいは甚だ貧しかった。しかし長男は書を開封して千金を進上し、その父の言う通りにした。莊生は言った、「速やかに去るがよい、慎んで留まるな。弟が出たならば、その所以を問うな」。長男は去ったが、莊生を訪れずに私的に留まり、その私的に持参した金を献上して楚国の貴人で権勢ある者に贈った。

原文至楚,莊生家負郭,披藜藋到門,居甚貧。然長男發書進千金,如其父言。莊生曰:「可疾去矣,愼毋留!卽弟出,勿問所以然。」長男旣去,不過莊生而私留,以其私齎獻遺楚國貴人用事者。

莊生は貧しい里門に住んでいたが、廉直をもって国に聞こえ、楚王以下皆師として尊んでいた。朱公が金を進上したとき、敢えて受け取る意図はなく、事を成した後に返して信義を示そうとしたのである。故に金が届くと、その妻に言った、「これは朱公の金である。もしも病で急に死ぬようなことがあっても、後日返すから、手を触れるな」。しかし朱公の長男はその意を知らず、とりたてて何の効果もないと思った。

原文莊生雖居窮閻,然以廉直聞於國,自楚王以下皆師尊之。及朱公進金,非有意受也,欲以成事後復歸之以爲信耳。故金至,謂其婦曰:「此朱公之金。有如病不宿誡,後復歸,勿動。」而朱公長男不知其意,以爲殊無短長也。

莊生は暇を見て楚王に謁見し、「某の星宿が某に在る、これは楚に害をなす」と言った。楚王は平素より莊生を信じており、「今どうすればよいか」と言うと、莊生は言った、「ただ徳を以てするのみがこれを除くことができる」。楚王は言った、「先生は休まれよ、寡人が行おう」。王は使者を遣わして三銭の府を封じた。楚の貴人は驚いて朱公の長男に告げて言った、「王はまさに赦免しようとしている」。長男が「どうして分かるか」と問うと、貴人は言った、「王が赦免しようとするときは、常に三銭の府を封じる。昨夜、王は使者を遣わしてこれを封じた」。朱公の長男は赦免になると考え、弟は当然出獄するはずであり、千金を空しく莊生に捨てるのは無意味だと思い、再び莊生に会った。莊生は驚いて言った、「まだ去らなかったのか」。長男は言った、「もとよりまだです。初めは弟のためにお願いしましたが、弟は今や自ら赦免されようとしているので、先生にお別れを申し上げに来ました」。莊生はその意が金を取り戻そうとしていることを悟り、「お前自ら室に入って金を取れ」と言った。長男は即座に室に入って金を取り去り、独りで喜んだ。

原文莊生閒時入見楚王,言「某星宿某,此則害於楚」。楚王素信莊生,曰:「今爲柰何?」莊生曰:「獨以德爲可以除之。」楚王曰:「生休矣,寡人將行之。」王乃使使者封三錢之府。楚貴人驚告朱公長男曰:「王且赦。」曰:「何以也?」曰:「毎王且赦,常封三錢之府。昨暮王使使封之。」朱公長男以爲赦,弟固當出也,重千金虚棄莊生,無所爲也,乃復見莊生。莊生驚曰:「若不去邪?」長男曰:「固未也。初爲事弟,弟今議自赦,故辭生去。」莊生知其意欲復得其金,曰:「若自入室取金。」長男卽自入室取金持去,獨自歡幸。

莊生は子供に売り渡されたことを恥じ、楚王に謁見して言った、「臣が先に某の星のことを申し上げましたとき、王は徳を修めてこれに報いようとおっしゃいました。今、臣が外に出ますと、道中皆が言うには、陶の富人朱公の子が人を殺して楚に囚われ、その家が多額の金銭を持って王の左右に賄賂を贈ったので、王は楚国のためを思って赦免されたのではなく、朱公の子のためであると」。楚王は大いに怒って言った、「寡人は不徳ではあるが、どうして朱公の子のために恵みを施そうか」。朱公の子を論じて殺すよう命じ、翌日赦免令を下した。朱公の長男はついに弟の遺骸を持ち帰った。

原文莊生羞爲兒子所賣,乃入見楚王曰:「臣前言某星事,王言欲以修德報之。今臣出,道路皆言陶之富人朱公之子殺人囚楚,其家多持金錢賂王左右,故王非能恤楚國而赦,乃以朱公子故也。」楚王大怒曰:「寡人雖不德耳,柰何以朱公之子故而施惠乎!」令論殺朱公子,明日遂下赦令。朱公長男竟持其弟喪歸。

長男が到着すると、その母と邑の人々は皆これを悲しんだが、ただ朱公のみが笑い、言うには、「私はもとより必ず弟を殺すと知っていたのだ。彼は弟を愛さないわけではないが、ただ忍ぶことのできないところがあるのである。彼は幼い頃から私と共に苦労を見て、生計を立てる難しさを知っているから、財を棄てることを重んじるのだ。少弟の如きは、生まれた時から私が富んでいるのを見て、堅牢な車に乗り良馬を駆って狡兎を追うなどして、どうして財がどこから来るかを知ろうか、故に軽々しくこれを棄てて惜しむことがない。先日私が少子を遣わそうとしたのは、まさに彼が財を棄てることができるからである。しかし長子はそれができない。故に遂に弟を殺すことになった。事の道理であり、悲しむに足ることはない。私は日夜、固よりその喪の来るのを望んでいたのだ」。

原文至,其母及邑人盡哀之,唯朱公獨笑,曰:「吾固知必殺其弟也!彼非不愛其弟,顧有所不能忍者也。是少與我倶,見苦,爲生難,故重棄財。至如少弟者,生而見我富,乘堅驅良逐狡兔,豈知財所從來,故輕棄之,非所惜吝。前日吾所爲欲遣少子,固爲其能棄財故也。而長者不能,故卒以殺其弟,事之理也,無足悲者。吾日夜固以望其喪之來也。」

故に范蠡は三度移り住み、天下に名を成した。ただ軽々しく去っただけではなく、止まる所必ず名を成したのである。遂に陶で老い死んだ。故に世に伝えて陶朱公と言う。

原文故范蠡三徙,成名於天下,非茍去而已,所止必成名。卒老死于陶,故世傳曰陶朱公。

太史公曰く

原文太史公曰

太史公曰く、禹の功績は大きい。九川を導き、九州を定め、今に至るまで諸夏は安泰である。その末裔の句踐に至っては、身を苦しめ思慮を焦がし、遂に強き呉を滅ぼし、北に兵を観て中国に臨み、周室を尊び、号して霸王と称した。句踐は賢であると言えよう。蓋し禹の遺烈があるのである。范蠡は三遷して皆栄名があり、名は後世に垂れる。臣と主とがこのようであるなら、顕れざるを得よう。

原文太史公曰:禹之功大矣,漸九川,定九州,至于今諸夏艾安。及苗裔句踐,苦身焦思,終滅彊呉,北觀兵中國,以尊周室,號稱霸王。句踐可不謂賢哉!蓋有禹之遺烈焉。范蠡三遷皆有榮名,名垂後世。臣主若此,欲毋顯得乎!

索隠述賛

原文索隱述贊

越の祖は少康に始まり、允常に至る。その子(勾践)は初めて覇を唱え、呉と強を争う。槜李の役に、闔閭は傷つく。会稽の恥を、勾践は償わんと欲す。文種は利をもって誘い、范蠡はその良を尽くす。節を折り士に下り、胆を致して嘗めんと思う。ついに仇敵に復し、遂に大邦(呉)を殄滅す。後に力を量らず、無彊の時に滅ぶ。

原文越祖少康,至於允常。其子始霸,與呉爭彊。槜李之役,闔閭見傷。會稽之恥,勾踐欲當。種誘以利,蠡悉其良。折節下士,致膽思嘗。卒複讎寇,遂殄大邦。後不量力,滅於無彊。