卷二十二 漢興以來將相名臣年表 第十

元前 紀年 大事紀。 相位。 將位。 御史大夫位。
206 高皇帝元年 春,沛公為漢王,之南鄭。秋,還定雍。 一。丞相蕭何守漢中。 御史大夫周苛守滎陽。
205 二 春,定塞、翟、魏、河南、韓、殷國。夏,伐項籍,至彭城。立太子。還據滎陽。 二。守關中。 一。太尉長安侯盧綰。
204 三 魏豹反。使韓信別定魏,伐趙。楚圍我滎陽。 三 二
203 四 使韓信別定齊及燕,太公自楚歸,与楚界洪渠。 四 三。周苛守滎陽,死。 御史大夫汾陰侯周昌。
202 五 冬、垓下で楚を破り、項籍を殺す。春、王は定陶で皇帝の位に就く。関中に入都する。 五。太尉の官を廃止する。 四。後九月、綰が燕王となる。
201 六 太公を太上皇として尊ぶ。劉仲を代王とする。大市を立てる。咸陽を長安と改称する。 六。酇侯に封ぜられる。張蒼が計相となる。
200 七 長楽宮が完成し、櫟陽から長安に遷都する。匈奴を討つが、匈奴に平城を包囲される。 七
199 八 趙城で韓信の反乱軍を撃つ。貫高が乱を起こし、翌年に発覚して誅殺される。匈奴が代王を攻め、代王は国を棄てて逃亡し、郃陽侯に降格される。 八
198 九 未央宮が完成し、前殿で酒宴を開く。太上皇が輦に乗って上座に座り、帝が玉の杯を捧げて寿を祝い、「かつては臣が仲(劉仲)に及ばないと常に言われましたが、今の臣の功績は仲とどちらが多いでしょうか」と言う。太上皇は笑い、殿上で万歳が唱えられる。斉の田氏、楚の昭・屈・景氏を関中に移す。 九。相国に昇進する。 御史大夫の昌が趙の丞相となる。
197 十 太上皇が崩御する。陳豨が代地で反乱を起こす。 十 御史大夫は江邑侯の趙堯。
196 十一 淮陰侯(韓信)と彭越を誅殺する。黥布が反乱を起こす。 十一 周勃が太尉となる。代を攻撃。後に官職が廃止される。
195 十二 冬、布を撃つ。帰途に沛を通過。夏、皇帝崩御、長陵に葬られる。 十二
194 孝恵元年 趙隠王如意が死去。長安城の西北部の建設を開始。諸侯の丞相を相に改称。 十三
193 二 楚元王、斉悼恵王が来朝。七月辛未、何が薨去。 十四。七月癸巳、斉相平陽侯曹参が相国となる。
192 三 長安城の建設を開始。蜀湔氐が反乱。これを撃つ。 二
191 四 三月甲子、赦免、再び作事なし。 三
190 五 沛城成に高祖の廟を建立、歌児120人を配置。八月乙丑、参が死去。 四
189 六 七月、斉悼恵王が薨去。太倉、西市を設置。 一。十月己巳、安国侯王陵が右丞相となる。曲逆侯陳平が左丞相となる。 堯が罪に服す。 広阿侯任敖が御史大夫となる。
188 七 皇帝崩御。大臣が張辟彊の計略を用い、呂氏の権力が強まり、呂台を呂王とする。少帝を立てる。九月辛巳、安陵に葬る。 二
187 高后元年 孝恵帝の諸子を王とする。孝悌力田を設置する。 三。十一月甲子、陳平を右丞相に移す。辟陽侯審食其が左丞相となる。
186 二 十二月、呂王台が薨去し、子の嘉が代わって呂王となる。八銖銭を発行する。 四。陳平。二。審食其。 平陽侯曹窋が御史大夫となる。
185 三 五。三
184 四 少帝を廃し、代わりに常山王弘を皇帝に立てる。 六。四。太尉官を設置する。 一。絳侯周勃が太尉となる。
183 五 八月、淮陽王が薨去し、その弟の壺関侯武を淮陽王とする。戍卒に毎年交代を命じる。 七。五 二
182 六 呂産を呂王とした。四月丁酉、天下を赦した。昼間が暗くなった。 八。六 三
181 七 趙王が幽閉されて死に、呂祿を趙王とした。梁王が趙に移され、自殺した。 九。七 四
180 八 七月、高后が崩御した。九月、諸呂を誅殺した。後九月、代王が到着し、皇帝の位に就いた。後九月、食其が相を免じられた。 十。七月辛巳、帝の太傅となった。九月壬戌、再び丞相となった。八 五。隆慮侯灶が将軍となり、南越を攻撃した。 御史大夫蒼。
179 孝文元年 収孥相坐律を廃止した。太子を立てた。民に爵位を賜った。 十一。十一月辛巳、平が左丞相に移った。太尉絳侯周勃が右丞相となった。 六。勃が相となり、潁陰侯灌嬰が太尉となった。
178 二 誹謗律を廃止した。皇子武を代王とし、参を太原王とし、揖を梁王とした。十月、丞相平が薨去した。 一。十一月乙亥、絳侯勃が再び丞相となった。 一
177 三 代王武を淮陽王に移した。上は太原に行幸した。済北王が反乱した。匈奴が大挙して上郡に入った。地を全て太原に与え、太原を代と改称した。十一月壬子、勃が相を免じられ、国に帰った。 一。十二月乙亥、太尉潁陰侯灌嬰が丞相となった。太尉官を廃止した。 二。棘蒲侯陳武が大将軍となり、済北を攻撃した。昌侯盧卿、共侯盧罷師、甯侯鸱、深澤侯将夜が皆将軍となり、武祁侯賀に属し、兵を率いて滎陽に駐屯した。
176 四 十二月己巳、嬰が死去。 一。正月甲午、御史大夫北平侯張蒼が丞相となる。 安丘侯張説が将軍となり、胡を討ち、代から出撃。 関中侯申屠嘉が御史大夫となる。
175 五 銭律を廃止し、民が銭を鋳造することを許す。
174 六 淮南王を廃し、厳道に移し、雍で道中に死去。 三
173 七 四月丙子、初めて南陵を設置。 四
172 八 太僕汝陰侯滕公が死去。 五
171 九 温室の鐘が自ら鳴る。芷陽郷を霸陵とする。 六 御史大夫敬。
170 十 諸侯王が皆長安に至る。 七
169 十一 皇帝が代に幸行。地震が発生。 八
168 十二 黄河が東郡の金隄で決壊。淮陽王を梁王に移封。 九
167 十三 肉刑と田租税律、戍卒令を廃止。 十
166 十四 匈奴が大挙して蕭関に侵入、兵を発してこれを撃ち、長安の近くに駐屯。 十一 成侯董赤、内史欒布、昌侯盧卿、隆慮侯灶、甯侯鸱が皆将軍となり、東陽侯張相如が大将軍となり、皆匈奴を撃つ。中尉周舍、郎中令張武が皆将軍となり、長安の近くに駐屯。
165 十五 黄龍が成紀に出現。皇帝が初めて雍の五帝を郊祀。 十二
164 十六 皇帝が初めて渭陽の五帝を郊祀。 十三
163 後元年 新垣平が方士を詐称、発覚し、誅殺される。 十四
162 二 匈奴との和親。地震。八月戊辰、蒼が丞相を免じられる。 十五。八月庚午、御史大夫申屠嘉が丞相となり、故安侯に封じられる。 御史大夫青。
161 三 谷口邑を置く。 二
160 四 三
159 五 上、雍に幸す。 四
158 六 匈奴三万が上郡に入り、二万が雲中に入る。 五 中大夫令免を車騎将軍とし、飛狐に軍を置き、故楚相蘇意を将軍とし、句注に軍を置く。将軍張武は北地に屯し、河内守周亜夫を将軍とし、細柳に軍を置く。宗正劉礼は霸上に軍を置き、祝茲侯徐厲は棘門に軍を置く:胡に備える。数か月後、胡が去り、軍も罷める。
157 七 六月己亥、孝文皇帝崩ず。丁未、太子立つ。民、三日間出て臨み、霸陵に葬る。 六 中尉亜夫を車騎将軍とし、郎中令張武を復土将軍とし、属国捍を将屯将軍とする。詹事戎奴を車騎将軍とし、太后に侍る。
156 孝景元年 孝文皇帝廟を立て、郡国に太宗廟を置く。 七。司徒官を置く。
155 二 皇子の徳を河間王に、閼を臨江王に、余を淮陽王に、非を汝南王に、彭祖を広川王に、発を長沙王に立てる。四月中、孝文太后が崩御。嘉が死去。 八。開封侯の陶青が丞相となる。 御史大夫は錯。
154 三 呉楚七国が反乱を起こし、兵を発して撃ち、全てを破る。皇子の端を膠西王に、勝を中山王に立てる。 二。太尉官を設置。 中尉の条侯周亜夫。太尉となり、呉楚を撃つ;曲周侯の酈寄が将軍となり、趙を撃つ;竇嬰が大将軍となり、滎陽に駐屯し、欒布が将軍となり、斉を撃つ。
153 四 太子を立てる。 三 二。太尉は亜夫。 御史大夫は蚡。
152 五 陽陵邑を設置。丞相の北平侯張蒼が死去。 四 三
151 六 広川王の彭祖を趙王に移す。 五 四 御史大夫は陽陵侯の岑邁。
150 七 太子の栄を廃して臨江王とする。四月丁巳、膠東王が太子に立てられる。青が丞相を罷免される。 六月乙巳、太尉の条侯亜夫が丞相となる。太尉官を廃止。 五。遷が丞相となる。 御史大夫舍。
149 中元年 二
148 二 皇子越が広川王に、寄が膠東王となる。 三
147 三 皇子乗が清河王となる。亞夫が相を免じられる。 四。御史大夫桃侯劉舍が丞相となる。 御史大夫綰。
146 四 臨江王が召還され、自殺し、藍田に葬られる。燕数万が土を銜んで冢上に置く。 二
145 五 皇子舜が常山王となる。 三
144 六 梁孝王武が薨去。梁を五国に分け、諸子を王とする:子買が梁王、明が済川王、彭離が済東王、定が山陽王、不識が済陰王。 四
143 後元年 五月、地震。七月乙巳、日蝕。舍が相を免じられる。 五。八月壬辰、御史大夫建陵侯衛綰が丞相となる。 御史大夫不疑。
142 二 二 六月丁丑、御史大夫岑邁が卒去。
141 三 正月甲子、孝景皇帝が崩御。二月丙子、太子が即位。 三
140 孝武建元元年 綰が丞相を免ぜられる。 四。魏其侯竇嬰が丞相となる。太尉を設置。 武安侯田蚡が太尉となる。 御史大夫抵。
139 二 茂陵を設置。嬰が丞相を免ぜられる。 二月乙未、太常柏至侯許昌が丞相となる。蚡が太尉を免ぜられる。太尉官を廃止。 御史大夫趙綰。
138 三 東甌王広武侯望がその衆四万余人を率いて降伏し、廬江郡に居住させる。 二
137 四 三 御史大夫青翟。
136 五 三分銭を施行。 四
135 六 正月、閩越王が反乱を起こす。孝景太后が崩御。昌が丞相を免じられる。 五。六月癸巳、武安侯田蚡が丞相となる。 青翟が太子太傅となる。 御史大夫安国。
134 元光元年 二
133 二 帝が初めて雍に行き、五畤で郊祀を行う。 三 夏、御史大夫韓安国が護軍将軍となり、衛尉李広が驍騎将軍、太僕公孫賀が軽車将軍、大行王恢が将屯将軍、太中大夫李息が材官将軍となり、馬邑で単于を襲うが、合わず、王恢を誅す。
132 三 五月丙子、河が瓠子で決壊する。 四
131 四 十二月丁亥、地震が起こる。田蚡が死去。 五。平棘侯薛澤が丞相となる。 御史大夫欧。
130 五 十月、灌夫の一族を誅し、魏其侯を市で処刑する。 二
129 六 南夷に初めて郵亭を設置。 三 太中大夫衛青が車騎将軍となり上谷から出撃、衛尉李広が驍騎将軍となり鴈門から出撃、大中大夫公孫敖が騎将軍となり代から出撃、太僕公孫賀が軽車将軍となり雲中から出撃:いずれも匈奴を撃つ。
128 元朔元年 衛夫人が皇后に立てられる。 四 車騎将軍衛青が雁門から出撃し匈奴を撃つ。衛尉韓安国が将屯将軍となり代に駐屯、翌年、漁陽卒を屯す。
127 二 五 春、車騎将軍衛青が雲中から出撃し高闕に至り、河南の地を取る。
126 三 匈奴が代太守友を殺す。 六 御史大夫弘。
125 四 匈奴が定襄・代・上郡に入る。 七
124 五 匈奴が代都尉朱英を殺す。澤が相を免じられる。 八。十一月乙丑、御史大夫公孫弘が丞相となり、平津侯に封ぜられる。 春、長平侯衛青が大将軍となり右賢を撃つ。衛尉蘇建が游撃将軍となり衛青に属す。左内史李沮が強弩将軍、太僕賀が車騎将軍、代相李蔡が軽車将軍、岸頭侯張次公が将軍、大行息が将軍:いずれも大将軍に属し匈奴を撃つ。
123 六 二 大将軍衛青が再び定襄から出撃し胡を撃つ。合騎侯公孫敖が中将軍、太僕賀が左将軍、郎中令李広が後将軍。翕侯趙信が前将軍となり敗れて匈奴に降る。衛尉蘇建が右将軍となり敗れ、身をもって脱す。左内史沮が彊弩将軍。いずれも衛青に属す。
122 元狩元年 十月中、淮南王安と衡山王賜が謀反を企て、皆自殺し、国は除かれた。 三 御史大夫蔡。
121 二 匈奴が雁門・代郡に侵入。江都王建が反乱。膠東王の子慶が六安王に立てられる。弘が死去。 四。御史大夫楽安侯李蔡が丞相となる。 冠軍侯霍去病が驃騎将軍となり、胡を撃ち、祁連に至る。合騎侯敖が将軍となり、北地から出撃。博望侯張騫と郎中令李広が将軍となり、右北平から出撃。 御史大夫湯。
120 三 匈奴が右北平・定襄に侵入。 二
119 四 三 大将軍青が定襄から出撃、郎中令李広が前将軍、太僕公孫賀が左将軍、主爵趙食其が右将軍、平陽侯曹襄が後将軍となり、単于を撃つ。
118 五 蔡が園堧を侵した罪で自殺。 四。太子少傅武彊侯莊青翟が丞相となる。
117 六 四月乙巳、皇子閎が斉王、旦が燕王、胥が広陵王となる。 二
116 元鼎元年 三
115 二 青翟は罪を犯し、自殺した。 四。太子太傅高陵侯趙周が丞相となった。 湯は罪を犯し、自殺した。 御史大夫慶。
114 三 二
113 四 常山憲王の子平を真定王に、商を泗水王に立てた。六月中、河東汾陰で宝鼎を得た。 三
112 五 三月中、南越の相嘉が反乱を起こし、その王と漢の使者を殺した。八月、周は酎金の罪で自殺した。 四。九月辛巳、御史大夫石慶が丞相となり、牧丘侯に封じられた。 衛尉路博德が伏波将軍となり、桂陽から出撃;主爵楊僕が楼船将軍となり、豫章から出撃:ともに南越を破った。
111 六 十二月、東越が反乱を起こした。 二 故龍镪侯韓説が横海将軍となり、会稽から出撃;楼船将軍楊僕が豫章から出撃;中尉王温舒が会稽から出撃:ともに東越を破った。 御史大夫式。
110 元封元年。 三 御史大夫寛。
109 二 四 秋、楼船将軍楊僕・左将軍荀彘が遼東から出撃し、朝鮮を攻撃した。
108 三 五
107 四 六
106 五 七
105 六 八
104 太初元年 暦を改め、正月を歳首とした。 九
103 二 正月戊寅、慶が死去した。 十。三月丁卯、太僕公孫賀が丞相となり、葛繹侯に封じられた。
102 三 二 御史大夫延広。
101 四 三
100 天漢元年 四 御史大夫卿
99 二 五
98 三 六 御史大夫周
97 四 七 春、貳師將軍李廣利が朔方から出撃し、余吾水に至る。游擊將軍韓説が五原から出撃。因杅將軍公孫敖:皆匈奴を撃つ。
96 太始元年 八
95 二 九
94 三 十 御史大夫勝之
93 四 十一
92 征和元年 冬、賀が蠱の罪で死す。 十二
91 二 七月壬午、太子が兵を発し、游撃将軍の説と使者の江充を殺す。 三月丁巳、涿郡太守の劉屈氂が丞相となり、彭城侯に封ぜられる。 御史大夫の成。
90 三 六月、劉屈氂が巫蠱の罪により斬られる。 二 春、貳師将軍の李広利が朔方より出撃し、兵を率いて胡に降る。重合侯の莽通が酒泉より出撃し、御史大夫の商丘成が河西より出撃し、匈奴を撃つ。
89 四 六月丁巳、大鴻臚の田千秋が丞相となり、富民侯に封ぜられる。
88 後元元年 二
87 二 三 二月己巳、光禄大夫の霍光が大将軍となり、博陸侯となる。都尉の金日磾が車騎将軍となり、秺侯となる。太僕の安陽侯上官舛が大将軍となる。
86 孝昭始元元年 四。九月、日磾が卒す。
85 二 五
84 三 六
83 四 七 三月癸酉、衛尉王莽が左将軍に、騎都尉上官安が車騎将軍となる。
82 五 八
81 六 九
80 元鳳元年 十 九月庚午、光禄勲張安世が右将軍となる。 御史大夫訢。
79 二 十一
78 三 十二 十二月庚寅、中郎将范明友が度遼将軍となり、烏丸を撃つ。
77 四 三月甲戌、千秋が卒す。 三月乙丑、御史大夫王訢が丞相となり、富春侯に封ぜられる。 御史大夫楊敞。
76 五 十二月庚戌、訢が卒す。 二
75 六 十一月乙丑、御史大夫楊敞が丞相となり、安平侯に封じられる。 九月庚寅、衛尉平陵侯范明友が度遼将軍となり、烏丸を討つ。
74 元平元年 敞が死去。 九月戊戌、御史大夫蔡義が丞相となり、陽平侯に封じられる。 四月甲申、光禄大夫龍镪侯韓曾が前将軍となる。五月丁酉、水衡都尉趙充国が後将軍となり、右将軍張安世が車騎将軍となる。 御史大夫昌水侯田広明。
73 孝宣本始元年 二
72 二 三 七月庚寅、御史大夫田広明が祁連将軍となり、龍镪侯韓曾が後将軍となり、営平侯趙充国が蒲類将軍となり、度遼将軍平陵侯范明友が雲中太守となり、富民侯田順が虎牙将軍となる:皆、匈奴を討つ。
71 三 三月戊子、皇后が崩御。六月乙丑、義が薨去。 六月甲辰、長信少府韋賢が丞相となり、扶陽侯に封じられる。田広明、田順が胡を討ち還り、皆自殺。充国が将軍の印を奪われる。 御史大夫魏相。
70 四 十月乙卯、霍后を立てる。 二
69 地節元年 三
68 二 四。三月庚午、将軍光が卒す。 二月丁卯、侍中・中郎将霍禹が右将軍となる。
67 三 太子を立てる。五月甲申、賢が老い、金百斤を賜う。 六月壬辰、御史大夫魏相が丞相となり、高平侯に封ぜられる。 七月、安世が大司馬・衛将軍となる。禹が大司馬となる。 御史大夫邴吉。
66 四 二。七月壬寅、禹が腰斬される。
65 元康元年 三
64 二 四
63 三 五
62 四 六。八月丙寅、安世が卒す。
61 神爵元年 上、甘泉太畤・汾陰后土を郊祀す。 七 四月、楽成侯許延寿が強弩将軍となる。後将軍充国が羌を撃つ。酒泉太守辛武賢が破羌将軍となる。韓曾が大司馬・車騎将軍となる。
60 二 上郊雍五畤。祋祤から宝璧玉器が出る。 八
59 三 三月、相が卒す。 四月戊戌、御史大夫邴吉が丞相となり、博陽侯に封ぜられる。 御史大夫望之。
58 四 二
57 五鳳元年 三
56 二 四。五月己丑、曾が卒す。 五月、延寿が大司馬・車騎将軍となる。 御史大夫霸。
55 三 正月、吉が卒す。 三月壬申、御史大夫黄霸が丞相となり、建成侯に封ぜられる。 御史大夫延年。
54 四 二
53 甘露元年 三。三月丁未,延寿去世。
52 二 赦免死罪,赐予高龄者及鳏寡孤独者帛,赐女子牛酒。 四 御史大夫定国。
51 三 三月己丑,霸去世。 七月丁巳,御史大夫于定国任丞相,封西平侯。 太仆陈万年任御史大夫。
50 四 二
49 黄龙元年 三 乐陵侯史子长任大司马、车骑将军。太子太傅萧望之任前将军。
48 孝元初元元年 四
47 二 五
46 三 六 十二月,执金吾冯奉世任右将军。
45 四 七
44 五 八 二月丁巳,平恩侯許嘉が左将軍となる。 中少府貢禹が御史大夫となる。十二月丁未,長信少府薛広徳が御史大夫となる。
43 永光元年 十月戊寅,定国が免職される。 九。七月,子長が免職され、邸宅に退く。 九月,衛尉平昌侯王接が大司馬・車騎将軍となる。二月,広徳が免職される。 七月,太子太傅韋玄成が御史大夫となる。
42 二 三月壬戌朔,日蝕が起こる。 二月丁酉,御史大夫韋玄成が丞相となり、扶陽侯に封ぜられる。丞相賢の子。 七月,太常任千秋が奮武将軍となり、西羌を討つ;雲中太守韓次君が建威将軍となり、羌を討つ。後に実行されず。 二月丁酉,右扶風鄭弘が御史大夫となる。
41 三 二 右将軍平恩侯許嘉が車騎将軍となる。侍中・光禄大夫楽昌侯王商が右将軍となる。右将軍馮奉世が左将軍となる。
40 四 三
39 五 四
38 建昭元年 五
37 二 六 弘免。 光祿勳匡衡が御史大夫となる。
36 三 六月甲辰、玄成薨。 七月癸亥、御史大夫匡衡が丞相となり、楽安侯に封ぜられる。 衛尉繁延寿が御史大夫となる。
35 四 二
34 五 三
33 竟寧元年 四 六月己未、衛尉楊平侯王鳳が大司馬・大將軍となる。延寿卒。 三月丙寅、太子少傅張譚が御史大夫となる。
32 孝成建始元年 五
31 二 六
30 三 十二月丁丑、衡が免職される。 七。八月癸丑、光祿勳詔嘉に印綬を上奏させて免職し、金二百斤を賜う。 十月、右将軍楽昌侯王商が光祿大夫・右将軍となり、執金吾弋陽侯任千秋が右将軍となる。譚が免職される。 廷尉尹忠が御史大夫となる。
29 四 三月甲申、右将軍楽昌侯王商が右丞相となる。 任千秋が左将軍となり、長楽衛尉史丹が右将軍となる。十月己亥、尹忠が自ら刺殺する。 少府張忠が御史大夫となる。
28 河平元年 二
27 二 三
26 三 四 十月辛卯、史丹が左将軍となり、太僕平安侯王章が右将軍となる。
25 四 四月壬寅、丞相商が免職される。 六月丙午、諸吏散騎光祿大夫張禹が丞相となる。
24 陽朔元年 二
23 二 三 張忠が死去する。 六月、太僕の王音が御史大夫となる。
22 三 九月甲子、御史大夫の王音が車騎将軍となる。 十月乙卯、光祿勳の于永が御史大夫となる。
21 四 七月乙丑、右将軍光祿勳平安侯の王章が卒す。 閏月壬戌、永が卒す。
20 鴻嘉元年 三月、禹が卒す。 四月庚辰、薛宣が丞相となる。

索隱述贊

高祖が初めて挙兵し、群雄を呼び集める。天下は未だ定まらず、漢中を王とする。三傑を得て、六奇が功を献じる。章邯が既に破れ、蕭何が宮を築く。周勃は重厚、硃虛は至忠。陳平が相となり、條侯が総戎する。丙魏が志を立て、湯堯が躬を飾る。天漢の後、功績を表す。

原本を確認する(ウィキソース):史記 巻22