巻020

史記

巻二十 建元以来侯者年表 第八

太史公曰く、匈奴は和親を絶ち、当路の塞を攻め、閩越は ほしいまま に伐ち、東甌は降を請う。 二夷交 まじ わり侵すも、盛漢の隆に当たり、これをもって功臣の封を受くること祖考に ひと しきを知る。何となれば、詩書に三代を称して「戎狄は 是膺 ち、荊荼は 是徵 せい す」と云い、太史公曰く、齊桓は燕を越えて山戎を伐ち、武靈王は区々たる趙を以て単于を服し、秦繆は百里を用いて西戎に覇たり、呉楚の君は諸侯を以て百越を役す。況んや中国一統、明天子上に在り、文武を兼ね、四海を席卷するに、内に億万の衆を しゅう するを以てす。豈に晏然として辺境の征伐を為さざらんや。是より後、遂に師を出して北に彊胡を討ち、南に勁越を誅し、将卒次を以て封ぜらる。

太史公本表

右は太史公の本表。

孝武封国名

右は孝武の封国名。

後進の好事の儒者褚先生曰く、太史公の記事は孝武の事に尽きたり、故に復た孝昭以来の功臣侯者を修記し、左方に編し、後世の好事者の成敗長短絶世の ゆくところ を覧観し得て、以て自戒するを得しめんとす。当世の君子、権を行い変に合い、時を度り宜を施し、世に ねが いて事を用い、以て功を建て土有ち侯に封ぜられ、名を当世に立てるは、豈に盛ならずや。其の持満守成の道を観るに、皆謙譲せず、 驕蹇 きょうけん して権を争い、声譽を揚ぐるを喜び、進むを知りて退くを知らず、終に身を殺し国を滅ぼすに至る。三を以て之を得、身に及びて之を失い、功を後世に伝うること能わず、恩徳を子孫に流すことを令せず、豈に悲しからずや。夫れ龍雒侯曾は前将軍たりしも、世俗に順善し、厚重謹信にして、政事に あずか らず、退譲して人を愛す。其の先は晋の六卿の世に起り、土有ち君国する以来、王侯たり、子孫相承きて絶えず、年を歴て世を経、以て今に至るまで、凡そ百余歳、豈に功臣及び身に之を失う者と同日に之を語るべきや。悲しいかな、後世其れ之を誡めよ。

孝昭の時

右は孝昭の時に封ぜられた国名。

孝宣の時

右は孝宣の時に封ぜられたもの。

孝宣の後

索隠述賛

孝武の代、 天下多虞 おおくうれい あり。南に甌越を討ち、北に単于を撃つ。 長平鞠旅 きくりょ し、冠軍前駆す。術陽璧を ふく み、 臨蔡禺 ぐう を破る。博陸は上宰、平津は巨儒。 金章且 しばら く佩き、 紫綬行 る。昭帝已後、勳寵殊ならず。惜しいかな絶筆、 褚氏諸 これ を補う。

原本を確認する(ウィキソース):史記 巻020