卷二十 建元以來侯者年表 第八

太史公曰く:匈奴が和親を絶ち、当路塞を攻め、閩越が勝手に伐ち、東甌が降伏を請うた。二夷が交侵し、盛漢の隆盛時に、功臣が封を受けることが祖考に匹敵することを知る。なぜなら、詩書が三代を称えて「戎狄を膺え、荊荼を徵す」とし、太史公は斉桓公が燕を越えて山戎を伐ち、武霊王が区区の趙で単于を服させ、秦繆公が百里を用いて西戎を覇し、呉楚の君が諸侯として百越を役したと述べる。まして中国が一統し、明天子が上に立ち、文武を兼ね、四海を席捲し、内に億万の衆を輯めるなら、安穏として辺境の征伐をしないわけがない。その後、北に強胡を討ち、南に勁越を誅し、将卒が順次封じられた。

太史公本表

国名 侯功 元光 元朔 元狩 元鼎 元封 太初以後
匈奴の相が降伏し、侯となる。元朔二年、車騎将軍に属し、匈奴を撃って功績があり、封を増やす。 三。四年七月壬午、侯趙信元年。 五。六年、侯信が前将軍として匈奴を撃つが、単于の軍に遭遇し、敗北、信は匈奴に降伏し、国は除かれる。
持装 匈奴の都尉が降伏し、侯となる。 六年後九月丙寅、侯楽元年。 元年、侯楽が死去し、後継ぎなく、国は除かれる。
親陽 匈奴の相が降伏し、侯となる。 三。二年十月癸巳、侯月氏元年。五年、侯月氏が逃亡の罪で斬られ、国は除かれる。
若陽 匈奴の相が降伏し、侯となる。 三。二年十月癸巳、侯猛元年。五年、侯猛が逃亡の罪で斬られ、国は除かれる。
長平 元朔二年に再び車騎将軍として匈奴を撃ち、朔方・河南を取った功績で侯となる。元朔五年、大将軍として匈奴を撃ち、右賢王を破り、三千戸の封を増やす。 五。二年三月丙辰、烈侯衛青元年。 太初元年、今侯伉元年。
平陵。 都尉として車騎将軍青に従い匈奴を撃ち功績により侯となる。元朔五年、遊撃将軍として大将軍に従い、封地を増加。 五。二年三月丙辰、侯蘇建元年。 六。六年、侯建は右将軍となり、翕侯信と共に敗れ、単身で帰還、斬刑に値するが贖罪し、国除。
岸頭。 都尉として車騎将軍青に従い匈奴を撃ち功績により侯となる。元朔六年、大将軍に従い、封地を増加。 五。二年六月壬辰、侯張次公元年。 元年、次公は淮南王の娘と姦通し、財物を受け取る罪により、国除。
平津。 丞相の詔により褒賞され侯となる。 四。五年十一月乙丑、献侯公孫弘元年。 二。四。三年、侯慶元年。 三。四年、侯慶は山陽太守として罪を犯し、国除。
涉安 匈奴単于の太子が降伏し侯となる。 一。三年四月丙子、侯於単。。元年。五月、死去、後継者なく、国除。
昌武。 匈奴王が降伏し侯となる。昌武侯として驃騎将軍に従い左賢王を撃ち功績により、封地を増加。 三。四年十月庚申、堅侯趙安稽元年。 一。五。二年、侯充国元年。 。太初元年、侯充国薨、後継者なく、国除。
襄城。 匈奴の相国として降伏し侯となる。 三。四年十月庚申、侯無龍元年。 一。太初二年、無龍が浞野侯に従い戦死。二。三年、侯病已元年。
南奅。 騎将軍として大将軍青に従い匈奴を撃ち王を捕らえる功績で侯となる。太初二年、丞相として葛繹侯に封ぜられる。 二。五年四月丁未、侯公孫賀元年。 四。五年、賀が酎金の罪に坐し、国除、絶、七歳。 十三。太初二年三月丁卯、葛繹侯に封ぜられる。征和二年、賀の子敬聲が罪あり、国除。
合騎。 護軍都尉として三度大将軍に従い匈奴を撃ち、右賢王庭に至り、王を捕らえる功績で侯となる。元朔六年に封邑を増やす。 二。五年四月丁未、侯公孫敖元年。 一。二年、侯敖が兵を率いて匈奴を撃ち、驃騎将軍と期日を合わせるが遅れ、畏懦し、斬刑に当たるが、贖罪して庶人となり、国除。
楽安。 軽車将軍として再び大将軍青に従い匈奴を撃ち王を捕らえる功績で侯となる。 二。五年四月丁未、侯李蔡元年。 四。五年、侯蔡が丞相として孝景園の神道壖地を盗んだ罪で、自殺し、国除。
龍镪。 都尉として大将軍青に従い匈奴を撃ち王を捕らえる功績で侯となる。元鼎六年、横海将軍として東越を撃つ功績で、案道侯となる。 二。五年四月丁未、侯韓説元年。 四。五年、侯説が酎金の罪に坐し、国絶。二歳後に再び侯となる。 六。元年五月丁卯、案道侯説元年。 十三。征和二年、子長が代わり、罪あり、絶。子曾が再び龍镪侯に封ぜられる。
随成。 校尉として三度大将軍青に従い匈奴を撃ち、農吾を攻め、石累に先登し、王を捕らえる功績で侯となる。 二。五年四月乙卯、侯趙不虞元年。 三。三年,侯不虞因任定襄都尉時,匈奴擊敗太守,上報不實,欺瞞,封國廢除。
隨從平定。 以校尉身份三次隨大將軍衛青擊匈奴,至右賢王庭,多次擔任雁行陣先鋒登石山立功封侯。 二。五年四月乙卯,公孫戎奴元年。 一。二年,侯戎奴因任上郡太守發兵擊匈奴,未上報,欺瞞,封國廢除。
涉軹。 以校尉身份三次隨大將軍擊匈奴,至右賢王庭,俘獲王,虜獲閼氏立功封侯。 二。五年四月丁未,侯李朔元年。 元年,侯朔有罪,封國廢除。
宜春。 因父親大將軍衛青擊破右賢王功封侯。 二。五年四月丁未,侯衛伉元年。 元年,伉因矯詔未造成危害,封國廢除。
陰安。 因父親大將軍衛青擊破右賢王功封侯。 二。五年四月丁未,侯衛不疑元年。 四。五年,侯不疑因酎金問題,封國廢除。
發干。 因父親大將軍衛青擊破右賢王功封侯。 二。五年四月丁未,侯衛登元年。 四。五年,侯登因酎金問題,封國廢除。
博望。 以校尉隨大將軍六年擊匈奴,知曉水道,及先前出使絕域大夏功封侯。 一。六年三月甲辰,侯張騫元年。 一。二年,侯騫因任將軍擊匈奴畏懦,當斬,贖罪,封國廢除。
冠軍。 以嫖姚校尉兩次隨大將軍,六年隨大將軍擊匈奴,斬相國功封侯。元狩二年,以驃騎將軍擊匈奴,至祁連,增封;迎渾邪王,增封;擊左右賢王,增封。 一。六年四月壬申、景桓侯霍去病元年。 六。元年、哀侯嬗元年。 元年、哀侯嬗が薨去し、後継ぎがなく、封国が除かれた。
眾利。 上谷太守として四度大将軍に従い、六年に匈奴を撃ち、首虜千級以上の功績で侯となった。 一。六年五月壬辰、侯郝賢。元年。 一。二年、侯賢は上谷太守として戍卒の財物上計を偽った罪に坐し、封国が除かれた。
潦。 匈奴の趙王として降伏し、侯となった。 一。元年七月壬午、悼侯趙王煖訾。元年。二年、煖訾が死に、後継ぎがなく、封国が除かれた。
宜冠。 校尉として驃騎将軍に従い、二年に二度匈奴を出撃した功績で侯となった。もと匈奴の帰義者。 二。二年正月乙亥、侯高不識元年。四年、不識が匈奴を撃ち、戦功の首級数を実数以上に増やしたため、斬刑に当たり、贖罪し、封国が除かれた。
煇渠。 校尉として驃騎将軍に従い、二年に二度匈奴を出撃し、王を得た功績で侯となった。校尉として驃騎将軍に従い、二年に五王を虜にした功績で、封地を増やされた。もと匈奴の帰義者。 五。二年二月乙丑、忠侯僕多。元年。 三。三。四年、侯電元年。
從驃。 司馬として二度驃騎将軍に従い、数度匈奴に深入りし、両王子騎将を得た功績で侯となった。匈河将軍として元封三年に楼蘭を撃った功績で、再び侯となった。 五。二年五月丁丑、侯趙破奴元年。 四。五年、侯破奴は酎金の罪に坐し、封国が除かれた。 浞野四。三年、侯破奴元年。 一。二年、侯破奴は浚稽将軍として匈奴を撃ち、軍を失い、虜に捕らえられ、封国が除かれた。
下麾。 匈奴王として降伏し、侯となった。 五。二年六月乙亥、侯呼毒尼元年。 四。二。五年、煬侯伊即軒元年。
漯陰。 匈奴の渾邪王が十万の兵を率いて降伏した功により侯に封じられ、一万戸を領した。 四。二年七月壬午、定侯渾邪元年。 六。元年、魏侯蘇元年。 五。五年、魏侯蘇が薨去し、後継者がいなかったため、国は除かれた。
煇渠。 匈奴王が降伏した功により侯に封じられた。 四。三年七月壬午、悼侯扁訾元年。 一。二年、侯扁訾が死去し、後継者がいなかったため、国は除かれた。
河綦。 匈奴の右王が渾邪とともに降伏した功により侯に封じられた。 四。三年七月壬午、康侯烏犁元年。 二。四。三年、餘利鞮元年。
常楽。 匈奴の大当戸が渾邪とともに降伏した功により侯に封じられた。 四。三年七月壬午、肥侯稠雕元年。 二。太初三年、今侯広漢元年。
符離。 右北平太守として驃騎将軍に従い、四年に右王を攻撃し、重会期を率い、二千七百人の首級を挙げた功により侯に封じられた。 三。四年六月丁卯、侯路博徳元年。 太初元年、侯路博徳が罪を犯し、国は除かれた。
壮。 匈奴の帰義因淳王として驃騎将軍に従い、四年に左王を撃ち、寡兵で多勢を破り、捕虜二千一百人を捕らえた功績により侯となる。 三。四年六月丁卯、侯復陸支元年。 二。四。三年、今侯偃元年。
衆利。 匈奴の帰義楼剸王として。驃騎将軍に従い四年に右王を撃ち、自ら剣を合わせて功績を挙げ侯となる。 三。四年六月丁卯、質侯伊即軒。元年 五。一。六年、今侯當時元年。
湘成。 匈奴の符離王として降伏し侯となる。 三。四年六月丁卯、侯敞屠洛元年。 四。五年、侯敞屠洛は酎金の罪に坐し、国除。
義陽。 北地都尉として驃騎将軍に従い四年に左王を撃ち、王を捕らえる功績により侯となる。 三。四年六月丁卯、侯衛山元年。
散。 匈奴の都尉として降伏し侯となる。 三。四年六月丁卯、侯董荼吾。元年。 二。二。太初三年、今侯安漢元年。
臧馬。 匈奴の王として降伏し侯となる。 一。四年六月丁卯、康侯延年元年。五年、侯延年死去、後継を立てず、国除。
周子南君。 周の後裔として封じられる。 三。四年十一月丁卯、侯姬嘉元年。 三。三。四年君買元年。
楽通。 方術により侯となる。 一。四年四月乙巳、侯五利将軍欒大元年。五年、侯大罪あり、斬られ、国除。
瞭。 匈奴帰義王として降伏し侯となる。 一。四年六月丙午、侯次公元年。五年、侯次公酎金に坐し、国除。
術陽。 南越王兄越高昌侯として。 一。四年、侯建德元年。五年、侯建德罪あり、国除。
龍亢。 校尉摎楽として南越を撃ち、死事、子が侯となる。 二。五年三月壬午、侯広徳元年。 六。六年、侯広徳罪あり誅され、国除。
成安。 校尉韓千秋として南越を撃ち死事、子が侯となる。 二。五年三月壬子、侯延年元年。 六。六年、侯延年罪あり、国除。
昆。 属国大且渠として匈奴を撃ち功績により侯となる。 二。五年五月戊戌、侯渠復累。元年。
騏。 属国騎として匈奴を撃ち、単于兄を捕らえ功績により侯となる。 二。五年六月壬子、侯駒幾元年。
梁期。 属国都尉として五年間に匈奴を出撃し、復累絺縵などを得る功績で侯となる。 二。五年七月辛巳、侯任破胡元年。
牧丘。 丞相および先人の万石積徳謹行により侯となる。 二。五年九月丁丑、恪侯石慶元年。 二。二。三年、侯德元年。
瞭。 南越の将として降伏し侯となる。 一。六年三月乙酉、侯畢取元年。
将梁。 楼船将軍として南越を撃ち、椎鋒却敵の功績で侯となる。 一。六年三月乙酉、侯楊僕元年。 三。四年、侯僕は罪あり、国除。
安道。 南越の掲陽令として漢兵の到来を聞き自ら降伏し侯となる。 一。六年三月乙酉、侯掲陽令史定元年。
随桃。 南越の蒼梧王として漢兵の到来を聞き降伏し侯となる。 一。六年四月癸亥、侯趙光元年。
湘成 南越の桂林監が漢軍が番禺を破ったと聞き、甌駱の兵40余万を降伏させて侯となる。 一。六年五月壬申、侯監居翁。元年。
海常 伏波司馬として南越王建徳を捕らえた功績で侯となる。 一。六年七月乙酉、荘侯蘇弘元年。 太初元年、侯弘が死に、後継ぎなく、国除。
北石 元の東越衍侯として繇王を助け、余善を斬った功績で侯となる。 六。元年正月壬午、侯呉陽元年。 三。太初四年、今侯首元年。
下酈 元の甌駱左将として西于王を斬った功績で侯となる。 六。元年四月丁酉、侯左将黄同元年。
繚嫈 元の校尉として横海将軍に従い、東越を攻撃した功績で侯となる。 一。元年五月己卯、侯劉福元年。二年、侯福が罪あり、国除。
蘌児 軍卒として東越の徇北将軍を斬った功績で侯となる。 六。元年閏月癸卯、荘侯轅終古元年。 太初元年、終古が死に、後継ぎなく、国除。
開陵 元の東越建成侯として繇王と共に東越王余善を斬った功績で侯となる。 六。元年閏月癸卯、侯建成元年。
臨蔡 かつて南越の郎官であった者が、漢軍が番禺を破り、伏波将軍が南越の相呂嘉を捕らえた功績により侯に封じられた。 六。元年閏月癸卯、侯孫都元年。
東成。 かつて東越の繇王であった者が、東越王餘善を斬った功績により侯に封じられ、一万戸を領した。 六。元年閏月癸卯、侯居服元年。
無錫。 東越の将軍が漢軍が到着した際に軍を捨てて降伏した功績により侯に封じられた。 六。元年、侯多軍元年。
涉都。 父がかつて南海太守であった者が、漢軍が到着した際に城邑を降伏させた功績により、子が侯に封じられた。 六。元年中、侯嘉元年。 二。太初二年、侯嘉が薨去し、後継者がいなかったため、国は除かれた。
平州。 朝鮮の将軍が漢軍が到着した際に降伏した功績により侯に封じられた。 一。三年四月丁卯、侯唊元年。四年、侯唊が薨去し、後継者がいなかったため、国は除かれた。
荻苴。 朝鮮の相が漢軍が到着して包囲された際に降伏した功績により侯に封じられた。 四。三年四月、侯朝鮮相韓陰元年。
澅清。 朝鮮の尼谿相が使者を送ってその王右渠を殺し、降伏してきた功績により侯に封じられた。 四。三年六月丙辰、侯朝鮮尼谿相參元年。
騠茲。 小月氏の若苴王が軍勢を率いて降伏した功績により侯に封じられた。 三。四年十一月丁卯、侯稽谷姑元年。 太初元年、侯稽谷姑が薨去し、後継者がいなかったため、国は除かれた。
浩。 かつて中郎将であった者が、兵を率いて車師王を捕らえた功績により侯に封じられた。 一。四年正月甲申、侯王恢元年。四年四月、侯恢が酒泉で詔を偽造して害をなした罪で死罪に当たり、贖罪したため、国は除かれた。封じられてからわずか三か月。
瓡讘。 小月氏王が千騎の軍勢を率いて降伏した功績により侯に封じられた。 二。四年正月乙酉、侯扜者。元年。一。六年、侯勝元年。
幾。 朝鮮王子が漢軍に朝鮮を包囲され降伏したため侯となる。 二。四年三月癸未、侯張閎。帰義元年。六年、侯張閎が朝鮮に使いし、謀反を企てて死に、国除。
涅陽。 朝鮮相の路人が漢軍が到着すると最初に降伏し、途中で死に、その子が侯となる。 三。四年三月壬寅、康侯子最元年。 二。太初二年、侯最が死に、後継ぎなく、国除。

右太史公本表。

孝武封國名

當塗。 魏不害、圉守尉として淮陽の反乱者公孫勇らを捕らえ侯となる。
蒲。 蘇昌、圉尉史として淮陽の反乱者公孫勇らを捕らえ侯となる。
潦陽。 江德、園廄嗇夫として淮陽の反乱者公孫勇らを共同で捕らえ侯となる。
富民。 田千秋、家は長陵。故高廟寢郎として孝武帝に上書し諫言:「子が父の兵を弄ぶ罪は笞刑に当たる。父子の怒りは古来よりある。蚩尤が父に背き、黄帝が江を渡る」。上書の意を認められ、大鴻臚に任命。征和四年に丞相となり、三千戸を封じられる。昭帝の時に病死し、子の順が代わり立ち、虎牙将軍となり匈奴を撃つが、質に至らず誅殺され、国除。

右孝武封國名。

後進の好事な儒者褚先生曰く:太史公の記録は孝武帝の事までで尽きているため、孝昭帝以来の功臣侯者を補修し、左方に編む。後世の好事者が成敗長短絶世の適を観て自戒できるようにする。当世の君子は、権を行い変に合い、時を度り宜を施し、世に希って用事し、功を建て土を有ち侯に封じられ、当世に名を立てるのは盛んなことではないか。その満を持して成を守る道を見ると、皆謙譲せず、驕蹇して権を争い、声誼を喜び揚げ、進むを知り退くを知らず、ついに身を殺し国を滅ぼす。三度得て、身に失い、功を後世に伝えず、恩徳を子孫に流さないのは悲しいことではないか。龍雒侯はかつて前将軍となり、世俗に順善で、厚重謹信、政事に関与せず、退譲して人を愛した。その先祖は晋の六卿の世に起こり、土を有ち君国して以来、王侯となり、子孫相承して絶えず、百年余り経て今に至る。功臣が身に失う者と同日に語れるだろうか。悲しいことだ、後世はこれを戒めよ。

孝昭時

博陸 霍光、家は平陽。兄の驃騎将軍の故に貴くなる。武帝に仕え、侍中の謀反者馬何羅らを捕らえた功で侯となり、三千戸。幼主昭帝を補佐し、大将軍となる。謹信で、事を専断し、大司馬として尊ばれ、封邑一万戸を加増。後に宣帝に仕える。三主に仕え、天下に信望され、二万戸を加増。子の禹が代わり立ち、謀反し、族滅、国除。
秺。 金翁叔名日磾、匈奴休屠王の太子として渾邪王に従い五万の兵を率い、漢に降伏帰義し、侍中となり、武帝に仕え、侍中の謀反者馬何羅らを捕らえた功で侯となり、三千戸。昭帝に仕え、謹厚で、三千戸を加増。子の弘が代わり立ち、奉車都尉となり、宣帝に仕える。
安陽。 上官桀、家は隴西。騎射に優れ従軍。次第に貴くなり、武帝に仕え、左将軍となる。侍中の謀反者馬何羅の弟重合侯通を捕らえ斬った功で侯となり、三千戸。昭帝に仕え、大将軍霍光と権力を争い、謀反を企て、族滅、国除。
桑樂。 上官安。父の桀が将軍の故に貴くなり、侍中となり、昭帝に仕える。安の娘が昭帝の夫人となり、皇后に立てられた故に侯となり、三千戸。驕慢で、大将軍霍光と権力を争い、父子で謀反を企て、族滅、国除。
富平。 張安世、家は杜陵。故御史大夫張湯の子として武帝の時に尚書に給事し、尚書令となる。昭帝に仕え、謹厚で事に習熟し、光禄勳右将軍となる。十三年間政を補佐し、過ちなく、侯となり、三千戸。宣帝に仕え、霍光に代わり大司馬となり、事を専断し、一万六千戸を加増。子の延寿が代わり立ち、太僕、侍中となる。
義陽。 傅介子、家は北地。従軍して郎となり、平楽監となる。昭帝の時、外国王を刺殺し、天子が詔書を下す:「平楽監傅介子が外国に使いし、楼蘭王を殺し、直をもって怨みに報い、軍を煩わせず、功あり。邑千三百戸を以て介子を義陽侯に封ず」。子の厲が代わり立ち、財産を争い告訴し、罪を得て、国除。
商利。 王山は斉の人である。かつて丞相史であったが、騎将軍上官安が謀反を企てた際、山は安を説得して共に丞相府に入り、安を斬った。山は軍功により侯に封ぜられ、三千戸を領した。上書して民を治めることを願い、代太守となった。他人から上書されて告発され、獄に繋がれて死罪となったが、赦令により釈放され庶人となり、封国は除かれた。
建平。 杜延年。かつての御史大夫杜周の子として大將軍幕府に給事し、謀反者である騎将軍上官安らの罪を発覚させ、侯に封ぜられ、邑二千七百戸を領し、太僕に任ぜられた。元年、西河太守として出向した。五鳳三年、御史大夫として入朝した。
弋陽。 任宮。かつての上林尉として謀反者である左将軍上官桀を捕らえ、便門でこれを殺し、侯に封ぜられ、二千戸を領した。後に太常となり、衛尉の職務を代行した。節倹で謹直誠実であり、天寿を全うし、子孫に伝えられた。
宜城。 燕倉。かつての大將軍幕府の軍吏として謀反者である騎将軍上官安の罪を発覚させ功績があり、侯に封ぜられ、邑二千戸を領した。汝南太守となり、有能な名声があった。
宜春。 王訢は斉に家がある。もと小吏の佐史であったが、次第に昇進して右輔都尉となった。武帝がたびたび扶風郡に行幸した際、訢は共に準備を整え、右扶風に任ぜられた。孝昭帝の時に至り、桑弘羊に代わって御史大夫となった。元鳳三年、田千秋に代わって丞相となり、二千戸を領した。二年間在任し、他人から上書されて暴虐であると告発され、自殺したが、死に至らなかった。子が代わって立ち、属国都尉となった。
安平。 楊敞は華陰に家がある。かつて大將軍幕府に給事し、次第に昇進して大司農となり、御史大夫となった。元鳳六年、王訢に代わって丞相となり、二千戸を領した。二年間在任し、病死した。子の賁が代わって立ち、十三年で病死した。子の翁君が代わって立ち、典属国となった。三年後、叔父の惲のため悪言を吐き、獄に繋がれて死罪となったが、免ぜられ、庶人となり、封国は除かれた。

右は孝昭帝時に封じられた国名。

孝宣時

陽平。 蔡義は温に家がある。かつて韓詩を師から学び、博士となり、大將軍幕府に給事し、杜城門候となった。侍中に入り、昭帝に韓詩を授け、御史大夫となった。この時八十歳で、老衰し、常に二人に支えられてようやく歩けた。しかし公卿大臣が議して、人主の師であるから、相とすべきと考えた。元平元年に楊敞に代わって丞相となり、二千戸を領した。病死し、後継者が絶え、封国は除かれた。
扶陽。 韋賢は魯に家がある。詩、礼、尚書に通じ、博士となり、魯の大儒を授け、侍中に入り、昭帝の師となり、光禄大夫、大鴻臚、長信少府に昇進した。人主の師であるため、本始三年に蔡義に代わって丞相となり、扶陽侯に封ぜられ、千八百戸を領した。丞相として五年間在任し、恩恵が多かったが、吏事に習熟せず、免相して邸宅に退き、病死した。子の玄成が代わって立ち、太常となった。祠廟で騎乗した罪に坐し、爵位を奪われ、関内侯となった。
平陵。 范明友は隴西に家がある。家世が外国の事に習熟していたため、西羌を護衛する使者となった。昭帝に仕え、度遼将軍に任ぜられ、烏桓を撃って功績により侯となり、二千戸を領した。霍光の娘を妻とした。地節四年、諸霍の子の禹らと謀反を企て、族滅され、封国は除かれた。
営平。 趙充国。隴西の騎士として従軍して官を得、侍中となり、武帝に仕えた。たびたび兵を率いて匈奴を撃ち功績があり、護軍都尉、侍中となり、昭帝に仕えた。昭帝が崩御し、宣帝を立てることを議し、疑いを決し策を定め、宗廟を安んじる功績により侯となり、二千五百戸を封ぜられた。
陽成。 田延年。軍吏として昭帝に仕え、上官桀の謀反事を発覚させたが、後に遅滞して封ぜられず、大司農となった。もと昌邑王を廃し宣帝を立てる議を造り、疑いを決し策を定め、宗廟を安んじる功績により侯となり、二千七百戸を領した。昭帝の崩御に逢い、上事が急を要したため、都内の銭三千万を盗んだ。発覚し、自殺し、封国は除かれた。
平丘。 王遷は衛に家がある。尚書郎となり、刀筆の文に習熟した。侍中となり、昭帝に仕えた。帝が崩御し、宣帝を立て、疑いを決し策を定め、宗廟を安んじる功績により侯となり、二千戸を領した。光禄大夫となり、秩中二千石となった。諸侯王から金銭財物を受け取った罪に坐し、中事を漏洩し、誅殺され、封国は除かれた。
楽成。 霍山。山は、大將軍霍光の兄の子である。光が未だ死なない時に上書して言うには、「臣の兄の驃騎将軍去病は従軍して功績があり、病死し、景桓侯と謚され、後継者が絶えました。臣光は、封ぜられた東武陽邑三千五百戸を山に分け与えたいと願います。」天子はこれを許し、山を侯に任ぜた。後に謀反の罪に坐し、族滅され、封国は除かれた。
冠軍。 霍雲。大將軍の兄の驃騎将軍の適孫として侯となった。地節三年、天子が詔書を下して言うには「驃騎将軍去病は匈奴を撃って功績があり、冠軍侯に封ぜられた。薨去し、子の侯が代わって立ち、病死して後継者が絶えた。春秋の義により、善は子孫に及ぶ。その邑三千戸を以て雲を冠軍侯に封ぜよ。」後に謀反の罪に坐し、族滅され、封国は除かれた。
平恩。 許広漢は昌邑に家がある。事に坐して蠶室に下され、ただ一女があり、これを嫁がせた。宣帝が未だ立たない時、素より広漢と出入り相通じ、卜相者が大貴すると言ったため、広漢は甚だ厚く恩を施した。地節三年、侯に封ぜられ、邑三千戸を領した。病死して後継者が絶え、封国は除かれた。
昌水。 田広明。元は郎官で、司馬となり、次第に昇進して南郡都尉、淮陽太守、鴻臚、左馮翊となった。昭帝が崩御した際、昌邑王の廃位を議論し、宣帝を擁立し、疑念を決し策を定めて、宗廟を安定させた。本始三年、侯に封じられ、邑二千三百戸を与えられた。御史大夫となった。後に祁連将軍となり、匈奴を討伐したが、軍が質に至らず、死罪に当たり、自殺し、国は除かれた。
高平。 魏相、家は済陰にある。若い頃に易を学び、府の卒史となり、賢良として推挙されて茂陵令となり、河南太守に昇進した。無実の者を殺害した罪で投獄され、死罪に当たったが、赦令に会い、庶人に免じられた。詔により茂陵令を守り、楊州刺史となり、入朝して諫議大夫となり、再び河南太守となり、大司農、御史大夫に昇進した。地節三年、韋賢を誹謗し、丞相に代わり、千五百戸を封じられた。病死し、長子の賓が代わりに立ったが、祠廟の罪で侯を失った。
博望。 許中翁。平恩侯許広漢の弟として侯に封じられ、邑二千戸を与えられた。また元々私恩があり、長楽衛尉となった。死後、子の延年が代わりに立った。
楽平。 許翁孫。平恩侯許広漢の末弟として侯となり、二千戸を封じられた。彊弩将軍に任じられ、西羌を撃破し、帰還後、大司馬、光禄勲に改めて任じられた。また元々私恩があり、封じられた。酒と女色を好み、早くに病死した。子の湯が代わりに立った。
将陵。 史子回。宣帝の大母家として侯に封じられ、二千六百戸を与えられ、平臺侯と兄弟の関係にある。子回の妻宜君は、元は成王の孫で、嫉妬深く、侍女四十余人を絞殺し、婦人の初産の子の腕や膝を盗み切って媚道とした。人から上書され、棄市の刑に論じられた。子回は外家の縁故により、侯を失わなかった。
平臺。 史子叔。宣帝の大母家として侯に封じられ、二千五百戸を与えられた。衛太子の時代、史氏は一人の娘を太子に嫁がせ、一人の娘を魯王に嫁がせ、現在の魯王も史氏の外孫である。外家に親戚がおり、それ故に貴く、しばしば賞賜を受けた。
楽陵。 史子長。宣帝の大母家として貴く、侍中となり、重厚で忠信であった。霍氏の謀反事を発覚させた功績で、三千五百戸を封じられた。
博成。 張章、父は元々潁川の人で、長安の亭長であった。官を失い、北闕に上書し、霍氏の邸宅に寄宿し、馬小屋の間に寝て、夜に養馬奴が互いに語り合うのを聞き、諸霍氏の子孫が謀反を企てている様子を言い、上書して謀反を告発し、侯となり、三千戸を封じられた。
都成。 金安上、先祖は元々匈奴である。元大將軍霍光の子禹らの謀反事を発覚させた功績で侯に封じられ、二千八百戸を与えられた。安上は、奉車都尉秺侯の従兄弟の子である。行いが謹厳で善く、退譲して自らを保ち、功徳を子孫に伝えようとした。
平通。 楊惲、家は華陰にあり、元丞相楊敞の末子で、郎に任じられた。士を好み、自ら人を知ることを喜び、人々の中に居て常に人と顔色を合わせ、それ故に高昌侯董忠が引き寄せて屏風越しに語り、霍氏の謀反の様子を言い、共に発覚させて謀反を告発し侯となり、二千戸を与えられ、光禄勲となった。五鳳四年に至り、妖言を作り、大逆罪で腰斬され、国は除かれた。
高昌。 董忠、父は元々潁川陽翟の人で、書を習って長安に至った。忠は材力があり、騎射ができ、短兵を用い、期門に給事した。張章と互いに知り合い、章が忠に霍禹の謀反の様子を告げ、忠が常侍騎郎楊惲に語り、共に発覚させて謀反を告発し、侯となり、二千戸を与えられた。現在は梟騎都尉、侍中である。祠宗廟に小車に乗った罪で、百戸を奪われた。
爰戚。 趙成。楚国の事を発覚させて侯となり、二千三百戸を与えられた。地節元年、楚王と広陵王が謀反を企て、成が謀反の様子を発覚させ、天子が恩を広げ徳義を推し進め、詔書を下して「広陵王を治めない」と言い、広陵は変わらなかった。後に再び祝詛の罪で国を滅ぼされ、自殺し、国は除かれた。現在の帝は再び子を広陵王に立てた。
酇。 地節三年、天子が詔書を下して言った:「朕は聞く、漢の興隆には、相国蕭何の功績が第一であると。今、後継者が絶えているのを朕は甚だ憐れむ。邑三千戸を以て蕭何の玄孫建世を酇侯に封じよ」。
平昌。 王長君、家は趙国にあり、常山広望邑の人である。衛太子の時代、太子の家に嫁ぎ、太子の男史皇孫の配となり、子を産んだが、全く音信が聞こえず、行くこと四十余年、現在の元康元年中に、詔により徴され、侯に立てられ、五千戸を封じられた。宣帝の舅父である。
楽昌。 王稚君、家は趙国にあり、常山広望邑の人である。宣帝の舅父の外家として侯に封じられ、邑五千戸を与えられた。平昌侯王長君の弟である。
邛成。 王奉光、家は房陵にある。娘が宣帝の皇后に立てられたため、千五百戸を封じられた。奉光が生まれた時、夜に光が上に見えたと伝えられ、貴人となる兆しとされた。後に娘の縁で侯となった。
安遠。 鄭吉、家は会稽にある。兵卒から軍に入り郎となり、弛刑士を率いて渠梨を開墾した。匈奴の単于が死に、国が乱れて内紛が起こると、日逐王が衆を率いて漢に降伏しようとし、先に鄭吉に伝えた。鄭吉は吏卒数百人を率いて迎えに行き、戻ろうとする者を斬り、共に漢に入った。軍功により侯となり、二千戸を封じられた。
博陽。 邴吉、家は魯にある。もと獄吏として御史属となり、大将軍幕府に仕えた。宣帝に旧恩を施し、御史大夫に昇進し、侯となり二千戸を封じられた。神爵二年、魏相に代わって丞相となった。五年間在職し、病死した。子の翁孟が後を継ぎ、将軍・侍中となった。甘露元年、宗廟の祭祀に大車に乗らず騎馬で廟門に至った罪で爵を奪われ、関内侯となった。
建成。 黄霸、家は陽夏にあるが、役務で雲陽に移された。廉吏として河内守丞となり、廷尉監に昇進し、丞相長史の職務を代行した。夏侯勝の非詔書大不敬罪を知りながら見逃した罪で三年間獄に繋がれ、勝から尚書を学んだ。赦免後、賢良として推挙され揚州刺史・潁川太守となった。善政を施し、男女が別の道を行き、農民が田の境を譲り合い、黄金百斤と中二千石の禄を賜った。潁川に在任後、太子傅となり、御史大夫に昇進した。五鳳三年、邴吉に代わって丞相となった。千八百戸を封じられた。
西平。 于定国、家は東海にある。もと獄吏として廷尉史となり、次第に御史中丞に昇進した。昌邑王を諫める上書をし、光禄大夫に昇進し、廷尉となった。春秋を学び、道を変えて教化を施し、人を厚く愛した。御史大夫に昇進し、黄霸に代わって丞相となった。

右孝宣時所封。

孝宣之後

陽平。 王稚君、家は魏郡にある。もと丞相史。娘が太子妃となり、太子が帝位に就くと皇后となったため、侯となり千二百戸を封じられた。初元以来、権勢を振るい、京師で官職を求める者多くがその力を得たが、国家に広く知略を宣べたとは聞かない。

索隱述贊

孝武帝の代、天下は多虞であった。南に甌越を討ち、北に単于を撃つ。長平は軍を整え、冠軍は前駆する。術陽は璧を銜え、臨蔡は禺を破る。博陸は上宰、平津は巨儒。金章を佩び、紫綬を行く。昭帝以後も、勲寵は変わらない。惜しいことだ筆を絶ち、褚氏が補う。

原本を確認する(ウィキソース):史記 巻20