巻003

史記

巻三 殷本紀 第三

嚳、契

殷の契は、母を簡狄といい、有娀氏の娘で、帝嚳の次妃であった。三人で水浴びをしていたとき、玄鳥がその卵を落とすのを見て、簡狄がそれを取って呑んだため、妊娠して契を生んだ。契が成長して禹を補佐し、治水に功績があった。帝舜はそこで契に命じて言った。「百姓は親しみ合わず、五品 (五倫) は整わない。汝は 司徒 しと となって、敬って五教 (五倫の教え) を広めよ。五教は寛大さにある」。商に封じられ、子の姓を賜った。契は唐・虞・大禹の時代に興り、功業は百姓に顕著であり、百姓はこれによって平らかになった。

昭明、相土、昌若、曹圉、冥、振、微、報丁、報乙、報丙、主壬、主癸

契が卒すると、子の昭明が立った。昭明が卒すると、子の相土が立った。相土が卒すると、子の昌若が立った。昌若が卒すると、子の曹圉が立った。曹圉が卒すると、子の冥が立った。冥が卒すると、子の振が立った。振が卒すると、子の微が立った。微が卒すると、子の報丁が立った。報丁が卒すると、子の報乙が立った。報乙が卒すると、子の報丙が立った。報丙が卒すると、子の主壬が立った。主壬が卒すると、子の主癸が立った。主癸が卒すると、子の天乙が立った。これが成湯である。

成湯

成湯は、契から湯に至るまで八度遷都した。湯は初めて亳に居を定め、先王の居た地に従い、帝誥を作った。

湯は諸侯を征した。葛伯が祭祀を行わなかったので、湯は初めてこれを伐った。湯は言った。「私に言うことがある。人は水を見て己が姿を見、民を見て治まっているかどうかを知る」。伊尹が言った。「明らかです。言葉を聞き入れれば、道は進みます。国を治め民を子とすれば、善を行う者は皆王の官にいます。努めよ、努めよ」。湯は言った。「汝が命を敬わないならば、私は大罰をもって汝を誅する。赦すところはない」。湯征を作った。

伊尹は名を阿衡という。阿衡は湯に仕えようとしたが機会がなく、そこで有莘氏の媵臣 (陪臣) となり、鼎俎を背負って、滋味の道をもって湯を説き、王道に導いた。ある説では、伊尹は処士であり、湯が人を遣わして招聘し迎えさせたが、五度返した後、ようやく湯に従うことを肯んじ、素王及び九主のことを説いた。湯は挙げて国政を任せた。伊尹は湯を去って夏に行った。夏を醜いものと見なすと、再び亳に帰った。北門から入り、女鳩・女房に遇い、女鳩女房を作った。

湯が外出したとき、野原に四面に網が張られているのを見て、祝いの言葉を述べた者がいた。「天下四方から皆わが網に入れ」。湯は言った。「ああ、これでは全てを捕らえてしまう」。そこでその三面を取り除き、祝って言った。「左に行きたい者は左へ、右に行きたい者は右へ。命に従わない者だけが、わが網に入れ」。諸侯がこれを聞いて言った。「湯の徳は極まり、禽獣にまで及んでいる」。

この時、夏の桀は虐政をなし淫らにふけり、諸侯の昆吾氏が乱を起こした。湯はそこで師を興して諸侯を率い、伊尹が湯に従い、湯自ら鉞を把って昆吾を伐ち、ついに桀を伐った。湯は言った。「汝ら衆庶に告ぐ。来たれ、汝らは悉く朕の言を聴け。朕は小さい者ではあるが、敢えて乱を起こすのではない。夏に多くの罪がある。朕は汝ら衆の言葉を聞く。夏氏に罪がある。朕は上帝を畏れ、敢えて正さざるを得ない。今、夏に多くの罪があり、天命がこれを誅する。今、汝らに衆がある。汝らは言うであろう、『我が君は我ら衆を顧みず、我らの農事を捨てて政を害する』と。汝らはまた言うであろう、『罪があるとして、どうしようというのか』と。夏王は衆の力を率いて止め、夏国の力を率いて奪った。衆は怠けて和せず、言う、『この日 (桀) はいつ滅びるのか。我は汝と共に滅びよう』と。夏の徳がこのようである以上、今、朕は必ず行く。汝らは尚、朕一人と共に天の罰を致すべし。朕は汝らを大いに理 (治) めよう。汝らは信じないことがあってはならない。朕は食言しない。汝らが誓言に従わなければ、朕は汝らを奴隷にし誅する。赦すところはない」。これを師に告げて令し、湯誓を作った。ここにおいて湯は言った。「我は甚だ武である」と。号して武王といった。

桀は有娀の虚で敗れ、桀は鳴條に奔り、夏の師は敗績した。湯はついに三㚇を伐ち、その宝玉を俘獲し、義伯・仲伯が典宝を作った。湯は夏に勝った後、その社 (土地神) を遷そうとしたが、できず、夏社を作った。伊尹が報告した。ここにおいて諸侯はことごとく服し、湯は天子の位に即き、海内を平定した。

湯が帰って泰卷陶に至ると、中𤳹が誥を作った。夏の命を既に退けた後、亳に還り、湯誥を作った。「三月、王自ら東郊に至る。諸侯群后に告ぐ。『民に功なきことなかれ。勤めて力を汝らの事に尽くせ。我は大罰をもって汝らを誅するであろう。我を怨むな』。曰く、『古の禹・皋陶は久しく外で労し、民に功績があり、民はこれによって安らかになった。東は江、北は済、西は河、南は淮、四瀆が既に修められ、万民はこれによって居を有した。后稷が降りて播種し、農耕して百穀を殖やした。三公は皆民に功績があったので、後に立つ者があった。昔、蚩尤がその大夫と共に百姓に乱を起こしたので、帝は与えず、その状があった。先王の言は努めざるべからず』。曰く、『道に背く者は、国にあってはならぬ。汝らは我を怨むな』」。これをもって諸侯に令した。伊尹が咸有一徳を作り、咎單が明居を作った。

湯はそこで正朔を改め、服色を易え、上 (尚) は白とし、朝会を昼に行った。

太丁、外丙、中壬、太甲

湯が崩じ、太子太丁は未だ立たずして卒し、ここにすなわち太丁の弟外丙を立て、これが帝外丙である。帝外丙即位三年にして崩じ、外丙の弟中壬を立て、これが帝中壬である。帝中壬即位四年にして崩じ、伊尹すなわち太丁の子太甲を立てる。太甲は成湯の嫡長孫なり、これが帝太甲である。帝太甲元年、伊尹は伊訓を作り、肆命を作り、徂后を作る。

帝太甲既に立つこと三年、明らかならず、暴虐にして湯の法に遵わず、徳を乱す。ここにおいて伊尹これを桐宮に放つ。三年、伊尹は摂政して国を当たり、もって諸侯を朝せしむ。

帝太甲桐宮に居ること三年、過ちを悔いて自ら責め、善に反る。ここにおいて伊尹すなわち帝太甲を迎えて政を授く。帝太甲は徳を修め、諸侯ことごとく殷に帰し、百姓以て寧んず。伊尹これを嘉し、すなわち太甲訓三篇を作り、帝太甲を襃めて太宗と称す。

沃丁

太宗崩じ、子沃丁立つ。帝沃丁の時、伊尹卒す。既に伊尹を亳に葬り、咎単遂に伊尹の事を訓み、沃丁を作る。

太庚、小甲、雍己

沃丁崩じ、弟太庚立つ、これが帝太庚である。帝太庚崩じ、子帝小甲立つ。帝小甲崩じ、弟雍己立つ、これが帝雍己である。殷の道衰え、諸侯或いは至らず。

太戊

帝雍己崩じ、弟太戊立つ、これが帝太戊である。帝太戊は伊陟を立てて相と為す。亳に祥あり、桑と穀と朝に共生し、一暮にして大いに拱す。帝太戊懼れ、伊陟に問う。伊陟曰く、「臣聞く、妖は徳に勝たず、帝の政に其れ闕有るか。帝其れ徳を修めよ」と。太戊これに従い、祥桑枯死して去る。伊陟は巫咸に賛言す。巫咸は王家を治めて成り有り、咸艾を作り、太戊を作る。帝太戊は廟に於いて伊陟を賛し、臣とせずと言う。伊陟譲り、原命を作る。殷復た興り、諸侯これに帰す、故に中宗と称す。

中丁、外壬、河亶甲、祖乙

中宗崩じ、子帝中丁立つ。帝中丁は隞に遷る。河亶甲は相に居る。祖乙は邢に遷る。帝中丁崩じ、弟外壬立つ、これが帝外壬である。仲丁の書は闕けて具わらず。帝外壬崩じ、弟河亶甲立つ、これが帝河亶甲である。河亶甲の時、殷復た衰う。

河亶甲崩じ、子帝祖乙立つ。帝祖乙立つや、殷復た興る。巫賢職に任ず。

祖辛、沃甲、祖丁、南庚、陽甲

祖乙崩じ、子帝祖辛立つ。帝祖辛崩じ、弟沃甲立つ、これが帝沃甲である。帝沃甲崩じ、沃甲の兄祖辛の子祖丁を立て、これが帝祖丁である。帝祖丁崩じ、弟沃甲の子南庚を立て、これが帝南庚である。帝南庚崩じ、帝祖丁の子陽甲を立て、これが帝陽甲である。帝陽甲の時、殷衰う。

中丁以来、嫡子を廃して諸々の弟子を更に立て、弟子は或いは争って相代わりに立つこと、九世に比して乱れ、ここにおいて諸侯朝するものなし。

盤庚

帝陽甲崩じ、弟盤庚立つ、是を帝盤庚と為す。帝盤庚の時、殷は既に河北に都す、盤庚は河南に渡り、復た成湯の故居に居る、乃ち五遷し、定処無し。殷民は諮り胥に皆怨み、徙るを欲せず。盤庚は乃ち諸侯大臣に告諭して曰く、「昔高后成湯は爾の先祖と俱に天下を定め、法則は修むべし。捨てて勉めずんば、何を以て徳を成さん!」乃ち遂に河南に渉り、亳に治め、湯の政を行い、然る後に百姓由って寧し、殷道復た興る。諸侯来朝す、其の成湯の徳を遵うを以てなり。

小辛、小乙

帝盤庚崩じ、弟小辛立つ、是を帝小辛と為す。帝小辛立つ、殷復た衰う。百姓盤庚を思い、乃ち盤庚三篇を作る。帝小辛崩じ、弟小乙立つ、是を帝小乙と為す。

武丁、祖己

帝小乙崩じ、子帝武丁立つ。帝武丁即位し、殷を復興せんと思い、而して其の佐を得ず。三年言わず、政事は冢宰に決定し、以て国風を観る。武丁夜に夢に聖人を得たり、名を説と曰う。夢に見る所を以て群臣百吏に視せしむるも、皆非なり。ここにおいて乃ち百工をして野に営求せしむ、傅険中に説を得たり。是の時説は胥靡と為り、傅険に筑す。武丁に見ゆ、武丁曰く是なり。得て之と語るに、果たして聖人なり、挙げて以て相と為し、殷国大いに治まる。故に遂に傅険を以て之に姓し、号して傅説と曰う。

帝武丁成湯を祭る、明日、飛雉有りて鼎耳に登りて呴く、武丁懼る。祖己曰く、「王憂うること勿れ、先ず政事を修めよ。」祖己乃ち王を訓えて曰く、「唯だ天は下を監りて其の義を典とし、年を降すに永き有り永からざる有り、天の民を夭すに非ず、中に其の命を絶つ。民に徳に若かざる有り、罪を聴かざる有り、天既に命を附けて其の徳を正す、乃ち曰く其れ奈何と。鳴呼!王嗣は民を敬え、天継に非ざるは罔く、常祀は棄道に礼すること毋かれ。」武丁政を修め徳を行い、天下咸く驩び、殷道復た興る。

祖庚、祖甲

帝武丁崩じ、子帝祖庚立つ。祖己は武丁の祥雉を以て徳と為すを嘉し、其の廟を立てて高宗と為し、遂に高宗肜日及び訓を作る。

帝祖庚崩じ、弟祖甲立つ、是を帝甲と為す。帝甲淫乱、殷復た衰う。

廩辛、庚丁、武乙、庚丁

帝甲崩じ、子帝廩辛立つ。帝廩辛崩じ、弟庚丁立つ、是を帝庚丁と為す。帝庚丁崩じ、子帝武乙立つ。殷復た亳を去り、河北に徙る。

武乙、太丁、帝乙

帝武乙道無く、偶人を為り、之を天神と謂う。之と博し、人をして行わしむ。天神勝たず、乃ち之を僇辱す。革囊を為り、血を盛り、卬いて之を射り、命じて「天を射る」と曰う。武乙は河渭の間に猟す、暴雷有り、武乙震死す。子帝太丁立つ。帝太丁崩じ、子帝乙立つ。帝乙立つ、殷益々衰う。

帝乙の長子は微子啓といい、啓の母は賤しく、嗣となるを得ず。少子は辛、辛の母は正后、辛が嗣となる。帝乙崩じ、子辛立つ、是を帝辛と為し、天下これを紂と謂う。

帝辛

帝紂は資辨捷疾にして、聞見甚だ敏なり。材力人に過ぎ、手を以て猛獣を格す。知は諫を距するに足り、言は非を飾るに足る。人臣を能を以て矜り、天下を声を以て高しとし、以て皆己が下に出ずと為す。酒を好み淫楽し、婦人に嬖す。妲己を愛し、妲己の言に従う。ここに師涓をして新たに淫声、北里の舞、靡靡の楽を作らしむ。賦税を厚くして以て鹿台の銭を実にし、鉅橋の粟を盈たす。益々狗馬奇物を収め、宮室に充仞す。益々沙丘の苑台を広め、多く野獸蜚鳥を取りて其の中に置く。鬼神に慢る。大いに楽戯を沙丘にし、酒を以て池と為し、肉を県けて林と為し、男女をして倮にて相逐わしめ其の間に、長夜の飲を為す。

百姓怨望し諸侯畔く者有り、ここに紂乃ち刑辟を重くし、炮格の法有り。西伯昌・九侯・鄂侯を以て三公と為す。九侯に好女有り、之を紂に入る。九侯の女淫を憙ばず、紂怒り、之を殺し、九侯を醢す。鄂侯之を争うこと強く、之を辨ずること疾く、 へい せて鄂侯を脯す。西伯昌之を聞き、窃に嘆く。崇侯虎之を知り、以て紂に告ぐ、紂西伯を羑里に囚う。西伯の臣閎夭の徒、美女奇物善馬を求めて以て紂に献じ、紂乃ち西伯を赦す。西伯出でて洛西の地を献じ、以て炮格の刑を除くことを請う。紂乃ち之を許し、弓矢斧鉞を賜い、征伐するを得しめ、西伯と為す。而して費中を用いて政を為さしむ。費中は諛うことを善くし、利を好み、殷人親しまず。紂又悪来を用う。悪来は毀讒することを善くし、諸侯此を以て益々疎し。

西伯帰り、乃ち陰に徳行を修め善を行い、諸侯多く紂に叛きて往きて西伯に帰す。西伯滋に大いに、紂是より稍々権重を失う。王子比干諫む、聴かず。商容は賢者、百姓之を愛す、紂之を廃す。及び西伯飢国を伐ち、之を滅ぼす、紂の臣祖伊之を聞きて周を咎め、恐れ、奔りて紂に告げて曰く、「天既に我が殷の命を訖え、人に元亀を仮す、敢えて吉を知る無し、先王我が後人を相わずに非ず、維れ王淫虐を用いて自ら絶つ、故に天我を弃つ、安食有らず、天性を虞知せず、典を率いて迪わず。今我が民喪わんと欲せざる無し、曰く『天曷ぞ威を降さざる、大命胡ぞ至らざる』と。今王其れ奈何せん」と。紂曰く、「我が生くるや天に命有らざるか」と。祖伊反り、曰く、「紂は諫むべからず」と。西伯既に卒し、周武王の東伐、盟津に至り、諸侯殷に叛き周に会する者八百。諸侯皆曰く、「紂は伐つべし」と。武王曰く、「爾は天命を知らず」と。乃ち復帰す。

紂愈々淫乱止まず。微子数え諫むも聴かず、乃ち大師・少師と謀り、遂に去る。比干曰く、「人臣と為る者は、死を以て争わざるべからず」と。迺ち強いて紂を諫む。紂怒りて曰く、「吾聞く聖人の心に七竅有りと」と。比干を剖き、其の心を観る。箕子懼れ、乃ち詳に狂を為して奴と為り、紂又之を囚う。殷の大師・少師乃ち其の祭楽器を持って周に奔る。周武王ここに於いて遂に諸侯を率いて紂を伐つ。紂亦兵を発して之を牧野に距つ。甲子の日、紂の兵敗る。紂走り、入りて鹿台に登り、其の宝玉の衣を衣、火に赴きて死す。周武王遂に紂の頭を斬り、之を大白旗に県く。妲己を殺す。箕子の囚を釈し、比干の墓を封じ、商容の閭を表す。紂の子武庚祿父を封じ、以て殷の祀を続け、盤庚の政を行わしむ。殷の民大いに説ぶ。ここに於いて周武王天子と為る。其の後世帝号を貶し、号して王と為す。而して殷の後を封じて諸侯と為し、周に属せしむ。

周武王崩じ、武庚と管叔・蔡叔乱を為す、成王周公を命じて之を誅し、而して微子を宋に立て、以て殷の後を続けしむ。

太史公論

太史公曰く、余頌を以て契の事を次ぐ、成湯以来、書詩に采る。契は子姓と為り、其の後分封し、国を以て姓と為し、殷氏・来氏・宋氏・空桐氏・稚氏・北殷氏・目夷氏有り。孔子曰く、殷は路車を善くし、而して色は白を尚ぶと。

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