南齊書

巻十七 志第九

巻十七 志第九

昔、三皇は祇車に乗って谷口を出で、夏の氏は奚仲を以て車正と為し、殷には瑞車があり、山車垂句がこれである。『周礼』に匠人が輿を作り、天地を象ったとある。漢の武帝の天漢四年、諸侯を甘泉宮に朝せしめ、輿服の制を定め、天下に公布した。光武帝の建武十三年、公孫述の葆車を得て、輿輦が初めて整った。蔡邕がこの志を創立し、馬彪が漢典を勒成し、晋の摯虞が礼を治め、また五輅の制度を議した。江左の初め、車服は多く欠けており、ただ金戎があるのみで、充庭の儀は省かれた。太興年間、太子が学に臨んだが、高蓋車がなく、元帝は安車に乗るよう詔した。元帝・明帝の時、属車はわずか九乗であった。永和年間、石虎の死後、旧来の工人が奔叛して帰国し、徐々に車輿を造った。太元年間、苻堅の敗北後、また偽りの車輦を得て、ここに属車は十二乗に増えた。義熙年間、宋の武帝が関・洛を平定し、姚興の偽車輦を得た。宋の大明年間に輦輅を改修し、時の華美を極め、初めて偽氐を備え、また充庭の制を設けた。永明年間、さらに藻飾を増し、以前より盛大となった。『周礼』をもって『漢志』を検べると、名器が異なり、晋・宋の改革により、次第に世と異なるようになったので、今は時事を記すのみである。

原文昔三皇乘祇車出谷口,夏氏以奚仲爲車正,殷有瑞車,山車垂句是也。《周禮》匠人爲輿,以象天地。漢武天漢四年,朝諸侯甘泉宮,定輿服制,班于天下。光武建武十三年,得公孫述葆車,輿輦始具。蔡邕創立此志,馬彪勒成漢典,晉摯虞治禮,亦議五輅制度。江左之始,車服多闕,但有金戎,省充庭之儀。太興中,太子臨學,無高蓋車,元帝詔乘安車。元、明時,屬車唯九乘。永和中,石虎死後,舊工人奔叛歸國,稍造車輿。太元中,苻堅敗後,又得偽車輦,於是屬車增爲十二乘。義熙中,宋武平關、洛,得姚興偽車輦。宋大明改脩輦輅,妙盡時華,始備偽氐,復設充庭之制。永明中,更增藻飾,盛於前矣。案《周禮》以檢《漢志》,名器不同,晉、宋改革,稍與世異,今記時事而已。

玉輅は、漢の金根である。漆で輪を画き、金を塗った縦容後路受福輠。両廂の上の望板の前は優遊で、縁を通して金塗りの鏤鍱、碧色の絞り罽、金薄を彫刻して貼り付ける。両廂の外側は織成の衣、両廂の内側の上には金塗りの鏤面釘を施し、瑇瑁を貼る。望板の廂の上は金薄を貼り、金の博山、登仙の紐、松精。優遊の上には和鸞鳥が立ち花趺に鈴を銜え、銀帯の瑇瑁筒瓦、金塗りの鏤鍱、刀格、織成の手匡に金花鈿の錦衣。優遊の下は、隠膝で、内側に金塗りの鏤面釘を施し、織成の文様。優遊の横前には、瑇瑁を貼り、金塗りの花釘。優遊の前には、金塗りの倒龍、後梢には銀と瑇瑁の亀甲を彫刻し、金塗りの花沓。望板は、金塗りの受福望龍などの諸校飾。抗および諸末は、皆螭龍の首。龍汗板は、車の前にあり、銀帯の花獣、金塗りの受福、縁の内辺、鏤鍱の瑇瑁織成衣。内側は、金塗りの鏤面花釘。外側は、金塗りの博山、辟邪虎、鳳凰が花を銜えるなどの諸校飾。斗蓋は、金塗りの鏤鍱、二十八爪の支子花、黄錦の斗衣、さらに碧絹染布で縁取りした油頂、絳色の系絡、織成の顔芚赭舌孔雀毛復錦、緑の絞り随陰、珠と蚌の佩を懸け、金塗りの鈴、雲朱の結、仙人の綬、雑色の真の孔雀毦。一つの轅、漆画の車衡、銀花の帯、衡の上に金塗りの博山、四つの和鸞鳥が立ち花趺に鈴を銜え、いわゆる「鸞鳥立衡」である。また龍首が軛を銜え、叉髦に翟尾を挿し、上下に花沓、絳緑の系的、望繩八枚。旂は十二旒で、昇龍を画き、竿の首は金塗りの龍が火焔幡を銜え、真毦。棨戟は、織成の衣、金塗りの沓駐および受福、金塗りの雁の鏤鍱。漆案立牀は、車中にあり、錦で覆った黄絞、案立衣とする。錦で覆った黄絞の鄣泥。八幅、長さ九尺、縁は紅錦の芚帯、織成の花芚的。

原文玉輅,漢金根也。漆畫輪,金塗縱容後路受福輠。兩廂上望板前優遊,通緣金塗鏤鍱,碧絞罽,鑿鏤金薄帖。兩廂外織成衣,兩廂裏上施金塗鏤面釘,瑇瑁帖。望板廂上金薄帖,金博山,登仙紐,松精。優遊上和鸞鳥立花趺銜鈴,銀帶瑇瑁筒瓦,金塗鏤鍱,刀格,織成手匡金花鈿錦衣。優遊下,隱膝,裏施金塗鏤面釘,織成文。優遊橫前,施瑇瑁帖,金塗花釘。優遊前,金塗倒龍,後梢鑿銀瑇瑁龜甲,金塗花沓。望板,金塗受福望龍諸校飾。抗及諸末,皆螭龍首。龍汗板,在車前,銀帶花獸,金塗受福,緣裏邊,鏤鍱瑇瑁織成衣。裏,金塗鏤面花釘。外,金塗博山、辟邪虎、鳳皇銜花諸校飾。斗蓋,金塗鏤鍱,二十八爪支子花,黃錦斗衣,復碧絹染布緣油頂,絳系絡,織成顏芚赭舌孔雀毛復錦,綠絞隨陰,懸珠蚌佩,金塗鈴,雲朱結,仙人綬,雜色真孔雀毦。一轅,漆畫車衡,銀花帶,衡上金塗博山,四和鸞鳥立花趺銜鈴,所謂「鸞鳥立衡」也。又龍首銜軛,叉髦插翟尾,上下花沓,絳綠系的,望繩八枚。旂十二旒,畫升龍,竿首金塗龍銜火燄幡,真毦。棨戟,織成衣,金塗沓駐及受福,金塗鴈鏤鍱。漆案立牀,在車中,錦復黃絞,爲案立衣。錦復黃絞鄣泥。八幅,長九尺,緣紅錦芚帶,織成花芚的。

五輅は、江左で相承して四頭立てとし、左右の騑を加えて六頭とする。絳色の系游御繩を施し、その重轂貳轄飛軨幡は、赤油を用い、紫の真毦がある。左纛は、左の騑馬の軛の上に置く。金鍐は、金を加えて冠とし、玉華の形のようで、馬鍐の上にある。方釳は、鉄で広さ数寸、三つの孔があり、その中に翟尾を挿す。繁纓は、金塗りの紫皮、紫の真毦で、馬の胸前に横たえる。鏤鍚は、金を刻んで馬面の当顱とする。皆古制の通り。世祖永明初年、玉輅に重蓋を加え、また麒麟の頭を作り、采画し、馬の首に戴かせた。竟陵王の子良が啓して言った。「臣は聞く、車旗には章があり、前史に載っており、器は必ず礼に依り、服に法を誤ることはないと。およそ蓋は円く天を象り、軫は方で地を法とし、上に二天の儀はなく、下に両蓋の飾りを設けることは、志録に求めれば、乖衷である恐れがあります。また仮に麟の首とし、馬の頭に加えることは、古に師らず、施すべきものは少ないでしょう。」建武年間、明帝はついに重蓋などを省いた。

原文五輅,江左相承駕四馬,左右騑爲六。施絳系游御繩,其重轂貳轄飛軨幡,用赤油令,有紫真毦。左纛,置左騑馬軛上。金鍐,金加冠,狀如玉華形,在馬鍐上。方釳,鐵廣數寸,有三孔,插翟尾其中。繁纓,金塗紫皮,紫真毦,橫在馬膺前。鏤鍚,刻金爲馬面當顱。皆如古制。世祖永明初,加玉輅爲重蓋,又作麒麟頭,采畫,以馬首戴之。竟陵王子良啓曰:「臣聞車旗有章,載自前史,器必依禮,服無舛法。凡蓋員象天,軫方法地,上無二天之儀,下設兩蓋之飾,求之志錄,恐爲乖衷。又假爲麟首,加乎馬頭,事不師古,鮮或可施。」建武中,明帝乃省重蓋等。

金輅。制度と校飾は玉輅のようだが、やや減少し、また金塗りとする。

原文金輅。制度校飾如玉輅,而稍減少,亦以金塗。

象輅。金輅のようだが、制飾はさらに減る。

原文象輅。如金輅而制飾又減。

木輅。制飾は象輅のようだが、特に減る。

原文木輅。制飾如象輅而尤減。

革輅は、大輅のようである。大麾を建てる。赤旗である。首に火焔幡を施す。

原文革輅,如大輅。建大麾。赤旗也。首施火燄幡。

宋の昇明三年、斉王に大輅・戎輅を各一錫した。乗黄の五輅には、大輅・戎輅はない。左丞の王逡之が議した。「大輅は、殷の祭車であるから、周の輅の名には登らず、『明堂位』に『大輅は殷の輅なり』とある。注に『大輅は木輅なり』と。『月令』に『中央土は大輅に乗る』と。注に『殷の輅なり』と。『礼器』に『大輅繁纓一就』と。注に『大輅は殷の祭天車なり』と。『周礼』の五路は、玉路・金路・象路・革路・木路。則ち周の木輅は、殷の大路である。周の革路は大白を建て、以て戎に即く、これが戎路である。思うに国の大事は、祀と戎に在り、故に殷の祭天の車と、周の即戎の路を錫したのであろう。祀には殷を用い、戎には必ず周を用いるのは、郊天の義は遠く、前代の礼を建て、即戎の事は近く、故に今世の制によることを明らかにするためである。『明堂位』に『魯の君は孟春に大路に乗り、十有二旒の日月の章を載せ、帝を郊に祀る』と。天は必ず大輅を以て諸侯に錫するに、良く以てある所以である。今の木路は、即ち大路である。」太尉左長史の王儉が議し、金輅九旒を用いるべきとした。当時乗黄に副がなく、五輅を借用し、大朝で臨軒の際、権宜に三輅を列べた。

原文宋昇明三年,錫齊王大輅、戎輅各一。乘黃五輅,無大輅、戎輅。左丞王逡之議:「大輅,殷之祭車,故不登周輅之名,而《明堂位》云『大輅,殷輅也』。注云『大輅,木輅也』。《月令》『中央土,乘大輅』。注云『殷輅也』。《禮器》『大輅繁纓一就』。注云『大輅,殷之祭天車也』。《周禮》五路,玉路、金路、象路、革路、木路。則周之木輅,殷之大路也。周革路建大白,以卽戎,此則戎路也。意謂國之大事,在祀與戎,故錫以殷祭天之車,與周之卽戎之路。祀則以殷,戎必以周者,明郊天義遠,建前代之禮,卽戎事近,故以今世之制。《明堂位》云『魯君孟春乘大路,載十有二旒日月之章,祀帝于郊』。天必以大輅以錫諸侯,良有以也。今木路,卽大路也。」太尉左長史王儉議,宜用金輅九旒。時乘黃無副,借用五輅,大朝臨軒,權列三輅。

玉輅・金輅は、碧旂を建てる。象輅・木輅は、赤旂を建てる。永明初年、太子歩兵校尉の伏曼容が議し、以て「斉の徳は青を尚ぶ、五路五牛および五色の幡旗は、皆先ず青を以て次とすべきである。軍容戎事に乗るもの、犠牲繭握に薦めるものは、皆尚ぶ色に悉く依るべきである。三代の服色は、姓音を以て尚ぶとし、漢は音を識らず、故に行運の色を尚ぶに還った。今既に善き律なく、則ち大斉の尚ぶところも、漢の道に依るべきである。もし善く吹律する者あれば、便ち姓を尚ぶに還って取るべきである」とした。太子僕の周顒が議した。「三代の姓音は、古に前記なく、音を裁いて尚ぶに配するは、曼容より起こる。則ち曼容は姓声を善く識り、復た方に吹律を仮ることはない。何故に遠代の宮商を識り得て、更に皇朝の律呂に迷い、当今吹律を以て尚ぶところを定むる者無く、漢に附して闕に従うべきと云うのか。皇朝は本より行運を以て尚ぶところとし、音氏に定まらぬに関わらず。かくの如く、設い善律の知音有りとも、声を遵って尚ぶと為すべからず。」散騎常侍の劉朗之ら十五人が皆議してこれを駮し、事は行われなかった。

原文玉、金輅,建碧旂。象、木輅,建赤旂。永明初,太子步兵校尉伏曼容議,以爲「齊德尚青,五路五牛及五色幡旗,竝宜以先青爲次。軍容戎事之所乘,犧牲繭握之所薦,竝宜悉依尚色。三代服色,以姓音爲尚,漢不識音,故還尚其行運之色。今旣無善律,則大齊所尚,亦宜依漢道。若有善吹律者,便應還取姓尚」。太子僕周顒議:「三代姓音,古無前記,裁音配尚,起自曼容。則是曼容善識姓聲,不復方假吹律。何故能識遠代之宮商,而更迷皇朝之律呂,而云當今無知吹律以定所尚,宜附漢以從闕邪?皇朝本以行運爲所尚,非關不定於音氏。如此,設有善律之知音,不宜遵聲以爲尚。」散騎常侍劉朗之等十五人竝議駮之,事不行。

皇太子の象輅。校飾は御と同様、旂は九旒で降龍とする。

原文皇太子象輅。校飾如御,旂九旒降龍。

皇太后と皇后の重翟車は、金塗りの部材で、白地に人馬の錦を貼り、車箱の隠し膝と後戸には、白い象牙の的帖があり、金塗りの面釘、漆画の輪、鉄の鐺、金塗りの縦容と後路の輠、獅子の轄、抗檐にはすべて金塗りの螭頭や神龍・雀などの装飾が施されている。軛衡の上には金博山を施し、また金塗りの長角巴首がある。蓋は金塗りで、爪支子花が二十八個、青油の俠碧絹黄絞の蓋で、漆布で裏打ちされている。紫の顔芚、黄絞と紫絞が陰に従い、碧の毛。外側の上には絳紫の系絡を施す。碧の旂に九旒、棨戟。宋の元嘉年間の『東宮儀記』には中宮の僕御が重翟金根車に乗るとあるが、金根と呼ばれるに足るかは詳らかでない。

原文皇太后皇后重翟車,金塗校具,白地人馬錦帖,廂隱膝後戶,白牙的帖,金塗面釘,漆畫輪,鐵鐺,金塗縱容後路輠,師子轄,抗檐皆施金塗螭頭及神龍雀等諸飾。軛衡上施金博山,又有金塗長角巴首。蓋,金塗,爪支子花二十八,青油俠碧絹黃絞蓋,漆布裏。紫顏芚,黃絞紫絞隨陰,碧毛。外上施絳紫系絡。碧旂九旒,棨戟。宋元嘉《東宮儀記》云中宮僕御重翟金根車,未詳得稱爲金根也。

皇太子妃の厭翟車。重翟車と同様だが、装飾がやや簡素である。

原文皇太子妃厭翟車。如重翟,飾微減。

指南車。四周の車箱の上に屋根を施し、指南人の衣裙と襦天衣は車箱の中にある。上の四隅にはすべて龍子竿を立て、雑色の真の孔雀の毦を吊るし、烏布の皁復幔、漆画の輪、牛を駕し、すべて銅で部材を飾る。

原文指南車。四周廂上施屋,指南人衣裙襦天衣,在廂中。上四角皆施龍子竿,縣雜色真孔雀毦,烏布皁復幔,漆畫輪,駕牛,皆銅校飾。

記里鼓車。制は指南車に似て、上に華蓋子を施し、衣は漆画で、鼓の機構はすべて内部にある。

原文記里鼓車。制如指南,上施華蓋子,衣漆畫,鼓機皆在內。

輦車は、犢車のようで、竹の蓬。車箱の外側は金薄を鑿鏤し、碧紗の衣、織成の芚、錦の衣。車箱の内側と仰頂、隠膝、後戸には、金塗りの鏤面、瑇瑁の帖、金塗りの松精、登仙花の紐、緑の四縁、四望の紗萌子、上下前後の眉は、鏤鍱。轅枕は長角の龍、白牙の蘭、瑇瑁と金塗りで部材を飾る。漆の鄣塵板は蘭の前にあり、金銀の花・獣・玃・天龍・獅子の鏤面、榆花の鈿指子摩尼炎、金の龍虎。扶轅は、銀口の帯、龍板頭。龍轅の軛の上には、金の鳳皇の鈴璅、銀口の帯、星後梢、瑇瑁の帖、金塗りの香沓、銀の星花獣の幔竿杖、金塗りの龍牽、縦横に長く、背に花香を染めた兆牀副。輦以下は、二宮の御車はすべて緑油の幢、絳の系絡。御所が乗るものは、双棟。公主のものは碧油の幢という。『司馬法』に「夏后氏の輦を金車といい、殷を胡奴車といい、周を輜車という」とあり、いずれも輦である。『漢書』叔孫通伝に「皇帝の輦が房から出る」とあり、成帝が輦で後宮を通り過ぎたのは、朝宴ともに用いたためである。『輿服志』に「輦車は金銀丹青の采雘と彫画の蒲萄の文様を具え、人が乗って行く」とある。信陽侯の陰就が井丹に会った時、左右の者が輦を進めたのは、臣下も乗ることができたためである。晋の武帝が安平献王の司馬孚に雲母輦を与えた。晋の中朝にはまた香衣輦があり、江左では御所のみが乗った。

原文輦車,如犢車,竹蓬。廂外鑿鏤金薄,碧紗衣,織成芚,錦衣。廂裏及仰頂隱膝後戶,金塗鏤面,瑇瑁帖,金塗松精,登仙花紐,綠四緣,四望紗萌子,上下前後眉,鏤鍱。轅枕長角龍,白牙蘭,瑇瑁金塗校飾。漆鄣塵板在蘭前,金銀花獸玃天龍師子鏤面,榆花鈿指子摩尼炎,金龍虎。扶轅,銀口帶,龍板頭。龍轅軛上,金鳳皇鈴璅,銀口帶,星後梢,瑇瑁帖,金塗香沓,銀星花獸幔竿杖,金塗龍牽,縱橫長,背花香染兆牀副。自輦以下,二宮御車,皆綠油幢,絳系絡。御所乘,雙棟。其公主則碧油幢云。《司馬法》曰「夏后氏輦曰金車,殷曰胡奴車,周曰輜車」,皆輦也。《漢書叔孫通傳》云「皇帝輦出房」,成帝輦過後宮,此朝宴竝用也。《輿服志》云「輦車具金銀丹青采雘雕畫蒲陶之文,乘人以行」。信陽侯陰就見井丹,左右人進輦,是爲臣下亦得乘之。晉武帝給安平獻王孚雲母輦。晉中朝又有香衣輦,江左唯御所乘。

卧輦。校飾は坐輦と同様だが、あまり用いられない。

原文卧輦。校飾如坐輦,不甚服用。

漆画輪車は、金塗りの校飾は輦と同様だが、やや簡素である。金塗りの鐺、縦容後輠の獅子副。御が群公の挙哀に臨んで哭する際に乗る。皇后と太子妃も乗る。

原文漆畫輪車,金塗校飾如輦,微有減降。金塗鐺,縱容後輠師子副也。御爲羣公舉哀臨哭所乘。皇后太子妃亦乘之。

漆画牽車は、小さくて輿車のようで、金塗りの縦容後路の獅子輠、鉄の鐺、錦の衣。車箱の内側の隠膝後戸と牙蘭、轅枕と梢、幰竿の戍棟樑は、すべて金塗りで校飾。御と皇太子が乗るもので、古の羊車である。晋の泰始年間、中護軍の羊琇が羊車に乗り、司隷校尉の劉毅に奏弾された。武帝は詔して「羊車には制はないが、質素な者が乗るものではない。免官とする」と言った。『衞玠伝』に「総角の時に羊車に乗ると、市の人が集まって見物した」とある。今は羊を駕さないが、なおこの車を牽く者を羊車と呼ぶという。

原文漆畫牽車,小形如輿車,金塗縱容後路師子輠,鐵鐺,錦衣。廂裏隱膝後戶牙蘭,轅枕梢,幰竿戍棟樑,皆金塗校飾。御及皇太子所乘,卽古之羊車也。晉泰始中,中護軍羊琇乘羊車,爲司隷校尉劉毅所奏。武帝詔曰:「羊車雖無制,非素者所服,免官。」《衞玠傳》云:「總角乘羊車,市人聚觀。」今不駕羊,猶呼牽此車者爲羊車云。

輿車は、形は軺車のようで、漆画、金の校飾、錦の衣。両側の車箱の後戸と隠膝、牙蘭はすべて瑇瑁の帖、刀格、鏤面の花釘。幰竿が校棟樑となり、下に八本の棡を施し、金塗りの沓、兆牀副。人が担ぐ。一つには小輿といい、小行幸に乗る。皇太子も宮内で乗ることができる。

原文輿車,形如軺車,柒畫,金校飾,錦衣。兩廂後戶隱膝牙蘭,皆瑇瑁帖,刀格,鏤面花釘。幰竿成校棟樑,下施八棡,金塗沓,兆牀副。人舉之。一曰小輿,小行幸乘之。皇太子亦得於宮內乘之。

衣書十二乗は、澬榆の轂輪、箕子壁、緑油の衣、車箱の外側に緑紗の萌、油幢の絡、通幰、竿刺が代わりの棟樑、柮檽の真形の龍牽、支子花。轅の後の伏神抗、承泥、沓は、金塗りの校具。古の副車の象である。今も五時副車という。

原文衣書十二乘,澬榆轂輪,箕子壁,綠油衣,廂外綠紗萌,油幢絡,通幰,竿刺代棟樑,柮檽真形龍牽,支子花。轅後伏神抗、承泥、沓,金塗校具。古副車之象也。今亦曰五時副車。

青萌車は、いわゆる潝幔車である。

原文青萌車,是謂潝幔車。

油絡画安車は、公主、王妃、三公・特進の夫人が乗る。漢の制では、皇后と貴人は紫の罽の軿車。晋の皇后は雲母油画安車に乗り、六頭立てで、両轅の安車五頭立てを副車とした。公主の画安車は六頭立てで、両轅の安車三頭立てを副車とした。公主の画安車は三頭立て、三夫人の青交絡安車は三頭立てで、いずれも紫絳の罽軿車三頭立てを副車とした。九嬪と世婦の軿車は二頭立てで、王公の妃と特進夫人の皁交絡を副車とした。漢は軺車を賤しみ軿車を貴び、晋は輜軿を賤しみ軺車を貴んだが、いずれも礼を行う際に乗った。

原文油絡畫安車,公主、王妃、三公特進夫人所乘。漢制,皇后貴人紫罽軿車。晉皇后乘雲母油畫安車,駕六,以兩轅安車駕五爲副。公主畫安車駕六,以兩轅安車駕三爲副。公主畫安車駕三,三夫人青交絡安車駕三,皆以紫絳罽軿車駕三爲副。九嬪世婦軿車駕二,王公妃特進夫人皁交絡爲副。漢賤軺車而貴軿車,晉賤輜軿而貴軺車,皆行禮所乘。

黄屋車は、碧の旂九旒を立てる。九旒は鸞輅である。『漢輿服志』に「金根車は、蓋を黄繒で裏打ちし、これを黄屋という」とある。今の金輅・玉輅はすべて黄地の錦を用いるが、この車のみ黄繒を用いる。すべて金塗りの校具、黄の隠随陰、青の毛羽、二十八の爪支子花、絳の系絡。九命の上公が乗る。

原文黃屋車,建碧旂九旒,九旒,鸞輅也。《漢輿服志》云:「金根車,蓋黃繒爲裏,謂之黃屋。」今金、玉輅皆以黃地錦,唯此車以黃繒。皆金塗校具,黃隱隨陰,青毛羽,二十八爪支子花,絳系絡。九命上公所乘。

青蓋安車は、朱の轓と漆班輪、一頭立て、左右に騑馬、通幰車を副車とし、諸王が礼を行う際に乗る。車に轓があるものを軒という。皁蓋安車は、朱の轓と漆班輪、一頭立て、通幰の牛車を副車とし、三公が礼を行う際に乗る。

原文青蓋安車,朱轓漆班輪,駕一,左右騑,通幰車爲副,諸王禮行所乘。凡車有轓者謂之軒。皁蓋安車,朱轓漆班輪,駕一,通幰牛車爲副,三公禮行所乘。

安車は、黒い耳と皁蓋の馬車、朱の轓、一頭立て、牛車を副車とし、国公・列侯が礼を行う際に乗る。

原文安車,黑耳皁蓋馬車,朱轓,駕一,牛車爲副,國公列侯禮行所乘。

馬車は一頭立てで、九卿、領軍将軍、護軍将軍、二衛、驍騎将軍、游撃将軍、四軍、五校が郊外の陵墓へ行く際に乗る。晋の制度では、三公から九卿まで、それぞれ安車で黒い耳飾りのついた車一輛があり、公は三頭立て、特進は二頭立て、卿は一頭立てで、さらにそれぞれ軺車に黒い耳飾りと後ろの戸、黒い車輪を施したものが一輛あった。

原文馬車,駕一,九卿、領、護、二衞、驍游、四軍、五校從郊陵所乘。晉制,三公下至九卿,又各安車黑耳一乘,公駕三,特進駕二,卿駕一,復各軺車施黑耳後戶皁輪一乘。

油絡軺車は、尚書令、僕射、中書監、中書令、尚書、侍中、常侍、中黄門、中書侍郎、散騎侍郎が、いずれも牛一頭立てで、朝廷に出仕する際に乗る。晋の制度では、尚書令の車には黒い耳飾りと後ろの戸、黒い車輪を施し、僕射、中書監、中書令の車には直接後ろの戸と黒い車輪を施し、尚書の車には後ろの戸がなく、いずれも車輪の轂に漆を塗った。現在も依然としてそうである。

原文油絡軺車,尚書令、僕射、中書監、令、尚書、侍中、常侍、中黃門、中書、散騎侍郎,皆駕一牛,朝直所乘。晉制,尚書令施黑耳後戶皁輪,僕射、中書監、令直施後戶皁輪,尚書無後戶,皆漆輪轂,今猶然。

安車は、赤い屏風があり、一頭立てである。また軺車に後ろの戸を施したものを副車とし、太子の太傅・少傅が礼を行う際に乗る。

原文安車,赤屏,駕一,又軺車,施後戶,爲副,太子二傅禮行所乘。

四望車は、全体に覆い幕があり、油で塗った幔幕と絡み飾り、斑漆を塗った車輪の轂を持つ。また皁輪とも呼ばれ、礼を加えるべき貴臣に与えられる。晋の武帝は詔を下して魏の舒に陽燧四望小車を与えた。

原文四望車,通幰,油幢絡,班柒輪轂。亦曰皁輪,以加禮貴臣。晉武詔給魏舒陽燧四望小車。

三望車は、制度は四望車と同じである。あるいは夾望とも呼ばれ、これも礼を加えるべき貴臣に与えられる。四望車に次ぐ。

原文三望車,制度如四望。或謂之夾望,亦以加禮貴臣。次四望。

油幢絡車は、制度は三望車に似ているが簡略化されている。王公で礼を加えられる者が常時乗るもので、三望車に次ぐ。

原文油幢絡車,制似三望而減。王公加禮者之常乘,次三望。

平乗車は、竹で編んだ箕子壁を仰向けにし、榆で車輪を作り、通幰の竿で棟梁の代わりとし、柮檽に真形の龍を牽かせ、金を塗った支子花の紐飾り、轅頭の後ろの梢に沓伏神が泥を受ける。庶人も同様だが、通幰はない。三公と諸王が乗る。四望車から平乗車まで、いずれも銅で校飾されている。

原文平乘車,竹箕子壁仰,榆爲輪,通幰竿刺代棟樑,柮檽真形龍牽,金塗支子花紐,轅頭後梢沓伏神承泥。庶人亦然,但不通幰。三公諸王所乘。自四望至平乘,皆銅校飾。

轀輬車は四輪で、金根車のように飾られている。四隅に龍の頭があり、組紐に璧玉をくわえさせ、五色の飾りを垂らし、析羽の葆に流蘇を付け、前後に雲気の模様を描いた帷裳があり、素地を池として黼黻の模様を施す。白い駱馬四頭を立て、太僕が手綱を執る。貴臣が薨去した際も同様だが、羽飾りや駕御の装飾はやや簡略化される。

原文轀輬車。四輪,飾如金根。四角龍首,施組銜璧,垂五采,析羽葆流蘇,前後雲氣錯畫帷裳,以素爲池而黼黻。駕四白駱馬,太僕執轡。貴臣薨,亦如之,羽飾駕御,微有減降。

『虞書』に「私は古人の象(模様)を見たい。日、月、星辰、山、龍、華蟲を刺繍し、宗彝、藻、火、粉米、黼、黻を刺繍し、五采を用いて五色に施す」とある。天子の服は日・月以下を備え、公は山・龍以下、侯伯は華蟲以下、子男は藻・火以下、卿大夫は粉米以下を用いる。天子の六冕、王后の六服は、周官に記されている。公侯以下にも皆名称と規定があり、佩玉と組綬は礼文に全て具わっている。後代の沿革は『漢志』『晋服制令』に見え、その冠の十三品は蔡邕の『獨断』に見えるが、いずれも詳しくは繰り返さない。宋の明帝泰始四年、五輅を改めて制定し、五冕を整備することを議し、朝会・饗宴・狩猟にそれぞれ着用する服があり、事は『宋注』に見える。旧来、三公以下は冕の旒が七つで青玉の珠、卿大夫以下は五つで黒玉の珠と受け継がれてきた。永明六年、太常丞何諲之が議を立て、『周礼』の命数に基づき、三公を八旒、卿を六旒に改めることを求めた。尚書令王儉は議を立て、漢代の三公の服に倣い、山・龍の九章、卿は華蟲の七章とすることを主張した。これに従った。

原文《虞書》曰:「予欲觀古人之象,日、月、星辰、山、龍、華蟲作繢,宗彝、藻、火、粉米、黼、黻絺繡,以五采章施于五色。」天子服備日、月以下,公山、龍以下,侯伯華蟲以下,子男藻、火以下,卿大夫粉米以下。天子六冕,王后六服,著在周官。公侯以下,咸有名則,佩玉組綬,竝具禮文,後代沿革,見《漢志晉服制令》,其冠十三品,見蔡邕《獨斷》,竝不復具詳。宋明帝泰始四年,更制五輅,議脩五冕,朝會饗獵,各有所服,事見《宋注》。舊相承三公以下冕七旒,青玉珠,卿大夫以下五旒,黑玉珠。永明六年,太常丞何諲之議,案《周禮》命數,改三公八旒,卿六旒。尚書令王儉議,依漢三公服,山、龍九章,卿華蟲七章。從之。

平冕に黒い介幘さく(現在で言う平天冠)。黒い表地に朱の縁取りと裏地、幅七尺、長さ一尺二寸、垂れ下がる珠十二旒、朱組を纓とし、その色は綬と同じ。上衣は黒、下衣は臙脂色、裳は前三幅、後四幅。衣には絵を、裳には刺繍を施し、日、月、星辰、山、龍、華蟲、藻、火、粉米、黼、黻の十二章とする。素帯は幅四寸、朱の裏地、側面を朱と緑で縁取りし、腰の中央は朱、垂れ下がる部分は緑で、長さ三尺。中衣は、その襟と袖口を臙脂色で縁取りする。赤い皮の韍、臙脂色の袴と袜、赤い舄。郊祀・宗廟・朝廷臨御の際に着用する。漢代は冕に白玉の珠を旒とした。魏の明帝は婦人の飾りを好み、珊瑚の珠に改めた。晋初は旧制のままだったが、後に改めた。江左では美玉が得難かったため、遂に琫珠を用い、世間では白琁珠と呼んだ。

原文平冕黑介幘,今謂平天冠。皁表朱緣裏,廣七尺,長尺二寸,垂珠十二旒,以朱組爲纓,如其綬色。衣皁上絳下,裳前三幅,後四幅。衣畫而裳繡,爲日、月、星辰、山、龍、華蟲、藻、火、粉米、黼、黻十二章。素帶廣四寸,朱裏,以朱綠裨飾其側,要中以朱,垂以綠,垂三尺。中衣,以絳緣其領袖,赤皮韍,絳袴袜,赤舄,郊廟臨朝所服也。漢世冕用白玉珠爲旒。魏明帝好婦人飾,改以珊瑚珠。晉初仍舊,後乃改。江左以美玉難得,遂用琫珠,世謂之白琁珠。

袞衣は、漢代に陳留郡襄邑で織られたものが産出した。宋末には刺繍や織成を用いた。建武年間、明帝は織成が重いとして、絵を描いたものに替え、金銀の薄片で飾りを加えた。世間ではこれを天衣とも呼んだ。

原文袞衣,漢世出陳留襄邑所織。宋末用繡及織成,建武中,明帝以織成重,乃采畫爲之,加飾金銀薄,世亦謂爲天衣。

史臣が言う。黼黻の設けは、経と緯とが用をなすためであり、故に五色六章十二衣は互いに質を為すのである。歴代の龍袞は、織り成して文様とした。今や体が衣に耐えず、旧法を変易するのは、まさに黻冕を美しくするという謂いであろうか。

原文史臣曰:黼黻之設,經緯爲用,故五色六章十二衣還相爲質也。歷代龍袞,織以成文,今體不勝衣,變易舊法,豈致美黻冕之謂乎!

通天冠に黒い介幘、金の博山の額飾り、臙脂色の紗の袍、黒い縁取りの中衣。乗輿(天子)が常朝の際に着用する。旧来は駮犀の簪導を用いたが、東昏侯は玉に改めた。その朝服は、臣下も皆同じである。

原文通天冠,黑介幘,金博山顏,絳紗袍,皁緣中衣,乘輿常朝所服。舊用駮犀簪導,東昏改用玉。其朝服,臣下皆同。

黒い介幘に単衣、色は定めがない。乗輿が陵墓を拝する際に着用する。白帢に単衣は素服と呼ばれ、哀悼し喪に臨む際に用いる。

原文黑介幘,單衣,無定色,乘輿拜陵所服。其白帢單衣,謂之素服,以舉哀臨喪。

遠游冠は、太子と諸王が冠するもの。太子は朱の纓、翠鳥の羽根の緌に珠の節。諸王は玄(黒)の纓で、公侯も皆同じである。

原文遠游冠,太子諸王所冠。太子朱纓,翠羽緌珠節。諸王玄纓,公侯皆同。

平冕は、それぞれ組を纓とし、王公は八旒、衣に山と龍の九章、卿は七旒、衣に華蟲の七章を施し、いずれも助祭の際に着用する服である。すべて黒と深紅の絹に描いて作る。

原文平冕,各以組爲纓,王公八旒,衣山、龍九章,卿七旒,衣華蟲七章,竝助祭所服。皆畫皂絳繒爲之。

進賢冠は、諸開國公・侯、郷・亭侯、卿、大夫、尚書、関内侯、二千石、博士、中書郎、丞・郎、祕書監・丞・郎、太子中舎人・洗馬・舎人、諸府長史、卿、尹・丞、下は六百石の令長・小吏まで、三梁・二梁・一梁の差で区別する。詳細は『晋令』に見える。

原文進賢冠,諸開國公、侯,鄉、亭侯,卿,大夫,尚書,關內侯,二千石,博士,中書郎,丞、郎,祕書監、丞、郎,太子中舍人、洗馬、舍人,諸府長史,卿,尹、丞,下至六百石令長小吏,以三梁、二梁、一梁爲差,事見《晉令》。

武冠は、侍臣は貂蟬を加え、その他の軍校・武職、黄門、散騎、太子中庶子、二率、朝散、都尉は、皆これを冠する。ただ武騎・虎賁は文衣を着用し、武冠の上に雉の尾を挿す。

原文武冠,侍臣加貂蟬,餘軍校武職、黃門、散騎、太子中庶子、二率、朝散、都尉,皆冠之。唯武騎虎賁服文衣,插雉尾於武冠上。

史臣が言う。応劭の『漢官』で附蟬を解釈し、また司馬彪の志にも、侍中と常侍に違いがあるとは見えず、ただ左右に貂を珥すると言うだけである。項氏の説によると「漢の侍中の蟬は、蟬の像を刻み、常侍はただ璫だけで蟬はない」というが、どの時代に改められたかは詳らかでない。

原文史臣曰:應劭《漢官》釋附蟬,及司馬彪志竝不見侍中與常侍有異,唯言左右珥貂而已。案項氏說云「漢侍中蟬,刻爲蟬像,常侍但爲璫而不蟬」,未詳何代所改也。

法冠は、廷尉など諸々の執法者がこれを冠する。

原文法冠,廷尉等諸執法者冠之。

高山冠は、謁者がこれを冠する。

原文高山冠,謁者冠之。

樊噲冠は、殿門の衛士がこれを冠する。

原文樊噲冠,殿門衞士冠之。

黒介幘冠は文官の冠、平幘冠は武官の冠である。尚書令、僕射、尚書納言の幘は、後ろの飾りが異なる。

原文黑介幘冠,文冠;平幘冠,武冠。尚書令、僕射、尚書納言幘,後飾爲異。

童子の空頂幘は、仮髻を施し、貴賤を問わず同じ服とする。

原文童子空頂幘,施假髻,貴賤同服。

日蝕を救う際、文武官は皆免冠し、赤介幘を着けて朝服に対す。赤幘は、威武を示すものである。

原文救日蝕,文武官皆免冠,著赤介幘對朝服。赤幘,示威武也。

袴褶は、車駕が親征し、内外が厳戒態勢の際に着用する服である。黒冠、帽に紫の褾を綴じ、絡帯で鞶帯に代える。中官は紫の褾、外官は深紅の褾とする。厳戒態勢の戎服には褾を綴じず、行軍・駐留ともすべて同じである。校猟・巡幸の際、従官は戎服に革帯・鞶帯とし、文官は纓を付けず、武官は冠を脱ぐ。

原文袴褶,車駕親戎、中外纂嚴所服。黑冠,帽綴紫褾,以絡帶代鞶帶。中官紫褾,外官絳褾。其纂嚴戎服不綴褾,行留悉同。校獵巡幸,從官戎服革帶鞶帶,文官不纓,武官脫冠。

袿大衣を褘衣といい、皇后が廟に謁する際に着用する服である。公主が会見する際は大首髻とし、その燕服には厳かに雑宝を施して佩瑞とする。袿は刺繍を用いて衣とし、裳に五色を加え、金銀の鎖で校飾する。

原文袿大衣,謂之褘衣,皇后謁廟所服。公主會見大首髻,其燕服則施嚴雜寶爲佩瑞。袿用繡爲衣,裳加五色,鏁金銀校飾。

綬は、乗輿は黄赤綬、黄・赤・縹・緑・紺の五采。太子は朱綬、諸王は纁朱綬、いずれも赤・黄・縹・紺の四采。妃も同じ。相国は緑綟綬、三采、緑・紫・紺。郡公は玄朱、侯伯は青朱、子男は素朱、いずれも三采。公の世子は紫、侯の世子は青、郷・亭・関内侯は墨綬、いずれも二采。郡国太守・内史は青、尚書令・僕、中書監・令、祕書監は皆黒、丞は皆黄、諸府の丞も黄である。皇后は乗輿と同じく赤、貴嬪・夫人・貴人は紫、王太妃・長公主・封君も紫綬、六宮は青綬、青・白・紅、郡公・侯の夫人は青綬。

原文綬,乘輿黃赤綬,黃赤縹綠紺五采。太子朱綬,諸王纁朱綬,皆赤黃縹紺四采。妃亦同。相國綠綟綬,三采,綠紫紺。郡公玄朱,侯伯青朱,子男素朱,皆三采。公世子紫,侯世子青,鄉、亭、關內侯墨綬,皆二采。郡國太守、內史青,尚書令、僕、中書監、令、祕書監皆黑,丞皆黃,諸府丞亦黃。皇后與乘輿同赤,貴嬪、夫人、貴人紫,王太妃、長公主、封君亦紫綬,六宮青綬,青白紅,郡公、侯夫人青綬。

乗輿の伝国璽は、秦の璽である。晋の中原の乱で胡に没し、江左には初めなく、北方人は晋家を「白板天子」と呼んだ。冉閔が敗れると、璽は南に還った。別に行信など六璽があり、いずれも金で作り、これも秦・漢の制度である。皇后は金璽、太子・諸王は金璽、いずれも亀鈕。公侯五等は金章、公の世子は金印、侯は銀印、貴嬪・夫人は金章、公主・王太妃・封君は金印、六宮以下公侯の太夫人・夫人は銀印。その公・将軍は金章、光禄大夫、卿、尹、太子傅、諸領護将軍、中郎将、校尉、郡国太守内史、四品五品将軍は皆銀章、尚書令・僕、中書監・令、祕書監丞、太子二率、諸府長史、卿、尹、丞、尉、中丞、都水使者、諸州刺史は皆銅印。

原文乘輿傳國璽,秦璽也。晉中原亂沒胡,江左初無之,北方人呼晉家爲「白板天子」。冉閔敗,璽還南。別有行信等六璽,皆金爲之,亦秦、漢之制也。皇后金璽,太子諸王金璽,皆龜鈕。公侯五等金章,公世子金印,侯銀印,貴嬪、夫人金章,公主、王太妃、封君金印,六宮以下公侯太夫人夫人銀印。其公、將軍金章,光祿大夫、卿、尹、太子傅、諸領護將軍、中郎將、校尉、郡國太守內史、四品五品將軍,皆銀章,尚書令、僕、中書監、令、祕書監丞、太子二率、諸府長史、卿、尹、丞、尉、中丞、都水使者、諸州刺史,皆銅印。

三臺五省の二品文官は、皆白筆を簪す。王公五等および武官は簪さず、内侍を加えると簪す。

原文三臺五省二品文官,皆簪白筆。王公五等及武官不簪,加內侍乃簪。

百官が手に持つ手板(笏)は、尚書令・尚書僕射・尚書のものは、手板の頭部にさらに白筆があり、紫の皮で包んでおり、「笏」と呼ばれた。漢末の仲長統は、すべての官庁がこれを持つべきだと述べた。その肩にかける紫の袷あわせの袋は「契囊」と呼ばれ、世間では「紫荷」と呼んだ。

原文百官執手板,尚書令、僕、尚書,手板頭復有白筆,以紫皮裹之,名曰「笏」。漢末仲長統謂百司皆宜執之。其肩上紫袷囊,名曰「契囊」,世呼爲「紫荷」。

佩玉は、天子の乗輿以下、晋・宋の制度と同じである。建元四年、制度として王・公・侯・卿・尹は珠(真珠)と水精(水晶)を用い、その他は象牙と蜯(ハマグリ)を用いることとした。太官の宰人(料理人)は離支(荔枝)の文様の衣を着用し、後に定められた。

原文佩玉,自乘輿以下,與晉、宋制同。建元四年,制王公侯卿尹珠水精,其餘用牙蜯。太官宰人服離支衣,後定。