巻13

南齊書

巻十三 志第五

史臣が言う。天文の象を設けるには、内外両宮を備えるべきである。しかし災いの及ぶところは、必ずしも全ての星宿に及ぶわけではない。五星の精気と日影、そして日月の二曜を合わせて七つとし、吉凶の兆しを司り、暦数を管轄するのは、他の星宿とは異なるものである。もし北辰が動かず、天の軸として据わっているならば、衆星が流動するのは、実は天体に結びついているのであり、五星の隠伏も、二曜とは関係がない。故に徐顕思は五星を星ではないとし、虞喜が詳しく論じている。

建元元年八月辛亥、太白(金星)が軒轅大星を犯した。

九月癸丑、太白が軫宿に従って運行し、填星(土星)を犯した。

二年六月丙子、太白が昼間に現れた。

四年二月丙戌、太白が昼間に現れ、午の方位の上にあった。

六月辛卯、太白が昼間に午の方位の上に現れた。庚子、太白が東井宿に入り、何も犯さなかった。

七月己未、太白に光と影があった。

八月戊子、太白が軒轅に従って運行し、女主星を犯した。甲辰、太白が従って運行し、軒轅少民星を犯した。

九月己卯、太白が従って運行し、太微垣の西蕃の上将星を犯した。辛酉、太白が従って運行し、太微垣に入り、右執法星の西北一尺のところにあった。戊辰、太白が従って運行し、太微垣の左執法星を犯した。

十二月壬子、太白が従って運行し、填星を犯し、 てい 宿の度にあった。丙辰、太白が従って運行し、房宿の北頭第一星を犯した。丁卯、太白が楗閉星を犯した。

永明元年六月己酉、太白が運行して太微垣の上将星を犯した。辛酉、太白が運行して太微垣の左執法星を犯した。

八月甲申、太白が南斗第四星を犯した。

九月乙酉、太白が南斗第三星を犯した。壬辰、太白と熒惑(火星)がともに南斗宿の度で合となった。

十月丁卯、太白星が哭星を犯した。

二年正月戊戌、太白星が昼間に見え、正午の上空にあった。

三月甲戌、太白星が運行して羽林に入った。

四月丙申、太白星が運行して東井の鉞星を犯した。

六月戊辰、太白星と熒惑星がともに輿鬼の度にあった。己巳、太白星が運行して輿鬼の度で歳星を犯した。

三年四月丁未、太白星が昼間に見えた。癸亥、太白星が昼間に見え、正午の上空にあった。

五月戊子、太白星が少民星を犯した。

八月丁巳、太白星が昼間に見え、正午の上空にあった。

十一月壬申、太白星が運行して てい に入った。

十二月己酉、太白星と填星が箕の度で合した。

四年九月壬辰、太白星が昼間に見え、正午にあった。丙午、太白星が南斗を犯した。

十一月庚子、太白星が羽林に入り、また天関を犯した。

五年五月丁酉、太白星が昼間に見え、正午の上空にあった。庚子、太白星が三度、畢の左股第一星の西南一尺のところを犯した。

六月甲戌、太白星が東井北轅の第三星を犯した。西一尺のところにあった。

八月甲寅、太白星が運行して軒轅に入り、女主星の東北一尺二寸のところにあり、犯とはならなかった。戊辰、太白星が運行して太微西蕃の上将星の西南五寸のところにあった。辛巳、太白星が運行して太微左執法星の西北四寸のところにあった。

永明六年四月辛酉の日、太白星が熒惑の北三寸の位置に従っており、犯すこととなり、ともに東井の度にある。

五月癸卯の日、太白星が昼間に見え、正午の上にある。

六月己巳の日、太白星が太微垣の西蕃右執法星の東南四寸の位置に従っており、犯すこととなった。

七月癸巳の日、太白星が てい 宿の角星の東北一尺の位置にあり、犯すこととなった。

八月乙亥の日、太白星が運行して房宿の南、第二左股次将星の西南一尺の位置にあり、犯すこととなった。

閏八月甲午の日、太白星が昼間に見え、正午にある。

十一月戊午の日、太白星が歳星の西北四尺の位置に従っており、ともに尾宿の度にある。また熒惑の東北六尺五寸の位置にあり、心宿の度にあって、同じ宿に合宿している。

十二月壬寅の日、太白星が運行して填星の西南二尺五寸の位置にあり、斗宿の度にある。

永明七年二月辛巳の日、太白星が運行して羽林に入った。

十月癸酉の日、太白星が歳星の南にあり、距離は一尺六寸で、箕宿の度に従っており、合となった。

十一月丁卯の日、太白星が運行して羽林に入った。

永明八年正月丁未の日、太白星が昼間に見え、正午の上にある。

六月戊子の日、太白星が運行して東井に入った。己丑の日、太白星が昼間に見え、正午にある。

八月庚辰の日、太白星が軒轅の女主星の南七尺の位置に従っており、犯すこととなった。

九月丙申の日、太白星が運行して太微垣の西蕃上将星の西南一尺の位置にあり、犯すこととなった。丁未の日、太白星が運行して太微に入った。辛酉の日、太白星が運行して進賢星の西五寸の位置にあり、犯すこととなった。

十月乙亥、太白星が運行して亢宿の南第二星の西南一尺のところにあり、犯した。甲申、太白星が運行して てい 宿に入った。

十一月戊戌、太白星が運行して房宿の北端第二星の東北一寸のところにあり、また楗閉星の西南七寸のところにあり、ともに犯した。また熒惑の西北二尺のところにあり、合宿した。癸卯、太白星が運行して熒惑の東北一尺のところにあり、犯した。

九年四月癸未、太白星が順行し、夕方西方に見え、疾く参宿一度を運行した。ここしばらく多く陰っていたが、己丑に至って開き除かれ、すでに太陽の北に見え、西北の角上に当たり、薄暗くなって宿星が見えず、先に順行して現れたのである。

六月丙子、太白星が昼間に見え、正午の上にあった。

七月辛卯、太白星が運行して太微垣に入り、西蕃の上将星の北四寸のところにあり、犯した。

九月乙亥、太白星が運行して南斗第四星の北二寸のところにあり、犯した。丁卯、太白星が南斗第三星の西一寸のところにあり、犯した。

十年二月甲辰、太白星が運行して羽林に入った。

五月辛巳、太白星が運行して東井に入り、軒轅西第一星の東六寸のところにあり、犯した。

七月乙丑、太白星が運行して軒轅大星の東八寸のところにあり、犯した。

十一年正月戊辰、太白星が運行して歳星の西北六寸のところにあり、犯した。奎宿の度にある。

二月丁丑、太白星が運行して東井北轅西端第一星の東北一尺のところにあり、犯した。

四月戊子、太白星が五諸侯東第二星の西北六寸のところにあり、犯した。辛丑、太白星が運行して輿鬼に入り、東北星の西南四寸のところにあり、犯した。

五月戊午、太白星が昼間に見え、正午に当たり、経天と名づけられる。癸亥、太白星が運行して軒轅大星の北一尺二寸のところに入り、何も犯さなかった。

九月己酉、太白星が昼間に見え、正午の上にあった。

十月丙戌、太白星が運行して進賢星の西南四寸のところにあり、犯した。

十一月戊戌の日、太白星が運行して てい 宿に入った。丁卯の日、太白星が運行して楗閉星の西北六寸の位置にあり、犯した。

十二月壬辰の日、太白星が運行して南斗第六星の東南一尺の位置にあり、犯した。辛丑の日、太白星が運行して西建東星の西南一尺の位置にあり、犯した。

建元元年五月己未の日、熒惑星が太微垣の西蕃上將星を犯し、さらに東蕃上將星を犯した。

二年十月辛酉の日、熒惑星が太微垣を守った。

四年六月戊子の日、熒惑星が運行して東井宿に入り、何も犯さなかった。戊戌の日、熒惑星は東井宿の度にあり、形は小さく色は黄黒で明るくない。丁丑の日、熒惑星と太白星がともに東井宿の度にあった。

七月甲戌の日、熒惑星が運行して輿鬼宿に入り、積尸星を犯した。

十月癸未の日、熒惑星が運行して太微垣の西蕃上將星を犯した。丙戌の日、熒惑星が運行して太微垣に入った。

十一月丙辰の日、熒惑星が運行して太微垣にあり、右執法星を犯した。

永明元年正月己亥の日、熒惑星が逆行して上相星を犯した。辛亥の日、熒惑星が角宿を守った。庚子の日、熒惑星が逆行して太微垣に入った。

三月丁卯の日、熒惑星が太白星を守った。

六月戊申の日、熒惑星が運行して亢宿を犯した。己巳の日、熒惑星が運行して てい 宿の東南星を犯した。

七月戊寅の日、熒惑星と填星がともに てい 宿の度にあった。丁亥の日、熒惑星が運行して房宿の北頭第二星を犯した。

八月乙丑の日、熒惑星が運行して天江星を犯した。甲戌の日、熒惑星が南斗第五星を犯した。

十一月丙申の日、熒惑星が羽林に入った。

二年八月庚午の日、熒惑星が太微垣の西蕃上將星を犯した。癸未の日、熒惑星が太微垣の右執法星を犯した。丁酉の日、熒惑星が太微垣の右執法星を犯した。

十月庚申の日、熒惑が進賢星を犯した。

十一月壬辰の日、熒惑が亢宿の南第二星を犯した。丙申の日、熒惑が亢宿の南星を犯した。

十二月乙卯の日、熒惑が てい 宿に入った。

三年二月乙卯の日、熒惑が房宿の北端第一星の西北一尺の位置にあり、房宿のそばを徘徊して守っていた。

四月戊戌の日、熒惑が犯した。六月乙亥の日、熒惑が房宿を犯した。癸亥の日、熒惑が天江の南端第二星を犯した。

八月丁巳の日、熒惑が南斗第五星を犯した。

十一月丙戌の日、熒惑が運行して羽林に入った。

四年八月戊辰の日、熒惑が太微垣に入った。癸酉の日、熒惑が太微垣の右執法星を犯した。戊子の日、熒惑が太微垣にあった。

九月戊申の日、熒惑が歳星を犯した。己酉の日、熒惑が歳星を犯し、光芒の角が相接した。

十月丁丑の日、熒惑が亢宿の南端第一星を犯した。

十一月庚寅の日、熒惑が てい 宿の西南星を犯した。

十二月己未の日、熒惑が房宿の北端第一星を犯した。庚申の日、熒惑が房宿の北に入り、鉤鈐星を犯した。

五年二月乙亥の日、熒惑と填星がともに南斗の度にあり、合宿となった。

九月乙未の日、熒惑が運行して哭星の東にあり、距離は半寸であった。

六年四月癸丑の日、熒惑が参宿の度に伏在し、太白星から二尺五寸離れ、辰星は太白星から五尺離れており、三つの星が合宿となった。甲戌の日、熒惑が辰星の東南二尺五寸の位置にあり、ともに運行して東井の曠中に入り、何も犯さなかった。

閏四月丁丑、熒惑が運行して てい 宿の西南星の北七寸に至り、犯す。己卯、熒惑が運行して てい 宿に入り、犯すところなし。 乙巳 いっし 、熒惑が運行して房宿の北頭第一上將右驂星の南六寸に至り、犯す。また鉤鈐星の西北五寸にある。

十一月丙寅、熒惑が運行して歳星の西にあり、相距ること四尺、ともに尾宿の度に在り、合宿となる。

七年二月丙子、熒惑が運行して填星の西にあり、相距ること二尺、ともに牽牛宿の度に在り、合宿となる。

三月戊午、熒惑が泣星の西北七寸に在る。戊辰、熒惑が運行して羽林に入る。

八月戊戌、熒惑が逆行して羽林に入る。

九月乙丑、熒惑が羽林に入り、句己を成す。

八年四月丙申、熒惑が運行して輿鬼に入り、西北星の東南二寸に在り、犯す。

十月乙亥、熒惑が てい 宿に入る。

十一月乙未、熒惑が運行して北落門に入り、第一星の東南に在り、鉤鈐より三寸を去り、犯す。

九年三月甲午、熒惑が填星の東七寸に在り、歳星の南六寸に在り、ともに虚宿の度に在り、犯し、合宿となる。

四月癸亥、熒惑が運行して羽林に入る。

閏七月辛酉、熒惑が運行して畢宿の左股星の西北一寸に在り、犯す。

八月十四日、熒惑は昴宿三度に伏すべきところ、先に歴が畢宿の度に在り、二十一日に始めて逆行して北に転じ、玄冬に垂れんとす。熒惑が囚死する時節に、形色が常より次第に大きくなる。

十年二月庚子、熒惑が運行して東井の北轅西頭第一星の西二寸に入り、犯す。

三月癸未、熒惑が運行して輿鬼の西北七寸に在り、犯す。乙酉、熒惑が運行して輿鬼に入る。

六月壬寅、熒惑が順行して太微に入った。

十一年二月庚戌、熒惑が順行して填星の西北六寸にあり、犯した。ともに営室にあった。

五月戊午、熒惑が順行して歳星の西南六寸にあり、犯した。ともに婁度にあった。

八月辛巳、熒惑が順行して東井に入り、南轅西第一星の東北一尺四寸にあった。

十一月丁巳、熒惑が逆行して五諸侯東星の北四寸にあり、犯した。

隆昌元年三月乙丑、熒惑が順行して輿鬼西北星の東一寸に入り、犯した。癸酉、熒惑が順行して輿鬼積尸星の東北七寸にあり、犯した。

閏三月甲寅、熒惑が順行して軒轅に入った。

五月丁酉、熒惑が順行して太微に入り、右執法の北二寸にあり、犯した。

建元四年正月己卯、歳星と太白がともに順行し、ともに婁度にあり、合宿した。

六月丁酉、歳星が昼間に現れた。

永明元年五月甲午、歳星が東井に入った。

七月壬午、歳星が昼間に現れた。

三年五月丙子、歳星が太白と合した。

六月辛丑、歳星が辰星と合した。

十月己巳、歳星が順行して太微に入った。

十一月甲子、歳星が太微垣に入り、右執法を犯した。

閏二月丙辰、歳星が太微垣の上将を犯した。

三月庚申、歳星が太微垣の上将を犯した。

四月己未、歳星が右執法を犯した。

八月 乙巳 いっし 、歳星が進賢を犯し、また熒惑と軫宿の度で合宿した。

二月癸卯、歳星が進賢を犯した。

六月甲子、歳星が昼間に軫宿の度で現れた。

十月己未、歳星が てい 宿の西南星の北七寸に従って位置し、また辰星が てい 宿に入り、歳星の西四尺五寸に位置し、また太白が辰星の東に従って位置し、互いに一尺離れて、ともに てい 宿の度にあり、三つの星が合宿した。

十二月甲戌、歳星が昼間に現れた。

三月甲申、歳星が逆行して てい 宿に入った。

六月丙寅、歳星が昼間に てい 宿の度で現れた。

三月庚申、歳星が牽牛を守った。

二月壬午、歳星が填星の西七寸に従って位置し、ともに虚宿の度で合宿した。

閏七月辛酉、歳星が泣星の北五寸にあり、犯し、また填星を守った。

九月辛卯、泣星の西一尺五寸にあり、合宿した。

永明元年(483年)六月、辰星が順行して太微に入り、太白の西北一尺の位置にあった。

二年(484年)八月甲寅、辰星が翼宿において太白を犯した。

九年(491年)六月丙子、辰星が西方で太白に従い、七星の度にあり、一尺四寸離れており、合宿となった。

十一年(493年)九月丙辰、辰星は暦に従えば夕方に西方亢宿一度に現れるはずであったが、九月八日になっても見えなかった。

隆昌元年(494年)正月丙戌、辰星が危宿の度に現れ、太白の北一尺にあり、犯となった。

建元三年(481年)十月癸丑、填星が逆行して てい 宿を守った。

四年(482年)七月戊辰、填星が順行して てい 宿に入った。

永明元年(483年)正月庚寅、填星が房宿・心宿を守った。

三月甲子、填星が逆行して西咸星を犯した。

二年(484年)二月戊辰、填星が東咸星を犯した。

四年(486年)十二月辛巳、填星が建星を犯した。

七年(489年)十二月戊辰、填星が須女の度にあり、また辰星が順行して填星の西南一尺一寸にあり、合宿となった。

八年(490年)三月庚申、填星が哭尾を守った。

九年(491年)七月庚戌、填星が逆行して泣星の西の星の東北七寸にあり、犯となった。

十月甲午、填星が順行して泣星の西北五寸にあり、犯となった。

建元元年十月癸酉の日、流星が三升塸ほどの大きさで現れ、色は白く、尾の長さは五丈、南河の東北二尺の位置から出て、北へ向かい輿鬼の西を過ぎ、軒轅の後星に至る前に消えた。消えた後も中央に余韻が残り、曲がりくねって車輪のようになり、しばらくして白雲と化し、長い時間をかけて消滅した。流星が下から昇るものを飛星という。

三年十月丙午の日、流星が月ほどの大きさで現れ、赤白色を帯び、尾の長さは七丈、西北へ向かって紫宮の中に入り、光が壁を照らした。

四年正月辛未の日、流星が三升塸ほどの大きさで現れ、赤色を帯び、北極第二星の北一尺の位置から出て、北へ一丈進んで消えた。

九月壬子の日、鵝卵ほどの流星が柳の北から出て、軒轅に入った。また一つ、瓜ほどの大きさのものが西から出て、空中で消えた。

永明元年六月己酉の日、二升椀ほどの流星が紫宮から出て、南へ向かい てい で消えた。

二年三月庚辰の日、二升椀ほどの流星が天市の中から出て、南へ向かい心の後ろを通った。

四年二月乙丑の日、一升器ほどの大きさの流星があった。戊辰の日、五升器ほどの大きさの流星があった。

四月丁卯の日、一升器ほどの大きさの流星が南斗の東北から出て、西へ向かい斗を経て てい に入った。

六月丙戌の日、鴨卵ほどの大きさの流星が匏瓜の南から出て、虚に至って入った。

八月辛未の日、三升塸ほどの大きさの流星が觜星の南から出て、西南へ向かって天濛に入り消えた。

十一月戊寅の日、二升塸ほどの大きさの流星が現れ、白色を帯び、亢の東北から出て、天市に入った。

十二月丁巳の日、三升椀ほどの大きさの流星が現れ、白色を帯び、天市の帝座から出て、東北へ一丈進んで消えた。

五年六月辛未の日、三升器ほどの大きさの流星があり、消えた後に痕跡が残った。

九月丙申の日、四升器ほどの大きさの流星が現れ、白色を帯び、光が地面を照らした。

十二月甲子の日、西北に鴨卵ほどの大きさの流星が現れ、黄白色を帯び、尾の長さは六尺、西南へ一丈余り進んで消えた。

六年三月癸酉、流星が鴨の卵ほどの大きさで、赤色、尾がなく現れた。

四月丙辰、北側に流星が二升の器ほどの大きさで、白色、北へ六尺進んで消えた。

七月癸巳、流星が鵝の卵ほどの大きさで、白色、匏瓜の南から現れ、西南へ一丈進んで空中で消えた。しばらくして、また流星が五升の器ほどの大きさで、白色、北河の南から現れ、東北へ一丈三尺進んで空中で消えた。

十月戊寅、南側に流星が、鶏の卵ほどの大きさで、赤色、東南へ進んで消え、消えた後は連珠のようであった。

十二月壬寅、流星が鵝の卵ほどの大きさで、黄白色、尾の長さ三丈、光を放ち、消えた後に痕が梗河から現れ、西へ一丈ほど進んで空中で消えた。

七年正月甲寅、流星が五升の器ほどの大きさで、白色、尾の長さ四尺、坐旗星から現れ、西へ進んで五車を通り過ぎ、空中で消えた。

六月丁丑、流星が二升の器ほどの大きさで、黄赤色、光を放ち尾の長さ六尺ほど、亢の南から現れ、西へ進んで翼の中に入って消え、消えた後は連珠のようであった。

十月乙丑、流星が三升の器ほどの大きさで、赤黄色、尾の長さ六尺、紫宮内の北極星から現れ、東南へ三丈進んで空中で消えた。壬辰、流星が三升の器ほどの大きさで、白色、光を放ち五車の北から現れ、進んで紫宮に入り、北極第一星・第二星のそばを通り過ぎ、空中に落ち、尾は連珠のようで、なお雷のような音響があった。太史が奏上して名を「天狗」といった。

八年四月癸巳、流星が二升の器ほどの大きさで、黄白色、光を放ち、心星の南一尺ほどから現れ、南へ二丈進んで消え、消えた後は連珠のようであった。丁巳、流星が鵝の卵ほどの大きさで、白色、長さ五丈ほど、角星の東北二尺から現れ、西北へ進んで太微西蕃の上将星の間で消えた。

六月癸未、流星が鴨の卵ほどの大きさで、赤色、紫宮の中から現れ、西南へ進み大角に至る五尺ほど手前で消えた。

七月戊申、流星が五升の器ほどの大きさで、赤白色、長さ七尺、東南へ二丈進み、空中で消えた。

十月乙亥、流星が鵝の卵ほどの大きさで、白色、紫宮の中から現れ、西北へ三丈ほど進み、空中で消えた。

十一月乙未、流星が鵝の卵ほどの大きさで、赤白色、光を放ち尾がなく、 てい の北一丈から現れ、南へ進んで てい の中に入って消えた。辛丑、流星が鵝の卵ほどの大きさで、白色、参伐から現れ、南へ一丈進んで空中で消えた。また一つの流星が三升の器ほどの大きさで、白色、軫の中から現れ、東南へ進んで婁の中に入って消えた。

九年五月庚子、流星が鶏卵ほどの大きさで、白色、尾がなく、紫宮裏の黄帝座星の西二尺から現れ、南へ一丈進んで空中で消えた。丁未、流星が李の実ほどの大きさで、白色、尾がなく、奎の東北大星の東二尺から現れ、東北へ進んで天将軍に至って消えた。戊申、流星が鵝の卵ほどの大きさで、黄白色、尾の長さ二丈、箕星の東一尺から現れ、南へ四丈進んで消えた。

七月乙卯、西南に流星が二升の器ほどの大きさで、白色、尾がなく、西南へ一丈余り進んで消えた。戊午、流星が二升の器ほどの大きさで、黄白色、光を放ち天江星の西から現れ、東北へ天を経て進み参の中に入って消え、消えた後は連珠のようであった。

閏七月戊辰、流星が鵝卵の如く、赤色で、尾長二尺、文昌から西行して紫宮に入り没した。己巳、西南に流星が二升器の如く、白色で、西南へ一丈行って没した。

九月戊子、流星が鶏卵の大さ、白色で、少微星の北頭から出て、東行して太微に入り帝座星に至り過ぎ、東蕃の次相に至る一尺手前で没し、散珠の如かった。

十年正月甲戌、流星が五升器の如く、白色で、 てい 中から出て、東南行し房道を経て過ぎ、心星の南二尺で没した。

三月癸未、流星が鶏卵の如く、青白色で、尾長四尺、牽牛の南八寸から出て、南へ一丈行き空中で没した。

十一年二月壬寅、東北に流星が一升器の如く、白色で、尾なく、北へ三丈行って没した。

四月丙申、流星が三升器の如く、白色で、光あり、尾長さ一丈許り、箕星の東北一尺から出て、二丈許り行き、斗度に入り、空中で没し、臨没の際連珠の如かった。

五月壬申、流星が鶏子の大さ、黄白色で、太微の端門から出て、何にも犯さず、西南へ一丈許り行って没し、没後に痕があった。

七月辛酉、流星が鶏子の如く、赤色で、尾なく、 てい 中から出て、西へ一丈五尺行き空中で没した。戊寅、流星が鶏卵の如く、黄白色で、紫宮の東蕃内から出て、東北へ一丈五尺行き、北極第五星の西北四尺で没した。

九月乙酉、流星が鴨卵の如く、黄白色で、婁の南一尺から出て、東へ二丈行って没した。

十二月己丑、西南に流星が三升器の如く、黄赤色で、尾なく、西南へ三丈許り行って没し、遺火のように散った。

永元三年の夜、天が開き黄色く明るく照り、しばらくして小甕の如き絳色の物があり、次第に倉 りん の如く大きくなり、声は隆隆と雷の如く、太湖の中に墜ちた。野雉は皆雊き、世人はこれを「木殃」と呼んだ。史臣が案ずるに春秋緯に「天狗は大奔星の如く、声あり、これを望むと火の如し、見れば四方相射す」とある。漢史に云う「西北に三大星あり、日の状の如く、名づけて天狗という。天狗出ずれば則ち人相食む」と。天官に云う「天狗の状は大鏡星の如し」と。また云う「大流星の如く、色黄、声あり。その地に止まるは狗の墜つるに類す。これを望むと火光の如く、炎々として天を衝く。その上鋭く、その下円く、数頃の田の如し。見れば則ち流血千里、軍を破り将を殺す」と。漢史にまた云う「照明下れば天狗となり、下る所兵起り血流す」と。昭明は星なり。洛書に云う「昭明見れば則ち霸者出ず」と。運斗樞に云う「昭明芒角有れば、兵の徴なり」と。河圖に云う「太白散じて天狗となる」と。漢史にまた云う「星出でて、その状赤白にして光有れば、即ち天狗なり、その下小さくして足無く、下る所の国は政を易う」と。衆説同じからず、孰れが是なるか詳らかならず。乱亡の運を推すに、これ必ずや天狗なるか。

建元元年十一月戊辰、老人星が南方丙上に見えた。八月癸卯、老人星を祠った。

永明三年八月丁酉、老人星が南方丙上に見えた。

六年八月壬戌、老人星が南方丙上に見えた。

七年七月壬戌、老人星が南方丙上に見えた。

九年閏七月戊寅、老人星が南方丙上に見えた。

十年八月乙酉、老人星が見えた。

十一年九月丙寅、老人星が南方丙上に見えた。

建元四年二月辛卯、白虹が太陽を貫いた。

永明十年七月癸酉、西方に白虹があり、しばらくして消えた。

十一年九月甲午、西方に白虹があり、南端は申を指し、北端は戌上を指し、長い間かかって消滅した。

建元四年二月辛卯、大小二つの黒気があり、東は卯に至り、西は酉に至り、幅五丈で、長い間かかって消滅した。

永明二年四月丁未、北斗第六星と第七星の間に一つの白気があった。

四年正月辛未、黄白の気が長さ約一丈五尺で、太微に入った。

永明四年正月癸未、南面に陣雲が約一丈あった。

五年四月己巳、色が黒い雲があり、幅五尺で、東端は丑を指し、西端は酉を指し、ともに地に至った。

十一月 乙巳 いっし 、東南に陣雲が高さ一丈あり、北は卯に至り、東南は巳に至り、長い間かかって散漫になった。

六年二月癸亥、東西に梗雲が半空にあり、西に曲がり、蒼白色だった。

三月庚辰、南面に梗雲があり、黒色で、幅六寸だった。

七年十月辛未、梗雲があり、蒼黒色で、東端は寅に至り、西端は酉を指し、幅三尺で、紫宮を貫き、長い間かかって消え失せた。

八年十一月乙未、梗雲があり、黒色で、長さ約六尺、東端は卯の方角に、西端は酉の方角に達し、長い間散漫となった。

十二月庚辰、南面に陣雲があり、黒色で、高さ約一丈、東端は巳の方角に、西端は未の方角に達し、長い間散漫となった。

十一年七月丙辰、東面に梗雲があり、蒼白色で、幅二尺三寸、南端は巳を指して地に至り、北端は子を指して地に至り、長い間次第に散漫となった。