元史

志第三十七:百官三

大宗正府

大宗正府は、位階は従一品である。国初には官制が未だなく、まず断事官を置き、これを札魯忽赤と称し、庶務を会議して決裁した。諸王・駙馬・投下の蒙古・色目人等で、一切の公事に応じて犯したもの、及び漢人の姦盗・詐偽・蠱毒・厭魅・誘拐・掠奪・逃亡・奴婢の逃亡、軽重の罪囚、並びに辺遠出征の官吏、毎年の従駕・分司・上都存留・住冬等の諸事を、悉く掌った。至元二年に十員を置いた。三年に八員を置いた。九年に従一品の銀印に降格し、蒙古の公事のみを処理した。諸王を府長とし、その他は全て御位下及び国封を持つ諸王とした。また怯薛の人員があり、奉旨して事を署理し、別に頒受する宣命はなかった。十四年に十四員を置いた。十五年に十三員を置いた。二十一年に二十一員を置いた。二十二年に三十四員に増員した。二十八年に四十六員に増員した。大徳四年に五員を省いた。十一年に四十一員。皇慶元年に二員を省き、漢人の刑名を刑部に帰属させた。泰定元年に再び兼理を命じ、札魯忽赤四十二員を置き、令史を掾史に改めた。致和元年に、上都・大都所属の蒙古人並びに怯薛・軍站の色目と漢人が相犯する者は宗正府に帰属させて処断し、その他の路府州県の漢人・蒙古・色目の詞訟は、悉く有司の刑部が掌管することとした。正官:札魯忽赤四十二員、従一品;郎中二員、従五品;員外郎二員、従六品;都事二員、従七品;承発架閣庫管勾一員、従八品;掾史十人、蒙古必闍赤十三人、通事・知印各三人、宣使十人、蒙古書写一人、典吏三人、庫子一人、医人一人、司獄二員。

大司農司

大司農司は、位階は正二品である。農桑・水利・学校・饑荒の事を凡そ掌る。至元七年に初めて立て、官五員を置いた。十四年に廃止し、按察司に兼ねて勧農事を領させた。十八年に農政院と改めて立て、官六員を置いた。二十年にまた務農司と改めて立て、位階は従三品とし、達魯花赤一員・務農使一員・同知二員を置いた。この年、また司農寺と改め、達魯花赤一員、司農卿二員、司丞一員とした。二十三年に、仍として大司農司とし、位階は仍として正二品とした。大徳元年に、大司農事一員を増置して領させた。皇慶二年に従一品に昇格し、大司農一員を増置した。定置:大司農四員、従一品;大司農卿二員、正二品;少卿二員、従二品;大司農丞二員、従三品;経歴一員、従五品;都事二員、従七品;架閣庫管勾一員、照磨一員、並びに正八品;掾史十二人、蒙古必闍赤二人、回回掾史一人、知印二人、通事一人、宣使八人、典吏五人。

籍田署は、位階は従六品である。籍田を耕種し、以て宗廟祭祀に奉ずることを掌る。至元七年に初めて立て、大司農に隷属した。十四年に司農を廃止し、太常寺に隷属した。二十三年に大司農司を復置し、仍としてこれに隷属した。署令一員、従六品;署丞一員、従七品;司吏一人。

供膳司は、位階は従五品である。供給応需、百色の生料の貨買、並びに桑哥が籍没した資産を掌る。至元二十二年に初めて置き、司農に隷属した。達魯花赤一員、提点一員を置き、並びに従五品;司令一員、正六品;丞一員、正七品;吏一人。

輔用庫は、位階は正九品である。規運息銭を掌り、以て供需に給する。大使一員、副使一員。

興中州等処油戸提領戸は、位階は従九品である。提領一員、大使一員、副使一員。歳に油十万斤を辦し、以て内庖に供する。至元二十九年に初めて置いた。

蔚州麺戸提領所は、提領一員、副使一員。白麺・葱菜を辦し、以て応辦に給し、歳計は十余万斤。

右は供膳に属す。

永平屯田総管府は、位階は従三品である。達魯花赤一員、総管一員、同知一員、知事一員、司吏四人。至元二十四年に、永平路南馬城県に初めて立て、北京の採木三千人をこれに隷属させた。管轄する昌国・済民・豊贍の三署は、各々署令一員・署丞一員・直長一人・吏目二人・吏二人を置く。

翰林兼国史院

翰林兼国史院は、位階は正二品である。中統初年、王鶚を以て翰林学士〔承旨〕と為したが、官署は未だ立てなかった。至元元年に初めて置き、位階は正三品とした。六年に承旨三員・学士二員・侍読学士二員・侍講学士二員・直学士二員を置いた。八年に従二品に昇格した。十四年に承旨一員を増置した。十六年に侍読学士一員を増置した。十七年に承旨二員を増置した。二十年に集賢院を省併して翰林国史集賢院とした。二十一年に学士二員を増置した。二十二年に再び集賢院を分立した。二十三年に侍講学士一員を増置した。二十六年に官吏五員を置き、亦思替非文字の教習を掌管させた。二十七年に承旨一員を増置した。大徳九年に正二品に昇格し、典簿を司直と改め、都事一員を置いた。至大元年に承旨九員を置いた。皇慶元年に従一品に昇格し、司直を経歴と改めた。延祐元年に別に回回国子監学を置き、亦思替非の官属を掌ることをこれに帰属させた。五年に承旨八員を置いた。後に定置:承旨六員、従一品;学士二員、正二品;侍読学士二員、従二品;侍講学士二員、従二品;直学士二員、従三品。属官:待制五員、正五品;修撰三員、従六品;応奉翰林文字五員、従七品;編修官十員、正八品;検閲四員、正八品;典籍二員、正八品;経歴一員、従五品;都事一員、従七品;掾史四人、訳史・通事・知印各二人、蒙古書写五人、書写十人、接手書写十人、典吏三人、典書二人。

蒙古翰林院

蒙古翰林院は、位階は従二品。一切の文字の翻訳・書写、及び璽書の頒布・降下を掌り、全て蒙古新字を用い、なお各々その国の文字を副える。至元八年、初めて国史院に新字学士を置く。十二年、別に翰林院を立て、承旨一員・直学士一員・待制二員・修撰一員・応奉四員・聖旨書写必闍赤十一人・令史一人・知印一人を置く。十八年、承旨一員・学士三員を増員し、漢児令史を省き、蒙古必闍赤四人を置く。二十九年、承旨一員・侍読学士一員・知印一人を増員。三十年、管勾一員を増員。大徳五年、正二品に昇格。九年、司直一員・都事一員を置く。皇慶元年、従一品に改め昇格し、官二十八員、吏属二十四員を設く。延祐二年、司直を経歴に改む。後に定員を置き、承旨七員・学士二員・侍読学士二員・侍講学士二員・直学士二員・待制四員・修撰二員・応奉五員・経歴一員・都事一員、品秩は全て翰林国史院と同じ。承発架閣庫管勾一員、正九品;必闍赤十四人、掾史三人、通事一人、訳史一人、知印二人、書写一人、典吏三人。

蒙古国子監は、位階は従三品。至元十四年に初めて立て、司業一員を置く。二十九年、漢人の国学の例に準じ、祭酒・司業・監丞を置く。延祐四年、正三品に昇格。七年、再び従三品に降格。後に定員を置き、祭酒一員、従三品;司業二員、正五品;監丞一員、正六品;令史一人、必闍赤一人、知印一人。

蒙古国子学は、位階は正七品。博士二員、助教二員、教授二員、学正・学録各二員。諸生の教習を掌る。随朝の百官・怯薛台・蒙古・漢児の官員の家から、子弟の俊秀なる者を選び入学させる。至元八年、官五員を置く。後に毎年上都に従駕し、教習の事が繁雑なため、設けられた官員が少ないとして、学正二員・学録二員を増員。三十一年、助教一員・典給一人を増員。後に定員を置き、博士二員、正七品;助教二員、教授二員、共に正八品;学正・学録各二員、典書一人、典給一人。

内八府宰相は、諸王の朝覲・賓介の事を掌る。詔令がある時は、蒙古翰林院の官と共に翻訳書写し、これを潤色する。宰相と謂うのは、その貴さは侍中に似、その近さは門下に似るが故に、特にこれを寵してこの名を以てするのである。この名はあるが、授受の宣命はなく、品秩は二品に準ずる。大徳九年、滅怯禿等八人を以てこれに任ず。天暦元年、内八府宰の職と為すが、故にここに附して記す。

集賢院

集賢院は、位階は従二品。学校の提調・隠逸の徴求・賢良の召集を掌り、凡そ国子監・玄門道教・陰陽祭祀・占卜祭遁の事は、全てこれに隷属する。国初、集賢と翰林国史院は同一の官署であった。至元二十二年、分けて両院を置き、大学士三員・学士一員・直学士二員・典簿一員・吏属七人を置く。二十四年、学士一員・侍読学士一員・待制一員を増置。まもなく正二品に昇格し、院使一員、正二品;大学士二員、従二品;学士三員、従二品;侍読学士一員、従三品;侍講学士一員、従三品;直学士二員、従四品;司直一員、従五品;待制一員、正五品を置く。二十五年、都事一員、従七品;修撰一員、従六品を増員。元貞元年、院使一員を増員。大徳十一年、従一品に昇格し、院使六員・経歴二員を置く。至大四年、院使六員を省く。皇慶二年、漢人経歴一員を省く。後に定員を置き、大学士五員、従一品;学士二員、正二品;侍読学士二員、侍講学士二員、共に従二品;直学士二員、従三品;経歴一員、従五品;都事二員、従七品;待制一員、正五品;修撰一員、従六品;兼管勾承発架閣庫一員、正八品;掾史六人、訳史・知印各二人、通事一人、宣使七人、典吏三人。

国子監。至元初年、許衡を集賢館大学士・国子祭酒と為し、国子と蒙古の大姓四怯薛の人員を教えしむ。七品以上の朝官の子孫を選び国子生と為し、随朝の三品以上の官は凡民の俊秀なる者を挙げて入学させ、陪堂生伴読と為すことを得る。至元二十四年、初めて監祭酒一員、従三品、司業二員、正五品を置き、学の教令を掌らしめ、皆徳尊く望重き者を以てこれに任ず。監丞一員、正六品、専ら監務を領す。典簿一員、令史二人、訳史・知印・典吏各一人。

国子学は、位階は正七品。博士二員を置き、生徒の教授・儒人の著述の考較・教官の業とする文字を掌る。助教四員、各斎の生員を分かち教う。大徳八年、上都に分職するため、助教二員・学正二員・学録二員を増置し、課業の督習に当たらしむ。典給一員、生員の膳食を掌る。至元二十四年、生員の定員二百人・伴読二十人と定む。至大四年、生員三百人。延祐二年、生員一百人・伴読二十人を増置。

興文署は、位階は従六品。署令一員、翰林修撰を以てこれを兼ねる。署丞一員、翰林応奉を以てこれを兼ねる。至治二年に廃止し、典簿一員、従七品を置き、諸生の飲膳の提調、及び凡そ文牘簿書の事を掌る。なお典吏一人を置く。

宣政院

宣政院は、位階は従一品。仏教の僧徒及び吐蕃の境域を掌握し、これを統治する。吐蕃に事変があれば、分院を設けて鎮撫に赴き、また別に印璽を持つ。大規模な征伐があれば、枢密府と会議する。その人事は自ら選任する。その選任は軍民を兼ねて管轄し、僧侶と俗人を併用する。至元の初年、総制院を立て、国師をもってこれを統領した。二十五年、唐の制度に因り吐蕃の朝見が宣政殿で行われた故事により、宣政院と改称した。院使二員、同知二員、副使二員、参議二員、経歴二員、都事四員、管勾一員、照磨一員を置く。二十六年、断事官四員を置く。二十八年、僉院、同僉を各一員増置する。元貞元年、院判一員を増置する。大徳四年、断事官を廃止する。至大の初年、院使一員を省く。至治三年、院使六員を置く。天暦二年、功德使司を廃止して宣政院に帰属させ、定員として院使十員(従一品)、同知二員(正二品)、副使二員(従二品)、僉院二員(正三品)、同僉三員(正四品)、院判三員(正五品)、参議二員(正五品)、経歴二員(従五品)、都事三員(従七品)、照磨一員、管勾一員(ともに正八品)、掾史十五人、蒙古必闍赤二人、回回掾史二人、怯里馬赤四人、知印二人、宣使十五人、典吏は差等あり。

断事官四員、位階は従三品。経歴、知事各一員、令史五人、知印、奏差、訳史、通事各一人。至元二十五年に初めて設置。

客省使、位階は従五品。大使二員、副使一員。至元二十五年に設置。

大都規運提点所、位階は正四品。ダルガチ(達魯花赤)一員、提点一員、大使一員、副使一員。至元二十八年に設置。

上都規運提点所、位階は正四品。ダルガチ(達魯花赤)一員、提点一員、大使一員、副使一員、知事一員。至元二十八年に設置。

大都提挙資善庫、位階は従五品。ダルガチ(達魯花赤)一員、提挙一員、同提挙一員、副提挙一員。銭帛の事務を掌る。至元二十六年に設置。

上都利貞庫、位階は従七品。提領一員、副使一員。飲膳・慶事の金銀諸物を掌る。元貞元年に設置。

大済倉、監支納一員、大使一員。

興教寺、管房提領一員。

吐蕃等処宣慰司都元帥府、位階は従二品。宣慰使五員、経歴二員、都事二員、照磨一員、捕盗官二員、儒學教授一員、鎮撫二員。その属官は二つあり:

脱思麻路軍民万戸府、位階は正三品。ダルガチ(達魯花赤)一員、万戸一員、副ダルガチ(副達魯花赤)一員、副万戸一員、経歴一員、知事一員、鎮撫一員。

西夏中興河州等処軍民総管府、位階は正三品。ダルガチ(達魯花赤)一員、総管一員、同知一員、治中一員、府判一員、経歴一員、知事一員。属官:税務提領、寧河県官、寧河脱脱禾孫五員、寧河弓甲匠ダルガチ(達魯花赤)。

洮州元帥府、位階は従三品。ダルガチ(達魯花赤)一員、元帥二員、知事一員。

十八族元帥府、位階は従三品。ダルガチ(達魯花赤)一員、元帥一員、同知一員、知事一員。

積石州元帥府、ダルガチ(達魯花赤)一員、元帥一員、同知一員、知事一員、脱脱禾孫一員。

礼店文州蒙古漢軍西番軍民元帥府は、位階は正三品。ダルガチ(達魯花赤)一員、元帥一員、同知一員、経歴・知事各一員、鎮撫二員、蒙古オロ(奥魯)官一員、蒙古オロ副官一員。

礼店文州蒙古漢軍オロ(奥魯)軍民千戸所は、位階は従五品。ダルガチ(達魯花赤)一員、千戸一員、副千戸一員、総把五員、百戸八員。

礼店文州蒙古漢軍西番軍民上千戸所は、位階は正四品。ダルガチ(達魯花赤)一員、千戸一員、百戸一員、新附千戸二員。

礼店階州西水蒙古漢軍西番軍民総把二員。

吐蕃等処招討使司は、位階は正三品。招討使二員、知事一員、鎮撫一員。その所属は以下の通り。

トマ(脱思麻)探馬軍四万戸府は、位階は正三品。万戸五員、千戸八員、経歴一員、鎮撫一員。

トマ(脱思麻)路新附軍千戸所は、位階は従五品。ダルガチ(達魯花赤)一員、千戸一員、副千戸一員。

文扶州西路南路底牙等処万戸府は、位階は従三品。ダルガチ(達魯花赤)一員、万戸二員。

鳳翔等処千戸所は、位階は従五品。ダルガチ(達魯花赤)一員、千戸一員、百戸二員。

慶陽寧環等処管軍総把一員。

文州課程倉糧官一員。

岷州十八族周囲捕盗官二員。

常陽帖城阿不籠等処万戸府は、位階は従三品。ダルガチ(達魯花赤)一員、千戸一員。

階文扶州等処番漢軍上千戸所は、位階は正五品。ダルガチ(達魯花赤)一員、千戸二員。

貴德州は、ダルガチ(達魯花赤)・知州各一員、同知・州判各一員、トクトクスン(脱脱禾孫)一員、捕盗官一員。

必呈万戸府、達魯花赤二員、万戸四員。

松潘宕疊威茂州等処軍民安撫使司、位階は正三品。達魯花赤一員、安撫使一員、同知一員、僉事一員、経歴・知事・照磨各一員、鎮撫一員。威州保寧県、茂州汶山県、汶川県は皆これに隷属する。

静州茶上必里渓安郷等二十六族軍民千戸所、達魯花赤一員、千戸一員。

龍木頭都留等一十二族軍民千戸所、達魯花赤一員、千戸一員。

岳希蓬蘿蔔村等処二十二族軍民千戸所、達魯花赤一員、千戸一員。

折蔵万戸府、達魯花赤一員、万戸一員。

土蕃等路宣慰使司都元帥府、宣慰使四員、同知二員、副使一員、経歴・都事各二員、捕盗官三員、鎮撫二員。

朶甘思田地裏管軍民都元帥府、都元帥一員、経歴一員、鎮撫一員。

剌馬児剛等処招討使司、達魯花赤一員、招討使一員、経歴一員。

奔不田地裏招討使司、招討使一員、経歴一員、鎮撫一員。

奔不児亦思剛百姓、達魯花赤二員。

碉門魚通黎雅長河西寧遠等処軍民安撫使司、位階は正三品。達魯花赤一員、安撫使一員、同知一員、副使一員、僉事一員、経歴・知事・照磨各一員、鎮撫二員。

六番招討使司、達魯花赤一員、招討使一員、経歴一員、知事一員。雅州厳道県、名山県はこれに隷属する。

天全招討使司、達魯花赤一員、招討二員、経歴・知事各一員。

魚通路万戸府、達魯花赤一員、万戸二員、経歴・知事各一員。黎州はこれに隷属する。

碉門魚通等処管軍守鎮万戸府、達魯花赤一員、万戸二員、経歴・知事各一員、鎮撫二員、千戸八員、百戸二十員、弾圧四員。

長河西管軍万戸府、達魯花赤一員、万戸二員。

長河西裏管軍招討使司、招討使二員、経歴一員。

朶甘思招討使一員。

朶甘思哈答李唐魚通等処銭糧総管府、達魯花赤一員、総管一員、副総管一員、答剌答脱脱禾孫一員、哈裏脱脱禾孫一員、朶甘思甕吉剌滅吉思千戸一員。

亦思馬児甘万戸府、達魯花赤一員、万戸二員。

烏思蔵納里速古魯孫等三路宣慰使司都元帥府、宣慰使五員、同知二員、副使一員、経歴一員、鎮撫一員、捕盗司官一員。その属官を附載す:

納里速古児孫元帥二員。

烏思蔵管蒙古軍都元帥二員。

擔裏管軍招討使一員。

烏思蔵等処転運一員。

沙魯田地裏管民万戸一員。

搽里八田地裏管民万戸一員。

烏思蔵田地裏管民万戸一員。

速児麻加瓦田地裏管民官一員。

サラクチ(撒剌)の田地の管民官一員。

チュミ(出蜜)の萬戸一員。

アオロンタラ(嗸籠答剌)の萬戸一員。

スダロンラ(思答籠剌)の萬戸一員。

ベムグル(伯木古魯)の萬戸一員。

タンボチ(湯卜赤)の八千戸四員。

ジャマワ(加麻瓦)の萬戸一員。

ジャユワ(札由瓦)の萬戸一員。

ヤリブザンシバ(牙里不藏思八)萬戸府、ダルガチ(達魯花赤)一員、萬戸一員、千戸一員、タンリ(擔裏)のトクトグスン(脫脫禾孫)一員。

ミアルグン(迷兒軍)萬戸府、ダルガチ(達魯花赤)一員、萬戸一員、チュホウジャン(初厚江)の八千戸一員、ブルバ(卜兒八)官一員。

宣徽院

宣徽院は、位階は正三品。玉食(天子の食事)の供給を掌る。凡そ稲・粟・犠牲・酒醴・野菜・果物等の諸品物、宗戚・賓客を饗宴する事、及び諸王の宿衛・ケレンク(怯憐口)の糧食、蒙古の萬戸・千戸が納める差発、官に係る抽分、牧養する孳畜、年々支給する芻草・粟・菽、羊馬の価値、闌遺(遺失物)の収受等の事、並びに尚食・尚薬・尚醞の三局は、皆これに隷属する。管轄する内外の司属は、用人は自ら選ぶ。至元十五年(1278年)、院使一員、同知・同僉各二員、主事二員、照磨一員を置く。二十年(1283年)、従二品に昇格し、院使を一員増やし、経歴二員・典簿三員を置く。二十三年(1286年)、正二品に昇格し、院判(正二品)を置き、典簿を省き、都事三員を置く。三十一年(1294年)、院使四員。大徳二年(1298年)、同知を二員増やす。三年(1299年)、従一品に昇格。四年(1300年)、副使二員を置く。皇慶元年(1312年)、院使を三員増やし、初めてケシクテン(怯薛丹)一万人を定め、本院がその給授を掌る。後に定置として、院使六員(従一品)、同知二員(正二品)、副使二員(従二品)、僉院二員(正三品)、同僉二員(正四品)、院判二員(正五品)、経歴二員(従五品)、都事三員(従七品)、照磨一員・承発架閣庫一員(共に正八品)、掾史二十人、蒙古必闍赤六人、回回掾史二人、ケリマチ(怯里馬赤)二人、知印二人、典吏六人、蒙古書写二人を置く。その属官は以下に附載する。

光禄寺は、位階は正三品。米・麹等の運搬諸事を掌り、尚飲局・尚醸局、沿路の酒坊、各路の布種事を管轄する。至元十五年(1278年)、都提点を廃し、寺を置く。卿一員・少卿三員・主事一員・照磨一員・管勾一員を設ける。二十年(1283年)、尚醸監と改め、正四品とする。二十三年(1286年)、再び光禄寺とし、卿二員、少卿・丞各一員とする。二十四年(1287年)、少卿を一員増やす。二十五年(1288年)、省部に隷属させる。三十一年(1294年)、再び宣徽院に隷属させる。延祐七年(1320年)、従三品に降格。後に再び正三品となる。定置として、卿四員(正三品)、少卿二員(従四品)、丞二員(従五品)、主事二員(従七品)、令史八人、訳史・知印各二人、通事一人、奏差二十四人、典吏三人、蒙古書写一人を置く。

大都尚飲局は、位階は従六品。中統四年(1263年)に初めて置く。大使・副使各一員を設け、共に金符を帯びる。上用(天子用)の細酒の醸造を掌る。至元十二年(1275年)、副使を二員増やす。十五年(1278年)、従五品に昇格し、提点一員を置く。後に定置として、提点一員(従五品)、大使一員(正六品)、副使二員(正七品)を置く。

上都尚飲局は、位階は正五品。皇慶年間(1312-1313年)に初めて置く。提点一員、大使・副使各一員、品秩は上(大都尚飲局)と同じ。

大都尚醸局、位階は従六品。諸王百官の酒醴を醸造することを掌る。中統四年(1263年)、御酒庫を立て、金符宣差を設けた。至元十一年(1274年)、初めて提点を設ける。十六年(1279年)、尚醸局と改め、従五品となる。提点一員(従五品)、大使一員(正六品)、副使二員(正七品)、直長一員(正八品)を置く。

上都尚醸局、位階は従五品。至元二十九年(1292年)に初めて置かれる。提点一員、大使一員、副使・直長各一員を設け、品秩は上と同じ。

大都醴源倉、位階は従六品。香莎・蘇門等の酒材となる糯米、郷貢の麹薬を受け取り、上醸および諸王百官への歳賜に供することを掌る。至元二十五年(1288年)に初めて置かれる。提挙一員(従六品)、大使一員(従七品)、副使一員(正八品)を設ける。

上都醴源倉、位階は従九品。大都から転輸される米麹を受け取り、また車駕の臨幸する次舎に供給する酒を醸造することを掌る。至元二十五年(1288年)に初めて置かれる。大使一員、直長一員を設ける。

尚珍署、位階は従五品。済寧等処の田地の子粒(収穫物)を収め、酒材に供することを掌る。至元十三年(1276年)に初めて立てる。十五年(1278年)、廃止して有司に併入。二十三年(1286年)に再び置く。ダルガチ(達魯花赤)一員、令一員(ともに従五品)、丞一員(正七品)、吏目一員を設ける。

安豊懐遠等処稲田提領所、位階は従九品。稲田の播種、歳ごとの子粒収穫を掌り、醴源倉に転輸する。定員として提領二員を置く。

尚舎寺、位階は正四品。行在における帷幙・帳房の陳設の事を掌り、駱駝を牧養し、アイラン(愛蘭)乳酪を進供する。至元三十一年(1294年)に初めて監を置く。至大元年(1308年)、寺と改め、正三品に昇格。四年(1311年)、なお監に戻し、まもなく再び寺となる。延祐三年(1316年)、再び降格して正四品となる。定員として太監二員、少監二員、監丞二員、知事一員を置く。

諸物庫、位階は従七品。出納を掌る。大徳四年(1300年)に置かれる。提領一員、大使一員、副使一員を設ける。

闌遺監、位階は正四品。不闌奚(流浪者)の人口・頭匹(家畜)諸物を掌る。至元二十年(1283年)、初めて闌遺所を立て、位階は九品。二十五年(1288年)、監と改め、正四品となる。二十八年(1291年)、正三品に昇格。至大四年(1311年)、再び正四品となり、まもなく再び正三品となる。延祐七年(1320年)、再び正四品となる。定員として太監一員(正四品)、少監二員(正五品)、監丞二員(正六品)、知事一員(従八品)、提控案牘一員(従九品)、令史五人、訳史一人、知印兼通事一人、奏差五人を置く。

尚食局、位階は従五品。御膳の供進、および油・麵・酥・蜜等諸物の出納を掌る。至元二年(1265年)に提点を置き、百色の生料の進納を管轄した。二十年(1283年)、尚薬局を省併して尚食局とし、別に生料庫を置く。本局の定員は提点一員(従五品)、大使一員(正六品)、副使二員(正七品)、直長一員(正八品)である。

大都生料庫、位階は従五品。至元十一年(1274年)、生料野物庫を置き、尚食局に隷属させた。二十年(1283年)、別に庫を置き、内蔵庫の例に擬して、提点二員(従五品)、大使二員(正六品)、副使三員(正七品)を置く。

上都生料庫、位階は従五品。弘州・大同の虎賁・司農等が歳ごとに調達する油麵、大都から起運する諸物を受け取り、内府に供奉し、宮人・宦者の飲膳を支給することを掌る。提点一員、大使一員、副使二員(品秩は上と同じ)、直長一人(正八品)。

大都太倉・上都太倉、位階は正六品。内府の支持(支給)米豆、および酒材の米麹・薬物を掌る。至元五年(1268年)に初めて立て、官三員を設け、いずれも制国用使司の劄付を受けた。十二年(1275年)、提挙太倉と改めて立て、官三員を設け、宣徽院に隷属させる。二十五年(1288年)、正六品に昇格。定員として二倉それぞれに提挙一員(正六品)、大使一員(従六品)、副使一員(従七品)を置く。

大都・上都に柴炭局各一つ、至元十二年(1275年)に置かれ、位階は従六品。十六年(1279年)、提挙司と改め、五品に昇格。大徳八年(1304年)、なお局に戻し、正七品に降格。ダルガチ(達魯花赤)各一員(正七品)、大都には大使一員、上都には大使二員(各正七品)、副使各二員(正八品)、直長各一人(葦場を掌る)、典吏各一人を置く。

尚牧所、位階は従五品。至大四年(1311年)に初めて置かれる。提挙二員(従五品)、同提挙一員(従六品)、副提挙一員(従七品)、吏目一員を設ける。

沙糖局、位階は従五品。砂糖・蜂蜜の煎造、及び方物貢納の果物・木実を掌る。至元十三年に初めて設置、位階は従六品。十七年、提点一員を置く。十九年、従五品に昇格し、ダルガチ(達魯花赤)一員(従五品)、提点一員(従五品)、大使一員(正六品)、副使一員(正七品)を置く。

永備倉、位階は従五品。至元十四年に初めて設置し、従九品の印を給う。両都の倉庫より起運する省部計置の油・麺等の諸物、及び雲需府が調達する羊物を受け、車駕の行幸の際の膳羞に備える。二十四年、従五品に昇格し、提点一員(従五品)、大使一員(正六品)、副使一員(正七品)を置く。

豊儲倉、位階は従九品。大使一員。車駕行幸の際の支持膳羞の出納を掌る。

淮東淮西屯田打捕総管府、位階は正三品。献田の歳入を掌りて内府に供し、及び湖泊山場の漁猟を掌りて内膳に供す。至元十四年、初めて総管府を立て、漣海・高郵湖泊提挙司及び沂州等処提挙司の事を併せて管轄す。十六年、揚州鷹房打捕達魯花赤総管府を置く。二十二年、省併して淮東淮西屯田打捕総管府と為す。二十五年、両淮の新附手号軍千戸所を本府に隷属させ、及び提挙司十処を分置す。定員はダルガチ一員(正三品)、総管一員(正三品)、同知一員(正五品)、府判一員(正六品)、経歴一員(従七品)、知事一員(従八品)、提控案牘一員(従九品)、司吏六人。

淮安州屯田打捕提挙司、高郵屯田打捕提挙司、招泗屯田打捕提挙司、安東海州屯田打捕提挙司、揚州通泰屯田打捕提挙司、安豊廬州等処打捕提挙司、鎮巣等処打捕提挙司、塔山徐邳沂州等処山場屯田提挙司、凡そ九処、位階は皆従五品。各司にダルガチ一員、提挙一員(共に従五品)、同提挙一員(従六品)、副提挙一員(従七品)、吏目二人を設く。

抽分場提領所、凡そ十処:柴墟東西口、海州新壩、北砂太倉、安河桃源、大湖東西口、時堡興化、高郵宝応、汶湖等処、雲山白水、安東州と曰う。各所に提領一員、同提領一員、副提領一員を設け、皆宣徽院の劄付を受く。

満浦倉、位階は正八品。各処の子粒・米・麺等の物を受け、京師への転輸を待つ。至元二十五年に初めて設置。大使一員(正八品)、副使一員(正九品)を設く。

円米棋子局・軟皮局、各々提領一員、同提領一員、副提領一員を置き、皆宣徽院の劄付を受く。

手号軍人打捕千戸所、位階は従四品。軍人の打捕による野物・皮貨を管轄す。至元二十五年に初めて設置。ダルガチ一員、上千戸一員、上副千戸一員、弾圧一員を設く。

上百戸七所、各々百戸二員を置く。

鍾離県、定遠県、真揚州、安慶、安豊、招泗、和州。

下百戸二所、各々百戸一員を置く。

漣海、懐遠軍。

龍慶栽種提挙司、位階は従五品。縉山の歳輸梁米、及び易州・龍門・浄辺の官園の瓜・果・桃・梨等の物を管領し、以て上供に奉ず。至元十七年、初めて提挙司を置く。延祐七年、縉山を龍慶州と改む、因って之を以て名と為す。定員はダルガチ一員、提挙一員(共に従五品)、同提挙一員(従六品)、副提挙一員(従七品)。

弘州種田提挙司、位階は正六品。麦・麺の輸納の事を掌り、以て内府に供す。定員はダルガチ一員、提挙一員(共に正六品)、同提挙一員(正七品)、副提挙一員(正八品)、直長一員。

豊閏署は、秩従五品。歳入の芻粟を掌り、駱駝や馬の飼養に供給することを管掌する。定員は達魯花赤一員、令一員、ともに従五品;丞一員、従六品;直長一員、正八品。

常湖等処茶園都提挙司は、秩正四品。常・湖二路の茶園戸二万三千余りを管掌し、茶芽を採摘して内府に貢進する。至元十三年に司を置き、統べる提領所は凡そ十三箇所。十六年、都提挙司に昇格。また別に平江等処榷茶提挙司を置き、歳貢の御茶を管掌した。二十四年、平江提挙司を廃し、その職務を併せて管掌する。定員は達魯花赤一員、提挙一員、ともに従五品;同提挙一員、従六品;副提挙一員、従七品;提控案牘一員、都目一員。

提領所七箇所、各所ごとに正・同・副提領各一員を設け、いずれも宣徽院の劄付を受け、九品の印を管掌する。

烏程、武康、徳清、長興、安吉、帰安、湖汶、宜興。

建寧北苑武夷茶場提領所は、提領一員、宣徽院の劄を受ける。歳貢の茶芽を管掌する。直隷宣徽院。

太禧宗禋院

太禧宗禋院は、秩従一品。神御殿の朔望・歳時・諱忌の日辰における禋享の礼典を管掌する。天暦元年、会福・殊祥の二院を廃し、太禧院を改置してこれらを総制した。初め、院官の秩は正二品であったが、従一品に昇格し、参議二員を置き、令史を掾史と改めた。二年、太禧宗禋院と改称し、院使六員を置き、副使二員を増設し、諸総管府をその属と定めた。凡そ銭糧の出納、営繕の興廃を悉く統轄する。定員は、院使(都典制神御殿事)六員、同知(兼佐儀神御殿事)二員、副使(兼奉賛神御殿事)二員、僉院(兼祗承神御殿事)二員、同僉(兼粛治神御殿事)二員、院判(供応神御殿事)二員、参議二員、経歴二員、都事二員、管勾・照磨各一員、掾史二十人、訳史四人、知印二人、怯里馬赤二人、宣使十五人、断事官四員、客省使大使・副使各二員。

隆禧総管府は、秩正三品。至大元年、南鎮国寺を建立し、初め規運提点所を置いた。二年、規運都総管府と改称。三年、隆禧院に昇格。天暦元年、会福・殊祥の二院を廃し、隆禧・殊祥を併せて殊祥総管府を立て、まもなくまた隆禧総管府と改称した。定員は達魯花赤一員、総管一員、副達魯花赤一員、同知一員、治中一員、判官一員、経歴一員、知事・照磨各一員、令史六人、訳史・知印各一人、怯里馬赤一人、奏差四人。

福元営繕司は、秩正五品。達魯花赤一員、司令一員、大使一員、副使一員、吏目一人、司吏一人。天暦元年、南鎮国寺に置かれた怯憐口事産提挙司を、崇恩福元提点所と改めた。三年、また福元営繕司と改称。

普安智全営繕司は、秩五品。達魯花赤一員、司令一員、大使・副使各一員、吏目一人、司吏一人。天暦元年、太玉山普安寺・大智全寺の両規運提点所を一つに併せ、提点二員を置いた。三年、また営繕司と改称。

祐国営繕都司は、秩正四品。達魯花赤一員、司令一員、大使・副使各一員、知事一員、提控案牘一員。天暦元年、初め万聖祐国営繕提点所を置いた。三年、営繕都司と改称。平松等処福元田賦提挙司は、秩五品。達魯花赤一員、提挙一員、同提挙・副提挙各一員を置く。

田賦提挙司は、秩五品。提挙一員、同提挙一員、副提挙一員を置く。

資用庫は、提領一員、大使一員。

万聖庫は、提領一員、大使一員、副使一員。

会福総管府は、秩正三品。至元十一年、大護国仁王寺及び昭応宮を建立し、初め財用規運所を置き、秩正四品。十六年、規運所を総管府と改称。至大元年、都総管府と改め、従二品。まもなく会福院に昇格し、院使五員を置いた。延祐三年、正二品に昇格。天暦元年、会福総管府と改称し、正三品。定員は達魯花赤一員、総管一員、同知一員、治中一員、府判一員、経歴・知事・提控案牘各一員、令史八人、訳史・通事・知印各一人、奏差四人。

仁王営繕司、正五品。至元八年、護国仁王寺鎮遏提挙司を立てる。十九年、鎮遏所と改む。二十八年、三提領所を併せて諸色人匠提領所と為す。天暦元年、鎮遏民匠提領所と改む。三年、仁王営繕司と改む。達魯花赤一員、司令一員、大使一員、副使一員を置く。

襄陽営田提挙司、秩従五品。初め襄陽等処水陸地土人戸提領所を置き、官四員を設く。大徳元年、提挙司と改む。天暦二年、仍く襄陽営田提挙司と為す。定めて達魯花赤一員、提挙一員、同提挙一員、副提挙一員を置く。

江淮等処営田提挙司、秩従五品。至元二十七年始めて置く。達魯花赤一員、提挙一員、同提挙一員、副提挙一員。

大都等路民佃提領所、至元二十九年、武清等十箇所を以て、併せて大都水陸地土種田人民提領所を立てる。十五年、又た随路管民都提領所を設く。天暦元年、併せて大都等路民佃提領所と為す。定めて提領一員、大使・副使各一員を置く。

会福財用所、秩従七品。大護国仁王寺の糧草諸物を掌る。至元十七年、始めて財用庫を立てる。二十六年、盈益倉を立てる。天暦元年、財用・盈益を併せて所と為す。提領一員、大使一員、副使二員。

崇祥総管府、秩正三品。至大元年、大承華普慶寺都総管府を立てる。二年、延禧監と改め、尋いで崇祥監と改む。四年、崇祥院に陞す、秩正二品。泰定四年、復た大承華普慶寺総管府と改む。天暦元年、崇祥総管府と改む。定めて達魯花赤一員、総管一員、副達魯花赤一員、同知・治中・府判各一員、経歴・知事・提控案牘兼照磨各一員、令史六人、訳史・知印各一人、怯里馬赤一人、奏差四人を置く。

永福営繕司、秩正五品。延祐三年、新寺を起建するに当たり、始めて営繕提点所を置く。天暦元年、永福営繕提点所と改む。三年、営繕司と改む。達魯花赤一員・司令一員・大使一員・副使一員・都目一員を設く。

昭孝営繕司、秩正五品。天暦元年、寿安山規運提点所を立てる。三年、昭孝営繕司と改む。定めて達魯花赤一員、司令一員、大使・副使各一員を置く。

普慶営繕司、秩正五品。天暦元年、始めて普慶営繕提点所を置く。三年、営繕司と改む。定めて達魯花赤一員、司令一員、大使・副使各一員を置く。

崇祥財用所、至大二年、始めて諸物庫を置く。四年、普贍倉を置く。天暦二年、諸物庫・普贍倉を併せ、崇祥財用所と改む。定めて官を置き、提領一員、大使・副使各一員。

永福財用所、顔料諸物の出納を掌る。延祐三年、始めて諸物庫を置き、又た永積倉を置く。天暦二年、諸物庫・永積倉を以て併せて改めて所と為し、提領・大使・副使各一員を設く。

鎮江稲田提挙司、達魯花赤・提挙・同提挙・副提挙各一員。

汴梁稲田提挙司、達魯花赤・提挙・同提挙・副提挙各一員。

平江等処田賦提挙司、達魯花赤・提挙・同提挙・副提挙各一員。

冀寧提領所、提領二員。

隆祥使司は、位階は正三品である。天暦二年、中宮が大承天護聖寺を建立し、隆祥総管府を立て、官八員を設置した。至順二年、隆祥使司に昇格し、位階は従二品となった。設置する官は以下の通り:司使四員、同知・副使・司丞各二員、経歴一員、都事二員、照磨兼架閣一員、令史十人、訳史・通事・知印各二人、宣使十人、典吏六人。

普明営繕都司は、位階は正四品である。天暦元年、海南に大興龍普明寺を創建し、

規運提点所を設置し、官六員を設けた。二年、(隆)祥総管府に撥隷した。三年、都司に改め、品秩は従前のまま、営造と出納銭糧の事務を掌ることとした。定員は達魯花赤・司令・大使・副使各一員、知事一員、提控案牘一員である。集慶万寿営繕都司は、位階は正四品である。天暦二年、建康に龍翔・万寿の両寺を建立し、龍翔万寿営繕提点所を立て、隆祥総管府の所属とした。三年、営繕都司に改め、位階は従前のまま、営造銭糧の事務を掌ることとした。定員は達魯花赤・司令・大使・副使各一員、知事・提控案牘各一員である。

元興営繕都司は、位階は正四品である。営造銭糧の事務を掌る。天暦元年、初めて大元興規運提点所を設置し、官五員を置いた。三年、都司に改め、達魯花赤一員、司令・大使・副使各一員、知事・提控案牘各一員を置いた。

宣農提挙司は、位階は従五品である。達魯花赤・提挙・同提挙・副提挙各一員。田賦子粒の徴収事務を掌る。天暦二年、大都等処田賦提挙司を隆祥総管府に隷属させた。三年、提挙司に改めた。

護聖営繕司は、位階は正五品である。達魯花赤・司令・大使・副使各一員。営造工匠・寺僧の衣糧、房課の収徴事務を掌る。天暦二年、初めて大承天護聖営繕提点所を立てた。三年、司に改めた。

平江善農提挙司は、位階は従五品である。達魯花赤・提挙・同提挙・副提挙各一員。天暦二年、田賦提挙司を立て、官四員を設けた。三年、善農提挙司に改めた。

善盈庫は、天暦二年、隆祥総管府に隷属した。提領一員、大使・副使各一員を置く。金銀銭糧の事務を掌る。

荊襄等処済農香戸提挙司は、位階は正五品である。天暦三年、荊襄提挙司が管轄する河南・湖広の田土を大承天護聖寺の常住とし、荊襄済農香戸提挙司に改め、隆祥総管府に隷属させた。達魯花赤・司令・提挙・同提挙・副提挙各一員を置いた。

龍慶州等処田賦提領所は、位階は九品である。提領・副提領各一員。天暦二年に設置。龍慶州の所有する土田の歳賦を掌る。

平江集慶崇禧田賦提領所は、提領・同提領・副提領各一員。天暦三年に初めて設置。

集慶崇禧財用所は、大使・副使各一員。天暦三年に初めて設置。

寿福総管府は、祭供銭糧の事務を掌り、位階は正三品である。至大四年、大聖寿万安寺を建立したことに因み、万安規運提点所を設置し、位階は正五品とした。延祐二年、都総管府に昇格し、位階は正三品とした。まもなく寿福院に昇格し、正二品となった。天暦元年、総管府に改めて立て、依然として正三品とした。定員は以下の通り:達魯花赤・総管・副達魯花赤・同知・治中・府判各一員、経歴・知事・案牘照磨各一員、令史六人、知印・通事・訳史各一人、奏差四人、典吏二人。

万安営繕司は、位階は正五品である。〔天暦〕三年、万安規運提点所が既に廃止されたため、再び万安営繕司を立てた。定員は達魯花赤・司令・大使・副使・都目各一人。

万寧営繕司は、位階は正四品である。大徳十年、初めて万寧規運提点所を設置した。天暦元年、営繕司に改めた。定員は達魯花赤、司令・大使・副使・都目各一員。

收支庫、提領一員、大使一員。

延聖營繕司、秩正五品。初め天源營繕提點所を立て、天曆三年、營繕司と改む。定置は達魯花赤、司令、大使、副使、都目各一員。

諸物庫、提領一員、大使一員。