元史

志第三十六:百官二

枢密院

枢密院は、位階は従一品。天下の兵甲機密の事務を掌る。凡そ宮禁の宿衛、辺境の軍翼、征討戍守、簡閲差遣、挙功転官、節制調度、これによらざるはなし。世祖中統四年、枢密副使二員、僉書枢密事一員を置く。至元七年、同知枢密院事一員、院判一員を置く。二十八年、初めて知院一員を置き、院判一員を増やし、また中書平章をもって院事を商量せしむ。大徳十年、知院二員、同知五員、副枢五員、僉院五員、同僉三員、院判二員を増置す。至大三年、知院七員、同知二員、副枢二員、僉院一員、同僉一員、院判二員、議事平章を革去す。延祐四年、北辺に分鎮するに当たり、知院一員を増す。五年、同知一員を増す。後に定置す、知院六員(従一品)、同知四員(正二品)、副枢二員(従二品)、僉院二員(正三品)、同僉二員(正四品)、院判二員(正五品)、参議二員(正五品)、経歴二員(従五品)、都事四員(正七品)、承発兼照磨二員(正八品)、架閣庫管勾一員(正九品)、同管勾一員(従九品)、掾史二十四人、訳史十四人、通事三人、司印二人、宣使十九人、銓写二人、蒙古書写二人、典吏十七人、院医二人。

客省使は、位階は従五品。大使二員、副使二員。至元十四年、大使一員を置く。十六年、一員を増す。二十一年、副使一員を置く。延祐五年、一員を増す。天暦元年、また一員を増す。まもなく定置す、大使二員(従五品)、副使二員(従六品)、令史二人。

断事官は、位階は正三品。軍府の獄訟を処決することを掌る。至元元年、初めて断事官二員を置く。八年、二員を増す。十九年、また一員を増す。二十年、また二員を増す。大徳十一年、また四員を増す。皇慶元年、二員を省く。後に定置す、断事官八員(正三品)、経歴一員(従七品)、令史六人、訳史一人、通事・知印・奏差・典吏各一人。

行枢密院。国初征伐の事あるときは、則ち行枢密院を置く。大征伐のときは、則ち止めて行院と曰う。一方一事のために設くるは、則ち某処行枢密院と称し、或いは行省と代わりに設け、事已れば則ち罷む。

西川行枢密院は、中統四年初めて置く。官二員を設け、四川の軍民課税交鈔・打捕鷹房人匠、及び各投下の応管公事を管し、官吏諸色人等を節制し、併せて軍官の遷授征進等の事を掌る。初め成都に置く。至元十年、また重慶に別に東川行枢密院を置き、官一員を設く。十三年、併せて一院と為し、まもなくまた東川行院を分つ。十六年、両川行院を罷む。二十八年、復た四川行院を成都に立つ。

江南行枢密院。至元十年、河南省統軍司・漢軍都元帥・山東行院を罷め、荊湖等路行院を置き、官三員を設く。淮西行院を置き、官二員を設く。軍馬を調度する事を掌る。十二年、行院を罷む。十九年、詔して揚州・岳州に倶に行院を立て、各官五員を設く。二十一年、沿江行院を立つ。二十二年、江西行院を立つ。馬軍は江州に戍し、歩軍は撫州に戍す。二十八年、岳州行院を鄂州に移し、江淮行院を建康に移す。その後行院は悉く行省に併せ帰す。

甘粛行枢密院。至大四年、行院を甘州に置き、甘粛等処行枢密院と為し、官四員を設け、西路軍馬を提調す。後に甘粛省丞相をもって提調するに及び、遂に行院を罷む。

河南行枢密院は、致和元年分置し、専ら調遣の事を管す。天暦元年罷む。

嶺北行枢密院は、天暦二年置く。知院一員、同知二員、副枢一員、僉院二員、同僉一員、院判二員、経歴一員、都事二員、蒙古必闍赤四人、掾史二人、怯里馬赤一人、知印一人、宣使四人。辺庭の軍務を掌り、凡そ大小の事宜、悉くこれに従って裁決す。

右衛は、位階は正三品。中統三年、初め武衛を置く。至元元年、侍衛と改む。八年、左・右・中の三衛と改む。宿衛扈従を掌り、兼ねて屯田す。国に大事あれば、則ちこれを調度す。二十年、都指揮使一員・副都指揮使一員を増す。二十一年、僉事二員を置く。大徳十一年、都指揮使二員・副都指揮使一員を増す。至大元年、都指揮使三員・副都指揮使一員を増す。四年、都指揮使五員・副都指揮使二員を省く。後に定置す、都指揮使三員(正三品)、副都指揮使二員(従三品)、僉事二員(正四品)、経歴二員(従七品)、知事二員・照磨一員(倶に従八品)、令史七人、訳史・通事・知印各一人。又その属十五あり:

鎮撫所、鎮撫二員。

行軍千戸所十、位階は正五品。ダルガチ十員、副ダルガチ十員、千戸十員、副千戸十員、弾圧二十員、百戸二百員、知事十員。

弩軍千戸所一つ、位階は正五品。ダルガチ(達魯花赤)一員、千戸一員、弾圧(彈壓)二員、百戸十員。

屯田左右千戸所二つ、位階は正五品。ダルガチ(達魯花赤)二員、千戸二員、弾圧(彈壓)二員、百戸四十員。教官二、蒙古字教授一員、儒學教授一員。諸屯衛の行伍が耕作・戦闘の暇に、国字(モンゴル文字)を習学させ、書記(文書)に通曉させることを掌る。初めは枢府(枢密院)が選挙(任用)したが、後に吏部に帰属した。

左衛、位階は正三品。至元八年(1271年)、侍衛を改めて設置。宿衛・扈従を掌り、兼ねて屯田を行う。国に大事ある時は、これを調度する。この年、副指揮使一員を増設。十六年(1279年)、副都指揮使一員を増設。二十年(1283年)、僉事一員を置く。二十二年(1285年)、僉事一員を増設。二十四年(1287年)、都指揮使・副都指揮使各一員を省く。大徳十一年(1307年)、都指揮使五員・副都指揮使二員・僉事二員を増設。至大四年(1311年)、都指揮使六員・副都指揮使二員を省く。その後、定制として、衛官は以下の通り:都指揮使三員、正三品;副都指揮使二員、従三品;僉事二員、正四品;経歴二員、従七品;知事二員、照磨一員、ともに従八品;令史七人、訳史・通事・知印各一人。その属する所は十五:

鎮撫所、鎮撫二員。

行軍千戸所、凡そ十、位階は正五品。ダルガチ(達魯花赤)十員、副ダルガチ(副達魯花赤)十員、千戸十員、副千戸十員、弾圧(彈壓)二十員、百戸二百員、知事十員。

弩軍千戸所一つ、位階は正五品。ダルガチ(達魯花赤)一員、千戸一員、弾圧(彈壓)二員、百戸十員。

屯田左右千戸所二つ、位階は正五品。ダルガチ(達魯花赤)一員、千戸二員、弾圧(彈壓)二員、百戸四十員。教官二、蒙古字教授一員、儒學教授一員。

中衛、位階は正三品。至元八年(1271年)、侍衛を改めて設置。宿衛・扈従を掌り、兼ねて屯田を営む。国に大事ある時は、これを調度する。この年、都指揮使一員・副都指揮使一員を置く。二十年(1283年)、副都指揮使一員を増設。二十一年(1284年)、僉事二員を置く。二十三年(1286年)、都指揮使一員を増設。大徳十一年(1307年)、都指揮使二員・副使三員を増設。至大元年(1308年)、都指揮使一員を増設。四年(1311年)、都指揮使三員・副都指揮使三員を省く。その後、定置として都指揮使三員、正三品;副都指揮使二員、従三品;僉事二員、正四品;経歴二員、従七品;知事二員、承発架閣照磨一員、ともに従八品;令史七人、訳史・通事・知印各一人。その属する所は十五:

鎮撫所、鎮撫二員。

行軍千戸所十、位階は正五品。ダルガチ(達魯花赤)十員、副ダルガチ(副達魯花赤)十員、千戸十員、副千戸十員、弾圧(彈壓)二十員、百戸二百員、知事十員。

弩軍千戸一つ、位階は正五品。ダルガチ(達魯花赤)一員、千戸一員、弾圧(彈壓)二員、百戸十員。

屯田左右千戸所二つ、位階は正五品。ダルガチ(達魯花赤)二員、千戸二員、弾圧(彈壓)二員、百戸四十員。

教官二、蒙古字教授一員、儒學教授一員。

前衛、位階は正三品。至元十六年(1279年)、侍衛親軍を以て前・後二衛を創置。宿衛・扈従を掌り、兼ねて屯田を営む。国に大事ある時は、これを調度する。この年、都指揮使一員・副都指揮使二員を置く。十八年(1281年)、都指揮使二員を増設。二十年(1283年)、僉事一員を置く。大徳十一年(1307年)、都指揮使五員・副都指揮使一員・僉事三員を増設。至大四年(1311年)、都指揮使五員・副都指揮使一員・僉事三員を省く。後に衛官を定置し、都指揮使三員、正三品;副都指揮使二員、従三品;僉事二員、正四品;経歴二員、従七品;知事二員、承発架閣照磨一員、ともに従八品;令史七人、訳史・通事・知印各一人。またその属する所は十七:

鎮撫所、鎮撫二員。

行軍千戶所十、位階は正五品。ダルガチ(達魯花赤)十員、副ダルガチ十員、千戶十員、副千戶十員、彈壓二十員、百戶二百員。

弩軍千戶一、位階は正五品。ダルガチ一員、千戶一員、彈壓二員、百戶十員。

屯田千戶所二、位階は正五品。ダルガチ二員、千戶二員、彈壓二員、百戶四十員。

門尉二、平則門尉一員、順承門尉一員。

教官二、蒙古字教授一員、儒學教授一員。

えい、位階は正三品。至元十六年、侍衞親軍を以て創設。宿衞扈從を掌り、兼ねて屯田を営む。国に大事あれば、則ちこれを調度す。是の年、都指揮使二員・副都指揮使二員を置く。後に副都指揮使一員を増設す。十八年、都指揮使二員を増す。二十年、僉事二員を置く。大德十一年、都指揮使五員・副都指揮使一員・僉事二員を増す。至大四年、都指揮使五員・副指揮使二員・僉事二員を省く。後に定置として都指揮使三員(正三品)、副都指揮使二員(従三品)、僉事二員(正四品)、經歷二員(従七品)、知事二員・照磨一員(ともに従八品)、令史七人、譯史二人、知印一人、通事二人を置く。その属する所十有四。

鎮撫所、鎮撫二員。

行軍千戶所十、位階は正五品。ダルガチ十員、副ダルガチ十員、千戶十員、副千戶十員、彈壓二十員、百戶二百員。

弩軍千戶所一、位階は正五品。ダルガチ一員、千戶一員、彈壓二員、百戶十員。

屯田千戶所一、位階は正五品。ダルガチ一員、千戶二員、彈壓二員、百戶四十員。

教官二、蒙古字教授一員、儒學教授一員。

武衞親軍都指揮使司、位階は正三品。城隍の修治及び京師内外の工役を掌り、兼ねて大都の屯田等の事を管す。至元二十六年、樞密院、六衞六千人・大都屯田三千人・近路迤南萬戶府一千人を以て、総計一萬人とし、武衞を立て、官五員を設く。元貞・大德年間、累次都指揮使四員を増す。至大三年、都指揮使四員・副都指揮使一員を省く。後に衞官を定置す。ダルガチ一員(正三品)、都指揮使三員(正三品)、副都指揮使二員(従三品)、僉事二員(正四品)、經歷二員(従七品)、知事二員・照磨一員(ともに従八品)、令史七人、譯史・通事・知印各一人。その属する所十有五。

鎮撫所、鎮撫二員。

行軍千戶所七、位階は正五品。ダルガチ七員、副ダルガチ七員、千戶七員、副千戶七員、百戶一百四十員、彈壓一十四員。

屯田千戶所六、位階は正五品。各所にダルガチ各一員、千戶六員、百戶六十員、彈壓六員。

教官二員、蒙古字教授一員、儒學教授一員。

隆鎮衞親軍都指揮使司は、秩正三品。居庸関の南口・北口において屯軍を掌握し、盗賊を巡察し、欽察・阿速の護軍三千六百九十三人を統率し、東西四十三箇所に屯駐する。皇慶元年、隆鎮萬戸府を隆鎮衞に昇格させ、都指揮使三員・副都指揮使二員・僉事二員を置いた。延祐二年、また哈児魯軍千戸所を以て、東衞に併せて隷属させた。四年、色目經歷一員を置いた。至治二年、愛馬知事一員を置いた。後に衞官を定置し、都指揮使三員(正三品)、副指揮使二員(従三品)、僉事二員(正四品)、經歷二員(従七品)、知事二員、承発兼照磨一員(ともに従八品)、令史七人、訳史・通事・知印各一人。その属する所は十二あり。

鎮撫所、鎮撫二員。

北口千戸所は、秩正五品。達魯花赤一員、千戸一員、百戸七員。上都路龍慶州の東口に司を置く。

南口千戸所は、秩正五品。達魯花赤一員、千戸一員、百戸一員、弾圧一員。大都路昌平県居庸関に司を置く。

白羊口千戸所は、秩正五品。達魯花赤一員、千戸一員、百戸二員、弾圧一員。大都路昌平県の東口に司を置く。

碑楼口千戸所は、秩正五品。達魯花赤一員、千戸一員、百戸一員、弾圧一員。応州金城県の東口に司を置く。

古北口千戸所は、秩正五品。達魯花赤一員、千戸一員、百戸六員、弾圧一員。檀州の北面東口に司を置く。

遷民鎮千戸所は、秩正五品。達魯花赤一員、〔千戸一員〕、百戸六員、弾圧一員。大寧路の東口に司を置く。

黄花鎮千戸所は、秩正五品。達魯花赤一員、千戸一員、百戸六員、弾圧一員。昌平県の東口に司を置く。

蘆児嶺千戸所は、秩五品。達魯花赤一員、千戸一員、百戸六員、弾圧一員。昌平県の本口に司を置く。

太和嶺千戸所は、秩五品。達魯花赤一員、千戸一員、百戸六員、弾圧一員。大同路馬邑県の本隘に司を置く。

紫荊関千戸所は、秩五品。達魯花赤一員、千戸一員、百戸六員、弾圧一員。易州易県の本隘に司を置く。

隆鎮千戸所は、秩五品。達魯花赤一員、千戸一員、百戸八員、弾圧一員。龍慶州の北口に司を置く。

左右翼屯田萬戸府二つ、秩従三品。斡端・別十八里より帰還した漢軍、及び大名・衞輝の新附の軍、並びに迤東の帰還軍を分掌し、合わせて屯田とする。至元二十六年に置かれた。延祐五年、詹事院に隷属し、衞率府に併入された。復た枢密院に改めて隷属させた。定置として両府に達魯花赤各一員、萬戸各一員、副萬戸各一員、經歷各一員、知事各一員、提控案牘各一員、令史各五人を置く。属官として鎮撫各二員。

千戸所八所、ダルガチ八員、千戸八員、副千戸八員、百戸五十九員、弾圧十六員。

千戸所四所、ダルガチ四員、千戸四員、副千戸四員、百戸五十二員、弾圧八員。

左衛率府、位階は正三品。至大元年、江南行省の万戸府の精鋭漢軍を東宮の衛軍に編入し、衛率府を立て、官十一員を置く。延祐四年、初めて中翊府と改め、また御臨親軍指揮司と改め、また御臨は古典に合わないとして、羽林と改める。六年、再び東宮に隷属し、依然として左衛率府とする。定員は率使三員(正三品)、副使二員(従三品)、僉事二員(正四品)、経歴一員(従七品)、知事一員、照磨一員(ともに従八品)、令史七人、訳史・通事・知印各二人。その所属は十五あり:

鎮撫所、鎮撫二員。

行軍千戸所十、位階は正五品。ダルガチ十員、千戸十員、副千戸十員、百戸二百員、弾圧二十員。

弩軍千戸所一、位階は正五品。ダルガチ一員、千戸一員、百戸十員。

屯田千戸所三、位階は正五品。ダルガチ三員、千戸三員、百戸六十員、弾圧三員。

教官三員、蒙古字教授一員、儒學教授一員、陰陽教授一員。

右衛率府、位階は正三品。延祐五年、速怯那児万戸府・迤東女直両万戸府・右翼屯田万戸府の兵を合わせて右衛率府とし、官十二員を置く。後に定員は率使二員(正三品)、副使二員(従三品)、僉事二員(正四品)、経歴二員(従七品)、知事二員、照磨一員(ともに従八品)、令史七人、訳史・通事・知印各二人。その所属は七あり:

鎮撫所、鎮撫二員。

千戸所五、位階は正五品。千戸五員、百戸四十五員、弾圧二員。

教官一、儒學教授一員。

河南淮北蒙古軍都万戸府、位階は正三品。至元二十四年、四万戸オルチ(奥魯赤)を以て蒙古軍都万戸府と改め、府官四員、オルチ(奥魯)官四員を置く。大徳七年後、河南淮北蒙古軍都万戸府と改める。延祐五年、オルチ(奥魯)官・副鎮撫等の員を廃止する。定員は都万戸一員(正三品)、副都万戸一員(従三品)、経歴一員(従七品)、知事一員、提控案牘一員(ともに従八品)、令史七人、訳史・通事各一人。属官に鎮撫二員。

八撒児万戸府、万戸一員、副万戸一員、経歴・知事・提控案牘各一員。鎮撫一員。

千戸所十翼、ダルガチ十員、千戸十員、副千戸十員、百戸七十三員、弾圧十員。

札忽児台万戸府、万戸一員、経歴・知事・提控案牘各一員、鎮撫一員。

千戸所七翼、千戸七員、百戸三十八員、弾圧七員。

脱烈都万戸府、万戸一員、副万戸一員、経歴一員、知事一員、提控案牘一員、鎮撫一員。

千戸所九翼、千戸九員、百戸六十二員、弾圧九員。

和尚万戸府、万戸一員、副万戸一員、経歴一員、知事・提控案牘各一員、鎮撫一員。

千戸所六翼、達魯花赤四員、千戸六員、副千戸四員、百戸四十七員、弾圧六員。

砲手千戸所一翼、千戸一員、百戸六員、弾圧一員。

哨馬千戸所一翼、達魯花赤一員、千戸一員、副千戸一員、弾圧二員、百戸九員、奥魯官二員。

右阿速衛親軍都指揮使司、位階は正三品、宿衛と城禁を掌り、兼ねて潮河・蘇沽両川の屯田を営み、軍需を供給す。至元九年、初めに阿速抜都達魯花赤を立て、属官を置く。二十三年、遂に阿速の軍と名づく。至大二年、右阿速衛親軍都指揮使司を改めて立て、達魯花赤三員・都指揮使三員・副都指揮使二員・僉事二員を置く。四年、達魯花赤三員を省く。後に定置として達魯花赤一員(正三品)、都指揮使三員(正三品)、副都指揮使二員(従三品)、僉事二員(正四品)、経歴二員(従七品)、知事二員、承発架閣照磨一員(従八品)、令史七人、訳史・通事・知印各一人、鎮撫二員を置く。その属五。

行軍千戸所、千戸七員、百戸九員。

把門千戸二員、百戸五員、門尉一員。

本投下達魯花赤一員、長官一員、副長官一員。

廬江県達魯花赤一員、主簿一員。

教官、儒學教授一員。

左阿速衛親軍都指揮使司、品秩と職掌は右阿速衛と同じ。至元九年、初めに阿速抜都達魯花赤を立て、属官を置く。二十三年、遂に阿速の軍と名づく。至大二年、左衛阿速親軍都指揮使司を改めて立て、達魯花赤二員・都指揮使六員・副都指揮使四員・僉事二員を置く。四年、達魯花赤一員・都指揮使三員を省く。後に定置として達魯花赤一員、都指揮使三員、副都指揮使二員、僉事二員、経歴二員、知事二員、照磨一員、鎮撫二員を置く。その属四。

本投下のダルガチ二員、長官二員。

鎮巣県のダルガチ二員、主簿一員。

囲宿把門千戸所十三翼、千戸二十六員、百戸一百三十員、弾圧十三員。

教官、儒學教授一員。

回回砲手軍匠上萬戸府、秩は正三品。至元十一年、砲手総管府を置く。十八年、初めて都元帥府を立てる。二十二年、萬戸府に改む。後に定置はダルガチ一員、萬戸一員、副萬戸一員、経歴・知事・提控案牘各一員、令史四人、訳史一人。鎮撫二員。

千戸所三翼、ダルガチ三員、千戸三員、副千戸三員、百戸三十二員、弾圧六員。

唐兀衞親軍都指揮使司、秩は正三品。河西軍三千人を総領し、征討に備う。至元十八年に初めて立て、都指揮使二員・副都指揮使二員を置く。二十二年、都指揮使一員・僉事一員を増す。大徳五年、指揮使二員を増す。至大元年、都指揮一員を増す。四年、都指揮使三員・副都指揮使一員を省く。後に定置は都指揮使三員(正三品)、副都指揮使二員(従三品)、僉事二員(正四品)、経歴一員(従七品)、知事一員、照磨一員(ともに従八品)、令史七人、通事・訳史・知印各一人。鎮撫二員、オルク官正副各一員。

千戸所九翼、正千戸九員、副千戸九員、百戸七十五員、弾圧九員、オルク官正副各九員。

門尉三、(建)〔健〕徳門一、和義門一、粛清門一。

教官二、儒學教授一員、蒙古字教授一員。

貴赤衞親軍都指揮使司、秩は正三品。至元二十四年に立て、都指揮使二員・副都指揮二員・僉事二員を置く。二十九年、ダルガチ一員を置く。大徳十一年、ダルガチ一員・都指揮使四員・副都指揮一員を増す。至大元年、ダルガチ一員・都指揮使四員・副都指揮使三員を省く。後に定置はダルガチ一員(正三品)、都指揮使二員((従)〔正〕三品)、副都指揮使二員(従三品)、僉事二員(正四品)、経歴二事(従七品)、知事二員、照磨一員、令史七人、知印一人、通事・訳史各一人。鎮撫二員。

千戸所八翼、各所にダルガチ一員を置き、千戸十六員、百戸八十員、弾圧八員、門尉二員。

延安屯田打捕総管府、秩は従三品。析居放良人戸及び兀里吉思田地の北来蒙古人戸を管す。至元十八年に初めて設け、定置はダルガチ一員、総管一員、同知一員、経歴・知事各一員。属官打捕屯田官十二員。

大寧海陽等処屯田打捕所、秩は従七品。北京・平灤等路の析居放良不蘭奚等戸を掌る。至元二十二年、総管府を置く。元貞元年、総管府を罷め、打捕所を置く。定置はダルガチ一員、長官一員。教官、蒙古字教授一員、儒學教授一員。

忠翊侍衞親軍都指揮使司、秩は正三品。至元二十九年、屯田府を初めて立てる。大徳十一年、軍数を増し、大同等処指揮使司と為す。至大四年、徽政院に属す。延祐元年、中都威衞使司に改め、仍び徽政院に隷し、尋いで復た枢密院に改属す。至治元年、忠翊侍衞と改む。後に定置は都指揮使三員(正三品)、副都指揮使二員(従三品)、僉事二員(正四品)、経歴二員(従七品)、知事二員、照磨一員(ともに従八品)、令史七人、訳史・通事・知印各一人。鎮撫二員。

行軍千戸所十翼、ダルガチ十員、副ダルガチ十員、千戸十員、副千戸十員、百戸二百六員、弾圧二十員。

弩軍千戸所一翼、ダルガチ一員、千戸一員、百戸十員、弾圧十員。

屯田左右手千戸所二翼、ダルガチ二員、千戸二員、百戸四十員、弾圧四員。

西域親軍都指揮使司、位階は正三品。元貞元年に初めて設置し、官十一員を置いた。大徳十一年、都指揮使二員を増やし、また指揮使三員、副都指揮使二員、僉事二員を増やした。至大四年、都指揮使五員、副都指揮使二員、僉事二員を削減した。後に定員を定めてダルガチ一員(正三品)、都指揮使二員(正三品)、副都指揮使二員(従三品)、僉事二員(正四品)、経歴二員(従七品)、知事二員、承発架閣兼照磨一員(ともに従八品)、令史七人、通事・訳史・知印各一人、鎮撫二員とした。

行軍千戸所、千戸十三員、百戸二十九員。

把門千戸二員、百戸八員、門尉一員。

教官、儒學教授一員。

宗仁蒙古侍衛親軍都指揮使司、位階は正三品。至治二年、亦乞列思部の人々百戸と、収容した蒙古子女合わせて三千戸、及び清州の工匠二千戸、屯田漢軍二千戸をもって、宗仁衛を立ててこれを統轄させた。定員を都指揮使三員(正三品)、副都指揮使二員(従三品)、僉事二員(正四品)、経歴二員(従七品)、知事二員、照磨一員(ともに従八品)、令史七人、知印二人、ケリマチ(通訳官)二人、訳史二人、鎮撫二員と定めた。

蒙古軍千戸所十翼、千戸二十員、百戸百員、弾圧十員。

屯田千戸所、千戸四員、百戸四十員、弾圧四員。

教官二、儒學教授一員、蒙古字教授一員。

山東河北蒙古軍大都督ととく府、位階は従二品。各路の軍民の賦役・徴発・出征、及び軍馬の調遣・総括を掌る。至元二十一年、統軍司都元帥府を廃し、蒙古軍都万戸府を立てた。大徳七年、山東河北蒙古軍都万戸府と改めた。延祐五年に廃止。天暦二年、改めて大都督府を立てた。定員を正官として大都督三員(従二品)、同知一員(従三品)、副使一員(従四品)、経歴一員(従六品)、都事二員(従七品)、承発兼照磨一員(正八品)、令史八人、訳史・通事・知印各二人、宣使五人、典吏三人、鎮撫二員と定めた。

左手万戸府、万戸一員、副万戸一員、経歴一員、知事一員、提控案牘一員、鎮撫一員。

千戸九翼、千戸十一員、百戸七十四員、弾圧十一員。

右手万戸府、万戸一員、副万戸一員、経歴一員、知事一員、提控案牘一員、鎮撫一員。

千戸九翼、千戸九員、百戸六十三員、弾圧九員。

抜都万戸府、ダルガチ(達魯花赤)一員、万戸一員、副万戸一員、経歴一員、知事一員、提控案牘一員、鎮撫一員。

千戸六翼、千戸七員、百戸四十一員、弾圧五員。

哈答万戸府、ダルガチ(達魯花赤)一員、万戸一員、経歴一員、知事一員、提控案牘一員、鎮撫一員。

千戸八翼、千戸八員、百戸二十四員、弾圧八員。

蒙古回回水軍万戸府、ダルガチ(達魯花赤)一員、万戸一員、副万戸一員、経歴・知事・提控案牘各一員、鎮撫二員。

千戸八翼、ダルガチ(達魯花赤)二員、千戸六員、百戸四十六員、弾圧九員。

玘都哥万戸府、初め都府七千戸翼に隷属し、延祐三年に枢密院が上奏し、万戸府を改めて立てる。ダルガチ(達魯花赤)一員、万戸一員、副万戸一員、経歴・知事・提控案牘各一員、鎮撫二員。

千戸七翼、千戸九員、百戸三十五員、弾圧八員。

哈必赤千戸翼、千戸一員、百戸四員、弾圧一員、大都督府に直属。

洪沢屯田千戸趙国宏翼、ダルガチ(達魯花赤)一員、千戸一員、副千戸一員、百戸十四員、弾圧二員、大都督府に直属。

左翊蒙古侍衛親軍都指揮使司、位階は正三品。至元十八年、蒙古侍衛総管府を五衛の例に依り指揮使司と為し、官十二員、オロク(奥魯)官二員を設く。大徳七年、上奏して左翊蒙古侍衛親軍都指揮使司と改む。延祐五年、オロク(奥魯)官を罷む。後に司官を定置し、都指揮使三員(正三品)、副都指揮使二員(従三品)、僉事二員(正四品)、経歴二員(従七品)、知事二員、承発架閣兼照磨一員(並びに従八品)、令史七人、訳史・通事・知印各一人、典吏二人、鎮撫二員。

千戸所七翼、正千戸七員、副千戸七員、知事七員、弾圧七員、百戸六十二員。

教官二、蒙古字教授一員、儒學教授一員。

右翊蒙古侍衛親軍都指揮使司、品秩は左衛と同じ。至元十八年、蒙古侍衛総管府を五衛の例に依り指揮使司と為し、官十二員、オロク(奥魯)官二員を設く。大徳七年、上奏して右翊蒙古侍衛親軍都指揮使司と改む。延祐五年、オロク(奥魯)官を罷む。後に司官を定置し、都指揮使三員(正三品)、副都指揮使二員(従三品)、僉事二員(正四品)、経歴二員(従七品)、知事二員、承発兼照磨架閣一員(並びに従八品)、令史七人、訳史・通事・知印各一人、典吏二人、鎮撫二員。

千戸所十二翼、正千戸十二員、副千戸十二員、知事十二員、弾圧十二員、百戸百九員。

教官、蒙古字教授一員、儒學教授一員。

虎賁親軍都指揮使司、位階は正三品。上都路の元籍軍人を管領し、兼ねてオル(奥魯)の事務を掌る。至元十六年、虎賁軍を立て、官二員を置く。十七年、都指揮使二員・副都指揮使一員を置き、また副都指揮使一員を増置す。元貞三年、虎賁軍を以て虎賁親軍都指揮使司と改む。十一年、都指揮使六員を増置す。至大四年、都指揮使九員を省く。後に司官を定置す、都指揮使三員(正三品)、副都指揮使二員(従三品)、僉事二員(正四品)、経歴一員(従七品)、知事・照磨兼承発各一員(並びに従八品)、令史七人、訳史・通事・知印各一人、典吏二人。鎮撫二員、都目一員。

撒的赤千戸翼、正ダルガチ(達魯花赤)一員、副ダルガチ一員、正千戸一員、副千戸一員、知事一員、百戸二十員、弾圧二員。

不花千戸翼、正ダルガチ一員、副ダルガチ一員、正千戸一員、副千戸一員、百戸二十二員、弾圧二員。

脱脱木千戸翼、正ダルガチ一員、副ダルガチ一員、正千戸一員、副千戸一員、知事一員、百戸二十八員、弾圧二員。

大忽都魯千戸翼、正ダルガチ一員、副ダルガチ一員、正千戸一員、副千戸一員、知事一員、百戸二十四員、弾圧二員。

楊千戸翼、正ダルガチ一員、副ダルガチ一員、正千戸一員、副千戸一員、知事一員、百戸二十二員、弾圧二員。

迷里火者千戸翼、正ダルガチ一員、副ダルガチ一員、正千戸一員、副千戸一員、知事一員、百戸二十員、弾圧二員。

大都督府

大都督府、正二品。左右欽察両衛・龍翊侍衛・東路蒙古軍元帥府・東路蒙古軍万戸府・哈剌魯万戸府を管領す。天暦二年、始めて欽察親軍都督府を立て、位階は従二品。後に大都督府と改む。大都督三員(正二品)、同知二員(正三品)、副都督三員(従三品)、僉都督事二員(正四品)、経歴二員(従六品)、都事二員(従七品)、管勾一員・照磨一員(ともに正八品)、令史八人、蒙古ビチクチ(必闍赤)二人、ケリマチ(怯里馬赤)二人、知印二人、宣使六人を置く。

右欽察衛、位階は正三品。至元二十三年、河西等衛の例に依り、欽察衛を立て、官十員を置く。至治二年、左右衛に分つ。天暦二年、大都督府に撥隷す。ダルガチ一員(正三品)、都指揮二員(正三品)、副使二員(従三品)、僉事二員(正四品)、経歴二員(従七品)、知事二員・照磨二員(並びに従八品)、令史七人、訳史・通事・知印各一人を定置す。鎮撫一員。

行軍千戸十八所、各ダルガチ一員、千戸三十六員、百戸百八十員、弾圧十八員。

屯田千戸所二、ダルガチ二員、千戸二員、百戸二十員、弾圧二員。

門尉二員。

儒学教授一員、至大四年に初めて設置。蒙古字教授一員、延祐四年に初めて設置。

左欽察衛、位階は正三品。至治二年、阿速衛の例に倣い、二つの衛に分け、官十員を設置。天暦二年、大都督府に隷属させた。定められた衛の官は、都指揮使三員(正三品)、副都指揮二員(従三品)、僉事二員(正四品)、経歴二員(従七品)、知事二員、照磨一員(従八品)、令史七人、訳史・通事・知印各一人。属官に鎮撫二員。

行軍千戸所十翼、千戸十員、百戸八十二員、弾圧九員、奥魯官四員。

守城千戸所一翼、達魯花赤一員、千戸一員、百戸九員、弾圧一員。

屯田千戸所一翼、達魯花赤一員、千戸一員、百戸十員、弾圧一員。

教官、儒学教授一員。

龍翊侍衛親軍都指揮使司、位階は正三品。天暦元年に初めて設立、官十四員を設置。二年、また愛馬知事一員を置き、また左欽察衛の唐吉失九千戸を本衛に隷属させた。定められた官は、都指揮使三員(正三品)、副都指揮使二員(従三品)、僉事二員(正四品)、経歴一員(従七品)、知事二員、照磨一員(ともに従八品)、令史七人、訳史二人、怯里馬赤二人、知印二人。鎮撫二員。

行軍千戸所九翼、達魯花赤一員、千戸六員、副千戸一員、百戸四十五員、弾圧五員。

屯田一翼欽察千戸所、達魯花赤一員、千戸一員、百戸二十二員、弾圧二員。

教官二、蒙古字教授一員、儒学教授一員。

哈剌魯万戸府、禁門などの守衛および宿直を掌る。至元二十四年、哈剌魯軍人を招集し、万戸府を立てた。まもなく襄陽に移駐。後に交趾征伐に従軍。大徳二年、南陽に司を置く。天暦二年、大都督府に隷属するよう上奏し定められた。定められた官は、達魯花赤一員、万戸一員、経歴・知事各一員、提控案牘一員。鎮撫一員、吏目一員。

千戸所三翼、千戸三員、百戸九員、弾圧三員。

御史臺

御史臺、位階は従一品。大夫二員(従一品)、中丞二員(正二品)、侍御史二員(従二品)、治書侍御史二員(正三品)。百官の善悪、政治の得失を糾察することを掌る。至元五年、初めて臺を立て官を置き、官七員を設置。大夫は従二品、中丞は従三品、侍御史は従五品、治書侍御史は従六品、典事は従七品、検法二員、獄丞一員。七年、典事を都事と改称。十九年、検法・獄丞を廃止。二十一年、大夫を従一品に昇格、中丞を正三品に、侍御史を正五品に、治書を正六品に。二十七年、大夫以下、品階を各一等昇格し、初めて蒙古経歴一員を設置。大徳十一年、中丞を正二品に、侍御史を従二品に、治書侍御史を正三品に昇格。皇慶元年、中丞を三員に増員。二年、一員に減らす。至治二年、大夫一員。後に定められた設置は、御史大夫二員、中丞二員、侍御史二員、治書侍御史二員、品階は上記の通り。経歴一員(従五品)、都事二員(正七品)、照磨一員(正八品)、承発管勾兼獄丞一員(正八品)、架閣庫管勾兼承発一員(正九品)、掾史十五人、訳史四人、知印二人、通事二人、宣使十人、臺医二人、蒙古書写二人、典吏六人、庫子二人。その属するものに二つあり。

殿中司、殿中侍御史二員、正四品。至元五年に初めて設置、位階は正七品、後に正四品に昇格。大朝会においては、百官の班列順序で、儀礼に違反し列を乱す者があれば糾罰する。在京の百官で、着任・休暇・事故について、三日を過ぎても報告しない者があれば糾挙する。大臣が内廷に入り奏事する際には随行し、聞くべからざる者があれば糾して退かせる。知班四人、通事・訳史各一人。

察院は、正七品に相当する。監察御史三十二員を置く。耳目の任を委ね、刺挙の事を担当する。至元五年、初めて御史十二員を置き、すべて漢人を以てこれに充てた。八年、六員を増置した。十九年、十六員を増置し、初めて蒙古人を参用した。至元二十二年、南儒二人を参用した。書吏三十二人を置く。

江南諸道行御史臺は、官の品秩を内臺と同じくする。至元十四年、初めて江南行御史臺を揚州に置き、まもなく杭州に移し、また江州に移した。二十三年、建康に遷し、以て東南諸省を監臨し、各道の憲司を統制し、内臺を総括する。初め大夫、中丞、侍御史、治書侍御史を各一員置き、淮東、淮西、湖北、浙東、浙西、江東、江西、湖南の八道提刑按察司を統轄した。十五年、江南湖北、嶺南広西、福建広東の三道を増置した。二十三年、淮東、淮西、山南の三道を以て、内臺に撥隷した。三十年、海北海南道を増置した。大徳元年、江南諸道行御史臺と定め、官九員を置き、以て江浙、江西、湖広の三省を監し、江東、江西、浙東、浙西、湖南、湖北、広東、広西、福建、海南の十道を統轄する。大夫一員、中丞二員、侍御史二員、治書侍御史二員、經歷一員、都事二員、照磨一員、架閣庫管勾一員、承発管勾兼獄丞一員、令史十六人、訳史四人、回回掾史、通事、知印各二人、宣使十人、典吏、庫子、臺醫はそれぞれ差等がある。

察院は、品秩は内察院の如し。至元十四年、監察御史十員を置く。書吏十員を置く。二十三年、蒙古御史十四員、書吏十四人を増し、また漢人御史四員、書吏四人を増した。後に御史二十八員、書吏二十八人と定置した。

陝西諸道行御史臺は、官の品秩を内臺と同じくする。至元二十七年、初めて雲南諸路行御史臺を置き、官は四員に止まる。大徳元年、雲南行臺を京兆に移し、陝西行臺とし、雲南は廉訪司を改めて立てた。延祐元年に廃止した。二年に復立し、漢中、隴北、四川、雲南の四道を統轄する。大夫一員、御史中丞二員、侍御史二員、治書侍御史二員、經歷一員、都事二員、照磨一員、架閣庫管勾一員、承発司管勾兼獄丞一員、掾史十二人、蒙古必闇赤二人、回回掾史一人、通事二人、知印一人、宣使十人、典吏五人、庫子二人と定置した。

察院は、品秩は内察院と同じ。監察御史二十員、書吏二十人を置く。

肅政廉訪司。国初、提刑按察司四道を立てた。山東東西道、河東陝西道、山北東西道、河北河南道という。至元六年、提刑按察司に勧農事を兼ねさせた。八年、河東山西道、陝西四川道を置く。十二年、燕南河北道を分置した。十三年、省併衙門を以て、按察司を罷めた。十四年に復置し、八道を増立した。江北淮東道、淮西江北道、山南江北道、浙東海右道、江南浙西道、江東建康道、江西湖東道、嶺北湖南道という。十五年、さらに三道を増した。江南湖北道、嶺南広西道、福建広東道という。十九年、西しょく四川道を増した。二十年、海北広東道を増し、福建広東道を福建閩海道と改めた。雲南七路を以て、雲南道を置く。女直の地を以て、海西遼東道を置く。二十三年、淮東、淮西、山南の三道を以て、内臺に撥隷した。二十四年、河西隴右道を増した。この年、雲南道を罷めた。二十五年、海西遼東を罷めた。二十七年、雲南按察司の治めるところを以て、雲南行御史臺を立てた。二十八年、按察司を肅政廉訪司と改称した。大徳元年、雲南行臺を陝西に移し、雲南道を復立した。三十年、海北海南道を増し、その後遂に二十二道と定まった。毎道、廉訪使二員(正三品)、副使二員(正四品)、僉事四員(両広・海南は二員に止まる、正五品)、經歷一員(従七品)、知事一員(正八品)、照磨兼管勾一員(正九品)、書吏十六人、訳史・通事各一人、奏差五人、典吏二人を置く。

内道八、御史臺に隷す。

山東東西道、済南路に司を置く。

河東山西道、冀寧路に司を置く。

燕南河北道、真定路に司を置く。

江北河南道、汴梁路に司を置く。

山南江北道、中興路に司を置く。

淮西江北道、廬州路に司を置く。

江北淮東道、揚州路に司を置く。

山北遼東道、大寧路に司を置く。

江南十道は、江南行台に隷属する。

江東建康道は、寧国路に司を置く。

江西湖東道は、龍興路に司を置く。

江南浙西道は、杭州路に司を置く。

浙東海右道は、婺州路に司を置く。

江南湖北道は、武昌路に司を置く。

嶺北湖南道は、天臨路に司を置く。

嶺南広西道は、静江府に司を置く。

海北広東道は、広州路に司を置く。

海北海南道は、雷州路に司を置く。

福建閩海道は、福州路に司を置く。

陝西四道は、陝西行台に隷属する。

陝西漢中道は、鳳翔府に司を置く。

河西隴北道は、甘州路に司を置く。

西蜀四川道は、成都路に司を置く。

雲南諸路道、中慶路に司を置く。