元史

志第三十五:百官一

王者は南面して天下の治を聴き、邦を建て土を啓き、官を設け職を分つ。その制度は古くよりある。漢・唐以来、沿革同じからざるも、常に周・秦の故を因りて損益と為し、また大いに相遠からず。大要は賢才を得てこれを用い、以て天子を佐け、万民を治めんと欲するなり。

元の太祖は朔土より起こり、その衆を統べ有す。部落野に処り、城郭の制あるにあらず。国俗淳厚にして、庶事の繁きあるにあらず。ただ万戸を以て軍旅を統べ、断事官を以て政刑を治むるのみ。任用する者は一、二の親貴重臣に過ぎず。中原を取るに及び、太宗始めて十路宣課司を立て、儒臣を選びてこれを用う。金人の来帰する者は、その故官に因り、行省若しくは元帥の如きは、則ち行省・元帥を以てこれを授く。草創の初め、固より経久の規を為すに暇あらざるなり。

世祖即位し、老成を登用し、大いに制作を新たにし、朝儀を立て、都邑を造り、遂に劉秉忠・許衡に命じ古今の宜を酌み、内外の官を定む。その政務を総べる者を中書省と曰い、兵柄を秉る者を枢密院と曰い、黜陟を司る者を御史台と曰う。体統既に立ち、その次に内にある者は、則ち寺有り、監有り、衛有り、府有り。外にある者は、則ち行省有り、行台有り、宣慰司有り、廉訪司有り。その民を牧む者は、則ち路と曰い、府と曰い、州と曰い、県と曰う。官に常職有り、位に常員有り。その長は則ち蒙古人これを為し、而して漢人・南人はこれに貳す。ここに於いて一代の制始めて備わり、百年の間、子孫拠るべき所あり。

大徳以後、承平日久しく、弥文の習勝ち、而して質簡の意微なり。僥倖の門多く、而して方正の路塞がる。官は上に冗し、吏は下に肆す。言事者屡疏を上りて論列すれども、朝廷終にこれを正すこと莫し。勢い然るなり。

大抵元の官を建つるは、繁簡は時に因り、得失は人に係る。故にその簡牘に載する所を取りて、而してこれを論次す。もしその事に因りて置き、事已れば則ち罷むるもの、及び異教雑流世襲の属、名類実に繁し。また姑くその大概を挙ぐ。百官志を作る。

三公

三公は、太師・太傅・太保各一員、正一品、銀印。道を以て陰陽を燮え、邦国を経る。元はその名号を襲い、特に尊崇を示す。太祖十二年、国王を以て太師一員を置く。太宗即位し、三公を建つ。その拝罷の歳月は、皆考うべからず。世祖の世、その職常に缺け、而して僅かに太保一員を置く。成宗・武宗に至りて後、三公並びに建てられ、而して虚位無し。また大司徒しと・司徒・太尉の属有り、或いは置き、或いは置かず。その置く者は、或いは開府し、或いは開府せず。而して東宮嘗て三師・三少を置く、蓋しまた恒に有るに非ざるなり。

中書令

中書令一員、銀印。百官を典領し庶務を会決す。太宗は相臣を以てこれを為し、世祖は皇太子を以てこれを兼ぬ。至元十年、皇太子を立て、中書令を行わしむ。大徳十一年、皇太子を以て中書令を領せしむ。延祐三年、復た皇太子を以て中書令を行わしむ。属を置き、監印二人。

右丞相・左丞相各一員、正一品、銀印。六官を統べ、百司を率い、令の次に居る。令缺くれば、則ち省事を総べ、天子を佐け、万機を理む。国初、職名未だ創らず。太宗始めて右丞相一員・左丞相一員を置く。世祖中統元年、丞相一員を置く。二年、復た右丞相二員・左丞相二員を置く。至元二年、丞相五員を増置す。七年、尚書省を立て、丞相三員を置く。八年、尚書省を罷め、乃ち丞相二員を置く。二十四年、復た尚書省を立て、その中書省丞相二員は故の如し。二十九年、尚書省再び罷まるに及び、専ら一相を任ず。武宗至大二年、復た尚書省を置き、丞相二員。中書丞相二員。四年、尚書省仍て中書に帰し、丞相凡そ二員、自ら後これに因りて易えず。文宗至順元年、専ら右相を任じ、その一は或いは置き或いは置かず。

平章政事四員、従一品。機務を掌り、丞相に貳し、凡そ軍国の重事、これに由らざる無し。世祖中統元年、平章二員を置く。二年、平章四員を置く。至元七年、尚書省を置き、尚書平章二員を設く。八年、尚書省中書に併入し、平章復た三員を設く。二十三年、詔して冗職を清め、平章を汰して二員と為す。二十四年、尚書省を復し、中書・尚書両省平章各二員。二十九年、尚書省を罷め、中書平章を増して五員と為し、而して一員を商議省事と為す。三十年、又た平章を増して六員と為す。成宗元貞元年、商議省事を改めて平章軍国重事と為す。武宗至大二年、再び尚書省を立て、平章三員。中書五員。四年、尚書省を罷めて中書に帰し、平章仍て五員。文宗至順元年、定めて四員を置き、自ら後これに因る。

右丞一員、正二品。左丞一員、正二品。宰相を副え庶務を裁成し、左右轄と号す。世祖中統二年、左・右丞各一員を置く。三年、増して四員と為す。至元七年、尚書省を立て、中書右丞・左丞仍て四員。八年、尚書省中書省に併入し、右・左丞各一員。二十三年、冗職を汰し、右・左丞は故の如し。二十四年、復た尚書省を立て、右・左丞各一、而して中書省は員を缺く。二十八年、復た尚書省を罷む。三十年、右丞二員を設け、而して一員を商議省事と為す。成宗元貞元年、右丞商議省事たる者、又た昭文大学士を以て中書省事とす。武宗至大二年、復た尚書省を立て、右・左丞二員。中書右・左丞五員。四年、尚書右・左丞を罷め、中書右・左丞は止めて四員を設く。文宗至順元年、定めて右丞一員・左丞一員を置き、而してここより復た増損せず。

参知政事二員、従二品。宰相を副え大政に参じ、而其の職は右・左丞に亜ぐ。世祖中統元年、始めて参知政事一員を置く。二年、増して二員と為す。至元七年、尚書省を立て、参知政事三員。八年、尚書省中書に併入し、参知政事二員。二十三年、冗職を汰し、参知政事二員は故の如し。二十四年、復た尚書省を立て、参知政事二員。中書参知政事二員。二十八年、尚書省参知政事を罷む。武宗至大二年、復た尚書省を置き、参知政事二員。中書参知政事二員。四年、尚書省を中書に併入し、参知政事三員。文宗至順元年、参知政事を定めて二員と為し、自ら後これに因る。

参議中書省事、位は正四品。左右司の文書を管掌し、六曹の管轄を為し、軍国重事は皆これに参与して決する。中統元年、初めて一員を置く。至元二十二年、累次増加して六員に至る。大徳元年、四員を置くに止まり、後に遂に定員と為る。その役所を参議府と称し、令史二人。

左司、郎中二員、正五品。員外郎二員、正六品。都事二員、正七品。中統元年、左右司を置く。至元十五年、両司を分置す。左司の管掌する所:吏礼房の科は九つ有り、一を南吏と曰い、二を北吏と曰い、三を貼黄と曰い、四を保挙と曰い、五を礼と曰い、六を時政記と曰い、七を封贈と曰い、八を牌印と曰い、九を好事と曰う。知除房の科は五つ有り、一を資品と曰い、二を常選と曰い、三を台院選と曰い、四を見闕選と曰い、五を別里哥選と曰う。戸雑房の科は七つ有り、一を定俸と曰い、二を衣装と曰い、三を羊馬と曰い、四を置計と曰い、五を田土と曰い、六を太府監と曰い、七を会総と曰う。科糧房の科は六つ有り、一を海運と曰い、二を儹運と曰い、三を辺遠と曰い、四を賑済と曰い、五を事故と曰い、六を軍匠と曰う。銀鈔房の科は二つ有り、一を鈔法と曰い、二を課程と曰う。応弁房の科は二つ有り、一を飲膳と曰い、二を草料と曰う。令史二人、蒙古書写二十人、回回書写一人、漢人書写七人、典吏十五人。

右司、郎中二員、正五品。員外郎二員、正六品。都事二員、正七品。中統元年、左右司を置く。至元十五年、両司を分置す。右司の管掌する所:兵房の科は五つ有り、一を辺関と曰い、二を站赤と曰い、三を鋪馬と曰い、四を屯田と曰い、五を牧地と曰う。刑房の科は六つ有り、一を法令と曰い、二を弭盗と曰い、三を功賞と曰い、四を禁治と曰い、五を枉勘と曰い、六を鬪訟と曰う。工房の科は六つ有り、一を横造軍器と曰い、二を常課段匹と曰い、三を歳賜と曰い、四を営造と曰い、五を応弁と曰い、六を河道と曰う。令史二人、蒙古書写三人、回回書写一人、漢人書写一人、典吏五人。

中書省掾属:

監印二人、省印を監視することを掌り、中書令有れば則ち置く。

知印四人、省印の執用を掌る。

怯里馬赤四人。

蒙古必闍赤二十二人、左司十六人、右司六人。

漢人省掾六十人、左司三十九人、右司二十一人。

回回省掾十四人、左司九人、右司五人。

宣使五十人。

省医三人。

玉典赤四十一人。

断事官、位は正三品。刑政の属を掌る。国初、嘗て相臣を以て之を任ず。その名甚だ重く、その員数増損常ならず、その人は則ち皆御位下及び中宮、東宮、諸王各投下の怯薛丹等の之を為す者なり。中統元年、一十六位下に三十一員を置く。至元六年、十七位下に三十四員を置く。七年、十八位下に三十五員を置く。八年、初めて印を給す。二十七年、両省を分立し、而して断事官は省に随い並びに置く。二十八年、十八位下に三十六員を置き、併せて中書に入る。三十一年、二員を増す。後に定置と為り、御位下及び諸王位下より共に四十一員を置く。首領官:経歴一員、知事一員。吏属:蒙古必闍赤二人、令史十二人、回回令史一人、怯里馬赤二人、知印二人、奏差八人、典吏一人。

客省使、位は正五品。使四員、正五品。副使二員、正六品。令史二人。直省舎人、宣使等の員の選挙差遣の事を掌る。至元九年、使二員を置き、一員は通事を兼ね、一員は兼ねず。大徳元年、四員を増置し、副二員。直省舎人二員、至元七年初めて置き、後に増加して三十三員に至る。奏事給使差遣の役を掌る。検校官四員、正七品。左右司、六部の公事程期、文書稽失の事を検校することを掌る。書吏六人。大徳元年に置く。

照磨一員、正八品。左右司の銭穀出納・営繕料例を磨勘し、凡そ数計・文牘・簿籍の事を掌る。中統元年、二員を置く。至元八年、一員に省く。典吏八人。

管勾一員、正八品。四方の文移緘縢の啓拆出納の事を掌る。郵遞の程期、曹属の承受を兼ねて主る。中統元年、二員を置く。至元三年、一員と定む。典吏八人。

架閣庫管勾二員、正八品。省府の籍帳案牘を庋蔵し、凡そ稽考に備ふるの文、即ち掌故の任を掌る。至元三年、始めて三員を置き、其の後員数を増置すること一ならず。至順初、二員と定む。典吏十人。蒙古架閣庫兼管勾一員、典吏二人。回回架閣庫管勾一員、典吏二人。

吏部、尚書三員、正三品。侍郎二員、正四品。郎中二員、従五品。員外郎二員、従六品。天下の官吏選授の政令を掌る。凡そ職官銓綜の典、吏員調補の格、勲封爵邑の制、考課殿最の法、悉く以て之を任ず。世祖中統元年、吏・戸・礼を以て左三部と為す。尚書二員、侍郎二員、郎中四員、員外郎六員。至元元年、吏礼自ら一部を為す。尚書三員、侍郎仍二員、郎中仍四員、員外郎三員。三年、復た左三部と為す。五年、又た合して吏礼部と為す。尚書仍二員、侍郎・郎中・員外郎各一員。七年、始めて尚書六部を列す。吏部尚書一員、侍郎一員、郎中二員、員外郎二員。八年、仍た吏礼部と為す。尚書・侍郎・郎中各一員、員外郎仍二員。十三年、分ちて吏部を置く。尚書増置七員、侍郎三員、郎中二員、員外郎四員。十九年、尚書裁ちて二員と為し、侍郎一員、郎中一員、員外郎二員。二十一年、尚書三員、侍郎一員、郎中・員外郎故の如し。二十三年、六部尚書・侍郎・郎中・員外郎の員額各二員と定む。二十八年、尚書を三員に増す。主事三員、蒙古必闍赤三人、令史二十五人、回回令史二人、怯里馬赤一人、知印二人、奏差六人、蒙古書寫二人、銓寫五人、典吏十九人。

戸部

戸部、尚書三員、正三品。侍郎二員、正四品。郎中二員、従五品。員外郎三員、従六品。天下の戸口・銭糧・田土の政令を掌る。凡そ貢賦出納の経、金幣転通の法、府蔵委積の実、物貨貴賤の直、歛散准駁の宜、悉く以て之を任ず。中統元年、吏・戸・礼を以て左三部と為す。尚書二員、侍郎二員、郎中四員、員外郎六員。至元元年、分立して戸部と為す。尚書三員、侍郎・郎中四員、員外郎省きて三員と為す。三年、復た左三部と為す。五年、復た分かれて戸部と為す。尚書一員、侍郎・郎中各一員、員外郎又た省きて二員と為す。七年、始めて尚書六部を列す。尚書一員、侍郎二員、郎中二員、員外郎故の如し。十三年、尚書増置一員、侍郎・郎中・員外郎故の如し。十九年、郎中・員外郎俱に増して四員と為す。二十三年、六部尚書・侍郎・郎中二員を以て額と定む。明年、戸部の掌る所、他部に比し特は繁劇なるを以て、二員を増置す。成宗大徳五年、尚書一員を省き、員外郎も亦た一員を省き、各三員を設く。主事八員、蒙古必闍赤七人、令史六十一人、回回令史六人、怯里馬赤一人、知印二人、奏差三十二人、蒙古書寫一人、典吏二十二人、司計官四員。其の属附見すること後し。

都提挙万億宝源庫、宝鈔・玉器を掌る。至元二十五年始めて置く。都提挙一員、正四品。提挙一員、正五品。同提挙一員、従五品。副提挙一員、従六品。知事一員、従八品。提控案牘一員、司吏二十三人、訳史二人、司庫四十六人、内に色目二人を以て之に参ず。

都提挙万億広源庫、香薬・紙劄諸物を掌る。設置上に同じ。提控案牘二員、司吏十二人、訳史一人、司庫十三人。

都提挙万億綺源庫、諸色段匹を掌る。設置並びに上に同じ、而して副提挙は則ち一員を増す。提控案牘三員を設け、後二員を省く。司吏二十二人、訳史一人、司庫二十六人、内に色目二人を参用す。

都提挙万億賦源庫、絲綿・布帛諸物を掌る。設置並びに上に同じ。提控案牘二員、其の後一員を省く。司吏十七人、訳史一人、司庫十五人、内に色目二人を参用す。

四庫照磨兼架閣庫、管勾一員、従九品。世祖至元二十八年、四庫の銭帛の事繁きを以て、始めて一員を置き、仍た印を給す。

提挙富寧庫、至元二十七年始めて創む。提挙一員、従五品。同提挙一員、従六品。副提挙一員、従七品。万億宝源庫の出納金銀の事を分掌す。吏目一人、其の後司吏六人に増し、訳史一人、司庫八人。

諸路宝鈔〔都〕提挙司、達魯花赤一員、正四品。都提挙一員、正四品。副達魯花赤一員、正五品。提挙一員、正五品。同提挙二員、従五品。副提挙二員、従六品。知事一員、従八品。照磨一員、従九品。国初、戸部交鈔公事を兼領す。世祖至元、始めて交鈔提挙司を設け、秩正五品。二十四年、諸路宝鈔都提挙司と改め、正四品に陞し、副達魯花赤・提控案牘各一員を増す。其の後已上の官員を定置し、提控案牘又た一員を増す。司吏十二人、蒙古必闍赤一人、回回令史一人、奏差七人を設く。

宝鈔総庫、達魯花赤一員、従五品。大使一員、従五品。副使三員、正七品。世祖至元二十五年、元宝庫を改めて宝鈔〔総〕庫と為し、秩正六品。二十六年、従五品に陞し、大使・副使を増し、司庫を設く。其の後遂に已上の官員を定置す。司吏七人、訳史一人、司庫五十人。

印造宝鈔庫は、ダルガチ(達魯花赤)一員(正七品)、大使二員(従七品)、副使二員(正八品)を置く。中統四年に初めて設置され、官等は従八品であった。至元二十四年に従七品に昇格し、ダルガチを一人増員した。その後、上記の官員を定置とした。

焼鈔東西二庫は、ダルガチ一員(正八品)、大使一員(従八品)、副使一員(従九品)を置く。至元元年に初めて昏鈔庫を設置し、正九品の印を用い、監焼昏鈔官を置いた。二十四年に焼鈔東西二庫に分立し、官等は従八品とし、それぞれダルガチ・大使・副使等の官員を置いた。

行用六庫。中統元年に初めて中都行用庫を立て、官等は従七品とした。提領一員(従七品)、大使一員(従八品)、副使一員(従九品)を置く。至元二十四年に京師で三庫を改めて設置した。光熙こうき・文明・順承という。城門の名を以て額とした。二十六年にまた三庫を置いた。健徳・和義・崇仁という。これも城門の名を以て名とした。

大都宣課提挙司は、諸色の課程を掌り、併せて京城の各市を管轄する。提挙二員(従五品)、同提挙一員(従六品)、副提挙一員(従七品)、提控案牘一員、司吏六人を置く。世祖至元十九年に大都旧城の両税務を併せて大都税課提挙司とした。武宗至大元年に至り、宣課提挙司と改めた。その属司は四つ。

馬市・猪羊市は、官等従七品。提領一員(従七品)、大使一員(従八品)、副使一員(従九品)を置く。世祖至元三十年に初めて設置した。

牛驢市・果木市は、品秩・設官は上と同じ。

魚蟹市は、大使一員、副使一員を置く。至大元年に初めて設置した。

煤木所は、提領一員(従八品)、大使一員(従九品)、副使一員を置く。至元二十二年に初めて設置した。

大都酒課提挙司は、酒醋の専売・醸造の事を掌る。至元十九年に初めて設置した。提挙一員(従五品)、同提挙二員(従六品)、副提挙二員(従七品)、提控案牘二員、司吏五人を置く。二十八年に同提挙一員・副提挙一員を削減し、その他は従前の通りとした。

抄紙坊は、提領一員(正八品)、大使一員(従八品)、副使二員(従九品)を置く。中統四年に初めて設置し、九品の印を用い、大使・副使各一員のみを置いた。至元二十七年に正八品に昇格し、提領・副使各一員を増置した。

印造塩茶等引局は、大使一員、副使一員を置く。至元二十四年に設置した。腹裏・行省の塩・茶・礬・鉄等の引(販売許可証)の印造を掌る。また攢典・庫子各一人を置いた。

右は以上、戸部に属する。その万億四庫は、国初に太府が内帑の出納を掌ったが、左蔵等の庫が設けられると、国計の管轄は戸部にあり、なお万億等の庫を置き、収蔵の府とした。中統元年に庫官六員を置いたが、品秩・俸給はなかった。至元十六年に初めて提挙万億庫とし、官等は正五品とした。二十四年に都提挙万億庫に改め昇格し、官等は正四品とした。二十五年に四庫に分立し、出納を分掌させた。二十七年に至り、また別に富寧庫を立てた。

京畿都漕運使司は、官等正三品。運使二員(正三品)、同知二員(正四品)、副使二員(正五品)、判官二員(正六品)、経歴一員(正七品)、知事一員(従八品)、提控案牘兼照磨二員を置く。凡そ漕運の事を掌る。世祖中統二年に初めて軍儲所を立て、まもなく漕運所と改めた。至元五年に漕運司と改め、官等は五品とした。十二年に都漕運司と改め、官等は四品とした。十九年に京畿都漕運使司と改め、官等は正三品とした。二十四年に内外で両運司を分立したが、京畿都漕運司の定員は従前の通りであった。在京の諸倉の糧斛出納及び新運糧提挙司の站車による運搬の公事のみを管轄する。同知・運判・知事各一員を削減し、押綱官を隷属させた。延祐六年に同知・副使・運判各一員を増員した。その後、定置官員は上記の正官各二員、首領官四員とした。吏属は、令史二十一人、訳史二人、回回令史一人、通事一人、知印二人、奏差十六人、典吏二人。その属司は二十四。

新運糧提挙司は、官等正五品。至元十六年に初めて設置し、站車二百五十輛を管轄し、兵部に隷属した。運糧壩河を開設し、戸部に改めて隷属させた。定置はダルガチ一員、都提挙一員、同提挙二員、副提挙一員、吏目一員、司吏八人、奏差十二人。

京師二十二倉は、官等正七品。

萬斯北倉は中統二年に設置。萬斯南倉は至元二十四年に設置。千斯倉は中統二年に設置。永平倉は至元十六年に設置。永濟倉は至元四年に設置。惟億倉、既盈倉、大有倉は、いずれも皇慶元年に設置。屢豐倉、積貯倉は、いずれも皇慶元年に増設。

以上の十倉は、各倉ごとに監支納一員(正七品)、大使二員(従七品)、副使二員(正八品)を置く。

豐穰倉は皇慶元年に設置。廣濟倉は皇慶元年に設置。廣衍倉は至元二十九年に設置。大積倉は至元二十八年に設置。既積倉、盈衍倉は至元二十六年に設置。相因倉は中統二年に設置。順濟倉は至元二十九年に設置。

以上の八倉は、各倉ごとに監支納一員(正七品)、大使一員(従七品)、副使二員(正八品)を置く。

通濟倉は中統二年に設置。廣貯倉は至元四年に設置。豐潤倉は至元十六年に設置。豐實倉。

以上の四倉は、各倉ごとに監支納一員(正七品)、大使一員(従七品)、副使一員(正八品)を置く。

通惠河運糧千戶所は、秩正五品。漕運の事務を掌る。至元三十一年に初めて設置。中千戸一員、中副千戸二員を置く。

都漕運使司は、秩正三品。御河の上下から直沽・河西務・李二寺・通州等の地における糧穀の運搬を掌る。至元二十四年、京畿運司から分立して都漕運司を設け、河西務に総司を置き、分司を臨清に置く。運使二員(正三品)、同知二員(正四品)、副使二員(正五品)、運判三員(正六品)、經歷一員(従七品)、知事一員(従八品)。提控案牘二員(内一員は照磨を兼ねる)、司吏三十三人、通事・訳史各一人、奏差十六人、典吏一人。その所属は七十五。

河西務十四倉は、秩正七品。

永備南倉、永備北倉、廣盈南倉、廣盈北倉、充溢倉。

以上の五倉は、各倉ごとに監支納一員(正七品)、大使二員(従七品)、副使二員(正八品)を置く。

崇墉倉、大盈倉、大京倉、大稔倉、足用倉、豐儲倉、豐積倉、恒足倉、既備倉。

以上の九倉は、各倉ごとに監支納一員(正七品)、大使一員(従七品)、副使一員(正八品)を置く。

通州十三倉は、秩正七品。

有年倉、富有倉、廣儲倉、盈止倉、及秭倉、廼積倉、樂歲倉、慶豐倉、延豐倉。

以上の九倉は、それぞれ監支納一員(正七品)、大使二員(従七品)、副使二員(正八品)を置く。

足食倉、富儲倉、富衍倉、及衍倉。

以上の四倉は、それぞれ監支納一員(正七品)、大使一員(従七品)、副使一員(正八品)を置く。

河倉は十七あり、従七品の印を用いる。

舘陶倉、舊縣倉、陵州倉、傅家池倉。

以上はそれぞれ監支納一員(従七品)、大使一員(従八品)、副使一員を置く。

秦家渡倉、尖塚西倉、尖塚東倉、長蘆倉、武強倉、夾馬營倉、上口倉、唐宋倉、唐村倉、安陵倉、四柳樹倉、淇門倉、伏恩倉。

以上はそれぞれ監支納一員(従八品)、大使一員(従九品)、副使一員を置く。

直沽広通倉は、秩正七品。大使一員。

檀景等処採金鉄冶都提挙司は、秩正四品。提挙一員(正四品)、同提挙一員(正五品)、副提挙一員(従六品)。各冶の採金・煉鉄を掌り、専売貨物を管理して国用を賄う。国初、中統年間に景州提挙司を置き、景州・灤陽・新匠の三冶を管領した。至元十四年、檀州提挙司を置き、双峯・暗峪・大峪・五峯等の冶を管領した。大徳五年、檀州・景州の三提挙司を併せて檀州等処採金鉄冶都提挙司を置き、灤陽・双峯等の冶は皆これに隷属させた。その他、河東・山西・済南・萊蕪等処鉄冶提挙司、及び益都・般陽等処淘金総管府など、その沿革は一様ではない。

大都河間等路都転運塩使司は、秩正三品。塩場・竈の塩貨専売を掌り、国用を賄う。使二員(正三品)、同知一員(正四品)、副使一員(正五品)、運判二員(正六品)。首領官:経歴一員(従七品)、知事一員(従八品)、照磨一員(従九品)。国初、河間税課達魯花赤清滄塩使所を立て、後に運司を創立し、提挙塩榷所を立て、さらに河間路課程所、提挙滄清課塩使所と改めた。中統三年、都提領拘榷滄清課塩所と改める。至元二年、刑部侍郎・右三部郎中が滄清課塩使司を兼ね、まもなく河間都転運塩使司を立て、清・滄課三塩司を置く。十二年、都転運使司と改める。十九年、戸部尚書が河間等路都転運使司事を行い、まもなく廃止し、清・滄二塩使司を立てる。二十三年、河間等路都転運司を立てる。二十七年、戸部尚書に河間等路都転運使司事を行わせる。二十八年、河間等路都転運司と改める。延祐六年、分司の印を頒ち、郡邑を巡行させ、私塩の弊を防ぐ。

塩場二十二所、各場に司令一員(従七品)、司丞一員(従八品)を設ける。塩の生産量はそれぞれ差がある。

利国場、利民場、海豊場、阜民場、阜財場、益民場、潤国場、海阜場、海盈場、海潤場、厳鎮場、富国場、興国場、厚財場、豊財場、三叉沽場、蘆臺場、越支場、石碑場、済民場、惠民場、富民場。

山東東路転運塩使司は、品秩・職掌は上記と同じ、運判は一員のみ。国初、益都課税所を置き、山東塩場を管領して塩課を総括した。後に運司に改置。中統四年、中書左右部に諸路都転運司を兼ねさせる詔を下す。至元二年、有司にその課を兼ねて管理させ、山東転運司を立てる。至元十二年、都転運司と改める。延祐五年、塩法が滞ったため、分司の印を下し、各場を巡行して課程の徴収を監督し、膠萊塩司所属の塩場を廃止した。

塩場は十九箇所あり、各場に司令一員(従七品)、司丞一員(従八品)、管勾一員(従八品)を設置する。

永利場、寧海場、官臺場、豊国場、新鎮場、豊民場、富国場、高家港場、永阜場、利国場、固堤場、王家岡場、信陽場、濤洛場、石河場、海滄場、行村場、登寧場、西由場。

河東陝西等処転運塩使司。品秩・職掌は前と同じ。運判を一員増設。国初、平陽府を設置して課程の利益を徴収した。中統二年、転運司に改置し、提挙解塩司を置く。至元二年、運司を廃止し、有司にその事務を管掌させた。まもなく再び転運司を設置。二十三年、陝西都転運司を立て、諸色の税課をすべてこれに隷属させた。二十九年、塩運司を設置し、専ら塩課を管掌し、その他の課税は有司に帰し、解塩司も廃止した。延祐六年、河東陝西等処都転運塩使司と改称し、省部に隷属。その属官は三つ:

解塩場。管勾一員(正九品)、同管勾一員(従九品)。

河東等処解塩管民提領所。正提領一員(従八品)、副提領一員(従九品)。

安邑等処解塩管民提領所。正提領一員(従八品)、副提領一員(従九品)。

礼部

礼部。尚書三員(正三品)、侍郎二員(正四品)、郎中二員(従五品)、員外郎二員(従六品)。天下の礼楽・祭祀・朝会・燕享・貢挙の政令を管掌する。凡そ儀制の損益の文、符印簡冊の信、神人封諡の法、忠孝貞義の褒賞、送迎聘好の節度、文学僧道の事、婚姻継続の弁別、音芸膳供の物、すべてこれを担当する。世祖中統元年、吏・戸・礼を左三部とし、尚書二員、侍郎二員、郎中四員、員外郎六員を置き、三部の事を総領した。至元元年、分立して吏礼部とする。尚書三員、侍郎はなお二員、郎中はなお四員、員外郎四員。七年、別に礼部を立てる。尚書一員、侍郎一員、郎中二員、員外郎は旧のまま。翌年、また吏礼部に合併。十三年、また別に礼部とする。二十三年、六部の尚書・侍郎・郎中・員外郎は二員を定員とする。成宗元貞元年、再び尚書一員を増設し、会同館の事を管掌させる。主事二員、蒙古必闍赤二人、令史十九人、回回令史二人、怯里馬赤一人、知印二人、奏差十二人、典吏三人。その属官は以下に附載する:

左三部照磨所。秩は正八品。照磨一員。吏・戸・礼三部の銭穀計帳の事を管掌する。典吏八人。

侍儀司。秩は正四品。凡そ朝会・即位・冊后・建儲・奉上尊号及び外国朝覲の礼を管掌する。至元八年に設置を始める。左右侍儀奉御二員、礼部侍郎知侍儀事一員、引進使知侍儀事一員、左右侍儀使二員、左右直侍儀使二員、左右侍儀副使二員、左右侍儀僉事二員、引進副使・侍儀令・承奉班都知・尚衣局大使各一員。十二年、左侍儀奉御を廃し、総称して左右侍儀とする。引進副使及び侍儀令・尚衣使等の員を廃し、通事舍人十四員を改めて設置。三十年、通事舍人七員を減らして侍儀舍人とする。大徳十一年、秩を正三品に昇格。至大二年、典簿一員を設置。延祐七年、侍儀史四員を定置。至治元年、通事舍人六員・侍儀舍人四員を増置。その後、侍儀使四員(正三品)、引進使知侍儀事二員(正四品)を定置。首領官:典簿一員(従七品)。属官:承奉班都知一員(正七品)、通事舍人十六員(従七品)、侍儀舍人十四員(従九品)。吏属:令史二人、訳史一人、通事一人、知印一人。その属に法物庫あり、秩は五品。大礼の法物を管掌する。提点一員(従五品)、大使一員(従六品)、副使一員(従七品)、直長二員(正八品)。

拱衛直都指揮使司。秩は従四品。控鶴六百余戸及び儀衛の事を管掌統轄する。至元三年に設置を始める。都指揮使一員、副使一員、鈐轄一員、提控案牘一員。十六年、正三品に昇格し、虎符を降授し、達魯花赤一員を増置し、宣徽院に隷属。二十年、再び従四品とする。二十五年、礼部に帰属隷属。元貞元年、再び正三品に昇格。皇慶元年、経歴一員を設置。二年、鈐轄を僉事に改称。至順二年、侍正府に撥隷し、達魯花赤一員(正三品)、都指揮使四員(正三品)、副指揮使二員(従三品)、僉事二員(正四品)を定置。首領官:経歴一員(従七品)、知事一員(従八品)。吏属:令史四人、訳史一人、通事・知印各一人、奏差二人。その属に控鶴百戸所あり、秩は従七品。色目百戸十三員、漢人百戸十三員。総計十三所。

儀従庫。秩は従七品。儀衛の器仗を収蔵管理する。大使一員(従七品)、副使一員(従八品)。

儀鳳司。秩は正四品。楽工・供奉・祭饗の事を管掌する。至元八年、玉宸院を立て、楽長一員、楽副一員、楽判一員を置く。二十年、儀鳳司に改置し、宣徽院に隷属。大使・副使各一員、判官三員を置く。二十五年、礼部に帰属隷属し、判官三員を廃止。三十一年、達魯花赤一員、副使一員を置く。大徳十一年、玉宸楽院に改称昇格し、秩は従二品。院使・副使・僉事・同僉・院判を置く。至大四年、再び儀鳳司とし、秩は正三品。延祐七年、従三品に降格。大使五員(従三品)、副使四員(従四品)を定置。首領官:経歴一員(従七品)、知事一員(従八品)。吏属:令史二人、訳史・通事・知印各一人。その属は五つ:

雲和署。秩は正七品。楽工の音律を調律し、部籍の交替当番の事を管掌する。至元十二年に設置を始める。至大二年、玉宸楽院に撥隷。皇慶元年、正六品に昇格。二年、従五品に昇格。署令二員、署丞二員、管勾二員、協音一員、協律一員、書史二人、書吏四人、教師二人、提控四人。

安和署は、位階は正七品。職掌は雲和署と同じ。至元十三年に初めて設置。皇慶二年、従五品に昇格。署令二員、署丞二員、管勾二員、協音一員、協律一員、書史二人、書吏四人、教師二人、提控四人。

常和署は、初め管勾司と称し、位階は正九品。回回楽人を管轄。皇慶元年に初めて設置。延祐三年、従六品に昇格。署令一員、署丞二員、管勾二員、教師二人、提控二人。

天楽署は、初め昭和署と称し、位階は従六品。河西楽人を管轄。至元十七年に初めて設置。大徳十一年、正六品に昇格。至大四年、天楽署と改称。皇慶元年、従五品に昇格。署令二員、署丞二員、管勾二員、協音一員、協律一員、書史二人、書吏四人、教師二人、提控四人。

広楽庫は、位階は従九品。楽器等の物品を管理。大使一員、副使一員。皇慶元年に初めて設置。

教坊司は、位階は従五品。楽人の承応及び興和等の署五百戸を管轄することを掌る。中統二年に初めて設置。至元十二年、正五品に昇格。十七年、提点教坊司と改め、宣徽院に隷属、位階は正四品。二十五年、礼部に隷属。大徳八年、正三品に昇格。延祐七年、再び正四品に戻る。ダルガチ一員、正四品;大使三員、正四品;副使四員、正五品;知事一員、従八品。令史四人、訳史・知印・奏差各二人、通事一人。その属するもの三:

興和署は、位階は従六品。署令二員、署丞二員、管勾二員。

祥和署は、位階は従六品。署令一員、署丞一員、管勾一員。

広楽庫は、位階は従九品。大使一員、副使一員。

会同館は、位階は従四品。来朝貢する諸番蛮夷峒官の接伴引見を掌る。至元十三年に初めて設置。二十五年に廃止。二十九年に復置。元貞元年、礼部尚書が館事を管轄し、遂に定制となる。礼部尚書が会同館事を管轄するもの一員、正三品;大使二員、従四品;副使二員、従六品。提控案牘一員、掌書四人、モンゴル必闍赤一人、典給官八人。その属に收支諸物庫があり、位階は従九品。大使一員、副使一員。至元二十九年、四賓庫を改めて設置。

鋳印局は、位階は正八品。凡そ印を刻み印を銷すことを掌る。大使一員、副使一員、直長一員。至元五年に初めて設置。

白紙坊は、位階は従八品。詔旨宣勅の紙札を造ることを掌る。大使一員、副使一員。至元九年に初めて設置。

掌薪司は、位階は正七品。司令一員、正七品;司丞二員、正八品。典吏一人。

兵部は、尚書三員、正三品;侍郎二員、正四品;郎中二員、従五品;員外郎二員、従六品。天下の郡邑の郵驛・屯牧の政令を掌る。凡そ城池の廃置の故実、山川の険易の図、兵站・屯田の籍、遠方より帰化する人、官私の芻牧の地、駱駝・馬・牛・羊・鷹隼・羽毛・皮革の徴発、駅乗・郵運・祗応・公廨・皂隸の制度、悉くこれを任ず。世祖中統元年、兵・刑・工を右三部とし、尚書二員、侍郎二員、郎中五員、員外郎五員を置き、三部の事を総領す。至元元年、別に工部を置き、兵・刑を以て自ら一部となす。尚書四員、侍郎三員、郎中は旧の如く、員外郎五員。三年、併せて右三部とす。五年、再び兵刑部となる。尚書二員、侍郎二員を省き、郎中は旧の如く、員外郎一員。七年、初めて六部を列す。尚書一員、侍郎は仍って旧の如く、郎中一員、員外郎仍って一員。明年、また合して兵刑部とす。十三年、再び兵部を分離。二十三年、尚書・侍郎・郎中・員外郎を二員を定員と定む。至治三年、尚書一員を増す。主事二員、モンゴル必闍赤二人、令史十四人、回回令史一人、ケリマチ一人、知印二人、奏差八人、典吏三人。その属するもの附見す:

大都陸運提挙司は、位階は従五品。両都の陸運による糧斛の事を掌る。至元十六年、初めて運糧提挙司を置く。延祐四年、今の名に改む。提挙二員、従五品;副提挙一員、従七品。吏目一員、司吏六人、委差十人。海王荘・七里荘・魏家荘・臘八荘の四所、各々提領一人を設け、従九品の印を用いる。

管領随路打捕鷹房民匠総管府は、位階は従三品。ダルガチ一員、総管一員、副総管二員、経歴・知事各一員、提控案牘一員、吏属令史六人。初め、太祖は随路の打捕鷹房民戸七千余戸を旭烈大王の位下に撥隷す。中統二年に初めて設置。至元十二年、アバカ大王が使者を遣わして朝廷に帰属するよう奏上し、兵部に隷属す。

管領本投下大都等路打捕鷹房諸色人匠都総管府、位階は正三品。ハザン大王位下の事務を掌る。大徳八年に初めて設置され、官吏はすべて王が選任した。至大四年、官衙を整理統合したが、ハルバンダ大王が遠方の一隅を鎮守し、別に官属がないため、存置して廃止しなかった。定員として府官は、ダルガチ二員、総管一員、同知一員、副総管一員、知事一員、提控案牘一員、令史四人、訳史二人、奏差二人、典吏一人を置く。その属官に東局織染提挙司があり、位階は従五品。ダルガチ一員、提挙一員、副ダルガチ一員、副提挙一員、提控案牘一員、司吏二人を置く。

随路諸色民匠打捕鷹房等戸都総管府、位階は従三品。ダルガチ一員、総管一員、同知一員、経歴一員、知事一員、提控案牘兼照磨一員、令史六人、訳史一人、知印通事一人、奏差二人を置く。ベキ大営盤の事務および大都路打捕鷹房等戸の管領を掌る。至元三十年に設置。延祐四年、正三品に昇格。

管領本位下打捕鷹房民匠等戸都総管府、位階は正三品。ダルガチ一員、総管一員、副ダルガチ一員、同知一員、副総管一員、判官一員、経歴一員、知事一員、提控案牘兼照磨一員、令史六人、訳史・通事・知印各一人を置く。ベキ大営盤の城池・アハタマル(探馬赤)その他の賦役、セチェゲン定王位下の事務を掌る。泰定元年に初めて設置。

刑部、尚書三員、正三品;侍郎二員、正四品;郎中二員、従五品;員外郎二員、従六品。天下の刑罰・法律に関する政令を掌る。死刑の再審査、囚人の詳細な審議、妻子の没収・財産没収の記録、捕獲の功労に対する賞賜の規定、冤罪・疑獄の弁別、刑具の制度、律令の審議立案など、すべてこれを担当する。世祖中統元年、兵部・刑部・工部を右三部とし、尚書二員、侍郎二員、郎中五員、員外郎五員を置いた。郎中・員外郎各一員をもって、専ら刑部を管轄させた。至元元年、工部を分離設置し、兵部と刑部はなお一部をなした。尚書四員、侍郎はなお二員、郎中四員、員外郎五員を置く。三年、再び右三部とする。七年、初めて別に刑部を設置。尚書一員、侍郎一員、郎中一員、員外郎二員。八年、兵刑部と改称。十三年、再び刑部とする。二十三年、六部の尚書・侍郎・郎中・員外郎の定員を各二員とする。大徳四年、尚書を一員増置。その首領官は主事三員。吏属は蒙古ビチェヒ四人、令史三十人、回回令史二人、ケリマチ一人、知印二人、奏差十人、書写三人、典吏七人。その属官は以下に付記する。

司獄司、司獄一員、正八品;獄丞一員、正九品。獄典一人。初めは右三部照磨が刑部の獄務を兼ねたが、大徳七年に初めて専任の官を置いた。部医一人、病囚の診察治療を掌る。

司籍所、提領一員、同提領一員。至元二十年、大都等路断没提領所を司籍所と改め、刑部に隷属させた。

工部

工部、尚書三員、正三品;侍郎二員、正四品;郎中二員、従五品;員外郎二員、従六品。天下の営造・百工に関する政令を掌る。城池の修築・疏濬、土木の修繕、材料の支給・受領、工匠の規格・様式、局院司匠の官の選任・登録など、すべてこれを担当する。世祖中統元年、右三部に尚書二員、侍郎二員、郎中五員、員外郎五員を置き、うち二員が専ら工部事務を管轄した。至元元年、初めて工部を分立設置。尚書四員、侍郎三員、郎中四員、員外郎五員。三年、再び合して右三部とする。七年、なお独立して工部となる。尚書二員、侍郎はなお二員、郎中三員、員外郎は旧に同じ。二十三年、尚書・侍郎・郎中・員外郎の定員を各二員とする。翌年、事務が煩雑なため、尚書を二員増置。二十八年、尚書一員を削減。首領官:主事五員。蒙古ビチェヒ六人、令史四十二人、回回令史四人、ケリマチ一人、知印一人、奏差三十人、蒙古書写一人、典吏七人。また司程官四員、右三部照磨一員、典吏七人。その属官は以下に付記する。

左右部架閣庫、位階は正八品。管勾二員、典吏十二人。六部の文書・簿籍の保管を掌る。中統元年、左右部にそれぞれ設置。二十三年、併合して左右部架閣庫とする。

諸色人匠総管府、位階は正三品。百工の技芸を掌る。至元十二年に初めて設置、総管・同知・副総管各一員。十六年、ダルガチ一員を置き、同知・副総管各一員を増員。二十八年、同知一員を削減。三十年、副総管一員を削減。後に定員としてダルガチ一員、総管一員、同知二員、副総管二員、経歴一員、知事一員、提控案牘一員、令史五人、訳史一人、奏差四人を置く。その属官は十一ある。

梵像提挙司、位階は従五品。提挙一員、同提挙一員、副提挙一員、吏目一員。仏像の絵画および土木彫刻の工事を監督する。至元十二年、初めて梵像局を設置。延祐三年、提挙司に昇格し、現行の官制を設けた。

出蠟局提挙司、位階は従五品。提挙一員、同提挙一員、副提挙一員、吏目一員。蝋型鋳造の工事を掌る。至元十二年、初めて局を設置。延祐三年、提挙司に昇格し、現行の官制を設けた。

鑄瀉等銅局、位階は従七品。大使一員、副使一員。鋳造の工事を掌る。至元十年、初めて官三員を設置。二十八年、管勾一員を削減、後に定員二員とする。

銀局、位階は従七品。大使一員、直長一員。金銀細工を掌る。至元十二年に初めて設置。

鑌鐵局、位階は従八品。大使一員。鑌鉄(良質の鋼鉄)細工を掌る。至元十二年に初めて設置。

瑪瑙玉局は、位階は従八品。直長一員を置く。琢磨の工を掌る。至元十二年(1275年)に初めて設置された。

石局は、位階は従七品。大使一員、管勾一員を置く。石材加工の工を監督する。至元十二年(1275年)に初めて設置された。

木局は、位階は従七品。大使一員、直長一員を置く。木工の工を監督する。至元十二年(1275年)に初めて設置された。

油漆局は、副使一員を置き、従七品の印を用いる。漆塗りの工を監督する。至元十二年(1275年)に初めて設置された。

諸物庫は、位階は正九品。提領一員、副使一員を置く。諸物の出納を掌る。至元十二年(1275年)に初めて設置された。

管領隨路人匠都提領所は、提領一員、大使一員を置き、ともに省の檄を受ける。工匠の訴訟を掌る。至元十二年(1275年)に初めて設置された。

諸司局人匠總管府は、位階は正三品。達魯花赤一員、總管一員、副達魯花赤一員、同知一員、副總管一員、經歷一員、知事一員、提控案牘一員、令史四人を置く。両都の金銀器盒及び符牌など十四局の事務を統轄する。至元十四年(1277年)に設置。二十四年(1287年)、八局を工部及び金玉府に改めて隷属させ、五局一庫のみを統轄し、氈毯などの事務を掌る。その所属は六つある。

收支庫は、位階は正九品。大使一員を置く。物資の出納を掌る。

大都氈局は、位階は従七品。大使、副使各一員を置く。人匠百二十五戸を管轄する。

大都染局は、位階は従九品。大使一員を置く。人匠六千三戸を管轄する。

上都氈局は、位階は従五品。大使一員、副使一員を置く。人匠九十七戸を管轄する。

隆興氈局は、大使一員、副使一員を置く。人匠百戸を管轄する。

剪毛花毯蠟布局は、大使一員、副使一員を置く。人匠百十八戸を管轄する。

提挙右八作司は、位階は正六品。提挙二員、同提挙一員、副提挙一員、吏目一人、司吏九人、司庫十三人、訳史一人、秤子一人を置く。内府の漆器、紅甕、捎隻などの出納を掌り、並びに都の局院で造作する鑌鉄、銅、鋼、鍮石、東南簡鉄、両都で支給する皮毛、雑色羊毛、生熟斜皮、馬牛等の皮、騌尾、雑行沙里陀などの物を管轄する。中統三年(1262年)、初めて提領八作司を設置し、位階は正九品。至元二十五年(1288年)、提挙八作司に改め昇格し、位階は正六品。二十九年(1292年)、出納の委積により、左右両司に分かれた。

提挙左八作司は、位階は正六品。内府の氈貨、柳器などの物の出納を掌る。その設置官員は右司と同じである。

諸路雑造総管府、位階は正三品。至元元年、提領所を提挙司と改める。十四年、また工部尚書行諸路雑造局総管府と改める。定員はダルガチ(達魯花赤)一員、総管一員、同知一員、副総管一員、知事一員、提控案牘一員、令史六人、訳史一人。その所属は二つ:

簾網局、大使一員、副使一員、ともに省札を受ける。至元元年に始めて設置。

收支庫、大使一員、副使一員。至元三十年に始めて設置。

チャダル局(茶迭兒局)総管府、位階は正三品。諸色の人匠の造作等の事を管領する。憲宗の朝に設置。至元十六年、初めて総管一員を設ける。二十七年、同知一員を置く。後に府官を定置し、ダルガチ一員、総管一員、同知一員、知事一員、提控案牘一員、司吏四人。その所属は二つ:

諸司局、従七品の印を用いる。提領一員、相副官二員。中統三年に始めて設置。

收支庫、提領一員、大使・副使各一員。造作の出納の物を掌る。

大都人匠総管府、位階は従三品。至元六年に始めて設置。ダルガチ一員、総管一員、同知一員、経歴一員、提控案牘一員、令史十人、通事一人。その所属は四つ:

繍局、従七品の印を用いる。大使一員、副使一員。諸王百官の段匹の繍造を掌る。

紋錦総院、提領一員、大使一員、副使一員。諸王百官の段匹の織造を掌る。

涿州羅局、提領一員、大使一員。紗羅段匹の織造を掌る。

尚方庫、提領一員、大使・副使各一員。絲・金・顔料等の物の出納を掌る。

随路諸色民匠都総管府、位階は正三品。仁宗の潜邸の諸色人匠を掌る。延祐六年、崇祥院に撥隷し、後にまた将作院に属す。至治三年、工部に帰隷する。後に定置はダルガチ一員、総管一員、同知一員、副総管一員、経歴一員、知事一員、提控案牘一員、照磨一員、令史八人、訳史二人、知印・通事各一人、奏差四人。その所属は五つ:

織染人匠提挙司、位階は従七品。至大二年に設置。ダルガチ一員、提挙一員、同提挙一員、副提挙一員、吏目一員。

雑造人匠提挙司、位階は従七品。設置する官属は上と同じ。

大都諸色人匠提挙司、位階は従五品。ダルガチ一員、提挙一員、同提挙一員、副提挙一員、吏目一員。

大都等処織染提挙司、位階は従五品。アナンダ王位下の人匠一千三百九十八戸を管轄する。ダルガチ(達魯花赤)一員、提挙一員、同提挙一員、副提挙一員、吏目一員を置く。

収支諸物庫、位階は従七品。提領一員、大使一員、副使一員、庫子二人を置く。

提挙都城所、位階は従五品。提挙二員、同提挙二員、副提挙二員、吏目一員、照磨一員を置く。都城内外の倉庫等の修繕を掌る。至元三年に設置。その属官は一つ。

左右廂、官四員、従九品の印を用いる。至元十三年に設置。

受給庫、位階は正八品。提領一員、大使一員、副使一員を置く。京城内外の営造に用いる木材・石材等を掌る。至元十三年に設置。

符牌局、位階は正八品。大使一員、副使一員、直長一員を置く。虎符等の造作を掌る。至元十七年に設置。

旋匠提挙司、位階は従五品。提挙一員、副提挙一員を置く。至元九年に設置。

撒答剌欺提挙司、位階は正五品。提挙一員、副提挙一員、提控案牘一員を置く。至元二十四年、ジャマールッディーン(札馬剌丁)が人匠を率いて撒答剌欺を成造し、絹紬と同局で造作したため、組練人匠提挙司を改めて撒答剌欺提挙司とした。

別失八里局、位階は従七品。大使一員、副使一員を置く。御用の襟袖のナシージュ(納失失)等の段(織物)の織造を掌る。至元十三年に初めて設置。

忽丹八里局、大使一員を置き、従七品の印を給する。至元三年に設置。

平則門窯場、提領一員、大使一員、副使一員を置き、従六品の印を給する。至元十三年に設置。

光熙門窯場、提領一員、大使一員、副使一員を置き、従八品の印を給する。至元二十五年に設置。

大都皮貨所、提領一員、大使一員、副使一員を置き、従九品の印を用いる。至元二十九年に設置。

通州皮貨所、提領一員、大使一員、副使一員を置き、従九品の印を用いる。延祐六年に設置。

晉寧路織染提挙司、提挙一員、照略案牘一員を置く。その属官は。

提領所一箇所、官営織染人匠局一箇所、雲内人匠東局・西局二箇所、本路人匠局一箇所、河中府・襄陵・翼城・潞州・隰州・澤州・雲州等の局七箇所。各局に提領一員、副提領一員を置くが、澤州・雲州のみは提領一員のみを置く。

冀寧路織染提挙司・真定路織染提挙司は、各々提挙一員、同提挙一員、副提挙一員、照略案牘一員を置く。その所属は二つ。

開除局は、大使一員、副使一員、照略案牘一員を置く。

真定路紗羅兼雑造局は、大使一員、副使一員を置く。

南宮・中山織染提挙司は、各々提挙一員、同提挙・副提挙一員、照略案牘一員を置く。

中山劉元帥局は、大使一員、副使一員を置く。

中山察魯局は、大使一員、副使一員を置く。

深州織染局は、大使一員、副使一員、照略案牘一員を置く。

深州趙良局は、大使一員、副使一員を置く。

弘州人匠提挙司は、提挙一員、同提挙一員、副提挙一員、照略案牘一員を置く。

納失失毛段二局は、院長一員を置く。

雲内州織染局は、大使一員、副使一員、照略案牘一員を置く。

大同織染局は、大使一員、副使一員、照略案牘一員を置く。

朔州毛子局は、大使一員を置く。

恩州織染局は、大使一員、副使一員、照略案牘一員を置く。

恩州東昌局、提領一名。

保定織染提挙司、提挙一名、同提挙一名、副提挙一名、照略案牘一名。

大名人匠提挙司、提挙一名、同提挙一名、副提挙一名、照略案牘一名。

永平路紋錦等局提挙司、提挙一名、同提挙一名、副提挙一名、照略案牘一名。

大寧路織染局、大使一名、副使一名、照略案牘一名。

雲州織染提挙司、提挙一名、同提挙一名、副提挙一名、照略案牘一名。

順徳路織染局、大使一名、副使一名、照略案牘一名。

彰徳路織染人匠局、大使一名、副使一名、照略案牘一名。

懐慶路織染局、大使一名、副使一名、照略案牘一名。

別失八里局、官一名。

宣徳府織染提挙司、提挙一名、同提挙一名、副提挙一名、照略案牘一名。

東聖州織染局、院長一名、局副一名。

宣徳八魯局、提領一名、副使一名。

東平路疃局、直長一名。

興和路蕁麻林人匠提挙司、提挙一名、同提挙一名、副提挙一名、照略案牘一名。

陽門天城織染局、提領一員、副使一員、照磨案牘一員。

巡河提領所、提領二員、副提領一員。