二月辛丑朔、元帥按東、宋兵と釣魚山に戦い、これを破り、戦艦百四十六艘を獲る。甲辰、初めて宮闈局を立つ。戊申、親王兀魯帯に河間王の印を賜い、所部に米千石を給す。丁巳、車駕上都に幸す。癸亥、六部を併せて四と為し、麦朮丁を以て吏礼部尚書と為し、馬亨を戸部尚書と為し、厳忠範を兵刑部尚書と為し、別魯丁を工部尚書と為す。山東東路の私的に硝鹻を煎ずるを禁ず。甲子、蒙古人を以て各路の達魯花赤に充て、漢人を総管に充て、回回人を同知に充て、永く定制と為す。同知東平路宣慰使宝合丁を以て平章政事と為し、山東廉訪使王晋を参知政事と為す。廉希憲・商挺罷む。諸王只必帖木児の設くる所の管民官属を併すべきを詔す。總統所に詔諭す、「僧人の五大部経を通ずる者を中選と為し、徳業有る者を以て州郡の僧録・判・正副都綱等の官と為し、仍て各路に三学講・三禅会を設く」と。
三月癸酉、骨嵬国の人、吉里迷部の兵を襲殺す。官粟及び弓甲を以てこれに給することを勅す。丁亥、辺軍に水戦・屯田を習わしむことを勅す。宋の諜者李富住を誅す。乙未、南北互市を罷め、民間の南貨を括り、官その直を給す。遼東饑え、粟一万石・鈔百錠を発してこれを賑す。
夏四月戊午、諸王合必赤・亦怯烈に金・素幣各四を賜い、拜行に金幣一を賜う。
五月壬午、万戸晃里答児の部の吐蕃を征する功を賞し銀四百五十両を賜う。戊子、北京・平灤等の処の人々の捕獵を禁ず。庚寅、令す、「軍中法を犯す者は、擅自に誅戮すべからず、罪軽きは断遣し、重きは聞奏せよ」と。上都の商税・酒醋諸課を徴する毋きことを勅し、その榷塩は仍って旧の如し。諸人の自ら願いて永業に徙居する者は、その家を復す。西川・山東・南京等路の戍辺軍に屯田せしむることを詔す。
閏五月癸卯、蓚県を昇めて景州と為す。辛亥、諸王兀魯帯の部民の貧しくて孳畜無き者三万七百二十四人を検覈し、人ごとに月に米二斗五升を給し、四箇月にして止む。丙辰、雅州碉門宣撫使、碉門城邑を復すことを請う。相度することを詔す。癸亥、秦蜀行省を興元に移す。丙寅、四川行院に命じ兵を分かち屯田せしむ。丁卯、四親王の南京に属する州を分かち、鄭州は合丹に隷し、鈞州は明里に隷し、睢州は孛羅赤に隷し、蔡州は海都に隷し、他の属県は復た朝廷に還す。平章政事趙璧を以て南京・河南府・大名・順徳・洺磁・彰徳・懐孟等路に行省せしめ、平章政事廉希憲を以て東平・済南・益都・淄萊等路に行省事せしめ、中書左丞姚枢を以て西京・平陽・太原等路に行省事せしむ。詔す、「諸路州府、もし古より名郡にて、戸数繁庶にして、かつ衝要に当たる者は、改併するを須いず。その戸千に満たざる者は、併すべければ則ちこれを併せよ。各投下の者は、併せて隷する所の州城に入れよ。その散府州郡戸少なき者は、更に録事司及び司候司を設くるを須いず。附郭県は止めて州府官に兼領せしめよ。諸路の未だ占籍せざる戸にして差職に任ずる者を括りて以て聞かせよ」と。
六月戊辰朔、新得州安撫向良言上す、「頃に全城を以て内附し、元領の軍民流散して南界に在る者、多く帰順を欲し、並びに招徠を乞う」と。これに従う。また良に勅し、領する所の新降軍民を以て通江県に移り戍らしめ、新得州事を行わしむ。辛未、阿朮の部に馬価鈔一千二十三錠有奇を賜う。丙子、太陰心大星を犯す。戊寅、山東統軍司を沂州に移す。万戸重喜、十字路を立つ。正陽を復し、禿剌に命じてこれを戍らしむ。己卯、淇州を以て懐孟路に隷す。高麗国王王禃、その臣栄徹伯を遣わし表を奉じて聖誕節を賀す。千戸闊闊出の部民食乏し、鈔を賜いこれを賑す。王晋罷む。枢密院臣言上す、「各路出征逃亡の漢軍、及び貧難にして未だ起たざる戸、並びに投下に隠匿事故の者は、宜しく一概に発遣して役に応ぜしむべし」と。これに従う。行院及び諸軍の将校卒伍は、須らく正身を以て役に応ずべく、違う者はこれを罪すべきことを勅す。
八月丙子、済南路鄒平県、芝草一本を進む。戊寅、高麗国王王禃、使を遣わし方物を来貢す。己卯、諸宰職皆罷め、安童を以て中書右丞相と為し、伯顔を中書左丞相と為す。戊子、許衡を懐孟より召し、楊誠を益都より召す。車駕上都より至る。
九月戊戌、将に太廟に事有らんとするを以て、大楽工を東平より取り、預め儀礼を習わしむ。江淮沿辺に柵を樹てしむることを勅し、徐・宿・邳三州、役徒を助けしむ。庚子、皇孫鉄穆爾生まる。丁巳、諸王只必帖木児の麾下の河西戦功を賞し銀二百五十両を賜う。
冬十月己卯、太廟に享す。癸未、順天の張柔・東平の厳忠済・河間の馬総管・済南の張林・太原の石抹総管等の戸を勅し、民籍に改隷せしむ。統軍抄不花・万戸懐都の麾下軍士の俘えし所の宋人九十三口、官これを贖い民と為す。その私に禁界を越えて掠獲したる者四十五人、親属をして完聚せしむることを許し、並びに内地に種田せしむ。戊子、路に随い私商にして曾て南界に入りし者は、首実して罪を免じ軍に充てしむべきことを詔す。
十一月丙申、李昶を東平より召す。辛丑、諸王只必帖木児に銀二万五千両・鈔千錠を賜う。癸丑、楊文安の戦功を賞し金五十両を賜い、その部下の軍に銀六百両及び幣帛を差等ありて賜う。甲子、詔して事故貧難の軍で役務に堪えざる者は、両戸または三戸を併せて正軍一名とし、その丁単力備の者は、人を雇って役務に応ずることを許す。
この年、戸一百五十九万七千六百一、絲九十八万六千二百八十八斤、包銀鈔五万七千六百八十二錠。諸王に金・銀・幣・帛を歳例の如く賜う。彰徳・大名・南京・河南府・済南・淄萊・太原・弘州に雹あり、西京・北京・益都・真定・東平・順徳・河間・徐・宿・邳に蝗旱あり、太原に霜災あり。死罪四十二人を断ず。
二月丙寅、廉希憲・宋子貞を平章政事とし、張文謙を復た中書左丞とし、史天沢を枢密副使とす。癸酉、瀋州を立て以て高麗の降民を処す。壬午、平陽路の僧官妖言を以て衆を惑わし伏誅す。中書右丞張易を以て制国用使司事を同知し、参知政事張恵を制国用副使とす。癸未、車駕上都に幸す。甲申、西夏行省を罷め、宣慰司を立てる。初めて太常礼楽工の冠服を製す。東京・広寧・懿州・開元・恤品・合懶・婆娑等路宣撫司を立てる。乙酉、中都の今年の包銀四分の一を蠲免す。詔して阿朮の部下の俘虜にした人口・畜牧及びその草地で民に侵種せられたる者を理断せしむ。制国用使司の条画を以て中外の官吏に諭す。
三月辛巳、衞輝路を分ち親王玉龍答失の分地とす。戊戌、水達達の民戸の饑を賑う。己未、王晋及び侍中和哲斯・済南益都転運使王明、塩課を隠匿したるを以て皆伏誅す。
夏四月丁卯、五山珍御榻成る、瓊華島広寒殿に置く。亳州水軍千戸胡進等騎兵を領いて淝水を渡り、荊山を逾え、宋兵と戦い、殺獲甚だ衆し、鈔幣を差等ありて賞賜す。庚午、僧・道に中都の寺観において祈福せしむるよう勅す。詔して僧機を以て總統とし、慶寿寺に居らしむ。己卯、瀕海の私塩の禁を厳にす。宮燭に彩絵するなかれと勅す。
五月乙未、使いを諸路に遣わし囚を慮す。庚子、太医院に諸路の医戸・惠民薬局を領せしむるよう勅す。辛丑、黄金を以て渾天儀を飾る。丙午、西夏中興の漢延・唐来等の渠を浚う。凡そ良田で僧の占拠する所は、蒙古人の分墾するを聴す。丙辰、益都行省を罷む。平灤・益都の質子戸の賦税の半を蠲免す。
六月丁卯、皇子南木合を北平王に封じ、印をこれに給す。辛未、帰化の民を清州興済県に徙し屯田せしめ、官牛具を給す。壬申、劉整に畿内の地五十頃を賜う。癸酉、千戸札剌児が王事に没したるを以て、その妻に銀二百五十両を賜う。丙子、漕運司を立てる。戊寅、陝西行省平章賽典赤等の政事修治なるを以て、銀五千両を賜う。山東統軍副使王仲仁に命じ汴において戦船を督造せしむ。陝西・河南の竹禁を厳にす。拱衞司を立てる。
秋七月丙申、息州安撫司を罷む。壬寅、上都路総管府に詔し、車駕巡幸に遇うれば、行留守司の事を行い、車駕還れば、即ち旧に復せよと。丙午、使いを遣わし五嶽四瀆を祠る。甲寅、内外の巡兵を添う。外路は毎百戸中産の者一人を選びこれに充て、その賦は余戸に代わって輸納せしめ、在都では武衞軍四百を増す。己未、崞・代・堅・台の四州を忻州に隷せしむ。詔して西夏の乱を避けたる民に本籍に還ることを令す。成都の新民で豪家に庇護せられたる者は皆これを州県に帰せしむ。詔して逃亡の軍を招集し、百日を限り所属に詣り陳首せしめ、その罪を原ゆ、貧しき者は戸を併せて役に応ぜしむ。
九月戊午、車駕上都より至る。
冬十月庚申朔、徳興府を降し奉聖州とす。癸亥、高麗の使還る、王禃病めるを以て、詔して和薬を賜う。丁丑、平陽の経籍所を京師に徙す。勅牒の旧式を改む。太廟成る、丞相安童・伯顏言う「祖宗の世数・尊諡廟号・四世を増祀す・各廟の神主・配享の功臣・法服祭器等の事、皆な宜しく議を定むべし」と。平章政事趙璧等に命じ群臣を集めて議せしめ、八室と定む。京畿の畋猟を厳に禁ず。壬午、制国用使司に命じ神臂弓千張・矢六万を造らしむ。
十一月辛卯、初めて京・府・州・県・司の官吏に俸禄及び職田を給す。戊戌、御河に沿って漕倉を立てる。丁未、牛馬を殺す禁令を厳しく申し渡す。宋子貞致仕す。辛亥、忽都答児を中書左丞相とす。天文・図讖等の書を禁ずる詔を下す。丙辰、千戸散竹帯は酒を嗜み大良平の守りを失い、罪は死に当たるが、その前功を記録して死を免じ、東川の軍前に赴き自ら効力せしむ。建都使に詔して再び朝廷に帰参せしむ。また嘉定等府の沿江一帯の城堡に詔して早く降伏せしむ。また四川行枢密院に詔し、人を遣わして江・漢・庸・蜀等に告諭し順効せしめ、官吏の姓名を具し、階級に対応して官職を換授し、功ある者は昇進させ、才ある者は任用せよ。生計のない民には衣糧を以て賑済し、内地に移住を願う者には田廬を与え、失所せしめぬようにせよ。
十二月庚申、諸王合必赤に行軍印を給す。辛酉、詔して四川行枢密院を行中書省に改め、賽典赤・也速帯児等に行中書省事を僉(兼)せしむ。甲子、諸路に洞冶所を立てる。梁成が宋の総轄官を生け捕りにしたので、同知開州事を授け、金符を佩かしむ。輝州の竹課を減ず。先には官が十の六を取ったが、ここに至ってその二を減ず。丁亥、安粛公張柔・行工部尚書段天祐等に詔し、同行工部事として宮城を修築せしむ。太府監を宣徽院に併合し、なお宣徽使に監事を専ら領せしむ。高麗に至元四年の暦日を賜う詔を下し、なおこれを慰諭す。上都に大安閣を建つ。金口を穿ち、盧溝水を導いて西山の木石を漕運す。諸越界私商及び諜者と鈔を偽造する者を京師に送り審覈せしむと敕す。
この年、天下の戸は百六十万九千九百三。東平・済南・益都・平灤・真定・洺磁・順天・中都・河間・北京に蝗害あり、京兆・鳳翔に旱魃あり。死罪九十六人を断ず。諸王に金・銀・幣・帛を歳例の如く賜う。
四年春正月甲午、陝西行省は開州が新たに得たがまた失ったことを以て、兵を増やすよう請う。平陽・延安等処より民兵三千人を徴発し、山東・河南・懐孟・潼川より兵七千人を調発してこれを補うよう敕す。丁酉、平陽等処の私塩の禁令を厳しく申し渡す。壬寅、茶速禿水に十四の駅を立てる。癸卯、曲阜の宣聖廟を修繕せよと敕す。乙巳、百済がその臣梁浩を遣わして来朝し、錦繡を差等ありて賜う。僧官が民訟を侵して理することを禁ず。辛亥、安粛公張柔を蔡国公に封ず。趙璧を枢密副使とす。諸路洞冶都総管府を立てる。癸丑、昔木土山を武定山と封じ、その神を武定公とし、泉を霊淵と封じ、その神を霊淵侯とすと敕封す。蒙古軍を徴発し、戸に二丁三丁の者は一人を出して軍とし、四丁五丁の者は二人、六丁七丁の者は三人とする。乙卯、高麗国王王禃が使いを遣わして来朝し、詔してこれを撫慰す。戊午、提点宮城所を立てる。上都隆興府を析いて一路とし、総管府事を行わしむ。開元等路転運司を立てる。大都に城を築く。
二月庚申、粘合南合を再び平章事とし、阿里を再び中書右丞とす。丁卯、経籍所を弘文院に改め、馬天昭に知院事を務めしむ。丁亥、西夏の民田を調査し、その租を徴収す。車駕上都に幸す。陝西行省に詔して宋人を招諭せしむ。また嘉定・瀘州・重慶・夔府・涪・達・忠・万及び釣魚・礼義・大良等処の官吏軍民で、衆を率いて来降する者があれば、優しく賞を加え抜擢せよと詔す。
三月己丑、再び耶律鑄を中書左丞相とす。辛卯、潼関から蘄県に至るまで河渡官八員を立て、姦偽を察せしむ。乙未、中都路に習楽堂を建て、楽工を隷属させてその中で業を習わしめよと敕す。己亥、皇子燕王・忙阿剌・那没罕・忽哥赤に銀三万両を賜う。辛丑、夏津県に大雨雹あり。壬寅、安童言う、「近頃省の官員数を省みるに、平章・左丞各一員なれど、今丞相五人あり、素よりこの例なし。臣等議して二丞相を設け、臣等蒙古人三員、ただ陛下の命に従わん」。安童を長とし、史天澤これに次ぎ、その余は蒙古・漢人参用とし、員数を過多にせしめぬよう詔す。また姚枢等の老成人一二員を用いて省事を同議せしめよと詔す。丁巳、耶律鑄が宮県の楽を制して成り、詔して大成と名づけしむ。
夏四月甲子、新たに宮城を築く。辛未、使いを遣わして岳瀆を祀らしむ。
五月丁亥朔、日食あり。上都に孔子廟を再建せよと敕す。乙未、応州に大水あり。丙申、威州山後の大番弄麻等十一族来附し、璽書・金銀符を以て賜う。己酉、捕猟戸達魯花赤が銀符を偽造したことを以て、処死す。壬子、諸路の官吏の俸禄を、包銀を納める民戸に命じ、毎四両ごとに一両を増納させてこれを給せしめよと敕す。丙辰、東平の博州五城を析いて別に一路とす。
六月壬戌、中都・順天・東平等処の蚕害を以て、民戸の絲料を軽重差等ありて免ず。乙丑、再び史天沢を中書左丞相とし、忽都答児・耶律鑄を並びに平章政事に降し、伯顔を中書右丞に降し、廉希憲を中書左丞に降し、阿里・張文謙を並びに参知政事に降す。乙酉、諸王玉龍答失に銀五千両・幣三百を賜い、歳を以て常例とす。宣徽院を廃す。黒的・殷弘は高麗の使者宋君斐・金贊が日本に至ることを導達できなかったことを以て奏上し、詔を降して高麗国王王禃を責め、なおその官を遣わして彼の地に宣布せしめ、必ず要領を得ることを期せしむ。
秋七月丙戌朔、中興路から西京の東勝に至るまで水駅十を立てよと敕す。戊戌、息州安撫岳林を罷め、その民を南京路に隷属せしむ。懐孟路安撫李宗傑を罷め、その民を本路に隷属せしむ。鞏昌・鳳翔・京兆等処の未占籍戸一千を発し、四川の山路・橋梁・棧道を修治せしむ。大名路達魯花赤愛魯・総管張弘範等が官銭を盗用したので、これを罷む。壬寅、京畿の牧地の禁令を厳しく申し渡す。甲寅、新たに附した貧民で、人から借財し困窮して償えぬ者は、官がこれを償い、なお牛具・種実及び糧食を与えよと詔す。東京の軍千八百人を徴発して侍衛軍に充てしむ。
八月庚申、填星天罇を犯す。辛酉、平灤路の私塩酒酢の禁令を厳しく申し渡す。丙寅、再び宣徽院を立て、前中書右丞相線真を使とす。丁丑、皇子忽哥赤を雲南王に封じ、駝鈕金鍍銀印を賜う。壬午、太白軒轅の大星を犯す。怯綿に建都を征伐せしむ。高麗国王王禃がその秘書監郭汝弼を遣わして聖誕節を賀せしむ。阿朮が地を略して襄陽に至り、生口五万・馬牛五千を俘虜す。宋人が歩騎を遣わして来拒す。阿朮が騎兵を率いてこれを破る。
九月壬辰、広寒殿の中に玉殿を造営す。乙未、総帥汪良臣、母章徳山に寨を立て、江南を扼し、以て釣魚の衝に当たるを請う。之に従う。戊申、許衡を以て国子祭酒と為す。安南国王陳光昞、使を遣わして来貢す。優詔を以て之に答う。大理等処行六部を立て、闊闊帯を尚書兼雲南王傅と為し、柴禎を尚書兼府尉と為し、寗源を侍郎兼司馬と為す。庚戌、雲南王忽哥赤を遣わし、大理・鄯闡・茶罕章・赤禿哥児・金歯等処を鎮撫せしめ、詔を下して吏民を撫諭す。又た安南国に詔諭し、其の君長をして来朝せしめ、子弟を入質せしめ、編民をして軍役に出で、賦税を納めしめ、達魯花赤を置きて之を統治せしむ。癸丑、西夏中興等路の僧尼・道士の商税・酒醋の禁を厳にす。車駕、上都より至る。王鶚、選挙法を立てんことを請う。旨有りて議して挙行せしむるを令す。有司之を難じ、事遂に寝す。
冬十月辛酉、制国用司言う、「別怯赤山の石絨、布に織れば、火然す能わず」と。詔して之を采らしむ。壬戌、駙馬不花に銀印を賜う。魚通嵓州等処達魯花赤李福、西番諸族の酋長を招諭し、其の民を以て内附せしむ。阿奴版的哥等を喝吾等処総管と為し、並びに璽書及び金銀符を授く。鉄旗城後番官官折蘭、其の子天郎を遣わし、先に受けたる憲宗の璽書・金符を持ち、新命を改授せんことを乞う。之に従う。甲子、歳星、軒轅大星を犯す。辛未、太原、嘉禾二本を進む。異畝同穎なり。甲戌、新附の民陳忠等に鈔を賑恤す。丁丑、制国用使司、経用を量りて節せんことを請う。之に従う。庚辰、品官の子孫の廕敍の格を定む。
十一月乙酉、太廟に享す。戊戌、新蔡県を立て、忽察・李家奴に其の部兵を統率して之を戍らしむ。甲辰、夔府路総帥府を立て、開州を戍る。乙巳、填星、天罇の距星を犯す。京畿の畋猟の禁を厳にす。南京宣慰劉整、闕に赴き、宋を攻むる方略を奏す。宜しく先ず襄陽に従事すべしと。
十二月甲戌、河南路統軍使訥懷の部下の将士の戦功を賞し、銀九千六百五十両、鈔幣・鞍勒差等有り。丙子、親王移相哥の部の饑民を賑恤す。丁丑、遼東の新たに簽したる軍に布六万匹を給す。己卯、遼東路に水駅七を立てる。元帥阿朮の部下の有功の将士二千二十五人を賞し、銀五万五千三百両、金五十両、及び錦綵・鞍勒差等有り。庚辰、女直・水達達の軍三千人を簽す。諸位の斡脱総管府を立てる。平陽路の岳陽・和川の二県を省きて冀氏に併入し、覇州益津県を復置す。安西路の櫟陽県を省きて臨潼に併入す。
是歳、天下の戸口一百六十四万四千三十。山東・河南北諸路蝗有り。順天束鹿県旱有り、其の租を免ず。死罪一百十四人を断ず。諸王に金・銀・幣・帛を賜うこと歳例の如し。
五年春正月甲午、太陰、井を犯す。庚子、上都に城隍廟を建つ。辛丑、陝西五路四川行省に勅し、戦艦五百艘を造りて劉整に付す。高麗国王王禃、其の弟淐を遣わして来朝す。詔して禃の飾辞を以て見欺くを以て、面して其の事を淐に数え、切に之を責む。復た北京路総管于也孫脱・礼部郎中孟甲を遣わし、詔を持ち往きて諭し、表を具し、海陽公金俊・侍郎李蔵用を遣わし、去使と同来して以て聞かしむるを令す。庚戌、高麗国に新暦を賜う。
閏月戊午、陳・亳・潁・蔡等処の屯田戸を以て軍に充つ。益都の漏籍戸四千を令し、登州棲霞県に金を淘わしめ、毎戸金四銭を歳輸せしむ。
三月丙寅、諸路の四品以下の子孫の入質する者を罷む。田禹妖言す。勅して死を減じ遠方に流す。民間の兵器を禁ず。犯する者は多寡を験して罪を定む。甲子、怯綿に勅し、兵二千を率い建都を招諭せしむ。壬申、母章徳山を定遠城と改め、武羣山を武勝軍と改む。丁丑、阿里等に勅し、軍前に詣り軍籍を閲視せしむ。諸路の女直・契丹・漢人にして達魯花赤たる者を罷む。回回・畏兀・乃蠻・唐兀人は仍お旧の如し。
夏四月壬寅、使を遣わし嶽瀆を祀る。
五月辛亥朔、太医院・拱衞司・教坊司及び尚食・尚果・尚醞の三局を宣徽院に隷す。癸亥、都元帥百家奴、宋の嘉定五花・石城・白馬の三寨を抜く。癸酉、諸王禾忽及び八剌合に幣帛六万匹を賜う。
六月辛巳朔、済南の王保和、妖言を以て衆を惑わし、乱を謀る。勅して首悪五人を誅し、余は論ぜず。甲申、中山大雨雹有り。阿朮言う、「領する所は蒙古軍なり。若し山水・寨柵に遇わば、漢軍に非ざれば可からず。宜しく史枢に漢軍を率い協力して征進せしむべし」と。之に従う。戊申、東平等処蝗有り。己酉、諸王習列吉を河平王に封じ、駝鈕の金印を賜う。
秋七月辛亥、翰林直学士高鳴、順州知州劉瑜、中都の郝謙・李天輔・韓彦文・李祐を召し上都に赴かしむ。山東統軍副使王仲仁を以て眉州を戍らしむ。壬子、詔して陝西統軍司に軍民の銭穀を兼領せしむ。各路の奥魯官を罷め、管民官に兼領せしむ。癸丑、御史台を立て、右丞相塔察児を御史大夫と為す。詔して之に諭して曰く、「台官の職は直言に在り。朕或いは未だ当たらずと雖も、其れ極言して隠すこと無かれ。他人を憚ること毋れ。朕当に爾が主たらん」と。仍お以て天下に詔諭す。高州北に二驛を立てる。戊辰、西夏宣撫司を罷む。庚午、諸路の打捕鷹坊工匠洞冶総管府を省き、転運司に兼領せしむ。丙子、西夏惠民局を立てる。高麗国王王禃、其の臣崔東秀を遣わし来たりて兵一万を備え、船千隻を造るを言う。詔して都統領脱朶児を遣わし往きて之を閲し、就きて黒山日本の道路を相視せしめ、仍お躭羅に別に船百艘を造らしめ以て調用に伺わしむ。詔して四川行省賽典赤に利州より京兆に還らしむ。東西二川統軍司を立て、劉整を都元帥と為し、都元帥阿朮と同しく軍事を議せしむ。整、軍中に至り、白河口・鹿門山に築くを議し、使を遣わし以て聞かしむ。之を許す。軍中の諸司参議を罷む。
八月乙酉、程思彬、匿名の書を投じて乗輿を斥くを言い、誅せらる。己丑、亳州大水有り。庚子、京師の河に瀕するに十倉を立つるを勅す。忙古帯に命じ兵六千を率い西番・建都を征せしむ。
九月癸丑、中都路に水害あり、今年の田租を免ず。中都路の和顧所を罷む。丁巳、阿朮、兵を統べて樊城を囲む。長春宮に勅して金籙周天大醮を修設せしむること七晝夜。堯廟及び后土太寧宮を建つ。庚申、安南国王陳光昞に錦綉を賜い、その諸臣にも差等ありて賜う。己丑、河南に屯田を立てる。兵部侍郎黒的・礼部侍郎殷弘に命じ国書を齎して再び日本に使わしめ、なお詔して高麗国に人を遣わし導送せしめ、必ず達するを期し、前に如く稽留阻礙せしむることなからしむ。安南国陳光昞に詔諭す、「来奏に占城・真臘二寇の侵擾を称す、既に卿に命じて兵を調べ不干と併力して征討せしむ、今また雲南王忽哥赤に命じて兵を統べて南下せしむ、卿は前詔に遵い、叛乱して庭せず辺寇をなす者あらば、兵を発して一同に進討し、降服する者は善く撫綏せよ」と。車駕、上都より至る。益都路饑饉あり、米三十一万八千石を以てこれを賑う。また史天沢を枢密副使とす。
冬十月戊寅朔、日食あり。己卯、中書省・枢密院に勅し、凡そ事あるごとに御史台官とともに奏すべし。河南等路行中書省を立て、参知政事阿里に行中書省事を行わしむ。庚辰、御史中丞阿里を参知政事とす。壬午、詔して沿辺諸軍を恤れ、その横科差賦は、奥魯官に責めてこれを償わしむ。庚寅、従臣禿忽思等に勅して毛詩・孟子・論語を録せしむ。乙未、太廟に享る。中書省臣言う、「前代朝廷には必ず起居注あり、故に善政嘉謨遺失せず」と。即ち和礼霍孫・独胡剌を以て翰林待制兼起居注に充つ。黎・雅・嘉定の新附民に田を給することを勅す。戊戌、宮城成る。劉秉忠、中書省事を領するを辞し、これを許し、太保として故の如し。
十一月己酉、河南・山東辺城の附籍諸色戸を簽して軍に充つ。庚申、宋兵、襄陽より来たり沿山諸寨を攻む、阿朮諸軍を分かちてこれを禦ぎ、斬獲甚だ多く、功を立てたる将士千三百四人。詔す、首に戦功を立て敵軍を生擒する者は、各々銀五十両を賞し、その余は賞賚差等あり。癸酉、御史台臣言う、「台を立てて数月、発擿多く、侵欺の糧粟を追理すること近く二十万石、錢物これに称す」と。詔ありて褒諭す。南京・河南両路の来歳の都城を修築する役夫を免ず。
十二月戊寅、中都・済南・益都・淄萊・河間・東平・南京・順天・順徳・真定・恩州・高唐・済州・北京等の処の大水を以て、今年の田租を免ず。二分・二至及び聖誕節日に、司天台にて星を祭ることを勅す。四川行省沿辺の屯戍軍士に詔諭し、役を逃るる者は処死す。乾州奉天県を復置し、好畤・永寿を省いてこれに入る。鳳州を興元路に隷す。徳興府を改めて奉聖州とし、宣徳に隷す。
この歳、京兆大旱。天下の戸一百六十五万二百八十六。死罪六十九人を断ず。諸王に金・銀・幣・帛を賜うこと歳例の如し。
六年春正月癸丑、高麗国王王禃、使を遣わし権臣金俊を誅せるを以て来告す、暦日・西錦を賜う。四道按察司を立てる。戊午、阿朮軍、宋境に入り、復州・徳安府・荊山等の処に至り、万人を俘えて還る。庚申、参知政事楊果を以て懐孟路総管とす。甲戌、益都・淄萊大水、恩州饑饉あり、命じてこれを賑う。史天沢に勅し、枢密副使駙馬忽剌出とともに師を襄陽に董せしむ。
二月壬午、四道提刑按察司を立てたるを以て諸道に詔諭す。己丑、詔して新製の蒙古字を以て天下に頒行す。丙申、宣徳府税課所を罷め、上都転運司に兼領せしむ。河南・懐孟・順徳三路の税課所を改めて転運司とす。丁酉、民兵二万を簽して襄陽に赴かしむ。欠州の人匠の貧乏なる者を賑うに米五千九百九十九石を以てす。勅す、「鞍・靴・箭鏃等の物、今より黄金を以て飾とすべからず」と。開元等路饑饉あり、戸賦の布二匹を減じ、秋税その半を減じ、水達達戸は青鼠二を減じ、その租税災いに被る者は徴を免ず。単丁の貧乏なる軍士一千九百余戸を免じて民とす。癸卯、河南行省に鈔千錠を給して軍を犒う。
三月甲寅、詔して益都路に軍万人を簽し、人ごとに鈔二十五貫を給す。戊午、曹州の饑饉を賑う。鹿門山に堡を築く。
夏四月辛巳、玉璽大小十紐を製す。甲午、使を遣わし岳瀆を祀らしむ。大名等路饑饉あり、米十万石を賑う。
五月丙午朔、東平路饑饉あり、米四万一千三百余石を賑う。辛酉、詔して戍辺の軍士の屯田禾稼を牧踐するを禁ず。
六月辛巳、招討怯綿の建都を征して敗績し、また擅に唆火兒の璽書・金符を追いしを以て、処死す。壬午、益都の新簽軍の単丁なる者千六百二十一人を免じて民とす。丁亥、河南・河北・山東諸郡蝗。癸巳、勅す、「真定等路旱蝗、その代輸する築城役夫の戸賦悉くこれを免ず」と。丙申、高麗国王王禃、その世子愖を遣わして来朝せしむ、禃に玉帯一を賜い、愖に金五十両を賜い、従官には銀幣差等ありて賜う。壬寅、阿朮、兵一万五千人を率い、宋の万山・射垜岡・鬼門関の樵蘇の路を阨す。癸卯、董文炳等に詔し、兵二万二千人を率いて南征せしむ。東昌路饑饉あり、米二万七千五百九十石を賑う。
秋七月丁巳、宋の私商四十五人を遣わしてその国に還す。庚申、水軍千戸邢徳立・張志等、宋の荊鄂都統唐永堅を生擒し、銀幣を賞すること差等あり。辛酉、太常寺の祭服を製す。壬戌、西京大雨雹。己巳、諸路に蒙古字学を立てる。癸酉、国子学を立てる。詔して官を遣わし諸路の寃滯を審理せしめ、正犯死罪明白なる者は、各々正典刑に処し、その雑犯死罪以下は量りて断遣す。また宋国の官吏軍民に詔諭し、兵を用いざるの意を示す。また都統領脱朶児・統領王国昌等を遣わし高麗に往きて備うる所の兵船を点閲し、及び躭羅等の処の道路を相視せしむ。西蜀四川監榷茶場使司を立てる。宋将夏貴、兵船三千を率いて鹿門山に至る、万戸解汝楫・李庭、舟師を率いてこれを破り、二千余人を俘殺し、戦艦五十艘を獲る。
八月己卯、金州招討司を立てる。丙申、沙・粛州の鈔法行われざるを以て、詔を降してこれを諭す。諸路に詔して農桑を勧課せしむ。中書省に命じ農桑の事を采り、条列し、なお提刑按察司と州県官に風土の宜しきところを相し、可否を講究せしめ、別に頒行せしむ。高麗国世子愖奏す、その国の臣僚、擅に国王王禃を廃し、その弟安慶公淐を立てたりと。詔して斡朶思不花・李諤等を遣わしその国に往きて詳問せしめ、条具して以て聞かしむ。
九月癸丑、恩州が嘉禾(瑞穂)を献上し、一茎に三つの穂がついていた。戊午、民間の貸金の利息について、たとえ期限を過ぎても元金と利息のみを償わせることを命じた。己未、高麗の世子王愖に特進上柱国・東安公を授けた。壬戌、豊州・雲内・東勝が旱魃に遭い、その租賦を免除した。戊辰、高麗の世子愖に兵三千を率いてその国の難に赴くことを命じ、愖が東安公の位を辞したため、特進上柱国を授けた。辛未、管軍万戸宋仲義に高麗征討を命じた。忽剌出・史天澤をともに平章政事とし、阿里を中書右丞とし河南等路中書省事を行わせ、賽典赤に陝西五路西蜀四川中書省事を行わせた。車駕が上都より帰還した。斡朵思不花・李諤が高麗の刑部尚書金方慶を伴って到着し、権国王淐の上表を奉じて、国王禃が病に罹り弟の淐に国事を代行させたことを訴えた。
冬十月己卯、朝儀と服色を定めた。壬午、高唐・冠氏をともに州に昇格させた。丁亥、広平路が旱魃に遭い、租賦を免除した。詔を下して兵部侍郎黒的・淄萊路総管府判官徐世雄を派遣し、高麗国王王禃・王弟淐および権臣林衍をみな闕下に召し出させた。国王頭輦哥に兵を率いてその国境に圧力をかけさせ、趙璧に東京において中書省事を行わせた。なお詔を降して高麗国の軍民を諭した。庚子、太陰が辰星を犯した。宋が人を遣わして塩・糧を襄陽に送り込んだが、我が軍がこれを捕獲した。諸王オルチ(奥魯赤)に駝鈕金鍍銀印を賜った。
十一月癸卯、高麗の都統領崔坦らが、林衍が乱を起こしたため、西京五十余城を率いて来附した。丁未、王綧・洪茶丘の軍三千人を徴発して高麗平定に向かわせた。高麗西京都統李延齢が増兵を乞うたので、忙哥都に兵二千を率いて赴かせた。庚午、命じた、「諸路の鰥寡・廃疾の者には、月に米二斗を与えよ。」安南国王陳光昞が使者を遣わして来貢した。済南が飢饉に遭い、米十二万八千九百石をもってこれを賑済した。高麗国王王禃がその尚書礼部侍郎朴烋を黒的に従わせて入朝させ、上表して詔を受けて既に復位し、近く入覲する旨を称した。漢江の西に新城を築いた。
十二月戊子、東安の渾河の堤防を築いた。己丑、太廟において七昼夜にわたり仏事を行った。高唐・固安の二州が飢饉に遭い、米二万六百石をもってこれを賑済した。彰徳・懐孟・衛輝を三路に分割し、林慮県を林州に昇格させ、楨州を再び韓城県に改め、馮翊など州県十か所を併合・廃止し、懿州・広寧など府を東京に隷属させた。
この年、天下の戸数は百六十八万四千百五十七戸であった。諸王に金・銀・幣・帛を歳例のごとく賜った。死刑罪四十二人を処断した。