元史

志第三上: 五行一

人と天地は、まじわって三極を為し、災祥の興るは、各々類を以て至る。天の五運、地の五材、その用は窮まり無く、その初めは一陰陽のみ、陰陽は一太極のみ。而して人の生まるるや、全く付畀ふきしてこれ有ち、五性と為し具わり、五事と為し著わり、また五徳と為し著わる。これを修むれば則ち吉、修めざれば則ち凶、吉なれば則ち福を致し、吉ならざれば則ちきわみを致す。これを天に徴すれば、吉なれば則ち休徴の応ずる所、吉ならざれば則ち咎徴の応ずる所なり。天地の気は、感ぜざれば応ぜず、天地の気応ずるも、また物無くして感ぜざるは無く、況や天子中和の極を建て、身は神人の主と為り、而して心は天地の妙を範囲し、その精神は常に造化と相流通するは、桴鼓の如し。故に軒轅氏は五気を治め、高陽氏は五官を建て、夏后氏は六府を修め、自ら身よりこれを国に推すに、政有らざるは莫し。その後箕子これに因り、以て九疇をべ、その天人の際を言うこと備われり。漢の儒はその大要を明らかにせず、夏侯勝・劉向父子の如きは、競いて災異を以てこれを言い、班固以来これを採りて五行志と為すも、また向の論著が伏生に本づくを考求めず。生の大伝に言う、「六沴作見し、もし是れ共禦きょうぎょせば、五福乃ち降る;もし共禦せざれば、六極其の下る。禹は乃ち厥の徳を共辟きょうへきし、爰に五事を用い、王極を建て用う」と。後世、君は極を建てず、臣は省みること加えず、顧みて乃ちその類を執りてこれを求めば、惑いなり。然らずんば判然として二つと為すは、宋の儒王安石の論の如きも、また過ちなり。天人感応の機、豈に言い易からんや!故に変無くして修省せざること無きは、上なり;変に因りて克く自ら修省するは、これに次ぐ;災変既に形わり、これを修めて何を以て修むるかを知らず、これを省みて何を以て省むるかを知らざるは、またこれに次ぐ;その下なるは、災変並び至り、敗亡これに随い、終に修省せざるは、刑戮の民是れ已なり。歴往古の存亡の故を考うるに、是の数者を越えず。

元は朔漠より起り、太祖西征せし時、角端東印度に見え、人の為に語りて「汝が主は早く還るべし」と云う、意は天の以て殺を止むるを告げしなり。憲宗は八赤蠻を寬田吉思海に討つに、大風に会い、海水を吹きて尽く涸れ、師を済して大捷す、憲宗は「天我を導く也」と以為う。これ以て見るに、五方性を殊にせず、その天を畏るるに、教を待たずして能くする者有り。世祖天下を兼ね有ち、方地既に広く、郡邑の災変、絶えず書すべからず、而して妖孽禍眚は、有司言状せざれば、則ちまた具に見ることを得ず。

昔し孔子春秋を作り、紀す所の災異多けれども、然れどもその事応を著さず;聖人の知は猶天の如し、故に天を妄りに意せず、人の深く自ら謹むを欲す。乃ち洪範に本づき、春秋の意に倣い、当時の災祥を考次し、五行志を作る。

五行、一に曰く水。下を潤すは、水の性なり。その性を失うを沴と為し、時に則ち霧水暴に出で、百川逆溢し、郷邑を壊し、人民を溺れ、及び凡そ霜雹の変、是れを水潤下せずと為す。その徴は恒に寒く、その色は黒く、是れを黒眚黒祥と為す。

至元元年、真定・順天・河間・順徳・大名・東平・済南等の郡大水。四年五月、応州大水。五年八月、亳州大水。六年十二月、献・莫・清・滄の四州及び豊州・渾源県大水。九年九月、南陽・懐孟・えい輝・順天等の郡、洺・磁・泰安・通・灤等の州淫雨、河水並びに溢る。田廬をやぶり、稼を害す。十三年十二月、済寧及び高麗瀋州水。十四年六月、済寧路雨水、平地丈余、稼を損ず。曹州定陶・武清の二県、濮州・堂邑県雨水、禾稼を没す。十二月、冠州・永年県水。十六年十二月、保定等の路水。十七年正月、磁州・永平県水。八月、大都・北京・懐孟・保定・東平・済寧等の路水。十八年二月、遼陽懿州・蓋州水。十一月、保定清苑県水。二十年六月、太原・懐孟・河南等の路沁河水涌溢し、民田一千六百七十余頃を壊す。衞輝路清河溢れ、稼を損ず。南陽府唐・鄧・裕・嵩の四州河水溢れ、稼を損ず。十月、涿州巨馬河溢る。二十一年六月、保定・河間・濱・棣大水。二十二年秋、南京・彰徳・大名・河間・順徳・済南等の路河水田三千余頃を壊す。高郵・慶元大水、人民七百九十五戸を傷め、廬舍三千九十区を壊す。二十三年六月、安西路華州華陰県大雨、潼谷水涌ぎ、平地三丈余。杭州・平江の二路属県水、民田一万七千二百頃を壊す。大都涿・漷・檀・順・薊の五州、汴梁・帰徳七県水。二十四年六月、覇州益津県雨水。九月、東京義・静・威遠・婆娑等の処水。二十五年七月、膠州大水、民橡を採りて食と為す。十二月、太原・汴梁の二路河溢れ、稼を害す。二十六年二月、紹興大水。十月、平灤路水、田稼一千一百頃を壊す。二十七年正月、甘州・無為路大水。五月、江陰州大水。六月、河太康県に溢れ、民田三十一万九千畝を没す。八月、沁水溢る。広州清遠県大水。十一月、河祥符義唐湾に決し、太康・通許の二県、陳・潁の二州、大いにその患い被る。二十八年二月、常徳路水。八月、浙東婺州水。九月、平灤・保定・河間の三路大水。二十九年五月、龍興路南昌・新建・進賢の三県水。六月、鎮江・常州・平江・嘉興・湖州・松江・紹興等の路府水。揚州・寧国・太平の三郡大水。岳州華容県水。三十年五月、深州静安県大水。十月、平灤路水。三十一年八月、趙州寧晋県水。十月、遼陽路水。

元貞元年五月、建康路溧陽州、太平路当塗県、鎮江路金檀・丹徒等の県、常州無錫州、平江路長洲県、湖州烏程県、鄱陽路余干州、常徳路沅江・澧州安郷等の県に水害あり。六月、泰安州奉符・曹州済陰・兗州嵫陽等の県に水害あり。歴城県の大清河の水溢れ、民居を損壊す。七月、遼東和州・大都武衛屯田に水害あり。九月、廬州・平江二郡に大水あり。二年五月、太原路平晋県、献州交河・楽寿二県、莫州任丘・莫亭等の県、湖南醴陵州に水害あり。六月、大都路益津・保定・大興三県に水害あり、田稼七千余頃を損ず。真定路鼓城・獲鹿・藁城等の県、保定路葛城・帰信・新安・束鹿等の県、汝寧路潁州、済寧路はい県、揚・廬・岳・澧四郡、建康・太平・鎮江・常州・紹興五郡に水害あり。八月、棣州・曹州に水害あり。九月、黄河が河南の杞・封丘・祥符・寧陵・襄邑の五県で決壊す。十月、黄河が開封県で決壊す。十二月、江陵路潜江県、沔陽路玉沙県、淮安路海寧朐山・塩城等の県に水害あり。

大徳元年三月、帰徳路徐州、邳州宿遷・睢寧、鹿邑三県、河南路許州臨潁・郾城等の県、睢州襄邑、太康・扶溝・陳留・開封・杞等の県にて河水大いに溢れ、田廬を漂没す。五月、黄河が汴梁で決壊し、民夫三万五千を発してこれを塞ぐ。漳水溢れ、稼を害す。龍興・南康・澧州・南雄・饒州の五郡に水害あり。六月、和州歴陽県にて江水溢れ、廬舎一万八千五百区を漂没す。七月、郴州耒陽県・衡州酃県に大水あり、溺死者三百余人。九月、温州平陽・瑞安二州に水害あり、溺死者六千八百余人。十一月、常徳路武陵県に大水あり。二年六月、黄河が蒲口で決壊し、凡そ九十六箇所に及び、汴梁・帰徳二郡に氾濫す。大名・東昌・平灤等の路に水害あり。三年八月、河間郡に水害あり。四年五月、保定・真定二郡、通・薊二州に水害あり。六月、帰徳路睢州に大水あり。五年五月、宣徳・保定・河間の属州に水害あり。寧海州に水害あり。六月、済寧・般陽・益都・東平・済南・襄陽・平江の七郡に水害あり。七月、江水暴風大いに溢れ、高さ四五丈に及び、崇明・通・泰・真州定江の地を連ね、廬舎を漂没し、被災者三万四千八百余戸。遼陽大寧路に水害あり。八月、平灤郡に雨あり、灤河溢る。順徳路に水害あり。六年四月、上都に大水あり。五月、済南路に大水あり。帰徳府徐州・邳州睢寧県に雨五十日続き、沂・武二河合流し、水大いに溢る。東安州にて渾河溢れ、民田一千八十余頃を損壊す。六月、広平路に大水あり。七年五月、済南・河間等の路に水害あり。六月、遼陽・大寧・平灤・昌国・瀋陽・開元の六郡に雨水あり、田廬を損壊し、男女の死者百十有九人。修武・河陽・新野・蘭陽等の県にて趙河・湍河・白河・七里河・沁河・潦河皆溢る。台州に風水大いに起こり、寧海・臨海二県の死者五百五十人。八年五月、太原路陽武県・衛輝路獲嘉県・汴梁路祥符県にて河溢る。大名路滑州・濬州に雨水あり、民田六百八十余頃を損壊す。八月、潮陽に颶風海溢あり、民廬舎を漂没す。九年六月、汴梁路陽武県思斉口にて黄河決壊す。東昌路博平・堂邑二県に雨水あり。潼川路郪県に雨あり、綿江・中江溢れ、水決して城に入る。龍興・撫州・臨川の三郡に水害あり。七月、沔陽路玉沙県にて江溢る。嶧州に水害あり。揚州泰興県・淮安路山陽県に水害あり。八月、帰徳府寧陵、陳留・通許・扶溝・太康・杞県にて河溢る。大名路元城県に大水あり。十年五月、雄州・漷州に水害あり。平江・嘉興二郡に水害あり、稼を害す。六月、保定路満城・清苑二県に雨水あり。大名・益都・定興等の路に大水あり。七月、平江路に大風あり、海溢す。呉江州に大水あり。十一年六月、靖海・容城・束鹿・隆平・新城等の県に水害あり。七月、冀寧路文水県にて汾水溢る。十一月、盧龍・灤河・遷安・昌黎・撫寧等の県に水害あり。

至大元年七月、済寧路に雨水あり、平地丈余に及び、暴決して城に入り、廬舎を漂没し、死者十有八人。真定路に淫雨あり、大水南門に入り、下って藁城に注ぎ、死者百七十人。彰徳・衛輝二郡に水害あり、稻田五千三百七十頃を損ず。二年七月、黄河が帰徳府で決壊し、また汴梁路封丘県で決壊す。三年六月、洧川・鄄城・汶上の三県に水害あり。峡州に大雨あり、水溢れ、死者万余人。七月、循州・惠州に大水あり、廬舎二百九十区を漂没す。四年六月、大都三河県・潞県、河東祁県・懐仁県、永平豊盈屯に雨水ありて稼を害す。七月、東平・済寧・般陽・保定等の路に大水あり。江陵路松滋県・桂陽路臨武県に水害あり。

皇慶元年五月、帰徳路睢陽県にて河溢る。六月、大寧・水達達路に雨あり、宋瓦江溢れ、民は亦母児乞嶺に避居す。八月、松江府に大風あり、海水溢る。二年五月、辰州沅陵県に水害あり。六月、涿州范陽県、東安州、宛平県、固安州、覇州益津、永清・永安等の県に雨水あり、田稼七千六百九十余頃を損壊す。黄河が陳・亳・睢の三州、開封・陳留等の県で決壊す。八月、崇明・嘉定二州に大風あり、海溢す。

延祐元年五月、常徳路武陵県に雨水あり、廬舎を壊し、溺死者五百人。六月、涿州范陽・房山二県に渾河溢れ、民田四百九十余頃を壊す。七月、沅陵・盧渓二県に水害あり。八月、肇慶・武昌・建康・杭州・建徳・南康・江州・臨江・袁州・建昌・贛州・安豊・撫州等の路に水害あり。二年六月、河、鄭州に決壊し、汜水県治を壊す。七月、京師に大雨あり。(鄭)〔漷〕州・昌平・香河・宝坻等県に水害あり。全州・永州に江水溢れ、禾稼を害す。三年四月、潁州(泰)〔太〕和県に河溢れ。七月、婺源州に雨水あり、溺死者五千三百余人。四年正月、解州塩池に水害あり。五年四月、廬州合肥県に大雨水あり。六年六月、河間路漳河の水溢れ、民田二千七百余頃を壊す。益都・般陽・済南・東昌・東平・済寧等の路、曹・濮・泰安・高唐等の州に大雨水ありて禾稼を害す。遼陽・広寧・瀋陽・永平・開元等の路に水害あり。大名路所属県に水害あり、民田一万八千頃を壊す。汴梁・帰徳・汝寧・彰徳・真定・保定・衛輝・南陽等の郡に大雨水あり。七年四月、安豊・廬州に淮水溢れ、禾麦一万頃を損ず。城父県に水害あり。五月、江陵県に水害あり。六月、棣州・德州に大雨水あり、田四千六百余頃を壊す。七月、上蔡・汝陽・西平等県に水害あり。八月、覇州文安・文成二県に滹沱河溢れ、禾稼を害す。汾州平遥県に水害あり。是歳、河、汴梁原武県に決壊す。

至治元年六月、覇州に大水あり、渾河溢れ、被災者三万余戸。七月、薊州平谷・漁陽二県、順州邢台・沙河二県、大名魏県、永平石城県に大水あり。彰徳臨漳県に漳水溢れ。大都固安州、真定元氏県、東安、宝坻県、淮安清河・山陽等県に水害あり。東平・東昌二路、高唐・曹・濮等の州に雨水ありて禾稼を害す。乞里吉思部に江水溢れ。八月、安陸府に雨七日降り、江水大いに溢れ、被災者三千五百戸。雷州海康・遂渓二県に海水溢れ、民田四千頃を壊す。九月、京山・長寿二県に漢水溢れ。十月、遼陽・肇慶等の郡に水害あり。二年正月、儀封県に河溢れ。二月、濮州に大水あり。閏五月、睢陽県亳社屯に大水あり。六月、奉元郿県、邠州新平・上蔡二県に水害あり。八月、廬州六安・舒城二県に水害あり。十一月、平江路に大水あり、民田四万九千六百頃を損ず。三年五月、東安州に水害あり、民田一千五百余頃を壊す。真定武邑県に水害ありて禾稼を害す。六月、大都永清県に雨水あり、田四百頃を損ず。七月、漷州に雨水ありて禾稼を害す。九月、漳州・建昌・南康等の郡に水害あり。

泰定元年五月、漷州・固安州に水害あり。隴西県に大雨水あり、漂死者五百余家。龍慶路に雨水ありて禾稼を傷つく。六月、益都・済南・般陽・東昌・東平・済寧等の郡二十二県、曹・濮・高唐・德州等の処十県に淫雨あり、水深さ丈余、田廬を漂没す。大同渾源河溢れ。陳・汾・順・晋・恩・深六州に雨水ありて禾稼を害す。真定に滹沱河溢れ、民廬舎を漂わす。陝西に大雨あり、渭水及び黒水河溢れ、民廬舎を損ず。渠州に江水溢れ。七月、真定・河間・保定・広平等の郡三十七県に大雨水五十余日あり、禾稼を害す。大都路固安州に清河溢れ。順徳路任県に沙・(澧)〔灃〕・洺水溢れ。奉元朝邑県、曹州楚丘県、開州濮陽県に河溢れ。九月、延安路に洛水溢れ。奉元長安ちょうあん県に大雨あり、(澧)〔灃〕水溢れ。濮州舘陶県に水害あり。十二月、杭州塩官州に海水大いに溢れ、堤塹を壊し、城郭を侵し、有司石囤木櫃を以てこれを捍ぐも止まず。二年正月、大都宝坻県、肇慶高要県に雨水あり。鞏昌路に水害あり。閏正月、雄州帰信県に大水あり。二月、甘州路に大雨水あり、行帳孳畜を漂没す。三月、咸平府清・寇二河合流し、故道を失い、堤堰を隳す。四月、涿州房山・范陽二県に水害あり。岷・洮・文・階四州に雨水あり。五月、檀州に大水あり、平地深さ一丈五尺。高郵興化・江陵公安二県に水害あり。河、汴梁に溢れ、被災者十五県。六月、冀寧路に汾河溢れ。潼(江)〔川〕府綿江・中江の水溢れて城に入り、深さ丈余。衛輝汲県、帰徳宿州に雨水あり。済寧路虞城・碭山・単父・豊・沛五県に水害あり。七月、睢州に河決壊す。八月、覇州、涿州、永清・香河二県に大水あり、禾稼九千五十余頃を傷つく。九月、開元路に三河溢れ、民田を没し、廬舎を壊す。十月、寧夏鳴沙州に大雨水あり。三年正月、恩州に水害あり。二月、帰徳府に河決壊す。六月、大同県に大水あり。汝寧光州に水害あり。七月、河、鄭州に決壊し、陽武等県の民一万六千五百余家を漂没す。東安・檀・順・漷四州に雨あり、渾河決壊し、温楡水溢れ、禾稼を傷つく。延安路膚施県に水害あり、民居九十余戸を漂わす。八月、塩官州に大風あり、海溢れ、捍海堤崩壊し、広さ三十余里、袤二十里、居民千二百五十家を徙らせて以てこれを避く。真定蠡州、奉元蒲城県、無為州、歴陽・含山等県に水害あり。九月、平遥県に汾水溢れ。十一月、崇明州三沙鎮に海溢れ、民居五百家を漂わす。十二月、遼陽に大水あり。大寧路瑞州に大水あり、民田五千五百頃、廬舎八百九十所を壊し、溺死者百五十人。四年正月、塩官州に潮水大いに溢れ、捍海堤二千余歩崩壊す。四月、復た十九里崩壊し、丁夫二万余人を発し、木柵竹落磚石を以てこれを塞ぐも止まず。六月、大都東安・固安・通・順・薊・檀・漷七州、永清・良郷等県に雨水あり。七月、上都雲州に大雨あり。北山黒水河溢れ。雲安県に水害あり。八月、汴梁扶溝・蘭陽二県に河溢れ、民居一千九百余家を漂わす。済寧虞城県に河溢れ、禾稼を傷つく。十二月、夏邑県に河溢れ。汴梁中牟・開封・陳留三県、帰徳邳・宿二州に雨水あり。

致和元年三月、塩官州の海堤が崩壊し、使者を遣わして祈祷祭祀を行い、浮屠二百十六基を造り、西僧の法を用いてこれを鎮圧した。黄河が碭山・虞城の二県で決壊した。四月、塩官州で海潮が溢れ、さらに軍民を徴発してこれを塞ぎ、石囤を二十九里に設置した。六月、南寧・開元・永平等路で水害。河間路臨邑県で雨水。益都・済南・般陽・済寧・東平等の郡三十県、濮・徳・泰安等の州九県で雨水が農作物を害した。七月、広西両江の諸州で水害。

天暦元年八月、杭州・嘉興・平江・湖州・建徳・鎮江・池州・太平・広徳の九郡で水害、民田一万四千余頃が水没した。二年六月、大都路の東安・通・薊・覇の四州、河間路靖海県で雨水が農作物を害した。永平路の昌国諸屯で水害。

至順元年六月、黄河が大名路長垣・東明の二県で決壊し、民田五百八十余頃が水没した。曹州・高唐州で水害。七月、海潮が溢れ、河間運司の塩二万六千七百引が漂流・水没した。閏七月、平江・嘉興・湖州・松江の三路一州で大水、民田三万六千六百余頃が損壊し、被災者は四十万五千五百余戸。杭州・常州・慶元・紹興・鎮江・寧国等路、望江・銅陵・長林・宝応・興化等県で水害、民田一万三千五百余頃が水没した。大都・保定・大寧・益都の属する州県で水害。二年四月、潞州潞城県で大雨による水害。五月、河間路莫亭県・寧夏河渠県・紹慶路彭水県及び徳安屯田で水害。六月、彰徳路の属県で漳水が決壊。十月、呉江州で大風、太湖の水が溢れ、民居一千九百七十余家が漂流した。十二月、深州・晋州で水害。三年三月、奉元路朝邑県で洛水が溢れる。五月、汴梁路で黄河の水が溢れる。江都・泰興・雲夢・応城等県で水害。六月、汾州で大水。

至元十四年九月、湖州長興県の金沙泉は、唐・宋以来、茶を造るのに用いられてきたが、その泉は常にあるものではなく、今、湧き出して田数百頃を灌漑することができるようになった。有司がこれを上聞し、瑞応泉の名を賜った。十五年十二月、黄河の水が清くなり、孟津の東柏谷から汜水県の蓼子谷まで、上下八十余里、澄みきって底が見え、数ヶ月してようやく元のようになった。

元貞元年閏四月、蘭州の上下三百余里にわたり、黄河の水が三日間清かった。

中統二年五月、西京で霜が降りて禾を枯らした。三年五月、宣徳・威寧等路で霜が降りた。八月、河間・平灤等路で霜が降りて農作物を害した。四年四月、武州で霜が降りて麦・禾を枯らした。

至元二年八月、太原で霜が降りた。七年四月、檀州で霜が降りた。八年七月、鞏昌路の会・蘭等州で霜が農作物を枯らした。十七年四月、益都で霜が降りた。二十一年三月、山東で霜が降りて桑を枯らし、蚕は全て死に、被災者は三万余家。二十七年七月、大同・平陽・太原で霜が降りて禾を枯らした。二十九年三月、済南・般陽等郡及び恩州の属県で霜が桑を枯らした。

元貞二年八月、金・復州で霜が降りて禾を枯らした。

大徳五年三月、湯陰県で霜が麦を枯らした。五月、商州で霜が麦を枯らした。六年八月、大同・太原で霜が禾を枯らした。七年四月、霜が麦を枯らした。八年三月、済陽・灤城の二県で霜が桑を枯らした。八月、霜が降りて農作物を枯らした。九年三月、河間・益都・般陽の三郡の属県で霜が桑を枯らした。清・莫・滄・献の四州で霜が桑二百四十一万七千余本を枯らし、蚕一万二千七百余箔を損なった。十年七月、大同路渾源県で霜が禾を枯らした。八月、綏徳州米脂県で霜が禾二百八十頃を枯らした。

至大元年八月、大同で霜が降りて禾を枯らした。

皇慶二年三月、済寧で霜が桑を枯らした。

延祐元年三月、東平・般陽等郡、泰安・曹・濮等州で大雪が三日間降り、霜が降りて桑を枯らした。閏三月、済寧・汴梁等路及び隴州・開州・青城・渭源諸県で霜が桑を枯らし、蚕がいなくなった。七月、冀寧で霜が降りて農作物を枯らした。四年夏、六盤山で霜が降りて農作物五百余頃を枯らした。五年五月、雄州帰信県で霜が降りた。六年三月、奉元路同州で霜が降りた。七年八月、益津県で黒い霜が降った。

至治三年七月、冀寧路陽曲県・大同路大同県・興和路威寧県で霜が降りた。八月、袁州宜春県で霜が降りて農作物を害した。

泰定二年三月、雲需府で大雪、民衆が飢えた。

天暦三年二月、京師で大霜、昼間も霧がかかった。

至順元年閏七月、奉元路西和州、寧夏路応理州・鳴沙州、鞏昌路静寧州・邠州・会州等、鳳翔路麟遊県、大同路山陰県、晋寧路潞城県・隰川県等に霜が降りて作物を損なう。

中統二年四月、雹が降り、大きさ弾丸の如し。三年五月、順天路・平陽路・真定路・河南路等の郡に雹が降る。四年七月、燕京路昌平県、景州蓨県、開平路興州・松州・雲州の三州に雹が降りて作物を害す。

至元二年八月、彰徳路・大名路・南京路・河南路・済南路・太原路等の郡に雹が降る。四年三月、夏津県に大雹が降る。五年六月、中山府に大雹が降る。六年七月、西京大同県に雹が降る。七年五月、河内県に大雹が降る。十五年閏十一月、海州贛楡県に雹が降りて作物を傷つく。十九年八月、雹が降り、大きさ鶏卵の如し。二十年四月、河南路に風雷雹が降りて作物を害す。五月、安西路に風雷雹が降る。八月、真定路元氏県に大風雹があり、禾はことごとく損ず。二十二年七月、冠州に雹が降る。二十四年九月、大定路・金源県・高州・武平路・興中路等の地に雹が降る。二十五年三月、霊壁県・虹県に雹が降り、鶏卵の如く、麦を害す。十二月、霊寿県・陽曲県・天成県等に雹が降る。二十六年夏、平陽路・大同路・保定路等の郡に大雹が降る。二十七年四月、霊寿県に大風雹あり。六月、棣州厭次県・済陽県の二県に大風雹があり、禾黍菽麦桑棗を傷つく。二十九年閏六月、遼陽路・瀋州、広寧路・開元路等に雹が降る。三十一年四月、即墨県に雹が降る。八月、德州安德県に大風雨雹あり。

元貞元年五月、鞏昌路金州・会州・西和州に大雹が降り、麦禾なし。七月、隆興路に雹が降る。二年五月、河中府猗氏県に雹が降る。六月、隆興路威寧県、順徳路邢台県、太原路交城県・離石県・寿陽県等に雹が降る。八月、懐孟路武陟県に雹が降る。

大徳元年六月、太原路崞州に雹が降りて作物を害す。二年二月、檀州に雹が降る。八月、彰徳路安陽県に雹が降る。四年三月、宣州涇県・台州臨海県に風雹あり。八年五月、大寧路建州・蔚州霊仙県に雹が降る。太原路・大同路・隆興路に属する陽曲県・天成県・懐安県・白登県に風雹があり作物を害す。八月、管州・嵐州・交城県・陽曲県・懐仁県等に雹が降る。九年六月、晋寧路・冀寧路・宣徳路・隆興路・大同路等の郡に大雹が降り、作物を害す。十年四月、鄭州管城県に風雹あり、大きさ鶏卵の如く、積もること厚さ五寸。五月、大雹が降る。七月、宣徳県に雹が降る。十一年五月、建州に雹が降る。

至大元年四月、般陽路新城県・済南路厭次県・益都路高苑県に風雹あり。五月、管城県に大雹あり、深さ一尺、麦禾なし。八月、大寧県に雹が降りて作物を害し、畜牧を斃す。二年三月、済陰県・定陶県等に雹が降る。六月、崞州・源州・金城県に雹が降る。延安路神木県に大雹あり、百余里に及び、人畜を撃ちて死なしむ。三年四月、霊寿県・平陰県等に雹が降る。四年四月、南陽路に雹が降る。閏七月、宣寧県に雹が降る。

皇慶元年四月、大名路濬州・彰徳路安陽県・河南路孟津県に雹が降る。六月、開元路に風雹ありて作物を害す。二年七月、冀寧路平定州に雹が降る。景州阜城県に風雹あり。八月、大同路懐仁県に雹が降る。

延祐元年五月、膚施県に大風雹あり、作物を損ない併せて人畜を傷つく。六月、宣平県・仁寿県・白登県等に雹が降る。二年五月、大同路・宣徳路等の郡に雷雹ありて作物を害す。三年五月、薊州に雹が降り深さ一尺。五年四月、鳳翔府に雹が降りて麦禾を傷つく。六年六月、大同県に雹が降り、大きさ鶏卵の如し。七月、鞏昌路隴西県に雹が降りて作物を害す。七年八月、大同路に雷風雨雹あり。

至治元年六月、武州に雹が降りて作物を害す。永平路に大雹あり深さ一尺、作物を害す。七月、真定路・順徳路等の郡に雹が降る。二年四月、涇州涇川県に雹が降る。六月、思州に大風雨雹あり。三年五月、大風雨雹あり、柳林行宮の大木を抜く。

泰定元年五月、冀寧路陽曲県に雹が降りて作物を傷つく。思州龍泉平に雹が降りて麦を傷つく。六月、順元路・太平軍・定西州に雹が降る。七月、龍慶路に雹が降り、大きさ鶏卵の如く、平地に深さ三尺余。八月、大同路白登県に雹が降る。二年四月、奉元路白水県に雹が降る。五月、洮州路可当県・臨洮府狄道県に雹が降る。六月、興州・鄜州・静寧州及び成紀県・通渭県・白水県・膚施県・安塞県等に雹が降る。七月、檀州に雹が降る。三年六月、鞏昌路に大雹が降る。中山府安喜県・乾州永寿県に雹が降る。七月、房山県・宝坻県・玉田県・永平路等の県に大風雹あり、木を折り作物を傷つく。八月、龍慶州に雹が降り深さ一尺、大風にて作物を損ず。四年七月、彰徳路湯陰県、冀寧路定襄県、大同路武州・応州の二州に雹が降りて作物を害す。

致和元年四月、濬州・涇州に大雹ありて麦禾を傷つく。五月、冀寧路陽曲県・威州井陘県に雹が降る。六月、涇川県・湯陰県等に大雹が降る。大寧路・永平路に属する県に雹が降る。

天暦二年七月、大寧路惠州に雹が降る。八月、冀寧路陽曲県に大雹あり鶏卵の如く、作物を害す。三年七月、順州・東安州及び平棘県・肥郷県・曲陽県・行唐県等に風雹ありて作物を害す。開元路に雹が降る。

至順二年十二月、冀寧路清源県に雹が降る。三年五月、甘州に雹が降る。乙巳、天鼓西北に鳴る。

中統二年九月、河南の民王四の妻靳氏が一産に三男を生む。唐志に云う、「物反常有れば妖と為す、陰気盛んなれば則ち母道壮んなるなり」と。

至元元年八月、武城県の王氏の妻崔氏が一産に三男を生む。十年八月甲寅、鳳翔路宝鶏県の劉鉄牛の妻が一産に三男を生む。二十年二月、高州の張丑の妻李氏が一産に四子を生む、三男一女なり。四月、固安州の王得林の妻張氏、妊娠五月にして一男を生む、四手四足、円頭三耳、一耳は脳後に附き、生まれて即ち死す、その状を有司に具して上る。二十八年九月、襄陽路南漳県の民李氏の妻王氏が一産に三子を生む。

大徳元年五月、遂寧州の軍戸任福の妻が一産三男を生む。十一月、遼陽の打雁孛蘭奚戸那懐の妻和里迷が一産四男を生む。四年、宝応県の民孫奕の妻朱氏が一産三男を生む。十年正月、江州湖口県の方丙の妻甘氏が一産四男を生む。

泰定元年十月乙卯、秦州成紀県の趙思直の妻張氏が一産三子を生む。

致和元年三月壬辰、太平当塗県の楊太の妻呉氏が一産三子を生む。

五行の第二は火である。炎上は火の本性であり、その本性を失うと災いとなる。董仲舒は言う、「陽が節度を失えば、火災が起こる」と。ここにおいて炎は濫りに起こり、宗廟を災いし、宮館を焼き、たとえ大軍を動かしても救うことができない。これを火不炎上という。その徴候は常に暖かく、その色は赤く、これを赤眚赤祥という。

定宗三年戊申、野草が自然に燃え、牛馬は十のうち八九が死に、民は生活の頼る所がない。

至元十一年十二月、淮西正陽で火災があり、家屋・鎧仗ことごとく焼失する。十八年二月、揚州で火災あり。

元貞二年、杭州で火災があり、七百七十戸を焼く。

大徳八年五月、杭州で火災があり、四百戸を焼く。九年三月、宜黄県で火災あり。十年十一月、武昌路で火災あり。

延祐元年二月、真州揚子県で火災あり。三年六月、重慶路で火災あり、郡の官舎は十のうち八九を焼く。六年四月、揚州で火災あり、官民の家屋一万三千三百余区を焼く。

至治二年四月、揚州・真州で火災あり。十二月、杭州で火災あり。三年五月、奉元路の行宮正殿で火災あり。上都の利用監の倉庫で火災あり。九月、揚州江都県で火災あり、四百七十余戸を焼く。

泰定元年五月、江西袁州で火災あり、五百余戸を焼く。三年六月、龍興路寧州高市で火災あり、五百余戸を焼く。七月、龍興奉新県・辰州辰渓県で火災あり。八月、杭州で火災あり、四百七十余戸を焼く。四年八月、龍興路で火災あり。十二月、杭州で火災あり、六百七十戸を焼く。

天暦二年三月、四川紹慶彭水県で火災あり。四月、重慶路で火災あり、二百四十余戸に延焼する。七月、武昌路江夏県で火災あり、四百戸に延焼する。十二月、江夏県で火災あり、四百余戸を焼く。三年二月、河内諸県で火災あり。

皇慶元年、冬に雪が降らず、詔して岳瀆に祈らしむ。

延祐元年、大都の檀・薊等州で冬に雪が降らず、春に至って草木枯れ焦げる。

至元二年八月丙寅、済南鄒平県が芝一本を献上する。八年八月癸酉、益都済州が芝二本を献上する。十五年四月、済南歴城県が芝を献上する。十九年六月、芝が眉州青神県の景德寺に生ず。二十三年四月丁未、江東宣慰司が芝一本を献上する。十月、済寧が芝一本を献上する。二十六年三月癸未、東流県が芝を献上する。四月、池州貴池県の民王逸が紫芝十二本を献上する。六月、汲県の民朱良が紫芝を献上する。二十八年三月、芝が鈞州陽翟県に生ず。二十九年六月、芝が賀州に生ず。

大徳五年(1301年)十二月、興元路西郷県より一本の霊芝が献上された。色は珊瑚の如し。六年正月、済南路鄒平県より一本の霊芝が献上された。五枝五葉、色は皆赤し。

至大四年(1311年)八月、霊芝が国子監大成殿に生じた。

延祐二年(1315年)三月、霊芝が大成殿に生じた。五年七月、霊芝が大成殿に生じた。

中統二年(1261年)正月辛未、御帳殿にて朝賀を受けしが、是の夜、東北に赤気ありて人を照らし、大きさ席の如し。

五行の第三は木なり。曲直は木の性なり。其の性を失えばわざわいとなる。故に生い茂らず、変異を為すものあり。是を木不曲直と謂う。その徴は恒雨、その色は青、是を青眚青祥と謂う。

大徳七年(1303年)十一月辛酉、木に氷がついた(樹氷)。

至順二年(1331年)十一月丁巳、木に氷が降りついた。十二月癸亥、木に氷が降りついた。

元貞元年(1295年)、太平路蕪湖県より榆の木が献上された。文ありて「天下太平年」と曰う。

至治三年(1323年)五月庚子、柳林行宮の大木、風にて三千七百株抜かる。

至元十七年(1280年)二月、真定路七郡の桑に虫が食いつく。二十九年五月、滄州・濰州、中山府、元氏県・無棣県等の桑、虫に葉を食われ、蚕成らず。

元貞元年(1295年)四月、真定路中山県・霊寿県の二県の桑、虫に食われる。

大徳五年(1301年)四月、彰徳路・広平路・真定路・順徳路・大名路等の郡、虫桑を食う。

至大元年(1308年)五月、大名路・広平路・真定路の三郡、虫桑を食う。

致和元年(1328年)六月、河南江北行省徳安屯にて蠖(尺取り虫)桑を食う。

天暦二年(1329年)三月、滄州・高唐州及び南皮県・塩山県・武城県等の桑、虫に食われて枯れ株の如し。

至順二年三月、冠州にて蟲が桑四萬株を食う。晉・冀・深・蠡等の州及び鄆城・延津の二縣にて蟲が夜に桑を食い、晝は土中に匿れ、人捕ふること能はず。五月、曹州禹城・保定博野・東昌封丘等の縣にて蟲が桑を食ひ、皆既にす。

至元九年六月丁亥、京師大雨。二十四年九月、太原・河間・河南等の路霖雨稼を害す。二十五年七月、保定郡、覇・漷の二州淫雨稼を害す。八月、嘉祥・魚臺・金鄉の三縣淫雨。九月、莫・獻の二州淫雨。保定路淫雨。二十六年六月、濟寧・東平・汴梁・濟南・順德・真定・平灤・棣州霖雨稼を害す。二十八年八月、大名・清河・南樂諸縣霖雨災を爲す。九月、河間郡淫雨。

至大四年七月、河間・順德・大名・彰德・廣平等の路、德・濮・恩・通等の州及び河東祁縣霖雨稼を害す。

皇慶元年、龍興路新建縣雨稼を害す。

延祐四年四月、遼陽蓋州雨水稼を害す。六年七月、覇州文成縣雨稼を害すこと三千餘頃。

至治元年、江州・贛州淫雨。二年閏五月、安豐路雨稼を傷つく。三年五月、大名魏縣淫雨。保定定興縣、濟南無棣・厭次縣、濟寧碭山縣、河間齊東縣霖雨稼を害す。

泰定元年七月、真定・廣平・廬州十一郡雨稼を傷つく。元年八月、汴梁考城・儀封、濟南霑化・利津等の縣霖雨、禾稼を損ず。

五行の四は金と曰ふ。革に從ふは金の性なり、其の性を失ふを沴と爲し、時に則ち冶鑄成らず、變異有る者有り、是を金革に從はざると爲す。金石は同類なり、故に古者は類を以て附見す。其の徵は恒暘、其の色は白、是を白眚白祥と爲す。

至元十三年、霧靈山の伐木官劉氏言ふ、檀州大峪錐山鐵鑛を出すと、有司之を覆視し、尋て四冶を立つ。

大德元年、雲州聚陽山等の冶言ふ、鑛石煽煉して銀貨出でずと、詔して其の課額を減ず。二年六月、撫州崇仁縣辛陂村に星地に隕ち、綠色の隕石と爲る、邑人張椿狀を以て聞す。

泰定四年八月、天全道山崩れ、石飛びて人を撃ち、中る者は輒ち死す。

庶徴の恒暘は、劉向以爲ふ春秋の大旱なり。京房易傳に曰く、「用ひざるを得んと欲する、茲を張と謂ふ、厥の災荒。」荒は旱なり。

中統三年五月、濱・棣の二州旱。四年八月、真定郡及び洺・磁等の州旱。

至元元年二月、東平・太原・平陽旱、分ちて命じて西僧に雨を禱らしむ。五年十二月、京兆大旱。八年四月、蔚州靈仙・廣靈の二縣旱。九年六月、高麗旱。十三年十二月、平陽路旱。十六年七月、趙州旱。十八年二月、廣寧・北京大定州旱。二十三年五月、汴梁旱。京畿旱。二十四年春、平陽旱、二麥枯死す。二十五年、東平路須城等六縣、安西路商・耀・乾・華等十六州旱。二十六年、絳州大旱。

元貞元年六月、環州・葭州及び咸寧・伏羌・通渭等の縣旱。七月、河間肅寧・樂壽の二縣旱。泗州・賀州旱。二年八月、大名開州・懷孟武陟縣・河間肅寧縣旱。九月、莫州・獻州旱。十月、化州旱。十二月、遼東・開元の二路旱。

大徳元年(1297年)六月、汴梁・南陽で大旱魃が起こり、民は子女を売った。九月、鎮江丹陽・金壇の二県が旱魃に見舞われた。十二月、平陽曲沃県が旱魃に見舞われた。二年五月、衞輝・順徳・平灤等路が旱魃に見舞われた。三年五月、荊湖諸郡及び桂陽・寶慶・興国の三路が旱魃に見舞われた。十月、揚・廬・隨・黄等州が旱魃に見舞われた。四年、平棘・白馬の二県が旱魃に見舞われた。五年六月、汴梁・南陽・衞輝・大名等路が旱魃に見舞われた。九月、江陵が旱魃に見舞われた。八年六月、鳳翔扶風・岐山・寶鷄の三県が旱魃に見舞われた。九年七月、晉州饒陽県・漢陽漢川県が旱魃に見舞われた。八月、象州・融州・柳州の属県が旱魃に見舞われた。十年五月、京畿が旱魃に見舞われた。安西では春夏に大旱魃が起こり、二麦が枯死した。

至大三年(1310年)夏、広平で激しい旱魃が起こった。

皇慶元年(1312年)六月、濱・棣・徳の三州及び蒲臺・陽信等県が旱魃に見舞われた。二年九月、京畿で大旱魃が起こった。

延祐二年(1315年)春、檀・薊・濠の三州が旱魃に見舞われた。夏、鞏昌蘭州が旱魃に見舞われた。四年四月、徳安府が旱魃に見舞われた。五年七月、真定・河間・広平・中山で大旱魃が起こった。七年六月、黄・蘄の二郡及び荊門州が旱魃に見舞われた。

至治元年(1321年)六月、大同路が旱魃に見舞われた。二年十一月、岷州が旱魃に見舞われた。三年夏、順徳・真定・冀寧で大旱魃が起こった。

泰定元年(1324年)六月、景・清・滄・莫等州、臨汾・涇川・霊臺・寿春・六合等県が旱魃に見舞われた。九月、建昌郡が旱魃に見舞われた。二年五月、潭州・茶陵州・興国永興県が旱魃に見舞われた。七月、随州・息州が旱魃に見舞われた。三年夏、燕南・河南の州県十四箇所で陽気が極まり雨が降らなかった。七月、関中が旱魃に見舞われた。四年二月、奉元醴泉・順徳唐山・邠州淳化等県が旱魃に見舞われた。六月、潞・霍・綏徳の三州が旱魃に見舞われた。八月、藤州が旱魃に見舞われた。

致和元年(1328年)二月、広平・彰徳等郡が旱魃に見舞われた。

天暦元年(1328年)八月、陝西で大旱魃が起こり、人々は互いに食い合った。二年夏、真定・河間・大名・広平等の四州四十一県が旱魃に見舞われた。峡州の二県が旱魃に見舞われた。八月、浙西湖州、江東池州・饒州が旱魃に見舞われた。十二月、冀寧路が旱魃に見舞われた。

至順元年(1330年)七月、肇州・興州・東勝州及び榆次・滏陽等十三県が旱魃に見舞われた。二年、霍・隰・石の三州、阜城・平地の二県が旱魃に見舞われた。

恒暘(常に日照りが続くこと)があれば、介蟲のわざわいがある。釈者は、小虫で甲があり飛び回る類いのものは、陽気によって生じるもので、春秋ではいなごといい、今ではいなごという、と述べている。劉歆によれば、貪虐に民から取り立てれば螽と魚は同じ占いとなる。劉向は、介蟲の孽は、言に従わないことに属すべきであると考えた。今これに倣う。

中統三年(1262年)五月、真定・順天・邢州で蝗害が発生した。四年六月、燕京・河間・益都・真定・東平で蝗害が発生した。八月、濱・棣等州で蝗害が発生した。

至元二年(1265年)七月、益都で大規模な蝗害が発生した。十二月、西京・北京・順徳・徐・宿・邳等の州郡で蝗害が発生した。五年六月、東平等郡で蝗害が発生した。七年七月、南京・河南諸路で大規模な蝗害が発生した。八年六月、上都・中都・大名・河間・益都・順天・懐孟・彰徳・済南・真定・衞輝・平陽・帰徳・順徳等路、淄・萊・洺・磁等州で蝗害が発生した。十六年四月、大都十六路で蝗害が発生した。十七年五月、忻州及び漣・海・邳・宿等州で蝗害が発生した。十九年四月、別十八里部の東三百余里で蝗害が麦を損なった。二十五年七月、真定・汴梁で蝗害が発生した。八月、趙・晉・冀の三州で蝗害が発生した。二十七年四月、河北十七郡で蝗害が発生した。二十九年六月、東昌・済南・般陽・帰徳等郡で蝗害が発生した。三十一年六月、東安州で蝗害が発生した。

元貞元年(1295年)六月、汴梁陳留・太康・考城等県、睢・許等州で蝗害が発生した。二年六月、済寧任城・魚台県、東平須城・汶上県、開州長垣・清豊県、徳州斉河県、滑州、太和県、内黄県で蝗害が発生した。八月、平陽・大名・帰徳・真定等郡で蝗害が発生した。

大徳元年(1297年)六月、帰徳邳州・徐州で蝗害が発生した。二年四月、燕南・山東・両淮・江浙、燕南の属県百五十箇所で蝗害が発生した。三年五月、淮安の属県で蝗害が発生し、しぎがこれを食った。十月、隴・陝で蝗害が発生した。五年六月、順徳路・淇州で蝗害が発生した。七月、広平・真定等路で蝗害が発生した。八月、河南・淮南、睢・陳・唐・和等州、新野・汝陽・江都・興化等県で蝗害が発生した。六年四月、真定・大名・河間等路で蝗害が発生した。七月、大都涿・順・固安の三州及び濠州鍾離・鎮江丹徒の二県で蝗害が発生した。七年五月、益都・済南等路で蝗害が発生した。(大徳)六年、大寧路で蝗害が発生した。八年四月、益都臨朐・徳州斉河県で蝗害が発生した。(八年)六月、益津県で蝗害が発生した。九年六月、通・泰・靖海・武清等州県で蝗害が発生した。八月、涿州、良郷・河間南皮・泗州天長等県及び東安・海塩等州で蝗害が発生した。十年四月、大都・真定・河間・保定・河南等郡で蝗害が発生した。六月、龍興・南唐等郡で蝗害が発生した。

至大元年(1308年)五月、晉寧路で蝗害が発生した。六月、保定・真定の二郡で蝗害が発生した。八月、淮東で蝗害が発生した。二年四月、益都・東平・東昌・順徳・広平・大名・汴梁・衞輝等郡で蝗害が発生した。六月、檀・覇・曹・濮・高唐・泰安等州、良郷・舒城・歴陽・合肥・六安・江寧・句容・溧水・上元等県で蝗害が発生した。七月、済南、済寧、般陽、河中、解・絳・耀・同・華等州で蝗害が発生した。八月、真定・保定・河間・懐孟等郡で蝗害が発生した。三年四月、寧津・堂邑・茌平・陽穀・平原・斉河・禹城の七県で蝗害が発生した。七月、磁州・威州、饒陽・元氏・平棘・滏陽・元城・無棣等県で蝗害が発生した。

皇慶元年、彰徳路安陽県に蝗害あり。

延祐七年六月、益都路に蝗害あり。

至治元年五月、覇州に蝗害あり。六月、衛輝路・汴梁路等の地に蝗害あり。七月、江都・泰興・胙城・通許・臨淮・盱眙・清池等の県に蝗害あり。十二月、寧海州に蝗害あり。二年、汴梁路祥符県に蝗害あり。群れをなす鶖が蝗を食い、しばらくしてまた吐き出し、積もって丘のようになった。三年五月、保定路帰信県に蝗害あり。

泰定元年六月、大都路・順徳路・東昌路・衛輝路・保定路・益都路・済寧路・彰徳路・真定路・般陽路・広平路・大名路・河間路・東平路等の郡に蝗害あり。二年五月、彰徳路に蝗害あり。六月、徳州・濮州・曹州・景州等の州、歴城・章丘・淄川・茌平・茌平等の県に蝗害あり。九月、済南路・帰徳路等の郡に蝗害あり。三年六月、東平路須城県・興国路永興県に蝗害あり。七月、大名路・順徳路・広平路等の路、趙州・曲陽県・満城県・慶都県・修武県等の県に蝗害あり。淮安路・高郵路二郡、睢州・泗州・雄州・覇州等の州に蝗害あり。八月、永平路・汴梁路・懐慶路等の郡に蝗害あり。四年五月、洛陽らくよう県に蝗が五畝ほど発生したが、群れをなす烏がことごとく食い尽くした。数日を経て、蝗がまた集まり、また食い尽くされた。七月、籍田に蝗害あり。八月、冠州・恩州に蝗害あり。十二月、保定路・済南路・衛輝路・済寧路・廬州路の五路、南陽府・河南府の二府に蝗害あり。博興県・臨淄県・膠西県等の県に蝗害あり。

致和元年四月、大都路薊州・永平路石城県に蝗害あり。鳳翔路岐山県に蝗害あり、麦の苗がなくなった。五月、潁州及び汲県に蝗害あり。六月、武功県に蝗害あり。

天暦二年四月、大寧路興中州・懐慶路孟州・廬州路無為州に蝗害あり。六月、益都路莒州・密州の二州に蝗害あり。七月、真定路・汴梁路・永平路・淮安路・廬州路・大寧路・遼陽路等の郡の属県に蝗害あり。三年五月、広平路・大名路・般陽路・済寧路・東平路・汴梁路・南陽路・河南路等の郡、輝州・徳州・濮州・開州・高唐州の五州に蝗害あり。

至順元年六月、漷州・薊州・固安州・博興州等の州に蝗害あり。七月、解州・華州及び河内県・霊宝県・延津県等二十二県に蝗害あり。二年三月、陝州諸路に蝗害あり。六月、孟州済源県に蝗害あり。七月、河南府閿郷県・陝県、奉元路蒲城県・白水県等の県に蝗害あり。

至元十五年四月、済南路無棣県が白雉を捕獲して献上した。

元貞三年正月、寧海州牟平県が聖水山で白鹿を捕獲して献上した。

至元二十四年七月癸丑、日暈が連環をなし、白虹がこれを貫いた。

至大元年七月、流星が勾陳より起こり、白気に化し、円く車輪の如く、貫索に至って初めて消滅した。

皇慶元年六月丁卯、天より毛が降る。

延祐元年二月己亥、白暈天に亘り、連環して日を貫く。

至順三年五月丁酉、白虹並び出でて日とともにあり、その長さ天に竟く。

五行の五は土である。土は中央にあり万物を生ずるものであるが、その中で最も重んずべきは耕作(稼穡)である。土気が養われなければ、耕作は実らない。金・木・水・火がこれに害をなすと、衝気が異変となり、地震となり、天より土が降る。その徴候は常に風であり、その色は黄であり、これが黄眚・黄祥である。

中統元年五月、澤州・益州に饑饉あり。二年六月、塔察児部に饑饉あり。七月、桓州に饑饉あり。三年五月、甘州に饑饉あり。閏九月、済南郡に饑饉あり。

至元二年四月、遼東に饑饉あり。五年九月、益都に饑饉あり。六年十一月、済南に饑饉あり。十一月、固安・高唐の二州に饑饉あり。七年五月、東京に饑饉あり。七月、山東の淄・萊等州に饑饉あり。八年正月、西京・益都に饑饉あり。九年四月、京師に饑饉あり。七月、水達達部に饑饉あり。十七年三月、高郵郡に饑饉あり。十八年二月、浙東に饑饉あり。四月、通・泰・崇明等州に饑饉あり。十九年九月、真定路に饑饉あり、民流徙して鄂州に至る。二十三年七月、宣寧県に饑饉あり。二十四年九月、平灤路に饑饉あり。十二月、蘇・常・湖・秀の四州に饑饉あり。二十五年十一月、兀良合部に饑饉あり。二十六年二月、合木裏部に饑饉あり。三月、安西・甘州等路に饑饉あり。四月、遼陽路に饑饉あり。閏十月、武平路に饑饉あり。檀州に饑饉あり。十二月、蠡州に饑饉あり。河間・保定の二路に饑饉あり。二十七年二月、開元路寧遠県に饑饉あり。四月、浙東婺州に饑饉あり。河間任丘・保定定興の二県に饑饉あり。九月、河東山西道に饑饉あり。二十八年三月、真定・河間・保定・平灤・太原・平陽等路に饑饉あり。杭州・平江・鎮江・広徳・太平・徽州に饑饉あり。九月、武平路に饑饉あり。十二月、洪寛女直部に饑饉あり。大都内郡に饑饉あり。二十九年正月、清州・興州に饑饉あり。三月、輝州竜山県・里州和中県に饑饉あり。東安・固安・薊・棣の四州に饑饉あり。三月、威寧・昌州に饑饉あり。閏六月、南陽・懐孟・衞輝等路に饑饉あり。三十年十月、京師に饑饉あり。

元貞二年四月、平陽絳州・太原陽曲・台州黄巖に饑饉あり。

大徳元年六月、広徳路に饑饉あり。七月、寧海州文登・牟平等県に饑饉あり。三年八月、揚州・淮安等郡に饑饉あり。四年二月、湖北に饑饉あり。三月、寧国・太平の二路に饑饉あり。九月、建康・常州・江陵等郡に饑饉あり。六年五月、福州に饑饉あり。六月、杭州・嘉興・湖州・広徳・寧国・饒州・太平・紹興・慶元・婺州等郡に饑饉あり。大同路に饑饉あり。七月、建康路に饑饉あり。十一月、保定路に饑饉あり。七年二月、真定路に饑饉あり。五月、太原・龍興・南康・袁州・瑞州・撫州等路、高唐・南豊等州に饑饉あり。六月、浙西に饑饉あり。七月、常徳路に饑饉あり。八年六月、烏撒・烏蒙・益州・忙部・東川等路に饑饉あり。九年三月、常寧州に饑饉あり。五月、宝慶路に饑饉あり。八月、揚州に饑饉あり。十年三月、済州任城に饑饉あり。四月、漢陽・淮安・道州・柳州に饑饉あり。七月、黄州・沅州・永州に饑饉あり。八月、成都に饑饉あり。十一月、揚州・辰州に饑饉あり。

至大元年二月、益都・般陽・済寧・済南・東平・泰安に大饑饉あり。六月、山東・河南・江淮等郡に大饑饉あり。二年七月、徐州・邳州に饑饉あり。

皇慶元年六月、鞏昌・河州路に饑饉あり。二年三月、晋寧・大同・大寧・四川・鞏昌・甘粛等郡に饑饉あり。四月、真定・保定・河間等路に饑饉あり。五月、順徳・冀寧の二路に饑饉あり。六月、上都に饑饉あり。

延祐元年六月、衡州に饑饉あり。七月、台州に饑饉あり。十二月、帰徳・汝寧・沔陽・安豊等郡に饑饉あり。二年正月、晋寧・宣徳・懐孟・衞輝・益都・般陽等路に饑饉あり。二年十二月、漢陽路に饑饉あり。三年二月、河間、済南濱・棣等処に饑饉あり。四月、遼陽蓋州及び南豊州に饑饉あり。五月、宝慶・桂陽・澧州・潭州・永州・道州・袁州に饑饉あり。四年正月、汴梁に饑饉あり。五年四月、上都に饑饉あり。六年八月、山東済寧に饑饉あり。七年五月、大同・雲内・豊・勝の諸郡邑に饑饉あり。瀋陽路に饑饉あり。八月、広東新州新興県に饑饉あり。

至治元年正月、蘄州蘄水県に饑饉あり。二月、河南汴梁・帰徳・安豊等路に饑饉あり。五月、膠州・濮州に饑饉あり。七月、南恩・新州に饑饉あり。十一月、鞏昌成州に饑饉あり。十二月、慶遠・真定の二路に饑饉あり。二年三月、河南・淮東・淮西の諸郡に饑饉あり。延安延長・宜川の二県に饑饉あり。奉元路に饑饉あり。四月、東昌・覇州に饑饉あり。九月、臨安河西県に饑饉あり。三年二月、京師に饑饉あり。三月、平江嘉定州に饑饉あり。崇明・黄巖の二州に饑饉あり。十一月、鎮江丹徒・沅州黔陽県に饑饉あり。十二月、帰・澧の二州に饑饉あり。

泰定元年正月、惠州・新州・南恩州、信州上饒県、広徳路広徳県、岳州臨湘・華容等県に饑饉あり。二月、慶元・紹興の二路、綏徳州米脂・清澗の二県に饑饉あり。三月、臨洮狄道県・石州離石県に饑饉あり。四月、江陵・荊門軍・監利県に饑饉あり。五月、贛州・吉安・臨江等郡、崑山・南恩等州に饑饉あり。八月、冀寧・延安・江州・安陸・杭州・建昌・常徳・全州・桂陽・辰州・南安等路の属州県に饑饉あり。九月、紹興・南康の二路に饑饉あり。十一月、泉州に饑饉あり。中牟・延津の二県に饑饉あり。二年正月、梅州に饑饉あり。禄施・英徳の二州に饑饉あり。閏正月、河間・真定・保定・瑞州の四郡に饑饉あり。二月、鳳翔路に饑饉あり。三月、薊・漷・徐・邳等州に饑饉あり。済南・肇慶・江州・惠州に饑饉あり。四月、杭州・鎮江・寧国・南安・潯州・潭州等路に饑饉あり。五月、広徳・袁州・撫州に饑饉あり。六月、寧夏路に饑饉あり。九月、瓊州・成州に饑饉あり。徳慶路に饑饉あり。十二月、済南・延川等郡に饑饉あり。三年三月、河間・保定・真定の三路に饑饉あり。三月、大都・永平・奉元に饑饉あり。十一月、瀋陽・大寧・永平・広寧、金・復州、甘粛亦集乃路に饑饉あり。四年正月、遼陽諸郡に饑饉あり。二月、奉符・長清・萊蕪の三県に饑饉あり。建康・淮安・蘄州の属県に饑饉あり。四月、通・薊等州、漁陽・永清等県に饑饉あり。七月、武昌江夏県に饑饉あり。

致和元年(1328年)二月、乾州に飢饉あり。三月、晉寧・冀寧・奉元・延安等の路に飢饉あり。四月、保定・東昌・般陽・彰德・大寧の五路の属県に飢饉あり。五月、河南・東平・大同等の郡に飢饉あり。七月、威寧・長安県・涇州霊臺県に飢饉あり。

天暦二年(1329年)正月、大同及び東勝州に飢饉あり。涿州房山・范陽等の県に飢饉あり。四月、奉元耀州・乾州・華州及び延安・邠・寧の諸県に飢饉あり、流民数十万。大都・興和・順徳・大名・彰徳・懐慶・衞輝・汴梁・中興等の路、泰安・高唐・曹・冠・徐・邳等の州に飢饉あり。江東・浙西の二道に飢饉あり。八月、忻州に飢饉あり。十月、漢陽・武昌・常徳・澧州等の路に飢饉あり。鳳翔府に大飢饉あり。三年(1330年)正月、寧海州文登・牟平県に飢饉あり。懐慶・衡州の二路に飢饉あり。真定・汝寧・揚・廬・蘄・黄・安豊等の郡に飢饉あり。二月、河南に大飢饉あり。三月、東昌須城・堂邑県に飢饉あり。沂・莒・膠・密・寧海の五州、臨清・定陶・光山等の県に飢饉あり。鞏昌蘭州・定西州に飢饉あり。四月、德州清平県に飢饉あり。

至順二年(1331年)二月、集慶・嘉興の二郡及び江陰州に飢饉あり。檀・順・維・密・昌平の五州に飢饉あり。六月、興和路高原、咸平等の県に飢饉あり。九月、思州鎮遠府に飢饉あり。十二月、河南に大飢饉あり。三年(1332年)四月、大理・中慶路に飢饉あり。五月、常寧州に飢饉あり。七月、滕州に飢饉あり。八月、大都宝坻県に飢饉あり。

至大元年(1308年)春、紹興・慶元・台州に疫病流行し、死者二万六千余人。

皇慶二年(1313年)冬、京師に大疫流行す。唐志に云う、「国に憂い事あらんとすれば、則ち邪乱の気先ず民に被る、故に疫あり」と。

太宗五年癸巳(1233年)十二月、大風塵あらし、凡そ七昼夜。

至元二十年(1283年)正月、汴梁延津・封丘の二県に大風あり、麦苗尽く抜かる。

延祐七年(1320年)八月、延津県に大風あり、昼晦ひるくらし、桑の落つること十の八九。

至治元年(1321年)三月、大同路に大風あり、砂土走り、麦田百余頃を壅没うずもす。三年(1323年)三月、衞輝路に大風あり、桑彫れ蚕死す。

泰定三年(1326年)七月、宝坻・房山の二県に大風あり、木を折る。八月、大都昌平等の県に大風一昼夜、民居九百余家を壊す。四年(1327年)五月、衞輝路輝州に大風九日、禾尽くす。

天暦三年(1330年)二月、胙城県・新郷県に大風あり。

漢志に按ずるに云う、「温にして風あれば則ち螟螣めいとう生じ、裸虫の孽有り」と。

至元八年(1271年)六月、遼州和順県・解州聞喜県に虸蚄(しはん、蝗の幼虫)生ず。十八年(1281年)、高唐・夏津・武城県に蟊(ぼう、害虫)あり。二十三年(1286年)五月、覇州・漷州に蝻(なん、蝗の幼虫)あり。二十四年(1287年)、鞏昌に虸蚄災いを為す。二十七年(1290年)四月、婺州にめい稼を害す、雷雨大いにおこり、螟尽く死し、歳乃ち大いにみのる。

元貞元年(1295年)六月、利州龍山県・蓋州明山県に螟あり。二年(1296年)五月、済州任城県に螟あり。随州に野蚕繭を成し、数百里に亘り、民取りてわたと為す。

大徳七年(1303年)五月、済南・東昌・般陽・益都等の路に虫麦を食う。閏五月、汴梁開封県に虫麦を食う。九年(1305年)七月、桂陽郡に蝝(えん、蝗の幼虫)あり。

至大元年(1308年)五月、東平・東昌・益都等の郡に蝗の幼虫が発生した。

皇慶二年(1313年)五月、檀州及び獲鹿県に蝗の幼虫が発生した。

延祐七年(1320年)七月、覇州及び堂邑県に蝗の幼虫が発生した。

泰定四年(1327年)七月、奉元路咸陽・興平・武功の三県、鳳翔府岐山等の県で蝗が作物を害した。

天暦二年(1329年)、淮安・廬州・安豊の三路の属県に蝗の幼虫が発生した。

至元十六年(1279年)四月、益都路楽安県の朱五十の家で、牛が牝の子牛を産んだ。二つの頭に四つの耳、三つの尾があり、その色は黄で、生まれるとすぐに死んだ。

大徳九年(1305年)二月、大同路平地県の迷児的斤の家で、牛が麒麟を産んで死んだ。

至大四年(1311年)、大同路宣寧県の民、滅的の家で、牛が一頭の子牛を産んだ。その体には鱗があり毛がなく、その色は青黄色で、麒麟に似ていた。その皮を朝廷に献上した。

泰定三年(1326年)九月、湖州路長興州の民、王俊の家で、牛が一頭の獣を産んだ。鱗のある体に牛の尾、口と目はともに赤く、地に落ちるとすぐに大声で鳴き、母牛は乳を与えなかった。図を描いて朝廷に献上したが、何という獣か分からなかった。ある者は「これは瑞祥である。史臣に記録させるべきだ」と言った。

至元二十四年(1287年)、諸王薛徹都の部で土が雨のように降り、七昼夜続き、牛畜が埋もれて死んだ。

大徳十年(1306年)二月、大同路平地県で砂と黒い塵埃が雨のように降り、牛馬二千頭が死んだ。

至治三年(1323年)二月丙戌、土が降った。

致和元年(1328年)三月壬申、塵埃が降った。

天暦二年(1329年)三月丁亥、土と塵埃が降った。

至順二年(1331年)三月丙戌、土と塵埃が降った。

至元二十一年九月戊子、京師に地震あり。伝に按ずるに云く、「陽伏して出づること能わず、陰迫して升ること能わず、ここに地震有り」と。二十六年正月丙戌、地震あり。二十七年二月癸未、泉州に地震あり。丙戌、泉州に再び地震あり。八月癸未、武平路に大地震あり。二十八年八月己丑、平陽路に地震あり、廬舎一万八百区を壊す。

元貞元年三月壬戌、地震あり。

大徳六年十二月辛酉、雲南に地震あり、戊辰もまた同じ。七年八月辛卯の夕、地震あり、太原・平陽は特に甚だしく、官民の廬舎十万を数えるを壊す。平陽趙城県范宣義郇堡は十余里を移動す。太原徐溝・祁県及び汾州平遙・介休・西河・孝義等の県は地震により渠を成し、泉涌きて黒沙を出す。汾州の北城は陥没し、長さ一里、東城は七十余歩陥没す。八年正月、平陽に地震止まず。九年四月己酉、大同路に地震あり、声雷の如く、廬舎五千八百を壊し、圧死者一千四百余人。懐仁県に地震あり、二箇所水涌きて尽く黒く、その一つは広さ十八歩、深さ十五丈、その一つは広さ六十六歩、深さ一丈。五月癸亥、地震により、平陽路を晋寧と改め、太原路を冀寧と改む。十一月壬子、大同に地震あり。十二月丙子、地震あり。十年正月、晋寧・冀寧に地震止まず。十一年三月、道州営道県に暴雨あり、山裂けること百三十余箇所。八月壬寅、開成路に地震あり。

至大元年六月丁酉、鞏昌隴西・寧遠県に地震あり。雲南烏撒・烏蒙の地は三日にして大震すること六度。九月己酉、蒲県に地震あり。十月癸巳、蒲県・霊県に地震あり。二年十二月壬戌、陽曲県に地震あり声あり。三年十二月戊申、冀寧路に地震あり。四年三月己亥、寧夏路に地震あり。七月癸未、甘州に地震あり、大風、声雷の如し。閏七月甲子、寧夏に地震あり。

皇慶二年六月、京師に地震あり。己未、京師に地震あり、丙寅また震う、壬寅また震う。

延祐元年二月戊辰、大寧路に地震あり。四月甲申朔、大寧に地震あり、声雷の如し。八月丁未、冀寧・汴梁等の路、及び涉県・武安県に地震あり。十一月戊辰、大寧に地震あり雷の如し。二年五月乙丑、秦州成紀県の北山が夕川河に移動し、明日再び移動し、平地に突如として土阜の如く突出し、高いものは二三丈、民居を陥没せしむ。三年八月己未、冀寧・晋寧等の郡に地震あり。十月壬午、河南に地震あり。四年正月壬戌、冀寧に地震あり。七月己丑、成紀県に山崩れあり。辛卯、冀寧に地震あり。九月、嶺北に地震三日。五年正月甲戌、懿州に地震あり。二月癸巳、和寧路に地震あり。丁酉、秦安県に山崩れあり。三月己卯、徳慶路に地震あり。七月戊子、寧遠県に山崩れあり。八月、伏羌県に山崩れあり。秦州成紀県に暴雨あり、山崩れ、朽ちた土が盛り上がり、畜産を覆没す。

至治二年九月癸亥、地震あり。十一月癸卯、地震あり。

泰定元年八月、成紀県に大雨あり、山崩れ水溢れ、土が来谷河を塞ぎて丘阜を成す。十二月庚申、奉元路同州に地震あり、声雷の如し。三年十二月丁亥、寧夏路に地震あり雷の如く、西北より発し、連続して震うこと三度。四年三月癸卯、和寧路に地震あり雷の如し。八月、鞏昌通渭県に山崩れあり。碉門に地震あり、声雷の如く、昼暗し。鳳翔・興元・成都・陝州・江陵等の郡、同日に地震あり。九月壬寅、寧夏に地震あり。

致和元年七月辛酉朔、寧夏に地震あり。己卯、大寧路に地震あり。十月壬寅、大寧路に地震あり。

至順二年四月丁亥、真定路涉県の地は一日に五震あるいは三震し、月余りにしてやむ。四年四月戊申、大寧路に地震あり。五月戊寅、京師に地震あり声あり。八月己酉、隴西に地震あり。

至元元年十月壬子、恩州歴亭県が嘉禾を進む、一茎九穂。十一月丁酉、太原臨州が嘉禾二茎を進む。四年十月庚午、太原が嘉禾二本を進む、異畝同穎。六年九月癸丑、恩州が嘉禾を進む、一茎三穂。七年夏、東平府が瑞麦を進む、一茎五穂。十一年、興元鳳州が麦を進む、一茎七穂;穀一茎三穂。十四年八月、嘉禾襄陽に生ず。十七年十月、太原堅州が嘉禾六茎を進む。十八年八月壬寅、瓜州屯田が瑞麦を進む、一茎五穂。二十年十月癸巳、斡端宣慰司劉恩が嘉禾を進む、同穎九穂・七穂・六穂のもの各一。二十三年五月、広元路閬中に麦秀ちて両岐す。二十四年八月、濬州が瑞麦を進む、一茎五穂。二十五年八月、袁州萍郷県が嘉禾を進む。二十六年十二月、寧州の民張安世が嘉禾二本を進む。三十一年、嘉禾京畿に生じ、一茎九穂。

大徳元年十一月辛未、曹州禹城県が嘉禾を進む、一茎九穂。大徳九年、嘉禾応州山陰県に生ず。

至大三年九月、河間路が嘉禾を献ず、異畝同穎及び一茎数穂のもの有り、勅して図に描かしむ。

皇慶二年八月、嘉禾渾源州に生じ、一茎四穂。

延祐四年七月、南城に嘉禾産す。七年五月、鄱陽が嘉禾を進む、一茎六穂。

至治二年八月、蔚州が嘉禾を献上した。

泰定元年十月、成都県に一茎九穂の穀物が生じた。