二十一年春正月癸丑朔、詔して天下を赦す。中書参知政事七十を命じて孛羅帖木児に往き諭し、兵を罷めて鎮に還らしむ。復た使を遣わして察罕帖木児に往き諭し、亦た兵を罷めしむ。孛羅帖木児は兵を縦して冀寧等の処を掠め、察罕帖木児は兵を以て之を拒ぐ。故に是の命有り。庚申、太陰歳星を犯す。乙丑、河南の賊杞県を犯す。察罕帖木児之を討ち平らぐ。丁卯、李思齊兵を進めて伏羗県等の処を平らぐ。癸酉、石州大風木を抜き、六畜俱に鳴く。民の持つ槍、忽ち火焰を生じ、抹すれば即ち無く、揺すれば即ち有り。
二月癸未朔、填星退いて太微垣を犯す。甲申、同僉枢密院事迭里帖木児永平・灤州等の処を復す。己丑、察罕帖木児霍州に兵を駐め、孛羅帖木児を攻む。壬寅、太陰天江を犯す。是の月、江南行台侍御史八撒剌不花広東廉訪使完者篤・副使李思誠・僉事迭麦赤を殺し、兵を以て自らを衛い、広州を拠る。時に八撒剌不花は廉訪使として久しく広東に居り、専恣自用す。詔して乃ち完者篤等を廉訪司の官と為し、而して八撒剌不花を除して侍御史と為す。八撒剌不花命を受けず、完者篤等が己に代わるを怒り、即ち罪を以て誣い、尽く之を殺す。惟だ廉訪使董鑰哀請して免るるを得たり。
三月丙辰、太陰井宿を犯す。癸酉、察罕帖木児兵を調えて永城県を討ち、又た宿州に兵を駐め、賊将梁綿住を擒う。庚辰、熒惑鬼宿を犯す。是の月、張士誠海運糧十一万石京師に至る。孛羅帖木児兵を罷めて還り、脱列伯等を遣わし兵を率いて延安を拠り、以て陝に入らんと謀る。張良弼南山義谷より出で、藍田に駐り、察罕帖木児に節制を受く。良弼又た陰に陝西行省平章政事定住と結び、丞相帖里帖木児の調遣を聴き、鹿台に営す。
夏四月辛巳朔、日食有り。是の月、張良弼を以て陝西行省参知政事と為す。察罕帖木児其の子副詹事拡廓帖木児を遣わし糧を貢して京師に至らしむ。皇太子親しく与に約を定め、遂に復た疑わず。
五月癸丑、四川明玉珍嘉定等路を陥す。李思齊兵を遣わし之を撃ち敗る。壬戌、太陰房宿を犯す。癸酉、太白軒轅を犯す。甲戌、熒惑太白を犯す。乙亥、察罕帖木児兵を以て孛羅帖木児の守る所の地を侵す。是の月、李思齊李武・崔德等の降を受く。
六月乙未、熒惑・歳星・太白翼宿に聚まる。丙申、察罕帖木児総兵して山東を討ち、晋軍を発し、井陘を下り、邯鄲を出で、磁・相・懷・衞を過ぎ、白馬津を踰え、其の軍の汴梁に在る者を発して之に継がしめ、水陸並びに進む。戊戌、太陰雲雨を犯す。甲辰、太白昼に見ゆ。
秋七月辛亥、察罕帖木児東昌を平らぐ。己巳、沂州西北に赤気天を蔽うこと血の如し。是の月、察罕帖木児兵を進めて冠州を復す。
八月乙酉、大同路北方夜に赤気天を蔽い、移時にして方に散ず。庚子、福建行省平章政事普化帖木児を以て江南行台御史大夫と為す。癸卯、大明兵江州路を取る。時に偽漢陳友諒江州を拠りて都と為す。是に至り退きて武昌に都す。是の月、察罕帖木児其の子拡廓帖木児・閻思孝等を遣わし、関保・虎林赤等と会し、兵を将いて東河より浮橋を造りて以て済わんとす。賊二万余衆を以て之を奪わんとす。関保・虎林赤戦いながら渡り、長清を抜き、東平を討つ。東平偽丞相田豊崔世英等を遣わし出でて戦わしむ。大いに之を破る。乃ち使を遣わし田豊を招諭す。豊降る。東平平らぐ。豊をして前鋒と為し、大軍に従い東討せしむ。棣州俞宝降る。東平王士誠・東昌楊誠等皆降る。魯の地悉く定まる。兵を進めて済南に至る。劉珪降る。遂に益都を囲む。
九月戊午、陽翟王阿魯輝帖木児誅せらる。阿魯輝帖木児宗親を以て、天下盗賊並びに起るを見、遂に間隙に乗じ、恣に異図を為す。詔して少保・知枢密院事老章に諸軍を率いて之を討たしむ。老章遂に其の衆を敗り、尋いで部将同知太常礼儀院事脱驩の擒うる所と為り、闕下に送る。詔して之を誅す。是に於て詔して老章に太傅・和寧王を加え、阿魯輝帖木児の弟忽都帖木児をして陽翟王を襲封せしむ。宗王囊加・玉枢虎児吐華と脱驩に悉く議して封を加う。壬戌、四川賊兵東川郡県を陥す。李思齊兵を調えて之を撃つ。壬申、孛羅帖木児を命ず、保定以東、河間以南に於て、便に従い屯種せしむ。是の月、兵部尚書徹徹不花・侍郎韓祺を命じ、海運糧を張士誠に徴す。大明建昌・饒州二路を取る。
冬十月癸巳、絳州に赤気北方に見ゆること火の如し。察罕帖木児を以て中書平章政事と為し、兼ねて河南・山東等処行枢密院事・陝西行御史台中丞を知らしむ。察罕帖木児参知政事陳秉直・劉珪等を調えて河南を守禦せしむ。
十一月戊申朔、温州楽清県雷す。庚戌、太陰建星を犯す。癸亥、太陰井宿を犯す。戊辰、黄河平陸三門磧より下り孟津に至るまで、五百余里皆清し、凡そ七日。祕書少監程徐を命じて之を祀らしむ。壬申、太陰氐宿を犯す。是の月、察罕帖木児・李思齊兵を遣わし鹿台を囲み、張良弼を攻む。詔して之を和解し、各々信地に還らしむ。兵乃ち解く。
是の歳、京師大いに饑う。屯田成り、糧四十万石を収む。司農丞胡秉彝に尚尊・金幣を賜い、以て其の功を旌ぐ。
二月丁丑朔(一日)、盗賊が陝西行省右丞塔不歹を殺害した。己卯(三日)、太白星が壘壁陣を犯す。乙酉(九日)、彗星が危宿に現れ、光芒の長さは丈余、色は青白。丁酉(二十一日)、彗星が離宮西星を犯し、二月末までに光芒の長さは二丈余となった。今月、知樞密院事禿堅帖木兒が詔を奉じて李思齊に諭し、四川を討たせた。当時思齊は鳳翔に退いて守っていたが、使者が到着すると、思齊は兵を進めて益門鎮に至った。使者が帰ると、思齊はまた鳳翔に帰った。
夏四月丙子朔(一日)、長星が現れた。その形は白絹のようで、長さ数十丈、虚宿と危宿の間にあり、四十余日後にようやく消滅した。丁亥(十二日)、熒惑(火星)が太陽から三十九度離れたが、見えず、出るべき時に出なかった。己丑(十四日)、諸王・駙馬・御史臺各衙門に対し、人民を隠匿して差役に当たらせないことを禁ずる詔を下した。乙未(二十日)、賊の新橋張が安州を陥とし、孛羅帖木兒が援兵を請いに来た。今月、紹興路で大疫が発生した。
五月乙巳朔(一日)、泉州の賽甫丁が福州路を占拠したが、福建行省平章政事燕只不花がこれを撃破し、残党は海路で逃れてまた泉州を占拠した。福建行省参知政事陳有定が汀州路を回復した。己未(十五日)、中書参知政事陳祖仁が上章し、上都宮闕の修復を罷めるよう請うた。辛酉(十七日)、太陰(月)が建星を犯す。辛未(二十七日)、明玉珍が成都を占拠し、自ら隴蜀王と称し、偽将の楊尚書を遣わして重慶を守らせ、兵を分けて龍州・青州を寇し、興元・鞏昌等路を犯した。今月、張士誠が海運で糧十三万石を京師に運んだ。
六月辛巳(八日)、彗星が紫微垣に現れ、光芒の長さは尺余、東南を指し、西南へ進んだ。戊子(十五日)、彗星の光芒が上宰星を掃った。田豊および王士誠が察罕帖木兒を刺殺し、そのまま益都城に逃げ込んだ。衆はそこで察罕帖木兒の子拡廓帖木兒を推して総兵官とし、再び益都を包囲した。詔して察罕帖木兒に推誠定遠宣忠亮節功臣・開府儀同三司・上柱国・河南行省左丞相を贈り、忠襄王を追封し、諡を献武とし、食邑を沈丘県とした。河南・山東等の地に廟を立て、長吏が歳時に祭祀を行うよう命じた。その父の司徒阿都温には良田二百頃を賜い、その子拡廓帖木兒には光禄大夫・中書平章政事を授け、兼ねて河南山東等処行枢密院事・同知詹事院事を兼務させ、一切の軍馬はすべてその節制に従うこととした。さらにその将士に諭して詔して言うには、「凡そ爾ら将佐は、久しく察罕帖木兒に従事し、恩と義において実に骨肉のごとし。かの逆党を見れば、天を同じくして戴かず、力を図って報復し、以て大義を伸べるべし」と。己亥(二十六日)、益都の賊兵が出戦したが、拡廓帖木兒が六百余人を生擒し、八百余級を斬首した。
秋七月乙卯(十二日)、彗星が跡を消した。丙辰(十三日)、熒惑(火星)が西方に現れ、しばらくして白気となり、長蛇のようで、光は炯然として文様があり、中天を横たわり、しばらくして消滅した。今月、黄河が范陽県で決壊し、民家を流した。
八月己亥(二十七日)、拡廓帖木兒が言うには、「孛羅帖木兒・張良弼が延安を占拠し、黄河の上下を掠め、東に渡って晋寧を奪おうとしている。詔を賜って諭されることを乞う」と。癸巳(二十一日)、太陰(月)が畢宿を犯す。
九月癸卯朔(一日)、劉福通が兵を以て田豊を援け、火星埠に至ったが、拡廓帖木兒が関保を遣わして邀撃し、これを大破した。甲辰(二日)、山北廉訪司を権(仮)に惠州に置いた。丁未(五日)、太白星が亢宿を犯す。己酉(七日)、太陰(月)が斗宿を犯す。癸亥(二十一日)、歳星(木星)が軒轅を犯す。丙寅(二十四日)、熒惑(火星)が鬼宿を犯す。戊辰(二十六日)、也速を遼陽行省左丞相とし、前の通り総兵を兼ね、迤東の郡県を撫安させた。己巳(二十七日)、流星あり、酒杯の如く、色は青白、光は地を照らした。熒惑(火星)が鬼宿の積尸気を犯す。
冬十月壬申朔(一日)、江西行省平章朵列不花が檄を移して八撒剌不花を討った。当時朵列不花は広州に分省していたが、ちょうど邵宗愚が広州を陥とし、八撒剌不花を捕らえて殺した。甲戌(三日)、孛羅帖木兒が南侵して拡廓帖木兒の守る地を犯し、遂に真定路を占拠した。己卯(八日)、太陰(月)が牛宿を犯す。丁亥(十六日)、辰星(水星)が亢宿を犯す。戊子(十七日)、太陰(月)が畢宿を犯す。
十一月乙巳(五日)、拡廓帖木兒が益都を回復し、田豊らは誅殺された。拡廓帖木兒が父の職を襲って以来、自ら将士を率い、必ず復讐を誓ったので、人心もまた自ら奮い立ち、城の包囲はますます厳しくなった。賊は全力で守りを拒んだが、壮士に命じて地を穴らえ通路を通して入り、遂にこれを攻克し、その党をことごとく誅し、田豊・王士誠の心臓を取って察罕帖木兒を祭った。庚戌(十日)、拡廓帖木兒が関保を遣わして莒州を回復し、山東はすべて平定された。庚申(二十日)、詔して拡廓帖木兒に太尉・銀青栄禄大夫・中書平章政事・知枢密院事・太子詹事を授け、便宜行事を許し、その父の兵を襲って総べさせた。将校・士卒には、論功行賞の差等があった。察罕帖木兒の父阿魯温に汝陽王を進封し、察罕帖木兒には改めて宣忠興運弘仁效節功臣を贈り、潁川王を追封し、諡を忠襄と改めた。癸亥(二十三日)、四川の賊兵が清州を陥とした。
十二月壬辰(二十二日)、太陰(月)が角宿を犯す。庚子(三十日)、中書平章政事佛家奴を御史大夫とした。
二月戊戌、太白昼に見ゆ。庚子、亦た此の如し。是の月、拡廓帖木児は益都より兵を率いて河南に還り、鎖住を留めて兵を以て益都を守らせ、山東の州県に屯田万戸府を立てた。
三月辛丑朔、彗星東方に見ゆ、一ヶ月を経て乃ち滅ぶ。詔して中書平章政事愛不花に冀寧に分省させ、拡廓帖木児は兵を遣わしてこれを占拠した。丙午、天下に大赦す。丁未、親しく進士六十二人を試し、寶寶・楊輗に進士及第を賜い、余は出身を差等あり。丙辰、太陰氐宿を犯す。壬戌、大同路夜に赤気天に亘り、中に北斗を侵す。是の月、広西行中書省を立て、廉訪使也児吉尼を平章政事とした。時に南方の郡県多く陥没すれども、惟だ也児吉尼のみ広西を保つこと十五年なり。膠東行中書省及び行枢密院を立て、東方の事を総制す。袁宏を参知政事とした。
是の春、関先生の余党また高麗より還り上都を寇す。孛羅帖木児これを撃ち降す。
夏四月辛丑、熒惑歳星を犯す。孛羅帖木児・李思齊互いに交兵す。庚申、歳星軒轅を犯す。是の月、拡廓帖木児は貊高等を遣わし兵を以て張良弼を撃たしむ。
五月己巳朔、張士誠海運の糧十三万石京師に至る。壬午、太白昼に見ゆ。甲午、亦た此の如し。乙未、熒惑右執法を犯す。是の月、爪哇使い淡濛加加殿を遣わし金表を進め、方物を貢ぐ。
六月戊戌朔、孛羅帖木児は方脱脱を遣わし匡福を彰徳に迎え、拡廓帖木児は兵を遣わしてこれを追い、敗れて還る。匡福遂に保定路を占拠す。己亥、拡廓帖木児の部将歹驢等藍田・七盤に兵を駐め、李思齊は興平を攻囲し、遂に盩厔を占拠す。孛羅帖木児は時に詔を奉じて襄漢を進討せんとし、而して歹驢は前に道を阻み、思齊は後に踵を襲う。乃ち拡廓帖木児に潼関より東出を催督し、道路既に通ぜば、即ち便ち南討するよう請う。戊申、孛羅帖木児は竹貞等を遣わし陝西に入り、その省治を占拠す。時に陝西行省右丞答失鉄木児は行台と隙あり、且つ陝西が拡廓帖木児に占拠されるを恐れ、密かに孛羅帖木児と結び、竹貞の入城を請う。御史大夫完者帖木児及び監察御史張可遵等の印を劫う。その後屡々使いを遣わし完者帖木児を召すも、貞は拘留して遣わさず。拡廓帖木児は部将貊高を遣わし李思齊と合兵してこれを攻め、竹貞は出で降り、遂に拡廓帖木児に従う。庚戌、星済南龍山に隕ち、地に五尺入る。甲寅、詔して江南の下第及び後期の挙人を路・府・州の儒学教授に授く。乙卯、太白井宿を犯す。丁巳、絳州に白虹二道あり、斗牛の間を衝く。庚申、平陽路に白気三道あり、一は北極に貫き、一は北斗に貫き、一は天漢に貫き、夜分に至りて乃ち滅ぶ。壬戌、太白昼に見ゆ、夜井宿を犯す。
秋七月戊辰朔、京師大雹あり、禾稼を傷つく。丁丑、馬良を中書参知政事とする。乙酉、太白昼に見ゆ。星慶元路西北に墜ち、声雷の如く、光芒数十丈、久しくして乃ち滅ぶ。
八月丁酉朔、倭人蓬州を寇す。守将劉暹これを撃ち破る。十八年以来、倭人連ねて瀕海の郡県を寇し、ここに至りて海隅遂に安んず。辛丑、拡廓帖木児は兵を遣わし孛羅帖木児の守る境を侵す。壬寅、太白軒轅を犯す。乙巳、太陰建星を犯す。丁未、太白軒轅を犯す。己酉、太白昼に見ゆ。丙辰、太陰畢宿を犯す。沂州に赤気天に亘り、中に白色蛇形の如きあり、徐徐として西行し、夜分に至りて乃ち滅ぶ。戊午、孛羅帖木児言う。「拡廓帖木児は父の悪に踵を襲い、臣に非ざるの罪あり。賜いて処置せられんことを乞う。」己未、太白昼に見ゆ。辛酉、太白歳星を犯す。乙丑、太白右執法を犯す。是の月、大明兵と偽漢兵とが鄱陽湖にて大戦し、陳友諒敗績して死す。その子理自立し、仍く武昌を拠りて都とし、元号を徳寿と改む。大明兵遂に進み武昌を囲む。
九月丁卯朔、爪哇の使い淡濛加加殿を遣わし還国せしめ、詔してその国主に三珠金虎符及び織金紋幣を賜う。辛未、太白左執法を犯す。乙亥、歳星右執法を犯す。丁丑、辰星填星を犯す。丁亥、太白填星を犯す。辰星亢宿を犯す。是の月、張士誠自ら呉王と称し、来たりて命を請うも、報ぜず。戸部侍郎博羅帖木児等を遣わし張士誠に海運を徴すれども、士誠与えず。
冬十月丙申朔(一日)、青斉の一方に赤気千里。癸卯(八日)、太白(金星)が氐宿を犯す。甲辰(九日)、湖広の偽姚平章・張知院が密かに人を遣わして拡廓帖木児に言う、計略を設けて偽漢主陳理及び偽夏主明玉珍を擒え殺さんと、果たさず。己酉(十四日)、監察御史米只児海牙が太傅太平の罪状を劾奏し、詔して太平を陝西の西に安置し、なお宣命及び御賜等の物を拘収す。戊午(二十三日)、太白が房宿を犯す。是の月、拡廓帖木児が僉枢密院事任亮を遣わして安陸府を復す。孛羅帖木児が兵を遣わして冀寧を攻め、石嶺関に至る。拡廓帖木児大いにこれを破り走らせ、其の将烏馬児・殷興祖を擒う。孛羅帖木児の軍は是より振わず。
十一月壬申(八日)、御史台臣言く、「故右丞相脱脱は大臣の体有り。向に中書に在りし時、政務修め挙がり、深く満盈を懼れ、自ら引退を求め、鄭王に加封せられしも、固く辞して受けず。再び鈞軸を秉り、艱危を克く済し、軍を統べて進征し、徐州を平げ、六合を収む。大功垂成らんとし、浮言難を搆え、詔を奉じて兵を謝し、就いて貶せられて没す。已に其の子を録用し、籍没せし田宅を還すを蒙る。更に其の勲旧を憫み、授けし所の宣命を還さんことを乞う」と。之に従う。癸未(十九日)、太陰(月)が軒轅を犯す。歳星(木星)が左執法を犯す。
是の歳、御史大夫老的沙と知枢密院事禿堅帖木児、皇太子に罪を得て、皆大同に奔る。孛羅帖木児之を営中に匿う。
二十四年春正月戊寅(二十六日)、太陰が軒轅を犯す。庚辰(二十八日)、保德州の民家に猪一頭両身を産む。
二月壬子(一日)、歳星が右執法を犯す。癸丑(二日)、太陰が西咸池を犯す。是の月、大明偽漢を滅ぼす。其の拠る所の湖南北・江西諸郡皆大明に降る。
三月乙亥(二十四日)、監察御史王朶列禿・崔卜顔帖木児等、皇太子に親征せざるを諫む。辛卯(十日)、詔して孛羅帖木児が老的沙を匿い、悖逆を謀るを以て、其の兵権を解き、其の官爵を削り、道路開通を候い、四川の田里に還るを許すとす。孛羅帖木児命を拒み受けず。
夏四月甲午朔(一日)、拡廓帖木児に命じて孛羅帖木児を討たしむ。乙未(二日)、太陰が西咸池を犯す。孛羅帖木児詔令調遣の事、帝の意に出ずるに非ざるを悉く知り、皆右丞相搠思監の為す所なりとす。遂に禿堅帖木児に令して兵を挙げて闕に向わしむ。壬寅(九日)、禿堅帖木児の兵居庸関に入る。癸卯(十日)、知枢密院事也速・詹事不蘭奚、皇后店に於いて迎戦す。不蘭奚力戦すも、也速援けずして退き、不蘭奚幾くんば獲らるるところとならんとす。身を脱して東走す。甲辰(十一日)、皇太子侍衞兵を率いて光熙門を出で、東に古北口に走り、興・松に趨る。乙巳(十二日)、禿堅帖木児の兵清河に至り列営す。時に都城備え無く、城中大いに震う。百官吏卒を令して分かち京城を守らしめ、達達国師をして其の軍に至らしめて故を問わしむ。必ず搠思監及び宦官朴不花を得んことを以て対とす。詔して慰解すも、聴かず。丁未(十四日)、詔して搠思監を嶺北に屏し、朴不花を甘粛に竄す。執えて之に与う。孛羅帖木児の前官を復し、仍て兵を総べしむ。也速を以て左丞相と為す。庚戌(十七日)、禿堅帖木児兵を陳べて健徳門より自ら入り、帝に延春閣に於いて覲し、慟哭して罪を請う。帝就いて宴し之を賚う。孛羅帖木児に太保を加え、前に依り大同を守禦せしむ。禿堅帖木児を中書平章政事と為す。辛亥(十八日)、禿堅帖木児の軍還る。皇太子路児嶺に至る。詔して追いて之に及び、宮に還る。癸丑(二十日)、太白が井宿を犯す。
五月甲子朔(一日)、黄河清む。戊辰(五日)、拡廓帖木児命を奉じて孛羅帖木児を討ち、兵を冀寧に屯す。其の東道は白鎖住を以て兵三万を領し、京師を守禦せしむ。中道は貊高・竹貞を以て兵四万を領し、西道は関保を以て軍五万を領し、合して之を撃たしむ。関保等の兵大同に逼る。孛羅帖木児兵を留めて大同を守らしめ、而して自ら兵を率い、禿堅帖木児・老的沙と復た大いに挙げて闕に向かう。甲戌(十一日)、太白が鬼宿を犯す。乙亥(十二日)、又た積尸気を犯す。歳星が右執法を犯す。
六月癸卯(十一日)、三星昼に見ゆ。白気横に其の中を突く。甲辰(十二日)、河南府に大星夜南方に見え、光昼の如し。丁未(十五日)、大星隕ち、夜を照らして昼の如く、旦に及び、黒気晦暗夜の如し。甲寅(二十二日)、白鎖住兵を以て京師に至り、皇太子に西行を請う。丁巳(二十五日)、太白が右執法を犯す。是の月、保德州に黄龍井中に見ゆ。
秋七月癸亥(一日)、太白と歳星翼宿に合す。甲子(二日)、歳星が左執法を犯す。丙戌(二十四日)、孛羅帖木児の前鋒軍居庸関に入る。皇太子親しく軍を率いて清河に於いて禦ぐ。也速軍を昌平にす。軍士皆鬭志無し。皇太子馳せて還り都城す。白鎖住兵を引きて平則門に入る。丁亥(二十五日)、白鎖住皇太子に扈従し順承門を出で、雄・覇・河間を由り、道を取って冀寧に往かんとす。戊子(二十六日)、孛羅帖木児兵を健徳門外に駐め、禿堅帖木児・老的沙と与に宣文閣に於いて帝に見え、其の罪に非ざるを訴え、皆泣く。帝も亦泣く。乃ち宴を賜う。孛羅帖木児皇太子を追襲せんと欲す。老的沙之を止む。庚寅(二十八日)、詔して孛羅帖木児を中書左丞相と為し、老的沙を中書平章政事と為し、禿堅帖木児を御史大夫と為し、其の部属を省台百司に布列せしむ。也速を以て知枢密院事と為す。詔を諭して曰く、「孛羅帖木児・拡廓帖木児倶に朕が股肱、心膂を視るが如し。今より各宿忿を棄て、大勲を弼成せよ」と。是の月、大明兵廬州路を取る。
八月壬辰朔(一日)、日食有り。乙未(四日)、熒惑(火星)が鬼宿を犯す。壬寅(十一日)、詔して孛羅帖木児を中書右丞相・監修国史と為し、天下の軍馬を節制せしむ。乙巳(十四日)、皇太子冀寧に至る。乙卯(二十四日)、張士誠自ら其の弟士信を以て達識帖睦邇に代わり江浙行省左丞相と為す。是の月、孛羅帖木児狎臣禿魯帖木児・波迪哇児禡を誅せんことを請い、三宮の不急の造作を罷め、宦官を沙汰し、銭糧を減省し、西番僧人の好事を禁止す。
九月辛酉朔(一日)、宦官思龍宜密かに宮女伯忽都出を送りて順承門より出で、以て皇太子に達す。乙丑(五日)、太白昼に見ゆ。癸酉(十三日)、夜、天西北に紅光有り、東に至りて散ず。甲申(二十四日)、太陰が軒轅を犯す。是の月、大明兵中興及び帰・峡・潭・衡等の路を取る。
冬十月丙午(十七日)、太陰が畢宿を犯す。己酉(二十日)、太陰が井宿を犯す。己未(三十日)、詔して皇太子に京師に還らしむ。也速・老的沙に命じて分道総兵せしむ。
十二月乙卯(二十七日)、太陰が太白を犯す。
二十五年春正月癸亥(五日)、李思斉を封じて許国公と為す。丙寅(八日)、太白昼に見ゆ。戊辰(十日)、亦た之の如し。己巳(十一日)、大明兵宝慶路を取り、守将唐隆道遁走す。偽漢の守将熊天瑞、贛州及び韶州・南雄を以て大明に降る。甲戌(十六日)、太白が建星を犯す。壬午(二十四日)、監察御史孛羅帖木児・賈彬等、哈麻・雪雪の罪を弁明す。
二月辛丑、汴梁路に日傍に一月一星あるを見る。丙午、太陰填星を犯す。戊午、皇太子冀寧に在り、甘粛行省平章政事朶児只班に命じて岐王阿剌乞児の軍馬を以て、平章政事臧卜・李思斉と会し、各兵を以て寧夏を守らしむ。
三月庚申、皇太子拡廓帖木児の軍中に令を下して曰く、「孛羅帖木児京師を襲ひ据う。余既に命を受け天下諸軍を総督し、恭しく顕罰を行はんとす。少保・中書平章政事拡廓帖木児、躬ら将士を勒し、分道進兵す。諸王・駙馬及び陝西平章政事李思斉等、各軍馬を統べ、尚ほ其の義に奮ひ力を戮し、期を剋して恢復せよ」と。丙寅、孛羅帖木児皇后奇氏を諸色総管府に幽置す。丁卯、老的沙・別帖木児を並びに御史大夫と為すを命ず。戊辰、太白壘壁陣を犯す。
夏四月庚寅、孛羅帖木児諸色総管府に至り皇后奇氏を見、印章を取らせて宮に還り、書を作り皇太子に遺はし、内侍官完者禿をして冀寧に持往せしめ、復た皇后を出だし、之を幽す。乙巳、関保等兵進み大同を囲む。壬子、熒惑霊台を犯す。乙卯、関保大同に入る。
五月辛酉、熒惑太微垣を犯す。甲子、京師天雨氂す、長さ尺許。或る者帝に言ふに、「龍絲なり」と。拾ひて之を祀るを命ず。乙亥、大明兵安陸府を破る、守将任亮戦を迎ふて、執はる。己卯、大明兵襄陽路を破る。是の月、侯卜延答失威順王を奉じて雲南より蜀を経て転戦して出で、成州に至り、京師に之かんと欲す。李思斉成州に屯田せしむ。
六月戊子朔、黎安道を以て中書参知政事と為す。辛丑、湖広行省左丞周文貴宝慶路を復す。乙巳、皇后奇氏幽所より宮に還る。乙卯、太尉火你赤を以て御史大夫と為す。是の月、皇太子李思斉に銀青栄禄大夫・邠国公・中書平章政事・皇太子詹事を加へ、兼ねて四川行枢密院事・虎符招討使と為す。中書四部を分つ。
秋七月丁丑、填星・歳星・熒惑角・亢に聚まる。己卯、太陰畢宿を犯す。乙酉、孛羅帖木児誅せらる。禿堅帖木児・老的沙皆遁走す。丙戌、使を遣はし孛羅帖木児の首を函にし冀寧に往き、皇太子を召して京師に還らしむ。大赦天下す。黎安道・方脱脱・雷一声皆誅せらる。是の月、京師大水す。河小流口に決し、清河に達す。
八月丁亥朔、京城門此に至るまで三日開かざる。竹貞・貊高の軍城外に至る。軍士に命じて城に縁りて上り、平則門の鍵を砕き、悉く軍を以て入り、民居を占め、民財を奪ふ。乙未、太陰建星を犯す。己亥、太陰壘壁陣を犯す。癸卯、詔して皇太子に命じ将帥を分調し、未だ復さざる郡邑を戡定し、即ち京師に還り、事を行ふの際、制を承り人を用ひ、並びに正授に准ぜしむ。丁未、皇后弘吉剌氏崩ず。壬子、洪寶寶・帖古思不花・捏烈禿を並びに中書平章政事と為す。
九月、拡廓帖木児皇太子に扈従して京師に至る。丁丑、太陰井宿を犯す。壬午、詔して伯撒里を太師・中書右丞相・国史監修と為し、拡廓帖木児を太尉・中書左丞相・軍国重事録・同監修国史・知枢密院事と為し、兼ねて太子詹事と為す。是の月、方国珍を以て淮南行省左丞相と為し、省を分ち慶元にす。
冬十月辛卯、熒惑天江を犯す。壬寅、哈剌章を以て知枢密院事と為す。丁未、益王渾都帖木児・枢密副使観音奴、老的沙を擒へ、之を誅す。禿堅帖木児余兵を以て八児思の地に往く。嶺北行省左丞相山僧及び知枢密院事魏賽因不花に命じ、同しく之を討たしむ。戊申、資政院使禿魯を以て御史大夫と為す。己酉、熒惑斗宿を犯す。太陰右執法を犯す。庚戌、太陰太微垣を犯す。
閏月庚申、賓国公五十八を以て知枢密院事と為す。詔して張良弼・俞宝・孔興等に、悉く拡廓帖木児に調を聴かしむ。戊辰、太白・辰星・熒惑斗宿に聚まる。太陰畢宿を犯す。辛未、詔して拡廓帖木児を河南王に封じ、皇太子に代はり親征し、関陝・晋冀・山東等処並びに迤南の一応の軍馬を総制し、諸王各愛馬の応に総兵・統兵・領兵等の官たるべきもの、凡そ軍民一切の機務・銭糧・名爵・黜陟・予奪、悉く便宜を行ふことを聴かしむ。壬申、太白辰星を犯す。辛巳、脱脱木児を以て中書右丞と為し、達識帖木児を参知政事と為す。
十一月己丑、太白熒惑を犯す。太陰壘壁陣を犯す。丙申、太陰畢宿を犯す。癸卯、太陰太微垣を犯す。是の月、大明兵泰州を取る。時に泰州・通州・高郵・淮安・徐州・宿州・泗州・濠州・安豊諸郡は、皆張士誠の据うる所なり。
十二月乙卯、詔して次皇后奇氏を立て皇后と為し、奇氏を改めて粛良合氏とし、天下に詔し、仍て奇氏の父以上三世を封じて皆王爵と為す。癸亥、太陰畢宿を犯す。帖林沙を以て中書参知政事と為す。庚午、歳星房宿を掩す。辛未、太陰右執法を犯す。是の月、禿堅帖木児誅せらる。