元史

本紀第四十五: 順帝八

十七年春正月丙子朔、日食あり。伯顔禿古思を大司徒しととす。辛卯、山東分省に命じて義兵を団結せしめ、各州に判官一員を添設し、各県に主簿一員を添設し、専ら義兵を率いて守禦に当たらしめ、なお各路の達魯花赤に提調せしめ、宣慰使司の節制に従わしむ。丙申、監察御史哈剌章言う、「淮東道廉訪使褚不華は、忠を徇し節を尽くせり。褒贈を加え、その家を優恤すべし」と。これに従う。

二月壬子、賊七盤・藍田を犯す。察罕帖木児に命じて軍を率いて答児麻亦児と会し、陝州・潼関を守らしむ。哈剌不花は潼関より陝西に至り、王阿剌忒納失里及び定住等と会し、ともに進討せしむ。癸丑、太陰五車を犯す。河南の許・亳・太康・嵩・汝を征討し大捷したるにより、詔して天下を赦す。戊辰、知樞密院事脱脱、邳州を復す。客省使撒児答温等を調し、黄河南岸の賊を攻め、これを大破す。壬申、劉福通その党毛貴を遣わし膠州を陥とす。僉樞密院事脱歓これに死す。甲戌、倪文俊峡州を陥とす。是月、李武・崔德商州を陥とす。察罕帖木児と李思斉、兵を以て陝・虢より陝西を援く。察罕帖木児を陝西行省左丞とし、李思斉を四川行省左丞とす。詔して高宝を四川行省参知政事とし、兵を将いて中興を取らしむも、克たず、賊遂に轆轤関を破る。

三月乙亥朔、義兵万戸賽甫丁・阿迷里丁叛き、泉州を拠る。庚辰、毛貴萊州を陥とし、守臣山東宣慰副使釈嘉訥これに死す。壬午、大明兵常州路を取る。甲申、太陰鬼宿を犯す。壬辰、歳星壘壁陣を犯す。甲午、毛貴益都路を陥とし、益王買奴遁走す。ここより山東の郡邑皆陥つ。乙未、江淮行樞密院副使董摶霄を山東宣慰使とす。丁酉、毛貴濱州を陥とす。戊戌、中書平章政事帖里帖木児を御史大夫とし、悟良哈台・斡欒を並びに中書平章政事とす。

夏四月丙午、監察御史五十九言う、「今京師の周囲、二十四営を設くといえども、軍卒疲弱にして、平素訓練せず、誠に虚設なり。もし不測あらば、誠に寒心すべし。速やかにぎょう勇精鋭を選択し、大駕をえい護し、京師を鎮守すべし。実に当今、根本を奠安し、人心を固堅する急務なり。況や武備は兵より重きは莫く、兵を養うは食に先んずるは莫し。今朝廷鈔錠を撥降し、農具を措置し、総兵官に命じて河南の克復したる州郡に於て、且つ耕し且つ戦わしむるは、甚だ兵を農に寓するの意に合す。今の計たるには、権に総兵官に命じ、宜しきに従い軍官の内より能く軍民を撫字する者を選委し、路府州県の職を兼ねしめ、務めて農事の成ることを要すべし。軍民得所すれば、則ち民を擾すの害も亦除かれ、匱乏の憂いも亦釈かるべし」と。帝嘉しこれを納る。乙卯、毛貴莒州を陥とす。丙辰、京師に便民六庫を立て、昏鈔を倒易す。辛酉、咬咬を甘粛行省左丞相とす。答失八都魯に太尉・四川行省左丞相を加う。漢中道廉訪司、陝西行省左丞蕭家奴の賊に遇い逃竄し、守る所の郡邑を失陥せしを糾す。詔してその罪を正す。是月、車駕時に上都に巡幸す。江西行省平章政事火你赤を営国公に封ず。大明兵寧国路を取る。

五月乙亥朔、知樞密院事孛蘭奚に命じて兵を進め山東を討たしむ。戊寅、平章政事亦老温帖木児、武安州等三十余城を復す。丙申、搠思監を右丞相とし、太平を左丞相とし、詔して天下に告ぐ。民の今年の税糧の半を免ず。詔して永昌宣慰司を詹事院に属せしむ。

六月甲辰朔、実理門を中書分省右丞とし、済寧を守らしむ。丙辰、監察御史脱脱穆而言う、「去歳河南の賊河北を窺伺す。惟だ河南と山東と互いに策応し、害を為すこと尤も大なり。今の計たるには、中書当に能将を遴選し、太不花・答失八都魯・阿魯三ヶ所の軍馬の内に就き、その精鋭を択び、以て河北を守らしむべし。進んでは河南の侵すを制し、退きては山東の寇を攻むべし。庶幾く虞無からん」と。これに従う。己未、帖里帖木児・老的沙を並びに御史大夫とす。庚申、大明兵江陰州を取る。壬申、帖里帖木児、陝西知行樞密院事也先帖木児を糾す。遂に命じて陝西行樞密院を罷め、也先帖木児をして草地に居らしむ。癸酉、温州路楽清の江中に龍起こり、颶風作る。火光毬の如きあり。是月、劉福通汴梁を犯す。その軍三道に分かち、関先生・破頭潘・馮長舅・沙劉二・王士誠は晉・冀を寇し、白不信・大刀敖・李喜喜は関中に趨き、毛貴は山東に拠る。その勢大いに振るう。

秋七月己卯、帖里帖木児、風憲宏綱を続集するを奏す。庚辰、大明兵徽州路を取る。癸未、太白鬼宿を犯す。甲申、太陰斗宿を犯す。乙酉、右丞相搠思監に命じて宣政院事を領せしめ、平章政事臧卜に経筵事を知らしめ、参知政事李稷に経筵事を同知せしめ、参知政事完者帖木児に太府卿を兼ねしむ。丁亥、填星鬼宿を犯す。戊子、李稷を御史中丞とす。中書省臣言う、「山東の般陽・益都相次いで陥ち、济南日々に危うし。将を選び卒を練り、賞を信じ罰を必ずし、燕趙を保つ計を為し、以て京師を衞うべし」と。報えず。己丑、黄河を鎮守する義兵万戸田豊叛き、済寧路を陥とす。分省右丞実理門遁走す。義兵万戸孟本周これを攻む。田豊敗走し、本周還り済寧を守る。甲午、御史中丞完者帖木児を中書右丞とし、河南廉訪使俺普を中書参知政事とす。監察御史迭里弥実・劉傑言う、「疆域日蹙き、兵律厳ならず。陝西・汴梁・淮潁・山東の寇、燕趙を窺伺するの志あり。宜しく大臣に俯詢し、共に克復の宜を図り、予め守備の策を定むべし」と。報えず。是月、四方献言詳定使司を立て、秩正三品。帰徳府知府林茂・万戸時公権叛き、城を以て賊に降る。帰徳府及び曹州皆陥つ。

八月癸卯朔、鎮星が鬼宿を犯す。太白が軒轅を犯す。癸丑、劉福通の兵が大名路を陥落させ、ついで曹州・濮州より衛輝路を陥落させた。答失八都魯の子孛羅帖木児が万戸方脱脱とともにこれを撃つ。甲子、太陰が五車を犯す。乙丑、陝西行台御史中丞伯嘉訥を陝西行省平章政事とす。淮南行省参知政事余闕を淮南行省左丞とす。江浙行省参知政事楊完者を左丞に昇進させる。方国珍を江浙行省参知政事とし、海道運糧万戸は従前の通りとする。丙寅、慶陽府鎮原州に大雹あり。この月、大駕が上都より還る。薊州に大水あり。知枢密院事紐的該に山東を進討せよとの詔を下す。大明兵が揚州路を取る。平江路の張士誠が、前江南行台御史中丞蛮子海牙に命じて書を為し降伏を請わしめる。江浙左丞相達識帖睦邇が制を承けて参知政事周伯琦らを平江に至らせてこれを撫諭す。士誠を太尉とし、士徳を淮南行省平章政事とする詔を下す。時に士徳はすでに大明兵に捕らえられていた。

九月丙子、同知枢密院事寿童に兵を以て冠州を討たしむ。老的沙を中書省平章政事兼兀良海牙指揮使とす。甲午、沢州陵川県陥落、県尹張輔これに死す。戊戌、太不花が大名路および所属郡県を回復す。辛丑、中書右丞也先不花・御史中丞成遵に命じ、彰徳・大名・広平・東昌・東平・曹・濮等の地に奉使宣撫として赴き、将帥を奨励せしむとの詔を下す。この月、紐的該に太尉を加え、諸軍を総べて東昌を守禦せしむ。時に田豊が済州・濮州を拠り、衆を率いて来寇す。これを撃退す。倪文俊がその主徐寿輝を謀殺せんとし、果たさず、漢陽より黄州に奔る。寿輝の偽将陳友諒がこれを襲撃して殺す。友諒はついに自ら平章を称す。

閏九月癸卯、盂の如き飛星あり、青色にして光地を燭し、尾長さ約一尺余、王良より起こり、勾陳に没す。監察御史朵児只らが知枢密院使哈剌八禿児の守る所の郡県を失陥せしことを劾奏す。その罪を正せとの詔を下す。丙午、太陰が斗宿を犯す。右丞相搠思監・左丞相太平ともに開府儀同三司を加えらる。平章政事完者不花が大司農を兼ぬ。庚申、太陰が井宿を犯す。乙丑、潞州陥落。丙寅、賊が冀寧を攻む。察罕帖木児が兵を以てこれを撃退す。

冬十月乙亥、熒惑が氐宿を犯す。戊寅、分詹事院を設く。甲申、太陰が昴宿を掩蔽す。戊戌、曹州の賊が太行山に入る。この月、白不信・大刀敖・李喜喜が興元を陥落させ、ついで鳳翔に入る。察罕帖木児・李思齊がしばしばこれを撃破す。その党類はしょくに入る。答失八都魯が知枢密院事答里麻失里とともに軍を以て曹州の賊を討つ。官軍敗潰し、答里麻失里これに死す。静江路に山崩れ、地陥し、大水あり。

十一月辛丑朔、山東道宣慰使董摶霄が建言す。「江淮等の処の各枝官軍に命じ、隘口に連珠営寨を分布して屯駐守禦せしめ、広く屯田を行い以て軍食を足すべし」と。これに従う。汾州に桃杏花咲く。壬寅、賊が壺関を侵す。察罕帖木児がこれを大破す。戊午、河南行省平章政事答蘭を中書平章政事とし、御史中丞李献を中書左丞とし、陝西行台中丞卜顔帖木児・枢密院副使哈剌那海・司農少卿崔敬・侍御史陳敬伯をいずれも参知政事とす。癸亥、豫王阿剌忒納失里が陝西行省左丞相朵朵・陝西行台御史中丞伯嘉訥と分道して関陝を攻討す。己巳、中書参知政事八都麻失里を右丞とす。

十二月庚午朔、熒惑が天江を犯す。辛未、山東道廉訪使伯顔不花が建言す。保伍を厳にし、勇健を集め、冗官を汰えよと。戊寅、太白が歳星を犯す。甲申、太陰が鬼宿を犯す。丁亥、歳星が壘壁陣を犯す。庚寅、太白が壘壁陣を犯す。癸巳、太陰が心宿を犯す。丁酉、慶元路象山県鵝鼻山崩る。己亥、金星大の流星あり、尾長さ約三尺余、太陰より起こり、東に近くして没し、青白気と化す。庚子、答失八都魯が軍中に卒す。

この歳、天下に義兵を団結せしむる詔を下す。路・府・州・県の正官はみな防禦事を兼ぬ。淮南知行枢密院事脱脱に兵を領して淮南を討たしむる詔を下す。済寧の李秉彝・田豊らに諭し、その出降を命じ、元の任に復することを叙し、嘯乱した士卒にはなお資糧を与え、郷に還らんと欲する者は聴すとの詔諭を下す。倪文俊が川蜀諸郡を陥落させ、偽元帥明玉珍に命じてこれを守拠せしむ。趙君用および彭大の子早住がともに淮安を拠る。趙は永義王を僭称し、彭は魯淮王を僭称す。義兵千戸余宝がその知枢密院事宝童を殺して叛き、毛貴に降る。余宝はついに棣州を拠る。河南に大饑饉あり。

十八年春正月辛丑、鎮星が鬼宿を犯す。乙巳、察罕帖木児・李思齊が鳳翔に合兵す。丙午、太陰が昴宿を犯す。陳友諒が安慶路を陥落させ、守将余闕これに死す。庚戌、大明兵が婺源州を取る。甲子、不蘭奚を知枢密院事とす。乙丑、西北より大風起こり、益都土門の万歳碑仆れて碎く。丙寅、田豊が東平路を陥落させる。丁卯、不蘭奚が毛貴と好石橋に戦い、敗績し、済南に走る。この月、答失八都魯の子孛羅帖木児を河南行省平章政事とし、その父の元管軍馬を総領せしむる詔を下す。察罕帖木児に陝西に屯し、李思齊に鳳翔に屯せしむる詔を下す。

二月己巳朔、西山寨大小十一箇所を団結して以て保障となすことを議し、中書右丞塔失帖木児・左丞烏古孫良楨らに命じて総行提調せしめ、万夫長・千夫長・百夫長を設け、牌甲を編立し、要害を分守して互いに策応せしむ。毛貴が清州・滄州を陥落させ、ついに長蘆鎮を拠る。中書省臣が奏す。陝西の軍旅の事劇務殷にして、京師より道遠く、供費艱難なり。陝西に就き宝鈔を印造するを便とすべしと。ここに戸部宝鈔庫等の官を分ち、局を置いて印造せしむ。なお諸路に撥降鈔本を命じ、平準行用庫に畀えて昏幣を倒易し、民間に布かしむ。癸酉、毛貴が済南路を陥落させ、守将愛的战死す。毛貴は賓興院を立て、故官を選用し、姬宗周らに諸路を分守せしむ。また萊州に三百六十の屯田を立て、毎屯相去ること三十里、大車百輛を造り、以て糧儲を挽運せしむ。官民田は十の収穫のうち二分のみを収め、冬は陸運し、夏は水運す。乙亥、鎮星が鬼宿を犯す。辛巳、太不花を中書右丞相とし、山東に総兵せしむる詔を下す。壬午、田豊がふたたび済寧路を陥落させる。甲申、輝州陥落。丙戌、紐的該、田豊の東昌に近づくを聞き、城を棄てて走る。丁亥、察罕帖木児が兵を調して涇州・平涼を回復し、鞏昌を保つ。戊子、田豊が東昌路を陥落させる。庚寅、王士誠が益都より出て懷慶路を犯す。周全がこれを撃敗す。辛卯、安童を中書参知政事とす。丁酉、興元路陥落。

三月己亥朔、日の色は血の如し。右丞相搠思監に太保を加える。庚子、毛貴が般陽路を陥す。辛丑、大同路にて夜、黒気西方を蔽い、声雷の如し有り。少しくして、東北方に雲火の如く有り、中天に交射し、遍地俱に火を見、空に兵戈の声有り。癸卯、王士誠が晉寧路を陥し、総管杜賽因不花之に死す。甲辰、察罕帖木兒が賽因赤等を遣わし晉寧路を復す。己酉、劉福通が兵を遣わし衞輝を犯す、孛羅帖木兒之を撃ち走らす。庚戌、毛貴が薊州を陥し、詔して四方の兵を徴し入衞せしむ。乙卯、毛貴が漷州を犯し、棗林に至る、樞密副使達國珍戦死し、遂に柳林を略し、同知樞密院事劉哈剌不花兵を以て之を撃ち敗る、貴走りて濟南を拠る。丙辰、大明兵建德路を取る。周全を以て湖廣行省參知政事と為し、奧魯等の軍を統べ、嵩州白龍寨に移鎮せしむ。冀寧路陥つ。丁巳、田豐が益都路を陥す。辛酉、大同諸縣陥ち、察罕帖木兒が關保等を遣わし往きて之を撃たしむ。是の時賊二道を分ちて晉・冀を犯し、一は沁州より出で、一は絳州を侵す。乙丑、老章を以て太子少保と為す。

夏四月甲申、陳友諒が龍興路を陥し、省臣道童・火你赤城を棄てて遁る。壬午、田豐が廣平路を陥し、大いに掠め、退きて東昌を保つ。詔して元帥方脫脫に兵を以て廣平を復せしむ。癸未、諸處の捷音屡至るを以て、詔して軍民事宜十一條を頒つ。庚寅、翰林學士承旨蠻子を以て嶺北行省平章政事と為す。辛卯、太白鬼宿を犯す。甲午、陳友諒が王奉國を遣わし瑞州路を陥す。是の月、車駕時に上都を巡る。察罕帖木兒・李思齊、宣慰張良ちょうりょう弼・郎中郭擇善・宣慰同知拜帖木兒・平章政事定住・總帥汪長生奴と会し、各其の部する兵を以て鞏昌に於て李喜喜を討つ、李喜喜敗れて蜀に入る。察罕帖木兒は清湫に駐し、李思齊は斜坡に駐し、張良弼は秦州に駐し、郭擇善は崇信に駐し、拜帖木兒等は通渭に駐し、定住は臨洮に駐し、各自路府州縣の官を除き、軍需を徴納す。李思齊・張良弼又同襲して拜帖木兒を殺し、其の兵を分総す。

五月戊戌朔、察罕帖木兒が董克昌等を遣わし兵を以て冀寧を復す。方國珍を以て江浙行省左丞と為し、兼ねて海道運糧萬戶とす。詔して察罕帖木兒に兵を還して冀寧を鎮せしむ。李思齊が同僉樞密院事郭擇善を殺す。庚子、賊兵太行を踰ゆ、察罕帖木兒の部將關保之を撃ち敗る。察罕帖木兒を以て陝西行省右丞兼陝西行臺侍御史・同知河南行樞密院事と為す。劉福通汴梁を攻む。壬寅、太白填星を犯す。汴梁守將竹貞城を棄てて遁る、福通等遂に城に入り、乃ち自ら安豐より其の偽主を迎へて之に居らしめ都と為す。陳友諒が康泰・趙琮・鄧克明等を遣わし兵を以て邵武路を寇す。甲辰、太尉阿吉剌を以て甘肅行省左丞相と為す。乙巳、關保賊と高平に戦い、之を大いに敗る。庚戌、陳友諒が吉安路を陥す。壬子、太陰斗宿を犯す。癸丑、監察御史七十等、太保・中書右丞相太不花を糾劾す。乙卯、詔して太不花の官爵を削り、蓋州に安置す。時に太不花山東に兵を総べ、知行樞密院悟良哈台を以て之に代ふ。悟良哈台に命じて河北諸軍を節制せしめ、河南行省平章政事周全に河南諸軍を節制せしむ。辛酉、陳友諒の兵撫州路を陥す。甲子、監察御史七十・燕赤不花等中書參知政事燕只不花を劾す。是の月、遼州蝗有り。山東地震し、天白毛を雨ふ。察罕帖木兒自ら劉尚質を以て冀寧路総管と為す。

六月戊辰朔、太不花誅せらる。察罕帖木兒虎林赤・關保を調べて同潞州を守らしむ。察罕帖木兒を拝して陝西行省平章政事と為し、便宜を行ふことを得しむ。庚辰、關先生・破頭潘等遼州を陥し、虎林赤兵を以て之を撃ち走らす。關先生等遂に冀寧路を陥す。乙酉、左丞相太平に命じて諸軍を督し京城を守禦せしめ、便宜を行ふことを得しむ。是の月、汾州大疫有り。

秋七月丁酉朔、周全懷慶路を拠りて以て叛き、劉福通に附く。時に察罕帖木兒軍を洛陽らくように駐し、伯帖木兒を遣わし兵を以て盌子城を守らしむ。周全来たり戦ふ、伯帖木兒其の為に殺され、周全遂に懷慶の民を尽く駆りて河を渡らしめ、汴梁に入る。丁未、太陰斗宿を犯す。不蘭奚兵を以て般陽路を復す、已にして復た陥つ。戊申、太白晝に見ゆ。癸丑、賊兵有りて京城を犯す、刑部郎中不花西門を守り、夜、門を開きて之を撃退す。己未、劉福通が周全を遣わし兵を引きて洛陽を攻む、守將城に登り、大義を以て全を責む、全愧謝して兵を退く、劉福通之を殺す。丙寅、完卜花・脫脫帖木兒を以て中書平章政事と為す。是の月、京師大水有り、蝗有り、民大いに饑ふ。

八月丁卯朔、江浙行省平章政事三旦八福建に遁る。先づ是に、三旦八饒州を討ち、財を貪り寇を玩び、久しくして功無く、遂に妄りに遷職して福建行省と称す。福建に至り、廉訪僉事般若帖木兒の為に劾せられ、之を興化路に拘す。壬申、太陰心宿を掩ふ。庚辰、陳友諒の兵建昌路を陥す。辛巳、義兵萬戶王信滕州を以て叛き、毛貴に降る。甲申、太陰昴宿を掩ふ。庚寅、老的沙を以て御史大夫と為す。詔して新風紀を作る。

九月丁酉朔、詔して昔班帖木兒に同知河東宣慰司事を授け、其の妻剌八哈敦に雲中郡夫人を、子觀音奴に贈同知大同路事を、仍其の門閭を旌表す。先づ是に、昔班帖木兒は趙王位下同知怯憐口総管府事と為り、其の妻嘗て趙王を保育し、是に及び部落滅里叛き、王を殺さんと欲す、昔班帖木兒妻と謀り、其の子觀音奴に王平素の衣冠を服せしめて王宮に居らしめ、夜半、夫妻趙王を衞し微服して遁去す。賊至るに比し、遂に觀音奴を殺し、趙王免るるを得たり。事聞こゆ、故に其の忠を旌ぐ。唐の贈諫議大夫劉蕡を褒封して文節昌平侯と為す。關先生保定路を攻め、克たず、遂に完州を陥し、大同・興和塞外諸郡を掠む。中書左丞張冲団練安撫勸農使司二道を立てんことを請ふ、一は奉元延安等處、一は鞏昌等處、之に従ふ。壬寅、詔して中書參知政事普顏不花・治書侍御史李國鳳に命じて江南を経略せしむ。癸卯、詔して福建行中書省平章政事慶童を以て江南行臺御史大夫と為す。丙午、賊兵大同路を攻む。壬戌、平定州陥つ。乙丑、陳友諒が贛州路を陥し、江西行省參知政事全普庵撒里及び総管哈海赤之に死す。

冬十月丙寅朔(一日)、詔して豫王阿剌忒納失里をして白海に徙居せしめ、まもなく六盤に遷す。壬申(七日)、大明兵蘭溪州を取る。己卯(十四日)、太陰昴宿を犯す。壬午(十七日)、監察御史燕赤不花右丞相搠思監の罪状を劾す、詔してその印綬を収む。乙酉(二十日)、監察御史答児麻失里・王彝等復たこれを劾し、その罪を正さんことを請う、帝聴かず。壬辰(二十七日)、大同路陥る、達魯花赤完者帖木兒城を棄てて遁る。

十一月乙未朔(一日)、普化帖木児を以て福建行省平章政事と為す。癸卯(九日)、陳友諒汀州路を陥す。丙午(十二日)、太陰昴宿を犯す。太白房宿を犯す。丁未(十三日)、田豊順徳路を陥す。是に先立ち、樞密院判官劉起祖順徳を守るも糧絶え、民財を劫り、牛馬を掠め、民の強壮なる者は軍に充てしめ、弱者は殺してこれを食らう。是に至り城陥ち、起祖遂にその民を尽く駆りて広平に走る。辛酉(二十七日)、太陰心宿を掩う。

十二月乙丑朔(一日)、日食あり。癸酉(九日)、関先生・破頭潘等上都を陥し、宮闕を焚く。七日留まり、転じて略し往きて遼陽に至り、遂に高麗に至る。戊寅(十四日)、太白天を経る。庚辰(十六日)、察罕帖木児樞密院判官瑣住を遣わして兵を遼陽に進む。癸未(十九日)、太白天を経る。甲申(二十日)、大明兵婺州路を取り、達魯花赤僧住・浙東廉訪使楊惠これに死す。戊子(二十四日)、太陰房宿を犯す。

十九年春正月甲午朔(一日)、陳友諒兵信州路を陥し、守臣江東廉訪副使伯顔不花的斤力戦してこれに死す。大明兵諸暨州を取る。辛丑(八日)、太陰昴宿を犯す。乙巳(十二日)、朶児只班を以て中書平章政事と為す。丙午(十三日)、遼陽行省陥り、懿州路総管呂震これに死す。震に河南行省左丞を贈り、東平郡公を追封す。察罕帖木児樞密院判官陳秉直・八不沙を遣わし兵二万を将いて冀寧を守らしむ。癸丑(二十日)、流星酒盃の如く大なり、声雷の如し。

二月辛巳(十九日)、樞密副使朶児只賊の順寧を犯すを以て、張立に命じて精鋭を将い紫荊関より出でて討たしめ、鴉鶻に命じて北口より出でて敵を迎えしむ。甲申(二十二日)、叛将梁炳辰州を攻む、守将和尚これを撃ち破る。和尚を以て湖広行省参知政事と為す。賊飛狐・霊丘より出で蔚州を犯す。庚寅(二十八日)、御史臺臣言う、「先に義兵を召募し、費用銀鈔一百四十万錠、多くは近侍・権倖名を冒して関支し、率ね虚数と為る。軍士に乞う、凡そ已に官銭を領する者は、限を立てて出征せしめんことを。」詔してこれに従う。已にして復た止めて行わず。是の月、詔して孛羅帖木児に兵を移して大同を鎮せしめ、以て京師の捍蔽と為す。大都督ととく兵農司を置き、仍た分司十道を置き、専ら屯種を督め、孛羅帖木児をしてこれを領せしむ。所在民田を侵奪し、その擾わしむるに勝えず。太不花潰散の兵数万山西を鈔掠す、察罕帖木児陳秉直を遣わし兵を分かちて榆次に駐しこれを招撫し、その首領悉く河南に送りて屯種せしむ。

三月癸巳朔(一日)、陳友諒兵を遣わし信州より衢州を略し、復た兵を遣わし襄陽路を陥す。辛丑(九日)、京城北兵馬司指揮周哈剌歹と林智和等謀叛す、事覚り、誅せらる。庚戌(十八日)、太陰房宿を犯す。壬戌(三十日)、詔して科挙流寓人の名額を定む、蒙古・色目・南人各十五名、漢人二十名。

夏四月癸亥朔(一日)、汾水暴漲す。賊金・復等州を陥し、司徒・知樞密院事仏家奴兵を調えてこれを平らぐ。甲子(二日)、毛貴趙君用に殺さる。帝天下多故を以て、天寿節の朝賀を却け、詔して羣臣に曰く、「朕方今天地を敬い、祖宗に法り、以て自ら修省すべし。朕初度の日、羣臣賀する毋れ。」庚午(八日)、左丞相太平及び文武百官奏して曰く、「天寿節の朝賀は、乃ち臣子の報本、実に礼典に合す。今謙譲して受けずは、固より陛下の盛徳なり、然れども今軍旅征進し、君臣の名分、正に行うに宜し。」允さず。壬申(十日)、皇太子復た羣臣を率いて上奏して曰く、「朝賀祝寿は、是れ祖宗以来旧行の典故、今行わざれば、礼に乖けり。」帝曰く、「今盗賊未だ息まず、万姓荼毒す、正に朕恐懼・修省・天を敬うの時、奈何ぞ賀を受け以て自ら楽しまんや。」乙亥(十三日)、御史大夫帖里帖木児復た奏して曰く、「天寿朝賀の礼は、蓋し臣子の誠より出ず、伏して望むらくは陛下曲く請に徇わんことを。若し朝賀の後、内庭燕集、特賜に除免せば、亦た古者人君饍を減ずるの意、仍て乞う中書に宣示し、内外面に聖天子の憂勤惕厲の此に至るを知らしめんことを。」帝曰く、「朕の修省に缺あるが為に、以て万姓塗炭に致す、今復た朝賀燕集するは、是れ朕の不徳を重ぬるなり。当に天下安寧を候い、之を行えば未だ晩からず。卿等其れ復た言う毋れ。」卒に聴かず。己丑(二十七日)、賊寧夏路を陥し、遂に霊武等処を略す。

五月壬辰朔(一日)、陝西行臺御史大夫完者帖木児を以て陝西行省左丞相と為し、便宜を行わしむ。丙申(五日)、熒惑鬼宿を犯す。丁酉(六日)、皇太子奏請す北辺を巡り以て軍民を撫綏せんことを、御史臺臣上疏固く留めんことを請う、詔してこれに従う。壬寅(十一日)、察罕帖木児請う今歳八月郷試に河南挙人及び兵を避くる儒士、籍貫に拘わらず、河南省元定の額数に依り、陝州に就き貢院を置き応試せしめんことを、詔してこれに従う。丙午(十五日)、太陰天江を犯す。丁未(十六日)、太陰斗宿を犯す。是の月、察罕帖木児大いに秦・晋諸軍を発して汴梁を討ち、その城を囲む。山東・河東・河南・関中等処、蝗天を蔽い飛び、人馬行く能わず、落つる所の溝塹尽く平らぎ、民大いに饑う。

六月辛巳(二十一日)、詔して宣徽使燕古児を以て御史大夫と為す。

秋七月壬辰朔(一日)、搠思監を出だして遼陽行省左丞相と為し、便宜を行わしむ。丁酉(六日)、太白上将を犯す。庚子(九日)、詔して察罕脳児宣慰司の地を資正院に属せしめ、有司差占す毋からしむ。察罕脳児の地は、世祖の時に忙哥歹太子四千戸に隷す、今皇后奇氏の請に従う、故にこれを以て資正院に属す。甲辰(十三日)、太白右執法を犯す。戊申(十七日)、国王囊加歹・中書平章政事仏家奴・也先不花・知樞密院事黒驢等に命じ、探馬赤軍を統領して遼陽に進征せしむ。己酉(十八日)、太白左執法を犯す。丙辰(二十五日)、趙君用既に毛貴を殺す、その党続継祖遼陽より益都に入り、君用を殺し、遂にその所部と自ら相讎敵す。是の月、覇州及び介休・霊石県に蝗あり。

八月辛酉朔、倪文俊の残党が帰州を陥れる。戊寅、察罕帖木児が諸将(閻思孝・李克彝・虎林赤・賽因赤・答忽・脱因不花・呂文・完哲・賀宗哲・孫翥ら)を督いて汴梁城を攻め破り、劉福通はその偽主を奉じて遁走し、安豊に退いて拠る。己卯、蝗が河北より飛来して汴梁を渡り、田禾を食い尽くす。詔して察罕帖木児を河南行省平章政事とし、兼ねて同知河南行枢密院事・陝西行台御史中丞を加え、前の如く便宜行事を許し、さらに御衣・七宝腰帯を賜い、その功を旌ぐ。是月、大同路に蝗あり。襄垣県に螟蝝あり。

九月癸巳、中書平章政事帖里帖木児を陝西行省左丞相とし、便宜行事を許す。乙巳、湖南・湖北、江東・江西の四道廉訪司の治める地が皆陥落したため、詔してその便宜の地に司を置くことを許す。丙午、夜、白虹天を貫く。丁未、軍人の牛馬を私殺することを禁ず。甲寅、太白天江を犯す。是月、大明兵衢州路を取る。詔して兵部尚書伯顔帖木児・戸部尚書曹履亨を遣わし、御酒・龍衣を以て張士誠に賜い、海運の糧を徴す。

冬十月庚申朔、詔して京師の十一門に皆甕城を築き、吊橋を造らしむ。方国珍を江浙行省平章政事とす。壬申、太白斗宿を犯す。辛巳、流星桃の如く大なり。

十一月癸卯、大明兵処州路を取る。戊申、陳友諒の兵杉関を陥す。

十二月戊辰、太白壘壁陣を犯す。是月、知枢密院事兀良哈台が太不花の軍を領す。その部下の方脱脱は弟の方伯帖木児と時に遼州を保ち、兀良哈台は唐琰・高脱因らとともに孟州に屯し、察罕帖木児の部将八不沙らと交戦す。已にして兀良哈台は独り達達軍を率いて京師に還り、方脱脱らは乃ち孛羅帖木児に従う。皇太子、太平が己に忤うを憾み、中書左丞成遵・参知政事趙中は皆太平の用いし者なるを以て、監察御史に成遵・趙中を贓罪に誣えさせ、杖殺せしむ。

是歳以後、上都の宮闕尽く廃されたにより、大駕は復た時巡せず。陳友諒、江州を以て都とし、偽主徐寿輝を迎えて之に居らしめ、自ら漢王と称す。

二十年春正月己丑朔、察罕帖木児、鞏県を改めて軍州万戸府を立て、民を招き屯種せしむるを請う。之に従う。御史大夫老的沙・御史中丞咬住奏す、「今後各処の従宜行事の官員、陰に私讐を挟み、明らかに挙索と為し、すなわち風憲の官吏を擅自に遷除し、行事を侵擾し、台綱を沮壊するなかれ」と。之に従う。己亥、太陰井宿を犯す。癸卯、大寧路陥る。壬子、危素を参知政事とす。乙卯、挙人会試す。知貢挙平章政事八都麻失里・同知貢挙翰林学士承旨李好文・礼部尚書許従宗・考試官国子祭酒張翥・同考官太常博士傅亨ら奏す、「旧例、各処の郷試挙人は三年に一度、三百名を取り、会試は百名を取る。今歳の郷試の取る所は前数に比べて少なく、ただ八十八名あり。会試は三分の内一分を取り、三十名を取るに合う。若し三十名の外に五名を添えて取るは宜しきか」と。之に従う。丙辰、五色雲見え移時す。

二月戊午朔、左丞相太平罷められて太保と為り、上都を守る。

三月戊子朔、田豊保定路を陥す。彗星東方に見ゆ。甲午、廷試進士三十五人、買住・魏元礼に進士及第を賜い、その余は出身差等あり。乙巳、冀寧路陥る。壬子、搠思監を中書右丞相とす。

夏四月庚申、大司農司都事楽元臣を命じて田豊を招諭せしむ。その軍に至り、豊の為に害せらる。丁卯、太陰明堂を犯す。辛未、僉行枢密院事張居敬、興中州を復す。癸酉、太陰東咸を犯す。

五月丁亥朔、日食あり。雨雹。陳友諒、太平路においてその偽主徐寿輝を殺し、遂に皇帝を称し、国号を大漢とし、元号を大義と改む。已にして江州に回り駐る。乙未、陳友諒、羅忠顕を遣わして辰州を陥す。己亥、絆住馬を中書平章政事とす。壬寅、太陰建星を犯す。是月、張士誠、海運の糧十一万石を京師に至らしむ。

閏月己未、太尉也先帖木児をして経筵事を知らしむ。甘粛行省左丞相阿吉剌を太尉とす。乙亥、流星桃の如く大なり。

六月己丑、孛羅帖木児の部将方脱脱を命じて嵐州・興州・保徳州等の処を守禦せしむ。詔す、「今後察罕帖木児と孛羅帖木児の部将、互いに境を越え、守り信ずる地を侵犯し、以て讐殺する毋れ。方脱脱は嵐州・興州の境界を出でず、察罕帖木児も亦その地を侵す毋れ」と。癸巳、太白井宿を犯す。戊戌、太陰建星を犯す。是月、大明兵信州路を取る。

秋七月辛酉、遼陽行省参知政事張居敬を命じて義州の賊を討たしむ。孛羅帖木児、台州において賊の王士誠を破る。乙丑、太陰井宿を犯す。乙亥、詔して孛羅帖木児に達達・漢児の軍馬を総領せしめ、総兵官と為し、なお便宜行事を許す。

八月戊子、孛羅帖木児を命じて石嶺関以北を守らしめ、察罕帖木児をして石嶺関以南を守らしむ。辛卯、太陰天江を犯す。壬辰、福建の鎮閩王を加封して護国英仁武烈忠正福德鎮閩尊王と為す。乙未、永平路陥る。壬寅、填星太微を犯す。甲辰、太陰井宿を犯す。詔す、「諸処に在る権摂の官員、専ら百姓を漁獵するを務む。今後朝廷の允許なくしては、任に就くことを得ず」と。庚戌、詔して江浙行省左丞相達識帖睦邇に太尉を加え、兼ねて江浙行枢密院事を知り、行宣政院事を提調せしめ、便宜行事を許す。

九月乙卯朔(一日)、詔して参知政事也先不花を遣わし、孛羅帖木児と察罕帖木児を往諭し、講和せしむ。時に孛羅帖木児は兵を調ととのえて石嶺関より直ちに冀寧に至り、その城を三日間包囲し、また退きて交城に屯す。察罕帖木児は参政閻奉先を調して兵を引きいて戦わしむ。已にして各おの石嶺関の南北に守禦す。壬戌(八日)、賊、孟州を陥とし、また趙州を陥とし、真定路を攻む。癸未(二十九日)、賊、また上都を犯す。右丞忙哥帖木児、兵を引きいてこれを撃つが、敗績す。

冬十月甲申朔(一日)、甘露、国子監大成殿前の柏木に降る。張良弼を以て湖広行省参知政事と為し、南陽・襄樊を討たしむ。詔して孛羅帖木児に冀寧を守らしむ。孛羅帖木児、保保・殷興祖・高脱因を遣わし、倍道ばいどうして冀寧におもむかしむるも、守る者これを納れず。丙戌(三日)、迭児必失を命じて太尉と為し、大オルドスを守衛せしむ。戊子(五日)、熒惑、井宿を犯す。己亥(十六日)、察罕帖木児、陳秉直・瑣住等を遣わし、兵を以て冀寧において孛羅帖木児の軍を攻め、孛羅帖木児の部将脱列伯と戦い、これを破る。時に帝、旨有りて冀寧を以て孛羅帖木児にあたう。察罕帖木児、用兵数年、惟だ冀・晋をかりてその軍を給し、もって盛強を致すと以為い、いやしくも旨を奉じてこれを与うれば、則ち彼、以てその兵食を足すを得んと。乃ち師を汴梁に用うると託言し、尋いで河を渡りてきて澤・潞に屯し、これを拒ぎ、延安の軍を調えて東勝州等の処において交戦せしめ、再び八不沙を遣わし兵を以てこれを援けしむ。八不沙、彼の軍は旨を奉じて来たる、我何ぞ敢えて王命に抗せんと言う。察罕帖木児怒り、これを殺す。

十一月甲寅朔(一日)、黄河清む、凡そ三日。孛羅帖木児、兵を以て汾州を侵す。察罕帖木児、兵を以てこれを拒ぐ。癸酉(二十日)、賊、易州を犯す。

十二月丙戌(四日)、詔す、「太廟・影堂の祭祀は、乃ち子孫の報本ほうほんの重事なり。近く兵興し歳歉さいけんにして、品物豊備すること能わず、累朝四祭を減じて春秋二祭と為す。今宜しく四祭を復すべし」。後についに行われず。辛卯(九日)、広平路陥つ。

是歳、陽翟王阿魯輝帖木児、兵数十万を擁し、木児古徹兀の地に屯し、将に京畿を犯さんとし、使を来たして言う、「祖宗、天下を汝に付す。汝已にその大半を失えり。若し国璽を以て我に付せば、我当に自らこれを為さん」と。帝、これを報じて曰く、「天命有り、汝為さんと欲すれば則ちこれを為せ」と。〔知〕枢密院事禿堅帖木児等を命じて兵をひきいてこれを撃たしむるも、克たず、軍士皆潰え、禿堅帖木児上都に走上る。