元史

本紀第二十九: 泰定帝一

泰定皇帝、諱は也孫鐵木兒、顯宗甘麻剌の長子、裕宗の嫡孫なり。初め、世祖は第四子那木罕を北安王とし、北辺を鎮守せしむ。北安王薨じ、顯宗は長孫として晉王に封ぜられてこれに代わり、太祖の四大オルド及び軍馬・ダダ国士を統領す。至元十三年十月二十九日、帝は晉邸に生まる。大徳六年、晉王薨じ、帝は封を襲ぎ、これ嗣晉王と為り、引き続き北辺を鎮守す。成宗・武宗・仁宗の立つに当たり、皆これを輔け擁立する謀議に参与し、盟書有り。

王府内史倒剌沙は帝に寵を得、常に朝廷の事機を窺い、その子ハサンをして丞相バジュに仕えしめ、且つ宿衛に入らしむ。久しくして、ハサン帰り、御史大夫テクシがバジュと意相い忤り、これを傾け害さんと欲すとを言う。至治三年三月、宣徽使探忒が王邸に来たり、倒剌沙に言う、「主上やがて晉王を容れざるべし、汝何ぞこれを思わざる」と。ここにおいて倒剌沙と探忒は深く相い結託す。八月二日、晉王は禿剌の地に狩す。テクシ密かにオロスを遣わして来たり告げて曰く、「我ハサン・エセン・テムル・シトゥルと謀り已に定む。事成れば、王を推し立てて皇帝と為さん」と。またオロスをしてその事を倒剌沙に告げしめ、且つ言わしむ、「汝とマスフ知るべし、シュマイケに聞かしむるなかれ」と。ここにおいて王はオロスを囚えることを命じ、別烈迷失等を上都に赴かせ、逆謀を告げしむ。未だ至らざるに、癸亥、英宗南還し、南坡に駐蹕す。この夕、テクシ等は詔を矯りバジュを殺し、英宗遂に幄殿に於いてしいせらる。

諸王アルティ・ブカ及びエセン・テムルは皇帝の璽綬を奉じ、北に鎮所にて帝を迎う。〔九月〕癸巳、龍居河に於いて皇帝の位に即き、大赦天下す。詔して曰く。

セチェン皇帝は嫡孫・裕宗皇帝の長子・我が仁慈なる甘麻剌爺爺の根底を憐れみ見て、晉王に封じ授け、チンギス皇帝の四つの大オルド及び軍馬・ダダ国士を統領せしめ、皆これを付し来たる。セチェン皇帝の聖旨に依り、小心謹慎し、凡そ軍馬人民の何らの勾当においても、正道を遵守して行うの上に、数年之間、百姓安業を得たり。その後、オルジェイトゥ皇帝は我に継承の位次を教え、大オルドに於いて委付し来たる。已に委付された大営盤を看守し、二人の兄クルク皇帝・ブヤント皇帝、甥のショデバラ皇帝を扶立せり。我は累朝の皇帝の根底に、異心を謀らず、位次を図らず、本分に依り国家のために気力を出して行い来たる。諸王の哥哥兄弟たち、衆百姓たちも、皆理會する者なり。

今、我が甥皇帝は天に生じたりと云う。迤南の諸王大臣・軍上の諸王駙馬臣僚・ダダ百姓たち、衆人商量して云う、大位次は久しく虚しゅうすべからず、惟だ我はセチェン皇帝の嫡派、裕宗皇帝の長孫、大位次に坐すべき体例有り、その余争って立たんとする哥哥兄弟も無し、このように、晏駕の其間、整治に至るまで比べれば、人心測り難し、宜しく百姓を安撫し、天下の人心をして寧んぜしめ、早くここに即位すべしと提説する上に、衆人の心に従い、九月初四日、チンギス皇帝の大オルドに於いて、大位次に坐せり。衆百姓たちの心を安んぜしむる上に、赦書を行わしむ。

この日、知樞密院事淇陽王エセン・テムルを中書右丞相と為す。諸王ユル・テムルは安西王の封を襲ぐ。甲午、内史倒剌沙を中書平章政事と為し、ナイマタイを中書右丞と為し、テクシを知樞密院事と為し、マスフを同知樞密院事と為し、ボロを宣徽院使と為し、シュマイケを宣政院使と為す。乙未、大理の護子羅蠻が寇と為る。樞密副使アサンを御史中丞と為し、内史善僧を中書左丞と為す。丁酉、オルジェイを知樞密院事と為し、トゥマンを同僉樞密院事と為す。戊戌、サティミシを知樞密院事と為し、ジャンタイを同知樞密院事と為す。己亥、百司に諭し勅す、「凡そ官を銓授するは、世祖の旧制に遵い、惟だ樞密院・御史臺・宣政院・宣徽院のみ自ら奏聞するを得、余は悉く中書に由るべし」と。辛丑、マムシャを知樞密院事と為し、シトゥルを大司農と為す。諸王の官属で流徙遠地及び元籍に還されたる者二十四人を召し還して京師に至らしむ。この歳、大寧の蒙古大千戸部は風雪にて畜牧斃れ、米十五万石を賑う。南康・漳州二路は水害、淮安・揚州の属県は饑饉、これを賑う。

冬十月癸亥、大明殿にて仏事を修す。甲子、使を大都に遣わし、即位を以て天地・宗廟・社稷に告ぐ。逆賊エセン・テムル・オルジェイ・ソナン・トゥマン等を行在所に於いて誅す。シュマイケを中書右丞相と為す。陝西行中書左丞相トゥル(忽)魯・通政院使ニュゼを並びに御史大夫と為し、ススを御史中丞と為す。シュマイケ・ニュゼを遣わし、逆賊テクシ・シトゥル・チギン・テムル・トホチ・ジャンタイ等を大都に於いて誅し、並びにその子孫を戮し、家産を籍没す。己巳、太白亢を犯す。戊辰、亦都護高昌王テムル・ブカを召す。壬申、内史アンダチュを太師・知樞密院事と為す。丙子、太白氐を犯す。詔して百司に世祖の成憲を遵守せしむ。癸未、シュマイケを兼ねてアス衛のダルガチと為す。丙戌、江浙行省平章政事ウバドラを中書平章政事と為す。八番順元及び静江・大理・威楚諸路の徭兵が寇と為る。湖広・雲南二省に勅しこれを招諭せしむ。揚州江都県は火災、雲南王・西平王二部の衛士は饑饉、皆これを賑う。

十一月己丑朔、熒惑亢を犯す。車駕は中都に次す。昆剛殿にて仏事を修す。庚寅、太白鈎鈐を犯す。丙申、祖媯に次す。乙未、太白東咸を犯す。辛丑、車駕は大都に至る。壬寅、熒惑氐を犯す。諸王ケベクは使を遣わし来朝す。丁未、大明殿に御し、諸王・百官の朝賀を受く。庚戌、詔して百司に朝夕視事して怠るなからしむ。辛亥、御史中丞董守庸、テクシに党するに坐して官を免ぜらる。壬子、勅して営繕の急ならざるものを罷む。癸丑、使を曲阜に詣らせ、太牢を以て孔子を祀らしむ。勅して会福院に北安王那木罕の像を高良河寺に奉ぜしむ。遁甲五福神を祭る。甲寅、諸王ケベクは使を遣わし来朝す。乙卯、司天監に於いて星を禜す。丙辰、御史中丞スス、貪淫に坐して官を免ぜらる。丁巳、広州路新会県の民氾長弟が乱を起こす。広東副元帥ウマルは兵を率いてこれを捕う。雲南開南州の大アアイ・アサンム・タイロンマイ六千余人が哀卜白塩井を寇す。詔す、「凡そ罪有りて自首する者は、その罪を原う」と。袁州路宜春県・鎮江路丹徒県は饑饉、米四万九千石を賑糶す。沅州黔陽県は饑饉、芍陂の屯田は旱魃、並びにこれを賑う。

十二月己未、御史臺の經歷朵兒只班、御史撒兒塔罕、兀都蠻、郭也先忽都、皆鉄失に党して免官せらる。御史言ふ、「曩に鉄木迭兒政を専らにし、楊朵兒只・蕭拜住・賀伯顏・観音保・鎖咬兒哈的迷失を誣ひて殺し、李謙亨・成珪をげいして竄し、王毅・高昉・張志弼を罷免せり。天下其の冤を知る。請ふ、之を昭雪せん」と。詔して、存する者は召還して録用し、死者には官を贈ること差等あり。諸王薛徹干に其の父の故き金印を授く。庚申、宦者剛答里を以て中政院使と為す。壬戌、潜邸の衛士に鈔を賜ひ、人六十錠。鎮江路の漕河及び練湖を浚ひ、丁一万三千五百人を役す。諸王八剌失里に印を給す。戊辰、皇考・皇妣の諡を南郊に請ふ。皇考晋王は光聖仁孝皇帝と曰ひ、廟号は顕宗、皇妣晋王妃は宣懿淑聖皇后と曰ふ。己巳、辰星壘壁陣を犯す。庚午、即位を以て、大いに后妃・諸王・百官を賚ひ、金七百余錠・銀三万三千錠、銭及び幣帛は是に称ふ。使を遣はして海神天妃を祀る。盗太廟に入り、仁宗及び荘懿慈聖皇后の金主を窃む。辛未、熒惑房を犯す。壬申、仁宗の主を作り、仍て有司に督へて盗を捕へしむ。司天監に於て星を禜す。癸酉、徳慶路瀧水県の猺劉寅等降る。甲戌、道士呉全節に命じて醮事を修めしむ。乙亥、征東の夷民獣皮を奉じて来附す。太常院臣言ふ、「世祖以来、太廟は歳に惟だ一享のみ。先帝始めて古制に復し、一歳四祭す。請ふ、之を裁択せん」と。帝曰く、「祭祀は盛事なり。朕何ぞ敢へて其の礼を簡にせん」と。命して仍て四祭せしむ。監察御史脱脱・趙成慶等言ふ、「鉄木迭兒は先朝に在りて、禍心を包蔵し、親藩を離間し、大臣を誅戮し、先帝をして孤立せしめ、卒に大禍に罹らしむ。其の子鎖南は親しく逆謀に与り、久しく天憲を逭る。乞ふ、其の罪を正し、以て元元の心を快くせん。月魯・禿禿哈・速敦は皆鉄失の党なり。寛宥すべからず」と。遂に並びに誅せらる。丙子、嶺北の辺を守る諸王徹徹禿に命じ、月に仏事を修めて以て寇兵を却けしむ。己卯、僧に命じて大内に於て仏事を作り以て雷を厭はしむ。諸王薛徹干・駙馬哈伯等の歳賜の金・銀・幣・帛を増すこと差等あり。辛巳、熒惑東咸を犯す。壬午、諸王月思別、怯烈を遣はして来朝せしめ、金・幣を以て賜ふ。癸未、広西右江来安路総管岑世興其の弟世元を遣はして入貢す。諸王月魯鉄木児を雲南に流し、按梯不花を海南に、曲呂不花を奴児干に、孛羅及び兀魯思不花を海島に流し、並びに鉄失等と逆謀に与りて坐す。乙酉、雲南車里于孟寇を為す。詔して之を招諭す。百司に諭して名器を惜しみ、各世祖の定制に遵はしむ。丙戌、旭邁傑言ふ、「近く也先鉄木児の変、諸王買奴潜邸に逃げ赴き、死力を効はんことを願ひ、且つ言ふ、元兇を除かざれば則ち陛下の美名著はらず、天下後世何に従ひてか知らんと。上聖衷に契ひ、嘗て奬諭を蒙る。今臣等議す、宗戚の内に、能く逆党より自ら抜け、朝廷に忠を尽くす者は、惟だ買奴有り。請ふ、封賞を加へ、以て激勧を示さん」と。遂に泰寧県五千戸を以て買奴を封じて泰寧王と為す。知枢密院事・大司徒しと闊徹伯に開府儀同三司を授く。前太師拜忽を以て軍国重事を商議せしむ。丁亥、討逆の功を議賞し、旭邁傑に金十錠・銀三十錠・鈔七千錠を賜ひ、倒剌沙を中書左丞相と為し、知枢密院事馬某沙・御史大夫紐澤・宣政院使鎖禿に並びに光禄大夫を加授し、仍て金・銀・鈔を賜ふこと差等あり。馬哈吃剌仏像を延春閣の徽清亭に塑る。詔を下して元を改む。詔に曰く、「朕天の鴻禧を荷ひ、大なる歴服を嗣ぎ、躬を側めて治を図り、夙夜祗畏す。惟だ祖訓是れ遵ふ。乃ち歳を開くに甲子、景運始めて始まる。思ふに天下と与に新たにせん。諸の典礼に稽へ、年を踰えて元を改む。以て明年を泰定元年と為すべし」と。大都・興和の差税を三年免じ、八番・思・播・両広の洞寨の差税を一年免じ、江淮の創科包銀を三年免じ、四川・雲南・甘粛の秋糧三分を、河南・陝西・遼陽の絲鈔三分を免ず。虚増の田税を除く。斡脱の逋銭を免ず。雲南・広海・八番等の処の戍軍を賑恤す。直言を求む。高年に帛を賜ふ。山場湖泊の利を献ずるを禁ず。吏員出身の者の秩を四品に止むるを定む。皇考・皇妣を追尊するを以て、天下に詔す。雲南花脚蠻寇を為す。詔して之を招諭す。平江嘉定州饑く。遼陽答陽失蠻・闊闊部風・雹あり。並びに之を賑す。澧州・帰州饑く。糶米二万石を以て賑ふ。

是の歳、夏、諸衛の屯田及び大都・河間・保定・済南・済寧五路の属県、霖雨稼を傷つく。秋、沂州定襄県及び忠翊侍衛屯田所の営田・象食屯田所、霜隕りて禾を殺す。土番岷州春疫ひ、夏旱す。西番鞏昌府を寇す。

泰定元年春正月乙未、乃馬台を以て平章政事と為し、善僧を右丞と為す。諸王哈剌を勅して還って本部せしむ。江西行省平章政事也児吉你を召して闕に赴かしむ。己亥、逆臣也先鉄木児等を誅するを以て天下に詔す。辛丑、諸王・大臣皇太子を立てんことを請ふ。諸王徹徹禿に金一錠・銀六十錠・幣帛各百匹を賜ひ、塔思不花に金一錠・銀四十錠・幣帛二百匹を賜ひ、阿忽鉄木児等に金銀を賜ふこと各差等あり。壬寅、故き丞相拜住の子答児麻失里を以て宗仁衛親軍都指揮使と為し、徹里哈を左右衛阿速親軍都指揮使と為す。僧に命じて西番経を光天殿に於て諷せしむ。甲辰、列聖の制詔及び大元通制を訳するを勅し、刊本を以て百官に賜ふ。丁未、称海屯田万戸府達魯花赤帖陳を以て嶺北行中書省参知政事を仮し、近侍忽都帖木児を礼部尚書を仮し、西域諸王不賽因の部に使はしむ。戊申、八番の生蠻韋光正等及び楊・黄五種の人、其の戸二万七千を以て来附し、歳に布二千五百匹を輸せんことを請ひ、長官司を置きて以て之を撫す。己酉、諸王遠く徙る者は悉く其の部に還るを命ず。親王図帖睦児を瓊州より、阿木哥を大同より召す。怯薛台の歳に給する鈔を定め、人八十錠。甲寅、諸王太平・忽剌台・別失帖木児等に金印を賜ふ。高麗王を勅して国に還り、仍て其の印を帰せしむ。米二十万石を糶き、京師の貧民を賑ふ。丙辰、故き監察御史観音保・鎖咬児哈的迷失の妻・子に鈔各千錠を賜ふ。司徒道住に印を賜ふ。解州塩池の神を勅して封じて霊富公と曰ふ。広徳・信州・岳州・恵州・南恩州の民饑く。粟を発して之を賑ふ。

二月丁巳朔(一日)、顕宗の影堂を造営す。己未(三日)、寿安山寺において西番の仏事を行い、星吉思吃剌、闊児魯丳卜、水朶児麻、颯間卜里喃家と称し、経僧四十人を用い、三年にしてようやく罷む。庚申(四日)、監察御史傅巖起・李嘉賓が言うには、「遼王脱脱は、国に隙あるに乗じ、骨肉を誅戮し、その悪は既に顕われ、疑貳を懐く恐れあり。もし帰藩せしむれば、譬えば虎を柙より放つが如し。請う、これを廃し、別に近族を立ててその位を襲わしめん」と。報いず。甲子(八日)、仏事を行い、僧百八人及び倡優百戯に命じ、帝師を導いて京城を遊行せしむ。庚午(十四日)、守令・推官を選任す。旧制では、台憲が毎年守令・推官二人を挙げ、罪あれば連坐す。ここに至りその不便を言い、復た中書に命じて常選より人を択びて用いしむ。壬申(十六日)、南郊において大行皇帝の諡を請い、睿聖文孝皇帝とし、廟号を英宗とす。甲戌(十八日)、江浙行省左丞趙簡、経筵を開き及び師傅を択び、太子及び諸王大臣の子孫に学を受けしむることを請う。ここに平章政事張珪・翰林学士承旨忽都魯都児迷失・学士呉澄・集賢直学士鄧文原に命じ、帝範・資治通鑑・大学衍義・貞観政要等の書を以て進講せしめ、復た右丞相也先鉄木児に勅してこれを領せしむ。諸王怯別・孛羅、各使いを遣わして来貢す。高昌王亦都護帖木児補化、使いを遣わして蒲萄酒を進む。丁丑(二十一日)、監察御史宋本・趙成慶・李嘉賓が言うには、「太廟の神主を盗竊したのは、太常の守衛が謹まずによる。請う、これを罪せん」と。報いず。戊寅(二十二日)、御史李嘉賓、逆党の左阿速衛指揮使脱帖木児を弾劾し、罷免す。癸未(二十七日)、也里可温に宣諭し、各その教に従い戒めを具えしむ。広徳路の祠山神張真君に普済を加封し、寧国路の広恵王に福祐を加封す。紹興・慶元・延安・岳州・潮州の五路及び鎮遠府・河州・集州、饑え、粟を発してこれを賑す。

三月丁亥朔(一日)、徽政院を罷め、詹事院を立て、太傅朶台・宣徽使禿満迭児・桓国公拾得驢・太尉丑驢答剌罕を以て並びに太子詹事と為す。中書参知政事王居仁を太子副詹事と為す。同知宣政院事楊廷玉を以て中書参知政事と為す。大同路黄華嶺及び崇慶の屯田を罷む。寿寧公主に金十錠・銀五十錠・鈔二万錠を賜う。乙未(九日)、江西行省平章政事也児吉你を以て知枢密院事と為す。定王薛徹干総管府を置く。蒙古の流民に糧・鈔を与え、その部に還遣し、擅かに徙る者は斬り、蔵匿する者はこれを杖つことを勅す。諸王徹徹禿に永福県の戸一万三千六百を食邑として賜い、仍て王傅を置く。戊戌(十二日)、廷試進士を行い、八剌・張益等八十四人に及第・出身を差等を以て賜う。会試下第の者にも、教官を差等を以て賜う。中書省臣、横に賞賚を奏し及び踰越して事を奏する者を禁ずることを請い、これに従う。庚子(十四日)、欽察を罷めて陝西行台御史大夫と為す。四川行中書省平章政事囊加台を以て宣政院使を兼ね、西番の寇参卜郎を征すること往かしむ。癸卯(十七日)、中書平章政事乃馬台に命じて南郊の祭を摂行せしめ、知枢密院事闊徹伯に命じて太廟の祭を摂行せしめ、皇后・皇太子の冊立を告げしむ。丙午(二十日)、大明殿に御し、八八罕氏を冊いて皇后と為し、皇子阿剌吉八を冊いて皇太子と為す。己酉(二十三日)、皇子八的麻亦児間卜を以て晋王の封を嗣がしむ。泰寧王買奴卒す。その子亦憐真朶児赤を以て嗣がしむ。湘寧王八剌失里を遣わして察罕脳児に出鎮せしめ、宣慰司を罷め、王傅府を立てる。知枢密院事也児吉你を以て雲南行省右丞相と為す。流人を召して還京師せしむ。庚戌(二十四日)、月直延の民真只海・阿答罕来たり大珠を献ず。監察御史宋本・李嘉賓・傅巖起が言うには、「太尉・司徒・司空しくうは三公の職なり。濫りに僧人に仮し、及び会福・殊祥の二院は、並びに名爵を辱しむ。請う、これを罷めん」と。報いず。癸丑(二十七日)、諸王不賽因、使いを遣わして朝貢す。臨洮狄道県、冀寧石州・離石・寧郷県、旱魃し、饑え、米を以て二月賑す。広西横州の徭、永淳県を寇す。

夏四月戊午(三日)、廉恂を罷めて集賢大学士と為し、その禄を終身食わしむ。乳母李氏に鈔千錠を賜う。参卜郎征討軍千人に鈔四万七千錠を賜う。太尉不花・平章政事即烈、矯制を以て寡婦古哈を撒梯に強配した罪に坐し、鞫問を受く。詔して世祖の旧臣なるを以て、その罪を原う。己未(四日)、珠字の詔を以て帝師の居る撒思加部に賜う。庚申(五日)、詔して御史台を整飭す。普慶寺に昭献元聖皇后の御容殿を造営す。辛酉(六日)、昌王八剌失里に命じて阿難答の昔居めし地に出鎮せしむ。親王図帖睦爾、潭州より至る。及び王禅に、皆車帳・駝馬を賜う。癸亥(八日)、国語を以て英宗の廟号を上りて格堅皇帝と曰う。寿昌殿において仏事を行ふ。甲子(九日)、車駕上都に幸す。諸王寛徹不花・失剌、平章政事兀伯都剌、右丞善僧等を以て居守せしむ。嶺北行中書省左丞潑皮を以て中書左丞と為し、江南行台中丞朶朶を以て中書参知政事と為す。馬剌を罷めて太史院使と為す。衛士四百人を罷めて宗仁衛に還す。北庭的撒児兀魯軍に羊馬を賜う。諸王不賽因、使いを遣わして来貢す。兵民を発して渾河の堤を築く。丙寅(十一日)、昌王八剌失里に牛馬槖駝を賜う。僧・道の邸舍の積貨に税を課す。丁卯(十二日)、諸王捏古伯等を遣わして還って和林に至らしむ。八剌失里の継母買的を封じて皇妹昌国大長公主と為し、銀印を与う。忽咱某丁を以て哈讚忽咱と為し、西域の戸籍を主どらしむ。辛未(十六日)、月食既(つきが皆既食となる)。癸酉(十八日)、太子詹事禿満迭児を以て中書平章政事と為す。甲戌(十九日)、呪師に命じて仏事を行い雷を厭わしむ。庚辰(二十五日)、風烈・月食・地震を以て、手詔して百官を戒飭す。辛巳(二十六日)、太廟新殿成る。木憐撒児蛮部及び北辺の蒙古戸、饑え、糧・鈔を差等を以て賑す。江陵路の属県、饑う。雲南中慶・昆明の屯田、水害あり。

五月丁亥、監察御史の董鵬南・劉潛・辺笥・慕完・沙班が災異を理由に上言した。「平章の乃蠻台・宣徽院使の帖木兒不花・詹事の禿満答児は、逆徒に与し、臣節を損ない、太常は廟守を謹まず、遼王は宗親を擅殺し、不花・即里は制を矯り法を乱したが、皆寛宥を受け、刑罰は甚だしく失われている。その罪を定め、天変を消すことを乞う。」許さず。己丑、帝は倒剌沙に諭して言った。「朕が即位して以来、一人として成法を執って朕に言う者がない。知りながら言わぬは不忠であり、かつ人を罪に陥れる。今後より継ぎ、凡そ知る所あれば、宜しく悉く以て聞かせ、朕に法度を明らかに知らしめ、断じて敢えて自ら恣にせしめない。朕一身のみならず、天下一切の政務も、法を守って行えば、則ち衆皆安んじ、これに反すれば、則ち天下は憂苦に罹る。」また言った。「凡そ事は小なるに防げば易く、大なるに救えば難し。爾は朕の言を以て明らかに衆に告げ、慎む所を知らしめよ。」壬辰、御史臺臣の禿忽魯・紐澤が御史の言を以て奏上した。「災異が屡々現れ、宰相は位を避けて天変に応ずべきか否かは、仰いで聖裁に任せる。顧みるに臣等は陛下の耳目として、私に徇り法に違う者があっても糾察できず、官を慢り守りを失い、宜しく先ず退避し、賢能に授けるべきである。」帝は言った。「御史の言う所、その失は朕にあり、卿等何ぞ必ずしも急ぎて爾くせんや。」禿忽魯はまた言った。「臣は既に老病で、恐らく大事を誤る。先ず退くことを乞う。」ここにおいて中書省臣の兀伯都剌・張珪・楊廷玉は皆抗疏して罷免を乞うた。丞相の旭邁傑・倒剌沙が言った。「比来の災異に対し、陛下は天下を憂うるを心とし、躬を反して自ら責め、謹んで祖宗の聖訓に遵い、徳を修め行いを慎み、臣等に各々其の職に勤むるを勅し、手詔が大都に至り、居守の省臣は皆罪を引き自ら劾した。臣等は左右の相として、才下り識昏く、国の大任に当たり、襄賛する所なく、以て災祲を致し、罪は臣等に在り、退黜すべき所である。諸臣に何の罪があろう。」帝は言った。「卿等が皆辞避して去れば、国家の大事を、朕は誰と図ろうか。宜しく各々相諭し、以て其の職を勉めよ。」戊戌、列聖の神主を太廟の新殿に遷す。辛丑、循州の徭が長楽県を寇す。甲辰、上都の囚人で笞罪以下の者を赦す。丙午、太白星が鬼宿を犯す。侍御史の高奎が上書し、直言を求め、邪正を弁じ、賞罰を明らかにすることを請う。帝は其の言を善しとし、銀幣を賜う。丁未、太白星が鬼宿の積尸気を犯す。己酉、賓州の民の方二等が寇となり、有司が捕らえて擒える。癸丑、司天監に命じて星をまつらしむ。中書平章政事の禿満迭児・領宣徽使詹事丞の回回が、裕宗の故事の如く、名儒を選んで太子を輔けしめることを請う。中書省臣に勅して訪求し以て聞かしむ。袁州に火災あり、龍慶・延安・吉安・杭州・大都諸路の属県に水害あり、民飢え、糧を賑恤すること差等あり。

六月乙卯朔、諸王闊闊出を遣わして畏兀に鎮させ、金・銀・鈔を千単位で賜う。戊午、雲南蒙化州の高蘭神場寨主の照明羅九等が威楚を寇す。庚申、張珪が大都より至り、守臣の集議した事を以て言う。「逆党は未だ討たず、奸悪は未だ除かず、忠憤は未だ雪がれず、冤枉は未だ理められず、政令は信なく、賞罰は公ならず、賦役は均しからず、財用は節せず。裁択を請う。」許さず。諸王阿木哥薨ず、賻として鈔千錠を賜う。諸王の寬徹・亦里吉赤が来朝す。駙馬の鐵木兒等の部に鈔一万三千錠を賜い、北辺の戍兵に鈔一万六千八十錠を賜う。蒙古の飢民を賑恤し、その部に遣り返す。延安路飢え、酒を禁ず。癸亥、上都及び大同路に礼拝寺を作り、鈔四万錠を給す。丙寅、使者を遣わして参卜郎を招諭す。闊闊出等を遣わして高麗に詣り、女子三十人を取る。広西左右両江の黄勝許・岑世興が其の子弟を遣わして朝貢することを乞う。これを許す。丁卯、大幄殿成り、鎮雷坐静仏寺を作る。庚午、海剌禿屯田総管府を置く。辛未、水晶殿に於いて黒牙蛮答哥の仏事を修す。癸酉、帝は帝師より仏戒を受く。己卯、諸王の怯別等が其の宗親の鐵木兒不花等を遣わし、馴豹・西馬を奉じて来朝貢す。詔す。「繫囚を疏決し、軍士を存恤し、天下の和買雑役を三年免じ、蜑戸の差税を一年免ず。百官四品以下は、普く散官一等をべ、三品は一階を遞進す。遠く瘴地に仕え、身故して帰葬できず、妻子流落する者は、有司が資給して遣り返せ。仍って令と為す。」雲南大理路の你囊が寇となる。大都、真定の晋州・深州、奉元諸路及び甘粛の河渠営田等の処、雨が稼を傷め、糧を二月分賑恤す。大司農屯田・諸えい屯田・彰徳・汴梁等路は雨が稼を傷め、順徳・大名・河間・東平等二十一郡は蝗害あり、晋寧・鞏昌・常徳・龍興等の処は飢饉あり、皆粟を発してこれを賑う。大同の渾源河、真定の滹沱河、陝西の渭水・黒水、渠州の江水皆溢れ、並びに民の廬舎を漂わす。宣徳府・鞏昌路及び八番の金石番等の処に雨雹あり。河間・晋寧・涇州・揚州・寿春等路、湖広・河南の諸屯田は皆旱魃あり。

秋七月丙戌、思州平茶の楊大車、酉陽州の冉世昌が小石耶・凱江等の寨を寇し、兵を調発してこれを捕らう。諸王阿馬薨ず、賻として鈔五千錠を賜う。雲南王王禅に鈔二千錠を賜い、諸王阿都赤に鈔三千錠を賜う。楠木殿を造営す。船領・義寧・霊川等の処の徭を招諭す。庚寅、使者を遣わして岳瀆を代祀す。丙申、諸王薛徹禿にその父完者の統べたる所部を襲統せしめ、仍って故印を与う。己亥、蒙古の流民を賑恤し、鈔二十九万錠を与えて還遣し、仍って擅に所部を離るることを禁じ、違う者は斬るとす。庚子、諸王伯顔帖木児を闊連東部に出鎮せしめ、阿剌忒納失里を沙州に出鎮せしめ、各々鈔三千錠を賜う。撒忒迷失に衛士を率いさせ太師按塔に佐えて辺境を行かしめ、鈔千錠を賜う。癸卯、広州・福建等の処の珠を採る蜑戸を罷めて民と為し、仍って差税を一年免ず。丙午、畏兀字をもって西番経を訳す。丁未、上都司天監にて星を禜す。山東塩運司判官馬合謨を吏部尚書と為し、虎符を佩かしめ、翰林修撰楊宗瑞を礼部郎中と為し、金符を佩かしめ、即位の詔を奉じて安南に往諭せしむ。長慶寺を置き、宦者阿亦伯を以て寺卿と為す。中瑞司を罷む。中書省臣言う、「東宮の衛士は先朝にはただ三千人に止まりしが、今は一万七千に増せり。詹事院に命じて汰去せしめ、仍って旧制に依らしむることを請う」と。これに従う。戊申、籍没したる鉄木迭児及びその子班丹・観音奴の資産をその家に給還す。奉元路朝邑県・曹州楚丘県・大名路開州濮陽県に河溢れ、大都路固安州に清河溢れ、順徳路任県に沙・灃・洺水溢れ、真定・広平・廬州等十一郡に雨稼を傷つけ、龍慶州に雨雹鶏子の如く大なり、平地三尺を深くし、定州に屯河溢れ山崩る。河渠営田の租を免ず。大都・鞏昌・延安・冀寧・龍興等の処饑え、賑糶差等あり。広西慶遠の猺酋潘父絹等衆を率いて来降し、簿・尉等の官に署し差等あり。温州の故平陽侯を加封して英烈侯と曰う。

八月甲寅朔、徹徹児・火児火思の地五千貧乏、糧を賑し二月。乙卯、刑獄を復た宗正府に隷せしめ、世祖の旧制に依り、刑部は関与せざることを勅す。丙辰、太廟を享く。丁巳、諸王八里台・黄頭に鈔各千五百錠を賜う。赦前の事を言うことを禁ず。庚申、牝馬万匹を市い湩酒を取る。帖列干・木倫等の駅戸に糧・鈔を賑し差等あり。辛亥、翰林学士承旨斡赤を遣わし普慶寺にて太祖・太宗・睿宗の御容を祀らしむ。親王図帖睦爾に鈔三千錠を賜う。庚午、中宮金脊殿を造営す。辛未、帝師八思巴の像十一を絵し各行省に頒ち、塑してこれを祀らしむ。武官坐罪して制授の者は以て聞えしめ、勅授の者は行省に従って処決することを勅す。金泉館の酒課を以て公主寿寧に賜う。丁丑、玉泉山河の役を浚うことを罷む。車駕大都に至る。癸未、枢密の役軍凡そ三百人以上は奏聞することを勅す。雲南大車里・小車里に詔諭す。秦州成紀県大雨、山崩れ、水溢れ、土を壅ぎ来谷河に至り丘阜を成す。汴梁・済南の属県雨水稼を傷つけ、これを賑う。延安・冀寧・杭州・潭州等十二郡及び諸王哈伯等の部饑え、糧を賑し差等あり。

九月乙酉、也速不堅を封じて荊王と為し、金印を賜う。宣徳府を以て復た上都留守司に隷せしむ。辛卯、哈思的結魯思伴卜総統所を罷め、更に臨洮総管府を置く。潜邸の衛士に鈔万錠を賜う。丙申、太祖神御殿を葺う。乙巳、昭献元聖皇后の忌日に仏事を修し僧万人に飯す。武衛軍を一年存恤することを勅す。癸丑、籍没したる阿散の家資をその子脱列に給す。邕州を改めて南寧路と為す。岑世興その弟興元を遣わし来朝貢す。奉元路長安ちょうあん県大雨、灃水溢れ、延安路洛水溢れ、濮州館陶県及び諸衛の屯田水、建昌・紹興二路饑え、糧を賑し差等あり。

冬十月乙卯、秦州成紀県趙氏の婦一産に三男。成都に嘉穀生え一茎九穂。丁巳、監察御史王士元早く太子を諭教せんことを請う、帝嘉しこれを納る。戊午、太廟を享く。寿福総管府を立て、秩正三品、累朝の神御殿祭祀及び銭穀の事を典とす。大天源延聖寺総管府を降して提点所と為し以てこれに隷せしむ。庚申、左・右相に命じ日直に禁中し、事あれば則ち中書に赴かしむ。丙寅、太白斗を犯す。己巳、太白斗に入る。太陰填星を犯す。雲南車里蛮寇を為し、斡耳朵を遣わし詔を奉じてこれを招諭す。その酋寒賽の子尼面雁・搆木の子刁零出降す。庚午、太白斗を犯す。壬申、安南国世子陳日爌その臣莫節夫等を遣わし来朝貢す。真州珠金沙河、松江府・呉江州諸河淤塞す、詔して所在の有司に民丁を傭いこれを浚わしむ。丙子、帝師に命じ延春閣にて仏事を行わしむ。丁丑、緬国王子吾者那等立を争い、歳貢入らず、雲南行省に命じてこれを諭さしむ。雲南王王禅を徙封して梁王と為し、食邑益陽州六万五千戸、仍ってその子帖木児不花をして襲封して雲南王と為さしむ。親王図帖睦爾を封じて懐王と為し、食邑瑞州六万五千戸、歳賜の幣帛千匹を増し並びに金印を賜う。壬午、熒惑壘壁陣を犯す。肇慶徭黄宝才等降る。延安路饑え、義倉粟を発してこれを賑い、仍って鈔四千錠を与う。広東道及び武昌路江夏県饑え、賑糶差等あり。河南廉訪使買奴、多く公田租を徴したるに坐し官を免ぜらる。魯国大長公主の女を以て懐王に適せしむ。

十一月己丑、道士に命じ醮事を修めしむ。癸巳、兵部員外郎宋本、吏部員外郎鄭立・阿魯灰、工部主事張成、太史院都事費著を遣わし、分かち閩海・両広・四川・雲南に調選せしむ。諸王不賽因その臣出班功有るを言い官することを請う、出班を開府儀同三司・翊国公と為し、銀印・金符を与う。諸王散朮台・也速速児に鈔各千五百錠を賜い、斡耳朵罕に鈔千二百錠を賜い、魯賓に鈔千五百錠を賜う。甲午、回回司天監にて星を禜す。己亥、朮温台を以て知枢密院事と為す。辛丑、金宝蓋を造り、七宝を以て飾り、仏舎利を貯う。甲辰、上都に歇山鹿頂楼を造営す。丁未、笞四十七以下の囚及び軽罪の流人を釈し、鈔二千錠を与えて貧者に散与す。明年の鈔本至元鈔四十万錠・中統鈔十万錠を印す。己酉、也里可温・答失蛮の差役を免ずることを詔す。庚戌、融州徭般領・大・小木龍等百七十五団を招諭す。河間路饑え、糧を賑し二月。汴梁・信州・泉州・南安・贛州等路饑え、賑糶差等あり。嘉定路龍游県饑え、糧を賑し一月。大都・上都・興和等路十三駅饑え、鈔八千五百錠を賑う。

十二月癸丑朔(一日)、岑世興を懐遠大将軍に任じ、遥授で沿辺溪洞軍民安撫使とし、虎符を佩用させ、引き続き来安路総管とした。黄勝許を懐遠大将軍に任じ、遥授で沿辺溪洞軍民安撫使とし、虎符を佩用させて致仕させ、その子の志熟が上思州知州を襲職した。詔を降して宣諭し、さらにそれぞれ幣帛二を賜った。乙卯(三日)、雲南の猺(ヤオ族)阿吾および歪閙が寇賊となり、行省が兵を督してこれを捕らえた。庚申(八日)、同州で地震があり、雷のような音がした。癸亥(十一日)、塩官州で海水が溢れ、堤防を繰り返し破壊し、城郭を侵した。使者を遣わして海神を祀らせ、さらに有司とともに形勢の便を視察させ、石を積んで塘(堤防)を築くことを請うた。詔して曰く、「塘を築くことはわが民を重ねて労するものである。石囤(石積みの防護)を増やして防禦せよ。天がこれを助け給うことを願う。」乙丑(十三日)、モンゴルの子女に家畜を給与した。丙寅(十四日)、翰林国史院に命じて英宗・顕宗の実録を修纂させた。敕して、「内外の百官で朝賀などの礼を行う者は、雨雪の際は朝服を免ずる。」庚午(十八日)、熒惑(火星)が外屏星を犯した。辛未(十九日)、新たに棕殿(棕毛の殿舎)が完成した。諸王鎖思的が薨去し、賻(葬儀の贈り物)として鈔五百錠を賜った。乙亥(二十三日)、太白(金星)が経天した。重囚三十八人を曲赦し、三宮(太皇太后・皇太后・皇后)のために福を祈らせた。夔路容米洞の蛮田先什用ら九洞が寇賊となり、四川行省が使者を遣わして五洞を諭し降伏させ、残りは兵を発してこれを捕らえた。陝西行省が兵をもって階州の土蕃(チベット族)を討った。察罕脳児の千戸部が飢饉に陥り、一か月分の食糧を賑給した。延安路で雹害があり、一か月分の食糧を賑給した。温州路楽清県の塩場が水害に遭い、民が飢えたので、義倉の粟を発してこれを賑済した。両浙および江東の諸郡で水害・旱害があり、田六万四千三百余頃が損壊した。

二年春正月丙戌(十五日)、辰星(水星)が天鶏星を犯した。乙未(二十四日)、畿甸(都の近郊)が不作のため、春の狩猟を罷めた。后妃・諸王・駙馬が星術の士と通じることを禁じ、司天官でない者は妄りに禍福を言ってはならないと命じた。敕して、「御史臺の選挙(人材推挙)は、中書省と合議して上奏せよ。」中書省の臣が言上した。「江南は民は貧しく僧は富んでいる。諸寺観の田土で、宋の旧置および累朝の賜与したものでないものは、旧制に従って民と均しく役を課すことを請う。」これに従った。八思吉思の籍没した土地を故監察御史観音宝・鎖咬児哈的迷失の妻子に賜い、各十頃とした。戊戌(二十七日)、象輦(象の輿)を造らせた。参卜郎が来降し、その酋長班朮児に銀・鈔・幣・帛を賜った。辛丑(三十日)、懐王図帖睦爾を建康に出居させた。壬寅(二月一日)、太白(金星)が建星を犯した。甲辰(三日)、顕宗の御像を永福寺に奉安し、祭田百頃を給した。広西の山獠(山の蛮族)が寇賊となり、所在の有司に命じてこれを捕らえさせた。江浙行省平章政事脱歓答剌罕を左丞相に昇進させた。諸王怯別が使者を遣わして方物を貢ぎ、鈔四万錠を賜った。戊申(七日)、乞剌失思八班蔵卜を土蕃等路宣慰使都元帥とし、長河西・奔不児亦思剛・察沙加児・朶甘思・朶思麻などの管軍達魯花赤を兼管させ、その属僚とともに参卜郎を鎮撫させた。庚戌(九日)、宰臣に詔諭して曰く、「以前、卓児罕察苦魯および山後で皆地震があり、内郡の大小の民が飢えた。朕が即位以来、ただ太祖の開創の艱難と世祖の混一の盛業を思い、人民と安楽を共にしようと期し、常に畏敬の念を抱いている。災害が至るのは、その由を測り知れない。まさか朕の思慮に及ばないところがあり、事に過差があって、天が故にこれをもって警告を示されるのであろうか。卿らは諸司とともに民に便なる事を集議せよ。その思うところを自死罪から始め、議定して上奏せよ。朕は赦しを行い、天下に詔しよう。」肇慶・鞏昌・延安・贛州・南安・英徳・新州・梅州などの地が飢饉に陥り、差等をつけて穀物を売り出して賑済した。

閏月壬子朔(一日)、天下に赦を詔し、江淮の創科包銀を免除し、被災地の差税を一年間免除した。庚申(九日)、野狐嶺・色沢・桑乾嶺の道を修繕した。乙丑(十四日)、屯田を整備するよう命じた。河南行省左丞姚煒が、屯田の吏が屯戸を蚕食すること、および裕民の意を廃するような羨増(過剰な増収)を求めないことを禁じるよう請うたが、回答がなかった。丁卯(十六日)、中書省の臣が言上した。「国用が不足しております。不急の費用を罷めることを請う。」これに従った。恵遠倉・永需庫を海剌禿総管府に設置した。己巳(十八日)、滹沱河の堰を修築した。壬申(二十一日)、永興銀場を罷め、民に採錬を許し、十分の二を官に納めさせた。松江都水庸田使司を罷め、州県の正官にこれを管轄させ、さらに渠堰事を兼知することを加えた。癸酉(二十二日)、棕毛殿を造営した。丙子(二十五日)、浙西道廉訪司が言上した。「四方の代祀の使者は、公を棄てて私を営み、多くは誠潔でない。このため神が饗応されない。慎重に選ぶことを請う。」山南廉訪使帖木哥が、鉄失が任用した急激に昇進した官を削降するよう請うた。戊寅(二十七日)、諸王忽塔梯迷失らが来朝し、金・銀・鈔・幣を差等をつけて賜った。己卯(二十八日)、河間・真定・保定・瑞州の四路が飢饉に陥り、酒造りを禁じた。階州の土蕃が寇賊となり、鞏昌総帥府が兵を調発してこれを防いだ。站八児監蔵が兀敦で叛いた。保定路が飢饉に陥り、鈔四万錠・糧一万五千石を賑給した。雄州帰信諸県で大雨があり、河が溢れ、被災者一万一千六百五十戸に、鈔三万錠を賑給した。南賓州・棣州などの地で水害があり、民が飢えたので、糧二万石を賑給し、死者には葬儀のための鈔を給した。五花城の宿滅禿・拙只干・麻兀の三駅が飢饉に陥り、糧二千石を賑給した。衡州衡陽県の民が飢え、瑞州蒙山銀場の丁(労働者)が飢えたので、粟を差等をつけて賑給した。山東廉訪使許師敬が族葬制を頒布し、陰陽相地の邪説を禁ずるよう請うた。

二月甲申(四日)、先農を祭った。丙戌(六日)、道経を天下の名山宮観に頒布した。丁亥(七日)、平伐の苗酋(ミャオ族の首長)的娘がその戸十万を率いて来降し、土官三百六十人が朝請した。湖広行省がその衆を淘汰して部に還し、的娘ら四十六人を入覲させるよう請うたので、これに従った。己丑(九日)、嗣漢三十九代天師張嗣成に太玄輔化体仁応道大真人の号を加えた。庚寅(十日)、熒惑(火星)・歳星(木星)・填星(土星)が畢宿に聚まった。辛卯(十一日)、安定王朶児只班の部に三月分の軍糧を賑給した。爪哇国がその臣昔剌僧迦里也を遣わして表および方物を奉じて来朝貢した。広西の徭(ヤオ族)潘宝が柳城県を陥落させた。丁酉(十七日)、回回司天監で星を禜った。己亥(十九日)、西僧(チベット僧)に命じて延華閣で焼壇の仏事を行わせた。阿里迷失を和国公に、張珪を蔡国公に封じ、引き続き経筵事を知らせた。中書右丞善僧を平章政事とし、参知政事潑皮を右丞とした。御史大夫禿忽魯に太保を加え、引き続き御史大夫とした。庚子(二十日)、姚煒が黄河の水が繰り返し決壊するため、汴梁に行都水監を設置し、古法にならって防備を整え、さらに河に臨む州県の正官を皆河防事を兼知させるよう請うたので、これに従った。丙午(二十六日)、玉御床を造らせた。戊申(二十八日)、道士に命じて五福太一神を祭らせた。庚戌(三十日)、通州・漷州の二州が飢饉に陥り、粟を発して売り出して賑済した。薊州・宝坻県・慶元路象山諸県が飢饉に陥り、二月分の食糧を賑給した。甘州のモンゴル駅戸が飢饉に陥り、三月分の食糧を賑給した。大都・鳳翔・宝慶・衡州・潭州・全州などの諸路が飢饉に陥り、差等をつけて穀物を売り出して賑済した。

三月癸丑、曹州済陰県の河堤を修築し、民丁一万八千五百人を役す。甲寅、天鵞の捕獲を禁ず。丁巳、諸王帖木児不花らに鈔を差等ありて賜う。辛酉、咸平府の清河・寇河が合流し、故道を失い堤堰を損壊す。蒙古軍千人及び民丁をしてこれを修めしむるを勅す。乙丑、車駕上都に幸す。諸王搠思班の部の戦士四百人参卜郎を征して功あり、人ごとに鈔四千錠を賞す。乙亥、安南国世子陳日爌、使いを遣わして方物を貢す。荊門州旱、漷州・薊州・鳳州・延安・帰徳等の処の民及び山東蒙古軍飢え、糧・鈔を差等ありて賑恤す。肇慶・富州・惠州・袁州・江州諸路及び南恩州・梅州飢え、糶を差等ありて賑恤す。

夏四月丁亥、吾殿を作る。癸巳、牝馬にして駒あるもの万匹を和市す。宿衛の駝馬民間に散牧するものは官厩に帰してこれを飼わしむるを勅す。丁酉、濮州鄄城県、城西の堯塚の上に仏寺あり、これを徙すを請う。報いず。辛丑、公主寿寧を皇姉大長公主と加う。山東諸路の酒を禁ず。丙午、僰夷及び蒐雁、雲南行省の遣わしたる蛮を諭する使者を遮り殺す。これを追捕するを勅す。丁未、后の父火里兀察児を威靖王に封ず。戊申、許師敬を中書左丞とす。中政使馮亨を中書参知政事とし、なお中政使を兼ねしむ。奉元路白水県雹。鞏昌路伏羌県大雨、山崩る。鎮江・寧国・瑞州・桂州・南安・寧海・南豊・潭州・涿州等の処飢え、糧五万余石を賑恤す。隴西・漢中・秦州飢え、鈔三万錠を賑恤す。

五月壬子、車里の陶剌孟及び大阿哀蛮兵万人象に乗りて寇し、朵剌等十四寨を陥落す。木邦路蛮八廟、僰夷万人を率いて寇し、倒八漢寨を陥落す。辺将を督して厳にこれを備えしむ。癸丑、龍牙門蛮、使いを遣わし表を奉り方物を貢す。辛未、京師の官営塩肆十五を罷む。河間塩運司を改めて大都河間等路都転運塩使司とす。察乃を遣わして周王和世㻋に使わす。癸酉、融州の否泉洞・吉龍洞・洞村山・黒江の諸徭寇を為す。広西元帥府兵を発してこれを討つ。丙子、旭邁傑ら国用足らざるを以て、厩馬を減じ、衛士を汰し、及び諸王の濫賜を節するを請う。これに従う。潜邸の怯憐口千人に鈔三万錠を賜う。浙西諸郡霖雨、江湖水溢る。江浙行省及び都水庸田司に命じて役を興しこれを疏泄せしむ。諫議書院を昌平県に置き、唐の劉蕡を祀る。大都路檀州大水、平地深さ一丈五尺。汴梁路十五県河溢る。江陵路江溢る。洮州・臨洮府雨雹。潭州・興国の属県旱。彰徳路蝗。龍興・平江等十二郡飢え、糶米三十二万五千余石を賑恤す。鞏昌路臨洮府飢え、鈔五万五千錠を賑恤す。

六月己卯朔、皇子生る。巫を命じて宮中にて祓除せしむ。万歳山殿を葺う。静江猺寇を為す。広西宣慰司に遣わして兵を発しこれを捕えしむ。辛巳、柳州徭寇を為す。戍兵これを討ち斬る。癸未、潯州平南県徭寇を為す。達魯花赤都堅・都監姚泰亨これに死す。甲申、嘉王晃火帖木児を改めてへい王に封ず。丙戌、填星井鉞星を犯す。丙申、中書参知政事左塔不台言う、「大臣軍務を兼領するは、前古未だこれ無し。鉄失は御史大夫を以て、也先帖木児は知枢密院事を以て、皆衛兵を領し、虎に翼を添うるが如く、故に逆謀を成す。今軍衛の職は、乞うらくは大臣を以てこれを領せしむることなかれ。庶くは勲旧の家以て保全を得ん」と。これに従い、なお幣帛を賜いてその直を旌す。丁酉、静江義寧県及び慶遠安撫司蛮徭寇を為す。守将を勅してこれを捕えしむ。息州民趙丑厮・郭菩薩、妖言して弥勒仏天下を有すべしとす。有司以て聞く。宗正府・刑部・枢密院・御史台及び河南行省の官を命じて雑にこれを鞫わしむ。辛丑、柳州馬平県徭寇を為す。湖広行省所属を督してこれを追捕せしむ。丙午、填星井を犯す。丁未、都水庸田使司を立て、呉・松二江を浚う。営造に五衛軍士を役するなかれ、ただ武衛・虎賁二衛を以てこれに給するを勅す。開南州阿只弄・哀培蛮兵寇を為す。雲南行省に命じて所属の兵を督しこれを捕えしむ。通州三河県大雨、水一丈余。潼川府綿江・中江水溢れて城郭に入る。冀寧路汾河溢る。秦州秦安山移る。新州路旱。済南・河間・東昌等九郡蝗。奉元・衛輝路及び永平屯田豊贍・昌国・済民等署雨禾を傷つく。その租を蠲す。済寧・興元・寧夏・南康・帰州等十二郡飢え、糶米七万余石を賑恤す。鎮西武靖王部及び遼陽水達達路飢え、一月の糧を賑恤す。

秋七月戊申朔(一日)、大車里・小車里の蛮が馴象を献上した。(乙)〔己〕酉(三日)、諸王燕大らに金・鈔を差等を付けて賜う。庚戌(四日)、阿失伯を遣わし北部行幄にて宅神を祀らしむ。甲寅(八日)、使者を遣わし詔を奉じて徭蛮に分諭し、鎮康路土官你囊・謀粘路土官賽丘羅は降伏す。木邦路土官八廟は既に降りて復た叛く。上都司天監にて星を禜る。紐澤・許師敬が帝訓を編類し成り、経筵にて進講するを請う。なお皇太子に観覧せしめ、その書を訳して進むる旨あり。丙辰(十日)、太廟をまつる。播州蛮黎平愛ら群夷を集めて寇と為り、湖広行省兵を請いてこれを討たんとす。許さず、播州宣撫使楊也里不花に詔してこれを招諭せしむ。戊午(十二日)、使者を遣わし代わりに龍虎・武当の二山を祀らしむ。己未(十三日)、車里軍民総管府を置き、土人寒賽を総管と為し金虎符をばしむ。中書省臣言う、「往年徭を征するに、廉訪司その濫殺を劾す。今より凡そ出師するには、廉訪司官一員を軍にのぞましめて糾正せしむるを請う。」従う。庚申(十四日)、宮人二名を藩王怯別に賜う。癸亥(十七日)、大乾元寺を修す。許師敬及び郎中買驢を以て経筵官を兼ねしむ。広西諸徭城邑を寇し、湖広行省左丞乞住・兵部尚書李大成・中書舎人買驢を遣わし兵二万二千人を将いてこれを討たしめ、仍諸王斡耳朵罕を以てその軍を監せしむ。海北猺酋盤吉祥陽春県を寇し、江西行省に命じ兵を督してこれを捕えしむ。庚午(二十一日)、国用足らざるを以て、金字蔵経を書するを罷む。威楚・大理諸蛮寇と為り、雲南行省出師を請う。允さず、亦剌馬丹らを遣わし大理に使わし、普顔実立らを遣わし威楚に使わし、これを招諭す。思州洞蛮楊銀千ら来たり方物を献ず。駙馬孛羅帖木児・知枢密院事火沙を並びに郡王に封ず。辛未(二十二日)、河南行都水監を立つ。漢人の兵仗を蔵執するを禁ずるを申す。軍籍ある者は、出征すれば則ちこれを給し、還れば復た官に帰す。壬申(二十三日)、御史台臣言う、「廉訪司の軍に蒞まるは、世祖の旧制に非ず。賈胡宝をひさぎ、西僧仏事を修するは、費す所貲あらず、国に益無し。並びに宜しく除罷すべし。」従う。太傅朵台・太保禿忽魯に勅し、日に禁中に至り国事を集議せしむ。徭蛮潘宝鐔津・義寧・来賓諸県を寇し、広西守将に命じてこれを捕えしむ。慶遠溪洞民飢え、米二万五百石を発し、平価にこれをちょうす。山東州県に勅し流民遺棄の子女を収養せしむ。延安・鄜州・綏徳・鞏昌等の処雨雹ひょうあり、般陽新城県蝗いなごあり、宗仁衛屯田霜隕り禾を殺し、睢州河決し、順徳・汴梁・徳安・汝寧諸路旱かんばつあり、その租を免ず。梅州・饒州・鎮江・邠州諸路飢え、糶米三万餘石をしんす。

八月戊子(十日)、上都香殿を修す。辛卯(十三日)、雲南白夷雲龍州を寇す。癸巳(十五日)、歳星天罇を犯す。辛丑(二十三日)、使者を遣わし代わりに岳瀆名山大川を祀らしむ。勅す、「諸王私に京に入る者は、その用いる所を供すべからず。諸部曲宿衛私に京に入る者は、これを罪す。」度支監に命じ阿塔赤の掌る駝馬をおとし、外郡に於いてこれを飼わしむ。大都路檀州・鞏昌府静寧県・延安路安塞県雨雹あり。衛輝路汲県河溢る。南恩州・瓊州飢え、糧一月を賑す。臨江路・帰徳府飢え、糧二月を賑す。衡州・建昌・岳州飢え、糶米一万三千石を賑す。

九月戊申朔(一日)、天下を十八道に分かち、使者を遣わし宣撫す。詔して曰く、「朕洪業を祗承し、夙夜惟寅つつしみ、凡そ治を図る所以のものは、悉く祖宗の成憲に遵う。さきしばしば中外百司に詔し、徳沢を宣布し、賦をめぐみ刑をつまびらかにし、貧民を賑恤し、黎元と共に生あるの楽を享けんとす。なお慮う、有司未だ朕が意を体せず、庶政或いは闕け、恵沢未だあまねからず、承宣する者は撫綏に失い、司憲する者は糾察に怠り、吾が民をして重く困せしむるを。朕甚だあわれむ。今奉使宣撫を遣わし、諸道に分行し、官吏の不法を按問し、民の疾苦をとうね、寃滞を審理し、凡そ利を興し害を除くべきものは、宜しきに従い舉行せしむ。罪ある者は、四品以上は職を停め申請せしめ、五品以下は便に処決せしむ。其れ政績尤も異なるもの、及び丘園に跡をくらますも才輔治に堪うる者は、つぶさに名を以て聞かしむ。」湖広行省参知政事馬合某・河東宣慰使李処恭を以て両浙江東道に、江東道廉訪使朵列禿・太史院使斉履謙を以て江西福建道に、都功徳使挙林伯・荊湖宣慰使蒙弼を以て江南湖広道に、礼部尚書李家奴・工部尚書朱蕡を以て河南江北道に、同知枢密院事阿吉剌・御史中丞曹立を以て燕南山東道に、太子詹事別帖木児・宣徽院判韓譲を以て河東陝西道に、吏部尚書納哈出・董訥を以て山北遼東道に、陝西塩運使衆家奴・中書断事官韓庭茂を以て雲南省に、湖南宣慰使寒食・冀寧路総管劉文を以て甘粛省に、山東宣慰使禿思帖木児・陝西行省左丞廉惇を以て四川省に、翰林侍講学士帖木児不花・秘書卿呉秉道を以て京畿道に遣わす。郡県飢うるを以て、詔して粟十五万石を運び瀕河諸倉に貯え、以て賑救に備え、仍有司に勅し義倉を治めしむ。大都・順徳・衛輝等十郡の酒を醸するを禁ず。富民の粟を入れて官を拝するを募る。二千石は従七品、千石は正八品、五百石は従八品、三百石は正九品とす。仕えんと願わざる者はその門をむ。諸王斡即使いを遣わし金浮図を貢ぐ。己酉(二日)、海運江南糧百七十万石京師に至る。庚戌(三日)、尚乗寺・光禄寺を復た正三品と為し、銀印を給す。癸丑(六日)、車駕大都に至る。使者を遣わし海神天妃を祀らしむ。甲寅(七日)、飢民の扁担社を結ぶを禁ず。人を傷つくる者は杖一百、令と為して著す。乙卯(八日)、太廟を享る。己未(十二日)、岑世興上言し、自ら反せざるを明らかにし、蒙古・漢人の監貳官を置くを請う。詔してゆるやかにこれに従う。壬戌(十五日)、諸王牙即馬を貢ぐ。丁丑(三十日)、河間陳玉帯河をさらう。広西徭賓州を寇す。礼部員外郎元永貞言う、「鉄失の弑逆しいぎゃくは、皆鉄木迭児より禍を始む。請うその罪を明らかにし、仍録して史館に付し、以て人臣の戒めと為せ。」漢中道文州霖雨ながあめあり、山崩る。檀州雨雹あり。開元路三河溢る。瓊州・南安・徳慶諸路飢え、糧・鈔を差等を付けて賑す。

冬十月戊寅朔、張珪が保定に帰り墓参し、病を理由に禄を辞したが、許されなかった。岑世興とその子鉄木児が衆を率いて上林等州を寇し、これを撫諭するよう命じた。壬午、成都路の酒造りを禁じた。癸未、倒剌沙を御史大夫とした。丁亥、太廟を享した。己丑、恩平王塔思不花の部に鈔五千錠を賜った。壬辰、熒惑が氐を犯した。癸巳、填星が退いて井を犯した。播州の凱黎苗が諸寨の苗・獠を率いて寇した。乙未、皇后亦憐真八剌が帝師より仏戒を受けた。丁酉、広西の徭酋何童が降り、辺境を防ぎ自ら効力を請うたので、これに従った。乙巳、寧遠知州添插が言うには、安南国の土官押那がその木末諸寨を攻掠したので、これを治めるよう請うた。安南の世子に勅して押那にその捕虜を帰すよう諭させた。丙辰、寧夏路・曹州の属県に水害があった。州・衢州路が飢饉となり、二月分の糧を賑給した。

十一月戊申、周王和世㻋が使者を遣わし豹を献上した。長寧軍を州に改めた。庚戌、旭邁傑が歳の飢饉を理由に皇后の上都における営繕を罷めるよう請うたので、これに従った。紐澤が病を理由に罷免を乞うたが、許されなかった。丙辰、郭菩薩らが誅せられ、その党は杖流に処せられた。丁巳、大承華普慶寺に幸し、影堂において昭献元聖皇后を祀り、僧に鈔千錠を賜った。岑世興が八番の蛮班光金らと結んで合兵し石頭等寨を攻めたので、兵を調発してこれを防ぐよう勅した。八番宣慰司の官は備えを失した罪に坐した。戊午、填星が退いて井宿の鉞星を犯した。己未、詔して台綱を整飭せしめた。庚申、倭船が来て互市した。広西道宣慰使が徭酋潘宝を捕らえて獄に下したところ、その弟潘見が柳州を寇したので、湖広行省左丞乞住にこれを捕らえるよう命じた。壬戌、軍民官で蔭襲する者は、本貫において宗支を図し、申請して銓授を受けるよう勅した。丙寅、倒剌沙が再び中書左丞相となり、開府儀同三司・録軍国重事を加えられた。丁卯、蒙山銀冶提挙司を罷め、瑞州路にこれを管轄させた。壬申、諸王不賽因に鈔二万錠・帛百匹を賜った。諸王斡耳朵罕が使者を遣わし広西の徭寇を追捕したことを上聞した。帝は言った、「朕が即位して以来、累次詔を天下に下して黎元を憫恤してきたが、ただ広西の徭が屡々叛き、良民を殺掠するので、斡耳朵罕らにこれを討たせた。今、迎えて降る者が甚だ多いと聞く。宜しく更に恩をもってこれを撫すべし。もし果たして悔い改めないならば、厳兵をもって追捕せよ。」京師が飢饉となり、米四十万石を賑糶した。内郡が飢饉となり、鈔十万錠・米五万石を賑給した。河間諸郡の流民が通・漷二州に食を求めたので、有司にこれを存恤するよう命じた。杭州路が火災となり、貧民に一月分の糧を賑給した。常徳路が水害となり、民が飢えたので、糧一万一千六百石を賑給した。

十二月戊寅、塔失帖木児を中書右丞相とした。癸未、塔失帖木児に開府儀同三司・上柱国・録軍国重事・監修国史を加え、薊国公に封じた。諸王不賽因が使者を遣わし珠を貢ぎ、鈔二万錠を賜った。乙酉、帝は再び帝師より仏戒を受けた。熒惑が天江を犯し、辰星が建星を犯した。丁亥、鹿頂殿を修した。鎮南王脱不花が薨じ、中書平章政事乃馬歹を遣わしてその地を鎮めることを摂行させた。中書省の臣が言うには、山東・陝西・湖広は戎夷と地を接しているので、宗室を選んで往鎮させることを議するよう請うたので、これに従った。図讖を厳禁し、私蔵して献上しない者はこれを罪することを申し令した。癸巳、京師に盗賊が多いので、塔失帖木児が重囚を処決し、邏卒を増調し、なお捕盗の賞格を立てるよう請うたので、これに従った。甲午、太白が壘壁陣を犯した。張珪を保定より召還した。丁酉、紐澤に知枢密院事を加え、馬某沙とともに開府儀同三司とした。瑞州路の酒禁を弛めた。左丞乞住・諸王斡耳朵罕が徭賊を征討してこれを破った。元江路の土官普山が寇したので、戍兵にこれを捕らえるよう命じた。壬寅、大寧路・鳳翔府が飢饉となり、酒造りを禁じた。右丞趙簡が内地において区田法を行い、宋の董煟の編んだ救荒活民書を州県に頒布するよう請うた。済南・延川の二路が飢饉となり、鈔三千五百錠を賑給した。惠州・杭州等の処が飢饉となり、差等をもって賑糶した。

この年、陝西府に雨雹があった。御河の水が溢れた。故翰林学士不花・中政使普顔篤・指揮使卜顔忽里は鉄失らに繫がれて死んだので、功臣の号及び階勲爵諡を贈った。