元史

本紀第三十: 泰定帝二

三年春正月丙午朔、征東行省左丞相・高麗國王王璋が使者を遣わし方物を奉り、正旦を賀す。播州宣慰使楊燕里不花が蠻酋黎平慶らを招諭して降伏させた。戊申、元江路総管普雙が叛き、雲南行省に命じてこれを招捕せしむ。諸王薛徹禿・晃火帖木兒が来朝し、金・銀・鈔・幣を賜うこと差等あり。壬子、諸王寬徹不花を封じて威順王とし、湖広に鎮せしむ。買奴を封じて宣靖王とし、益都に鎮せしむ。各々に鈔三千錠を賜う。山東・湖広の官田を民に賜い耕墾せしめ、人ごとに三頃とし、なお牛具を与う。諸王不賽因が使者を遣わし西馬を献ず。前翰林學士吳澄を徴す、起たず。都水庸田司を松江に置き、江南の河渠水利を掌らしむ。己未、武平王帖古思不花部の軍民に鈔を賜い、人ごとに十五錠。湘寧王八剌失里をして兀魯思部に鎮せしむ。辛酉、太白外屏を犯す。癸亥、朵列捏を封じて國公とす。知樞密院事撒忒迷失を以て嶺北行中書省平章政事とす。戊辰、緬國乱る。その主答里也伯が使者を遣わし師を乞い、馴象方物を献ず。安南國の阮叩が思明路を寇し、湖広行省に命じて兵を督しこれを備えしむ。大都路の属縣飢え、糧六万石を賑す。恩州水害あり、糧を以てこれを賑す。

二月丁丑、謀逆厭魅を首告する能う者に賞を与うることを購い、賞格を立て、中外に諭す。庚辰、魯王阿児加失里部の瓮吉剌貧民に鈔六万錠を賑す。諸王魯賓を命じて大宗正とす。壬午、広西全茗州の土官許文傑が諸徭を率いて叛き、茗盈州を寇し、知州事李德卿らを殺す。湖広行省に命じて兵を督しこれを捕えしむ。乃馬台を以て知樞密院事とす。甲申、翰林國史院において太祖・太宗・睿宗の御容を祭る。丁亥、中書が征徭を罷むることを請う。敕して斡耳朵罕らに班師せしめ、その鎮戍する者は故の如し。己丑、汴梁路の酒醸を禁ず。甲午、真定玉華宮を葺う。乙未、崇天門において佛事を修し雷を厭う。丙申、盧師寺に顯宗の神御殿を建て、額を賜いて大天源延聖寺と曰う。敕して金書西番字の藏経を以てす。甲戌、五臺山に殊祥寺を建て、田三百頃を賜う。爪哇國が使者を遣わし方物を貢ぐ。庚子、通政院使察乃を以て中書平章政事とす。甲辰、車駕上都に幸す。諸王也忒古不花及び中書省臣兀伯都剌・察乃・善僧・許師敬・朵朵を命じて居守せしむ。典醫署を立て、秩従五品、詹事院に隷す。帰徳府属縣に河決し、民飢え、糧五万六千石を賑す。河間・保定・真定三路飢え、糧四月を賑す。建昌路飢え、糶米三万石を賑す。

三月乙巳朔、帝雨降らざるを以て自ら責め、重囚を審決することを命じ、使者を遣わし分かち五嶽四瀆・名山大川及び京城の寺観を祀らしむ。安南國が龍州萬戸趙雄飛らに侵されたと言い、掠められたものを還すよう諭すことを乞う。詔して広西道に官を遣わしこれを究めしむ。丙午、填星井宿の鉞星を犯す。丁未、百官に勅して急務を集議せしむ。中書省臣らが衛士を汰い、濫賞を節し、営繕を罷め、徭寇を防ぎ、諸寺官署の坑冶等の事を中書に帰することを請う。並びにこれに従う。壬子、司天監において星を禜う。癸丑、八番巖霞洞の蠻が来降し、歳ごとに布二千五百匹を輸することを願い、蠻夷官を設けてこれを鎮撫す。乙卯、民間の金龍文織幣を禁ずることを申す。丁巳、諸王失剌を遣わし北辺に鎮せしむ。戊午、詔して緬國を安撫し、その主に金幣を賜う。甲子、功德使司に命じて歳修の佛事一百三十七を簡ぶ。丙寅、翰林承旨阿憐帖木兒・許師敬が帝訓を訳し成り、更めて名を皇圖大訓と改め、勅して皇太子に授く。國子生を試験す。僧を遣わし臨洮・鳳翔・星吉児宗山等の処において佛事を修せしむ。諸王孛羅鐵木児・阿剌忒納に各々鈔二千錠を賜う。戊辰、熒惑壘壁陣を犯し、填星井を犯す。庚午、填星・太白・歳星井に聚まる。辛未、泉州の民阮鳳子乱を起こし、城邑を寇し陥す。軍民官は討たざるを失したるを以て罪に坐す。永平・衛輝・中山・順德諸路飢え、鈔六万六千余錠を賑す。寧夏・奉元・建昌諸路飢え、糧二月を賑す。大都・河間・保定・永平・済南・常徳諸路飢え、その田租の半を免ず。

四月丙戌、鎮安路総管岑修広が弟の修仁に攻められ、来告す。湖広行省に命じてこれを辨治せしむ。戊戌、太白鬼を犯す。壬寅、熒惑壘壁陣を犯す。容米洞蠻の田先什用ら十二洞の蠻と結び長陽県を寇す。湖広行省が九姓長官彭忽都不花を遣わしこれを招く。田先什用ら五洞降伏し、余は兵を発してこれを討つ。夏津・武城の河堤三十三所を修し、丁一万七千五百人を役す。

五月甲辰朔、藩王怯別が使者を遣わし豹を献ず。乙巳、鎮雷の佛事三十一所を修す。甘粛行省臣言う、「赤斤に粟を儲うるも、軍士川を度えて遠く給する不便なり、請う復た曲尤の地に徙すことを」。これに従う。上都の復仁門を修す。涇州飢え、酒醸を禁ず。福建の歳供蔗餳の造りを罷む。西僧の馳駅して民を擾すを以て、これを禁ず。甲寅、八百媳婦蠻の招南通がその子招三聴を遣わし方物を奉り来朝す。乙卯、帝師の兄鎖南蔵卜を以て西番三道宣慰司事を領せしめ、公主を尚し、王爵を錫う。寿寧公主に印を与え、なお田百頃・鈔三万錠を賜う。甲子、中書が歳鈔の出納の数を会し、用を節して不足を補うことを請う。これに従う。監察御史が宣撫使朶児只班、学士李塔剌海・劉紹祖を劾し、庸鄙にして任に勝えずとす。中書議す、「三人皆勳旧の子孫、罪に実状なし、その職を復することを乞い、なお憲台に勅して空言を以て妄りに劾せしめざらしむ」。これに従う。丁卯、岑世興及び鎮安路の岑修文が山獠・角蠻六万余人と合して寇す。湖広・雲南行省に命じてこれを招諭せしむ。指揮使兀都蠻を遣わし西番の呪語を居庸関の崖石に鐫らしむ。庚午、乞住が永明県五洞の徭を招諭して来降せしむ。河西加木籠四部来降す。答児麻班蔵卜を以て卜剌麻沙搠部を領せしめ、公哥班を以て古籠羅烏公遠宗蘭宗孛児間沙加堅部を領せしめ、唆南監蔵卜を以て蘭宗古卜剌卜吉里昔吉林亦木石威石部を領せしめ、朶児只本剌を以て籠答吃列八里阿卜魯答思阿答蔵部を領せしむ。雄州飢え、太平・興化の属縣水害あり、並びにこれを賑す。廬州・欝林州及び洪沢の屯田旱害あり、揚州路属縣の財賦官田水害あり、並びにその租を免ず。

六月癸酉朔(一日)、藩王ケベク(怯別)に七宝の束帯を賜う。トハ・テムル(禿哈帖木兒)を四川行省平章政事とする。母の喪に終わりまで服することを請うて、これを聴す。癸未(十一日)、播州の蛮族黎平愛が再び叛き、謝烏窮と合して寇となる。宣撫使楊燕禮不花が平愛を招き出して降す。烏窮は従わず、湖広行省にこれを討たしむ。丁亥(十五日)、湘寧王バラシリ(八剌失里)をしてアナンダ(阿難答)の地に出鎮せしむ。戊子(十六日)、諸王トクト(脱脱)ら来朝し、金・銀・鈔・幣を差等ありて賜う。乙未(二十三日)、梁王王禪及び諸王チェチェト(徹徹禿)に北軍を鎮撫せしむ。王禪に鈔五千錠、幣帛各二百匹を賜う。丁酉(二十五日)、道士呉全節を遣わして龍虎・三茅・閣皂の三山に醮事を修めしむ。戊戌(二十六日)、使者を遣わして解州の塩池神を祀る。中書省の臣言う、「近頃郡県に旱魃蝗害あり、臣らが調和を図れざるに由る。故に災異降りて戒めと為す。今恐懼して自ら戒め省み、善政を力行すべし。亦た冀くは陛下敬慎して徳を修め、生民を憫み恤われんことを」。帝嘉してこれを納る。昌王バラシリ(八剌失里)の部に鈔四万錠を賑恤す。呉王ポピ(潑皮)に鈔一万錠を賜う。己亥(二十七日)、皇姉寿寧公主の娘サダバラ(撒答八剌)を中宮に納れる。道州路櫟所源の徭が寇となる。キジュ(乞住)に兵を督してこれを捕えしむ。奉元・鞏昌の属県に大なる雹あり、峡州旱魃、東平の属県に蝗害、大同の属県に大水、萊・蕪等処の冶戸飢饉、鈔三万錠を賑恤す。光州水害、中山安喜県雹害にて稼を傷つく。大昌屯の河決つ。大寧・廬州・徳安・梧州・中慶諸路の属県に水害旱害あり、並びにその租を蠲免す。

秋七月甲辰(三日)、車駕上都を発す。車騎の民禾を践むことを禁ず。遼王トクト(脱脱)、太母ヨエルン(月也倫)の宮の守兵及び女直の屯戸を復すことを請う。聴さず。太祖の四大オルド(斡耳朵)の歳賜に銀二百錠・鈔八千錠を増給す。使者を遣わして海神天妃を祀る。豹を養う氊車三十両を造る。乙巳(四日)、ケリンク(怯憐口)の屯田に霜害あり、二月分の糧を賑恤す。丙午(五日)、太廟を享る。丁未(六日)、紹慶酉陽寨の冉世昌及び何惹洞の蛮が寇となる。行宮の駝馬及び宗戚将校で北辺に駐冬する者は、軽々しく京師に至るなからしむと詔す。辛亥(十日)、アドチ(阿都赤)を綏寧王に封じ、鈔四千錠を賜い、金印を給す。壬子(十一日)、皇后、水晶殿にてヤマンダガ(牙蠻答哥)の戒を受けらる。甲寅(十三日)、大乾元寺に幸す。五方仏の銅像を鋳造せしむと敕す。乙卯(十四日)、翰林侍講学士アルウィ(阿魯威)・直学士燕赤に世祖の聖訓を訳させ、経筵進講に備えしむと詔す。戊午(十七日)、諸王ブサイ(不賽因)、駝馬を献ず。日本の僧瑞興ら四十人を遣わして還国せしむ。潜邸に別殿を造る。敕す、「粟を納めて官を拜する者は、致仕の銓格に准ずべし」。己未(十八日)、諸部の王妃の京に入り饑饉を告ぐることを禁ず。ヨル・テムル(月魯帖木兒)をして斉王を嗣がしめ、金印を給す。八百媳婦蛮の招南通、使いを遣わして来朝し、馴象及び方物を献ず。乙丑(二十四日)、兵を発して野狐・色沢・桑乾の三嶺の道を修めしむ。戊辰(二十七日)、太白天を経る。己巳(二十八日)、大理の土官ニナン(你囊)来たり方物を献ず。庚申(十九日)、広西宣慰副使王瑞、戍兵を増し、及び土民を以て屯田し蛮に備え、仍く南寧安撫司を置くことを請う。河、鄭州・陽武県に決つ。民一万六千五百余家を漂わす。これを賑恤す。永平・大都の諸属県に水害、大風、雹害あり。龍興・辰州の二路火災。大名・永平・奉元諸路の属県に旱害。汴梁路水害。大名・順徳・えい輝・淮安等路、睢・趙・涿・等州及び諸位の屯田に蝗害。大同の渾源河溢る。檀・順等州の両河決つ。温榆水溢る。永平・奉元に鈔七万錠を賑恤す。濠州の飢民に麦三万九千余石を賑糶す。京城外に棄てられた骸を埋めしめ、死状明らかならざる者は、有司にこれを究めしむ。

八月甲戌(三日)、ウバドラ(兀伯都剌)・許師敬、並びに災変饑饉を以て政柄を解くことを乞う。聴さず。乙亥(四日)、ナイマタイ(乃馬台)を遣わして辺兵を簡閲せしめ、鈔千錠を賜う。大天源延聖寺の神御殿成る。戊寅(七日)、澄清の石牐を修む。甲申(十三日)、太廟を享る。長春宮の道士藍道元、罪に坐して罷黜せらる。詔す、「道士に妻ある者は、悉く徭役を給せ」。黄羊坡の民二百五十戸を韃靼部に遷す。寧遠州の洞蛮刁用、寇となる。雲南行省にこれを備えしむ。丁亥(十六日)、梁王王禪を遣わしてオルドス(斡耳朵思)の辺事を整飭せしむ。辛卯(二十日)、雲南行省丞相イルギダイ(亦児吉䚟)・廉訪副使サンジウタイ(散只兀台)、酒を以て相詆毀することを使う。状聞こえ、両者を釈すと詔す。甲午(二十三日)、災変を以て狩猟を罷む。河南のタンマチ(探馬赤)軍を賑恤し、その余丁を籍す。行宣政院及び功德使司を罷む。武備寺の逋負する兵器を免ず。丁酉(二十六日)、藩王ブサイ(不賽因)、使いを遣わして玉及び独峯駝を献ず。この夜、太白軒轅の御女を犯す。星変を以て、詔を下して民を恤う。辛丑(三十日)、中都に次す。汪火察禿の地に畋猟す。太師アンタンチュ(按攤)に鈔二千八百錠を賜う。鹿頂殿成る。甘肅のジャフン倉(札渾倉)を罷め、その軍儲をオングラ倉(汪古剌倉)に徙す。戸部尚書郭良、贓に坐して免ぜらる。海津鎮に天妃宮を造る。西番の土官サキャプ(撒加布)来たり方物を献ず。海寇黎三来たり附く。廉州の蜑戸に詔を諭して業に復せしむ。塩官州に大風、海溢れ、堤防三十余里を壊す。使者を遣わして海神を祭るも止まず、居民千二百五十家を徙す。大都昌平に大風、民居九百戸を壊す。龍慶路に雹一尺、大風にて稼を損ず。真定蠡州・奉元蒲城等県及び無為州諸処に水害。河中府・永平・建昌印都・中慶・太平諸路及び広西両江に飢饉あり、並びに粟を発してこれを賑恤す。揚州崇明州に大風雨、海水溢れ、溺死者に棺を給してこれを殮む。杭州火災、一月分の糧を賑恤す。

九月丁未、上都に留守判官二員を増置し、推官を兼ねさせる。辛亥、帝師に命じて京に還り、大明・興聖・隆福の三宮において灑浄の仏事を修せしむ。丁巳、大都・上都・興和の酒禁を弛める。庚申、車駕は大都に至る。壬戌、察乃に度支事を領せしむ。癸亥、太白星が太微垣の右執法を犯す。大車里の新附蛮官七十五人に裘・帽・鞾・襪を賜う。戊辰、懽赤らを諸王怯別・月思別・不賽因の三部に使わす。潜邸の貧民に鈔二十万錠を賑給す。湖広行省太平路総管郭扶・雲南行省威楚路禿剌寨長哀培・景東寨長阿只弄の男阿吾・大阿哀寨主の弟你刀・木羅寨長哀卜利・茫施路土官阿利・鎮康路土官泥囊の弟陀金客・木粘路土官丘羅・大車里の昭哀の姪哀用・孟隆甸土官吾仲、並びに方物を奉じて来献す。昭哀の地に木朵路一・木来州一・甸三を置き、吾仲の地に孟隆路一・甸一を置き、哀培の地に甸一を置き、並びに金符・銅印を降し、仍として幣・帛・鞍・勒を差等を以て賜う。中書省臣言う、「今国用継がず。陛下は世祖の勤倹を法とし、以て永図と為すべし。臣等在職、苟も濫りに恩賞を承くる者有らば、必ず回奏すべし」と。帝嘉してこれを納る。揚州・寧国・建徳の諸属県水害、南恩州旱害、民飢え、並びにこれを賑う。汾州平遥県に汾水溢る。廬州・懐慶の二路蝗害。

冬十月辛未朔、卒四千を発して通州の道を治め、鈔千六百錠を給す。甲戌、紐澤を右御史大夫に陞す。庚辰、太廟を享る。顕宗の御容を大天源延聖寺に奉安す。辛巳、太白星が進賢を犯す。天寿節、道士を遣わして衛輝の太一万寿宮を祠らしむ。壬午、帝師は疾を以て撒思加の地に還る。金・銀・鈔・幣万計を賜い、中書省に勅して官を遣わして従行せしめ、供億を備えしむ。癸酉、河水溢れ、汴梁路楽利堤壊る。丁夫六万四千人を役してこれを築く。京師飢え、粟八十万石を発し、価を減じてこれを糶す。大天源延聖寺に鈔二万錠を賜い、吉安・臨江の二路に田千頃を賜う。中書省臣言う、「軍民を養給するは、必ず地利に籍る。世祖は大宣文弘教等の寺を建て、永業を賜い、当時すでに虚費と号す。而して成宗は復た天寿万寧寺を搆え、世祖に較べれば、用増して倍半なり。武宗の崇恩福元・仁宗の承華普慶の如きは、租榷の入る所、益々甚だし。英宗は山を鑿ち寺を開き、兵を損じ農を傷つけて、而して卒に益無し。夫れ土地は祖宗の所有、子孫は当に共にこれを惜しむべし。臣恐らくは茲より後、口実と為し、妄りに工役を興し、福利を徼りて以て私欲を逞うすを。惟うに陛下これを察せられんことを」と。帝嘉してこれを納る。(十一月)庚子、陝西行臺中丞姚煒、世祖の嘉言善行を集め、以て時に省覧せんことを請う。これに従う。瀋陽・遼陽・大寧等の路及び金・復州水害、民飢え、鈔五万錠を賑う。懐慶修武県旱害、その租を免ず。寧夏路万戸府・慶遠安撫司飢え、並びにこれを賑う。寧夏路の酒禁を弛む。宣撫使馬合某・李讓、浙西廉訪使完者不花の賄賂を受くるを劾す。簿対して服せず。詔して刑部郎中唆住を遣わし、その使者を侵辱するを鞫せしめ、これを笞す。藩王不賽因、使いを遣わして虎を献ず。

四年春正月甲辰、諸王買奴来朝し、金一錠・銀十錠・鈔二千錠・幣帛各四十匹を賜う。乙巳、御史臺臣郊廟の親祀を請う。帝曰く、「朕は世祖の旧制に遵う。その命にて大臣をして摂行せしめよ。」己酉、太白牛宿を犯す。庚戌、紹慶路石門十寨巡検司を置く。御史辛鈞言う、「西商宝を鬻ぐに、動もすれば数十万錠を以てす。今水旱ありて民貧し。その費を節せんことを請う。」報いず。壬子、中政院の金銀鉄冶を中書に帰す。靖安王闊不花陝西に出鎮し、鈔二千錠を賜う。癸丑、諸王阿剌忒納失里等に鈔六千錠を賜う。甲寅、鷹師脱脱病み、鈔千錠を賜う。戊午、珠宝首飾を市うことを命ず。庚申、皇子允丹蔵卜智泉寺にて仏戒を受く。塩官州海水溢れ、捍海堤二千余歩を壊す。甲子、武籠洞蛮武縁県諸堡を寇す。丁卯、燕南廉訪司真定常平倉を立てんことを請う。報いず。会通河を浚い、漷州護倉堤を築き、丁夫三万人を役す。初めて雲南行省検校官を置く。遼陽行省諸郡饑え、鈔十八万錠を賑す。彰徳・淮安・揚州諸路饑え、並びにこれを賑す。大寧路水害あり、溺死者に人ごとに鈔一錠を給す。

二月辛未、先農を祀る。甲戌、大承華普慶寺にて太祖・太宗・睿宗の御容を祭り、翰林院官を以て事を執らしむ。乙亥、親王也先鉄木児北辺に出鎮し、金一錠・銀五錠・鈔五百錠・幣帛各十匹を賜う。丙子、亦烈赤に仁宗神御殿の事を領せしめ、大司徒しと亦憐真乞剌思を大承華普慶寺総管府達魯花赤と為し、仍て大司徒とす。壬午、漷州に狩す。諸王火沙・阿栄・答里北辺に出鎮し、金・銀・鈔・幣を差等ありて賜う。帝師参馬亦思吉思卜長出亦思宅卜卒す。塔失鉄木児・紐沢に仏事を監修せしむるを命ず。丙戌、詔して同僉枢密院事燕帖木児に諸衛軍を教閲せしむ。戊子、襲封衍聖公孔思晦の階を嘉議大夫に進む。馬思忽を雲南行省平章政事と為し、烏蒙屯田を提調せしむ。庚寅、八百媳婦蛮酋招南通来たり方物を献ず。辛卯、白虹日を貫く。尚供総管府及び雲需総管府を上都留守司に隷す。奉元・廬州・淮安諸路及び白登部饑え、糧を差等ありて賑す。永平路饑え、鈔三万錠・糧二月分を賑す。

三月辛丑、皇子允丹蔵卜北辺に出鎮す。那海赤を恵国公と為し、内史府事を商議せしむ。癸卯、和寧地震し、声雷の如し。丙午、廷試進士阿察赤・李黼等八十五人、進士及第・出身を差等ありて賜う。西僧に止風の仏事を行わしむるを命ず。潮州路判官錢珍、推官梁楫の妻劉氏を挑み、従わず、楫を誣いて獄に下しこれを殺す。事覚り、珍薬を飲みて死す。詔して尸を戮し首を伝示す。海北廉訪副使劉安仁、珍の賂を受けしに坐し除名せらる。辛亥、諸王槊思班・不賽亦等、文豹・西馬・佩刀・珠宝等の物を以て来献し、金・鈔万計を賜う。庚申、江南に使いを遣わし奇花異果を求む。辛酉、太傅朵台を太師と為し、太保禿忽魯を太傅と為し、也可扎魯忽赤伯達沙を太保と為す。前太師伯忽に大事を議せしめ、その俸を終身食らわしむるを敕す。翰林学士承旨蔡国公張珪・集賢大学士廉恂・太子賓客王毅を召し、悉く旧職に復し、陝西行臺中丞敬儼を集賢大学士と為し、並びに中書省事を商議せしめ、珪は仍て経筵事を領す。諸王火沙部に鈔四千錠を賜う。郡王朵来・兀魯兀等部畜牧災あり、鈔三万五千錠を賑す。中書省臣哈散等累朝の宝売価鈔十万二千錠に酬ゆることを請う。従う。壬戌、車駕上都に幸す。武備寺同判六員を復設す。親王八剌失里に察罕脳児に出鎮せしむるを命ず。寛徹を国公に封ず。阿散火者に枢密院事を知らしむ。渾河決す。軍民万人を発してこれを塞ぐ。丁卯、熒惑井宿を犯す。衛候直都指揮使司を復置し、秩正四品とす。諸王不賽因使いを遣わし文豹・獅子を献ず。鈔八千錠を賜う。大寧・広平二路属県饑え、鈔二万八千錠を賑す。河南行省諸州県及び建康属県饑え、糧を差等ありて賑す。

夏四月辛未、盗太廟に入り、武宗の金主及び祭器を窃む。大理慶甸酋阿你寇と為る。壬申、武宗主を作る。甲戌、棕毛鹿頂楼を作る。己卯、道州永明県徭寇と為る。癸未、塩官州海水溢れ、地十九里を侵す。都水少監張仲仁及び行省官に工匠二万余人を発し、竹落木柵に石を実めてこれを塞がしむ。止まず。癸巳、高州徭電白県を寇し、千戸張恒力戦し、これに死す。邑人祠を立て、敕して額を「旌義」と賜う。甲午、西僧公哥列思巴冲納思監蔵班蔵卜を帝師と為し、玉印を賜い、仍て天下の僧に諭す詔を下す。乙未、武備寺卿阿昔児答剌罕を御史大夫と為す。回回司天臺にて星を禜す。湖広徭全州・義寧属県を寇し、守将にこれを捕えしむ。河南・奉元二路及び通・順・檀・薊等州、漁陽・宝坻・香河等県饑え、糧両月分を賑す。河間・揚州・建康・太平・衢州・常州諸路属県及び雲南烏撒・武定二路饑え、糧・鈔を差等ありて賑す。永平路饑え、その租を免じ、仍て糧両月分を賑す。

五月辛丑、太尉丑驢卒す。癸卯、塩官州海溢を以て、天師張嗣成に醮を修めてこれを禳わしむるを命ず。乙巳、天寿万寧寺に成宗神御殿を作る。己未、占城国使いを遣わし方物を貢ぐ。甲子、宗廟を典守して厳ならざるを以て、太常礼儀院官を罷む。丁卯、賀蘭山及び諸行宮にて仏事を修す。諸王分地州県長官の世襲を罷め、常調の官の如くせしめ、三載を以て考と為す。元江路総管普双贓に坐して免ぜらる。遂に蛮兵を結び乱を為す。敕してその旧職に復す。徳慶路徭来降し、掠めし男女を帰し、悉くその親に給す。河南・江陵属県饑え、糧を差等ありて賑す。汴梁属県饑え、その租を免ず。常州・淮安二路、寧海州大いに雹ふる。睢州河溢る。大都・南陽・汝寧・廬州等路属県旱蝗あり。衛輝路大風九日、禾尽く偃す。河南路洛陽らくよう県に蝗五畝ばかりあり、群烏これを食い尽くす。数日して蝗再び集まり、又これを食う。

六月辛未、翰林侍講学士阿魯威・直学士燕赤らが進講し、なお『資治通鑑』を訳して進めることを命じる。参知政事史惟良が職を解き帰養することを請うが、許さず。丁丑、倒剌沙らが災変を理由に罷免を乞うが、許さず。両都の営繕工役を罷める。諸郡の囚人を記録する。己卯、永興屯が災害を受け、その租を免ず。辛巳、象輿六乗を造る。癸未、察乃・伯顔を大都に派遣して銓選に当たらせる。甲申、広西花角蛮が寇す。命じてその部に討たせる。乙未、紹慶路四洞の酋長阿者らが降り、ともに蛮夷長官に任じ、なお巡検司を設けてこれを撫でる。義倉の粟を発し、塩官州の民を賑済する。廬州路が飢え、糧七万九千石を賑済する。鎮江・興国の二路が飢え、差等を設けて糶を賑済する。中山府に雨雹あり。汴梁路で黄河が決壊す。汝寧府は旱魃。大都・河間・済南・大名・峡州の属県に蝗害あり。

秋七月丁酉朔、元江路普双が再び叛く。戊戌、諸王燕只吉台が襲位し、使いを派遣して来朝す。己亥、八児忽部の晃忽が来たり方物を献ず。御史台臣が言うに、内郡・江南に旱魃・蝗害が相次いで至るは、国の細事にあらず。丞相塔失帖木児・倒剌沙、参知政事不花・史惟良、参議買奴、ともに解職を乞う。旨あり、「多く辞するなかれ。朕自ら戒めん。卿等もまた各々その職を敬うべし」と。大明殿を修す。占城国が馴象二頭を献ず。郿県に横渠書院を建て、宋の儒者張載を祠る。辛丑、斉王月魯帖木児に鈔二万錠を賜う。甲辰、播州蛮の謝烏窮が来たり方物を献ず。丙午、太廟を享る。丁未、勅す、「経筵講読官は、代わる者なき限り職を去るべからず」と。宗正府に詔諭し、獄を決するに世祖の旧制に遵うべし。戊戌、翰林侍読学士阿魯威を大都に還し、世祖の聖訓を訳させる。壬子、諸王火児灰・月魯帖木児・八剌失里及び駙馬買住罕に鈔一万五千錠、金・銀・幣・帛を差等を設けて賜う。甲寅、使いを西域に派遣して旄牛を買わしむ。丁巳、斉王月魯帖木児に印を給す。伯顔察児・兀伯都剌が病を理由に政務を解くことを乞う。優詔を以て諭す。戊午、謀粘路の土官賽丘羅が八百媳婦蛮の招三斤を招諭して来降せしむ。銀沙羅の土官散怯遮が賽丘羅を殺す。勅して雲南王に人を遣わしこれを諭さしむ。癸亥、寿寧公主に鈔五千錠を賜う。岐王鎖南管卜が訴う、荊王也速也不干がその分地を侵すと。命じて甘粛行省に籍を閲してこれを帰せしむ。乙丑、周王和世㻋及び諸王燕只哥台らが来貢す。金・銀・鈔・幣を差等を設けて賜う。使いを派遣して海神天妃を祀る。丙寅、僧・道で妻ある者を籍して民と為す。保安鎮の渠を塞ぎ、民丁六千人を役す。この月、籍田に蝗害あり。雲州で黒河の水溢る。衢州で大雨水あり、倉を開き飢えたる者を賑済し、漂死者に棺を給す。延安の属県は旱魃、その租税を免ず。遼陽で遼河・老撒加河が溢れ、右衛率部は飢え、ともにこれを賑済す。

八月戊辰、累朝の斡耳朵に差等を設けて鈔を給す。癸酉、別乞烈失に寧国公の印を給す。度支監卿孛羅が職を辞し母に奉養することを請うが、許さず。皇后の乳母に鈔千七百錠を賜う。滹沱河の水溢る。丁を発し冶河を浚ってその勢いを殺がしむ。奉元路治中単鵠が言う、民に珍禽異獣を採捕せしむるは不便なり、これを罷むるを請う。勅す、「応に狩猟すべき者はこれを捕えて進めよ」と。乙亥、公主不答昔你に媵戸の鈔四千錠を賜う。苗人祭伯秧が李陀寨を寇す。命じて湖広行省にこれを捕えしむ。庚辰、粟十万石を運び瀕河の諸倉に貯え、内郡の飢饉に備う。田州洞の徭が寇す。湖広行省を派遣してこれを捕えしむ。癸未、営王也先帖木児に鈔三千錠を賜う。乙酉、伯亦斡耳朵に欽明殿を造り成る。壬辰、御史李昌が言う、「河南行省平章政事童童は、世々河南に官し、大いに奸利を為す。他鎮に徙すを請う」と。報えず。癸巳、武宗皇后に諡して宣慈恵聖と曰い、英宗皇后に諡して荘静懿聖と曰い、太廟に升祔す。衛軍八千人を発し、白浮・甕山河の堤を修す。この月、揚州路崇明州・海門県で海水溢る。汴梁路扶溝・蘭陽県で河溢れ、民田屋を没す。ともにこれを賑済す。建徳・杭州・衢州の属県に水害あり。真定・晋寧・延安・河南等路の屯田は旱魃。大都・河間・奉元・懐慶等路に蝗害あり。鞏昌府通渭県で山崩る。碉門で地震あり、声雷の如く、昼晦しむ。天全道で山崩れ、飛石人を斃す。鳳翔・興元・成都・峡州・江陵同日に地震す。

九月丙申朔、日食あり。阿察赤的斤が木綿の大行帳を献ず。勅す、「国子監は旧制に仍り、歳に業成の生員六人を貢せよ」と。僧道が民田を買うことを禁じ、違う者は罪に坐し、その直を没収す。壬寅、寧夏路で地震あり。壬子、太白星房宿を犯す。甲寅、湖広土官宋王保が来たり方物を献ず。壬戌、歓赤らを諸王怯別等の部に派遣す。甲子、御史が言う、「広海は古より流放の地なり。職官で贓污ある者をここに処し、懲戒を示すを請う」と。これに従う。保定・真定の二路が飢え、糧三万石・鈔一万五千錠を賑済す。

閏月丁卯、諸王徹徹禿・渾都帖木児に鈔各五千錠を賜う。己巳、太白星天を経る。車駕大都に至る。壬申、災変を以て天下に赦す。広西両江の徭が寇す。命じてその部にこれを捕えしむ。甲戌、命じて天地を祀り、太廟を享け、五嶽四瀆・名山大川に致祭せしむ。甲午、八百媳婦蛮が官守を請う。その地に蒙慶宣慰司都元帥府及び木安・孟傑の二府を置き、同知烏撒宣慰司事你出公・土官招南通をともに宣慰司都元帥と為し、招諭人米徳を同知宣慰司事副元帥と為し、南通の子招三斤を木安府知事と為し、姪混盆を孟傑府知事と為し、なお鈔・幣をそれぞれ差等を設けて賜う。建昌・贛州・惠州諸路が飢え、米四万四千石を賑済す。土番階州が飢え、鈔千五百錠を賑済す。奉元・慶遠・延安諸路が飢え、差等を設けて糶を賑済す。

冬十月丙申、太廟を享す。戊戌、諸王脱別帖木児・哈児蛮等、玉及び蒲萄酒を献じ、鈔六千錠を賜う。己亥、御史徳住、東宮官を選ぶことを請う。癸卯、帝師に命じ、大天源延聖寺にて仏事を行わしむ。甲辰、建徳路烏龍山の神を改めて忠顕霊沢普佑孚恵王と曰う。乙巳、昼に流星あり。己酉、治書侍御史王士熙を以て参知政事となす。辛亥、監察御史亦怯列台卜答言す、都水庸田使司民を擾わす、これを罷むることを請う。癸丑、江浙行省左丞相脱歓答剌罕・平章政事高昉、海溢民を病ますを以て、解職を請う、允さず。雲南沙木寨の土官馬愚等来朝す。丁巳、御史中丞趙世延を以て中書右丞とし、中書参議傅巌起を以て吏部尚書となす。御史韓鏞言す、「尚書は三品の秩なり、巌起は吏より累官して四品に至る、法によりて昇るを得ず。」制可す。安南使いを遣わし来たり方物を献ず。戊午、辰星東咸を犯す。監察御史馮思忠、太常に命じ累朝の礼儀を纂修することを請う。壬戌、開南州の土官阿只弄、蛮兵を率いて寇と為り、雲南行省これを招捕す。肅州・沙州・亦集乃の三路に推官を増置す。大都路諸州県霖雨、水溢れ、民田廬を壊し、糧二十四万九千石を賑う。衞輝獲嘉等県饑え、鈔六千錠を賑い、仍て丁地税を蠲す。龍興路属県旱、その租を免ず。大名・河間二路属県饑え、並びにこれを賑う。

十一月庚午、晉寧路の醸酒を禁ず。価を減じて京倉の米十万石を糶き、以て貧民を賑う。思州の土官田仁を以て思州宣慰使となす。雲南王帖木児不花を召し上都に赴かしむ。癸酉、太白壘壁陣を犯す。乙亥、熒惑天江を犯す。丙子、公主不答昔你に鈔千錠を賜う。平楽府の徭寇と為り、湖広行省兵を督してこれを捕う。辛卯、降蛮の謝烏窮を以て蛮夷官となす。雲南の蒲蛮来附し、順寧府・宝通州・慶甸県を置く。緬国主答里必牙、行省を迷郎崇城に復立することを請う、允さず。孛斯来附す。伯亦斡耳朵に駱駝・牛を給す。歳饑を以て、内郡の山沢の禁を開く。永平路水旱、民饑え、その賦を三年蠲す。諸王塔思不花部の衞士饑え、糧千石を賑う。冀寧路陽曲県地震す。

十二月庚子、米三十万石を発し、京師の饑を賑う。絳州太平県の趙氏の婦、一産に三子を産む。盗を捕うる令を定め、限内に獲ざる者はその贓を償わしむ。辛丑、塔失鉄木児・倒剌沙に勅し、内史府四斡耳朵の事を領せしむ。癸卯、安南使いを遣わし来たり方物を貢す。甲辰、梧州の徭寇と為り、湖広行省兵を督してこれを捕う。戊申、諸王孛羅使いを遣わし碙砂を貢し、鈔二千錠を賜う。癸丑、趙世延及び中書参議韓譲・左司郎中姚庸に命じ、国子監を提調せしむ。乙卯、爪哇使いを遣わし金文豹・白猴・白鸚鵡各一を献ず。蔡国公張珪卒す。万歳山の花木八百七十本を植う。丙辰、諸王孛羅帖木児等に鈔四千錠を賜う。己未、歳星退きて太微西垣上将を犯す。静江路の徭兵寇と為り、湖広行省兵を督してこれを捕う。右江諸寨の土官岑世忠等来たり方物を献ず。大都・保定・真定・東平・済南・懐慶諸路旱、田租の半を免ず。河南・河間・延安・鳳翔の属県饑え、並びにこれを賑う。

この歳、汴梁・延安・汝寧・峽州旱、済南・衞輝・済寧・南陽八路の属県蝗。汴梁諸属県霖雨、河決す。揚州路通州・崇明州大風、海溢る。

致和元年春正月乙丑朔、高麗王使いを遣わし来朝賀し、方物を献ず。甲戌、太廟を享す。蚕麦図を絵せしむることを命ず。乙亥、百司に詔諭す、「凡そ任に赴かず及び職を擅に離るる者は、その官を奪い、差遣を避くる者はこれを笞せよ。」御史鄒惟亨言す、「時に太廟を享するに、三献官旧は皆勳戚大臣なりしが、近くは戸部尚書を以て亜献と為す、人既に疏遠にして、礼厳粛を為し難し。請う旧制に仍り、省・台・枢密・宿衞の重臣を以てこれを行わしめよ。」丁丑、農桑旧制十四条を天下に頒ち、仍て有司を詔して勤惰を察せしむ。己卯、帝将に柳林に畋らんとす、御史王献等歳饑を以て諫む、帝曰く、「その衞士に禁じ民家を擾わすこと毋からしめ、御史二人を命じてこれを巡察せしめよ。」諸王星吉班部饑え、鈔一万錠・米五千石を賑う。占城使いを遣わし来たり方物を貢し、且つ交趾に侵さるると言う、詔してこれを解かしむるを諭す。僧・道の商税を匿すことを禁ず。宗仁衞の蒙古子女に六月分の糧を給す。辛巳、静江の徭霊川・臨桂の二県を寇し、広西に命じてこれを招捕せしむ。甲申、使いを遣わし海神天妃を祀る。戊子、詔して爪哇国主札牙納哥を優護し、仍て衣物弓矢を賜う。河南鉄冶提挙司を罷め、有司に帰す。帝師に命じ禁中にて仏事を修せしむ。陝西の塩を一年間撈くことを免ず。卒を発して京城を修す。益都諸属県の食塩を罷む。幸淵の龍神に福応昭恵公を加封す。河間・真定・順徳諸路饑え、鈔一万一千錠を賑う。大都路東安州・大名路白馬県饑え、並びにこれを賑う。

二月癸卯、汴梁路の酒禁を弛む。乙卯、牙即使いを遣わし蔵古来たり方物を貢す。庚申、天下に詔して元を致和と改む。河南の自実田糧を一年免じ、災を受けたる州郡の税糧を一年免じ、流民復業する者の差税を三年免じ、疑獄に係り三歳決せざる者は皆これを釈す。遼王脱脱に鈔五千錠を賜い、梁王王禅に鈔二千錠を賜う。壬戌、太白昼に見ゆ。癸亥、解州塩池の黒龍堰壊る、番休の塩丁を調べてこれを修せしむ。陝西諸路饑え、鈔五万錠を賑う。河間・汴梁二路の属県及び開成・乾州の蒙古軍饑え、並びにこれを賑う。

三月庚午、阿速衞の兵で出戍する者千人、人ごとに鈔四十錠を給す。貧乏者六千一百人、人ごとに米五石を給す。雲南安隆寨の土官岑世忠がその兄世興と相攻ち、その民三万二千戸を籍して来附し、歳ごとに布三千匹を輸し、宣撫司を立ててこれを総べることを請う。許さず。州一を置き、世興をもって知州事とし、県二を置き、世忠に人を挙げてこれを用いしむるを聴き、なおその兄弟に共に処するを諭す。万戸府二を立て、征西紅胖襖軍を領せしむ。塔失帖木児・倒剌沙言う、「災異未だ弭がず、官吏罪ありて黜罷せらるる者の怨誹より致る所なり、量才して敍用せんことを請う」と。これに従う。辛未、大天源延聖寺顕宗神御殿成る。総管府を置き財賦を司らしむ。壬申、雨霾ふ。甲戌、雅済国使いを遣わし方物を献ず。(乙)〔己〕卯、帝興聖殿に御し、帝師より無量寿仏戒を受く。庚辰、僧千人を命じて鎮国寺に仏事を修ましむ。辛巳、寿寧公主に塩価鈔一万引を賜う。甲申、戸部尚書李家奴を遣わし塩官に往き海神を祀らしめ、なお海岸を修するを集議せしむ。丙戌、詔して帝師に命じ僧をして塩官州に仏事を修ましめ、なお浮屠二百一十六を造り、以て海溢を厭わしむ。戊子、車駕上都に幸す。己丑、趙世延をもって経筵事を知らしめ、趙簡を経筵事に預からしめ、阿魯威を同知経筵事とし、曹元用・呉秉道・虞集・段輔・馬祖常・燕赤・孛朮魯翀並びに経筵官を兼ねしむ。雲南土官撒加布降り、方物を奉じて来献す。州一を置き、撒加布をもって知州事とし、羅羅宣慰司に隷し、その租賦を徴す。壬辰、太平路当塗県楊氏の婦、一産に三子を産む。晋寧・衞輝二路及び泰安州饑え、鈔四万八千三百錠を賑す。冀寧路平定州饑え、糶米三万石を賑す。陝西・四川及び河南府等処饑え、並びにこれを賑す。

夏四月丙申、欽州の徭黄焱等寇と為り、湖広行省に命じてこれを備えしむ。己亥、塔失帖木児・倒剌沙請う、凡そ蒙古・色目人漢法に效い丁憂する者はその名を除かんと。これに従う。壬寅、李家奴石囤を作り海を捍する議を以て聞く。己酉、御史楊倬等民の饑を以て、僧道の儲粟を分ちてこれを済さんことを請う。報いず。甲寅、蒙山の神を改めて嘉恵昭応王と曰い、塩池の神を霊富公と曰い、洞庭廟の神を忠恵順利霊済昭佑王と曰い、唐柳州刺史柳宗元を文恵昭霊公と曰う。戊午、金銀器皿を偽造するを禁ず。大都・東昌・大寧・汴梁・懐慶の属州県饑え、粟を発してこれを賑す。保定・冠州・德州・般陽・彰徳・済南の属州県饑え、鈔を発してこれを賑す。是の月、霊州・濬州大雨雹。薊州及び岐山・石城二県蝗。広寧路大水。崇明州大風、海溢す。

五月甲子、官を遣わし分かち流民を護り還郷せしめ、なお千人に聚まるを禁じ、違う者は杖一百。丙寅、広西普寧県の僧陳慶安乱を作し、国を建つるを僭し、元を改む。己巳、八百媳婦蛮子哀招を遣わし馴象を献ず。癸酉、在京の流民にして廃疾なる者を籍し、糧を給して還遣す。大理怒江甸の土官阿哀你楽辰諸寨を寇し、雲南行省に命じて兵を督しこれを捕えしむ。庚辰、流星有り、大さ缶の如く、その光地を燭す。甲申、安南国及び八洞蛮の酋長使いを遣わし方物を献ず。戊子、嶺北行省平章政事塔失帖木児をもって中書平章政事となす。是の月、燕南・山東東道及び奉元・大同・河間・河南・東平・濮州等処饑え、鈔十四万三千余錠を賑す。峡州の属県饑え、糶糧五千石を賑す。冀寧・広平・真定諸路の属県大雨雹。汝寧府潁州・衞輝路汲県蝗。涇州霊台県旱。

六月、高麗世子完者禿その印を取るを訴え、平章政事買閭を遣わし往き高麗王を諭し、これを還さしむ。丙午、使いを遣わし世祖の神御殿を祀る。是の月、諸王喃答失・徹徹禿・火沙・乃馬台諸(郡)〔部〕風雪に畜牧を斃し、士卒饑え、糧五万石・鈔四十万錠を賑す。奉元・延安二路饑え、鈔四千八百九十錠を賑す。彰徳の属県大雨雹。南寧・開元・永平諸路水。江陵路の属県旱。河南(安德)〔徳安〕屯蠖桑を食う。

秋七月辛酉朔、寧夏地震す。庚午、帝崩ず。寿三十六。起輦谷に葬る。己卯、大寧路地震す。癸未、欽明殿に仏事を修す。乙酉、皇后・皇太子旨を降し百姓を安んずるを諭す。丙戌、太白軒轅の大星を犯す。

九月、倒剌沙皇太子を立てて皇帝と為し、元を天順と改め、天下に詔す。

泰定の世、災異数見え、君臣の間、亦未だその咎を引き躬を責むるの実を見ず。然れども能く祖宗の法を守るを知りて以て行い、天下事無く、治平と称せらる。これその以て称すべき所以なり。