七年春正月戊戌、仁宗豫せず。帝、憂ひ色に形はる。夜は則ち香を焚き、泣きて曰く「至尊、仁慈を以て天下を御し、庶績順成し、四海清晏なり。今、天大厲を降す。我が身を罰殛するに如かずして、至尊をして永く民主たらしめよ」と。辛丑、仁宗崩ず。帝、哀毀礼を過ぎ、素服して地に寝し、日に一粥を歠す。癸卯、太陰斗を犯す。甲辰、太子太師鐵木迭兒、太后の命を以て右丞相と為る。丙午、使を遣はし内外の刑獄を分ち讞せしむ。戊申、通・漷二州の蒙古貧民を賑ふ。知樞密院事四員を汰む。巫・祝・日者の宗戚・大官に交通するを禁ず。
二月壬子、永福寺の造作を罷む。大同・豊州諸驛の饑を賑ふ。江浙行省左丞相黒驢を以て中書平章政事と為す。丁巳、仏事を修す。戊午、社稷を祭る。永福寺に御容殿を建つ。富民の宿衞に名を竄むる者を汰ひ、蒙古諸驛に役を給す。己未、糧を宣徳・開平・和林諸倉に儲め、以て賑貸供億に備ふ。復た都水監を中書に隷す。辛酉、太陰軒轅御女を犯す。平章政事赤斤鐵木兒・御史大夫脱歓、罷められて集賢大学士と為る。壬戌、太陰霊台を犯す。甲子、鐵木迭兒・阿散、捕へ逮ふることを請ふ、四川行省平章政事趙世延を京に赴かしむ。参議中書省事乞失監、官を鬻ぐに坐し、刑部法を以て杖すべしとす。太后命じて之を笞かしむ。帝曰く「不可なり。法は天下の公なり。私に徇ひて之を軽重するは、天下に公を示すに非ざるなり」と。卒に其の罪を正す。丙寅、陝西行省平章政事趙世栄を以て中書平章政事と為し、江西行省右丞木八剌を以て中書右丞と為し、参知政事張思明を以て中書左丞と為し、中書左丞換住、罷められて嶺北行省右丞と為る。丁卯、太陰日星を犯す。白雲宗総摂沈明仁、法に不法有りて罪に坐す。詔して江南に白雲僧と冒する者を籍し民と為す。己巳、鎮雷仏事を京城四門に修す。上都乾元寺規運総管府を罷む。庚午、太陰斗を犯す。辛未、民間の係官山場・河泊・窰冶・廬舍を括す。壬申、陝西行台御史大夫答失鐵木兒を召して闕に赴かしむ。遼陽・大同・上都・甘肅の官牧羊馬牛駝を以て朔方民戸に給し、仍て曠地を給して屯種せしむ。癸酉、崇祥院の地を括勘す。其の官地を以て献じて冒する者は其の直を追ひ、民地を以て献ずる者は其の主に帰す。開平の重囚を決す。丙子、京城環衞の更番法を定め、五衞漢軍の歳例に准ず。丁丑、前中書平章政事李孟の受けたる秦国公の制命を奪ひ、仍て其の先墓の碑を仆つ。戊寅、中書平章政事兀伯都剌、罷められて甘粛行省平章政事と為り、阿礼海牙、罷められて湖広行省平章政事と為る。鐵木迭兒、前御史中丞楊朵児只・中書平章政事蕭拜住の太后の旨に違ふを以て、命を矯ひて之を殺し、並びに其の家を籍す。徽政院使失列門、太后の命を以て朝官を更むることを請ふ。帝曰く「此れ豈に官を除く時ならんや。且つ先帝の旧臣、豈に軽く動かすべけんや。予の即位を俟ち、宗親・元老に議ひ、賢なる者は之を任じ、邪なる者は之を黜くべし、可なり」と。司農卿完者不花言す「先帝、土田を以て諸臣に頒賜せし者は、宜しく悉く之を官に帰すべし」と。帝問ひて曰く「賜はりし者は誰ぞ」と。対へて曰く「左丞相阿散の得たる所多し」と。帝曰く「予常に卿等に諭す、公心を以て輔弼すべしと。卿、先朝に嘗て海舶の税を請ひしも、阿散の奏するを以て止む。今卿の言ふ所は、乃ち復た私憾のみ。公議に非ず。豈に輔弼の道ならんや」と。遂に完者不花を出だして湖南宣慰使と為す。僧輦真吃剌思等の受けたる司徒・国公の制を奪ひ、仍て其の印を銷す。
三月辛巳、中書礼部を以て教坊司を領せしむ。壬午、陳州・嘉定州の饑を賑ふ。爪哇、使を遣はし入貢す。戊子、太陰酒旗上星を犯し、熒惑進賢を犯す。諸王・駙馬の流竄する者を徴し、侍従を給し、遣はして就き分邑に就かしむ。庚寅、帝即位す。詔して曰く
洪惟ふに太祖皇帝、期に膺かり運を撫し、帝業を肇開し;世祖皇帝、神機睿略、四海を統一す。聖を以て聖に継ぎ、我が先皇帝に迨るまで、至仁厚徳、羣生を涵濡し、万国に君臨し、十年茲に在り。社稷の遠図を以て、天下の大本を定め、宗親に協謀し、我に冊宝を授く。方に春宮の政に与らんとし、遽かに昭考の天に賓す。諸王貴戚、元勲碩輔、咸く朕の宜しく先帝の付託の重きを体し、皇太后の擁護の慈しきに、既に深く人心に繫かるを謂ふ。詎んぞ神器を虚くすべけんや。辞を合せて進むるを勧め、誠意交はりて孚る。乃ち三月十一日、皇帝の位に即く、大明殿に於てす。天下を赦すべし。
皇太后を太皇太后と尊称した。この夜、太陰が明堂を犯した。壬辰の日、太皇太后が興聖宮において百官の朝賀を受けた。鉄木迭児が開府儀同三司・上柱国・太師に進んだ。群臣で散官を超授された者は、朝会において班次を越えてはならないと勅した。諸王也孫鉄木児・脱脱那顔らに金銀・幣帛を差等を付けて賜った。寧夏路の軍民の飢えを賑済した。甲午の日、宝慈殿において仏事を行った。木憐・渾都児など十一駅の飢えを賑済した。乙未の日、日暈があり連環のようであった。丙申の日、斡羅思らが内附したので、鈔一万四千貫を賜い、その部に還した。知枢密事也児吉尼を派遣して鞏昌等路の屯戍を検覈させ、甘州の戍卒を選抜した。戊戌の日、上都留守司の留守五員を淘汰した。吏員の官秩を従七品で止めることを、以前の制度通りに定めた。庚子の日、太常礼儀院・通政院・都護府・崇福司を降格して、いずれも従二品とした。蒙古国子監・都水監・尚乗寺・光禄寺を降格して、いずれも従三品とした。給事中・闌遺監・尚舎寺・司天監を降格して、いずれも正四品とした。その官は一等ずつ降格し差等があり、七品以下は降格しなかった。辺境に駐屯する諸王・駙馬および将校士卒に金銀・幣帛を差等を付けて賜った。羊五十万頭・馬十万匹を買い入れ、北辺の貧乏な者を養った。辛丑の日、璽書を擅に奏することを禁じた。枢密院に左・右衛率府を兼ねて管轄させた。壬寅の日、前中書平章政事李孟を降格して集賢侍講学士とし、以前に受けていた制命をすべて奪った。御史台の臣が詔を下して百司に諭し、台綱を粛正するよう請うた。帝は言った、「卿らはただ職を守り言を尽くせばよい。善であれば朕は行うであろう。否であっても汝らを罪とはしない」。甲辰の日、内外に鉄木迭児を沮み議するなと詔した。医・卜・工匠の任子を罷めることを勅し、その技芸が精絶な者は選んで用いた。丙午の日、南郊で祭祀を行い、即位を告げた。丁未の日、崇祥院を罷め、民匠都総管府を将作院に隷属させた。
夏四月庚戌朔、太廟で祭祀を行い、即位を告げた。仏速の司徒の官を追奪した。少府監を罷めた。儀鳳・教坊・広恵諸司の品秩を復した。行中書省丞相を罷めた。河南行省丞相也先鉄木児・湖広行省丞相朶児只的斤・遼陽行省丞相は、いずれも本省の平章政事に降格し、ただ征東行省丞相高麗王のみは降格しなかった。諸王鉄木児不花に鈔一万五千貫を賜った。甲寅の日、太白が填星を犯した。乙卯の日、国子監・都水監を復置し、官秩を正三品とした。回回国子監・行通政院を罷めた。諸王徹徹禿を寧遠王に封じた。京師の勢家が民と均しく役すべきことを詔で申し命じた。那懐・渾都児の駅戸が飢えたので、これを賑済した。戊午の日、社稷を祀り、即位を告げた。己未の日、紹慶路の洞蛮が寇したので、四川行省にこれを捕らえるよう命じた。香山において遁甲神を祭った。平章政事王毅らに命じて、在京諸倉庫の糧帛の虧欠額を徴理させた。和林の酒禁を厳しく申し命じた。庚申の日、百官で越階した者を降格し、いずれも受けた職に依らせた。太常礼儀院使拜住を中書平章政事とした。西僧牙八的里を元永延教三蔵法師とし、金印を授けた。壬戌の日、太陰が房を犯した。即位により、宿衛軍を賞した。馬三万匹を徴発し、蒙古の流民に与えて、その部に還した。通・漷二州の蒙古戸に夏布を与えた。鉄木迭児が政務への参決を請い、諸臣が隔越して擅に奏することを禁じるよう請うたので、これに従った。乙丑の日、仁宗の喪で卒哭し、七日間仏事を行った。戊辰の日、車駕が上都に行幸した。海運が直沽に至ったので、兵千人を調発して防戍させた。王煦を鷄林郡公に封じた。仁宗を祔祀することを議し、陰陽の拘忌により、暫く綵殿を太室の東南に結び、神主を奉った。己巳の日、河間・真定・済南等処の蒙古軍が飢えたので、これを賑済した。市舶司を罷め、商人が下番することを禁じた。郡県に散居する回回に課し、戸ごとに毎年包銀二両を輸納させた。両淮・荊湖・江南東西道の田賦を増やし、一斗あたり二升を加えた。大都・浄州等処の流民を賑済し、糧馬を与えて、北辺に還した。戊寅の日、蒙古・漢人の駅伝を再び通政院に隷属させた。七宝帯を献ずる者がおり、近臣を通じて進上した。帝は言った、「朕が大位に登ったが、卿らが賢を薦めることは聞かず、人のために帯を進めるとは、これは利をもって朕を誘うものである。これを返せ」。今月、左衛屯田は旱魃・蝗害があり、左翊屯田は虫が麦苗を食い、亳州は水害があった。
五月己卯朔、僧が駅伝を用いることを禁じ、かつて与えた璽書を収めた。庚辰の日、上都留守賀伯顔が便服で詔を迎えた罪で棄市に処し、その家を没収した。辛巳の日、汝寧府で霖雨が麦禾を損じたので、粟五千石を発して賑糶した。丁亥の日、沅陵県浦口千戸所を罷めた。己丑の日、中書省の臣が擅に除拜を奏することを禁じるよう請うた。帝は言った、「そうせよ。しかし朕が遺忘する恐れがあり、あるいは間隙に乗じて奏請し、名爵を濫賜するかもしれない。汝らはまた聞かせるべきである」。称海・五条河の屯田を復置した。僧に命じて雨を祈らせた。大同雲内・豊・勝諸郡県が飢えたので、粟一万三千石を発して貸し与えた。左丞相阿散を罷めて嶺北行省平章政事とした。拜住を中書左丞相とし、乃剌忽・塔失海牙をともに中書平章政事とし、只児哈郎を中書参知政事とした。庚寅の日、太陰が心を犯した。辛卯の日、参知政事欽察を罷めて集賢学士とした。上都の城門および駐冬の衛士を賑済した。使者を派遣して広東の番貨を専売させた。陝西の酒禁を緩めた。壬辰の日、和林の民閻海が餓死者三千余人を埋葬したので、その門を表彰した。癸巳の日、太陰が天狗を犯した。甲午の日、瀋陽の軍民が飢えたので、鈔一万二千五百貫を与えて賑済した。乙未の日、南郊において大行皇帝の諡を請うた。丙申の日、太白が畢を犯した。宗戚権貴が徭役を避け、また奸をなし科を犯すことを禁じた。戊戌の日、嶺北行省平章政事阿散・中書平章政事黒驢および御史大夫脱忒哈・徽政使失列門らが、故要束謀の妻亦列失八と謀って廃立を図ったと告げる者があった。拜住がその状を審問するよう請うた。帝は言った、「彼らがもし太皇太后を口実にしたらどうするか」。命じてことごとくこれを誅し、その家を没収した。隴西公汪世顕を追封して隴右王とした。辛丑の日、知枢密院事鉄木児脱を中書平章政事とした。壬寅の日、監察御史が僧・道・工・伶の爵位濫授および寺建立・獣飼養の費用を罷めるよう請うた。甲辰の日、阿散・黒驢・賀伯顔らを誅したことを天下に詔した。百司に日々政務に勤めるよう勅し、怠る者はこれを罪とした。丙午の日、御史劉恒が義倉を興し、僧・道の官を奪うよう請うた。亦列失八の子で江浙行省平章政事の買驢を捕らえるよう勅し、なおその家を没収した。丁未の日、王禅を雲南王に封じ、その地に鎮守させた。饒州番陽県が嘉禾を進上し、一茎に六穂あった。賀伯顔・失列門・阿散の家財・田宅を鉄木迭児らに賜った。
六月己酉朔、徽政院使米薛迷を金剛山に流す。脱忒哈・失列門がかつて人畜の産を奪ったことを以て、その主に返還させる。甲寅、前太子詹事床兀児、誅殺される。京師に疫病あり、万寿山にて仏事を修す。乙卯、昌王阿失の部に飢饉あり、鈔千万貫を賜い賑済す。阿散等を誅した功を賞し、拜住以下に金銀・鈔を差等ありて賜う。丙辰、河南行省平章政事埜仙帖穆児を京師に召す。脱忒哈の広平王の印を収む。丁巳、江西行省左丞相脱脱を御史大夫と為し、宗正扎魯火赤鉄木児不花に樞密院事を知らしむ。戊午、徽政院を罷む。広東採珠提挙司を罷め、有司を以てその事を領せしむ。知樞密院事塔失鉄木児を薊国公に封ず。己未、辺地にて家畜を盗む罪を犯した者を定め、各部に力役を与え、もし悔い改めざれば、内地の法の如く断罪す。庚申、太陰、斗を犯す。角觝百二十人に鈔各千貫を賜う。辛酉、詔して僧人の雑役を免ず。壬戌、諸使で京師に至る者を勅し、大事は五日、小事は三日にして遣還せしむ。この夜、月食既。癸亥、太陰、壘壁陣を犯す。乙丑、北辺の飢民を賑い、妻子ある者は鈔千五百貫、孤独なる者は七百五十貫を給す。新たに太祖の幄殿を作る。西番の盗賊洛各目、降伏す。丁卯、太白、井を犯す。諸王阿木里台に宴服・珠帽を賜う。戊辰、雷家駅の戸に鈔一万五千貫を賑給す。辛未、太陰、昴を犯す。甲戌、北辺の諸王伯要台等十人に鈔各二万五千貫を賜う。辺民に三月分の米を賑給す。寧夏の欽察魯の仏事を修し、鈔二百十二万貫を給す。丁丑、紅城中都威衛を忠翊侍衛親軍都指揮使司と改め、樞密院に隷属せしむ。章慶司・延福司・羣牧監・宮正司・遼陽万戸府を罷む。徽儀司を繕珍司に復し、善政司を都総管府に復す。内宰司・延慶司・甄用監を正三品に復す。益都に蝗害あり。荊門州に旱魃あり。棣州・高郵・江陵に水害あり。
秋七月戊寅朔、諸王曲魯不花に鈔一万五千貫を賜う。玄教宗師張留孫に命じ、崇真宮にて醮事を修せしむ。壬午、普定路に屯田を立て、烏撒・烏蒙の屯田卒二千を分遣して赴かしむ。和林の糧食を扎昆倉に運び、辺軍の便と為す。馬三万・羊四万を買い、辺軍の貧乏なる者に給す。癸未、大同・興和・冀寧の三路より馬を徴発し、衛士に頒つ。甲申、車駕将に北幸せんとす、左右翊軍を調発し北辺に赴かせ井戸を浚わしむ。知樞密院事買驢・哈丹を並びに遼陽行省平章政事と為す。丙戌、諸王買奴等に鈔二十五万貫を賜う。丁亥、太陰、斗を犯す。諸王告住等の部に火災あり、三月分の糧食と鈔一万五千貫を賑給す。晋王也孫鉄木児の部に飢饉あり、鈔五千万貫を賑給す。壬辰、女直万戸府及び狗站の脱脱禾孫を罷む。遼陽紅花万戸府の兵を解散す。扈従の諸営を大都に還遣し、民禾を踏み荒らすことを禁ず。安南より内附した人陳巖、その国の貢使多くは覘伺する者なりと言う、湖広行省に勅して淘汰して遣わしむ。乙未、西僧沙加に鈔一万五千貫を賜う。甘粛行省平章欽察台を以て樞密院事を知らしむ。回回の太医、打里牙という薬を進む、鈔十五万貫を給す。丙申、昌平・灤陽の十二駅は供億繁重なり、鈔三十万貫を給して賑済す。中書平章政事乃剌忽を罷む。安王兀都不花を降封して順陽王と為す。珍宝を献じて袞冕を製することを禁ず。戊戌、熒惑、房を犯す。樞密院の臣言う、「塔海万戸の部の不剌兀赤、北兵と戦い、軍士三百人を抜きて還り、その子を野に棄て、乗る所の馬を殺して士卒に啗わしむ、賞すべし」。鈔五千貫を賜う。斡魯思辰、諸王月児魯鉄木児の謀変を告ぐ、鈔一万五千貫を賞し、中外に勅し、賞を希って自ら請う者には与えざらしむ。己亥、太陰、昴を犯す。女巫伯牙台に鈔一万五千貫を賜う。庚子、江南行御史臺中丞廉恂を中書平章政事と為す。辛丑、公主扎牙八剌等に鈔七万五千貫を賜う。晋王也孫鉄木児、使者を遣わし地七千頃を朝廷に帰し、有司にその租を徴収せしめ、歳ごとに糧鈔を給せんことを請う、従う。遼陽の金銀鉄冶を中政院に帰属せしむ。癸卯、伶人に鈔二万五千貫、酒人に十五万貫を賜う。乙巳、知樞密院事也児吉尼を江西行省平章政事と為す。是の月、後衛の屯田及び潁・息、汝陽・上蔡等県に水害あり、霸州及び堂邑県に蝗の幼虫あり。
八月丁未朔、嶺北省の臣忻都、官銭を以て軍を犒うに坐し官を免ぜらる、詔してその職を復す。戊申、社稷を祭る。曲靖路の人匠提挙司を罷む。晋王の部の軍民に鈔二百五十万貫を賑給す。司天監にて星を禜す。辛亥、龍居河の諸軍を賑う。乙卯、上都に駐冬する衛士に鈔四百万貫を賜う。諸王木南即の部に飢饉あり、興聖宮の牧駝戸貧乏なり、並びに賑済す。丙辰、仁宗聖文欽孝皇帝・莊懿慈聖皇后を太廟に祔す、鉄木迭児、太尉を摂し、玉冊を奉じて行事す。太白、霊台を犯す。戊午、鉄木迭児、趙世延が嘗てその姦を弾劾せしを以て、不敬を誣えて獄に下し、これを殺さんことを請い、省・臺の諸臣を並びに究めんとす。允さず。帝涼亭に幸し、従容として近侍に謂いて曰く、「頃に鉄木迭児、必ずや趙世延を死地に置かんと欲す、朕素よりその忠良なるを聞く、故に毎に奏するも納れず」。左右咸に万歳を称す。乙丑、熒惑、天江を犯す。丁卯、太白、太微垣右執法を犯す。宮人官奴、日者を用いて太皇太后に星を禜せしめんことを請うに坐し、杖し、その資を没収す。脱思馬部宣慰使亦憐真、制に違いて兵を発せざるに坐し、杖して奴児干の地に流す。庚午、米十万石を発し京師の貧民に賑糶す。壬申、太陰、軒轅御女を犯す。甲戌、広東新州に飢饉あり、賑済す。河間路に水害あり。
九月甲申、寿安山寺を建て、鈔千万貫を給す。興和の馬を徴発し北部の貧民を贍う。五台山の樵採を禁ず。上都・嶺北・甘粛・河南諸郡の酒禁を罷む。乙酉、太陰、壘壁陣を犯す。丙戌、熒惑、斗を犯す。壬辰、玉華宮の歳享に用いる睿宗の登歌大楽を議するよう勅す。土番の利族・阿俄等五種、成谷を寇す、鞏昌総帥を遣わし兵を以てこれを討たしむ。循州の溪蠻秦元吉、寇す、守将を遣わしこれを捕えしむ。癸巳、太陰、昴を犯す。瀋陽に水旱ありて稼を害す、その山場河泊の禁を弛む。戊戌、太陰、鬼を犯す。己亥、太白、亢を犯す。庚子、常澧州の洞蠻貞公、諸洞を合わせて寇す、土官を命じてこれを追捕せしむ。癸卯、親王脱不花・搠思班、使者を遣わし来たり登極を賀す。甲辰、雲南木邦路の土官紿邦の子忙兀等、入貢す、幣を差等ありて賜う。馬扎蠻等を遣わし占城・占臘・龍牙門に使し、馴象を索む。廪蔵充たざるを以て、諸王の所部への歳給を停む。
冬十月丁未、時享を太廟にて行う。庚戌、太陰、斗にて熒惑を犯す。将作院使也速、珠衣の製作を監督し怠工の罪に坐し、杖刑に処し、その家を没収す。壬子、文徳殿にて四十日間仏事を行う。両淮の塩禁を厳しくする。丁巳、酉陽の聳儂洞蛮田謀遠、寇を為す。守臣に命じてこれを招捕せしむ。戊午、車駕、上都より至る。太常院の臣に詔して曰く、「朕、四時に太室を躬祀せんとす。宜しく群臣と集議してその礼を定むべし。これは遠きを追い本に報いるの道なり。朕が対越に労するを以て、これを損ずることなかれ。その悉く典礼に遵え」と。安南国、その臣鄧恭儉を遣わし来たりて方物を貢ぐ。庚申、仏書の訳出を命ず。辛酉、探馬赤の宿衛者を賜り労い、還して所部に遣わす。癸亥、太陰、井を犯す。乙丑、大護国仁王寺に幸す。帝師、醮八児監蔵を以て土蕃宣慰使都元帥と為さんことを請う。これに従う。酉陽の土官冉世昌、その子冉朝を遣わし、大・小石隄洞蛮を率いて入貢せしむ。丙寅、恭謝太廟の儀式を定む。丁卯、上都に皇后の為に鹿頂殿を造る。己巳、玉華宮の睿宗登歌楽の祭祀を廃す。翰林院に詔を訳し、中書に報告することを命ず。庚午、拜住に命じて寿安山寺の造営を監督せしむ。癸酉、諸王阿剌鉄木児を雲南に流す。
十一月丙子朔、帝、斎宮に御す。丁丑、太廟に恭謝し、仁宗の太室に至りて、即ち涕を流し、左右感動す。戊寅、海運の供給足らざるを以て、江浙行省に命じ、財賦府の租を以てこれを補い、その価を返し、宣徽・中政の二院に帰属せしむ。沙・浄二州の流民を検査し、本部に還らしむ。登極に因り、諸王・百官に大いに賜与す。中書、その数を会計し、金五千両、銀七十八万両、鈔百二十一万一千貫、幣五万七千三百六十四匹、帛四万九千三百二十二匹、木綿九万二千六百七十二匹、布二万三千三百九十八匹、衣八百五十九襲、鞍勒・弓矢に差等あり。嶺北の駅に牛馬を給す。今年の鈔本を造り、至元鈔五千万貫、中統鈔二百五十万貫。衛士の歳賜を冒して受けし者を淘汰す。庚辰、永平路の灤邑県を石城に併合す。定住等を遣わし、順陽王兀都思不花の邸の財物を収め、章佩監・中政院に入れる。京城の諸寺の邸舎の商税隠匿を禁ず。辛巳、親祀太廟の礼成るを以て、大明殿に御し朝賀を受く。甲申、翰林国史院に命じて仁宗実録を纂修せしむ。丁亥、光天殿にて仏事を行う。戊子、隆福宮に幸す。己丑、宣徳の蒙古駅飢え、通政院に命じてこれを賑済す。丁酉、各郡に帝師八思巴の殿を建つることを詔す。その制、孔子廟より加えあり。戊戌、交趾蛮儂志徳、脱零那乞等六洞を寇す。守将に命じてこれを討たしむ。使者を遣わし各行省の戍兵を実査せしむ。己亥、京官の俸鈔を計算し、米三分を給す。癸卯、熒惑、壘壁陣を犯す。甲辰、鉄木迭児言う、「和市の織幣薄悪なるは、董事者の謹まざるに由る。右丞高昉等の官を免じ、なお郡県に命じて更に造らしめ、その元の価を徴収すべし」と。許さず。太常礼儀院、時享太廟の儀式を擬進す。
この歳、獄を決すること軽重七千六百三十事。河、汴梁原武に決し、諸県を浸灌す。滹沱、文安・大城等県に決す。渾河溢れ、民田廬を壊す。秦州成紀県暴雨、山崩れ、朽ちたる土盛り上がり、畜産を覆没す。汴梁延津県大風昼晦し、桑多く損ず。大同雨雹、大なるもの鶏卵の如し。諸衛の屯田、霜隕りて稼を害す。益津県黒霜を雨らす。
二月、汴梁・帰徳饑う、粟十万石を発して賑糶す。河南・安豊饑う、鈔二万五千貫・粟五万石を以て之を賑す。戊申、社稷を祭る。中都威衛を忠翊侍衛親軍都指揮使司と改む。己酉、普慶寺に仁宗神御殿を作る。辛亥、軍三千五百人を調して上都華厳寺を修す。壬子、夜、金・火・土の三星奎に聚まる。大永福寺成る。金五百両・銀二千五百両・鈔五十万貫・幣帛万匹を賜う。丁巳、柳林に畋猟す。行宮を更に造るを敕す。監察御史観音保・鎖咬児哈的迷失・成珪・李謙亨、寿安山仏寺の造営を諫む。観音保・鎖咬児哈的迷失を殺し、珪・謙亨を杖ち、奴児干の地に竄す。己未、枢密院の臣、副使呉元珪に栄禄大夫を授くるを請う。階高きを以て允さず、正奉大夫を授く。木憐道三十一駅の貧戸を賑す。辛酉、太白熒惑を犯す。癸亥、太陰心を犯す。甲子、承徽寺を置く、秩正三品、常州・宜興の民四万戸を割きて之に隷す。丁卯、僧法洪を以て釈源宗主と為し、栄禄大夫・司徒を授く。台・省を越えて事を訴うるを禁ず。先朝の伝旨濫選する者を罷む。戊辰、公主扎牙八剌の従者に鈔七十五万貫を賜う。
三月甲戌朔、営王也先帖木児部の畜牧死損す。鈔五十万貫を賜う。丙子、京師に帝師八思巴寺を建つ。丁丑、大明殿に御して緬国の使者の朝貢を受く。太陰昴を掩う。公主買のに鈔五万貫を賜い、駙馬滅憐に鈔二万五千貫を賜う。諸王太平を汴に召す。民丁を発して小直沽白河を疏す。庚辰、廷試進士泰普化・宋本等六十四人、及第・出身を賜うこと差有り。辛巳、車駕上都に幸す。使を遣わして西番撒思加地の僧に金二百五十両・銀二千二百両・袈裟二万、幣・帛・旛・茶各差有りを賜う。壬午、呪師朶児只を遣わして牙済・班卜の二国に往きて仏経を取らしむ。癸未、御服珠袈裟を製す。甲申、仁宗実録、后妃・功臣伝を纂修するを敕す。乙酉、宝集寺金書西番波若経成る。大内香殿に置く。寿安山造寺の役軍を益す。己丑、大同路麒麟生ず。甲午、雲南王府を置く。己亥、宦者孛羅鉄木児罪に坐し、奴児干の地に流す。庚子、寧国路の饑を賑す。辛丑、鉄失を以て御史大夫と為し、金符を佩しめ、忠翊侍衛親軍都指揮使を領せしむ。癸卯、益都・般陽饑う、粟を以て之を賑す。
夏四月丙午、喃答失王府に銀印を給し、秩正三品。寛徹・忽塔迷失王府に銅印を給し、秩従三品。庚戌、太廟を享く。江州・贛州・臨江霖雨、袁州・建昌旱、民皆饑を告ぐ。米四万八千石を発して之を賑す。丁巳、広徳路旱、米九千石を発して直を減じて賑糶す。戊午、太陰心を犯す。己未、象駕金脊殿を造る。吉陽黎蛮寧遠県を寇す。庚申、太陰斗を犯す。戊辰、鉄木迭児の父祖の碑を賜うを敕す。宦者孛羅台を命じて太常署令と為す。太常官、刑人は大祭に与る難しと言う。遂に之を罷む。
五月丙子、上都の回回寺を毀ち、其の地を以て帝師殿を営む。益都・膠州の饑を賑す。丁丑、覇州蝗。戊寅、太白鬼積尸気を犯す。太陰軒轅を犯す。庚辰、太陰明堂を犯す。濮州大饑、司を命じて之を賑す。壬午、親王図帖穆爾を海南に遷す。日者諸王・駙馬に交通する毋からしむ。陰陽五科を掌る者占候を泄らす毋からしむ。興国路去年旱を以て、其の田租を免ず。丁亥、大安閣において仏事を修す。庚寅、諸王哈賓鉄木児部を賑す。沂州の民張昱妖言に坐し、済南の道士李天祥人に兵芸を教うるに坐す。之を杖つ。女直蛮赤興等十九駅饑う、之を賑す。辛卯、海漕の糧直沽に至る。使を遣わして海神天妃を祀る。縉山流杯池に行殿を作る。高郵府旱。癸巳、宝定路飛虫桑を食う。乙未、世家の子弟成童なる者を命じて国学に入らしむ。辛丑、太常礼儀院太廟制図を進む。壬寅、開元路霖雨。
六月癸卯朔、日食有り。上都に金浮屠を作り、仏舎利を蔵む。乙卯、鉄木迭児を以て宣政院事を領せしむ。丁巳、参知政事敬儼罷められて陝西行御史台中丞と為る。戊午、涇州雨雹。己未、太陰虚梁を犯す。滁州霖雨稼を傷つ、其の租を蠲す。辛酉、太白天を経る。趙弘祚等事を言う。郷里に帰るを勒し、仍て妄りに時政を言うを禁ず。壬戌、龍虎山張嗣成来朝す。太玄輔化体仁応道大真人を授く。乙丑、使を遣わして往きて江浙・江西・湖広・四川・雲南五省の辺郡官選を銓す。丁卯、司天臺において星を禜す。大同路雨雹。戊辰、衛輝・汴梁等の処蝗。己巳、上都留守只児哈郎を以て中書平章政事と為す。臨江路旱、其の租を免ず。通済屯霖雨稼を傷つ。覇州大水、渾河溢れ、災を被る者二万三千三百戸。
秋七月壬申朔、晋王也孫鐵木兒に鈔百万貫を賜う。遼陽・開元等路及び順州・邢臺等県に大水。癸酉、衛輝路胙城県に蝗害。乙亥、南恩・新州の飢饉を賑恤す。丙子、淮安路属県に水害。丁丑、太廟を享す。戊寅、通州潞県の榆棣水決す。庚辰、鹵簿成る。滹沱河及び范陽県の巨馬河溢る。辛巳、盩厔県の僧円明乱を為し、枢密院判官章台を遣わし兵を督して之を捕らしむ。壬午、通許・臨淮・盱眙等県に蝗害。癸未、太尉孛蘭奚を和国公に封ず。乙酉、大雨、渾河の堤防決す。庚寅、清池県に蝗害。癸巳、太陰昴を犯す。黄平府蛮の盧砰寇を為し、万戸何之祺等の官一級を削る。吏部尚書教化・礼部郎中文矩を遣わし安南に使いせしめ、登極の詔を頒つ。諸王闊別薨じ、鈔一万五千貫を賻す。丙申、服色の制を踰ゆるを禁ず。己亥、仁宗及び帝の御容を大聖寿万安寺に奉安す。蒲陰県に大水。庚子、上都の城を修す。河南・江浙の流民に業に復せしむるを詔す。淮西の蒙城等県飢饉。郃陽の道士劉志先妖術を以て乱を謀り、復た章台に命じて之を捕らしむ。薊州平谷・漁陽等県に大水。大都・保定・真定・大名・済寧・東平・東昌・永平等路、高唐・曹・濮等州に水害。順徳・大同等路に雨雹。乞児吉思部に水害。
八月壬寅朔、都城を修す。安陸府に水害、民の廬舎を壊す。癸卯、膠州の飢饉を賑恤す。甲辰、高郵興化県に水害、其の租を免ず。丙午、泰興・江都等県に蝗害。丁未、太陰心を犯す。戊申、社稷を祭る。上都の鹿頂殿成る。己酉、太陰斗を犯す。庚戌、軍士貧乏なるを以て、知枢密院事鐵木児不花を遣わし整治せしめ、仍て中外に詔諭し、敢えて擾害する者有らば之を罪す。北部の孤寡に糧・鈔を賑恤す。公主速哥八剌に鈔五十万貫を賜う。兀児速・憨哈納思等部貧乏、戸毎に牝馬二匹を給す。壬子、熒惑軒轅を犯す。乙卯、中書平章政事鐵木児脱罷められ上都留守と為る。壬戌、淮安路塩城・山陽県に水害、其の租を免ず。車駕興和に駐蹕し、左右寒甚しきを以て、京師に還るを請う。帝曰く「兵は牛馬を以て重と為し、民は稼穡を以て本と為す。朕の留まるは、蓋し馬に芻牧を得しめ、民に刈穫を得せしめんが為なり。一挙両得、何ぞ寒を計らんや」と。雷州路海康・遂渓二県に海水溢れ、民田四千余頃を壊し、其の租を免ず。秦州成紀県に山崩る。
九月乙亥、熒惑霊台を犯す。京師飢饉、粟十万石を発し減価して之を糶す。丙子、昂兀嶺に駐蹕す。壬午、熒惑太微西垣上将を犯す。諸王撒児蛮に鈔五万貫を賜う。壬辰、中書平章政事塔失海牙賕を受けしに坐し杖せられ免ぜらる。丁酉、熒惑太微垣右執法を犯す。車駕大都に還る。庚子、安陸府漢水溢れ、民田を壊し、之を賑恤す。
冬十月辛丑朔、大内に於いて仏事を修す。妖僧円明等誅せらる。甲辰、太白天を経る。戊申、熒惑太微垣左執法を犯す。庚戌、親しく太廟を享す。壬子、拜住嘉禾を献ず、両茎同穂。癸丑、翰林・集賢の官年七十なる者は致仕せしむる毋れと勅す。内郡水害あるを以て、不急の工役を罷む。蒙古の子女回回・漢人の奴と為りて鬻がるる者、官之を収養すと勅す。中書掾曹の機事を泄らすを禁ず。枢密に命じ官を遣わし各郡の兵馬を整視せしむ。戊午、趙王馬札罕部の銭糧総管府を置き、秩正三品。己未、肇慶路水害、之を賑恤す。丙寅、河南行省参知政事你咱馬丁残忍に坐し免官。丁卯、侍儀司通事舎人六員を増置し、侍儀舎人四員。己巳、燕鐵木児を遣わし辺を巡らしむ。
十一月辛未、熒惑進賢を犯す。乙亥、大護国仁王寺に幸す。丙子、太陰虚梁を犯す。戊寅、大明殿に御し、群臣尊号を上りて曰く継天体道敬文仁武大昭孝皇帝。是の夜、辰星房を犯す。己卯、尊号を受くるを以て天下に詔し、拜住囚を釈するを請うも、允さず。庚辰、寿安山寺の役卒三千人を益す。辛巳、御史大夫鐵失に命じ左・右阿速衛を領せしむ。丙戌、太陰井を犯す。丁亥、教官待選の者を以て広海巡検に借注す。己丑、太陰酒旗を犯し、又た軒轅を犯す。庚寅、拜住等言す「尊号を受くるは、宜しく太廟に謝し、一献の礼を行ふべし。世祖も亦た嘗て行はんと議し、武宗は則ち躬ら謝礼を行へり」と。詔して曰く「朕当に親しく謝すべし」と。太史に命じ日を卜せしめ、枢密に兵を選び鹵簿を肄はしむ。辛卯、太陰明堂を犯す。癸巳、営田提挙司の酒税を徴し民を擾すを以て、有司に命じ兼ねて之を榷む。甲午、遼陽行省管内の山場を中政院に隷せしむ。丙申、故丞相安童の碑を保定新城に立てしむと勅す。戊戌、鞏昌成州飢饉、義倉を発し之を賑恤す。己亥、太白西咸を犯す。
十二月庚子朔、蒙古子女に冬衣を給す。辛丑、亦啓烈氏を立てて皇后と為し、摂太尉・中書右丞相鐵木迭児を遣わし節を持ち玉冊・玉宝を授く。癸卯、后を立てしを以て天下に詔す。慶遠路飢饉、真定路疫病、並びに之を賑恤す。甲辰、熒惑亢を犯す。戊申、躬ら太廟に謝す。庚戌、太陰昴を犯す。太廟正殿を造営す。甲寅、玉泉河を疏す。車駕西僧の灌頂寺に幸す。己未、唆南蔵卜を白蘭王に封じ、金印を賜う。真定・保定・大名・順徳等路水害、民飢饉、酒を醸するを禁ず。金虎符を以て各行省平章政事に頒つ。辛酉、熒惑氐に入る。甲子、田糧提挙司を置き、薊・景二州の田賦を掌り、以て衛士貧乏なる者に給し、秩従五品。帝師公哥羅古羅思監蔵班蔵卜に命じ西番に詣り具足戒を受けしめ、金千三百五十両・銀四千五十両・幣帛一万匹・鈔五十万貫を賜う。諸王怯伯の使者数たび朝に入るを以て、兵を発し北口及び盧溝橋を守らしむ。河間路飢饉、之を賑恤す。復た馬家奴を以て司徒と為す。乙丑、中瑞司を置く。銅五十万斤を冶やし寿安山寺の仏像を造る。寧海州に蝗害。帰徳・遼陽・通州等処に水害。