元史

本紀第二十六:仁宗三

延祐四年

四年春正月庚子、帝は左右に謂いて曰く、「中書が比来奏上するに、百姓食に乏し、宜しく賑恤を加うべしと。朕黙して之を思うに、民の饑え此の如きは、豈に政に過差有りて以て然らしむるや?先に詔して百司に世祖の成憲を務め遵うべしとせしむ。宜しく力を勉めて奉行し、朕の及ばざるを輔うべし。然れども嘗て之を思うに、唯だ刑を省み賦を薄くするのみにて、庶幾くは百姓をして各おの其の生を遂げしめん」と。乙卯、諸王脱脱が雲南に駐し、軍民を擾害す。按灰を以て之に代う。丙辰、知樞密院事完者を以て雲南行省平章政事と為す。己未、帝師寺に廩食鈔一万錠を給す。壬戌、冀寧路地震す。戊辰、諸王也速也不干・明安答児部に三月分の糧を給す。

閏月庚辰、諸王孛羅を冀王に封ず。丙戌、皇太子を立てしことを以て天下に詔し、鰥寡孤独に鈔を給賜し、各路の租税を差等を以て減免す。諸王・宗戚の朝会する者に賜うこと、金三百両・銀二千五百両・鈔四万三千九百錠。辛卯、別鉄木児を汾陽王に封ず。壬辰、豳王南忽里部に鈔十二万錠を給し馬を買わしむ。汴梁・揚州・河南・淮安・重慶・順慶・襄陽の民皆饑う。廩を発して之を賑す。

二月庚子、諸王買閭部に鈔三万錠を賜う。甲辰、郡県の各社に勅して復た義倉を置かしむ。戊申、近侍完者不花に特授して翰林侍読学士・知制誥・同修国史と為す。癸亥、泰寧府を泰寧路に陞格し、仍た泰寧県を置く。乙丑、蒙古国子監の秩を正三品に陞げ、銀印を賜う。丙寅、諸王部が脱火赤の乱に値し、百姓貧乏するを以て、鈔十六万六千錠・米一万石を給して之を賑す。曹州水害有り、今年の租を免ず。

三月丁卯朔、靖州を路に陞格す。庚午、趙王阿魯禿部に糧四千石を給す。乙酉、太陰箕を犯す。辛卯、車駕上都に幸す。

夏四月戊戌、安王兀都思不花部に三月分の軍糧を給す。己亥、徳安府旱魃有り、屯田租を免ず。壬寅、太常礼儀院使拜住に加授して大司徒しとと為す。趙王阿魯禿に金五十両・銀五百両・鈔一千錠を賜う。懐来県を割きて龍慶州に隷せしむ。甲辰、太寧路を以て遼陽省に隷せしむ。戊申、答合孫辺境を寇す。呉王朶列納等和懐に於いて之を破る。金玉束帯・黄金・幣帛を差等を以て賜う。己未、諸王紐憐薨ず。乙丑、嶺北の酒を禁ず。帝嘗て夜に坐し、侍臣に謂いて曰く、「雨暘時ならず、奈何せん」と。蕭拜住対えて曰く、「宰相の過ちなり」と。帝曰く、「卿は中書に在らずや」と。拜住惶愧す。頃くして、帝香を露し黙祷す。既にして大雨、左右雨衣を以て進む。帝曰く、「朕民の為に雨を祈る、何ぞ避かんや」と。翰林学士承旨忽都魯都児迷失・劉賡等『大学衍義』を訳して進む。帝之を覧て、群臣に称して曰く、「『大学衍義』の議論甚だ嘉し。其れ翰林学士阿憐鉄木児をして国語に訳せしめよ」と。

五月辛未、上都留守闊闊出に授けて開府儀同三司・大司徒と為す。壬申、出征の諸王醜漢等に金銀・鈔幣を差等を以て賜う。乙亥、大長公主忙哥台に加封して皇姑大長公主と為し、金印を給す。戊寅、えい率府を改めて中翊府と為す。壬午、黄州・高郵・真州・建寧等の処、流民群を聚め、兵を把り抄掠す。所在の有司に勅す、「其の人を傷つけ及び盗む者は之を罪し、余は並びに糧を給して帰遣せよ」と。翰林学士承旨赤因鉄木児を以て中書平章政事と為し、中書平章兀伯都剌を集賢大学士と為す。己丑、中書右丞阿卜海牙を平章政事に陞格し、参政乞塔を右丞と為し、高昉を左丞と為し、参議中書省事換住・張思明を並びに参知政事と為す。

六月乙巳、太陰心を犯す。内外監察御史四十余人、鉄木迭児の姦貪不法を劾す。戊申、鉄木迭児罷免せらる。左丞相合散を以て中書右丞相と為す。己酉、兀伯都剌復た中書平章政事と為る。壬子、工部尚書王桂を以て中書参知政事と為す。安遠王醜漢・趙王阿魯禿、叛王脱火赤に掠めらる。各おの金銀・幣帛を賜う。丙辰、勅す、「諸王・駙馬・功臣の分地、旧制に仍り自ら達魯花赤を辟くべし」と。丁巳、安南国使いを遣わして来貢す。戊午、冀王孛羅に王傅二員、中尉・司馬各一員を置き、都総管府の秩を正三品と為す。己未、嶺北行省に経費鈔九十万錠・雑綵五万匹を給す。癸亥、総摂沈明仁の佩する司空しくうの印、有司に移文することを禁ず。

秋七月乙亥、李孟罷免せらる。江浙行省左丞王毅を以て中書平章政事と為す。庚辰、皇姑大長公主忙哥台に金百両・銀千両・鈔二千錠・幣帛各百匹を賜う。叛王を討つ功有る句容郡王床兀児等に金銀・幣帛・鈔を各おの差等を以て賞す。壬午、赤因鉄木児に勅して諸王・駙馬に頒賚し、及び其の部の貧乏を賑済せしむ。中衞親軍都指揮使孛蘭奚に特授して太尉と為す。己丑、成紀県山崩れ、土石潰え徙り、田稼廬舍を壊し、居民を圧死せしむ。辛卯、冀寧路地震す。帝省臣に諭して曰く、「比来聞く、蒙古諸部困乏し、往往子女を民家に鬻ぎて婢僕と為すと。其れ有司に命じて之を贖い各部に還せしめよ」と。帝出でて、衛士に弊衣なる者有るを見、馬を駐めて之を問う。対えて曰く、「辺鎮を戍守すること余り十五年、以て故に貧しきのみ」と。帝曰く、「此の輩久しく外に労す。留守の臣未だ嘗て以て聞こえず。朕親しく見ざれば、何を由てか之を知らんや。今より此に類する者有らば、必ず朕に言え」と。因りて命じて之に銭帛を賜う。

八月丙申、車駕上都より至る。熒惑輿鬼を犯す。壬子、太陰昴を犯す。庚申、合散奏事畢りて、帝問うて曰く、「卿等の日に行う所は何事ぞ」と。合散対えて曰く、「臣等第に詔旨を奉行するのみ」と。帝曰く、「卿等何ぞ嘗て朕の旨を奉行せんや。祖宗の遺訓と雖も、朝廷の法令と雖も、皆遵守せず。夫れ法とは、以て上下を弁じ、民志を定むる所以なり。古より今に至るまで、法立たずして天下治まる者未だ有らざるなり。人君法を制し、宰相能く守りて失わざらば、則ち下民畏避すべき所を知り、綱紀正しうすべく、風俗厚くすべし。其れ或いは法弛み民慢にして、怨言並びに興らば、治安を求めんと欲するも、豈に難からざらんや」と。

九月丙寅、合散言う、「故事に、丞相は必ず蒙古の勲臣を用う。合散回回人、人望に厭わず」と。遂に懇ろに辞す。制して宣徽使伯答沙を以て中書右丞相と為し、合散を左丞相と為す。己巳、大都南城嘉禾を産す、一茎十一穂。庚午、太陰斗を犯す。壬辰、詔して海漕を戒飭し、諸司に諭して沮撓することを得ざらしむ。嶺北三日地震す。

冬十月甲午朔(一日)、太廟にて祭祀を行う。戊戌(五日)、諸王晃火鉄木児等の部に糧五千石を給す。壬寅(九日)、刑部尚書に命じて挙林柏を監大都兵馬司に任じ、盗賊を防遏せしむ。なお軍校を厳しく戒飭し、その出入を制せしむ。御史大夫伯忽・参知政事王桂を遣わし、陝西の嶽鎮・名山を祭らせ、秦州の被災の民を賑恤す。己酉(十六日)、監察御史言う、「官吏が丁憂(父母の喪)より起復(復職)するは、人情を驚惑す。請う、禁止して僥倖を絶つべし。ただ朝廷の耆旧で特旨により起復する者は、禁例に在らず」。制して曰く「可なり」。両淮屯田総管府に職田を給す。壬子(十九日)、鈔五万錠・糧五万石を給し、察罕脳児を賑す。戊午(二十五日)、海外婆羅公の民が海番に往賈するに、風濤に遇い、存者十四人が温州永嘉県に漂着す。江浙省に命じて資遣して郷に還らしむ。潮州路の統べる梅州を改めて広東道宣慰司に隷属せしむ。

十一月己卯(十六日)、揚州の運河を再び浚う。己丑(二十六日)、汧源県を隴州に併合す。壬辰(二十九日)、諭す、「諸宿衛入直する者は、各その次に居り、旨なくしては殿上に上ることを得ず。禁中に闌入する者は罪に坐す。大臣は二人の従者を許し、他の官は一人とし、門者はその出入を譏察せよ」。

十二月丁酉(五日)、広州採金銀珠子都提挙司を復し、秩正四品、官三員。乙巳(十三日)、詹事院を置く、従一品、太子詹事四員、副詹事・詹事丞ともに二員、家令府・延慶司は官を設けることともに四員、典宝監八員。官を遣わし、即ち興和路及び浄州にて倉を開き、北方の流民に賑給す。己酉(十七日)、盧溝橋・沢畔店・瑠璃河に並びに巡検司を置く。壬子(二十日)、安王の王傅を置く。丁巳(二十五日)、諸王禿満鉄木児等及び駙馬忽剌兀帯の各部に賜う、金一千二百両・銀七千七百両・鈔一万七千七百錠・幣帛二千匹。内宰として延福司事を領する禿満迭児を以て知枢密院事と為す。特らに晋王内史按攤出に金紫光禄大夫・魯国公を授く。辛酉(二十九日)、怯憐口民匠総管府を繕用司と改む。

延祐五年

五年春正月辛未(九日)、諸王禿満鉄木児等の所部に鈔四万錠を賜う。甲戌(十二日)、懿州地震す。丙子(十四日)、安南国その臣尹世才等を遣わし、方物を以て来貢す。乙酉(二十三日)、諸王位下の民で大都に在る者は、民と均しく役すべしと命ず。丁亥(二十五日)、進士の会試を行う。湖広平章買住に魯国公・大司農を加う。晋王也孫鉄木児等の部の貧乏なる者を賑す。

二月癸巳朔(一日)、日食あり。和寧路地震す。丁酉(五日)、命ず、「広寧・開元等の万戸府の軍で侍衛に入る者は、兄弟子姪五人ある者は三人を留め、四人・三人ある者は二人を留め、籍に著せよ」。秦州秦安県山崩る。諸王晃火鉄木児を嘉王に、禿満鉄木児を武平王に封じ、並びに印を賜う。丁未(十五日)、雲南・四川に命じ、侵奪した順元宣撫司の民地を返還せしむ。戊申(十六日)、内史府の秩を正二品に陞す。文徳殿の後に鹿頂殿を建つ。辛亥(十九日)、杭州の守臣に命じ、春秋に淮安忠武王伯顔の祠を祭らしむ。壬子(二十日)、諸王答失蛮の部食乏し、甘粛行省に命じて糧を給しこれを賑す。諸王察吉児に鈔一万錠を賜う。甲寅(二十二日)、寧昌府を置く。乙卯(二十三日)、中書省に命じて不急の役を汰除せしむ。河東宣慰司に副使一員を増置す。上都の諸寺・権豪商販の貨物は、並びに税課を輸すべしと命ず。戊午(二十六日)、者連怯耶児万戸府を以て右衛率府と為す。西天字の維摩経を書するに金三千両を給す。庚申(二十八日)、封贈を罷む。叛王脱火赤を討つ戦功を賞し、諸王部の察罕等に金銀幣鈔を差等ありて賜う。

三月戊辰(七日)、進士を御試し、忽都達児・霍希賢以下五十人に及第・出身を差等ありて賜う。己巳(八日)、寧海王八都児に金印を賜う。庚午(九日)、諸王斡羅温孫の部の打捕鷹坊諸色人匠怯憐口総管府を立て、秩従四品。静安路を徳寧路と改め、静安県を徳寧県と改む。癸酉(十二日)、晋王也孫鉄木児の部貧乏なり、米四千百五十石を賑し、なお鈔二万錠を賜って牛羊の孳畜を買わしむ。乙亥(十四日)、両淮運司分司の印一つを増給す。特らに安遠王醜漢に開府儀同三司・録軍国重事・知枢密院事を授く。戊寅(十七日)、湖州路を以て安王兀都思不花の分地と為し、その戸数は魏王阿木哥に視る。癸未(二十二日)、寧州・浄州路に酒を禁ずることを知らしむ。鈔一万錠を賜い、晋王也孫鉄木児に命じて遼東の貧民を賑済せしむ。晋王内史拾得閭に栄禄大夫を加え、桓国公に封ず。金九百両・銀百五十両を給し、金字の蔵経を書せしむ。甲申(二十三日)、鞏昌等の処で賑済を受けた者の差税塩課を免ず。乙酉(二十四日)、御史台臣言う、「諸司近侍が中書を隔越して聞奏する者は、旧制の如く論罪すべし」。制して曰く「可なり」。己丑(二十八日)、紅城の屯田米を以て浄州・平地等の処の流民を賑すべしと命ず。汾陽王別鉄木児の王傅四員を置く。醜驢答剌罕に平江路の田百頃を賜う。

夏四月壬辰(一日)、安吉王乞台普濟薨ず。丁酉(六日)、諸王雍吉剌帯の部食乏し、米三千石を賑す。己亥(八日)、耽羅の捕獵戸成金等寇と為る、征東行省に命じて兵を督しこれを捕えしむ。庚子(九日)、諸王察吉児の部に鈔一万錠を賜い、布帛これに称す。中翊府閻臺順州の屯田に鈔一万錠を給し、牛種農具を置かしむ。庚戌(十九日)、命ず、「安遠王醜漢の分地で済寧に隷する七県・汀州に隷する三県の達魯花赤は、その自辟を聴せよ」。印経提挙司を延福監に陞し、秩正三品。官を遣わし分かって各部の流民を汰除し、糧を給して賑済す。懐孟・河南・南陽の居民の輸する陝西の塩課を免ず。この時解州の塩池水に壊され、懐孟等の処に陝西の紅塩を食わしむ。後に地遠きを以て滄塩を食うと改むるも、なお課を陝西に輸し、民命に堪えず、故にこれを免ず。木鄰・鉄里干の駅困乏し、馬五千匹を以てこれを済す。遼陽饑饉あり、海漕の糧十万石を義州・錦州に於いて、貧民を賑す。甲寅(二十三日)、枢密院臣言う、「各省軍馬を調度するは、長官二人のみがその事を領す。今四川省の諸臣皆預かるは、便ならず、旧制の如くすべし」。これに従う。千奴・史弼を並びに中書平章政事と為し、侍御史敬儼を中書参知政事と為す。戊午(二十七日)、車駕上都に幸す。

五月辛酉朔(一日)、順元等処軍民宣撫使阿晝が洞蛮の酋長黒冲子子昌を率いて方物を奉じて来朝した。丁卯(七日)、安王兀都思不花に金五百両・銀五千両を賜う。御史中丞亦列赤を以て中書右丞(相)となす。戊辰(八日)、平章政事王毅を遣わして司天臺において三昼夜星をまつらしむ。諸王按塔木児・不顔鉄木児の部衆は食糧に乏し、二か月分の糧を賑給す。壬申(十二日)、監察御史言う、「近年名爵は濫りに冒され、太尉・司徒・国公が朝廷に跡を接す。昔詔を奉じて裁罷せしめ、中外欣悦せざるは莫し。近く聞く、礼部が旨を奉じて太尉・司徒・司空等の印二十六顆を鋳造すと。此の輩は国に功無く、史冊に載せられ、将来に笑いを遺す。請う、今より門閥貴重・勲業昭著なる者を一二存留し、余は併せて革去せんことを」。制して曰く「可」。癸酉(十三日)、官を遣わし分道して笞以下の罪を減決せしむ。己卯(十九日)、徳慶路地震す。鞏昌隴西県に大雨あり、南土山崩れ、居民を圧死せしむ。糧を給して之を賑う。

六月辛卯(二日)、御史台臣言う、「昔張驢等を遣わして江浙・江西・河南の田糧を經理せしめ、虚しく糧数を増し、生民に流毒せしむ。已に嘗て旨を奉じて三年を俟ちて租を徴すべしと。今其の期に及び、若し江浙・江西は例の如く之を輸すべく、其の河南は郷例に視て半減して之を徴すべし」。制して曰く「可」。癸巳(四日)、典瑞院使斡赤を以て集賢大学士・典瑞院事を領し・大司徒となす。己亥(十日)、北地諸部の軍士は食糧に乏し、糧を給して之を賑う。庚子(十一日)、阿尼八都児・只児海を遣わし、浄州北地の流民を分汰す。其の四宿衛及び諸王・駙馬に隷する者は、資糧を給して各部に遣還す。癸卯(十四日)、諸王桑哥班に金束帯一・銀百両・鈔五百錠を賜う。乙巳(十六日)、術者趙子玉等七人誅せらる。時に(衛)〔魏〕王阿木哥は罪を以て高麗に貶せらる。子玉、王府司馬曹脱不台等に言う、「阿木哥の名は図讖に応ず」と。是に於て潜かに兵器・衣甲・旗鼓を備え、海を航して高麗に往き阿木哥を取って大都に至り、時に俟ちて発たんと謀る。利津県に行き次ぎ、事覚り、之を誅す。西蕃の土寇乱を作す。甘粛省に勅して兵を調発し之を捕えしむ。丁巳(二十八日)、安王兀都思不花等に金束帯及び金二百両・銀一千五十両・鈔二千二百錠・幣帛二百八十匹を賜う。

秋七月己未朔(一日)、李邦寧に開府儀同三司を加う。癸亥(五日)、諸王八里帯等に金二百両・銀八百五十両・鈔二千錠・幣帛二百匹を賜う。甲子(六日)、欽察衛の馬羊価鈔十四万五千九百九十二錠を給す。丙寅(八日)、軍五千を調発し、烏蒙等処に屯田せしめ、総管万戸府を置き、秩正三品、銀印を給す。丁卯(九日)、鈔二十万錠・糧一万石を給し、晋王に命じて其の部の宿衛士に分かち賚わしむ。壬申(十四日)、御史中丞趙簡言う、「皇太子春秋鼎盛なり、耆儒を選び道義を敷陳すべし。今李銓東宮に侍して書を説くも、未だ経史に諳ぜず。別に碩学を求め、分かち進み講読せしめ、実に宗社無疆の福なり」。制して曰く「可」。諸王不里牙敦の叛に、諸王也舎・失列吉及び衛士朶帯・伯都は両端を持するに坐し、官軍を助けて進討せず。勅して也舎を江西に、失列吉を湖広に、朶帯を衡州に、伯都を潭州に流す。癸酉(十五日)、(衛)〔魏〕王阿木哥の王傅の印を拘す。餼廪司を置き、秩正八品、上都留守司に隷す。豊州石泉店に巡検司を置く。諸王別失帖木児等に金・銀を賜い、併せて其の部に米一万石・鈔一万錠を賑う。己卯(二十一日)、諸王雍吉剌帯・曲春鉄木児来朝し、金二百両・銀一千両・鈔五千錠・幣帛一百匹を賜い、仍て鈔一万錠・米一万石を給し、其の部に分かち賚わしむ。辛巳(二十三日)、受給庫を立て、秩九品、工部に隷す。壬午(二十四日)、河南省左丞陳英等の括める所の民田を罷め、止だ旧例の如く税を輸す。戊子(三十日)、鞏昌路寧遠県山崩る。楚の三閭大夫屈原を加封して忠節清烈公となす。

八月戊子(一日)、車駕上都より至る。乙卯(二十八日)、翁源県を曲江県に併入す。

九月癸亥(六日)、大司農買住等、司農丞苗好謙の撰する所の栽桑図説を進む。帝曰く、「農桑は衣食の本なり、此の図甚だ善し」。命じて千帙を刊印し、民間に散らす。丙寅(九日)、広西両江の龍州万戸趙清臣・太平路総管李興隆、土官黄法扶・何凱を率い、併せて方物を以て来貢す。幣帛を以て賜うこと差有り。豳王南忽里等の部衆貧乏なり、甘粛省に命じて馬一万匹を市い之に給す。丁卯(十日)、中書右丞・宣徽使亦列赤を中書平章政事とし、左丞高昉を右丞とし、参知政事換住を左丞とし、吏部尚書燕只干を参知政事となす。壬申(十五日)、鈔を以て北辺の軍に給し馬価となす。甲戌(十七日)、仏事を作すを以て、重囚三人を釈し、軽囚五十三人を釈す。己卯(二十二日)、江浙省の印する所の大学衍義五十部を以て朝臣に賜う。辛巳(二十四日)、大永福寺都総管府を置き、秩三品。壬午(二十五日)、勅す、「軍官罪を犯せば、行省は枢密院に諮り議擬し、擅に決遣すべからず」。丙戌(二十九日)、僉太常礼儀院事狗児を中書参知政事となす。丁亥(三十日)、行宣政院を杭州に立て、官八員を設く。大同路金城県に大雨雹あり。

冬十月己丑(二日)、大寧路を遼陽省に隷し、宣徳府を大都路に隷す。勅す、「僧人は宋の旧有及び朝廷の撥賜する土田は租税を免じ、余田は民と一体に科徴す」。播州南寧長官洛麼乱を作す。思州守臣換住哥之を招諭す。洛麼人を遣わし方物を以て来覲す。膠・萊・莒・密塩使司を罷め、復た濤洛場を立つ。辛卯(四日)、大同・冀寧・晋寧等路の酒醸を禁ず。壬辰(五日)、帝師巴思八殿を大興教寺に建て、鈔一万錠を給す。癸巳(六日)、中翊府を改めて羽林親軍都指揮使司となす。甲午(七日)、太廟に事有り。癸丑(二十六日)、贛州路雩都県の里胥劉景周、有司の新租を徴括するに因り、衆を聚めて乱を作す。勅して新租の徴を免じ、之を招諭す。

十一月辛酉(五日)、開成・莊浪等処の酒を禁ず。壬戌(六日)、黄花嶺屯儲軍民総管府を改めて屯儲総管府とし、官四員を設く。山後の民饑う。海漕四十万石を増す。大都南・北両兵馬司指揮使を増置し、色目・漢人各二員、分司の印二顆を給す。丁卯(十一日)、監察御史乃蛮帯等の言を用い、建康の富民王訓等の白身濫受の宣勅を追奪し、仍て籍貫を冒して宿衛する及び巧みに遠方の職官を受け、赴任せずして別調を求むる者を禁じ、隠匿して自首せざる者は之を罪す。己巳(十三日)、同知枢密院事忠嘉を陞めて知枢密院事となす。丙子(二十日)、集賢大学士・太保曲出言う、「唐の陸淳、春秋纂例・辨疑・微旨の三書を著す、後学に益有り。請う、江西行省に令して之を鋟梓し、以て其の伝を広めしめん」。之に従う。癸未(二十七日)、江西茶運司の歳課を二十五万錠を以て額とせしむるを勅す。大永福寺に勅して殿を創り、順宗皇帝の御容を安奉せしむ。

十二月壬辰、特旨を以て集賢大学士脱列を大司徒に任ず。辛亥、重慶路江津・巴県等の処に屯田を置き、成都の歳漕一万二千石を省く。甲寅、枢密院に勅して蒙古軍の貧乏なる者を実査せしめ、五年間存恤せしむ。

延祐六年

六年春正月丁巳朔、暹国使いを遣わし表を奉り方物を貢ぐ。丁卯、勅す「福建・両広・雲南・甘肅・四川の軍官致仕して家に還る者、官駅伝を給すること民官の例の如くせよ」。戊辰、晋王部の貧民を賑恤す。癸酉、特旨を以て同知徽政院事醜驢答剌罕を金紫光禄大夫・太尉に任じ、銀印を給す。甲戌、監察御史孛朮魯翀等言う「皇太子東宮に位し、既に詹事院を立てて以て家政を総べしむ。年徳老成・道義崇重なる者を選び師保賓賛と為し、心を尽くして輔導せしめ、以て緝熙の学を広むべし」。制して曰く「可」。戊寅、太陰心を犯す。己卯、司天臺にて星を禜す。広東南恩・新州の徭賊龍郎庚等寇を為し、江西行省に命じて兵を発し之を捕えしむ。帝嘉禧殿に御し、扎魯忽赤買閭に謂いて曰く「扎魯忽赤は人命の係る所なり、其れ獄辞を詳しく閲せよ。事大小と無く、必ず同僚に謀れ。疑いて決すること能わざる者は、省・臺の臣と集議して以て聞せよ」。又顧みて侍臣に謂いて曰く「卿等朕の帝位に居るを安しと為すや?朕惟うに太祖創業艱難、世祖疆宇を混一し、兢業して守成し、恒に天心に当たること能わず、祖武を継ぐこと能わずして、万方の百姓其の所を得て楽しましむることを懼る。朕の念慮茲に在り、卿等固より知らざるなり」。

二月丁亥朔、日食あり。釈奠を中丁に改め、社稷を中戊に祀る。回回司天臺にて星を禜す。丁酉、雲南闍里愛俄・永昌蒲蠻阿八剌等並びに寇を為し、雲南省に命じて宜に従い剿捕せしむ。戊戌、陝西転運塩使司を河東陝西都転運塩使司と改め、省部に直隷せしむ。己亥、太陰霊台を犯す。乙巳、勅す「諸司中書を由らずして官を奏し輒ち事を署する者は悉く之を罷めよ」。特旨を以て僧従吉祥を栄禄大夫・大司空に任じ、栄禄大夫・大司徒僧文吉祥に開府儀同三司を加う。

三月丁巳、天寿節を以て、重囚一人を釈す。己未、鈔を給して上都・西番諸駅を賑済す。辛酉、斡端の地に叛者あり入寇す、鎮西武靖王搠思班を遣わし兵を率いて之を討たしむ。詔して御史中丞禿禿合を以て御史大夫と為し、之に諭して曰く「御史大夫職任至重なり、卿勲旧の裔を以て、故に特に汝に授く。乃祖乃父の王室に忠勤せしを思い、仍て古の名臣を法と為せ、然らずんば将に汝が家声を墜とし、朕が委任の意に負かん」。丙寅、懐孟路を懐慶路と改む。特旨を以て翰林学士承旨八児思不花を開府儀同三司・大司徒に任ず。己巳、太陰明堂を犯す。勅す「諸王・駙馬・宗姻、諸事旧制の如く内八府官に領せしめ、径に文中書に移すこと勿れ」。諸王月魯鉄木児を恩王に封じ、印を給し、王傅官を置く。大都・上都・興和・大同の今歳の租税を免ず。癸酉、太陰日星を犯す。甲戌、太陰心を犯す。壬午、大興教寺の僧に斎食の鈔二万錠を賜う。甘粛行省所属の郡県の酒醸を禁ず。

夏四月壬辰、中書省臣言う「雲南の土官病故せば、子姪兄弟之を襲ぐ、無きときは妻職を承く。遠方の蛮夷、頑獷にして制し難く、必ず土人を任ずれば、以て事を集むることを得べし。今或いは員を闕く、宜しく本俗に従い、権めて職を行わしむべし」。制して曰く「可」。丙辰、京師諸司の官吏に命じて糧を運び上都・興和に輸せしめ、蒙古の饑民を賑済せしむ。庚子、車駕上都に幸す。鉄木迭児を以て太子太師と為す。内外の監察御史四十余人、其の私を逞うし政を蠹するを劾し、師保の任に居り難しとす、聴かず。諸王合贊薨ず。丙午、宣政院に命じて西番諸駅を賑給せしむ。壬子、伯顔鉄木児部貧乏、鈔を給して之を賑す。

五月辛酉、太陰霊台を犯す。丁卯、太陰房を犯す。丙子、太陰壘壁陣を犯す。安南国王陳益稷に儀同三司を加う。

六月戊子、荘浪巡検司を荘浪県と為し、巡検司を比卜渡に移す。癸巳、米五千石を以て大長公主に隷する貧民を賑う。甲午、繕珍司を徽儀使司と改め、秩二品。己亥、歳星東咸を犯す。辛丑、河南田賦総管府を置き、内史府に隷し、達魯花赤・総管・同知各一员、副総管二員を設け、秩従三品。戊申、勇校署を置き、角觝者を以て之に隷せしむ。庚戌、大同県雨雹あり、鶏卵の如く大なり。詔して駝馬牛羊を以て朔方の蒙古の民に分ち与え辺徼を戍守する者、牧養蕃息して以て自ら贍わしめ、仍て屯田を興すを議せしむ。壬子、大乾元寺に鈔一万錠を賜い、子銭を営ましめ、繕修の費に供せしめ、仍て其の提点所を総管府に陞げ、銀印を給し、秩正三品。鈔四十万錠を給し、合剌赤部の貧民を賑う。三十万錠を給し、諸位の怯憐口災に被る者を賑う。諸の俸禄有る及び自ら贍うことを能う者は給する勿れ。癸丑、羽林親軍万人を以て東宮に隷せしむ。丙子、広恵司の秩を正三品に陞げ、回回の医薬を掌らしむ。丁丑、済寧等路水有り、官を遣わし其の民を閲視せしめ、食を乏くする者を賑い、仍て酒を禁じ、河泊の禁を開き、民に採食を聴かしむ。晋陽・西涼・鈞等州、陽翟・新鄭・密等県大雨雹あり。汴梁・益都・般陽・済南・東昌・東平・済寧・泰安・高唐・濮州・淮安諸処大水あり。

秋七月丙辰、緬国趙欽撒方物を以て来朝す。来安路総管岑世興叛き、唐興州を拠す、璽書を賜い之を招諭す。諸王闊慳堅部貧乏、糧を給して之を賑す。壬戌、太陰心を犯す。者連怯耶児万戸府の軍万人を以て東宮に隷せしめ、右衞率府を置き、秩正三品。丁卯、詔して江西の官吏・豪民を諭し茶課を沮撓する毋れ。甲戌、皇姉大長公主祥哥剌吉仏事を行い、全寧府の重囚二十七人を釈す、勅して全寧の守臣阿従の不法を按問せしめ、仍て釈せし所の囚を追って還り獄に付せしむ。奴児干の流囚罪稍軽き者を分簡し、肇州に屯田せしむるを命ず。乙亥、通州・漷州三倉を増置す。丙子、太白太微垣右執法を犯す。上都警巡院・開平県の官各二員を増置す。己卯、晋王也孫鉄木児の所部の民、剽掠災傷を経て、盗を為す者衆し、勅して扎魯忽赤囊加帯を往かしめ、晋王内史と審録して罪囚、重き者は就て晋王に啓し之を誅し、流配に当たる者は等を加えて之を杖せしむ。庚辰、木憐・麦該両駅に鈔一万二千一百二十錠を賜い、馬を市して駅に給せしむ。辛巳、左右鷹坊及び合剌赤等の貧乏なる者に鈔十四万錠を賜う。

八月甲申、河東山西道宣慰使張思明を中書参知政事とする。乙酉、熒惑(火星)が輿鬼(星宿)を犯す。甲午、皇太子に玉冊を授けることを以て、南郊に告祭する。庚子、車駕が上都より至る。丁未、太廟に告祭する。是の月、伏羌県に山崩れあり。

閏八月丙辰、辰星(水星)が太微垣右執法を犯す。嘉王晃火鉄木児の部に羊十万、馬一万匹を賜う。庚申、興和路既備倉を増置し、秩を正八品とす;広盈庫を従八品に陞格す。癸亥、熒惑が軒轅を犯す。甲子、太陰(月)が壘壁陣を犯す。会通河を浚う。壬申、太傅・御史大夫伯忽を太師とする。癸酉、勅す:「河東山西道宣慰司の官は、俸を給するに随朝と同じくせよ。」勅す:「諸司に命を受けて官に赴かず、及び繁劇を避け故を託して職を去る者有らば、その宣勅を奪え。」乙亥、太白(金星)が東咸を犯す。永興県を奉聖州に併合す。

九月甲申、徽政使朵帯を太傅とする。参議中書省事欽察を参知政事に陞格す。辛卯、鉄里干等二十八駅災害を受け、鈔を給してこれを賑す。壬辰、司天臺にて星を禜る。癸巳、仏事を行うを以て、大辟の囚七人を釈し、流罪以下の囚六人を釈す。戊戌、海漕を十万石増やす。雲南県を置き、雲内州に隷属せしむ。故昌州宝山県を以て宝昌州を置き、興和路に隷属せしむ。庚子、順徳・広平両鉄冶提挙司を併せて順徳広平彰徳等処鉄冶提挙司と為す。癸卯、御史台臣言う:「比来、官はねがいを以て求め、罪は賄賂を以て免る。乞うらくは、凡そ内外の官で勲旧・資望なき者は、驟陞を許すなからんことを。諸の贓罪を犯し既に款伏し、及び鞠問すべきに当たりて幸いに免るる者は、悉く元の問官に付してその罪をわしめよ。其の貪污にて刑を受け、職を奪われ叙用されざる者が、近侍に夤縁いんえんし、内庭に出入りし、名爵を覬倖きこうするは、宜しくこれを斥逐すべし。」帝皆その言を納る。四宿衛にて嘗て刑を受けたる者をして、禁庭をいたらしむるなからんことを詔す。山東諸路酒を禁ず。鎮江練湖を浚う。粟を発して済寧・東平・東昌・高唐・徳州・済南・益都・般陽・揚州等路の饑を賑済す。

十月甲寅、都功德使四員を省き、六員のみ存す。乙卯、東平・済寧路水陸十五駅食乏しく、戸ごとに麦十石を給す。中書省臣言う:「白雲宗総摂沈明仁、民田二万頃を強奪し、愚俗十万人を誑誘し、近侍に私賂し、妄りに名爵を受けしめ、既に旨を奉じて追奪せり。請うらくはその徒をおとし、奪いし民田を還せ。其の諸の不法の事は、宜しく覈問せしむべし。」旨有り:「朕沈明仁の姦悪を知る。其れ厳しくこれを鞠問せよ。」戊午、中書右丞相伯答沙を遣わし、節を持して皇太子に玉冊を授けしむ。辛酉、扎魯忽赤鉄木児不花を御史大夫とする。癸亥、熒惑が太微垣左執法を犯す。上都の民饑え、官粟一万石を発し減価して賑糶す。両浙塩倉六所を置き、秩従八品、官二員、惟だ杭州・嘉興二倉のみ官三員を設け、秩従七品;塩場三十四所、場ごとに監運一員を設け、正八品。検校所を罷む。乙丑、太陰が昴を犯す。丁卯、北方諸駅を賑す。戊辰、太陰が東井を犯す。庚午、太白昼に見ゆ。辛未、太陰が軒轅を犯す。丙子、皇太子玉冊を受くるを以て、天下に詔す。己卯、通恵河を浚う。河東・陝西塩運司に判官一員を増し、分司の印二を給す;提領所二を置き、秩従八品、官各二員;塩場二、管勾各二員を増す;漉塩戸提領二十人を罷む。済南濱・棣州・章丘等県水害あり、その田租を免ず。

十一月辛卯、熒惑が進賢を犯す。木邦路帯邦寇を為し、雲南省に勅してこれを招捕せしむ。乙巳、秘書卿苫思丁を大司徒とする。庚子、晋王部の貧民二千を称海に居らしめ屯田せしむることを勅す。京畿漕運司に同知・副使各一員を増し、分司の印を給す。中書省臣言う:「さきに諸王阿只吉に鈔三万錠を賜い、子銭を営ましめて以て畋獵の廩膳に給し、民より取るなからしめしに、今その部の阿魯忽等出猟し、ほしいままに民に索し、且つ姦事を為す。宜しく宗正府・刑部にこれを訊鞠せしめ、以て典刑を正すべし。」制して曰く「可なり」。民の蒙古軍の亡奴を匿すことを禁ず。帝台臣に諭して曰く:「国家を有つ者は、民を本とす。ちかごろ百姓の疾苦・冤をふくむ者衆しと聞く。其れ監察御史・廉訪司に審察して以て聞かしめよ。」河間の民饑え、粟を発してこれを賑す。

十二月壬戌、皇太子に国政を参決せしむ。宋の儒者周惇頤を道国公に封ず。甲子、宗正府扎魯忽赤二員を遣わし、興和・平地等処の獄囚を審決せしむ。雲南大理・大・小徹里等地の同知・相副官及び儒学・蒙古教授等の官百二十四員を省く。丙寅、太陰が軒轅を犯す。己巳、吏人の出身の旧制を復し、其の贓を犯す者は止めて従七品に従う。大都・上都・興和の延祐七年の差税を免ず。河西塔塔剌の地に屯田を置き、軍民万戸府を立つ。壬申、太陰が心を犯す。平章政事王毅、親老を以て職を辞す。之に従い、なお其の父に幣帛を賜う。癸酉、是の夜風雪甚だ寒し。帝侍臣に謂いて曰く:「朕と卿等は暖室に居る。宗戚・昆弟は遠く辺陲にまもり、何ぞ其の苦しみに勝えん。歳賜の銭帛、あまねく及ぼさざるべけんや。」上都・大都に冬夏路に食を設け、以て饑者に食わしむることを勅す。

延祐七年

七年春正月辛巳朔、日食有り。帝斎居して膳を損じ、朝賀をむ。壬午、御史台臣言う:「比ごろ不児罕丁の山場・完者不花の海舶税を賜い、其の鈔を会計すれば、皆数十万錠なり。諸王軍民の貧乏なる者に賜う所、未だ嘗て是の如くせず。もし撙節せざれば、漸く帑蔵の虚竭を致し、民益々困窮せん。」中書省臣進みて曰く:「台臣の言う所良し。若し朝綱を振理せざれば、法度愈々壊れん。臣等罷黜を賜わり、賢者を選任せられんことを乞う。」帝曰く:「卿等言うこと必ずしもせず、其れ各おのなんじの事につとめよ。」癸未、帝大明殿に御し、諸王・百官の朝賀を受く。辛卯、江浙行省丞相黒驢言う:「白雲僧沈明仁、ほしいままに僧四千八百余人を度し、鈔四万余錠を得、既に辞伏せり。今その徒沈崇勝を遣わし潜かに京師に赴き行賄して援を求めしむ。請うらくは逮えて江浙に赴かしめ、併せて其の罪を治せんことを。」之に従う。乙未、太陰が明堂上星を犯す。丁亥、よろこばず。辛丑、帝光天宮に崩ず。寿三十六、在位十年。癸卯、起輦谷に葬り、諸帝陵に従う。五月乙未、群臣上諡して聖文欽孝皇帝と曰い、廟号を仁宗とす。国語(モンゴル語)にて普顔篤皇帝と曰う。

仁宗は天性慈孝にして、聡明恭儉、儒術に通達し、釈典を妙悟し、嘗て曰く、「心を明らかにして性を見るは、仏教深し。身を修め国を治むるは、儒道切なり」と。又曰く、「儒者は尚ぶべし、以て三綱五常の道を維持する能ふが故なり」と。平居の服御は質素にして、澹然として欲無く、遊畋を事とせず、征伐を喜ばず、貨利を崇めず。皇太后に事へ、終身顔色に違はず。宗戚勳舊を待つに、終始礼を以てす。大臣の親老には、時に恩賚を加へ、太官の膳を進むるに、必ず貴近に分賜す。有司大辟を奏すれば、毎に惨惻として時を移す。其の孜孜として治を為すは、一に世祖の成憲に遵ふと云ふ。