武宗仁恵宣孝皇帝、諱は海山、順宗答剌麻八剌の長子なり。母は興聖皇太后と曰い、弘吉剌氏。至元十八年七月十九日に生まる。
八年十月、帝を封じて懐寧王とし、金印を賜い、王傅官を置き、瑞州六万五千戸を食む。十年七月、脱忽思圈の地より按台山を踰え、叛王斡羅思を追い、その妻子輜重を獲る。叛王也孫禿阿等及び駙馬伯顔を執る。八月、也里的失の地に至り、諸降王禿満・明里鉄木児・阿魯灰等の降を受く。海都の子察八児は都瓦部に逃れ、その家属営帳を尽く俘獲す。按台山に冬を駐す。降王禿曲滅また叛き、これと戦い破る。北辺悉く平ぐ。
大徳十一年
十一年春、成宗崩ずるを聞き、三月、按台山より和林に至る。諸王勲戚畢く会し、皆曰く今阿難答・明里鉄木児等中宮を熒惑し、潜かに異議有り。諸王也只里は昔嘗て叛王と通じ、今もまた謀に預かると。既に辞服して誅に伏す。乃ち闔辞に因りて進むを勧む。帝謝して曰く「吾が母・吾が弟は大都に在り、宗親の畢く会するを俟ち、これを議らん」と。先ず是に、成宗違豫日久しく、政は中宮より出で、仁宗と皇太后に命じて懐州に出居せしむ。是に至り、仁宗訃を聞き、二月辛亥をもって太后と倶に京師に至る。安西王阿難答と諸王明里鉄木児はすでに正月庚午に先だちて至る。左丞相阿忽台、平章八都馬辛、前中書平章伯顔、中政院使怯烈・道興等潜かに謀りて成宗皇后伯要真氏を推して称制せしめ、阿難答これを輔けんとす。仁宗、右丞相哈剌哈孫の謀を以て太后に言いて曰く「太祖・世祖創業艱難、今大行晏駕し、徳寿すでに薨じ、諸王皆疏属にして、しかるに懐寧王は朔方に在り。此の輩潜かに異図有り、変は朝夕に在り。懐寧王の至るを俟てば、恐らくは乱生じて不測ならん。事に先だちて発するに若かず」と。遂に計を定め、阿忽台・怯列等を誅し、使を遣わして帝を迎えしむ。
五月、上都に至る。乙丑、仁宗太后に侍して来会す。左右部諸王畢く至りて会議し、乃ち皇后伯要真氏を廃し、東安州に出居せしめ、死を賜う。安西王阿難答・諸王明里鉄木児を執りて上都に至らしめ、また皆死を賜う。甲申、皇帝上都に即帝位し、諸王文武百官の朝を大安閣に受け、大赦天下し、詔して曰く、
昔我が太祖皇帝武功を以て天下を定め、世祖皇帝文徳を以て海内を洽む。列聖相承け、丕に無疆の祚を衍ぶ。朕先朝より自り、天威を粛将し、軍を朔方に撫し、殆ど十年に将り、親しく甲冑を御し、力戦して敵を却くること屡なり。方に諸藩内附し、辺事以て寧んずるに、遽かに宮車晏駕を聞く。乃ち宗室諸王・貴戚元勳有り、相与に策を和林に定め、咸に朕を以て世祖曾孫の嫡、裕宗正派の伝と為し、功を以て賢を以て、宜しく大宝を膺くべしとす。朕謙譲未だ遑あらず、再三に至る。還りて上都に至り、宗親大臣復た朕に請う。間者、姦臣隙に乗じ、謀りて軌を不と為さんとす。祖宗の霊に頼り、母弟愛育黎抜力八達太后に命を禀し、恭しく天罰を行う。内難既に平ぎ、神器久しく虚しゅうすべからず、宗祧乏しく祀るべからず。合辞して進むを勧め、誠意益々堅し。朕勉いて輿情に徇い、五月二十一日に皇帝位に即く。任大くして重きを守るは、淵冰に渉るが若し。嗣服の云初に属し、其れ民と更始せんことを、天下を大赦すべし。
是の日、皇考を追尊して皇帝と曰い、太母元妃を尊んで皇太后と曰う。丁亥、通政院の秩を正二品に陞む。儀鳳司を玉宸楽院と為し、秩を従二品に陞む。壬辰、知枢密院事朵児朵海に太傅を加え、中書右丞相哈剌哈孫答剌罕に太保を加え、並びに軍国重事を録す。知枢密院事塔剌海を中書左丞相と為し、枢密院・宣徽院の事に預らしむ。同知徽政院事床兀児・也可扎魯忽赤阿沙不花・江浙行省平章政事明里不花を、並びに中書平章政事と為す。江浙行省左丞劉正を中書左丞と為す。遥授中書左丞欽察・福建道宣慰使也先帖木児を、並びに中書参知政事と為す。中書右丞・行御史中丞塔思不花を御史大夫と為す。平章政事床兀児を知枢密院事と為す。特めに乞台普済を授けて中書平章政事と為し、延慶使抄児赤を中書右丞と為し、同知和林等処宣慰司事塔海を中書右丞と為し、阿里を中書左丞と為し、脱脱を御史大夫と為す。大都迤北六十二驛の驛戸罷乏するを以て、鈔を給してこれを賙う。是の月、皇太子乳母李氏を封じて寿国夫人と為し、その夫燕家奴を寿国公と為す。中書平章政事合散を以て遼陽行省平章政事と為す。建州大雨雹。真定・河間・順徳・保定等の郡蝗。
秋七月癸亥朔(一日)、諸王トゥラを越王に封ず。諸王チュベイ言う、「瓜州・沙州の屯田逋戸(逃亡戸)で次第に丁(成年男子)となる者、乞うらくは拘えて所部に隷せしめん」と。中書省の臣言う、「瓜州は諸王の分地なりといえども、その民は駅伝に役せられ、チュベイの言は従うべからず」と。章佩監を章佩院に陞格し、秩従二品とす。アラナ・バラに鈔一万錠を賜う。甲子(二日)、御史臺大夫テグデル、知枢密院事タルフダイ、中書平章政事チョンウルに命じ、即位を告謝せしむるに南郊にてす。丙寅(四日)、礼店蒙古万戸を土蕃宣慰司に属するは便ならずとし、命じて旧に従いトスマ(脱思麻)宣慰司に隷せしめ、陝州を防守せしむ。諸王・駙馬で入覲する者は、旨を奉らざれば駅伝を給することを許さず。中書参知政事趙仁栄を以て太子詹事とす。アバの功を以て、メリ(明里)に大司徒を授け、その妻メイセン(梅仙)を順国夫人に封ず。チョンウルの軍士に鈔六万錠・幣帛二万匹を賜う。フェリヤルミディリ(肥児牙児迷的里)及びテゲダン(鉄肐胆)を遣わし西域に仏鉢・舎利を取らしむ。フェリヤルミディリは遥授して宣政使とし、テゲダンは遥授して平章政事とす。太傅右丞相ハラハサン・ダラハン(哈剌哈孫答剌罕)及び太保左丞相タラハイ(塔剌海)を並び命じ中書の庶務を綜理せしめ、詔を以て中外に諭す。己巳(七日)、太陰、亢を犯す。宮師府を置き、太子太師・少師・太傅・少傅・太保・少保、賓客、左・右諭徳、賛善、庶子、洗馬、率更令・丞、司経令・丞、中允、文学、通事舎人、校書、正字等の官を設く。壬申(十日)、御史大夫テグデル、中書平章政事チョンウル、枢密副使ボランシ(孛蘭奚)に命じ、即位を祗謝せしむるに太廟にてす。安西・平江・吉州の三路を以て皇太子の分地とし、越州路を以て越王トゥラの分地とす。諸王バブシャ(八不沙)に鈔一万錠を賜う。癸酉(十一日)、和林宣慰司を罷め、行中書省及び称海等処宣慰司都元帥府・和林総管府を置く。太師エチケル(月赤察児)を以て和林行省右丞相とし、中書右丞相ハラハサン・ダラハンを和林行省左丞相とし、前の如く太傅・録軍国重事とす。江浙水害、民飢え、詔して三月分の糧を賑恤し、酒酢・門攤(商売税)・課程(雑税)を悉く一年免除す。乙亥(十三日)、永平路を以て皇妹魯国長公主の分地とし、租賦及び土産を悉く賜う。越王トゥラに鈔一万錠を賜い、諸王ウドスブカ(兀都思不花)の所部に三万五千二百二十錠を賜う。丙子(十四日)、江浙行省平章政事タシハイヤ(塔失海牙)、知枢密院事チョンウルを以て、並びに中書平章政事とす。丁丑(十五日)、諸王バブシャを斉王に、ドレネ(朶列納)を済王に、デリゲルブカ(迭里哥児不花)を北寧王に封じ、太師エチケルを淇陽王に封ず。平章政事トクト(脱虎脱)に太尉を加う。中書左丞相タラハイを以て中書右丞相・監修国史とし、御史大夫タスブカ(塔思不花)を中書左丞相とし、江浙行省平章政事ジャオフ(教化)・河南江北行省平章政事ファフルディン(法忽魯丁)を並びに中書平章政事とし、平章政事テムデル(鉄木迭児)を江西行省平章政事とす。戊寅(十六日)、儀鳳司大使ホシハイヤ(火失海牙)・テムルブカ(鉄木児不花)・教坊司達魯花赤シャディ(沙的)を以て、並びに遥授して平章政事とし、玉宸楽院使となす。己卯(十七日)、集賢院使ベクブカ(別不花)を以て中書平章政事とす。庚辰(十八日)、御史中丞ジルハラン(只児合郎)を以て御史大夫とす。辛巳(十九日)、至聖文宣王に大成至聖文宣王を加封す。右丞相タラハイ・左丞相タスブカ言う、「中書の庶務、同僚の一二の近侍、往々にして公議を俟たず、即ち上聞に達す、便ならず。今後事の大小を問わず、請うらくは共に議して後に奏せん」と。帝曰く、「卿等の言是なり。今より庶政、公議ならざる者は奏するなかれ」と。行工部をワングチャド(旺兀察都)に置く。遥授左丞相・同知枢密院事エルジニ(也児吉尼)を以て知枢密院事とす。御史中丞王寿・江浙行省左丞郝天挺を以て、並びに中書左丞とす。壬午(二十日)、熒惑、南斗を犯す。御史大夫テグデル、知枢密院事タルフダイ、中書平章政事チョンウルに命じ、即位を告げしむるに社稷にてす。癸未(二十一日)、利用監を利用院に陞格し、秩従二品とす。甲申(二十二日)、ジャンスディン(贍思丁)を遣わし西域に使わしむ、遥授して福建道宣慰使とす。乙酉(二十三日)、寿寧公主に鈔一万錠を賜う。丙戌(二十四日)、内郡の歳凶を以て、諸王の衛士で大都に還る者を柬汰して入らしむ。和林省臣の請いに従い、甘粛省の例の如く、鈔二千錠を給し、歳ごとに子銭(利息)を収め、以て供給を助けしめ、仍て網罟を貧民に賜わんことを乞う。御史大夫ユエルル(月児魯)言う、「旧制、中書省・枢密院・御史臺・宣政院は自らその人を選ぶことを許し、他の司は悉く中書に銓択を従え、近臣は輒りに奏することを得ず。かくの如くすれば則ち紀綱紊れず」と。帝嘉しこれを納る。同知宣徽院事ボロダシ(孛羅答失)を以て中書左丞とし、中書参知政事キンチャ(欽察)を四川行省左丞とす。江浙・湖広・江西の属郡飢え、詔して行省に粟を発してこれを賑恤せしむ。丁亥(二十五日)、完沢をしてキリキダイ・イナン(乞児乞帯亦難)と偕に往きて乞児吉思部のトゥルカ(禿魯花)・騬馬・鷹鷂を徴せしむ。山東・河北の蒙古軍飢えを告ぐ、官を遣わしてこれを賑恤す。晋王部の貧民に鈔五万錠を賜う。己丑(二十七日)、タラハイ・タスブカ言う、「前にナイヤン(乃顔)叛き、その係虜の人は、世祖の旨を奉じて俱に版籍に隷せり。比者、近臣請うて以て諸王トクト(脱脱)に帰せしめんとす。彼は即ち人を遣わし拘括す。臣等以うるにこの事は先制を具す。今既にトクトの所部に帰せり。宜しく遼陽省臣セチェゲン(薛闍干)等をして往きてこれを諭せしめ、已に拘えたる人は悉くその主に還すべし」と。これに従う。安西等郡旱魃飢饉、糧二万八千石を以てこれを賑恤す。庚寅(二十八日)、延福司を置き、秩正三品とす。辛卯(二十九日)、詔して唐兀トゥルカ戸籍已に定まる、その諸王・駙馬の各部に避役する人及び冒匿する者は、皆罪有りとす。卒二千人を発し晋王エスンテムル(也孫鉄木児)の邸舎を治めしむ。是月、江浙・湖広・江西・河南・両淮の属郡飢え、塩茶課鈔の内に粟を折り、官を遣わしてこれを賑恤す。詔して富家で私粟を以て賑貸する能き者は、量りて官を授く。保定・河間・晋寧等郡水害。德州蝗害。
八月甲午、中書省の臣が言うには、「内より降旨して官に与えられた者が八百八十余人、既に三百人を除授し、未だ議せざる者なお五百余人あり。請う、今より越えて奏する者には与えざらんことを。」帝曰く、「卿等の言は是なり。今より中書より奏せざる者には、官を与えるな。」また言うには、「外任の官が相の銜を帯びるは制に非ず、請う、与えるな。」制して可とする。また言うには、「朝会に応じて賜うべき者、鈔総計三百五十万錠、既に給したるは百七十万、未だ給せざるはなお百八十万、両都の儲え既に虚し。今より特奏して賞を乞う者は、宜しく暫く停むべし。」旨あり、「今より凡そ賞を以て請う者は、奏するな。」御史臺の臣が言うには、「中書省・樞密院・御史臺・宣政院は自ら官を選ぶを得、成憲を具す。今監察御史・廉訪司の官は本臺の公選に非ずして、諸臣の請う所に従い、内より降旨す、祖宗の成法に非ず。」帝曰く、「凡そ此の若き者は、卿等其れ行うなかれ。」浙東・浙西・湖北・江東の郡県饑え、官を遣わしてこれを賑す。山後の驛戸に鈔を賜う、各驛五百錠。掌儀署を置く、秩五品、令・丞各一員を設く。乙未、諸王按灰・阿魯灰・北寧王迭里哥兒不花に金三百五十両・銀三千七百両を賜う。治書侍御史烏伯都剌を以て中書參知政事と為す。戊戌、御史大夫脱脱を秦國公に封ず。辛丑、迤北の民新たに附したる者、伝を置きて粟を輸送し以てこれを賑す。癸卯、也里合牙の營田司を改めて屯田運糧萬戶府と為す。甲辰、納蘭不剌の儲むる所の糧万石を以て、其の旁近の饑民を賑す。丙午、五臺寺に佛閣を建つ。江南饑え、十道の廉訪司の儲むる所の贓罰鈔を以てこれを賑す。己酉、皇太子の請いに従い、詹事院を従一品に陞め、參議斷事官を枢密院の如くに置く。辛亥、中書左丞孛羅鐵木兒、国字を以て孝経を訳して進む、詔して曰く、「此れ乃ち孔子の微言、王公より庶民に達するまで、皆な是れに由りて行うべし。其れ中書省に命じて版を刻み模印せしめ、諸王以下皆な之を賜え。」癸丑、唐兀の禿魯花軍食に乏し、粟を発してこれを賑す。丙辰、闌遺監の秩を三品に陞む。丁巳、中書左丞王壽を以て御史中丞と為す。戊午、中書平章政事乞台普濟・床兀兒・別不花並びに太尉を加え、中書右丞塔海に太尉・平章政事を加え、中書左丞孛羅鐵木児を以て中書右丞と為す。東昌・汴梁・唐州・延安・潭・沅・帰・澧・興国の諸郡饑え、粟を発してこれを賑す。冀寧路地震す。河間・真定等の郡蝗あり。隆平・文水・平遙・祁・霍邑・靖海・容城・束鹿等の県水あり。
十月乙未、典宝署を典宝監に昇格させ、位階を正三品とする。庚子、中書省が奏上する、「初めに中書省を置いた時、太保劉秉忠がその地の宜しきを測り、裕宗が中書令として、嘗て省に至り勅を署した。その後、桑哥が尚書省を遷して立て、四年も経たずに廃止された。今、また中書を旧省に遷すので、吉日を選んで中書令の位を移し、なお皇太子に一度中書に至られるよう請う。」詔で許可する。壬寅、典瑞監を典瑞院に昇格させ、位階を従二品とする。知枢密院事床兀児を容国公に封ずる。癸卯、旧制では諸王・駙馬の事務は皆内侍宰臣が領していたので、中書右丞孛羅鉄木児にこれを領させる。乙巳、太白星が亢宿を犯す。勅して方士・日者が諸王・駙馬の門を遊歴することを禁ずる。丙午、詔して台綱を整備し、中外に布告する。御史大夫鉄古迭児を鄆国公に封ずる。中衛親軍都指揮使買奴を知枢密院事とする。壬子、中書省臣の言に従い、何事も中書を経由せず、使者を遣わし並びに文書を移すことを禁止する。甲寅、太陰が明堂を犯す。集賢院の位階を従一品に、将作院の位階を従二品に昇格させる。丙辰、行省平章が軍馬を総督する場合、虎符を佩くことを得るが、その左丞等の佩いていたものは全て追い上げて納めさせる。中書省が奏上する、「常年の海漕の糧は百四十五万石であるが、今、江浙は凶作で、数通りにはできない。旧例に従い、湖広・江西が各五十万石を輸送し、共に海路で京師に達するよう請う。」これに従う。己未、塔思不花が疏を上って政事を論じ、かつ太尉の職を辞し、降下された制書及び印を還す。今月、杭州・平江で水害があり、民が飢えたので、粟を発して賑う。
十一月癸亥、諸王牙忽都を楚王に封じ、金印を賜い、王傅を置く。五臺山に仏寺を建つ。乙丑、中書省の臣言う、「宿衛の廩給及び馬駝の芻料は、父子兄弟世襲する者に給する。給すべからざる者は、孛可孫に汰せしむるを請う。今、この年十月末を会計すれば、馬駝九万三千余、来春二月に至れば、芻六百万束、料十五万石を欠く。比来また馬五万余匹を増す。これは国の重務なり。臣等敢えて上聞に上す。」旨あり、「給すべからざる者は給するなかれ。」丙寅、帝隆福宮に朝し、皇太后に玉冊・玉宝を上る。丁卯、太白房を犯す。闊児伯牙里言う、「銀鈔・銅銭を用いるを改めれば、便なり。」命じて中書に樞密院・御史臺・集賢・翰林の諸老臣と集議して以て聞かしむ。己巳、中書省の臣阿沙不花・孛羅鐵木兒言う、「臣等闊児伯牙里と面論す。銀鈔・銅銭を折するは、便ならず。」旨あり、「卿等便ならずと為すは、行うなかれとすべし。」詔す、「中書省の官十二員、脱虎脱は仍って宣政院を領し、教化は京師に留まり、その余は各職を以て任ず。」庚午、盧龍・灤河・遷安・昌黎・撫寧等県水害、民飢え、鈔千錠を給して以てこれを賑す。辛未、塔剌海をして中政院事を領せしむ。乙亥、中書省の臣言う、「大都路の供億浩繁、概ね属郡にこれを取る。その軍・站・鷹坊・控鶴等の戸は、その雑徭に関わらざるを恃み、編氓を冒占す。璽書を降し、祖宗の旧制に依り、悉く均当せしむるを請う。或いは輒ち奏請する者も、また禁ずべし。」制して可とす。皇太子言う、「近く恩を蒙り安西・吉州・平江を分地と為し、租税悉く臣に賜う。臣恐る、宗親昆弟例を援く、五戸糸の外、余は内帑に輸するを請う。その陝西運司の歳に辦する塩十万引、向に安西王に給す、この銭を斟酌して臣に与え、惟だ陛下裁く。」中書三路の租税及び塩課の入る所を計会すれば、鈔四十万錠。旨あり、「皇太子の思う所甚だ善し。歳に十万錠を以てこれに給し、足らざれば則ち再び賜え。」楽工人を毆ち、刑部これを捕う。玉宸楽院長謂う、玉宸と刑部の秩は皆三品、官は皆栄禄大夫、留めて遣わさず。中書以て聞く。帝曰く、「凡そ諸司、その資級を視、これに散官を授く、超越すべからず。その閑冗の職名官高き者は、旧制に遵いこれを降す。」建康路属州県飢え、詔して今年の酒醋課を免ず。丙子、太陰東井を犯す。丁丑、中書省の臣言う、「前に江南大水の為、茶・塩課を以て米に折収し、飢民を賑す。今商人米を輸して塩に中り、以て米価騰湧を致し、百姓小利を獲るも、終に益無し。臣等議う、茶・塩の課は旧の如く当たるべし。」これに従う。戊寅、皇太子に玉冊を授く。己卯、皇太子冊を受くる礼成るを以て、帝大明殿に御し、諸王・百官の朝賀を受く。庚辰、中書省の臣言う、「皇太子臣等に謂う、吾が分地安西・平江・吉州三路、旧制に遵い、達魯花赤の外、悉く常選に従う。その常選は宜しく速やかに才能を択ぶべし。」旨あり、「その人を択びこれに任ぜよ。」乙酉、太陰亢を犯す。詔す、「皇太后の軍民人匠等の戸の租賦徭役は、有司関与せず、並びに徽政院に隷せしめよ。」太僕院の秩を従二品に陥す。丁亥、杭州・平江等の処大いに飢え、糧五十万一千二百石を発してこれを賑す。庚寅、太師月赤察児に江南田四十頃を賜う。時に賜田悉く奪い還官す。中書省為に言う。旨あり、「月赤察児は世祖の時より積みて勳労有り、余人に比すべからず。宜しく前後賜う所を合わせ百頃これを与えよ。」仍って行省平章別不花に勅してその歳入を領せしむ。辛卯、辰星歳星を犯す。皇太子の請いに従い、御史臺詹事院の文案を検覈す。
十二月壬辰朔、中書省の臣言う、「旧制、金虎符及び金銀符は典瑞院これを掌る。給するは則ち中書よりし、事已れば則ち復た典瑞院に帰す。今出入多く中書よりせず、下は商人に至るまで、近侍に結託し奏請し、以て泛濫を致し、出て帰ること無し。臣等これを覈するを請う。自後官を除き及び奉使して給すべき者は、中書省よりせざれば給するなかれ。」これに従う。また言う、「今国用甚だ多く、帑蔵已に乏し、鈔母に用う、宜しからず。塩引は向に運司より民と市を為す。今権時に制を宜しくし、戸部より塩引八十万を鬻く、便なり。」旨あり、「今歳姑く請う所に従い、後復た行うなかれ。」また言う、「太府院は内蔵と為す。世祖・成宗朝、重賜に遇えば則ち中書に取り給す。今賜う所千錠より万錠に踰ゆる者有り、皆太府より取る。比者、太府五万錠を取り、已に二万を支う。今復た乏しきを告ぐ。請う自後内府の用うる所、数多き者は、仍って中書より取れ。」帝曰く、「これは朕の特旨なり。後当に奏する所に従え。」乙未、貴赤塔塔児等檀州の民を擾し、強いて米粟六百余石を取り、官を遣わしてこれを訊う。辛丑、大聖寿万安寺に幸す。吏部尚書察乃を平章政事に授け、工部事を領せしむ。癸卯、漢軍万人を以て和林に屯田せしむ。命じて留守司に来歳正月十五日より大明殿後・延春閣前に灯山を起さしむ。庚戌、行泉府司を泉府院に陥し、秩正二品。蒙古万戸禿堅鐵木児に内難を平ぐる功有るを以て、鎮国上将軍を加う。皇太子典医署を典医監に陥し、秩正三品。山東・河南・江浙飢え、民に酒を醸するを禁ず。丁巳、中書省の国用浩穰、民貧歳歉を言うを以て、詔して宣政院に仏事を併省せしむ。大都・上都の二駅は、勅授官二員を設け、余の駅は一員。諸王・公主・駙馬・使臣に璽書驛券を給し、輒ち円符を用いて驛に乗ることを許さず。中書省の臣言う、「驛戸疲乏、宜しく事を量りて驛を給すべし。今経費浩大、その宝貨を収售するは、権宜に停罷すべし。また、陛下即位の詔書は職を越えて事を奏するを許さず。比者近侍官を除き賞を丐うを奏する者は、皆内より旨を降す。請う今中書省を経ざれば行うなかれ。また、刑法はこれを権衡に譬う、偏重すべからず。世祖已に定制有り。元貞以来、仏事を作るの故を以て、罪有るを放釋し、太だ寛なるに失う。故に有司遵守する所無し。今請う凡そ内外法を犯すの人、悉く有司に帰し法に依り裁決せしめよ。また、各処民飢う。行宮を除く外、工役悉く停罷するを請う。」皆これに従う。また言う、「律令は治国の急務、時に応じて損益すべし。世祖嘗て旨有り、金の泰和律用いるなかれと。老臣法律に通ずる者を令し、古今を参酌し、新たに制を定めよと。今に至るまで未だ行わず。臣等謂う、律令は重事、軽く議すべからず。請う世祖即位以来行う所の条格より、校讎して一に帰し、遵いこれを行え。」制して可とす。庚申、詔して曰く、
征戍の蒙古・漢軍を存恤し、站赤の消乏を拯治す。山場・河泊・蘆蕩を弛む。囲獵飛放を禁じ、百姓を搔擾すべからず、流移の人戸を招誘すべからず。怯薛歹・鷹房に投属して役を避け、濫りに錢糧を請うを禁ず。農桑を勧め、学校を興し、貢挙を議し、孝弟力田を旌賞し、游惰を懲戒す。政令の得失は、諸人の上書陳言を許す。僧・道・也里可溫・答失蠻は、並びに旧制に依りて税を納む。凡そ選法・錢糧・刑名・造作一切の公事は、近侍の人員隔越して聞奏すべからず。
内庭に仏事を作するを敕し、重囚を釈すことなく、軽囚を以て之を釈すべし。
三月庚申朔、中書省の臣が言うには、「鄃王拙忽難の人戸が散失したので、詔を下して有司に捜索させました。臣らの議するところ、昔阿只吉が失った人戸を捜索した際、成宗はそれが先例となることを慮り、許されませんでした。今もし捜索すれば、民を擾乱せざるを得ません。且つ諸王も必ず多く先例を援用するでしょう。どうかこの事を中止されるよう乞います。」これを許した。また莊聖皇后及び諸王忽禿禿の人戸が他郡に散入し、阿都赤・脱歡が璽書を降し、捜索させた。陝西行省及び真定等路が言うには、「百姓は皆国家の版籍に在ります。今派遣された使者が、軽々しく軍戸・駅戸・編民等の戸を奪うのは適切ではありません。」中書省の臣がこれを奏聞すると、帝は言った、「彼らの上奏は誤りである。卿らは速やかに追って返還せよ。」鎮南王老章に金五百両・銀五千両・鈔二千錠・幣帛八百匹を賜い、也先不花・牙兒昔に各金二百五十両・銀七百五十両・鈔二千錠を賜う。乙丑、太陰が井宿を犯す。北から来た貧民八十六万八千戸が、官に食を仰いでいるのは長久之計ではないとして、鈔百五十万錠・幣帛鈔五十万錠に相当する分を給し、太師月赤察兒・太傅哈剌哈孫に命じて分け与えさせ、その廩給を罷めた。諸王八亦忽に金百五十両・銀七百五十両を賜う。丁卯、興聖宮を建立し、鈔五万錠・絲二万斤を給した。使者を派遣し五嶽・四瀆・名山・大川を祀らせた。諸王八不沙に金五百両・銀五千両を賜う。白雲宗摂所を再び立て、秩は従二品、官三員を設けた。戊寅、車駕は上都に幸す。大都城南に仏寺を建立した。驥用・資武の二庫を立て、秩は正五品とし、府正司に隷属させた。太史院の秩を従二品に昇格させ、司天臺の秩を正四品に昇格させた。中書右丞相・行平章政事阿沙不花を康国公に封じた。甘粛行省右丞脱脱木兒を以て中書平章政事とし、大司徒を加えた。晋王の所部五百四十七人に、鈔五万二千九百六十錠を賜い;定王薬木忽児に、金千五百両・銀三万両・鈔一万錠を賜い;衞士五十三人に、鈔一万六百錠を賜う。己卯、翰林国史院に命じて順宗・成宗実録を纂修させる。壬午、嗣漢天師張与材が来朝し、金紫光禄大夫を加え、留国公に封じた。
夏四月戊戌、中書省の臣が言うには、「元より降された詔勅に依り、官を超越して授けず、賜賚を濫発しないよう請います。」帝は言った、「卿らの言う通りである。朕は累次旨を下して止めたが、また蒙蔽して請うている。自今より仮に旨があっても、卿らは覆奏してこれを罪せよ。」永平路の塩課を以て祥哥剌吉公主に賜うとの詔があったが、中書省の臣が執って不可とし、これに従った。諸王木南子に金五十両・銀千両・鈔千錠を賜う。皇太子位の鷹坊に、鈔二十万錠を賜う。三宝奴を渤国公に、香山を賓国公に封じた。鐵木迭兒に右丞相を加え、都護買住を中書右丞とした。皇太子位の人匠総管府を立て、秩は正三品とした。癸卯、平章政事教化に太子太保・太尉、平章軍国重事・魏国公を加授した。甲辰、典瑞監を典瑞院に昇格させ、秩は従二品とした。知枢密院事也児吉尼に遙授右丞相とした。辛亥、枢密院の臣が言うには、「諸王が各々その印符を用いて駅伝を乗り継ぎ、使臣が錯綜し、駅戸が困窮しております。旧制に準じ、その馬数を量り、璽書を以てこれを下すべきです。」奏可とした。乙卯、米楫等を派遣し蘇魯国に使わした。丙辰、高麗国王王璋が言うには、「陛下が臣に国に還ることを命じ、また官を設けて征東行省事を行わせます。高麗は年々収穫がなく、百姓は食に乏しく、また数百人がその地の食を仰げば、民はその困窮に耐えられず、且つ世祖の旧制ではありません。」帝は言った、「先に立てることを請うたのは卿の言によるものであり、今罷めることを請うのも卿の言による。世祖の旧制に準じ、速やかに使者を派遣してこれを罷めよ。」
五月丙寅、英徳路を降格して州となす。知枢密院事タルフタイ(塔魯忽台)を遥授して左丞相とす。丁卯、御史台の臣言う、「成宗朝に国子監学を建てたが、今に至るまで未だ成らず。皇太子、その功を畢らせんことを請う」と。制して可とす。己巳、管城県に大雨雹あり。緬国、馴象六頭を進む。乙亥、知枢密院事カムラハル(憨剌合兒)を遥授して左丞相とす。丙子、諸王及び西番僧が駕に従って上都に至るに当たり、途中民を擾すを以て、これを禁ず。白蓮社を禁じ、その祠宇を毀ち、その人を民籍に還して隷せしむ。御史台の臣言う、「比ごろ旨を奉じて不急の役を罷むるも、今また各官の私宅を営む。臣等以為、ワングチャド(旺兀察都)行宮及び大都・五台寺の工を畢えて、然る後に事に従うを宜しとす」と。旨あり、「チトウ(𠇗頭)・サンボヌ(三寶奴)の居る所を除き、余は悉くこれを罷めよ」と。(右)〔左〕丞相タスブカ(塔思不花)に上柱国・監修国史を授く。左丞相キタイプジ(乞台普濟)に太子太傅を加う。辛巳、中書省の臣言う、「旧制、枢密院・御史台・宣政院は自ら官を選ぶことを得、諸官府は必ず中書省より奏聞して遷調すべし。宜しく厳に告諭を申すべし」と。制して可とす。癸未、済南・般陽に雨雹あり。甲申、大同侍衛親軍都指揮使司を立て、丞相チインタイムル(赤因鐵木兒)を以て使と為し、通恵河の漕卒九百余人を摘びてこれに隷せしむ。漕事は故の如し。渭源県旱饑、糧を給して一月とす。真定・大名・広平に虫ありて桑を食う。寧夏府水害あり。晋寧等処に蝗あり。東平・東昌・益都に蝝(いなごの子)あり。
六月己丑、渤国公サンボヌ(三寶奴)に録軍国重事・中書右丞相を加う。応国公・太子詹事・平章軍国重事・大司農クチュ(曲出)に太子太保を加う。左丞相トクト(脱脫)に上柱国・太尉を加う。遥授参知政事・行詹事丞タイツト(大慈都)に平章軍国重事を加う。甲午、太子位承和署を改めて典楽司と為し、秩正三品。丁酉、鞏昌府隴西・寧遠県地震。雲南ウサ(烏撒)・ウモン(烏蒙)、三日のうちに地大いに震うこと六度。戊戌、大都饑饉、官廩を発して価を減じ貧民に糶す。戸ごとに印帖を出し、官を委ねて監臨せしめ、以て不均の弊を防ぐ。中書省の臣言う、「江浙行省管内饑饉、米五十三万五千石・鈔十五万四千錠・麺四万斤を賑恤す。又、流民戸百三十三万九百五十余あり、米五十三万六千石・鈔十九万七千錠・塩折直を引五千に為して賑恤す」と。行省・行台に令して官を遣わし臨視せしむ。内郡・江淮大饑、今年の常賦及び夏税を免ず。益都水害、民饑え、草根樹皮を采りて以て食らう。今年の差徭を免じ、仍本路の税課及び朱汪・利津両倉の粟を発してこれを賑恤す。薬木忽児を封じて定王と為し、駙馬アシ(阿失)を封じて昌王と為し、並びに金印を賜う。司徒・平章政事・大司農を領す李邦寧を遥授して左丞相とす。辛丑、没入した朱清・張瑄の田産を中宮に隷せしめ、江浙財賦総管府・提挙司を立てる。己酉、太常礼儀院の官二十七員を減じて八員と為す。河南・山東大饑、父その子を食らう者有り。両道の没入贓鈔を以てこれを賑恤す。キタイプジ(乞台普濟)に録軍国重事を加う。是月、保定・真定に蝗あり。
八月戊子、大寧雨雹。丙申、御史台臣言う、「監察御史撒都丁を上都に赴かしめんと奉勅逮す。世祖・成宗より陛下に至るまで、累ね明旨有り、監察御史は乃ち朝廷の耳目、中外の臣僚姦を作し科を犯し、職にたらざる者有れば、其の糾劾を聴き、治事の際、諸人与ることを得ず。邇者、刑部尚書烏剌沙の贓罪を鞫問し、玉音の奬諭を蒙り、諸御史皆錫賚を被り、台綱益々振う。今撒都丁逮せられ、同列皆懼る、繫る所小さからず、是の命を寢め、台憲の制を申明し、諸人与聞することを得ざらしめんことを乞う」と。制して可とす。辛丑、中都行宮成るを以て、官吏労有る者を賞し、工部尚書黒馬以下並びに二等を陞じ、塔剌児に銀二百五十両を賜い、同知察乃・通政使塔利赤・同知留守蕭珍・工部侍郎答失蛮に金二百両・銀一千四百両を賜い、軍人に金二百両・銀八百両を賜い、木石に死し及び病没する者に鈔を給すること差有り。癸卯、中書右丞・将作院を領むる呂天麟に大司徒を加う。戊申、中都万億庫を立てる。寧夏に河渠司を立て、秩五品、官二員、二僧を以て之に参ぜしむ。𠇗頭に太師を特授す。諸王脱歓に金三百両・銀二千五百両・鈔二千錠を賜い、阿里不花に金百両・銀千両・鈔千錠を賜う。己酉、大同霜隕ち禾を殺す。甲寅、李邦寧、香殿を建て成るを以て、金五十両・銀四百五十両を賜う。乙卯、中書省臣言う、「外台・行省及び諸人詔に応え事を言う、未だ敢えて一一聖聴を煩わさず。朝臣を集めて議し、其の事に切なる者を択び、小なれば則ち輒ち行い、大なれば則ち以て聞かしめんことを請う」と。之に従う。揚州・淮安蝗。
冬十月庚寅、太師𠇗頭のため第を建て、鈔二万錠を給す。癸巳、蒲県・陵県地震す。甲午、阿沙不花を以て枢密院事を知らしむ。丁酉、大都の食艱しきを以て、復た米十万石を糶き、その価を減じてこれを賑い、その鈔を以て江南に和糴す。大都の榷酤を罷む。皇太子に金千両を賜う。辛丑、太白南斗を犯す。癸卯、中書省の臣、湖広の米十万石を揚州に貯え、江西・江浙の海漕三十万石、内より五万石を朱汪・利津の二倉に貯え、以て山東の饑民を済わんことを請う、これに従う。勅す、「凡そ内降の文記を持ち河間の塩を買い、及び諸王・駙馬の言を以て運司に至る者は、一切これを禁ず。内降の文記を持ち中書を由らざる者は、運司に聞かしむるを聴す」と。奉符・長清・泗水・章丘・霑化・利津・無棣の七県民の田猟を禁ず。甲辰、帝師の請いに従い、釈教都総管朶児只八を以て兼ねて囊八の地産銭物を領せしめ、都総管府達魯花赤としてその財賦を総べしむ。西番僧教瓦班を翰林承旨とす。左丞相・知枢密院事鉄木児不花に軍国重事を録するを加う。中書右丞・司徒禿忽魯、河南江北行省右丞也速、内史脱孛花、並びに枢密院事を知らしむ。乙巳、護国仁王寺昭応規運総管府を会福院に改め、秩従二品。丙午、興聖宮掌医監を立て、秩正三品。
閏十一月己丑、大都の米価が高騰したため、倉庫から十万石を放出し、その価格を下げて貧民に売り出して救済した。北方から来た民が飢えて子を売る者がいたので、役所に命じてこれを贖わせた。乙未、故中書右丞相完澤の妻に金五百両・銀千五百両を賜う。丙申、江南からの砂糖の進上を廃止する。富民が粟を輸送して飢饉を救済し官職を補うことを止める。丁酉、江西・湖広・汴梁で私的に鴐鵝を捕獲することを禁ずる。己亥、遼陽省からの彫豹の進上を廃止する。貴赤衛が烏江県のダルガチ(達魯花赤)から私戸一万を献上されたが、県官に隷属させるよう命じた。壬寅、乞台普濟が固安の田地二百余頃の賜与を請い、これに従う。乙巳、中書省の臣が言うには、「回回の商人が璽書を持ち、虎符を佩び、駅馬に乗り、珍異を求める名目で往来し、やがて豹一頭を献上し、さらに返礼を要求する。このような者が甚だ多い。臣らが議するに、虎符は国の信器であり、駅馬は使臣の必要なものである。今これを諸商人に与えるのは、誠に適切ではない。一様にこれを回収することを請う。」詔で許可する。順徳・広平の鉄冶提挙司を廃止し、民の自由に任せ、役所は従来通りに課税する。丁未、汴梁路の項城県を再び設置する。杭州・紹興・建康等の路は近年飢饉が続いているため、今年の酒税を十分の三免除する。河西の僧戸に対し、先朝の定制に準じて、軍役に従い租税を納め、一切民と同じとするよう勅する。甲寅、答剌罕ハラハスン(哈剌哈孫)卒す。
十二月庚申、和郎撒を隴王に封じ、金印を賜う。平江路の民で謹的里部に隷属する者は、旧制に従い、差役と賦税を民と一体に均等に負担させる。雲南のウイグル(畏吾兒)一千人が荊襄に居住しているが、雲南省の臣が言うには、「世祖の旨があり、雲南に帰還させて征討を補佐させるという。」中書省の臣が発遣して帰還させるのが妥当と議し、これに従う。中都に開寧県を設置し、隆興を源州に降格し、蔚州を蔚昌府に昇格する。河東宣慰司を廃止し、大同路を中都留守司に隷属させ、冀寧・晋寧の二路を中書省に隷属させる。甲戌、平章政事・商議中書省事・太子賓客の王太亨を行太子詹事とし、平章軍国重事・太子少詹事の大慈都を太子詹事とする。御史臺の官及び監察御史に宴服を賜う。