元史

本紀第二十二: 武宗一

武宗仁恵宣孝皇帝、諱は海山、順宗答剌麻八剌の長子なり。母は興聖皇太后と曰い、弘吉剌氏。至元十八年七月十九日に生まる。

成宗大徳三年、寧遠王闊闊出を以て兵を総べて北辺にあり、備禦に怠るにより、帝に命じて即ち軍中に代わらしむ。四年八月、海都の軍と闊別列の地に戦い、これを破る。十二月、軍は按台山に至り、乃蛮帯部落降る。五年八月朔、海都と迭怯里古の地に戦い、海都の軍潰く。二日を越え、海都悉くその衆を合わせて来たり、合剌合塔の地に大戦す。師利あらず、親しく出陣し、力戦して大いにこれを破り、その輜重を尽く獲、諸王・駙馬の衆軍を悉く援けて以て出づ。明日また戦い、軍少しく却く、海都これに乗ず、帝軍を揮って力戦し、突出して敵陣の後ろに至り、全軍して還る。海都志を得ずして去り、まもなくまた死す。

八年十月、帝を封じて懐寧王とし、金印を賜い、王傅官を置き、瑞州六万五千戸を食む。十年七月、脱忽思圈の地より按台山を踰え、叛王斡羅思を追い、その妻子輜重を獲る。叛王也孫禿阿等及び駙馬伯顔を執る。八月、也里的失の地に至り、諸降王禿満・明里鉄木児・阿魯灰等の降を受く。海都の子察八児は都瓦部に逃れ、その家属営帳を尽く俘獲す。按台山に冬を駐す。降王禿曲滅また叛き、これと戦い破る。北辺悉く平ぐ。

大徳十一年

十一年春、成宗崩ずるを聞き、三月、按台山より和林に至る。諸王勲戚畢く会し、皆曰く今阿難答・明里鉄木児等中宮を熒惑し、潜かに異議有り。諸王也只里は昔嘗て叛王と通じ、今もまた謀に預かると。既に辞服して誅に伏す。乃ち闔辞に因りて進むを勧む。帝謝して曰く「吾が母・吾が弟は大都に在り、宗親の畢く会するを俟ち、これを議らん」と。先ず是に、成宗違日久しく、政は中宮より出で、仁宗と皇太后に命じて懐州に出居せしむ。是に至り、仁宗訃を聞き、二月辛亥をもって太后と倶に京師に至る。安西王阿難答と諸王明里鉄木児はすでに正月庚午に先だちて至る。左丞相阿忽台、平章八都馬辛、前中書平章伯顔、中政院使怯烈・道興等潜かに謀りて成宗皇后伯要真氏を推して称制せしめ、阿難答これを輔けんとす。仁宗、右丞相哈剌哈孫の謀を以て太后に言いて曰く「太祖・世祖創業艱難、今大行晏駕し、徳寿すでに薨じ、諸王皆疏属にして、しかるに懐寧王は朔方に在り。此の輩潜かに異図有り、変は朝夕に在り。懐寧王の至るを俟てば、恐らくは乱生じて不測ならん。事に先だちて発するに若かず」と。遂に計を定め、阿忽台・怯列等を誅し、使を遣わして帝を迎えしむ。

五月、上都に至る。乙丑、仁宗太后に侍して来会す。左右部諸王畢く至りて会議し、乃ち皇后伯要真氏を廃し、東安州に出居せしめ、死を賜う。安西王阿難答・諸王明里鉄木児を執りて上都に至らしめ、また皆死を賜う。甲申、皇帝上都に即帝位し、諸王文武百官の朝を大安閣に受け、大赦天下し、詔して曰く、

昔我が太祖皇帝武功を以て天下を定め、世祖皇帝文徳を以て海内を洽む。列聖相承け、丕に無疆の祚を衍ぶ。朕先朝より自り、天威を粛将し、軍を朔方に撫し、殆ど十年に将り、親しく甲冑を御し、力戦して敵を却くること屡なり。方に諸藩内附し、辺事以て寧んずるに、遽かに宮車晏駕を聞く。乃ち宗室諸王・貴戚元勳有り、相与に策を和林に定め、咸に朕を以て世祖曾孫の嫡、裕宗正派の伝と為し、功を以て賢を以て、宜しく大宝を膺くべしとす。朕謙譲未だ遑あらず、再三に至る。還りて上都に至り、宗親大臣復た朕に請う。間者、姦臣隙に乗じ、謀りて軌を不と為さんとす。祖宗の霊に頼り、母弟愛育黎抜力八達太后に命を禀し、恭しく天罰を行う。内難既に平ぎ、神器久しく虚しゅうすべからず、宗祧乏しく祀るべからず。合辞して進むを勧め、誠意益々堅し。朕勉いて輿情に徇い、五月二十一日に皇帝位に即く。任大くして重きを守るは、淵冰に渉るが若し。嗣服の云初に属し、其れ民と更始せんことを、天下を大赦すべし。

征戍の軍士及び供給繁重の州郡を存恤す。上都・大都・隆興の差税を三年免ず。その余の路分は、量りて重軽に優免す。雲南、八番・田楊地面は、差発を一年免ず。その積年の逋欠する者は、これを蠲す。逃移して復業する者は、三年免ず。災を被る処は、山場湖泊の課程を権且停罷し、貧民の採取を聴す。站赤消乏する者は、これを優す。過ぐる軍馬は、民を擾すこと勿れ。諸処の鉄冶は、諸人の煽辦を許す。学校を勉励し、儒戸の差役を蠲す。鰥寡孤独を存問す。

是の日、皇考を追尊して皇帝と曰い、太母元妃を尊んで皇太后と曰う。丁亥、通政院の秩を正二品に陞む。儀鳳司を玉宸楽院と為し、秩を従二品に陞む。壬辰、知枢密院事朵児朵海に太傅を加え、中書右丞相哈剌哈孫答剌罕に太保を加え、並びに軍国重事を録す。知枢密院事塔剌海を中書左丞相と為し、枢密院・宣徽院の事に預らしむ。同知徽政院事床兀児・也可扎魯忽赤阿沙不花・江浙行省平章政事明里不花を、並びに中書平章政事と為す。江浙行省左丞劉正を中書左丞と為す。遥授中書左丞欽察・福建道宣慰使也先帖木児を、並びに中書参知政事と為す。中書右丞・行御史中丞塔思不花を御史大夫と為す。平章政事床兀児を知枢密院事と為す。特めに乞台普済を授けて中書平章政事と為し、延慶使抄児赤を中書右丞と為し、同知和林等処宣慰司事塔海を中書右丞と為し、阿里を中書左丞と為し、脱脱を御史大夫と為す。大都迤北六十二驛の驛戸罷乏するを以て、鈔を給してこれを賙う。是の月、皇太子乳母李氏を封じて寿国夫人と為し、その夫燕家奴を寿国公と為す。中書平章政事合散を以て遼陽行省平章政事と為す。建州大雨雹。真定・河間・順徳・保定等の郡蝗。

六月癸巳朔(一日)、詔して母弟愛育黎拔力八達を皇太子と立て、金宝を受けることを命じた。武備寺を武備院に昇格させ、位階を従二品とした。甲午(二日)、旺兀察都の地に行宮を建て、宮闕を立てて中都とした。丁酉(五日)、中書右丞相ハルハスン・ダルハン(哈剌哈孫答剌罕)と左丞相タラハイ(塔剌海)が言上した。「臣らは翰林・集賢・太常の老臣と集議しました。皇帝が宝位を嗣いで即位され、詔を下して皇考を皇帝と追尊されましたが、皇考は大行皇帝の同母兄です。大行皇帝の廟に合祀する礼儀はまだ行われておらず、二帝の神主は兄弟の順序に従って廟に合祀するのが適当です。今、皇考には昭聖衍孝皇帝と諡し、廟号を順宗とすることを請い、大行皇帝には欽明廣孝皇帝と諡し、廟号を成宗とすることを請います。太祖の廟室は中央に、睿宗は西第一室に、世祖は西第二室に、裕宗は西第三室に、順宗は東第一室に、成宗は東第二室に配します。先の元妃ホンギラト氏シレンダリ(失憐答里)には貞慈靜懿皇后と諡し、成宗の廟室に合祀すべきです。」制書して「可」とした。また言上した。「以前、旨を奉じて臣らに諸王の朝会における賜与を議させられました。臣らの議するところでは、憲宗・世祖が宝位に登られた時の賞賜には定数がありました。成宗が即位された時は、世祖の府庫が豊富であったことを承けて、先例に比べ、金五十両を賜る者は二百五十両に増やし、銀五十両を賜る者は百五十両に増やしました。」旨があった。「成宗が賜った数に従って賜え。」戊戌(六日)、ハルハスン・ダルハンが言上した。「先頃、諸王・駙馬が和林で会合し、既に賜与を受けた者は、今再び賜うべきではありません。」帝は言った。「和林の会合は、国事がまさに多忙であった。既に賜った者も、再び賜え。」己亥(七日)、御史大夫トクト(脱脫)と翰林學士承旨サンブノ(三寶奴)が言上した。「旧制では、皇太子の官属は、省・臺が参酌して任用します。ロロス(羅羅斯)宣慰使オロス(斡羅思)を中書に任用することを請います。」詔して中書右丞とすることを命じた。朝廷の諸司には、皇太子がそれぞれ一人を置くことを聴許した。拱えい直都指揮使マムシャ(馬謀沙)が角觝で屡々勝利したので、遥かに平章政事を授けた。壬寅(十日)、タラハイに太保・録軍国重事・太子太師を加えた。癸卯(十一日)、詹事院を設置した。甲辰(十二日)、枢密院が軍二千五百人を用いて上都の鷹坊及び諸官舎を修繕することを請うた。旨があった。「今後は旨を奉じない限り、軍を軽々しく使役するな。」平章政事・行和林等処宣慰使都元帥カムラカル(憨剌合兒)と、通政使・武備卿テムル・ブカ(鐵木兒不花)を並びに知枢密院事とした。乙巳(十三日)、金二千七百五十両・銀十二万九千二百両・鈔一万錠・幣帛二万二千二百八十匹を興聖宮に奉り、皇太子にも同様に賜った。中書省の臣が言上した。「中書の宰臣は十四員、御史大夫は四員で、これは前代の制度にはありません。」詔して翰林・集賢の諸老臣と議して案を立てて奏聞することを命じた。丙午(十四日)、太陰が南斗の杓星を犯した。徽政使クト(𠇗頭)らが言上した。「別不花が私財で寺を建て、国のために福を祈りました。その父は諸王オク(斡忽)に害されました。オクが得ている歳賜を別不花に賜ることを請います。」五年分を与えることを命じ、銀四千一百余両・絲三万一千二百九十斤・織幣金百両・絹七百十匹とした。戊申(十六日)、尚乗卿ボランヒ(孛蘭奚)とチャンウル(床兀兒)を特授して並びに平章政事とし、大同屯儲軍民総管府ダルガチ・カリムディン(怯里木丁)を中書右丞とした。辛亥(十九日)、中書平章政事トクト(脱虎脫)を江西行省平章政事とした。壬子(二十日)、皇妹シャンゲラギ(祥哥剌吉)を魯国大長公主に封じ、駙馬トゴン・ブカ(琱阿不剌)を魯王とした。テムル・ブカとカムラカルらが言上した。「旧制では、枢密院が軍官を選任・異動させる際は、公議を経て奏聞します。近頃、近侍が自ら名分を選び、内より旨を降すことがあり、世祖の定めた制度を損ない、国事を誤る恐れがあります。成宗の時にはかつて旨があり、軽々しく枢密の事を奏上する者は、本院が再び陳述することを許されました。臣らは、今後人を用いるには、一様に世祖の成憲に従うべきと考えます。」帝は言った。「前の制度に従え。余人は軽々しく請うな。」また言上した。「軍官と民官は異なり、父子兄弟が相続することを許すのは、これが世祖の定めた制度です。近頃、近侍がしばしば万戸・千戸の職を上に請うて、内より聖旨が降り、臣らは敢えて奉行しておりません。」帝は言った。「例に従って行え。」甲寅(二十二日)、内郡・江南・高麗・四川・雲南の諸寺の僧に蔵経を誦させ、三宮のために福を祈らせた。乙卯(二十三日)、也可扎魯忽赤マラ(馬剌)を北軍に派遣し、印を与えた。丙辰(二十四日)、御史大夫タス・ブカ(塔思不花)が言上した。「殿中司の職掌は、中書以下の奏事者があれば必ず随行して入らせ、奏事の列にない者は退出を許し、朝廷の百官で朝会の儀礼に失ある者は糾弾し、病没した者は必ず報告することです。旧制の通りにすることを請います。」また言上した。「旧制では、内外の風憲官が弾劾を行う際、諸人は干渉してはなりません。近頃、賄賂を受け取った者が監察御史に弾劾され、獄が決した後、縁故を頼んで奏請し、事を言上して入朝することを口実に、その罪を避ける者がいます。臣らは、今後罪ある者は京に至ることを許さず、その対弁が終わり、果たして言うべきことがあって初めて奏陳を許すべきと考えます。」いずれも従った。タス・ブカはまた言上した。「皇太子の旨に、『官司の贓罪は、刑部が議定する必要はなく、勅を受けた者は廉訪司が処断し、省・臺が廉訪司の文案を検査・照合する者を派遣すると、私意によって阻害される。便ならず』とあります。」平章アサ・ブカ(阿沙不花)がこれに因んで言上した。「これは省・臺が同議すべき事で、臺臣が独りで奏上すべきではありません。」帝は言った。「これは御史臺の事である。アサ・ブカは妄りに言うな。臺臣の言うことは正しい。奏上された通りに行え。」タス・ブカとトクトに並びに遥かに左丞相を授けた。戊午(二十六日)、高麗王王昛を瀋陽王に進封し、太子太傅・駙馬都尉を加えた。皇太子家令司・府正司・延慶司・典宝署・典膳署を設置した。己未(二十七日)、寧遠王ココチュ(闊闊出)を寧王に封じ、金印を賜った。庚申(二十八日)、遥授左丞相・行御史大夫タス・ブカを右丞相とした。辛酉(二十九日)、汴梁・南陽・帰徳・江西・湖広で水害があった。保定の属県で蝗害があった。

秋七月癸亥朔(一日)、諸王トゥラを越王に封ず。諸王チュベイ言う、「瓜州・沙州の屯田逋戸(逃亡戸)で次第に丁(成年男子)となる者、乞うらくは拘えて所部に隷せしめん」と。中書省の臣言う、「瓜州は諸王の分地なりといえども、その民は駅伝に役せられ、チュベイの言は従うべからず」と。章佩監を章佩院に陞格し、秩従二品とす。アラナ・バラに鈔一万錠を賜う。甲子(二日)、御史臺大夫テグデル、知枢密院事タルフダイ、中書平章政事チョンウルに命じ、即位を告謝せしむるに南郊にてす。丙寅(四日)、礼店蒙古万戸を土蕃宣慰司に属するは便ならずとし、命じて旧に従いトスマ(脱思麻)宣慰司に隷せしめ、陝州を防守せしむ。諸王・駙馬で入覲する者は、旨を奉らざれば駅伝を給することを許さず。中書参知政事趙仁栄を以て太子詹事とす。アバの功を以て、メリ(明里)に大司徒しとを授け、その妻メイセン(梅仙)を順国夫人に封ず。チョンウルの軍士に鈔六万錠・幣帛二万匹を賜う。フェリヤルミディリ(肥児牙児迷的里)及びテゲダン(鉄肐胆)を遣わし西域に仏鉢・舎利を取らしむ。フェリヤルミディリは遥授して宣政使とし、テゲダンは遥授して平章政事とす。太傅右丞相ハラハサン・ダラハン(哈剌哈孫答剌罕)及び太保左丞相タラハイ(塔剌海)を並び命じ中書の庶務を綜理せしめ、詔を以て中外に諭す。己巳(七日)、太陰、亢を犯す。宮師府を置き、太子太師・少師・太傅・少傅・太保・少保、賓客、左・右諭徳、賛善、庶子、洗馬、率更令・丞、司経令・丞、中允、文学、通事舎人、校書、正字等の官を設く。壬申(十日)、御史大夫テグデル、中書平章政事チョンウル、枢密副使ボランシ(孛蘭奚)に命じ、即位を祗謝せしむるに太廟にてす。安西・平江・吉州の三路を以て皇太子の分地とし、越州路を以て越王トゥラの分地とす。諸王バブシャ(八不沙)に鈔一万錠を賜う。癸酉(十一日)、和林宣慰司を罷め、行中書省及び称海等処宣慰司都元帥府・和林総管府を置く。太師エチケル(月赤察児)を以て和林行省右丞相とし、中書右丞相ハラハサン・ダラハンを和林行省左丞相とし、前の如く太傅・録軍国重事とす。江浙水害、民飢え、詔して三月分の糧を賑恤し、酒酢・門攤(商売税)・課程(雑税)を悉く一年免除す。乙亥(十三日)、永平路を以て皇妹魯国長公主の分地とし、租賦及び土産を悉く賜う。越王トゥラに鈔一万錠を賜い、諸王ウドスブカ(兀都思不花)の所部に三万五千二百二十錠を賜う。丙子(十四日)、江浙行省平章政事タシハイヤ(塔失海牙)、知枢密院事チョンウルを以て、並びに中書平章政事とす。丁丑(十五日)、諸王バブシャを斉王に、ドレネ(朶列納)を済王に、デリゲルブカ(迭里哥児不花)を北寧王に封じ、太師エチケルを淇陽王に封ず。平章政事トクト(脱虎脱)に太尉を加う。中書左丞相タラハイを以て中書右丞相・監修国史とし、御史大夫タスブカ(塔思不花)を中書左丞相とし、江浙行省平章政事ジャオフ(教化)・河南江北行省平章政事ファフルディン(法忽魯丁)を並びに中書平章政事とし、平章政事テムデル(鉄木迭児)を江西行省平章政事とす。戊寅(十六日)、儀鳳司大使ホシハイヤ(火失海牙)・テムルブカ(鉄木児不花)・教坊司達魯花赤シャディ(沙的)を以て、並びに遥授して平章政事とし、玉宸楽院使となす。己卯(十七日)、集賢院使ベクブカ(別不花)を以て中書平章政事とす。庚辰(十八日)、御史中丞ジルハラン(只児合郎)を以て御史大夫とす。辛巳(十九日)、至聖文宣王に大成至聖文宣王を加封す。右丞相タラハイ・左丞相タスブカ言う、「中書の庶務、同僚の一二の近侍、往々にして公議を俟たず、即ち上聞に達す、便ならず。今後事の大小を問わず、請うらくは共に議して後に奏せん」と。帝曰く、「卿等の言是なり。今より庶政、公議ならざる者は奏するなかれ」と。行工部をワングチャド(旺兀察都)に置く。遥授左丞相・同知枢密院事エルジニ(也児吉尼)を以て知枢密院事とす。御史中丞王寿・江浙行省左丞郝天挺を以て、並びに中書左丞とす。壬午(二十日)、熒惑、南斗を犯す。御史大夫テグデル、知枢密院事タルフダイ、中書平章政事チョンウルに命じ、即位を告げしむるに社稷にてす。癸未(二十一日)、利用監を利用院に陞格し、秩従二品とす。甲申(二十二日)、ジャンスディン(贍思丁)を遣わし西域に使わしむ、遥授して福建道宣慰使とす。乙酉(二十三日)、寿寧公主に鈔一万錠を賜う。丙戌(二十四日)、内郡の歳凶を以て、諸王の衛士で大都に還る者を柬汰して入らしむ。和林省臣の請いに従い、甘粛省の例の如く、鈔二千錠を給し、歳ごとに子銭(利息)を収め、以て供給を助けしめ、仍て網罟を貧民に賜わんことを乞う。御史大夫ユエルル(月児魯)言う、「旧制、中書省・枢密院・御史臺・宣政院は自らその人を選ぶことを許し、他の司は悉く中書に銓択を従え、近臣は輒りに奏することを得ず。かくの如くすれば則ち紀綱紊れず」と。帝嘉しこれを納る。同知宣徽院事ボロダシ(孛羅答失)を以て中書左丞とし、中書参知政事キンチャ(欽察)を四川行省左丞とす。江浙・湖広・江西の属郡飢え、詔して行省に粟を発してこれを賑恤せしむ。丁亥(二十五日)、完沢をしてキリキダイ・イナン(乞児乞帯亦難)と偕に往きて乞児吉思部のトゥルカ(禿魯花)・騬馬・鷹鷂を徴せしむ。山東・河北の蒙古軍飢えを告ぐ、官を遣わしてこれを賑恤す。晋王部の貧民に鈔五万錠を賜う。己丑(二十七日)、タラハイ・タスブカ言う、「前にナイヤン(乃顔)叛き、その係虜の人は、世祖の旨を奉じて俱に版籍に隷せり。比者、近臣請うて以て諸王トクト(脱脱)に帰せしめんとす。彼は即ち人を遣わし拘括す。臣等以うるにこの事は先制を具す。今既にトクトの所部に帰せり。宜しく遼陽省臣セチェゲン(薛闍干)等をして往きてこれを諭せしめ、已に拘えたる人は悉くその主に還すべし」と。これに従う。安西等郡旱魃飢饉、糧二万八千石を以てこれを賑恤す。庚寅(二十八日)、延福司を置き、秩正三品とす。辛卯(二十九日)、詔して唐兀トゥルカ戸籍已に定まる、その諸王・駙馬の各部に避役する人及び冒匿する者は、皆罪有りとす。卒二千人を発し晋王エスンテムル(也孫鉄木児)の邸舎を治めしむ。是月、江浙・湖広・江西・河南・両淮の属郡飢え、塩茶課鈔の内に粟を折り、官を遣わしてこれを賑恤す。詔して富家で私粟を以て賑貸する能き者は、量りて官を授く。保定・河間・晋寧等郡水害。德州蝗害。

八月甲午、中書省の臣が言うには、「内より降旨して官に与えられた者が八百八十余人、既に三百人を除授し、未だ議せざる者なお五百余人あり。請う、今より越えて奏する者には与えざらんことを。」帝曰く、「卿等の言は是なり。今より中書より奏せざる者には、官を与えるな。」また言うには、「外任の官が相の銜を帯びるは制に非ず、請う、与えるな。」制して可とする。また言うには、「朝会に応じて賜うべき者、鈔総計三百五十万錠、既に給したるは百七十万、未だ給せざるはなお百八十万、両都の儲え既に虚し。今より特奏して賞を乞う者は、宜しく暫く停むべし。」旨あり、「今より凡そ賞を以て請う者は、奏するな。」御史臺の臣が言うには、「中書省・樞密院・御史臺・宣政院は自ら官を選ぶを得、成憲を具す。今監察御史・廉訪司の官は本臺の公選に非ずして、諸臣の請う所に従い、内より降旨す、祖宗の成法に非ず。」帝曰く、「凡そ此の若き者は、卿等其れ行うなかれ。」浙東・浙西・湖北・江東の郡県饑え、官を遣わしてこれを賑す。山後の驛戸に鈔を賜う、各驛五百錠。掌儀署を置く、秩五品、令・丞各一員を設く。乙未、諸王按灰・阿魯灰・北寧王迭里哥兒不花に金三百五十両・銀三千七百両を賜う。治書侍御史烏伯都剌を以て中書參知政事と為す。戊戌、御史大夫脱脱を秦國公に封ず。辛丑、迤北の民新たに附したる者、伝を置きて粟を輸送し以てこれを賑す。癸卯、也里合牙の營田司を改めて屯田運糧萬戶府と為す。甲辰、納蘭不剌の儲むる所の糧万石を以て、其の旁近の饑民を賑す。丙午、五臺寺に佛閣を建つ。江南饑え、十道の廉訪司の儲むる所の贓罰鈔を以てこれを賑す。己酉、皇太子の請いに従い、詹事院を従一品に陞め、參議斷事官を枢密院の如くに置く。辛亥、中書左丞孛羅鐵木兒、国字を以て孝経を訳して進む、詔して曰く、「此れ乃ち孔子の微言、王公より庶民に達するまで、皆な是れに由りて行うべし。其れ中書省に命じて版を刻み模印せしめ、諸王以下皆な之を賜え。」癸丑、唐兀の禿魯花軍食に乏し、粟を発してこれを賑す。丙辰、闌遺監の秩を三品に陞む。丁巳、中書左丞王壽を以て御史中丞と為す。戊午、中書平章政事乞台普濟・床兀兒・別不花並びに太尉を加え、中書右丞塔海に太尉・平章政事を加え、中書左丞孛羅鐵木児を以て中書右丞と為す。東昌・汴梁・唐州・延安・潭・沅・帰・澧・興国の諸郡饑え、粟を発してこれを賑す。冀寧路地震す。河間・真定等の郡蝗あり。隆平・文水・平遙・祁・霍邑・靖海・容城・束鹿等の県水あり。

九月甲子、車駕が上都より至る。乙丑、南郊において皇考皇帝・大行皇帝の諡を請うことを命じ、中書右丞相塔剌海に太尉の職務を代行させた。庚午、御史臺を従一品に昇格させる。辛未、塔剌海・塔思不花に太尉を加える。壬申、塔剌海に命じて玉冊・玉宝を奉じ、皇考及び大行皇帝の尊諡・廟号を上る。また先元妃弘吉烈氏の尊諡を上り、成宗廟室に合祀させる。尚舎監の位階を正三品に昇格させる。癸酉、太白星が右執法を犯す。甲戌、太常寺を太常礼儀院と改め、位階を正二品とする。侍儀司の位階を正三品に昇格させる。丙子、皇太子位典牧監を設置し、位階を正三品とする。中書省の臣が言うには、「内外の選任法については、以前に世祖の成制に一遵する旨があった。両宮の近侍の昇進叙任は、ただ上(皇帝)の命による。近ごろ常調に入るべき者が、縁故により急に昇進している。また既に官に就いていたが罷免された者や、未だ官に就いたことのない者も、内廷からの降旨を請うている。臣らは禁止を奏請し、ご許可を賜った。その後、降下された内旨がまた百余りあり、臣らは既に選考して奉行した。しかし中書の政務は、他人がまたしばしば請うて、整備を責められるが、その効果は実に難しい。今後、選任・銓衡・銭穀については、前の制度のように、中書による議を経ないものは、越えて奏上することを許さないように願う。」詔でこれに従う。また言うには、「近ごろ怯来木丁が宝貨を献上し、塩一万引を与えるよう勅命があり、さらに引九万を売ることを許された。臣らはひそかに考えるに、買い取る宝貨は、既にその価値を評価しているので、ただ紙幣を与えるべきであり、もし引で与えるならば、徒らに塩法を損なうのみである。」帝は言う、「これは朕が自ら言ったことであり、臣下の請うたことではない。これに与えよ。その他は例と見なすな。」江浙が飢饉に陥った。中書省の臣が言うには、「本省の官租を九月に先ず三分の一を納めさせ、賑給に備えるよう請う。また両淮の漕河が淤澀しているので、官が疏濬を議し、塩一引につき紙幣二貫を帯収して傭費とし、計紙幣二万八千錠であった。今、河流は既に通じているので、これを移して飢民を賑うべきである。杭州一郡は、毎年酒のために米麦二十八万石を浪費しているので、禁止するのがよい。河南・益都諸郡もまた禁止すべきである。」詔で許可する。塔剌海が言う、「近ごろ聖恩を蒙り、臣に江南の田百頃を賜った。今、諸王・公主・駙馬の賜田は官に還されているので、臣らも賜ったものを還すよう請う。」これに従う。さらに諸人の賜田は、全て官に還すよう諭す。張留孫に集賢院事を知らせ、諸路道教事を領させる。丁丑、中書省の臣が言う、「近ごろ省臣の員数を議し、旧制に従い十二員と定める旨を奉じた。右丞相塔剌海、左丞相塔思不花、平章床兀児・乞台普済は従前の通り、残りは臣らに議させられた。臣らは阿沙不花・塔失海牙を平章政事とし、孛羅答失・劉正を右丞とし、郝天挺・也先鉄木児を左丞とし、于璋・兀伯都剌を参知政事とするよう請う。班朝の諸司の冗員は、皆選び汰うべきである。」これに従う。己卯、太白星が左執法を犯す。壬午、尚乗寺を衛尉院と改め、位階を従二品とする。甲申、詔して尚書省を立て、財用を分掌して処理させる。塔剌海・塔思不花に依然として中書を領させる。脱虎脱・教化・法忽魯丁を尚書省に任じ、なお自ら官属を挙げることを許す。尚書省の印を鋳造するよう命ずる。勅して江浙諸郡の山沢の禁令を緩める。丙戌、掌謁司の位階を三品に昇格させる。皇太子が仏寺を建立し、民地を買い増すよう請うたので、紙幣一万七百錠余りを与える。戊子、延慶司の位階を従二品に昇格させる。己丑、使者を遣わして囚徒を審録させる。晋王也孫鉄木児が詔で紙幣一万錠を賜ると言われたが、八千錠しか与えられなかったと言う。中書省の臣が言う、「国庫は空竭している。常賦の歳入紙幣は四百万錠で、各省の備用を除き、京師に入るのは二百八十万錠である。平年の支出はただ二百七十余万錠に過ぎない。陛下が即位されて以来、既に四百二十万錠を支出し、また求められて未支出のものが百万錠ある。臣らは財用が足りなくなることを憂慮し、敢えて上聞する。」帝は言う、「卿の言う通りである。今後賜与は暫く停止し、諸人は奏請してはならない。晋王には紙幣千錠を与え、残りは陝西省に移して与えよ。」中書平章政事別不花を江浙行省平章政事とする。辛卯、御史臺の臣が言う、「至元年中、阿合馬が財用を総理し、尚書省を立て、三年で中書に併合された。その後、桑哥が権を握り、また尚書省を立てたが、事が敗れてまた中書に併合された。大徳五年以来、四方で地震・水害があり、年々なお豊作ではなく、百姓は困窮を重ねている。民を利する政は、まさに今日にある。近ごろまた財用を総理するために尚書省を立てると聞く。そうなれば必ず役所を増設し、官吏を濫設することになり、民を益することにはならないであろう。かつ財用の総理は、人によって為されるものであり、もしただ中書に整備させれば、不可とは言えない。臣らが隠して言わなければ、罪を得ることを恐れる。」帝は言う、「卿の言うことはまことにその通りである。この三臣(脱虎脱ら)がその任に当たることを願っているので、暫くその行うに任せよ。」今月、襄陽で長雨が降り、民が飢えたので、勅して河南省に粟を発して賑わせる。

十月乙未、典宝署を典宝監に昇格させ、位階を正三品とする。庚子、中書省が奏上する、「初めに中書省を置いた時、太保劉秉忠がその地の宜しきを測り、裕宗が中書令として、嘗て省に至り勅を署した。その後、桑哥が尚書省を遷して立て、四年も経たずに廃止された。今、また中書を旧省に遷すので、吉日を選んで中書令の位を移し、なお皇太子に一度中書に至られるよう請う。」詔で許可する。壬寅、典瑞監を典瑞院に昇格させ、位階を従二品とする。知枢密院事床兀児を容国公に封ずる。癸卯、旧制では諸王・駙馬の事務は皆内侍宰臣が領していたので、中書右丞孛羅鉄木児にこれを領させる。乙巳、太白星が亢宿を犯す。勅して方士・日者が諸王・駙馬の門を遊歴することを禁ずる。丙午、詔して台綱を整備し、中外に布告する。御史大夫鉄古迭児を鄆国公に封ずる。中衛親軍都指揮使買奴を知枢密院事とする。壬子、中書省臣の言に従い、何事も中書を経由せず、使者を遣わし並びに文書を移すことを禁止する。甲寅、太陰が明堂を犯す。集賢院の位階を従一品に、将作院の位階を従二品に昇格させる。丙辰、行省平章が軍馬を総督する場合、虎符を佩くことを得るが、その左丞等の佩いていたものは全て追い上げて納めさせる。中書省が奏上する、「常年の海漕の糧は百四十五万石であるが、今、江浙は凶作で、数通りにはできない。旧例に従い、湖広・江西が各五十万石を輸送し、共に海路で京師に達するよう請う。」これに従う。己未、塔思不花が疏を上って政事を論じ、かつ太尉の職を辞し、降下された制書及び印を還す。今月、杭州・平江で水害があり、民が飢えたので、粟を発して賑う。

十一月癸亥、諸王牙忽都を楚王に封じ、金印を賜い、王傅を置く。五臺山に仏寺を建つ。乙丑、中書省の臣言う、「宿衛の廩給及び馬駝の芻料は、父子兄弟世襲する者に給する。給すべからざる者は、孛可孫に汰せしむるを請う。今、この年十月末を会計すれば、馬駝九万三千余、来春二月に至れば、芻六百万束、料十五万石を欠く。比来また馬五万余匹を増す。これは国の重務なり。臣等敢えて上聞に上す。」旨あり、「給すべからざる者は給するなかれ。」丙寅、帝隆福宮に朝し、皇太后に玉冊・玉宝を上る。丁卯、太白房を犯す。闊児伯牙里言う、「銀鈔・銅銭を用いるを改めれば、便なり。」命じて中書に樞密院・御史臺・集賢・翰林の諸老臣と集議して以て聞かしむ。己巳、中書省の臣阿沙不花・孛羅鐵木兒言う、「臣等闊児伯牙里と面論す。銀鈔・銅銭を折するは、便ならず。」旨あり、「卿等便ならずと為すは、行うなかれとすべし。」詔す、「中書省の官十二員、脱虎脱は仍って宣政院を領し、教化は京師に留まり、その余は各職を以て任ず。」庚午、盧龍・灤河・遷安・昌黎・撫寧等県水害、民飢え、鈔千錠を給して以てこれを賑す。辛未、塔剌海をして中政院事を領せしむ。乙亥、中書省の臣言う、「大都路の供億浩繁、概ね属郡にこれを取る。その軍・站・鷹坊・控鶴等の戸は、その雑徭に関わらざるを恃み、編氓を冒占す。璽書を降し、祖宗の旧制に依り、悉く均当せしむるを請う。或いは輒ち奏請する者も、また禁ずべし。」制して可とす。皇太子言う、「近く恩を蒙り安西・吉州・平江を分地と為し、租税悉く臣に賜う。臣恐る、宗親昆弟例を援く、五戸糸の外、余は内帑に輸するを請う。その陝西運司の歳に辦する塩十万引、向に安西王に給す、この銭を斟酌して臣に与え、惟だ陛下裁く。」中書三路の租税及び塩課の入る所を計会すれば、鈔四十万錠。旨あり、「皇太子の思う所甚だ善し。歳に十万錠を以てこれに給し、足らざれば則ち再び賜え。」楽工人を毆ち、刑部これを捕う。玉宸楽院長謂う、玉宸と刑部の秩は皆三品、官は皆栄禄大夫、留めて遣わさず。中書以て聞く。帝曰く、「凡そ諸司、その資級を視、これに散官を授く、超越すべからず。その閑冗の職名官高き者は、旧制に遵いこれを降す。」建康路属州県飢え、詔して今年の酒醋課を免ず。丙子、太陰東井を犯す。丁丑、中書省の臣言う、「前に江南大水の為、茶・塩課を以て米に折収し、飢民を賑す。今商人米を輸して塩に中り、以て米価騰湧を致し、百姓小利を獲るも、終に益無し。臣等議う、茶・塩の課は旧の如く当たるべし。」これに従う。戊寅、皇太子に玉冊を授く。己卯、皇太子冊を受くる礼成るを以て、帝大明殿に御し、諸王・百官の朝賀を受く。庚辰、中書省の臣言う、「皇太子臣等に謂う、吾が分地安西・平江・吉州三路、旧制に遵い、達魯花赤の外、悉く常選に従う。その常選は宜しく速やかに才能を択ぶべし。」旨あり、「その人を択びこれに任ぜよ。」乙酉、太陰亢を犯す。詔す、「皇太后の軍民人匠等の戸の租賦徭役は、有司関与せず、並びに徽政院に隷せしめよ。」太僕院の秩を従二品に陥す。丁亥、杭州・平江等の処大いに飢え、糧五十万一千二百石を発してこれを賑す。庚寅、太師月赤察児に江南田四十頃を賜う。時に賜田悉く奪い還官す。中書省為に言う。旨あり、「月赤察児は世祖の時より積みて勳労有り、余人に比すべからず。宜しく前後賜う所を合わせ百頃これを与えよ。」仍って行省平章別不花に勅してその歳入を領せしむ。辛卯、辰星歳星を犯す。皇太子の請いに従い、御史臺詹事院の文案を検覈す。

十二月壬辰朔、中書省の臣言う、「旧制、金虎符及び金銀符は典瑞院これを掌る。給するは則ち中書よりし、事已れば則ち復た典瑞院に帰す。今出入多く中書よりせず、下は商人に至るまで、近侍に結託し奏請し、以て泛濫を致し、出て帰ること無し。臣等これを覈するを請う。自後官を除き及び奉使して給すべき者は、中書省よりせざれば給するなかれ。」これに従う。また言う、「今国用甚だ多く、帑蔵已に乏し、鈔母に用う、宜しからず。塩引は向に運司より民と市を為す。今権時に制を宜しくし、戸部より塩引八十万を鬻く、便なり。」旨あり、「今歳姑く請う所に従い、後復た行うなかれ。」また言う、「太府院は内蔵と為す。世祖・成宗朝、重賜に遇えば則ち中書に取り給す。今賜う所千錠より万錠に踰ゆる者有り、皆太府より取る。比者、太府五万錠を取り、已に二万を支う。今復た乏しきを告ぐ。請う自後内府の用うる所、数多き者は、仍って中書より取れ。」帝曰く、「これは朕の特旨なり。後当に奏する所に従え。」乙未、貴赤塔塔児等檀州の民を擾し、強いて米粟六百余石を取り、官を遣わしてこれを訊う。辛丑、大聖寿万安寺に幸す。吏部尚書察乃を平章政事に授け、工部事を領せしむ。癸卯、漢軍万人を以て和林に屯田せしむ。命じて留守司に来歳正月十五日より大明殿後・延春閣前に灯山を起さしむ。庚戌、行泉府司を泉府院に陥し、秩正二品。蒙古万戸禿堅鐵木児に内難を平ぐる功有るを以て、鎮国上将軍を加う。皇太子典医署を典医監に陥し、秩正三品。山東・河南・江浙飢え、民に酒を醸するを禁ず。丁巳、中書省の国用浩穰、民貧歳歉を言うを以て、詔して宣政院に仏事を併省せしむ。大都・上都の二駅は、勅授官二員を設け、余の駅は一員。諸王・公主・駙馬・使臣に璽書驛券を給し、輒ち円符を用いて驛に乗ることを許さず。中書省の臣言う、「驛戸疲乏、宜しく事を量りて驛を給すべし。今経費浩大、その宝貨を収售するは、権宜に停罷すべし。また、陛下即位の詔書は職を越えて事を奏するを許さず。比者近侍官を除き賞を丐うを奏する者は、皆内より旨を降す。請う今中書省を経ざれば行うなかれ。また、刑法はこれを権衡に譬う、偏重すべからず。世祖已に定制有り。元貞以来、仏事を作るの故を以て、罪有るを放釋し、太だ寛なるに失う。故に有司遵守する所無し。今請う凡そ内外法を犯すの人、悉く有司に帰し法に依り裁決せしめよ。また、各処民飢う。行宮を除く外、工役悉く停罷するを請う。」皆これに従う。また言う、「律令は治国の急務、時に応じて損益すべし。世祖嘗て旨有り、金の泰和律用いるなかれと。老臣法律に通ずる者を令し、古今を参酌し、新たに制を定めよと。今に至るまで未だ行わず。臣等謂う、律令は重事、軽く議すべからず。請う世祖即位以来行う所の条格より、校讎して一に帰し、遵いこれを行え。」制して可とす。庚申、詔して曰く、

仰ぎ思うに、祖宗は天に応じて運を撫で、疆宇を啓き、華夏を一統し、従わざるはなかった。朕が大業を嗣ぎ、大命を膺け、遺訓を遵承し、洪規を恪慕し、畏れ兢みて、いまだ済うを知らず。永く創業の艱難の始めを思い、煢然として軫念す。而して守成の万事の統は、一人の朕に在り。故に即位以来、寛大に従い、能を量りて官を授け、乃ち職に勤しむるを俾し、夙夜に永く兆民を康んずるを急務とす。間者、歳比年登らず、流民未だ還らず、官吏並びに縁りて侵漁し、上下因循し、和気乖戾す。是を以て股肱耳目の大臣を責任し、尽瘁して嘉猶を賛襄する所以を思い、朝夕入告し、朕命惟れ允ならば、庶事克く諧い、率土の民と共に治安の化を享け、邇は寧く遠は粛し、顧みて韙ならずや。大徳十二年を改めて至大元年と為すべし。惟新の令を誕布し、永固の休を式孚す。

征戍の蒙古・漢軍を存恤し、站赤の消乏を拯治す。山場・河泊・蘆蕩を弛む。囲獵飛放を禁じ、百姓を搔擾すべからず、流移の人戸を招誘すべからず。怯薛歹・鷹房に投属して役を避け、濫りに錢糧を請うを禁ず。農桑を勧め、学校を興し、貢挙を議し、孝弟力田を旌賞し、游惰を懲戒す。政令の得失は、諸人の上書陳言を許す。僧・道・也里可溫・答失蠻は、並びに旧制に依りて税を納む。凡そ選法・錢糧・刑名・造作一切の公事は、近侍の人員隔越して聞奏すべからず。

内庭に仏事を作するを敕し、重囚を釈すことなく、軽囚を以て之を釈すべし。

至大元年

至大元年春正月辛酉朔、御史臺に現に繫がるる犯贓の官吏を曲赦し、罪は贓を徴し職を罷むるに止む。癸亥、枢密院に六衞軍一万八千五百人を発し、旺兀察都の宮殿造営の工役に供するを敕す。甲子、中書平章政事阿沙不花を右丞相・行御史大夫に授く。丙寅、江浙行省の請いに従い、行都水監を罷め、其の事を有司に隷す。皇太子位に典幄署・承和署を立て、秩並びに正五品。丁卯、中書右丞也罕的斤を平章政事と為し、陝西省の事を議せしむ。己巳、紹興・台州・慶元・廣德・建康・鎮江の六路饑え、死者甚だ衆く、饑戸四十六万有奇、戸に月米六斗を給し、朱清・張瑄の物貨を没入し徽政院に隷するものを以て、鈔三十万錠を鬻ぎて之を賑う。特ちに乳母の夫寿国公楊燕家奴に開府儀同三司を授く。緬国、馴象六頭を進む。辛未、枢密院臣言う:「先に旨を奉じて中衞親軍を皇太子位に隷せしむ。皇太子臣等に謂いて曰く、世祖五衞を立て、以て五方に応ず、一を去るべからず。宜しく各翼漢軍万人を選び、別に一衞を立てよと。」帝然りと為し、知院事鐵木兒不花等に漢軍万人を摘発し、別に衞を立てしむるを敕す。甲戌、中書省臣言う:「海東青鶻を進むる者は驛に乗ずべしとすれど、馬五百足らず、民間の車馬を括するを怯列・応童に遣わすを敕す。兵部、各驛の馬陸続として進むを請い、括する勿れとすれど便なり。」之に従う。徽政院人匠総管府を繕珍司と改め、秩正三品。己卯、中尚監を中尚院に陥し、秩従二品。豳王出伯、玉六百十五斤を進め、金千五百両・銀二万両・鈔一万錠を賜い、従人に鈔四万錠。寬闍・也先孛可等に、金二千三百両・銀一万七百両・鈔三万九千一百錠。甲申、床兀児に登極の恩例の外、特ちに金五百両・銀千両・鈔二千錠を賜うるを敕す。戊子、皇太子、阿沙不花を復た中書に入れ、脱脱を復た御史臺に入るるを請う。己丑、中書省臣言う:「阿失鐵木兒、教化的を遣わし河西の地に詣りて玉を采らしめ、玉を攻むる沙を馱するに馬四十余匹を需い、玉を采る人千余を請う。臣等、不急の務にして民を労するを以てし、之を罷むるを乞う。」又言う:「近く百姓食に艱し、盗賊充斥す。苟くも厳治せずんば、将に滋蔓せんとす。宜しく使を遣わし巡行せしめ、罪囚有るに遇えば即ち行って決遣し、随処の官吏と共に盗を弭ぐる方略を議し、賞罰を明らかに立て、或いは盗を匿して聞えざるか、或いは期会に至らず、或いは期を踰えて獲ざる者は、官吏連坐すべし。」又言う:「江浙行省に海賊出没し、軍民を殺虜す。其の已に獲たる者は、例に案を結び報を待つに合す。宜しく中書省・也可札魯忽赤より官を遣わし、行省・行臺・宣慰司・廉訪司と審録して寃無く、之を市に棄つべし。其の未だ獲ざる者は、督責して追捕せしめ、自首する者は罪を原し粟を給し、能く其の党を禽する者は賞を加うべし。」旨有り:「盗を弭ぎ民を安んずるは、事至重と為す。宜しく即ち議して之を行え。」諸王也先鐵木兒を封じて営王と為す。乳母の夫斡耳朵を以て司徒と為す。

二月癸巳、鷹坊を立てて仁虞院とし、秩は正二品とした。右丞相脱脱、遙授左丞相禿剌鐵木兒、也可扎魯忽赤月里赤を以て、並びに仁虞院使とした。汝寧・帰徳の二路は旱魃・蝗害があり、民は飢え、鈔一万錠を給してこれを賑済した。甲午、泉府院副使・同僉を各一名増員した。益都・済寧・般陽・済南・東平・泰安は大飢饉となり、山東宣慰使王佐を派遣し廉訪司と共に実情を査定して賑済させ、鈔十万二千二百三十七錠余・糧一万九千三百四十八石を充てた。乙未、中書省の臣が言うには、「陛下が即位されて以来、諸王に恩賞を賜い、軍力を恤み、百姓を賑済し、及び殊恩の広範な賜与があり、国庫は空竭し、塩引を予め売却しております。今、和林・甘粛・大同・隆興・両都の軍糧、諸々の営繕工事、及び一切の供給に、合わせて鈔八百二十余万錠を用います。以前は或いは困窮急迫に遇えば、鈔本を奏請して支出しました。臣らは固より鈔法が軽んじられるべきでないと知っておりますが、どうして軽々しく動かせましょう、しかし他に策がありません。今、暫く鈔本七百十余万錠を支出し、急用に充て、不急の費用は暫く後回しにされるよう乞います。」帝は言った、「卿らの言う通りである。広範な賜与については、何人のものであれ、蒙蔽して奏請することを許さぬように。」尚舎監を尚舎寺に昇格させ、秩は正三品とした。丙申、甄用監を立て、秩は正三品とし、徽政院に隷属させた。淮安等処が飢饉となり、河南行省の言に従い、両浙の塩引十万を以て粟を買い入れ賑済した。戊戌、上都の衞軍三千人を以て、旺兀察都行宮の工役に赴かせた。壬寅、中書省の臣が言うには、「貴赤が檀州の民を擾乱害したので、勅を下して人を派遣し訊問させたところ、その供述が服罪する者は罪を加えるべきですが、旨があり問わないこととされました。臣らは適切でないと考え、既に服罪した者は、先に処断して遣わすべきです。」帝は言った、「その狩猟が終わるのを待ってこれを処断せよ。」皇太子の請いに従い、詹事院使を詹事に改め、副詹事を少詹事に、院判を丞に改めた。尚服院を立て、秩は従二品とした。中書省の臣が言うには、「陝西行省が言うには、開成路は以前地震があり、民力が重く困窮しており、既に二年賦税を免じましたが、今年も再び免除を請うと。」これを許した。甲辰、国王和童に金二百五十両・銀七百五十両を賜う。皇太子衞率府を立てた。軍千五百人を発して五台山の仏寺を修繕させた。有司に命じて邸舎一区を買わせ、丞相赤因鐵木兒に賜い、鈔一万九千四百錠を充てた。丁未、丞相𠇗頭の言を用い、尚冠・尚衣・尚鞶・尚沐・尚輦・尚飾の六奉御を設け、秩は五品、総計四十八員とし、尚服院に隷属させた。甲寅、和林より貧民が北から来る者が多く、鈔十万錠を以てこれを救済し、更に大同・隆興等処で糧を買い入れて賑済し、そのまま屯田させた。諸内侍・太醫・陰陽・楽人は、常選の散官に援用してはならない。網罟を以て和林の飢民に給した。戊午、不達達思等を派遣し爪哇の使者を送還させた。己未、皇太子が仏寺を建立するに当たり、営繕署を立て、秩は五品とした。

三月庚申朔、中書省の臣が言うには、「鄃王拙忽難の人戸が散失したので、詔を下して有司に捜索させました。臣らの議するところ、昔阿只吉が失った人戸を捜索した際、成宗はそれが先例となることを慮り、許されませんでした。今もし捜索すれば、民を擾乱せざるを得ません。且つ諸王も必ず多く先例を援用するでしょう。どうかこの事を中止されるよう乞います。」これを許した。また莊聖皇后及び諸王忽禿禿の人戸が他郡に散入し、阿都赤・脱歡が璽書を降し、捜索させた。陝西行省及び真定等路が言うには、「百姓は皆国家の版籍に在ります。今派遣された使者が、軽々しく軍戸・駅戸・編民等の戸を奪うのは適切ではありません。」中書省の臣がこれを奏聞すると、帝は言った、「彼らの上奏は誤りである。卿らは速やかに追って返還せよ。」鎮南王老章に金五百両・銀五千両・鈔二千錠・幣帛八百匹を賜い、也先不花・牙兒昔に各金二百五十両・銀七百五十両・鈔二千錠を賜う。乙丑、太陰が井宿を犯す。北から来た貧民八十六万八千戸が、官に食を仰いでいるのは長久之計ではないとして、鈔百五十万錠・幣帛鈔五十万錠に相当する分を給し、太師月赤察兒・太傅哈剌哈孫に命じて分け与えさせ、その廩給を罷めた。諸王八亦忽に金百五十両・銀七百五十両を賜う。丁卯、興聖宮を建立し、鈔五万錠・絲二万斤を給した。使者を派遣し五嶽・四瀆・名山・大川を祀らせた。諸王八不沙に金五百両・銀五千両を賜う。白雲宗摂所を再び立て、秩は従二品、官三員を設けた。戊寅、車駕は上都に幸す。大都城南に仏寺を建立した。驥用・資武の二庫を立て、秩は正五品とし、府正司に隷属させた。太史院の秩を従二品に昇格させ、司天臺の秩を正四品に昇格させた。中書右丞相・行平章政事阿沙不花を康国公に封じた。甘粛行省右丞脱脱木兒を以て中書平章政事とし、大司徒を加えた。晋王の所部五百四十七人に、鈔五万二千九百六十錠を賜い;定王薬木忽児に、金千五百両・銀三万両・鈔一万錠を賜い;衞士五十三人に、鈔一万六百錠を賜う。己卯、翰林国史院に命じて順宗・成宗実録を纂修させる。壬午、嗣漢天師張与材が来朝し、金紫光禄大夫を加え、留国公に封じた。

夏四月戊戌、中書省の臣が言うには、「元より降された詔勅に依り、官を超越して授けず、賜賚を濫発しないよう請います。」帝は言った、「卿らの言う通りである。朕は累次旨を下して止めたが、また蒙蔽して請うている。自今より仮に旨があっても、卿らは覆奏してこれを罪せよ。」永平路の塩課を以て祥哥剌吉公主に賜うとの詔があったが、中書省の臣が執って不可とし、これに従った。諸王木南子に金五十両・銀千両・鈔千錠を賜う。皇太子位の鷹坊に、鈔二十万錠を賜う。三宝奴を渤国公に、香山を賓国公に封じた。鐵木迭兒に右丞相を加え、都護買住を中書右丞とした。皇太子位の人匠総管府を立て、秩は正三品とした。癸卯、平章政事教化に太子太保・太尉、平章軍国重事・魏国公を加授した。甲辰、典瑞監を典瑞院に昇格させ、秩は従二品とした。知枢密院事也児吉尼に遙授右丞相とした。辛亥、枢密院の臣が言うには、「諸王が各々その印符を用いて駅伝を乗り継ぎ、使臣が錯綜し、駅戸が困窮しております。旧制に準じ、その馬数を量り、璽書を以てこれを下すべきです。」奏可とした。乙卯、米楫等を派遣し蘇魯国に使わした。丙辰、高麗国王王璋が言うには、「陛下が臣に国に還ることを命じ、また官を設けて征東行省事を行わせます。高麗は年々収穫がなく、百姓は食に乏しく、また数百人がその地の食を仰げば、民はその困窮に耐えられず、且つ世祖の旧制ではありません。」帝は言った、「先に立てることを請うたのは卿の言によるものであり、今罷めることを請うのも卿の言による。世祖の旧制に準じ、速やかに使者を派遣してこれを罷めよ。」

五月丙寅、英徳路を降格して州となす。知枢密院事タルフタイ(塔魯忽台)を遥授して左丞相とす。丁卯、御史台の臣言う、「成宗朝に国子監学を建てたが、今に至るまで未だ成らず。皇太子、その功をおわらせんことを請う」と。制して可とす。己巳、管城県に大雨雹あり。緬国、馴象六頭を進む。乙亥、知枢密院事カムラハル(憨剌合兒)を遥授して左丞相とす。丙子、諸王及び西番僧が駕に従って上都に至るに当たり、途中民をみだすを以て、これを禁ず。白蓮社を禁じ、その祠宇を毀ち、その人を民籍に還して隷せしむ。御史台の臣言う、「ちかごろ旨を奉じて不急の役を罷むるも、今また各官の私宅を営む。臣等以為おもえらく、ワングチャド(旺兀察都)行宮及び大都・五台寺の工を畢えて、然る後に事に従うを宜しとす」と。旨あり、「チトウ(𠇗頭)・サンボヌ(三寶奴)の居る所を除き、余は悉くこれを罷めよ」と。(右)〔左〕丞相タスブカ(塔思不花)に上柱国・監修国史を授く。左丞相キタイプジ(乞台普濟)に太子太傅を加う。辛巳、中書省の臣言う、「旧制、枢密院・御史台・宣政院は自ら官を選ぶことを得、諸官府は必ず中書省より奏聞して遷調すべし。宜しく厳に告諭を申すべし」と。制して可とす。癸未、済南・般陽に雨雹あり。甲申、大同侍衛親軍都指揮使司を立て、丞相チインタイムル(赤因鐵木兒)を以て使と為し、通恵河の漕卒九百余人をえらびてこれに隷せしむ。漕事は故の如し。渭源県旱饑、糧を給して一月とす。真定・大名・広平に虫ありて桑を食う。寧夏府水害あり。晋寧等処に蝗あり。東平・東昌・益都に蝝(いなごの子)あり。

六月己丑、渤国公サンボヌ(三寶奴)に録軍国重事・中書右丞相を加う。応国公・太子詹事・平章軍国重事・大司農クチュ(曲出)に太子太保を加う。左丞相トクト(脱脫)に上柱国・太尉を加う。遥授参知政事・行詹事丞タイツト(大慈都)に平章軍国重事を加う。甲午、太子位承和署を改めて典楽司と為し、秩正三品。丁酉、鞏昌府隴西・寧遠県地震。雲南ウサ(烏撒)・ウモン(烏蒙)、三日のうちに地大いに震うこと六度。戊戌、大都饑饉、官廩を発して価を減じ貧民にちょうす。戸ごとに印帖を出し、官を委ねて監臨せしめ、以て不均の弊を防ぐ。中書省の臣言う、「江浙行省管内饑饉、米五十三万五千石・鈔十五万四千錠・麺四万斤を賑恤す。又、流民戸百三十三万九百五十余あり、米五十三万六千石・鈔十九万七千錠・塩折直を引五千に為して賑恤す」と。行省・行台に令して官を遣わし臨視せしむ。内郡・江淮大饑、今年の常賦及び夏税を免ず。益都水害、民饑え、草根樹皮をりて以て食らう。今年の差徭を免じ、なお本路の税課及び朱汪・利津両倉の粟を発してこれを賑恤す。薬木忽児を封じて定王と為し、駙馬アシ(阿失)を封じて昌王と為し、並びに金印を賜う。司徒・平章政事・大司農を領す李邦寧を遥授して左丞相とす。辛丑、没入した朱清・張瑄の田産を中宮に隷せしめ、江浙財賦総管府・提挙司を立てる。己酉、太常礼儀院の官二十七員を減じて八員と為す。河南・山東大饑、父その子を食らう者有り。両道の没入贓鈔を以てこれを賑恤す。キタイプジ(乞台普濟)に録軍国重事を加う。是月、保定・真定に蝗あり。

秋七月庚申、流星が勾陳より起こり、南へ行き、円く車輪の如く、微かに鋭きものあり、貫索を経て滅ぶ。金銀の歳入数少なきを以て、今後何人を問わず、金銀を以て請奏し及び奏を託する者は、皆罪に抵すべしと勅す。また、各処の行省・宣慰司等の官、多く結托を以て京師に来る、今後朝命を奉ぜざれば闕に赴くことなかれ。雲南・湖広・河南・四川に盗賊窃発す、軍民官に用心して撫治せんことを諭す。広武康里侍衛親軍都指揮使司を立て、中書平章政事阿沙不花を以て都指揮使と為す。壬戌、皇子和世㻋、総管府を立て、提挙司四を領し、河南帰徳・汝寧境内の河に瀕する荒地約六万余頃を括り、歳に其の租を収め、河南省臣高興に其の事を総せしめんことを請う。中書省臣言う、「河に瀕するの地は、出没無常、退灘に遇えば、則ち之を主と為す。先んずるに、亦馬罕なる者有り、妄りに省委と称して地を括り、其の民を蚕食し、主有の田を俱に荒地と為し、至る所騒動す。民高栄等六百人、都省に訴う、其の驛券を追い、方に其の罪を議せんとし、赦に遇い免る、今乃ち其の地を皇子に献ず。且つ河南連年水災、人方に食を闕く、若し所請に従い、官府を設立せば、害小さからず」と。帝曰く、「安んぞ多言を用いん、其れ止めて行うことなかれ」と。鷹坊の大同・隆興等の処に於いて縦獵して民を擾わすを禁ず。呼鷹台を漷州の沢中に築き、軍千五百人を発して其の役を助けしむ。旺兀察都行宮成る。中都留守司を立て開寧路都総管府を兼ぬ。丙寅、泰安州の新泰県を復置す。辛卯、済寧大水城に入る、詔して官を遣わし鈔五千錠を以て之を賑す。己巳、真定淫雨、水溢れ、南門より入り、下り藁城に及び、溺死者百七十七人、米万七百石を発して之を賑す。辛未、御香局を立て、秩正五品。壬申、太白左執法を犯す。香山に太子太傅を加う。塔察児等九人を遣わして諸王寛闍に使わし、月魯等十二人を遣わして諸王脱脱に使わす。癸酉、安南国に詔諭して曰く、「惟れ我が国家は、武功を以て天下を定め、文徳を以て遠人を懐く、乃ち安南を眷み、乃祖乃父より、世に方貢を修め、朕甚だ之を嘉す。邇者、先皇帝晏駕し、朕方に朔方に軍を撫す、宗室諸王・貴戚・元勳の推戴する所と為り、以て朕は乃ち世祖の嫡孫、裕皇の正派、宗藩は外に効順し、臣民は下に属望し、人心の共にするところ、神器帰する有り。朕俯いて輿情に徇い、大徳十一年五月二十一日皇帝の位に即く于上都。今少中大夫・礼部尚書阿里灰、朝請大夫・吏部侍郎李京、朝列大夫・兵部侍郎高復礼を遣わし旨を諭す。尚ほ同仁の視を体し、益々事大の誠を堅くし、爾が邦を輯寧し、以て朕が意に称せよ」と。又管祝思監を以て礼部侍郎と為し、朵児只を兵部侍郎と為して緬国に使わす。脱里不花等二十人を遣わして諸王合児班答に使わす。上都の酒禁を弛む。壬午、皇太子司議郎を置き、秩正五品。乃蛮帯を封じて寿王と為す。癸未、枢密院臣言う、「世祖の時枢密臣六員、成宗の時増じて十三員と為す。今署事する者三十二員、之を省せんことを乞う」と。勅して塔思帯等十一人を罷む。甲申、太師淇陽王月赤察児、王傅を置かんことを請う、中書省臣、異姓の王に傅を置く例無しと請う、許さず。乙酉、虎を豢う人徹児怯思を以て監察御史と為す。是月、左丞相塔思不花を以て中書右丞相と為し、太保乞台普済を以て中書左丞相と為す。内外大小の事務並びに中書省の区処を聴き、諸王・公主・駙馬・勢要人等、攪擾沮壞することを得ず。近侍臣員及び内外諸衙門、隔越して聞奏することを得ず。各処行省・宣慰司及び在外諸衙門等の官、聖旨並びに中書省の明文を奉ぜざれば、擅に職を離れ、驛に乗り京に赴き、私事を営幹することを得ず。江南・江北水旱饑荒、已に嘗て使を遣わし賑恤せしむる者、至大元年の差発・官税並びに行い除免す。

八月戊子、大寧雨雹。丙申、御史台臣言う、「監察御史撒都丁を上都に赴かしめんと奉勅逮す。世祖・成宗より陛下に至るまで、累ね明旨有り、監察御史は乃ち朝廷の耳目、中外の臣僚姦を作し科を犯し、職にたらざる者有れば、其の糾劾を聴き、治事の際、諸人与ることを得ず。邇者、刑部尚書烏剌沙の贓罪を鞫問し、玉音の奬諭を蒙り、諸御史皆錫賚を被り、台綱益々振う。今撒都丁逮せられ、同列皆懼る、繫る所小さからず、是の命を寢め、台憲の制を申明し、諸人与聞することを得ざらしめんことを乞う」と。制して可とす。辛丑、中都行宮成るを以て、官吏労有る者を賞し、工部尚書黒馬以下並びに二等を陞じ、塔剌児に銀二百五十両を賜い、同知察乃・通政使塔利赤・同知留守蕭珍・工部侍郎答失蛮に金二百両・銀一千四百両を賜い、軍人に金二百両・銀八百両を賜い、木石に死し及び病没する者に鈔を給すること差有り。癸卯、中書右丞・将作院を領むる呂天麟に大司徒を加う。戊申、中都万億庫を立てる。寧夏に河渠司を立て、秩五品、官二員、二僧を以て之に参ぜしむ。𠇗頭に太師を特授す。諸王脱歓に金三百両・銀二千五百両・鈔二千錠を賜い、阿里不花に金百両・銀千両・鈔千錠を賜う。己酉、大同霜隕ち禾を殺す。甲寅、李邦寧、香殿を建て成るを以て、金五十両・銀四百五十両を賜う。乙卯、中書省臣言う、「外台・行省及び諸人詔に応え事を言う、未だ敢えて一一聖聴を煩わさず。朝臣を集めて議し、其の事に切なる者を択び、小なれば則ち輒ち行い、大なれば則ち以て聞かしめんことを請う」と。之に従う。揚州・淮安蝗。

九月丙辰朔、内郡の歳が登らず、諸部の人馬の都城に入る者、十の五を減ず。中書省の臣言う、「夏秋の間、鞏昌地震し、帰徳暴風雨あり、泰安・済寧・真定大水あり、廬舎蕩析し、人畜ともにその災いを被る。江浙は饑荒の余り、疫癘大いに作し、死者相枕籍す。父はその子を売り、夫はその妻を鬻ぎ、哭声野に震い、聞くに忍びざるあり。臣ら不才にして、猥りに大任に当たり、心力を竭くさんと欲すれども、聞見浅狭にして、思慮広からず、以て政事多く舛錯し、陰陽の和に乖き、百姓その災殃を被る。願わくは退位して賢路を避けん」と。帝曰く、「災害の事は由来あり、汝らが致すところにあらず、汝らはただその行うところを慎むべし」と。怯憐口提挙司を立て、秩正五品、官四員を設く。高麗国王王昛卒す。雪尼台鉄木察をして薛迷思干の部に使わしむ。己未、中政院の秩を従一品に陥す。辛酉、人を遣わして諸王察八児・寛闍の所に使わす。壬戌、太尉脱脱奏す、「泉州の大商合只鉄即剌、異木沈檀を進む、宮室を構うべし」と。勅して江浙行省にこれを駅致せしむ。癸亥、万戸也列門合散、薛迷思干等の城より来たり、太祖の時に造れる戸口青冊を進呈し、銀鈔幣帛を賜うこと差あり。丙寅、蒲県地震す。癸酉、内史府を内史院に陥し、秩正二品。乙亥、車駕上都より至る。諸路の酒禁を弛む。戊寅、泉州の大商馬合馬丹的、珍異及び宝帯・西域馬を進む。庚辰、高麗国王王璋を以て高麗王を嗣がしむ。諸王禿満、蔵する太宗の玉璽を進め、禿満を陽翟王に封じ、金印を賜う。中書省の臣言う、「旨を奉ずるに、連歳登らず、駕に従う四衛、一衛およそ四百人、給する芻粟は常例の如く、諸部に給する者は半減す。臣ら議す、大都は去歳馬九万四千匹を飼い、今は五万匹に減ずるを請う、外路は馬十一万九千余匹を飼い、今は六万匹に減ずるを請う、十月十五日を始めとす」と。又言う、「薛迷思干・塔剌思・塔失玄等の城、三年の民賦を以て県官に輸す。今薛尼台鉄木察の彼に往くに因り、宜しく二年の賦を寛闍に与え、元輸の人に給与し、一年の者を上進すべし」と。並びにこれに従う。癸未、太陰熒惑を犯す。中都虎賁司を立てる。特く承務郎・直省舎人蔵吉沙を資善大夫・行泉府院使に授く。

冬十月庚寅、太師𠇗頭のため第を建て、鈔二万錠を給す。癸巳、蒲県・陵県地震す。甲午、阿沙不花を以て枢密院事を知らしむ。丁酉、大都の食艱しきを以て、復た米十万石を糶き、その価を減じてこれを賑い、その鈔を以て江南に和糴す。大都の榷酤を罷む。皇太子に金千両を賜う。辛丑、太白南斗を犯す。癸卯、中書省の臣、湖広の米十万石を揚州に貯え、江西・江浙の海漕三十万石、内より五万石を朱汪・利津の二倉に貯え、以て山東の饑民を済わんことを請う、これに従う。勅す、「凡そ内降の文記を持ち河間の塩を買い、及び諸王・駙馬の言を以て運司に至る者は、一切これを禁ず。内降の文記を持ち中書を由らざる者は、運司に聞かしむるを聴す」と。奉符・長清・泗水・章丘・霑化・利津・無棣の七県民の田猟を禁ず。甲辰、帝師の請いに従い、釈教都総管朶児只八を以て兼ねて囊八の地産銭物を領せしめ、都総管府達魯花赤としてその財賦を総べしむ。西番僧教瓦班を翰林承旨とす。左丞相・知枢密院事鉄木児不花に軍国重事を録するを加う。中書右丞・司徒禿忽魯、河南江北行省右丞也速、内史脱孛花、並びに枢密院事を知らしむ。乙巳、護国仁王寺昭応規運総管府を会福院に改め、秩従二品。丙午、興聖宮掌医監を立て、秩正三品。

十一月己未、中書省の臣言う、「世祖の時、省・院・臺及び諸司には皆定員あり、後に略々増す者有り、成宗すでに嘗て旨を有して併省す。邇者諸司遞陞し、四品は三品とし、三品は二品とし、二品は一品とし、一司甚だしきは二三十員に至り、事は旧を改めずして官日増す。大徳十年の已に定めたる員数に依り、冗濫なる者は各司自ら与に減汰に従わんことを請う。衙門既に陥し、諸吏はただ旧秩より出官するに止め、果たして例に応ずる者は、自ら選格の如くならしむ」と。これに従う。庚申、太白昼に見ゆ。軍五千人を以て寺造営の工役に供す。官吏の俸を増し、至元鈔を以て中統鈔の数に依りてこれを給し、その禄米を止め、歳該四十万石。吏員は九十月を以て出身す、旧制の如し。詔して紹興・慶元・台州・建康・広徳の田租を免ず、紹興は災いを被ること尤も甚だしく、今歳また旱魃あり、凡そ佃戸はただ田主に十分の四を輸すべし。山場・河濼・商税は、截日これを免ず。諸路小稔、災いを被る者を審かにしてこれを免ず。乙丑、諸王南木忽里に金印を賜う。丁卯、中書省の臣言う、「今銓選・銭糧の法尽く壊れ、廩蔵空虚なり。中都に城を建て、大都に寺を建て、及び諸貴人のために私第を営み、軍民休息を得ず。邇者用度愈広く、一人を賜う毎に輒ち万錠に至る、惟だ陛下矜察せられんことを」と。又言う、「銓選・銭糧、諸司乞う毋く干預せしむることを」と。帝曰く、「已に制書を降し、諸人に中書の政を干す毋からしむ。他日或いは朕の忽忘に乗じ、内降の文記を持ち及び旨を伝えて中書省に至る者有らば、そのこれを執りて来たれ、朕将に罪を加えん」と。也児吉尼を御中大夫とす。己巳、乞台普済を右丞相とし、脱脱を左丞相とす。既にして又脱脱の言に従い、塔思不花を乞台普済とともに右丞相とす。中書省の臣言う、「国用給せず、宣徽・太府・利用等院の籍を沙汰し、応給人数を定めんことを請う。その上都・行省にある者は、官を委して裁省せしむ。又、行泉院は専ら宝貨を守るを任とす、宜しく私に宝貨を献ずる者を禁ずべし。又、天下の屯田百二十余所、用うる者多く其人に非ざるにより、以て廃弛す、四川・甘州・応昌府・雲州は地絶遠なるを除き、余は当に農務に習う者を選び往かしめ、行省・宣慰司とともに親しくその地に履り、興すべきは興し、廃すべきは廃し、各々籍を具えて以て聞かしむべし」と。並びにこれに従う。詔す、「開寧路及び宣徳・雲州の工役、供億浩繁なり、その賦税は前詔已に三年を免ずる外、更に一年を免ず」と。辛巳、益都諸処の合剌赤等の狩猟を罷む。銀七百五十両・鈔二千二百錠・幣帛三百匹を以て昊天寺に施し、水陸大会と為す。癸未、皇太后五台山に寺を造り、軍六千五百人を摘してその役に供せしむ。

閏十一月己丑、大都の米価が高騰したため、倉庫から十万石を放出し、その価格を下げて貧民に売り出して救済した。北方から来た民が飢えて子を売る者がいたので、役所に命じてこれを贖わせた。乙未、故中書右丞相完澤の妻に金五百両・銀千五百両を賜う。丙申、江南からの砂糖の進上を廃止する。富民が粟を輸送して飢饉を救済し官職を補うことを止める。丁酉、江西・湖広・汴梁で私的に鴐鵝を捕獲することを禁ずる。己亥、遼陽省からの彫豹の進上を廃止する。貴赤衛が烏江県のダルガチ(達魯花赤)から私戸一万を献上されたが、県官に隷属させるよう命じた。壬寅、乞台普濟が固安の田地二百余頃の賜与を請い、これに従う。乙巳、中書省の臣が言うには、「回回の商人が璽書を持ち、虎符を佩び、駅馬に乗り、珍異を求める名目で往来し、やがて豹一頭を献上し、さらに返礼を要求する。このような者が甚だ多い。臣らが議するに、虎符は国の信器であり、駅馬は使臣の必要なものである。今これを諸商人に与えるのは、誠に適切ではない。一様にこれを回収することを請う。」詔で許可する。順徳・広平の鉄冶提挙司を廃止し、民の自由に任せ、役所は従来通りに課税する。丁未、汴梁路の項城県を再び設置する。杭州・紹興・建康等の路は近年飢饉が続いているため、今年の酒税を十分の三免除する。河西の僧戸に対し、先朝の定制に準じて、軍役に従い租税を納め、一切民と同じとするよう勅する。甲寅、答剌罕ハラハスン(哈剌哈孫)卒す。

十二月庚申、和郎撒を隴王に封じ、金印を賜う。平江路の民で謹的里部に隷属する者は、旧制に従い、差役と賦税を民と一体に均等に負担させる。雲南のウイグル(畏吾兒)一千人が荊襄に居住しているが、雲南省の臣が言うには、「世祖の旨があり、雲南に帰還させて征討を補佐させるという。」中書省の臣が発遣して帰還させるのが妥当と議し、これに従う。中都に開寧県を設置し、隆興を源州に降格し、蔚州を蔚昌府に昇格する。河東宣慰司を廃止し、大同路を中都留守司に隷属させ、冀寧・晋寧の二路を中書省に隷属させる。甲戌、平章政事・商議中書省事・太子賓客の王太亨を行太子詹事とし、平章軍国重事・太子少詹事の大慈都を太子詹事とする。御史臺の官及び監察御史に宴服を賜う。