大徳七年
七年春正月戊戌、太陰昴を犯す。甲辰、太陰軒轅を犯す。丙午、諸の改補鈔罪例を定む。首たる者は杖一百七、従う者は二等を減ず。再犯すれば、従う者は杖、首と同し。首たる者は流す。己酉、歳登らざるを以て、河北・甘粛・陝西等の郡の酒を醸するを禁ず。益都諸処の牧馬の地、民の墾く所は、畝租一斗を輸すは重しとし、四升に減ず。饑荒の在る所の山沢河泊の禁を一年弛む。那海の貧乏戸に米八千石を賑す。壬子、帰徳府の田を括るを罷む。乙卯、詔す。凡そ匿名の書を作る者は、辞語重きはこれを誅し、軽きは流配す。首告する人は鈔を賞するに差有り。皆その妻子を籍没し賞に充つ。御史台・宗正府に命じ、官を委ね朱清・張瑄の妻子を遣発し京師に来らしめ、仍その家貲を封籍し、その軍器・海舶等を拘収す。丁巳、枢密院に令し、軍士にして農業に習う者十人を選び、軍前の屯田を教えしむ。也梯忽而的合に金五十両・銀千両・鈔千錠・幣帛百匹を賜う。
二月壬戌、中書省に詔し、諸有司の冗員を汰せしめ、仍って枢密院に諭す。出征の将帥を除く外、院事を掌署する者は、その員数を定めて聞かしむ。辛未、平章政事・行上都留守木八剌沙・陝西行省平章阿老瓦丁を並びに中書平章政事と為し、江南行台御史中丞尚文を中書左丞と為し、江浙行省参知政事董士珍を中書参知政事と為す。壬申、詔す。「枢密院・宗正府等は、自今より毎事中書と共に議し、然る後に奏聞すべし。諸司は擅に遷調を奏すべからず。官員は特旨を経て用うると雖も、例に允わざる者は、亦覆奏を聴す。」甲戌、杭州税課提挙司の冗員を減ず。丙子、和林の軍は六年を以て更戍すべく、仍って鈔を給してその乏を周す。西京の也速迭而軍及び大都より起す軍に命じ、皆四月に上都に至り、五月に北に赴かしむ。丁丑、諸王出伯に命じ、急務に非ざる者は駅に乗じて遣すこと勿れ。中書省に詔し、官を設くるは左右丞相以下、平章二員、左右丞各一員、参知政事二員、八府と定む。戊寅、太陰心を犯す。己卯、内郡の饑荒の在る所の差税を尽く除き、仍って河南省に令し流民を賑恤し、北師に鈔三十八万錠を給す。安南の陳益稷の久しく鄂州に居るを以て、鈔千錠を賜う。侍御史朵台を以て中書参知政事と為す。御史台臣言う。「江浙行省平章阿里、左丞高翥・安祐、僉省張祐等、詭名を以て塩一万五千引を買い、価を増して人に転市す。省・台の官を遣わして按問せんことを乞う。」之に従う。太原・大同・平灤路饑え、並びに直を減じ糧を糶きて之を賑す。庚辰、陝西・甘粛行省に命じ、鳳翔・秦・鞏・甘州・合迷里の貧乏戸を賑す。監察御史杜肯構等、太傅・右丞相完澤の朱清・張瑄の賄賂を受くる事を言う。報えず。壬午、帝中書省臣に語して曰く。「比歳課の増羨を以て爵賞を希求する者有り。此れ民を掊刻するに非ざれば、何よりか出でん。自今より元額を除く外、増羨を以て正数と作すこと勿れ。」江南財賦総管府及び提挙司を罷む。内外の中書省戸部転運司の官、私に塩引を買うことを禁ず。致用院を罷む。諸人に金銀絲線等の物を以て番に下ることを禁ず。江南都水庸田司・行通政院を罷む。大都塩運司を河間運司に併せ、その掌る所の京師の酒税課は、戸部に領からしむ。諸人に奉旨に非ざれば宝貨を進献することを禁ず。諸色の人、宿衛及び諸王・駙馬・妃主の部属に冒充し濫りに錢糧を請う者を汰す。真定路饑え、鈔五万錠を賑す。仍って諸王小薛及び鷹師等に諭し、真定の近地に於て縦りに獵し民を擾すこと無からしむ。丙戌、詔す。辺を征する軍士及び両都の站戸を除く外、その余の人戸は均しく徭役に当るべし。丁亥、詔す。自今より枢密院・御史台・宣政院は旧に依り奏選し、諸司は擅に奏すべからず。その挙用する人員は、並びに中書省を経べし。
三月己丑朔、保定路饑え、鈔四万錠を賑す。庚寅、詔し奉使宣撫を遣わし諸道を循行せしむ。郝天挺・塔出を以て江南・江北に往かしめ、石珪を以て燕南・山東に往かしめ、耶律希逸・劉賡を以て河東・陝西に往かしめ、鐵里脱歡・戎益を以て両浙・江東に往かしめ、趙仁榮・岳叔謨を以て江南・湖広に往かしめ、木八剌・陳英を以て江西・福建に往かしめ、塔赤海牙・劉敏中を以て山北・遼東に往かしめ、並びに二品の銀印を給し、仍って詔を降して之を戒飭す。江浙行省平章脱脱、朱清・張瑄の家属を遣発す。その家、金・珠を以て重く賂う。脱脱、之を聞す。帝之に諭して曰く。「朕江南を卿に任す。果能く爾るは、真に男子の事なり。其れ益々恪勤にして乃事せよ。」黄金五十両を以て賜う。都城火す。中書省と枢密院に命じ議し巡防兵を増す。甘粛行省の供軍錢糧弊多し。詔し廉訪司を甘州に徙す。壬辰、大都南北兵馬司の姦盗等の罪を定む。六十七以下は本路に付し、七十七以上は也可札魯忽赤に付す。河間路禾稼登らず。僧寺を修建する工役を罷めしむ。乙未、真定路饑え、鈔六百六十余錠を賑す。中書平章伯顏・梁德珪・段貞・阿里渾撒里、右丞八都馬辛、左丞月古不花、参政迷而火者・張斯立等、朱清・張瑄の賄賂を受け、罪を治するに差有り。詔し皆之を罷む。洪君祥を以て中書右丞と為す。監察御史言う。其れ曩に宥密に居り、貪賄を以て罷黜せらる。別に賢能を選び之に代うることを乞う。報えず。甲辰、詔し贓罪を十二章と定む。京朝官は月俸の外、禄米を増給す。外任官に公田無き者も、亦量りて之を給す。乙巳、八百媳婦を征して師を喪うを以て、劉深を誅し、合剌帶・鄭祐を笞し、雲南征緬分省を罷む。戊申、小蘭禧・岳鉉等、大一統志を進む。賜賚差有り。己酉、元降の除免和雇和市の璽書を追収す。脱歡の諸王脱脱を誣告するを以て、謫して湖広省軍前に置き自ら効わしむ。甘粛行省の民兵を差調し及び軍民站戸の家属孳畜の数を取勘するを罷む。庚戌、鐵哥察而の収むる所の愛牙合赤戸を以て、仍諸王脱脱に隷せしむ。癸丑、枢密院臣及び監察御史言う。「中丞董士選、朱清・張瑄に鈔を貸す。義に非ず。」帝曰く。「台臣の称貸は必ずしも問わず。若し言う者已まざれば、後当に之を杖せん。」甲寅、車駕上都に幸す。丙辰、諸王小薛の部等に鈔六万錠を賜う。李陵台等五站戸に鈔一千四百余錠を賑す。遼陽等路饑え、鈔万錠を賑す。
夏四月癸亥、太陰が東井を犯す。詔して省・臺・樞密院・通政院に、凡そ大都総管府の官吏を呼召するには必ず印帖を用い、その他の諸司は軽々に召喚してはならぬと命ず。藩臣陳天祥・張孔孫・郭筠を京師に徴し、天祥・孔孫を集賢大学士とし、筠を昭文舘大学士とし、皆中書省事を同議せしむ。丙寅、太陰が軒轅を犯す。庚午、中書の文移が甚だ繁雑なるを以て、その二品諸司で省に呈すべきものは、六部に関ずるに止めよと命ず。中書左丞相答剌罕言う、「僧侶が仏事を修する事畢れば、必ず重囚を釈放す。人を殺し及び妻妾が夫を殺す者あり、皆名指ししてこれを釈す。生者は苟くも免れ、死者は寃を負う、福に何のあらんや」と。帝嘉してこれを納る。辛未、朱清・張瑄の子孫を遠方に流し、なお行費を給す。乙亥、歳星が輿鬼を犯す。太陰が南斗を犯す。庚辰、蛇節降る。海剌孫に兵五千を将いてこれを守らしめ、余衆は悉く各戍に還遣す。碉門四川軍人一千人を撥して羅羅斯を鎮めしめ、その土軍で道路を修治する者は、悉く放還せしむ。甲申、熒惑が太微垣右執法を犯す。丁亥、歳星が輿鬼を犯す。蛇節を誅す。衞輝路・辰州に螟あり。済南路に霜隕りて麦を殺す。
五月己丑、和林の軍に鈔三十八万錠を給す。上都・大都の酒禁を開く。その隷する両都州県及び山後・河東・山西・河南で嘗て饑饉を告げたる者は、なお悉くこれを禁ず。詔して雲南行省に銭糧を整飭せしむ。壬辰、辰星が東井を犯す。大徳五年の戦功を以て、北師に銀二十万両・鈔二十万錠・幣帛各五万九千匹を賞す。皇姪海山及び安西王阿難答、諸王脱脱・八不沙、駙馬蛮子台等に各金五十両・銀珠錦幣等の物を差等ありて賜う。丙申、征緬より回軍したる一万四千人を遣わして各戍に還らしむ。癸卯、詔して和林の軍糧は、歳支十二万石を除き、その余は旨を奉らざれば擅に支ふることを得ずとす。丁未、床兀児来朝す。戦功を以て金五十両・銀四百両を賜い、なおその万戸の隷する貧乏軍に鈔六十九万余錠を給す。辛亥、奉使宣撫耶律希逸・劉賡言う、「平陽の僧察力威、法を犯すこと一にあらず、有司その豪強を憚り、敢えて詰問せず、臣等の至るを聞き、潜かに京師に逃る」と。中書省臣言う、「宜しく捕えてその所に送り、省・臺・宣政院に官を遣わして雑治せしむべし」と。これに従う。甲寅、上都の灤河を濬う。乙卯、昌童王の五戸絲を分けて諸王塔失鉄木而に給す。甘州の站戸で僧侶・禿魯花等を隠匿する者に、例に依りて役に還らしむ。詔して中外の官吏で職田なき者に、俸を験して米を差等ありて給し、その上都・甘肅・和林諸処の米を産せざる地は、ただその価を給す。諸王八不沙の部が般陽等処で囲猟し民を擾すことを禁ず。詔して諸宿衞士は、官員の子弟で嘗て奏准されたる者は留め、余は悉く革去す。諸王・駙馬が軽々に州県の官吏を杖つことを禁じ、違う者は王府の官を罪す。和林宣慰司都元帥府を立て、忽剌出を遥授中書省左丞とし、宣慰使都元帥と為す。諸王納忽里に鈔千錠・幣三十匹を賜う。済寧・東昌・済南・般陽・益都に虫麦を食う。太原・龍興・南康・袁・瑞・撫等路、高唐・南豊等州饑え、直を減じて糧五万五千石を糶く。東平・益都・済南等路に蝗あり。般陽路に霜隕る。
閏五月戊午朔、日食あり。也奴鉄木而・闊闊出・晃兀が軍に没したるを以て、その家に鈔を差等ありて賜う。壬戌、詔して曲阜の林廟を犯す者を禁ず。丁卯、平江等十五路の民饑え、直を減じて糧三十五万四千石を糶く。戊辰、太陰が心を犯す。己巳、諸王孛羅・真童皆賊を討つ功あり、京師に徴詣す。完澤薨ず。庚辰、雲南行省平章也速帯而入朝し、獲たる軍中の金五百両を献ず。帝曰く、「是の金は卿が死を效して獲たる所なり」と。鈔千錠を賜う。丁丑、諸王・駙馬等の征北諸軍が奴をもって代と為す者を罪することを禁ず。辛巳、詔して僧侶は民と均しく差役に当たるべし。癸未、各道の奉使宣撫言う、去歳被災の人戸で未だ賑済せられざる者は、その差役を免ずべしと。これに従う。江浙行省右丞董士選に命じ、籍没したる朱清・張瑄の貨財を発して京師に赴かしめ、その海外未還の商舶は、至れば則ち例に依りて籍没す。甘肅行省平章合散等が官銭十六万三千余錠・塩引五千余道を侵盗せしを、省・臺の官に徴せしむ。詔して上都路・応昌府・亦乞列思・和林等の処は内郡に依りて酒を禁ず。丙戌、営田提挙司を罷む。汴梁開封県に虫麦を食う。
六月己丑、御史臺臣言う、「瓜・沙二州は、昔より辺鎮の重地たり、今大軍甘州に屯駐し、官民をして却って辺外に居らしむるは、宜しからず。乞うらくは蒙古軍一万人を以て険隘に分鎮し、屯田を立てて軍実を供せしめ、便ならしむべし」と。これに従う。四川宣慰司を罷め、四川行中書省を立て、雲南行省平章脱脱・湖広行省議事平章程鵬飛を並びに平章政事と為す。壬辰、武岡路饑え、価を減じて糧一万石を糶きてこれを賑す。欽察千戸等の貧乏なる者に鈔三万七千八百余錠を給す。癸巳、叛賊雄挫来降す。乙未、亦乞不薛の平定に就き、探馬赤軍二千人を留めて阿永の叛蛮を討たしめ、余は悉く放還す。庚子、西京道宣慰使法忽魯丁、瑟瑟二千五百余斤を官に鬻ぎ、鈔一万一千九百余錠と為す。旨あり、御榻の所用を除く外、余の未だ用いざるものは、宜しく悉くこれを還すべしと。阿伯・阿忽台等に命じて河西の軍事を整飭せしむ。癸卯、詔して凡そ軍官の子弟で年二十に及ぶ者は、民官の子孫と同様に、儤直一年して初めて職を襲うことを許し、万戸は枢密院に、千戸は行省に、百戸は本万戸にて行わしむ。乙巳、行省の僉省を罷む。浙西淫雨、民饑うる者十四万、糧一月を賑し、なお今年の夏税並びに各戸の酒醋課を免ず。甘肅行省に命じて阿合潭・曲尤壕を修し以て漕運を通ぜしむ。大寧路に蝗あり。
秋七月辛酉、常徳路が飢饉となり、価格を下げて糧食一万石を売り出し、これを賑済した。壬戌、御史台の臣が言うには、「以前、河間路のダルガチ(達魯花赤)フサイ(忽賽因)と転運使ジュア・デショウ(朮甲徳寿)はともに贓罪に坐して罷免された。今、フサイは鷹犬を献上したことにより、また大寧路のダルガチに任じられ、ジュア・デショウはディリミシ(迭里迷失)が妄りにその誣告されたことを奏上したことにより、また福寧の知州に任じられた。ともに改正して叙用せず、奸貪を止めるべきである。」これを従った。僧侶が寺宇を建立することを名目として、諸王の令旨を携えて駅伝を利用し民を擾乱することを禁じた。宿衛の士を淘汰した。丙寅、ダルハン(答剌罕)カラカスン(哈剌哈孫)を中書右丞相・知枢密院事とした。戊寅、歳星が軒轅を犯した。丙子、四川行省に駅券十二道を与えた。詔して、集賢・翰林の老臣に朝政を預議させ、その他の三品以下で年七十の者は、各々散官一等を陞進して致仕させた。和リン(和林)兵馬司を立てた。遼東宣慰司を罷めた。丁丑、中書省の臣が言うには、「大同の税課は、先に奉旨により乳母楊氏に賜ったが、その家が掊斂して数を過ぎ、民を擾乱することが甚だしい。」勅して鈔五百錠を賜い、その税課は例に依って官に輸納させた。御史台の臣が言うには、「湖南は糧百石を輸納する者に駅馬一匹を出させるが、広海は地が狭く、輸納が百石に及ばない者も、出すところもこれと同じである。故に官は塩引をもってその不足を助けている。毎馬一匹につき、貴州以北には塩十七引を与え、以南には二十引を与える。近頃榷塩提挙司を立て、官価が五割三分増しとなった。元来二十引を与えていた者は、鈔十七錠を与えるべきであり、十七引を与えていた者は十五錠を与えるべきである。」これを従った。江南の白雲宗摂所を罷め、その田は例に依って租を輸納させた。ドゥア(都哇)、チャバル(察八而)、メリ・テムル(滅里鉄木而)らが使者を遣わして兵を休めることを請うた。帝は安西王に命じて軍士を慎んで戒め、駅伝を安置し、その来るを待たせた。戊寅、諸王ヌルン(奴倫)、バヤン(伯顔)、エブゲン(也不干)らに鈔九万錠を賜った。諸王の設けた総管府を罷めた。叛賊マニ(麻你)が降り、金五百両、童男女二百人及び馬牛羊を貢いだが、これを退けた。己卯、太陰が井宿を犯した。乙酉、熒惑が房宿を犯した。諸王キュリルク(曲而魯)らの部に差等をつけて鈔幣を賜った。
八月己丑、護国仁王寺に元来設けられていた江南営田提挙司を罷めた。安西王の所部の貧民に米二万石を与えた。辛卯、夜に地震があり、平陽・太原が特に甚だしく、村堡が移転し、地が裂けて渠となり、人民の圧死は数え切れなかった。使者を分遣して賑済し、鈔九万六千五百余錠とし、なお太原・平陽の今年の差税を免じ、山場河泊は民に採捕を許した。癸巳、太白が氐宿を犯した。ユリブカ(月里不花)がオングリ(甕吉里)の軍を率いて雲南に赴く途中で卒した。その子プリエ(普而耶)を代わりとした。甲午、熒惑が東咸を犯した。太陰が牽牛を犯した。庚子、中書省の臣が言うには、「ファフルディン(法忽魯丁)が和リン(和林)の軍糧を輸送したが、その負欠は計二十五万余石に及ぶ。近頃監察御史もまたその官銭十三万余錠を侵匿したことを言う。臣ら議するに、官を遣わしてこれを徴収し、不足すればその財産を没収すべきである。」これを従った。乙巳、歳星が軒轅を犯した。庚戌、緬王が使者を遣わして馴象四頭を献上した。辛亥、熒惑が天江を犯した。諸王トク・テムル(脱鉄木而)の子エセン・ボケ(也先博怯)の所部らに鈔六千九百余錠を賜った。
九月戊午、車駕が大都に還った。丙寅、太白が昼に見えた。太原・平陽の地震により、諸王アジギ(阿只吉)、小薛の所部が民を擾乱することを禁じ、なお太原の歳飼馬を半減した。刑部尚書タチャル(塔察而)、翰林直学士王約を高麗に使いさせ、その国相呉祁(祁)が権を専らにするため、闕下に徴して罪を問わせた。辛未、熒惑が南斗を犯した。詔して諸司に平陽・太原を賑恤するよう諭した。甲戌、太陰が東井を犯した。乙亥、太白が南斗を犯した。丙子、妻を持つ僧官を罷めた。壬午、辰星が氐宿を犯した。ムバラシャ(木八剌沙)を平章政事に復した。
冬十月丁亥、太白が天を経た。御史台の臣が江浙行省平章アリ(阿里)の不法を劾奏した。帝は言った、「アリは朕が信任する者である。台臣が屡々言うのは、大臣を勧める所以ではない。後に言う者があれば、朕は恕さないであろう。」戊子、太原・平陽の酒禁を緩めた。江浙の年穀が登らなかったため、海運糧四十万石を減らした。己丑、詔して、軍に従う医工はその妻子のみを復し、戸は元の通りとする。辛卯、再び陝西行御史台を立てた。癸巳、御史台の臣及び諸道の奉使が言うには、「行省の官が久任し、所属の編氓と婚姻を結び、政を害している。」詔して互いに遷転させた。ジルカク(只而合忽)を知枢密院事とした。大都の文宣王廟に洒掃戸五を与えた。乙未、雲南の叛寇の余党で心を改めない者を京師に送り、蛇節の養子アケ(阿闕)を本境に留めて、その民を撫慰させた。平灤を永平路と改めた。甘州を上路に陞格した。刑部に獄吏一員を設け、囚徒を掌らせた。安西転運司が常課の外に五万七千四百錠を増算したので、人ごとに衣一襲を賜い、その功を勧めた。詔して、諸司は凡そ銭糧で中書省の議を経ないものは、奏上してはならない。庚子、普定府を路とし、曲靖宣慰司に隷属させ、故知府容苴の妻適姑を総管とし、虎符を佩かせた。叙州宣慰司を叙南等処諸部蛮夷宣撫司とした。辛丑、太陰が東井を犯した。庚戌、翰林国史院が太祖・太宗・定宗・睿宗・憲宗の五朝実録を進呈した。辛亥、詔して、軍戸で貧乏な者は、六年間存恤する。蒙古国子生を百員増員した。
十一月甲寅朔、諸王アジギ(阿只吉)の所部に鈔二十万錠・糧一万石を賜った。鷹師に命じて囲猟し、民を擾乱してはならないとした。順元を湖広省に隷属させた。海道運糧万戸府を併せて海道都漕運万戸府とし、印二顆を与えた。亦乞不薛の賊党魏傑らが降り、人ごとに衣一襲を賜い、還し遣わして、その首乱者を招かせた。丁巳、詔して大同・浄州・隆興等路に糧五万石を和リン(和林)に運び入れさせた。己未、太白が天を経た。辛酉、木に氷がついた。甲子、十二章に依って僧官の罪を断ずることを命じた。丙寅、鎮星が進賢を犯した。戊辰、太陰が井宿を犯した。辛未、全寧府を路に陞格した。己卯、太陰が東咸を犯した。諸王メケト(滅怯禿)、玉龍鉄木児を遣わしてチャバル(察八而)に使わした。
十二月甲申朔、詔して、内郡は連年収穫がなく、その民で既に差役を免じられた者は、併せてその田租を蠲免する。乙酉、京師の酒課を緩め、貧民に酒を醸造することを許した。丙戌、太白が天を経た。熒惑が壘壁陣を犯した。戊子、宋隆済を平定した功により、諸将の秩を増し、銀・鈔等の物を差等をつけて賜い、その軍士は各々鈔十錠を賜い、帰して一年間存恤させた。丙申、太陰が東井を犯した。辛丑、太陰が明堂を犯した。詔して順元諸司を撫諭した。大徳七年の民間の逋税を免じた。江南・浙西の官田で特旨により賜賚されたものは、中書省に迴奏することを許した。皇姑魯国大長公主に鈔一万五千錠、幣帛各三百匹を賜った。真武を加封して元聖仁威玄天上帝とした。丁未、太陰が天江を犯した。軍餉を転輸した労により、思州・播州及び潭州・衡州・辰州・沅州等路の税糧を一年間免じ、常徳・澧州は三分の一を免じ、淘金戸・站戸で種佃のない者は、雑役を一年間免じた。七道の奉使宣撫が罷免した贓污官吏は凡そ一万八千四百七十三人、贓物は四万五千八百六十五錠、審理した冤獄は五千百七十六事であった。
この年、大辟(死刑)を断ずること十人。
大徳八年
二月丙戌、国子生二百員を増置し、宿衛大臣の子孫を選びて之に充つ。庄浪路を降して州と為す。隴干県を併せて徳順州に入る。辛卯、諸王出伯の部軍に命じて薛出合出谷に屯田せしむ。甲午、詔す:父子兄弟才有る者は、並びに風憲に居るを許す。江東建康道廉訪司を徙して寧国に治めしめ、其の建康路の簿書は、監察御史に命じて鈎考せしむ。丙申、軍千人を分かちて嘉定州を戍らしむ。甲辰、翰林学士承旨撒里蛮、金書世祖実録節文一冊・漢字実録八十冊を進む。宿衛の繁冗なる者を減ず。丙午、車駕上都に幸す。軍人の奸盗詐偽は悉く有司に帰すことを勅す。太祖位の怯怜口戸に鈔一万八千二百錠・布帛一万匹を賜う。禿赤及び塔剌海に、所籍の朱清・張瑄の田、人六十頃を賜い、近侍鷹坊の怯怜口に鈔二万七千三百錠・布帛一万二千匹を賜う。平章政事王慶端に玉帯を賜い、半俸終身。
夏四月丙戌、千戸所を置き、定海を戍り、以て歳至る倭船を防ぐ。永寧路の叛寇雄挫来降す。僧道商と為る者に命じて税を輸せしむ。凡そ諸王・駙馬の徴索は、有司旨を奉ぜずして輒ち給する者は、罪し且つ之を罷む。諸路の畏吾児・合迷里自ら相訟する者は、都護府に帰し、民と交訟する者は、有司の専決を聴す、と詔す。甲午、詔す:「朝廷・諸王・駙馬の鷹鷂を進捕するには皆定戸有り、今より鷹師に非ずして伝に乗り冒りて進む者は、之を罪す。」庚子、永平・清・滄・柳林の屯田水に被るを以て、其の逋租及び民貸食する者は皆徴する毋れ。丁未、国子生を分かちて上都に教ふ。西平王奥魯赤・合帯等の部民に鈔一万錠を賜ひ、朶耳思等の站戸に鈔二千二百錠・銀三百九十両有奇を賜う。益都臨朐・德州斉河蝗有り。
五月壬子朔、日食有り。辛酉、所籍の朱清・張瑄の江南財産を以て中政院に隷す。己巳、宋隆済を平げし功を以て、諸王脱脱・亦吉里帯、平章床兀而等に銀・鈔・金・幣・玉帯を賜ひ、及び大理・金歯・曲靖・烏撒・烏蒙宣慰等の官に銀・鈔各差有りて賜う。壬申、福建都転運塩使司を罷め、其の歳課を併せて宣慰司に隷す。中書省臣言す:「呉江・松江は実に海口の故道、潮水久しく淤塞し、凡そ良田百余里を湮塞す、況んや海運も是より出ず、宜しく租戸役一万五千人を以て濬治し、歳に租を免ずること人十五石、仍て行都水監を設けて以て其の程を董むべし。」之に従ふ。諸王の駅券を追収す。癸酉、館陶等十七倉の官品級を定む:諸糧十万石以上は従七品、五万石以上は正八品、五万に及ばざるは従八品。庚辰、去歳平陽・太原地震し、宮観摧圮する者千四百余区、道士死傷する者千余人有るを以て、之を賑恤せしむ。是の月、蔚州の霊仙、太原の陽曲、隆興の天城・懐安、大同の白登大風雨雹有りて稼を傷め、人死する者有り。大名の濬・滑、德州の斉河霖雨有り。汴梁の祥符・太康、衞輝の獲嘉、太原の陽武河溢す。
六月癸未、和林的の酒禁を開き、酒課提挙司を立つ。丁酉、汝寧の妖人李曹驢等妄りに天書を得たりと言ひて衆を惑はす、事覚えて誅せらる。益津蝗有り、汴梁祥符・開封・陳州霖雨有り、其の田租を蠲す。扶風・岐山・宝鶏諸県旱有り、烏撒・烏蒙・益州・忙部・東川等路饑疫有り、並びに之を賑恤す。
秋七月辛酉、江淮等処財賦総管府を罷む。癸亥、諸王合贊西域より使いを遣わし来たり珍物を貢ぐ。諸王也孫鉄木而等に鈔二十万錠を賜い、北辺を戍る千戸に十五万錠、怯憐口等に九万余錠、西平王奥魯赤に二万錠を賜う。順徳・恩州の昨年の霖雨により、その民の租四千余石を免ず。
八月、太原の交城・陽曲・管州・嵐州、大同の懐仁に雨雹・隕霜あり禾を殺す。杭州に火災あり、粟を発してこれを賑す。大名・高唐の昨年の霖雨により、その田租二万四千余石を免ず。
九月癸丑、車駕上都より至る。庚申、伯顔・梁徳珪並びに復た中書平章政事と為り、八都馬辛復た中書右丞と為り、迷而火者復た中書参知政事と為る。江浙行省平章阿里を以て中書平章政事と為す。庚午、戸部尚書張祐を以て中書参知政事と為す。癸酉、諸王察八而・朶瓦等使いを遣わし来たり附き、幣帛六百匹を以てこれに給す。詔して諸王に、凡そ泉府の規営する銭は、旨を奉らざれば輒り支貸すべからずとす。諸王出伯の部に帛四百匹を給す。四川・雲南の鎮戍軍にして家が太原・平陽に在り災を被る者に、差等有りて鈔を給す。潮州に颶風起こり、海溢れ、民の廬舎を漂わし、溺死する者衆し、その被災戸に両月の糧を給す。冀・孟・輝・雲内諸州の昨年の霖雨により、その田租二万二千一百石を免ず。
冬十月辛卯、太廟に事有り。辛巳、諸王阿只吉の部に馬料価鈔三千九百錠を給す。宣徽使・大都護長寿を以て中書右丞と為し、陝西行省右丞脱歓を以て中書参知政事と為す。丁亥、安南使いを遣わし入貢す。詔して諸王・駙馬に、駅を乗りて以て狩猟する毋からしむ。庚寅、皇姪海山を封じて懐寧王と為し、金印を賜い、仍て瑞州の戸六万五千を割きてこれに隷属せしめ、歳ごとに五戸糸直鈔二千六百錠・幣帛各千匹を給す。戊戌、省・台・院の官に命じて高麗国相呉祁及び千戸石天補等を鞫わしめ、祁は王父子を離間し、天補は日本に帰らんと謀りたるを以て、皆これを笞ち、安西に徙す。
十一月壬子、詔す:「内郡・江南の人にして凡そ盗を為して三たび黥する者は、遼陽に謫戍せしめよ。諸色の人及び高麗人にして三たび免黥の者は、湖広に謫戍せしめよ。禁籞の馬を盗む者は、初犯は謫戍、再犯は死せしめよ。」平陽・太原の昨年の大地震により、その税課を一年免ず。制用院使忽鄰・翰林直学士林元を遣わして高麗を撫慰す。遼陽の民楽亦等三百九十戸、兵と為る者を放ちて民籍に還す。丁卯、復た僧人の租を免ず。戊辰、武備卿鉄古迭而を以て御史大夫と為す。壬申、詔して凡そ僧にして姦盗殺人する者は、有司の専決を聴かしむ。寧遠王闊闊出、馬一万五百余匹を以て軍に給し、鈔五万二千五百余錠を以てその直を償うことを命ず。海漕の米を増して百七十万石と為す。
十二月庚子、復た益都淘金総管府を立つ。辛丑、諸王出伯を封じて威武西寧王と為し、金印を賜う。安西王阿難答、諸王阿只吉・也速不干等に鈔一万四千錠を賜う。
大徳九年
九年春正月丁巳、太陰天関を犯す。戊午、帝師輦真監藏卒す。金五百両・銀千両・幣帛万匹・鈔三千錠を賻い、仍て塔寺を建つ。甲子、太陰明堂を犯す。瓮吉剌部の民張道奴等、旧く権りて軍と為る者を復た民籍に隷せしむ。己巳、太陰東咸を犯す。壬申、大都の酒禁を弛む。甲戌、諸王完沢・撒都失里・別不花等の部に鈔五万六千九百錠・幣帛を差等有りて賜い、鷹師等に百五十万錠を賜う。
二月癸未、軍匠等の戸元より東宮に隷する者は、有司これを奪う毋からしむと勅す。中書省臣言う:「近侍内より旨を伝うるに、凡そ除授賞罰皆文記無し。差違有らんことを懼る。乞うらくは今より旨を伝うる者、悉く文記を以て中書に付せしめよ。」これに従う。甲午、天下の道士の賦税を免ず。乙未、大天寿万寧寺を建つ。丁酉、諸王完沢を封じて衛安王と為し、定遠王岳木忽而を封じて威定王と為し、並びに金印を賜う。翰林国史院を正二品に陥す。朶瓦の使者に幣帛五百匹を賜う。庚子、中書に命じて郊祀の礼を行わんことを議せしむ。辛丑、詔して天下を赦す。御史台・翰林・集賢院・六部に令し、五品以上より各々廉能にして治体を識る者三人を挙げしめ、行省・行台・宣慰司・廉訪司各々五人を挙げしむ。大都・上都・隆興の差税・内郡の包銀俸鈔を一年免ず。江淮以南の租税及び官田を佃種する者は、均しく十分の二を免ず。致仕官にして止だ一子応に廕を承くべき者は、その儤使並びにこれを免じ、家貧しき者は半俸を給してその身終わるまでとす。丙午、宿衛怯憐口に鈔一百万錠を賜う。帰徳の頻年に水災を被り民飢うるにより、両月の糧を給す。平陽・太原地震し、站戸災を被るにより、鈔一万二千五百錠を給す。
三月丁未朔、車駕上都に幸す。安西王に積年減ぜられたる所の歳賜金五百両・糸一万一千九百斤を給還し、仍てその部に鈔一万錠を賜う。遼陽行省に大辟を専決する毋からしむと勅す。和林の貯うる所の幣帛を以て懐寧王の部の軍に給す。庚戌、吃剌思八斡節児の姪相加班を以て帝師と為す。梁王に詔して雲南行省の事に関与せしめず、鈔千錠を賜う。甲寅、熒惑氐を犯す。戊午、歳星左執法を犯す。枢密副使高興を以て平章政事と為し、仍て枢密副使とす。親王脱脱に鈔二千錠を賜い、奴兀倫・孛羅等に金五百両・銀千両・鈔二万錠を賜う。済寧の昨年の霖雨稼を傷め、常寧州飢うるにより、並びにこれを賑恤す。河間・益都・般陽の属県に隕霜あり桑を殺し、これを撫す。宜黄・興国の大冶等県に火災あり、被災者に一月の糧を給す。
夏四月庚辰、太陰井を犯す。雲南行省戍兵を益さんことを請う、許さず。使いを諸路に詣らせてその当に戍るべき者を閲しこれを遣わす。乙酉、大同路地震し、声雷の如く、官民の廬舎五千余間を壊し、二千余人を圧死す。懐仁県に地二所裂け、水湧き出で尽く黒く、松柏の朽木を漂い出づ。使いを遣わして鈔四千錠・米二万五千余石を以てこれを賑す。是年の租賦税課徭役一切除免す。戊子、察八而・朶瓦の遣わす所の使者に銀千四百両・鈔七千八百余錠を賜う。己丑、東川路の蛮官阿葵、馬二百五十匹・金二百五十両及び方物を以て来たり献ず。壬辰、太白井を犯す。中書省臣言う:「前代の郊祀、祖宗を以て配享す。臣等議す:今始めて郊礼を行わんとす。専ら昊天を祀るを宜しとす。」詔して議う所に依りてこれを行わしむ。汴梁・帰徳・安豊の昨年災を被り、潭州・郴州・桂陽・東平等路飢うるにより、並びにこれを賑恤す。
五月丁未、諸王・駙馬の部属及び各投下に対し詔を下し、市傭徭役は全て民と均等に輸納させる。雲南・四川・福建・両広の官を派遣する。大都は旱魃のため、使者を遣わし香を捧げて雨を祈る。戊申、陝西儒学提挙蕭𣂏を召して闕下に赴かせ、有司に命じて安車を給する。戊午、各道の肅政廉訪司を詳刑観察司に改め、省・臺が人を辟召して任用することを聴す。衍慶司を立て、正二品とする。癸亥、歳星が左執法を掩う。地震により、平陽を晉寧に、太原を冀寧に改める。洪澤・芍陂の屯田を再び立て、河南行省平章阿散に命じてその事を統轄させる。鬱林県を省いて貴州に併入する。晉寧・冀寧が累年災害を受けたため、鈔三万五千錠を給す。宝慶路が飢饉のため、粟五千石を発してこれを賑済する。陝西渭南・櫟陽諸県が昨年旱魃に遭ったため、その田租を免除する。道州は旱魃。
六月丙子朔、皇太子を立てるにあたり、中書右丞相答剌罕哈剌哈孫を遣わして昊天上帝に告げ、御史大夫鐵古迭而を遣わして太廟に告げる。庚辰、皇子徳寿を立てて皇太子とし、詔を下して天下に告げる。高齢者に帛を賜い、八十歳の者には一匹、九十歳の者には二匹。孝子順孫で政事に従うに堪える者は、才能に応じて任用する。親が七十歳で別に侍丁のいない者は、近くに遷して官職を除授する。外任官五品以下は皆一資を減ず。諸処の罪囚で五年以上滞獄した者は、悪逆を除き、疑わしく決断できない者は釈放する。遠方に流竄した者は、内地に量り移す。甲午、潼川で霖雨により江が溢れ、民居を漂没し、溺死者多く、有司に命じて一か月分の糧を給し、その田租を免ず。瓊州が屡々叛寇に遭い、隆興・撫州・臨江等路が水害、汴梁が霖雨の災害に遭ったため、皆一か月分の糧を給す。桓州・宣徳で雹害。鳳翔・扶風で旱魃。通・泰・静海・武清で蝗害。
秋七月乙巳朔、晉寧・冀寧・大同での酒造りを禁ず。晉寧・冀寧の今年の商税を半減する。丙午、熒惑が氐を犯す。辛亥、麗正・文明門の南丙位に郊壇を築き、郊祀署を設け、令・丞各一員、太祝三員、奉礼郎二員、協律郎一員、法物庫官二員とする。癸丑、黒水新城を靖安路とする。秘書監・拱衞司を共に正三品に昇格。福建蒙古字提挙司及び医学提挙司を廃止。安西王阿難答の子月魯鉄木而に鈔二千錠を賜う。甲寅、太白が経天。庚申、太府監を太府院に昇格。壬戌、金千両・銀七万五千両・鈔十三万錠を以て興聖太后及び宿衞の臣に賜い、懐州に出居させる。懐寧王王府官を復置。威定王岳木忽而に鈔一万錠を賜う。大都から上都までの十二駅に鈔一万一千二百錠を給す。丁卯、熒惑が房を犯す。大司徒段貞・中書右丞八都馬辛を共に中書平章政事とし、参知政事合剌蠻子を右丞とし、参知政事迷而火者を左丞とし、参議中書省事也先伯を参知政事とする。脱脱の所部の乞而吉思民に五か月分の糧を給す。沔陽の玉沙江が溢れ、陳州の西華河が溢れ、嶧州が水害に遭い、米四千石を賑済する。揚州の泰興・江都、淮安の山陽が水害に遭い、その田租九千余石を免除する。潭・郴・衡・雷・峽・滕・沂・寧海諸郡が飢饉のため、価格を下げて糧五万一千六百石を売り出す。
八月乙亥朔、孛可孫の冗員を削減。孛可孫は芻粟の管理を専管し、初めは数人であったが、後に各位が増員され、遂に繁宂に至った。ここに至って十二員を残し、余りは全て廃止する。丙子、大都の駅站戸に粟千四百七十余石を給す。丁丑、曲阜の林廟の洒掃戸に給し、尚珍署の田五十頃を以て歳祀を供えさせる。己卯、冀寧が再び不作のため、山沢の禁を弛め、民に採捕を聴す。太常卿丑閭・昭文館大学士靳徳進に命じて司天臺で星を祭る。辛巳、太陰が東咸を犯す。丙戌、商胡塔乞が宝貨を携えて来献し、鈔六万錠を以てその代価を給す。癸巳、制用院を再び立てる。乙未、熒惑が天江を犯す。寧遠王闊闊出に鈔一万錠、及びその所部に三万錠を賜う。今月、涿州・東安州・河間・嘉興で蝗害、象州・融州・柳州で旱魃、帰徳・陳州で河が溢れ、大名で大水、揚州で飢饉。
九月戊申、聖誕節、帝は寿寧宮に駐蹕し、朝賀を受ける。丁巳、熒惑が斗を犯す。庚申、車駕が上都より至る。威武西寧王出伯の所部に鈔三万錠を賜う。
冬十月丁丑朔、都水監を正三品に昇格。辛巳、太廟にて祭祀あり。丙戌、太白が経天。己丑、両広以南の軍と土人とを同じくして戍らせることを命ず。庚寅、駙馬按替不花が朵瓦より来朝し、銀五十両・鈔二百錠を賜う。乙未、帝、中書省・枢密院・御史臺の臣に諭して曰く、「省中の政事は、右丞相哈剌哈孫答剌罕に総裁を聴せしめよ。今より人を用いるに、答剌罕と共に議さざる者は、悉く罷免せよ」。戊戌、芍陂・洪澤等の屯田で豪右に占拠されたものは、悉く租を輸納させることを詔す。辛丑、再び詳刑観察司を廉訪司とする。常州僧録林起祐が官田二百八十頃を冒して己が業とし河西寺に施したため、民を募り耕種させ、その租を官に輸納することを勅す。御史臺の臣、官吏の俸を増やすことを請う。中書省と共に議して上聞することを命ず。両淮の地で豪民に占拠されたものを徴収し、租賦を輸納させる。安南王陳益稷に湖広の地五百頃を賜う。諸王忽剌出及び昔而吉思が来朝して皇太子の立位を賀し、鈔及び衣服・弓矢等を差等有りて賜う。
十一月丁未、鈔一万錠を雲南行省に給し、貝と参用することを命ず。その貝で本土産出でないものは偽鈔と同様に論ず。諸王・妃主の駅券を拘収。大都南城警巡院を置く。黄勝許がその属を遣わして方物を献じ、その子の官を復することを請う。帝は允さず、曰く、「勝許は反覆して信ずるに足らず。もし悔罪して自ら至れば、則ち官を得べし」。衣服を賜ってこれを遣わすことを命ず。昨年冀寧が地震に遭い、駅站戸が貧乏したため、諸王・駙馬に対し妄りに使者を遣わして駅を乗るなきことを詔す。雲南屯田を再び立て、伯顔察而に命じてその事を督めさせる。四川の征戍軍士で、その家が大同に在り地震で圧死した者に戸ごとに鈔五錠を給す。庚戌、歳星・太白・鎮星が亢に聚まる。癸丑、歳星が亢を犯す。丙寅、歳星が昼に見える。庚午、南郊にて昊天上帝を祀り、犠牲に馬一・蒼犢一・羊豕鹿各九を用い、その文舞を崇徳の舞と曰い、武舞を定功の舞と曰う。摂太尉・右丞相哈剌哈孫・左丞相阿忽台・御史大夫鐵古迭而を以て三献官とする。壬申、太白が経天。
十二月乙亥、冀寧路に鈔一万錠・塩引一万紙を賜い、以て歳費を給す。丙子、太白が西咸を犯す。地震。庚寅、熒惑が壘壁陣を犯す。皇太子徳寿薨ず。己亥、辰星が建星を犯す。
大徳十年
十年春正月壬寅朔(初一日)、高麗王王昛が使者を遣わして来朝し、地方の産物を献上した。甲辰(三日)、荘聖皇后・昭睿順聖皇后・徽仁裕聖皇后の儀範と中外の政事について尋ね訪ねさせ、記録に備えさせた。丙午(五日)、呉松江等の漕河を疏濬した。四川行省の臣が言うには、「所在の駅伝は、旧制では各路のダルガチ(達魯花赤)が兼ねて監督していた。今、沿江の水駅は迂遠であるから、所属する州県の官に統治させた方がよい。」これを従った。甘粛行省の王渾木敦等の駅伝を増設した。福建塩課提挙司を設置し、宣慰司に隷属させた。庚戌(九日)、真州・揚州等の漕河を疏濬し、塩商人に毎引ごとに鈔二貫を輸納させ、これを傭工の費用とした。丁巳(十六日)、太白星が建星を犯した。戊午(十七日)、江南の白雲宗都僧録司を廃止し、その民は州県に帰属させ、僧は各寺に帰属させ、田地は全て租税を輸納させた。壬戌(二十一日)、河南の民十万人を徴発して河防を築かせた。丙寅(二十五日)、沙都而(サドル)の所部が貧乏であるため、二か月分の食糧を与えた。丁卯(二十六日)、諸王・駙馬・妃主が銭穀を奏請する者は、中書省と議してこれを実行するよう命じた。巡検を九品に昇格させた。近侍が外郡の官を駅伝で召し寄せることを無断で行わないよう命じた。大同路の酒禁を緩めた。駙馬合伯(ハベ)を昭武郡王に封じた。文宣王廟の西側に国子学を営造した。各道に塩法を沮害擾乱することを禁ずる詔を下した。京畿の雷家駅戸が貧乏であるため、鈔五百錠を与えた。奉聖州懐来県の民が飢えたため、鈔九百錠を与えた。
閏正月癸酉(初一日)、太白星が牽牛星を犯した。甲戌(二日)、合民(ハミン)の所部で鳳翔に留まっている者に三か月分の食糧を賑給した。壬午(十日)、諸王也先鐵木而(エセン・テムル)の所部に米二千石を与えた。暗伯拔突(アンボ・バトゥ)の軍で東地に屯田している者に二か月分の食糧を賑給した。丁亥(十五日)、大都の今年の租賦を免除した。己丑(十七日)、太白星が壘壁陣星を犯した。甲午(二十二日)、以前の中書平章政事鐵哥(テゲ)、江浙行省平章闍里(ジャリ)、河南行省平章阿散(アサン)を、いずれも中書平章政事とした。行宣政院使張閭(チョンリュ)、四川行省左丞杜思敬(トゥ・スジン)を、いずれも中書左丞とした。参議中書省事劉源(リウ・ユエン)を参知政事とした。この月、曹州の禹城県が去年霖雨で農作物を害し、民が飢えたため、陵州の食糧二千余石を発してこれを賑給した。晋寧・冀寧で地震が止まなかった。
二月壬寅(初一日)、金蘭駅の駅戸で自ら養えない者に二か月分の食糧を賑給した。遼陽の千戸小薛干(シウセガン)の所部の貧窮困乏な者に三か月分の食糧を賑給した。辛亥(十日)、中書省の臣が言うには、「近侍が文記をもって旨を伝え省に至る者は、凡そ百五十余人に上り、臣らに抜擢任用するよう命じている。その中には法を犯し妄りに進む者も実に多いので、選抜を加えるべきである。」制が「可」とした。行都水監を正三品に昇格させ、諸路の提控案牘を九品とした。駙馬済寧王蠻子帶(マンズダイ)が所部の用度が不足することを理由に、歳得の五戸絲を前貸しすることを乞うた。これを従った。六衞の漢軍で貧乏な者を家に還し、一年間休息させた。丙辰(十五日)、孛羅(ボロ)を鎮寧王に封じ、金印を賜った。朵瓦(ドワ)が使者を遣わして来朝したので、衣服と幣帛を賜って帰らせた。戊午(十七日)、太陰が氐宿を犯した。己未(十八日)、江西福建道奉使宣撫塔不帶(タブダイ)が贓罪に坐し赦令に遇ったが、その罪を釈放し、終身叙用しないこととした。丁卯(二十六日)、月古不花(ユエグブカ)を中書左丞とした。戊辰(二十七日)、車駕が上都に行幸した。安西王阿難答(アナンダ)、西平王オルク・チ(奥魯赤)、不里(ブリ)に鈔三万錠を、南哥班(ナンガバン)に一万錠を、従者に三万二千錠を賜った。鎮西武靖王チョクスパン(搠思班)の所部の民が飢えたため、甘粛の食糧を発してこれを賑給した。この月、大同路で暴風大雪があり、民家を損壊し、翌日には雨砂と陰霾があり、馬牛が多く斃れ、人にも死者があった。
三月戊寅(初七日)、歳星が亢宿を犯した。己卯(八日)、崆古王(コンゴ王)が使者を遣わして来朝し、地方の産物を貢いだ。乙未(二十四日)、大都の囚人を慮囚し、上都の死刑囚三人を釈放した。駙馬蠻子帶(マンズダイ)に鈔一万錠を賜った。道州営道等で暴雨があり、川が溢れ山が裂け、民家を漂蕩させ、溺死者が多く、その田租を免除した。済州任城県の民が飢えたため、米一万石を賑給した。千家木思答伯(チアンジアムスダベ)部に三か月分の食糧を与えた。柳州の民が飢えたため、一か月分の食糧を与えた。河間の民王天下奴が父を弑し、市で磔裂の刑に処した。
夏四月庚子朔(初一日)、詔して凡そ鷹犬を匿す者は、家財の半分を没収し、笞三十とし、来て献ずる者には賞を与えることとした。甲辰(五日)、枢密院の臣が言うには、「太和嶺の屯田は、旧に屯儲総管府を置き、専らその工程を監督していた。人ごとに地五十畝を与え、歳ごとに糧三十石を輸納させ、あるいは他の役務で耕作できない者も、全てその数通りに徴収したため、人々は重い困窮に陥っている。軍官に統治させ、宣慰使玉龍失不花(ユルンシブカ)にその事を総轄させ、軍民の収穫の多寡を見て賞罰とするよう乞う。」これを従った。丁未(八日)、威武西寧王出伯(チュベイ)に甘粛等の地の軍站事を領せしめた。辛酉(二十二日)、填星が亢宿を犯した。壬戌(二十三日)、雲南羅雄州の軍火主阿邦龍少(アバンロンシャオ)が豆温匡虜(ドウウェンクワンル)、普定路の諸蛮と結んで寇となった。右丞汪惟能(ワン・ウェイノン)が進討したが、賊は退いて越州に拠った。諭しても服従しないため、平章也速帶而(エスデル)に兵一万人を率いて往き捕らえるよう遣わした。兵が曲靖に至り、惟能と合流し、諸王昔寶赤(シバウチ)、亦吉里帶(イジリダイ)等に従って賊の境に進圧し、阿邦龍少を捕らえて斬り、残りの衆は皆潰走した。也速帶而に兵二千を留めてこれを戍らせ、その従軍して功のあった者には皆賞賜を加えた。癸亥(二十四日)、崑山・嘉定等の処に水軍上萬戸府を設置した。甲子(二十五日)、倭商有慶等が慶元に到着して貿易し、金鎧甲を献上したので、江浙行省平章阿老瓦丁(アラウディン)等にこれを備えさせた。梁王松山(ソンシャン)に鈔千錠を賜った。この月、広東諸郡・吉州・龍興・道州・柳州・漢陽・淮安の民が飢え、贛県で暴風雨による水害があったため、食糧を差等ありで賑給した。鄭州で暴風雨と雹があり、鶏卵のごとく大きく、麦と桑棗を損じたため、今年の田租を免除した。真定・河間・保定・河南で蝗害があった。
五月辛未(初三日)、大都が旱魃したため、使者に香を持たせて雨を祈禱させた。壬午(十四日)、河間・山東・両浙・両淮・福建・広海の塩運司の歳煮塩を二十五万余引増やした。癸未(十五日)、詔して西番僧の往還する者は駅伝を使用することを許さず、舟車を与えることとした。御史台・宣慰司・廉訪司の官が塩引を買うことを禁じた。乙酉(十七日)、同知枢密院事タルフタイ(塔魯忽台)、タラカイ(塔剌海)をいずれも知枢密院事とした。高麗国王王昛を還国させ、なお行省を置いてこれを鎮撫し、その国の僉議・密直司等の官にいずれも宣敕を授けた。駙馬脫鐵木而(トクテムル)を濮陽王に封じ、金印を賜い、公主忙哥台(モンゲタイ)を鄄国大長公主とした。丁亥(十九日)、詔命して右丞相ハラハスン・ダラハン(哈剌哈孫答剌罕)、左丞相アクトイ(阿忽台)等に庶務を整飭させ、凡そ銓選・銭穀等の事は一切中書省の裁決を聴き、百司の勤怠の者は各々その名を上聞させることとした。威武西寧王出伯(チュベイ)に鈔三万錠を賜った。遼陽・益都の民が飢えたため、賑貸を差等ありで行った。大都・真定・河間で蝗害があった。平江・嘉興諸郡で水害があり農作物を損じた。
六月癸卯、御史臺の臣が言うには、「江南行臺監察御史の教化が江浙行省宣使の李元の不法を弾劾したが、行省もまた人を遣わして(教化の)事を摘発し、教化は案牘の検覈をさせなかった。中書省の臣もまた言うには、教化らは法度に従わず、勝手に軍士を遣わしてその門を守衛させ、李元を拷打し、行省などの官を誣告し、実に省事を乱している」と。詔して省・臺及び也可札魯忽赤に共同してこれを訊問させた。癸丑、太陰が羅堰の上星を犯す。己未、歳星が亢を犯す。壬戌、来安路総管の岑雄が叛き、湖広行省が宣慰副使の忽都魯鉄木而を遣わして招諭すると、雄はその子の世堅を来降させたので、衣服を賜ってこれを遣わした。淮西道廉訪司を復置する。大名・益都・易州に大水。景州に霖雨。龍興・南康諸郡に蝗害。
秋七月庚辰、太陰が牽牛を犯す。辛巳、諸路の罪囚を釈放するが、常赦で赦されない者はこれに与からず。宣徳等処に雨雹があり、穀物を害す。大同の渾源に霜が降りて禾を殺す。平江に大風、海が溢れて民の廬舎を漂没させる。道州・武昌・永州・興国・黄州・沅州に飢饉あり、価格を下げて賑糶する米七万七千八百石。
八月壬寅、歳星が氐を犯す。熒惑が太微垣の上将を犯す。開成路で地震があり、王宮及び官民の廬舎が皆壊れ、故秦王妃の也里完ら五千余人が圧死したので、鈔一万三千六百余錠・糧四万四千一百余石を以てこれを賑済した。辛亥、皇姪の阿木哥に鈔三千錠を賜う。丁巳、京師の文宣王廟が完成し、釈奠の礼を行い、犠牲は太牢を用い、楽は登歌を用い、法服三襲を製す。翰林院に命じて楽名・楽章を定めさせる。成都等県に飢饉あり、価格を下げて賑糶する米七千余石。
九月己巳、熒惑が太微垣の右執法を犯す。壬申、聖誕節に因み、朵瓦が款徹らを遣わして来賀す。壬午、熒惑が太微垣の左執法を犯す。
冬十月甲辰、太白が斗を犯す。丁未、太廟に事有り。辛亥、太陰が畢を犯す。甲寅、太陰が井を犯す。丁卯、安南国が黎亢宗を遣わして方物を貢ぐ。青山の叛蛮である紅犵獠らが来附し、引き続き方物を貢いだので、金幣を各一賜う。呉江州に大水、民は食を欠き、米一万石を発してこれを賑済す。
十一月己巳、車駕が大都に還る。辛未、歳星が房を犯す。壬申、太陰が虚を犯す。甲戌、熒惑が亢を犯す。丁亥、武昌路で火災、被災者に一月分の糧を与える。戊子、熒惑が氐を犯す。辛卯、太陰が熒惑を犯す。丙申、安西王阿難答・西平王魯奧赤の所部が皆食を欠くので、米を差等有りて給す。益都・揚州・辰州に歳饑あり、価格を下げて賑糶する米二万一千余石。
十二月壬寅、太白が昼間に見える。乙巳、歳星が東咸を犯す。壬子、速哥察而等十三駅が食を欠くので、三月分の糧を与える。乙卯、帝に疾有り、天下の屠殺を四十二日間禁ず。丙辰、宣政院使の沙的らを遣わして太廟に祈禱せしむ。諸王合而班答の部民が潰散したので、詔して所在の匿かくす者を罪すべしと諭す。戊午、太陰が氐を犯す。癸亥、瓊州臨高県の那蓬洞主の王文何らが乱を起こして誅せらる。磁州の民の田雲童が母を弑し、市で磔裂に処せらる。
この年、大辟(死刑)を断ずること四十四人。
大徳十一年
成宗は天下混一の後を承け、垂拱して治め、守成に善くする者と謂うべし。ただその末年、連年病臥し、凡そ国家の政事は、内では宮壼に決し、外では宰臣に委ねた。しかしながらそれが廃墜に至らなかったのは、世祖の世を去ること未だ遠からず、成憲が具に在った故である。