二月癸丑朔、車駕柳林に幸す。丁巳、完澤等、省部官の銓定を奏し、次第に引見す。帝皆之を允す。仍ち六部官に諭して曰く、「汝等の事多く稽誤す。朕昔其の人誰なるかを知らず。今既に閲視し、且つ姓名を知る。其れ心を洗い慮を滌ぎ、各々乃ち職を欽べよ。復た前失を蹈めば、罪汝を貸さじ」。四川・福建等処行中書省、陝西行御史台、江東・荊南・淮西三道宣慰司を罷む。四川・福建宣慰司都元帥府及び陝西漢中道粛政廉訪司を置く。和林・甘州の城を広む。詔して縉山県の民戸勢家に蔽わるる所の者は、悉く県に還りて籍を定めしむ。壬戌、江浙・河南江北両省の軍民に詔諭す。乙巳、熒惑が五諸侯を犯す。壬申、解州塩池の神惠康王に広済と曰い、資宝王に永澤と曰うを加う。泉州の海神に護国庇民明著天妃と曰い、浙西塩官州の海神に霊感弘祐公と曰い、呉の大夫伍員に忠孝威恵顕聖王と曰うを加う。金歯国、使を遣わし方物を貢ぎ来る。庚辰、車駕上都に幸す。
三月癸巳、緬国の世子信合八的、表を奉りて衣を賜うるを謝し、遣わして還す。妙慈弘済大師・江浙釈教総統補陀の僧一山に命じ、詔を齎して日本に使わしむ。詔に曰く、「有司奏陳す、向者世祖皇帝嘗て補陀の禅僧如智及び王積翁等を遣わし、両たび璽書を奉り日本に通好せしむ。咸に中途阻有りて還る。爰に朕の臨御以来、諸国を綏懐し、薄海内外、遐遺有ること靡し。日本の好、宜く復た問を通ずべし。今如智已に老ゆ。補陀の寧一山、道行素より高し。今往き諭す可し。商舶に附して以て行かば、庶幾必ず達す可し。朕特に其の請に従う。蓋し先帝の遺意を成さんと欲する耳。惇好息民の事に至りては、王其れ審に之を図れ」。甲午、何栄祖等に命じて律令を更に定めしむ。詔して軍官の贓罪を受くる者は、重き者は職を罷め、軽き者は其の散官を降し、或いは決罰して職に就き俸を停め、期年を許して自効せしむ。戊戌、熒惑が輿鬼を犯す。御史台殿中司の秩を五品に陞む。乙巳、行御史台、平章教化の財三万餘錠を受くるを劾す。教化復た言う、平章的里不花の財賦を領する時、鈔三十万錠を盗む、及び行台中丞張閭の李元善の鈔百錠を受くるを。勅して俱に問う勿れ。戊申、江南諸道行台の御史大夫一員を減ず。和林の軍に鈔十万錠を賜う。
夏四月辛亥朔、駙馬蛮子台の部、匱乏す。糧十三万石を以て之を賑う。己未、太陰が上将を犯す。丙寅、填星が輿鬼を犯す。太陰が心を犯す。庚午、江浙・両淮の私塩の禁を厳に申す。巡捕官、獲る所を験して遷賞す。辛未、和林の戍軍の他籍に名を竄するを禁ず。通州より両淮の漕河に至るまで、巡防捕盗司を置く凡そ十九所。己卯、礼部尚書月古不花を以て中書左丞と為す。和林の軍に鈔五十万錠・帛四十万匹・糧二万石を賜い、仍ち和林宣慰司に命じて馬五千匹を市し之に給せしむ。遼東開元・咸平の蒙古・女直等人、食を乏す。糧二万五百石・布三千九百匹を以て之を賑う。
五月壬午、江南諸路の釈教総統所を罷む。丙申、太陰が南斗を犯す。海南の速古台・速龍探・奔奚里諸番、虎象及び桫羅木の舟を以て貢ぎ来る。己亥、太白が畢を犯す。庚子、山東の也速帯而の牧地の歳に粟を輸するの半を免ず。阿而刺の部を禁じ、広平に於て馬を牧むる毋れ。庚子、征東行中書省を復し、福建平海省平章政事闊里吉思を以て平章政事と為す。是月、鄂・岳・漢陽・興国・常・澧・潭・衡・辰・沅・宝慶・常寧・桂陽・茶陵旱す。其の酒課・夏税を免ず。江陵路旱・蝗す。其の湖泊の禁を弛む。仍ち並びに糧を以て之を賑う。
六月辛亥、兀魯兀敦慶童、擅に其の部の軍の逃亡する者を殺す。枢密院に命じて之を戒めしむ。癸丑、大名路の献ずる所の黄河故道の田の租を輸するを罷む。戊午、海商の人馬兵杖を以て諸蕃に往き貿易する者を厳に禁ず。福建の州県官類多く色目・南人なるを以て、命じて自今漢人を以て参用せしむ。福建の民の権豪の佃戸を冒称し、門役を免れんと図るを禁ず。庚申、太陰が房を掩う。丁卯、熒惑が右執法を犯す。壬申、歳星昼に見ゆ。和林の戍軍に鈔一百四十万錠を賜い、鷹師に五十万一千餘錠を賜う。
秋七月己卯朔、太白が井を犯す。庚辰、中書省の臣言う、「江南諸寺の佃戸五十余万、本皆編民なり。楊総摂寺籍に冒入してより。宜しく釈正を加うべし」。之に従う。丙申、揚州・淮安の属県蝗す。地に在る者は鶖に啄み食われ、飛ぶ者は翅を以て撃ち死す。詔して鶖を捕うるを禁ず。丁未、太陰が輿鬼を犯す。
八月己酉朔、日食有り。丁巳、太陰が箕を犯す。戊辰、太白が軒轅の大星を犯す。己巳、太陰が五車星を犯す。定遠王薬木忽而の部に鈔一万五千錠を賜う。是月、汴梁・大都・河間水す。隆興・平灤・大同・宣徳等路雨雹す。
九月癸未、聖誕節、古柵に駐蹕し、諸王百官の賀を受けられる。庚寅、河東山西鐵冶提舉司を置く。壬辰、流星赤色、尾長さ丈余、その光地を燭し、河鼓より起こり、牽牛の西に没す、声雷の如し。癸巳、宋手號軍を括ることを罷む。乙未、太陰昴の距星を犯す。丁酉、太白左執法を犯す。己亥、車駕大都に還る。揚州・淮安旱し、その田租を免ず。
冬十月戊申朔、太廟に事あり。壬子、伯岳吾氏を冊して皇后と為す。甲寅、海北海南道肅政廉訪司を復立す。山東轉運使阿里沙等課鈔四万一千八百錠を増し、錦衣人に一襲を賜う。丙子、太陰房を犯す。禿忽魯不花等の所部戸に鈔三万七千余錠、橐駝戸に十万二千余錠を賜う。淮安・江陵・沔陽・揚・廬・隨・黄旱し、汴梁・帰徳水、隴・陝蝗あり、並びにその田租を免ず。
十一月庚辰、浙西平江河渠閘堰凡七十八所を置く。和林の酒醸を禁ず。乙酉、太白房を犯す。戊子、囚二十人を釈す。丁酉、太湖及び澱山湖を浚う。己亥、隆福宮の駝を牧む者に鈔十万二千錠、諸王合帯の部に十万錠、雲南王也先鐵木而及びその所部に三万八千錠、和林の戍軍に一百四十万余錠・幣帛二万九千匹を賜う。杭州火、江陵路蝗あり、並びに粟を発してこれを賑す。
大徳四年
四年春正月丙申、京師の悪少不法の禁を厳しくし、犯す者は黥刺し、杖七十、拘役す。辛丑、詔して蒙古都元帥也速答而に旨を奉ぜざれば重刑を擅に決する勿れ。命じて和林の戍軍に斡脱の銭を借る者は、その本のみを償わしむ。癸卯、淮東の漕渠を復す。諸王塔失鐵木而に金印を賜う。翰林承旨僧家に鈔五百錠を賜い、以てその母を養わしむ。諸王木忽難の所部に一万二千余錠、八魯剌思等の部に六万錠を賜う。
二月丁未朔、日食あり。乙卯、使を遣わし東嶽を祠る。丙辰、皇太后崩ず、明日先陵に祔葬す。戊午、太陰軒轅を犯す。壬戌、帝何栄祖に諭して曰く、「律令は良法なり、宜しく早くこれを定むべし。」栄祖対えて曰く、「臣の択ぶ所は三百八十条、一条に三四事を該ぬる者有り。」帝曰く、「古今宜しきを異にす、必ずしも相沿うに及ばず。但だ今に宜しきを取れ。」甲戌、粟十万石を発して湖北の饑民を賑す。仍て山沢の禁を弛む。称海の屯田を罷め、呵札の地に改めて置き、農具・種実をこれに給す。乙亥、車駕上都に幸す。西京大和嶺の屯田を置く。烏撒・烏蒙等の郡県を立つ。会理泗川四州を併せて二と為す。維摩州を置く。丙子、李庭に命じて各衞の軍士を訓練せしむ。晋王の所部に鈔四万錠を賜う。
三月乙未、寧国・太平両路旱し、糧二万石を以てこれを賑す。
五月癸未、左丞相答剌罕使いを遣わし来り言う、「横費節せず、府庫漸く虚し。」詔して自今より諸位下の事銭穀に関する者は、輒ち聞に入るる毋れ。帝集賢大学士阿魯渾撒里等に諭して曰く、「集賢・翰林は乃ち老を養うの地なり、自今より諸老満秩の者はこれを陥し、輒ち去らしむる勿れ。或いは去る者有らば、罪将に汝に及ばん。その中書に諭して知らしめよ。」雲南より緬国に至る十五驛を増し、驛ごとに円符四・驛券二十を給す。甲午、太陰壘壁陣を犯す。辛丑、太白輿鬼を犯す。太陰昴を犯す。延慶司を復す。諸王也只里の部に鈔二万錠、八憐・脱列思の隷する戸に六万五千余錠を賜う。是の月、同州・平灤・隆興雹あり。揚州・南陽・順徳・東昌・帰徳・済寧・徐・濠・芍陂旱・蝗あり。真定・保定・大都通・薊二州水あり。
六月己酉、詔して緬国王子窟麻剌哥撒八を立てて緬国王と為し、銀印及び金銀器皿衣服等の物を以て賜う。丙辰、太傅月赤察而を以て太師と為し、完沢を太傅と為し、皆これに印を賜う。丁巳、太白填星を犯す。御史中丞不忽木卒す、貧しくして以て葬る無し、鈔五百錠を賜う。甲子、耽羅総管府を置く。詔して各省自今より命を奉ぜざれば軍を擅に役する毋れ。和林都元帥府を以て行宣慰司事を兼ねしむ。吊吉而・爪哇・暹国・蘸八等の国二十二人来朝し、衣を賜いこれを遣わす。
秋七月甲戌朔、右丞相完沢徽仁裕聖皇后の諡宝冊を上ることを請う。乙酉、緬国阿散哥也の弟者蘇等九十一人各方物を奉じて来朝し、詔して余人を安慶に留め、者蘇を遣わして上都に来らしむ。辛卯、熒惑井を犯す。乳母冀国夫人韓氏に加えて燕冀国順育夫人と為し、石抹氏を冀国夫人と為す。杭州路の貧民食に乏し、糧万石を以てその直を減じてこれを糶す。
八月癸卯朔、蔭敍の格を更めて定め、正一品の子を正五と為し、従五品の子を従九と為し、中間の正従は是を以て差と為し、蒙古・色目人は特一級を優す。広東塩課提挙司を置く。癸丑、太陰井を犯す。庚申、緬国阿散吉牙等の昆弟闕に赴き、自ら主を殺すの罪を言う。緬兵を征することを罷む。甲子、辰星霊台の上星を犯す。大名の白馬県旱す。
閏八月庚辰、熒惑輿鬼を犯す。庚子、車駕大都に還る。中書右丞賀仁傑を以て平章政事と為す。晋王の所部に糧七万石を賜う。
九月戊午、太白星が斗宿を犯す。壬戌、太陰が輿鬼を犯す。曹州の探馬赤軍が民と百二十頃の地を争訟す。詔して別に隣近の官田を以て数に如く之に給す。広東英德州の達魯花赤脱歓察而が群盗二千余戸を招降す。英德州を路に陞げ、三県を立て、脱歓察而を以て達魯花赤兼万戸と為し以て之を鎮む。甲子、太白星が斗宿を犯す。中御府を中政院に改む。諸王出伯の所部に鈔一万五千四百余錠を賜う。建康・常州・江陵の飢民八十四万九千六十余人、糧二十二万九千三百九十余石を給す。
冬十月癸酉朔、太廟に事有り。
十二月癸酉、御史臺臣言う、「糾挙する官吏と有司と同審す、是を以て事沮み行なわれ難し。旧制に依らんことを乞う。中書凡そ改作有れば、輒ち監察御史をして同往せしむ、宜しからず。自今より旨を奉ぜざれば遣わすなかれ」と。皆之に従う。庚寅、熒惑星が軒轅を犯す。癸巳、太陰が房の距星を犯す。晋州達魯花赤捏古伯、母喪を紿称し、帰りて其の妻を迎う。事聞こゆ。詔して其の彝倫を斁傷するを以て、職を罷め叙用せず。劉深・合剌帯・鄭祐を遣わし兵二万人を将いて八百媳婦を征し、仍て雲南省に勅し毎軍十人に馬五匹を給し、足らざれば則ち牛を以て之を補わしむ。諸王忻都の部に鈔五万錠を賜い、兀魯思不花等四部に二十一万九千余錠、西都の守城軍に二万八千余錠を賜う。建康・平江・浙東等の処の飢民に糧二十二万九千三百余石を賑う。
大徳五年
五年春正月己酉、太陰が五車を犯す。庚戌、征八百媳婦の軍に鈔を給す、総計九万二千余錠。壬子、太陰が輿鬼の積尸気を犯す。昭睿順聖皇后の御容を護国仁王寺に奉安す。檀・景両州の採金鉄冶提挙司を罷め、其の事を都提挙司に入る。御史臺臣言う、「官吏贓を犯し及び官銭を盗み、事覚えて罪を避け逃匿する者は、宜しく獄成と同くすべし。原免を経ると雖も、亦降黜を加え、庶く奸偽革むべし」と。之に従う。丙寅、両淮の塩法澀滞を以て、転運司官二員を命じ上江に分司して以て之を整治せしめ、仍て印及び駅券を頒つ。辛酉、太陰が心宿を犯す。
二月己卯、太陰が輿鬼を犯す。劉深・合剌帯を並びに中書右丞と為し、鄭祐を参知政事と為し、皆虎符を佩かしむ。雲南諸路行中書省事を分ち、仍て理問官二員、郎中・員外郎・都事各一員を置き、円符四・駅券二十を給す。福建織繍提挙司を罷む。河間転運司の塩を二十八万引に増し、其の所属する清・滄・深の三塩司を罷む。丁亥、征八百媳婦万戸府二を立て、万戸四員を設け、四川・雲南の囚徒を発して軍に従わしむ。乙未、詔す、廉訪司官は親喪の遷葬及び病を以て告げ給わる者に非ざれば、職を離るるを得ず。或いは地遠く職卑くして任を受け赴かざる者は、臺憲復た用いるなかれと。丙申、脱脱等の部に馬一万匹を給す。丁酉、車駕上都に幸す。詔して雲南行中書省を飭し内外諸司官一千五百十四員を減ぜしむ。江浙の戍兵を増す。戊戌、昭応宮・興教寺に地各百頃を賜い、興教には仍て鈔一万五千錠を賜う。上都乾元寺に地九十頃を賜い、鈔は皆興教の数に如し。万安寺に地六百頃・鈔一万錠を賜う。南寺に地百二十頃を賜い、鈔は万安の数に如し。己亥、凡そ軍士人を殺し奸盗する者は、軍民官をして同しく鞫わしむ。永寧路総管雄挫来朝し、馬三十余匹を献じ、幣帛を賜うこと差有り。
三月甲辰、故軍官の金銀符を収む。戊申、太陰が御女を犯す。己酉、陝西路拘榷課税所を罷む。壬子、諸王也孫等に鈔一万八千五百錠を賜う。戊午、馬来忽等の海島使いを遣わし来朝す。金素幣を賜うこと差有り。和林の貧乏軍に鈔二十万錠を給し、諸王薬木忽而の所部に一万五千九百余錠を給す。丁卯、熒惑星が填星を犯す。己巳、熒惑・填星相合す。詔して中外の官吏を戒飭す。遼陽行省平章沙藍に命じ万人を将いて夏山後に駐ましめ、人馬二匹を備え、官其の直を給す。
夏四月壬申、太陰が東井を犯す。癸酉、禿剌鉄木而等を遣わし和林の軍を犒う。壬午、晋王甘麻剌の所部貧乏を以て、鈔四十万錠を賜う。雲南軍を調し八百媳婦を征せしむ。癸巳、和林の酒醸を禁ず。其の諸王・駙馬は自ら醸飲するを許すも、沽売するを得ず。是の月、大都・彰徳・広平・真定・順徳・大名・濮州に虫桑を食う。
五月、商州に隕霜し麦を殺す。河南の妖賊醜斯等伏誅せらる。己酉、月裏可里の軍で夏山後に駐まる者に市馬鈔八万八千七百余錠を給す。辛亥、怯列亦帯脱脱を遣わし師を帥いて四川を征せしむ。癸丑、太陰が南斗を犯す。乙卯、熒惑星が右執法を犯す。丙辰、曲靖等路宣慰使兼管軍万戸忽林失来朝す。壬戌、雲南土官宋隆濟叛く。時に劉深兵を将いて順元より雲南に入る。雲南右丞月忽難民を調し供餉す。隆済因り其の衆に紿いて曰く、「官軍汝等を徴発し、将に尽く髪を剪り面を黥して兵と為し、身は行陣に死し、妻子は虜と為らん」と。衆其の言に惑い、遂に叛く。丙寅、詔す、雲南行省自ら願い八百媳婦を征する者二千人、人に貝子六十索を給す。丁卯、太白星が井宿を犯す。
六月乙亥、平江等十四路大水、糧二十万石を以て各処の時直に随い賑糶す。中慶路昆陽州の海口を開く。甲申、歳星が司怪を犯す。丙戌、宋隆済猫・狫・紫江の諸蛮四千人を率い楊黄寨を攻め、殺掠甚だ衆し。己丑、緬王使いを遣わし馴象九を献ず。壬辰、宋隆済貴州を攻め、知州張懐德戦死す。梁王雲南行省平章幢兀児・参政不蘭奚を遣わし兵を将いて之を禦がしめ、賊酋撒月を殺し、首五百級を斬る。癸巳、太白星が輿鬼を犯す。歳星が井宿を犯す。甲午、太白星が輿鬼を犯す。諸王念不烈妃札忽而真の所部に鈔二十万錠を賜う。是の月、汴梁・南陽・衛輝・大名・濮州旱。大都路水。順徳・懐孟蝗。
秋七月戊戌朔(一日)、昼間暗くなり、暴風が東北より起こり、雨雹がともに発し、江湖が氾濫し、東は通州・泰州・崇明州より起こり、西は真州に至るまで、民で災害により死した者は数え切れず、米八万七千余石をもってこれを賑恤した。己亥(二日)、階州・沙州の二州の戍軍を増員した。庚子(三日)、安西王が侵占した田・駅站など四百余戸を籍没して民とした。寧遠王闊闊出の所部に鈔二万三千余錠を賜う。乙巳(八日)、遼陽省大寧路に水害あり、糧千石をもってこれを賑恤した。丙午(九日)、歳星が井宿を犯す。丁未(十日)、御史大夫禿忽赤に命じて御史臺の事務を整えさせた。詔して、軍官が賄賂を受けた者は民官と同例とし、罪の大小を量って殿最し罷免する。監察御史に命じて、札魯忽赤(断事官)の罪囚を審査覆勘させ、蒙古翰林院の案牘を照合検査させた。戊申(十一日)、耽羅軍民万戸府を立てる。諸王也滅干薨じ、その子八八剌を嗣がせる。己酉(十二日)、詔して諸司に盗賊を厳禁せしむ。辛亥(十四日)、太陰が壘壁陣星を犯す。諸王出伯らの所部に鈔六万錠を賜い、また馬購入の代金三十八万四千錠を給す。癸丑(十六日)、詔して畏吾児の僧侶・陰陽師・巫覡・道人・呪師を禁じ、今後大規模な祭祀祈祷を行うには必ず許可を請うて行うようにし、違反した者は罪に処す。浙西に長雨が続き氾濫し、民田を大いに損なう。詔して民夫二千人を徴発して河道を疏導させ、もとの状態に戻させる。雲南省に命じて蒙古の射士を分遣し、八百媳婦国を征討させる。庚申(二十三日)、辰星が太白を犯す。癸亥(二十六日)、合丹の孫の脱歓が北境より帰順して来る。その父母妻子は皆殺害・捕虜に遭った。鈔一千四百錠を賜う。諸妃の札忽而真及び諸王出伯の軍に鈔四十万錠を給す。中書省の臣が言うには、「旧制では京師の州県が盗賊を捕らえるのは、兵馬司のみに従い、有司(行政官庁)は関与せず、それによって滞留を招いた。今後は軽罪は有司に決断遣送させ、重罪は宗正府に聴断させ、もって獄に留め置かず、かつ民を冤罪に陥れないように願う。」これを従う。暗伯・阿忽台をともに知枢密院事とする。富豪の家が軍を役使することを禁ず。詔して、封贈(官爵追贈)は中書省でなければ軽々しく奏請してはならない。称海より北境の十二駅站に大雪があり、馬牛多く死に、鈔一万一千余錠を賜う。御史台に命じて宣政院及び僧司の案牘を照合検査させる。太医院を二品に昇格し、平章政事・大都護・提点太医院事の脱因納を太医院使とする。上都の諸工匠らに鈔二十一万七千四百錠を賜う。大都・保定・河間・済寧・大名に水害あり。広平・真定に蝗害あり。
八月戊辰(二日)、軍人の羊馬代金及び定遠王の所部に鈔十四万三千錠を給す。己巳(三日)、平灤路に長雨あり、灤河・漆河・淝河・汝河が氾濫し、民の死者多く、その年の田租を免じ、なお粟三万石を賑恤する。庚午(四日)、禿剌鐵木而らが和林より軍を犒労して還り、言うには、「和林の屯田は軍官にその墾闢を広めさせ、農具を量って給与し、倉官は適任者を選任すべきで、侵盗の弊を革められる。」これを従う。甲戌(八日)、薛超兀而らを遣わして兵を率い金歯諸国を征討させる。当時、征緬軍が還る途中、金歯に遮られ、兵士多く戦死した。また八百媳婦諸蛮と連なり、互いに税賦を納めず、官吏を賊殺するのを真似たので、皆これを征討するのである。庚辰(十四日)、詔す。「官を遣わし分道して賑恤せしむ。獄囚で累年拘禁され、疑わしく決断できない者は、廉訪司にその疑わしい状況を具申させ、省・臺に申し上げて詳細に審議させ、なお定例とする。各路で被災の重い者は、その差税を一年免除する。貧乏な家は、口数を計って賑恤し、特に甚だしい者は優遇して給与する。小吏で賄賂を犯した者は、皆罷免して叙用しない。」征緬万戸の曳剌福山らが馴象六頭を進上する。壬辰(二十六日)、太陰が軒轅御女星を犯す。乙未(二十九日)、填星が太微上將星を犯す。順徳路に水害あり、その田租を免ず。
九月癸丑(十七日)、称海の倉庫を守備する軍を放還し、順次交代させる。丙辰(二十日)、江陵・常徳・澧州は皆旱魃あり、ともにその門攤税・酒醋課を免ず。乙丑(二十九日)、八月庚辰(十四日)より彗星が井宿より出て、紫微垣を経て天市垣に至り、凡そ四十六日で消滅した。
冬十月丙寅朔(一日)、畿内が凶作のため、来年の海運糧を百二十万石に増やす。己巳(四日)、緬王が使いを遣わして貢物を献上する。戊寅(十三日)、雲南武定路の土官の羣則が方物を献上する。癸未(十八日)、太陰が東井を犯す。壬午(十七日)、車駕が大都に還る。丙戌(二十一日)、凶作のため酒造りを禁じ、山沢の禁令を緩め、民に捕獲狩猟を許す。湖広行省の臣が言うには、「海南海北道宣慰司都元帥府は、軍務に関与せず、盗賊が発生した際は文書を発送するのみで、返答が戻る頃には既に事に及ばない。今その長官二人に軍務を統領させたい。また、鎮守官で功績を怠って罰すべき者は既に定例があるが、功績を挙げて賞すべき者は、散官を加えるか、あるいは金符・銀符を授けたい。」皆これを従う。南陽府の屯田地を新たに籍録した畏吾児戸に支給し、耕して自ら養わせ、なお三月分の糧食を給与する。丁亥(二十二日)、詔す。「軍官で既に任命を受けながら時を移さず赴任しない者、病没して行かない者、差遣された任務が終わっても直ちに還らない者は、民官の例に準じ、期限を六月過ぎれば選んで人を代えさせる。代えられた者は一年を経て初めて叙用する。」鄂州路を武昌路と改める。使いを遣わして雲南・四川・福建・広東・広西の官を就任調達する。百司に諭して、中書省に関わる事柄は、軽々しく上奏してはならない。権豪勢要の家の佃戸で糧食を借りた者は、来年の秋の収穫時に返済することを許す。癸巳(二十八日)、碉門・黎州・雅州の軍を分けて蛮夷の地に戍守させ、陝西屯田万戸の也不干らにこれを率いさせる。辛卯(二十六日)、夜に流星あり、杯の如く大きく、光が地を照らし、北より起こり東に近く分かれて二星となり、危宿に没す。
十一月己亥(四日)、歳星が東井を犯す。中書に詔して諭す、近頃酒を禁じたが、年老いて酒を必要とする人が事前に買い貯めしていると聞く、醸造器具を持たない者は問わない。湖南転運司・弘州種田提挙司を廃止し、その事務を有司に併合する。容州・象州・横州・賓州の路を州に降格し、平灤金丹提挙司を管勾に降格する。昭州を平楽府に昇格する。泌陽県を唐州に併合する。丁未(十二日)、劉国傑及び也先忽都魯に兵一万人を、八剌及び阿塔赤に兵五千人を率いさせ、宋隆済を征討させる。米価を下げて売り、京師の貧民を賑恤し、売店三十六箇所を設け、その老幼単弱で自活できない者には五ヶ月分の食糧を給与する。六衞の扈従漢軍を選んで武事を習わせ、なお万戸以下に私的に代役させぬよう禁じ、違反した者は罪を断ずるに差等あり。戊申(十三日)、太陰が昴宿を犯す。徭人(ヤオ族)の藍頼が丹陽三十六洞を率いて降伏し、頼らを融州懐遠県の主簿・尉とする。長信寺を立て、官秩は三品。
十二月甲戌(十日)、歳星が司怪星を犯す。安西王の所部の軍士に食糧を給し、各々その家に還らせ、春を待って調遣する。辛卯(二十七日)、太陰が南斗を犯す。征東行省平章の闊里吉思は高麗と和輯できず罷免される。強盗・窃盗の条格を定める。凡そ人の家畜を盗んだ者は、一頭取って九頭で償わせ、その後杖刑に処す。
この年、汴梁・帰徳・南陽・鄧州・唐州・陳州・和州・襄陽・汝寧・高郵・揚州・常州に蝗害があった。峽州・随州・安陵・荊門・泰州・光州・揚州・滁州・高郵・安豊に水害があった。汴梁の封丘・陽武・蘭陽・中牟・延津、河南の澠池、蘄州の蘄春・広済・蘄水に旱害があった。大名・宣徳・奉聖・帰徳・寧海・済寧・般陽・登州・萊州・益都・濰州・博興・東平・済南・濱州・保定・河間・真定・大寧に水害があった。この年、大辟(死刑)六十一人を処断した。
大徳六年
六年春正月癸卯、詔して千戸・百戸等が軍より逃げ帰る者、事に先立って逃げた者は罪を死とし、敗れて後に逃げた者は杖罰を加えて罷免し、その男女を没収するとした。乙巳、中書省の臣が言うには、「広東宣慰副使の脱歓察而が盗賊を捕らえ、しばしば功績があった。近ごろ廉訪司がその私的に兵仗を置き、勝手に土寇を殺したなどの事を弾劾し、官を遣って審問させたが、実際に私罪はなかった。奨励の言葉を加えることを請う。」命じて衣二襲を賜う。晋王甘麻剌が薨じ、その王印及び内史府の印を封じることを命じた。丙午、京畿の二十一駅が食糧を欠き、鈔一万二千七百余錠を賜う。陝西は旱害があり、民に酒造りを禁じた。雲南の駅戸が貧困であるため、馬及び鈔を増やして優遇救済した。中書省の臣が朱清・張瑄がしばしば人言を招くことを理由に、その職を罷免し、その諸子で江南に官にある者を京師に移すことを請うた。丁未、江浙平章の阿里にその省の財賦を専ら管轄させることを命じた。庚戌、官吏が犯罪を犯して既に赦免された者も、なお審問に従うと詔した。海道の漕運船には、探馬赤軍と江南の水夫を互いに交えて教習させ、海寇を防がせた。江南の僧石祖進が朱清・張瑄の不法十事を告げ、御史台に詰問させることを命じた。帝が台臣に言うには、「朕は聞く、江南の富戸が民田を侵占し、貧しい者が流離転徙するに至ったと。卿らはかつてこれを聞いたか。」台臣が言うには、「富民が多く護持璽書を請い、これに依って貧民を欺き、官府が詰問治めることができない。ことごとく追収するのが適当である。」命じて即ちこれを行わせ、三日を越えないようにした。詔して今後僧官・僧人が犯罪を犯した場合、御史台と内外の宣政院がともに審問する。宣政院の官が情に徇って不公正な者は、御史台に治めさせることを聴す。諸王塔赤鉄木而の歳賜銀を二百五十両、雑幣百匹増やす。乙卯、渾河の堤防八十里を築き、なお豪家が旧河を侵すことを禁じ、屯田軍及び民に耕作させた。劉国傑等の軍を増やし、なお険隘に屯戍させ、秋を待って進軍させた。札忽而帯・阿里等に江南で税民の田地を隠し占拠する者を整治させることを命じた。中書省の臣が言うには、「御史台・廉訪司の体察・体覆は、前後で異なる。初め台を立てた時は、ただ体察に従った。後に按察司を立て、事の大小を問わず、すべて体覆した。これによって憲司の事は、積もって行うことができない。請う、今後水旱の災害による損傷は体覆し、その他は旧例通り体察とするのが適当である。」これに従う。大都・平灤等の路が去年水害を受けたため、その軍で上都に赴いて夏を駐するべき者は、その調遣を一年免除する。詔して軍官は辺遠に出征する場合を除き、その他は祖父母・父母の喪に遇えば、民官の例に依り、期限を立てて奔赴させる。鷹・犬・馬・駱駝などを飼養する者が民を擾らすことを禁じた。己未、諸王真童が済南王を誣告したため、劉国傑の軍中に謫して自ら効力させる。壬戌、鎮星が太微垣の上将を犯す。
二月庚午、太陰が昴を犯す。諸王孛羅を四川の八剌軍中に謫して自ら効力させる。癸酉、諸王出伯の軍三千人を増やし、人ごとに馬二匹を備え、官がその代価を給する。丙戌、陝西省平章の也速帯而・参政の汪惟勤に川陝の軍を率いさせ、湖広平章の劉国傑に湖広の軍を率いさせ、亦乞不薛を征討させ、一切の軍務は並びに也速帯而・劉国傑の節制を聴す。八百媳婦を征討する右丞劉深等の官を罷め、その符印・駅券を収める。京師の民が食糧を欠くため、省・台に官を委ねて口数を計り実情を検証させ、鈔十一万七千一百余錠でこれを賑済することを命じた。癸巳、帝に疾あり、京師の重囚三十八人を釈放する。
夏四月乙丑朔、太白が東井を犯す。丁卯、詔して雲南諸部の蛮夷を曲赦する。通州の倉粟三百石を発して貧民を賑済する。軽重の囚三十八人を釈放し、人ごとに鈔五錠を給する。乙亥、永清県の南河を濬渫する。戊寅、太陰が心を犯す。庚辰、上都は大水で民が飢え、価を減じて糧一万石を糶き賑済する。戊子、盧溝上流の石径山河の堤防を修築する。重囚を釈放する。車駕、上都に幸す。庚寅、太白が輿鬼を犯す。真定・大名・河間等の路に蝗害。
五月乙巳、貧乏な漢軍に地を給し、五丁の者には一頃、四丁の者には二頃、三丁の者には三頃とする。その孤寡の者は六年間存恤し、逃散した者は招諭して復業させる。戊申、太廟の寝殿が災いを受ける。癸丑、和林の潰軍を雲南に征討させるが、その戦傷して帰った者及びかつて晋王の令旨・諸王薬木忽而の免じた者は、派遣しない。丁巳、福州路が飢え、糧一万四千七百石で賑済する。済南路は大水。揚州・淮安路に蝗害。帰徳・徐州・邳州に水害。
六月癸亥朔、日食あり。太史院が推策を誤り、詔して中書に罪を議して奏聞させる。填星が太微西垣の上将を犯す。甲子、京師に文宣王廟を建てる。辛未、太廟に享す。乙亥、太陰が斗を犯す。安南国が馴象二頭及び朱砂を献上してきた。甲申、諸王合答孫・脱歓・脱列鉄木而・伯牙倫・完者の所部に鈔四万五千八百余錠を賜う。湖州・嘉興・杭州・広徳・饒州・太平・婺州・慶元・紹興・寧国等の路が飢え、糧二十五万一千余石で賑済する。大同路・寧海州も飢え、糧一万六千石で賑済する。広平路は大水。
秋七月癸巳朔、熒惑・填星・辰星が井に聚まる。庚子、太陰が心を犯す。己酉、亦乞不薛の土官三人が家を棄てて来帰し、金銀符・衣服を賜う。戊午、太陰が熒惑を犯す。辛酉、諸王八八剌・脱脱灰・也只里・也滅干等に鈔四万三千九百余錠を賜う。江浙行省参知政事の忽都不丁を中書右丞とする。建康の民が飢え、米二万石で賑済する。大都の諸県及び鎮江・安豊・濠州に蝗害。順徳に水害。
八月甲子、詔して御史臺に命ず、凡そ官司の婚姻・土田の文案は、赦に遇うれば例に依りて検覆すべし。乙丑、熒惑歳星を犯す。己巳、熒惑輿鬼を犯す。辛巳、太陰昴を犯す。壬午、太白軒轅を犯す。
九月乙未、阿牙赤・撒罕禿を遣わし、称海の屯田の歳入の数を会計せしめ、仍て今より宣慰司の官に阿剌台と共にこれを掌らしむ。甲午、諸王兀魯思不花の部に鈔六万錠を賜う。丙午、熒惑軒轅を犯す。丁未、中書省の臣言う、「羅里等民を擾わす、宜しく例に依りて決遣し屯田所に置くべし」と。これに従う。諸王八撒而等に鈔八万六千三百余錠を賜う。己酉、龍興の民童男女を括むとの訛言あり、子を殺す者あるに至る。その首謀たる者三人を誅せしむ。癸丑、太陰輿鬼を犯す。丁巳、太白右執法を犯す。諸王捏苦迭而等に鈔五千八百四十錠を賜う。
冬十月甲子、浙東宣慰司を改めて宣慰司都元帥府と為し、治を慶元に徙し、海道を鎮遏す。大同路黄花嶺に屯田を置く。軍儲所を罷め、屯儲軍民総管万戸府を立て、官六員を設け、仍て軍儲所の宣慰使法忽魯丁にこれを掌らしむ。南人林都鄰、告げるに浙西廉訪使張珪の禁書を収蔵し及び帝の五行を推算するを以てし、江浙運使合只も亦た珪の塩法を沮撓すとを言う。省・臺の官に命じて同しくこれを鞫わしむ。丙子、車駕大都に還る。壬午、熒惑太微西垣上將を犯す。済南濱・棣・泰安・高唐州霖雨、米価騰湧し、民多く流移す。粟を発してこれを賑い、併せて鈔三万錠を与う。
十一月辛卯、填星左執法を犯す。甲午、劉國傑の裨将宋光、兵を率いて大いに蛇節を破る。衣二襲を賜い、仍て金符を授く。乙未、辰星房を犯す。癸卯、太陰昴を犯す。己酉、太陰軒轅を犯す。庚戌、和林の軍の酒を醸すことを禁ず。惟だ安西王阿難答・諸王忽剌出・脱脱・八不沙・也只里・駙馬蠻子台・弘吉列帶・燕里干は醸すことを許す。辛亥、同知樞密院事合答を以て知樞密院事と為す。詔して江南の寺観、凡そ民田を継置し及び民の施入を以て名と為す者は、並びに租を輸し役に充つべし。戊午、河西寧夏の善射軍を籍し親王阿木哥に隷し、甘州軍を諸王出伯に隷す。己未、詔して諸驛の使、輒わざと道を枉くる者を罪す。
この歳、大辟三人を断ず。