二月己亥朔、中書省の臣言う「陛下御極より以来、賜う所の諸王・公主・駙馬・勲臣、数軽からず。向に儲えし所、散じて殆んど尽きんとす。今継ぎて請う者尚お多し。臣等乞うらくは貧匱及び辺に赴く者を甄別してこれを賜い、その余は宜しく悉く止むべし」と。これに従う。江浙行省の軍万人を分かちて湖広を戍らしむ。称海の屯田軍に農具を給す。詔して奉使及び軍官にして歿して子弟未だ職を襲わざる者は、その佩する金銀符を官に帰せしめ、違う者はこれを罪す。辛丑、中御府を立て、脱忽伯・唐兀を並びに中御卿と為す。丙午、軍将の擅に侍衛軍・蒙古軍を易え、家奴を以て役に代うる者を禁じ、これを罪す。仍ってその奴を別に兵籍に入らしめ、その主の資産の半を以てこれに畀う。軍将敢えてこれを縱す者有らば、その職を罷む。蒙古戸の漸丁を括り、以て行伍に充つ。丁未、太陰、井を犯す。庚戌、詔して軍卒の擅に更代し及び逃帰する者は死す。禿禿合の所部の屯田に農器を給す。丙辰、詔して江南の道士にして貿易・田する者は、田税・商税を輸せしむ。庚申、札剌而忽都虎の所部の戸にして奉聖・雲州に居る者に命じ、民と均しく徭役を供せしむ。六盤山より黄河に至り屯田を立て、軍万人を置く。丙寅、大都留守司達魯花赤の段貞を以て中書平章政事と為す。使を遣わして代わりて岳瀆を祀らしむ。安西王に米三千石を賜い、以て饑民を賑う。
夏四月己亥朔、撒的迷失に命じてその祖忙兀台の所部の流散人戸を招集せしむ。諸王八卜沙に鈔四万錠、也真の所部に六万錠を賜う。平陽の絳州、台州路の黄巖州饑え、杭州火災有り、並びにこれを賑う。
五月戊辰朔、両都の徭役を免ず。辛未、安西王、使を遣わして来たり貧乏を告ぐ。帝これに語りて曰く「世祖、分賚の難きを以て、嘗て聖訓有り。アナンダもまたこれを知れり。若し貧乏を言わば、豈に独り汝のみならんや。去歳鈔二十万錠を賜い、又糧を給せり。今与うれば、則ち諸王以て均しからずと為さん。与えざれば、則ち汝言わん人多く饑死すと。その糧万石を給し、貧しき者を択びてこれを賑わしめよ」と。甲戌、詔して民間の馬牛羊、百に一を取り、羊百に満たざる者もまたこれを取る。惟だ色目人は数に及んで乃ち取る。丁丑、太陰、平道を犯す。庚辰、土蕃叛き、階州の軍民を殺掠す。脱脱を遣わして諸王テムルブカ・只列等と会し兵を合わせてこれを討たしむ。甲申、也真・薛闍罕に命じて合亦而の地に駐夏せしむ。諸王・公主・駙馬の戸を招くことを禁ず。己丑、詔して諸の徒役する者、一年を限りてこれを釈し、杖つことなからしむ。庚寅、四川馬湖の独本葱を進むるを罷む。詔して諸王・駙馬及び分地を有する功臣の戸、上都・大都・隆興に居る者は、民と均しく供需を納めしむ。丁酉、諸行省に命ず、旨を奉ぜざれば擅に軍を調うることなからしむ。安南国、人を遣わして叛賊黄勝許を招誘す。也黒迷失、紫檀を進む。鈔四千錠を賜う。是の月、野蠶繭を成す。河中府の猗氏雹有り。太原の平晋、献州の交河・楽寿、莫州の莫亭・任丘、及び湖南の醴陵州皆水害有り。済寧の済州螟害有り。
八月丁酉朔、舶商に金銀を以て海を過ぐるを禁じ、諸海外国に使する者は商を為すことを得ず。庚子、太陰亢を犯す。太白軒轅を犯す。壬寅、江浙行省に命じて船五十艘・水工千三百人を以て、沿海に巡り私塩を禁ぜしむ。癸卯、太陰天江を犯す。乙巳、詔して諸人盗賊を告げ捕らゆる者は、強盗一名に鈔五十貫を賞し、窃盗は其の半、応捕の者は又其の半とし、皆犯人に徴し、徴す可き無き者は官に給す。乙卯、太陰天街を犯す。太白上将を犯す。諸王イリンチンの軍に三月分の糧を給す。是月、德州・彰徳・太原蝗。咸寧県、金・復州、隆興路霜隕ちて禾を殺す。寧海州大雨。大名路水。
冬十月丁酉、太廟に事有り。壬寅、米十万石を発して京師に賑糶す。宣徳・奉聖・懐来・縉山等処を以て宿衞の馬を牧はしむ。甲辰、大都城を修す。壬子、車駕上都より至る。職官贓に坐し、断を経て再犯する者は、本罪に三等を加う。贛州の賊劉六十吉州を攻掠し、江西行省左丞董士選之を討ち平らぐ。是月、広備屯及び寧海の文登水。
十一月丁卯、蛮洞の将領彭安国父子田知州を討つ功有るを以て、安国に金符を賜い、子を蛮夷官と為す。答馬剌一本王其の子を遣わして象十六を進む。戊辰、広西の戍軍を以て悉く両江宣慰司都元帥府に隷せしむ。己巳、ウドダイ等進めて訳する所の太宗・憲宗・世祖実録、帝曰く、「フドルミシは昭睿順聖太后の生みしに非ず、何を以て亦公主と曰うや。順聖太后崩ずる時、裕宗既に軍中より還りたり、紀する所の月日先後差錯す。又別馬里思丹の砲手亦思馬因・泉府司、皆小事なり、何を以て書くに足らんや」と。辛未、江浙行省のバトル軍一万人を徙して潭州に戍らしめ、潭州以南の軍を移して郴州に戍らしむ。洪沢・芍陂の屯田軍一万人を以て大都城を修す。枢密院官を遣わして江南諸鎮戍の軍を整飭せしめ、凡そ将校勤怠の者、実を列して以て聞かしむ。海運の明年の糧を増して六十万石と為す。丁丑、太陰月星を犯し、又天街を犯す。庚辰、太陰井を犯す。丁亥、太陰上相を犯す。乙酉、枢密院の臣言う、「江南辺境近き州県は、宜しく険要の地を択び、群戍を合して一屯と為し、卒然警急有らば、徴発し易きべし」と。詔して行省に地形を図り、軍実を覈して以て聞かしむ。戊子、太陰平道を犯す。大都巡防の漢軍を増す。壬辰、太陰天江を犯す。緬王其の子僧伽巴叔撒邦巴を遣わして方物を貢す。雲南柏興府を罷めて徳昌路に入る。太常礼楽戸に鈔五千余錠を賜う。是月、象食屯水、其の田租を免ず。
十二月戊戌、徹里軍民総管府を立てる。雲南行省の臣が言うには、「大徹里の地は八百媳婦と犬牙相錯し、今大徹里の胡念は既に降ったが、小徹里はまた地利を占拠し、多く殺し掠め合っている。胡念がその弟胡倫を遣わし、別に一つの司を置き、蛮夷の情状に通じ習熟した者をその帥とし、彼らを招き来附させ、進取の地とすべく乞うている」と。詔して蒙様剛等甸の軍民官を復置する。癸卯、諸王の朝会における賜与を定める。太祖の位には金千両、銀七万五千両。世祖の位には各々金五百両、銀二万五千両。その他はそれぞれ差がある。丁未、太陰、井宿を犯す。詔して諸行省に逃亡軍を徴補させる。司天臺の観星戸を復す。乙卯、太陰、進賢星を犯す。癸亥、在京の囚人百人を釈放する。侍御史二員を増置する。金歯・羅斛より来朝した者に衣を賜う。
この年、大都・保定・汴梁・江陵・沔陽・淮安に水害あり。金州・復州は風害で禾を損なう。太原・開元・河南・芍陂は旱害あり、その田租を免除する。この年、大辟(死刑)二十四名を断ず。
三月戊辰、熒惑、井宿を犯す。己巳、完沢らが銓調選法を奏定する。庚午、陝西行省平章也先鉄木而を中書平章政事とし、中書省左丞梁暗都剌を中書省右丞とする。癸酉、太陰、軒轅大星を掩蔽す。柳林にて狩猟す。武当山の新附軍の徭賦を免ず。甲戌、西蕃が階州を寇す。陝西行省平章脱列伯が兵を進めて討ち、その党類悉く平定し、軍五百人を留めてこれを戍らせる。詔して各省の鎮守軍を合併せしむ。福建に置いたものは五十三所に合し、江浙に置いたものは二百二十七所に合す。丙子、車駕、上都に幸す。丁丑、諸王鉄木而不花を鎮西武靖王に封じ、駝紐の印を賜う。江西省左丞八都馬辛を中書左丞とする。庚辰、札魯忽赤脱而速が賄賂を受け、その奴に告発され、その奴を毒殺した罪で、棄市に処せられる。乙酉、阿里を遣わし鈔八万錠で和林に糧を糴わせる。丁亥、正月から七月までの捕猟を禁ず。大都八百里内もまたこれに同じ。庚寅、江淮等処財賦総管府及び提挙司を立てる。諸王岳木忽而及び兀魯思不花に各々金百両を賜う。兀魯思不花の母阿不察らに金五百両・銀鈔を差等ありて賜う。称海の匠戸に農具購入のため鈔二万二千九百余錠を、及び牙忽都の所部の貧戸に一万錠を、別吉韂の工匠に一万九百余錠を賜う。五台山の仏寺が完成し、皇太后が親しく往いて祈祝せんとす。監察御史李元礼が封事を上奏してこれを止める。帰徳・徐州・邳州・汴梁の諸県に水害あり、その田租を免ず。道州は旱害、遼陽は飢饉あり、ともに粟を発してこれを賑済する。岳木忽而及び兀魯思不花の所部の民が飢えたので、乳牛と牡馬でこれを救済する。
夏四月癸巳朔、日食あり。丙申、中書省・御史臺の臣ら言う、「阿老瓦丁及び崔彧が臺憲の諸事を條陳す。臣ら議うに、旧例に依ることを乞う。御史臺は選を立てず、その用人は常調官より選ぶ。ただ監察御史の首領官は、御史臺に自ら選ばしむ。各道の廉訪司は必ず蒙古人をして使と為すべし。或いは闕くれば、則ち色目の世臣の子孫を以てこれに充て、その次に色目・漢人を参ず。また合剌赤・阿速が各々監察御史を挙ぐるは便ならず、亦た常選より人を択ぶに止むべし。各省の文案は、行臺官を差してこれを檢覈すべし。宿衞近侍にして、特旨を奉じて臺憲に擢用せしむる者は、必ず明らかに奏して、然る後にこれを任ずべし。行臺御史、秩満にして效績ある者は、或いは内臺に遷し、或いは中書省に呈して遷調し、廉訪司もまたこれに如し。その職に称せざる者は、省・臺人を択びてこれに代う。未だ有司を歴ざる者には、牧民の職を授く。省・臺同選を経る者は、御史臺の自ら調ずるを聴す。中書省或いは臺察の人を用うるも、亦た御史臺と同議すべし。各官府の憲司官、輒く体察に入ることを得ず。今、轉運鹽使司を除く外、その余の官府は悉く旧例に依らんと擬す」と。制して曰く「可なり」と。壬寅、兀魯思不花に圓符を賜う。暹國・羅斛の来朝する者に衣服を差等ありて賜う。牙忽都部に鈔一万錠を賜う。岳木忽而の所部に和林の屯田種を給す。米二千石を以て応昌府を賑す。
五月丙寅、河汴梁に決す。民三万余人を発してこれを塞ぐ。戊辰、安南国使いを遣わして来朝す。諸位下商を為す者の制書・驛券を追収す。回回人に命じ内郡に商税を輸せしむ。鈔千錠を給して臨洮の佛寺を建つ。詔して強盗姦傷事主する者は、首従悉く誅す。事主を傷つけざれば、ただ首を為す者を誅し、従者は刺配す。再犯も亦た誅す。葛蠻安撫司に驛券一を給す。辛未、遂寧州の軍戶任福の妻一産三男、復を三歳給す。癸酉、太白鬼積尸気を犯す。乙亥、太陰房を犯す。丁丑、民間の鷹鷂を捕鬻するを禁ず。庚寅、平伐の酋領内附し、亦乞不薛に隷せんことを乞う。これに従う。各路の平準行用庫、旧制部民の富で力ある者を選び副と為す。命ず、今より常調官を以てこれに当たらしむ。行省に隷する者は行省の署用に従う。上思州の叛賊黄勝許その子志宝を遣わして来降す。漳河溢れ、民の禾稼を損ず。饒州の鄱陽・楽平及び隆興路水。亦乞列等三站饑え、米一百五十石を賑す。
六月甲午、諸王也里干使いを遣わし驛乗して五嶽・四瀆を祀る。命じてその驛券を追い、仍って切にこれを責む。湖広行省参政崔良知の廉貧なるを以て、特塩課鈔千錠を賜う。和林の軍需に鈔十万錠を給す。乙未、太白晝見す。戊戌、平伐九寨来降し、長官司を立つ。己酉、各部の宿衞士に命じ上都・隆興の糧各一万五千石を北地に輸せしむ。甲寅、亦奚不薛の歳貢馬及び氊衣を罷む。丙辰、監察御史斡羅失剌言う、「中丞崔彧の兄先朝に嘗て罪有り。その籍したる家産を還すは宜しからず。又僧寺の水碾を買うは制に違う」と。帝その妄言を以て、これを笞つ。詔して僧道姦盗の重罪を犯す者は、有司の鞫問を聴す。諸王也里干等の従者に鈔二万錠を賜い、朵思麻一十三站の貧民に五千余錠を賜う。是月、平灤路蟲桑を食う。帰徳徐・邳州蝗。太原風・雹。河間・大名路旱。和州歴陽県江漲ぎ、廬舍一万八千五百余家を漂没す。糧四千余石を以て広平路の饑民を賑し、一万五千石を以て江西水被の家を賑し、二百九十余石を以て鉄里干等四站の饑戸を賑す。
八月庚子、詔して合伯に留軍五千をして屯守せしめ、孛来に命じその余の衆を統べて帰らしむ。丁未、諸王阿只吉に命ず、今より出獵は悉く自ら供具し、民力を傷つくることなからしむ。丁巳、祅星奎に出づ。揚州・淮安・寧海州旱。真定・順徳・河間旱・疫。池州・南康・寧国・太平水。
九月辛酉朔、祅星復た奎を犯す。壬戌、八番・順元等の処初め湖広に隷し、後に雲南に改隷す。雲南の戍兵至らず、その屯駐の旧軍逃亡する者衆し。仍って湖広行省に命じ軍を遣わしてこれに代わらしむ。甲子、八百媳婦叛き、徹里を寇す。也先不花を遣わし兵を将いてこれを討たしむ。丙寅、詔して諸郡の水旱疾疫の家を恤む。両淮の民田を括するを罷む。諸王大都に来る者及び宿衞士の冗員を汰す。丁卯、平章伯顔に命じ専ら孤老の衣糧を給賜するを領せしむ。壬午、車駕大都に還る。己丑、海漕を六十五万石に増す。南丹州安撫司を罷め、慶遠南丹溪洞等処軍民安撫司を立つ。詔して辺遠の官已に嘗て優しく品級を陞めながら他事に託して赴かざる者は、その陞めたる官を奪う。平珠・六洞蛮及び十部洞蛮皆来降す。命じて蛮夷官を以てこれを授く。衞士にして外郡に牧馬する者に糧を給し、民に仰食せしめざらしむ。札魯忽赤の追う贓物を以て中書省に輸す。衞輝路旱・疫。澧州・常徳・饒州・臨江等路、温州の平陽・瑞安二州大水。鎮江の丹陽・金壇旱。並びに糧を以てこれを給す。
十一月壬戌、権豪・僧侶・道士および各位下が鉱炭山場を勝手に占拠することを禁じた。順徳・彰徳・広平等路の五提挙司を廃止し、都提挙司二つを立て、正四品に昇格させ、官四員を設け、中書戸部に直隷させた。衛輝路提挙司は広平彰徳都提挙司に隷属させ、真定鉄冶は順徳都提挙司に隷属させた。保定紫荊関鉄冶提挙司を廃止し、その戸八百を民に戻した。癸亥、詔して今後田猟は九月より始めるとした。高麗王王昛が老齢を告げ、爵位をその子の謜に与えることを請うた。福建行省が人を遣わして瑠求国を偵察し、その傍近の百人あまりを捕虜として帰還した。戊辰、太廟の犠牲に用いる馬を増やした。庚午、唐兀軍を籍して枢密院に入れた。辛未、曹州禹城が嘉禾を献上し、一茎に九穂あった。丁丑、詔して高麗王世子謜を開府儀同三司・征東行中書省左丞相・駙馬・上柱国・高麗国王とし、また王昛に推忠宣力定遠保節功臣・開府儀同三司・太尉・駙馬・上柱国・逸寿王を加授した。烏撒烏蒙等処宣慰使を一員増員し、孛羅歓をこれに任じた。諸王兀魯思不花に金千両・銀一万五千両・鈔一万錠を賜った。大同路軍儲所を紅城に移した。河南行省の経用が不足するため、江浙行省に命じて米二十万石を運送してこれを給した。総帥汪惟和が配下の軍を率いて沙州・瓜州で屯田し、中統鈔二万三千二百余錠を与えて種子・牛・農具を置かせた。大都路総管沙のが贓罪に坐して罷免されるべきところ、帝は故臣の子であることを理由に特にその罪を減じ、もとの職に留まらせた。崔彧が再任すべきでないと進言したが、帝は「卿らは中書省臣とともにこれを戒めよ、もし後日また同様のことがあれば、お前たちを死地に置くであろう」と言った。戊子、太白が経天した。晋王内史を一員、尚乗寺卿を一員増員した。薬木忽而に金一千二百五十両・銀一万五千両・鈔一万二千錠を賜った。常徳路が大水、常州路および宜興州が旱魃となり、ともにこれを賑済した。
十二月癸巳、也速帯而・薬楽罕に命じて兵を率い出征させた。丙申、襄陽の屯田合剌魯軍を南陽に移し、戸ごとに田百五十畝を与え、種子・牛・農具を給した。戊戌、中書省臣が河南平章孛羅歓らとともに言上した。「世祖が江南を撫定されたとき、長江沿い上下に戍兵三十一翼を置かれましたが、今は一二もなく、不慮の事態を憂えます。外郡の戍卒の封樁銭は、軍官が遅延して時を以て取らず、自らの銭を貸して倍の利息を徴収しています。逃亡者は各処の鎮守官および万戸府がともに人を遣わして追捕しています。いずれも適切ではありません。また富戸が差税を回避して僧道を僭称し、かつ僧道が商賈を営み妻子を持つことは編氓と異ならず、淘汰して民とするよう請います。宋の時に僧道となった者は、必ず先に県官に銭を納めて初めて度牒が給されましたが、今は制度が定まらず、僥倖が必ず多いでしょう。無為の礬課は、初年度の歳入は鈔わずか百六錠でしたが、続いて二千四百錠に増加し、おおむね富民から徴収し、吏の俸給を削り、竈戸の工本を停止してこれを満たしており、その数も減ずべきです。」帝は「礬課は人を遣わして実情を査核させよ。僧道を淘汰する制度は、卿らが議案を作成して奏聞せよ。軍政は枢密院と議せよ。」と言った。諸王也只里の部の忽剌帯が済南商河県で居民を侵擾し、禾稼を蹂躙したので、帝は命じてこれを詰問させたところ、走ってその部に帰った。帝は「彼は宗戚である。このような道理があろうか。只里にその罪を問わせよ。」と言った。諸王・駙馬および権豪が民田を奪うことを禁じ、田を献上する者には刑罰を科した。芍陂・洪沢の屯田を再び立てた。壬寅、朝洞蛮が内附し、長官司二つを立て、楊漢英に命じてこれを統轄させた。甲辰、太白が経天し、また東咸を犯した。丙午、太陰が軒轅を犯した。丁未、烈婦漳州招討司知事闞文興の妻王氏を旌表した。戊申、雲南廉訪司の駅券を四十二増給した。甲寅、太陰が心を犯した。乙卯、上都から大都および宣徳等十三駅の駅戸の和雇和買を免除した。諸王忽剌出に鈔千錠、その配下に四万四千五百余錠を賜った。諸王阿朮・速哥鉄木而の配下に二万八千九百余錠を賜った。
閏十二月壬戌、太陰が壘壁陣を犯した。也速帯而らに命じて出征させた。詔して諸軍戸が田を売る場合は、所属する官が文券を給することとした。甲子、福建平章高興が言上した。「漳州漳浦県の大梁山は水晶を産出します。民百戸を割いてこれを採掘するよう請います。」帝は「民を労さなければよいが、民を労するなら取るな。」と言った。壬申、乃顔の民戸を内地に移した。燕禿忽思の所属する戸の差税を定め、その三分の一を官に納めさせた。忽剌出の配下に鈔一万錠を賜った。癸酉から丙子にかけて、太白が建星を犯した。己卯、不思塔伯千戸らに鈔およそ九万錠を賜った。淮東が飢饉となったので、参議中書省事于璋を遣わして倉を開き賑済させた。湖泊の禁令を緩め、依然として正月の捕猟を聴許した。平伐等の蛮が未だ帰附せず、播州宣撫使楊漢英が自らの力でこれを討伐することを請うたので、湖広省の答剌罕に命じて適宜に収撫させた。瓜州の屯田軍一万人が貧困したので、一千を減らし、張万戸の率いる兵でこれを補うよう命じた。甲申、両淮の屯田軍を二万人に増員した。諸王阿牙赤に鈔千錠、その配下に一万一千余錠を賜った。薬楽罕らの配下に七万錠を賜った。暗都剌火者の配下に四万余錠を賜った。般陽路が飢饉と疫病に見舞われたので、二か月分の糧を給した。
この年、済南および金州・復州が水害・旱魃に見舞われた。大都の檀州・順州、遼陽、瀋陽、広寧が水害に見舞われた。順徳・河間・大名・平陽が旱魃に見舞われた。河間の楽寿・交河が疫病に見舞われ、六千五百余人が死亡した。大辟(死刑)百七十五人を断罪した。
二月戊午朔(一日)、詔して枢密院に貧難軍戸を合併せしむ。辛酉(四日)、歳星・熒惑・太白危に聚まり、熒惑歳星を犯す。壬戌(五日)、重慶宣慰司都元帥府を成都に移す。福建に軍民宣慰司都元帥府を立つ。乙丑(八日)、浙西都水庸田司を立て、専ら水利を主とす。中書右丞・徽政院副使張九思を以て平章政事と為し、中書省事に与る。丁卯(十日)、泉州を改めて泉寧府と為す。己巳(十二日)、漷州に畋猟す。辛未(十四日)、太陰左執法を犯す。江西省の元分置軍を併せて六十四所と為す。丙子(十九日)、太陰心を犯す。帝中書省臣に諭して曰く、「毎歳天下の金銀鈔幣の入る所幾何、諸王・駙馬の賜与及び一切の営建の出づる所幾何、其の会計を以て聞かせよ」と。右丞相完澤言す、「歳入の数、金一万九千両、銀六万両、鈔三百六十万錠、然れども猶用に足らず、又至元鈔本の中より二十万錠を借る。今より敢えて節用を以て請わん」と。帝嘉して之を納る。中外の土木の役を罷む。癸未(二十六日)、詔して諸王・駙馬に嶽鎮海瀆を擅に祀ること毋からしむ。諸路の軍及び豪右人等に申禁し、畜牧を縦して農を損ずること毋からしむ。乙酉(二十八日)、車駕上都に幸す。建康金銀銅冶転運司を罷め、淘金戸を元籍に還し、歳辦金悉く有司に責む。詔して廉訪司に人材を作成せしめ、以て選挙に備えしむ。諸王の従者の控鶴佩帯を仮するを禁じ、民を擾わす。詔して諸郡に凡そ民播種怠惰及び有司勧課至らざる者は、各道廉訪司に治めしむ。行省平章を減じて二員と為す。丙子(十九日)、梁徳珪を以て中書平章政事と為し、楊炎龍を中書右丞と為す。爪忽而の所部に鈔三十万錠を賜い、近侍伯顔鉄木而等に三万錠を賜い、也先鉄木而等に市馬価三万四千四百余錠を賜い、鎮南王脱歓に六万錠を賜う。浙西嘉興・江陰、江東建康溧陽・池州水旱あり、並びに之を賑恤す。湖広省漢陽・漢川水あり、其の田租を免ず。甘粛省沙州鼠禾稼を傷つく。大都檀州雨雹あり。帰徳等処蝗あり。
三月丁亥朔(一日)、大名路故河堤堰の歳入隆福宮租鈔七百五十錠を罷む。官吏の賂を受けて諸司に詣り首するを申禁し、輒て受くることを得ざらしむ。戊子(二日)、詔して僧人の奸盗詐偽を犯すは、有司の専決を聴し、軽き者は僧官と約断せしめ、約至らざる者は之を罪す。庚寅(四日)、各万戸出征する者に命じ、其の印は副貳に之を掌らしめ、其の子弟に付して違法に事を行わしむること毋からしむ。両淮の閑田を以て蒙古軍に給す。壬子(二十六日)、御史台臣言す、「道州路達魯花赤阿林不花・総管周克敬虚しく麦熟を申し、饑民を賑わず、赦宥を経たりと雖も、宜しく職一等を降すべし」と。之に従う。壬子(二十六日)、詔して東鎮沂山を加封して元徳東安王と為し、南鎮会稽山を昭徳順応王と為し、西鎮呉山を成徳永靖王と為し、北鎮医巫閭山を貞徳広寧王と為し、歳時嶽瀆と同祀し、令式と為すことを著す。
夏四月戊午(三日)、征不剌壇軍を遣わして還って本部にせしむ。庚申(五日)、也速帯而の甘州戍軍を擅に調うるを以て、伯顔等を遣わして之を笞つ。大都守門合剌赤等に鈔九万錠を賜い、織工に四万四千錠を賜う。慶元の糧五万石を発し、其の直を減じて以て饑民を賑う。江南・山東・江浙・両淮・燕南属県百五十処蝗あり。
五月辛卯(八日)、海南黎兵万戸府及び黎蛮屯田万戸府を罷め、其の事を瓊州路軍民安撫司に入る。蕁麻林酒税羨余を罷む。壬辰(九日)、中書右丞何栄祖を以て平章政事と為し、中書省事に与り、湖広左丞八都馬辛を中書右丞と為す。淮西諸郡饑あり、江西の米二十万石を漕して以て賑貸に備う。中書省に命じて使を遣わし、雲南・四川・海北海南・広西両江・広東・福建等処の六品以下選を監せしむ。戊戌(十五日)、太陰心を犯す。壬寅(十九日)、平灤路旱あり、米五百石を発し、其の直を減じて之を賑う。己酉(二十六日)、諸王念不列妃扎忽真其の所部貧戸を詐りて増し、鈔一万六百余錠を冒支す、扎魯忽赤を遣わして王府官と同しく之を追わしむ。衛輝・順徳旱あり、大風麦を損ず、其の田租一年を免ず。詔して総帥汪惟正の轄する所二十四城に、安西王・諸王等並びに朵思麻来寓する者有らば、編戸と均しく賦役に当たらしむ。耽羅国方物を以て来貢す。撫州の崇仁星隕ちて石と為る。致用院を復す。和林宣慰司都元帥府を置き、忽剌出・耶律希周・納隣合剌を並びに宣慰使都元帥と為し、虎符を佩ばしむ。両都八剌合赤に鈔各三万錠を給す。
六月庚申(八日)、御史台臣言す、「江南宋の時両税法を行い、阿里海牙より門攤に改め、課銭を増して五万錠に至る。今宣慰張国紀復た夏税を科し、門攤と併せて徴し、以て陞進を図らんと請う。湖・湘重ねて其の害に罹る」と。帝中書に命じて趣に之を罷めしむ。権豪・斡脱の大都漕河舟楫を括するを禁ず。西台侍御史脱歓賂を受けて法に不法なるを以て罷む。諸王の令旨を擅に行うを禁じ、其の例を越えて開読する者は、併せて所遣の使を拘執して以て聞かしむ。壬戌(十日)、太陰角を犯す。詔して陝西諸色戸に民と均しく徭役に当たらしむ。陝西運司私塩の禁を申厳す。奉宸庫を置く。諸王岳木忽而に金一千二百五十両を賜い、兀魯思不花並びに其の母に一千両を賜い、銀・鈔首差あり。山東・河南・燕南・山北五十処蝗あり。山北遼東道大寧路金源県蝗あり。
秋七月癸巳(十一日)、太陰心を犯す。汴梁等処大雨あり、河決ち堤防を壊し、帰徳数県の禾稼・廬舎を漂没し、其の田租一年を免ず。尚書那懐・御史劉賡等を遣わして之を塞がしめ、蒲口を以て首事とし、凡そ九十六所を築く。壬寅(二十日)、詔して諸王・駙馬及び諸近侍に、今より事を奏するに中書を経ず、輒て旨を伝えて外に付する者は、之を罪す。高麗王王謜擅に命を妄りに殺す、詔して中書右丞楊炎龍・僉枢密院事洪君祥を遣わして其の入侍を召し、其の父昛を以て仍統国政せしむ。諸王亦憐真等に金・銀・鈔差有りて賜う。江西・江浙水あり、饑民二万四千九百有奇を賑う。
八月壬戌(十日)、太陰箕を犯す。癸未(三十一日)、四川出征蒙古軍に馬一万匹を給す。
冬十月甲寅朔、海運の米を増やして七十万石とする。壬戌、太白星が牽牛星を犯す。鳳翔に蒙古都万戸府を置く。平珠・六洞蛮夷長官司二つを立て、土官四十四員を設ける。戊寅、太陰が角距星を犯す。御史台に枢密院の案牘を検査・弾劾せしむ。諸王岳木忽而・兀魯思不花の所部に糧五万石を賜う。控鶴七百人に鈔五百錠を賜う。
十一月庚寅、安南が方物を貢ぐ。丙申、知枢密院那懷が言う、「常例の文移は、副枢以下に署行させんことを乞う」と。これに従う。雲南行御史台を罷め、粛政廉訪司を置く。己亥、太陰が輿鬼を犯す。辛丑、辰星が牽牛を犯す。徐・邳の炉冶所が進める息銭を罷む。壬寅、太陰が右執法を犯す。中書右丞王慶端を平章政事とする。和林の軍校に幣六千匹、衣帽等の物を差等ありて賜う。