十九年春正月壬戌朔、高麗国王王賰がその大将軍金子廷を遣わして来朝賀す。丙寅、征東行中書省を罷む。丁卯、諸王札剌忽、軍中より至る。時に皇子北平王、軍を以て阿里麻里の地を鎮め、以て海都を禦ぐ。諸王昔里吉、脱脱木児・籰木忽児・撒里蛮等と謀り、皇子北平王を劫いて以て叛かんとし、札剌忽と結び海都に援を求めんと欲す。海都従わず。撒里蛮過ちを悔い、昔里吉等を執る。北平王、札剌忽を遣わして以て聞かしむ。妖民張円光、伏誅す。太僕院を立つ。信州の民四百八戸を撥ち、諸王柏木児に隷せしむ。丙子、車駕近郊に畋す。丁丑、高麗国王紬布四百匹を貢す。丙戌、西平王怯薛那懐等に鈔一万一千五百二十一錠を賜う。
二月辛卯朔、車駕柳林に幸す。饒州総管姚文龍言う、江南の財賦は歳に鈔五十万錠を辦すべしと。詔して文龍を以て江西道宣慰使と為し、茶法の措置を兼ねしむ。司徒阿你哥・行工部尚書納懐に命じ、銅輪儀表刻漏を製飾せしむ。駙馬昌吉の印を改めて給するを敕す。宮城・太廟・司天臺を修す。癸巳、軍一万五千・馬五千匹を調べ、也可不薛を征す。使を遣わして代わりに嶽瀆后土を祀らしむ。甲午、甘州の逃軍二千二百人自ら陳す、願わくは家四千九百四十口を挈いて還り戍らんと。敕して鈔一万六百二十錠・布四千九百四十匹・驢四千九百四十頭を以て之に給す。緬国を征するを議り、太卜を以て右丞と為し、也罕的斤を参政と為し、兵を領いて以て行かしむ。戊戌、別十八里元帥綦公直の軍需を給す。使を乾山に往かしめ、江南戦船千艘を造らしむ。庚子、諸王塔剌海に籍没の五十戸を賜う。願わくは十二戸を受く。孛羅歓、理算して未徴の糧二十七万石、詔して之を徴す。壬寅、軍器監の秩を三品に陥す。軍官陣歿する者の子に職を襲わしめ、疾を以て卒する者には官を授くるに一等を降すことを命じ、具に令と為す。溪洞招討使郭昂等九人に虎符を授け、仍お張温・顔義顕に銀各千両を賞す。晃兀児・塔海の民匠九百五十三戸を収めて官に入る。乙巳、広東按察司を立つ。戊申、車駕宮に還る。己酉、省部官の冗員を減省す。上都宣課提領を改めて宣課提挙司と為す。鉄冶総管府を立て、提挙司を罷む。大都税課官十四員を十員に減ず。羅羅斯宣慰司を改めて雲南省に隷せしむ。浙東宣慰司を温州に徙す。軍を分かち江南を戍守せしめ、帰州より江陰に至り三海口に及ぶまで、凡そ二十八所。庚戌、参知政事唐兀帯等六人を以て、黄州・建康・江陵・池州・興国を鎮守せしむ。壬子、詔して亦奚不薛及び播・思・敍三州の軍を簽して緬国を征せしむ。癸丑、大良平元帥蒲元圭、其の男世能を遣わして入覲せしむ。甲寅、車駕上都に幸す。漢人の軍器の禁を厳にす。丁巳、安州の張拗驢、詐りの敕及び偽りて丞相孛羅の署印を為すを以て、伏誅す。戊午、雲南使臣及び陝西僉省八八以下に銀鈔・衣服を賜うこと差あり。福建の戸数を籍す。
三月辛酉朔、烏蒙の民叛く。敕して那懐・火魯思迷に蒙古・漢人新附軍を率いさせて之を討たしむ。忽都答児等の戦功に牛羊馬を賞す。益都千戸王著、阿合馬の国を蠹き民を害するを以て、高和尚と合謀して之を殺す。壬午、王著・張易・高和尚を巿に誅し、皆醢にす。余党悉く伏誅す。甲申、的斤帖林、己が貲を以て屯田の費に充つ。諸王阿只吉以て聞かしむ。敕して其の直を酬う。丙戌、益都・車平・沿淮諸郡の軍民官の捕獵を禁ず。戊子、塔児八合你駅を立て、烏蒙阿謀の歳に輸する騬馬を以て之に給す。北庭都護阿必失哈を領して御史大夫と為し、行御史臺事を行わしむ。
五月己未朔(一日)、萬億庫及び南京宣慰司を鈎考す。省部の官を沙汰し、阿合馬の党人七百十四人、已に革められたる者百三十三人、余り五百八十一人並びにこれを黜く。瀘州管軍総管李從、軍士の賄を受けその私還を縦せしに坐し、万戸爪難等をして賊に殺さしむるに致り、誅に伏す。阿合馬の馬・駱駝・牛・羊・驢等三千七百五十八を籍没す。阿合馬の罪を追治し、棺を剖きてその尸を通玄門外にて戮す。南京宣慰司及び江南財賦総管府を罷む。丁卯(九日)、各省に給する驛璽書を降す。戊辰(十日)、江西・福建行省を併合す。江南の冗濫官を去る。福建の山県鎮店の宣課を免ず。当路の私人の権府・州・司・県官を禁ず。畬洞の人を招諭し、その罪を免ず。戍軍を差して防送することを禁ず。人匠提挙の擅に匠戸を招くことを禁ず。己巳(十一日)、浙西道宣慰司同知劉宣等を遣わし、各塩運司及び財賦府茶塲都転運司の出納の数を理算せしむ。阿合馬の妻子親属の営む資産を籍没し、その奴婢はこれを放ちて民と為す。宣慰使の帯ぶる相銜を罷む。壬申(十四日)、耿仁を鎖繫して大都に至らしめ、中書省に命じてこれを鞫わしむ。庚辰(二十二日)、平灤州に於いて船を造ることを議し、軍民合わせて九千人を発し、探馬赤伯要帯に命じてこれを率いしめ、山に於いて木を伐ち、及び寺観墳墓より取らしめ、官その直を酬い、仍て桑哥に人を遣わしてこれを督めしむ。癸未(二十五日)、大都の抜都児正軍に夏衣を給す。和禮霍孫言う、省部の濫官七百十四員、その過無き者五百八十一員は姑くこれを存すべしと。沿海左副都元帥石国英、税戸を以て軍を贍うことを請い、軍逃死する者は、その補足を令すべし;站戸の苗税、貧富均しからざる者は、その役を均うすべしと。又た塩法を行い、官吏を汰し、捕戸を罷むることを請う。詔して中書に集議してこれを行わしむ。張惠・阿里罷む。甘粛行省左丞麦朮丁を以て中書右丞と為し、行御史臺御史中丞張雄飛を参知政事と為す。乙酉(二十七日)、元帥綦公直言す:「逃軍に黥を施し、仍て軍に従わしめ、及び別十八里に冶場を設立し、農器を鼓鑄せんことを乞う」と。これに従う。丙戌(二十八日)、別十八里城東三百余里蝗麦を害す。
六月己丑朔(一日)、日食あり。眉州に芝生ず。甲午(六日)、阿合馬の濫設したる官府二百四所、詔して存する者三十三、余は皆罷む。又た江南宣慰司十五道、内四道は已に行中書省を立てたれば、これを罷む。乙未(七日)、六盤山の屯田軍七百七十人を発し、以て劉恩の軍を補う。宣慰司等の官に勅し、官軍を役すべからず。丙申(八日)、射士百人を発して丞相を衞わしめ、他人は例を援ることを得ず。戊戌(十日)、占城既に服し復た叛くに因り、淮・浙・福建・湖広の軍五千、海船百艘、戦船二百五十を発し、唆都を将と為してこれを討たしむ。亡宋の軍に手号有る者及び無き者、並びに民と為ることを聴す。己亥(十一日)、何子志を管軍万戸と為し、暹国に使わす。立丑(十二日)、阿合馬の妻子・婿・奴婢・財産を籍没す。癸卯(十六日)、軍功を濫保することを禁ず。乙巳(十八日)、無籍の軍を招き衣糧を給す。己酉(二十二日)、太子府宿衞軍の盗を禦ぐる功を賞し、鈔・馬を差等有りて給し、妻無き者には没官の寡婦を以てこれに配す。阿合馬の居第を以て和禮霍孫に賜う。壬子(二十五日)、中外の百官に申敕し限を立てて事を決せしむ。癸丑(二十六日)、和禮霍孫の言に従い、司徒府及び農政院を罷む。忽辛を鎖繫して揚州に赴かしめ鞫治せしむ。丁巳(三十日)、亦奚不薛を征し、尽くその地を平らげ、三路の達魯花赤を立て、軍を留めて鎮守せしめ、薬剌海に命じてこれを総べしめ、也速帯児を都元帥宣慰使と為す。
秋七月戊午朔(一日)、日食あり。行樞密院を揚州・鄂州に立てる。庚申(三日)、行御史臺に命じ各道按察司の官を揀汰せしむ。辛酉(四日)、郝禎の棺を剖き、その尸を戮す。壬戌(五日)、官錢を以て戍軍の費を給することを命じ、而して各オルドの征する所を以て官に還す。諸位下の営運銭貨に軍を差して護送することを禁ず。高麗国王自ら船一百五十艘を造り、日本征伐を助けんことを請う。戊辰(十一日)、鴨池より回軍し安西に屯田し、鈔を以てこれに給す。庚午(十三日)、江南を守る蒙古軍に番を更えて家に還ることを令す。壬申(十五日)、察罕脳児の軍千人を発して縉山道を治めしむ。馬湖路総管府を立つ。癸酉(十六日)、高麗王王賰に金印を賜う。宣慰孟慶元・万戸孫勝夫爪哇より回る、忙古帯に囚われたるを、詔してこれを釈す。丁丑(二十日)、汪札剌児帯の総帥を罷め、その制命・虎符を収む。鞏昌路達魯花赤別速帖木児を以て鞏昌平涼等二十四処軍前便宜都総帥府達魯花赤と為す。蒙古人孛羅に湖北辰・沅等州の淘金事を領せしむ。戊寅(二十一日)、阿失答不速に皇城を築くことを議す、枢密院言う、木十二万を用い、地遠くして致し難し、察罕脳児に依り土を築きて牆と為す便りなりと、これに従う。乙酉(二十八日)、諸王塔海帖木児・忽都帖木児等に金銀・幣帛を差等有りて賜う。闍婆国金仏塔を貢ぐ。米を発して乞里吉思の貧民を賑う。
八月丁亥朔(一日)、乾山の造船軍匠に冬衣及び新附軍に鈔を給す。庚寅(四日)、忙古帯羅氏鬼国より征還り、仍て虎符を佩き、管軍万戸と為る。辛卯(五日)、阿八赤に運糧を督めしむ。癸巳(七日)、羅羅斯等の軍を発して緬国征伐を助けしむ。辛亥(二十五日)、淄萊路の田・索二鎮を併合し、仍て驛台に於いて新城県治を立つ。大駕龍虎台に駐蹕す。江南水害あり、民飢うる者衆し;真定以南旱魃あり、民多く流移す;和禮霍孫所在の官司に発廩して賑わしむることを請う、これに従う。金を以て車馬服御を飾るの禁を申厳す。又た諸監官に令し人匠をして私に器物を造らしむることを得ざるを禁ず。甲寅(二十八日)、聖誕節、この日宮に還る。乙卯(二十九日)、正殿に御し、皇太子・諸王・百官の朝賀を受く。丙辰(三十日)、捏兀迭納を謫して占城に戍らしめ以て罪を贖わしむ。
十一月戊午(二日)、上都に利用庫を建つ。太常礼楽・籍田等三百六十戸に鈔千二百錠を賜う。甲子(八日)、欠州屯田軍に衣服を与う。丁卯(十一日)、和林の戍還軍校に銀鈔・幣帛を与う。江南襲封衍聖公孔洙入覲し、国子祭酒と為し、兼ねて浙東道学校事を提挙せしめ、就て俸祿を与え及び林廟を護持する璽書を与う。詔して阿合馬の罪悪を以て中外に頒告し、凡そ民間の利病は即ちこれを興除せしむ。壬申(十六日)、勢家商賈を為す者官民船を阻遏するを以て、沿河巡禁軍を立て、犯す者はその家を没す。癸酉(十七日)、元帥綦公直の軍を分ちて曲先に戍らしむ。甲戌(十八日)、中書省臣言す、「天下の重囚は、謀反大逆を除き、祖父母・父母を殺し、妻夫を殺し、奴主を殺し、姦に因り夫を殺し、並びに正典刑する外、余り死罪を犯す者は、日本・占城・緬国の軍に充てしむ」と。これに従う。省印を改めて鋳す。丙子(二十日)、四川行省大盤洞主向臭友等を招諭して来朝せしむ。戊寅(二十二日)、耶律鑄言す、「前に詔を奉り人を殺す者は死し、なお焼埋銀五十両を徴す、後には止めて鈔二錠を徴す、その事甚だ軽し。臣等議す、蒙古人の例に依り、犯す者は一女を仇家に没し、女無き者は鈔四錠を徴す」と。これに従う。袁州・饒州・興国軍を以て復た隆興省に隷せしむ。馬八児国使者を遣わして金葉書及び土物を以て来貢す。都功徳使脱烈を罷め、その修設する仏事の妄りに官物を費やすは、皆これを徴還す。貧乏なる者合納塔児・八只等に羊馬鈔を賜う。
十二月丁亥朔、阿剌海に命じて范文虎等の所有する海船三百艘を領せしむ。壬寅、中書左丞張文謙を樞密副使とす。乙未、中書省臣言う、「平原郡公趙與芮・瀛國公趙㬎・翰林直學士趙與𤍟は、宜しく並びに上都に居らしむべし」と。帝曰く、「與芮は老いたり、大都に留まるべし。餘は言うが如くせよ」と。継いて旨有り、瀛國公に衣糧を給して発遣す。唯だ與𤍟のみ行かしめず。中山の薛保住が匿名の書を上って変を告げたるを以て、宋の丞相文天祥を殺す。癸卯、御史中丞崔彧言う、「臺臣は国家の政事の得失・生民の休戚・百官の邪正に就いては、王公将相と雖も宜しく糾察すべし。近頃は唯だ御史のみ言有り。臣以為く、臺官は皆建言すべく、庶幾くは国家に補益有らん。臺察官を選用するに、若し中書より出ずれば、必ず偏徇の弊有らん。御史は宜しく本臺より選択し、初めは漢人十六員を用い、今は蒙古人十六員を用い、相参して巡歴するを宜しとす」と。之に従う。濟川河を浚う。拱衞司を降して復た正四品とし、仍て其の虎符を収む。湖廣行省の金銀鐵冶提挙司を罷め、其の事を各路総管府に隷せしむ。建康淘金総管府を以て建康路に隷せしむ。中書右丞札散を平章政事とす。解塩司及び諸塩司を罷め、運司官に令して親しく行き塩引を調度せしむ。南京屯田総管府を罷め、其の事を南陽府に隷せしむ。阿里海牙、鎮遠軍を復し、軍千人を発して戍守せしめ、其の地は西川行省に接するを以て、就て之に隷せしむ。詔して帝師答耳麻八剌剌吉塔を立て、玉印を掌らしめ、諸国の釈教を統領せしむ。帝師八合思八の舎利塔を造る。鞏昌等処の積年所欠の田租税課を免ず。皇子北安王位下の塔察兒等に馬牛羊を賜うこと各差有り。
二十年春正月丙辰朔、高麗國王王賰、其の大将軍俞洪慎を遣わして来賀す。己未、皇后弘吉剌氏を納る。辛酉、諸王出伯に印を賜う。諸王必赤帖木児・駙馬昌吉に軍鈔を賞す。諸王・公主・駙馬にして江南の分地を得たる者に勅し、一万戸の田租の中に鈔百錠を輸せしめ、中原の五戸絲の数に准ぜしむ。癸亥、薬剌海に勅して軍を領き緬国を征せしむ。乙丑、高麗國王王賰、使兀剌帯を遣わして㲲布線紬等の物四百段を貢す。和禮霍孫言う、「去冬、中山府の奸民薛寶住、匿名の書を為して来上し、妄りに東方朔の書に效い、朝廷を欺罔し、官賞を希覬す」と。勅して之を誅す。又言う、「今より応に事を訴うる者は、必ず実に其の事を書し、省・臺に赴き陳告すべし。其れ敢えて匿名の書を以て事を告ぐる者は、重きは死を処し、軽きは遠方に流す。能く其の事を発する者には、犯人妻子を給し、仍て鈔を以て之を賞すべし。又、阿合馬の専政の時、衙門甚だ冗にして、俸祿を虚費す。宜しく劉秉忠・許衡の定むる所に依り、併省するを便とすべし」と。皆之に従う。務農司を設く。諸事を省・臺に赴き訴うるを勅し、理決平らかならざる者は、登聞鼓院に詣り鼓を撃って以て聞こえしむるを許す。征日本の軍糧を預備し、高麗国に令して二十万石を備えしむ。阿塔海を以て旧に依り征東行中書省丞相とす。丙寅、五衞軍二万人を発して日本を征す。鈔三千錠を発して察罕脳児に於て糧を糴い、以て軍匠に給す。燕南・河北・山東諸郡の去年旱に去るを以て、民に在る税糧は、権めて停めて徴すること勿れ。仍て諭す、「今より管民官、凡そ災傷有るも、時を過ぎて申さず、及び按察司即に行き視ざる者は、皆之を罪す」と。刑部尚書崔彧、時政十八事を言う。詔して中書省と御史大夫玉速帖木児に議して之を行わしむ。上都の回易庫を罷む。丁卯、伯要帯等、烈堝都山・乾山に於て船材を伐つこと凡そ十四万二千有奇、諸軍の貼戸にして年丁に及ぶ者五千人・民夫三千人を起して之を運ばしむ。己巳、太陰軒轅の御女を犯す。諸王也里干・塔納合・奴木赤に金各五十両・金衣襖一を賜う。庚午、平灤の造船は運木の所より遠く、民役に疲るを以て、陽河に徙して之を造らしむ。壬申、御史臺言う、「燕南・山東・河北去年旱災、按察司已に嘗て閲視すれども、中書は奏免せず、民何を以て堪えん。請う、権めて税糧を停めしむ」と。制して曰く「可なり」と。鞏昌按察司を移して甘州に治めしむ。右丞闍里帖木児及び万戸三十五人・蒙古軍にして舟師に習う者二千人・探馬赤万人・水戦に習う者五百人に命じて日本を征せしむ。丁丑、招討楊廷璧を以て宣慰使とし、弓矢鞍勒を賜い、俱藍等国を諭せしむ。己卯、諸軍に命じて舟檝を習わしめ、鈔八千錠を隆興・宣德等処に於て和糴して以て之を贍わしむ。庚辰、太陰南斗に入る。壬午、車駕近郊に畋う。四川の帰附官楊文安を以て荊南道宣慰使とす。広東提刑按察司を改めて海北広東道とし、広西按察司を広西海北道とし、福建按察司を福建閩海道とし、鞏昌按察司を河西隴北道とす。癸未、忽蘭及び塔剌不罕等四千戸を撥して皇太子位下に隷せしむ。壬戌、禿烈禿等の富戸内に勅して牛六百頭を貸し、乞里吉思の貧乏なる者に給す。
三月丁巳、諸王勝納合児が王府官三員を設置す。万戸不都蛮を以て金歯を鎮守せしむ。女直の日本出征船造作を罷む。河西行御史臺を罷む。鞏昌等処行工部を立つ。福建市舶総管府を罷め、提挙司を存す。泉州行省を福建行省に併合す。福建の帰附後に未だ徴せざる苗税を免ず。闊闊你敦を以て江淮行省を治めしむ、或いは其の過ちを言う、兀奴忽帯・伯顔を命じて之を輔けしむ。戊午、新附の洞蛮酋長を以て千戸と為す。己未、歳星鍵閉を犯す。京兆行省を罷め、行工部を立つ。御史臺臣言う、「平灤に造船し、五台山に寺を造り木を伐り、及び南城に新寺を建つるは、凡そ四万人を役す、之を罷むるを乞う」と。詔す、「木を伐り寺を建つるは即ち之を罷めよ、造船の一事は、其れ省臣と議せよ」と。前後衛軍の自ら日本征伐を願う者は、命じて五衛漢軍千余を選び留め、其の新附軍は悉く行かしむ。庚申、太陰井を犯す。辛酉、諸王合班の弟忙兀帯の所部軍士の戦功を賞し、銀鈔・幣帛・衣服各差有り。甘州戍軍に鈔を給す。壬戌、太陰鬼を犯す。乙丑、兀奴忽魯帯を命じて揚州に往き囚を録し、江北の重囚を遣わして日本征伐に謫す。雲南按察司を立て、行省の文巻を照刷す。淮安等処の淘金官を罷め、惟だ戸を計りて金を取る。阿合馬の綿絹絲線を以て貧民工匠に給す。王傅兀訥忽帖只に印を給す。西川・福建・両広の之に任ずる官に駅馬を給す。湖南宣慰使張鼎新・行省参知政事樊楫等が嘗て阿里海牙に阿附せしを以て、勅して之を罷む。丙寅、車駕上都に幸す。江西行省参政完顔那懷、越例の驟陞及び妄りに一百九十八人を挙げて官に入るるに坐し、之を罷む。河西辦課提挙司を罷む。丁卯、蒙古監察御史六員を増置す。己巳、歳星房を犯す。癸酉、歳星房を掩す。広州新会県の林桂方・趙良鈐等、衆を聚め、偽りに羅平国と号し、延康の年号を称す、官軍之を擒え、誅に伏し、余党悉く平ぐ。乙亥、諸処の役夫を罷む。阿塔海を遣わして曲先を戍し、漢都魯迷失に甘州新附軍を帥いて斡端に往かしむ。己卯、各衛軍の出征馬価鈔を給す。辛巳、畏吾児四処の駅及び交鈔庫を立つ。壬午、太一を祀る。福建道宣慰司を罷め、復た行中書省を漳州に立て、中書右丞張惠を以て平章事と為し、御史中丞也先帖木児を以て中書左丞と為し、並びに行中書省事を行わしむ。迷里札蛮・合八失に鈔を賜う。八魯怯薛・八剌合赤等の貧乏を賑う。皇子北平王の所部に馬牛羊を賜う各差有り。
夏四月丙戌、別十八里・和州等処宣慰司を立つ。庚寅、薬剌海に勅して亦奚不薛を戍守せしむ。都元帥也速答児、亦奚不薛より還り、軍を成都に駐め、入見を求め、之を許し、仍人を遣わして険隘を屯守せしむ。侍衛親軍二万人を以て日本征伐を助けしむ。辛卯、枢密院臣言う、「蒙古侍衛軍の新城等処に於ける屯田は、砂礫にして種すべからず、良田に改めて撥すを乞う」と。之に従う。壬辰、阿塔海、軍官にして舟楫に習う者を求め日本に同征せしむ、元帥張林・招討張瑄・総管朱清等を行かしむ。高麗王を以て行省を領し、日本事宜を規画せしむ。甲午、江南諸道医学提挙司を減じ、四省各其の一を存す。京畿の括る所の豪勢田の旧税三の二・新税三の一を免ず。高麗国王王賰、蒙古人を以て行省事を行わんことを請う。近侍の人の為に官を求め、選法を紊らしむるを禁ず。酒禁を厳に申し、私造有る者は、財産・女子を官に没し、犯人を配役す。私塩の禁を申し、按察司に塩司を糾察せしむるを許す。己亥、太陰房を犯す。壬寅、太陰南斗を犯す。癸卯、高麗国王王賰に征東行中書省左丞相を授け、仍駙馬・高麗国王と為す。乙巳、枢密院に命じて軍官を集め日本征伐事宜を議わしむ、程鵬飛賞罰を明らかにするを請い、功有る者は軍前に憑験を給し、班師の日に俟って改授せしむ、之に従う。庚戌、右丞也速帯児、筠連州・定州・阿永・都掌等処の蛮を招撫す、独山都掌蛮降らず、進軍して之を討ち、酋長得蘭紐を生擒し、遂に班師す。大都の造る所の回回砲及び其の匠張林等を発し、征東行省に付す。辛亥、日本征伐に因り、後衛軍に衣甲を給し、及び大名・衛輝新附軍に鈔を給す。麦朮丁等、万億庫を検覈し、罪を以て監繫する者多きを以て、蒙古人に付して治めしむるを請う。有旨、「蒙古人利に汨せられ、亦往日に異なり、其れ任すべき者を択びて之を使え」と。
六月丙戌、私に金銀を易えるの禁を厳に申す。甘州行省参政王椅を以て中書参知政事と為す。大都及び平灤路の今年の絲料を免ず。江南の遷転官にして任に之かざる者はこれを杖ち、受けし宣勅を追奪す。戊子、日本を征するに因り、民間騒動し、盗賊窃発す。忽都帖木児・忙古帯、益兵を乞うて寇を禦わんとす。詔して興国・江州の軍をこれに付す。己丑、官吏の俸給を増す。庚寅、市舶抽分の例を定む。舶貨精なる者は十分の一を取り、粗なる者は十分の五(の一)を取る。五衛軍人を差し、行殿の外垣を修築す。諸王忽牙都に命じ、断事官を設けしむ。丙申、軍を発して大都城を修完す。辛丑、軍を発して堤堰を修築す。戊申、伯顏等の言を用い、括する所の宋の手号軍八万三千六百人、牌甲を立て官を設けてこれを統べ、仍て衣糧を給す。庚戌、叛賊陳吊眼の叔陳桂龍を憨答孫の地に流す。辛亥、四川行省参政曲立吉思等、九溪十八洞を討平す。その酋長を闕に赴かしめ、その地を定めて州県を立て、順元路宣慰司の節制を聴かしむ。向世雄等を以て又巴諸洞安撫大使及び安撫使と為す。
秋七月癸丑朔、建寧路の至元十七年前未納の苗税を蠲す。丙辰、骨嵬の軍賦を免徴す。阿塔海の造る所の征日本船は宜しく少しくこれを緩むべく、拘むる所の商船はその悉く給還すべしと諭す。阿里沙、虚言を以て衆を惑わすに坐し誅さる。太白井を犯す。丁巳、捏古帯等に珠衣を賜う。庚申、軍を調べて雲南の戍を益す。丙寅、亦奚不薛宣慰司を立て、兵を益して戍守す。雲南の驛路を開く。亦奚不薛の地を分かちて三と為し、官を設けてこれを撫治す。癸亥、太陰南斗を犯す。乙丑、太白井を犯す。丁卯、淮南淘金司を罷め、その戸を民籍に還す。庚午、熒惑司怪を犯す。新附官周文英入見す。その贄礼銀一万両・金四十錠、鉄木児不花匿めて己が有と為す。詔して即ちその家を搜閲し、官帑に没入す。阿合馬の婦翁尚書蔡仲英を捕うるを勅し、貸す所の官鈔二十万錠を償わしむ。阿八赤・姚演、神山橋渠を開くに、官鈔二千四百錠を侵用し、糧米七十三万石を折閲す。詔して償わしめ、仍てその罪を議す。壬申、亦奚不薛軍民千戸宋添富及び順元路軍民総管兼宣撫使阿里等来降す。師を班し、羅鬼酋長阿利及びその従者をして入覲せしむ。亦奚不薛総管府を立て、阿里を命じて総管と為す。丙子、江南十道宣慰司の官一百四十員を九十三員に減ず。上都の商税六十分の一を取るを勅す。大都・平灤両路の今年の俸鈔を免ず。総教院を立て、秩正三品。丁丑、按察司に命じ、吐蕃宣慰司の文巻を照刷せしむ。鋪軍を立てて淮西の盗賊を捕わしむ。淮東宣慰同知宋廷秀、私に軍四十人を役し、杖してこれを罷む。庚辰、忽都帖木児等の軍の貧乏に給し、怯児合思等の羊馬価鈔を償う。
八月癸未、明理察を以て平章軍国重事と為し、公事を商議せしむ。懐来淘金所を立てる。甲午、大名・真定・北京・衛輝四路に屯駐する新附軍に勅し、東京に於いて屯田せしむ。安南国使いを遣わし方物を以て入貢す。丙午、太白軒轅を犯す。丁未、歳星鈎鈐を犯す。浙西道宣慰使史弼言う、「頃に日本を征する船五百艘を諸の民間に科す。民これに病む。宜しく阿八赤の所有する船を取り、修理して阿塔海に付すべし。庶くは民力を寬げ、併せて鈔を沿海に給し水手を募るべし」と。これに従う。済州の新開河成る。都漕運司を立てる。庚戌、還役の宿衛軍を賞す。皇子北安王の部する所の軍に鈔・羊馬を賜う。
九月壬子、太白星が軒轅の少女星を犯す。戊午、合剌帶らが象山県の海賊尤宗祖ら九千五百九十二人を招き降し、海道はこれにより寧かとなる。太陰星が斗宿を犯す。壬戌、黎兵を徴発し日本征討に同行させる。丙寅、古答奴国が商人阿剌畏らを通じて来朝し、自ら帰順を願い出る。占城行省と荊湖行省を一つに併合する。旧城の市肆局院を移し、税務を全て大都に収め、税額を四十分の一に減ずる。朱雲龍の漕運の功を賞し、七品総押を授け、なお幣帛を与える。己巳、太白星が右執法星を犯す。辛未、豊作の年であるため、諸路の酒禁を解く。広東で賊が蜂起し、兵一万人を派遣して討伐させる。壬申、太陰星が井宿を掩蔽す。癸酉、熒惑星が鬼宿を犯す。甲戌、太陰星が鬼宿を犯し、熒惑星が積尸気を犯し、太白星が左執法星を犯す。戊寅、史弼が盗賊鎮圧の策を上奏し、首謀者及び同謀者は死罪とし、残りは淮上で屯田させよと、帝はその言を是とする。詔してその事を史弼に委ね、賊党は内陸で耕作させ、その妻子は京師に送り鷹坊の人々に給せしむ。
冬十月庚寅、日本征討の新附軍に鈔三万錠を与える。壬辰、車駕が古北口路より上都より還幸す。癸巳、斡端宣慰使劉恩が嘉禾を献上す。同じ穂に九本、七本、六本の穂がついたものが各一つ。甲午、平章政事札散を樞密副使とする。詔す:「五衞軍は、毎年冬十月にその半数を帰郷させ資装を整えさせ、正月に交代して残りの半数を帰し、四月に全員が役務に就くこととせよ。」時に各衞は先に七人を派遣し、三人を交代要員とすることを議し、これに従う。乙未、太廟にて饗宴を挙行す。丙申、太陰星が昴宿を犯す。丁酉、占城より逃げ帰った兵士を誅す。忙兀帶が蒙古・漢軍の辺境戍兵を増員するよう請い、これに従う。忽都忽に揚州行省の唆都が新たに増やした軍を総轄させる。庚子、阿速帶の軍に兄弟による代役を許す。建寧路管軍総管黄華が叛き、その勢い数十万、頭陀軍と号し、偽って宋の祥興五年と称し、崇安・浦城等の県を犯し、建寧府を包囲す。詔して卜憐吉帶・史弼らに兵二万二千人を率いて討伐平定させしむ。耶律鑄を罷免す。壬寅、東阿から御河までの水陸駅を設置し、物資輸送を便利ならしむ。済州の潭口駅を新河の魯橋鎮に移す。甘州の硫黄を納めた貧困戸に鈔を与える。癸卯、諸王只必帖木児が常徳府の分地の民戸を検閲することを請うが、許さず。中書省の臣が言う:「阿八赤が新たに開削した二箇所の河川には、いずれも倉があり、小船を造り海運を分担させるのが宜しい。」これに従う。中書省の臣が言う:「押亦迷失はかつて江南諸郡に諭し、人を募って淮南の田を耕させるよう請うた。今になって各郡を巡り民戸を徴発している。行省官の闊闊你敦がその不便を言う。治所において募るよう命じ、民を強制すべからず。」これに従う。戊申、水達達の鰥寡孤独者に絹千匹・鈔三百錠を与える。和林に平準庫を設置す。官吏を派遣して都益の淘金における不正を検査せしむ。中興の管課提挙司及び北京の塩鉄課程提挙司を廃止す。己酉、河西の質子軍で成年に達した者を徴発して軍に充てる。庚戌、各道の提刑按察司に判官二員を増設す。
十一月壬子、太不花・脱歡らの戦功を銀幣で賞す。癸丑、総管陳義が自ら海船三十艘を準備して征討に備えたいと願い出る。詔して義に萬戸を授け、虎符を佩かしむ。義は初め五虎と名乗り、海賊より身を起こし、内附後、その兄は招討となり、義は総管となった。勅して、凡そ盗賊は必ず管民官が審問すべく、なお私的に和解することを許さず。丁巳、各省に授時暦を印刷させることを命ず。諸王只必帖木児が分地の二十四城において自ら管課官を設置することを請うが、従わず。また拘榷課税所を設置することを請う。その長官は都省が定め、次官は王府が差し出すこととし、これに従う。詔す:「大都の田地は全て税を納めさせよ。甘州の新たに検出した田地は、一畝につき租三升を納めよ。」己未、吏部尚書劉好禮が吉利吉思の風俗事情を上奏す。壬戌、南京宣慰司を再設置す。乙丑、開成路屯田総管府を廃止して開成路に併合し、京兆宣慰司に隷属させる。戊辰、司農司を設置し、官田・邸舎・人民を管掌せしむ。諸王の所部たる撒合児・兀魯らに羊馬を与え、その困窮を救済す。河西の官府に漢人を参用す。甘粛沙州の民戸を移して旧業に復せしむ。大都の城門に門尉を設置す。丁丑、雲南の管課官が定額外に余分の銭を徴収することを禁ず。戊寅、雲南の権勢者が過剰な債利を取ることを禁じ、なお人口を没収して奴隷とすること、及びその顔面に黥刑を加えることを禁ず。太白星と歳星が互いに犯す。己卯、諸王朮白・蒙古帶らの請いに従い、也禿古らに銀鈔を賞与し、その戦功を顕彰す。皇太子に鈔千錠を賜う。御史臺の贓罰鈔を怯憐口に賜う。
十二月庚辰朔、諸王渾都帖木児に衣物を賜い、忽都児の所部の軍に銀鈔幣帛を賜う。甲申、別速帶の所部の軍に衣服幣帛七千・馬二千を賜う。西番の軍官愛納八斯らの戦功を賞す。辛卯、茶忽の管轄する軍六千人を日本征討に備えさせる。壬辰、諸王阿只吉に牛の代価を与える。中書参議温迪罕禿魯花が清廉で貧しく、権勢に阿附しないとして、鈔百錠を賜う。女直の産出する金銀の禁令を解除す。甲午、上都において和糴のため鈔四万錠を与える。司閽の衛士の貧しい者に、一人あたり鈔二十錠を与える。辛丑、諸王昔烈門らに銀を賜う。海道運糧招討使朱清を中萬戸とし、虎符を賜う。張瑄の子文虎を千戸とし、金符を賜う。新附の官人を内郡に転任させる。蠡州を真定府路に再び隷属させる。癸卯、穀物を発して水達達の四十九駅を救済す。甲辰、太陰星が熒惑星を掩蔽す。丙午、雲南の金箔製造販売を管理する規措所を廃止す。雲南都元帥府及び重複して設置された官吏を廃止す。質子の法令を定め、凡そ大官の子弟は京師に派遣せしむ。戊申、雲南施州の子童が兵を興して乱を起こす。勅して参知政事阿合八失に兵を率いさせ、羅羅斯の脱児世と合流してこれを討伐させ、布一万匹を与える。女直の飢民一千戸を救済す。
この年、死刑罪を断ずること二百七十八人。