元史

本紀第十一: 世祖八

十七年春正月癸卯朔、高麗国王王賰がその僉議中賛金方慶を派遣して来朝賀し、兼ねて歳貢を奉じた。丙午、万戸綦公直に命じて別失八里を戍守させ、鈔一万二千五百錠を賜う。辛亥、磁州・永平県に水害あり、鈔を与えてこれを貸与す。丙辰、遷転官員の法を立てる。凡そ過失なき者は現闕を授け、物故及び過犯ある者は選人を以てこれを補い、満代の者は家に還らしめて待たしむ。また諸路の差税課程を定め、増益する者は即時に上報し、隠漏する者はこれを罪し、畝を履んで税を増すを須いず、以て百姓を揺るがさしむ。江淮の銅及び銅銭・銅器を括ることを詔す。辛酉、海賊賀文達の掠めたる良婦百三十余人をその家に還す。広西廉州の海賊霍公明・鄭仲龍等を誅す。甲子、泉州行省に勅し、所轄の州郡の山寨で未だ即時に帰附せざる者は兵を率いてこれを抜き、既に抜きて復た叛く者はこれを屠れ。総管張瑄・千戸羅璧が宋の二王を収める功あり、瑄を沿海招討使に陞叙し、虎符を賜う。璧を管軍総管とし、金符を賜う。丁卯、近郊に畋猟す。侍衛軍を以て工匠の役に供するなきを詔す。戊辰、相威に勅して阿里海牙・忽都帖木児等の俘虜としたる丁三万二千余人を検覈せしめ、併せて民と為して放免す。行中書省を福州に置く。徳慶府を総管府に改む。開灤河五衛軍に鈔を賜う。

二月乙亥、張易言う、「高和尚に秘術あり、鬼を役して兵と為し、遥かに敵を制すべし」と。和礼霍孫に命じて兵を将い高和尚とともに北辺に赴かしむ。丙子、北京道に二駅を立てる。丁丑、答里不罕、雲南行省軍を以て定昌路を攻め、総管谷納を擒えてこれを殺す。答里不罕を還らしめ、阿答を以てこれに代うることを詔す。遠方の帰附人に非ざる者は会同館に入るなきを勅す。納速剌丁に精兵一万人を将いて緬国を征せしむることを詔す。乙酉、納速剌丁の部の征金歯の功を賞し、銀五千三百二十両を賜う。己丑、梅国賓に命じてその父応春の瀘州安撫使の職を襲わしむ。瀘州嘗て叛き、応春は前重慶制置使張珏に殺さる。国賓、闕に詣でて冤を訴う。珏を国賓に与え、その父の讐を復せしむることを詔す。珏時に京兆に在り、これを聞きて自経死す。国賓、瀘州軍民の俘虜と為る者の贖還を請う。これに従う。日本国、国使杜世忠等を殺す。征東元帥忻都・洪茶丘、自ら兵を率いて往き討たんことを請う。廷議、姑くこれを少しく緩む。丙申、真人祁志誠等に諭し、道蔵の偽妄の経文及び板を焚毀せしむることを詔す。庚子、阿里海牙及び納速剌丁、緬国及び洞蛮の降臣を招く。軍前に就いてその功を定めて録し以て聞かしむることを詔す。江淮行省左丞夏貴、老を請う。これに従い、仍ってその子孫に官す。合剌の所部の和州等の城で叛兵に掠められたる者に、鈔を賜ってこれを給し、仍ってその民の差役を三年免ず。侍衛軍三千を発して通州の運糧河を浚う。河西界に居る畏吾戸に、その屯田を令す。辛丑、広中の民聊生せざるを以て、右丞塔出・左丞呂師夔を召し、廷に詰して民を壊すの由を問う。也的迷失・賈居貞に行宣慰司を為して往きこれを撫せしむ。師夔至るも、廷弁に験無し、復た省に還り治事せしむ。諸奥魯において王相府に馬二万六千三百匹を市わしむることを詔す。使を遣わして岳瀆を代祀す。諸王阿八合・那木干の所部及び征日本行省阿剌罕・范文虎等に西錦衣・銀鈔・幣帛を各差有りて賜う。また四川の貧民及び兀剌帯等に馬牛羊の価鈔を賜う。

三月癸卯、福建の王積翁に命じて入り省事を領せしむ。中書省臣以て不可と為す。戸部尚書に改む。甲辰、車駕上都に幸す。思・播州の軍、鎮遠・黄平の界を侵す。李徳輝等に命じて往きこれを視せしむ。通政院官の任に勝たざる者を罷む。丙午、東西両川に勅して蒙古・漢軍を発し魚通・黎・雅を戍守せしむ。乙卯、都功徳使司を立て、従二品とし、帝師の統ぶる所の僧人並びに吐蕃軍民等の事を掌りて奏す。己未、羅氏鬼国を討つことを詔し、蒙古軍六千、哈剌章軍一万、西川の薬剌海・万家奴の軍一万人、阿里海牙の軍一万を以て、三道並びに進ましむることを命ず。癸亥、高郵等の処飢饉あり、粟九千四百石を賑恤す。辛未、畏吾境内に交鈔提挙司を立てる。月脱古思八部の屯田に牛具を給す。忙古帯等に羊馬及び皇子南木合の下に羊馬の価を賜う。

夏四月壬申朔、中書省臣言う、「唆都の軍士民を擾わす、故に南剣等路の民復た叛く。及び忙古帯往きこれを招徠するに及び、民始めて安んずることを獲たり」と。忙古帯を以て仍に行省福州せしむることを詔す。癸酉、南康の杜可用叛く。史弼に命じてこれを討ち擒えしむ。杭州宣慰司の官四員を定め、游顕・管如徳・忽都虎・劉宣を以てこれに充つ。丙子、隆興路の楊門駅を復た懐安県と為す。庚辰、四川宣慰使也罕的斤、海青符を賜わんことを請う。二符を以てこれに給することを命ず。壬午、史弼朝に入る。乙酉、宋の太常楽を太常寺に付す。泗州霊壁県を改めて仍び宿州に隷せしむ。丁亥、杭州路金玉総管府を立てる。甲午、軍戸の貧乏なる者を民籍に還すことを勅す。丙申、羅佐山の道梗まるを以て、阿里海牙に勅して軍千人を発して戍守せしむ。隆興・泉州・福建に三省を置く不便なるを以て、廷臣に命じて集議して以て聞かしむ。己亥、諸王只必帖木児、各投下に官を設けんことを請う。従わず。庚子、歳星軒轅の大星を犯す。百官の俸を権停することを勅す。寧海・益都等四郡霜、真定七郡蟲、皆桑を損ず。

五月辛丑朔、枢密院兵六百を調えて居庸の南・北口を守らしむ。甲辰、行宮を察罕脳児に作る。丙午、沙州を路に陞す。癸丑、沙州の戸丁を括り、常賦を定め、その富戸の余田は戍守する漢軍に耕種せしむ。雲南行省に詔して四川軍一万人を発し、薬剌海に命じてこれを領し、前に遣わしたる将とともに緬国を征せしむ。高麗国王王賰、民の飢饉を以て、糧万石を貸さんことを乞う。これに従う。福建行省を泉州に移す。甲寅、汀・漳の叛賊廖得勝等を誅す。船三千艘を造り、躭羅に勅して材木を発してこれに給せしむ。庚申、諸王別乞帖木児に銀印を賜う。辛酉、国師掌教所に印を賜う。伯顔の将士の戦功を賞し、銀二万八千七百五十両を賜う。真定・咸平・忻州・漣・海・邳・宿諸州郡蝗。

六月辛未朔(一日)、忽都帯児に闌遺(逃亡・遺棄)の人民と牛畜を収籍させ、荒地を割いて屯田を行わせる。壬申(二日)、再び占城国を招諭する。丁丑(七日)、唆都の部下の顧総管が海道で党を集めて商貨を劫奪し、范文虎がこれを招降したが、再び法に置くことを議する。文虎らに集議してこれを処置せしむ。阿答海らが江南に立てた税課提挙司の廃止を請うが、阿合馬が力爭し、詔して御史台に官を選び検覈させ、実情を具して奏聞せしむ。阿合馬が大宗正府の設置を請う。上都の奥魯官を廃し、留守司に奥魯の事を兼管させる。(西安)〔安西〕王薨ず、その王相府を罷む。呂告蛮部安撫使王阿済を遣わし、万戸昝坤とともに羅氏鬼国を招諭せしむ。壬辰(二十二日)、范文虎を召して日本征討を議す。戊戌(二十八日)、高麗王王(睶)〔賰〕、その将軍朴義を遣わして方物を貢ぐ。江淮等処に鈔法を頒行し、宋の銅錢を廃す。不魯合答らを遣わして江淮行省の阿里伯・燕帖木儿の銭穀を検覈せしむ。泗州を改めて淮安路に隷属させる。忽烈禿・忽不剌ら将士で力戦した者に銀鈔を賜い、また折可察児ら軍士に羊馬の価鈔を給すること各差あり。

秋七月辛丑(一日)、広東宣慰使帖木児不花言う、「諸軍官は一例に遷転すべし。江淮の郡県では、首乱者は誅し、その家を没収すべし。官豪が佃民を隠庇し徭役を供せざるは、別に籍を立てるべし。各万戸の軍が交参して重役に服するは、元の翼に発還すべし。」と。詔して中書省・枢密院・翰林院に集議して奏聞せしむ。思州安撫司に旧治に還ることを敕す。戊申(八日)、太陰房距星を掩う。高麗国が初めて駅を設置し、站民が食に乏するをもって、命じて一歳分の糧を給す。なお使臣の往来に飲食を求索せざるを禁ず。己酉(九日)、京兆に行省を立て、以前の安西王相李徳輝を参知政事とし、銭穀の事を兼領せしむ。泉州行省を隆興に移す。禿古滅の軍が火拙畏吾城の禾を劫掠して食し、民飢うるをもって、官に駅馬の費用を給せしめ、なおその賦税を三年間免ず。太陰南斗を犯す。甲寅(十四日)、衛兵八百を発して沙嶺橋を治め、民田を践むなかれと敕す。戊午(十八日)、阿合馬の言に従い、参知政事郝禎・耿仁をともに中書左丞となす。姚演の言を用い、膠東河を開き、また逃民を收集して漣・海に屯田せしむ。甲子(二十四日)、安南国王子倪を還す。蒙古軍の成丁者を徴発する。亦来らに率いて万人を羅氏鬼国に入らしめ、もし帰附せざれば則ち討伐に入らしむ。乙丑(二十五日)、江南財賦総管府を罷む。丁卯(二十七日)、大都塩運司を河間に併せて一つとし、なお冗員を減汰す。建康の民二万戸を割きて稲を植えさせ、歳に醸米三万石を輸送し、官がこれを京師まで運送す。戊辰(二十八日)、詔して以前に軍に従わんと願った者及び張世傑の潰軍を徴発し、日本征討に赴かしむ。范文虎らに命じて罪を避けて宋に附した蒙古・回回等の軍を招集せしむ。己巳(二十九日)、中使咬難を遣わして江南の名山を歴訪して高士を求めしめ、かつ命じて香幣を持たせて信州龍虎山・臨江閣皂山・建康三茅山に詣り、皆で醮を設けしむ。阿赤黒ら及び怯薛都らに戦功の銀鈔を賜う。散毛等洞を招收した官吏に衣段を賜う。

八月庚午朔(一日)、蕭簡ら十人が河南五路を歴訪し、みだりに闌遺戸を招く。事覚え、その首謀者を軍に従わせて自ら効わせ、残りは皆これを杖す。乙亥(六日)、蒙古侍えい総管〔府〕を蒙古侍衞親軍都指揮使司に改む。丙子(七日)、太陰心東星を犯す。丁丑(八日)、唆都が三仏斉等八国を招くことを請うが、従わず。南剣路を鎮守する万戸呂宗海が兵を窃んで亡去す、詔してこれを追捕す。戊寅(九日)、占城・馬八児国皆使いを遣わして表を奉り臣と称し、宝物犀象を貢ぐ。以前に徴発した軍に従わんと願う者を軍とし、茶忽に付してこれを領せしめ、日本を征討せしむ。丁亥(十八日)、許衡致仕し、その子師可を懐孟路総管として官し、もって侍養に便ならしむ。碧玉盞六・白玉盞十五を太廟に納む。癸巳(二十四日)、西平王の部に糧を賜う。戊戌(二十九日)、高麗王王(睶)〔賰〕来朝し、かつ将に兵三万を益して日本を征討せんとすと言う。范文虎・忻都・洪茶丘を中書右丞とし、李庭・張抜突を参知政事とし、ともに中書省事を行わしむ。闊里吉思らに鈔を賜い、迷里兀合らに羊馬を賜い、怯魯憐らに牛羊馬の価を賜い、及び東宮位下の怯憐口らに粟帛を賜う。大都・北京・懐孟・保定・南京・許州・平陽旱魃、濮州・東平・済寧・磁州水害。

九月壬子(十三日)、車駕上都より至る。壬戌(二十三日)、也罕的斤、斡端征討に進む。癸亥(二十四日)、命じて沿途で和林からの帰還軍に食糧を給せしむ。甲子(二十五日)、太陰右執法を掩い併せて歳星を犯す。乙丑(二十六日)、庫を守る軍が庫鈔を盗み、八剌合赤がその贓を分け、盗賊を遁走させしむ、詔してこれを誅す。丁卯(二十八日)、羅氏鬼国主阿察及び阿里降伏す、安西王相李徳輝が人を遣わしてともに入覲せしむ。八剌合赤らに羊馬の価二万八千三錠を賜い、及び禿渾の下の貧民に三月分の糧を賜う。

冬十月庚午(二日)、塔剌不罕の軍で賊と力戦した者に、命じて田を与えて賞す。癸酉(五日)、高麗国王王(睶)〔賰〕に開府儀同三司・中書左丞相・行中書省事を加える。甲戌(六日)、使いを遣わして開元等路の軍三千を徴発し日本を征討せしむ。丙子(八日)、雲南王忽哥赤に印を賜う。丁丑(九日)、湖南の兵一万をもって亦奚不薛を伐たしむ、亦奚不薛降伏す。戊寅(十日)、兵十万を発し、范文虎にこれを将せしむ。右丞洪茶丘の将いる征日本新附軍に鈔及び甲を賜う。辛巳(十三日)、営田提挙司を立て、従五品とし、柳林に司を置かしめ、諸色の戸千三百五十五を割きてこれに隷属させ、官が牛・種・農具を給す。壬午(十四日)、詔して陝西四川等処行中書省を立て、不花を右丞とし、李徳輝・汪惟正をともに左丞となす。時に徳輝は既に卒す。甲申(十六日)、詔して龍虎山の天師張宗演を闕に赴かしむ。己丑(二十一日)、都実に命じて黄河の源を窮めしむ。辛卯(二十三日)、漢軍をもって沙・甘に屯田せしむ。壬辰(二十四日)、亦奚不薛病み、その従子を遣わして入覲せしむ。帝曰く、「亦奚不薛は命を稟せず、すなわち職をその従子に授くは、人臣の礼なし。宜しく亦奚不薛を出ださしめ、乃ち軍を還すべし。」癸巳(二十五日)、詔して和州諸城に諭し、流移の民を招集せしむ。丙申(二十八日)、命じて官にある者、任事一月の後、月を経て乃ち俸を給し、或いは事を(発)〔廃〕する者はこれを斥く。使いを遣わして爪哇国及び交趾国を諭す。象轎の製作を始む。怯烈らに糧を給す。火察の家の貧乏なる者に賜う。

十一月己亥朔(一日)、翰林学士承旨和礼霍孙らが言うには、「俱藍・馬八・闍婆・交趾などの国はいずれも使者を遣わして表を進上し、詔書を賜わることを乞うている」と。これに従い、さらに交趾の使者に職名と弓矢・鞍勒を賜う。詔を降して爪哇国を招諭する。乙巳(七日)、泉府司を設置し、御位下および皇太子・皇太后・諸王の金銀出納を掌領させる。別に局院を設けて童匠を収容し、貧乏な者には鈔幣を与えるよう勅する。詔して「罪有って配役に処せられる者は、その路程の遠近を量り、犯罪して死に当たる者は、詳しく審讞を加えよ」と。戊申(十日)、中書省臣が議するに、「鈔法を流通させるには、賞賜には多く幣帛を与え、課程(税)は多く鈔を収めるべきである」と。制して「可」とす。庚戌(十二日)、和礼霍孙に命じて交趾国使を選別淘汰させ、留めるべきもののほかは、残りは皆放還させる。辛亥(十三日)、工役の営建を緩めるよう勅する。壬子(十四日)、詔して俱藍国使に帰附するよう諭す。甲寅(十六日)、太原路堅州が嘉禾六茎を進める。壬戌(二十四日)、詔して江淮行中書省に巧匠を徴発させる。甲子(二十六日)、詔して授時暦を頒布する。丁卯(二十九日)、詔して末甘孫の民が貧しいため、倉站税課を除き、その役を三年間免除する。再び宣慰使教化・孟慶元らを遣わし、詔を持って占城国主を諭し、その子弟あるいは大臣を入朝させる。詔して江南・江北・陝西・河間・山東の諸塩場に竈戸を増加して割り当てる。将作院の呂合剌に工匠の銀鈔・幣帛を賜う。

十二月庚午(二日)、江淮行省平章政事阿里伯・左丞燕鉄木児が命官八百員を擅りに改易し、左右司官を自分で分け、銀・銅印を鋳造し、さらに命に違って防守軍を解散させなかったことを以て、誅するよう勅する。辛未(三日)、熟券軍を以て襄陽に還し屯田させる。高麗国王王賰が兵一万人・水手一万五千人・戦船九百艘・糧十万石を率いて日本を出征する。右丞洪茶丘らに戦具・高麗国の鎧甲戦襖を与える。諸道の日本征討兵が高麗を経由するよう諭し、その民を擾らさぬようにする。高麗の中賛金方慶を征日本都元帥とし、密直司副使朴球・金周鼎を管高麗国征日本軍万戸とし、ともに虎符を賜う。癸酉(五日)、高麗国王王賰を中書右丞相とする。甲戌(六日)、征日本軍官に元の佩用していた虎符を再授する。丁丑(九日)、忽辛の言を用い、民が站役に当たる場合、十戸を単位とし、官が一馬を与え、死んだら馬を買って補う。戊寅(十日)、奉使木剌由国の速剌蛮らを招討使とし、金符を佩かせる。己卯(十一日)、羅氏鬼国で土寇が患いとなり、思州・播州の道路が不通となったため、兵千人を発して洞蛮とともに道を開かせる。甲申(十六日)、甘州に站戸を増設し、詔して諸王戸籍内から徴発する。乙酉(十七日)、役を避けて匠戸の名を潜り込ませた民を再び民籍に戻すよう勅する。淮西宣慰使昂吉児が軍士による屯田を請う。阿塔海らが民兵を発動するのは適当でないとし、耕作を願う民を募って耕させ、かつその租を三年間免除すべきとし、これに従う。丁亥(十九日)、再び詔して管民官に諸軍の奥魯(家族・財産管理)を兼管させる。戊子(二十日)、征也可不薛の軍千五百人を再び塔海に還し、八番・羅甸を戍守させる。壬辰(二十四日)、陳桂龍が漳州に拠って反し、唆都が兵を率いてこれを討つ。桂龍は畬洞に逃亡する。甲午(二十六日)、大都で太廟の再建が完成し、旧廟から神主を祏室に奉遷し、大享の礼を行う。畏吾境に鎮北庭都護府を設置し、脱脱木児らにその事を領させる。丙申(二十八日)、遼東路で増員した兵が妻子を以て馬と交換したため、合うべき賦税を納めてこれを贖い戻すよう勅する。帝師八合思八の新訳戒本五百部を彫板印造し、諸路の僧人に頒降するよう勅する。左丞相阿朮が西辺を巡歴し、別十八里に至って病没する。江南の逃亡民の田を擅に占拠する者を罪有りとすよう勅する。桐柏山の淮瀆祠を修復する。三茅山の上清四十三代宗師許道杞が祈祷に験有りとし、別に道教を主掌させる。安南国が馴象を貢ぐ。蛮洞の主に銀鈔・衣物を差等有って賜う。鞏昌・常德等路の飢民を賑恤し、なおその徭役を免除する。拱衛司を都指揮司に改める。尚舎監の秩を三品に昇格する。太倉提挙司を立て、秩五品とする。建寧・雷州・封州・廉州・化州・高州を路に改める。肇慶路を広南西道に隷属させる。峡州路を江北の旧治に遷す。再び鄣県を置き、鞏昌路に隷属させる。宿州霊壁県を再び帰徳に隷属させる。

この年、死罪を断ずること百二人。

十八年春正月戊戌朔(一日)、高麗国王王賰がその僉議中賛金方慶を遣わして来賀し、兼ねて歳幣を奉ず。辛丑(四日)、阿剌罕・范文虎・囊加帯を召し同赴闕して訓諭を受けさせ、抜都・張珪・李庭を留後とする。忻都・洪茶丘の軍に陸行で日本にいたるよう命じ、兵甲は舟で運び、通過する州県にその糧食を与えさせる。范文虎の言を用い、さらに漢軍一万人を加える。文虎はまた馬二千頭を禿失忽思の軍および回回砲匠に給するよう請う。帝曰く「戦船に何ぞこれを用いん」と。皆従わず。癸卯(六日)、鈔および金銀を発して孛羅に与え、貧民に給させる。丁未(十日)、近郊で狩猟する。江南州郡に蒙古人・回回人を兼用させるよう勅する。諸王位下に設けるべき達魯花赤は、皆赴闕させ、なお詔して諸王阿只吉らにこれを知らしむ。己酉(十二日)、黄州陽羅堡を改めて再び鄂州に隷属させる。辛亥(十四日)、使者を遣わして代わりに嶽瀆后土を祀る。壬子(十五日)、高麗王王賰が使者を遣わし、日本がその辺境を侵犯したので、兵を乞いてこれを追討したいと言う。詔して金州隘口を戍守する軍五百人をこれに付す。丙辰(十九日)、車駕漷州に幸す。符宝局を典瑞監に改め、天下諸司の職印を収める。丁巳(二十日)、制して六祖李全祐に五祖李居寿の祭斗を嗣がせる。癸亥(二十六日)、邵武の民高日新が龍楼寨に拠って乱を為し、これを擒える。忻都らの戦功を賞す。日本征討諸軍に鈔を賜う。

二月戊辰(二日)、侍衛軍四千人を発して正殿を完成させる。日本征討の善射軍および高麗の火長水軍に鈔四千錠を賜う。辛未(五日)、車駕柳林に幸す。高麗王王賰が尚主(公主を娶る)したことを以て、宣命に駙馬の二字を加えて改めることを乞う。制して「可」とす。乙亥(九日)、耽羅で新造した船を洪茶丘の出征に付するよう勅する。詔して刑徒で死刑を減ぜられた者を忻都の軍に付す。揚州で火災があり、米七百八十三石を発して被災の家を賑恤する。范文虎らに日本征討の意を以て諭し、なお軍律を厳しくする。上都留守司を立てる。叙州を路に昇格し、安西省に隷属させる。潭州省の治所を鄂州に移す。湖南宣慰司を潭州に移す。乙酉(十九日)、畏吾の断事官を北庭都護府に改め、秩を従二品に昇格する。丙戌(二十日)、日本国征討軍が出発する。浙東が飢え、粟千二百七十余石を発してこれを賑恤する。己丑(二十三日)、粛州等処の軍民を発して渠を鑿り田を溉ぐ。日本征討軍に衣甲・弓矢・海青符を与える。通政院官渾都と郭漢傑に水駅を整備させ、叙州から荊南まで凡そ十九站、戸二千一百・船二百十二艘を増やすよう勅する。詔して烏瑣・納空らに羅氏鬼国を擾らさぬよう諭し、違反した者は国主阿利に名を具して奏聞させる。福建省左丞蒲寿庚が言うには、「詔により海船二百艘を造ることとなったが、今完成したのは五十艘、民は実に艱苦している」と。詔してこれを止める。乙未(二十九日)、貞懿順聖昭天睿文光応皇后弘吉剌氏崩ず。

夏四月辛未、雲南軍を益し合剌章を征せしむ。癸酉、中外官吏の俸を復た頒つ。辛巳、通・泰二州饑、粟二萬一千六百石を発して之を賑す。戊子、蒙古漢人新附軍總管を置く。甲午、太原の五戸絲を命じて太原に就き輸せしむ。太和嶺より別十八里に至るまで新驛三十を置く。日本を征する河西軍等に鈔を賜ふ。

五月癸卯、西北邊の回回諸人の境を越えて商と為るを禁ず。甲辰、使を遣わし瓜・沙州の饑を賑す。戊申、霍州畏兀按察司を罷む。己酉、甘肅瓜・沙等州に酒を為すを禁ず。壬子、耽羅國の今歳入貢する白紵を免ず。丙辰、烏蒙阿謀宣撫司を以て雲南行省に隷せしむ。歳星右執法を犯す。庚申、人を鬻ぐの禁を厳にし、食を乏くす者は量りて賑貸を加ふ。壬戌、詔して契丹戸を括む。耽羅國達魯花赤塔兒赤に敕し、高麗全羅等處の田獵民を擾はす者を禁ず。

六月丙寅、賽典赤・火尼赤に敕し烏木・拔都怯兒等八處の民戶を分ち管せしむ。謙州の織工百四十二戶甚だ貧し、粟を以て之に給し、其の鬻ぎし妻子は官と為り贖ひ還す。太原新附軍五千を以て甘州に屯田せしむ。丁丑、按察司の劾する所の羨餘糧四萬八千石を以て軍に餉ふ。己卯、順慶路を以て四川東道宣慰司に隷せしむ。安西等處の軍站、凡そ和顧和買は、民と均しく役す。陝西の營田糧十萬石を増し、以て常費に充つ。壬午、耽羅の戍に命じ力田して以て自給せしむ。日本行省の臣使を遣はし来り言ふ、「大軍巨濟島に駐まり、対馬島に至り島人を獲たり。言ふ、太宰府西六十里旧に戍軍有り已に調出して戦ふ、乗虚に之を擣くべし。」詔して曰く、「軍事は卿等自ら之を權衡すべし。」癸未、中書省に命じ姚演の領する漣・海の屯田の官に給する資と歳入の数とを會計せしめ、便なれば則ち之を行ひ、然らずば則ち罷め去らしむ。丁亥、乞赤の招く所の獵戶七千を放ちて民と為す。庚寅、阿剌罕疾有るを以て、詔して阿塔海に軍馬を統率し日本を征せしむ。壬辰、高麗國王王賰言ふ、本國驛四十を置く、民畜凋弊す、敕して併せて二十站と為し、仍馬價八百錠を給す。木剌由國に奉使する苫思丁占城に至り船壞る、人を遣はし来り言ふ、舟糧を給し及び兵を益すことを乞ふ、詔して米一千四百餘石を給す。中書左丞忽都帖木兒を以て中書右丞と為し、中書省事を行はしめ、御史中丞、御史臺事を行ふ忽剌出を中書左丞と為し、尚書省事を行はしむ。皇子南木合の部する所の工匠に羊馬價鈔を賜ふ。

秋七月甲午朔、萬戶綦公直に命じ宣慰使劉恩の将する屯肅州の漢兵千人を分ち、別十八里に入らしめ、嘗て西川を過ぎし兵百人を以て嚮導と為さしむ。丁酉、甘州に和中所を置くを敕し、以て兵糧を給せしむ。京兆四川行省を分ち河西に置く。己亥、阿剌罕卒す。庚子、回回砲手の他郡に散居する者を括め、悉く南京に赴きて屯田せしむ。癸卯、太陰房の距星を犯す。庚戌、忻都の大和嶺に戍る所将の蒙古軍還るを以て、復た漢軍をして戍守せしむ。松州知州僕散禿哥の前後射虎萬計するを以て、號を萬虎將軍と賜ふ。貴赤合八兒禿の招く所の和・真・滁等の戶二千八百二十を賜ひ、俾く自ら之を領せしむ。辛酉、唆都占城を征し、駝蓬を賜ひ以て瘴毒を辟けしむ。占城國来たり象犀を貢す。天師張宗演等に命じ即ち壽寧宮に赤章を天に奏せしむること凡そ五晝夜。

八月甲子朔、招討使方文言す、守令を択び、祀典を崇め、姦吏を戢め、盜賊を禁じ、軍旅を治め、忠義を奬する六事、詔して廷臣及び諸老に議し挙げて之を行はしむ。丙寅、熒惑諸侯西第三星を犯す。庚午、忙古帶を中書右丞と為し、中書省事を行はしむ。辛未、隆興行省參政劉合拔兒禿に敕し、凡そ金穀造作は専ら之を領せしむ。乙亥、甘州凡そ諸投下戶は、民例に依り站役に応ず。大都總管府・兵馬司・左右巡院の民を斂むるの禁を申厳す。庚寅、阿剌罕既に卒するを以て、阿塔海等に命じ三海口を分ち戍らしむ。阿塔海に令し就き海中の餘寇を招かしむ。高麗國王王賰其の密直司使韓康を遣はし来り聖誕節を賀す。壬辰、開元等路六驛の饑を以て、命じて幣帛萬二千匹を給し、其の妻子を鬻ぐ者は官と為り之を贖ふ。詔して日本を征する軍回る、所在の官と為り糧を給せしむ。忻都・洪茶丘・范文虎・李庭・金方慶諸軍、船風濤に激せられ、大いに利を失ひ、餘軍高麗境に回り、十に一二を存す。上都壽寧宮に醮を設く。歡只兀部及び滅乞里等に羊馬價を賜ひ、及び眾家奴等の軍を助くる羊馬鈔を賜ふ。常河部軍の貧乏なる者に賜ひ、西川を過ぐる軍糧を給す。海南諸國来たり象犀方物を貢す。怯薛丹に糧を給し、其の占むる所の田を拘めて屯田と為す。

閏月癸巳朔、熒惑司怪南第二星を犯す。阿塔海乞ふ、三海口に戍る軍を以て福建の賊陳吊眼を撃たんと、詔して重勞を以て従はず。縉山道を守る侍衞軍を敕し京師に還らしむ。壬辰、瓜州屯田瑞麥一莖五穗を進む。丙午、車駕上都より至る。庚戌、太陰昴を犯す。丁巳、播州に命じ毎歳親しく方物を貢せしむ。思州宣撫司を宣慰司に改め、管内安撫使を兼ねしむ。高麗僉議府を従三品に陥す。中書省に敕し執政及び諸司の冗員を減ぜしむ。兀良合帶を遣はし沙城等の糧六千石を運び和林に入らしむ。江南の戶口稅課を括む。庚申、安南國方物を貢す。江西行省兵官を薦挙す、命じて之を罷む。壬戌、詔して斡端等三城の官民及び忽都帶兒に諭し、不闌奚の人口を括ましむ。兩淮轉運使阿剌瓦丁官鈔二萬一千五百錠を盗み坐し、和買馬三百四十四匹を盗み取り、朝廷の宣命を格して頒たず、又以て官員の佩く所の符を擅に家奴に与へ往来貿易等の事を為す、誅に伏す。謙州屯田の軍人に鈔幣・衣裘等の物を賜ひ、及び農具漁具を給す。站匠等の軍を助くる羊馬價を償ふ。

九月癸亥朔(一日)、近郊で狩猟を行った。甲子(二日)、大都の巡邏兵を千人増員した。紙幣を給して上都の飢民を救済した。癸酉(十一日)、商人の市舶貨物で既に泉州で抽分(税)を経たものは、諸処で貿易する際、ただ税を納めるのみとせよ。躭羅の戍兵を増やし、なお高麗国に戦具を給させるよう命じた。庚辰(十八日)、宮中に還った。辛巳(十九日)、大都に蒙古站屯田を設置し、編戸で毎年包銀を納める者及び真定等路の闌遺戸(逃亡戸)を、ともに屯田に従事させ、その真定に在る者は皮貨を免除する。癸未(二十一日)、京兆等路の毎年の課税額が一万九千錠から五万四千錠に増えたが、阿合馬はなお実情に合わないとして、これを精査しようとした。帝は「阿合馬に何がわかろうか」と言い、事はそこで止んだ。大都・新安県の民は和顧和買(官需物資の強制買い上げ)を免除された。甲申(二十二日)、太陰(月)が軒轅大星を犯した。壬辰(三十日)、占城国が来朝して地方産物を貢いだ。大都城を修築した侍衛軍に紙幣・絹帛を差等を付けて賜った。北征軍に銀・紙幣を賞賜した。怯憐口(私属民)及び四オルド(宮帳)の下の者と、范文虎の配下の将兵に羊馬・衣服・幣帛を差等を付けて賜った。

冬十月乙未(三日)、太廟で祭祀を行い、貞懿順聖昭天睿文光応皇后を合祀した。丙申(四日)、民を募って淮西で屯田を行わせた。己亥(七日)、安南王の封号を議し、賜った安南国の畏兀児文字の虎符を、国字(モンゴル文字)で書いたものに替えることとした。なお詔を降して安南国に諭し、日烜の叔父の遺愛を安南国王に立てた。庚子(八日)、溪洞の新附官である鎮安州の岑従毅が、兵を放って殺掠を行い、知州の李顕祖を迫って死に至らしめたため、従毅を召し出して入朝させた。壬寅(十日)、日本征討の将校に衣装・幣帛・靴帽等の物を差等を付けて賜った。乙巳(十三日)、安西王府の協済戸及び南山隘口の軍に命じ、安西・延安・鳳翔・六盤等の処で屯田を行わせた。河西に織毛段匠提挙司を設置した。丁未(十五日)、安南国に宣慰司を置き、北京路ダルガチの孛顔帖木児を参知政事とし、安南国宣慰使を代行させ、都元帥で虎符を佩く柴椿・忽哥児をその副使とした。紙幣一万錠を給し、河西行省に交付して経費に備えさせた。己酉(十七日)、張易らが言上した。「道書を参校したところ、ただ『道徳経』のみが老子の親著であり、他は皆後人の偽撰である。ことごとく焼却すべきである」。これに従い、なお天下に詔諭した。隆興行省に海青符(緊急伝達用の符)を給した。失里咱牙信合八剌麻合迭瓦を占城郡王に任じ、栄禄大夫を加え、虎符を賜った。占城に行中書省を立て、唆都を右丞とし、劉深を左丞とし、兵部侍郎の也黒迷失を参知政事とした。庚戌(十八日)、海船百艘、新旧の軍及び水手合わせて一万人をもって、来年正月を期して海外諸蕃を征討するよう命じ、なお占城郡王に軍糧を給するよう諭した。安南国王陳遺愛を安南に入らせるに当たり、新附軍千人を発して護衛送還させた。詔を降して干不昔国に来朝帰附するよう諭した。壬子(二十日)、和礼霍孫の言を用い、揚州・隆興・鄂州・泉州の四省に、蒙古提挙学校官を各二員ずつ置いた。翰林学士承旨の撒里蛮に会同館・集賢院の事務を兼領させ、平章政事・枢密副使の張易に秘書監・太史院・司天台の事務を兼領させ、翰林学士承旨の和礼霍孫を司徒しとに任じた。大都南陽真定等処屯田孛蘭奚総管府を農政院に改めた。癸丑(二十一日)、皇太子が北辺から到着した。丙辰(二十四日)、兀良合帯の言により、上都の南四站の人畜が困窮しているとして、紙幣を賜ってこれを給した。庚申(二十八日)、西川の戸籍を編成した。辛酉(二十九日)、邵武の反乱者高日新が降伏した。日本征討から帰還した侍衛新附軍に冬衣を給した。劉天錫らに銀・幣帛を賜い、勝兀剌らに羊馬・紙幣を賜い、諸王阿只吉らに馬・牛・羊を賜い、それぞれ差等があった。

十一月癸亥朔(一日)、詔を降して探馬礼に諭し、帰附するよう命じた。甲子(二日)、陳吊眼の首悪を誅するよう命じ、残りはその兵仗をことごとく没収し、縛って京師に送らせた。己巳(七日)、軍器監に命じて兵仗を高麗の沿海等郡に給付させた。占城に奉使した孟慶元・孫勝夫をともに広州宣慰使とし、出征の調度を兼領させた。高麗国・金州等処に鎮辺万戸府を置き、日本を制圧させた。高日新とその弟の鼎新らが宮門に至り、日新は二度も反乱の首領となったが、山北路の民職に任じた。文慶の類は、泉州に送還した。功績ある将校二百二十三員に銀十万両及び幣帛・弓矢・鞍勒を差等を付けて賜った。詔して安南国王に占城行省の軍糧を給させよとした。高麗国王が海浜の城を修繕して日本に備えたいと請うたが、許さなかった。辛未(九日)、諸王阿只吉に糧六千石を給した。甲戌(十二日)、太陰が五車次南星を犯した。乙亥(十三日)、法師劉道真を召し出し、太乙を祀る法を問うた。丁丑(十五日)、太陰が鬼宿を犯した。壬午(二十日)、詔を降して爪哇国主に諭し、親しく来朝させる。昌州及び蓋里泊の民が飢えたので、紙幣を給して救済した。丙戌(二十四日)、紙幣二万錠を和林の貿易に給付した。日本征討から帰還した軍で後から到着した者は沿海に分かれて戍守させるよう命じた。丁亥(二十五日)、太陰が心宿東星を掩った。揚州行省の新附軍の将校に紙幣を給し、人ごとに二錠ずつとした。己丑(二十七日)、安南国出征の新附軍に紙幣を賜った。礼部尚書の留夢炎及び馬八国に使した俺都剌らに紙幣をそれぞれ差等を付けて賜った。

十二月甲午(三日)、瓮吉剌帯を中書右丞相とした。己亥(八日)、日本行中書省を廃止した。丙午(十五日)、太陰が軒轅大星を犯した。丁未(十六日)、侍衛軍一万人を選抜して訓練し、扈従に備えることを議した。太常寺を正三品に昇格させた。辛亥(二十日)、西川行省に命じて万戸奴の配下の兵に兵仗を給させた。癸丑(二十二日)、益都・淄萊・寧海の開河夫の今年の租賦を免除し、なおその雇い賃を給するよう命じた。乙卯(二十四日)、諸王札忽児が占めていた文安県の地を屯田に給付した。丙辰(二十五日)、新附軍を動員して屯田を行わせた。福州の反賊林天成を捕らえ、市で刑戮に処した。福州路の今年の税を二分免除し、十八年以前の租税はすべて徴収を免除した。漢州徳陽県を成都路に属させた。漳州を路に改めた。礼部尚書の謝昌元に紙幣を賜った。捏古伯の戦功に銀を差等を付けて賞賜した。阿只吉らの助軍馬の代価を償った。塔剌海の籍没戸五十戸を賜った。

この年、保定路清苑県に水害、平陽路松山県に旱害、高唐・夏津・武城等県に螟害が作物を損ない、ともに今年の租を免除し、総計三万六千八百四十石であった。死刑罪二十二人を処断した。