巻105之三

太祖皇始元年夏六月、星が髦頭に彗星として現れた。彗星は穢れを去り新しきを布くものであり、皇天は無道を退け有徳を立てるゆえ、ある者はこれに憑って昌え、ある者はこれによって亡ぶ。五胡が生民を蹂躙し、諸夏を力で正そうとしてより百有余年、経始の謀を建ててその命を底定する者なし。この秋、太祖は冀方の地を啓き、実に芟夷滌除を始め、徳教の音あり、人倫の象あり。終に錫類長代をもってし、中朝の旧物を修復せんとす。故に元号を建てんとし、天街に彗星現る。蓋しその祥なり。先に、大黃星が昴・畢の分に現れ、五十余日続く。 慕容 ぼよう 氏の太史丞王先曰く、「真人が燕代の間に起こり、大兵鏘鏘たり、その鋒当たるべからず」。冬十一月、黄星また見ゆ。天下敵なし。〈この歳六月、木星が哭星を犯す。木は人君なり、君に哭泣の事あり。この月、太后賀氏崩ず。秋に至り、 しん 帝殂す。〉

二年六月庚戌、月が端門の外で金星を掩う。戦の祥なり、変は南宮に及び、これを朝廷に兵有りと謂う。時に燕王慕容宝は既に和龍に走り、秋九月、その弟賀麟また三萬の衆を糾合し、新市を寇す。上自らこれを撃ち、義臺において大いに燕師を敗り、河北を悉く定む。而して しん の桓玄ら連衡して内侮し、その朝廷は日夕戒厳す。〈この歳正月、火星が哭星を犯す。死喪哭泣の事有るを占う。秋八月、また井・鉞を守る。占いに曰く「大臣誅さる」。十月、襄城王題薨ず。明年正月、右軍將軍尹國、冀州において謀反し、誅さる。〉

天興元年八月戊辰、木星が昼間に胃宿に現れる。胃は趙代の墟なり。□天の事。歳星は有国の君たり、昼間に現るるは並び明らかにして陽を干すなり。天象は若し曰く、将に負海の君有り、実に能く自らその徳を済えて帝王の事を行わんとす、と。この月、初めて封畿を正し、権量を定め、礼楽を肆し、官秩を頒つ。十二月、群臣尊号を上り、正元の日、遂に上帝を南郊に禋祀す。ここにより魏は北帝たり、而して しん 氏は南帝たり。

元年十月より二年五月に至るまで、月再び東蕃の上相を掩う。相は王室を蕃輔し君臣の位を定むる所以なり。天象は若し曰く、今下は上を凌ぎ替わりて振るう者無く、将に焉にかこれを用いんや、と。且つ曰く、中坐に刑を成し、貴人勢を奪わる、と。この歳、桓玄専らに殷仲堪らを殺し、上流の衆を制し、 しん 室ここにより遂に卑し。〈この歳五月、辰星が軒轅大星を犯す。占いに曰く「女主これに当たる」。三年三月より七月に至るまで、月再び牽牛において土星を犯し、また哭星を犯す。兵喪・女憂たり。或いは曰く、月は強大の臣たり、鎮星は綱紀を正す所以なり。これは強臣に干犯する者有り、呉越に在り、と。既にして しん の太后李氏崩じ、桓玄江南に命を擅にし、仍って艱故有りと云う。〉

三年三月、星奎宿に孛し、閣道を歴て、紫微西蕃に至り、北斗魁に入り、太陽守を犯し、下台に循り、南宮を轥ぎ、帝坐を履み、遂に端門より以て出づ。奎は封豨たり、剝気の生ずる所由なり。また殷徐州の次、桓玄の国する所、劉裕の興る所なり。天象は若し曰く、君の徳建たず、人の援無く、且つその列蕃を権とし、その名器の守を盗みて薦食する者有らん、と。また将にその天歩より由り、その帝庭を席にして号令を出ださんとす、と。四年二月甲寅に至り、大流星多く西行し、牛・虚・危を歴て、漢津を絶ち、太微・紫微を貫く。虚・危は静人を主り、牽牛は農政を主る。皆な負海の陽国なり。天象は若し曰く、黎元その食する所を喪い、その命を係ぐる所を失い、卒に流亡に至らん、と。上は恤うること能わず、また将に播遷してこれに従わん、と。その後、 しん 人に孫恩の難有り、而して桓玄これに踵ぎ、三吳兵を連ねて饑饉を薦め、西に奔り死亡する者万計、竟に しん 主を篡してこれを尋陽に流し、既にしてまたこれを劫いて江陵に奔らしむ。〈この歳三月甲子、月歯を生ず。占いに曰く「賊臣有り」。七月丁卯、月天関を犯す。関は畿封国を制する所以なり、月これを犯す、これは郊甸に兵起るなり。十月甲子、月また東蕃上相を犯す。占いは二年と同じ。既にして桓玄金陵を戡し、司馬元顯・ 太傅 たいふ 道子を殺す。この歳、秀容胡帥また衆を聚めて反し、誅さる。〉

五年四月辛丑、月が辰星を掩う、東井に在り。月は陰国の兵、辰星は戦闘の象。占いに曰く「直する所の野に軍大いに起こり、戦勝たず、地を亡い、家臣死す」。冬十月、帝秦師を蒙坑に伐ち、大いにこれを敗り、遂に乾壁を挙げ、関中大いに震う。その上将姚平水に赴きて死す。〈この月戊申、月左角を暈す。太史令晁崇奏す「角獣将に死せん」。上牛疫を慮り、乃ち諸将に命じて併せて重車を焚かしむ。丙戌、車駕北に引く。牛大いに疫し、死者十に八九有り、官車の御する所の巨犗数百、同日路側に斃れ、首尾相属し、麋鹿も亦多く死する者あり。〉

五年三月戊子、太白星が五諸侯を犯し、昼間に経天して見ゆ。九月己未、また進賢を犯す。太白星は強侯の誡たり、五諸侯を犯すは、霸形を興す所以なり。是の時、桓玄征伐の柄を擅にし、諸侯を専殺し、以てその本朝を弱くし、卒に君の明を干して代わりてこれを奪う。故に皇天誡を著す。若し曰く、夫れ進賢功を興すは、大司馬の官守なり、而るに今自らこれを残す、君に於いて何か有らん、と。この冬十月、客星白く粉絮の若く、南宮の西より出で、十二月太微に入る。乱気の由る所なり。距乏の気を以て粹陽の天庭に乗ずるは、適たんに以て駆除するに足るのみ。明年、竟に しん 室を篡し、諸侯を得て終わらず。〈この歳五月丙申、月太微を犯す。十月乙卯、またこの如し。月は太陰、臣の象、太微は正陽の庭、横にその中を行くに当たらず、これは朝廷に間隙有り、強臣制せず、と謂う。亦た桓玄の誡なり。また占いに曰く「貴人これに坐する者有り」。明年七月、鎮西大将軍・毗陵王順、罪に坐して第に還る。亦是なり。〉

五年七月己亥、月が歳星を犯す、鶉火鳥帑に在り、南国の墟なり。天賜元年二月甲辰に至りまたこれを掩う、角宿に在り。角は外朝たり、而して歳星は君なり。また象は若し曰く、強大の臣有りて君の庭を干し、以てその主を挟みて外に播遷せしむ、と。この歳、桓玄の師劉裕に敗績し、玄 しん 帝を劫いて江陵に奔る。五月に至り、玄死す。桓氏の党また江陵を攻め、これを陥とし、凡そ再び天子を劫うと云う。〈先に、六年六月甲辰、月斗魁第四星を掩う。天賜元年五月壬申に至り、また斗魁第三星を掩う。二年八月丁巳、また斗第一星を犯す。斗は呉の分たり。大人憂え、将相戮さる、宮中に自ら賊する者有り。桓玄誅さるるに及び、貴臣多く戮死する者あり。江南兵革十余歳にして乃ち定まる。故に謫斗に現る。〉

天賜二年四月己卯、月が鎮星を犯し、東壁に在り。七月己未、また同じく之の如し。十月丁巳、また之を掩い、室に在り。夫れ室星は、以て宮廟を造りて 司空 しくう を鎮むる所以なり。占いに曰く「土功の事興る」と。明年六月、八部の人を発し、五百里内より都城を繕修し、魏ここに始めて邑居の制度有り。或いは曰く、北宮後庭は、人主以て其の身を庇 えい する所以なり。鎮は后妃の位を主り、存亡の基なり。而して是の時、堅氷の漸著し。故に犯し又掩ふこと再三なり。占いに曰く「臣君の邦を賊し、大喪有り」と。是の歳三月丁酉、月が心前星を犯す。三年二月、月が心後星を犯す。四年二月、また之の如し。心は嫡庶の礼を主る。占いに曰く「乱臣主を犯し、儲君位を失い、庶子之を悪む」と。是に先立ち、天興六年冬十月より元年四月に至るまで、月再び軒轅を掩ふ。占いに曰く「乱有りて政を易え、后妃其の咎を執る」と。三年五月壬寅、熒惑が てい を犯す。氐は宿宮なり。天戒若し曰く、是の時人主を蠱惑して内乱の萌を興す、亦我が天視よりして修省すべしと。六年七月に及び、 穆后強死し、太子微行して人間す。既にして清河・万人の難有り。

二年八月甲子、熒惑が少微を犯す。庚寅、右執法を犯す。癸卯、左執法を犯す。十一月丙戌、太白が釣鈐を掩ふ。皆南邦の謫なり。火は方伯の象、金は強侯なり。少微は以て賢材を官し、南宮の化を輔う。執法は威令の行わるる所由なり。天象若し曰く、夫れ禄公室を去る、其の由来漸し。始めは則ち其の賢材を奮い以て其の本朝と為し、終に其の鈐鎋を干し以て其の威令を席せんとすと。三年十二月丙午に至り、月が太白を危に於いて掩ふ。危は斉の分なり。占いに曰く「其の国戦を以て亡ぶ」と。丁未、金・火皆羽林に入る。四年正月、太白昼に奎に見ゆ。是れ或いは王師を称して君明を干す者と謂う。占いに曰く「天下兵起こり、魯邦之を受く」と。二月癸亥、金・火・土・水奎・婁に聚まる。徐魯の分なり。四神聚まり謀る、以て衰替の政を革め、霸王の命を定む。五月己丑、金昼に参に見ゆ。天意若し曰く、是れ将に自ら攻伐を植え、以て其の主を震い、而して代わりて之を奪わんとすと云う。八月辛丑、熒惑が執法を犯す。九月、遂に進賢を犯す。桓氏と占いを同じくす。是の時、南燕慕容氏斉魯の墟を兼ね有し、徳を修むるを務めずして、驟に晋の淮・泗を侵す。六年四月、劉裕晋師を以て之を伐ち、大いに燕師を臨朐に敗り、進みて広固を克ち、慕容超を執えて帰り、諸を 建康 けんこう に戕す。ここに於いて其の兵威を専にし、藩輔を荐食し、篡奪の形ここよりして著しと云う。

六年六月、金・火再び太微に入り、帝座を犯し、蓬・孛・客星及び他の勝げて紀すべからざるもの有り。太史上言す、且つ骨肉の禍有り、政を更え君を立つと。語は帝紀に在り。冬十月、太祖崩ず。夫れ前事の感大なれば、即ち後事の災深し。故に帝の季年妖怪甚だし。

太宗永興二年五月己亥、月が昴を掩ふ。昴は髦頭の兵、虜君之を憂う。是の月、 蠕蠕 じゅんじゅん の社崘長孫嵩を牛川に囲む。上自ら将いて之を撃ち、社崘遁走し、道に死す。是の歳三月より秋八月に至るまで、月三たび南斗第五星を掩ふ。斗は呉の分なり。且つ曰く、強大の臣天禄を干する者有り、大人之を憂うと。是の月乙未、太白が少微を犯し、昼に見ゆ。九月甲寅、進みて左執法を犯す。占いに曰く「且つ其の霸刑を杖い、以て 社稷 しゃしょく えい を戮し威令を専にする者有らん、徴は南朔に在り」と。是に先立ち、三月丁卯、月が房次将を掩ふ。六月己丑、また之の如し。八月甲申、心前星を犯す。占いに曰く「服軛者之に当たる、君馭を失う、徴は 州に在り」と。時劉裕晋室を弱めんと謀り、四年九月、専に 僕射 ぼくや 謝混を殺し、因って荊州 刺史 しし 劉毅を江陵に襲い、之を夷す。明年三月、また晋の 州刺史諸葛長人を誅す。其の君託食するのみ。

三年(永興三年)六月庚子の日、月が歳星を犯す、畢宿に在り。八月乙未の日、また之を犯す、参宿に在り。四年正月また蝕す、畢宿に在り。直ちに微垣の陽に当たり、参宿は山河の右に在り。歳星は農事を豊かにし万人を安んずる所以なり。占いに曰く「月が重ねて之を犯せば、辺境の民は兵を阻みて飢饉を重ねん」。是の歳六月癸巳の日、金星・木星、東井宿に合す。七月甲申の日、金星、井宿において土星を犯す。占いに曰く「其の国に内兵有り、白衣の会あり」。十一月、土星、井宿を犯す。十二月癸卯の日、土星、鉞星を犯す。土星は疆理の政を主り、存亡の機なり。是れ土地分裂し、戮死するの君有るを為し、徴は秦邦に在り。五年二月丙午の日に至り、火星・土星皆井宿を犯す。占いに曰く「国に兵喪の禍有り、主出走す」。是の月壬辰の日、歳星・鎮星・熒惑・太白、井宿に聚まる。将に以て霸国の命を建んとす。其の地は君子憂え、小人流る。また三年四月より五年三月に至るまで、熒惑三たび鬼宿に干す。命を主る者は将に夭し而して国徙らんとす。是の時、雍州に仮りて王霸の号を称する者六国、而して 赫連 かくれん 氏朔方の地を拠る、尤も強暴にして、重ねて関中を食い、秦人の奔命する者殆ど路に満つ。間歳、姚興薨じて而して難内に作る。明年、劉裕晋師を以て之を伐ち、秦師連戦して敗績し、姚泓を執えて以て帰り、之を建康に戕す。既にして遺守内に携わり、 長安 ちょうあん 淪覆す。或いは曰く、上党より河・山の北を並ぶ、皆鬼星・参宿・畢宿の郊なり。五年四月、上党の群盗外に叛く。六月、濩沢の人劉逸自ら三巴王と称す。七月、河西の胡曹龍蒲子に入り、大単于と号す。十月、将軍劉潔・魏勤吐京の叛胡を撃ちて利あらず、勤力戦して死し、潔虜と為る。明年、赫連屈孑蒲子・三城を寇し、諸将之を撃ち走らす。其の余の災は晋・魏に波及し、仍て其の兵革の禍をなす。(二年九月、土星畢宿を犯す、疆埸の兵を為す。三年七月、木星参宿において土星を犯す。占いに曰く「戦いに敗れ、地を亡い、国君死す」。四年十月、月天関を掩す。其の災同じ。参宿は外に 巴蜀 はしょく を主る。其の後、晋師蜀を伐ち、其の主譙縦を戮す。先ず是に、四年閏月、月熒惑を犯す、昴宿に在り。七月、また之を蝕す。五年、将軍奚斤越勤を討ち、大いに之を破る。明年、禿髪氏西秦に降り、其の君傉檀戮死す。)

神瑞元年二月、鎮星東井宿に入り、天尊を犯す、旱の祥なり。天象は若し曰く、土其の性を失い、水源将に壅がんとす。天尊に施す、是れ矜寡の民を福する所以なり。先ず是に、去年九月より五月に至り、歳星再び軒轅大星を犯す。八月庚寅より二年三月に至り、鎮星再び鬼積尸を犯す。歳星は農事を主り、軒轅は雪霜風雨の神を主る。返覆之に由る、是れ黄祇に告ぐる所以なり。土は稼穡を愛し、鬼は物の精気たり、是を稼穡潜かに耗え、人将に饉にして死せんとすと謂う。一に曰く大旱。是の後、京師比歳霜旱し、五穀登らず、詔して人をして山東に就き食わしめ、粟帛を以て乏を賑う。語は崔浩伝に在り。(先ず是に、月畢宿において歳星を犯す。占いに曰く「饑は晋代に在り、亦其の徴なり」。又鬼は秦を主り、旱は秦邦に在り。二年に至り、太史奏す、熒惑匏瓜中に在り、一夜忽ち亡失し、後東井に出ず。語は崔浩伝に在り。既にして関中大旱し、昆明枯涸す。)是の歳四月癸丑の日、流星昼に中天に見え、西に行く。占いに曰く「営頭の首する所、野に覆軍有り、血を流して西に行く、謫は秦邦に在り」。而して魏人之を覿る、亦王師の戒なり。天は若し魏師に戒めて曰く、是れ衆を擁して西し、固より君の明を干して代わりて之を奪わんと欲する爾、姑く人を息めて以て変を観、庸くも禦うること無かれ。先ず是に五年三月、月参宿において太白を犯す。八月庚申の日、また之を犯す。参宿は魏の分野なり。占いに曰く「強侯難を作し、国戦い勝たず」。九月己丑の日、月左角を犯す。是の歳三月壬申の日、また之を蝕す。是を剛晋の兵を以て合戦して偏将戮さると謂い、徴は兗州に在り。二年四月、太白畢宿に入り、月畢宿を犯して再び之に入る。占いに曰く「大戦勝たず、辺将憂え、魏邦之を受く」。六月己巳の日、星昴宿の南に孛す。天象は若し曰く、且つに驅除の雄有らん、用いること勿れ之を朔方に距ることを。明年七月、劉裕舟師を以て河を泝る。九月、裕我が滑臺を陥し、兗州刺史尉建畏懦を以て斬らる。時に崔浩戦わざらんと欲す。上衆議に違い難く、詔して 司徒 しと 嵩に師を率いて之を迓わしむ。及び晋人畔城において戦い、魏師敗績す。語は崔浩伝に在り。裕既に関中を定め、遽かに帰りて受禅す。既にして赫連氏之を併せ、遂に尊号を竊む。(元年正月より泰常元年十月に至るまで、月三たび畢宿を犯し、再び之に入り、再び畢陽星を犯す。占いに曰く「辺兵起こり、貴人死する者有り」。元年十二月、蠕蠕塞を犯す。上自ら将し、大いに之を破る。二年、上党の胡反す。詔して五将に討平せしむ。泰常元年、長楽王・河間王・南陽王皆薨ず。二年、 章王又薨ず。常山の霍季衆を聚めて反し、誅せらる。)

二年四月辛巳、星が天市に孛す。五月甲申、彗星が天市より出で、帝座を掃し、房心の北に在り。市は以て国を建て人心を均す所以なり、宋の分なり。国将に号を殊にし、人将に主を更む、其れ革して宋と為らんか。先ず是に、往歳七月、月鈎鈐を犯し、十一月、月房の上相を食し、至元年二月、又之の如し。天象曰く若し、尚ほ鈐鍵の位に尸し、君之に憑りて尊ぶ者、又将に及ばんとすと。是の歳八月、金・木翼に合す。占に曰く「且つ内兵有り、楚邦之を受く」と。泰常二年正月に至り、晋の荊州刺史司馬休之・雍州刺史魯宗之、劉裕に襲はれ、皆出奔す。是の歳十月、鎮星太微を守り、七十余日。占に曰く「代を易え王を立つ」と。其の三年三月癸丑、太白五諸侯を犯し、桓氏の占の如し。七月、流星少微に孛し、以て太微に入る。劉氏の霸より以来、三たび少微を変じて以て南宮に加ふ。始め方伯之を専にし、中には則ち霸形之を干し、又今孛政之を除く。馴て三積み、堅冰至る。是の月、辰星東方に見え、翼に在り、甚だ明大なり。翼は楚邦なり、是れ冢臣明を干し、賊人其れ昌んずと為す。〈先ず是に、五年十一月壬子、辰星出でて明盛常に非ず。泰常二年十二月庚戌に至り、辰星時に過ぎて見え、光色明盛なり。是れ強臣に令を還さざる者有りと為す。是に至り又之の如し、亦三至す。或いは曰く辰星以て北海を負ふ、亦魏将に大興の兆と。〉九月、長彗星北斗に孛し、紫微を轢き、辛酉、南宮に入り、凡そ八十余日。十二月、彗星天津より出で、太微に入り、北斗を逕り、紫宮を干し、天棓を犯し、八十余日、天漢に及びて乃ち滅す、語は崔浩伝に在り。是の歳、晋の安帝崩ず、後年にして宋之を篡す。夫れ晋室は微なりと雖も、泰始の遺俗なり、蓋し皇天以て原始篤終有り、以て王道の淪喪を哀しむ故に、故に猶二微の戒を著す。〈神瑞二年四月、木南宮に入り、右執法に加ふ。五月、火又之の如し。八月、金掖門より入り、左執法を掩ふ。泰常元年六月、又掖門より太微に入る。五月、火執法を犯す。是の冬、土天尊を守りて月之を掩ふ。三年八月、土又太微に入り、執法を犯し、因りて二百余日留まる。九月、金又右執法を犯す。十月、火上将を犯し、因りて左掖門内に二十日留まり、乃ち逆行す。四年三月、西蕃より出で、又還り之に入り、填星を繞りて句己を成す。四月丙午、端門を行き出づ。皆晋氏の謫なり。晋滅の後より以来、太微に変有れば多く魏国に応ず。〉

泰常三年十月辛巳、大流星昴より出で、天津を歴り、乃ち三に分かれ、須臾にして声有り。占に曰く「車騎野に満つ、喪に非ざれば即ち会す」と。明年四月、帝東廟に事有り、蕃服の君其の職を以て来祭する者、蓋し数百国なり。是の歳正月己酉、月軒轅を犯す。四月壬申、又填星を犯し、張に在り。四年五月、辰星又軒轅を犯す。占に曰く「国に喪有り、女君之を受く」と。明年五月、貴人姚氏薨ず、是れ昭哀皇后と為す。六月、貴嬪杜氏薨ず、是れ密后と為す。〈先ず是に、二年九月、火軒轅を犯す。三年八月、金又之を犯す。占同じ。〉

四年、正月より秋七月に至るまで、月行四たび太微を犯す。天象曰く若し、太微は粹陽の天庭、月は臣なり、今横行して之を轢く、已に甚だしからずや。先ず是に、元年五月、月歳星を犯し、角に在り。是の歳七月、月又歳星を犯す。明年、宋始めて国を建つ。後年にして晋主崩ず、裕之を鴆すなり。昔桓氏の難に、月再び歳星を干し、再び其の主を劫す。是に至り、亦再び之を犯して再び其の君を勦ぎ、其の幽逼の患を極め、而して篡殺の禍を以て済す、斯れ之を甚だしと謂ふ。〈先ず是に、三年九月、月鶉尾に於て火を犯す。十二月、又太微に於て火を犯す。是の歳五月、月太白を犯し、井に在り。十月、又之を犯し、斗に在り、且つ再び井星を犯す。皆兵水大喪有り、諸侯に死者有り。七月、雁門・河内大水す。五年三月、南陽王意文死す。十一月、西涼李歆沮渠に滅ぼされ、晋君亦崩ず、秦・吴亡の応なり。〉

五年十一月乙卯、熒惑填星を犯し、角に在り。角は外朝なり、土は紀綱を為し、火は内乱を主り、天門に会す、王綱将に紊れんとす。占に曰く「死君主を逐ふ有り、后妃之を憂ふ」と。十二月、月熒惑を蝕み、亢に在り。亢は内庭なり。占に曰く「君薨じて乱内に作り、貴臣兵を以て死す」と。是の月、客星翼に見ゆ。翼は楚邦なり。占に曰く「国服を更め、辺に急有り、将軍或いは謀反する者あり」と。六年二月、月南斗の杓星を食む。十月乙酉、金・土亢に鬬ふ。占に曰く「内兵且つ喪し、王公を更め立つ」と。又兗州は陳・鄭の墟なり、城を攻め野に戦ふの象有り。七年正月に至り、南斗を犯し、三月壬戌、又之を犯す。斗は人君の命を受くるを為し、又呉の分なり。是の歳五月、宋武崩ず。秋九月、魏師宋の北鄙を侵す。十一月、滑臺を攻め、之を克つ。明年、虎牢を抜き、金墉を陥とし、許昌を屠り、遂に河南の地を啓く。八年、宋の太后蕭氏死す、既に大臣権を専にし、其の主を遷殺し、卒に皆誅に伏す。〈五年八月より七年十二月に至るまで、熒惑一たび軒轅を守り、再び進賢を犯し、再び房星を犯し、月一たび軒轅及び房を犯す。皆女君大臣の戒めなり。是の時陽平・河南王、 太尉 たいい 穆観相次ぎて薨じ、而して宋氏の廷臣釁に乗じて以て其の主を侮り、竟に誅死に以てすと云ふ。或いは曰く火土・亢を犯せば饑疾と為す。時に官軍武牢を陥とし、会して軍大いに疫し、死者十二三。是の冬、詔して饑人に稟す。〉

六年六月壬午、大流星紫宮より出づ。占に曰く「上且つ行幸し、若しくは大君の使有らん」と。明年、駕橋山に幸し、黄帝を祠り、東に過ぎて幽州し、使者を命じて風俗を観省せしむ。十月、上南征す。八年春、歩みて ぎょう 宮より出で、遂に霊昌を絶ち、東郡に至り、兵を成臯に観、河内より反り、太行山に登り、高都に幸し、 晋陽 しんよう に飲至す。

七年(四二八年)二月辛巳の日、星が虚宿と危宿に現れ、河津に向かった。占いには「玄枵(虚・危の分野)は喪紀を飾るものであり、宗廟が並び起こり、司人(君主)が疑いを抱き謀を改め、政権交代の兆しがある」とある。十一月甲寅の日、彗星が室宿より出て、北斗を掃い、□門に及んだ。占いには「内宮(室宿)は君主の居室であり、主命(君主の命令)により将を派遣し、塞垣(国境の城壁)を改め、土功(土木工事)の事があり、その地はまた斉・衛の地である」とある。八年(四二九年)正月、彗星が奎宿の南より出て長さ三丈、東南に向かい河を掃った。奎宿は食い尽くす兵の象であり、徐方(徐州一帯)の地である。占いには「西北の兵がこれを伐ち、君主は後嗣を絶ち、天下は飢饉となる」とある。七年十二月、帝(明元帝)は寿光侯叔孫建に命じて斉の地を平定させた。八年春、長城を築き、五原より二千余里に及び、守卒を置き、蠕蠕( 柔然 じゅうぜん )に備えた。冬十月、大飢饉が起こった。十一月己巳の日、上(明元帝)は西宮において 崩御 ほうぎょ した。翌年、宋はその主(少帝)を廃した。これにより南の国(宋)は日々逼迫し、斉・衛の地はすべて戦場となった。世祖(太武帝)が政を執るに及んで、遂に淮水・沂水の地を荒廃させて東海に背くこととなったという。〈八年二月丙寅の日、火星が斗宿を守った。これもまた南の国(宋)の譴責の兆しである。十一月、彗星が土 司空 しくう (星官)に現れた。 司空 しくう は邦域の疆理(境界を治めること)を主り、かつ土功と哭泣の事があるという。後年、赫連屈孑(赫連勃勃)が薨じ、太武帝がこれを征伐し、新秦の地を取った。これにより征伐は四方に勝利し、提封(領土)は万里に及んだという。〉

世祖(太武帝)始光元年(四二四年)正月壬午の日、月が心宿の大星を犯した。心宿は宋の分野であり、中星(心宿二)は君主である。月は大臣であり、刑事を主る。この年の五月、宋の権臣徐羨之・謝晦・傅亮がその主(少帝)を廃して殺し、その弟の宜都王を立てた。これが宋の文帝である。十月に至り、火星が心宿を犯した。天の戒めは言うようである。これまた乱を起こしてその君を犯すであろうと。十月壬寅の日、大流星が天将軍より出て、西南に向かって行き、殷々と音がした。占いには「暴を禁ずる兵があり、上将が督戦し、その首(流星の出た星官の名)をもって名づける」とある。三年(四二六年)正月、歳星が月を食う(掩蔽する)ことが張宿で起こった。張宿は南国の分野である。歳星は月に対しては少君(若い君主)の象であり、今反ってこれを食うのは、強大な臣を誅する象である。この月、羨之らは誅殺され、謝晦は江陵の兵を起こしてその君を伐ち、宋の将檀道済が師を率いてこれを防ぎ、謝晦はまた敗走して誅殺された。〈あるいは言う。この年、上(太武帝)は赫連氏を伐ち、その外城に入った。夏の都は代の西南に直当たり、また奔星(流星)の応であると。〉

二年(四二五年)五月、太白(金星)が昼間に見え経天した。占いには「時に乱紀を謂い、人を革めて王を更える」とある。六月己丑の日、火星が羽林に入り、六十余日守った。占いには「禁兵大いに起こり、かつ反臣の戒めあり」とある。

三年(四二六年)十月、流星が西南より出て東北に向かって行き、光明が地を照らし、音が雷のようで、鳥獣ことごとく驚いた。占いには「発する野に国を破り君を遷すことがあり、西南は夏に直当たり、代都に首(始まり)がある。著しくして音あり、盛んな怒りなり」とある。

四年(四二七年)五月辛酉の日、金星と水星が西方で合した。占いには「兵起こり、大戦あり」とある。これに先立ち、三年正月、宋に謝氏(謝晦)の難があり、王の卒ことごとく出動した。冬十一月、上(太武帝)は赫連昌を伐ち、その外城に入り、一万余家を移して帰った。この年またこれを攻め、六月、城下において赫連昌を大いに破り、昌は上邽に奔り、遂に統万を抜き、夏の器用をことごとく収め、その母・弟・妻子を虜にした。これにより威は四隣に加わり、北夷は懼れた。

神䴥元年(四二八年)五月癸未の日、太白が天街を犯した。占いには「六夷の髦頭(星名、胡星)滅ぶ」とある。二年(四二九年)五月、太白が昼間に見えた。占いには「大兵将に興り、強国に弱者あり」とある。この月、上は北征して蠕蠕を大破し、虜獲は鉅万を以て計り、遂に 高車 こうしゃ を降し、以て漠南を実(充実)し、数千里の地を開いたという。

三年(四三〇年)六月、火星が井宿・鬼宿を犯し、軒轅に入った。占いには「秦に兵乱の憂いあり、死君あり。また旱饉の応なり」とある。丙子の日、大流星が危宿の南より出て、羽林に入った。占いには「兵起こり、海に負う国と王師合戦す」とある。この年、三月より十月に至るまで、太白が再び歳星を犯し、月もまたこれを犯した。占いには「国あるの君あるいは兵刑の難に罹る者あり、かつ歳饉なり」とある。十二月丙戌の日、流星の首(頭部)が甕の如く、長さ二十余丈、大きさ数十斛の船の如く、色は正しく赤く、光は人面を照らし、天船より河(天漢)に及び、奎宿の大星に抵り、壁宿に及んだ。占いには「天船は以て兵車を済(渡)し、奎は徐方、東壁は衛なり。これ宋師の祥なり。昭(明)らかに盛んなるは、事大なり」とある。この年六月、宋の将到彦之らが魏を侵し、南鄙の清水より黄河に入り、流れを溯って西に進み、二千余里に屯を列ねた。九月、帝は崔浩の策を用い、行幸して統万に至り、遂に赫連定を平涼において撃った。十二月、これを克ち、三秦の地を悉く平定した。明年、大師は河を渡り、滑台を攻めてこれを屠り、宋人は夜遁した。この時、赫連定は転じて西秦を攻め、その君乞伏慕末を戮した。吐谷渾の慕容璝はまた赫連定を襲撃し、これを虜にした。強(強国)にして死者、再び君たり。この年二月、定州に大饑饉があり、詔を下して倉を開き乏しきを賑った。あるいは言う。奎星は羽猟(狩猟)、兵を理(治)める象なり。流星これに抵りて著しく大なるは、これ大人の事なり。冬十月、上は漠南において大閲兵し、甲騎五十万、旌旗二千余里、また明らかで盛んな徴候なり。〈四年(四三一年)、金星・火星が東井に入り、火星はまた天戸を犯した。明年正月、また鬼宿を犯した。占いには「秦に兵喪あり」とある。そして秦・夏は夷威(異民族の威)を出し、沮渠蒙遜はまた死に、氐主楊難当は宋の漢中の地を陥れたという。〉

四年(四三一年)三月、大流星が東南に向かって行き、光が地を照らし、長さ六七丈、 食頃 しばらく してようやく消え、後に音がした。占いには「大兵これに従う」とある。この時、諸将はまさに宋師を逐い、歴城に至ったが及ばなかった。音あり、駿奔(疾走)の象なり。四月辛未の日、太白が昼間に胃宿に見えた。胃宿は趙の分野である。五月、太白が天関を犯した。十月丙辰の日、月がまたこれを掩った。天関は外に勃・碣(渤海・碣石)を主り、山河の険はここに窮まる。占いには「兵革起こる」とある。九月丙寅の日、流星が斗の如く大で、赤色、太微より発し、北斗に至って消えた。太微は礼楽の庭であり、かつ昭徳(徳を明らかにする)の挙あり、宣王の命を述べ宣べる。ここにおいて帝車(北斗)これを受く。この月壬申の日、詔があり范陽の盧玄ら三十六人を徴し、郡国に秀・孝数百人を察挙させ、かつ礼を以て さと すことを命じ、その出処の節を申し明かした。明年六月、上は北燕を伐ち、燕の十余郡を挙げ、和龍を囲み進み、豪傑三万余家を移して帰った。〈四年八月、金星が太微に入った。これもまた君自ら兵を将いる象である。明年正月庚午の日、火星が鬼宿に入った。占いには「秦に死君あり」とある。四月己丑の日、太白が昼間に見えた。不臣の兆しである。その後、秦王赫連昌が叛いて走り誅殺された応である。〉

延和元年七月、大流星が参宿の左肩より出で、東北に流れて河に入りて乃ち滅ぶ。参宿は兵政を主り、晋・魏の故地なり、山河の首たる所にして、これを推すに大兵将に魏より発して燕国に加えんとす。八月癸未、太白星心宿の前星を犯す。乙酉、また心宿の明堂を犯す。占いに曰く「亡国あり、近きは二年を期す」と。十二月、流星あり甕の如く大にして、尾長さ二十余丈、君を奔らす象なり。比歳連兵して東を討つ、太延二年三月に至り、燕の後主馮文通国を去りて高麗に奔る。〈元年四月、月左角を犯す。五月、月斗を掩す。七月、月左角を食む。皆占いに曰く「兵大いに起こる」と。その後征西将軍金崖・安定鎮将延普・涇州刺史狄子玉権を争い、崖及び子玉兵を挙げて普を攻むるも克たず、胡空谷に拠りて反し、平西将軍陸俟これを討ちて獲たり。〉

三年三月丙辰、金星昼に見ゆ、参宿に在り。魏邦の戒めなり。閏月戊寅、金星五諸侯を犯す。占いに曰く「四滑起こり、官兵乱を起こす」と。疑己丑、月井宿に入り、太白星を犯す。占いに曰く「兵起こり合戦し、秦邦これを受く」と。七月、上隰城に幸し、諸軍に詔して山胡の白龍を討たしめ、西河に入る。九月、これを克ち、誅せられる者数千人。而して宋の大将軍・彭城王義康方に威福を擅にし、後竟に幽閉廃せらる。〈是歳二月庚午、月畢口を犯して出で、因りて昴宿及び五車を暈す。占いに曰く「貴人死す」と。五月甲子、陰平王求薨ず。〉

太延元年五月、月右執法を犯す。九月、火星太微上将を犯し、また左執法を犯す。十月丙午、月右執法を犯す。二年二月、月東蕃の上相を犯す。三月、月及び太白星倶に右執法及び上相を犯す。三年八月、火星左執法及び上将を犯す。五年二月、木星逆行して執法を犯す。皆大臣の謫なり。元年十月、左僕射安原謀反し、誅せらる。三年正月、征東大将軍・中山王纂、太尉・北平王長孫嵩、鎮南大将軍・丹陽王叔孫建皆薨ず。その後、宋の大将軍義康坐して 章に徙され、其の党与を誅し、僕射殷景仁亦尋いで卒す。〈元年五月、彗星軒轅に出ず。二年正月、月火星を犯す。月は后妃なり。三年七月、木星軒轅を犯す。五年七月に至り、月填星を掩す。並びに女主の謫なり。真君元年、太后竇氏殂し、宋氏の皇后亦終わる。或いは曰く彗星軒轅に出ずるは、女主に寇を為す者有りと。その後沮渠氏国を失い、実に公主潜かに魏師を啓く。〉

二年五月壬申、星房宿に孛す。占いに曰く「名山崩れ、亡国あり」と。八月丁亥、木星鬼宿に入り、積尸を守る。十一月辛亥、また鬼宿を犯す。鬼宿は秦の分野、天の戒め若し曰く、涼の君淫奢度なく、財力窮まり、将に国を喪い、身戮せられんとすと。〈二年正月・四年十一月、月皆井宿を犯す。亦秦に兵刑有るが故なり。〉

三年正月壬午、星あり晡前昼に東北に見ゆ、井宿の左右に在り、色黄にして橘の如く大なり。魏師の応なり。黄星燕の故墟に出でて慕容氏滅び、今復た東井に見ゆ、涼室亡びんか。四年四月己酉、華山崩る。華山は西の鎮なり。天また若し曰く、星房に孛し、既に徴有り、鎮傾きて国これに従うと。是に先立ち、元年十二月、金星羽林を犯す。二年十二月より四年十一月に至るまで、火星再びこれに入る。五年五月、太白星昼に胃宿・昴宿に見え、羽林に入り、遂に畢宿を犯す。畢宿また辺兵なり。六月、上自ら将として西征す。秋八月、進みて姑臧を囲む。九月丙戌、沮渠牧犍文武の将吏五千余人を帥い面縛して来降す。明年、涼の地を悉く定む。〈或いは曰く星房に孛するは、大臣の事たり、又饉の祥なりと。火星鬼宿に入り、軒轅を犯すは、又稼穡成らず。元年已来、将相薨ずること尤も衆し。真君元年に至り、州鎮十五尽く饑う。〉

四年十月壬戌、大流星文昌より出で、紫宮に入り、声雷の如し。天象若し曰く、将相或いは全師を以て帝宮を禦 えい する者あり、其の事密邇にして、震驚の象有りと。明年六月、帝西征し、詔して大将軍嵇敬等に衆二万を帥い漠南に屯せしめ、以て暴寇に備う。九月、蠕蠕虚に乗じて塞を犯し、遂に七介山に至り、京師大いに駭く。 司空 しくう 長孫道生等 へい 力してこれを拒ぎ、虜乃ち退走す。是の月壬午、大流星紫微より出で、貫索に入り、長さ六丈余。占いに曰く「大君の命有り」と。貫索は賤人の牢なり。明年、帝侍臣に命じて郡国を行き、風俗を観、其の疾苦する所を問わしむ。

真君二年七月壬寅、填星鉞を犯す。鎮星は国家の安危する所にして、而して之が綱紀を為す者なり、其の鈇鉞の戮に嬰りて君及びんとす。元年十一月より此の月に至るまで、歳星三たび房宿の上相を犯す。歳星は人君たり、今反覆して之に由るは、鈎鈐の備えを循省せしむるなり。天若し輔臣を戒めて曰く、涼邦卒に滅び、敵国殫れり、而るに猶震主の威を挟み、百勝の計を負う、何ぞ盈亢の戒めを思わざるやと。是の時、 司徒 しと 崔浩方に国鈞を持し、且つ上に寵有り。明年、安西李順五刑の誅に備え、而して浩の鍛成する所に由る。後八年、竟に族滅して後無し。夫れ天賢良を哀しみて以て明訓を示すこと夙し、罕に能く躬を省みて以て先覚す、豈に悲しまざらんや。浩誅せらるる明年、卒に景穆の禍有り、後年にして乱作る。

三年三月癸未、月太白星を犯す。占いに曰く「大兵起こり、合戦す」と。九月乙丑、星天牢に孛し、文昌・五車に入り、昴・畢の間を経て、天苑に至り、百余日宿と倶に西方に入る。天象若し曰く、且つに王者の兵有り、彗星髦頭の域を除き、貴臣預て戮せらるる有らんと。明年正月、征西将軍皮豹子楽郷に於いて宋師を大いに敗る。九月、上北伐し、楽平王丕十五将を統べて左軍と為し、中山王辰十五将を統べて右軍と為し、上自ら中軍を将う。蠕蠕の可汗戦うことを敢えずして亡び、頓根河に追い至り、虜二万余騎して還る。中山王辰等八将軍後期に坐し、皆斬らる。〈或いは曰く、彗星昴・畢より出づるは、貴人多く死す。十一月、 太保 たいほう 盧魯元薨ず。五年二月、楽平王丕薨ず。〉

六年(太平真君六年)二月、太白星(金星)・熒惑星(火星)・歳星(木星)が東井(二十八宿の一つ)に集まった。占いでは「三星が合うのは、驚きが立ち行いを絶つことであり、その国の内外に兵乱と喪事があり、王公が改めて立てられる」という。九月、盧水胡の蓋呉が杏城を拠点として反乱を起こし、百官を僭称して任命し、諸種の虜(異民族)が皆これに呼応したため、関内は大いに震動した。十一月、将軍の叔孫抜が渭水の北で呉の軍勢を破った。七年正月に至り、太白星が熒惑星を犯した。占いでは「兵が起こり、大戦がある」という。この時、上(太武帝)は河東において呉の与党を討伐し、これを殲滅し、長安に行幸した。二月、呉の軍勢は杏城で大敗し、馬を棄てて逃走し、再び残党を糾合した。八月になってようやくこれを平定した。〈五年五月、月が心宿を犯した。六年四月、また同様のことがあった。占いでは「兵が宋の国を犯す」という。この月、太白星が軒轅に入った。占いでは「反臣あり」という。この冬、宋の太子詹事范曄が謀反を企て、誅殺された。詔により高涼王那が淮泗を巡行し、その民を河北に移した。〉

九年正月、火星(熒惑)と水星(辰星)が共に羽林に入った。占いでは「禁兵が大いに起こる」という。四月、太白星が昼間に現れ、経天した。十年五月、彗星が昴宿の北に現れた。これは天が天街を掃除し、髦頭の国(昴宿に配される国)に禍いを下すためである。この頃、連年蠕蠕(柔然)を討伐していた。この秋九月、上は再び自ら将となりこれを征し、捕虜とした者は凡そ百余万に及んだ。〈この年七月、太白星が哭星を犯した。占いでは「天子に哭泣の事あり」という。明年の春、皇子の真が 薨去 こうきょ した。〉

十年十月辛巳、彗星が太微垣に現れた。占いでは「兵乱と喪事が共に起こり、国が乱れて政が変わり、臣が主を賊する」という。十一年正月甲子に至り、太白星が昼間に現れ、経天した。四月、また同様のことがあった。占いでは「中歳(一年の半ば)にして再び明るさを干犯するのは、兵事が特に大きく、かつ人が革まり王が更わる兆応である」という。この年十月甲辰、熒惑星が太微垣に入った。十二月辛未、またこれを犯した。癸卯、また同様のことがあった。占いでは「臣が主を殺戮しようとし、君がこれを憎むであろう、なお犯すことは事が重なることである」という。先だって、八年正月庚午、月が心宿の大星を犯した。九年正月、歳星を犯した。この年九月、太白星がまた歳星を犯した。正平元年五月に至り、彗星が巻舌に現れ、太微垣に入った。巻舌は讒言の戒めである。六月辛酉、彗星が進んで帝坐を逼った。七月乙酉、上相を犯し、屏を払い、端門を出て、翼宿・軫宿で消滅した。辛酉、直ちに陰国(後宮)に向かった。翼宿・軫宿は楚の邦(宋の分野)に配され、屏を犯すのは蕭牆(宮廷内部)の乱である。天象は言うようである:膚受の譖(直接の讒言)こそ実に乱の階梯であり、ついには主相を芟夷し、その大号(帝位)を専有するに至る。南国の君主もまたこれによって遷り及ぶのである。先だって、去年十月、上は南征して黄河を渡った。十二月、六軍は淮水を渡り、瓜歩山に登って兵を観閲し、騎士六十万、列屯三千余里に及び、宋人は兇懼し、百牢の饋贈をした。この年正月、淮南の地をことごとく攻略し、捕虜を連れて帰還し、殲滅した者は甚だ多かった。六月、帝は宗愛の言葉を容れ、皇太子は強(強制)せられて死んだ。明年二月、愛は永安宮において帝を殺害し、左僕射蘭延らは建議が異なることを理由に殺害された。愛は呉王余を立てて主としたが、まもなくまたこれを賊害した。災いが重なる験しである。一年を隔てて、宋の太子劭は蠱事(呪詛)が露見した罪に坐し、またその君を殺して僭立した。劭の弟武陵王駿が上流の軍勢を率いて討伐平定した。翼軫で消滅した徴である。〈先だって、七年八月、月が熒惑を犯した。八月から十一月にかけて、また軒轅を犯した。この年正月、太白星が経天した。九月、火星が太微を犯した。十月、宗愛らが誅殺され、高宗が 践祚 せんそ した。十一月に至り、録 尚書 しょうしょ 元寿・ 尚書令 しょうしょれい 長孫渇侯が権力を争ったことを理由に賜死し、太尉黎・ 司徒 しと 弼がまた旨に忤い左遷された。屏と相を犯す彗星の応である。明年五月に出て、太后が崩御した。〉

高宗興安二年二月、西方に星の孛(彗星)があった。占いでは「凡そ孛は、常ならざる悪気より生ずるもので、内に大乱なくば、外に大兵あり」という。興光元年二月に至り、月の如き大流星が西に流れた。占いでは「奔星の墜つる所、その野に兵あり、光盛んなる者は事大なり」という。先だって、京兆王杜元宝・建康王崇・済南王麗・濮陽王閭文若・永昌王仁が相次いで謀反を企て誅殺された。この年、宋の南郡王義宣及び魯爽・臧質が荊州・ 州の軍勢を以て逆を構え、大将王玄謨らが西征してこれをことごとく平定した。或いは言う:彗星が太微・翼・軫を犯した余禍であると。春秋に、星の大変は、或いは災いが三国の君に連なり、その流炎の及ぶ所、二十余年にして後にやむ。ここに至り彗星が天庭を干犯し、二太子が首として乱を起こし、三君が戮され、侯王で罪により死する者数十人に及んだ。これによって言えば、皇天の疾威(速やかな威罰)の誡めは、慎しまざるべからざるものである。

太安元年六月辛酉、河鼓より星が起こり、東に流れ、尾跡があり、光明が地を照らした。河鼓は履険の兵、負海(海に背く)の象である。昭盛は人君の事であり、星の往く所に、君まさにこれに従う。二年を隔てて、帝は遼西に行幸し、碣石に登って滄海に臨み、さらに過ぎた郡国の租税を一年免除した。これまた尾跡の徴である。〈この年五月、火星が斗宿に入った。斗宿は形命の養いを主る。その後、三呉に飢饉が重なり、連年疾疫が流行した。〉

三年夏四月、熒惑星が太白星を犯した。占いでは「これを相鑠(互いに焼き尽くす)と謂い、事を挙げ兵を用うべからず、師を成して出でてその雄(主将)に禍いする象なり」という。明年、宋の将殷孝祖が魏の南辺を侵し、詔して征南将軍皮豹子にこれを撃たせ、宋軍は大敗した。〈或いは言う:金と火が合うのは、喪事を主る。明年十月、金星がまた哭星を犯した。十二月、征東将軍・中山王託真が薨去した。〉

三年十一月、熒惑星が房宿の鈎鈐星を犯した。これは強臣が制御されず、王者これに憂うというものである。四年正月に至り、月が太微垣に入り、西蕃を犯した。三月、また五諸侯を犯した。占いでは「諸侯大臣に謀反を企て誅殺される者あり」という。この月、太白星が房宿を犯し、月が南斗に入った。いずれも宋の分野である。占いでは「国に変あり、臣乱を為す」という。十一月、長星が奎宿より出で、色白く、蛇行し、尾跡があり、消滅した後、白雲に変わった。奎は徐方(徐州方面)、また魯の分野である。占いでは「下に流血積骨あり」という。明年、宋の兗州刺史竟陵王誕が広陵を拠点として乱を起こし、宋主自ら戎(軍)に臨み、夏から秋にわたり、一日として戦わざる日なく、城が陥落すると、ことごとくこれを屠殺した。

四年八月、熒惑星が畢宿に留まり、徼垣の南に直った。占いでは「歳饉(凶作)」という。五年二月に至り、また東井に入った。占いでは「旱魃・兵乱・飢饉・疫病あり、大臣これに当たる」という。六月、太白星が鉞星を犯した。占いでは「兵起こり、 正朔 せいさく (年号)を改む」という。この年二月、 司空 しくう 伊馛が薨去した。十二月、六鎮・雲中・高平・雍州・秦州に飢饉と旱魃があった。明年、年号を和平と改めた。六月に至り、諸将が吐谷渾の什寅を討ち、遂に黄河を渡り窮くまでこれを追撃したが、軍中に大疫が発生したため還った。〈この年三月、流星数万が西に流れた。占いでは「小流星百数四面を行くは、庶人の遷る象なり」という。既にして吐谷渾が挙国西遁し、大軍がまたこれに随って追撃した。〉

四年九月、月は軒轅を犯し、十二月には氐を犯した。五年正月に至り、月は軒轅を掩い、また氐の東南星を掩う。これらは皆、后妃の府である。和平元年正月丁未、歳星は鬼を犯す。鬼は死喪を司り、歳星は人君である。これは君に喪事あることを示す。三月、月は軒轅を掩う。四月戊戌、皇太后は寿安宮にて崩御された。(『宋志』に云う、世間では人主の帷箔(私生活)が修まらぬ故に、天譴として軒轅に現れると噂された。また五年十一月、月は左執法を犯し、翌年十一月、またこれを犯す。占い曰く「大臣に憂いあり」。和平二年、征東将軍・河東王閭毗薨じ、十月、広平王洛侯薨ず。)

和平元年十月、長星が天倉より出で、長さ丈余。これは饑饉の兆しである。二年三月、熒惑が鬼に入る。これは五穀が実らず、また万人相食むと謂う。その後、定州・相州は飢饉に阻まれ、その田租を宥免した。時に三呉もまた凶旱が続き、死者十二三に及んだ。先だって元年四月、太白は東井を犯す。井・鬼は皆秦の分野、雍州に兵乱あるを示す。元年六月より、月は心の大星を犯し、前後に三度房を犯す。心は宋の分野。時に宋の君主はその諸弟を虐げ、後宮多く喪に服し、子女相継いで夭折し、哭泣の声絶え間なかった。この歳、諸将に詔して雍州の叛氐を討たしめ、大いにこれを破る。宋の雍州刺史・海陵王休茂もまた兵を挙げて乱を為す。一年を隔てて宋主殂し、嗣子は淫昏にして、政刑乱れた。(先だって元年十月、太白は氐に入る。占い曰く「兵起ること後宮にあり、白衣の会あり」。三年五月、歳星は上将を犯す。占い曰く「上将これに憂う」。三年八月、月は哭星を犯す。これらは皆、宋の凶兆である。この歳、楽良王万寿及び征東大将軍・常山王素並びに薨ず。)

二年三月辛巳、長星が天津より出で、色赤く、長さ一匹余、滅びてまた出で、大小百数を数う。天津は帝の都、船以て渡る所、神通四方、光大にして且つ衆し、人君の事を為す。天象は若し曰く、是れ将に千乗万騎の挙有りて、大川を絶ち逾えんとす、と。この月、卒五千余を発し、河西の狩猟道を通ず。後年の八月、帝は河西にて校猟し、宋主もまた大いに舟師を閲し、江右を巡狩すと云う。

二年九月、太白は南斗を犯す。斗は呉の分野。占い曰く「君死に政更り、大臣誅せらるる者有り」。十一月、太白は填星を犯す。填は女君なり、且つ曰く内兵有り、白衣の会有り。三年九月に至り、火星は積尸を犯す。占い曰く「貴人これに憂う、斧鉞用いらる」。十月、太白は歳星を犯す。歳は人君なり、而して兵喪を以てこれを干し、且つ死君・ さん 殺の禍有り。この月、熒惑は軒轅を守る。占い曰く「女主これに憂う、宮中兵乱す」。十一月、歳星は氐に入る。氐は正寝、歳は国あるの君なり。占い曰く「諸侯王来たりて宮に入る者有り」。五年二月、月は南斗の魁中に入り、第四星を犯す。占い曰く「大人憂い、太子傷つき、宮中に自ら賊する者有り、又大赦有り」。既にして宋の孝武帝及び宋后相継いで崩殂し、少主は輔臣を重ねて誅し、釁は戚属に連なり、群下相与ってこれを殺し、宋明帝を立てる。江南大いに饑え、且つ仍り、肆眚(赦し)の令有り。(先だって三年六月、太白は東井を犯し、七月、火星は井に入り、四年五月、金星・火星皆上相を犯し、五年六月、火星また井に入る。占い曰く「大臣憂う、斧鉞用いらる」。六年七月、月は心の前星を犯す。この月、宋は少主を殺し、その後乙渾の難有り。)

五年七月丁未、歳星は心を守る。心は明堂、歳は諸侯、長子入りてこれを守るは、君を立てる象なり。占い曰く「凡そ五星心を守れば、皆宮中の乱賊、群下に謀りて天子を立てんとする者有り」。七月己酉、流星有り、長さ丈余、紫微に入り、北辰の第三星を経て滅ぶ。占い曰く「大喪有り」。九月丁酉、火星は軒轅に入る。十一月、長星が織女より出で、色正白、彗星の象なり。女主の専制、将にここより始まらんとす、是を以て天視これに由る。長星は彗の著しきもの、易政の漸なり。冬、熒惑は太微に入り、上将を犯し、十二月、遂にこれを守る。占い曰く「公侯上を謀り、且つ臣を斬る者有り」。六年正月乙未、流星有り、長さ丈余、五車より発し紫宮の西蕃に抵りて乃ち滅ぶ。天象は若し曰く、群臣或いは覇刑を修め、蕃輔の任を干す、と。且つ占い曰く「政乱れて奇令有り」。四月、太白は五諸侯を犯す。占い曰く「専ら諸侯を殺す者有り」。五月癸卯、上は太華殿にて崩御し、車騎大将軍乙渾は詔を矯って尚書楊宝年等を禁中にて殺す。戊申、また 司徒 しと ・平原王陸麗を害す。明年、皇太后策を定めてこれを誅す。太后の臨朝、 馮氏 ふうし より始まる。或いは曰く、心は宋の分野。この歳六月、歳星は昼に南斗に見ゆ。斗は天禄、呉の分野なり。天象は若し曰く、或いは諸侯を以て君を干し代わってこれを奪わんとす、と。この冬、宋明帝は皇弟として践祚し、孝武帝の諸子兵を挙げてこれを攻め、四方響応す、尋いで皆誅せらる。太白の刑と歳星の祐有り。(この歳三月、流星西に行くもの数え勝えず、明け方に至りて止む。六月己卯に至り、また流星有り、多く西南に行く。星衆くして小は、庶人の象なり、星の首とする所、人将にこれに従わん。宋が孝武帝の諸子を討つに及び、大兵は首として尋陽より起こり、進んで荊雍を平らぐ。その後、張永の師は呂梁にて敗績し、魏師は尽く淮右を挙げ、その人を俘え、また西流の効なり。)

顕祖天安元年正月戊子、太白は歳星を犯す。歳は農事なり、肅殺これを干すは、是れ稼穡登らざるを示す。六月、熒惑は鬼を犯す。占い曰く「旱饑疾疫、金革用いらる」。八月丁亥、太白は房を犯す。占い曰く「霜雨節を失い、馬牛多く死す」。九月甲寅、熒惑は上将を犯し、太白は南斗第三星を犯す。占い曰く「貴人将相誅せらるる者有り」。十一月己酉、太白また歳星を犯す。或いは曰く、歳は諸侯、太白は兵刑の政を主り、再びこれを干すは、事重なるなり。この歳九月、州鎮十一旱饑す。十月、宋氏の六王皆戮死す。明年、宋師は呂梁にて敗れ、江南は饑饉に阻まれ、牛また大いに疫す。その後、東平王道符は副将及び雍州刺史を擅に殺し、長安を拠りて反し、詔して 司空 しくう 和其奴に討たしめてこれを滅ぼす。九月、詔して六鎮の孤貧に布帛を賜い、宋主は後宮の服御を以て征北の将士に賜う。後歳の夏、旱し、河決し、州鎮二十七皆饑え、尋いでまた天下大いに疫す。(元年六月、太白は左執法を犯し、十月、火星またこれを犯す。占い曰く「大臣に憂いあり、覇者の刑用いらる」。この歳六月、月は井を犯し、十月、またこれを掩う。皇興元年正月、月は井の北轅第二星を犯し、八月、またこれを蝕む。占い曰く「貴人これに当たり、将に死す者有り、水旱の祥なり」。道符の乱の明年、 司空 しくう 和其奴・太宰李峻皆薨ず。)

皇興元年四月、太白星が鎮星を犯す。占い曰く「城を攻め地を略する事有り」。六月壬寅、太白星が鬼宿を犯す、秦の分野なり。二年正月、太白星が熒惑を犯す。占い曰く「大兵起こる」。是の時、鎮南大将軍尉元・征南大将軍慕容白曜、淮泗を略定す。明年、徐州の群盗乱を起こし、元又これを討平す。後歳正月、上党王観、西征して吐谷渾を討ち、又大いにこれを破る。

二年九月癸卯、火星が太微上將を犯す。占い曰く「上將誅せらる」。先に元年六月、熒惑が氐宿を犯し、是の歳十一月、太白星又これを犯す、是れ内宮に憂逼の象有り。占い曰く「天子其の宮を失う」。四年十月、済南王慕容白曜を誅す。明年、上、太后に迫られ、位を太子に伝う、是れ孝文帝なり。〈宋志は以て、先に比年、月頻りに左角を犯し、占い曰く「天子之を悪む」と為す。及び上位を遜り、而して宋明帝も亦殂す。〉

高祖延興元年十月庚子、月、畢口に入る。畢は魏の分野。占い曰く「小人上を罔し、大人位を易え、国に主を拘え臣を反する者有り」。十二月辛卯、火星が鈎鈐を犯す。鈎鈐は以て天駟を統べ、火星は内乱を主る。天象言わく:人君馭を失い、或いは乱政を以て之に乗ず、と。乙巳、鎮星が井宿を犯す。夫れ井は天下の平なり、而して女君以て之を干す、是れ后刑柄を窃む。占い曰く「天下主無く、大人之を憂え、過賞の事有り」。二年正月、月、畢を犯す。丙子、月、東井を犯す。庚子、又之の如し。占い曰く「天下変有り、令貴人多く死する者有り」。

三年八月、月、太微を犯す。又群陰制せざるの象なり。是の時馮太后、朝に宣淫し、小人に昵近して之を附益し、費やす所巨万億を以て計う、天子徒に尸位するのみ。二年九月、河間王閭虎皮、貪残を以て死を賜う。其の後、 司空 しくう ・東平郡王陸麗、事に坐して兵と為るを廃せられ、既にして宮車晏駕す。〈或いは曰く、月畢口に入るは赦令なり。二年正月、京師及び秦涼諸鎮を曲赦す。星及び月井を犯すは、皆水災なり、且つ旱の祥なり。是の歳九月、州鎮十一水旱有り、詔して其の田租を免じ、倉を開き乏を賑う。〉

四年九月己卯、月、畢を犯す。七月丙申、太白星が歳星を犯す、角宿に在り。丁卯、太白星又氐宿に入る。太白星は母后の幾有り、兵喪の政を主り、以て君を外朝に干し而して其の宿宮に及ぶ、是れ将に劫殺の虞有らんとす。二月癸丑、月、軒轅を犯す。甲寅、又歳星を犯す。月は強大の臣、主女の象、始め后妃の府よりして少陽の君を干し、人主に戒敬の備を以て示す。五年三月甲戌、月、填星を掩す。天象言わく:是れ又僻行制せずして其の紀綱を棄つ、と。且つ占い曰く「貴人強死し、天下乱る」。三月癸未、金星・火星皆羽林に入る。占い曰く「臣主を賊せんと欲し、諸侯の兵尽く発す」。八月乙亥、月、畢を掩す。十一月、月、軒轅に入り、第二星を食む。承明元年四月に至り、月、尾宿を食む。五月己亥、金星・火星皆軒轅に入る。庚子、相逼りて同光す。皆后妃の謫なり。天言わく:母后の釁幾に盈ち貫かんとす、人君祖考の業を忘れ、匹夫の孝を慕う、其れ宗祀を如何せん、と。是の時、献文悟らず、六月に至り暴崩し、実に酖毒の禍有り。是に由りて言えば、皇天履霜の萌を覩する有りて、之が為に象を成すこと久し。其の後、文明皇太后崩じ、孝文皇帝方に諒陰の儀を修め、孺子の慕を篤くし、竟に春秋の義を述宣し、供人の党を懲らす能わず、是を以て胡氏之に循い、卒に魏室を傾く、豈哀しまざらんや。或いは曰く:太白星歳星を天門に犯すは、臣を以て君を伐つの象。金星・火星同光すは、又兵乱の徴。時宋主昏狂し、公侯近戚冤死相継ぐ。既にして桂陽・建平王並びに兵を称し内侮し、矢宮闕に及び、僅に之を戡す。尋で左右の楊玉夫等に殺さる。〈或いは曰く:月歳星・鎮星を犯し、金星・火星軒轅に入るは、皆饉の祥なり。月畢を掩すは、辺兵を主る。四年、州鎮十三饑う。又比歳蝗旱有り。太和元年、雲中又饑え、倉を開き之を賑う。先に、四年四月丙午、大星有り西に流れ、殷殷として声有り。十一月辛未、又之の如し。是の歳五月、宋桂陽王江州に反す。間歳、沈攸之江陵に反し、皆大兵西伐の為す所と為る。時江南内に携わるを以て、又詔して五将蜀を伐たしむ。〉

太和元年五月庚子、太白星が熒惑を犯す、張宿に在り、南国の次なり。占い曰く「其の国兵喪並びに興り、軍大戦有り、人主死す」。壬申、水星・土星翼宿に合し、皆太微に入る、主令行なわれざるの象なり。占い曰く「女主持政し、大夫綱を執り、国且つ内乱し、群臣相殺す」。九月丁亥、太白星昼見し、天を経て、光色尤盛んなり、姓を更むるの祥なり。二年九月、火星が鬼宿を犯す。占い曰く「主淫泆を以て政を失い、相死す」。三年三月、月、心宿を犯す。心は天王、又宋の分野。三月、填星逆行して太微に入り、左掖門内に留まる。占い曰く「土南宮を守れば、必ず国破れ代易わる。逆行するは、事逆なり」。元年三月より二年六月に至るまで、月行五たび太微を犯し、劉氏の晋を篡うと同占。又元年八月より三年五月に至るまで、月行六たび南斗を犯し、魁中に入る。斗は大人の寿命、且つ呉の分野。是の時馮太后専政し、而して宋将蕭道成も亦威福の権を擅にし、方に劉氏を図る。宋 司徒 しと 袁粲 えんさん 、石頭に兵を起こし、沈攸之、江陵に兵を起こし、将に之を誅せんとす、克たず、皆其の為に殺さる。三年四月、竟に其の君を篡いて自立す、是れ斉帝なり。是の年五月、又宋君を丹陽宮に害す。〈又元年十月、月、昴宿を犯す、刑獄の事たり。二年六月、月、房宿を犯す。占い曰く「貴人誅せらるる者有り」。或いは曰く「月斗を犯すも、亦大臣の謫なり」。其の後李惠誅せられ、宜都王・長楽王並びに死を賜う。又元年二月壬戌、月、井宿に在り、参・畢・両河・五車を暈す。占い曰く「大赦有り」。八月に至り、天下に大赦す。三年正月壬子、又觜・参・昴・畢・五車・東井を暈す。十月に至り、天下に大赦す。〉

三年(太和三年)、五月より十二月に至るまで、月が三度斗魁の中に入った。四年五月庚戌、七月己巳、また同じく入った。六年二月、また斗魁の第二星を犯した。占いには「その国の大人に憂いあり、三年を出でず」とある。七月丁未、十月丙申、月が再び心の大星を犯した。四年正月より六年二月に至るまで、また五度これを干した。斗は爵禄の柄、心は布政の宮なり。月が行きてこれを干し轢するは、また以て重なるなり。その占いには「月心を犯せば、乱臣側に在り、亡君の戒めあり、人主善事を以て殃を除く」とある。この時、馮太后が少主を危うくせんとすること数度なり。帝は春秋まさに富み、而して事を承け孝敬し、動くに礼に違うこと無し。故に竟に咎無きを得たり。六年三月に至り、斉主殂す。或いは曰く、月斗を犯すれば、その国に兵の憂いあり。心はまた 州なり。時に比歳連兵して南を討つ。五年二月、淮陽において斉師を大破し、また斉の下蔡軍を撃ち、これを大いに敗る。(先に三年八月、金星軒轅を犯す。四年二月、また軒轅の第二星を犯す。六年正月、また軒轅の大星を犯す。八月、また軒轅の左角を犯す。左角は后の宗なり。この時、太后淫乱にして、而して幽后の姪娣、また将に薄徳ならんとす。天言うこと若し曰く、これ周南の風無く、訓うるに足らず、故に月・太白頻りにこれを干す。)

三年九月庚子、太白左執法を犯す。十二月丙戌、月これを犯す。四年二月辛巳、月またこれを犯す。九月壬戌、太白またこれを犯す。五年二月癸卯、月太微西蕃の上将を犯す。六年十月乙酉に至り、熒惑またこれを犯す。夫れ南宮の執法は、淫忒を糾し、肅雍を成す所以なり。而して上将は朝庭の輔なり。天象言うこと若し曰く、王化将に弛らんとし、淫風幾くんぞ興らんとす。固より天下を令するに足らず。而して廷臣これを糾弼するもの莫し。安んぞ之を用いんや。文明太后、独り幸臣を厚くすと雖も、而して公卿坐して栄賜を受くる者の費も亦巨億、素餐に近し。その三年九月、安楽王長楽獄に下り死し、隴西王源賀薨ず。四年正月、広川王略薨ず、襄城王韓頹辺に徙る。七月、頓丘王李鍾葵死を賜う。その後、任城王雲・中山王叡また薨ず。比年死黜相継ぐ、蓋し天の謫存するなり。(四年春月、また火を掩い、亦た大臣死黜の祥なり。また比年、月再び昴を犯す、亦た獄事と白衣の会の為なり。)

五年九月辛巳、填星軫において辰星を犯す。占いには「饑の為、内乱の為、且つ壅川溢水の変有り」とある。この歳、京師大いに霖雨し、州鎮十二饑す。六年七月丙申に至り、また大流星東壁より起り、光明地を燭し、尾長さ二丈余り。東壁は土功の政なり。この月卒五万を発し、霊丘道を通ず。十月己酉、流星有りて翼に入り、尾長さ五丈余り。七星は中州の羽儀、翼は南国なり。天象言うこと若し曰く、将に文明の士を択び、楚邦に使わんとす。明年、員外 散騎常侍 さんきじょうじ 李彪斉に使い、始めて二国の好を通ず。(四年正月丁未、月畢に在り、参・井・五車を暈す。赦の祥なり。四月、廷尉獄に幸し、囚徒を録す。明年二月、大赦す。この月、月翼に在り、偏日暈有り、五車・東井・軒轅・北河・鬼を侵し、北斗・紫垣・摂提に至る。六年正月癸亥、月畢に在り、参の両肩・五車・胃・昴・畢を暈す。甲戌に至り、天下大赦す。江南嗣君即位し、亦た大赦し元を改む。)

七年六月庚午辰時、東北に流星一有り、大きさ太白の如く、北に流れて三段に破る。十月己亥、星隕ちて虹の如し。この時、太后朝を専らにし、且つ外嬖多し。天子と雖も之に倚附す。故に干明の謫有り。破れて三と為るは、勢いに席する者衆きなり。昔春秋に星隕ちて雨の如し、而して群陰起りて覇をなす。その後漢の成帝の時、旰日晦冥し、衆星行きて隕ち、燿燿として雨の如く、而して王氏の禍萌ゆ。ここに至りて天妖復た見え、又元后と同じ符に合す。

十年八月辰時、星落ちて流火三道の如きもの有り。戊寅、また流星日より西南一丈所に出で、西北に流れ、大きさ太白の如く、午西に至りて二段に破れ、尾長さ五尺、また二つに分かれ、雲間に入る。仍て見ゆるは、事重なるなり。後代其の踵を行い、以て分崩離析に至らんか。先に、七年十月、客星有りて斗の如く大なり、参の東に在り、孛に似たり。占いには「大臣に主の命を執る者有り、且つ歳旱れて糴貴し」とある。十年九月、熒惑歳星を犯す。歳星は農事を主り、火星乱気を以てこれを干すは、五穀旱傷の象なり。占いには「元陽以て饉し、人安からず」とある。八年より十一年に至るまで、黎人饑に阻まれ、且つ仍歳災旱す。(八年正月辛巳、月畢に在り、井・歳星・觜・参・五車を暈す。占いには「赦有り、糴貴し」とある。その年六月、大赦す。冬、州鎮十五水旱し、人饑う。九年正月、月参に在り、觜・参の両肩・五車を暈す。大赦の為、水の為。戊申、月井を犯す。水の祥なり。この歳、冀定数州大水し、人男女を鬻ぐ者有り、京師及び州鎮十三水旱して稼を傷つく。明年、大赦す。)

十一年三月丁亥、火星・土星南斗に合す。填星は履霜の漸、斗は経始の謀なり。而して天視これに由る、以て大人の戒めと為す所以なり。占いには「その国内乱し、事を挙げ兵を用うべからず」とある。この時、斉主諸侯王を酷く持すること甚だし。酒食の饋と雖も、猶おこれを有司に裁す。故に天言うこと若し曰く、根を保ち本を固め、以て長代の謀を貽す所以に非ず、内乱ここより興ると。五月丁酉、太白天を経て、昼に見え、庚子遂に畢を犯す。畢はまた辺兵なり。この歳、蠕蠕辺を寇す。明年、斉将陳達我が南鄙を伐ち、澧陽を陥す。間歳して斉の君子子響有司に御せられ、遂に憤怒して反し、誅に伏す。及び斉主殂えて西昌侯これに篡す。高・武の子孫所在棊布す、皆拱手して戮に就く。亦た斉君自らこれを為すなり。(十一年六月乙丑、月斗を犯す。丙寅、遂に建星を犯す。亦た図始の謀なり。十二年七月、月牛を犯す。十三年六月、またこれを掩う。明年八月、またこれを犯す。牛は呉分を主る。占いには「国に憂い有り、大将戮さる」とある。亦た江南の兵饉の徴なり。)

七月癸丑、太白軒轅の大星を犯す。八月甲寅、またこれを犯す。皆女君の謫なり。天象言うこと若し曰く、軒轅は以て万物を母とし、后妃の以て兆人を母とするに由る。是固より穢多し、復た将に安く之を用いんや。その物類の感は、また稼穡の滋えざる候なり。この歳年穀登らず、人を聴して関を出で食に就かしむ。明年、州鎮十五皆大いに饑え、詔して倉を開き乏を賑す。間歳、太后崩ず。(この歳月三たび井に入り、金星またこれを犯す。占いには「陰陽和せず、水患と為らず且つ大旱す」とある。その後連年亢陽し、而して呉中比歳霖雨して稼を傷つく。)

十二年三月甲申、歳星が逆行して氐宿に入る。甲と申は、いずれも斉の分野である。占いには「諸侯王にして天子に昇る者あり」とある。逆行するとは、その事が逆であることを示す。先だって、去年十月、歳星・辰星・太白が氐宿に合した。これを驚立絶行と謂い、王公の改立を告げる。この年の四月、月が氐宿を犯し、歳星と同じ舎にあった。六月丁巳、月は再び氐宿に入り、歳星を犯した。月は強大の臣、歳星は少君である。歳星と同心の内宮にあってこれを干犯するは、強宗が命を擅にして、その君を逼奪する象である。再びこれを干すは、その事が重ねて至ることを示す。

十三年三月庚申、月が歳星を犯す。十五年六月、またこれを犯す。歳星が宿宮に在らざるは、これ強侯の譴りである。江南では太子・賢王が相次いで薨じ、既にして斉の武帝崩御し、太孫幼沖にして、西昌侯が政を輔けたが、遂に二君を殺してこれを さん した。月が再び氐宿を犯し、及び逆行の効験である。(或いは曰く、月が木星を犯すは、饑饉の兆しなり。時に比年、稼穡登らず。また十二年正月戊戌、月が左角を犯し、十一月丙寅、また同じ。七月、金星また左角を犯す。角は外朝にして、かつ兵政なり。占いには「三年を出でずして、天下に兵あり、主子死し、大君これを悪む」とある。十四年に至り、子響誅され、一年を隔てて斉室乱る。)

十二年四月癸丑、月・火星・金星が井宿に会す。辛酉、金星が火星を犯す。甲戌、火星・水星またともに井宿に入る。いずれも雨暘節を失い、万物成らざる候なり。かつ曰く、王業将に易り、諸侯貴人多く死す、と。この年、月は四度氐宿に入る。十月、辰星これに入る。閏月丁丑、火星が氐宿を犯す。乙卯、またこれに入る。占いには「大旱歳荒れ、人且つ相食い、国政を易え、君宮を失い、遠期五年」とある。氐はまた女君の府なり。この年、両雍及び 州旱饉す。明年、州鎮十五大いに饑う。十四年に至り、太后崩ず。時に江南・北連年災雨あり、十七年に至り、劫殺の禍あり、誅死相踵ぐ。(この年、月三たび房宿を犯す。十三年四月、またこれを犯す。七月より十月に至り、再び鍵閉を犯す。占いには「乱臣あり、三年を出でずして其の主を伐つ」とある。十二年七月より十四年八月に至るまで、月再び牛宿を犯し、また再びこれを掩う。凡そ六たび牛宿を犯し且つこれを掩う。牛は呉越、饑饉の兆しなり。畢は魏の分野。かつ曰く、貴人多く死免す、と。十二年九月、 司徒 しと ・淮南王他薨ず。十三年、光州の人王泰反し、章武王・汝陰王・南安王の三王皆贓によりて廃せられ、安豊王猛・ 司空 しくう 荀頹並びに薨ず。十四年、地豆于及び庫莫奚頻りに塞を犯し、京兆王庶人に廃せらる。)

校勘記

原本を確認する(ウィキソース):魏書 巻105之三