隋書

巻082

巻八十二列傳第四十七 南蠻

巻八十二列傳第四十七 南蠻

原文卷八十二列傳第四十七 南蠻 ► 西域

【序】

原文【序】

南蠻の雑類は、華人と錯居し、蜒(えん)と曰い、獽(じょう)と曰い、俚(り)と曰い、獠(ろう)と曰い、㐌(しゃ)と曰う。皆、君長無く、山洞に随って居り、古先の所謂る百越ひゃくえつ(ひゃくえつ)これなり。その俗は断髪文身し、相攻討するを好み、浸(し)みて微弱となり、稍(やや)中国に属し、皆郡県として列せられ、斉人せいじん(せいじん)と同じくす。復た詳しく載せず。大業たいぎょう年中、南荒より朝貢する者十余国あり。その事跡多く湮滅して聞くこと無し。今存録する所は、四国のみなり。

原文南蠻雜類,與華人錯居,曰蜒,曰獽,曰俚,曰獠,曰㐌,俱無君長,隨山洞而居,古先所謂百越是也。其俗斷髮文身,好相攻討,浸以微弱,稍屬於中國,皆列為郡縣,同之齊人,不復詳載。大業中,南荒朝貢者十餘國,其事迹多湮滅而無聞。今所存錄,四國而已。

林邑

原文林邑

林邑の先は、漢末の交阯こうし(こうし)の女子徴側ちょうそく(ちょうそく)の乱に因り、内県の功曹の子区連おうれん(おうれん)が県令を殺し、自ら王と号す。子無く、その甥の范熊はんゆう(はんゆう)代わって立ち、死して、子の逸(いつ)立つ。日南じつなん(じつなん)の人范文はんぶん(はんぶん)は乱に因りて逸の僕隷となり、遂にこれに宮室を築き、器械を造ることを教う。逸は甚だ信任し、文に兵を将(ひき)いさせしむ。極めて衆心を得たり。文は間(ひま)にその子弟を間(はさ)み、或いは奔り、或いは徙(うつ)る。及び逸死し、国に嗣(つぎ)無く、文自立して王と為る。その後、范佛はんぶつ(はんぶつ)は晋の揚威将軍戴桓たいかん(たいかん)に破られたり。宋の交州刺史檀和之だんわし(だんわし)兵を将いてこれを撃ち、深くその境に入る。梁・陳に至りても、また使を通じ往来す。

原文林邑之先,因漢末交阯女子徵側之亂,內縣功曹子區連殺縣令,自號為王。無子,其甥范熊代立,死,子逸立。日南人范文因亂為逸僕隸,遂教之築宮室,造器械。逸甚信任,使文將兵,極得眾心。文因間其子弟,或奔或徙。及逸死,國無嗣,文自立為王。其後范佛為晉揚威將軍戴桓所破。宋交州刺史檀和之將兵擊之,深入其境。至梁、陳,亦通使往來。

その国は延袤数千里、土は香木金宝多く、物産は大抵交阯と同じし。塼(せん)を以て城と為し、蜃灰しんかい(しんかい)を塗り、戸は東に向く。尊官に二あり。其一は西那婆帝せいなばてい(せいなばてい)と曰い、其二は薩婆地歌さつばちか(さつばちか)と曰う。その属官は三等あり。其一は倫多姓りんたせい(りんたせい)と曰い、次は歌倫致帝かりんちてい(かりんちてい)と曰い、次は乙他伽蘭おつたからん(おつたからん)と曰う。外官は分かれて二百余部と為す。その長官は弗羅ふつら(ふつら)と曰い、次は可輪かりん(かりん)と曰う。牧宰の差の如し。王は金花冠を戴き、形は章甫しょうほ(しょうほ)の如く、朝霞布ちょうかふ(ちょうかふ)を衣(き)、珠璣瓔珞しゅきようらく(しゅきようらく)を垂れ、足は革履かくり(かくり)を躡(ふ)み、時にまた錦袍きんほう(きんほう)を加う。良家の子、侍衞する者二百許人、皆、金装の刀を執る。弓・箭・刀・槊(さく)あり、竹を以て弩(ど)と為し、毒を矢に傅(つ)く。楽に琴・笛・琵琶・五絃あり、頗る中国と同じし。毎に鼓を撃って以て衆を警(いまし)め、蠡(ら)を吹いて以て戎(じゅう)に即(つ)く。

原文其國延袤數千里,土多香木金寶,物產大抵與交阯同。以塼為城,蜃灰塗之,東向戶。尊官有二:其一曰西那婆帝,其二曰薩婆地歌。其屬官三等:其一曰倫多姓,次歌倫致帝,次乙他伽蘭。外官分為二百餘部。其長官曰弗羅,次曰可輪,如牧宰之差也。王戴金花冠,形如章甫,衣朝霞布,珠璣瓔珞,足躡革履,時復錦袍。良家子侍衞者二百許人,皆執金裝刀。有弓、箭、刀、槊,以竹為弩,傅毒於矢。樂有琴、笛、琵琶、五絃,頗與中國同。每擊鼓以警眾,吹蠡以即戎。

その人は深目高鼻、髪は拳(ま)がり色黒し。俗は皆、徒跣はだし(とせん)し、幅布を以て身に纏う。冬月は袍(ほう)を衣る。婦人は椎髻ついけい(ついけい)す。椰葉やよう(やよう)の席を施す。毎に婚媾こんこう(こんこう)有れば、媒者に命じて金銀の釧(うでわ)・酒二壺・魚数頭を齎(もた)らして女家に至らしむ。ここにおいて日を択び、夫家は親賓を会し、歌儛かぶ(かぶ)相対す。女家は一の婆羅門ばらもん(ばらもん)を請い、女を送って男家に至らしめ、壻(むこ)は手を盥(すす)ぎ、因って女を牽きてこれを授く。王は死すること七日にして葬り、官有る者は三日、庶人は一日なり。皆、函(はこ)を以て屍を盛り、鼓儛導従し、輿(こし)に乗せて水次すいし(すいし)に至り、薪を積みてこれを焚く。その余骨を収め、王は則ち金甖きんえい(きんえい)の中に内(い)れ、これを海に沈む。官有る者は銅甖を以てし、これを海口に沈む。庶人は瓦を以てし、これを江に送る。男女は皆、髪を截(た)ち、喪に随いて水次に至り、哀を尽くして止む。帰れば則ち哭(こく)せず。毎に七日、香を然(も)やし花を散じ、復た哭し、哀を尽くして止む。七七しちしち(しちしち)を尽くして罷(や)む。百日・三年に至るも、またこの如し。人皆、仏を奉じ、文字あざなは天竺と同じし。

原文其人深目高鼻,髮拳色黑。俗皆徒跣,以幅布纏身。冬月衣袍。婦人椎髻。施椰葉席。每有婚媾,令媒者齎金銀釧、酒二壺、魚數頭至女家。於是擇日,夫家會親賓,歌儛相對。女家請一婆羅門,送女至男家,壻盥手,因牽女授之。王死七日而葬,有官者三日,庶人一日。皆以函盛屍,鼓儛導從,輿至水次,積薪焚之。收其餘骨,王則內金甖中,沉之於海;有官者以銅甖,沉之於海口;庶人以瓦,送之於江。男女皆截髮,隨喪至水次,盡哀而止,歸則不哭。每七日,然香散花,復哭,盡哀而止,盡七七而罷,至百日、三年,亦如之。人皆奉佛,文字同於天竺。

高祖こうそ(こうそ)陳を平げたる後、乃ち使いを遣わして方物を献ぜしむ。その後、朝貢遂に絶ゆ。時に天下事無く、群臣林邑に奇宝多しと言う者あり。仁寿じんじゅ(じんじゅ)の末、上(天子)は大将軍劉方りゅうほう(りゅうほう)を遣わして驩州道かんしゅうどう(かんしゅうどう)行軍総管と為し、欽州刺史甯長真ねいちょうしん(ねいちょうしん)・驩州刺史李暈りうん(りうん)・開府秦雄しんゆう(しんゆう)の歩騎万余及び犯罪者数千人を率いてこれを撃たしむ。その王梵志ぼんし(ぼんし)はその徒を率いて巨象に乗りて戦い、方の軍利あらず。方ここにおいて多く小坑を掘り、草をその上に覆い、因って兵を以てこれを挑(いど)む。梵志は衆を悉くして陣し、方と戦い、偽りに北(に)ぐ。梵志これを逐う。坑の所に至り、その衆多く陥り、転た相驚き駭(おどろ)き、軍遂に乱る。方は兵を縦(はな)ってこれを撃ち、大いにこれを破る。頻りに戦いて輒(すなわ)ち敗れ、遂に城を棄てて走る。方その都に入り、その廟主十八枚を獲たり。皆、金を鋳てこれを為す。蓋(けだ)しその国を有つこと十八葉よう(よう)なり。方は師を班(かえ)す。梵志その故地を復し、使いを遣わして罪を謝す。ここにおいて朝貢絶えず。

原文高祖既平陳,乃遣使獻方物,其後朝貢遂絕。時天下無事,羣臣言林邑多奇寶者。仁壽末,上遣大將軍劉方為驩州道行軍總管,率欽州刺史甯長真、驩州刺史李暈、開府秦雄步騎萬餘及犯罪者數千人擊之。其王梵志率其徒乘巨象而戰,方軍不利。方於是多掘小坑,草覆其上,因以兵挑之。梵志悉眾而陣,方與戰,偽北,梵志逐之,至坑所,其眾多陷,轉相驚駭,軍遂亂。方縱兵擊之,大破之。頻戰輒敗,遂棄城而走。方入其都,獲其廟主十八枚,皆鑄金為之,蓋其有國十八葉矣。方班師,梵志復其故地,遣使謝罪,於是朝貢不絕。

赤土

原文赤土

赤土国は、扶南ふなん(ふなん)の別種なり。南海の中に在り、水行百余日にして都に達す。土色多く赤く、因って以て号と為す。東は波羅剌国はららつこく(はららつこく)、西は婆羅娑国ばらさこく(ばらさこく)、南は訶羅旦国からたんこく(からたんこく)、北は大海に拒(さえぎ)り、地方数千里。その王の姓は瞿曇氏くだんし(くだんし)、名は利富多塞りふたさい(りふたさい)と曰う。国の近遠あるを知らず。その父が王位を釈(す)てて出家して道と為り、位を利富多塞に伝うと称す。位に在ること十六年なり。三妻有り、並びに隣国の王の女なり。僧祗城そうぎじょう(そうぎじょう)に居す。門三重在り、相去ること各百許歩。毎門、飛仙・仙人・菩薩の像を図画し、金花の鈴毦れいじ(れいじ)を縣(か)け、婦女数十人、或いは楽を奏し、或いは金花を捧ぐ。又、四婦人を飾り、容飾は仏塔の辺の金剛力士の状の如く、門を夾(はさ)みて立つ。門外の者は兵仗を持ち、門内の者は白仏びゃくぶつ(びゃくぶつ)を執る。道を夾みて素網を垂れ、花を綴(つづ)る。王宮の諸屋は悉く是れ重閣、戸は北にし、北面して坐す。三重の榻(とう)に坐す。朝霞布を衣、金花冠を冠(かん)し、雑宝の瓔珞を垂る。四女子立ちて侍し、左右に兵衞百余人在り。王の榻の後、一の木龕もくがん(もくがん)を作り、金銀五香木を以て雑(まじ)えて鈿(ちゅう)す。龕の後、一の金光焰きんこうえん(きんこうえん)を懸け、榻を夾みて又、二の金鏡を樹(た)て、鏡の前並びに金甕きんおう(きんおう)を陳(つら)ね、甕の前各おの金香炉有り。当(まさ)に前に一の金伏牛きんふくぎゅう(きんふくぎゅう)を置き、牛の前に一の宝蓋ほうがい(ほうがい)を樹て、蓋の左右皆、宝扇有り。婆羅門等数百人、東西重行ちょうこう(ちょうこう)し、相向いて坐す。その官に薩陀迦羅さだから(さだから)一人、陀拏達义だなたつぎ(だなたつぎ)二人、迦利蜜迦かりみか(かりみか)三人有り、共に政事を掌る。俱羅末帝くらまってい(くらまってい)一人、刑法を掌る。毎城に那邪迦なやか(なやか)一人、鉢帝はってい(はってい)十人を置く。

原文赤土國,扶南之別種也。在南海中,水行百餘日而達所都。土色多赤,因以為號。東波羅剌國,西婆羅娑國,南訶羅旦國,北拒大海,地方數千里。其王姓瞿曇氏,名利富多塞,不知有國近遠。稱其父釋王位出家為道,傳位於利富多塞,在位十六年矣。有三妻,並鄰國王之女也。居僧祗城,有門三重,相去各百許步。每門圖畫飛仙、仙人、菩薩之像,縣金花鈴毦,婦女數十人,或奏樂,或捧金花。又飾四婦人,容飾如佛塔邊金剛力士之狀,夾門而立。門外者持兵仗,門內者執白佛。夾道垂素網,綴花。王宮諸屋悉是重閣,北戶,北面而坐。坐三重之榻。衣朝霞布,冠金花冠,垂雜寶瓔珞。四女子立侍,左右兵衞百餘人。王榻後作一木龕,以金銀五香木雜鈿之。龕後懸一金光焰,夾榻又樹二金鏡,鏡前並陳金甕,甕前各有金香爐。當前置一金伏牛,牛前樹壹寶蓋,蓋左右皆有寶扇。婆羅門等數百人,東西重行,相向而坐。其官有薩陀迦羅一人,陀拏達义二人,迦利蜜迦三人,共掌政事;俱羅末帝一人,掌刑法。每城置那邪迦一人,鉢帝十人。

その俗、等しく皆、耳を穿ち髪を剪(き)り、跪拝の礼無し。香油を以て身を塗る。その俗、仏を敬い、尤も婆羅門を重んず。婦人は髻(けい)を項後に作る。男女通じて朝霞・朝雲の雑色布を以て衣と為す。豪富の室は、恣(ほしいまま)に華靡かび(かび)を極む。唯だ金鎖きんさ(きんさ)は王の賜わらざれば服用するを得ず。毎に婚嫁有れば、吉日を択び、女家は先だって五日、楽を作し酒を飲み、父は女の手を執りて以て壻に授く。七日にして乃ち配す。既に娶れば則ち財を分かち別居す。唯だ幼子は父と同居す。父母兄弟死すれば則ち髪を剔(そ)り素服し、水上に就きて竹木を構えて棚と為し、棚内に薪を積み、屍をその上に置く。香を焼き幡を建て、蠡を吹き鼓を撃って以てこれを送り、火を縦(はな)って薪を焚き、遂に水に落つ。貴賤皆同じ。唯だ国王は焼き訖(おわ)り、灰を収めて金瓶に貯え、廟屋に蔵む。冬夏常に温かく、雨多く霽(は)れ少なく、種植に時無し。特(とく)に稻・穄(し)・白豆・黒麻に宜しく、自余の物産は多く交阯と同じし。甘蔗かんしゃ(かんしゃ)を以て酒を作り、紫瓜根しかこん(しかこん)を雑(まじ)う。酒の色は黄赤、味も亦、香美なり。亦、椰漿やしょう(やしょう)を以て酒と為す。

原文其俗等皆穿耳剪髮,無跪拜之禮。以香油塗身。其俗敬佛,尤重婆羅門。婦人作髻於項後。男女通以朝霞、朝雲雜色布為衣。豪富之室,恣意華靡,唯金鎖非王賜不得服用。每婚嫁,擇吉日,女家先期五日,作樂飲酒,父執女手以授壻,七日乃配焉。既娶則分財別居,唯幼子與父同居。父母兄弟死則剔髮素服,就水上構竹木為棚,棚內積薪,以屍置上。燒香建幡,吹蠡擊鼓以送之,縱火焚薪,遂落於水。貴賤皆同。唯國王燒訖,收灰貯以金瓶,藏於廟屋。冬夏常溫,雨多霽少,種植無時,特宜稻、穄、白豆、黑麻,自餘物產多同於交阯。以甘蔗作酒,雜以紫瓜根。酒色黃赤,味亦香美。亦名椰漿為酒。

煬帝ようだいが即位し、遠方の地に通じる者を募った。大業三年、屯田主事の常駿と虞部主事の王君政らが赤土国への使節となることを請うた。帝は大いに喜び、常駿らに帛をそれぞれ百匹、その時の服一揃いを賜って派遣した。五千段の物品を持たせ、赤土王に賜るものとした。その年の十月、常駿らは南海郡から船に乗り、昼夜二十日間、順風に恵まれて航行した。焦石山を過ぎ、東南に陵伽鉢抜多洲に停泊した。西は林邑と相対し、その上に神祠があった。さらに南へ航行し、師子石に至り、ここから島嶼が連なっていた。さらに二三日航行し、西に狼牙須国の山を望見し、ここで南に進んで鶏籠島に達し、赤土国の境界に至った。その王は婆羅門の鳩摩羅に船三十艘を率いさせて迎えさせ、法螺貝を吹き鼓を打ち、隋の使節を歓楽し、金の鎖を進めて常駿の船を繋いだ。一か月余りしてその都に至ると、王はその子の那邪迦を遣わし、常駿らと礼をもって会見することを請わせた。先に人を遣わして金盤を送り、香花と鏡鑷を貯え、金の合子二枚には香油を、金瓶八枚には香水を貯え、白疊布四條を送り、使者の盥洗の供えとしようとした。その日の未の刻、那邪迦はまた象二頭を率い、孔雀の蓋を持って使人を迎え、併せて金花と金盤を奉じて詔書の函を支えるものとした。男女百人が法螺貝と鼓を奏し、婆羅門二人が道を導き、王宮に至った。常駿らは詔書を奉じて上閣に上ると、王以下皆座った。詔を宣べ終えると、常駿らを導いて座らせ、天竺楽を奏した。事が終わると、常駿らは宿舎に還り、また婆羅門を宿舎に遣わして食事を送らせた。草の葉を盤とし、その大きさは一丈いちじょう四方であった。そこで常駿に言うには、「今は大国(隋)の中の人であり、もはや赤土国の者ではありません。飲食は粗末で薄いものですが、大国の御心にかけてお召し上がりください」と。後数日、常駿らを招いて宴に入らせ、儀仗や衛兵の導従は初見の礼と同じであった。王の前に二つの牀を設け、牀の上に共に草の葉の盤を設け、一丈五尺四方で、その上に黄・白・紫・赤の四色の餅、牛・羊・魚・鼈・猪・蝳蝐の肉百余品があった。常駿を延いて牀に昇らせ、従者は地の席に座り、それぞれ金の鍾に酒を置き、女楽が代わる代わる奏し、礼と贈り物は甚だ厚かった。まもなく那邪迦を遣わし、常駿に随行して方物を貢がせ、併せて金芙蓉冠と龍脳香を献上させた。金を鋳て多羅樹の葉とし、浮き彫りにして文様を成して上表文とし、金の函で封じ、婆羅門に香花を持たせ法螺貝と鼓を奏して送らせた。海に入ってから、緑色の魚が群れをなして水上を飛ぶのを見た。海を浮かびて十余日、林邑の東南に至り、山に沿って航行した。その海水の幅は千余歩、色は黄で気は腥く、船で一日航行しても絶えず、これは大魚の糞であるという。海の北岸に沿って、交阯に達した。常駿は大業六年の春に那邪迦と共に弘農で謁見し、帝は大いに喜び、常駿らに物二百段を賜い、共に秉義尉に任じ、那邪迦らには官位と賞賜をそれぞれ差等を設けて与えた。

原文煬帝即位,募能通絕域者。大業三年,屯田主事常駿、虞部主事王君政等請使赤土。帝大悅,賜駿等帛各百匹,時服一襲而遣。齎物五千段,以賜赤土王。其年十月,駿等自南海郡乘舟,晝夜二旬,每值便風。至焦石山而過,東南泊陵伽鉢拔多洲,西與林邑相對,上有神祠焉。又南行,至師子石,自是島嶼連接。又行二三日,西望見狼牙須國之山,於是南達雞籠島,至於赤土之界。其王遣婆羅門鳩摩羅以舶三十艘來迎,吹蠡擊鼓,以樂隋使,進金鎖以纜駿船。月餘,至其都,王遣其子那邪迦請與駿等禮見。先遣人送金盤,貯香花并鏡鑷,金合二枚,貯香油,金瓶八枚,貯香水,白疊布四條,以擬供使者盥洗。其日未時,那邪迦又將象二頭,持孔雀蓋以迎使人,并致金花、金盤以藉詔函。男女百人奏蠡鼓,婆羅門二人導路,至王宮。駿等奉詔書上閣,王以下皆坐。宣詔訖,引駿等坐,奏天竺樂。事畢,駿等還館,又遣婆羅門就館送食,以草葉為盤,其大方丈。因謂駿曰:「今是大國中人,非復赤土國矣。飲食疎薄,願為大國意而食之。」後數日,請駿等入宴,儀衞導從如初見之禮。王前設兩牀,牀上并設草葉盤,方一丈五尺,上有黃白紫赤四色之餅,牛、羊、魚、鼈、猪、蝳蝐之肉百餘品。延駿升牀,從者坐於地席,各以金鍾置酒,女樂迭奏,禮遺甚厚。尋遣那邪迦隨駿貢方物,并獻金芙蓉冠、龍腦香。以鑄金為多羅葉,隱起成文以為表,金函封之,令婆羅門以香花奏蠡鼓而送之。既入海,見綠魚羣飛水上。浮海十餘日,至林邑東南,並山而行。其海水闊千餘步,色黃氣腥,舟行一日不絕,云是大魚糞也。循海北岸,達于交阯。駿以六年春與那邪迦於弘農謁,帝大悅,賜駿等物二百段,俱授秉義尉,那邪迦等官賞各有差。

真臘

原文真臘

真臘国は、林邑の西南にあり、本来は扶南の属国である。日南郡から船で六十日かかり、南は車渠国に接し、西に朱江国がある。その王の姓は剎利氏、名は質多斯那という。その祖父の代から次第に強盛となり、質多斯那に至って、遂に扶南を併せてこれを有した。死ぬと、子の伊奢那先が代わって立った。伊奢那城に居し、城下に二万余家がある。城中に一大堂があり、これは王が政務を聴く所である。総じて大城三十を有し、城には数千家があり、それぞれ部帥がおり、官名は林邑と同じである。その王は三日に一度朝政を聴き、五香七宝の牀に坐り、その上に宝帳を施す。その帳は文木を竿とし、象牙と金の鈿を壁とし、小屋の如き形状で、金光の炎を懸け、赤土国と同じである。前に金香炉があり、二人が側に侍る。王は朝霞古貝を着け、腰腹に瞞絡を垂らし、脛まで下がり、頭には金宝の花冠を戴き、真珠の瓔珞を被り、足には革の履を履き、耳には金の璫を懸ける。常服は白疊で、象牙を屩とする。もし髪を露わにするならば、瓔珞を加えない。臣下の服装の制は、大抵似ている。五人の大臣があり、第一は孤落支、第二は高相憑、第三は婆何多陵、第四は舍摩陵、第五は髯多婁、及び諸々の小臣がある。王に朝する者は、階下で三度稽首する。王が階上に呼び上げれば、跪き、両手で膊を抱え、王を巡って環坐する。政事を議し終われば、跪き伏して去る。階・庭・門・閣には、侍衛が千余人おり、甲を被り仗を持つ。その国は参半・朱江の二国と和親し、しばしば林邑・陀桓の二国と戦争する。その国の人は行くにも止まるにも皆甲仗を持ち、もし征伐があれば、これによって用いる。その習俗では、王の正妻の子でなければ、後継者となれない。王が初めて立った日、すべての兄弟を刑罰で傷つけ、あるいは一指を去り、あるいはその鼻を切り、別の所で供給し、仕官進むことを得させない。

原文真臘國,在林邑西南,本扶南之屬國也。去日南郡舟行六十日,而南接車渠國,西有朱江國。其王姓剎利氏,名質多斯那。自其祖漸已強盛,至質多斯那,遂兼扶南而有之。死,子伊奢那先代立。居伊奢那城,郭下二萬餘家。城中有一大堂,是王聽政之所。總大城三十,城有數千家,各有部帥,官名與林邑同。其王三日一聽朝,坐五香七寶牀,上施寶帳。其帳以文木為竿,象牙、金鈿為壁,狀如小屋,懸金光焰,有同於赤土。前有金香鑪,二人侍側。王着朝霞古貝,瞞絡腰腹,下垂至脛,頭戴金寶花冠,被真珠瓔珞,足履革屣,耳懸金璫。常服白疊,以象牙為屩。若露髮,則不加瓔珞。臣人服製,大抵相類。有五大臣,一曰孤落支,二曰高相憑,三曰婆何多陵,四曰舍摩陵,五曰髯多婁,及諸小臣。朝於王者,輒以階下三稽首。王喚上階,則跪,以兩手抱膊,遶王環坐。議政事訖,跪伏而去。階庭門閣,侍衞有千餘人,被甲持仗。其國與參半、朱江二國和親,數與林邑、陀桓二國戰爭。其人行止皆持甲仗,若有征伐,因而用之。其俗非王正妻子,不得為嗣。王初立之日,所有兄弟並刑殘之,或去一指,或劓其鼻,別處供給,不得仕進。

人の体形は小さく色は黒い。婦人にも白い者がいる。皆、髪を拳げて耳に垂れ、性質は敏捷で強勁である。住居や器物は赤土国にやや似ている。右手を清浄とし、左手を穢れとする。毎朝澡洗し、楊枝で歯を清め、経呪を読誦する。また澡洒してから食し、食し終わればまた楊枝で歯を清め、また経呪を読む。飲食は多く蘇酪・沙糖・秔粟・米餅である。食しようとする時、先ず雑肉の羹を取り餅と和え、手でこねて食する。妻を娶る者は、ただ衣服一揃いを送り、日を選んで媒人を遣わし婦を迎える。男女の二家はそれぞれ八日間出ず、昼夜燈を燃やして絶やさない。男の婚礼が終われば、即ち父母と財を分けて別居する。父母が死ねば、小児で未婚の者には余財を与える。もし婚礼が終わっていれば、財物は官に没収される。その喪葬では、児女は皆七日間食さず、髪を剔いで哭き、僧尼・道士・親戚故旧が皆来て集い、音楽で送る。五香木で屍を焼き、灰を収めて金銀の瓶に盛り、大河の内に送る。貧しい者はあるいは瓦を用い、彩色でこれを画く。また焚かない者もあり、屍を山中に送り、野獣に任せて食わせる。

原文人形小而色黑。婦人亦有白者。悉拳髮垂耳,性氣捷勁。居處器物頗類赤土。以右手為淨,左手為穢。每旦澡洗,以楊枝淨齒,讀誦經呪。又澡洒乃食,食罷還用楊枝淨齒,又讀經呪。飲食多蘇酪、沙糖、秔粟、米餅。欲食之時,先取雜肉羹與餅相和,手擩而食。娶妻者,唯送衣一具,擇日遣媒人迎婦。男女二家各八日不出,晝夜燃燈不息。男婚禮畢,即與父母分財別居。父母死,小兒未婚者,以餘財與之。若婚畢,財物入官。其喪葬,兒女皆七日不食,剔髮而哭,僧尼、道士、親故皆來聚會,音樂送之。以五香木燒屍,收灰以金銀瓶盛,送于大水之內。貧者或用瓦,而以彩色畫之。亦有不焚,送屍山中,任野獸食者。

その国の北は多く山阜があり、南は水沢があり、地気は特に熱く、霜雪がなく、瘴癘や毒蠚が多い。土地は粱稲に適し、黍粟は少なく、果物と野菜は日南・九真と類似する。異なるものに婆那娑樹があり、花はなく、葉は柿に似、実は冬瓜に似る。菴羅樹は、花と葉は棗に似、実は李に似る。毗野樹は、花は木瓜に似、葉は杏に似、実は楮に似る。婆田羅樹は、花・葉・実は共に棗に似るが少し異なる。歌畢他樹は、花は林檎に似、葉は榆に似て厚く大きく、実は李に似、その大きさは升の如し。その他は多く九真と同じである。海の中に建同という名の魚があり、四足で鱗がなく、その鼻は象の如く、水を吸い上げて噴き、高さ五六十尺である。浮胡魚があり、その形は䱉に似、嘴は鸚鵡の如く、八足がある。大魚が多く、半身を水から出し、これを望むと山の如し。

原文其國北多山阜,南有水澤,地氣尤熱,無霜雪,饒瘴癘毒蠚。土宜粱稻,少黍粟,果菜與日南、九真相類。異者有婆那娑樹,無花,葉似柿,實似冬瓜;菴羅樹,花葉似棗,實似李;毗野樹,花似木瓜,葉似杏,實似楮;婆田羅樹,花葉實並似棗而小異;歌畢他樹,花似林檎,葉似榆而厚大,實似李,其大如升。自餘多同九真。海中有魚名建同,四足,無鱗,其鼻如象,吸水上噴,高五六十尺。有浮胡魚,其形似䱉,嘴如鸚鵡,有八足。多大魚,半身出水,望之如山。

毎年五、六月中、毒気が流行すれば、即ち白猪・白牛・白羊を以て城の西門外でこれを祠る。そうしなければ、五穀が実らず、六畜が多く死に、人々に疾疫が流行する。都の近くに陵伽鉢婆山があり、その上に神祠があり、毎に兵五千人でこれを守衛する。城の東に婆多利という名の神があり、祭祀には人肉を用いる。その王は年に別に人を殺し、夜に祀り祈り、また守衛する者千人がある。その鬼を敬うことこの如しである。多く仏法を奉じ、特に道士を信じ、仏及び道士の像を並べて館に立てる。

原文每五六月中,毒氣流行,即以白猪、白牛、白羊於城西門外祠之。不然者,五穀不登,六畜多死,人眾疾疫。近都有陵伽鉢婆山,上有神祠,每以兵五千人守衞之。城東有神名婆多利,祭用人肉。其王年別殺人,以夜祀禱,亦有守衞者千人。其敬鬼如此。多奉佛法,尤信道士,佛及道士並立像於館。

大業十二年、使いを遣わして貢献し、帝はこれを礼遇すること甚だ厚く、その後もまた絶えた。

原文大業十二年,遣使貢獻,帝禮之甚厚,其後亦絕。

婆利

原文婆利

婆利国は、交阯より海を渡り、南に赤土・丹丹を過ぎて、乃ち其の国に至る。国の境界は東西に四月行、南北に四十五日行。王の姓は剎利邪伽、名は護濫那婆。官に曰く獨訶邪挐、次に曰く獨訶氏挐。国人は輪刀を投げることを善くし、其の大きさ鏡の如く、中に竅あり、外の鋒は鋸の如し、遠くして人に投げれば、中らざるは無し。其の余の兵器は中国と略同。俗は真臘に類し、物産は林邑と同じ。其の人を殺し及び盗む者は其の手を截ち、姦ある者は其の足を鎖し、朞年にして止む。祭祀には必ず月晦を用い、盤に酒肴を貯え、之を流水に浮かぶ。毎年十一月、必ず大祭を設く。海より珊瑚出ず。鳥有り、名を舍利と曰い、人の語を解す。

原文婆利國,自交阯浮海,南過赤土、丹丹,乃至其國。國界東西四月行,南北四十五日行。王姓剎利邪伽,名護濫那婆。官曰獨訶邪挐,次曰獨訶氏挐。國人善投輪刀,其大如鏡,中有竅,外鋒如鋸,遠以投人,無不中。其餘兵器與中國略同。俗類真臘,物產同於林邑。其殺人及盜,截其手,姦者鎖其足,朞年而止。祭祀必以月晦,盤貯酒肴,浮之流水。每十一月,必設大祭。海出珊瑚。有鳥名舍利,解人語。

大業十二年、使いを遣わして朝貢し、後遂に絶ゆ。時に南荒に丹丹・盤盤の二国あり、亦来たりて方物を貢し、其の風俗物産は、大抵相類すと云う。

原文大業十二年,遣使朝貢,後遂絕。于時南荒有丹丹、盤盤二國,亦來貢方物,其風俗物產,大抵相類云。

史臣曰く、礼に云う「南方を蛮と曰い、火食せざる者有り」と。書に称す「蛮夷夏を猾えり」と。詩に曰く「蠢爾たる蛮荊」と。種類実に繁く、代として紛梗す。秦二楚を并せ、漢百越を平げてより、地は丹徼に窮まり、景は日南に極まり、水陸に居る可きは、皆郡県と為る。境の呉・蜀を分ち、時に晋・宋を経るに及び、道に污隆有り、服叛一ならず。高祖命を受け、克く九宇きゅううを平げ、煬帝業ていぎょうを纂ぎ、威八荒はっこうに加わる。遠夷に甘心し、志珍異を求むる故に、師は流求に出で、兵は林邑に加わり、威殊俗に振るい、秦・漢を過ぐること遠し。荒外の功有りと雖も、域中の敗を救う無し。伝に曰く「聖人に非ざれば、外寧くんば必ず内憂有り」と。誠に斯の言なるかな。

原文史臣曰:禮云:「南方曰蠻,有不火食者矣。」書稱:「蠻夷猾夏。」詩曰:「蠢爾蠻荊。」種類實繁,代為紛梗。自秦并二楚,漢平百越,地窮丹徼,景極日南,水陸可居,咸為郡縣。暨乎境分吳、蜀,時經晉、宋,道有污隆,服叛不一。高祖受命,克平九宇,煬帝纂業,威加八荒。甘心遠夷,志求珍異,故師出於流求,兵加於林邑,威振殊俗,過於秦、漢遠矣。雖有荒外之功,無救域中之敗。傳曰:「非聖人,外寧必內憂。」誠哉斯言也!