【序】
南蠻の雑類は、華人と錯居し、蜒と曰い、獽と曰い、俚と曰い、獠と曰い、㐌(しゃ)と曰う。皆、君長無く、山洞に随って居り、古先の所謂る百越これなり。その俗は断髪文身し、相攻討するを好み、浸みて微弱となり、稍中国に属し、皆郡県として列せられ、斉人と同じくす。復た詳しく載せず。大業年中、南荒より朝貢する者十余国あり。その事跡多く湮滅して聞くこと無し。今存録する所は、四国のみなり。
林邑
林邑の先は、漢末の交阯の女子徴側の乱に因り、内県の功曹の子区連が県令を殺し、自ら王と号す。子無く、その甥の范熊代わって立ち、死して、子の逸立つ。日南の人范文は乱に因りて逸の僕隷となり、遂にこれに宮室を築き、器械を造ることを教う。逸は甚だ信任し、文に兵を将いさせしむ。極めて衆心を得たり。文は間にその子弟を間み、或いは奔り、或いは徙る。及び逸死し、国に嗣無く、文自立して王と為る。その後、范佛は晋の揚威将軍戴桓に破られたり。宋の交州刺史檀和之兵を将いてこれを撃ち、深くその境に入る。梁・陳に至りても、また使を通じ往来す。
その国は延袤数千里、土は香木金宝多く、物産は大抵交阯と同じし。塼を以て城と為し、蜃灰を塗り、戸は東に向く。尊官に二あり。其一は西那婆帝と曰い、其二は薩婆地歌と曰う。その属官は三等あり。其一は倫多姓と曰い、次は歌倫致帝と曰い、次は乙他伽蘭と曰う。外官は分かれて二百余部と為す。その長官は弗羅と曰い、次は可輪と曰う。牧宰の差の如し。王は金花冠を戴き、形は章甫の如く、朝霞布を衣、珠璣瓔珞を垂れ、足は革履を躡み、時にまた錦袍を加う。良家の子、侍衞する者二百許人、皆、金装の刀を執る。弓・箭・刀・槊あり、竹を以て弩と為し、毒を矢に傅く。楽に琴・笛・琵琶・五絃あり、頗る中国と同じし。毎に鼓を撃って以て衆を警め、蠡を吹いて以て戎に即く。
赤土
赤土国は、扶南の別種なり。南海の中に在り、水行百余日にして都に達す。土色多く赤く、因って以て号と為す。東は波羅剌国、西は婆羅娑国、南は訶羅旦国、北は大海に拒り、地方数千里。その王の姓は瞿曇氏、名は利富多塞と曰う。国の近遠あるを知らず。その父が王位を釈てて出家して道と為り、位を利富多塞に伝うと称す。位に在ること十六年なり。三妻有り、並びに隣国の王の女なり。僧祗城に居す。門三重在り、相去ること各百許歩。毎門、飛仙・仙人・菩薩の像を図画し、金花の鈴毦を縣け、婦女数十人、或いは楽を奏し、或いは金花を捧ぐ。又、四婦人を飾り、容飾は仏塔の辺の金剛力士の状の如く、門を夾みて立つ。門外の者は兵仗を持ち、門内の者は白仏を執る。道を夾みて素網を垂れ、花を綴る。王宮の諸屋は悉く是れ重閣、戸は北にし、北面して坐す。三重の榻に坐す。朝霞布を衣、金花冠を冠し、雑宝の瓔珞を垂る。四女子立ちて侍し、左右に兵衞百余人在り。王の榻の後、一の木龕を作り、金銀五香木を以て雑えて鈿す。龕の後、一の金光焰を懸け、榻を夾みて又、二の金鏡を樹て、鏡の前並びに金甕を陳ね、甕の前各おの金香炉有り。当に前に一の金伏牛を置き、牛の前に一の宝蓋を樹て、蓋の左右皆、宝扇有り。婆羅門等数百人、東西重行し、相向いて坐す。その官に薩陀迦羅一人、陀拏達义二人、迦利蜜迦三人有り、共に政事を掌る。俱羅末帝一人、刑法を掌る。毎城に那邪迦一人、鉢帝十人を置く。
その俗、等しく皆、耳を穿ち髪を剪り、跪拝の礼無し。香油を以て身を塗る。その俗、仏を敬い、尤も婆羅門を重んず。婦人は髻を項後に作る。男女通じて朝霞・朝雲の雑色布を以て衣と為す。豪富の室は、恣に華靡を極む。唯だ金鎖は王の賜わらざれば服用するを得ず。毎に婚嫁有れば、吉日を択び、女家は先だって五日、楽を作し酒を飲み、父は女の手を執りて以て壻に授く。七日にして乃ち配す。既に娶れば則ち財を分かち別居す。唯だ幼子は父と同居す。父母兄弟死すれば則ち髪を剔り素服し、水上に就きて竹木を構えて棚と為し、棚内に薪を積み、屍をその上に置く。香を焼き幡を建て、蠡を吹き鼓を撃って以てこれを送り、火を縦って薪を焚き、遂に水に落つ。貴賤皆同じ。唯だ国王は焼き訖り、灰を収めて金瓶に貯え、廟屋に蔵む。冬夏常に温かく、雨多く霽れ少なく、種植に時無し。特に稻・穄・白豆・黒麻に宜しく、自余の物産は多く交阯と同じし。甘蔗を以て酒を作り、紫瓜根を雑う。酒の色は黄赤、味も亦、香美なり。亦、椰漿を以て酒と為す。
真臘
人の体形は小さく色は黒い。婦人にも白い者がいる。皆、髪を拳げて耳に垂れ、性質は敏捷で強勁である。住居や器物は赤土国にやや似ている。右手を清浄とし、左手を穢れとする。毎朝澡洗し、楊枝で歯を清め、経呪を読誦する。また澡洒してから食し、食し終わればまた楊枝で歯を清め、また経呪を読む。飲食は多く蘇酪・沙糖・秔粟・米餅である。食しようとする時、先ず雑肉の羹を取り餅と和え、手でこねて食する。妻を娶る者は、ただ衣服一揃いを送り、日を選んで媒人を遣わし婦を迎える。男女の二家はそれぞれ八日間出ず、昼夜燈を燃やして絶やさない。男の婚礼が終われば、即ち父母と財を分けて別居する。父母が死ねば、小児で未婚の者には余財を与える。もし婚礼が終わっていれば、財物は官に没収される。その喪葬では、児女は皆七日間食さず、髪を剔いで哭き、僧尼・道士・親戚故旧が皆来て集い、音楽で送る。五香木で屍を焼き、灰を収めて金銀の瓶に盛り、大河の内に送る。貧しい者はあるいは瓦を用い、彩色でこれを画く。また焚かない者もあり、屍を山中に送り、野獣に任せて食わせる。
その国の北は多く山阜があり、南は水沢があり、地気は特に熱く、霜雪がなく、瘴癘や毒蠚が多い。土地は粱稲に適し、黍粟は少なく、果物と野菜は日南・九真と類似する。異なるものに婆那娑樹があり、花はなく、葉は柿に似、実は冬瓜に似る。菴羅樹は、花と葉は棗に似、実は李に似る。毗野樹は、花は木瓜に似、葉は杏に似、実は楮に似る。婆田羅樹は、花・葉・実は共に棗に似るが少し異なる。歌畢他樹は、花は林檎に似、葉は榆に似て厚く大きく、実は李に似、その大きさは升の如し。その他は多く九真と同じである。海の中に建同という名の魚があり、四足で鱗がなく、その鼻は象の如く、水を吸い上げて噴き、高さ五六十尺である。浮胡魚があり、その形は䱉に似、嘴は鸚鵡の如く、八足がある。大魚が多く、半身を水から出し、これを望むと山の如し。
毎年五、六月中、毒気が流行すれば、即ち白猪・白牛・白羊を以て城の西門外でこれを祠る。そうしなければ、五穀が実らず、六畜が多く死に、人々に疾疫が流行する。都の近くに陵伽鉢婆山があり、その上に神祠があり、毎に兵五千人でこれを守衛する。城の東に婆多利という名の神があり、祭祀には人肉を用いる。その王は年に別に人を殺し、夜に祀り祈り、また守衛する者千人がある。その鬼を敬うことこの如しである。多く仏法を奉じ、特に道士を信じ、仏及び道士の像を並べて館に立てる。
婆利
婆利国は、交阯より海を渡り、南に赤土・丹丹を過ぎて、乃ち其の国に至る。国の境界は東西に四月行、南北に四十五日行。王の姓は剎利邪伽、名は護濫那婆。官に曰く獨訶邪挐、次に曰く獨訶氏挐。国人は輪刀を投げることを善くし、其の大きさ鏡の如く、中に竅あり、外の鋒は鋸の如し、遠くして人に投げれば、中らざるは無し。其の余の兵器は中国と略同。俗は真臘に類し、物産は林邑と同じ。其の人を殺し及び盗む者は其の手を截ち、姦ある者は其の足を鎖し、朞年にして止む。祭祀には必ず月晦を用い、盤に酒肴を貯え、之を流水に浮かぶ。毎年十一月、必ず大祭を設く。海より珊瑚出ず。鳥有り、名を舍利と曰い、人の語を解す。
史臣曰く、礼に云う「南方を蛮と曰い、火食せざる者有り」と。書に称す「蛮夷夏を猾えり」と。詩に曰く「蠢爾たる蛮荊」と。種類実に繁く、代として紛梗す。秦二楚を并せ、漢百越を平げてより、地は丹徼に窮まり、景は日南に極まり、水陸に居る可きは、皆郡県と為る。境の呉・蜀を分ち、時に晋・宋を経るに及び、道に污隆有り、服叛一ならず。高祖命を受け、克く九宇を平げ、煬帝業を纂ぎ、威八荒に加わる。遠夷に甘心し、志珍異を求むる故に、師は流求に出で、兵は林邑に加わり、威殊俗に振るい、秦・漢を過ぐること遠し。荒外の功有りと雖も、域中の敗を救う無し。伝に曰く「聖人に非ざれば、外寧くんば必ず内憂有り」と。誠に斯の言なるかな。