隋書

巻057

巻五十七列傳第二十二 盧思道 李孝貞 薛道衡

巻五十七列傳第二十二 盧思道 李孝貞 薛道衡

原文卷五十七列傳第二十二 盧思道 李孝貞 薛道衡 ► 明克讓 魏澹 陸爽 杜臺卿 辛德源 柳䛒 許善心 李文博

盧思道

原文盧思道

盧思道、字あざなは子行、范陽の人である。祖父の陽烏は、魏の秘書監ひしょかんであった。父の道亮は、隠居して仕官しなかった。思道は聡明で爽やか、俊才で弁が立ち、通達して束縛されない性格であった。十六歳の時、中山の劉松に遇い、劉松が他人のために作った碑銘を、思道に見せた。思道がそれを読むと、理解できないところが多く、そこで感激し、戸を閉めて読書に励み、河間の邢子才に師事した。後に思道が再び文章を作り、劉松に見せると、劉松はまたよく理解できなかった。思道はそこで慨然として歎息して言った。「学ぶことの益があるとは、決して無駄ではないのだな。」そこで魏收のところへ行って珍しい書物を借り、数年の中に、才学ともに優れるようになった。しかし操行を守らず、人を軽んじ侮ることを好んだ。北斉の天保年間、『魏史』がまだ世に出ないうちに、思道は先にそれを暗誦していたため、これによって大いに鞭打ちの辱めを受けた。前後してたびたび罪を犯し、それによって官位が昇進しなかった。その後、左僕射ぼくやの楊遵彦が朝廷に彼を推薦し、官途に就いて司空しくう行参軍となり、長く員外散騎侍郎を兼ね、中書省に直した。文宣帝が崩御した時、当時の文士たちがそれぞれ挽歌を十首ずつ作り、その善いものを選んで用いた。魏收、陽休之、祖孝徵らは一二首を得るに過ぎなかったが、ただ思道だけが八首を得た。故に当時の人は「八米の盧郎」と称した。後に省中の言葉を漏洩したため、出されて丞相西閤祭酒となり、太子舍人、司徒しと録事参軍を歴任した。官に就くたびに、多く譴責と辱めを受けた。後に庫の銭を擅用した罪で、免官されて家に帰った。かつて薊北において悵然として感慨し、五言詩を作って意を表したが、人々はこれを巧みであるとした。数年後、再び京畿主簿となり、主客郎、給事黄門侍郎を歴任し、文林館に待詔した。周の武帝が北斉を平定すると、儀同三司を授けられ、長安ちょうあんに赴くことを命ぜられ、同輩の陽休之ら数人とともに『聴蟬鳴篇』を作ったが、思道の作ったものは、詞意が清らかで切実であり、当時の人に重んじられた。新野の庾信は諸々の同作者の作品を遍く覧て、深くこれを賞賛した。まもなく、母の病気のため郷里に帰り、同郡の祖英伯および従兄の昌期、宋護らが兵を挙げて乱を起こすのに遭遇し、思道はこれに加わった。周は柱国の宇文神挙を派遣してこれを討伐平定し、罪は法に照らすべきもので、すでに死の中にあった。神挙は平素からその名を聞いていたので、彼を引き出し、露布を作るよう命じた。思道は筆を取ってたちまち完成させ、文章に加筆する点がなく、神挙はこれを賞して許した。後に掌教上士に任ぜられた。高祖こうそ(隋の文帝ぶんてい)が丞相であった時、武陽太守に遷ったが、これは彼の好むところではなかった。『孤鴻賦』を作ってその心情を寄せて言うには、

原文盧思道,字子行,范陽人也。祖陽烏,魏秘書監。父道亮,隱居不仕。思道聰爽俊辯,通侻不羈。年十六,遇中山劉松,松為人作碑銘,以示思道。思道讀之,多所不解,於是感激,閉戶讀書,師事河間邢子才。後思道複為文,以示劉松,松又不能甚解。思道乃喟然歎曰:「學之有益,豈徒然哉!」因就魏收借異書,數年之間,才學兼著。然不持操行,好輕侮人。齊天保中,《魏史》未出,思道先已誦之,由是大被笞辱。前後屢犯,因而不調。其後左僕射楊遵彥薦之于朝,解褐司空行參軍,長兼員外散騎侍郎,直中書省。文宣帝崩,當朝文士各作挽歌十首,擇其善者而用之。魏收、陽休之、祖孝徵等不過得一二首,唯思道獨得八首。故時人稱為「八米盧郎」。後漏泄省中語,出為丞相西閤祭酒,曆太子舍人、司徒錄事參軍。每居官,多被譴辱。後以擅用庫錢,免歸於家。嘗於薊北悵然感慨,為五言詩為見意,人以為工。數年,複為京畿主簿,曆主客郎、給事黃門侍郎,待詔文林館。周武帝平齊,授儀同三司,追赴長安,與同輩陽休之等數人作《聽蟬鳴篇》,思道所為,詞意清切,為時人所重。新野庾信遍覽諸同作者,而深歎美之。未幾,以母疾還鄉,遇同郡祖英伯及從兄昌期、宋護等舉兵作亂,思道預焉。周遣柱國宇文神舉討平之,罪當法,已在死中。神舉素聞其名,引出之,令作露布。思道援筆立成,文無加點,神舉嘉而宥之。後除掌教上士。高祖為丞相,遷武陽太守,非其好也。為《孤鴻賦》以寄其情曰:

余が志学の歳(十五歳)、郷里より京師に遊学し、早くも識者知音に遇い、数多の公卿の眷顧を受けた。弱冠の年に達し、ようやく朝廷の列に加わると、談論する者の過誤によって、遂に虚名を窃むこととなった。通人たる楊令君(楊遵彦)、邢特進(邢子才)以下は、皆分庭して礼を致し、履を倒して相接し、剪拂吹噓して、その光価を長じた。しかし元来の才能は駑鈍拙劣であり、性格は実に疎懶であり、勢利や貨殖には淡泊で営まなかった。朝市に籠絡されて三十年近くになるが、独往の心は未だかつて懐抱を去ったことはない。摂生を誤って調和を失い、少し気疾がある。符節を分けて坐嘯し、東原の太守となる。洪河のほとり、沃野が望みに満ち、喧噪な事務は既に屏け、魚鳥を隣とする。群れを離れた鴻が、網を張る者に捕らえられ、野人が馴らし飼育し、余に貢いだ。これを池庭に置き、朝夕賞玩し、既に憂いを銷すのに用い、兼ねて軽い病気を和らげる。『大易』は「鴻漸于陸」と称し、羽儀の盛んなことである。『揚子』は「鴻飛冥冥」と言い、高く飛翔することである。『淮南子』は「東に帰して碣石に至る」と云い、湿った暑さを避けることである。平子(張衡)の賦は「南に寓して衡陽に至る」と言い、厳しい寒さを避けることである。その雅やかな歩みと清らかな音声、遠大な心と高尚な趣きは、鵷鸞以下の鳥において、その比を見ることは稀である。しかし羽を傷つけられて牆陰にあり、影を伴って独り立ち、秕稗をついばみ、鶏や鴨と伍をなすとは、悲しいことではないか。余の五十の年が、忽焉として既に至った。永く身の事を言えば、慨然として緒が多い。そこでこの賦を作り、聊か自ら慰めることとする。その詞は次のようである。

原文餘志學之歲,自鄉里游京師,便見識知音,曆受群公之眷。年登弱冠,甫就朝列,談者過誤,遂竊虛名。通人楊令君、邢特進已下,皆分庭致禮,倒屣相接,翦拂吹噓,長其光價。而才本駑拙,性實疏懶,勢利貨殖,淡然不營。雖籠絆朝市且三十載,而獨往之心未始去懷抱也。攝生舛和,有少氣疾。分符坐嘯,作守東原。洪河之湄,沃野彌望,囂務既屏,魚鳥為鄰。有離群之鴻,為羅者所獲,野人馴養,貢之于餘。置諸池庭,朝夕賞玩,既用銷憂,兼以輕疾。《大易》稱「鴻漸于陸」,羽儀盛也。《揚子》曰「鴻飛冥冥」,騫翥高也。《淮南》雲「東歸碣石」,違溽暑也。平子賦曰「南寓衡陽」,避祁寒也。若其雅步清音,遠心高致,鵷鸞以降,罕見其儔,而鎩翮牆陰,偶影獨立,唼喋粃粺,雞鶩為伍,不亦傷乎!餘五十之年,忽焉已至,永言身事,慨然多緒,乃為之賦,聊以自慰雲。其詞曰:

この孤鴻は、羽蟲の中でも奇なるものを擅にし、実に清高の気を稟け、遠く遼碣の東に生まれた。柔らかな羽毛が将に落ちんとする時、和やかに鳴いて順風に乗り、厚い氷と雲の中、翼を矯めて天空を排す。島嶼の綿邈たるを出で、霜露の溟濛たるを犯し、魚を驚かす密網に掛かることを驚き、雁を落とす虚弓を畏れた。もしその斗柄が東を指し、女夷が月を司る時節には、遥かに寒門に集まり、遂に軽く玄闕に挙がる。天高く気肅なる時、草木が時節に従って揺れ落ちる時には、既に淮浦にて儔と嘯き、また江湄にて吭を弄ぶ。赤霄を摩して淩厲し、丹気に乗って威夷たり、商飆の嫋嫋たるに逆らい、陽景の遲遲たるを玩ぶ。彭蠡はまさに春、洞庭は初めて緑なり、羽翮を整え、群れをなして浮き浴する。雪の如き羽を振るって風に臨み、霜の如き毛を掩って旭を候い、江湖こうこの菁藻に飽き、原野の菽粟に飫う。行くこと離離として高く逝き、響き噰噰として相続き、斉国の冰紈のごとく潔く、密山の華玉のごとく皓い。もしまた朝に清露に沐し、足を安んじて徐歩し、夕べに芳洲に息し、頸を延べて流れに乗る。寒さを避けて競い逐い、沅水に浮かんで宿り、暑さを避けて言い帰り、絶漠を雲のごとく飛ぶ。玄鵠を望んで侶と為し、硃鷺に比べて相依る。天衢の冥漠たるに倦み、河渚の芳菲たるに降る。忽ち羅人の網を設け、虞者の機を懸るるに値い、永く寥廓に辞し、跡を蹈んで重囲に入る。始めは籠樊に窘束され、刀俎を憂憚し、躯を靡き命を絶ち、その所を失うことを恨んだ。終わりには園庭に馴狎し、池禦に棲托し、稻粱を恵みと為し、その容與を恣にする。ここにおいて羽を翕せ頸を宛て、気を屏け声を銷し、煙霞の高き想いを滅し、江海の幽かな情を悶える。いつか首を驤やかせ翼を奮い、上りて太清を淩ぎ、翥き舞い鼓舞し、遠く層城に薄らぐであろうか。悪禽はこれを見て貴ばず、小鳥は顧みて軽んじる。どうして地を控えて無恥でありえよう、天を沖して再び栄えることなどあろうか。そもそも図南の羽は、偉大にして羨むべきものがあり、睫に棲む蟲は、微細であっても賤しむに足らず、各々天壌においてその性に遂い、企み懐いて交戦することはない。咸池かんちの楽を聴かず、太牢の薦を饗せず、晨雞と匹として共に飲み、野鳧と偶として同に膳す。声を揚げて顕聞を求めず、寧ろ体を校えて求見せず、聊か形を沼沚に寓し、且つ心を溏澱に夷らす。栄辱を斉しくして晏如たり、君子の余眄を承る。

原文惟此孤鴻,擅奇羽蟲,實稟清高之氣,遠生遼碣之東。氄毛將落,和鳴順風,壯冰雲厚,矯翅排空。出島嶼之綿邈,犯霜露之溟濛,驚絓魚之密網,畏落雁之虛弓。若其斗柄東指,女夷司月,乃遙集於寒門,遂輕舉于玄闕。至如天高氣肅,搖落在時,既嘯儔於淮浦,亦弄吭于江湄。摩赤霄以淩厲,乘丹氣之威夷,逆商飆之嫋嫋,玩陽景之遲遲。彭蠡方春,洞庭初綠,理翮整翰,群浮侶浴。振雪羽而臨風,掩霜毛而候旭,饜江湖之菁藻,飫原野之菽粟。行離離而高逝,響噰噰而相續,潔齊國之冰紈,皓密山之華玉。若乃晨沐清露,安趾徐步;夕息芳洲,延頸乘流;違寒競逐,浮沅水宿;避暑言歸,絕漠雲飛。望玄鵠而為侶,比硃鷺而相依,倦天衢之冥漠,降河渚之芳菲。忽值羅人設網,虞者懸機,永辭寥廓,蹈跡重圍。始則窘束籠樊,憂憚刀俎,靡軀絕命,恨失其所。終乃馴狎園庭,棲托池禦,稻粱為惠,恣其容與。於是翕羽宛頸,屏氣銷聲,滅煙霞之高想,悶江海之幽情。何時驤首奮翼,上淩太清,騫翥鼓舞,遠薄層城。惡禽視而不貴,小鳥顧而相輕,安控地而無恥,豈沖天之複榮!若夫圖南之羽,偉而去羨,棲睫之蟲,微而不賤,各遂性於天壤,弗企懷以交戰。不聽咸池之樂,不饗太牢之薦,匹晨雞而共飲,偶野鳧以同膳。匪揚聲以顯聞,寧校體而求見,聊寓形乎沼沚,且夷心於溏澱。齊榮辱以晏如,承君子之余眄。

開皇かいこうの初め、母が老齢であることを理由に、上表して職務の解除を請い、優詔をもってこれを許された。思道は才地を恃んで、多く人を陵轢したため、これによって官途は淪滯した。既にしてまた『労生論』を著し、当時を指摘して切った。その詞は次のようである。

原文開皇初,以母老,表請解職,優詔許之。思道自恃才地,多所陵轢,由是官途淪滯。既而又著《勞生論》,指切當時,其詞曰:

『莊子』に曰く、「大塊我を労するに生を以てす」と。誠にこの言うところである。余の年五十、羸老雲のごとく至り、昔を追い想うに、その生は勤めであった。そこでこの論を著し、時に因って言うこととする。

原文《莊子》曰:「大塊勞我以生。」誠哉斯言也!餘年五十,羸老雲至,追惟疇昔,勤矣厥生。乃著茲論,因言時雲爾。

郡を罷めて屏居していた時、客が余を訪ねて来た。しばらくして、眉を上げて言うには、「生は天地の大徳であり、人は生あるものの中最も霊なるものである。それゆえに両儀に配し、群品の中で貴ばれるのである。美醜愚智の弁別は、天と地のように懸け隔たり、己を行い身を立てる違いは、海に入り山に登るようである。今、あなたは右地(高貴な家柄)に生まれ、九代にわたる卿族であり、天が俊才を授け、万夫の仰ぐところであり、学問は流略を綜べ、孔門の游・夏を慕い、文辞は麗則を窮め、漢代の卿(司馬相如)・雲(揚雄)を擬する。行蔵には節があり、進退は礼に従い、諂わず驕らず、慍ることなく懌することもなく、貴賤の間に偃仰し、語黙ごもくの際に従容たることは、何と裕福なことか。下走の欣羡するところである。」

原文罷郡屏居,有客造餘者,少選之頃,盱衡而言曰:「生者天地之大德,人者有生之最靈,所以作配兩儀,稱貴群品,妍蚩愚智之辯,天懸壤隔,行己立身之異,入海頓山。今吾子生於右地,九葉卿族,天授俊才,萬夫所仰,學綜流略,慕孔門之游、夏,辭窮麗則,擬漢日之卿、雲。行藏有節,進退以禮,不諂不驕,無慍無懌,偃仰貴賤之間,從容語默之際,何其裕也!下走所欣羡焉。」

余は莞爾として笑ひて曰く、「未だ之を思はざるか。何ぞ言ふ所の過ぎたるや。子其れ清耳せよ、請ふ左右に為りて之を陳ぜん。夫人の生くるや、皆未だ生なきに若かず。余が生に在りては、労亦勤しきに止まり、紈綺の年、教義に膺を伏し、行ひを規し歩を矩し、善に従ひて登る。巾冠の後、纓を濯ぎ署を受け、仁義を韁鎖とし、朝市に籠絆す。翹陸の本性を失ひ、江湖の遠情を喪ひ、此の風波に淪ち、倒躓に溺れ、憂労総べて至り、事一揆に非ず。何ぞ則ち。地胄高華、既に管庫に嫌を致し、才識美茂、亦愚庸に嫉を受く。篤學強記、聾瞽焉に側目し、清言河の瀉くが如く、木訥是を以て心を疚む。豈徒に蟲春漿を惜しみ、鴟腐鼠を吝むのみならんや、江都に相ひて永歎し、長沙に傅りて帰らず、固より亦魯臧倉に値ひ、楚靳尚に逢ひ、趙壹之が為に哀歌し、張升是に於て慟哭す。有齊の季、休明に遇はず、脰を申べて鞅に就き、跡を屏して地無し。段珪・張讓、金貝是を視、賈謐・郭淮、腥臊饜ふ可し。淫刑を以て逞し、禍池魚に近く、耳悪来の讒を聴き、足龍逢の血を践む。周氏の末葉、仍て僻王に値ひ、笏を斂めて階に升り、汗流れて背に浹く、莒客の焦原に踵躋する、茲に匹するに険に非ず、齊人の手馬尾を執る、此に方るに未だ危しからず。若し乃ち羊腸・句注の道、鞍に据へ策を振ひ、武落・雞田の外、風に櫛り雨に沐し、三旬九食、敢へて弊を称せず、此の役と為る、蓋し其の小小なる者耳。今泰運肇めて開け、四門以て穆し、冕旒上に契を司り、夔・龍下に命を佐け、岐伯・善卷、幽憂に徇ふを恥ぢ、卞隨・務光、木石に従ふを悔ゆ。余が年秋方に在り、已に知命に迫り、情礼退く宜しく、晏安を獲ず。一葉風に従ふも、鄧林の攢植を損せず、雙鳧退きて飛ぶも、渤澥の游泳を虧かさず。田を耕し井を鑿ち、晩に息み晨に興き、南山の朝雲を候ひ、北堂の明月を攬る。氾勝九穀の書、其の節制を観、崔實四人の令、之を奉りて周旋す。晨に蓑笠を荷ひ、白屋黄冠の伍、夕に穀稼を談じ、体を沾し足を塗るの倫。濁酒樽に盈ち、高歌席に満ち、恍兮惚兮、天地一指。此れ野人の楽なり、子或は是を以て余を羨むか。」

原文餘莞爾而笑曰:「未之思乎?何所言之過也!子其清耳,請為左右陳之。夫人之生也,皆未若無生。在余之生,勞亦勤止,紈綺之年,伏膺教義,規行矩步,從善而登。巾冠之後,濯纓受署,韁鎖仁義,籠絆朝市。失翹陸之本性,喪江湖之遠情,淪此風波,溺於倒躓,憂勞總至,事非一緒。何則?地胄高華,既致嫌于管庫,才識美茂,亦受嫉於愚庸。篤學強記,聾瞽於焉側目,清言河瀉,木訥所以疚心。豈徒蟲惜春漿,鴟吝腐鼠,相江都而永歎,傅長沙而不歸,固亦魯值臧倉,楚逢靳尚,趙壹為之哀歌,張升於是慟哭。有齊之季,不遇休明,申脰就鞅,屏跡無地。段珪、張讓,金貝是視,賈謐、郭淮,腥臊可饜。淫刑以逞,禍近池魚,耳聽惡來之讒,足踐龍逢之血。周氏末葉,仍值僻王,斂笏升階,汗流浹背,莒客之踵躋焦原,匹茲非險,齊人之手執馬尾,方此未危。若乃羊腸、句注之道,據鞍振策,武落、雞田之外,櫛風沐雨,三旬九食,不敢稱弊,此之為役,蓋其小小者耳。今泰運肇開,四門以穆,冕旒司契於上,夔、龍佐命於下,岐伯、善卷,恥徇幽憂,卞隨、務光,悔從木石。餘年在秋方,已迫知命,情禮宜退,不獲晏安。一葉從風,無損鄧林之攢植,雙鳧退飛,不虧渤澥之游泳。耕田鑿井,晚息晨興,候南山之朝雲,攬北堂之明月。氾勝九穀之書,觀其節制,崔實四人之令,奉以周旋。晨荷蓑笠,白屋黃冠之伍,夕談穀稼,沾體塗足之倫。濁酒盈樽,高歌滿席,恍兮惚兮,天地一指。此野人之樂也,子或以是羨餘乎?」

客曰く、「吾子の事、既に之を聞けり。他人心有り、又請ふ其の梗概を論ぜん。」余答へて曰く、「雲飛び泥沈み、卑高異なる等、円行き方止まり、動息殊なる致。是を以て霄を摩し海を運ぶ、軽く罻羅を藪澤にし、五衢四照、忽ち斤斧を山林にす。余晩に昌辰に値ひ、遂に其の弱尚を成し、人事の隕獲を観、時路の邅危を睹る。玄冬修夜、静言長想、以て累歎悼心し、涕を流し鼻を酸ます可し。人の百年、脆促已に甚だしく、奔駒流電、辞と為す可からず。顧みて周章を慕ふ、数紀の内、窮通栄辱、事道ふに足らず。而して識有る者鮮く、識無き者多し、褊隘凡近、軽険躁薄。家に居れば則ち人面獣心、孝ならず義ならず、門を出ずれば則ち諂諛讒佞、愧無く恥無し。身を退き足を知る、伯陽の炯戒を忘れ、力を陳べて列に就く、周任の格言を棄つ。悠悠たる遠古、斯の患已に積み、近代に迄る、此の蠹尤も深し。範卿捴讓の風、搢紳嗣がず、『夏書』昏墊の罪、執政安んず。朝露未だ晞かず、小車董・石の巷に盈ち、夕陽将に落ちんとし、皁蓋閻・竇の裡に填す。皆脂の如く韋の如く、俯僂匍匐し、悪を啖ひて媚を求め、痔を舐めて自ら親しむ。美言諂笑、其の愉楽を助け、詐泣佞哀、其の喪紀を恤む。近く旨酒を通じ、遠く文蛇を貢ぎ、豔姬美女、委するに脱屣の如く、金銑玉華、棄つるに遺跡に同じ。鄧通路を失ふに及び、一簪の賄無く餘り、梁冀誅に就く、五侯の貴将に起らんとす。向の官を求め職を買ひ、晩に謁し晨に趨り、刺促塵を望むの旧游、伊優堂に上るの夜客、始めは則ち亡魂褫魄、牛兄の獣に遇ふが若く、心戦ひ色沮み、葉公の龍を見るに似たり。俄にして掌を抵ひ眉を揚げ、高く視り闊く歩み、侶を結びて廉公の第を棄て、手を携へて聖卿の門に哭す。華轂塵を生じ、来ること激矢の如く、雀羅暫く設け、去ること絶弦に等し。飴蜜甘からず、山川未だ阻まず、千変万化、鬼出で神入る。此れを為す者皆衣冠士族、或は藝能有り、仁ならざるを恥ぢず、義ならざるを畏れず、友朋に愧靡く、妻子に慚莫し。外に厚貌を呈し、内に百心を蘊む、繇是れば則ち青を紆し紫を佩き、州を牧し郡を典とし、冠幘さく人を劫し、厚く自ら封殖す。妍歌妙舞、鼎を列ね鐘を撞き、耳絲桐に倦み、口珍旨に飫ふ。素論以て非と為すと雖も、而して時宰之を責めず、末俗蚩蚩、此の如きの敝有り。余は則ち時に違ひて薄宦し、息を屏して窮居し、甚だしく駆馳を恥ぢ、深く乾没を畏る。心死灰の若く、勢利を営まず、家儋石無く、囊錢を費やさず。偶影官に聯り、将に数十載、駑拙笑を致し、軽生是を以て労を告ぐるなり。真人宇を禦ふるに、雕を斫ちて樸と為し、人栄辱を知り、時に反りて邕熙たり。風力の上宰、内に文教を敷き、方・邵の重臣、外に武節を揚ぐ。大道に被らされ、淳風を以て洽ひ、挙する必ず才を以てし、爵濫りに授くること無し。斯の首鼠を稟くる、衣簪に預からず、阿党比周、掃地して俱に尽き、軽薄の儔、影を滅し跡を竄す。礫石瑜瑾に変じ成り、莨莠芝蘭に化す。曩に俗を扇ぎ時を攪し、耳を駭し目を穢せし者、今悉く聞かず見ず、余を侮る敢へる莫し。『易』に曰く、'聖人作して万物睹る'と、斯れ之を謂ふか。」

原文客曰:「吾子之事,既聞之矣。他人有心,又請論其梗概。」餘答曰:「雲飛泥沉,卑高異等,圓行方止,動息殊致。是以摩霄運海,輕罻羅於藪澤,五衢四照,忽斤斧于山林。餘晚值昌辰,遂其弱尚,觀人事之隕獲,睹時路之邅危。玄冬修夜,靜言長想,可以累歎悼心,流涕酸鼻。人之百年,脆促已甚,奔駒流電,不可為辭。顧慕周章,數紀之內,窮通榮辱,事無足道。而有識者鮮,無識者多,褊隘凡近,輕險躁薄。居家則人面獸心,不孝不義,出門則諂諛讒佞,無愧無恥。退身知足,忘伯陽之炯戒,陳力就列,棄周任之格言。悠悠遠古,斯患已積,迄於近代,此蠹尤深。範卿捴讓之風,搢紳不嗣,《夏書》昏墊之罪,執政所安。朝露未晞,小車盈董、石之巷,夕陽且落,皁蓋填閻、竇之裡。皆如脂如韋,俯僂匍匐,啖惡求媚,舐痔自親。美言諂笑,助其愉樂,詐泣佞哀,恤其喪紀。近通旨酒,遠貢文蛇,豔姬美女,委如脫屣,金銑玉華,棄同遺跡。及鄧通失路,一簪之賄無餘,梁冀就誅,五侯之貴將起。向之求官買職,晚謁晨趨,刺促望塵之舊游,伊優上堂之夜客,始則亡魂褫魄,若牛兄之遇獸,心戰色沮,似葉公之見龍;俄而抵掌揚眉,高視闊步,結侶棄廉公之第,攜手哭聖卿之門。華轂生塵,來如激矢,雀羅暫設,去等絕弦。飴蜜非甘,山川未阻,千變萬化,鬼出神入。為此者皆衣冠士族,或有藝能,不恥不仁,不畏不義,靡愧友朋,莫慚妻子。外呈厚貌,內蘊百心,繇是則紆青佩紫,牧州典郡,冠幘劫人,厚自封殖。妍歌妙舞,列鼎撞鐘,耳倦絲桐,口飫珍旨。雖素論以為非,而時宰之不責,末俗蚩蚩,如此之敝。余則違時薄宦,屏息窮居,甚恥驅馳,深畏乾沒。心若死灰,不營勢利,家無儋石,不費囊錢。偶影聯官,將數十載,駑拙致笑,輕生所以告勞也。真人禦宇,斫雕為樸,人知榮辱,時反邕熙。風力上宰,內敷文教,方、邵重臣,外揚武節。被之大道,洽以淳風,舉必以才,爵無濫授。稟斯首鼠,不預衣簪,阿党比周,掃地俱盡,輕薄之儔,滅影竄跡。礫石變成瑜瑾,莨莠化為芝蘭。曩之扇俗攪時,駭耳穢目,今悉不聞不見,莫餘敢侮。《易》曰:'聖人作而萬物睹',斯之謂乎!」

歳餘りして、征せられ、詔を奉じて陳の使を郊労す。頃にして、母憂に遭ふ、未だ幾ばくもあらず、起きて散騎侍郎と為り、内史侍郎の事を奏す。時に六卿を置くを議し、将に大理を除かんとす。思道奏上して曰く、「省に駕部有り、寺に太僕を留め、省に刑部有り、寺に大理を除く、是れ則ち畜産を重んじて刑名を賤しむ、誠に未だ可からず。」又た殿庭は杖罰の所に非ざるを陳べ、朝臣笞罪を犯せば、請ふ贖を以て論ぜんと、上悉く之を嘉納す。是歳、京師に卒す、時に年五十二。上甚だ之を惜しみ、使を遣りて弔祭す。集三十巻有り、時に行はる。子赤松、大業たいぎょう中、官河東長史に至る。

原文歲餘,被征,奉詔郊勞陳使。頃之,遭母憂,未幾,起為散騎侍郎,奏內史侍郎事。于時議置六卿,將除大理。思道上奏曰:「省有駕部,寺留太僕,省有刑部,寺除大理,斯則重畜產而賤刑名,誠為未可。」又陳殿庭非杖罰之所,朝臣犯笞罪,請以贖論,上悉嘉納之。是歲,卒于京師,時年五十二。上甚惜之,遣使弔祭焉。有集三十卷,行于時。子赤松,大業中,官至河東長史。

從父兄 昌衡

原文從父兄 昌衡

昌衡は字を子均という。父の道虔は、魏の尚書僕射である。昌衡の小字は龍子、風神は淡雅にして、容止は法とすべきものがあり、広く経史に渉り、草行書に巧みであった。従弟の思道は小字を釋奴といい、宗族の中ではともに英妙と称された。故に幽州ではこれについて語って曰く、「盧家の千里、釋奴・龍子」と。十七歳の時、魏の済陰王元暉業が召して太尉参軍事に補し、兼ねて外兵参軍とした。斉氏が禅を受けると、平恩令・太子舎人を歴任した。まもなく僕射祖孝徴に推薦され、尚書金部郎に遷った。孝徴は毎度曰く、「吾れ盧子均を用いて尚書郎となす、自ら幽州に愧じずと謂う」と。その後、散騎侍郎を兼ね、周の使者を迎え労った。武帝が斉を平らげると、司玉中士を授け、大宗伯斛こく斯徴とともに礼令を修めた。開皇初年、尚書祠部侍郎に拝された。高祖はかつて大いに群下を集め、自ら功績を陳べさせたが、人々は皆競って進み出たが、昌衡のみは言うところがなかった。左僕射高熲は目を留めて異とした。陳の使者賀徹・周濆が相次いで来聘し、朝廷は毎度昌衡に接対させた。まもなく、出でて徐州総管長史となり、甚だ能名があった。吏部尚書蘇威はこれを考課して曰く、「徳は人表たり、行いは士則たり」と。論者はこれを美談とした。かつて浚儀に行き至り、乗っていた馬が他の牛に触れられ、これにより死した。牛の主は陳謝し、価直を返還せんと求めたが、昌衡はこれに謂って曰く、「六畜相触るるは、自ら常理に関わる、これ豈に人情ならんや、君何ぞ謝さん」と。拒んで受けなかった。性は寛厚にして校めず、皆この類いである。転じて寿州総管長史となった。総管宇文述は甚だこれを敬い、州務を委ねた。歳余りして、金州刺史に遷った。仁寿じんじゅ年中、詔を奉じて節を持ち河南道巡省大使となり、還るに及び、奉使が旨に称するをもって、儀同三司を授けられ、物三百段を賜った。昌衡は自ら年が懸車にあるをもって、表を上って骸骨を乞うたが、優詔して許さず。大業初年、征されて太子左庶子となり、洛陽らくように行き詣でる途中、道に卒した。時に七十二歳。子に宝素・宝胤あり。

原文昌衡字子均。父道虔,魏尚書僕射。昌衡小字龍子,風神淡雅,容止可法,博涉經史,工草行書。從弟思道,小字釋奴,宗中俱稱英妙。故幽州為之語曰:「盧家千里,釋奴、龍子。」年十七,魏濟陰王元暉業召補太尉參軍事,兼外兵參軍。齊氏受禪,曆平恩令、太子舍人。尋為僕射祖孝徵所薦,遷尚書金部郎。孝徵每曰:「吾用盧子均為尚書郎,自謂無愧幽州矣。」其後兼散騎侍郎,迎勞周使。武帝平齊,授司玉中士,與大宗伯斛斯徵修禮令。開皇初,拜尚書祠部侍郎。高祖嘗大集群下,令自陳功績,人皆競進,昌衡獨無所言。左僕射高熲目而異之。陳使賀徹、周濆相繼來聘,朝廷每令昌衡接對之。未幾,出為徐州總管長史,甚有能名。吏部尚書蘇威考之曰:「德為人表,行為士則。」論者以為美談。嘗行至浚儀,所乘馬為他牛所觸,因致死。牛主陳謝,求還價直,昌衡謂之曰:「六畜相觸,自關常理,此豈人情也,君何謝?」拒而不受。性寬厚不校,皆此類也。轉壽州總管長史。總管宇文述甚敬之,委以州務。歲餘,遷金州刺史。仁壽中,奉詔持節為河南道巡省大使,及還,以奉使稱旨,授儀同三司,賜物三百段。昌衡自以年在懸車,表乞骸骨,優詔不許。大業初,征為太子左庶子,行詣洛陽,道卒,時年七十二。子寶素、寶胤。

李孝貞

原文李孝貞

李孝貞は、字を元操といい、趙郡柏人の人である。父の希礼は、斉の信州刺史であり、世々著姓であった。孝貞は少くして学を好み、文を属する能があった。斉において司徒府参軍事に釈褐した。簡静にして妄りに賓客を通ぜず、従兄の儀曹郎中騷・太子舎人季節・博陵の崔子武・范陽の盧詢祖と断金の契りを結んだ。後に射策甲科をもって給事中に拝された。当時、黄門侍郎高乾和が親要として用いられ、孝貞に婚を求めた。孝貞はこれを拒んだため、ここに隙を生じ、陰にこれを譖し、出でて太尉府外兵参軍とした。後に中書舎人・博陵太守・司州別駕を歴任し、また散騎常侍さんきじょうじを兼ね、周への聘使副となり、還って給事黄門侍郎を除かれた。周の武帝が斉を平らげると、儀同三司・少典祀下大夫を授けられた。宣帝が即位すると、吏部下大夫に転じた。高祖が丞相となった時、尉遅迥が相州に乱を起こすと、孝貞は韋孝寛に従ってこれを撃ち、功により上儀同三司を授けられた。開皇初年、馮翊太守に拝されたが、廟諱いみなを犯したため、ここに字を称した。後数年して、蒙州刺史に遷り、吏民これを安んじた。ここより文筆に留意せず、人がその故を問うと、慨然として歎じて曰く、「五十の年、倏焉として過ぎ、鬢に素髪垂れ、筋力すでに衰え、宦意文情、一時に尽きたり、悲しいかな」と。然れども毎暇日には、輒ち賓客を引き弦歌げんかし酒に対し、終日歓をなした。征されて内史侍郎に拝され、内史李徳林とともに文翰に参典した。然れども孝貞には劇務を幹する用なく、頗る不理と称され、上譴怒して、御史に勅してその事を劾せしめ、ここにより出でて金州刺史となった。官に卒す。著すところの文集二十巻、世に行わる。子に允玉あり。

原文李孝貞,字元操,趙郡柏人人也。父希禮,齊信州刺史,世為著姓。孝貞少好學,能屬文。在齊釋褐司徒府參軍事。簡靜不妄通賓客,與從兄儀曹郎中騷、太子舍人季節、博陵崔子武、范陽盧詢祖為斷金之契。後以射策甲科拜給事中。于時黃門侍郎高乾和親要用事,求婚於孝貞。孝貞拒之,由是有隙,陰譖之,出為太尉府外兵參軍。後曆中書舍人、博陵太守、司州別駕,複兼散騎常侍、聘周使副,還除給事黃門侍郎。周武帝平齊,授儀同三司、少典祀下大夫。宣帝即位,轉吏部下大夫。高祖為丞相,尉迥作亂相州,孝貞從韋孝寬擊之,以功授上儀同三司。開皇初,拜馮翊太守,為犯廟諱,於是稱字。後數歲,遷蒙州刺史,吏民安之。自此不復留意於文筆,人問其故,慨然歎曰:「五十之年,倏焉而過,鬢垂素髮,筋力已衰,宦意文情,一時盡矣,悲夫!」然每暇日,輒引賓客弦歌對酒,終日為歡。征拜內史侍郎,與內史李德林參典文翰。然孝貞無干劇之用,頗稱不理,上譴怒之,敕禦史劾其事,由是出為金州刺史。卒官。所著文集二十卷,行於世。有子允玉。

孝貞の弟孝威もまた雅望あり、大業年中、官は大理少卿に至る。

原文孝貞弟孝威,亦有雅望,大業中,官至大理少卿。

薛道衡

原文薛道衡

薛道衡は、字を玄卿といい、河東汾陰の人である。祖父の聡は、魏の済州刺史。父の孝通は、常山太守。道衡は六歳にして孤となり、専精好学した。十三歳の時、『左氏伝』を講じ、子産が鄭を相する功を見て、『国僑賛』を作り、頗る詞致あり、見る者これを奇とした。その後、才名益々著しく、斉の司州牧・彭城王浟が兵曹従事に引き立てた。尚書左僕射弘農の楊遵彦は一代の偉人、見て嗟賞した。奉朝請を授けられた。吏部尚書隴西の辛術と語り、歎じて曰く、「鄭公業亡びず」と。河東の裴讞はこれを見て曰く、「鼎河朔に遷りてより、吾れ関西孔子はその人に値うこと稀なりと謂えり、今また薛君に遇う」と。武成が相となると、記室に召され、即位するに及び、累遷して太尉府主簿となった。歳余りして、散騎常侍を兼ね、周・陳二国の使者に接対した。武平初年、詔して諸儒とともに『五礼』を修定せしめ、尚書左外兵郎を除かれた。陳の使者傅縡が斉に聘すに、道衡をして主客郎を兼ねてこれに接対せしめた。縡は詩五十韻を贈り、道衡これに和し、南北これを称美した。魏収曰く、「傅縡の謂うところ、蚓を以て魚に投ずるなり」と。文林館に待詔し、范陽の盧思道・安平の李徳林と斉名し親善した。また本官をもって中書省に直し、まもなく中書侍郎に拝され、なお太子侍読に参じた。後主の時、漸く親用を見るに至り、当時頗る附会の譏りあり。後に侍中斛律孝卿とともに政事に参預し、道衡は備周の策を具陳したが、孝卿用いる能わず。斉の滅亡に及び、周の武帝は御史二命士に引き立てた。後に郷里に帰り、州主簿より入って司禄上士となった。

原文薛道衡,字玄卿,河東汾陰人也。祖聰,魏濟州刺史。父孝通,常山太守。道衡六歲而孤,專精好學。年十三,講《左氏傳》,見子產相鄭之功,作《國僑贊》,頗有詞致,見者奇之。其後才名益著,齊司州牧、彭城王浟引為兵曹從事。尚書左僕射弘農楊遵彥,一代偉人,見而嗟賞。授奉朝請。吏部尚書隴西辛術與語,歎曰:「鄭公業不亡矣。」河東裴讞目之曰:「自鼎遷河朔,吾謂關西孔子罕值其人,今複遇薛君矣。」武成作相,召為記室,及即位,累遷太尉府主簿。歲餘,兼散騎常侍,接對周、陳二使。武平初,詔與諸儒修定《五禮》,除尚書左外兵郎。陳使傅縡聘齊,以道衡兼主客郎接對之。縡贈詩五十韻,道衡和之,南北稱美。魏收曰:「傅縡所謂以蚓投魚耳。」待詔文林館,與范陽盧思道、安平李德林齊名友善。複以本官直中書省,尋拜中書侍郎,仍參太子侍讀。後主之時,漸見親用,于時頗有附會之譏。後與侍中斛律孝卿參預政事,道衡具陳備周之策,孝卿不能用。及齊亡,周武引為禦史二命士。後歸鄉里,自州主簿入為司祿上士。

高祖(文帝)が宰相であった時、元帥梁睿に従って王謙を討ち、陵州刺史を摂行した。大定年間(北周静帝の年号)に儀同の位を授かり、邛州刺史を摂行した。高祖が禅譲を受けて即位すると、事に坐して除名された。河間王楊弘が突厥を北征する際、召されて軍書を掌り、還って内史舎人に任ぜられた。その年、散騎常侍を兼ね、陳への主使として聘問した。道衡は因みに奏上して言う、「江東は蕞爾たる一隅に過ぎず、僭越して擅権すること久しきに至る。実に永嘉の乱以後、華夏が分崩したことに由る。劉淵、石勒、符健、姚萇、慕容氏、赫連勃勃の輩は、妄りに名号を窃み、尋いでまた滅亡した。魏氏は北より南に至るも、遠略に遑あらず。周、斉が両立し、務めて兼併に在りたるが故に、江表は誅罰を逃れ、年祀を積むに至った。陛下は聖徳天に挺出し、光栄をもって宝祚ほうそを膺け、霊威を三代に比し、九州を平一せんとす。豈に区区たる陳をして、久しく天網の外に在らしめんや。臣今使を奉ずるに当たり、藩臣たるを責めんことを請う」と。高祖は言う、「朕は暫く含養し、度外に置く。言辞を以て相折することなかれ、朕が意を識れ」と。江東は風雅を好み篇什を愛し、陳主は特に雕虫の技を愛した。道衡が作る所ある毎に、南人はこれを吟誦せざるはなかった。八年(開皇八年、588年)に陳を伐つに及び、淮南道行台尚書吏部郎を授かり、文翰を兼ねて掌った。王師が江に臨むや、高熲が夜、幕下に坐してこれに謂う、「今段の挙、江東を克定するや否や。君試みにこれを言え」と。道衡答えて言う、「凡そ大事の成敗を論ずるには、先ず至理を以てこれを断ずるを須う。《禹貢》に載する所の九州は、本より王者の封域なり。後漢の季、群雄競い起こり、孫権兄弟遂に呉楚の地を有つ。晋武帝命を受けて、尋いで即ちこれを吞併す。永嘉南遷して、重ねてこの分割をなす。爾来より以来、戦争息まず、否終わって斯く泰るは、天道の恒なり。郭璞云う、'江東偏王三百年にして、還って中国と合す'と。今数将に満たんとす。運数を以て言えば、その必ず克つこと一なり。徳有る者は昌え、徳無き者は亡ぶ。古より興滅は、皆この道に由る。主上躬ら恭倹を履み、庶政を憂労す。叔宝(陳後主)は峻宇雕牆に、酒に酣え色に荒ぶ。上下心を離し、人神ともに憤る。その必ず克つこと二なり。国を為すの体は、任寄に在り。彼の公卿は、備員のみ。小人施文慶を抜き政事に委ね、尚書令しょうしょれい江総は唯だ詩酒に事うるのみ。本より経略の才に非ず。蕭摩訶、任蛮奴はこれが大将たり、一夫の用に過ぎず。その必ず克つこと三なり。我は道有りて大なり、彼は徳無くして小なり。その甲士こうしを量るに、十万を過ぎず。西は巫峡より東は滄海に至るまで、これを分かてば勢懸けて力弱く、これを聚めば此れを守りて彼を失う。その必ず克つこと四なり。席捲の勢、その疑い無きに在り」と。熲忻然として言う、「君の成敗を言う、事理分明なり。吾今豁然たり。本より才学を以て相期す、意わざらんや籌略乃ち爾ることを」と。還って吏部侍郎に任ぜられた。後に人物を抽擢するに坐し、蘇威に党し、人を任ずるに意故有りとの言有りて、除名され、嶺表に配防された。晋王広(後の煬帝ようだい)時に揚州に在り、陰に人をして道衡に揚州路より従うを諷せしめ、将にこれを留めんと奏せんとした。道衡は王府を楽しまず、漢王諒の計を用い、遂に江陵道より出でて去った。尋いで詔有りて征還され、直ちに内史省に在った。晋王是れよりこれを銜み、然れどもその才を愛し、猶ほ頗る礼を見せた。後数年を経て、内史侍郎を授かり、上儀同三司を加えられた。

原文高祖作相,從元帥梁睿擊王謙,攝陵州刺史。大定中,授儀同,攝邛州刺史。高祖受禪,坐事除名。河間王弘北征突厥,召典軍書,還除內史舍人。其年,兼散騎常侍,聘陳主使。道衡因奏曰:「江東蕞爾一隅,僭擅遂久,實由永嘉已後,華夏分崩。劉、石、符、姚、慕容、赫連之輩,妄竊名號,尋亦滅亡。魏氏自北徂南,未遑遠略。周、齊兩立,務在兼併,所以江表逋誅,積有年祀。陛下聖德天挺,光膺寶祚,比靈斯三代,平一九州,豈容使區區之陳,久在天網之外?臣今奉使,請責以稱籓。」高祖曰:「朕且含養,置之度外,勿以言辭相折,識朕意焉。」江東雅好篇什,陳主尤愛雕蟲,道衡每有所作,南人無不吟誦焉。及八年伐陳,授淮南道行台尚書吏部郎,兼掌文翰。王師臨江,高熲夜坐幕下,謂之曰:「今段之舉,克定江東已不?君試言之。」道衡答曰:「凡論大事成敗,先須以至理斷之。《禹貢》所載九州,本是王者封域。後漢之季,群雄競起,孫權兄弟遂有吳、楚之地。晉武受命,尋即吞併,永嘉南遷,重此分割。自爾已來,戰爭不息,否終斯泰,天道之恆。郭璞有雲:'江東偏王三百年,還與中國合。'今數將滿矣。以運數而言,其必克一也。有德者昌,無德者亡,自古興滅,皆由此道。主上躬履恭儉,憂勞庶政,叔寶峻宇雕牆,酣酒荒色。上下離心,人神同憤,其必克二也。為國之體,在於任寄,彼之公卿,備員而已。拔小人施文慶委以政事,尚書令江總唯事詩酒,本非經略之才,蕭摩訶、任蠻奴是其大將,一夫之用耳。其必克三也。我有道而大,彼無德而小,量其甲士,不過十萬。西自巫峽,東至滄海,分之則勢懸而力弱,聚之則守此而失彼。其必克四也。席捲之勢,其在不疑。」熲忻然曰:「君言成敗,事理分明,吾今豁然矣。本以才學相期,不意籌略乃爾。」還除吏部侍郎。後坐抽擢人物,有言其党蘇威,任人有意故者,除名,配防嶺表。晉王廣時在揚州,陰令人諷道衡從揚州路,將奏留之。道衡不樂王府,用漢王諒之計,遂出江陵道而去。尋有詔征還,直內史省。晉王由是銜之,然愛其才,猶頗見禮。後數歲,授內史侍郎,加上儀同三司。

道衡は毎に文を構うるに至れば、必ず空齋に隠坐し、壁を蹋んで臥し、戸外に人あるを聞けば便ち怒り、その沈思すること此の如しであった。高祖は毎に言う、「薛道衡の作文書は我が意に称う」と。然れども迂誕を以てこれを誡めた。後、高祖はその称職を善しとし、楊素、牛弘に謂う、「道衡は老いたり。駆使勤労す。宜しくその硃門に戟を陳えしむべし」と。ここにおいて上開府に進位し、物百段を賜うた。道衡は功無きを以て辞す。高祖は言う、「爾久しく階陛に労し、国家の大事は皆爾宣行す。豈に爾が功に非ざらんや」と。道衡久しく枢要に当たり、才名益々顕れ、太子諸王争い相い交わり、高熲、楊素は雅く相い推重し、声名籍甚しく、一時に競うもの無し。

原文道衡每至構文,必隱坐空齋,蹋壁而臥,聞戶外有人便怒,其沉思如此。高祖每曰:「薛道衡作文書稱我意。」然誡之以迂誕。後高祖善其稱職,謂楊素、牛弘曰:「道衡老矣,驅使勤勞,宜使其硃門陳戟。」於是進位上開府,賜物百段。道衡辭以無功,高祖曰:「爾久勞階陛,國家大事,皆爾宣行,豈非爾功也?」道衡久當樞要,才名益顯,太子諸王爭相與交,高熲、楊素雅相推重,聲名籍甚,無競一時。

仁寿年中、楊素が朝政を専ら掌る。道衡は既に素と善しとす。上(文帝)は道衡に久しく機密を知らしむるを欲せず、因みに出して襄州総管を検校せしむ。道衡は久しく駆策を蒙り、一旦違離するに、悲恋に勝えず、これを言うに哽咽す。高祖愴然として容を改め言う、「爾が光陰は晚暮に及び、侍奉誠に労す。朕は爾を将摂せしめ、兼ねて萌俗を撫ぜんと欲す。今爾の去るは、朕が一臂を断つが如し」と。ここにおいて物三百段、九環の金帯、並びに時服一襲、馬十匹を賚い、慰勉してこれを遣わした。任に在りて清簡、吏民その恵を懐う。

原文仁壽中,楊素專掌朝政,道衡既與素善,上不欲道衡久知機密,因出檢校襄州總管。道衡久蒙驅策,一旦違離,不勝悲戀,言之哽咽。高祖愴然改容曰:「爾光陰晚暮,侍奉誠勞。朕欲令爾將攝,兼撫萌俗。今爾之去,朕如斷一臂。」於是賚物三百段,九環金帶,並時服一襲,馬十匹,慰勉遣之。在任清簡,吏民懷其惠。

煬帝嗣位し、番州刺史に転ず。歳余りを経て、表を上りて致仕を求む。帝は内史侍郎虞世基に謂う、「道衡将に至らんとす。当に秘書監を以てこれを持て成すべし」と。道衡既に至り、『高祖文皇帝こうそぶんこうてい頌』を上る。その詞に曰く、

原文煬帝嗣位,轉番州刺史。歲餘,上表求致仕。帝謂內史侍郎虞世基曰:「道衡將至,當以秘書監待之。」道衡既至,上《高祖文皇帝頌》,其詞曰:

太始太素、荒茫たる造化の初め。天皇地皇、杳冥たる書契の外。その道絶え、その跡遠し。言談の詣らざる所、耳目の追わざる所。穴に入り巣に登り、鶉居鷇飲するに至りては、羽族に異ならず、毛群に類を取る。亦た何ぞ人霊を貴び、何ぞ心識を用いん。羲・軒已降、爰に唐・虞に暨ぶ。則ち乾象を象りて法度を施し、人文を観て天下を化す。然る後に帝王の位重んず可く、聖哲の道尊ばるる為す。夏後、殷、周の国、禹、湯、文、武の主、功は生民を済い、声は『雅頌』に流る。然れども三五に陵替し、干戈かんかに徳を慚ず。秦は閏位に居り、刑名を任じて政本と為し、漢は霊図を執り、霸道を雑えて業と為す。当塗とうと興りて三方峙ち、典午末にして四海しかい乱る。九州の封域は、鯨鯢げいげいの群れの窟穴。五都の遺黎は、戎馬の足の蹴踏。玄行(水徳の北魏)嵩・洛を定め、木運(木徳の西魏・北周)崤・函に据うと雖も、未だ滄海の流を正さず、詎んぞ昆山の燎を息まんや!千齢の旦暮に協い、万葉の一朝に当たる者は、其れ大隋に在るか。

原文太始太素,荒茫造化之初;天皇地皇,杳冥書契之外。其道絕,其跡遠,言談所不詣,耳目所不追。至於入穴登巢,鶉居鷇飲,不殊於羽族,取類于毛群,亦何貴於人靈,何用於心識?羲、軒已降,爰暨唐、虞,則乾象而施法度,觀人文而化天下,然後帝王之位可重,聖哲之道為尊。夏後、殷、周之國,禹、湯、文、武之主,功濟生民,聲流《雅頌》,然陵替於三五,慚德於干戈。秦居閏位,任刑名為政本,漢執靈圖,雜霸道而為業。當塗興而三方峙,典午末而四海亂。九州封域,窟穴鯨鯢之群;五都遺黎,蹴踏戎馬之足。雖玄行定嵩、洛,木運據崤、函,未正滄海之流,詎息昆山之燎!協千齡之旦暮,當萬葉之一朝者,其在大隋乎?

高祖文皇帝は、聖を誕し霊を降すや、赤光室を照らし、神を韜み跡を晦ますや、紫気天に騰る。龍顔日角の奇、玉理珠衡の異は、図籙に著り、儀表に彰かなり。而して帝系は霊長にして、神基は崇峻、邠・岐の累徳に類し、豊・沛の勃起に異なり。俯して歴試を膺け、揆を納れて賓門に至り、位は六卿を長じ、望は百辟ひゃくへきに高し、猶ほ重華の太尉たるが如く、文命の司空を任ずるに若し。蒼暦将に尽きんとし、率土そっと糜沸し、玉弩天を驚かし、金芒野を照らす。奸雄禍を挺し、河朔に拠りて海岱に連なり、猾長悪を縦にし、白馬を杜ぎ成皋を塞ぐ。庸・蜀は命に逆らい、銅梁の険に憑り、鄖・黄は背誕し、金陵の寇を引く。三川已に震い、九鼎将に飛ばんとす。高祖龍躍鳳翔し、足を濡らし手を授け、赤伏の符に応じ、玄狐の籙を受け、百下百勝の将を命じ、九天九地の師を動かし、共工を平らげて蚩尤を殄し、犬契窳を翦りて鑿歯を戮す。二十八将を煩わさず、五十二征を仮らず、未だ時に逾ざるに、妖逆咸く殄び、区宇に於ける氛霧を廓め、黎元れいげんを塗炭とたんより出だす。天柱傾きて還り正し、地維絶えて更に紐る。殊方稽顙し、牛馬の内向するを識り、楽師地に伏し、鐘石の声変ずるを懼る。万姓推すを楽む所以にして、三霊ここに於いて改卜す。壇場已に備わり、猶ほ五譲の心を弘くし、億兆違う難く、方に四海の請に従う。宝祚に光臨し、郊丘に礼を展べ、六代を舞いて天神を降し、四圭を陳べて上帝を饗う。乾坤交泰し、品物咸く亨る。前王の令典を酌み、徽号を改易し、庶萌の子来に因り、都邑を移創す。天文は上に朱鳥に当たり、地理は下に黒龍に拠り、位を正し方を弁じ、影を日月に揆い、内宮外座は、辰象に法を取る。政教を魏闕に懸け、群後を明堂に朝し、旧を除き新を布き、風を移し俗を易う。天街の表、地脈の外、獯獫孔熾にして、其の来る久し、横行十万、樊噲ここに於いて辞を失い、歩を提げて五千、李陵ここに於いて所以に陷没す。周・齊両盛、競って旄頭を結び、狄後を漠北に娉すも、未だ其の侵擾を息ます足らず、珍藏を山東に傾くるも、能く其の貪暴を止めず。炎霊祚を啓き、聖皇宇を馭す、天策を帷扆に運び、神威を沙朔に播く、柳室・氈裘の長、皆な臣隷と為り、瀚海・蹛林の地、尽く池苑に充つ。三呉・百越ひゃくえつ、九江五湖、地は南北に分かれ、天は内外を隔て、黄旗紫蓋の気を談じ、龍蟠獣拠の険に恃み、恒に僭偽の君有り、妄りに帝王の号を窃む。時は五代を経、年は三百を移す、爰に皇情こうじょうを降し、永く大道を懐い、彼の黎献を湣み、独り匪人と為るを。今上利建は唐に在り、則哲は代に居り、地は宸極に憑り、天は神武を縦にし、脤を受けて車を出し、一挙に平定す。ここに於いて八荒はっこう外無く、九服大同し、四海を家と為し、万里を宅と為す。乃ち牛を休め馬を散じ、武を偃げ文を修む。

原文粵若高祖文皇帝,誕聖降靈,則赤光照室,韜神晦跡,則紫氣騰天。龍顏日角之奇,玉理珠衡之異,著在圖籙,彰乎儀錶。而帝系靈長,神基崇峻,類邠、岐之累德,異豐、沛之勃起。俯膺曆試,納揆賓門,位長六卿,望高百辟,猶重華之為太尉,若文命之任司空。蒼曆將盡,率土糜沸,玉弩驚天,金芒照野。奸雄挺禍,據河朔而連海岱;猾長縱惡,杜白馬而塞成皋。庸、蜀逆命,憑銅梁之險;鄖、黃背誕,引金陵之寇。三川已震,九鼎將飛。高祖龍躍鳳翔,濡足授手,應赤伏之符,受玄狐之籙,命百下百勝之將,動九天九地之師,平共工而殄蚩尤,翦犬契窳而戮鑿齒。不煩二十八將,無假五十二征,曾未逾時,妖逆鹹殄,廓氛霧于區宇,出黎元於塗炭。天柱傾而還正,地維絕而更紐。殊方稽顙,識牛馬之內向;樂師伏地,懼鐘石之變聲。萬姓所以樂推,三靈於是改卜。壇場已備,猶弘五讓之心;億兆難違,方從四海之請。光臨寶祚,展禮郊丘,舞六代而降天神,陳四圭而饗上帝,乾坤交泰,品物鹹亨。酌前王之令典,改易徽號;因庶萌之子來,移創都邑。天文上當硃鳥,地理下據黑龍,正位辨方,揆影於日月,內宮外座,取法於辰象。懸政教于魏闕,朝群後於明堂,除舊佈新,移風易俗。天街之表,地脈之外,獯獫孔熾,其來自久,橫行十萬,樊噲於是失辭,提步五千,李陵所以陷沒。周、齊兩盛,競結旄頭,娉狄後於漠北,未足息其侵擾,傾珍藏于山東,不能止其貪暴。炎靈啟祚,聖皇馭宇,運天策於帷扆,播神威于沙朔,柳室、氈裘之長,皆為臣隸,瀚海、蹛林之地,盡充池苑。三吳、百越,九江五湖,地分南北,天隔內外,談黃旗紫蓋之氣,恃龍蟠獸據之險,恆有僭偽之君,妄竊帝王之號。時經五代,年移三百,爰降皇情,永懷大道,湣彼黎獻,獨為匪人。今上利建在唐,則哲居代,地憑宸極,天縱神武,受脤出車,一舉平定。於是八荒無外,九服大同,四海為家,萬里為宅。乃休牛散馬,偃武修文。

自ら華夏乱離し、綿積年代、人戦争の具を造り、家澆偽の風を習い、聖人の遺訓存する莫く、先王の旧典咸く墜つ。爰に秩宗を命じ、『五礼』を刊定し、太子に申敕し、六楽を改正す。玉帛樽俎の儀、節文乃ち備わり、金石きんせき匏革の奏、雅俗始めて分かる。而して政術に心を留め、聴覧に神を垂れ、早朝晏罷し、寝を廃し食を忘れ、百姓の未だ安からざるを憂え、一物の失する所を懼る。先王の道を行い、夜思いて旦を待ち、百王の弊を革め、朝及び夕に及ばず。一の善事を見れば、喜び容旨に彰け、一の愆犯を聞けば、歎き予在りに深し。賦を薄くし徭を軽くし、農を務め穀を重んじ、倉廩に紅腐の積有り、黎萌に阻饑の慮無し。天性弘慈にして、聖心惻隱、恩は禽獣に加わり、胎卵ここに於いて獲全し、仁は草木に沾い、牛羊ここに於いて所以に践まず。憲章重典、刑名大辟に至るまで、法を申して情を屈し、決断は俄頃に於いてす、故に能く彝倫攸叙し、上下斉粛なり。左右諂諛の路を絶ち、縉紳勢力の門無し。小心翼翼、天地に事えて敬し、終日乾乾、亢極に誡慎す。黎萌を徳化に陶し、風俗を太康に致す、公卿庶尹、遐邇嶽牧、僉に以て天平地成、千載の嘉会、登封降禅、百王の盛典と為し、宜しく其の金泥玉検、礼を介丘に展べ、声を飛ばし実を騰せ、常に称首と為すべしとす。天子為して恃まず、成して居らず、沖旨凝邈、固く辞して許さず。而して休むと雖も休まず、上徳は徳とせず、更に乃ち誠を岱岳に潔くし、愆咎に遜謝す。方に知る六十四卦、謙捴の道尊きを為し、七十二君、告成の義小なるを、巍巍蕩蕩、以て称うるを得ざるを。而して深誠至徳、穹壌に感達し、和気薫風、宇宙に充溢す。二儀福を降し、百霊祉れいしを薦く、日月星象、風雲草樹の祥、山川玉石、鱗介羽毛の瑞、歳に見え月に彰け、勝え紀す可からず。振古いにしえ未だ有らざる所、図籍載せざる所、目に見えざる所、耳に未だ聞かざる所に至るまで。古語に聖人作れば、万物睹る、神霊滋き、百宝用いる、と称す、此れ其の効なり。

原文自華夏亂離,綿積年代,人造戰爭之具,家習澆偽之風,聖人之遺訓莫存,先王之舊典鹹墜。爰命秩宗,刊定《五禮》,申敕太子,改正六樂。玉帛樽俎之儀,節文乃備;金石匏革之奏,雅俗始分。而留心政術,垂神聽覽,早朝晏罷,廢寢忘食,憂百姓之未安,懼一物之失所。行先王之道,夜思待旦;革百王之弊,朝不及夕。見一善事,喜彰于容旨;聞一愆犯,歎深於在予。薄賦輕徭,務農重穀,倉廩有紅腐之積,黎萌無阻饑之慮。天性弘慈,聖心惻隱,恩加禽獸,胎卵於是獲全,仁沾草木,牛羊所以勿踐。至於憲章重典,刑名大辟,申法而屈情,決斷於俄頃,故能彝倫攸敘,上下齊肅。左右絕諂諛之路,縉紳無勢力之門。小心翼翼,敬事於天地;終日乾乾,誡慎於亢極。陶黎萌於德化,致風俗于太康,公卿庶尹,遐邇嶽牧,僉以天平地成,千載之嘉會,登封降禪,百王之盛典,宜其金泥玉檢,展禮介丘,飛聲騰實,常為稱首。天子為而不恃,成而不居,沖旨凝邈,固辭弗許。而雖休勿休,上德不德,更乃潔誠岱岳,遜謝愆咎。方知六十四卦,謙捴之道為尊,七十二君,告成之義為小,巍巍蕩蕩,無得以稱焉。而深誠至德,感達於穹壤,和氣薰風,充溢於宇宙。二儀降福,百靈薦祉,日月星象,風雲草樹之祥,山川玉石,鱗介羽毛之瑞,歲見月彰,不可勝紀。至於振古所未有,圖籍所不載,目所不見,耳所未聞。古語稱聖人作,萬物睹,神靈滋,百寶用,此其效矣。

既にして心を姑射に遊ばし、屣を脱ぐの志已に深く、鼎を荊山に鑄し、天に昇るの駕遂に遠し。凡そ黎献に在るは、具に惟れ帝臣、慕び深く考妣を考へ、哀み弓剣に纏わり、塗山幽峻、復た玉帛の礼無く、長陵寂寞、空しく衣冠の遊を見る。若し乃ち精を降し熛怒し、名を帝籙に飛ばし、運を開き図を握り、業を創し統を垂るるは、聖徳なり、乱を撥き正に反し、国を済い人を寧んじ、六合りくごう八紘、文を同じくし軌を共にすは、神功しんこうなり、玄酒陶匏とうほう、雲和孤竹、上帝を禋祀いんしし、尊極天に配すは、大孝なり、伯を偃げ戈を戢め、礼を正し楽を裁ち、民を寿域に納れ、俗を福林に駆るは、至政なり。四維を張りて万宇に臨み、三皇に侔ひて五帝に並ぶ、豈に直だ周・漢を錙銖し、魏・晉を麼麽するのみならんや。五行の舞と雖も、毎に清廟に陳べ、九徳の歌と雖も、楽府に絶ゆる無けれど、而して玄功暢洽、形器に局せず、懿業遠大、豈に揄揚に尽くさんや。

原文既而游心姑射,脫屣之志已深;鑄鼎荊山,升天之駕遂遠。凡在黎獻,具惟帝臣,慕深考妣,哀纏弓劍,塗山幽峻,無複玉帛之禮,長陵寂寞,空見衣冠之遊。若乃降精熛怒,飛名帝籙,開運握圖,創業垂統,聖德也;撥亂反正,濟國寧人,六合八紘,同文共軌,神功也;玄酒陶匏,雲和孤竹,禋祀上帝,尊極配天,大孝也;偃伯戢戈,正禮裁樂,納民壽域,驅俗福林,至政也。張四維而臨萬宇,侔三皇而並五帝,豈直錙銖周、漢,麼麽魏、晉而已。雖五行之舞,每陳於清廟,九德之歌,無絕於樂府,而玄功暢洽,不局於形器,懿業遠大,豈盡於揄揚。

臣軽生多幸、命興運に偶し、事に趨ること紫宸、馳駆すること丹陛、一たび天闕に辞し、奄に鼎湖に隔たり、空しく攀龍の心有り、徒らに蓐蟻の意を懐く。庶くは毫翰に憑り、敢えて贊述を希わん!昔え海を堙むの禽は大地に増さず、河に泣くの士は洪流に益せず、其の心の存する所を尽くし、其の力の及ぶ所を望み、輒ち斯の義に縁り、覚えず斐然たり。乃ち頌を作ること曰く。

原文臣輕生多幸,命偶興運,趨事紫宸,驅馳丹陛,一辭天闕,奄隔鼎湖,空有攀龍之心,徒懷蓐蟻之意。庶憑毫翰,敢希贊述!昔堙海之禽不增於大地,泣河之士非益於洪流,盡其心之所存,望其力之所及,輒緣斯義,不覺斐然。乃作頌曰:

悠久なる邃古、遥かなる季世、四海九州、万王千帝。三代の後、その道はますます替わり、爰に金行に逮り、その弊に勝えず。戎狄は夏を猾し、群凶は慝を縦し、号を窃み名を淫し、十有余国。威を恃み暴を逞し、礼に悖り徳を乱し、五嶽塵飛し、三象霧塞す。玄精は暦を啓き、跡を幽方に発し、寇偽を併吞し、独り雄強を擅にす。祀を載すること二百、祚を前王に比し、江湖尚お阻み、区域未だ康ならず。句呉・閩越、河朔・渭涘、九県瓜分し、三方鼎跱す。狙詐息まず、干戈競い起り、東夏は平らかなりと雖も、乱離瘼し。五運は期に葉い、千年は旦を肇く、赫たり高祖、人霊の攸に賛する所。聖徳は迥かに生じ、神謀は独断し、悪を癉し善を彰し、凶を夷し難を静む。宗伯は儀を撰し、太史は日を練り、孤竹の管、雲和の瑟。礼を上玄に展し、煙を太一に飛ばし、珪璧朝会し、山川望秩す。星景を占揆し、邦畿を移建し、下は赤壤に憑り、上は紫微に葉う。政を衢室に布き、法を象魏に懸け、帝宅は天府、本を固くし威を崇む。匈河・瀚海、龍荒・狼望、種落陸梁し、時に亭障を犯す。皇威は遠く懾し、帝徳は遐く暢し、顙を稽ぎ誠に帰し、臣と称して内向す。呉越の提封、斗牛の星象、年代を積み、自ら君長と称す。大風は未だ繳せず、長鯨は網を漏らし、鉞を天人に授け、豁然として清蕩す。日に戴き斗に戴き、太平太蒙、礼教は周く被り、書軌しょきは大同す。禹の跡を復し、舜の功を成し、礼は以て上を安んじ、楽は以て風を移す。庶績を憂労し、黔首を矜育し、三面は羅を解き、万方は咎を引く。民を軌物に納れ、時を仁寿に駆り、神化は隆平、生霊せいれいは熙阜す。虔心恭己し、天に奉じ地に事え、協気は横流し、休徴は紹いて至る。壇場は幸を望み、雲亭は位を虚しくし、推して居らず、聖道は弥く粋なり。跡を姫文に斉しくし、嗣聖に登発し、道は漢光に類し、宝命を伝え荘す。来を知り往を蔵し、玄覧幽鏡、鼎業は霊長、洪基こうきは隆盛なり。崆峒に道を問い、汾射は窅然、禦弁は遐逝し、雲に乗りて上仙す。哀は率土に纏わり、痛は穹玄きゅうげんに感ず、沢は万葉に流れ、以て百年を教う。尚お睿図を想い、永く聖則を惟う、道は幽顕に洽し、仁は動植に沾う。爻象は陳べず、乾坤将に息まんとす、微臣頌を作し、以て罔極を申す。

原文悠哉邃古,邈矣季世,四海九州,萬王千帝。三代之後,其道逾替,爰逮金行,不勝其弊。戎狄猾夏,群凶縱慝,竊號淫名,十有餘國。怙威逞暴,悖禮亂德,五嶽塵飛,三象霧塞。玄精啟曆,發跡幽方,併吞寇偽,獨擅雄強。載祀二百,比祚前王,江湖尚阻,區域未康。句吳閩越,河朔渭涘,九縣瓜分,三方鼎跱。狙詐不息,干戈競起,東夏雖平,亂離瘼矣。五運葉期,千年肇旦,赫矣高祖,人靈攸贊。聖德迥生,神謀獨斷,癉惡彰善,夷凶靜難。宗伯撰儀,太史練日,孤竹之管,雲和之瑟。展禮上玄,飛煙太一,珪璧朝會,山川望秩。占揆星景,移建邦畿,下憑赤壤,上葉紫微。布政衢室,懸法象魏,帝宅天府,固本崇威。匈河瀚海,龍荒狼望,種落陸梁,時犯亭障。皇威遠懾,帝德遐暢,稽顙歸誠,稱臣內向。吳越提封,鬥牛星象,積有年代,自稱君長。大風未繳,長鯨漏網,授鉞天人,豁然清蕩。戴日戴鬥,太平太蒙,禮教周被,書軌大同。複禹之跡,成舜之功,禮以安上,樂以移風。憂勞庶績,矜育黔首,三面解羅,萬方引咎。納民軌物,驅時仁壽,神化隆平,生靈熙阜。虔心恭己,奉天事地,協氣橫流,休徵紹至。壇場望幸,雲亭虛位,推而不居,聖道彌粹。齊跡姬文,登發嗣聖,道類漢光,傳莊寶命。知來藏往,玄覽幽鏡,鼎業靈長,洪基隆盛。崆峒問道,汾射窅然,禦辯遐逝,乘雲上仙。哀纏率土,痛感穹玄,流澤萬葉,用教百年。尚想睿圖,永惟聖則,道洽幽顯,仁沾動植。爻象不陳,乾坤將息,微臣作頌,用申罔極。

帝、之を覧めて悦ばず、顧みて蘇威に謂ひて曰く、「道衡は先朝を致美す、此れ『魚藻』の義なり」と。ここに於て司隸大夫に拝し、将に之を罪に置かんとす。道衡は悟らず。司隸刺史房彦謙は素より相善くし、必ず禍に及ぶを知り、之を勧めて賓客を杜絶し、辞を卑くし気を下すべしとすれども、道衡は用ふる能はず。会議して新令を議し、久しく決する能はず、道衡は朝士に謂ひて曰く、「向使ひ高熲死せずば、令は決して当に久しく行はるべし」と。人有りて之を奏す、帝怒りて曰く、「汝は高熲を憶ふか」と。執法者に付して之を勘す。道衡は自ら大過に非ずと為し、憲司を促して早く断ぜしむ。奏する日に及び、帝の之を赦さんことを冀ひ、家人に勅して饌を具へ、以て賓客の来り候ふ者に備へしむ。奏するに及び、帝は自尽せしむるを令す。道衡は殊に意にせず、未だ訣を引く能はず。憲司重ねて奏す、縊して之を殺す、妻子は且末に徙す。時に年七十。天下之を冤とす。集七十巻有り、世に行はる。

原文帝覽之不悅,顧謂蘇威曰:「道衡致美先朝,此《魚藻》之義也。」於是拜司隸大夫,將置之罪。道衡不悟。司隸刺史房彥謙素相善,知必及禍,勸之杜絕賓客,卑辭下氣,而道衡不能用。會議新令,久不能決,道衡謂朝士曰:「向使高熲不死,令決當久行。」有人奏之,帝怒曰:「汝憶高熲邪?」付執法者勘之。道衡自以非大過,促憲司早斷。暨于奏日,冀帝赦之,敕家人具饌,以備賓客來候者。及奏,帝令自盡。道衡殊不意,未能引訣。憲司重奏,縊而殺之,妻子徙且末。時年七十。天下冤之。有集七十卷,行於世。

従弟 孺

原文從弟 孺

子五人あり、収最も知名れ、族父孺に出継す。孺は清貞孤介にして、流俗に交はらず、経史に渉歴し、才思有り、大文を為さずと雖も、所有の詩詠は、詞致清遠なり。開皇中、侍御史・揚州総管司功参軍と為る。毎に方直を以て自ら処し、府僚多く之を便とせず。満つるに及び、転じて清陽令・襄城郡掾と為り、官に卒す。経る所並びに恵政有り。道衡と偏へに相友愛し、収初めて生るるや、即ち孺と為りて後とし、孺の宅に養はる。成長に至るまで、殆ど本生を識らず。太常たいじょう丞胡仲操は嘗て朝堂に在りて、就きて孺に刀子を借りて爪甲を割く。孺は仲操を雅士に非ずと為し、竟に之を与へず。其の妄りに交はるを肯ぜず、清介独行するは、皆此の類なり。

原文有子五人,收最知名,出繼族父孺。孺清貞孤介,不交流俗,涉歷經史,有才思,雖不為大文,所有詩詠,詞致清遠。開皇中,為侍御史、揚州總管司功參軍。每以方直自處,府僚多不便之。及滿,轉清陽令、襄城郡掾,卒官。所經並有惠政。與道衡偏相友愛,收初生,即與孺為後,養於孺宅。至於成長,殆不識本生。太常丞胡仲操曾在朝堂,就孺借刀子割爪甲。孺以仲操非雅士,竟不與之。其不肯妄交,清介獨行,皆此類也。

道衡の兄の子邁は、官選部郎に至り、従父おじ弟道実は、官礼部侍郎・離石太守に至り、並びに当世に知名る。従子徳音は、雋才有り、起家して游騎尉と為る。魏澹を佐けて『魏史』を修め、史成りて、著作佐郎に遷る。及び越王侗が東都に称制し、王世充の号を僭するや、軍書羽檄は、皆其の手に出づ。世充平らぎ、罪を以て伏誅せらる。所有の文筆は、多く時に行はる。

原文道衡兄子邁,官至選部郎,從父弟道實,官至禮部侍郎、離石太守,並知名於世。從子德音,有雋才,起家為游騎尉。佐魏澹修《魏史》,史成,遷著作佐郎。及越王侗稱制東都,王世充之僭號也,軍書羽檄,皆出其手。世充平,以罪伏誅。所有文筆,多行于時。

【論】

原文【論】

史臣曰く、二三子は斉の季に有り、皆辞藻を以て聞こえ、爰に周・隋を歴て、咸に推重せらる。李は一代の俊偉と称し、薛は則ち時の令望、霊蛇を握りて以て俱に照らし、逸足を騁せて以て並びに駆り、文雅縦横、金声玉振す。静かに言ひて揚榷すれば、盧は二子の右に居る。李・薛は青を紆へ紫を拖き、思道は官途寥落たり、窮通は命有りと雖も、抑亦細行を護らざるに致る所なり。

原文史臣曰:二三子有齊之季,皆以辭藻著聞,爰曆周、隋,鹹見推重。李稱一代俊偉,薛則時之令望,握靈蛇以俱照,騁逸足以並驅,文雅縱橫,金聲玉振。靜言揚榷,盧居二子之右。李、薛紆青拖紫,思道官途寥落,雖窮通有命,抑亦不護細行之所致也。