音とは、そもそも太始に本づきて人心より生じ、物に随ひて感動し、形気に播く。形気既に著はれば、律呂に協ひ、宮商克く諧ひて、之を名づけて楽と為す。楽とは、楽しむことなり。聖人は百姓の己が徳を楽しむに因り、之を六律を以て正し、之を五声を以て文め、之を九歌を以て詠じ、之を八佾を以て舞はしむ。実に升平の冠帯、王化の源本なり。《記》に曰く、「物に感して動く、故に声に形す」と。夫人は、両儀の播く気にして、性情の起こる所なり。其の流湎を恣にすれば、往きて帰らず、是を以て五帝は楽を作り、三王は礼を制し、人倫を標挙し、淫放を削平す。其の之を用ふるや、天地を動かし、鬼神を感ぜしめ、祖考に格り、邦国に諧ふ。風を樹てて化を成し、徳を象りて功を昭かにし、万物の情を啓き、天下の志を通ず。若し夫れ升降に則有り、宮商範を垂る。礼其の制を踰ゆれば尊卑乖ひ、楽其の序を失へば親疏乱る。礼其の象を定め、楽其の心を平らげ、外は敬し内は和し、情を合はせ貌を飾るは、猶ほ陰陽の以て化を成し、日月の以て明と為すが若し。
《記》に曰く、「大夫は故無くして懸を撤かず、士は故無くして琴瑟を撤かず」と。聖人楽を造り、和気を導き迎へ、悪情を摒退し、善心を興起す。伊耆には葦籥の音有り、伏犠には網罟の詠有り、葛天の八闋、神農の五弦、事は功に偕なり、其の来り已に尚し。黄帝の楽は《咸池》と曰ひ、帝嚳は《六英》と曰ひ、帝顓頊は《五莖》と曰ひ、帝堯は《大章》と曰ひ、帝舜は《簫韶》と曰ひ、禹は《大夏》と曰ひ、殷の湯は《護》と曰ひ、武王は《武》と曰ひ、周公は《勺》と曰ふ。之を風賦を以て教へ、之を孝友を以て弘む。大礼は天地と節を同じくし、大楽は天地と和を同じくす。礼意風猷、楽情膏潤。《伝》に曰く、「如し王者有らば、必ず世にして後に仁なり」と。成・康の化、升平に致り、刑厝して用ゐざるなり。古へ天子政を聴くに、公卿詩を献ず。秦人の作有りて、斯の道を罕に聞く。漢の高祖の時、叔孫通爰に篇章を定め、以て宗廟を祀るに用ふ。唐山夫人は楚声能くし、又房中の楽を造る。武帝は音律の響を裁き、郊丘の祭を定む。頗る謳謡を雑へ、全き雅什に非ず。漢の明帝の時、楽に四品有り。一には《大予楽》と曰ふ。郊廟上陵の用ふる所なり。則ち《易》の所謂「先王楽を作り徳を崇くし、殷く之を上帝に薦め、以て祖考に配す」者なり。二には雅頌楽と曰ふ。辟雍饗射の用ふる所なり。則ち《孝経》の所謂「風を移し俗を易ふるは、楽に善きは莫し」者なり。三には黄門鼓吹楽と曰ふ。天子群臣を宴するの用ふる所なり。則ち《詩》の所謂「坎坎と我を鼓し、蹲蹲と我を儛はす」者なり。其の四には短簫鐃歌楽と曰ふ。軍中の用ふる所なり。黄帝の時、岐伯の造る所、以て武を建て徳を揚げ、敵を風し兵を励ます。則ち《周官》の所謂「王師大捷すれば、則ち凱歌を令す」者なり。又百官の詩頌を采り、以て登歌と為し、十月の吉辰、始めて烝祭に用ふ。董卓の乱に、正声咸く蕩く。漢の雅楽郎杜夔は、楽事を曉る能くし、八音七始、兼ね該はらざる無し。魏武荊州を平げ、夔を得て、其の雅律を刊定せしむ。魏に先代の古楽有るは、夔より始まるなり。此より晋に至るまで、用ひて相因循す。永嘉の寇に、尽く胡羯に淪ぶ。是に於て楽人南奔し、穆皇鐘磬を羅し、苻堅北に敗れ、孝武登歌を獲る。晋氏綱を挙げず、魏図将に霸たらんとす。道武中山を克ち、太武統万を平ぐ。或は其の宮懸を得、或は其の古楽を収む。時に於て経営是に迫り、雅器斯に寢す。孝文頗る詩歌を為し、以て在位を勖む。謡俗流伝し、諸の音律に布く。大臣は漢・魏に馳騁し、旁ら宋・齊を羅し、功成りて奮豫し、代に製作有り。各廟舞を揚げ、郊歌を自ら造り、功德を宣暢し、輝光当世にし、而して風を移し俗を易ふるも、浸く以て陵夷す。
梁の武帝は本諸生より出で、前載に博通す。未だ下車せざるに、意先づ風雅に在り。爰に凡百に詔し、各聞く所を陳べしむ。帝又自ら前違を糾擿し、一代を裁成す。周の太祖は関隴に発跡し、躬より戎狄を安んず。群臣功成の楽を請ふ。式に周の旧に遵ひ、三材に依りて管を命じ、六典を承けて文を揮ふ。而して《下武》の声は、豈に姬人の唱ふる所ならんや。登歌の奏は、鮮卑の音に協ふ。情中に動けば、亦人心已む能はざるなり。昔し仲尼魯に返りて、風雅斯に正し。所謂其の芸有りて其の時無きなり。高祖命を受けて惟新にし、八州同貫す。制氏全く胡人より出で、神を迎ふるに猶ほ辺曲を帯ぶ。及び顔・何驟に請ふに、頗る雅音に渉る。而して継ぎて《韶》を聞かんと思へば、之を去ること弥く遠し。若し夫れ二南斯の理、八風節を揚げ、順序旁らに通じ、妖淫屏棄し、宮徵流唱し、翱翔率舞し、仁義の道を弘め、性命の真を安んず。君子益々厚く、小人悔無し。大楽の懿に非ざれば、其れ孰か能く此に与からんや。是を以て舜《南風》を詠じて虞帝昌へ、紂北鄙を歌ひて殷王滅ぶ。大楽紊れざれば、則ち王政其の中に在り。故に其の相因襲せざるを録し、以て志に備ふ。《周官》大司楽一千三百三十九人。漢の郊廟及び武楽、三百八十人。煬帝奢を矜り、頗る淫曲を玩ぶ。御史大夫裴蘊、帝の情を揣み知り、周・齊・梁・陳の楽工子弟及び人間の善き声調者を括るを奏す。凡そ三百余人、並びに太楽に付す。倡優雑り、咸く来り萃り止まる。其の哀管新声、淫弦巧奏は、皆鄴城の下より出で、高齊の旧曲と云ふ。
是の時に楽に対す者七十八家、咸く多く流略を引き、其の詞を浩蕩にして、皆楽の改むべしを言い、改楽の法を言わず。帝は既に素より鐘律に善くし、旧事に詳悉なれば、遂に自ら礼楽を制定す。又四器を立て、之を通と名づく。通は声を受くるに広さ九寸、声を宣ぶるに長さ九尺、臨岳の高さ一寸二分。毎通皆三弦を施す。一に曰く玄英通:応鐘弦、一百四十二絲を用い、長さ四尺七寸四分差強し;黄鐘弦、二百七十絲を用い、長さ九尺;大呂弦、二百五十二絲を用い、長さ八尺四寸三分差弱し。二に曰く青陽通:太簇弦、二百四十絲を用い、長さ八尺;夾鐘弦、二百二十四絲を用い、長さ七尺五寸弱し;姑洗弦、二百一十四絲を用い、長さ七尺一寸一分強し。三に曰く朱明通:中呂弦、一百九十九絲を用い、長さ六尺六寸六分弱し;蕤賓弦、一百八十九絲を用い、長さ六尺三寸二分強し;林鐘弦、一百八十絲を用い、長さ六尺。四に曰く白蔵通:夷則弦、一百六十八絲を用い、長さ五尺六寸二分弱し;南呂弦、一百六十絲を用い、長さ五尺三寸二分大強し;無射弦、一百四十九絲を用い、長さ四尺九寸九分強し。通の声に因り、転じて月気を推し、悉く差違無く、而して還相中を得たり。又十二笛を制す:黄鐘笛、長さ三尺八寸、大呂笛、長さ三尺六寸、太簇笛、長さ三尺四寸、夾鐘笛、長さ三尺二寸、姑洗笛、長さ三尺一寸、中呂笛、長さ二尺九寸、蕤賓笛、長さ二尺八寸、林鐘笛、長さ二尺七寸、夷則笛、長さ二尺六寸、南呂笛、長さ二尺五寸、無射笛、長さ二尺四寸、応鐘笛、長さ二尺三寸。笛を用いて通声を写し、古鐘玉律及び周代の古鐘を飲み、並びに皆差し違わず。ここに八音を被し、七声を施すに、韻に和せざるは莫し。
是の時北中郎司馬何佟之、上言して曰く、「案ずるに『周礼』に『王出入すれば則ち『王夏』を奏し、屍出入すれば則ち『肆夏』を奏し、牲出入すれば則ち『昭夏』を奏す』と。今楽府の『夏』は、唯『王夏』を『皇夏』に変うるのみ、蓋し秦・漢以来皇と称するに縁る故なり。而して斉氏は仍て宋の儀注に依り、神を迎えては『昭夏』を奏し、皇帝出入には『永至』を奏し、牲出入には更に引牲の楽を奏す。其の舛謬たる、此れに甚だしきは莫し。礼局に下して改正を請う」と。周舍議して、以て「『礼』に『王入れば『王夏』を奏す』と、大祭祀と朝会とは、其の楽を用いること一なり。而るに漢制、皇帝廟に在りては『永至』の楽を奏し、朝会の日は、別に『皇夏』あり。二楽異なり、礼に於いて乖けり、宜しく『永至』を除き、還って『皇夏』を用うべし。又『礼』に『屍出入すれば『肆夏』を奏し、賓大門に入れば『肆夏』を奏す』と、則ち設くる所は唯だ人神に在り、其の牲を迎える楽と、濫るべからざるなり。宋季礼を失い、頓に旧則を虧き、神廟門に入れば、遂に『昭夏』を奏し、乃ち牲牢の楽を以てし、以て祖考の霊に接す。斯れ皆前代の深き疵、当今改むべき所なり」と為す。時に議又た以て『周礼』に云う「若し楽六変すれば、天神皆降る」と。神は上玄に居り、去還怳忽たり、降るは則ち自ら至り、迎うるは則ち所無し。迎を改めて降と為し、而して送は前式に依るべしと為す。又『周礼』に云う「若し楽八変すれば、則ち地祇皆出で、礼すべきを得」と、地は宜しく旧に依りて神を迎うるを為すべしと。並びに之に従う。又明堂に楽を設くるは、大略南郊と殊ならず、唯だ壇堂名を異にし、而して就燎の位無し。明堂は則ち遍く五帝を歌い、其の余は郊の式と同じなり。
初め宋・斉の代には、天地を祀り、宗廟を祭るに、漢の祠太一後土に準じて、ことごとく宮懸を用いた。また太常任昉もまた王粛の議に拠って云う、「『周官』に『六律・五声・八音・六舞を以て大いに楽を合わせ、鬼神を致し、邦国を和し、兆庶を諧え、賓客を安んじ、遠人を悦ばす』とある。これを六同と謂い、一時に皆作す。今六代の舞を独り分けて用いるは、人心に厭わざるなり」と。遂に粛の議に依り、郊廟を祀祭するに、六代の楽を備えた。ここに至り帝曰く、「『周官』に楽を分けて饗祀すとあり、『虞書』には両懸を鳴らすに止まる。古に求めれば、宮懸の議無し。何ぞや。人に事うる礼は縟く、神に事うる礼は簡なるなり。天子袞を襲いて、至敬は文ならず、天下の物を観て、その徳に称するもの無ければ、則ち少きを以て貴しと為すなり。大いに楽を合わせるとは、是れ六律と五声とを克く諧わしめ、八音と万舞とを節に合わせしむるのみ。豈に鬼神を致すに只六代の楽を用いるのみと謂わんや。その後に即ち『楽を分けて之を序し、以て祭り以て享く』と言う。此れ乃ち暁然として明らかにすべく、粛は則ちその旨を失えり。載籍を推検すれば、初めより郊禋宗廟に六代を遍く舞うの文無し。唯だ『明堂位』に曰く、『周公を太廟に禘祀すに、硃幹玉戚、冕して『大武』を舞い、皮弁素積、裼して『大夏』を舞う。夷蛮の楽を太廟に納る、魯を天下に広むるを言うなり』と。夫れ祭りは敬を尚び、楽を繁くし礼を黷らさしむること無し。是を以て季氏暗きに逮んで祭り、之に燭を継ぎ、有司跛倚す。其れ不敬大なり。他日に祭り、子路之に関わり、質明にして始め、晏朝にして退く。孔子之を聞きて曰く、『誰か由が礼を知らざると謂わんや』と。若し粛の議に依らば、郊には既に迎送の楽有り、又登歌有り、各々功德を頌す。六代を遍くし、之に出入を継ぎ、方に楽終わるを待つ。此れ則ち仲尼の晏朝を韙とする意に乖けり」と。ここにおいて宮懸を備えず、六代を遍く舞わず、応に須うる所に逐う。即ち懸を設くれば、則ち宮に非ず軒に非ず、判に非ず特に非ず、宜しく至敬の応に施用する所に至るべし。宗廟は迎送の楽を省く、其れ閟宮霊宅なるを以てなり。斉の永明年中、舞人の冠幘並びに筆を簪す。帝曰く、「筆笏は蓋し記事言を受くるを以てす。舞は言を受けず、何事ぞ筆を簪す。豈に身に朝衣を服し、而して足に宴履を綦せんや」と。ここにおいて筆を去る。
また晋及び宋・斉には、鐘磬を懸くること大いに准似し、皆十六架なり。黄鐘の宮:北方、北面、編磬は西より起こり、其の東に編鐘、其の東に衡は鎛より大なり、何れの代の作れるか知らず、其の東に鎛鐘。太簇の宮:東方、西面、北より起こる。蕤賓の宮:南方、北面、東より起こる。姑洗の宮:西方、東面、南より起こる。次ぐ所皆北面の如し。四隅に建鼓を設け、懸内四面、各々柷爆有り。帝曰く、「晋・宋の史を著す者、皆太元・元嘉四年に、四廂金石大いに備わると言う。今楽府を検すれば、只だ黄鐘・姑洗・蕤賓・太簇の四格のみ有り。六律具わらず、何をか四廂と謂わん。楽を備うるの文、其の義焉にか在る」と。ここにおいて衡鐘を除去し、十二の鎛鐘を設け、各々辰位に依り、而して其の律に応ず。每一の鎛鐘に、則ち編鐘磬各一虡を設け、合わせて三十六架。四隅に建鼓を植う。元正の大会に備えて之を用う。
『俊雅』、歌詩三曲、四言:
官を設け職を分つ、髦俊の俟つ所。髦俊は伊何、徳を貴び歯を尚ぶ。唐の乂咸く事と為し、周は寧んぞ士多し。区区たる衛国、猶お君子に頼る。漢の人を得、帝猷乃ち理まる。
我が八襲を開き、我が九重を辟く。珩佩響きを流し、纓紱容有り。袞衣前に邁し、列辟雲の従うが如し。義は東序に兼ね、事は西雍を美とす。階を分けて等しく肅し、列を異にして斉しく恭し。
重ねて列し北上し、庭を分かち陛を異にす。百司職を揚げ、九賓礼を相す。斉宋は舅甥、魯衛は兄弟。皇を思いて藹藹たる、群龍済済たり。我に嘉賓有り、実に惟れ愷悌なり。
『皇雅』、三曲、五言:
帝徳実に広運、車書賓ならざる無し。瑁を執りて群後に朝し、旒を垂れて百神を禦う。八荒重訳至り、万国婉として来たり親しむ。
華蓋紫微を拂い、勾陳太一を繞る。容裔緹組に被わり、参差蒨畢羅す。星回り照らして以て爛れ、天行徐かに且つ謐なり。
清蹕の儀を整えて萬宇を朝し、端冕を戴きて正陽に臨む。青絇に黃金の繶、袞衣に文繡の裳。既に華蟲の采を散じ、また日月光を流す。
『胤雅』、一曲、四言:
昔より殷の代より、哲王は迭りに有り。降りて周の成王に及び、惟だ器を是れ守る。上天乃ち眷し、大樑既に受く。灼灼たる重明、仰いで元首を承く。乾を體して貳と作り、命服斯に九。保を置き師を置き、前に居り後に居る。前星北に耀き、萬壽を克く隆す。
『寅雅』、一曲、三言:
禮は違うこと莫く、樂は具に挙がる。籓辟を延べ、帝の所に朝す。桓蒲を執り、齊莒を列す。袞毳を垂れ、容與として紛る。升るに儀有り、降るに序有り。簪紱を齊しくし、笑語を忘る。始めは矜嚴、終わりは酣醑。
『介雅』、三曲、五言:
百福は四象の初め、萬壽は三元の始め。拜獻は惟だ袞職、同心して卿士と協す。北極は永く窮まり無く、南山何ぞ擬ふるに足らん。
壽は百禮の洽うに隨ひ、慶は三朝の升るに與る。惟皇は繁祉を集め、景福互ひに仍る。申錫は永く遺るること無く、穰簡必ず來り應ふ。
百味既に馨を含み、六飲尚ぶこと能はざる莫し。玉罈は信に湛湛たり、金卮は頗る搖漾す。敬を挙げて天和を發し、祥祉は嘉貺に流る。
『需雅』、八曲、七言:
實體平心にして和味を待ち、庶羞百品多くして貴しと為す。或は鼎或は鼒にして九沸を宣べ、楚の桂胡の鹽芳卉を芼す。籩を加へ俎を列して雕り且つ蔚たり。
五味九變六和を兼ね、令芳甘旨庶く且つ多し。三危の露九期の禾、圓案方丈星羅の如く粲たり。皇の挙ぐる斯の樂は山河と同じし。
九州の上腴は一族に非ず、玄芝碧樹壽華の木。終朝之を采れども掬に盈たず、用て腥膻を拂ひ九穀に和す。既に甘く且つ飫ひて遐福を致す。
人の欲する所大なるは味を先とし、和を興し敬を盡くすは鹹に旃に在り。碧鱗硃尾嘉鮮を獻じ、紅毛綠翼輕翾に墜つ。臣拜稽首して萬斯年。
鐘を撃ちて俟つは惟だ大國のため、況んや乃ち天を禦ぎて至德を流すをや。食を侑ふ斯の挙は盛則を揚げ、其の禮は愆らず儀は忒せず。風猷の被る所深く且つ塞がる。
膳夫が職務を奉じて芳醇な滋味を献ずれば、麝も夭もなく皆時に適う。甘きを調え苦きを適えしめて澠と淄とを別ち、その徳爽わずして福厘を受く。ここに於いて逸豫永く期無し。
備味これ饗うは惟れ至聖、人神咸く降りて礼盛んなり。或いは風或いは雅に流れて歌詠し、鼎を負いて言帰して殷命を啓く。悠悠たる四海これと同じく慶ぶ。
我が六穗を道い八珍を羅ねば、洪鼎自ら爨きて薪を労せず。荊包海物必ず来たり陳べ、滑甘滌瀡味神に和す。この斯の至徳を以て無垠に被わる。
『雍雅』、三曲、四言:
明らかに上に在りて、その儀序有り。事を終えて愆ること靡く、鉶を収め俎を撤す。乃ち升り乃ち降り、和楽備わり挙がる。天徳違う莫く、人謀是れ与る。礼を行い敬い達し、ここに於いて宴語す。
我が餕は惟れ阜く、我が肴は孔だ庶し。嘉味既に充ち、食旨これに飫う。厭うに属して爽わず、沖和御するに在り。撃壤して斉しく歓び、生を懐いて等しく豫す。蒸庶乃ち粒し、実に仁恕に由る。
百司警め列し、皇在りて陛に在り。既に飫え且つ醑し、食を卒えて礼を成す。その容穆穆たり、その儀済済たり。凡そ百の庶僚、愷悌ならざる莫し。奄かに万国を有つは、抑も天啓に由る。
『滌雅』、一曲、四言:
将に盛礼を修めんとす、その儀孔だ熾なり。腯たる斯の牲有り、国門に是を置く。黎せず翽せず、愆ること靡く忌むこと靡し。肌を呈し体を献げ、永く言いて事を昭らかにす。皇徳に俯して休み、霊志を仰ぎて綏う。百福具に膺け、嘉祥允に洎る。駿奔する伊に在り、慶覃きて遐嗣に及ぶ。
『牷雅』、一曲、四言:
本に反りて敬を興し、古に復して誠を昭らかにす。礼容宿に設け、祀事孔だ明らかなり。華俎献を待ち、崇碑牲を麗わす。充たる哉繭握、肅なる矣簪纓。その膋既に啓け、我が豆既に盈つ。庖丁刃に游び、葛盧声を験す。多祉攸に集まり、景福来たり並ぶ。
『誠雅』、一曲、三言:南郊にて神を降すに用う
忽慌を懐い、浩蕩を瞻る。誠潔を尽くし、虔想を致す。杳冥より出で、無象に降る。皇情肅しく、具僚仰ぐ。人礼盛んにして、神途敞けり。明霊に僾り、敬饗を申す。蒼極に感じ、玄壤に洞く。
『誠雅』、一曲、三言:北郊にて神を迎うるに用う
地徳溥く、昆丘峻し。羽翟を揚げ、応𣌾に鼓す。尊祗に出で、誠信を展ぶ。海瀆を招き、嶽鎮を羅す。惟れ福祉、咸く昭かに晉む。
『誠雅』、一曲、四言:南北郊・明堂・太廟の送神に同じく用いる。
我に明徳有り、馨しきは稷黍に非ず。牲玉孔だ備わり、嘉薦惟だ旅す。金懸宿に設け、和楽具に挙がる。礼は幽明に達し、敬は樽俎に行わる。鼓鐘雲の如く送り、遐福是れ与う。
『獻雅』、一曲、四言:
神宮肅肅たり、天儀穆穆たり。礼献既に同じく、此の釐福を膺く。我に馨明有り、史祝に愧じず。
『禋雅』、一曲、四言:就燎
紫宮昭煥たり、太一微玄たり。下土に降臨し、上天を尊高す。載せて珪壁を陳べ、式に牲牷を備う。雲孤清く引き、栒虞高く懸く。俯して象物を昭し、仰ぎて高煙を致す。彼の霊祉を肅し、咸に皇虔に達す。
『禋雅』、一曲、四言:就理
盛楽斯に挙がり、徴宮に協う。霊饗慶洽し、祉積化融る。八変序有り、三献已に終わる。坎牲玉を瘞し、徳に酬い功に報ゆ。垂れて呂を成し、壌を投じて風を生ず。道は虚しく致すこと無く、事は感通に由る。皇なる盛烈、此の祚は華嵩なり。
普通年間中、蔬を薦めた後、諸雅歌を改め、蕭子雲に制詞せしむるを敕す。既に牲牢無ければ、遂に『滌雅』・『牷雅』を省くという。
南郊では、舞は黄鐘を奏し、陽の化を始むるを取る。北郊では、舞は林鐘を奏し、陰の化を始むるを取る。明堂宗廟は、尚ぶところは敬なり、蕤賓は是れ敬の名たるを為し、復た陰主の義有り、故に同じく奏す。其の南北郊・明堂・宗廟の礼には、登歌を加う。今又其の歌詩一十八曲を列すという。
南郊皇帝初献、登歌を奏す、二曲、三言:
暾既に明らかなり、礼告げ成る。惟聖祖、上霊を主る。爵已に献じ、罍又盈つ。羽籥を息め、歌声を展ぶ。僾として在すが如く、皇情を結ぶ。
礼容盛んにして、樽俎列ぶ。玄酒陳べ、陶匏設く。清旨を献じ、虔潔を致す。王既に升り、楽已に闋く。蒼昊に降り、芳烈を垂る。
北郊皇帝初献、登歌を奏す、二曲、四言:
方壇既に坎たり、地祇已に出づ。盛典愆ること無く、群望咸に秩す。乃ち升り乃ち献じ、敬して礼卒を成す。霊降りて兆無く、神饗載せて謐し。允なるかな嘉祚、其の升ること日の如し。
至大なるかな坤元、実に厚き載せを為す。躬ら茲に奠饗し、誠は顕晦に交わる。或いは昇り或いは降り、珠を揺らし佩を動かす。徳は物を成すを表し、慶は皇代に流る。純嘏に過ちなく、祺福は是れ賚う。
宗廟に於ける皇帝の初献、登歌を奏す、七曲、四言。
功高く礼洽い、道尊く楽備わる。三献具に挙げ、百司位に在り。誠敬に過ちなく、幽明同じく致す。茫茫たる億兆、思わざる無きは遂げず。之を蓋うこと天の如く、之を容ること地の如し。
殷は玉筐に兆し、周は邠王より始まる。于赫しき文祖、我が大梁を基づく。土を肇むること七十、奄に四方を有つ。帝軒百祀、人の思う未だ忘れず、永く聖烈を言い、我に無疆を祚す。
夏に多罪有り、殷人は塗炭す。四海倒懸し、十室乱を思う。天我に命ずるより、凶を殲い難を殄う。既に躍りて乃ち飛び、言わく天漢に登ると。爰に饗い爰に祀り、福祿是れ賛く。
犧象既に飾り、罍俎斯に具わる。我が郁載は馨しく、黄流乃ち注ぐ。峨峨たる卿士、駿奔するは是れ務む。佩は上に鳴き階に、纓は還って樹を払う。悠悠たる億兆、天臨み日は煦う。
猗與しき至徳、光は黔首に被る。蒼昊を鑄熔し、區有を甄陶す。肅恭三献、萬壽に対揚す。比屋封ず可く、含生咎無し。徒らに七百のみに非ず、天長く地久し。
命有り天より、于皇なる后帝に。悠悠たる四海、祭らざる莫きは来たらず。繁祉具に膺け、八神聳え衛い、福至るに兆有り、慶来るに際無し。此の餘休を播き、彼の荒裔に於く。
祀典は昭潔、我が礼違う莫し。八簋室に充ち、六龍驂を解く。神宮肅肅、靈寢微微。嘉薦既に饗い、景福は是れ帰す。至徳光に被り、洪祚載せて輝く。
明堂にて遍く五帝の登歌を歌う、五曲、四言。
青帝の辞を歌う。
帝の居は震に在り、龍徳は春を司る。元を開き澤を布き、和を含み仁を尚ぶ。群居既に散じ、歳雲う陽止む。農を飭し地を分かち、人粒惟れ始まる。雕梁繡栱、丹楹玉墀。霊威降りて、百福来たり綏う。
赤帝の辞を歌う。
炎光は離に在り、火は威徳と為す。礼を執り昭訓し、衡を持ち則を受く。靡草既に凋ち、温風以て至る。嘉薦惟れ旅し、時羞孔だ備わる。齊醍は堂に在り、笙鏞は下に在り。惟れ七百のみに非ず、絶えること終始無し。
黄帝の辞を歌う。
鬱然たる中壇、霊を含み化を闡く。気象回環し、輪は輟むことなく駕す。徳を布くは焉に在る、四序将に収まらんとす。音宮数は五、飯は稷に驂は鳷。宅屏中に居り、旁ら外宇に臨む。升りて帝尊と為り、降りて神主と為る。
白帝を歌う辞:
神は秋方に在り、帝は四皓に居る。茲に金徳を允し、万宝を裁成す。鴻来り雀化し、参見は火邪。幕に玄鳥無く、菊に黄華有り。載せて笙磬を列し、式に彝俎を陳ぶ。霊は常に懐くこと無く、惟だ徳是れ与す。
黒帝を歌う辞:
徳は水に盛ん、玄冥節を紀す。陰降り陽騰り、気凝り象閉ず。智を司り坎に蒞り、鉄を駕し玄に衣す。祁寒地を坼ち、晷度天に回る。悠悠たる四海、駿奔し職を奉ず。祚は我に疆無く、永く人極を隆す。
太祖太夫人廟の舞歌:
閟宮肅肅たり、清廟濟濟たり。穆なる夫人に於いて、固より天の啓く所。我が梁の徳に祚し、斯の盛礼を膺く。文は泬として向に達し、重簷丹陛。我が俎彝を飾り、我が粢盛を潔くす。躬ら事へて奠饗し、尊を推して敬を尽くす。悠悠たる万国、具に茲の慶を承く。大孝遠きを追ひ、兆庶詠ふ所。
太祖太夫人廟の登歌:
光流るる者は遠く、礼は貴ぶこと弥に申ぶ。嘉饗雲の如く備はり、盛典必ず陳ぶ。養ひを追ふは本よりし、愛を立つるは惟だ親のみ。皇情乃ち慕ひ、帝服来たりて尊ぶ。六轡を斉へ駕し、旂は三辰を耀く。茲の霜露に感じ、彼の冬春に事ふ。斯の孝徳を以て、永く蒸民に被らん。
『大壮舞』は夷則を奏し、『大観舞』は姑洗を奏す。其の月王を取るなり。二郊・明堂・太廟、三朝並びに同じく用ふ。今亦其の歌詩二曲を列す。
『大壮舞』の歌、一曲、四言:
高高として上に在り、実に斯の人を愛す。眷として聖徳を求め、大いに彝倫を拯ふ。率土方に燎え、火薪に在るが如し。忄棄忄棄たる黔首、暮れて晨に及ばず。硃光耀きを啓き、兆は穹旻に発す。我が皇郁然として起ち、龍漢津に躍る。言うに牧野に届き、電激し雷震す。闕鞏の甲、彭濮の人。或いは貔或いは武、杵を漂はし輪を浮かぶ。我が邦旧りと雖も、其の命は惟だ新たなり。六伐にして乃ち止み、七徳必ず陳ぶ。君万国に臨み、遂に八夤を撫す。
『大観舞』の歌、一曲、四言:
皇なるかな帝の烈、大なるかな興れる聖。奄に四方を有し、天の明命を受く。上に居りて怠らず、下に臨みて惟だ敬す。挙ぐるに愆則無く、動くに失正無し。物は其の本に従ひ、人は其の性を遂ぐ。昭かに九功を播き、肅かに八柄を斉う。寛を以て下を恵み、徳を以て政と為す。三趾晨に儀し、重輪夕に映ず。棧壑阻を忘れ、梯山夐に匪ず。日の恒有るが如く、天と競うこと無し。載せて金石を陳べ、式に舞詠を流す。『咸』・『英』・『韶』・『夏』、茲に於いて比べて盛ん。
相和五引:
角引:
萌生觸發歲在春,《咸池》始奏德尚仁,惉滯以息和且均。
徵引:
執衡司事宅離方,滔滔夏日火德昌,八音備舉樂無疆。
宮引:
八音資始君五聲,興此和樂感百精,優遊律呂被《咸》《英》。
商引:
司秋紀兌奏西音,激揚鐘石和瑟琴,風流福被樂愔愔。
羽引:
玄英紀運冬冰折,物為音本和且悅,窮高測深長無絕。
普通年間(梁の年号)の中頃、野菜を供える儀式の後、詔勅により蕭子雲に諸歌辞を相和引に改めさせた。その際、五音(宮・商・角・徵・羽)の順序に従って配列し、月の順序には従わなかった。
宋、斉以来、三朝の儀式には鳳凰が書を銜える伎があった。この時になって詔を下して言うには、「朕が南面して君臨するも、道徳の風は欠けており、嘉祥が時々到来するのは、すでに多く恥じている。たとえ巣が軒轅の閣に等しく、集うことが昌戸と同じであったとしても、なお寡徳を顧みて、これを推して居らざるべきである。ましてや名と実が急に違っており、自ら耳目を欺いている。正月元日の朝会で、太楽が鳳凰銜書伎を奏し、ついには舎人が書を受け取り、殿に昇って跪いて奏上するに至った。確かに前代に復興したものではあるが、おおむね遠い昔からのしきたりによるもので、内省して慚愧の念を抱き、事柄とますます深く関わる。これを廃止すべし」。
天監四年(505年)、賓礼を掌る賀瑒が、皇太子が元会に出入りする際に奏する楽について審議を請うた。皇帝は別に養徳の楽を制定するよう命じた。賀瑒は、これを《元雅》と名づけ、太子の迎え送りに太傅・少傅の両傅も同じくこれを用いるべきであると述べた。これは『礼記』の「一に元良有れば、万国以て貞し」という意味を取ったものである。明山賓、厳植之および徐勉らは、周に九つの《夏》があり、梁には十二の《雅》があると考えた。これらはみな天の数に則り、一代の楽曲となっている。今もう一つの雅を加えれば、十三となってしまう。賀瑒はまた、東宮で奏する舞について疑義を抱き、皇帝はその議を下した。賀瑒は、天子が楽を作るのは、諸侯の中で徳のある者を賞するためであると考えた。その舞を見れば、その徳がわかる。まして皇太子は春宮で徳を養い、人々が見守る存在である。文武の徳を宣揚するために、《大壮》と《大観》の二舞を備えるべきであると述べた。皇帝はこれに従った。そこで皇太子の楽を《元貞》と改め、二舞を奏することにした。この時、礼楽の制度は、あざやかに整然としていた。その後、臺城が陥落し、簡文帝は侯景の制圧下に置かれた。侯景は簡文帝の娘である溧陽公主を妃とし、皇帝と公主の母である範淑妃を西州に招いて宴を開き、梁で常用されていた楽を奏させた。侯景の儀同である索超世も宴席にいた。皇帝は涙を流してすすり泣いた。侯景が興じて言うには、「陛下は何を楽しまれないのですか」。皇帝は無理に笑って言った、「丞相、索超世はこれを聞いて何の音だと思っているか」。侯景は言った、「臣でさえ知らないのに、どうして索超世だけが知っていましょうか」。これ以降、楽府は整備されず、風雅の楽はすべて尽きてしまった。王僧辯が侯景を破ると、諸楽はすべて荊州に送られた。乱を経て、楽工と楽器はかなり欠けており、元帝は有司に命じて補修させ、ようやく整った。荊州が陥落すると、周人はこれを用いることを知らず、音律を知る工人はみな関中に入り、定例に従って奴婢に没収された。
天監七年、太廟に事を行わんとす。詔して曰く「『礼』に『斎日は楽しまず』と云う。今親しく奉じて始めて宮を出づるに、鼓吹を振作す。外に詳議すべし」と。八座丞郎参議し、駕の始めて出づるに、鼓吹従うも作さず、宮に還るは常の儀の如くせんことを請う。帝これに従い、遂に定制と為す。
初め武帝の雍鎮に在りし時、童謡有りて云う「襄陽白銅蹄、反縛揚州児」と。識者の言うに、白銅蹄は馬を謂い、白は金色なり。義師の興るに及び、実に鉄騎を以てし、揚州の士は皆面縛す。果たして謡言の如し。故に即位の後、新声を更に造り、帝自らその詞三曲を為し、又た沈約に三曲を為さしめ、以て弦管に被す。帝は既に仏法を篤く敬し、又た『善哉』『大楽』『大歓』『天道』『仙道』『神王』『龍王』『滅過悪』『除愛水』『断苦輪』等十篇を制し、正楽と名付け、皆仏法を述ぶ。又た法楽童子伎・童子倚歌梵唄有り、無遮大会を設くれば則ちこれを為す。
皇祖歩兵府君神室に奏する『凱容舞』の辞:
ああ赫たる皇祖、宮牆高く嶷たり。彼の厥初を邁り、これ峻極を成す。縵楽簡簡たり、閟寢翼翼たり。裸饗若し存するが如く、惟れ霊測るべからず。
皇祖正員府君神室に奏する『凱容舞』の辞:
昭なるかな上徳、彼の洪源を浚う。道は前訓を光らし、慶は後昆に流る。神猷緬邈たり、清廟これ存す。以て享し以て祀る、惟れ祖惟れ尊し。
皇祖懐安府君神室に奏する『凱容舞』の辞:
辰を選び饗を崇め、礼を飾りて厳敬す。牲牢を愛しまず、兼ねて粢盛を馨ばしむ。明明たる列祖、龍光遠く映ず。我が王風を肇め、形はこれ舞詠なり。
皇高祖安成府君神室に奏する『凱容舞』の辞:
道遙として慶を積み、徳遠くして基を昌うす。永く祖武を言い、享に致して思に従う。九章停列し、八舞墀に回る。霊其れ降り止まん、百福来たりて綏けん。
皇曾祖太常府君神室に奏する『凱容舞』の辞:
跡を帝基に肇き、義は鴻篆に標す。恭しく惟うに徳を載せ、瓊源方に闡く。享薦は三清にし、筵は四璉を陳ぬ。我が堂構を増し、式く帝典を敷かん。
皇祖景皇帝神室に奏する『景德凱容舞』の辞:
皇祖は徳を執り、長く其の祥を発す。仁を顕わし用を蔵し、道を懐いて光を韜む。寧しきかなこの閟寢、合すこの蕭薌。永く昭かに厥を貽し、還た商を翦るに符せん。
先考高祖武皇帝の神室に奏する《武德舞》の辞:
ああ偉大なる聖祖よ、時運を撫でて昇り離れる。道は経緯を周し、功は玄祇に格る。方軒に邁扈し、舜に比して陵媯す。緝熙これ詠じ、欽明ここに在り。
雲雷屯に遘い、図南共に挙ぐ。大いに揚越を定め、威を衡楚に震う。四奥心に宅し、九疇還りて叙す。景星翼に出で、非雲呂に入る。
徳は容辞に暢び、慶は羽綴に昭らかなり。於穆たる清廟、載せて徽烈を揚ぐ。嘉玉既に陳び、豊盛これ潔し。是を将え是を享け、鴻猷絶ゆること無し。
五年、詔して尚書左丞劉平・儀曹郎張崖に南北郊及び明堂の儀注を定めしむ。天嘉中に用いたる斉の楽を改め、尽く韶を以て名とす。工位に就き定まるに、協律校尉麾を挙げ、太楽令跪きて贊みて云く「《懋韶》の楽を奏す」と。神を降すに、《通韶》を奏す。牲入出するに、《潔韶》を奏す。帝壇に入り及び便殿に還るに、《穆韶》を奏す。帝初め再拝し、舞《七徳》、工幹楯を執り、曲終わりて復た綴す。出で懸東に就き、継ぎて舞《九序》、工羽籥を執る。天神及び太祖の座に爵を献ずるに、登歌を奏す。帝福酒を飲むに、《嘉韶》を奏す。望燎に就くに、《報韶》を奏す。
六年十一月に至り、侍中尚書左僕射・建昌侯徐陵、儀曹郎中沈罕、来年元会の儀注を奏し、舍人蔡景曆の敕を奉ずるを称し、会の一日前に、太楽宮懸・高絚・五案を殿庭に展ぶ。客入るに、《相和》五引を奏す。帝出づるに、黄門侍郎殿上に於いて麾を挙げ、掌故これに応じ、階下に挙げて、《康韶》の楽を奏す。詔して王公を延いて登らしむるに、《変韶》を奏す。珪璧を奉り訖り、初め下殿を引くに、奏するも亦た之の如し。帝興り、便殿に入るに、《穆韶》を奏す。衣を更え又出づるに、奏するも亦た之の如し。帝酒を挙ぐるに、《綏韶》を奏す。膳を進むるに、《侑韶》を奏す。帝茶果を禦するに、太常丞跪きて進みて舞《七徳》を請い、之に継ぎて《九序》を舞わしむ。其の鼓吹雑伎は、晋・宋の旧を取り、微かに更めて附益す。旧元会に黄龍変・文鹿・師子の類有り、太建初定制し、皆除く。是に至り蔡景曆奏し、悉く復た設けしむ。其の制、鼓吹一部十六人、則ち簫十三人、笳二人、鼓一人。東宮一部は三人を降し、簫二人を減じ、笳一人を減ず。諸王一部は又一人を降し、簫一を減ず。庶姓一部は又一人を降し、復た簫一を減ず。
後主位を嗣ぐに及び、酒に耽荒し、朝を視るの外、多く宴筵に在り。声楽を殊に重んじ、宮女を遣わして北方の簫鼓を習わしめ、《代北》と謂い、酒酣なれば則ち之を奏す。又清楽の中に《黄鸝留》及び《玉樹後庭花》・《金釵両臂垂》等の曲を造り、幸臣等と其の歌詞を制し、綺豔相高じ、軽薄に極まる。男女唱和し、其の音甚だ哀し。