大業八年
八年春正月辛巳、大軍は涿郡に集結す。兵部尚書段文振を以て左候衞大將軍と為す。壬午、詔を下して曰く。
二月甲寅、詔して曰く、「朕、風を燕裔に観、罪を遼濱に問う。文武協力し、爪牙奮わんと思い、鋭を執りて王に勤め、家を捨てて役に従わざるは莫く、倉廩の資を蓄ふるに罕にして、兼ねて播殖の務を損ず。朕、夕惕愀然とする所以は、其の匱乏を慮るなり。素飽の衆と雖も復た、情は私を忘るるに在り、悦使の人、宜しく其の厚きに従うべし。諸の行従一品以下、佽飛募人以上の家口、郡県宜しく数たび存問すべし。若し糧食乏少有らば、皆宜しく賑給すべし。或いは田疇有ると雖も、貧弱にして自ら耕種すること能わざれば、多丁の富室に於いて課を勧め相助けしむべし。夫れ居る者に斂積の豊か有らしめ、行役に顧後の慮無からしむ。」壬戌、司空・京兆尹・光禄大夫観王雄薨ず。
三月辛卯、兵部尚書・左候衞大將軍段文振卒す。癸巳、上、師に御す。甲午、戎に臨むこと遼水橋に於いてす。戊戌、大軍、賊に拒まれて、果たして済たず。右屯衞大將軍・左光禄大夫麦鉄杖、武賁郎将銭士雄・孟金叉等、皆之に死す。甲午、車駕遼を渡る。東岸に於いて大戦し、賊を撃ちて之を破り、進みて遼東を囲む。乙未、大いに頓す。二つの大鳥を見る、高さ丈余、身は皜く足は朱にして、游泳自若たり。上之を異とし、工を命じて図写せしめ、併せて銘頌を立てしむ。
五月壬午、納言楊達卒す。
時に於いて諸将各々旨を奉じ、機に赴くことを敢えず。既にして高麗各城守り、之を攻めて下さず。
六月己未、遼東に幸し、諸将を責怒す。城西数里に止まり、六合城に御す。
七月壬寅、宇文述等、薩水に於いて敗績し、右屯衞将軍辛世雄之に死す。九軍並びに陥ち、将帥奔還して亡する者二千余騎。癸卯、師を班す。
九月庚辰、上東都に至る。己丑、詔して曰く、「軍国は容を異にし、文武は用を殊にする。危を匡い難を拯わば、則ち覇徳興り、人を化し俗を成せば、則ち王道斯に貴し。時に方に乱を撥てば、屠販も以て朝に登るべく、世隆平に属すれば、経術然る後に仕を升る。豊都爰に肇まりて、儒服周行に預かる無く、建武の朝、功臣吏職に参せず。三方未だ一ならず、四海交争してより、文教に遑あらず、唯だ武功を尚ぶ。官を設け職を分つに、罕に才を以て授け、朝に班し人を治むるは、乃ち勳叙に由る。足を行陣に抜き、勇夫より出でざるは莫く、学の道は既に習わざる所、政事の方も故に亦取る所無し。是非己に在りて暗く、威福下吏に専らにし、貨賄を貪冒し、紀極を知らず、政を蠹し民を害すること、実に此に由る。今より已後、諸の勳官を授くる者は、並びに回授して文武の職事と為すことを得ず。庶くは彼の更張に遵い、調瑟に類を取り、諸の名製を求め、美錦を傷けざらんことを。若し吏部輒ち擬用せば、御史即ち宜しく糾弾すべし。」
冬十月甲寅、工部尚書宇文愷卒す。
十一月己卯、宗女華容公主を以て高昌王に嫁す。辛巳、光禄大夫韓寿卒す。甲申、敗将宇文述・于仲文等並びに除名して民と為し、尚書右丞劉士龍を斬りて以て天下に謝す。是歳、大旱し、疫え、人多く死に、山東尤甚し。江・淮南諸郡に密詔し、民間の童女を閲視し、姿質端麗なる者を、毎歳貢せしむ。
大業九年
九年春正月丁丑、天下の兵を徴し、民を募りて驍果と為し、涿郡に集む。壬午、賊帥杜彦冰・王潤等、平原郡を陥とし、大いに掠めて去る。辛卯、折衝・果毅・武勇・雄武等の郎将官を置き、以て驍果を領せしむ。乙未、平原の李徳逸、衆数万を聚め、「阿舅賊」と称し、山東を劫掠す。霊武の白榆妄、「奴賊」と称し、牧馬を劫掠し、北は突厥に連なり、隴右多く其の患いを受く。将軍范貴を遣わして之を討たしむも、連年剋つ能わず。戊戌、大赦す。己亥、代王侑・刑部尚書衛玄を遣わし京師を鎮守せしむ。辛丑、右驍騎将軍李渾を以て右驍衛大将軍と為す。
二月己未、済北の人韓進洛、衆数万を聚めて群盗と為る。壬午、宇文述等の官爵を復す。又兵を徴して高麗を討つ。
三月丙子、済陰の人孟海公、兵を起こして盗と為り、衆数万に至る。丁丑、丁男十万を発して大興を城す。戊寅、遼東に幸す。越王侗・民部尚書樊子蓋を以て東都を留守せしむ。庚子、北海の人郭方預、徒を聚めて盗と為り、自ら盧公と号し、衆三万に至り、郡城を攻め陥とし、大いに掠めて去る。
夏四月庚午、車駕遼を渡る。壬申、宇文述・楊義臣を遣わし平壤に趣かしむ。
五月丁丑、熒惑南斗に入る。己卯、済北の人甄宝車、衆万余を聚め、城邑を寇掠す。
六月乙巳、礼部尚書楊玄感、黎陽に於いて反す。丙辰、玄感東都を逼る。河南賛務裴弘策之を拒ぐも、反って賊に敗る。戊辰、兵部侍郎斛斯政、高麗に奔る。庚午、上班師す。高麗後軍を犯す。右武衛大将軍李景を勅して後拒と為す。左翊衛大将軍宇文述・左候衛将軍屈突通等を遣わし、駅伝を馳せて兵を発し、以て玄感を討たしむ。
秋七月己卯、所在に令し人を発して県府駅を城せしむ。癸未、餘杭の人劉元進、兵を挙げて反し、衆数万に至る。
八月壬寅、左翊衛大将軍宇文述等、楊玄感を閿郷に破り、之を斬る。余党悉く平ぐ。癸卯、呉の人朱燮・晋陵の人管崇、衆十万余を擁し、自ら将軍と称し、江左を寇す。甲辰、驍果の家は賦役を蠲免する制を定む。丁未、郡県城の道より五里を過ぐる者は、之に徙り就くを詔す。戊申、盗賊は其の家を籍没する制を定む。乙卯、賊帥陳瑱等衆三万、信安郡を攻め陥とす。辛酉、司農卿・光禄大夫・葛国公趙元淑、罪を以て誅せらる。
九月己卯、済陰の人呉海流・東海の人彭孝才並びに兵を挙げて盗と為り、衆数万。庚辰、賊帥梁慧尚、衆四万を率い、蒼梧郡を陥とす。甲午、車駕上谷に次す。供費給せざるを以て、上大いに怒り、太守虞荷等の官を免ず。丁酉、東陽の人李三児・向但子、兵を挙げて乱を作し、衆万余に至る。
閏月己巳、博陵に幸す。庚午、上侍臣に謂ひて曰く、「朕昔先朝に従ひ此に周旋す、年甫八歳、日月居らず、倏に三紀を経る。平昔を追惟すれば、復た希ふべからず」と。言未だ卒はらずして、涕を流し嗚咽す。侍衛する者皆泣き襟を沾す。
冬十月丁丑、賊帥呂明星、衆数千を率ひ東郡を囲む。武賁郎将費青奴、撃ちて之を斬る。乙酉、詔して曰く、「博陵昔は定州と為り、地は衝要に居り、先皇歴試の基と所、王化此に遠し。故に以て道は豳風に冠たり、義は姚邑に高し。朕氓庶を巡撫し、爰に茲の邦に届く。郊廛を瞻望し、敬止を緬懐し、思う所以に徳沢を宣播し、下人に覃被し、紀を崇め号を顕はし、式に令緒を光はさんと。博陵を改めて高陽郡と為すべし。境内の死罪以下を赦し、復を一年給せよ」と。是に於て高祖時の故吏を召し、皆材を量り職を授く。壬辰、納言蘇威を以て開府儀同三司と為す。朱燮・管崇、劉元進を推して天子と為す。将軍吐万緒・魚倶羅を遣わして之を討たしむも、連年剋つ能わず。斉の人孟譲・王薄等衆十余万、長白山に拠り、諸郡を攻剽す。清河の賊張金称衆数万、渤海の賊帥格謙自ら燕王と号し、孫宣雅自ら斉王と号し、衆各十万、山東之に苦しむ。丁亥、右候衛将軍郭栄を以て右候衛大将軍と為す。
十一月己酉、右候衛将軍馮孝慈、清河に於いて張金称を討つも、反って敗れ、孝慈之に死す。
十二月甲申、玄感の弟朝請大夫積善及び党与十余を車裂きにし、仍て焼きて之を揚ぐ。丁亥、扶風の人向海明、兵を挙げて乱を作し、皇帝を称し、元号を白烏と建つ。太僕卿楊義臣を遣わし之を撃破せしむ。
大業十年
十年春正月甲寅、宗女を以て信義公主と為し、突厥の曷娑那可汗に嫁す。
二月辛未の日、詔して百官に高麗征伐の議をさせたが、数日間誰も発言する者無し。戊子の日、詔して曰く、「王事に力を尽くし、身を軍務に致すは、皆義に殉ずるにより、誠を勤めざるは莫し。草沢に命を委ね、原野に骸を棄つるを、思い起こして言えば、常に愍み哀れむ。往年、車を出して罪を問い、将に遼濱に届かんとし、廟算の勝略は、進止を具えたり。然るに諒は昏凶にして、成敗を識ること無く、高熲は愎很にして、元より智謀無く、三軍に臨むも猶お児戯の如く、人命を視ること草芥の如し。成規に遵わず、坐して撓退を貽り、遂に死亡する者衆多にして、埋藏に及ばず。今宜しく使人を遣わし、分道して収葬せしめ、遼西郡に祭を設け、道場一所を立てよ。恩を泉壤に加え、庶くは窮魂の冤を弭い、沢を枯骨に及ぼし、以て仁者の恵を弘めん」。辛卯の日、詔して曰く。
丁酉の日、扶風の人唐弼が兵を挙げて反し、衆十万、李弘を推して天子と為し、自ら唐王と称す。
三月壬子の日、行幸して涿郡に至る。癸亥の日、臨渝宮に駐蹕し、親しく戎服を御し、黄帝を禡祭し、叛軍の者を斬って以て鼓を釁す。
夏四月辛未の日、彭城の賊張大彪が衆数万を聚め、懸薄山に拠って盗と為る。榆林太守董純を遣わして撃破し、之を斬る。甲午の日、車駕は北平に駐蹕す。
五月庚子の日、詔して郡ごとに孝悌廉潔各十人を挙げしむ。壬寅の日、賊帥宋世謨が琅邪郡を陥とす。庚申の日、延安の人劉迦論が兵を挙げて反し、自ら皇王と称し、元号を大世と建つ。
六月辛未の日、賊帥鄭文雅・林寶護等、衆三万、建安郡を陥とし、太守楊景祥之に死す。
秋七月癸丑の日、車駕は懷遠鎮に駐蹕す。乙卯の日、曹国使いを遣わして方物を貢ぐ。甲子の日、高麗使いを遣わして降を請い、斛斯政を囚として送る。上大いに悦ぶ。
八月己巳の日、師を班す。庚午の日、右衞大將軍・左光祿大夫鄭榮卒す。
冬十月丁卯の日、上東都に至る。己丑の日、京師に還る。
十一月丙申の日、斛斯政を金光門外にて支解す。乙巳の日、南郊に事有り。己酉の日、賊帥司馬長安が長平郡を破る。乙卯の日、離石の胡劉苗王が兵を挙げて反し、自ら天子と称し、其の弟六児を永安王と為し、衆数万に至る。将軍潘長文之を討つも、剋てず。是の月、賊帥王德仁が衆数万を擁し、林慮山に拠って盗と為る。
十二月壬申の日、上東都に行く。其の日、天下に大赦す。戊子の日、東都に入る。庚寅の日、賊帥孟讓、衆十余万、都梁宮に拠る。江都郡丞王世充を遣わして之を撃破し、其の衆を尽く虜う。
大業十一年
十一年春正月甲午朔の日、大いに百僚を宴す。突厥・新羅・靺鞨・畢大辭・訶咄・傳越・烏那曷・波臘・吐火羅・俱慮建・忽論・靺鞨・訶多・沛汗・龜茲・疎勒・于闐・安国・曹国・何国・穆国・畢・衣密・失范延・伽折・契丹等国並びに使いを遣わして朝貢す。戊戌の日、武賁郎将高建毗が賊帥顏宣政を斉郡にて破り、男女数千口を虜う。乙卯の日、蛮夷を大会し、魚龍曼延の楽を設け、頒賜各差有り。
二月戊辰の日、賊帥揚仲緒が衆万余を率い、北平を攻む。滑公李景之を破り斬る。庚午の日、詔して曰く、「険を設けて国を守るは、前経に著しく、門を重ねて暴を禦ぐは、往策に事彰らかなり。是れ以て土に宅り邦を寧んじ、邪を禁じ本を固むる所以なり。然るに近代戦争に依り、居人散逸し、田疇に伍無く、郛郭修まらず、遂に遊惰実に繁く、寇𣤸未だ息まず。今天下平一し、海内晏如たり。宜しく人をして悉く城に居らしめ、田は近きに随いて給し、強弱相容れ、力役兼ねて済わしめ、穿窬其の姦宄を厝く所無く、萑蒲其の逋逃を聚うるを得ざらしむべし。有司事条を具えて、務めて得所ならしめよ」。丙子の日、上谷の人王須拔反し、自ら漫天王と称し、国号を燕とす。賊帥魏刁児自ら歴山飛と称し、衆各十余万、北は突厥に連なり、南は趙を寇す。
五月丁酉の日、右驍衞大將軍・光祿大夫・郕公李渾、将作監・光祿大夫李敏を殺し、並びに其の家を族滅す。癸卯の日、賊帥司馬長安が西河郡を破る。己酉の日、太原に幸し、汾陽宮に避暑す。
秋七月己亥、淮南の人張起緒が兵を挙げて盗賊となり、その衆は三万人に至った。辛丑、光禄大夫・右禦衞大将軍張寿が卒す。
八月乙丑、北塞を巡幸す。戊辰、突厥の始畢可汗が騎兵数十万を率いて、乗輿を襲わんと謀る。義成公主が使者を遣わして変事を告ぐ。壬申、車駕は雁門に馳せ幸す。癸酉、突厥は城を囲み、官軍は頻りに戦うも利あらず。上は大いに懼れ、精騎を率いて囲みを潰して出でんと欲す。民部尚書樊子蓋が固く諫めて乃ち止む。斉王暕は後軍を以て崞県に保つ。甲申、詔して天下の諸郡に兵を募らしむ。ここにおいて守令各々難に赴く。
九月甲辰、突厥は囲みを解きて去る。丁未、太原・雁門郡の死罪以下の者を曲赦す。
冬十月壬戌、上は東都に至る。丁卯、彭城の人魏騏驎が衆万余を聚めて盗賊となり、魯郡を寇す。壬申、賊帥盧明月が衆十余万を聚めて、陳・汝の間を寇す。東海の賊帥李子通が衆を擁して淮を渡り、自ら楚王と号し、明政と建元し、江都を寇す。
十一月乙卯、賊帥王須拔が高陽郡を破る。
十二月戊寅、大流星斛の如き有り、明月の営に墜ち、その衝車を破る。庚辰、詔して民部尚書樊子蓋に関中の兵を発せしめ、絳郡の賊敬盤陀・柴保昌等を討たしむ。経年して克つこと能わず。譙郡の人朱粲が衆数十万を擁し、荊襄を寇し、僭って楚帝を称し、昌達と建元す。漢南の諸郡多くその為に陥せらる。
二月己未、真臘国が使いを遣わして方物を貢ぐ。甲子の夜、二つの大鳥鵰に似て、大業殿に飛び入り、御幄に止まる。明け方に至りて去る。癸亥、東海の賊盧公暹が衆万余を率い、蒼山に保つ。
夏四月丁巳、顕陽門に災あり。癸亥、魏刁児の部将甄翟児が復た歴山飛と号し、衆十万、転じて太原を寇す。将軍潘長文これを討つも、反って敗れ、長文これに死す。
五月丙戌朔、日蝕あり、既す。癸巳、大流星が呉郡に隕ちて石となる。壬午、上は景華宮において螢火を徴求し、数斛を得て、夜に出でて山に遊び、これを放つ。光は巌谷に遍し。
秋七月壬戌、民部尚書・光禄大夫済北公樊子蓋卒す。甲子、江都宮に幸す。越王侗・光禄大夫段達・太府卿元文都・検校民部尚書韋津・右武衞将軍皇甫無逸・右司郎盧楚等を以て留後事を総せしむ。奉信郎崔民象は盗賊が充斥するを以て、建国門において上表し、巡幸すべからざるを諫む。上は大いに怒り、先ずその頤を解き、乃ちこれを斬る。戊辰、馮翊の人孫華が自ら総管と号し、兵を挙げて盗賊となる。高涼通守洗珤徹が兵を挙げて乱を為し、嶺南の溪洞多くこれに応ず。己巳、熒惑が羽林を守り、月余にして乃ち退く。車駕は汜水に次ぐ。奉信郎王愛仁は盗賊日々に盛んなるを以て、上を諫めて西京に還ることを請う。上は怒り、これを斬りて行く。
八月乙巳、賊帥趙万海が衆数十万、恒山より高陽を寇す。壬子、大流星斗の如き有り、王良閣道より出で、声は牆の隤るるが如し。癸丑、大流星甕の如き有り、羽林より出づ。
九月丁酉、東海の人杜揚州・沈覔敵等が乱を為し、衆は数万に至る。右禦衞将軍陳稜これを撃破す。戊午、二つの枉矢が北斗魁より出で、委曲蛇形して南斗に注ぐ。壬戌、安定の人荔非世雄が臨涇令を殺し、兵を挙げて乱を為し、自ら将軍と号す。
冬十月己丑、開府儀同三司・左翊衞大将軍・光禄大夫・許公宇文述薨ず。
十二月癸未、鄱陽の賊操天成が兵を挙げて反し、自ら元興王と号し、建元を始興とし、豫章郡を攻め陥れた。乙酉、右翊衞大将軍来護児を開府儀同三司・行左翊衞大将軍とした。壬辰、鄱陽の人林士弘が自ら皇帝と称し、国号を楚とし、建元を太平とし、九江・廬陵の郡を攻め陥れた。唐公が甄翟児を西河で破り、男女数千口を虜にした。
三月戊午、廬江の人張子路が兵を挙げて反した。右禦衞将軍陳稜を遣わしてこれを討ち平らげた。丁丑、賊の帥李通徳が衆十万で廬江を寇し、左屯衞将軍張鎮州がこれを撃破した。
夏四月癸未、金城の校尉薛挙が衆を率いて反し、自ら西秦霸王と称し、建元を秦興とし、隴右の諸郡を攻め陥れた。己丑、賊の帥孟譲が夜に東都の外郭に入り、豊都市を焼いて去った。癸巳、李密が迴洛東倉を陥れた。丁酉、賊の帥房憲伯が汝陰郡を陥れた。この月、光禄大夫裴仁基・淮陽太守趙佗らが並びに衆を率いて叛き李密に帰した。
五月辛酉、夜に流星甕の如く有り、江都に墜つ。甲子、唐公が太原に義師を起こす。丙寅、突厥数千が太原を寇し、唐公がこれを撃破した。
秋七月壬子、熒惑積屍を守る。丙辰、武威の人李軌が兵を挙げて反し、河西の諸郡を攻め陥れ、自ら涼王と称し、建元を安楽とした。
八月辛巳、唐公が武牙郎将宋老生を霍邑で破り、これを斬った。
九月己丑、帝は江都の人女寡婦を括り、以て従兵に配す。この月、武陽郡丞元宝蔵が郡を以て叛き李密に帰し、賊の帥李文相と共に黎陽倉を攻め陥れた。彗星営室に見ゆ。
冬十月丁亥、太原の楊世洛が衆一万余人を聚め、城邑を寇掠す。丙申、羅県令蕭銑が県を以て反し、鄱陽の人董景珍が郡を以て反し、銑を羅県に迎えて梁王と号し、傍郡を攻め陥れた。戊戌、武賁郎将高毗が済北郡の賊甄宝車を𡽳山で破った。
十一月丙辰、唐公が京師に入る。辛酉、遥かに帝を太上皇と尊び、代王侑を立てて帝とし、元を改めて義寧とす。上は丹陽に宮を起こし、将に江左に遜らんとす。烏鵲有りて来たり幄帳に巣くい、駆うれども止む能わず。熒惑太微を犯す。石有りて江より浮かび揚子に入る。日光四散して流血の如し。上甚だこれを悪む。
初め、上は自ら藩王として、次に当に立つべからずとし、常に情を矯め行いを飾り、以て虚名を釣り、陰に宗を奪わんとの計り有り。時に高祖は雅に文献皇后を信じ、而して性妾媵を忌む。皇太子勇は内に多く嬖幸有り、此を以て愛を失う。帝は後庭に子有りと雖も、皆これを育せず、私寵無きを示し、后に媚び取る。大臣用事する者は、心を傾けてこれと交わる。中使第に至れば、貴賤を問わず、皆曲くその顏色を承け、厚礼を以て申す。婢僕往来する者は、その仁孝を称えざるは無し。又常に私に宮掖に入り、密かに献后と謀り、楊素ら因って機を構え扇ぎ、遂に廃立を成す。高祖の大漸より、諒闇の中に及びては、烝淫度無く、山陵始めて就くや、即ち事として巡遊し、天下の承平久しきを以て、士馬全盛なるに、慨然として秦皇・漢武の事を慕う。乃ち盛んに宮室を治め、窮極侈靡に至り、行人を召募し、分かち使いて絶域に至らしむ。諸蕃至る者は、厚く礼賜を加え、恭命せざる有れば、兵を以てこれを撃つ。玉門・柳城の外に盛んに屯田を興す。天下の富室に課し、益々武馬を市わしめ、匹直十余万、富強坐して是に凍餒する者は十家にして九なり。帝は性多く詭譎、幸する所は、人に知らしむるを欲せず。毎に一所に之けば、輒ち数道に頓を置き、四海の珍羞殊味、水陸必ず備え、求市する者は遠きより至らざる無し。郡県の官人は、競いて献食を為し、豊厚なる者は進擢され、疎儉なる者は罪を獲る。姦吏侵漁し、内外虚竭し、頭会箕斂し、人聊生せず。時に軍国の務多く、日暇あらず、帝方に驕怠し、政事を聞くを悪み、冤屈治まらず、奏請決するに罕なり。又臣下を猜忌し、専任する所無く、朝臣意に合わざる者は、必ずその罪を構えて族滅す。故に高熲・賀若弼は先皇の心膂、帷幄に参謀し、張衡・李金才は藩邸の惟旧、経綸に績著し、或いはその直道を悪み、或いはその正議に忿り、その無形の罪を求め、刎頸の誅を加う。その余、君に尽礼し、謇謇躬に匪ず、辜無く罪無く、横に夷戮を受くる者は、勝紀すべからず。政刑弛紊し、賄貨公行し、敢えて正言する者無く、道路目を以てす。六軍息まず、百役繁興し、行く者は帰らず、居る者は業を失う。人飢えて相食い、邑落墟と為り、上これを恤れず。東西遊幸し、定まる所無く、毎に供費給せざるを以て、逆に数年の賦を収む。至る所唯だ後宮と流連躭湎し、惟だ日足らざるを慮い、姥媼を招迎し、朝夕共に醜言を肆にし、又少年を引き、宮人と穢乱せしめ、不軌不遜、以て娯楽と為す。区宇の内、盗賊蜂起し、従官を劫掠し、城邑を屠陥し、近臣互いに相掩蔽し、賊数を隠して実を以て対せず。或いは賊多きを言う者有れば、輒ち大いに詰責を受け、各々苟免を求め、上下相蒙り、毎に出師すれば、敗亡相継ぐ。戦士尽力すれば、必ず賞を加えず、百姓無辜なれば、咸く屠戮を受く。黎庶憤怨し、天下土崩し、就擒するに至りて猶未だこれを寤らざるなり。
【論】
史臣が曰く、煬帝は弱齢の頃より、早くも令聞あり、南は呉・会を平らげ、北は匈奴を却け、昆弟の中に、独り声績を著わす。ここに於いて情を矯め貌を飾り、その姦回を肆にして、故に献后の心を鍾らせ、文皇の慮を革めしめ、天方に乱を肇くると、遂に儲両に登り、峻極の崇基を践み、丕顕の休命を承く。地は三代に広く、威は八紘に振い、単于は顙を頓れ、越裳は重訳す。赤仄の泉は、都内に流溢し、紅腐の粟は、塞下に委積す。その富強の資を負い、厭きることなき欲を逞うせんと思い、殷・周の制度を狭め、秦・漢の規摹を尚ぶ。才を恃み己を矜り、明徳を傲狠にし、内には険躁を懐き、外には凝簡を示し、盛んなる冠服を以てその姦を飾り、諫官を除きて以てその過を掩うす。淫荒度なく、法令滋く章なり、教は四維絶え、刑は五虐に参じ、骨肉を鋤誅し、忠良を屠勦し、賞を受くる者はその功を見ず、戮せらるる者はその罪を知らず。驕怒の兵屡屡動き、土木の功息まず、頻りに朔方に出で、三たび遼左に駕す。旌旗万里、徴税百端、猾吏侵漁し、人命に堪えず。乃ち急令暴条を以てこれを擾し、厳刑峻法を以てこれに臨み、甲兵威武を以てこれを董む。ここより自ら海内騒然として、聊生するなし。俄にして玄感黎陽の乱を肇め、匈奴雁門の囲みあり、天子方に中土を棄て、遠く揚・越に之く。姦宄釁に乗じ、強弱相陵ぎ、関梁閉じて通ぜず、皇輿往きて反らず。これに師旅を加え、饑饉に因り、道路に流離し、溝壑に転死す、十に八、九なり。ここに於いて相聚り萑蒲し、蝟毛の如く起こり、大なるは則ち州を跨ぎ郡を連ね、帝と称し王と称し、小なるは則ち千百群を為し、城を攻め邑を剽す。流血川沢を成し、死人乱麻の如く、炊する者は骸を析つに及ばず、食する者は子を易えるに遑あらず。茫茫たる九土、並びに麋鹿の場と為り、惵惵たる黔黎、俱に蛇豕の餌と充つ。四方万里、簡書相続くも、猶お鼠竊狗盗を謂い、以て虞るに足らずと為し、上下相蒙り、乱を念うこと肯わず、蜉蝣の羽を振い、長夜の楽を窮む。土崩魚爛し、貫盈悪稔る。普天の下、仇讎に非ざる莫く、左右の人、皆な敵国と為る。終に然も悟らず、彼の望夷に同じ、遂に万乗の尊を以て、一夫の手に死す。億兆恩を感ずるの士靡く、九牧王に勤むるの師無し。子弟同しく誅夷に就き、骸骨棄てられて掩うする莫く、社稷顛隕し、本枝殄絶す。書契を肇むるより以て茲に至るまで、宇宙崩離し、生霊塗炭し、身を喪い国を滅ぼす、斯の如く甚だしきは未だ有らざるなり。書に曰く、「天の作す孽は、猶お違うべく、自ら作す孽は、逭うべからず。」と。伝に曰く、「吉凶は人に由り、祅は妄りに作さず。」と。又曰く、「兵は猶お火の如し、戢えざれば将に自ら焚かん。」と。隋室の存亡を観るに、斯の言信じて徴有りと謂うべし。