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金史
志第三十四:選挙三 右職吏員雑選
右職吏員雑選
右職。省令史・訳史。皇統八年の格、初考は一重を遷し、女直人は本法に依る外、諸人は越進義、毎三十月各々二重を遷し、百二十月に出職し、正六品以下、正七品以上の職官を除す。正隆二年、更めて五十月に一重を遷す。初考、女直人は敦武校尉に遷し、余人は保義校尉に遷し、百五十月に出職し、系は正班にして従七品に与す。若し枢密院台六部より省に転ずる者は、以前に已に成考の月数を通算して出職す。大定二年、復た三十月に一官を遷し、亦た百二十月に出職し、正・従七品に与す。院台六部及び他の府司より省に転じ而して考に及ばざる者は、三月を以て両月に折り、一考は従七品に与し、両考は正七品、三考は六品に与す。三年、格を定め、七十五月に出職する者は、初め上令、二中令、三下令、四・五録事、六下令、七中令、八上令。百五十月に出職する者は、初め刺同・運判・推官等、二・三中令、四上令、回って省に呈す。大定二十七年、制す、一考及び不成考の者は、従七品を除し、須らく県令を歴任すること三任、第五任は則ち正七品に升る。両考以上は正七品を除し、再任は降って県令を除し、三・四は皆正七品に与し、第五任は則ち六品に升る。三考以上の者は六品を除し、再任は正七品に降し、三任・四任は六品に与し、第五任は則ち従五品に升る。
省女直訳史。大定二十八年、制す、見任の従七品・従八品の人内より、六十歳以上の者を勾して相視し之を用う。明昌三年、見役の契丹訳史内より女直・契丹字に熟閑なる者を取り、無ければ以前の省契丹訳史出職官及び国史院女直書写、見任の七品・八品・九品官を以て充てる。
省通事。大定二十年の格、三十月に一重を遷し、百二十月に出職す。一考両考は八品に与し、三考の者は従七品、余は部令訳史と一体に差を免ず。
御史台令史・訳史。皇統八年遷考の制、百二十月に出職し、正隆二年の格、百五十月に出職し、皆九品、系は正班。大定二年、百二十月に出職し、皆三十月を以て一官を遷す。其の出職、一考・両考は皆九品に与し、三考は八品に与す。明昌三年、見役の吏人を截罷し、三品職事官の子弟試中者及び終場挙人本台試補者を用い、若し足らざれば、密院六部の見役品官及び契丹品官の子孫兄弟より選充す。承安三年、勅す、凡そ一人を補するに必ず衆に詢う、公選と為すと雖も、亦た久しく漸く弊を生ずるを恐る。況んや又書史の上に在り、試さずして即ち用うるは、本台の出身門戸は似て太だ優なるに渉る、遂に令す、本台班内祗・令訳史の名闕を除く外、試中の枢密院令訳史の人内より名次を以て取り用い、足らざれば、即ち随部班祗令訳史上名より転充す。若し終場挙人の闕を用うるを須うれば、則ち三次終場挙人を令し、毎科挙後に他の試書史の人と同程に試験し、榜次を以て之を用う。女直十三人、内班内祗六人、終場挙人七人。漢人十五人、内班内祗七人、終場挙人八人。訳史四人、内班内祗二人、終場挙人二人。
枢密院令史・訳史。令史。正隆二年、制す、遷考は省と同し、出職除は系正班正・従八品。大定二十一年、元帥府令訳史は三十月に一官を遷し、百二十月に出職し、一考・両考は八品除授に与し、三考は従七品に与すことを定む。十四年、遂に内祗・並びに三品職事官承廕人・四品五品班祗及び吏員人を通試するを命じ、中選する者を用う。
十六年、一考・両考の者を定む、初め録事・軍判・防判、再び上簿を除し、三中簿、四は初めと同し、五・六下令、七・八中令、九・十上令。二十六年、両考の者は下令一任を免ず。三考以上、初め上令、二中令、三下令、四録事・軍防判二十六年此の除を免ず、五下令二十六年亦た此の除を免ず、六・七中令、八上令。十七年、制す、緦麻袒免以上の宗室郎君を試補す。又た制を定め、三品職事の子弟四人を設け、吏員二人。
睦親府・宗正府・統軍司令訳史、遷考出職は、台部と同し。部令史・訳史、皇統八年の格、初考三十月一重を遷し、女直人は本格に依り、余人は越進義、第二・第三考各々一重を遷し、第四考並びに両重を遷し、百二十月に出職し八品已下。正隆二年、遷考は省右職令史と同し、出職九品。大定二十一年、宗正府・六部・台・統軍司令史、番部訳史、元帥府通事、皆三十月に一重を遷し、百二十月に出職し系班、一考・両考は九品に与し、三考已上は八品除授に与す。十四年、三品より七品官の承廕子孫を一混して試充せしむ、尋いで以て倫ならずと為し、四品五品の子孫及び吏員試中者を以て、旧例に依り補するを命じ、六品以下は与せず。十五年、差使を免ずるを命ず。十六年の格、一考両考の者、初め上簿を除し、再び中簿を除し、三下簿、四上簿、五録事・軍防判、六・七下令、八・九中令、十上令。三考以上の者、初め録事・軍防判を除し、再び上簿を除し、三中簿、四は初めの如し、五下令後に此の除を免ず、六・七下令、八中令、九上令。按察司書吏、終場挙人内より選補し、遷加出職は台部と同し。
凡そ内外諸吏員の制、正隆二年より、知事孔目の出身俸給を定め、凡そ都目は皆朝より差す。海陵の初め、尚書省・枢密院・御史台の吏員を除く外、皆雑班と為す、乃ち諸吏員を昌明殿に召し、之に諭して曰く、「爾等班次稍く降るを以て歉とす勿れ、果たして人才有らば、当に次を不にして擢用せん」と。又た少府監の吏員を定め、内省司の旧吏員及び外路試中の司吏を以て補す。
大定二年、戸部郎中曹望之が言うには、「各所の胥吏が猥多である、その半減を乞う」と。詔して胥吏は旧に従うが、貼書の使用を禁ず。また県吏に欠員あれば、行い修めて挙げられ郷里に重んぜられる者を推挙して充てることを命ず。三年、外路の司吏が久しく昇転せず、往々にして豪右と交通して奸を為すを以て、孔目官と共に三十月毎に一転し、他処に移すことを命ず。七年、随朝の司属吏員・通事・訳史・勾当の雑班月日を通算したものは、部に到着した者は全てこれを理算せずと敕す。また詔して吏人が贓罪を犯して罷免された者は、赦に遇うも特旨なくば、復叙を許さず。また京府州県及び転運司の胥吏の数を、その戸口と課の多寡に視て、これを増減することを命ず。十二年、上宰臣に謂いて曰く、「外路の司吏は、ただ名次の上下を論ずるのみでは、恐らく人を得ざるべし。若しその下に廉慎にして吏事に熟閑なる者あれば、所属に委ねて保挙せしめよ。試みて程式に中らざる者は、随朝の近下局分に付して承応せしめ、以て再試を待つべし。彼既に免試を得ざるを知れば、必ず尽心して進を求むべし」と。
章宗大定二十九年、上封事する者言う、「諸州府の吏人は随朝吏員を試補すべからず、五品以上の子孫を以て試補するを乞う。職官の後は清勤なる者多きを以て、故に任に堪うるなり」と。尚書省謂う、「吏人試補の法は、行わるること久し、若し承廕人のみを収めば、復た案牘に閑ならざるを恐れ、或いは事を敗るに至らん。旧格は惟だ五品職官の子孫の投試を許す、今省部の試むる者尚少なし、定格法の未だ寛ならざるを以ての故なり」と。遂に定制す、散官五品にして七品に任ずる者、散官未だ五品に至らずして職事五品なる者、その兄弟子孫已に廕を受けたる者並びに投試を許し、而して六部令史内の吏人試補する者は旧に従う。泰和四年、河東按察司事を僉む張行信言う、「移転法を罷めて後より、吏勢浸く重く、恣に豪奪を為し、民敢えて言わず。今又朝差の都目無く、ただ上名の吏人に令して兼ねて六案の文字を経歴せしめ、同類と分かち賄賂を受く。吏目は三十年を通歴して始めて出職す、常に本処に在りて侵漁し、便ならず」と。遂に定制す、旧に依り三十月移転し、年満して出職し、以て州府を把握するの弊を杜ぐ。八年、東京按察司事を僉む楊雲翼の言を以て、書吏・書史は皆本路の人を用いず、別路の書吏で許して特に部に申薦する者を類試し、中選する者を取って補用す。
凡そ右職官は、天徳の制、忠武以下は差使を与え、昭信以上は両除一差す。大定十二年、鎮国以上は即ち省除を与うと敕す。十三年、明威は下令に注し、宣威は中令に注し、広威は上令に注し、信武は権めて下令に注し、宣武・顕武は差を免じ、権めて丞簿に注すと制す。又た宣武・顕武は、功酬は上簿を与え、虧無きは中簿を与うと制す。二十六年、宣武・顕武に遷至りて始めて出職を令すと制す。又た旧制五任を通歴して令を省に呈すを以て、詔して四任に減ず。明昌三年、諸司の除授に、守闕近く三十月に及び、選調に窒礙あるを以て、今後旧に依り両除一差し、員闕相副うを候って、則ち旧制に復す。
泰和元年、県令の見闕、近きは十四月、遠きは十六月に至るを以て、見格に蓋す、官明威に至る者は並びに県令に注し、或いは選を犯し並びに永を虧くす人も、若し明威を帯ぶる人も亦注す、是れ別無きなり。遂に曾て永を虧き及び選格を犯したる者は、女直人は広威に展し、漢人は宣武に至りて、方に県令に注すことを令す。又た簿丞を守闕するは、近きは十九月、遠きは二十一月を以て、見格に依り官宣武・顕武・信武に至る者は合わずして丞簿に注す、遂に命ず但だ曾て永を虧かしたる者は、直ちに明威に至りて方に丞簿に注す。又た吏格、凡そ諸右職の正雑班(資歴無き者を謂う、班内祗同じ)、皆官資を験して注授す。忠武以下を帯ぶる者は監当差使を与え、昭信以上は諸司除授に擬し、仍て両除一差す。宣武以上は中簿を与え、功酬の人は上簿を与え、明威は下令に注し、宣威は中令に注し、広威は上令に注し、県令四任を通歴し、若し定遠を帯び已に県令三任を歴したる者は、皆省に呈す。若し但だ曾て永を虧き及び選格を犯したる諸の曾て公罪を犯し官を追われ、私罪を犯し解任され、及び贓を犯し、廉訪よくなく、並びに体察臨民に堪えざるを、之を選格を犯すと謂う。女直人の選は武義に至り、漢人諸色人の選は武略に至り、並びに諸司除授に注し、皆両除一差す。若し明威に至りて方に丞簿に注し、女直人は広威に遷至り、漢人・諸色人は宣威に遷至る者は、皆両任下令、一任中令し、回って省に呈す。貞祐三年、宣武に遷至る者は、皆諸司除授を与え、亦両除一差すと制す。凡そ選格を犯さざる者は、若し懐遠は方に丞簿に注し、安遠に至れば則ち下令・上令各一任に注し、省に呈す。四年、復た官懐遠に至れば下令に注し、定遠は中令に注し、安遠は上令に注し、四任して省に呈す。
検法・知法。正隆二年、嘗て六部の用うる人数及び差取の格法を定め、初考・両考は皆司候を除し、三考は上簿を除す。五年、十年内の者は初考下簿を除し、両考中簿を除し、三考警判を除し、十年外の者は初考第二任司候を除し、両考上簿を除し、三考は則ち市丞を除すと定制す。大定二年、曾て三考したる者は、十年内外を拘わず、皆八品の録事・市令を与え、当に得べき本門戸に擬すと制す。除授は、旧は紮付を授く、大定三年始めて敕を与うることを命じ、律科の人を以て之を為す。七年、榜次を験して勾取し、省令史を勾取するの制の如しと定制す。二十六年、三考して録事を除し、以後は則ち両除一差すことを命ず。
女直知法・検法。大定三年格、台部統軍司の出職令訳史、曾て県佐市令差使の人内の奏差に任じ、考満して元の出身より一等を升し、随路知事の例に依り敕を与え、三十月を以て任とす。明昌五年、省院台部統軍司の令訳史書史内に擬し、年五十以下、過犯無く、行止慎み、一月試み、能くする者を以て充て、再び勒留する者は一等を升し、一考の者は初上令、二・三は中令、四は上令、両考は二等を升し、省に呈す。
太常寺検討二人。正隆二年、五十月一重を遷り、女直は敦武に遷り、余人は進義に進み、百五十月出職し、雑班に系る。大定二年、三十月を以て一重を遷り、百二十月出職し、正班九品に系ると制す。
省祗候郎君。大定三年、制を定めて袒免以上の親で承応を願い、既に試験に合格して闕員なく収補する者及び一品官の子で、既に引見され、ただ班祗候に在る者は、三十月で循遷する。初任は正・従七品に与え、次任は省に呈する。内祗は班に在り、初・次任は正・従八品に注し、三・四は従七品に注し、その後省に呈する。班祗は班に在り、初は九品、次・三は正・従八品、四・五は従七品。その後省に呈する。以上の三等は、いずれも六十月を満期とし、各々一重を遷す。八年、定制を定め、先ず六十月役してその才を試験し、幹事能わざる者は一官を進めてこれを黜す。才幹ある者は再び六十月を理する。毎三十月遷加し、百二十月を満期とし、女直字を識る者を用いるべし。十六年、定制を定め、制文をもってこれを試し、制の意を解説し得る者を中選とす。十八年、制を定めて一品官の子は、初め都軍、二は録事・軍防判、三は都軍、四は下令、五・六は上令とし、省に回呈する。内祗は、初め録事・軍防判、二は上簿、三は初めと同じ、四は録事、五は都軍、六は下令、七は中令、八は上令とし、省に回呈する。班祗は、初め上簿、二は中簿、三は初めと同じ、四は録事・軍防判、五は録事、六は都軍、七は下令、八は中令、九は上令とし、省に回呈する。
国史院書写。正隆元年、定制を定め、女直書写は、契丹字の書を女直字に訳することを試み、三百字以上を限る。契丹書写は、契丹の大小字に熟達し、漢字の書史を契丹字に訳すること三百字以上、詩一首、あるいは五言七言四韻を、契丹字をもって題を出す。漢人は則ち論一道を試みる。遷考出職は太常検討と同じ。
宗室将軍。六十月を任とし、初めは刺同、二は都軍、三は刺同、四は従六品。副将軍は七品出職人を以て充てる。明昌元年、九十月を満期とし、中都・上京は初め従七品、二は録事・軍防判、三は本門戸に入る。その他の路は、初め録事・軍防判、二は上簿、三は本門戸に入る。承安二年、司属令を改めて随朝と作す。
内侍御直。内直六十四人、正隆二年格、長行人は五十月で一重を遷し、女直人は敦武に遷し、その余の人は進義に遷し、出身は無し。大定二年格、同上。大定六年、内侍を収補する格を更に定め、一大経を誦し、『論語』・『孟子』の内一書を誦し、併せて書札を善くする者は、月給を八貫石とし、稍々字を識り能く書する者は七貫石、字を識らざる者は六貫石。泰和二年、外官を参用するは微を防ぐの道を失うを以て、乃ち寄録官の名を創め、以て専任せしめ、既にその労に酬いるに足り、而して官を侵すの弊無からしむ。
凡そ宮中の諸局分、大定元年、世宗諸局分の承応人に謂いて、班叙俸給は濫に渉ること太だしきを論じ、正隆の時は乃ち出身無く、渉ること太だ刻なるを論じ、又その官品は労逸を以て制と為さず、遂に命じてこれを更定せしむ。大定六年、有司に諭して曰く、「宮中の諸局分の承応人に、年満数差使する者あり、往々にして稽留に苦しみ、而して卒えて得ざる。その差する者は、また多く文字を解せずして幹事ならず、故に公私便ならず。今願い出局する者に従いて聴し、願い留まる者は各々その秩を増し、旧に依りて承応せしむ。その十人長は、老いても願い留まる者もまた秩を増し、長行承応と作し、余は例に依りて放還す。」七年、宰臣に詔して曰く、「女直人は自来諸局分に祗候を収充せず。可し自今より太医・司天・内侍を除く外、余の局分は併せて収充勾当せしむべし。」
護衛、正隆二年格、毎三十月一重を遷し、初考は、女直は敦武に遷し、余は保義に遷し、百五十月出職し、従五品以下・従六品以上に除す。大定二年格、更めて初めは忠勇に遷し、百二十月出職す。大定十四年官制、下より両重を添え、遂に命じて女直は初め修武に遷し、余人は敦武に遷す。十八年、制を定めて初め五品を除する者は次に降って六品を除し、第三にまた従五品を除す。初任六品の者は降さず、第四任に升授して従五品とし、再勒留する者は各々一官を遷す。明昌元年資格、初任は資歴を算せず、勒留せざる者は、初め従六品、二・三は皆同上、第四任に従五品に升す。勒留する者は、初め従五品、二・三は同上、第四は正五品。再勒留する者は、初め正五品、二は同上、三は少尹、四は刺史。明昌四年、降して六品・七品除と作す。貞祐制、一考は八品、両考は県令を除し、三考は正七品、四考は六品。五年、一考の者は上令に注すことを定む。両考の者は一任正七品で回降して従七品とし、両任正七品で回升して六品とす。三考の者は正七品一任で回り、再任正七品で六品に升す。四考の者は、三任六品で従五品に升す。
符宝郎、十二人、正隆二年格、皆護衛と同じく、出職は従七品除授に与う。大定二年格、併せて護衛と同じ。十四年、初めて収む。余人は進義に遷し、二十一年、英俊なる者は六品除に与え、常人はただ七品除に与う。
奉御、十六人、内駙馬を以て充て、旧名は入寝殿小底。大定十二年、今の名に更む。正隆二年格、符宝郎と同じ。大定二年、出職従七品。
奉職、三十人、旧名は不入寝殿小底、また外帳小底と名づく。大定十二年今の名に更む。正隆二年格、女直は敦武に遷し、余人は進義を歴し、出身無し。大定二年格。出職正班九品。大定十四年新官制を定め、下より両重を添え、女直は初考進義、余人は進義副尉。十七年格、廕ある者は初め中簿、二は下簿、廕無き者は県尉に注し、已後は則ち格に依る。明昌元年格、廕ある者は毎に勒留一考すれば則ち一資を減ず。二年、八品出職を以てす。六年格を定め、初め録事・軍防判、正従八品丞、二は上簿、三は中簿、四は正従八品、若し選格を犯さざる者は則ちこの除を免じ、五は下令、六・七は中令、八は上令。勒留一考の者は下令に升し、四・五は中令、六は上令、省に回呈す。勒留両考の者は上令に升し、二は中令、三・四は上令、省に回呈す。凡そ奉御奉職の出職は、大定十二年百五十月に増し、二十九年旧に復し、承安四年また増す。
東宮護衛、正隆二年、出職正班従八品。大定二年、正従七品。初めて収む女直は敦武に遷し、余人は保義。
閣門祗候、正隆二年格、女直は初め敦武に遷し、余人は保義、出職正班従八品。大定二年格、出職従七品。八年格を定め、初め都軍、二は録事、三は軍防判、四は都軍、五は下令、六は中令、七は上令。既に明威を帯びる者は即ち下令に与え、二は録事・軍防判、三は都軍、四は下令、五は中令、六は上令。泰和四年格、初め都軍、二は録事・軍防判、三は下令、四は中令、五は上令。
筆硯承奉は、旧名を筆硯令史といい、大定三年に筆硯供奉と改め、後に顕宗の諱を避けて再び今の名に改めた。正隆二年の規定では、女直人は敦武に遷官し、その他は進義に遷官し、出身はない。大定二年の格では、初考で女直人は敦武に遷官し、その他は保義に遷官し、出職は正班の従七品である。吏格では、初めは都軍、二・三考は下令、四・五考は中令、六考は上令となる。
妃護衛は、正隆二年の格では奉職と同じである。大定二年、出職は八品となる。
符宝典書は四人で、旧名は牌印令史といい、皇家の袒免以上の親族、有服の外戚、功臣の子孫をこれに充てた。正隆二年の格では、出職は九品である。大定二十八年、出職は八品となり、二考で上簿となり、回って官資を検分して注授する。
尚衣承奉は、天徳二年の格では、班内祗人の中から選抜して充てた。大定三年、女直人は敦武に遷官し、その他は進義に遷官し、出職は九品である。
知把書画は十人で、正隆二年の格では奉職と同じである。大定二年、出職は九品となる。十四年の格では奉職と同じである。二十一年の定格では、蔭のある者は、初めは中簿、二考は軍器庫副となり、後に本門戸に依って差注する。蔭のない者は、差使を与えられる。
凡そ以上の諸局分の承応人は、正隆二年の格では、出身のある者は皆五十ヶ月を一考とし、五考で出職し、出身のない者は五十ヶ月でただ一官を遷す。大定二年・三年の格では、皆三十ヶ月を考とし、一重を遷し、四考で出職する。十二年、再び五考に加えた。大定二十九年、また四考とした。承安四年、再び五考とした。大定十二年より、凡そ考を増やすものは、ただ護衛のみはそうではない。
随局内蔵四庫の本把は二十八人で、正隆二年の格では奉職と同じである。大定二年の格では、十人長は、毎三十ヶ月に一重を遷し、四考で出職九品となる。長行は、毎五十ヶ月に一重を遷し、初考で女直は敦武、その他は進義となる。十人長に転ずる者はその後親軍の例に依り、五十人長に転ずる者は三十ヶ月で遷加し、未だ十人長に至らずとも遷加して敦武に至った者は、本門戸に依って出職する。十二年、五考に加えた。二十一年の格では、知把書画と同じである。二十八年、合数監の同人の中から、下より選抜して差す。明昌元年、八貫石の本把に欠員があれば、六貫石の局内から選ぶ。六年、随局承応人の半数から選ぶ。左右蔵庫の本把は八人で、格は内蔵と同じである。大定二十九年に設置し、三十ヶ月で一重を遷し、百二十ヶ月で出職する。儀鸞局の本把は、大定二十七年に三人。明昌元年、十五人を設置し、格は内蔵本把に比する。尚食局の本把は四人で、大定二十八年に設置し、格は儀鸞と同じである。尚輦局の本把は六人で、二十八年に設置し、格は儀鸞と同じである。
典客署の書表は十八人で、大定十二年、班内祗および終場挙人で行いの慎みある者を以て、三国奉使の接送礼儀および往復の書表を試験し、格は国史院書写と同じである。十四年、漢字を識る女直人の班内祗を一同に試験補任した。大定二十四年、終場挙人は出職八品で上簿に注し、次は下簿、三任は本門戸に依る。明昌五年、再び終場挙人で材質が端正偉大、言語が弁捷なる者を許し、内班祗と同様に試験し、正九品に除する。
捧案は八人で、大定十九年、既に三品官の蔭を受けた人を以て、宣徽院に命じて儀観の修整なる者を選抜試験し、格は尚衣承奉と同じである。二十一年、格は知把書画と同じである。
擎執儤使は、大定四年、内職および承奉班の中から選んだ。明昌六年、皇家の袒免以上の親族、不足ならば外戚、および三品以上の散官、五品以上の職事官で応蔭の子孫兄弟甥を以て、宣徽院で徳ありて形貌の美なる者を選ぶ。
奉輦は、旧名を拽輦児といい、大定二十九年に今の名に改め、格は擎執と同じである。
妃奉事は、旧名を不入寝殿小底といい、大定十一年にまた妃奉職と名付け、大定十八年に今の名に改めた。格は知把書画と同じである。
東宮妃護衛は十人で、大定十三年、格は親王府祗候郎君と同じである。二十八年、蔭のある者は副巡検・譏察に、蔭のない者は司軍・軍轄などに除する。東宮入殿小底は、三十ヶ月で一重を遷す。初考で、女直人は敦武に遷官し、その他は保義に遷官する。吏格では、蔭の有無にかかわらずその出職は、初め八品、二考は上簿、三考は中簿、四考は八品となる。五考は下令、六考は中令、八考は上令となり、回って省に呈する。東宮筆硯は、五十ヶ月で一重を遷し、百五十ヶ月で出職し正班九品となる。蔭のない人は差使となる。蔭のある人は、大定二十一年の格では、二十一年の知把書画の格と同じである。
正班局分は、尚薬・果子本把・奉膳・奉飲・司裀・儀鸞・武庫本把・掌器・掌輦・習騎・群子都管・生料庫本把である。大定二十一年の格では、蔭のある人は、知把書画の格と同じである。章宗大定二十九年、諸局分の長行は皆三百ヶ月を歴る。十人長は九十ヶ月で出職する。
雑班局分は、鷹坊子・尚食局厨子・果子厨子・食庫車本把・儀鸞典幄・武庫槍寨・司獣・銭帛庫官・旗鼓笛角唱曲子人・弩手・傘子である。貞元元年、弩手・傘子・尚廏局小底・尚食局厨子は、並びに府州の作院都監を授けると定めた。大定二十九年、長行は三百ヶ月、十人長は九十ヶ月で出職する。弩手・傘子は四百ヶ月で出職する。その他の局分、例えば秘書監楷書及び琴・棋・書・阮・象・説話待詔、尚廏局医獣・駝馬牛羊群子・酪人は、皆出身がない。
侍衛親軍の長行は、初めて収められると、一重を遷り、女直人は敦武、その他の者は進義となる。五十箇月ごとに一重を遷る。順次転じて五十人長となる者は、三十箇月ごとに一重を遷る。もし五十人長のうち武義に遷った者は、五十人長の本門戸として出職する。五十人長は三十箇月ごとに一重を遷り、六十箇月で出職し、正班に属し、九品で除授され、蔭のある者は八品で除授される。もし百人長に転ずる者は、三十箇月ごとに一重を遷り、六十箇月で出職し、正班八品に属し、蔭のある者は七品となる。大定六年、百戸が任期満了となると、蔭のある者は七品の都軍・正将に注され、蔭がなく五十戸で蔭のある者は、八品の刺郡・都巡検・副将に注される。五十戸で蔭のない者および長行で蔭のある者は、県尉に注され、蔭のない者は散巡検に注される。十六年、蔭のある百戸は、初め中令、次に都軍・正将、三・四は録事、五は下令、六は中令、七は上令となり、省に回呈する。蔭のない者は、初め都軍・正将、次に録事、三・四は副将・巡検、五は都軍・正将、六は下令、七は中令、八は上令となり、省に回呈する。これは字を識る者の言である。字を識らぬ者は、初めは県尉に止まり、次に主簿となる。二十一年、蔭のある者は初め中簿、次に県尉となる。蔭のない者は初め県尉、次に散巡検となる。以後は、本門戸に依り、字を識る者・識らぬ者を併せて差注する。二十九年、女直人は二百五十箇月で出職、その他の者は三百箇月で出職と定める。吏格は、先ず親民に適するか否かを察し、その資歴を験し、もし既に任を回して明威・懐遠を帯びた者は、資を験して擬注する。
拱衛直は、正隆年間に龍翔軍と称し、出身はなかった。大定二年、龍翔軍を拱衛司と改める。格を定め、軍使・什将・長行は、五十箇月ごとに一重を遷り、女直人は敦武、その他の者は進義となる。指揮使に遷ると、三十箇月で出職し、一重を遷り、正班に属し、諸司の都監と同様となる。未だ指揮使に至らずとも、武義に遷って出職すれば、雑班に属し、差使と同様となる。
司天の長行は、正隆二年、五十箇月ごとに一重を遷り、女直人は敦武、その他の者は進義と定め、出身はなかった。
太醫は、格が同じである。貞元元年、かつて六十余人を罷去した。正隆二年の格では、五十箇月ごとに一重を遷り、女直人は敦武、その他の者は進義とし、出身はなかった。
教坊は、正隆年間に典城牧民する者あり、大定年間に罷め、遂に格を定めて上と同じくす。