輿服上
天子車輅、皇后妃嬪車輦、皇太子車制、王公以下車制及鞍勒飾
古より軍輿の制あり、各々名物表識有りて、以て祀り以て封じ、以て田猟し以て戎事に用い、上下を別ち、等威を明らかにする所以なり。歴代相承し、互いに損益有り、或いは時に因りて創始し、或いは旧を襲いて文を致し、奇巧日々に滋し、浮靡益々蕩く。後世騎乗に便習するを加うれば、車の用寡く、惟だ郊廟祀享の法駕導引に於いて、一代の令儀として敢えて廃せざるのみ。其の先王の経世立法の意に於いては、寥乎として闊なるかな。金初め遼の儀物を得、既にして宋を克ち、ここに於いて車輅の制有り。熙宗燕に幸し、始めて法駕を用う。世宗に至り、製作乃ち定まり、班班乎として古に及ぶ。礼文を考へ、国史を証し、以て一代の制度を見る。
大定十一年、将に南郊に事有らんとし、太常寺に命じて宋の南郊礼を検せしむ。鹵簿当に用うべきは玉輅・金輅・象輅・革輅・木輅・耕根車・明遠車・指南車・記裏鼓車・崇徳車・皮軒車・進賢車・黄鉞車・白鷺車・鸞旗車・豹尾車・軺車・羊車各一、革車五、属車十二。見有の車輅を除く外、象輅・木輅・革輅・耕根車・明遠車・皮軒車・進賢車・白鷺車・羊車・大輦各一、革車三、属車四を闕く。
『五礼新儀』に按ずるに、玉輅は青を以てし、金輅は緋を以てし、象輅は銀褐を以てし、革輅は黄を以てし、木輅は皁を以てす。蓋し其の物に輅の色に随ふて合する者有り、別色を用うべき者有り。玉輅の青絲繍雲龍絡帯、青羅繍宝相花帯、青画輪轅、青氂牛尾を用うるが如きは、此れ輅の色に随ふ者なり。若し象輅・木輅・革輅の如きは則ち当に緋を用い、銀褐を用い、黄及び皁を用うべし。若し至尊の乗禦歩武の及ぶ所は、余の物の但だ美観の為に非ざるが如く、其の踏床・倚背・踏道の褥は皆紅錦を用い、座褥及び行馬褥・透壁軟簾三は銀褐・黄・青羅錦の三色を用う。又大輦は、宋の陶穀創意を為して之を作り、祥符中に其の太重きを以て七百余斤を減ず。当時亦た定制無きを見るべく、各々意に従ひ長を斟酌して之を造る。其の制、金玉輅は闕く。見るべき者は象輅・革輅・木輅、耕根車・皮軒車・進賢車・明遠車・白鷺車・羊車・革車・大輦、凡そ十有一。
象輅は、黄質、金塗銅装、象を以て諸末を飾る。輪衣は銀褐を以てす。大赤を建つ。余は玉輅に同じ。
革輅は、黄質、革を以て之を鞔ひ、金塗銅装、輪衣は黄を以てす。大白を建つ。余は玉輅に同じ。
木輅は、黒質、之を漆し、輪衣は皁を以てす。大麾を建つ。余は玉輅に同じ。
耕根車は、青質、蓋三重、制は玉輅の如くして玉飾無し。
皮軒車は、赤質、上に漆柱有り、五輪相重なるを貫き、虎紋を画き、一轅。
進賢車は、赤質、革車の如く、緋輪衣・絡帯・門簾並びに鳳を繍す。上に硃漆床・香案を設け、紫綾衣。一轅。
明遠車は、制は屋の如く、頂鋭く、簷重なり、勾欄有り。頂上に金龍有り、四角鐸を垂る。上層四面簾を垂れ、下層周りを花板を以てす。三轅。
白鷺車は、赤質、周りに花板を施し、上に漆柱有り、柱杪鷺鷥に刻み、鵝毛筒を銜め、紅綬帯。柱は五輪相重なるを貫く。輪衣・皁頂・緋裙・緋絡帯、並びに飛鷺を繍す。一轅。
羊車、赤質、両壁に亀紋を油絵し、金鳳の翅、幰衣・結帯ともに瑞羊を刺繍す。二轅。
大輦、赤質、正方、油絵、金塗銀葉の龍鳳装。その上四面に施行龍・雲朶・火珠、方鑒・銀絲囊網、珠翠結雲龍、鈿窠霞子。四角の龍頭は香囊を銜む。頂輪に耀葉を施し、中に銀蓮花あり、龍を坐す。紅綾裏、碧牙圧帖。内に円鑒・香囊を設け、銀飾勾欄台坐、紫絲条網帉錔。中に黄褥を施し、上に御座・曲几、香炉・錦結綬を置く。几衣・輪衣・絡帯ともに緋繡の雲龍宝相花、金線圧。長竿四、金塗銀龍頭を以て飾る。画梯・托叉・行馬。
七宝輦、制は大輦の如く、玉裙網・七宝を以て飾り、滴子に真珠を用う。宋の欽宗が上皇のために制し、海陵自ら汴より取りて用う。
皇后の車六。
一に曰く重翟車、青質、金飾金塗銅鈒花葉段装釘、燿葉二十四、明金立鳳一、紫羅銷金生色宝相帷一、青羅・青油幰衣各一、硃絲絡網・紫羅明金生色雲龍絡帯各二、両廂明金五彩間装翟羽二、金塗鍮石長轅鳳頭三、横轅立鸞八、香炉香宝子一副、宜男錦帯結、硃紅漆杌子・踏床各一、扶板扶魚一副、紅羅明金衣褥、紅羅襯褥一、青羅行道褥四、青羅明金生色雲鳳夾幔一、紅羅明金縁紅竹簾二、金塗銅葉段行馬二、硃紅漆金塗銀葉装釘胡梯一、青羅胡梯尋儀褥二、踏道褥十、青絹裹大麻索二、油蒙帕一。二に曰く厭翟車、赤質、倒仙錦帷一、紫羅・紫油幰衣各一、硃絲絡網、宜男錦絡帯各二、余は重翟に同じ、惟だ行道褥・夾幔・尋儀褥の羅及び裹索等に紅を用うるのみ。三に曰く翟車、黄質、金飾鍮石葉段装釘、宜男錦帷、黄羅油幰衣、鍮石長轅鳳頭三、而して横轅立鸞無く、余は厭翟に同じ、而して羅色に黄を用う。四に曰く安車、赤質、倒仙錦帷、紫・油幰衣、硃絲絡網、天下楽錦絡帯、鍮石長轅鳳頭三、横轅立鸞及び香炉香宝子無く、余は翟車に同じ、而して色皆紅を用う。五に曰く四望車、硃質、宜男錦帷、青・油幰衣、轅端螭頭二、余並びに安車に同じ。六に曰く金根車、硃質、紫羅・紫油幰衣、硃絲絡網・倒仙錦絡帯各二、踏床衣褥に紅綾を用い、尋儀褥・踏道褥並びに綾を用う、余並びに安車に同じ。
皇太子車制。
大定六年十二月、皇太子金輅の典故制度及び上用金輅の儀式を奏し、奉勅詳定す。輈・旗・旂首及び応用の龍者は更に麟を以て飾と為し、障塵等の物を省く。上用金輅の名件色数は上公に依り九を以て節と為し、四分の一を減ず。上用の輅、軾前の金龍を伏鹿に改め、軾上の坐龍を鳳に改め、旂十二旒を九に減じ、駕する赤騮六を四に減じ、及び簾褥に黄羅を用うる処を梅紅に改め、余並びに具体成造す。その制、赤質、諸末を金飾し、重較。箱に虞文鳥獣を画し、黄屋。軾に赤伏鹿を作し、龍輈。金鳳一、軾前に在り。障塵を設く。硃蓋黄裏。輪に硃牙を画す。左に九旒を建て、右に闟戟を載す。旂首は金龍頭を銜み、結綏及び鈴緌。八鸞は衡に在り、二鈴は軾に在り。赤騮四を駕し、金勣釳方、翟尾を挿し、鏤錫鞶、纓九就。皇帝の輅は頂より地に至るまで高さ一丈七尺、今四分の一を閷きて一丈三尺二寸と為し、修広の閷も亦これに如し。
王公以下車制。
輿服中
天子袞冕
昔、聖人は玄黄黼黻の服を制して、天地の徳を象り、貴賤の儀を章らかにし、夏・殷で損益し、周に至って大いに備わり、これ以上加えることはできなかった。秦が礼法を滅ぼし棄てて以来、先王の制度は廃れて存せず、漢初にはなお袀玄を服して大祀に従い、歴代で漸く古に復するも、結局純粋には至らなかった。金の制度で皇帝が服する通天冠・絳紗袍・袞冕・逼は、即ち前代の遺制である。その臣下に貂蟬法服があり、即ちいわゆる朝服である。章宗の時、礼官が漢・唐を参酌して祭服を改めて制するよう請い、青衣硃裳とし、貂蟬と豎筆を除いて、朝服と区別した。ただ公朝ではまた紫・緋・緑の三等の服があり、窄紫・展皁などの事柄とともに、ことごとく篇に著す。
冕の制。天板の長さ一尺六寸、幅八寸、前の高さ八寸五分、後の高さ九寸五分、身囲一尺八寸三分、ともに納言を付け、ともに青羅を表とし、紅羅を裏とし、周囲に金棱を用いる。天板の下に四柱があり、四面に真珠の網結子、花素の墜子、前後の珠旒合わせて二十四、旒は各々長さ一尺二寸。青碧線で織造した天河帯一、長さ一丈二尺、幅二寸、両端に各々真珠金碧旒三節、玉滴子節花あり。紅線の組帯二、上に真珠金翠旒、玉滴子節花あり、下に金鐸子二つあり。梅紅線の款幔帯一。黈纊二、真珠で垂れ下げ、上に金萼子二つを用いる。簪窠、款幔、組帯鈿窠、各二、内の組帯鈿窠四はともに玉を鏤塵に碾いて造る。玉簪一、頂は二寸四方、導は長さ一尺二寸、簪の頂に鏤塵の雲龍を刻む。
袞は、青羅を夾製とし、五彩間に金で絵画し、正面に日一、月一、昇龍四、山十二、上下の襟に華蟲・火各六対、虎・蜼各六対。背面に星一、昇龍四、山十二、華蟲・火各十二対、虎・蜼各六対。中単一、白羅単製、羅の領・褾・襈。裳一、帯・褾襈、紅羅八幅夾製、藻三十二を繡し、粉十六、米十六、黼三十二、黻三十二。蔽膝一、帯・褾・襈、ともに紅羅夾製、昇龍二を繡す。綬一副:大綬は赤黄黑白緑縹の六彩で織り、紅羅を托裏とし、小綬は三色、大綬と同じ、銷金黃羅の綬頭、上に間に三つの玉環を施し、皆雲龍を刻み、大綬五百首、小綬はその半。緋白大帯一、銷金黃羅の帯頭、鈿窠二十四。紅羅勒帛一、青羅抹帯一。玉佩二、白玉の上中下璜各一、半月各二、皆雲龍を刻み、玉滴子各二、皆紅真珠で穿制す。金篦鉤・獣面・水葉・環・釘。涼帯一、紅羅で裏とし、縷金、上に玉鵝七つ、䤩尾束各一、金で龍口を攀じ、玳瑁板で釘脚を襯す。褵は、重底、紅羅面、白綾托裏、如意頭、銷金黃羅で縁口、玉鼻仁を珠で飾る。襪は緋羅に綿を加える。凡そ大祭祀・尊号加増・冊宝受納には、袞冕を服す。行幸・斎戒出宮あるいは正殿に御するには、通天冠・絳紗袍。
鎮圭、大圭。皇統九年十月二十四日、礼部が太常に下し、鎮圭の式様を画かせ、大礼使が『三礼図』に拠って進め、用いた。大定十一年、太常寺が『礼』に按ずるに「大圭の長さ三尺、抒上終葵首、天子之を服す」。西魏・隋・唐以来、大圭の長さ尺二寸、鎮圭と同じ。蓋し鎮圭は以て天下を鎮め、四鎮山を以て飾る。今その圭は既に古制に依るが、ただ大圭無し。今御府に故宋の白玉圭あり、円く、上閷及び終葵首無し。西魏以来、制した玉笏は皆長さ尺二寸あり、方にして折れず、先王の法に非ざるも、蓋し後世玉を得難く、宜しきに随うが故なり。御府の所蔵に合わせて、行礼に就用するに擬す。
視朝の服
初め、太宗即位し、始めて赭黄を服し、その後は百官の朝見に御袍帯を視る。章宗即位し、世宗の喪に当たり、有司が純吉を御するよう請うたが、従わず、乃ち淡黄袍・烏犀帯を服した。常朝には則ち小帽・紅襴・偏帯あるいは束帯を服す。
皇后の冠服
花株冠は、盛子一を用い、青羅表・青絹襯金紅羅托裏、九龍・四鳳を用い、前面の大龍が穗球一朵を銜え、前後に花株各十二あり、及び鸂鶒・孔雀・雲鶴・王母仙人隊・浮動插瓣等、後に納言あり、上に金蟬鑻金両博鬢あり、以上並びに鋪翠滴粉縷金装真珠結制を用い、下に金圈口あり、上に七鈿窠を用い、後に金鈿窠二あり、紅羅鋪金款幔帯一を穿く。禕衣は、深青羅で翬翟の形を織成し、素質、十二等、領・褾・襈並びに紅羅で雲龍を織成し、中単は素青紗で制し、領に黼形霰十二を織成し、褾・袖襈・雲龍を織成し、並びに紅縠を織って造る。裳は、八副、深青羅で翟文六等を織成し、褾・襈は紅羅雲龍を織成し、明金帯腰。蔽膝は、深青羅で翟文三等を織成し、領縁は、緅色羅で雲龍を織成し、明金帯大綬一、長さ五尺、幅一尺、黄赤白黒縹緑の六彩で織成し、小綬三色は大綬と同じ、間に七宝鈿窠を施し、三つの玉環を置く。上に雲龍を碾き、拈金線で大小綬頭を織成し、紅羅花で襯し、大帯は、青羅硃裏、外を紕い、上は硃錦、下は緑錦、紐約は青組を用い、拈金線で帯頭を織成す。玉佩二朵、毎朵に上中下璜各一、半月墜子各二、並びに玉を碾き、縷金打鈒獣面・篦鉤佩子各一、水葉子真珠で穿綴す。青衣革帯は、縷金青羅で裏を造り、上に金打鈒水地龍、鵝眼䤩尾、龍口攀束子合わせて八事、玳瑁で金釘脚を襯す。抹帯二、紅羅・青羅各一、並びに明金造、各長さ一丈五寸。褵は青羅で制し、白綾裏、如意頭、明金・黄羅准上用、玉鼻仁真珠装、綴系帯。襪は、青羅表裏、綴系帯。犀冠は、撥花様を減じ、縷金装造、上に玉簪一、下に玳瑁盤一。
皇太子の冠服
冕は白珠九旒を用い、紅絲組を纓とし、青纊を充耳とし、犀簪導を以てす。袞は、青衣硃裳、五章を衣に在らしむ、山・龍・華蟲・火・宗彝、四章を裳に在らしむ、藻・粉米・黼・黻。白紗中單、青褾襈裾。革帶、塗金銀鉤㫤。蔽膝、裳の色に随い、火・山の二章を為す。瑜玉雙佩、四采を織りて大綬と為し、間に玉環三を施す。白襪、硃褵、褵に金塗銀釦を加う。廟を謁するときは則ち之を服す。遠遊冠、十八梁、金塗銀花、博山附蟬を飾り、紅絲組を纓とし、犀簪導を以てす。硃明服、紅裳、白紗中單、方心曲領。絳紗蔽膝、白襪黒褵。余は袞冕と同じ。冊寶のときは則ち之を服す。桓圭、長さ九寸、広さ三寸、厚さ半寸、白玉を用い、屋の桓楹の如く、二棱を為す。太子、朝に入り起居し及び宴に与るには、則ち朝服、紫袍・玉帯・雙魚袋を以てす。其の事を視し及び師少賓客に見ゆるには、則ち小帽・皁衫・玉束帯を服す。
宗室及び外戚並びに一品命婦
衣服は明金を用いることを聴す。期親は別籍たりとも、女子は出嫁し並びに同じ。又、五品以上の官の母・妻は、霞帔を披くことを許す。唯だ首飾・霞帔・領袖・腰帯は、明金・籠金・間金の類を用いることを許す。其の衣服は止だ明銀・象金及び金条圧繡を用いる。正班局分の承応帯官人、未だ出職せず班に係るといえども、其の祖母及び母・妻・子孫の婦・同籍兄弟の妻・及び在室の女・孫・姊妹並びに同じ。又、私家に純黄帳幕陳設を用いることを禁ず。若し曾て宣賜せられたる鸞輿服禦、日月雲肩・龍文黄服・五個鞘眼の鞍は皆須らく更改すべし。
臣下の朝服
祭服
公服
輿服下
衣服通制
金人の常服は四つある:帯、巾、盤領衣、烏皮靴である。その束帯を吐鶻という。巾の制は、皁羅または紗を以て作り、上に方頂を結び、後ろに折れ垂れる。頂の下縁の両角にそれぞれ径二寸ほどの方羅を綴じ、方羅の下にそれぞれ長さ六七寸の帯を付ける。横額の上に当たり、あるいは一つの縮襞積とする。貴顕な者は方頂に、十字の縫いに沿って珠で飾り、その中には必ず大きな珠を貫き、これを頂珠という。帯の傍らにそれぞれ珠を絡めて結び綬とし、帯の半分の長さで垂らす。海陵王が大興国に賜ったものがこれである。その衣の色は白が多いが、三品以上は皁色とし、袖は狭く、盤領、腋は縫い、下は襞積とし、袴は欠かない。その胸臆・肩・袖には、あるいは金繡で飾り、春水(春の水辺での狩猟)に従う服は多く鶻が鵝を捕える様子や雑花卉の飾りとし、秋山(秋の山での狩猟)に従う服は熊・鹿・山林を文様とし、その長さは脛の中ほどまでで、騎乗に便利なようにする。吐鶻は、玉が最上とされ、金がこれに次ぎ、犀・象・骨・角がまたこれに次ぐ。銙鞓は、小さいものを前に間隔を置き、大きいものを後ろに施し、左右に変雙䤩尾があり、方束の中に納め、その刻琢は多く春水秋山の飾りの如くである。左に牌を佩き、右に刀を佩く。刀は鑌鉄を貴び、柄は雞舌木を尚び、黄黒半々で、黒い雙距のあるものが最上とされ、あるいは三事・五事とする。室は醬瓣樺で飾り、𨭚口は鮫で飾り、あるいは金鍮の屑を漆に和し、鮫の隙間に塗って磨き平らにする。醬瓣樺とは、樺皮の斑文の色が殷紫で醬の中の豆瓣の如きものをいい、その国に産する故にこれを尚ぶのである。
初め、女直人は漢姓に改め、また南人(宋人)の装束を学ぶことを許されず、違反する者は杖八十に処し、永制として編纂された。
婦人は襜裙を着用し、多くは黒紫を用い、上に全枝花を編み繡し、周身に六つの襞積がある。上衣を団衫といい、黒紫または皁および紺を用い、直領、左衽、掖は縫い、両傍にさらに雙襞積をなし、前は地を払い、後ろは地より一尺余りを曳く。帯の色は紅黄を用い、前は変えて下斉まで垂れる。年老いた者は皁紗で髻を籠めて巾の如き状とし、上に玉鈿を散らして綴じ、これを玉逍遙という。これらは皆遼の服であり、金もまたこれを襲用した。許嫁の女は綽子を着用し、制は婦人の服の如く、紅または銀褐の明金を以て作り、対襟彩領、前は斉えて地を払い、後ろは五寸余りを曳く。
明昌六年の制では、文武官六貫石以上の承応人および廕者(恩蔭を受けた者)は、牙領、紫円板皁條羅帯、皁靴を用いることを許され、上は下を兼ねることができる。系籍の儒生は白衫領のみを着用し、系背帯はともに紫円絛羅帯、乾皁靴を用いる。その他の者は純紫領を用い、縁を用いることはできず、雑色円板絛羅帯は紫を用いることができず、靴は黄および黒油皁蠟等を用いる。婦人は各々便宜に従う。泰和四年、親王・品官が既に領縁を分かつにもかかわらず、さらに皁靴の禁があるのは、余りに煩雑に渉るようであるとして、親王が銀褐領紫縁を用い、品官は皆紫領白縁を用いることを聴し、その他は明昌の制に従うこととした。
書袋の制。大定十六年、世宗は吏員と士民の服に区別がなく、民間に潜入して賄賂を受け獄訟を操る者がおり、有司がこれを検察できないことを以て、遂に書袋を懸ける制を定めた。省・枢密院の令・訳史は紫襜絲を以て作り、台・六部・宗正・統軍司・検察司は黒斜皮を以て作り、寺・監・随朝諸局・並びに州県は、ともに黄皮を以て作り、各々長さ七寸、幅二寸、厚さ半寸とし、ともに束帯上に懸けて帯び、公務を退いた後は便服に懸ける。違反する者は所司がこれを糾弾する。