金史

志第二十:楽上(雅楽・散楽・鼓吹楽・本朝楽曲)

『伝』に曰く、「王者は功成りて楽を作り、治定まりて礼を制す」と。これ二帝三王の弥文なるか。蓋し天下を有つ者は、軌度を一にし、民俗を正し、人神を合し、上下を和せんと欲すれば、礼楽を捨てて何を以てかせん。金初め宋を得て、始めて金石の楽有り。然れども未だ其の美を尽くさず。大定・明昌の際に至り、日修月葺し、燦然として大備す。其れ太常に隷する者は、即ち郊廟・祀享・大宴・大朝会の宮懸二舞是なり。教坊に隷する者は、則ち鐃歌鼓吹、天子行幸の鹵簿導引の楽有り。散楽有り。渤海楽有り。本国旧音有り。世宗嘗て其の意度を写して雅曲と為し、史其の一を録す。其の俚なる者は載せずと云う。

雅楽

凡そ大祀・中祀、天子の冊宝を受く、楼に御して赦を肆し、外国の使の賀を受くるに用う。初め、太宗汴を取るに、宋の儀章鐘磬楽虡を得て、之を挈して帰る。皇統元年、熙宗尊号を加え、始めて宋楽を用う。有司鐘磬に「晟」の字を刻する者は太宗の諱に犯すを以て、皆黄紙を以て之を封ず。大定十四年、太常始めて議す、「歴代の楽各々名を為す。今郊廟社稷に用うる宋楽器は廟諱に犯す。宜しく皆刮去し、更に名を制すべし」と。是に於て、礼部・学士院・太常寺に命じて名を撰ばしむ。乃ち大楽天地と和を同じくするの義を取り、之を名づけて「太和」と曰う。文・武二舞。皇統年間、文舞を定めて『仁豊道洽の舞』と曰い、武舞を『功成治定の舞』と曰う。『貞元儀』又文舞を改めて『保大定功の舞』と曰い、武舞を『万国来同の舞』と曰う。大定十一年又『四海会同の舞』有り。是に於て一代の制始めて備わる。

明昌五年、詔して唐・宋の故事を用い、所を置き、礼楽を講議せしむ。有司謂う、「雅楽は周・漢以来より大法を存するのみ。魏・晋而後律度を更に造り、定論無きに訖る。後周保定中に至り、古玉斗を地中に得て、以て尺律を造る。其の後牛弘以て不可と為し、止だ蘇綽の鉄尺を用う。隋に至り亦之を用う。唐興り、隋楽に因りて改めず。黄巣の乱に及び、楽懸散失す。太常博士殷盈孫周法を以て穀鐘・編鐘を鋳し、処士蕭承訓等石磐を校し、合して之を奏す。周顕徳に至り黍を以て律を定む。議者唐楽より五律高しと謂う。宋初め亦王朴の制する所の楽を用う。時和峴周顕徳の律音哀思に近しを以て、乃ち西京の銅望臬・石尺に依りて十二管を重ね造り、声を取って王朴の一律を下す。景祐初め、李照黍を累ねて尺を成し律と為す。其の声猶高きを以て、更に太府の布帛尺を用い、遂に太常楽を三律下す。皇祐中、阮逸・胡瑗改造して止だ一律を下す。或は其の声弇鬱にして和せずと謂い、旧に依りて王朴の楽を用う。元豊間、楊傑李照の鐘磬を用い四清声を加え、王朴の楽を二律下し、以て新楽と為す。元祐間、範鎮又新律を造り、李照の楽を一律下す。而れども未だ用いず。崇寧間に至り、魏漢津範鎮の旧楽の高きを知り、之を下す法無きを以て、乃ち時君の指節を以て尺と為す。其の造る所の鐘磐即ち今用うる所の楽是なり。然れども王朴の制する所の声高きを以て、屡改作を命ず。李照太府尺を以て律を制す。人旧聴に習ひ重きを疑う。其の後範鎮等楽を論じ、復李照の用うる所の太府尺を用う。即ち周・隋の用うる所の鉄尺なり。牛弘等以て古に近く宜しきに合すと謂う。今現有の楽を取り、唐初の開元銭を以て其の分寸を校するも亦同じ。則ち漢津の用うる所の指尺殆ど周・隋・唐の用うる所の尺と同じからん。漢津李照・範鎮の説を用い、而して之と同ずるを恥じ、故に時君の指節を以て尺と為し、衆人をして敢えて軽く議せざらしむ。其の尺詭説と為すと雖も、其の制乃ち古と同く、而して清濁高下皆中に適す。法数の外より出で私意妄為するに非ず。蓋し今の鐘磐崇寧の制する所と雖も、亦周・隋・唐の楽なり。今用うる所の楽律を閲すに、声調平和にして、太高太下の失無し。久しく用うべし。唯だ辰鐘・辰磬昔より数缺く。宜しく辰鐘十五、辰磬二十一を補鋳し、旧を通じて各二十四虡と為すべし」と。上曰く、「嘗て宋人の楽を論ずるを観るに、律は人声に主り、其の器に泥るべからずと為し、要は声の和するに在るのみと」と。是に於て、礼部に命じて符を下し南京に取り、宋の旧工を以て、更に辰鐘十有二を鋳せしむ。又旧鐘姑洗・夷則皆五律高く、無射二律高きを以て、別に鋳して以て之を補い、乃ち協う。又辰磬各十有二を琢ち、其の半少しく劣るを以て、其の諧うる者を択びて之を用う。初め、正隆間、海陵汴に太廟を営む。貞祐南遷し、宣宗之を修め、以て諸帝の神主を祔す。其の地、故宋の景霊宮の址なり。其の下を掘るに、編鐘十三、編磬八を得、皆「大晟」の字を刻す。時朝廷多故にして、礼器散亡し、竟に亦備うる能わず。

大定十一年、太常が議して言うには、「『唐會要』の旧制を按ずるに、南北郊の宮縣は二十架を用い、周・漢・魏・晉・宋・齊の六朝及び唐の『開元』、宋の『開寶禮』も、その数は皆同じである。『宋會要』は三十六架を用い、『五禮新儀』は四十八架を用いるが、その数が多く、甚だしく奢侈のようである。今、『太常因革禮』に擬すべく、天子の宮縣の楽は三十六虡、宗廟は殿庭と同じくし、郊丘は二十虡とし、宮縣二十架を用い、登歌の編鐘・編磬を各一虡とするのが宜しい。また『周禮大司樂』を按ずるに、『凡そ楽は、圜鐘を宮とし、黄鐘を角とし、太蔟を徵とし、姑洗を羽とする。雷鼓・雷鞀・孤竹の管・雲和の琴瑟・雲門の舞、冬至の日に地上の圜丘においてこれを奏し、もし楽六変あれば、則ち天神皆降り、礼を得べし』とある。六変とは、六成を謂う。唐・宋はこれに因る。蓋し圜鐘は夾鐘なり、宮として用いるのは、上に房・心に応じ、天帝明堂の象有るによる。宮声は三奏し、角・徵・羽は各一奏し、陽の奇数に合せ、神のこれを聴かんことを欲するなり。凡そ楽は陽に起こり、少陰に至って止む。圜鐘は卯より申に至るまでその数六有り、故に六変にして楽止めば、則ち天神皆降り、礼を得べし。楽曲の名は、唐は『和』とし、宋は『安』とし、本朝は楽曲を定めて『甯』を名とす。今、ただ太廟祫享の楽曲有るのみにして、郊祀の楽曲は未だ備わらず。皇統九年、天を拝するに『乾甯之曲』を用いた。今、圜丘の降神には固より就用すべし。今、太廟祫享に、皇帝の升降行止には『昌甯之曲』を奏し、俎を迎えるには『豊甯之曲』を奏し、酌献・舞出入には『肅甯之曲』を奏し、飲福には『福甯之曲』を奏す。宋の『開寶禮』も亦就用すべし。その他に郊祀の曲名、皇帝の中濆に入る、玉幣を奠める、俎を迎える、酌献する、舞出入する楽曲は、皆『寧』の字を以て名を制すべし」と。遂に学士院に命じてこれを撰ばしむ。皇帝の中濆に入るには『昌甯之曲』を奏し、降神・送神には『乾甯之曲』を奏し、昊天上帝には『洪甯之曲』を奏し、皇地祇には『坤甯之曲』を奏し、配位には『永甯之曲』を奏し、飲福には『福甯之曲』を奏す。升降・望燎・大小次への出入は、皆中濆に入るのと同じくし、その余は儀注及び楽章に載す。また太常に命じて文武二舞の先後すべき所を議せしむ。太常議して言うには、「唐・宋の郊廟の礼を按ずるに、皆先ず文後武なり。本朝も自ら禘祫の礼を行うも亦然り。ただ唐の韋萬石が建議して謂うに、先儒相伝うるに、揖譲を以て天下を得れば則ち先ず文を奏し、征伐を以て天下を得れば則ち先ず武を奏すと。当時はこれに従うも、尋いでまたこれを改む。その『開元禮』の先文後武を以て定めとすべし。方丘は圜丘の儀の如くし、社稷には則ち登歌を用う」と。

宗廟。皇帝の門に入るには、宮縣は無射宮を以てし、殿に昇るには、登歌は夾鐘を以てし、皆『昌甯之曲』を奏す。神を迎え、神を送るには『來甯之曲』を奏し、九成す。天徳二年、晨稞畢りて、小次に還るに、初めて迎神曲を奏す。大定十一年、朝享に、『開元』・『開寶禮』に依りて奏し、版位に至れば、即ち黄鐘宮三・大呂角二・太蔟徵二・応鐘羽二を奏す。曲詞は皆同じ。俎を進むるには『豊甯之曲』を奏す。酌献には、宮縣は無射『大元之曲』を奏す。諸室の曲は、徳帝を『大熙』と曰い、安帝を『大安』と曰い、献祖を『大昭』と曰い、昭祖を『大成』と曰い、景祖を『大昌』と曰い、世祖を『大武』と曰い、粛宗を『大明』と曰い、穆宗を『大章』と曰い、康宗を『大康』と曰い、太祖を『大定』と曰い、太宗を『大惠』と曰い、熙宗を『大同』と曰い、睿宗を『大和』と曰い、昭徳皇后廟を『儀坤』と曰い、世宗を『大鈞』と曰い、顕宗を『大寧』と曰い、章宗を『大隆』と曰い、宣宗を『大慶』と曰う。皇帝の版位に還る及び亜終献には、皆無射宮『肅甯之曲』を奏す。飲福には、登歌は夾鐘宮『福甯之曲』を奏す。豆を徹するには『豊甯之曲』を奏す。皆無射宮を用う。大定十二年制、祫禘時享に有司が事を摂るには、初献の盥洗に、無射宮『肅甯之曲』を奏す。階を昇るには、登歌は夾鐘宮『嘉甯之曲』を奏す。その余は皆親享と同じ。その別廟の昭徳皇后・宣孝太子の用いる所は、並びに儀注・楽章に載す。

旧制、太廟・皇考廟の楽工は各三十九人。大定二十九年、顕宗を升祔するに、有司以て言うには、「宋の太廟・別廟は、堂上の楽各四十八人なり。今の楽工は十八人少なく、皇考廟の旧楽工を皆両廟の堂上楽に充て、前代の九十六人の数に応ぜんことを擬す」と。尚書省議して、「古の楽工に定数無し」と。遂に太廟・別廟を通じて百人を定めとすと奏す。明昌六年、宮縣を創設し、楽工一百五十六人。承安三年、勅して、「廟を祭るに教坊の古楽を奏するは、礼に非ず。今より自ら百姓の材美なる者を召し、食直を給し、教閲して以て用に待たしむべし」と。泰和元年、宮縣の楽工に月に銭粟二貫石を給することを命じ、正楽工に闕有るに遇えば、色を験して収補す。四年、尚書省奏して、「宮縣の楽工は総べて二百五十六人を用うるに、旧の設くる所はただ百人に止まり、時に或用うれば即ち貼部教坊を以て閲習す。明昌の間より、渤海の教坊を以て兼ね習わしめ、而又九十二人を創設す。且つ宮縣の楽は大礼を行いて乃ち始めてこれを用う。若しその数また闕くれば、但だ前期に漢人の教坊及び大興府の楽人を遣わしてこれを習わしめ、亦備用すべし」と。遂に詔して創設する者を罷む。宣宗南遷し、諸帝の主を汴京の太廟に祔す。礼官言うには、「祔享の礼畢りて、車駕宮に還り、承天門外に至れば、百官奉迎し、宮縣『采茨』を奏す」と。楽虡未だ備わらざるを以て、遂にただ教坊楽を用いるに止む。哀宗蔡に遷り、天興二年七月丁巳、太祖・太宗及び后妃の御容、汴京より至り、乾元寺に奉安す。左宣徽使温敦七十五、楽を用うべしと奏す。上曰く、「楽は須らく太常に在るべし、奈何」と。七十五曰く、「市に優楽有り、仮りてこれを用うべし」と。権左右司員外郎王鶚奏して曰く、「世俗の楽、豈に帝王の前に施すべけんや」と。遂に止む。

楽舞の名数。太廟の登歌は、鐘一虡、磬一虡、歌工四、籥二、塤二、篪二、笛二、巣笙二、和笙二、簫二、七星匏一、九耀匏一、閏餘匏一、搏拊二、柷一、敔一、麾一、一弦琴・三弦琴・五弦琴・七弦琴・九弦琴各二、瑟四。別廟の登歌も同じ。親祠の時は金鐘・玉磬を用い、摂祭の時は編鐘・編磬を用いる。宮懸楽三十六虡:編鐘十二虡、編磬十二虡、大鐘・穀鐘・特磬各四虡。建鼓・応鼓・鞞鼓各四、路鼓二、路鞀二、晉鼓一、巣笙・竽笙各十、簫十、籥十、篪十、笛十、塤八、一弦琴三、三弦・五弦・七弦・九弦琴各六、瑟十二、柷一、敔一、麾一。文舞で執る籥・翟は各六十四、武舞で執る硃幹・玉戚は各六十四、引舞で執る旌二、纛二、牙杖二、単鞀二、単鐸二、双鐸二、金鐃二、金錞二、金鉦二、相鼓二、雅鼓二。有司が摂祭する時は、宮懸二十虡:編鐘四、編磬四、辰鐘十二。建鼓四、路鼓四、路鞀二、晉鼓一、巣笙・竽笙・簫・塤・篪・笛各八、一弦琴三、三弦・五弦・七弦・九弦琴各六、瑟八、柷・敔各一、麾一。登歌及び二舞の引舞で執るものは親祠と同じ。

皇帝が冊宝を受ける。前もって、大楽令と協律郎が殿廷に楽懸を設ける。また挙麾の位二つを設け、一つは殿の西階に、一つは楽懸の西北に。また殿上に登歌の楽架を設ける。当日、侍中が奏上する:「外辦。」宮懸楽が奏され、皇帝が出御し、座に就くと楽は止む。宝を奉じて入門すると楽が奏され、褥位に置くと楽は止む。初めに導く時宮懸楽が奏され、位に立ち定まると楽は止む。宝が初めて動くと楽が奏され、御前に置き終わると楽は止む。皇帝が宝を受け終わると楽が奏され、侍中が奏上する:「称賀。」楽は止む。皇太子が殿に昇ると登歌楽が奏され、位に戻ると楽は止む。侍中が奏上する:「礼畢。」宮懸楽が奏され、皇帝が幕次に還ると楽は止む。

御楼で赦を宣する。前もって、大楽署が楼の下に宮懸を設け、また宮懸の左に鼓一つを設ける。当日、金鶏が初めて立てられると、大楽署が鼓を打ち、立て終わると鼓は止む。侍中が奏上する:「外辦。」大楽令が黄鐘の鐘を撞くと、右の五鐘が皆応じ、『昌寧之楽』が奏され、皇帝が出御する。宣読が終わり、百官が舞踏し、礼が終わると、大楽令が蕤賓の鐘を撞き、左の五鐘が皆応じ、『昌寧之楽』が奏され、皇帝が座を降り、楽は止む。凡そ皇帝の出入・昇降及び分班・合班には、皆楽が奏され、座に就き、立ち定まると止む。中宮・皇太子・太孫を冊命し、外国の使節の賀を受けること。外国の使節を宴するには、皆宮懸を用いる。

散楽

元日・聖誕の称賀、外国使節を曲宴する時は、教坊がこれを奏する。その楽器・名曲は伝わらない。皇統二年、宰臣が奏上した:「古来より伶人が朝参に赴く例はなく、教坊の人員は宣喚を待つべきで、百官と共に起居に赴くのは適当でない。」これに従った。章宗明昌二年十一月甲寅、伶人が歴代帝王を戯れとし、及び万歳を称することを禁じ、不応為の事として重法で処断した。泰和の初め、有司がまた奏上し、太常の工人が数少ないので、渤海・漢人の教坊及び大興府の楽人を以て兼ね習わせて備えに供した。

鼓吹楽

馬上の楽である。天子の鼓吹・横吹にはそれぞれ前・後部があり、部はまた各々二節に分かれる。金の初めは遼の旧物を用い、その後は宋の儀礼を交えて用いた。海陵が燕に遷都した時及び大定十一年の鹵簿では、皆鼓吹を四節に分け、その他の行幸ではただ両部を用いるのみであった。

△前部第一:

鼓吹令二人

掆鼓十二、金鉦十二

大鼓百二十、長鳴百二十

鐃鼓一十二、歌二十四

拱辰管二十四、簫二十四

笳二十四、大横吹一百二十

△前部第二:

節鼓二つ、笛二十四本、

簫二十四本、篳篥二十四本、

笳二十四本、桃皮篳篥二十四本、

掆鼓十二面、金鉦十二個、

小鼓百二十面、中鳴百二十個、

羽葆鼓十二面、歌二十四人、

拱辰管十四本、簫二十四本、

△後部第一:

鼓吹丞二人、

掆鼓三面、金鉦三個、

羽葆鼓十二面、歌二十四人、

拱辰管二十四本、簫二十四本、

笳二十四本、節鼓二つ、

鐃鼓十二面、歌十六人、

簫二十四本、笳二十四本

小横吹百二十

△後部第二:

笛二十四、簫二十四

篳篥二十四、笳二十四

桃皮篳篥二十四

本朝楽曲

世宗大定九年十一月庚申、皇太子の誕生日に、上(皇帝)は東宮で宴を開き、新声を奏することを命じ、大臣に謂って曰く、「朕この曲を作り、名づけて『君臣楽』とす。今天下事無く、卿等とこれを共にする、また楽しからずや」と。辞律は伝わらず。十三年四月乙亥、上は睿思殿に御し、歌者に女直詞を歌わしめ、皇太子を顧みて曰く、「朕は先朝の行いし事を思い、暫しも忘れたことなし。故に時にこの詞を聴き、また汝輩に女直の醇質なる風を知らしめんと欲するなり。文字・言語に至りて或いは通暁せざるは、これ本を忘るるなり」と。二十五年四月、上京に幸し、皇武殿にて宗室を宴し、酒を飲みて楽しむ。上これに諭して曰く、「今日は甚だ酔いを成さんことを欲す。この楽しみは得易からざるなり。昔、漢高祖こうそは故郷に過ぎ、父老と歓飲し、築を撃ちて歌い、諸児にこれを和せしむ。彼は布衣より起り、尚おかくの如し。況んや我が祖宗は世々にこの土を有し、今天下一統す。朕ここに巡幸する、何ぞ楽しみて飲まざらんや」と。時に宗室の婦女は舞を起こし、酒を進め畢り、群臣故老は舞を起こす。上曰く、「吾が故郷に来ること数月、今、回期近し。未だ一人も本曲を歌う者あらず。汝曹、前に来れ、吾、汝らのために歌わん」と。乃ち宗室の子、殿下に叙坐する者を皆上殿せしめ、面を向けて上の歌を聴かしむ。曲は祖宗の創業艱難及び継述する所以の意を道う。上既に自ら歌い、慨想祖宗の音容睹るが如きの語に至り、悲感して復た声を成す能わず。歌畢り、泣下すること数行。右丞相元忠及び群臣宗戚は觴を捧げて寿を上し、皆万歳を称す。ここにおいて諸老人は更に本曲を歌い、私家の相会するが如く、暢然として歓洽す。上は復た歌曲を調べ続け、坐を留めること一更、極めて歓びて罷む。その辞に曰く、

郊祀楽歌

皇帝中濆に入る、宮県黄鐘宮『昌寧之曲』:凡そ歩武同じ。

袞服穆穆として、中濆に臨む。圜壇を瞻言し、皇皇后帝。禋祀肇めて称し、磬香は維れ徳。爰に百神におよび、昭かに職を受く。

降神、宮県『乾寧之曲』、『仁豊道洽之舞』。圜鐘を宮と為し、黄鐘を角と為し、太蔟を徴と為し、姑洗を羽と為す。圜鐘三奏し、黄鐘・太蔟・姑洗は皆一奏す。詞は並びに同じ:

我が金の興る、皇天錫羨す。惟れ神の休、爰に茲に郊見す。玉有りてその礼、牲有りてその薦。将に厥の明を受けんとし、来たり寧ぎ来たり燕す。

皇帝盥洗、宮県黄鐘宮『昌寧之曲』:

天に因りて天に事え、宗をあつくして礼をる。爰に攸司をととのえ、時に奉じて罍洗す。彼をみて茲に注ぎ、乃ち壇陛に升る。事に先だちてつつしみ、神はねぎら豈弟かんていなり。

皇帝が壇に登り、登歌は大呂宮の『昌甯之曲』:

国都の南に在り、その趾は崇崇たり。烝なるかな皇王、時に維りて蒞止す。至誠神に通じ、能く禋ぎ能く祀る。万斯年に於て、昊天其れ子とす。

昊天上帝に、玉幣を奠め、登歌は大呂宮の『洪甯之曲』:

穆穆たる君王、厳有り翼有り。佩環鏘然たり、圜壇是に陟る。嘉徳升聞し、馨は黍稷に非ず。高明降監し、百神職を受く。

皇地祇に、『坤甯之曲』:

明祇を肅敬し、躬行して奠贄す。其の贄は何を維えん?黄琮と幣を制す。群霊に従祀し、咸く厥の位を秩す。惟れ皇能く饗す、允に熙事を集む。

配位の太祖皇帝に、『永甯之曲』:

明禋を肇挙し、皇天后土。皇祖武元、爰に神主と作る。功は耆定に昭らかに、歌は大呂を以てす。我が思成を綏し、秩有る斯の祜。

穆穆皇皇たり、天子躬祀す。群臣之に相い、敬せざるは罔し。俎豆畢陳し、物其れ嘉し。馨香始めて升り、明神燕喜す。

昊天上帝に、酌献し、登歌は大呂宮の『嘉甯之曲』:

郊禋敬を展べ、上霊に昭事す。太尊席に在り、醑有る斯の馨。酌みて之を献ぐと言え、霊其れ醉止まん。福禄来たり宜しく、以て明祀に答う。

皇地祇に、『泰甯之曲』:

袞服穆穆たり、彼の泰折に臨む。昭らかなる神宮に於て、幣を埋め血を瘞む。爰に匏爵を称え、斟みて潔を薦むと言え。方輿常に安く、我が帝業を扶く。

配位の太祖皇帝に、『燕甯之曲』:

ああ偉大なる高后よ、大いなる基を開き導きたまえり。功は天と合し、天に配して推し奉る。時に清き旨を薦め、その儀は甚だ粛なり。来たりて安んじ来たりて楽しみ、福禄これに安んず。

文舞退き、武舞進む、宮懸黄鐘宮『咸寧の曲』:

郊丘に祀りを奉じ、『雲門』の舞を変ず。進みて朱幹を秉り、翟羽を揮うを停む。ああ昭かなる睿文、また聖武に肖る。疆なきは維れ烈、天子祜を受く。

亞献・終献、宮懸黄鐘宮『咸寧の曲』、『功成治定の舞』:

南郊に地を掃き、天神を以て俟つ。ああ皇なる君王、よく禋しよく祀る。神明に交わり、玄酒陶器。誠心靖かに純なり、食味の貴きに非ず。

皇帝福酒を飲む、登歌大呂宮『福寧の曲』:

天を承くる所以は、質に過ぐるはなし。天その之を祐し、惟れ精にして惟れ一なり。泰尊爰に挹ぎ、馨香徳を薦む。我に恵み無疆、子孫千億。

豆を徹す、登歌大呂宮『豊寧の曲』:

大礼爰に陳べ、豆と為すこと孔だ碩なり。肅肅たる其の容、百辟に於いて顕る。皇霊降り監み、馨しきは徳に在り。明禋斯に成り、孚休罔極。

神を送る、宮懸圜鐘宮『乾寧の曲』:

赫赫たる上帝、臨みて禋祀を監す。居然として来たり歆し、昭かに祖配に答う。圜壇四成、神其の位に安んず。升歌し送りを賛し、天人悦喜す。

方丘楽歌

神を迎える、『鎮寧の曲』。大鐘宮再奏、太蔟角再奏、姑洗徴再奏、南呂羽再奏、詞同じ:

至れるかな坤儀、万匯生を資く。物に称して平らかに施し、謙に流れて盈ちを変ず。礼は泰折を修め、祭は精誠を極む。皇皇たる霊眷、永く寰瀛を奠む。

初献盥洗、太蔟宮『肅寧の曲』:

礼には五経あり、祭礼に先んずるはなし。時に応じて虔敬を伸べ、時に従って盥洗す。品物は吉蠲きっけんにして、威儀は済済たり。純嘏じゅんかを賜い、来たりて愷悌がいていを楽しむ。

初献、壇に升る。応鐘宮『肅甯之曲』。

無疆の徳、至れるかな坤元こんげん沈潜剛克ちんせんごうこく、資生実にしげし。方丘の儀、惟れ敬にして文なし。神その来りおもえ、時に薦殷しんいんを楽しむ。

初献、玉幣をささぐ。太蔟宮『億甯之曲』。

礼は方沢ほうたくに行われ、文物備わり挙がる。惟れ皇地祇こうちぎあきらかにして来たり下る。玉帛を奠瘞てんえいし、純誠内にあらわる。神保しんぽ是れけ、陟降ちょっこうなり。

司徒、を捧ぐ。太蔟宮『豐甯之曲』。

四階の儀はちつたり、壇は方沢にいてす。皇祇こうぎ昭事しょうじし、即ち陰を以てしょとす。ほう潔肆けっしし、ひじく且つおおいり。神その之をさいわいせよ、の如くのりの如く。

正位に酌献しゃくけんす。太蔟宮『溥甯之曲』。

蕩蕩たる坤徳こんとく、物載らざるはなし。柔順にして利貞りてい含洪がんこうにして光大なり。籩豆へんとう既につらなり、金石斯れ在り。四海永くやすらかに、福禄攸ここたすく。

配位に酌献す(太宗を配す)。太蔟宮『保甯之曲』。

詞、く。

亞献・終献、壇に升る。太蔟宮『咸甯之曲』。

豆をてっす。応鐘宮『豐甯之曲』。

方丘を修理おさめととのえ、吉蠲是れよろし。籩豆静嘉せいかにして、有司に登る。芬芬ふんぷんたる馨香けいこう、来たりて享け来たりてす。郊儀将に終わらんとし、声歌之を徹す。

送神の儀、林鐘宮《鎮寧の曲》

地に因りて丘をかたどり、濟濟として儀多し。楽成りて八変、霊祇れいぎいたる。せんを徹しとうを撤し、神のたまもの昭に垂る。億万斯年おくまんしねん、永く丕基ひきたすけん。