金史

志第十二:礼四(奏告儀、皇帝恭謝儀、皇后恭謝儀、皇太子恭謝儀、薦新、功臣配享、宝玉、雑儀)

奏告儀

皇帝の即位、元服、尊号受領、皇后納入、冊命、巡狩、征伐、封祀、諡号請願、廟寝の営修など、凡そ国に大事ある時は皆告げる。或いは一室のみ、或いは遍く告げ及び原廟に告げ、並びに一献の礼を用い、祝幣を用いる。皇統以後、凡そ皇帝の尊号受領、皇后・太子の冊立、禘祫、升祔、奉安、奉遷等の事は皆告げ、郊祀の時は配帝の室に告げる。大定十四年三月十七日、詔して御名を改め、左丞相良弼を命じて天地に告げさせ、平章守道をして太廟に告げさせ、左丞石琚をして昭徳皇后廟に告げさせ、礼部尚書張景仁をして社稷に告げさせ、及び官を遣わして五嶽に祭告させた。前二日、太廟令は廟内外を掃除し、告官以下の次所を設ける。前一日、行事官は祀所に赴き清斎する。告日の前三刻、礼直官は太廟令を導きその属を率い、殿に入り室戸を開き、掃除して筵を敷き、北墉下に几を設け、時享の儀の如くにする。礼直官は祀祭官を率い幣篚を室戸の左に陳べ、祝版を室戸の右の案上に陳べる。及び香案祭器を設け、皆席を以て敷き、各位ごとに左に籩一つ鹿脯を実し、右に豆一つ鹿臡を実す。犧尊一つ、坫に置き、勺・冪を加え、殿上の室戸の左に在り、北向き、酒を実し、各位ごとに一瓶。神位の前に燭を設ける。又、盥爵洗位を横街の南やや東に設ける。告官の褥位を殿下の東階の南に設け、西向き、余官はその後やや南に在る。又、望燎位を西神門外の北に設ける。告日の未明、礼直官は太廟令・太祝・宮闈令を導き入れ、階間の当たりに北面し西上に立たせる。奉礼が賛して「再拝」とし、終わりて西階より昇り、太祝・宮闈令は各々室に入り、神主を出して座に設け、常儀の如くにする。次に告官を導き入れ、位に就かせる。礼直官が稍々前に進み、賛して「有司謹みて具え、請う行事せん」とし、又賛して「再拝」とする。在位者は拝し、終わりて、礼直官は告官を盥洗位に導き、手を盥い、終わりて神位の前に詣で、笏を搢ぎ、跪き、三たび香を上ぐ。執事者は幣を奉礼郎に授け、西向きに告官に授ける。告官は幣を受け、奠し終わり、笏を執り、俯伏し、興り、退いて戸外の位に就き、再拝する。次位に詣で礼を行い上儀の如くにし、終わりて降りて位に復す。少頃、告官を再び爵洗位に導き、読祝・挙祝官は後に従う。位に至り、北向きに立ち、笏を搢ぎ、爵を洗い拭い、終わりて執事者に授ける。笏を執り昇り、酒尊所に詣で、西向きに立ち、爵を執り、執尊者は冪を挙げて酒を酌み、告官はこれを執事者に授ける。神位の前に詣で、北向き、笏を搢ぎ、跪き、爵を執り三たび酒を祭り、笏を執り、俯伏し、興り、退いて戸外の位に就き、北向きに立ちて待ち、祝文を読み終わり、再拝する。次位に詣で礼を行い上儀の如くにする。終わりて、読祝官と皆位に復す。礼直官が賛して曰く「再拝」とし、在位者は皆再拝する。次に告官以下を望燎位に導き、執事者は幣帛祝版を取って燎に置き、礼直官が曰く「燎すべし」とし、半ば焚けば、礼直官が賛して「礼畢」とし、告官以下は退く。署令は廟門を閉じ、祝を坎に瘞す。貞元四年正月、上尊号。前三日、使を遣わして天地に奏告し、常武殿の拜天臺に褥位を設け、昊天上帝は中に居し、皇地祇は西にやや退いて居し、一献の礼を行う。

大定七年正月十三日、上尊号。前三日、皇子判大興尹許王を命じて天地に告げさせ、判宗正英王文をして太廟に告げさせる。自來の拜天処に昊天上帝の位を設け、当たり南向き、皇地祇の位は次に西やや退き、並びに坐褥位牌及び香酒脯臡等を用いる。祝版三つ、学士院が告祝文を撰し、書き終わり、進めて御署を請い、終わりて礼部に付し、文を移して宣徽院に知らせ、並びに控鶴官を差し案を用いて舁がせ、黄羅帕を以て覆い、差された告官に随って祀所に詣でる。前一日、告官等は局所に就き一日致斎する。告日の質明、宣徽院・太常寺は供具を儀の如くに鋪設する。閣門舍人一員・太常博士一員が告官を導き各々その服を着け、次第に位に就かせる。礼直官・舍人が稍々前に進み、賛して「有司謹みて具え、請う行事せん」とし、賛者が曰く「拝」とすれば、在位者は皆再拝する。礼直官は先ず執事官を各々位に就かせる。舍人博士は次に告官を盥洗・爵洗位に導き、北向きに立ち、笏を搢ぎ、手を盥い、手を拭い、爵を洗い、爵を拭う。笏を執り、酒尊所に詣で、笏を搢ぎ、爵を執り、司尊は冪を挙げて酒を酌み、告官は爵を奉爵酒官に授け、笏を執り昊天上帝・皇地祇の神位の前に詣で再拝し、各位ごとに三たび香を上げ、跪きて酒を奠し、終わりて爵を奉爵官に授け、笏を執り、俯伏し、興る。挙祝官は跪きて挙げ、読み終わり、俯伏し、興る。告官は再拝する。告げ畢る。告官以下を導き降りて位に復し、再拝し、終わりて望燎位に詣で、祝版を燔し、再拝する。半ば焚けば、告官以下は皆退く。

皇帝恭謝儀

大定七年正月、世宗が尊号を受け、礼畢えて恭謝する。前三日、太廟令はその属を帥い、廟庭の内外を灑掃し及び陳設する。尚舍は廟南門の西に饌幔十一室を設ける。殿中監は尚舍を帥い大次殿を視させ、又皇帝の版位を始祖神位の前北向きに設け、又飲福位を版位の西南やや退いて設け、又随室の奠拜褥位を神座の前に設ける。大楽令は登歌を殿上に設け、宮縣を殿下に設ける。又、皇太子の位を阼階の東南に設け、又親王の位をその南やや東に設け、宗室王使相の位をその後ろに設ける。又、太尉・司徒しと以下の行事官の位を殿西階の西に設け、東向き、毎等異位。又、文武群官の位を横階の南に設け、東・西向き。又、御洗位を阼階の東に設け、又太尉洗位を西階下横階の南に設ける。又、齋郎の位を東班群官の後に設け、又盥洗等官・並びに奉礼・賛者・大司楽・協律郎・大楽令等の位を設け、各々祫享の儀の如くにする。又、尊彝祭器等を殿の上下に設け、時享の儀の如くにする。前一日、礼官御史はその属を帥い、牲を省し、濯滌を視し、常儀の如くにする。

その日、夜明けに、礼官・御史が太廟官・太祝官・宮闈令を率いて神主を出し、時享の儀式の如くす。有司は黄麾仗二千人を応天門外に列べる。尚輦は金輅を応天門内に進める。午後三刻、宣徽院が奏請して皇帝を齋宿殿に赴かしめ、文武群官は並びに所司に齋宿す。翌日、夜明けに、諸衛が各々その部を勒して屯門に列仗するを俟つ。導駕官は左右に分かれて侍立し殿階の下に、並びに朝服す。通事舍人が侍中を引いて齋殿に詣らしめ、俯伏し、跪いて称す:「臣某言す、中厳を請う。」俯伏し、興る。凡そ侍中の奏請は、此に准ず。皇帝は通天冠・絳紗袍を服す。少頃、侍中が奏す:「外辦す。」皇帝は齋殿を出づ。即ち御座に就き、群官の起居畢りて、侍中が奏す:「輦に升るを請う。」皇帝は輦に升りて出づ、侍衛警蹕は常の儀の如し。導駕官が前導し、応天門に至り、侍中が奏す:「輦を降り輅に升るを請う。」皇帝は輅に升り、門下侍郎が俯伏し、跪いて奏す:「車駕の進発を請う。」俯伏し、興る。凡そ門下侍郎の奏請は、此に准ず。車駕動き、警蹕は常の儀の如し。応天門外に至り、門下侍郎が奏す:「車駕を少しく駐め、侍臣の上馬を勅せんことを請う。」侍中が前に進みて旨を承け、退きて称して曰く:「制すべし。」門下侍郎退き、制を伝えて称す:「侍臣上馬せよ。」通事舍人が承伝す:「侍臣の上馬を勅す。」導駕官は左右に分かれて前導し、門下侍郎が奏す:「車駕の進発を請う。」車駕動き、「警蹕」と称す。鼓吹を鳴らさず。典賛儀が皇太子を引いて常服にて馬に乗り廟中の幕次に至り、遠遊冠・硃明衣に更め、圭を執る。通事舍人が文武群官を引いて並びに朝服にて廟門外に班を列ねて迎える。車駕が廟門に至り、侍中が輅の前にて奏す:「輅を降るを請う。」導駕官は歩みて廟門に入り稍東に、侍中が奏す:「輦に升るを請う。」皇帝は輦に升り、傘扇侍衛は常の儀の如し。大次に至り、侍中が奏す:「輦を降り、大次に入り就くを請う。」皇帝は大次に入る。

通事舍人が分かれて文武群官を南神の東西偏門より引いて廟庭に入り、東西相向いて立たしむ。礼直官が太尉以下の行事官を引いて横街の北に向かわしめ、再拝し、畢りて、礼直官が太尉を引いて盥洗の位に詣らしめ、笏を搢げ、手を盥い、手を拭い、笏を執り、爵洗の位に詣らしめ、北に向かって立ち、笏を搢げ、瓚を洗い、瓚を拭い、瓚を執事者に授け、笏を執り、西階より殿に升り、始祖の尊彝の所に詣り、西に向かって立つ。執事者が瓚を奉じて太尉に進む、太尉は笏を搢げ、瓚を執りて鬯を酌み、神位の前に詣り、鬯を以て地に稞し、畢りて、虚の瓚を執事者に授け、笏を執り、俯伏し、興り、戸外に出て北に向かい、再拝し、畢る。次いで随室に詣るも並びに上儀の如し。礼畢りて、西階より降り、位に復す。礼直官が司徒を引いて出で饌所に詣らしめ、薦俎齋郎を引いて俎を奉ぜしめ、並びに薦籩豆簠簋官を引いて籩豆簠簋を奉ぜしめ、及び太官令を以て、序を以て正門より入らしめ、宮県の楽作る、大階に至り、楽止む。諸太祝が階上に迎え、各々神座の前に設く。先ず牛を薦め、次いで羊を薦め、次いで豕を薦め、畢りて、礼直官が司徒以下を引いて階を降り位に復す。典賛儀が皇太子を引き、通事舍人が親王を引き、南神東偏門より入り、褥位に詣らしむ。礼直官が中書侍郎・挙冊官等を引いて西階より升り、始祖室の前に詣り、東西に立たしむ。通事舍人が侍中を引いて大次の前に詣らしめ、奏す:「中厳を請う。」皇帝は袞冕を服す。少頃、侍中が奏す:「外辦す。」侍中は廟庭の本位に立ち、皇帝将に大次を出づ、礼儀使と太常卿が賛導す。凡そ礼儀使と太常卿の賛導は、並びに博士が前引し、俯伏し、跪いて称す:「臣某、皇帝の行禮を賛導す。」俯伏し、興る。前導して東神門に至り、傘扇を撤き、近侍者従い入る。殿中監が跪いて鎮圭を進め、礼儀使が奏す:「圭を執るを請う。」皇帝は圭を執り、宮県の楽作る。奏す:「罍洗の位に詣るを請う。」位に至り、楽止む。内侍が跪いて匜を取り、興り、水を沃ぐ。又た内侍が跪いて槃を取り、水を承く。時に寒ければ、予め温水を備う。礼儀使が奏す:「鎮圭を搢ぐるを請う。」皇帝は鎮圭を搢げ、手を盥う。内侍が跪いて篚より巾を取り、興り、進み、皇帝は手を拭い、畢りて、奉爵官が爵を跪いて進む、皇帝は爵を受け、内侍が匜を捧げて水を沃ぎ、又た内侍が跪いて槃を捧げて水を承け、皇帝は爵を洗い、畢りて、内侍が跪いて巾を奉じて進み、皇帝は爵を拭い、畢りて、内侍は槃匜を奠め、又た巾を篚に奠む。奉爵官が爵を受く。礼儀使が奏す:「鎮圭を執るを請う。」前導して皇帝を殿に升らしめ、左右の侍従は人数を量りて升り、宮県の楽作る。皇帝が阼階の下に至り、楽止む。皇帝は阼階より升り、登歌の楽作る。礼儀使が前導し、皇帝が版位に至り、楽止む。奏す:「再拝を請う。」奉礼郎が賛す:「皇太子已下、在位の群官皆再拝す。」賛者が承伝し、皆再拝す。礼儀使が前導し、皇帝を始祖の尊彝の所に詣らしめ、楽作る、尊所に至り、楽止む。奉爵官が爵を以て尊に蒞り、尊者が冪を挙げ、侍中が跪いて犠尊の泛齊を酌み、畢りて、礼儀使が皇帝を導いて版位に至らしめ、再拝し、畢りて、礼儀使が奏す:「始祖神位前の褥位に詣るを請う。」登歌の楽作る。礼儀使が奏す:「圭を搢ぐるを請う。」跪き、奉爵官が爵を奉爵酒官に授けて以て進む。礼儀使が奏す:「爵を執るを請う。」皇帝は爵を執り、二たび酒を奠め、畢りて、虚の爵を奉爵酒官に授く。礼儀使が奏す:「圭を執るを請う。」俯伏し、興り、楽止む。奉爵酒官が爵を奉爵官に授く。礼儀使が奏す:「随室に詣るを請う。」並びに上儀の如し。礼直官が先に司徒を引いて西階より升り、飲福の位の側に立ち、酌献将に畢らんとするに、胙を奉じ、福酒を酌む。太祝が司徒に従いてその側に立ち、酌献畢りて、侍

中も亦た其の側に立つ。礼儀使奏す、「皇帝に版位に詣らしめ請う。」北向して立ち、登歌の楽作り、位に至りて楽止む。中書侍郎跪きて冊を読み、訖り、挙冊官奠め、訖り、礼儀使奏す、「皇帝に再拝せしめ請う。」拝し訖り、礼儀使奏す、「飲福位に詣らしめ請う。」登歌の楽作る。位に至り、太祝爵に福酒を酌み、時寒に備え予め酒を温め、以て侍中に奉じ、侍中爵を受けて奉じ以て立ち、礼儀使奏す、「圭を搢かしめ請う。」跪き、侍中爵を以て北向き跪きて進む、礼儀使奏す、「爵を執らしめ請う。」三たび酒を祭る。礼儀使奏す、「福を飲ましめ請う。」福を飲み訖り、虚爵を侍中に授く。礼儀使奏す、「胙を受けしめ請う。」司徒跪きて黍稷飯籩を以て進み、皇帝受け以て左右に授く。司徒又た跪きて胙肉を以て進み、皇帝受け以て左右に授く。礼儀使奏す、「圭を執らしめ請う。」興き、再拝し訖り、楽止む。礼儀使前導し、皇帝還りて版位に至り、登歌の楽作り、位に至りて楽止む。太祝各々進み籩豆を徹し、登歌の楽作る。徹し卒り、楽止む。奉礼曰く、「胙を賜う。」贊す、「皇太子已下在位の群官皆再拝せよ。」贊者伝を承け、皆再拝し、宮縣作り、一成して止む。礼儀使奏す、「皇帝に再拝せしめ請う。」奉礼郎贊す、「皇太子已下在位の官皆再拝せよ。」拝し訖り、礼儀使奏す、「礼畢す。」前導し皇帝阼階を降り、登歌の楽作り、階下に至りて楽止む。宮縣作り、前導し皇帝東神門を出で、楽止む。傘扇侍衛常の儀の如し。礼儀使奏す、「圭を釈かしめ請う。」殿中監跪きて鎮圭を受く。大次に至り、仗衛を還途に転じ、来たる儀の如し。礼宮御史其の属を帥い、神主を納れ、冊を蔵す儀の如し。少頃、通事舍人侍中を引いて奏す、「中厳せしめ請う。」皇帝通天冠・絳紗袍を服す。少頃、侍中奏す、「外辦す。」尚輦の輦を進むるを俟ち、侍中奏す、「座を降り輦に升らしめ請う。」皇帝輦に升り、傘扇侍衛常の儀の如し。南神門稍東に至り、侍中奏す、「輦を降り歩みて廟門を出でしめ請う。」皇帝歩みて廟門を出で、輅に至り、侍中奏す、「輅に升らしめ請う。」皇帝輅に升る。門下侍郎奏す、「車駕少しく駐まり、侍臣の上馬を勅せしめ請う。」侍中前に旨を承け、退きて称して曰く、「制可なり。」門下侍郎退き、制を伝えて称す、「侍臣上馬せよ。」通事舍人伝を承け、「侍臣の上馬を勅す。」車駕還りて内に入り、鼓吹振作し、応天門外に至り、百官班を列ねて起居を迎え、宮縣《采茨の曲》を奏す。応天門内に入り、侍中奏す、「輅を降り輦に乗らしめ請う。」皇帝輅を降り輦に乗じて以て入り、傘扇侍衛警蹕常の儀の如し。皇帝宮に入り、致斎殿に至り、侍中奏す、「厳を解かしめ請う。」通事舍人旨を承け、「群臣各々次に還り、将士各々本所に還らしむるを勅す。」

皇后恭謝の儀

皇后冊を受くるを既にし、前一日、別殿に於いて斎戒す。内命婦廟に入るに応じて従う者は俱に一日斎戒す。其の日未明二刻、有司儀仗を後車の左右に陳設し、以て次第に排列す。外命婦先ず自ら太廟後門に入り、内命婦妃嬪已下俱に殿庭に詣り、起居し訖り、宜徽使版奏す、「中厳す。」少頃、又た奏す、「外辦す。」首飾禕衣、肩輿に禦し、便路を取りて車の所に至る。内侍奏す、「輿を降り車に升らしめ請う。」車に升るを既にし、奏す、「発進せしめ請う。」車元徳東偏門を出で、内命婦妃嬪已下自ら殿門外車に上り、左掖門より出で、従いて太廟門外に至り、儀仗門外に止まり、車を回して南向す。内侍奏す、「車を降り輿に升らしめ請う。」後車を降り輿に升り、就きて東神門外幄次に、簾を下す。内命婦妃嬪已下車を降り、入りて陪列の位に就く。内侍外命婦を引いて幄次前に詣らしめ、起居し訖り、並びに殿庭陪列の位に赴く。少頃、宣徽使幄次に詣り、贊す、「朝謁の礼を行え。」簾巻かれ、宜徽使前導し、殿庭階下西向の褥位に詣りて立つ。宣徽使贊す、「再拝せよ。」内外命婦皆再拝す。宣徽使前導し、東階を升り、始祖皇帝神位香案前の褥位に詣り、宣徽使奏す、「三たび香を上らしめ請う。」又た奏す、「再拝せよ。」拝し訖り。宣徽使前導し、次に献祖已下十室に詣り、並びに上儀の如し。宣徽使奏す、「礼畢す。」導きて幄次に帰る。宣徽使奏す、「身体を解かしめ請う。厳す。」内外命婦幕次に還る。少頃、仗を転じて還り内に入る来たる儀の如し、外命婦退く。内侍奏す、「輿に禦せしめ請う。」出でて車の所に至り、奏す、「車に升らしめ請う。」車に升るを既にし、奏す、「発進せしめ請う。」内命婦車に上る。元徳東偏門に至り、内侍奏す、「車を降り輿に升らしめ請う。」後輿に禦し、便路を取りて還り内に入り、内命婦従いて入る。冊礼畢り、百官表を上りて賀し称え、並びに箋を以て中宮を賀す。

皇太子恭謝の儀

其の日質明、東宮応従の官各々朝服を服し、所司鹵簿金輅を左掖門外に陳す。皇太子遠遊冠・硃明衣を服し、輿を升りて出で、金輅の所に至り、輿を降り輅に升る。左庶子已下夾侍す。三帥・三少馬に乗り導従し、余官亦た皆馬に乗りて従う。東行し、太廟西階より転じて廟に至り、鐃吹を鳴らさず。廟西偏門外に至り輅を降り歩み進み、東偏門より入り幄次し、袞冕に改服す。次を出で、圭を執りて南神東偏門より入り、宮官並びに太常寺官皆従う。皇太子入りて殿庭東階の東に詣り、西向して立ち、典儀贊す、「再拝せよ。」訖り、西階より升り、始祖神位前に詣りて北向し、再拝し、訖り、以て次第に逐室に詣りて礼を行い、並びに上儀の如し。訖り、西階より降り、復た西向の位に俟ち、典儀称す、「礼畢す。」東神北偏門を出で、別廟を謁する上儀の如し。訖り、幄次に帰り、遠遊冠・硃明衣に改服す。次を出で、歩みて廟門外に至り輅に升り、廟門を過ぎて鐃を鳴らして行く。左掖門外に至り輅を降り、輿を升りて以て入る。将士各々本所に還る。後一日東宮に於いて群官の賀を受け、元正賀を受くるの儀の如し。

薦新

天徳二年、有司に命じて薦新の礼を議せしめ、典礼に依り用うるに応じたる時物に、太常卿を行礼せしむ。正月、鮪、明昌の間は牛魚を用い、無ければ鯉を代えす。二月、雁。三月、韭、卵を以てし、葑を以てす。四月、氷を薦む。五月、荀・蒲、含桃を以て羞す。六月、彘肉・小麥仁。七月、雛雞を嘗むるに黍を以てし、瓜を以て羞す。八月、芡を以て羞し、菱を以てし、栗を以てす。

九月、粟と稷を嘗むるに、棗を以て羞し、梨を以てす。十月、麻と稻を嘗むるに、兔を以て羞す。十一月、麕を以て羞す。十二月、魚を以て羞す。之に従う。大定三年、有司言す、「毎歳太廟五享、若し復た新を薦めば、繁数に渉るに似たり。擬ふるに時享の月に遇うに、薦むる所の物を籩豆に附して之を薦め、以て古者の'祭は数を欲せず'の義に合わしむ。」制可す。牛魚の状鮪に似、鮪の類なり。

功臣配享

明昌五年閏十月丙寅、儀同三司代國公歡都、銀青光祿大夫冶訶、特進劾者、開府儀同三司盆納、儀同三司拔達を以て、世祖廟庭に配享す。天德二年二月、太廟祫享に、有司配享功臣を擬上し、詔して撒改、辭不失、斜也杲、斡魯、阿思魁を以て東向し、太祖位に配す。粘哥宗翰、翰裏不宗望、闍母、婁室、銀朮可を以て西向し、太宗位に配す。大定三年十月、祫享に、また斜也、斡魯、撒改、習不失、阿思魁を以て太祖に配享し、宗望、闍母、宗翰、婁室、銀朮哥を以て太宗に配享す。その後、次序屡に更易有り。八年、上命じて功臣を太祖廟に図画せしむ。有司祖宗の佐命の臣を第し、勳績の大小、官資の崇卑を以て次第に上聞す。乃ち左廡を定む:開府金源郡王撒改、皇伯太師右副元帥宋王宗望、開府金源郡王斡魯、皇伯太師粱王宗弼、開府金源郡王婁室、皇叔祖元帥左都監魯王闍母、開府隋國公阿離合懣、儀同三司袞國公劉彥宗、右丞相齊國簡懿公韓企先、特進宗人習失;右廡:太師秦王宗翰、皇叔祖遼王杲、開府金源郡王習不失、開府金源郡王完顏希尹、太傅楚王宗雄、開府前燕京留守金源郡王完顏銀朮哥、開府金源郡王完顏忠、金源郡王完顏撒離喝、特進宗人斡魯古、右丞相金源郡王紇石烈志寧。十六年、左廡に粱王宗弼を斡魯の上に遷す。十八年、習失を黜き、蒲家奴を阿離合懣の下に次ぐ。二十二年、皇伯太師遼王、斜也、撒改、宗幹、宗翰、宗望を増し、其の下以て次第に列す。

明昌四年に至り、次序始めて定まる。東廊:皇叔祖遼智烈王斜也杲、皇伯太師遼忠烈王宗幹斡本、皇伯太師右副元帥宋桓肅王訛魯補宗望、開府儀同三司金源郡毅武王習不失、開府儀同三司金源郡貞憲王顏谷神希尹、太傅楚威敏王謀良虎宗雄、開府儀同三司燕京留守金源郡襄武王完顏銀朮可、開府儀同三司金源郡明毅王完顏忠阿思魁、金源郡莊襄王杲撒離喝、特進宗人斡裏古莊翼、特進完顏習失威敬、太師尚書令しょうしょれい淄忠烈王徒單克甯、太師尚書令南陽郡文康王張浩。西廊:開府儀同三司金源郡忠毅王撒改、太師秦桓忠王粘罕宗翰、皇伯太師粱忠烈王斡出宗弼、開府儀同三司金源郡剛烈王斡魯、開府儀同三司金源郡莊義王完顏婁室、皇叔祖元師左都監魯莊明王闍母、開府儀同三司隋國剛憲公阿離合懣、開府儀同三司國襄毅公蒲家奴昱、開府儀同三司袞國英敏公劉彥宗、右丞相齊國簡懿公韓企先、太保尚書令廣平郡襄簡王李石、開府儀同三司右丞相金源郡武定王紇石烈志寧、開府儀同三司左丞相沂國公僕散忠義、儀同三司左丞相崇國公紇石烈良弼、右丞相莘國公石琚、右丞相申國公唐括安禮、開府儀同三司平章政事徒單合喜、參知政事宗敘。一つの朝ごとに一列と為し、令と為す。

寶玉

凡そ天子の大祀には、則ち八寶及び勝國寶を庭に陳べ、以て守るを示す。金、遼・宋を克ちて得たる寶玉、及び本朝の製する所、今並びに載す。遼に獲たる者は、玉寶四、金寶二。玉寶:「通天萬歲之璽」一、「受天明命惟德乃昌」の寶一、皆方三寸、「嗣聖」寶一、御封印文辨ぜざる寶一。金寶:「御前之寶」一、「書詔之寶」一、二寶金初めに之を用う。宋に獲たる者は、玉寶十五、金寶七、印一、金塗銀寶五。玉寶:受命寶一、咸陽の得たる所、三寸六分、文は「受命於天、既壽永昌」と曰い、相伝えて秦璽と為す、白玉蓋、螭紐。傳國寶一、螭紐。鎮國寶一、二面並びに碧色、文は「承天休、延萬億、永無極」と曰う。又た受命寶一、文は「受命於天、既壽永昌」と曰う。「天子之寶」一。「天子信寶」一。「天子行寶」一。「皇帝之寶」一。「皇帝信寶」一。「皇帝行寶」一。「皇帝恭膺天命之寶」二。皆四寸八分、螭紐。「御書之寶」二、一は龍紐、一は螭紐。「宣和御筆之寶」一、螭紐。金寶並びに印:「天下同文之寶」一、龍紐。「御前之寶」二。「御書之寶」一。「宣和殿寶」一。「皇后之寶」一。「皇太子寶」一、龜紐。「皇太子妃」印一、龜紐。金塗銀寶:「皇帝欽崇國祀之寶」一、「天下合同之寶」一、「御前之寶」一、「御前錫賜之寶」一、「書詔之寶」一。外に宋の内府圖書印三十八有り。「内府圖書之印」一、「御書」三、「御筆」一、「御畫」一、「御書玉寶」一、「天子萬年」一、「天子萬壽」一、「龜龍上珍」一、「河洛元瑞」二、「雲漢之章」一、「奎璧之文」一、「華國之瑞」一、「大觀中秘」一、「大觀寶篆」一、「政和」一、「宜和」三、「宜和御覺」一、「宣和中秘」一、「宣和殿制」一、「宣和大寶」一、「宣和書寶」二、「宣和畫寶」一、「常樂未央」一、古文二、「封」四、合わせて三十五面、並びに玉。「封」字一、「御畫」一、二面並びに馬瑙。「政和御筆」一、水晶に係る。玄圭一、白玉圭十九。

本朝の制定したもの。国初には遼の宝を用い、皇統五年に初めて金の「御前之宝」一つ、「書詔之宝」一つを鋳造した。大定十八年、美玉を得て、詔して「大金受命萬世之宝」を作らせた。その制は径四寸八分、厚さ一寸四分、盤龍鈕の高さと厚さは各々四寸六分である。二十三年、また「宣命之宝」を鋳造した。その径は四寸二分、厚さ一寸四分、鈕の高さ一寸九分、字の深さ二分である。有司に命じて用いるべきところを議させたところ、奏上して言うには、「今収蔵する八宝及び皇統五年に造った'御前之宝'は、宋国への国書を賜うとき及び常例の奏目に用い、'書詔之宝'は、高麗・夏国への詔を賜うとき並びに詔を頒布するときに用いる。大定十八年に造った'大金受命萬世之宝'については、奉勅を以て再び議する。今鋳造した金宝は、進呈を始めとし、一品及び王公妃には玉宝を用い、二品以下には金の'宣命之宝'を用いるべきである」。また「礼信之宝」があり、銅を用い、毎年三国に賜う礼物を封緘するのに用いたが、明昌年間に銀に改めた。また太皇太后・皇太后・皇后・皇太妃の宝があり、また皇太子及び守国の宝があり、皆金を用いた。大定二十四年、皇太子の宝は金鋳の亀鈕で、有司がその文を「監国」と定めたが、上は命じて「守」を以て「監」に替えさせ、親王の印に比べて縦横各々一分を加えた。

雑儀

大定三年八月、有司が議して言うには、「祫享の犠牲品物について、唐の『開元礼』宋の『開宝礼』によれば、毎室に犢一・羊一・猪一であり、『五礼新儀』では毎室にさらに魚十五尾を加えている。天徳・貞元の例は、唐・宋と同じであり、有司が行事を行うときは太牢を用いず、七祀功臣には羊各二、酒は合わせて二百十瓶である。正隆年間に降減して定めたものは、通用で犢一、両室で共用して羊一豕一、酒百瓶であり、これは礼に欠けるところがある。今七祀功臣の牲酒は天徳の制に依ることを請い、宗廟の毎室には則ち宋の制を用い、魚を加える。しかし毎室に犢一は恐らく過分であろう」。世宗は乃ち命じて毎祭に共用で犢一とし、羊豕は旧の如くとした。また九月五日に祫享を行うにあたり、鹿肉五十斤・麞肉三十五斤・兎十四頭を臡醢に用いるべきところ、貞元・正隆の時は方に狩猟を禁じていたため、皆羊で代用したが、この礼は甚だ備わっていないので、詔して古制に従わせた。十年正月、宰臣に詔して言うには、「古礼では牛を殺して祭るが、後世にこれを改めたものはあるか。典故を検討して聞かせよ」。有司が言うには、「周以来、下って唐・宋に至るまで、祫享に牛を用いないことはない。唐の『開元礼』では時享に毎室各々太牢一を用い、天宝六年に至って初めて牛の数を減じ、太廟の毎享に犢一を用いた。宋の『政和五礼新儀』では時享太廟に、親祀には牛を用い、有司が行事を行うときは用いない。宋の開宝二年の詔では、昊天上帝・皇地祇には犢を用い、その余の大祀は皆羊豕で代える。二羊五豕を合わせれば一犢に足りる。今三年に一度の祫は親祠であり、その礼は最も重いので、毎室に犢一は後々省減し難いであろう」。遂いに命じて時享と祭社稷は旧の如くとし、もし親祠宗廟ならば則ち共用で犢一とし、有司が行事を行うときは用いないこととした。十二年十月、祫享を行い、摂官が行事を行うにあたり、詔して共用で三犢とした。二十二年十月、詔して祫禘に共用で三犢とし、有司が行事を行うときは鹿で代えることとした。昭徳皇后廟の大定十九年の禘祭には、犢を用いなかった。

大定二十九年、章宗が即位すると、礼官が言うには、「大定二十七年十月の袷享より、今年正月の世宗の升遐に至るまで、故に四月に禘礼を行わなかった。『公羊伝』によれば、閔公二年に'吉禘于荘公、吉と言うは未だ吉とすべからざるを謂い、未だ三年ならざるを謂うなり'とある。注に、'禘祫は先君の数に従い、朝聘は今君の数に従う。三年の喪が畢わり、禘に遇えば則ち禘を行い、祫に遇えば則ち祫を行う'とある。故事によれば、辛亥の歳を大祥とし、三月に禫祭を行い、月を逾えて則ち吉とし、則ち四月一日を初吉とし、孟夏の禘祭の時に当たるので、親祠とすることができる」。詔してこれに従った。期に及んで、孝懿皇后の崩御により中止した。

五月、礼官が言うには、「世宗が升祔して既に三年になるが、未だ祖宗に合食していない。もし来る冬に直ちに祫礼を行うならば、伏して考えるに皇帝は今心喪に居り、喪中の吉は『春秋』がその速きを譏っているので、恐らく冬の祫は行うべからざるであろう。然るに『周礼』に王に哀惨あれば則ち春官が事を摂行するとある。窃かに考えるに世宗及び孝懿皇后が升祔して以来、未だ躬って謁していないのに、どうして有司に先ず事を摂行させることができようか。況や前代の摂事は常祀にのみ施された。今故事に依ることを乞い、三年の喪が畢わり、祫に遇えば則ち祫を行い、禘に遇えば則ち禘を行い、明昌四年四月一日に心喪を解き、禘礼を行う」。上はこれに従った。明昌三年十二月、尚書省が奏上して言うには、「明年の親禘には、室当に犢一を用いるべきである。欽懐皇后は明徳の廟に祔せられた。大定三年の祫享を按ずるに、明徳皇后室には未だ犢を用いたことはない」。勅して欽懐皇后にもこれを用いることとした。上は因って拝礼の回数を問うと、右丞の完顔匡が詳しく答えた。上は言うには、「世宗は聖寿が高かったので、その数を減じ、並びに位に立たなかった。今は礼に従うべきである」。

大定六年、晨稞の行禮を定め、大次より板位に至り先ず神を見る禮は、兩拜。再び板位に至り、又兩拜。稞鬯畢りて、板位に還り、再び兩拜。小次に還り、酌獻の時、罍洗位にて盥訖り、板位に至り、先ず兩拜。酌獻畢りて板位に還り、再び兩拜。只だ始祖の祝冊を板位の西南に安置し、冊を讀み訖りて、又兩拜。小次に還り、又飲福位に至り、先ず兩拜、飲み畢りて兩拜。凡そ十六拜。貞祐四年、參知政事李革を修奉太廟使と爲し、七月の吉日に親しく祔享を行はしむ。有司、故事に以て皇帝の時享儀を用ふ。初め板位に至り兩拜、晨稞及び酌獻は則ち每位三拜、飲福五拜、總て七十九拜。今升祔は則ち遍く祧廟五室に及び、則ち一百九拜と爲す。明昌の間嘗て每位の酌獻奠爵後一拜を減じ、則ち九十二拜と爲すのみ。然れども大定六年、世宗嘗て禮官に令して通減して十六拜と爲さしむ。又皇帝は散齋四日を別殿に、致齋三日を大慶殿に當たるべし。今國事方に殷なり、宜しく權に散齋二日、致齋一日とすべし。上曰く、「拜數は大定の例に從ひ、餘は奏に准へ。」禮部尚書張行信言ふ、「近く詔を奉りて世宗の十六拜の禮に從ふ。臣太常と參らせて儀注を定むるに、竊かに疑ふ所有り。謹んで按ずるに唐・宋の親祠典禮は、皆通拜及び隨位拜禮有り。世宗大定三年親しく奉安の禮を行ひ、亦通七拜、每室各五拜、合せて七十二拜。逮ふ六年の禘に、始めて有司に敕して減じて十六拜と爲し、仍ほ七十二拜の儀を存す。其の意も亦見るべし。蓋し初年の享禮は以て備はりたる故に、後に權に從ひ、通拜を更定す。今陛下初めて廟見し奉安せんとし、而して遽に此の制に從はば、是れ隨室の神位に拜禮並びに無きに於て、此れ臣の疑ふ所一なり。大定の間十有二室、姑く十六拜に從ふも猶ほ可なり。今十有七室。而して拜數反つて之に及ばず、此れ臣の疑ふ所二なり。況んや六年の定むる所の儀注は、惟だ皇帝の板位の前に於て始祖一室の祝冊を讀む。夫れ祭に祝辭有り、本神明に告ぐ。今諸の祝冊各帝后の尊諡を書き、及び高曾祖考の世次一ならず、皇帝の自ら稱する所も亦自ら同からず、而して乃ち只だ一冊を讀み、餘は皆虛設す。禮に於て未だ安からざるを恐る、此れ臣の疑ふ所三なり。先王の禮は時に順ひ宜しきを施し、多寡すべからず、惟だ稱するのみ。今近年禮官古今を酌み、別に四十四拜の禮を定む。初め神を見て二拜、晨稞通四拜、隨室酌獻讀祝畢りて兩拜、飲福四拜、中を得たるに似たり。」上之に從ひ、乃ち祔享を時享十二室の儀の如く定む。又祧廟五主始祖室に容るる能はざるを以て、只だ室戶外東西一列に止め、西を以て上と爲す。神主闕くる者は升祔の前三日廟內に敬ひて造り、享日の丑の前に題寫畢りて、次を以て奉じ升す。十月己未、親王百官明俊殿より祖宗の神主を太廟の幄次に奉迎す。辛酉禮を行ひ、四十四拜の儀を用ひ、宮縣樂無く、犧牲儉に從ひ、十七室犢三・羊豕九を用ふるのみ。皇太子を以て亞獻と爲し、濮王守純を以て終獻と爲す。皇帝權に靴袍を服し、禮を行ふ日袞冕を服し、皇太子以下公服、鹵簿儀仗無く、禮畢りて馬に乘りて宮に還る。