金史

志第六: 地理中 南京路 河北東路 河北西路 山東東路 山東西路

南京路

南京路は、国初には汴京と称し、貞元元年に改めて南京と号した。府は三つ、節鎮を領するもの三、防禦八、刺史郡八、県は百五を数える。都城の門は十四あり、開陽、宣仁、安利、平化、通遠、宜照、利川、崇德、迎秋、広沢、順義、迎朔、順常、広智という。宮城の門、南の外門は南薰といい、南薰の北の新城門は豊宜といい、橋は龍津橋といい、北門は丹鳳といい、その門は三つある。丹鳳の北を舟橋といい、橋の少し北を文武楼といい、御路に沿って北へ行くと横街である。東に太廟、西に郊社、正北に承天門があり、その門は五つ、双闕が前に立ち、東に登聞検院、西に登聞鼓院がある。検院の東を左掖門といい、門の南に待漏院がある。鼓院の西を右掖門といい、門の南に都堂がある。承天門の真っ直ぐ北を大慶門といい、門の東を日精門といい、さらに東を左昇平門という。大慶門の西を月華門といい、さらに西を右昇平門という。正殿を大慶殿といい、前に龍墀があり、さらに南に丹墀があり、さらに南を沙墀といい、東廡を嘉福楼、西廡を嘉瑞楼という。大慶殿の後ろを徳儀殿という。殿の東を左昇龍門、西を右昇龍門という。正門を隆徳といい、内に隆徳殿があり、蕭牆があり、丹墀がある。隆徳殿の左を東上閣門、右を西上閣門といい、いずれも南向きである。鼓楼は東に、鐘楼は西にある。隆徳殿の次を仁安門・仁安殿といい、東には内侍局があり、さらに東に近侍局があり、さらに東に厳祗門があり、宮中ではこれを撒合門と称し、少し南に東楼があり、これは授除楼である。西を西楼という。仁安殿の次を純和殿といい、正寝である。純和殿の西を雪香亭といい、亭の北は后妃の位所であり、楼があり、楼の西を瓊香亭といい、亭の西を涼位といい、楼があり、楼の北少し西を玉清殿という。純和殿の次を福寧殿といい、殿の後ろを苑門といい、内に仁智殿があり、二つの太湖石があり、左を敷錫神運万歳峰、右を玉京独秀太平岩といい、殿を山荘といい、その西南を翠微閣という。苑門の東を仙韶院といい、院の北を翠峰といい、峰の洞を大滌湧翠といい、東は長生殿に連なり、さらに東に湧金殿があり、さらに東に蓬莱殿がある。長生殿の西を浮玉殿といい、さらに西を瀛洲殿という。長生殿の南を閲武殿といい、さらに南を内蔵庫という。厳祗門の東を尚食局といい、さらに東に宣徽院があり、院の北に御薬院があり、さらに北に右蔵庫があり、東に左蔵庫がある。宣徽院の東を点検司といい、司の北に秘書監があり、さらに北に学士院があり、さらに北に諫院があり、さらに北に武器署がある。点検司の南を儀鸞局といい、さらに南に尚輦局がある。宣徽院の南を拱衛司といい、さらに南に尚衣局がある。その南が繁禧門であり、さらに南が安泰門であり、門は左昇龍門と相対している。東には寿聖宮があり、両宮太后の位所であり、もとは明俊殿で、進士を試験した場所である。宮の北を徽音院といい、さらに北に燕寿殿があり、殿垣の後ろ少し西を振粛衛司といい、東を中衛尉司という。儀鸞局の東を小東華門といい、更漏がそこにある。中衛尉司の東を祗粛門といい、少し東南に将軍司がある。徽音院・寿聖宮の東を太后苑といい、苑の殿を慶春といい、燕寿殿と並ぶ。小東華門は正東華門と対する。東華門の内、真っ直ぐ北に尚廄局があり、その西北を臨武殿という。左掖門の北、尚食局の南を宮苑司という。その西北に尚醸局・湯薬局がある。侍儀司の少し西に府宝局・器物局があり、さらに西が撒合門である。嘉瑞楼の西を三廟といい、正殿を徳昌といい、東を文昭、西を光興という。徳昌殿の後ろは、宣宗の廟である。宮の西門を西華といい、東華門と相対し、北門を安貞という。

開封府は、上である。留守司の留守は本府尹を帯び、兼ねて本路兵馬都総管を務める。天徳二年に行台尚書省を廃し、転運司・提刑司を置いた。天徳二年に統軍司を置いた。薬市が四つ、榷場がある。蜜蠟・香茶・心紅・硃紅・地龍・黄柏を産する。天徳四年、戸数二十三万五千八百九十。泰和末、戸数百七十四万六千二百一十。県十五、鎮十五:

開封は東の附郭である。古い通津・臨蔡関・汴河がある。鎮一、延嘉。

祥符は西の附郭である。岳台・浚水・沙台・崇台・夷門山・蔡河・金水河・広済河・寒泉河がある。鎮三、陳橋・八角・郭橋。

陽武には沙池・黒陽山がある。黄河・汴河・白溝河がある。

通許は宋では咸平と称したが、大定二十九年に咸平府と重なるため、改めた。牛首城・裘亭がある。

泰康には魯溝・蔡河・渦河がある。鎮一、崔橋。

中牟には汴河・鄭河・中牟台がある。鎮四、圃田・陽武・万勝・白沙鎮。

杞は宋の雍丘県であり、杞国である。正隆の後、今の名に改めた。鎮一、圉城。

鄢陵には洧水・潩水・太丘城がある。鎮一、馬欄橋。

尉氏には惠民河・長明溝がある。鎮二、硃家曲・宋楼。

扶溝には祁耶山・洧水・白亭がある。鎮二、建雄・義店。旧に赤倉鎮があった。

陳留には皇柏山、狼丘、汴河がある。

延津は貞祐三年七月に延州に昇格した。土山、黄河がある。

洧川は貞祐二年に惠民倉を設置し、興定二年四月に尉氏県の宋楼鎮を昇格させて置かれた。

長垣

封丘

睢州は下州、刺史の治所である。宋の拱州保慶軍で、国初にはなお拱州と称したが、天徳三年に改称した。戸数四万六千三百六十。県三、鎮一を管轄する。

襄邑は古くは襄牛の地である。汴河、睢水、渙水、承匡城がある。鎮一は重華。

考城は宋では東京に隷属し、正隆以前は曹州に隷属したが、後に来属した。葵丘、黄河、黄陵岡があり、元光二年に通安堡と改称された。

柘城は古くは株林で、首止の地がここにある。渙水、泡水、泓水がある。

帰徳府は散府、中府、宣武軍節度使の治所である。もとは宋州で、宋の南京応天府河南郡帰徳軍であり、国初に宣武軍を置いた。戸数七万六千百八十九。県六、鎮四を管轄する。

睢陽は宋では宋城と称し、承安五年に改名した。鷹鷺池、汴水、睢水、渙水がある。鎮一は葛驛。

寧陵は大定二十二年に汴河の堤防の南の古城に移転した。汴水、睢水、渙水がある。

下邑には汴水、黄水がある。鎮一は会亭。

虞城には孟諸の藪がある。

谷熟には汴水、谷水がある。鎮二は営城、洛場。また旧高辛鎮があった。

楚丘は国初には曹州に隷属し、海陵王の後に来属した。興定元年、黄河の制限により不便であったため、単州に改めて隷属させた。景山、京岡がある。

単州は中州で、刺史が治める。宋では碭郡であった。貞祐四年二月に防禦に昇格し、興定五年二月に招撫司を設置し、河北の遺民を安集した。戸数六万五千五百四十五。県四:

単父には棲霞山、泡溝がある。

成武には堂溝がある。

魚台には泗水、涓溝、五丈溝がある。

碭山は興定元年、黄河の制限により不便であったため、帰徳府に改めて隷属させた。芒碭山、古汴渠、午溝がある。

寿州は下州で、刺史が治める。宋では寿春府に隷属し、貞元元年に来属した。泰和六年六月に防禦に昇格した。戸数八千六百七十七。県二、鎮一:

下蔡には硤石山、潁水、淮水がある。

蒙城は宋では亳州に隷属し、国初に来属した。狼山、渦水がある。鎮一は蒙館。

陝州は下州、防禦である。宋では陝郡保平軍節度であったが、皇統二年に防禦に降格し、貞祐二年七月に節鎮に昇格した。戸数四万一千十。県四、鎮七:

陝県は州治に倚る。虢山、峴頭山、三崤山、底柱山、黄河、橐水がある。鎮一は石壕。

霊宝には誇父山、黄河、稠桑沢、古函谷関がある。鎮二は乾壕、関東。

湖城には荊山、鑄鼎原、鳳林泉、鼎湖がある。鎮二は三門、集津。

閿郷には太華山、黄河、玉澗水、潼関、太谷関がある。鎮二は張店、故鎮。旧にまた曹張鎮があったが、恐らく誤りであろう。

鄧州は武勝軍節度使が治める。宋では南陽郡であり、かつて榷場を設置した。戸数二万四千九百八十九。県三、鎮六:

穰城は倚郭である。五壟山・覆釜山・湍水・朝水がある。鎮は四つ、順陽・新野・穰東・板橋である。

南陽には山・百重山・豊山・梅溪水・白水・清泠水がある。鎮は一つ、張村である。

内郷には高前山・熊耳山・黄水・菊水・淅水・富水がある。鎮は一つ、峽口である。

唐州は中州、刺史の治所である。宋の淮安郡で、かつて榷場を置いた。戸数一万一千三十一。県四、鎮四。

泌陽は倚郭である。泌水・醴水がある。鎮は一つ、胡陽である。

比陽には大明湖・中陽山・比水がある。鎮は一つ、羊棚である。

湖陽は貞祐元年に廃止された。鎮は一つ、羅渠である。

桐柏は大定十年に初めて正官を置き、興定五年六月に廃止された。桐柏山・淮水・柘河がある。鎮は一つ、許封である。大定二十八年、唐州・鄧州の間に界壕を築くことを命じた。

裕州は本来方城県であり、泰和八年正月に昇格して設置され、方城県を倚郭とし、汝州の葉県・許州の舞陽県を割いて隷属させた。戸数八千三百。県三、鎮四。

方城は倚郭である。方城山・衡山・堵水がある。鎮は一つ、青台である。

葉県は汝州に隷属していたが、泰和八年に当州に属することとなった。方城山・石塘河・澧水がある。鎮は一つ、臨墳である。

舞陽は本来許州に隷属していたが、泰和八年に当州に属することとなった。伏牛山・馬鞍山・舞水・汝水・渫水・𣹑水がある。鎮は二つ、呉城・北舞である。

河南府は散府、中府である。宋の西京河南雒陽郡であった。初め徳昌軍を置き、興定元年八月に中京に昇格し、府名を金昌とした。戸数五万五千六百三十五。県九、《正隆郡志》には寿安県があるが、記録には皆無い。鎮四。

澠池には天壇山・広陽山・黄河・澠河がある。

登封には太室山・箕山・陽城山・少室山があり、宣宗はその上に御寨を置いた。旧くは潁陽鎮があったが、後に廃された。

孟津は貞祐三年七月に陶州に昇格し、十二月に再び県となった。鎮は長泉一つ。旧くは河清鎮があったが、後に廃された。

芝田は宋では永安と称し、貞元元年に改称した。轘轅山・青龍山がある。

新安には闕門山・長石山、金水・谷水・陂水がある。

偃師には北邙山・緱氏山・半石山・景山、黄河・洛水がある。鎮は緱氏一つ。

宜陽には錦屏山・鹿蹄山・憩鶴山・女幾山、洛水・昌水・少水がある。

鞏には侯山・九山、黄河・洛水がある。鎮は洛口一つ。

嵩州は中州、刺史の治所。旧名は順州、天徳三年に改称。戸数二万六千六百四十九。県四、鎮四を管轄する。

伊陽は宋では河南府に隷属した。三塗山・陸渾山・鼓鐘山、伊水・淯陽水がある。鎮は鳴皋一つ。旧くは伊闕鎮があったが、後に廃された。

永寧は宋では河南府に隷属し、正隆六年以前は府治に仮の治所を置いたが、後に鎮をそのまま県とした。三肴山・熊耳山・嶕嶢山・天柱山、黄河・杜陽水がある。鎮は府店一つ。

福昌は宋では河南府に隷属した。女幾山・金門山がある。鎮は韓城・三郷の二つ。

長水は宋では河南府に隷属した。壇山・松陽山、洛水・松陽水がある。

汝州は上州、刺史の治所。宋では臨汝郡陸海軍節度使の治所であり、国初は刺史の郡であったが、貞祐三年八月に防禦州に昇格した。戸数三万五千二百五十四。県四、鎮三を管轄する。

梁には霍陽山・崆峒山・紫邏山、汝水・広潤河がある。正隆六年、汝州を中心とする百五十里以内の州県の商人に対し、温泉に市を設けるよう命じた。

郟城は宋では許州に隷属した。汝水・扈澗河がある。鎮は黄道一つ。

魯山には堯山、𣹑水、鴉河がある。

寶豊には豢龍城がある。鎮は一つ、汝南。

許州は下州、昌武軍節度使の治所。宋では潁昌府許昌郡忠武軍であった。戸数四万五千五百八十七。県五、鎮七:

長社は倚郭。潩水、潁水がある。鎮は二つ、許田、椹澗。

郾城には長沙河、五溝水がある。鎮は二つ、駝口、新寨。

長葛には小陘、洧水がある。

臨潁には鎮が二つ、合流、繁城。

襄城は本来汝州に属したが、泰和七年に当州に属することとなった。鎮は一つ、潁橋。

鈞州は中州、刺史の治所。旧称は陽翟県で、偽斉により潁順軍に昇格された。大定二十二年に州に昇格し、依然として潁順と称したが、二十四年に現在の名に改めた。戸数一万八千五百一十。県二、鎮一:

陽翟は倚郭。具茨山、三封山、荊山、潁水がある。

新鄭は宋では鄭州に属した。溱水、洧水、潩水の三水がある。鎮は一つ、郭店。

亳州は上州、防禦使の治所。宋では譙郡集慶軍で、揚州に属した。貞祐三年に節度使の軍に昇格し、軍名は集慶。戸数六万五百三十五。県六、鎮五:旧来、福寧、馬頭の二鎮があった。

譙は倚郭。渦水、泡水がある。鎮は一つ、雙溝。

鹿邑には渦水、明水がある。鎮は一つ、戰城。

衛真には洵水、沙水がある。鎮は一つ、谷陽。

城父には渦水・淝水・殳水がある。

酂には睢水・汴河・白龍潭がある。鎮は一、酂陽。

永城は興定五年十二月に永州に昇格し、下邑・碭山・酂縣をこれに隷属させた。芒山・汴河がある。鎮は一、保安。

陳州、下州、防禦使。宋の淮甯府淮陽郡鎮安軍。戸二万六千百四十五。県五、鎮二:

宛丘には蔡河・潁水・洧水がある。

項城には潁水・百尺堰がある。

南頓。鎮は一、殄寇。

商水は本来激水であったが、宋が宣祖の諱を避けて改めた。商水・潁水がある。

西華には宜陽山・蔡河・潁水がある。鎮は一、長平。

蔡州、中州、防禦使。宋の汝南郡淮康軍、泰和八年に節度に昇格し、軍号を鎮南とし、かつて榷場を置いた。戸三万六千九十三。県六、鎮二:

汝陽には溱水・澺水がある。鎮は一、保城。

遂平には呉房山・呉城山・龍泉水・瀙水がある。

上蔡。

西平には九頭山・滾水・鄧艾陂がある。

確山には確山・沒水・溱水がある。鎮は一、毛宗。

平輿

息州は、本来新息県であり、泰和八年に息州に昇格し、新息を倚郭とし、真陽・褎信・新蔡を割いて隷属させ、蔡州の支郡とした。戸数九千六百八十五。県四、鎮一:

新息(倚郭)。鎮一は王務。

真陽は本来蔡州に隷属し、泰和八年に来属した。淮水・汝水・石塘陂がある。

褎信は本来蔡州に隷属し、泰和八年に来属した。汝水・葛陂がある。

新蔡は本来蔡州に隷属し、泰和八年に来属した。汝水がある。

鄭州は、中州、防禦州であり、宋の滎陽けいよう郡奉寧軍節度であった。戸数四万五千六百五十七。県七、鎮三:

管城(倚郭)。貞祐四年に故市と改称した。圃田澤がある。

滎陽には鴻溝、京水・索水の二水がある。

密には大騩山、溱水、洧水がある。鎮二は大騩、鎖水。

河陰

原武。鎮一は陳橋。

汜水には虎牢関がある。

滎澤には広武澗がある。旧来、許橋・賈穀の二鎮があったが、鄭州の境内にある。

潁州は、下州、防禦州である。宋の順昌府汝陰郡であった。かつて榷場を設置したが、正隆四年に榷場を廃止した。戸数一万六千七百十四。県四、鎮十一:旧来、万善鎮があったが、後に廃止された。

汝陰県は倚郭である。潁水、淮水、淝水、汝水がある。

潁上県は元光二年十一月に寿州に改めて隷属させた。潁水、淮水がある。鎮は十、永寧、漕口、王家市、櫟頭、永清、椒陂、正陽、江陂、界溝、斤溝。

泰和県には潁水がある。

沈丘県には武丘がある。鎮は一、永安。

宿州は中、防禦州である。宋の符離郡保静軍節度で、揚州に隷属した。国初は山東西路に隷属し、大定六年に来属した。貞祐三年に節度使の管轄する州に昇格し、軍の名は保静とした。戸数五万五千五十八。県四、鎮八:旧に荊山鎮があった。

符離県は倚郭である。諸陽山、汴河、睢水、陴湖がある。鎮は三、曲溝、符離、黄団。

臨渙県には嵇山、汴河、肥水がある。鎮は三、柳子、蘄澤、桐墟。

霊壁県は宋の元祐元年に設置された。鎮は一、西固。

蘄県には渙水、渦水、蘄水がある。鎮は一、静安。

泗州は中、防禦使の州である。宋の臨淮郡。正隆四年正月に鳳翔府、唐、鄧、潁、蔡、鞏、洮等の州及び膠西県の諸榷場を廃止し、ただ泗州にのみ榷場を置いた。先に山東西路に隷属し、大定六年に来属した。戸数八千九十二。県四、鎮六:

淮平県は旧盱眙県で、明昌六年に宋に盱眙軍があるため、改称した。

虹県には硃山、汴河、淮水、広済渠がある。鎮は二、千仙、通海。

臨淮県。鎮は四、安省、呉城、青陽、翟家湾。

睢寧県は興定二年四月に宿遷県の古城を以て設置した。また淮濱県があり、興定二年四月に桃園を以て設置したが、元光二年四月に廃止された。

辺境の守備について、皇統元年十月、都元帥宗弼が宋と約し、淮水の中流を境界とし、西は鄧州の南四十里、西南四十里を境界とした。泰和八年に沿淮巡検使を設け、及び朐山県完瀆村に巡邏路を創設し、巡検を置いた。

河北東路

河北東路。天会七年に河北を分割して東路・西路とし、それぞれに本路兵馬都総管を置いた。府一、節度使を統べるもの二、防禦使一、刺史の郡五、県三十、鎮三十五を領す。

河間府、中、総管府、瀛海軍。宋の河間郡瀛海軍。天会七年に総管府を置き、正隆年間に次府に昇格し、瀛州瀛海軍節度使を兼ねて総管とし、転運司を置いた。後に再び総管府を置き、河北東西大名等路提刑司が無縫綿・滄塩・藺席・馬藺花・香附子・錢蝦蟹・乾魚を産する。戸三万一千六百九十一。県二、鎮三:

河間、倚郭。滹沱河・君子館がある。鎮三、束城・永寧・北林。

蕭寧

蠡州、下、刺史。宋の永寧軍、国初はこれを踏襲し、天会七年に寧州博野郡軍に昇格、天徳三年に蠡州と改称した。戸二万九千七百九十七。県一、鎮一:

博野、倚郭。沙河・唐河がある。鎮一、新橋。

莫州、下、刺史。宋の文安郡軍防禦、治所は任丘。貞祐二年五月に鄚亭県に降格した。戸二万二千九百三十三。県一、鎮一:

任丘。鎮一、長豊。

献州、下、刺史。本来は楽寿県、天会七年に寿州に昇格、天徳三年に今の名に改めた。戸五万六百三十二。県二、鎮十:

楽寿、倚郭。徒駭河・房淵・漢献王陵がある。

交河、大定七年に石家圈を以て置く。鎮十、景城・南大樹・劉解・槐家・参軍・貫河・北望・夾灘・策河・沙渦。

冀州、上。宋の信都郡、天会七年に従前の通り安武軍節度を置いた。戸三千六百七十。県五、鎮三:

信都、倚郭。胡盧河・降水がある。鎮一、来遠、後に廃止。

南宮。降枯瀆がある。鎮三、唐陽、後に寧化・七公の二鎮を増設。

衡水には長蘆河と降水がある。

武邑には漳河と長蘆河がある。鎮は一、観津、後に廃止。

棗強には鎮が一、広川、後に廃止。

深州は、上刺史である。宋の饒陽郡防禦で、金初に刺史郡となった。戸数五万六千三百四十。県五、鎮一:

静安は倚郭である。衡漳水と大陸沢がある。鎮は一、下博。

束鹿には衡漳水と滹沱河がある。

武強には河倉を置く。衡漳水と武強泉がある。

饒陽には滹沱河がある。

安平には沙水と滹沱河がある。

清州は、中である。宋の乾寧郡軍で、金初に軍を置き、天会七年に辺境守備のため防禦を置いた。戸数四万七千八百七十五。県三、鎮一:

会川は本来の名を乾寧といい、貞元元年に改名した。河倉を置く。鎮は一、範橋。

興済は本来滄州に隷属し、大定六年に清州に属した。

靖海は明昌四年に清州の窩子口に置かれた。

滄州は、上、横海軍節度である。宋の景城郡。貞元二年に属した。戸数十万四千七百七十四。県五、鎮十一:

清池には河倉を置く。浮陽水と徒駭河がある。鎮は五、長蘆、旧饒安、乾符、郭疃。旧に郭僑があったが、後に廃止。

無棣には老烏山・鬲津河がある。鎮は一、分水。

鹽山には鹽山・浮水がある。鎮は四、海豊・海潤、後に利豊・撲頭の二鎮を増す。

南皮には河倉を置く。大・小の臺山・永済渠・潔河がある。鎮は一、馬明。

楽陵には鬲津河・篤馬河・鉤盤河がある。旧に会寧河・永利・東中の三鎮あり、後に廃す。

景州、上、刺史。宋の永静軍(同下州)、治所は東光。国初に景州に昇格、貞元二年に当路に属す。大安年間に観州と改む、章廟の諱を避くるなり。戸六万五千八百二十八。県六、鎮四:

東光、倚郭。河倉を置く。永済渠・漳河がある。鎮は一、建橋。

阜城には衡水・漳水河がある。劉豫の祖塋は県南十二里に在り。

将陵には河倉を置く。永済渠・鉤盤河がある。

呉橋には永済渠がある。

蓚県、宋では冀州に隷す。漳河・蓚市がある。

寧津。鎮は三、西保安・広平・会津。

河北西路

河北西路。天会七年に西路に分かつ。府三、節鎮二を領し、防禦二、刺郡五、県六十一。

真定府、上、総管府、成徳軍。宋の常山郡鎮州成徳軍節度、正隆年間に旧に依り次府とし、本路兵馬都総管府・転運司を置く。瓷器・銅・鉄を産す。丹粉場・烏梨あり。薬物には茴香・零陵香・禦米殼・天南星・皁角・木瓜・芎・井泉石あり。戸十三万七千百三十七。県九、鎮三:

真定、倚郭。大茂山・滋水・滹沱水がある。

槁城には滋水・滹沱水がある。

平山

欒城には泜水・洨水がある。

獲鹿は興定三年三月に鎮甯州に昇格し、河北西路を管轄し、経略使武仙がここに駐屯した。萆山・滹沱水がある。

行唐には玉女山・常山がある。鎮は二つ、嘉祐・北鎮。旧来は行台・新年の二鎮があったが、後に廃された。

阜平は明昌四年に北鎮を置いて設置された。

霊寿 鎮は一つ、慈穀。

元氏には封龍山・槐河がある。

威州は下州、刺史。天会七年に井陘県を昇格させ、陘山郡軍を置き、後に刺史の郡となった。戸数八千三百十。県一:

井陘

沃州は上州、刺史。宋の徽宗が慶源府趙郡慶源軍に昇格させ、平棘を治所とした。天会七年に趙州と改め、天徳三年に沃州と改称した。これは水が火を沃ぐという意味を取ったものであろう。軍は趙郡軍といった。後に軍は廃された。戸数三万八千百八十五。県七、鎮一:

平棘は倚郭。洨水・槐水がある。

臨城には敦輿山・彭山・泜水がある。

高邑には賛皇山・済水がある。

賛皇

甯晉には洨水と寢水がある。鎮は一、奉城。

柏郷

隆平

邢州は上州、安国軍節度使の治所。宋の信徳府鉅鹿郡安国軍節度使治所であり、天会七年に邢州に降格し、なお安国軍節度使を置いた。玄精石を産する。戸八万二百九十二。県八、鎮四:

邢臺には石門山、百岩山、蓼水、渦水がある。

唐山には堯山、泜水がある。

内丘には幹言山、内丘山、泜水、渚水がある。

平郷。鎮は一、道武。

任には溹水、任水がある。鎮は一、新店。

沙河には湯水、湡水がある。鎮は一、綦村。

南和には任水、泜水がある。

鉅鹿には大陸沢、漳河、落漠水がある。鎮は一、団城。

洺州は上州、防禦使治所、広平郡。永年を治所とする。天会七年、辺境を守るために防禦使を置いた。戸七万三千七十。県九、鎮四:

永年には榆渓山、洺水、漳水がある。鎮は一、西臨洺。

広平はもと魏県であり、大定七年に改称した。

宗城

新安

成安

肥郷鎮の一つ、新安。

鶏沢には洺水・漳水・沙河がある。

曲周 鎮二つ、平恩・白家灘。

洺水

彰徳府、散府、下。宋の相州鄴郡彰徳軍節度、治所は安陽。天会七年になお彰徳軍節度を置き、明昌三年に府に昇格し、軍の名を以て府名とした。戸七万七千二百七十六。県五、鎮五。

安陽倚(治所)。韓陵山・龍山・洹水・防水がある。鎮三つ、天祐・永和・豊楽。

林慮 旧林慮鎮、貞祐三年十月に林州に昇格し、元帥府を置く。興定三年九月に節度使鎮に昇格し、安陽県水治村を輔岩県として隷属させた。隆慮山・洹水・漳水がある。

湯陰には牟山・羑水・蕩水・通漕・羑里がある。鎮一つ、鶴壁。

臨漳には東山・漳水がある。鎮一つ、鄴鎮。

輔岩 本来は水治村、興定三年に設置。

磁州、中、刺史。宋の滏陽郡、国初に滏陽郡軍を置く。戸六万三千四百十七。県三、鎮八:

滏陽には滏山・磁山・漳水・滏水がある。鎮四つ、台城・観城・昭徳、後に二つを廃し祖増臨水鎮を増設。

武安には錫山があり、武安山鎮は一つの固鎮である。

邯鄲には邯山・霊山・漳水・牛首山がある。鎮は三つ、大趙・北陽・邑城である。《士民須知》には邯山鎮のみある。

中山府。宋の府、天会七年に降格して定州博陵郡定武軍節度使となり、後に再び府となす。戸八万三千四百九十。県七、鎮二:

安喜(倚郭)。滱水・盧奴水・長星川あり。

新楽には派水・木刀溝あり。

無極には澬河あり。

永平は貞祐二年四月に完州に昇格す。

慶都には堯山・都山・唐水あり。

曲陽(劇県)。常山・曲防水あり。鎮一、龍泉。

唐には孤山・唐山・滱水あり。鎮一、軍城。

祁州、中、刺史。宋の蒲陰郡、国初に蒲陰郡軍を置く。戸二万三千三百八十二。県三:

蒲陰

鼓城

深沢

浚州、中、防禦。宋の大邳郡通利軍、また平川軍と改む。天会七年に辺境の地として防禦使を置く。皇統八年、宗峻の音と同なるを嫌い、通州と改む。天徳三年に復す。戸二万九千三百一十九。県二、鎮二:

黎陽には大伾山、枉人山がある。

衛には蘇門山、鹿台、糟丘、酒池、枋頭城がある。鎮は二つ、衛橋、淇門。

衛州は下州、河平軍節度使を置く。汲郡を守る。天会七年に宋の制に因り防禦使を置き、明昌三年に河平軍節度使に昇格し、治所は汲県、滑州を支郡とした。大定二十六年八月に河患を避けて共城に移転。二十八年に旧治に復す。貞祐二年七月に宜村に城を築き、三年五月に治所を宜村新城に移し、胙城を倚郭とした。正大八年に石でその城を甃く。戸九万一百十二。県四、鎮二。

汲には蒼山、黄河がある。

新郷県。

蘇門県は本来共城、大定二十九年に河平と改め(顕宗の諱を避けて)。明昌三年に今の名に改む。貞祐三年九月に輝州に昇格し、興定四年に山陽県を置いてこれに隷属させた。白鹿山、天門山、淇水、百門陂がある。鎮は早生。

獲嘉県。鎮は大寧。

胙城県は本来南京に隷属、海陵王の時に割いて滑州に隷属させ、泰和七年に再び南京に隷属、八年に河を限界として当州に来属。貞祐五年五月に衛州の倚郭となる。主簿を増置。興定四年に修武県重泉村に県を置き、来属。

滑州は下州、刺史。宋の霊河郡武成軍。本来南京の属郡、大定六年に割いて大名府に隷属させる。戸二万二千五百七十。県二、鎮二。

白馬県。鎮は二つ、衛南、武城。

内黄県は本来大名府に隷属、大定六年に来属。

山東東路。

山東東路は、宋では京東東路、治所は益都。府二、節度使を領するもの二、防禦使二、刺史郡七、県五十三、鎮八十三。

益都府は上府、総管府。宋の鎮海軍。国初は旧制に従い軍を置き、南青州節度使を置き、後に総管府に昇格し、転運司を置く。大定八年に山東東西路統軍司を置く。石器、玉石、沙魚皮、天南星、半夏、沢瀉、紫草を産する。戸十一万八千七百十八。県七、鎮七。

益都県。

臨朐には朐山、幾山、洱水、般水がある。

穆陵は貞祐四年四月に臨朐の穆陵を昇格して設置した。

壽光には甘水、澠水がある。鎮は一、廣陵で、塩場がある。

博興には済水、時水がある。鎮は二、博昌、淳化。

臨淄には南郊山、牛山、天齊淵、康浪水がある。

楽安。鎮は四、新鎮、高家港、清河、王家。

濰州、中、刺史。戸三万九百八十九。県三、鎮一。

北海、倚郭。浮煙山、溉原山、溉水、汶水がある。鎮は一、固底。

昌邑には霍侯山、濰水がある。

昌楽には方山、聚角山、丹水、朐水がある。

濱州、中、刺史。宋の軍事州。戸十一万八千五百八十九。県四、鎮十。

渤海には黄河がある。鎮は五、豊国、寧海、濱海、蒲台、安平。

利津は明昌三年十二月に永和鎮を昇格して設置した。

蒲台。鎮は二、安定、合波。

霑化は本名を招安といい、明昌六年に改めた。鎮は三、永豊、永阜、永科。

沂州は上州、防禦州である。宋の琅邪郡であった。戸数二万四千三十五。県二、鎮三:

臨沂は劇県。鎮は三つ、長任・向城・利城。

費県。

密州は、宋では密州高密郡安化節度であった。戸数一万一千八十二。県四、鎮七:

諸城は劇県。琅邪山・濰水・荊水・盧水がある。鎮は三つ、普慶・信陽・草橋。

安丘には安丘山・劉山・汶水・濰水・浯水がある。鎮は一つ、李文。

高密には礪阜山・密水・膠水がある。

膠西県。鎮は三つ、張倉・梁郷・陳村。

海州は中州、刺史州である。戸数三万六百九十一。県五、鎮四:

岣山県。

贛榆県は本来は懐仁県、大定七年に改称。鎮は二つ、荻水・臨洪。

東海県。

漣水県は本来は漣水軍、皇統二年に降格して県となり、当州に属した。鎮は二つ、太平・金城。

莒州は中州、刺史州である。本来は城陽軍、大定二十二年に城陽州に昇格、二十四年に現在の名に改称。戸数四万三千二百四十。県三、鎮三:

莒県。

日照鎮は一つの濤洛を管轄する。

沂水鎮は一つの沂安を管轄する。旧来は扶溝・洛鎮の二鎮があったが、後に廃止された。

棣州は上州、防禦州である。宋の安楽郡であった。戸数八万二千三百三。県三、鎮九を管轄する:

厭次県には五つの鎮がある:清河・帰化・達多・永利・脂角。

陽信県には黄河・鉤盤河がある。鎮は二つ:欽風・西界。

商河県には黄河・馬頰河・商河がある。鎮は二つ:帰仁・官口。

済南府は散府、上府である。宋の斉州済南郡であった。初め興徳軍節度使を置き、後に府尹を置き、山東東西路提刑司を置いた。戸数三十万八千四百六十九。県七、鎮二十九を管轄する:

歴城県には六つの鎮がある:盤水・中宮・老僧口・上洛口・王舎人店・遥牆。

臨邑県には三つの鎮がある:新鎮・安粛・新市。

斉河県には三つの鎮がある:晏城・劉宏・新孫耿。

章丘県には長白山・東陵山・百脈水・楊緒水がある。鎮は四つ:普済・延安・臨済・明水。

禹城県には黄河・済河・淇河・濕水がある。鎮は三つ:新安・仁水寨・黎済寨。

長清県は劇県である。磨笄山・隔馬山・黄河・清水がある。鎮は六つ:赤荘・莒鎮・李家荘・帰徳・豊済・陰河。

済陽県には四つの鎮がある:回河・曲堤・旧孫耿・仁豊。

淄州は中州、刺史州である。宋の淄川郡軍であった。戸数十二万八千六百二十二。県四、鎮六を管轄する:

淄川は倚郭。幹山、夾谷山、商山、淄水がある。鎮は三つ、金嶺、張店、顏神店。

長山には長白山、栗水がある。

鄒平には系河、濟河がある。鎮は三つ、淄鄉、齊東、孫家嶺。旧に緌店鎮があったが、後に廃された。

高苑には濟河がある。

萊州は上州、定海軍節度。宋では萊郡。戸八万六千六百一十五。県五、鎮一。

掖は倚郭。三山、夜居山、掖水がある。

萊陽には高麗山、七子山がある。鎮一、衡村。旧に海倉、西由、移風の三鎮があった。

即墨には牢山、不其山、天室山、沽水、曲裏鹽場がある。

膠水

招遠

登州は中州、刺史。宋では東牟郡。戸五万五千九百一十三。県四、鎮二。

蓬萊には巨風鹽場がある。

福山 鎮一、孫大川。

黃には萊山、蹲狗山がある。鎮一、馬停。

棲霞

甯海州は刺史の州である。本来は甯海軍であり、大定二十二年に州に昇格した。戸数六万一千九百三十三。県二、鎮二を管轄する。

牟平県には東牟山、之罘山、清陽水がある。鎮一は湯泉である。

文登県は劇県である。文登山、成山、昌陽山がある。鎮一は溫水である。

山東西路

山東西路は、府一を置き、節度使二、防禦使二、刺史郡五を管轄する。

東平府は上府で、天平軍節度使が置かれる。宋の東平郡であり、旧称は鄆州である。後に府尹が総管を兼ね、転運司が置かれた。天麻、全蠍、阿膠、薄荷、防風、絲、綿、綾、錦、絹を産する。戸数十万八千四十六。県六、鎮十九を管轄する。

須城県には梁山、済水、清河がある。

東阿県には吾山、穀城山、黄河、阿井がある。鎮五は景德、木仁、關山、銅城、陽劉である。

陽谷県には黄河、碻磝津がある。鎮二は樂安、定水である。

汶上県は本来の名は中都であり、貞元元年に汶陽と改称し、泰和八年に現在の名に改めた。汶水、大野陂がある。鎮一は柴城である。

寿張県は大定七年に黄河が城を破壊したため、竹口鎮に遷り、十九年に旧治に復した。鎮一は竹口である。

平陰県には鬱蔥山、鴟夷山がある。鎮九は但歡、安寧、寧鄉、翔鸞、固留、滑口、廣裏、石橫、澄空、傅家岸である。

済州は中刺史の州である。宋の済陽郡である。旧治は钜野にあり、天徳二年に任城県に治所を移し、钜野の民を嘉祥、鄆城、金郷の三県に分属させた。戸数四万四百八十四。県四、鎮二を管轄する。

任城県は倚郭である。承注山、泗水、新河がある。鎮一は魯橋である。

金郷県には桓溝がある。鎮一は昌邑である。

嘉祥には旧来、合来・山口の二鎮があったが、後に廃された。

鄆城は大定六年五月、河川の決壊を避けるため、盤溝村に治所を移した。馬頰河・濮水がある。

徐州は下州、武寧軍節度使の治所である。宋の彭城郡であったが、貞祐三年九月に河南路に改めて隷属させた。戸数四万四千六百八十九。県三、鎮五を管轄する。

彭城県は州治に倚る。九里山・赭土山・泗水・猴水・はい沢がある。鎮は三つ、呂梁・利国・卞唐である。また厥堌鎮があり、元光二年に永固県に昇格した。

蕭県には綏輿山・丁公山・古汴渠がある。鎮は二つ、白土・安民である。旧来は晋城・双溝の二鎮があった。

豊県には泡水・大沢がある。

邳州は中州、刺史の治所である。宋の淮陽軍であったが、貞祐三年九月に河南路に改めて隷属させた。戸数二万七千二百三十二。県三を管轄する。

下邳県には嶧陽山・磬石山・艾山・沂水・泗水・沭水・睢水がある。

蘭陵県は本来承県であったが、明昌六年に名を改めた。貞祐四年三月、治所を土婁村に移した。

宿遷県は元光二年四月に廃された。泗水・汜水がある。

滕州は上州、刺史の治所である。本来は宋の滕陽軍であったが、大定二十二年に滕陽州に昇格し、二十四年に現在の名に改めた。貞祐三年九月、兗州の支郡となった。戸数四万九千九。県三、鎮一を管轄する。

滕県は旧名を滕陽といい、大定二十四年に改めた。桃山・抱犒山・漷水がある。

沛県には微山・泗水・泡水・漷水がある。鎮は一つ、陶陽である。

鄒県は宋の時、泰寧軍に隷属した。嶧山・鳧山・泗水・漷水がある。

博州は上州、防禦使の治所である。宋の博平郡であった。戸数八万八千四十六。県五、鎮十一を管轄する。

聊城は倚郭の県である。茌山・黄河・金沙水がある。鎮は二つ、王館・武水。

堂邑。鎮は二つ、回河・侯固。

博平には漯河がある。鎮は一つ、博平。

茌平。鎮は二つ、広平・興利。

高唐には黄河・鳴犢溝がある。鎮は四つ、固河・斉城・霊城・夾灘。

兗州は中州、泰軍節度使の治所である。宋の襲慶府魯郡であった。旧名は泰寧軍、大定十九年に改称した。戸数五万九十九。県四:

嵫陽は本来瑕丘といった。

曲阜は宋では仙源と称した。防山・曲阜山があり、泗水・洙水・沂水がある。

泗水には陪尾山・尼丘山があり、泗水・洙水がある。

寧陽は旧名を龔県といい、大定二十九年に顕宗の諱を避けて改称した。

泰安州は上州、刺史の治所である。本来は泰安軍、大定二十二年に昇格した。戸数三万一千四百三十五。県三、鎮二:

奉符は倚郭の県である。泰山・社首山・亀山・徂徠山・亭亭山がある。汶水・梁水がある。鎮は二つ、太平・静封。

萊蕪には肅然山・安期山があり、贏汶水・牟汶水がある。

新泰。

德州は上州、防禦使の治所である。宋の平原郡軍であった。戸数一万五千五十三。県三、鎮七:

安德には鬲津河あり。鎮四は磁博、向化、盤河、徳安。

平野には金河あり。鎮一は水務。

徳平の鎮二は懷仁、孔家鎮。

曹州は中、刺史。宋の興仁府済陰郡彰信軍。もと南京に隷し、泰和八年に来属す。大定八年、城は河に没せられ、州治を古の乗氏県に遷す。戸一万二千六百七十七。県三、鎮一:

済陰は倚。曹南山、定濮岡、左山、祝丘、荷水、氾水、饗城、鄸城あり。鎮一は濮水。

定陶はもと宋の広済軍、熙寧年間に廃して定陶県と為す。城中に梁王台あり。髣山、独狐山あり。

東明は初め南京に隷し、後に河患を避け、河北の冤句故地に徙る。後に故県を以て蘭陽、儀封と為し、旧東明城あり。