金史

本紀第十四: 宣宗上

宣宗繼天興統述道勤仁英武聖孝皇帝、諱は珣、本名は吾睹補、顯宗の長子、母は昭華劉氏と曰う。大定三年癸未の歳に生まれ、世宗に宮中に養われる。十八年、溫國公に封ぜられ、特進を加えられる。二十六年、今の名を賜う。二十九年、豐王に進封され、開府儀同三司を加えられ、累ねて兵部・吏部を判じ、また永定・彰德等の軍を判ず。承安元年、翼王に進封される。泰和五年、名を改めて從嘉と賜う。八年、邢王に進封され、また升王に封ぜられる。至る所に祥異を著す。

至甯元年八月、衛紹王しいせられ、徒單銘等彰德府に迎う。既に京に至り、親王・百官表を上りて進むを勧む。

九月甲辰、大安殿に於いて皇帝の位に即く。紇石烈胡沙虎を以て太師・尚書令しょうしょれい兼都元帥と為し、澤王に封ず。乙巳、尚書省に諭し、事に規画有る者は皆即ち規画し、悉く世宗の行わしむる所に依りて之を行わしむ。丙午、駙馬雄名の第を以て胡沙虎に賜う。丁未、宰臣に諭して曰く、「朕大位に即く、群臣凡そ見る所有る者は、各直言して隠すこと勿れ」と。衛紹王の第に臨みて奠す。有司奏す、旧礼坐を設けて哭すべしと。上命して坐を撤け、伏して哭し哀を尽くさしむ。有司を敕して礼を以て改葬せしむ。戊申、仁政殿に御し朝を視る。胡沙虎に坐を賜う、胡沙虎辞せず。辛亥、皇子守禮を遂王に封じ、守純を濮王に封じ、皇女を溫國公主とす。夔王永升薨じ、上親しく臨み奠す。大元乙裏只を遣わす。壬子、元を貞祐と改め、大赦す。恩賚中外の臣民に差有り。丙辰、左諫議大夫張行信章を上りて節儉を崇くし、聴納を広くし、賞罰を明かにするの三事を言う。尚書右丞相徒單鎰左丞相に進み、廣平郡王に封ぜらる。庚申、澤王胡沙虎等議して故衛王を廃して庶人と為す、上曰く、「朕徐に之を思い、以て卿等に諭さん」と。壬戌、胡虎に中都路和魯忽土世襲猛安を授く。丙寅、六品以下の官に詔諭し、事有りて言うべき者は之を言い隠すこと無からしむ。

閏月戊辰朔、仁政殿に於いて日を拝す、是より每月吉を以て常と為す。尚書左丞相徒單鎰に中都路迭魯猛安を授く。庚午、上旧名珣に復し、所司に詔し、天地廟社に告げしむ。前に更めし名の二字、今より須い回避せず。辛未、皇妣を追尊して皇太后と為すことを詔す。是の日、皇妃皇子彰德府より至る。使を遣わして宋に使わす。己卯、左諫議大夫張行信疏を上りて皇太子を立てんことを請う。甲申、子守忠を立てて皇太子と為す。丙戌、詔して故衛王を降して東海郡侯と為す。甲午、監察御史を減定して十二員と為す。

冬十月丁酉朔、京師戒厳す。辛丑、大元乙裏只来る。乙巳、詔して応に官賞を遷加すべきは、諸色の人を本朝の人と一体とす。庚戌、有司を敕し、皇太子冊礼は辺事息みて然る後に挙行せしむ。辛亥、元帥右監軍朮虎高琪城北に戦い、凡そ両たび敗績して帰り、即ち兵を以て胡沙虎を其の第に殺し、其の首を持して闕に詣り罪を待つ。之を赦し、仍て左副元帥を授く。壬子、殿前都點檢紇石烈特末也等外に補す。甲寅、張行信封事を上り、刑賞を正し、将帥を択び、及び鄯陽・石古乃の冤を言う。大元兵涿州を下す。京城鎮撫弾圧官を設く。招賢所を置く。癸亥、宮女百三十人を放つ。

十一月戊辰、夏人会州を攻め、徒單醜兒兵を撃ちて之を走らす。庚午、将に大元に乞和せんとし、百官に詔して尚書省に議わしむ。横海軍節度使承暉を以て尚書右丞と為し、耿端義を参知政事と為す。癸未、詔して死事の裴滿福興及び鄯陽・石古乃に官を贈る。大元兵観州を徇り、刺史高守約之に死す。又河間府・滄州を徇る。乙未、亡失の告身文憑の格を定む。

十二月丁酉朔、上応天門に御し、軍士に詔諭し、仍て銀を出して以て之を賜う。平章政事徒單公弼尚書右丞相に進み、尚書右丞承暉都元帥兼平章政事に進み、左副元帥朮虎高琪平章政事兼前職に進む。

二年春正月丁卯朔、辺事未だ息まずを以て、詔して朝賀を免ず。辛未、大元兵彰徳府を徇り、知府事黄摑九住之に死す。宋人秦州を攻め、統軍使石抹仲溫撃ちて之を却く。癸未、有司奏す、請う今年の禘享朝献原廟及び皇太后冊礼を権りに止めんと、之に従う。乙酉、処士王澮を征す、至らず。大元兵益都府を徇る。有司を命じて本朝の徳運を復議せしむ。乙未、大元兵懐州を徇り、沁南軍節度使宋扆之に死す。

二月丙申朔。壬子、大元乙裏只紮八来る。丙辰、按察司を罷む。壬戌、大元乙只復た来る。

三月辛未、承暉を遣わして大元に詣り和を請わしむ。丁丑、国内を赦す。癸未、京師大いに粟を括る。甲申、大元乙裏只紮八来る。百官に詔して尚書省に議わしむ。戊子、濮王守純を以て殿前都點檢兼侍衛親軍都指揮使と為し、権都元帥府事を兼ねしむ。庚寅、衛紹王の公主を奉じて大元太祖皇帝に帰す、是を公主皇后と為す。辛卯、詔して諸人の粟を納めて官を買うことを許す。京師戒厳す。壬辰、大元兵嵐州を下し、鎮西軍節度使烏古論仲溫之に死す。

夏四月乙未朔、知大興府事胥鼎を以て尚書右丞と為す。戊戌、昭聖皇后の柩を新寺に奉遷す。時に山東・河北諸郡守を失い、惟だ真定・清・沃・大名・東平・徐・邳・海数城のみ存するのみ、河東の州県も亦多く残毀す。兵退き、僕散安貞等を命じて諸路宣撫使と為し、遺黎を安集せしむ。是に至り大元和議を允ずを以て、国内を大赦す。癸卯、権りに昭聖皇后を新寺に厝す。甲辰、有司に詔して陣亡人の子孫を具えて以て録用に備えしむ。丁未、都元帥承輝を以て右丞相と為す。庚戌、左丞相・監修国史廣平郡主徒單鎰薨ず。乙卯、尚書省巡幸南京を奏す、詔して之に従う。己未、衛紹王を葬る。

五月癸酉、承暉に金紫光禄大夫を加え、定国公に封ず。尚書左丞抹撚盡忠に崇進を加え、申国公に封ず。甲戌、霍王從彝薨ず。乙亥、朝を輟む。上南遷を決意し、国内に詔告す。太学生趙昉等章を上りて利害を極論す、大計已に定まるを以て、中止すべからず、皆慰諭して之を遣わす。原廟に詣り奉辞す。戊寅、将に発せんとし、雨、果たして行かず。南京留守僕散端等嘗て臨幸を請うを以て、及び行くに、先ず之に詔諭す。辛巳、詔して衛紹・鎬厲王家属を鄭州に遷す。壬午、車駕中都を発す。是の日雨、甲申に至りて止む。丙戌、定興に次す。有司に禁じて扈従の民田を践蹂せしめず。丁亥、安粛州に次す、元帥右監軍完顔弼兵を以て迎え見ゆ。癸巳、中山府に次す、扈従軍の践む所の禾稼を敕し、直を計りて之に酬ゆ。

六月甲午朔(一日)、按察転運使高汝礪を参知政事とする。癸丑(二十日)、内丘県に駐留す。大元の乙裏只来る。戊午(二十五日)、彰徳府に駐留し、その境内を曲赦す。庚申(二十七日)、鉅橋鎮に駐留す。この日、南京行宮の宝鎮閣に災あり。壬戌(二十九日)、宜村に駐留す。黄龍西北に現る。

秋七月、車駕南京に至る。詔して元妃温敦氏を立てて皇后とす。

八月甲午(二日)、后を立てたるにより、百官上表して賀す。庚子(八日)、皇太子中都より至る。丁未(十五日)、夏人辺境に入る。命じて移文を遣わしてこれを責む。甲寅(二十二日)、経略司を罷む。応奉翰林文字完顔素蘭上書して事を言う。

九月壬戌朔(一日)、日食あり。皇孫生まる。癸亥(二日)、山東路より萊州の捷報を報ず。辛未(十日)、監察御史の昇黜格を立てる。庚辰(十九日)、詔して軍士を訓練す。丁亥(二十六日)、宣徽院に諭し、正旦・生辰には物を進むるを須いざるべしと。太白昼に軫に見ゆ。戊子(二十七日)、軍官の囲猟を禁ず。

冬十月甲午(四日)、詔して官を遣わし木波・西羌の馬を市わしむ。陝西の軍戸で戦死したる者は糧を与えてその家を贍う。丁酉(七日)、大元兵順州を徇り、勧農使王晦これに死す。壬寅(十二日)、左副元帥兼尚書左丞抹撚尽忠、平章政事に進む。御史中丞孛朮魯徳裕を以て参知政事兼簽枢密院事とす。中都路を曲赦す。乙卯(二十五日)、参知政事孛朮魯徳裕を遣わし、大名府に行尚書省をせしむ。丙辰(二十六日)、大元兵成州を収む。大名行省に諭し用度を貶損せしむ。德州防禦使完顔醜奴誅せらる。

十一月丁卯(七日)、御史大夫僕散端を以て尚書左丞相とす。山東路を曲赦す。辛未(十一日)、詔して衛紹王の家属に既稟を賜う。詔して有司に夏国への牒文に答えしむ。丙子(十六日)、諸色の人に武挙の試験を許す。蘭州の訳人程陳僧叛き、西に夏人と結びて援とす。辛巳(二十一日)、熒惑房宿の鉤鈐星を犯す。癸未(二十三日)、遼東路を曲赦す。勅して宣撫司のみだりに官を擬するを罷む。

十二月戊戌(九日)、真定行元帥府事永錫等を遣わし中都を援けしむ。勧農の詔を頒つ。丁未(十八日)、和議既に定まるを以て、民の南渡を聴す。乙卯(二十六日)、登州刺史耿格誅せられ、その妻子を流す。大元兵懿州を徇り、節度使高閭山これに死す。

三年春正月辛酉朔(一日)、宋使を遣わし来たり賀す。壬戌(二日)、内侍を遣わし永錫に諭し辺境を防がしめ、和議を以て言い訳とすべからずと。癸亥(三日)、群臣・宋使を曲宴す。文武五品以上の侍坐員を定め、遂に常制と為す。乙丑(五日)、詔して宣撫阿海・総管合住に賊劉二祖・張汝楫を討たしむ。戊辰(八日)、尚書省言う「内外の軍人で粟を納めて官を補う者多く、行伍漸く虚し。平定を俟ち、監差に応ずる者は三酬を与え、門戸に職事ある者は一等を升し、その子弟で廕を受くべき者はこれを罷めんことを請う」。上その奏を可とす。乙亥(十五日)、夏人環州を犯す。北京軍乱れ、宣撫使奥屯襄を殺す。丁丑(十七日)、右副元帥蒲察七斤その軍を率いて大元に降る。辛巳(二十一日)、皇太子疾あり。朝を輟む。乙酉(二十五日)、皇太子薨ず。

二月辛卯(二日)、環州刺史烏古論延寿及び斜卯毛良虎等、州境にて夏人を破る。詔して官を進むるに差等あり。大元の乙裏只来る。壬辰(三日)、上皇太子の殯所に臨み奠す。有司辰日は哭すべからずと奏す。上曰く「父子至親なり、何ぞ拘忌すべきや」。命じて御史中丞李英・元帥左都監烏古論慶寿に兵を領して中都への糧餉を護送せしめ、空名の宣敕を付し、功を視て遷叙するを許し、逗撓する者は軍律を以て治む。乙未(六日)、甯辺州を改めて嵐州に隷せしむ。丁酉(八日)、詔す諸色の人遷官は並びに女直人に視よ、有司妄りに分別を生ずれば、違制を以て論ずべしと。戸部郎中奥屯阿虎の請いに従うなり。辛丑(十二日)、勅して宰臣に乙裏只に酒饌を饋らしむ。壬寅(十三日)、官吏軍民を奨諭する詔を頒ち、曲赦し、北京に作乱する者を招撫す。丙午(十七日)、尚書省、南遷後に吏部が秋冬は選を南京に置き、春夏は選を中都に置くは、赴調する者不便なりとし、並びに南京に選するを請う。これに従う。武清県巡検梁佐・柳口巡検李咬住、颭賊張暉・劉永昌等を誅する功により官を進むるに差等あり、皆完顔の姓を賜う。丁未(十八日)、山東宣撫使僕散安貞、提控僕散留家等を遣わし賊楊安児の歩騎三万を破り、その衆を殲し、偽頭目三百余人を降し、脅従の民三万有余戸を降す。戊申(十九日)、沿辺州府官の資考を減ずるに差等あり。壬子(二十三日)、城を保ち虞無き及び奸叛を捕獲する者の遷賞格を立てる。乙卯(二十六日)、勅して急事を奏するは假日に拘わらず。丁巳(二十八日)、日初めて出づるや血の如く赤く、将に没せんとし復た然り。戊午(二十九日)、隆徳殿の鴟尾壊る。

三月壬戌(三日)、詔して河北の州県官は、文武五品以上に辟挙せしめ、他事を以て差占するを聴かず、仍って終任を勒す。労績ある者は但だ遙領の職を升し、降罰に応ずる者も亦た本処に居住するに止むと。時に河北残毀し、吏治多く苟且にして代易を求む。故に是の令を著す。癸亥(四日)、詔して百官各々防辺の利害を陳べ、封章を以て聞かしむ。丙寅(七日)、勅して河東・河北・大名の長貳官に随処の義兵を訓練せしめ、隣境に警あればその救援を責む。降人自ら抜けて帰国する者は職を遷し、仍ってその姓名を列し、以て来る者を招諭す。沿河の州県官で罷軟にして職任に勝えざる者は汰ち去り、五品已上の官に公挙せしめ、仍って今季部に到る人の内より先ず能者を択び緩急に量りてこれを易るを許す。丁卯(八日)、安武軍節度使張行信上書して急務四事を言う。庚午(十一日)、遼東宣撫使蒲鮮万奴に諭し精鋭を選び沈州・広寧に屯し、以て進止を俟たしむ。壬申(十三日)、長春節、宋使を遣わし来たり賀す。戊寅(十九日)、尚書省に諭し、歳旱ひでりなれば諸処の碾磑を弛め、その水を以て民田を溉がんことを議わしむ。己卯(二十日)、雨ふる。去冬より雨雪なく、ここに至り初めて雨ふる。勧農使李革言う「河北の州県官吏多く河南への差占を求めて以て難を避く。宜しく元任の戍兵を領する者を発すべし。離るべからざれば則ち別に注して往かしむべし」。庚辰(二十一日)、御史臺言う「在京の軍官及び委差官の芻糧券例は悉く征行に同じ。その給を減ずるを乞う。枢密院の委差は俸あり吏あり、征行に非ざれば必ずしも給せず」。皆これに従う。尚書省に勅し、粟を納めて官を補う者はその戸を括って軍とすべからず。有司軍功を賞するを議するは、沮格する所あるべからず。壬午(二十三日)、山東宣撫司大沫堌の捷を報ず。夾谷石裏哥及び没烈賊渠劉二祖等を擒えこれを斬る。前後賊殆ど万計を殲す。西京軍民変ず。官を遣わし撫諭す。己丑(三十日)、州県の杖に刃を置き以て罪人を決するを禁ず。前年、京兆治中李友直私かに華州に逃れ、同知防禦使馮朝・河州防禦判官郝遵甫・平涼府同知致仕楊庭秀・水洛県主簿宿徽等と結び州民を団集し、「忠義扈駕都統府」と号し、相挻そそのかして乱を為し、その防禦判官完顔八斤及び城中の女直人を殺し、書を以て都統楊圭に約す。府兵の得る所と為る。圭これを諱み、自ら効せんことを請い、友直等を誘いてこれを執り、招く所の千余人を麾して仗を納め、これを城下にうずむ。時に京師道路隔絶す。安撫司便宜を以て友直等を族誅す。ここに至り状を以て聞く。乃ち八斤及び被害の官軍十余人に各々一官を贈り、賻銭三百貫を賜う。

夏四月癸巳、河東宣撫使胥鼎が利害に関する十三事を上言した。長勝軍都統楊圭が誅殺された。丙申、河南路に蝗害が発生し、官吏を派遣して分捕させた。皇帝が宰臣に諭して言うには、「朕が潜邸にいた時、蝗を捕る者は道傍に止まり、使者が見えない所では意を用いないと聞いた。この意をもって戒めよ」と。権参知政事徳升が言うには、「旧制では夏至後に朝参を免じ、四日に一度奏事する」と。皇帝は言う、「これは平時にはよかろう。今は多事である。朕が労することを言って、免ずべきと言うな。ただ国事が廃れなければそれでよい」と。己亥、山東路を曲赦した。癸卯、赴選の臨当官を籍して軍とした。乙巳、都南行尚書六部を廃止した。侯摯が九事を上言した。蒲察七斤の脅従の党を曲赦し、七斤を殺害または捕獲できる者を募り、その官をもって官とした。丙午、調度が足りないため、随朝の六品以下官および承応人の従己人力を罷め、傭銭を輸納させた。兵乱のあった州・府の吏は半減し、司・県の吏は三分の一を減じた。その他、開封府・南京転運司を除き、例として三分の一を減じた。禄ある官吏で差遣され本境を出ない者は券給を罷め、出境する者はその半額を与えた。修内司の軍夫も半減した。丁未、故皇太子の啓菆(仮埋葬)を行い、諡して莊献と賜う。戊申、迎朔門外に仮葬した。詔して、今後策論詞賦進士の第一甲第一人は特進して奉直大夫とし、第二人以下、経義第一人は並びに儒林郎、第二甲以下は征事郎、同進士は従仕郎、経童は将仕郎とする。壬子、芮国公従厚が薨去した。詔して使者を派遣し、山西宣撫司と共にその民の勇健なる者を選んで軍とする。有司に論じ、河北の兵を避ける民を拒まず、至る所で存恤を加えよ。山東西路宣撫副使完顔弼の言を用い、大沫堌の渠賊孫邦佐・張汝楫を五品職で招き、詔を下してその罪を湔洗する。乙卯、詔して朝廷の差遣官の券歴を検査し、故なくして中道に稽留する者はこれを罪する。丙辰、田琢に諭し、山西の流民の少壮なる者は軍に充て、老幼なる者は邢・洺等州に就食させ、河南に赴かんとする者は聴せよ。皇帝が親軍六千余および募った二千七百人を派遣して中都を救援することを議したが、宰臣が行宮が単弱であるとして親軍は派遣すべからずと言ったので、遂に止めた。

五月庚申、山西の軍民を招撫し、なお詔を降してこれを諭した。この日、中都が陥落し、尚書右丞相兼都元帥定国公承暉がこれに殉死した。戸部尚書任天寵・知大興府事高霖も皆難に及んだ。壬戌、空名の宣敕・紫衣師徳号度牒を降し、軍儲を補う。辛未、皇孫鏗を立てて皇太孫とする。癸酉、劉炳が上書して十事を言う。辛巳、皇帝が宰臣に諭す、「多事の秋、陳言する者は悉く省に送る。卿等に暇なきを恐れ、朕は宮中に局を置き、方正の官数名に命じて取るべきものを選び出し施行させようと思うが、どうか」と。宰臣は聖諭の通りにするよう請うた。詔して納馬補官の恩例を削る。戊子、西夏に代わらんことを謀り、大臣を派遣して京兆を鎮撫させる。

秋七月戊午朔、大元の兵が済源県を収める。己未、内外の品官より弓箭を徴発し、三品以上は三副、四品・五品は二副、その余は等級によりこれを徴する。庚申、陳・潁に漕運提挙官を置き、戸部勾当官を往来させて督察させる。星あり、太白の如く、色青白、尾あり、紫微垣北極の傍より出で、貫索の中に入る。皇帝、河北の譏察官に民財を要求して初めて民の渡河を聴く者あり、兵を避ける民が至って餓死または自溺する者あると聞き、特命して御史台にこれを体訪させる。また随朝の職官が民の碾磑を奪って自ら営利することを禁ず。詔して、河間に孤城あり、その軍民を移して清州に就粟せしめ、民間の騾を徴発して諸軍に付し、馬と参用せしむ。辛酉、官田および牧馬地を徴発して河北より河南に移徙した軍戸を贍うことを議し、既に民に佃作されているものは収穫完了の日を待って付す。群臣相次いでその不便を言うので、遂に取り止める。癸亥、詔して河北郡県の軍須は並びに河南の半減とする。尚書の造る諸符を定む:枢密院は鹿、宣撫司は魚、統軍司は虎。丙寅、参知政事高汝礪を河南に派遣し、便宜に糧儲を措置させる。品官の弓箭納入の令を制定し、丁憂致仕の者は免ず。甲戌、平陽の民租を一年間借用する。詔して職官で兵乱に遭い告身を亡失した者、現任の者が保識すれば即ち重ねてこれを給与し、妄冒する者は詐偽法に従う。丙子、尚書省が皇太孫の歳賜銭を給することを奏上したが、皇帝は従わず、言うには「繈褓の児が何に用いるというのか」と。詔して致仕官の俸給は南征時に比べてその半減とする。丁丑、粛宗の神主が中都より到着し、明俊殿に奉安する。戊寅、月が畢宿の中に入り、戊夜に畢の大星を犯す。己卯、明徳皇后の神主が中都に到着する。宮中の歳給を差等をつけて裁損する。甲申、詔して尚書省に、行六部が多すぎるので、各路の運司にこれを兼ねさせよ。交鈔の名を「貞祐宝券」と改める。

八月戊子朔(一日)、陝西統軍使完顏合打を以て樞密院事に簽す。己丑(二日)、制す、軍府の庶事は樞密院官須らく經歷官と裁決すべし、經歷の議是にして院官従わざるは、直ちに以て聞こえしむるを許す。癸巳(六日)、詔して官を遣わし京西路の親遷軍戸を體究せしむ。丙申(九日)、尚書省に諭す、職官の犯罪、大なる者は即ち之を施行し、小なる者は之を籍し、事定まりて始めて其の罪を論ず。樞密院に諭す、撒合輦の簽したる軍に具戒の僧人有るは、罷め遣わすべし。己亥(十二日)、詔す、武挙の官、見任に非ず及び已に軍に従える者は、随処に調べて京師に赴かしめ、別に一軍と為し、以て備用に供す。薦められて未だ官を授からざる者は、才を量りて之を任ず。庚子(十三日)、上、平陽城大にして兵食足らざるを慮り、之を棄つるを議す、宰臣、不可を執る。前冀州教授粘割忒鄰を賞す、義兵を集め、方略を出だし、土寇を遏ぎ、兵後に州を摂し、復た州治を立て、芻糧を積み、民戸を招徠すること五萬に至る、特だ三官を遷し、正五品職を升す。山東西路総管府を帰徳府及び徐・亳二州に置く。太常卿侯摯を以て参知政事と為し、尚書省を行わしむ河北東・西両路に。太祖の御容、西京より至る、啓慶宮に奉安す。甲辰(十七日)、行樞密院を徐州・帰徳府に置く。詔す、諸職官、何れの出身に拘わらず、其の才大用に可き者は尚書省具さに以て聞こえしむ。丙午(十九日)、山東西路宣撫使完顏弼表す:「遙授同知東平府事張汝楫、将に謀りて復た叛かんとし、密かに人を遣わし同知益都府事孫邦佐を招く。邦佐其の人を斬り、馳せて弼に報ず、弼、汝楫及び其の党萬餘を殺す。承制して邦佐を德州防禦使に升し、余の功を立つる者は賞に差有り。」上、弼の功を嘉し、崇進を加え、密国公に封じ、詔して之を獎諭す。丁未(二十日)、詔して近臣に良将を挙げしむ、孫邦佐に昭毅大将軍・泰定軍節度使を加え、仍て其の子を官す。戊申(二十一日)、東平・益都・太原・潞州に元帥府を置く。大赦す。己酉(二十二日)、監察御史許古、中都を恢復するの策を献ず。紅襖賊、成武を掠む、宣撫副使顏盞天澤、討ちて之を走らせ、首級数百を斬る。天澤に一官を進め、将校功有る者は命じて就きて遷賞せしむ。侯摯に命じ邢州の賊程邦傑を官を以て招かしむ、従わざれば則ち其の党を誘いて之を図らしむ。戸部幹弁官四員及び委差官を減ずるに差有り。壬子(二十五日)、行省を陝西に置く。乙卯(二十八日)、河に沿う闌糴の法を増し、十に其の八を取る、以て粟を販うの幣を抑え、仍て私渡を厳禁す。歩軍萬人を増し以て京以西を戍し、四萬人以て京以東を戍す。陝西の騎兵二千を選び、京畿の衛を増す。陝西に諭す、延安・臨洮・環・慶・蘭・会・保安・綏徳・平涼・徳順・鎮戎・涇原・酈・坊・邠・寧・乾・耀等の処の要害を堅守せよ。渭南州郡の歩兵を分かち平涼に屯し、宣撫使に邠州を治めしめ、副使に同州の澄城を治めしめて以て之を統べしむ。更に歩騎を以て渭に沿う諸津を守らしむ。丙辰(二十九日)、元帥左監軍兼知真定府事永錫、中都を援くに失律したるに坐し、官爵を削り、之を杖つこと八十。

九月丁巳朔(一日)、戸部侍郎奧屯阿虎言う:「国家多故、職官往々にして仕えず。乞うらくは両季を以て限り、違う者は復た任用するなかれ。」上、其の重きを嫌い、命ず、限に違う者は止だ三官を奪い、職三等を降し、仍て永く升注せざらしむ。辛酉(五日)、名を除かるる永錫、特だ信武将軍・息州刺史に遷す。甲子(八日)、宰臣に諭す、淮に沿う塘路以南の地、向は民業に授けしむ、今豪勢に拠り奪わるるは、其れ有司に之を察せしめよ。丙寅(十日)、樞密院言う:「陝西・河東の世襲蕃部巡検、昨、世襲猛安謀克の例に与り其の俸を罷む。今辺事方に急なり、宜しく仍て之を与うべく、庶幾く其の用を獲ん。又西辺の弓箭手、才武衆に超え、功を獲て未だ賞を推さざる者有らば、宣撫司に命じ実を核して以て聞こえしむべし。」之に従う。丁卯(十一日)、秋稼未だ獲ざるを以て、軍官の囲猟を禁ず。詔して隠士王澮に太中大夫・右諫議大夫を授け、遼東宣撫司参謀官に充てしむ。戊辰(十二日)、遙授武寧軍節度副使徒単吾典、平章政事抹撚盡忠の逆謀を告ぐ、詔して有司に之を鞫せしむ。潼関提控総領軍馬等の官を設く。辛未(十五日)、河北東路行総管府を原武・陽武・封丘・陳留・延津・通許・杞の諸県に置き、以て徙る所の軍戸を治めしむ。司属令和尚等に命じ鞏国公按辰の第を護治せしむ。上、宰臣に謂いて曰く:「按辰の為す所慎まず、或いは法を犯すに至らん。之を捨つれば則ち理に容れず、之を治めれば則ち親親の道を失わん。但だ官を設けて以て之を防ぐのみ。」按辰、尋いで法に不法を以て、博州防禦使に謫す。衛紹王の母李氏の光献皇后の尊諡を黜し、神主太廟に在り、画像啓慶宮に在るを、並びに遷し出だす。陳州鎮防軍の段仲連、羊三百を進む、詔して三官を遷す。右丞汝礪に命じ陳州に詣り糧儲を規画せしむ。壬申(十六日)、蘇門県を以て輝州と為す。癸酉(十七日)、世祖・太祖の御容を啓慶宮に朝謁し、献享の礼を行い、始めて楽を用う。東永昌に姓を賜いて温敦氏と為し、包世顯・包疙疸を烏古論氏と為し、睹令孤を和速嘉氏と為し、何定を必蘭氏と為し、馬福德・馬柏壽を夾穀氏と為し、各一官を遷す。甲戌(十八日)、太宗・熙宗・睿宗の御容を朝謁し、献享の礼を行う。詔す、開・滑・浚・済・曹・滕の諸州に連珠寨を置き、衛州の如くせよ。乙亥(十九日)、詔す、河北・山東等路及び平涼・慶陽・臨洮府、涇・邠・秦・鞏・徳順の諸州、兵を経る、四品以下の職事官並びに二十月を以て満と為す。随処の主帥及び官軍・義軍の将校を募り、衆を率いて復た中都を取る能き者は王に封じ、一品階を遷し、二品職を授く。能く戦いて敵を却け、善く降人を誘い、都に附く州県を取る者は、本処の長官・散官を予え、職に随い遷授し、余の州県は二等を遞減す。

紅襖賊周元兒、深・祁州を陥れ、束鹿・安平・無極等の県を陥る、真定帥府、計を以て之を破り、元兒及び其の党五百餘人を斬る。丁丑(二十一日)、詔す、司・県官、民を募り糧五千石以上を進むる能き者は、一資考を減じ、萬石以上は、一官を遷し、二資考を減じ、二萬石以上は一官を遷し、一等を升し、見闕に注す。諸色の人、功を以て国姓を賜わる者、千人を以て敵三千人を敗る能き者は、賜うこと緦麻以上の親に及び、二千人以上は、賜うこと大功以上の親に及び、千人以上は、賜うこと其の家に止む。庚辰(二十四日)、陝西宣撫司来たりて第五将城萬戸楊再興夏人を撃ち走らせし捷を上る。壬午(二十六日)、空名の宣敕を陝西宣撫司に付す、凡そ夏人の寇に入る、臨陣功を立つる能き者有らば、五品以下並びに遷授を聴す。乙酉(二十九日)、大名府行総管府を柘城県に置き、以て徙る所の軍戸を治めしむ。

冬十月丙戌朔、翰林侍読学士・権参知政事烏古論徳升が出て集慶軍節度使兼亳州管内観察使となる。丁亥、尚書右丞汝礪言う、「河北の軍戸の河南省に移徙する者は、宜しく官の閑田及び牧馬草地の耕すべき者を以て之に賜い、自ら耕して食らわしめ、其の月糧を罷むべし」。上其の請に従う。右司諫馮開に命じ随処に按視せしめ、人に三十畝を給す。夏人保安に入り、都統完顔国家奴之を破る。延安を攻め、戍将又之を敗る。是の日、捷至る。戊子、御史中丞徒単思忠を以て参知政事と為す。己丑、平章抹撚尽忠獄に下ること既に久しく、監察御史許古言う、「尽忠有司に逮系せらる、此れ必ず重罪なり、而して其の由を知る莫く、甚だ衆聴を駭かす。乞う公正の重臣を遣わして之を鞫せしむ。如し其の実を得ば、罪目を明示し、以て中外の心を厭わしむ」。書上るも、報いず。庚寅、遂に尽忠を誅す。癸巳、尽忠の罪状を中外に告ぐ。詔して枢密副使僕散安貞に枢密院を徐州に行わしむ。戊戌、遼東宣撫司留哥を敗れるの捷を報ず。甲辰、詔して広平郡王承暉の後を求め、其の猶子歴亭県丞永懐を得、以て器物直長と為す。丙午、夏人臨洮を陥とす。陝西宣撫副使完顔胡失剌執わる。庚戌、詔して尚書左丞相僕散端に都元帥を兼ねさせ、尚書省を陝西に行わしむ。辛亥、蒙古綱奏す、「昨旨を被り山東路宣副使を権め、東平に屯す。行きて徐の北岸に至るに、北兵已に徐に逼り、往くべからず」。詔して枢密副使僕散安貞に権めて沿河に於いて任使せしむ。壬子、同・華の旧屯陝西兵及び河南の移したる歩騎の旧に陝州宣撫司に隷する者を以て、改めて陝西行省に隷せしむ。中奉大夫・襲封衍聖公孔元措を召して太常博士と為す。上初めて元措を朝に用いんとす。或いは言う、宣聖の墳廟は曲阜に在り、宜しく之を遣わして奉祀せしむべしと。既にして上元措は聖人の後なり、山東寇盗縦横、恐らくは其の害に罹らん、是れ之をして奉祀せしめて却って之を絶たしむるなりと念い、故に是の命有り。遼東の賊蒲鮮万奴僭号し、元を天泰と改む。

十一月丙辰朔、河北行尚書省侯摯入見す。詔して河北西路宣撫副使田琢に浚より其の兵を徙して陝に屯せしむ。戊午、枢密院王世安の盱眙・楚州を取るの策を進む。遂に世安を以て招撫使と為し、泗州元帥府の遣わす人と同に淮南に往きて其の事を計度せしむ。戊辰、夏人綏徳の克戎寨を犯し、官軍之を敗る。綏平を犯し、又之を敗る。功有る将士に賞し、捷を告ぐる者を賞す。参知政事徒単思忠言う、「今陳言する者は多く細故を掇拾す。乞う省に送らず、只だ近侍局に其の可否を度りて発遣せしむ」。上曰く、「若し爾らば、是れ言路を塞ぐなり。凡そ国家に系る者は、豈に尚書省より由らずしてあらんや」。庚午、上尚書右丞汝礪と商略し官を遣わして田を括り軍に賜うの利害を遣わす。汝礪不便なる者数端を言う。乃ち詔して有司に其の令を罷めしめ、仍って軍糧の半を給し、其の半は詣実の価を給す。壬申、参知政事侯摯を遣わして河神を宜村に祭らしむ。甲戌、移剌塔不也軍万人を以て夏人数万を熟羊寨に破る。丙子、詔して民間の輓車の羸疾牝馬を市い群牧中に置き、以て滋息を図らしむ。臨洮府知事陀満胡土門夏人八万を城下に破る。丁丑、監察御史陳規参知政事侯摯を劾す。上其の言う所を允さず、而して之を慰答す。庚辰、上宰臣に謂いて曰く、「朕地を括りて民を擾わすを恐れ、其の令を罷めたり。官荒牧馬地に軍戸願い耕す者は聴す。已に民の承種する者は奪う勿れ。旧列点検左右将軍・近侍局官・護衛・承応人の秩満は皆匹帛を賜う。雖も所司之が為に製造すと雖も、然れども民に賦取するを免れず。近く亦之を罷め、只だ宝券を給す。朕の服御する所に至るまで、亦官絲を以て府監に付し之を織らしむ。自今より復た民に及ぼす勿れ」。大元兵彰徳府を徇く。知府陀満斜烈之に死す。

十二月乙酉朔、朔州の民を徙し分かち嵐・石・隰・吉・絳・解等州に屯す。戊子、軍事を以て枢密院官の朝拝を免ず。己丑、侯摯復た尚書省を河北に行う。庚寅、太白昼に見ゆ。壬辰、詔して元日の朝賀を免ず。乙未、勅して昭聖皇后の三代の官爵を贈る。太康県人劉全・時温・東平府民李寧謀反し、誅せらる。戊戌、陝西行元帥府兵を益すことを乞う。田琢の衆を以て之に隷せしめ、仍って詔を以て諭して奨む。壬寅、詔して林州刺史惟宏に都提控従坦と同に辺事を経理せしめ、諸将の功賞の次第便宜に行わしむ。乙巳、大元兵大名府を徇く。癸丑、皇太孫薨ず。殤を以て祭享の制無く、民を労する勿れと戒む。宣徽院に諭し元日の親王・公主の酒を進むるを免ぜしむ。甲寅、礼官奏す、正旦に宋使いを遣わし来たり賀す。朝を輟むべからず。楽を挙げ、服色を常儀の如くせしむるを命ず。詔して臨洮路兵馬都総管陀満胡土門に官三階を進め、再任せしむ。

四年春正月癸亥、監察御史田迥秀五事を条陳す。丙寅、紅襖賊泰安・徳・博等州を犯し、山東西路行元帥府之を敗る。丁卯、御史臺に諭して曰く、「今旦朝を視るに、百官既に拝したる後に、始めて開封府の衙を報ずる声を聞く。四方多故の秋、弛慢此の如し、可ならんや。中丞福興は素より官事に謹みたりと号す者なり、当に一たび之を詰むべし」。己巳、尚書右丞高汝礪左丞に進む。庚午、大元兵曹州を収む。辛未、参知政事侯摯尚書右丞に進む。壬申、太原元帥左監軍烏古論徳升其の民の北に降る者を招き、四千三百余人を得。癸酉、詔して故皇太孫に諡して沖懐と曰うことを賜う。偽造宝券を捕獲する者の官賞を更めて定む。乙亥、殿前都点検皇子遂王守礼を以て枢密使と為し、枢密使濮王守純を平章政事と為す。己卯、遂王守礼を立てて皇太子と為す。庚辰、詔して逃戸の租を免ず。壬午、言者官を遣わし農を勧むることを請う。秋成に至り、其の績を考へて以て賞を甄べしと。宰臣言う、「民は農を恃みて以て生く、初め勧むるを待たず。只だ其の力を寛め、其の時を奪う勿るのみ。官を遣わすは州県に督めしめて頃畝を計り、期会を厳にせしむるに過ぎず。吏卒因りて奸利を為す、是れ乃ち農を妨ぐ。何を以て勧むと名づけん」。上其の言を是とし、遣わさず。

二月甲申朔、日食あり。上朝せず、詔して皇太子に枢密院事を控制せしむ。大元の兵太原を囲む。乙酉、信武将軍・宣撫副使永錫を以て枢密院事を簽し、権尚書右丞とす。皇太子既に枢務を総べ、詔して有司に典礼を議せしめ、金を以て「撫軍之宝」を鋳造し太子に授け、啓稟の際に之を用いしむ。平章政事高琪表を上して致仕を乞う、許さず。枢密院官の如きに問うて以て備禦の策を問う。丁亥、河東南路宣撫使胥鼎を以て枢密副使・権尚書左丞とし、平陽に行省せしむ。鼎方に抗表して退を求めしに、詔して勉諭して就職せしめ、因りて是の命あり。行省左丞相僕散端先も亦た告老せしに、太医を遣わして往きて其の疾を鎮護視せしむ。戊子、宰臣以て皇太子既に立つ、服御儀物悉く已に冊を受くるに同じ、今辺事未だ寧からず、請うて冊宝の礼を少しく緩む、之に従う。戊戌、親王・公主の長春節入賀致礼を免ず。己亥、大元の兵霍山諸隘を攻め下す。甲辰、参知政事李革を命じて修奉太廟使と為し、礼部尚書張行信に提控して社稷を修奉せしむ。権りて肅宗の神主を世祖室に祔し、始祖以下の神主を随室に奉じ、祭器は瓦を以て銅に代え、献官は公服を以て事を行い、供張等の物並びに簡約に従う。庚戌、詔して凡そ死節の臣其の数を籍し、廟を立てて祭を致す。壬子、任国公瑋薨ず、朝を輟む。是の月、同知観州軍州事張開河間府滄・献等州並びに属県十有三を復し、表して旁郡の脅従の臣を赦すを請う。又た宣撫司空しくう名の宣敕二百道を以て之に付し、権りて署補を従え、仍て糧を以て其の軍食に継がしむるを請う。詔して枢密に措画せしむ。

三月乙卯、将に太廟を修せんとす、李革を遣わして祖宗の神主に奏告す于明俊殿。丁巳、曲赦す中都・河北等路。軍戸の地を給する事を議す。乙丑、延州刺史温撒可喜上疏して言う「皇太子宜しく正人を選びて師保と為すべし」。丙寅、長春節、宋使いを遣わして来賀す。己巳、将に社稷を修せんとす、太子少保張行信を遣わして預め告げしむ。滄州経略副使張文趙福を破り、恩州を復す。丙子、曲赦す遼東路。己卯、処士王澮を以て右諫議大夫より復た中奉大夫・翰林学士に遷し、仍て詔を賜いて褒諭す。庚辰、邢州の捷復た至る。

夏四月己丑、陝西行省来たりて秦州官軍の妖賊趙用・劉高二を破れる捷を報ず。官を遣わして単州防禦使僕散倬の罪を鞫し、其の単州を城するの役を罷む。癸巳、張開奏して清州等十有一城を復す、詔して官を遷すこと両階、将士を賞すること差あり。甲午、皇太子の名を改めて守緒と賜う。詔して陝西路の軍民を諭す。丙申、河北行省侯摯言う「北商粟を敗りて河を渡る、官遮りて其の什八を糴す、商遂に行かず、民饑益甚だし。請うて其の令を罷む」。之に従う。河南・陝西蝗あり。丁酉、太白昼に奎に見ゆ。己亥、夏人葩俄族都管汪三郎其の蕃戸を率いて来帰し、千羊を以て進む、詔して之を納れ、優に其の直を給す。辛丑、侯摯言う「紅襖賊臨沂・費県の境を掠む、官軍之を敗る。其の党を獲て之を訊ぬるに、其の渠賊郝定の号を僭し官を署し、已に滕・兗・単諸州、萊蕪・新泰等十余県を陥すを知る」。時道路通ぜず、宰臣請うて摯に諭して備えを為さしむ。仍て詔して枢密に招捕せしむ。蔡・息行元帥府の兵木陡関を抜き、首級千を斬る。甲辰、有司言う、扶風・郿県に騑有りて麦を傷つく。

五月癸丑朔、礼官言う「太廟既に成る、行都の礼雖だ簡約なり、惟だ親行祔享を以て敬と為す、請うて権りて鹵簿儀仗及び宮県楽舞を用いず」。之に従う。山東行省沂州の捷を上る。甲寅、鳳翔の華・汝等州蝗あり。辛酉、尚書右丞侯摯を以て東平に行省事せしむ。己巳、来遠鎮夏の諜者陳絺等を獲る、夏人の将に臨洮・鞏州を図り、長安ちょうあんを窺わんとするを知る。命じて陝西行省厳に之が備えを為さしむ。丙子、上将に七月を以て祔享の礼を行わんとす、時雨の妨げ有るを慮り、詔して改用して十月とす。夏人来羌城界河橋を修す。元帥右都監完顔賽不兵を遣わして之を焚き、俘馘甚だ多し。戊寅、京兆・同・華・鄧・裕・汝・亳・宿・泗等州蝗あり。

六月戊子、詔して凡そ進奏帖及び尚書省・枢密院に申す関応の大事、私に発視する者は絞、誤る者は二等を減ず、制書応に密すべき者は之の如し。壬辰、遼西偽瀛王張致完顔南合・張頑僧を遣わして表を上り来帰す。詔して致に特進を授け、行北京路元帥府事、兼本路宣撫使とし、南合を同知北京兵馬総管府とし、頑僧を同知広寧府とす。丙申、木星昼に奎に見ゆ、百有一日にして乃ち伏す。癸卯、詔して有司に雨を祈らしむ。丁未、河南大蝗有りて稼を傷つく、官を遣わして分道して之を捕らしむ。河北諸路宣撫司を罷め、更に経略司を置く。壬子、旱を以て、詔して参知政事李革に京師の冤獄を審決せしむ。

秋七月癸丑朔、昭義軍節度使必蘭阿魯帶威州及び獲鹿県を復す。飛蝗京師を過ぐ。甲寅、山東行省檻車に賊郝定等を載せて京師に至る、伏誅す。乙卯、旱蝗を以て、詔して中外にす。己未、勅して尚食数品及び後宮の歳給縑帛を減ずること差あり。辛酉、監察御史陳規上章して八事を条陳す。

閏月壬午朔、日食あり。辛卯、深州を復す。癸巳、翰林学士完顔孛迭『中興事蹟』を進む。甲午、掌軍官に命じて奇才絶力の人を挙げしめ、提控・都副統等の官互いに其の属を挙げしむ。挙官賞罰格を頒ち、功過相除くを許す。品官及び草沢人に才武有る者、挙薦升降も亦た之の如し。庚子、詔して河南・陝西鎮防軍応に廕及び納粟補官する者、当役は旧の如く、事定まるを俟ちて乃ち銓に赴くを聴す。

八月甲寅、太子少保兼礼部尚書張行信祔享親祀の儀を定めて以て進む。上嘉して之を納る。三原県僧広惠僧道の納粟多寡と都副威儀及び監寺等の格を進む、其の言に従いて之を鬻ぐ。夏人安塞堡に入る、元帥左監軍烏古論慶寿軍を遣わして之を敗る。壬戌、張行信に宝券二万貫・重幣十端を賜い、其の礼を議するの当たるを旌ぐ。乙亥、詔して中都の民を論じ、命じて大名招撫使人を募りて詔を持ち往かしむ。丙子、大元の兵延安を攻む。己卯、夏人結耶觜川に入る、官軍之を撃ち走らす。

九月辛巳朔、大元の兵坊州を攻む。簽枢密院事永錫を以て御史大夫とし、兵を領して陝西に赴き、便宜に事に従わしむ。壬辰、大元の兵代州を攻む。経略使奥屯醜和尚戦没す。中衛尉完顔奴婢等を以て賀宋生日使を充てしむ。

冬十月己未、親王・百官が太廟において祖宗の神主を奉迎す。射生・獵戸にして武藝を練習し山徑を知る者を招き、陝州・虢州の要地に分屯せしむ。元帥左監軍必蘭魯帶に命じて潼關を守らしめ、遙授知歸德府事完顏仲元に盧氏の軍を授く。大元の兵、潼關を攻む。西安軍節度使泥旁古蒲魯虎、戰沒す。辛酉、上親しく祔享の禮を行ふ。甲子、祔享の禮成る。赦す。乙丑、河南の官吏軍民に詔諭し、賞格を以て功を立てるの士を募る。參知政事徒單思忠に命じて京師の鎮撫を提控せしめ、移剌周剌阿不を關・陝に屯せしむ。丙寅、京師に防城の器械を具へ、多く坎熥を鑿ち、隙地に垣牆を築かしむるを詔す。衛紹王及び鎬厲王の家屬を京師に徙す。丁卯、社稷を奉安するに因り、官を遣はして預め告げしむ。戊辰、張行信に命じて太尉を攝らしめ、社稷を奉安せしむ。禮樂は皆その数を殺ぐ。吏・禮・兵・工四部尚書に詔して防城の役を董せしむ。大元の兵、汝州を徇く。己巳、河沿ひには通報の小舟のみを存し、餘は皆之を焚く。庚午、糧を宿する州縣に兵を屯し、其の民を簽して兵と為る者には就きて隊長を署し、以て自ら防遏せしむるを詔す。河東行省胥鼎、潞州元帥左監軍必蘭阿魯帶に軍一萬を以てし、孟州經略使徒單百家に軍五千を以てし、便道より河を濟ちて關・陝に趣かしめ、自ら平陽の精兵を將ひて京師を援けしむ。樞府に命じて軍を督して之に應ぜしむ。辛未、官を置きて招賢所の事を領せしむ。内外の官に命じて才識勇略有りて防城を區畫し能ふ者を探訪し、具さに以て聞かしむ。實を得れば超任し、仍ほ舉主を賞す。内に長才を負ひて人の知らざる者は、招賢所に赴きて自ら陳ずるを聽す。壬申、龍虎衛上將軍裴滿羊哥を以て歸德府事を知らしめ、行樞密院事を行はしむ。癸酉、有司の拘へし民間の輸稅車牛を以て軍士の衣糧を運ぶ者を罷遣するを詔す。甲戌、京に附する民に諭し、其の芻糧を盡く城に入れて徙し、官儲は並びに之を運ばしむ。丙子、行樞密院知河南府事完顏合打、徵兵に應を失ひたるを以て、誅に坐す。戶部郎中魏琦、王事に沒するを以て、其の子を官す。己卯、京師の穀を靡すを禁ぜんことを議す。近侍、寶券方に行はるるを以て、其の用の滯るを恐れ、果さず。吏部令史韓希祖言を陳ぶ、曾て戰功を以て身を致したる者を盡く拘へて京師に備用すべしと。之に從ふ。

十一月庚辰朔、守禦官及び軍人の遷賞格を增定す。辛巳、京に附する農民の自ら其の廬舍を撤するを止むるを詔す。壬午、河東行省胥鼎、京師に入りて援く。其の言を用ひ、知平陽府王質を以て權元帥左監軍とし、同知完顏僧家奴を以て權右監軍とし、河東を代鎮せしむ。鼎を拜して尚書左丞兼樞密副使とし、知歸德府完顏伯嘉を以て簽樞密院事とす。完顏合打の誅に伏するを以て、中外に詔す。乙酉、元帥右都監完顏賽不來、其の提控石盞合喜・楊斡烈等の定西に於て夏人を大敗せし捷を獻ず。行省に命じて其の功を視はしめ之を賞せしむ。大元の兵、澠池に至る。右副元帥蒲察阿裏不孫、軍潰れて逃れ、其の佩する所の虎符を失ふ。丙戌、前臨潢府推官權元帥右監軍完顏合達、官軍の老幼を率ひて北より歸國す。鎮南軍節度使に升し、官を三階進む。公帑の綿絹を出だして有司に付し、括りし民服を以て軍を衣せし者に償はしむるを詔す。是の夕、月、木星を暈す。木は奎に在り、月は壁に在り。己丑、防城器具を毀るの法を定む。辛卯、功を立てたる五品以上の官には御前に饌を賜ひ、六品以下の官には近侍局に饌を賜ふことを詔す。癸巳、上、皇太子に諭す、「京城の提控官に文資を以て充つる者有り。彼豈に兵を知らんや。其れ速かに之を易へよ」と。甲午、諸職官の傔從及び諸司局の射糧兵卒にして嘗て選ばれて軍に充てられたる者を放免す。戊戌、諸州縣に勅し、軍民を簽籍して以て土寇に備へしむ。華州元帥府、潼關を復す。庚子、在京の防城民軍を罷む。御史陳規等を遣はして河南宣差安撫捕盜官に充てしむ。河南路統軍使紇石烈掃合、兵を發するに後期したるを以て、誅に坐す。甲辰、尚書工部侍郎和尚等を以て賀宋正旦使に充てしむ。丙午、河南行樞密院從坦言ふ、其の族人道哥、行伍に隷して以て自ら效はんことを願ふと。上其の忠を嘉し、之を許す。内族承立、獲たる所の馬駝を進む。上曰く、「此れ軍士の得たる所なり。即ち以て之に與ふべし。朕安にか用ゐん」と。因りて諸道の將帥に遍く諭し、後は復た是の如くする勿れと。

十二月辛亥、平章政事朮虎高琪に崇進・尚書右丞相を加ふ。參知政事李革罷む。癸亥、大元の兵、平陽を攻む。丙寅、皇太子、西夏を伐たんことを議す。大元の兵、大名府を徇く。壬申、大元の兵、代州神仙橫城及び平定承天鎮の諸隘より進み、太原府を攻む。宣撫使烏古論禮、間道を遣はして礬書を齎し京師に至りて急を告ぐ。詔して潞州元帥府、平陽・河中・絳・孟宣撫司の兵を發して之を援けしむ。乙亥、高琪、南京の裏城を修せんことを請ふ。上曰く、「民力已に困す。此の役一たび興れば、病滋甚し。城雖も完固なりと雖も、朕亦何ぞ能く獨り此に安からんや」と。