○耶律弘古・耶律馬六・蕭滴冽・耶律適祿・耶律陳家奴・耶律特麼・耶律仙童・蕭素颯・耶律大悲奴
耶律弘古
耶律馬六
蕭滴冽
蕭滴冽、字は圖寧、遙輦鮮質可汗の宮人なり。重熙初、遙かに鎮國軍節度使を摂す。六年、詔を奉じて宋に使いし、足を傷めて跛び、告げずして遂に行く、帝怒る。及び還り、大杖を以て決し、同簽南京留守事に降す。遙かに静江軍節度使を授けられ、群牧都林牙を歴任し、累遷して右夷離畢となる。才幹を以て任使に見ゆ。会に車駕西征し、元昊降を乞う、帝以前後反覆するを以て、滴冽を遣わして誠否を覘わしむ。因りて元昊に禍福を陳述し、命を聴きて乃ち還る。北院樞密副使に拝され、出でて中京留守となる。十九年、西京留守に改め、卒す。
耶律適祿
耶律適祿、字は撒懶。清寧初、本班郎君となり、稍く遷りて宿直官となる。乾統中、阻卜を伐つに従い功あり、奉宸を加えらる。護衛太保を歴任し、弘義宮副使に改む。時に上京の梟賊趙鐘哥跋扈自肆す、適祿之を擒え、泰州觀察使を加えられ、達魯虢部節度使となる。天慶中、興中府を知り、金吾衛上將軍を加えらる。盗に為り殺さる。
耶律陳家奴
耶律陳家奴、字は綿辛、懿祖の弟葛剌の八世孫なり。重熙中、補はれて牌印郎君となる。直日に至らざるに坐し、本班に降る。会に帝狩猟す、陳家奴鹿を囲内に逐う、之を二百鞭つ。時に耶律仁先陳家奴の健捷海東青鶻に比すと薦め、禦盞郎君を授かる。鷹坊・尚廄・四方館副使を歴任し、徒魯古皮室詳穩に改む。会に太后の生辰に、詩を進め馴鹿を献じ、太后嘉奨し、珠二琲、雑彩二百段を賜う。兄撒缽卒す、陳家奴訃報を聞き、告げずして去る。帝怒り、之を鞭つ。清寧初、累遷して右夷離畢となる。時に帝と燕國王鹿を射て俱に中つ、王時に年九歳、帝悦び、陳家奴応制して詩を進む。帝喜び、衣を解きて以て賜う。後皇太子廃さる、帝陳家奴の党附を疑い、之を罷む。時に西北諸部辺を寇す、陳家奴を以て烏古部節度使行軍都監と為し、甲一属・馬二匹を賜い、諸部を討ち、其の酋を擒えて朝に送る。偵候者馬蹤を見て、寇至るを意い、陳家奴報を元帥に遣わす、耶律愛奴之を視て曰く、「此れ野馬なり!」と。将に出でて狩猟せんとす、賊至り、愛奴戦歿す。有司詰按す、陳家奴伏せず、詔して之を釈す。是より感激し、毎事竭力す。後諸部復た来侵す、陳家奴兵を率いて三往し、皆克ち、辺境遂に寧し。老を以て帰らんことを告ぐ、従わず。道宗崩じ、山陵使と為り、致仕す。年八十にして卒す。
耶律特麼
耶律仙童
蕭素颯
蕭素颯、字は特免、五院部の人なり。重熙年間に始めて仕え、累進して北院承旨・彰湣宮使に至る。清寧初年、左皮室詳穩・右夷離畢を歴任す。咸雍五年、剖阿裏部叛くや、素颯之を討ち降し、其の酋長を率いて来朝す。帝其の功を嘉し、北院林牙に徙め、南院副部署に改め、卒す。子謀魯斡、字は回璉、初め夷離畢郎君に補せられ、文班太保に遷る。大康年中、南京統軍使に改め、右夷離畢となる。樞密使耶律阿思と事を論ずるに合わず、忌まれ、出でて馬群太保となる。北部侵来す、謀魯斡之を破り、功により烏古敵烈統軍の同知に遷り、仍って便宜行事を許さる。後に讒毀により、西北路戍軍を領するに降り、復た馬群太保となり、卒す。
耶律大悲奴
【論】
論じて曰く、遼は神冊より降り、富強の勢いに席し、内に法度を修め、外に征伐を事とし、一時の将帥、威霊を震揚し、風行電掃す。西夏を討ち、党項を征し、阻卜を破り、敵烈を平げ、諸部震懼し、鼙鼓を聞きて胆落股弁す、斯れ雄武の国と謂うべし。其の戦勝攻取するや、必ず奇謀秘計神変測るべからざる者有り、将に前史の載する所、未だ以て之を発するに足らざるか。抑々天の授くる所、衆与に争う莫くして能く然るか。然りと雖も、兵は凶器なり、戢むべくして玩ぶべからず。争いは末節なり、遏むべくして召すべからず。此れ黄石公の所謂く柔よく剛を制し、弱よく強を制すなり。又況んや仁者の無敵なるをや。遼の君臣智足りて此れを守らば、金人果たして能く其の敝に乗じ其の後に躡むこと有らんや。是を以て耶律弘古輩諸将に於いて、慨然たる無き能わざるなり。