遼史

列傳第二十五: 耶律ヤリツ弘古・耶律馬六・蕭ショウ滴冽・耶律適祿・耶律陳家奴・耶律特麼・耶律仙童・蕭素颯・耶律大悲奴

列傳第二十五: 耶律ヤリツ弘古・耶律馬六・蕭ショウ滴冽・耶律適祿・耶律陳家奴・耶律特麼・耶律仙童・蕭素颯・耶律大悲奴

○耶律弘古・耶律馬六・蕭滴冽・耶律適祿・耶律陳家奴・耶律特麼・耶律仙童・蕭素颯・耶律大悲奴

原文○耶律弘古耶律馬六蕭滴冽耶律適祿耶律陳家奴耶律特麼耶律仙童蕭素颯耶律大悲奴

耶律弘古

原文耶律弘古

耶律弘古、字あざなは胡篤堇、樞密使化哥の弟なり。統和年間、累遷して順義軍節度使となり、入朝して北面林牙となる。太平元年、同政事門下平章事を加えられ、出て彰國軍節度使となり、山北道兵馬都部署を兼ね、武定軍節度使に転ず。六年、惕隱に拝される。阻卜ソボクを討ち功あり。聖宗嘗て臂の血を刺して弘古と盟を結び友と為し、礼遇特に異なり、南府宰相に拝され、上京留守に改む。重熙六年、南院大王に遷り、御製の誥辞を以て之を寵す。十二年、于越ウエツを加えらる。帝其の労を閔み、復た武定軍節度使を授け、卒す。訃報を聞き、上哭して曰く、「惜しいかな善人よ!」と。喪至り、親臨して奠す。

原文耶律弘古,字胡篤堇,樞密使化哥之弟。統和間,累遷順義軍節度使,入為北面林牙。太平元年,加同政事門下平章事,出為彰國軍節度使,兼山北道兵馬都部署,徙武定軍節度使。六年,拜惕隱。討阻卜有功。聖宗嘗刺臂血與弘古盟為友,禮遇尤異,拜南府宰相,改上京留守。重熙六年,遷南院大王,御制誥辭以寵之。十二年,加於越。帝閔其勞,復授武定軍節度使,卒。訃聞,上哭曰:「惜哉善人!」喪至,親臨奠焉。

耶律馬六

原文耶律馬六

耶律馬六、字は揚隱、孟父楚國王の後なり。性寛和にして、諧謔を善くし、親朋会遇すれば、一座尽く傾く。栄利に恬たり。耶律弘古と刺血の友と為り、弘古惕隱たりし時、薦めて補はれて宿直官となる。重熙初、旗鼓拽剌詳穩に遷る。人に畏慎し物を容れ、或いは面を相して陵折する者有りとも、恬然として聞かざるが若く、世務を臧否せず。以て故に上益々親狎す。三年、崇德宮使に遷り、惕隱となり、御製の誥辞を以て之を褒む。北院宣徽使に拝され、寵遇宰輔を過ぎ、帝常に兄を以て之を呼ぶ。遼興軍節度使に改め、卒す、年七十。子奴古達、終に南京宣徽使となる。

原文耶律馬六,字揚隱,孟父楚國王之後。性寬和,善諧謔,親朋會遇,一坐盡傾。恬於榮利。與耶律弘古為刺血友,弘古為惕隱,薦補宿直官。重熙初,遷旗鼓拽剌詳穩。為人畏慎容物,或有面相陵折者,恬然若弗聞,不臧否世務。以故上益親狎。三年,遷崇德宮使,為惕隱,御制誥辭以褒之。拜北院宣徽使,寵遇過宰輔,帝常以兄呼之。改遼興軍節度使,卒,年七十。子奴古達,終南京宣徽使。

蕭滴冽

原文蕭滴冽

蕭滴冽、字は圖寧、遙輦鮮質可汗カガンの宮人なり。重熙初、遙かに鎮國軍節度使を摂す。六年、詔を奉じて宋に使いし、足を傷めて跛び、告げずして遂に行く、帝怒る。及び還り、大杖を以て決し、同簽南京留守事に降す。遙かに静江軍節度使を授けられ、群牧都林牙を歴任し、累遷して右夷離畢となる。才幹を以て任使に見ゆ。会に車駕西征し、元昊降を乞う、帝以前後反覆するを以て、滴冽を遣わして誠否を覘わしむ。因りて元昊に禍福を陳述し、命を聴きて乃ち還る。北院樞密副使に拝され、出でて中京留守となる。十九年、西京留守に改め、卒す。

原文蕭滴冽,字圖寧,遙輦鮮質可汗宮人。重熙初,遙攝鎮國軍節度使。六年,奉詔使宋,傷足而跛,不告遂行,帝怒。及還,決以大杖,降同簽南京留守事。遙授靜江軍節度使,歷群牧都林牙,累遷右夷離畢。以才幹見任使。會車駕西征,元昊乞降,帝以前後反覆,遣滴冽往覘誠否。因為元昊陳述禍福,聽命乃還。拜北院樞密副使,出為中京留守。十九年,改西京留守,卒。

耶律適祿

原文耶律適祿

耶律適祿、字は撒懶。清寧初、本班郎君となり、稍く遷りて宿直官となる。乾統中、阻卜を伐つに従い功あり、奉宸を加えらる。護衛太保を歴任し、弘義宮副使に改む。時に上京の梟賊趙鐘哥跋扈自肆す、適祿之を擒え、泰州觀察使を加えられ、達魯虢部節度使となる。天慶中、興中府を知り、金吾衛上將軍を加えらる。盗に為り殺さる。

原文耶律適祿,字撒懶。清寧初,為本班郎君,稍遷宿直官。乾統中,從伐阻卜有功,加奉宸。歷護衛太保,改弘義宮副使。時上京梟賊趙鐘哥跋扈自肆,適祿擒之,加泰州觀察使,為達魯虢部節度使。天慶中,知興中府,加金吾衛上將軍。為盜所殺。

耶律陳家奴

原文耶律陳家奴

耶律陳家奴、字は綿辛、懿祖の弟葛剌の八世孫なり。重熙中、補はれて牌印郎君となる。直日に至らざるに坐し、本班に降る。会に帝狩猟す、陳家奴鹿を囲内に逐う、之を二百鞭つ。時に耶律仁先陳家奴の健捷海東青鶻に比すと薦め、禦盞郎君を授かる。鷹坊・尚廄・四方館副使を歴任し、徒魯古皮室詳穩に改む。会に太后の生辰に、詩を進め馴鹿を献じ、太后嘉奨し、珠二琲、雑彩二百段を賜う。兄撒缽卒す、陳家奴訃報を聞き、告げずして去る。帝怒り、之を鞭つ。清寧初、累遷して右夷離畢となる。時に帝と燕國王鹿を射て俱に中つ、王時に年九歳、帝悦び、陳家奴応制して詩を進む。帝喜び、衣を解きて以て賜う。後皇太子廃さる、帝陳家奴の党附を疑い、之を罷む。時に西北諸部辺を寇す、陳家奴を以て烏古ウコ部節度使行軍都監と為し、甲一属・馬二匹を賜い、諸部を討ち、其の酋を擒えて朝に送る。偵候者馬蹤を見て、寇至るを意い、陳家奴報を元帥に遣わす、耶律愛奴之を視て曰く、「此れ野馬なり!」と。将に出でて狩猟せんとす、賊至り、愛奴戦歿す。有司詰按す、陳家奴伏せず、詔して之を釈す。是より感激し、毎事竭力す。後諸部復た来侵す、陳家奴兵を率いて三往し、皆克ち、辺境遂に寧し。老を以て帰らんことを告ぐ、従わず。道宗崩ほうじ、山陵使と為り、致仕す。年八十にして卒す。

原文耶律陳家奴,字綿辛,懿祖弟葛剌之八世孫。重熙中,補牌印郎君。坐直日不至,降本班。會帝獵,陳家奴逐鹿圍內,鞭之二百。時耶律仁先薦陳家奴健捷比海東青鶻,授禦盞郎君。歷鷹坊、尚廄、四方館副使,改徒魯古皮室詳穩。會太后生辰,進詩獻馴鹿,太后嘉獎,賜珠二琲,雜彩二百段。兄撒缽卒,陳家奴聞訃,不告而去。帝怒,鞭之。清寧初,累遷右夷離畢。適帝與燕國王射鹿俱中,王時年九歲,帝悅,陳家奴應制進詩。帝喜,解衣以賜。後皇太子廢,帝疑陳家奴黨附,罷之。時西北諸部寇邊,以陳家奴為烏古部節度使行軍都監,賜甲一屬、馬二匹,討諸部,擒其酋送於朝。偵候者見馬蹤,意寇至,陳家奴遣報元帥,耶律愛奴視之曰:「此野馬也!」將出獵,賊至,愛奴戰歿。有司詰按,陳家奴不伏,詔釋之。由是感激,每事竭力。後諸部復來侵,陳家奴率兵三往,皆克,邊境遂寧。以老告歸,不從。道宗崩,為山陵使,致仕。年八十卒。

耶律特麼

原文耶律特麼

耶律特麼、季父房の後なり。重熙年間、北克となり、累遷して六部禿裏太尉となる。大安四年、倒塌嶺節度使となる。頃くして、禁軍都監となる。是の冬、磨古斯を討ち、二千余級を斬首す。十年、復た之を討つ。既に捷ちて、南院宣徽使を授かる。壽隆元年、北院大王となる。四年、黄龍府事を知り、薨こうず。

原文耶律特麼,季父房之後。重熙間,為北克,累遷六部禿裏太尉。大安四年,為倒塌嶺節度使。頃之,為禁軍都監。是冬,討磨古斯,斬首二千餘級。十年,復討之。既捷,授南院宣徽使。壽隆元年,為北院大王。四年,知黃龍府事,薨。

耶律仙童

原文耶律仙童

耶律仙童は仲父房の後裔なり。重熙初年、宿直官となり、累進して惕隱・都監に至る。寛厚を以て称せらる。蒲奴裏叛くや、仙童は五國節度使となり、師を率いて之を討ち、其の帥陶得裏を擒う。又烏隗の叛を撃ち、其の衆を降し、彰國軍節度使に改め、北院大王を拝す。清寧二年、黄龍府事を知り、侍衛親軍馬歩軍都指揮に遷り、忠順・武定二軍節度使を歴任す。致仕し、蔣國公に封ぜらる。咸雍初年、許國に徙封し、卒す。

原文耶律仙童,仲父房之後。重熙初,為宿直官,累遷惕隱、都監。以寬厚稱。蒲奴裏叛,仙童為五國節度使,率師討之,擒其帥陶得裏。又擊烏隗叛,降其眾,改彰國軍節度使,拜北院大王。清寧二年,知黃龍府事,遷侍衛親軍馬步軍都指揮,歷忠順、武定二軍節度使。致仕,封蔣國公。咸雍初,徙封許國,卒。

蕭素颯

原文蕭素颯

蕭素颯、字は特免、五院部の人なり。重熙年間に始めて仕え、累進して北院承旨・彰湣宮使に至る。清寧初年、左皮室詳穩・右夷離畢を歴任す。咸雍五年、剖阿裏部叛くや、素颯之を討ち降し、其の酋長を率いて来朝す。帝其の功を嘉し、北院林牙に徙め、南院副部署に改め、卒す。子謀魯斡、字は回璉、初め夷離畢郎君に補せられ、文班太保に遷る。大康年中、南京統軍使に改め、右夷離畢となる。樞密使耶律阿思と事を論ずるに合わず、忌まれ、出でて馬群太保となる。北部侵来す、謀魯斡之を破り、功により烏古敵烈テキレツ統軍の同知に遷り、仍って便宜行事を許さる。後に讒毀により、西北路戍軍を領するに降り、復た馬群太保となり、卒す。

原文蕭素颯,字特免,五院部人。重熙間始仕,累遷北院承旨,彰湣宮使。清寧初,歷左皮室詳穩、右夷離畢。咸雍五年,剖阿裏部叛,素颯討降之,率其酋長來朝。帝嘉其功,徙北院林牙,改南院副部署,卒。子謀魯斡,字回璉,初補夷離畢郎君,遷文班太保。大康中,改南京統軍使,為右夷離畢。與樞密使耶律阿思論事不合,見忌,出為馬群太保。北部來侵,謀魯斡破之,以功遷同知烏古敵烈統軍,仍許便宜行事。後以讒毀,降領西北路戍軍,復為馬群太保,卒。

耶律大悲奴

原文耶律大悲奴

耶律大悲奴、字は休堅、王子班聶裏古の後裔なり。大康年中、永興延昌宮使・右皮室詳穩を歴任す。阻卜叛くに会い、詔を奉じて之を招降す。壽隆二年、殿前都點検を拝す。乾統初年、上京留守・惕隱を歴任し、復た都點検となり、西南面招討使に改む。老を請うも、許さず。天慶年中、上京を留守し、北南樞密院點検中丞諸司等事を領す。彰國軍節度使を以て致仕し、卒す。大悲奴挙止馴雅にして、禮儀を好み、時に人に称せらる。

原文耶律大悲奴,字休堅,王子班聶裏古之後。大康中,歷永興延昌宮使、右皮室詳穩。會阻卜叛,奉詔招降之。壽隆二年,拜殿前都點檢。乾統初,歷上京留守、惕隱,復為都點檢,改西南面招討使。請老,不許。天慶中,留守上京,領北南樞密院點檢中丞諸司等事。以彰國軍節度使致仕,卒。大悲奴舉止馴雅,好禮儀,為時人所稱。

【論】

原文【論】

論じて曰く、遼は神冊より降り、富強の勢いに席し、内に法度を修め、外に征伐を事とし、一時の将帥、威霊を震揚し、風行電掃す。西夏を討ち、党項トウコウを征し、阻卜を破り、敵烈を平げ、諸部震懼し、鼙鼓を聞きて胆落股弁す、斯れ雄武の国と謂うべし。其の戦勝攻取するや、必ず奇謀秘計神変測るべからざる者有り、将に前史の載する所、未だ以て之を発するに足らざるか。抑々天の授くる所、衆与に争う莫くして能く然るか。然りと雖も、兵は凶器なり、戢むべくして玩ぶべからず。争いは末節なり、遏むべくして召すべからず。此れ黄石公の所謂く柔よく剛を制し、弱よく強を制すなり。又況んや仁者の無敵なるをや。遼の君臣智足りて此れを守らば、金人果たして能く其の敝に乗じ其の後に躡むこと有らんや。是を以て耶律弘古輩諸将に於いて、慨然たる無き能わざるなり。

原文論曰:遼自神冊而降,席富強之勢,內修法度,外事征伐,一時將帥,震揚威靈,風行電掃。討西夏,征党項,破阻卜,平敵烈,諸部震懾,聞鼙鼓而膽落股弁,斯可謂雄武之國矣。其戰勝攻取,必有奇謀秘計神變莫測者,將前史所載,未足以發之邪?抑天之所授,眾莫與爭而能然邪?雖然,兵者凶器,可戢而不可玩;爭者末節,可遏而不可召。此黃石公所謂柔能制剛,弱能制強也。又況乎仁者之無敵哉!遼之君臣智足守此,金人果能乘其敝而躡其後乎?是以於耶律弘古輩諸將,不能無慨然也。