卷六十七 表第五

外戚表

漢の外戚には新室の禍があり、晋の宗室には八王の乱があった。遼史では耶律氏・蕭氏が十のうち八九を占め、宗室と外戚は勢力が拮抗し、互いに唇歯の関係を保ち、国を支えた。これも一つの道である。しかし、これによって興り、またこれによって滅びたのは、その制度の弊害でもある。

契丹の外戚は、その祖先を二審密氏、拔里、乙室已という。遼太祖の代に述律氏を娶った。述律氏は本来、回鶻の糯思の子孫である。大同元年、太宗が汴から帰還する際、外戚の小漢を汴州節度使として留め置き、姓名を蕭翰と賜り、中国の風習に従わせた。これにより、拔里、乙室已、述律の三族はすべて蕭姓となった。拔里には二房あり、大父と小父という。乙室已にも二房あり、大翁と小翁という。世宗は舅の塔列葛を国舅別部とした。三族は代々北宰相の選任に預かり、太祖の神冊二年に阿骨只を任命したのが始まりである。聖宗は拔里と乙室已の二国舅帳を一つに合併し、別部と合わせて二つとした。これが遼の外戚の始末である。『外戚表』を作る。

外戚表

一世 二世 三世 四世 五世 六世 七世 八世 九世 十世 十一世
蕭氏 五世祖胡母里。 北府宰相敵魯。 平章事討古。
北府宰相干。
景宗睿智皇后の父、思温 忽里没 北府宰相、思温 北府宰相、継先。思温に嗣子がなく、睿智皇后が後継者に命じた
馬群侍中、朮魯烈 蘭陵郡王、撻凜 南京統軍、慥古
大父房、世次は不明 林牙、蕭和尚 北院枢密使、革
北院宣徽使特末
太祖淳欽皇后の父月碗 阿扎豁只月碗 北府宰相阿古只 北府宰相排押
世宗懷節皇后の父阿古只 蘭陵郡王恆德 蘭陵郡王匹敵
東路統軍柳
道宗宣懿皇后の父惠 蘭陵郡の王某人 斉国の王某人 北院枢密使の恵 西北招討使の慈氏奴
兀古匿 蒲離不
興宗仁懿皇后の父の孝穆 国舅詳穏の陶瑰 大丞相の孝穆 北院枢密使の阿剌 趙国の王別里剌 蘭陵郡王酬斡
北院宣徽使撒八
北院樞密使孝先 使相撒磨 蘭陵郡王得里底 磨撒
北院樞密使孝忠 南院樞密使阿速
北府宰相孝友
枢密副使胡睹
宰相撻列 龍虎衛上將軍忽古
臨海節度使拔剌
太宗靖安皇后の父室魯 駙馬都尉室魯
勉思
少父房、世次不明 勞古、聖宗の詩友 南院枢密使樸
中書令乙薛
始平節度使訛都斡
国舅詳穏双谷 南京統軍迭里得。黄八
聖宗仁徳皇后の父隗因 房族の世次を知らず 隗因
国舅族、世次を知らず 国舅、郡王高九 北府宰相朮哲 蘭陵郡王撻不也。
漢人行宮都部署韓家。
国舅別部、世次不明。 北府宰相只魯。 八世孫、世選北府宰相塔列葛。
七世孫臺哂。
戚属、世次不明。 令穩塔列。 総知軍国海璃。 烏古節度図玉。 南京統軍雙古。 敵烈統軍訛都斡。

原本を確認する(ウィキソース):遼史 巻67