遼史

志第十七上: 百官志三 南面上

◎百官志三

○南面上

契丹国は唐の太宗が都督ととく・刺史を置き、則天武后が王封を加え、玄宗が経略使を置いてより、初めて唐の官爵を有するに至った。その後、河北の藩鎮が唐の官名を受けるのを習い聞き、ここに太師・太保・司徒しと司空しくうが部族に施されることとなった。太祖はこれに因った。大同元年(947年)、世宗が初めて北院枢密使を置いた。翌年、世宗は高勲を南院枢密とした。すなわち枢密の設置は、太宗が汴に入ってより始まったのである。天禄四年、政事省を建てた。ここにおいて南面の官僚を書き記すことができる。その初め、漢人枢密院は尚書省を兼ね、吏・兵・刑には承旨があり、戸・工には主事があった。中書省は礼部を兼ね、別に戸部使司があった。営州の地に幽・冀の半分を加えて、これをもってちょうど足りたのである。中葉に文飾が増し、耶律楊六が太傅となり、三師のあることを知った。忽古質が太尉となり、三公のあることを知った。斡古得が常侍となり、劉涇が礼部尚書となり、門下・尚書省のあることを知った。庫部・虞部・倉部の員外が出使し、郎官列宿の員が備わっていることを知った。室昉が監修となり、国史に院のあることを知った。程翥が舎人となり、起居に注のあることを知った。邢抱朴が承旨となり、王言敷が学士となり、翰林内制のあることを知った。張幹が政事舎人となり、中書外制のあることを知った。大理・司農に卿があり、国子・少府に監があり、九卿・列監が見られる。金吾・千牛に大将があり、十六列衛が見られる。太子の上に師保があり、下に府率があり、東宮の官が備わっている。節度・観察・防禦・団練・刺史は、みな方州にあり、唐の制度と同じである。およそ唐の官で考証し得るものは、篇に列挙して具す。証拠のないものは記さない。

南面朝官

遼には北面朝官があったが、燕・代の十六州を得てより、唐の制度を用い、再び南面の三省・六部・台・院・寺・監・諸衛・東宮の官を設けた。誠に帝王の盛んな制度を志すとともに、また中国の人を招き寄せるためでもあった。

三師府、本名は三公、漢は丞相・太尉・御史大夫を以て三公と為した故に、三師と称す。

太師。穆宗応暦三年に太師唐骨德を見る。

太傅。太宗会同元年に馮道に命じて太傅を守らしむ。

太保。会同元年に劉昫に太保を守らしむ。

少師。『耶律資忠伝』に少師蕭把哥を見る。

少傅

少保

掌印。耶律乙辛、重熙年中に太保の印を掌る。

三公の府。前漢では丞相・太尉・御史大夫、後漢では大司徒・大司馬・大司空と改称し、唐では太尉・司徒・司空。また三司とも称す。

太尉。太宗天顕十一年に太尉趙思温を見る。

司徒。世宗天禄元年に司徒劃設を見る。

司空。聖宗統和三十年に司空邢抱質を見る。

漢人枢密院。本来は兵部の職務であり、周では大司馬、漢では太尉であった。唐末に宦官が権勢を振るい、内廷に枢密院を設置し、後に士人を用いるようになった。晋の天福年間に廃止され、開運元年(944年)に復置された。太祖の初めに漢児司があり、韓知古が漢児司事を総知した。太宗が汴に入り、晋の制度に因って枢密院を設置し、漢人の兵馬の政務を掌り、初めは尚書省を兼ねた。

枢密使。太宗大同元年(947年)に枢密使李崧を見る。

枢密使事を知る。

枢密院事を知る。

枢密副使。楊遵勗、咸雍年間に枢密副使となる。

枢密院事を同知す。聖宗太平六年に枢密院事を同知する耶律迷離已を見る。

枢密院副使事を知る。楊皙、興宗重熙十二年に枢密院副使事を知る。

枢密直学士。聖宗統和二年に枢密直学士郭嘏を見る。

枢密都承旨。聖宗開泰九年に枢密都承旨韓紹芳を見る。

枢密副承旨。楊遵勗、重熙年間に枢密副承旨となる。

吏房承旨。

兵刑房承旨

戸房主事

庁房は即ち工部主事なり

中書省。初めは政事省と称す。太祖の時に官を置き、世宗の天祿四年に政事省を建て、興宗の重熙十三年に中書省と改む。

中書令。韓延徽は、太祖の時に政事令となれり。韓知古は、天顯の初めに中書令となれり。會同五年にまた政事令趙延壽を見ゆ。

大丞相。太宗の大同元年に大丞相趙延壽を見ゆ。

左丞相。聖宗の太平四年に左丞相張儉を見ゆ。

右丞相。聖宗の開泰元年に右丞相馬保忠を見ゆ。

知中書省事。蕭孝友は、興宗の重熙十年に知中書省事となれり。

中書侍郎。韓資讓は、壽隆の初めに中書侍郎となれり。

同中書門下平章事。太祖は王郁に同政事門下平章事を加え、太宗

大同元年に平章事張礪を見ゆ。

参知政事。聖宗の統和十二年に参知政事邢抱朴を見ゆ。

堂後官。太平二年に堂後官張克恭を見ゆ。

主事。

守當官。耶律儼の『建官制度』に見える。

令史。耶律儼は、道宗の咸雍三年に中書省の令史となった。

中書舍人院。

中書舍人。室昉は、景宗の保寧年間に政事舍人となった。道宗の咸雍三年に中書舍人の馬鉉が見える。

右諫院。

右諫議大夫。聖宗の統和七年に諫議大夫の馬得臣が見える。

右補闕。

右拾遺。劉景は、穆宗の応暦初年に右拾遺となった。

門下省。

侍中。趙思忠は、太宗の会同年間に侍中となった。

常侍。興宗の重熙十四年に常侍の斡古得が見える。

給事中。聖宗の統和二年に給事中の郭嘏が見える。

門下侍郎。楊皙は、清寧初年に門下侍郎となった。

起居舍人院。

起居舍人。聖宗開泰五年に起居舍人程翥が見える。

知起居注。耶律敵烈、重熙末に起居注を知る。

起居郎。杜防、開泰中に起居郎となる。

左諫院

左諫議大夫。

左補闕。

左拾遺。統和三年に左拾遺劉景が見える。

通事舍人院

通事舍人。統和七年に通事舍人李琬が見える。

符寶司

符寶郎。耶律玦、重熙初めに符寶郎となる。

東上閣門司。太宗會同元年に置く。

東上閣門使。韓延徽傳に東上閣門使鄭延豐が見える。

東上閣門副使

西上閣門司

西上閣門使。統和二十一年に西上閣門使丁振が見える。

西上閣門副使。

東頭承奉班。

東頭承奉官。韓德讓は、景宗の時に東頭承奉官となった。

西頭承奉班。

西頭承奉官。

通進司。

左通進。

右通進。耶律瑤質は、景宗の時に右通進となった。

登聞鼓院。

知登聞鼓使。

匭院。

知匭院使。太平三年に知匭院事杜防が見える。

誥院。

誥院給事。耶律鐸斡は、重熙の末に誥院給事となった。

尚書省。太祖は嘗て左右尚書を置く。

左僕射。太祖の初め、康默記は左尚書となり、三年、左僕射韓知古を見る。

右僕射。太宗會同元年、右僕射烈束を見る。

左丞。武白は尚書左丞となる。

右丞

左司郎中

右司郎中

左司員外郎

右司員外郎

六部職名總目:

某部

某部尚書。聖宗開泰元年、吏部尚書劉績を見る。

某部侍郎。王觀、興宗重熙年中に兵部侍郎となり、李澣、穆宗朝に累遷して工部侍郎となる。

某部郎中。劉輝、道宗大安末年に禮部郎中となる。

ある部の員外郎。開泰五年に礼部員外郎王景運が見える。

ある部の郎中。聖宗統和九年に虞部郎中崔祐が見える。諸曹の郎官は詳らかでない。

御史台。太宗会同元年に設置。

御史大夫。会同九年に御史大夫耶律解里が見える。

御史中丞

侍御。重熙七年に南面侍御壮骨里が見える。

殿中司

殿中。聖宗開泰元年に殿中高可恆が見える。

殿中丞

尚舍局。『遼朝雑礼』に見える。

奉御

尚乗局奉御

尚輦局奉御

尚食局奉御

尚衣局奉御

翰林院。天子の文翰の事を掌る。

翰林都林牙。興宗重熙十三年に翰林都林牙耶律庶成を見る。

南面林牙。耶律磨魯古、聖宗統和初めに南面林牙と為る。

翰林學士承旨。《趙延壽傳》に翰林學士承旨張礪を見る。

翰林學士。太宗大同元年に和凝が翰林學士と為るを見る。

翰林祭酒。韓德崇、景宗保寧初めに翰林祭酒と為る。

知制誥。室昉、太宗汴に入り、詔して知制誥と為す。

翰林畫院

翰林畫待詔。聖宗開泰七年に翰林畫待詔陳昇を見る。

翰林醫官。天祚保大二年に提挙翰林醫官李奭を見る。

國史院。

監修國史。聖宗統和九年に監修國史室昉を見る。

史館學士。景宗保寧八年に史館學士を見る。

史館修撰。劉輝、大安末に史館修撰と為る。

修國史。耶律玦、重熙初めに國史を修む。

宣政殿。

宣政殿学士。穆宗応暦元年に宣政殿学士李澣を見る。

観書殿

観書殿学士。王鼎、寿隆初めに観書殿学士と為る。

昭文館

昭文館直学士。楊遵勗の子晦、昭文館直学士と為る。

崇文館

崇文館大学士。韓延徽、太祖の時に崇文館大学士と為る。

乾文閣

乾文閣学士。王観、道宗咸雍五年に乾文閣学士と為る。

宣徽院。太宗会同元年に置く。

宣徽使

知宣徽院事。馬得臣、統和初めに知宣徽院事と為る。

宣徽副使

同知宣徽使事

同知宣徽院事

内省

内省使。聖宗太平九年に初めて内省使を見る。

内省副使

内蔵庫

内蔵庫提点。道宗清寧元年に内蔵庫提点耶律烏骨を見る。

内侍省

黄門令

内謁者

内侍省押班

内侍左廂押班

内侍右廂押班

契丹、漢児、渤海内侍都知

左承宣使

右承宣使

内庫

都提点内庫

尚衣庫

尚衣庫使

湯薬局

都提点、勾当湯薬

内侍省の官、並びに『王継恩伝』、『趙安仁伝』に見ゆ。

客省。太宗会同元年に置く。

都客省。興宗重熙十年に都客省回鶻重哥を見る。

客省使。会同五年に客省使耶律化哥を見る。

左客省使。蕭護思、応暦初めに左客省使となる。

右客省使

客省副使

四方館

四方館使。高勳、太宗の汴に入る時に四方館使となる。

四方館副使。道宗の咸雍五年、四方館副使は契丹人のみを以て充てることを詔す。

引進司

引進使。聖宗の統和二十八年、引進使韓杞を見る。

點簽司。

同簽點簽司事。興宗の重熙六年、同簽點簽司事耶律圓寧を見る。

禮信司

勾當禮信司。興宗の重熙七年、勾當禮信司骨欲を見る。

禮賓使司

禮賓使。大公鼎の曾祖忠は禮賓使たり。

寺官職名總目:

某卿。興宗の景福元年、崇祿卿李可封を見る。

某少卿。耶律儼の子処貞は太常少卿たり。

某丞

某主簿

太常寺。博士、贊引、太祝、奉禮郎、協律郎あり。

諸官署の職名総目:

某署令。

某署丞。

太楽署。

鼓吹署。

法物庫。《遼朝雑礼》に法物庫の掌る図籍あり。

法物庫使

法物庫副使

崇禄寺。本来は光禄寺、太宗の諱を避けて改む。

衛尉寺

宗正寺。職は大惕隠司に在り。

太僕寺。乗黄署あり。

大理寺。提点大理寺あり、大理正あり、聖宗統和十二年に置く。

鴻臚寺

司農寺

諸監の職名総目:

某太監。興宗景福元年に少府監馬憚を見る。

某少監。興宗重熙十七年に将作少監王企を見る。

某監丞

某監主簿

秘書監。秘書郎、秘書郎正字あり。

著作局

著作郎

著作佐郎。楊皙、聖宗太平十一年に著作佐郎となる。

校書郎。楊佶、統和中に校書郎となる。

正字。開泰元年に正字李萬を見る。

司天監。太史令あり、司歷・霊臺郎・挈壺正・五官正・丞・主簿・五官霊臺郎・保章正・司歷監候・挈壺正・司辰・刻漏博士・典鐘・典鼓あり。

國子監。上京國子監は太祖の置く所なり。

祭酒

司業

監丞

主簿

國子學

博士。武白は上京國子博士となる。

助教

太府監

少府監

將作監

都水監

以上は文官。

諸衛職名總目:

各衛

大將軍。聖宗開泰七年、皇子宗簡の右衛大將軍を見る。

上將軍。王繼忠、統和二十二年に左武衛上將軍を加えられる。

將軍。聖宗太平四年、千牛衛將軍蕭順を見る。

折衝都尉

果毅都尉

親衛

勳衛

翊衛

左右衛

左右ぎょう

左右武衛

左右威衛

左右領軍衛

左右金吾衛

左右監門衛

左右千牛衛

左右羽林軍

左右龍虎軍

左右神武軍

左右神策軍

左右神威軍

以上は武官である。

東宮三師府。凡そ東宮の官は多く『遼朝雑礼』に見える。

太子太師。太宗の大同元年に太子太師李崧が見える。

太子太傅。世宗の天禄五年に太子太傅趙瑩が見える。

太子太保。大同元年に太子太保趙瑩が見える。

太子少師。聖宗の太平十一年に太子少師蕭従順が見える。

太子少傅。耶律合里、重熙年間に太子少傅となった。

太子少保。大同元年に太子少保馮玉が見える。

太子賓客院

太子賓客

太子詹事院

太子詹事

少詹事

詹事丞

詹事主簿

太子司直司

太子司直

左春坊

太子左庶子

太子中允。聖宗太平五年に太子中允馮若谷を見る。

太子司議郎

太子左諭德

太子左贊善大夫

文學館

崇文館學士

崇文館直學士

太子校書郎。聖宗太平五年に太子校書郎韓灤を見る。

司経局

太子洗馬。劉輝は大安の末に太子洗馬となれり。

太子文学

太子校書郎。聖宗太平五年に太子校書郎張昱を見る。

太子正字

典設局

典設郎

宮門局

宮門郎

右春坊

太子右庶子

太子中舎人

太子舎人

太子右諭徳

右賛善大夫

太子通事舍人

太子家令寺

太子家令

主簿

太子率更寺

太子率更令

主簿

太子僕寺

太子僕

主簿

太子率府職名總目:

某率。興宗重熙十四年に率府率習羅を見る。

太子左右衛率府

太子左右司御率府

太子左右清道率府

太子左右監門率府

太子左右內率府

以上は東宮の官である。

王傅府

王傅。蕭惟信は、重熙十五年(1046年)に燕趙王の傅となった。

親王內史府

內史。道宗の大康三年(1077年)に內使の呉家奴が見える。

長史

參軍

諸王文學館

諸王教授。姚景行は、重熙年間(1032年-1055年)に燕趙國王の教授となった。

諸王伴讀。聖宗の太平八年(1028年)、長沙郡王の宗允らが諸王の伴読を選ぶことを上奏した。

以上は諸王府の官である。

南面宮官

漢兒行宮都部署院。また南面行宮都部署司ともいう。聖宗開泰九年に左僕射と改めた。

漢兒行宮都部署。開泰七年に漢兒行宮都部署石用中が見える。

漢兒行宮副部署。興宗重熙十五年に漢兒行宮副部署耶律敵烈が見える。

知南面諸行宮副部署。重熙十年に知南面諸行宮副部署耶律褭里が見える。

同知漢兒行宮都部署事。道宗大康三年に同知漢兒行宮都部署事蕭撻不也が見える。

同簽部署司事。耶律儼は、大康年間に同簽部署司事となった。

都部署判官。耶律儼は、咸雍年間に都部署判官となった。

十二宮南面行宮都部署司の職名総目:

某宮漢人行宮都部署

某宮南面副都部署

某宮同知漢人都部署

弘義宮

永興宮

積慶宮

長寧宮

延昌宮

彰愍宮

崇德宮

興聖宮

延慶宮

太和宮

永昌宮

敦睦宮