五年の春正月辛巳、党項の小斛祿が人を遣わしてその地に臨むことを請うた。戊子、天徳に向かい、沙漠を過ぎる。金兵が忽然として至る。上は徒歩で出走し、近侍が珠帽を進めるもこれを退け、張仁貴の馬に乗って脱し、天徳に至る。己丑、雪に遇い、寒さを防ぐ具がなく、朮者が貂裘の帽を進める。途次、糧食が絶え、朮者が麨と棗を進める。休憩せんとすれば、朮者は即ち跪坐し、これに倚り仮寐する。朮者らはただ冰雪を齧って飢えを凌ぐ。天徳を過ぎる。夜に至り、民家に宿らんとし、偵騎と偽る。その家はこれを知り、乃ち馬首を叩き、跪いて大いに慟哭し、密かにその家に宿る。数日居り、その忠を嘉し、遥かに節度使を授け、遂に党項に向かう。小斛祿を以て西南面招討使とし、軍事を総知せしめ、仍てその子及び諸校に爵賞を賜うこと差等あり。
二月、応州新城の東六十里に至り、金人の完顔婁室らに捕えられる。
天慶五年、東征し、都監章奴は鴨子河を渡り、淳の子阿撒ら三百余人とともに亡帰す。先に敵里らを遣わし、廃立の謀を淳に報ず。淳は敵里の首を斬りて献じ、秦晉国王に進封され、都元帥に拝し、金券を賜い、漢拝の礼を免じ、名を呼ばず。自ら将士を択ぶことを許され、乃ち燕・雲の精兵を募る。東は錦州に至り、隊長武朝彦乱を起こし、淳を劫う。淳は匿れて免れ、朝彦を収めて誅す。会に金兵至り、兵を聚めて阿里軫斗に戦い、敗績す。亡卒数千人を収めてこれを拒ぐ。淳、朝に入り、その罪を釈し、詔して南京に刻石して功を紀せしむ。
天祚は河を渡り夏に奔る。隊帥耶律敵列ら雅里を劫い北に走る。沙嶺に至り、蛇が道を横切り過ぐるを見る。識者、これをもって不祥と為す。後三日、群僚共に雅里を立てて主と為す。雅里遂に即位し、元を改めて神曆と為し、士庶に便宜を上ることを命ず。
雅里は性寛大にして、誅殺を悪む。亡者を獲れば、これを笞つのみ。自ら帰する者有れば、即ちこれに官す。因って左右に謂いて曰く、「附せんと欲すれば来り帰せよ。附せずんば則ち去れ。何ぞ威逼を須いんや」と。毎に唐の貞観政要及び林牙資忠の作れる治国詩を取り、侍従に令してこれを読ます。烏古部節度使糺哲、迭烈部統軍撻不也、都監突里不ら各その衆を率いて来附す。ここより諸部継ぎ至る。而して雅里は日に荒怠に漸ち、鞠を撃つを好む。特母哥切に諫め、乃ち復た出でず。耶律敵列を以て枢密使と為し、特母哥これを副う。敵列は西北路招討使蕭糺里が衆心を熒惑し、志に臣ならざる有りと劾し、その子麻涅とともにこれを誅す。遥設を以て招討使と為し、諸部と戦い、数えず敗れ、杖して官を免ず。
従行するに疲困する者有れば、輒ち振給す。直長保德諫めて曰く、「今国家空虚なり。賜賚この若きは、将に何を以て相給せんや」と。雅里怒りて曰く、「昔、福山に畋う。卿は猟官を誣う。今また此の言有り。若し諸部無くんば、我将に何を取らん」と。納れず。初め、群牧に令して塩濼倉の粟を運ばしむ。而して民これ盗む。議して籍を以て償わしめんとす。雅里乃ち自ら直を為す。粟一車毎に、一羊を償う。三車に一牛。五車に一馬。八車に一駝。左右曰く、「今一羊、粟二斗と易うるも且つ得可からず。乃ち一車を償うとは」と。雅里曰く、「民に有らば我に有り。若し尽く償わしめば、民何ぞ堪えん」と。
後に查剌山で狩猟し、一日で黄羊四十頭、狼二十一頭を射止めたが、これがもとで病を得て卒した。享年三十。
耶律大石は、世に西遼と号される。大石は字を重徳といい、太祖の八代目の孫である。遼と漢の文字に通じ、騎射に優れ、天慶五年に進士に及第し、翰林応奉に抜擢され、まもなく承旨に昇進した。遼では翰林を林牙と称したので、大石林牙と称された。泰州・祥州の二州刺史、遼興軍節度使を歴任した。
大石は自ら安んじることができず、ついに蕭乙薛・坡里括を殺し、自立して王となり、鉄騎二百を率いて夜遁した。北に三日行き、黒水を渡り、白達達の詳穏牀古児に会った。牀古児は馬四百頭、駱駝二十頭、羊若干を献上した。西に進んで可敦城に至り、北庭都護府に駐屯し、威武・崇徳・会蕃・新・大林・紫河・駝の七州および大黄室韋・敵剌・王紀剌・茶赤剌・也喜・鼻古徳・尼剌・達剌乖・達密里・密児紀・合主・烏古里・阻卜・普速完・唐古・忽母思・奚的・糺而畢の十八部の王と衆を集め、諭して言った、「我が祖宗は艱難を経て創業し、九代の君主を経て、二百年を歴た。金は臣下の身分でありながら、我が国家を逼迫し、我が民衆を害し、我が州邑を屠り切り、我が天祚皇帝を外に蒙塵させた。日夜、痛心疾首している。我今、義を仗して西に向かい、諸蕃の力を借りて、我が仇敵を滅ぼし、我が疆宇を回復しようと欲する。爾ら衆もまた、我が国家を憂い、我が社稷を憂い、共に君父を救い、生民を難から救済しようと思う者はいるか」。こうして精兵一万余を得て、官吏を置き、排甲を立て、器仗を整えた。
翌年二月甲午、青牛と白馬をもって天地・祖宗を祭り、軍旅を整えて西に向かった。先に回鶻王畢勒哥に書を送り、「昔、我が太祖皇帝が北征し、卜古罕城を過ぎた時、直ちに使者を甘州に遣わし、爾の祖烏母主に詔して言った、『汝は故国を思うか、朕が即ち汝のためにこれを回復しよう。汝が帰還できないか、朕がこれを有する。朕にあるは、爾にあると同じである』と。爾の祖は即ち表を奉って謝し、ここに国を遷して十余世、軍民皆安土重遷し、再び帰還できないと述べた。これが爾の国との一日ならざる友好である。今、我が大食に西行せんとし、爾の国を仮道する。疑いを致すことなかれ」。畢勒哥は書を得て、直ちに邸に迎え、三日間大いに宴を催した。出発に際し、馬六百頭、駱駝百頭、羊三千頭を献上し、子孫を人質として附庸となることを願い、境外まで見送った。通過する所で、敵対する者はこれを勝ち、降伏する者はこれを安んじた。兵は万里を行き、帰順する国数カ国、得た駱駝・馬・牛・羊・財物は数え切れなかった。軍勢は日に日に盛んとなり、鋭気は日に日に倍した。
尋思干に至ると、西域諸国が兵十万を挙げ、忽児珊と号して来襲し、戦いを拒んだ。両軍は二里余りを隔てて相望んだ。将兵に諭して言った、「彼の軍は多いが謀略がなく、これを攻めれば首尾相救わず、我が師は必ず勝つ」。六院司大王蕭斡里剌・招討副使耶律松山らに兵二千五百を将いてその右を攻めさせ、枢密副使蕭剌阿不・招討使耶律朮薛らに兵二千五百を将いてその左を攻めさせ、自らは衆を率いてその中を攻めた。三軍ともに進み、忽児珊は大敗し、死体が数十里にわたった。尋思干に駐軍すること凡そ九十日、回回国王が来降し、地方の産物を貢いだ。
さらに西に起児漫に至ると、文武百官が大石を冊立して帝とし、甲辰の歳二月五日に即位した。年三十八、号は葛児罕。さらに漢の尊号を上って天祐皇帝と称し、元号を延慶と改めた。祖父を追諡して嗣元皇帝とし、祖母を宣義皇后とし、元妃蕭氏を冊立して昭徳皇后とした。そこで百官に言った、「朕は卿らとともに三万里を行き、沙漠を跋渉し、日夜艱難勤労した。祖宗の福と卿らの力に頼り、大位に登った。爾らの祖、爾らの父は宜しく卹典を加え、尊栄を共にすべきである」。蕭斡里剌ら四十九人の祖父より、封爵に差等をつけた。
子が幼少であったため、遺詔により妹の普速完が国を権摂し、称制し、元号を崇福と改め、号は承天太后。後に駙馬蕭朶魯不の弟朴古只沙里と私通し、駙馬を東平王として出し、罪を捏造してこれを殺した。駙馬の父斡里剌が兵をもってその宮殿を包囲し、普速完と朴古只沙里を射殺した。普速完は在位十四年。
仁宗の次子直魯古が即位し、元号を天禧と改め、在位三十四年。秋に狩猟に出た時、乃蛮王屈出律が伏兵八千をもってこれを捕らえ、その位を占拠した。ついに遼の衣冠を襲用し、直魯古を太上皇と尊び、皇后を皇太后と尊び、朝夕起居を問い、もって終焉を侍らせた。直魯古が死に、遼は絶えた。
耶律淳は天祚帝の世に、大国の王に歴任し、金券を賜り、拝礼の際に名を呼ばれなかった。一時の恩遇は比べるものがない。天祚帝が流亡した時、都元帥として南京に留守し、ただ燕民および諸大臣を激して大義を奮い起こし、勤王の師を興し、東は金を拒み天祚帝を迎えることができなかったのか。自らこれを取ったのは、これは簒奪である。ましてや天祚帝を王とすることなど忍びえようか。
大石は既に淳を帝とし天祚帝を王としたが、再び天祚帝のもとに帰った。天祚帝が大義をもって責めたので、ついに自立して王となり、そこを去った。幸い祖宗の余威と遺智を藉り、万里の外に号を建てた。寡母弱子と雖も、更に継ぎ代わり承け、凡そ九十年、これもまた難きと言えよう。
然るに淳と雅里、大石の立つは、皆天祚の世に在り。君有りて復た之を君とす、其れ可ならんや。諸葛武侯が献帝の為に発喪し、而して後先主を立てて帝と為す者は、同年に語るべからざるなり。故に著して以て戒めと為す。
賛に曰く、遼は朔野より起こり、兵甲の盛んなる、鼓行して㝮外し、河朔を席卷し、晋を樹て漢を植う、何ぞ其れ壮なるや。太祖・太宗、百戦の勢いに乗じ、新造の邦を輯め、英謀叡略、遠しと謂うべし。世宗の中才を以てし、穆宗の残暴を以てし、連ねて弑逆に遘うと雖も、而して神器は動かず。蓋し祖宗の威令、猶ほ以て其の国人を震疊するに足るに由るなり。
聖宗以来、内に政治を修め、外に疆宇を拓く。既にして隣好を申固し、四境乂安たり。二百餘年の基を維持する、自ら来る有り。
降りて天祚に臻り、既に末運に丁り、又人望を觖き、姦回を崇信し、自ら国本を椓ち、羣下心を離す。金兵一たび集まり、内難先づ作り、廃立の謀、叛亡の迹、相継いで蠭起す。馴致して土崩瓦解し、復た支うる可からず、良に哀しむべし。耶律と蕭とは、世に甥舅たり、義は休戚を同じくす。奉先、私を挟みて公を滅ぼし、首めて禍を構え難を作す、一に斯くの如きに至る。天祚窮蹙し、始めて奉先の己を誤れるを悟る、幾ばくか晚からざらんや。
淳・雅里は所謂名正しからず、言順わず、事成らざる者なり。大石苟延するは、彼れ此れに善くするも、亦幾何ぞや。