遼史

本紀第二十七: 天祚皇帝一

天祚 一

天祚皇帝は、諱を延禧、字を延寧、小字を阿果という。道宗の孫、父は順宗大孝順聖皇帝、母は貞順皇后蕭氏である。大康元年に生まれた。六歳で梁王に封ぜられ、守太尉を加えられ、中書令を兼ねた。後三年、燕國王に進封された。大安七年、北南院樞密使事を総べ、尚書令しょうしょれいを加えられ、天下兵馬大元帥となった。

壽隆七年は「壽昌七年」とすべきである。おそらく「壽隆」と改元した翌年、また別に「壽隆」を「壽昌」と改めたのであろう。正月甲戌、道宗が崩御し、遺詔を奉じて柩前で皇帝の位に即いた。群臣が尊號を上って天祚皇帝と称した。

二月壬辰朔、元号を乾統と改め、大赦を行った。詔して、耶律乙辛によって誣陷された者の官爵を復し、籍没された者を出し、流放された者を還した。乙未、使者を遣わして宋及び西夏・高麗に喪を告げた。乙巳、北府宰相蕭兀納を遼興軍節度使とし、守太傅を加えた。

三月丁卯、詔して有司に張孝傑の家屬を群臣に分賜させた。甲戌、僧法頤を召して内庭で戒を放たしめた。

夏四月、旱魃があった。

六月庚寅朔、慶州に行幸した。甲午、宋が王潛らを遣わして来朝し弔祭した。丙申、高麗・夏國が各々使者を遣わして慰奠した。戊戌、南府宰相斡特剌に南院樞密使を兼ねさせた。庚子、懿德皇后を追って宣懿皇后とした。壬寅、宋魏國王和魯斡を天下兵馬大元帥とした。乙巳、北平郡王淳を進めて鄭王に封じた。丁未、北院樞密使耶律阿思に于越を加えた。辛亥、仁聖大孝文皇帝・宣懿皇后を慶陵に葬った。

秋七月癸亥、阻卜・鐵が来朝して貢した。

八月甲寅、慶陵に謁した。九月壬申、懷陵に謁した。乙亥、藕絲澱に駐蹕した。冬十月壬辰、乾陵に謁した。甲辰、皇考昭懷太子を大孝順聖皇帝とし、廟號を順宗とし、皇妣を貞順皇后とした。

十二月戊子、樞密副使張琳に知樞密院事をさせ、翰林學士張奉三に知政事兼同知樞密院事をさせた。癸巳、宋が黄實を遣わして来朝し即位を賀した。丁酉、高麗・夏國が並びに使者を遣わして来朝し賀した。乙巳、詔して先朝の既に行われた事は、陳告することを得ずとした。

初め、楊割を生女直部節度使とした。その俗に太師と呼ぶ。是の歳、楊割が死に、兄の子烏雅束に伝え、束が死に、その弟阿骨打が襲った。

二年春正月、鴨子河に行幸した。二月辛卯、春州に行幸した。

三月、大いに寒く、氷が再び合した。

夏四月辛亥、詔して乙辛の党を誅し、その子孫を辺境に移す。乙辛・得里特の墓を発き、棺を剖き、屍を戮す。その家屬を分ちて殺されたる家に賜う。

五月乙丑、斡特剌、耶睹刮等の部の捷を献ず。

六月壬辰、雨を以て猟を罷め、散水原に駐蹕す。丙午、夏国王李乾順、復た使を遣わして公主を尚ばんことを請う。丁未、南院大王陳家奴致仕す。壬子、李乾順、宋に攻められ、李造福・田若水を遣わして援を求む。

閏月庚申、賢良を策す。壬申、惠妃を降して庶人と為す。

秋七月、黒嶺に猟す。霖雨を以て、猟人の馬に給す。阻卜来り侵す。斡特剌等これを戦ひ破る。

冬十月乙卯、蕭海里叛き、乾州武庫の器甲を劫う。命じて北面林牙郝家奴にこれを捕らしむ。蕭海里、陪術水阿典部に亡入す。丙寅、南府宰相耶律斡特剌を以て北院樞密使と為し、三知政事牛溫舒に南院樞密使事を知らしむ。

十一月乙未、郝家奴、蕭海里を獲ざるを以て、官を免ぜらる。壬寅、上京留守耶律慎思を以て北院樞密副使と為す。有司、帝の生日を以て天興節と為さんことを請う。

三年春正月辛巳朔、混同江に如く。女直、蕭海里の首を函にし、使を遣わして来たり献ず。戊申、春州に如く。

二月庚午、武清県の大水を以て、その陂沢の禁を弛む。

夏五月戊子、猟人の多く亡ぶを以て、科禁を厳しく立てる。乙巳、赤勒嶺に清暑す。丙午、慶陵に謁す。

六月辛酉、夏国王李乾順、復た使を遣わして公主を尚ばんことを請う。

秋七月、中京に雨雹有り、稼を傷つく。

冬十月甲辰、中京に如く。己未、吐蕃使を遣わして来貢す。庚申、夏国復た使を遣わして援を求む。己巳、観徳殿に事有り。

十一月丙申、文武百官、上り尊号して曰く惠文智武聖孝天祚皇帝とす。大赦す。宋魏国王和魯斡を以て皇太叔と為し、梁王撻魯を進めて燕国王に封じ、鄭王淳を東京留守と為し、進めて越国王に封ず。百官各一階を進む。丁酉、惕隱耶律何魯掃古を以て南院大王と為す。戊戌、尊号を受くるを以て、廟に告ぐ。乙巳、太祖廟に謁し、太祖の高祖こうそを追尊して昭烈皇帝と曰い、廟号を肅祖とし、妣を昭烈皇后と曰い、曾祖を追尊して莊敬皇帝と曰い、廟号を懿祖とし、妣を莊敬皇后と曰う。監修國史耶律儼を召して太祖諸帝の実録を纂せしむ。

十二月戊申、藕絲澱に如く。

この年、進士の馬恭回ら百三人を及第させた。

四年春正月戊子、魚児濼に幸す。壬寅、木嶺に狩猟す。癸卯、燕国王撻魯薨ず。

二月丁丑、鼻骨德使いを遣わして来貢す。

夏六月甲辰、旺国崖に駐蹕す。甲寅、夏国李造福・田若水を遣わして援を求めしむ。癸亥、吐蕃使いを遣わして来貢す。

秋七月、南京蝗あり。庚辰、南山に狩猟す。癸未、西北路招討使蕭得里底・北院枢密副使耶律慎思を以て並びに北院枢密使事を知らしむ。辛卯、同知南院枢密使事蕭敵里を以て西北路招討使となす。

冬十月己酉、鳳凰陰に見ゆ。己未、南京に幸す。

十一月乙亥、迎月楼に御し、貧民に銭を賜う。

十二月辛丑、張琳を以て南府宰相となす。

五年春正月乙亥、夏国李造福らを遣わして来たり援を求め、且つ宋を伐つことを乞う。庚寅、遼興軍節度使蕭常哥を以て北府宰相となす。丁酉、枢密直学士高端礼らを遣わして宋を諷し夏を伐つ兵を罷めしむ。

二月癸卯、微行し、民の疾苦を視る。丙午、鴛鴦濼に幸す。

三月壬申、族女南仙を以て成安公主に封じ、夏国王李乾順に下嫁せしむ。

夏四月甲申、炭山に虎を射る。

五月癸卯、南崖に清暑す。壬子、宋曾孝広・王戩を遣わして聘に報ず。

六月甲戌、夏国使いを遣わして来謝し、及び方物を貢ぐ。己丑、候里吉に幸す。

秋七月、慶陵に謁す。

九月辛亥、藕絲澱に駐蹕す。乙卯、乾陵を謁す。

冬十一月戊戌、商賈の家の進士挙に応ずるを禁ず。丙辰、高麗三韓國公王薨ず、子使を遣わして来告す。

十二月己巳、夏国復た李造福・田若水を遣わして援を求む。癸酉、宋林洙を遣わして来たり、夏と約和するを議す。

六年春正月辛丑、知北院樞密使事蕭得里底・知南院樞密使事牛溫舒を遣わして宋に使せしめ、侵す所の夏の地を帰せしむるを諷す。

夏五月、散水原に清暑す。

六月辛巳、夏国李造福等を遣わして来謝す。

秋七月癸巳、阻卜来貢す。甲午、黒嶺に如く。庚子、鹿角山に猟す。

冬十月乙亥、宋夏と通好し、劉正符・曹穆を遣わして来告す。庚辰、皇太叔・南京留守和魯斡を以て惕隱を兼ね、東京留守・越國王淳を南府宰相と為す。

十一月乙未、謝家奴を以て南院大王と為し、馬奴を奚六部大王と為す。丙申、柴冊の礼を行ふ。戊戌、大赦す。和魯斡を義和仁聖皇太叔と為し、越國王淳を進めて魏國王に封じ、皇子敖盧斡を晉王に封じ、習泥烈を饒樂郡王に封ず。己亥、太祖廟を謁す。甲辰、木葉山に祠る。

十二月己巳、耶律儼を漆水郡王に封じ、余の官爵を進むるに差有り。

七年春正月、鴨子河にて鉤魚す。二月、大魚濼に駐蹕す。

夏六月、散水原に次す。秋七月、黒嶺に如く。

冬十月、乾陵を謁し、醫巫閭山に猟す。

是の年、進士李石等百人を放つ。

八年春正月、春州に如く。

夏四月丙申、高麗王を三韓國公に封じ、その父を高麗國王に追贈す。

五月、散水原にて清暑す。

六月壬辰、西北路招討使蕭敵里、諸蕃を率いて來朝す。丙申、柳を射て雨を祈る。壬寅、夏國王李乾順、成安公主の子を生むを以て、使を遣わして來告す。丁未、黑嶺に如く。秋七月戊辰、雨を以て獵を罷む。

冬十二月己卯、高麗、使を遣わして來謝す。

九年春正月丙午朔、鴨子河に如く。二月、春州に如く。

三月戊午、夏國、宋の地を歸さざるを以て、使を遣わして來告す。

夏四月壬午、五國部、來貢す。

六月乙亥、特禮嶺にて清暑す。

秋七月、霜隕り、稼を傷つく。甲寅、候里吉に獵す。八月丁酉、雪降り、獵を罷む。

冬十月癸酉、木葉山の祠を望み祀る。丁丑、詔して今年の租稅を免ず。

十二月甲申、高麗、使を遣わして來貢す。

是の年、進士劉楨等九十人を放つ。

十年春正月辛丑、預め立春の禮を行ふ。鴨子河に如く。二月庚午朔、大魚濼に駐蹕す。

夏四月丙子、五國部長、來貢す。丙戌、預め再生の禮を行ふ。癸巳、北山に獵す。

六月甲戌、玉丘にて清暑す。癸未、夏國、李造福等を遣わして來貢す。甲午、阻卜、來貢す。

秋七月辛丑、慶陵に謁す。閏月辛亥、懷陵に謁す。己未、祖陵に謁す。壬戌、皇太叔和魯斡薨ず。

九月甲戌、重九節の禮を免ず。

冬十月、藕絲澱に駐蹕す。

十二月己酉、明年の元を改む。

是歲、大饑す。

天慶元年春正月、鴨子河にて鉤魚す。二月、春州に如く。

三月乙亥、五國部長來貢す。

夏五月、散水原にて清暑す。

秋七月、獵す。

冬十月、藕絲澱に駐蹕す。

二年春正月己未朔、鴨子河に如く。丁丑、五國部長來貢す。

二月丁酉、春州に如き、混同江に幸して鉤魚す。界外の生女直の酋長にして千里の内に在る者は、故事に依り皆來朝す。適に「頭魚宴」に遇ふ。酒半ば酣なるに及び、上軒に臨み、諸酋に命じて次第に舞はしむ。獨り阿骨打は能はざるを以て辭す。之を諭すこと再三、終に從はず。他日、上密かに樞密使蕭奉先に謂ひて曰く、「前日の燕に、阿骨打意氣雄豪にして、顧視常ならず。邊事を托して之を誅すべし。然らずんば、必ず後患を貽す。」奉先曰く、「粗人禮義を知らず、大過無くして之を殺せば、恐らくは向化の心を傷つけん。假令異志有りとすとも、又何をか能爲さむ。」其の弟吳乞買、粘罕、胡舍等嘗て獵に從ひ、鹿を呼び、虎を刺し、熊を搏つことを能くす。上喜び、輒ち官爵を加ふ。

夏六月庚寅、南崖にて清暑す。甲午、和州回鶻來貢す。戊戌、成安公主來朝す。甲辰、阻卜來貢す。

秋七月乙丑、南山に獵す。

九月己未、熊を射て獲、群臣に燕を賜ひ、上親しく琵琶を禦す。初め、阿骨打混同江の宴より歸り、上其の異志を知るを疑ひ、遂に兵を稱し、先づ旁近の部族を並ぶ。女直の趙三、阿鶻產之を拒ぐ。阿骨打其の家屬を虜ふ。二人走りて咸州に訴ふ。詳穩司之を北樞密院に送る。樞密使蕭奉先常事を作して以て上に聞かしめ、仍て咸州に送りて詰責せしめ、自新せしめんと欲す。後數たび召すも、阿骨打竟に疾と稱して至らず。

冬十月辛亥、高麗の三韓國公王の母が死去し、来告したので、直ちに使者を遣わして祭を致し、起復させた。この月、奉聖州に駐蹕す。

十一月乙卯、南京に幸す。丁卯、太祖廟を謁す。

この年、進士韓等七十七人を放つ。

三年春正月丙寅、南京の貧民に銭を賜う。丁卯、大魚濼に如く。甲戌、僧尼の破戒を禁ず。丙子、狗牙山に猟し、大いに寒く、猟人多く死す。

三月、諸道の戸を籍し、大牢古山圍場の地の居民を別の土に徙す。阿骨打、一日に五百騎を率いて突如咸州に至り、吏民大いに驚く。翌日、詳穩司に赴き、趙三等と面折庭下す。阿骨打屈せず、所司に送って状を問わしむ。一夕にして遁去す。人を遣わして上に訴え、詳穩司殺さんと欲するを以て、敢えて留まらざるなりと謂う。是より召すも復た至らず。

夏閏四月、李弘、左道を以て衆を聚めて乱を為す。支解し、五京に分ち示す。

六月乙卯、斡朗改國、使いを遣わして来たり良犬を貢ぐ。丙辰、夏國、使いを遣わして来たり貢ぐ。

秋七月、秋山に幸す。

九月、藕絲澱に駐蹕す。

十一月甲午、三司使虞融を以て南院樞密使事を知らしめ、西南面招討使蕭樂古を南府宰相と為す。

十二月庚戌、高麗、使いを遣わして来たり祭を致したことを謝す。癸丑、回鶻、使いを遣わして来たり貢ぐ。甲寅、樞密直學士馬人望を以て三知政事と為す。丙辰、知樞密院事耶律儼薨ず。癸亥、高麗、使いを遣わして来たり起復を謝す。

四年春正月、春州に如く。初め、女直兵を起こし、紇石烈部の人阿疏従わざるを以て、其の部の撒改を遣わして之を討たしむ。阿疏の弟狄故保来告す。詔を下し諭して討つなからしむも、聴かず。阿疏来奔す。是に至り女直使いを遣わして来たり索むも、発たず。

夏五月、散水原に清暑す。

秋七月、女直復た使いを遣わして阿疏を取り、発たず。乃ち侍御阿息保を遣わして境上に多く城堡を建つるの故を問わしむ。女直慢語を以て答えて曰く、「若し阿疏を還さば、朝貢故の如くせん。然らずんば、城未だ已む能わざるべし」と。遂に渾河北の諸軍を発し、東北路統軍司を益す。阿骨打乃ち弟の粘罕・胡舍等と謀り、銀術割・移烈・婁室・母等を帥と為し、女直諸部の兵を集め、遼の障鷹官を擒う。及び甯江州を攻むるに及び、東北路統軍司以て聞こゆ。時に上慶州に在りて鹿を射る。之を聞きて略んど介意せず、海州刺史高仙寿を遣わして渤海軍を統べしめて応援せしむ。蕭撻不也女直に遇い、甯江の東に戦い、敗績す。

冬十月壬寅朔、守司空しくう蕭嗣先を以て東北路都統と為し、静江軍節度使蕭撻不也を副と為し、契丹奚軍三千人を発し、中京の禁兵及び土豪二千人、別に諸路の武勇二千余人を選び、虞候崔公義を都押官と為し、控鶴指揮邢穎を副と為し、軍を引きて出河店に屯す。両軍対壘す。女直軍潜かに混同江を渡り、遼の衆を掩撃す。蕭嗣先の軍潰え、崔公義・邢穎・耶律佛留・蕭葛十等之に死す。其の免るることを獲たる者十有七人。蕭奉先其の弟嗣先の罪を獲んことを懼れ、輒ち奏す、東征の潰軍の至る所劫掠す、若し肆赦せずんば、恐らくは聚まって患いと為らんと。上之に従う。嗣先但だ官を免かるるのみ。諸軍相謂いて曰く、「戦えば則ち死有りて功無く、退けば則ち生有りて罪無し」と。故に士闘志無く、風を望んで奔潰す。

十一月壬辰、都統蕭敵里らは斡鄰濼の東に営を置き、また女直に襲撃され、士卒の死者甚だ衆し。甲午、蕭敵里もまた坐して免官せらる。辛丑、西北路招討使耶律斡里朵を行軍都統と為し、副点検蕭乙薛・同知南院樞密使事耶律章奴を以て之を副とす。

十二月、咸・賓・祥の三州及び鐵驪・兀惹は皆叛きて女直に入る。乙薛は賓州を援けんと往き、南軍諸将の實婁・特烈らは咸州を援けんと往き、並びに女直に敗る。