遼史

國語解

史書は司馬遷・班固より晋・唐に至るまで、その書は雄深にして浩博であり、読者は尽く理解し得ない。ここにおいて裴駰・顔師古・李賢・何超・董衝ら諸儒が訓詁音釈を施し、その後、制度・名物・方言・奇字を一覧して周知することができる。後学を助けるところ多きものがある。

遼の初興の時、奚・室韋と密接に接し、土俗言語は大概俚俗に近い。太祖・太宗に至り、朔方を覆うこと有り、その治め方は漢法を参用するも、先代奇首・遙輦の制度は尚多く存する。子孫相継ぎ、また遵守して変易せず。故に史の載すところ、官制・宮衛・部族・地理は、率ね國語を以てその称号と為す。注釈を以て弁ぜざれば、則ち世何に従って知り、後何に従って考うるを得んや。今即ち本史を参互研究し、遼國語解を撰次して其の後に附す、庶幾くは読者に齟齬の患無からんことを。

帝紀

太祖紀

耶律氏・蕭氏 本紀の首に太祖の姓は耶律氏と書き、継いで皇后は蕭氏と書く、則ち国を有つ初め、既に二姓に分かれたるなり。始興の地を世里と曰う有り、訳者は世里を耶律と為す、故に国族は皆耶律を以て姓と為す。述律皇后の兄の子、名は蕭翰なる者、宣武軍節度使と為り、其の妹復た皇后と為る、故に后族は皆蕭を以て姓と為す、と謂う有り。其の説は紀に合わず、故に陳大任は取らず。又、漢字を以て書く者は耶律・蕭と曰い、契丹字を以て書く者は移剌・石抹と曰う、と言う有り、則ち亦た考うるに由無し。

霞瀨益石烈 郷の名。諸宮の下に皆石烈有り、官を設けてこれを治む。

彌里 郷の小なる者。

撻馬狘沙里 撻馬は人従なり。沙里は郎君なり。衆人を管率する官。後に止だ撻馬と称する者有り。

大迭烈府 即ち迭剌部の府なり。初め、阻午可汗と其の弟撒里本これを領す、及び太祖部の夷離菫を以て即位し、強大にして制し難きに因り、二院に析く。烈・剌の音相近し。

夷離菫 軍馬を統ぶる大官。会同の初め、大王と改む。

集會堝 下窩・陀二音。 地名。

阿主沙里 阿主は父祖の称。

惕隱 族属を典する官。即ち宗正の職なり。

奚、霫(下の音は習)。国名。中京の地である。

黒車子。国なり。よく車帳を製することを得て名づく。契丹の先、嘗て人を遣わして往きて之を学ばしむ。

于越。貴官、職掌なし。その位は北・南大王の上にあり、大なる功徳ある者でなければ授けず。

鷹軍。鷹は鷙鳥なり。之を以て軍に名づけ、捷速の義を取る。後に龍軍・虎軍・鉄鷂軍を記す者は、此れに倣う。

嗢娘改(上の音は丸)。地名。

西楼。遼に四楼あり:上京にあるものを西楼と曰い、木葉山を南楼と曰い、龍化州を東楼と曰い、唐州を北楼と曰う。歳時遊猟、常に四楼の間に在り。

阿点夷離的。阿点は貴称。夷離的は大臣の夫人の称。

糺轄。糺は軍名。轄は管束の義なり。

夷離畢。即ち参知政事、後に夷離畢院を置きて以て刑政を掌る。宋の刁約、遼に使して詩に「押宴夷離畢」と云う有り、其の執政官たるを知るなり。

射鬼箭。凡そ帝親征するに、介冑を服し、諸先帝を祭り、出づれば則ち死囚一人を取り、向かう所の方に置き、乱矢を以て之を射、名づけて射鬼箭と曰い、以て不祥を祓う。及び班師すれば、則ち俘虜を射る。後に因りて刑法の用と為す。

暴里。悪人の名なり。

大・小鵠軍。二室韋の軍号なり。

神纛。従者の執る所。旄牛の尾を以て之を作り、纓槍に属す。

龍眉宮。太祖、天梯・蒙国・別魯三山の勢を葦淀に取り、金齪箭を射て以て之を識し、名づけて龍眉宮と曰う。神冊三年、都城を其の地に築く、臨潢府是なり。齪は測角の切、箭の名。

崤里。室韋の部名。

君基太一神 福神の名。その神の臨む国において、君主が極を建て、上下に信を得れば、治化は昇平となり、民は多福を享ける。

撻林 官名。後に二室韋部はこれを僕射と改め、また司空しくうともいう。

舍利 契丹の豪民で頭巾を巻かんとする者は、牛・駱駝十頭、馬百匹を納めて、初めて官名を給わり、これを舍利と曰う。後に遂に諸帳の官となり、郎君を以てこれに繫ぐ。

阿廬朶里、一名は阿魯敦。 貴顕の名。遼において于越の官にこれを兼ねる者は、ただ曷魯のみ。

選底 獄を主る官。

常袞 官名。遙輦部族の戸籍等の事を掌る。奚六部常袞は奚の族属を掌る。

諲譔 渤海国の主の名。

剋釋魯 剋は官名。釋魯は人名。後の剋朗、剋臺哂もこれに倣う。

烏魯古、阿里只 太祖及び述律后が諲譔の降伏を受けた時に乗った二頭の馬の名なり。因って諲譔夫婦に賜いて以て名と為す。

太宗紀

箭笴山(笴の音は簳) 胡損奚の居るところ。

柴冊 礼の名。薪を積んで壇と為し、群臣の玉冊を受く。礼畢えて、柴を燔き、天を祀る。阻午可汗の制なり。

遙輦氏九帳 遙輦九可汗の宮分。

北剋、南剋 軍を掌る官の名。漢の南北軍の職の如し。

祭麃鹿神 遼の俗は麃鹿を射るを好み、毎に出獵すれば、必ずその神を祭りて以て多獲を祈る。

林牙は文書を掌る官であり、当時は学士と称された。その群牧所が設置されたのは、ただ簿書を管轄するためである。

瑟瑟礼は雨を祈り柳を射る儀礼であり、遙輦氏の蘇可汗が制定した。

再生礼は国の風俗で、十二年ごとに一度、生まれた始めの礼を行い、名付けて再生という。ただ帝と太后、太子および夷離菫のみがこれを行うことができる。また覆誕ともいう。

神速姑は宗室の人名であり、蛇の言葉を知ることができた。

蒲割𩕳(下は乃頂の切)は公主の名である。

三剋は統軍の官であり、いわば三帥のようなものである。

詳穏は諸官府を監治する長官である。

梯里已は諸部下の官であり、後に司徒しとに昇進した。

達剌干は県の官であり、後に副使に昇進した。

麻都不は県官の補佐であり、後に令に昇進した。

馬歩はどのような官か詳らかでないが、達剌干から昇進してこれとなった。

牙署は官名である。牙書と同じものかと疑われ、石烈の官である。

世燭は遙輦帳の侍中の官である。

敞史は官府の補佐吏である。

思奴古は官であり、敞史に近いものである。

徒覩古は、辺境の外にある小国である。

世宗紀、穆宗紀

蹛林(上音は帯)は地名であり、即ち松林の故地である。

閘撒狘は抹里司の官であり、また宮衛の禁令を掌る者である。

撻馬は扈従の官である。

濃兀は部分の名である。

葉格戯は、宋の錢僖公の家に葉子揭格の戯があった。

景宗紀、聖宗紀

飛龍使は馬を掌る官であり、また導騎ともなる。

横帳は、徳祖の族属の号を三父房といい、横帳と称し、宗室の特に貴い者である。

著帳は、凡そ世官の家及び諸色の人で、事に因って籍没された者を著帳戸とし、官に著帳郎君がある。

杓窊印は、杓窊は鷙鳥の総称であり、印の紐とし、疾速の義を取る。凡そ軍馬を調発する時にこれを用い、金魚符・銀牌と略々同じである。

国舅帳剋は、官制に大国舅帳があり、これは則ち本帳下の兵を掌る官である。

拜奥礼は、凡そ后を納れる時、即ち族中より尊者一人を選び奥に当たって坐し、以てその礼を主る者とし、これを奥姑と謂う。后を送る者は拝して敬意を致す、故に拜奥礼と云う。

拜山礼は、木葉山を祀る儀式である。

敞穩は諸帳下の官である。また常袞とも書き、字音が近いためであろう。

萬役陷河冶は地名である。本来は漢の土垠県で、銀鉱がある。太祖が民を募り寨を立てて採掘・精錬を専らにさせたので、陷河冶と名付けた。

合蘇袞は女直の別部の名で、また曷蘇館とも作る。

執手禮は、将帥に敵を克つ功績があるとき、上自ら手を執って慰労するものである。もし将が軍中にあるときは、人を遣わして代わりに執手禮を行わせる。優遇の意である。

阿札割只は官名である。位は枢密使の下にあり、おそらく墩官であろう。

四捷軍は、遼が宋の降伏者を分けて立てた二部の一つである。一つを四捷軍といい、一つを帰聖軍という。

山金司は、陰山に金を産することから、冶を置いて採掘・精錬させたので、これをもって司の名とした。後に統軍司と改めた。

興宗紀

別輦斗は地名である。

虎𤳖(下、北潘切)は婆離八部の人名である。

解洗禮は、装いを解く前の祓い、飲至の義である。

獨盧金は地名である。六院の官属が秋冬にここに居住する。

行十二神纛禮は、神纛の解釈は前に見える。凡そ大祭祀・大朝会には、十二の纛を列ねて諸御前に置く。

南撒葛栢は地名である。

合只忽里は地名である。

拖古烈(地名)。

曷里狘(地名)。

道宗紀

塔里捨(地名)。

撒里乃(地名)。

三班院祗候(左班、右班及び寄班を合わせて三班とする。祗候は官名)。

高墩(遼の排班図には、高墩・矮墩・方墩の列がある。大丞相から阿札割只に至るまで、皆、墩官である)。

天祚紀

候里吉(地名)。

頭魚宴(皇帝が歳時に釣魚を行い、頭魚を得ると、直ちに酒宴を設け、頭鵝宴と同様である)。

訛莎烈(地名)。

漚里謹(地名)。

懽撻新查剌(地名)。

射粮軍(射は請うの意)。

女古底(地名)。

落昆髓(地名)

阿里軫斗(地名)

忽兒珊(西域の大将軍の名)

起兒漫(地名)

虎思斡魯朶(「思」は「斯」とも作る。力ある称。斡魯朶は宮帳の名)

葛兒罕(漠北の君王の称)

禮志:

祭東(國俗として、凡そ祭りは皆東に向かう。故に祭東と曰う)

敵烈麻都(礼儀を掌る官)

旗鼓拽剌(拽剌は官名。軍制に拽剌司あり。これは旗鼓を掌る者である)

爇節(歳時の雑礼の名)

九奚首(奚首は営帳の名)

食羖之次(大行の殯が出る時、群臣が羖羊をもって路で祭る。名づけて食羖之次と曰う)

𥜒祭(上は琰の切。凡そ出征するに、牝牡の麃を各一頭ずつ以てこれに祭るを𥜒と曰い、敵を詛うなり)

𢘉里尀こうりは 𢘉はこうと読み、尀はと読む。二月一日のこと。六月十八日に国舅族こっきゅうぞくを宴することをも、𢘉里尀という。

百官志

石烈辛袞は石烈の官の長である。

令穩は官名。

彌里馬特本は官名、後に辛袞に昇進する。

麻普は即ち麻都不であり、縣官の副である、初めは達剌干と称した。

知聖旨頭子事は誥命と奏事を掌る官。

提轄司は諸宮の典兵官。

皮室は軍制、南、北、左、右皮室及び黄皮室があり、皆精兵を掌る。

廳房は即ち工部。

梅里は貴戚の官名。述律皇后の族に慎思梅里、婆姑梅里があるが、何の職務かは未詳である。

抹鶻は瓦里司の官。

先離撻覽は奚、渤海等の國の官名、撻林の字の誤りかと疑われる。

營衛志

象吻は黄帝が宮室を治めるに当たり、蚩尤の像を陶製して棟上に置き、これを蚩吻と名付けた。

瓦里は官府の名、宮帳、部族ともにこれを設ける。凡そ宗室、外戚、大臣で罪を犯した者の家屬はここに沒入される。

國阿輦 國を収めることである。

監母 遺して留めることである。

地理志

永州はその地が潢河と土河の二水の間に位置するゆえ、永州と名づく。蓋し字が二と水とから成るに因るなり。

鄚頡(上は慕各の切、下は胡結の切)。渤海郡の府名。

且慮(皆平声)。興中府の県名。

貕養(上は奚の音)。幽州の沢藪の名、周の職方に見ゆ。

菑、時。幽州の浸の名、同上に出づ。

墮瑰。門の名、遼に墮瑰部あり。

野旅寅。野は星野を謂い、旅は躔次を謂う。寅は辰舎なり。東北の位、燕分・析津の所なり。

儀衛志

金㚇(下は祖叢の切)。馬首の飾りなり。

果下馬。馬の名。果樹の下にて乗行し得るを謂う。その小なるを言うなり。

実里薛袞。祭服の冠、山を拝する礼を行えば則ちこれを服す。

䩞鞢帯(上は他協の切、下は徒協の切)。武官の束帯なり。

扞腰。即ち拄腰、鵝項・鴨頭を以てこれを作る。

胡木鍪。冑の名。

䩥馬(上は誕の音)。馬に鞍轡を施さざるを䩥と曰う。

白毦(音は餌)。白鷺の羽をもって網とし、また罽(毛織物)なり。

兵衛志

捉馬は、馬を拘束しあらうことなり。

欄子軍は、先鋒の前二十余里に居り、敵人の動静を偵候す。

弓子鋪は、遼の軍馬が頓舍するに、営塹を設けず、木のこずえを折りて弓となし、以て団集の所とす。また諸国の使来るに、道傍に木稍の弓を簽置し、以て欄楯に充つ。

食貨志

云為戸は、義は営運なり、字の訛りなり。

刑法志

鐘院は、冤ある者は鐘を撃ち、以て上に達す、怨鼓のごときなり。

楚古は官名。北面の訊囚を掌る者なり。

皇子表

五石烈は、即ち五院なり。分院して五となすに非ず、五石烈をもって一院となすなり。

六爪は、爪は百の数なり。遼に六百家奚あり、後に六院、二院と為る、即ち迭剌部の之を析きて二と為す者これなり。

裂䴥皮は、䴥は牡鹿なり。力能く牡鹿の皮を分つ。

世表

遊幸表

列傳

諸功臣傳

遙輦糺は遙輦帳下の軍なり。その書に永興宮分糺、十二行糺、黄皮室糺とあるものは、これに倣う。

吐里は官名なり。奚六部の禿里と同じ。吐と禿は字の訛りなり。

寢殿小底は官名なり。遼の制度には小底の官多く、その他は注せず。

雑丁黄は礼なり。男子幼きを黄と為し、四歳を小と為し、十六を中と為し、二十一を丁と為す。軍中に幼弱を雑えて、以て敵を疑わしむるなり。

遙輦剋は遙輦帳下の兵を掌る官なり。

柢枑は宮衛の門外の行馬なり。

榾柮犀は千歳の蛇角、また篤訥犀と為す。

珠二琲(下、蒲味の切)。珠五百枚を以て琲と為す。

題里司徒は題里、官府の名なり。

庢中(上、陟栗の切)。地名なり。

堂印は博の采の名なり。

臨庫は帛を以て通曆と為し、一庫の物を具え、尽く数えて籍す。これを臨庫と曰う。

堂帖は遼の制度、宰相凡そ除拜するに、頭子を行い堂帖を以て権差し、再び旨を取るを俟ち、告敕を出し給う。故に官に知頭子事有り。陰山雑録に見ゆ。

夷離菫畫者は畫者、人名、夷離菫の官と為る。

虎斯は有力の称なり。紀に「虎思」と言う、義同じ。