◎奸臣下
蕭餘里也、耶律合魯、蕭得裏特、蕭訛都斡、蕭達魯古、耶律塔不也、蕭圖古辭
蕭餘里也、字は訛都碗、国舅阿剌の次子。口先巧みで滑稽、女工をよくした。重熙年間、外戚として進用される。清寧初め、祗候郎君に補され、鄭国公主を尚り、駙馬都尉に拝され、累遷して南面林牙となる。父阿剌が蕭革に讒せられたため、餘里也を出して奉先軍節度使とした。十年冬、召されて北面林牙となる。咸雍中、たまたま餘里也が族人術哲と謀り耶律乙辛を害さんとしたと告げる者あり、按ずるに状なく、出されて寧遠軍節度使となる。この後より餘里也は乙辛の意を揣り、傾心事えて、国舅詳穩に薦められる。大康初め、遼西郡王に封ぜられる。時に乙辛は擅恣し、凡そ己に附かざる者を出し、乃ち餘里也を引いて北府宰相とし、兼ねて契丹行宮都部署事を知る。及んで乙辛が皇太子を謀構するに及び、餘里也多くこれを助成し、遂に北院樞密事を知り、推誠協贊功臣を賜う。女姪を以て乙辛の子綏也に妻せしめ、勢を恃み横肆し、至って無君の語あり、朝野側目す。帝、乙辛を出して南院大王事を知らしめ、乙辛の党と坐し、天平軍節度使を以て帰第す。尋いで西北路招討使に拝す。母憂のため官を去り、卒す。
耶律合魯、字は胡都堇、六院舍利古直の後。柔佞にして苟合を喜ぶ。清寧初めに仕う。時に乙辛は群小を引用し、合魯これに附き、遂に見委任され、俄かに擢て南面林牙となる。乙辛、皇太子を譖り、忠直を殺すに、合魯多くその謀に預かる。弟吾も亦た乙辛に党し、時に「二賊」と号す。乙辛、北院大王に薦む、卒す。吾も亦た南院大王に至る。
蕭得裏特、遙輦窪可汗宮分の人。意を阿り色に順うことを善くす。清寧初め、乙辛用事し、甚だ見引用され、累遷して北面林牙、同知北院宣徽使事となる。及んで皇太子廃せられ、得裏特を遣わして上京に監送す。得裏特その行を促し、下車せしめず、起居飲食数に陵侮を加え、至れば則ち圜堵を築きてこれを囚う。大康中、西南招討使に遷り、順義軍節度使を歴任し、転じて国舅詳穩となる。寿隆五年、怨望に坐し、老を以て死を免れ、闔門籍して興聖宮に没し、貶して西北統軍司とし、卒す。二子:得末、訛裏、乾統間に父が乙辛と謀るを以て、伏誅す。
蕭達魯古、遙輦嘲古可汗宮分の人。性奸険。清寧間、乙辛樞密使となり、権を窃み用事し、陰かに逆謀を懐く。達魯古これに比附し、遂に見獎拔され、稍く遷りて旗鼓拽剌詳穩に至る。乙辛太子を害せんと欲し、達魯古の凶果にして使うべしを以て、近侍直長撒把とともに上京に詣らしめ、同留守蕭撻得とともに夜間力士を引いて囚室に至り、赦ありと紿き、太子を召し出だし、これを殺し、その首を函にし以て帰り、疾薨せりと詐る。達魯古を以て国舅詳穩となす。達魯古太子を殺せる事白ばるるを恐れ、出入り常に刀を佩き、急召あれば即ち自殺せんと欲す。乾統間、詔して樞密使耶律阿思に乙辛の党人を大索せしむ、達魯古は賂を以て免るることを獲たり。後に疾を以て卒す。
蕭圖古辭、字は何寧、楮特部の人。重熙中に仕え、能を以て称せられ、累遷して左中丞となる。清寧初め、北面林牙を歴任し、改めて北院樞密副使となる。弁敏にして、顏色を伺うを善くし、応対上意に合う。皇太后嘗て曰く:「大事有らば、耶律化哥、蕭圖古辭に非ざれば決すること能わず。」眷遇日々に隆し。北院樞密使事を知る。六年、出でて黄龍府を知る。八年、南府宰相に拝す。頃之、北院樞密使となり、詔して便宜に従事するを許す。人となり奸佞余り有り、聚斂を好み、専愎にして、法度を変更す。樞密数ヶ月たりしも、薦引する所多く重元の党与となり、ここに由り免ぜられて庶人と為る。後に興聖宮に没入し、卒す。
論じて曰く:舜は共工を流し、孔子は少正卯を誅す、奸を治むるの法厳し。後世は是を察せず、反って忠と以為て信任し、宗社に流毒せざるに至らずして未だ已まざるなり。道宗の乙辛に対する是れなり。其の仁先を留め、重元を討つに当たり、若し真に国計を為す者の如し;禍心を包蔵し、時を待ちて発せんとするを知らざるなり。一旦権を専らにし、又た孝傑、燕哥、十三を腹心と為すを得たり、故に悪を肆にして忌憚無し。始め皇后を誣い、又た太子及びその妃を殺す、その禍の酷き、良に悲しむべし。嗚呼!君子の親しむ所、皇后、太子に若くは莫し。奸臣これを殺して知らず、群臣これを言いて悟らず。一時の忠讜、廃戮幾くんぞ尽きん。黒山に親しく官属の盛んなるを見るも、僅かに一字王号を削るに至り、私に甲兵を蔵するに至りて然る後にこれを誅す。吁!乙辛の罪、固より一死を以て天下に謝すべからず、抑も亦た道宗の明ならず断無きこと以てこれを養成する有り。蕭餘里也の輩の如き、君を忘れ悪に党し、以て富貴を饕る、幸いにして諸を牖下に死すと雖も、其れ遺臭の辱を免るることを得んや。