漢書
《虞書》に「乃ち律度量衡を同じくす」とあるのは、遠近を整え民の信を立てるためである。伏羲が八卦を画いて以来、数から始まり、黄帝、堯、舜に至って大いに備わった。三代は古を稽え、法度が明らかになった。周が衰えて官が失われ、孔子は後王の法を述べて言った。「権量を謹み、法度を審らかにし、廃官を修め、逸民を挙げれば、四方の政は行われる」と。漢が興ると、北平侯張蒼が初めて律曆の事を掌り、孝武帝の時に楽官が考正した。元始年間に 王莽 が政を執り、名誉を輝かせようとして、天下の鐘律に通じる者百余人を徴し、羲和劉歆らに典領させて条奏させたが、その言は最も詳しい。そこで偽りの言辞を削り、正義を取り、篇に著す。
一つは備数、二つは和声、三つは審度、四つは嘉量、五つは権衡である。参伍して変じ、その数を錯綜し、古今に稽え、気物に効し、心耳に和し、経伝に考うれば、皆その実を得て、協同しないものはない。
数とは、一、十、百、千、万であり、事物を算数し、性命の理に順うものである。《書》に「先ず其の算命をす」とある。本は黄鐘の数から起こり、一から始めて三倍し、三三を積み重ね、十二辰の数を経て、十七万七千百四十七となり、五数が備わる。その算法は竹を用い、径一分、長六寸、二百七十一枚で六觚となり、一握となる。径は乾律黄鐘の一を象り、長は坤呂林鐘の長を象る。その数は易の大衍の数五十に因り、その用は四十九、陽六爻を成し、周流六虚の象を得る。暦を推し律を生み器を制し、規は円を画き矩は方を作り、権は重さを量り衡は平らにし、準繩嘉量、賾を探り隠を索し、深を鉤り遠を致すには、皆これを用いる。長短を度る者は毫厘を失わず、多少を量る者は圭撮を失わず、軽重を権る者は黍絫を失わない。一に紀し、十に協し、百に長じ、千に大なり、万に衍す。その法は算術にある。天下に宣べ、小学はこれを則とする。職は太史にあり、羲和がこれを掌る。
声とは、宮、商、角、徴、羽である。楽を作るのは、八音を諧わせ、人の邪意を蕩し、その正性を全うし、風俗を移すためである。八音:土は塤、匏は笙、皮は鼓、竹は管、絲は絃、石は磬、金は鐘、木は柷という。五声が和し、八音が諧えば、楽が成る。商とは章のことで、物が成熟して章度できることをいう。角とは触のことで、物が地に触れて出て、芒角を戴くことをいう。宮とは中のことで、中央に居て四方を暢にし、始めを唱え生を施し、四声の綱となることをいう。徴とは祉のことで、物が盛大で祉に茇することをいう。羽とは宇のことで、物が聚まり宇に覆われることをいう。声は宮に中り、角に触れ、徴に祉し、商に章り、羽に宇する。故に四声は宮を紀とする。五行に協せば、角は木となり、五常は仁、五事は貌となる。商は金となり義となり言となり、徴は火となり礼となり視となり、羽は水となり智となり聴となり、宮は土となり信となり思となる。君臣民事物に言えば、宮は君、商は臣、角は民、徴は事、羽は物となる。唱和に象あり、故に君臣の位事の体を言う。
五声の本は、黄鐘の律から生ずる。九寸を宮とし、或いは損じ或いは益して、商、角、徴、羽を定める。九六相生は、陰陽の応である。律は十二あり、陽六は律、陰六は呂である。律は気を統べ物を類する。一は黄鐘、二は太族、三は姑洗、四は蕤賓、五は夷則、六は亡射である。呂は陽を旅し気を宣する。一は林鐘、二は南呂、三は応鐘、四は大呂、五は夾鐘、六は中呂である。三統の義がある。その伝に、黄帝の作とある。黄帝が泠綸を使い、大夏の西、昆侖の陰から、竹の解谷に生ずるもののうち、その竅が厚く均しいものを取り、両節の間を断って吹き、黄鐘の宮とした。十二筩を制して鳳の鳴きを聴くと、その雄鳴きは六、雌鳴きも六、黄鐘の宮に比べて皆これを生ずることができ、これが律の本である。至治の世には、天地の気が合して風を生ず。天地の風気が正しければ、十二律が定まる。黄鐘:黄は中の色、君の服である。鐘は種である。天の中数は五、五は声となり、声は上宮し、五声はこれより大なるものはない。地の中数は六、六は律となり、律は形あり色あり、色は上黄し、五色はこれより盛んなるものはない。故に陽気は黄泉に種を施し、万物を孳萌させ、六気の元となる。黄色をもって元気律と名づけるのは、宮声を著すためである。宮は九をもって六を唱え、変動して居らず、六虚に周流する。子に始まり、十一月にある。大呂:呂は旅のことで、陰が大いなることを言い、黄鐘の宮気を旅助して物を牙する。丑に位し、十二月にある。太族:族は奏のことで、陽気が大いなることを言い、地に奏して物を達する。寅に位し、正月にある。夾鐘は、陰が太族を夾助して四方の気を宣し種物を出すことを言う。卯に位し、二月にある。姑洗:洗は絜のことで、陽気が物を洗い辜絜にすることを言う。辰に位し、三月にある。中呂は、微陰が始めて起こり未だ成らず、その中に著して姑洗を旅助し気を宣し物を 斉 にすることを言う。巳に位し、四月にある。蕤賓:蕤は継のことで、賓は導のことで、陽が始めて陰気を導き継いで物を養うことを言う。午に位し、五月にある。林鐘:林は君のことで、陰気が任を受け、蕤賓を助けて君主として種物を長大茂盛させることを言う。未に位し、六月にある。夷則:則は法のことで、陽気が法度を正しくして陰気に当たって物を傷めることを夷することを言う。申に位し、七月にある。南呂:南は任のことで、陰気が夷則を旅助して万物を任成することを言う。酉に位し、八月にある。亡射:射は厭のことで、陽気が物を究めて陰気に畢く剥落させ、終わってまた始まり、厭うこと亡きことを言う。戌に位し、九月にある。応鐘は、陰気が亡射に応じ、万物を該蔵して陽を雑し種を閡することを言う。亥に位し、十月にある。
三統とは、天の施し、地の化し、人の事の紀である。十一月、乾の初九、陽気が地下に伏し、始めて一として著し、万物が萌動し、太陰に鐘する。故に黄鐘は天統となり、律長九寸。九は中和を究極し、万物の元となる。《易》に「天の道を立つるは、陰と陽と曰う」とある。六月、坤の初六、陰気が太陽より任を受け、継いで化を養い柔らぎ、万物が生長し、未に茂る。種を剛彊大ならしめる。故に林鐘は地統となり、律長六寸。六は陽の施しを含み、六合の内に茂らせ、剛柔に体あらしめる。「地の道を立つるは、柔と剛と曰う」「乾は太始を知り、坤は物を作る」。正月、乾の九三、万物が棣通し、寅より族出し、人が奉じてこれを成し、仁をもって養い、義をもって行い、事物をして各々その理を得しめる。寅は木であり、仁である。その声は商であり、義である。故に太族は人統となり、律長八寸、八卦を象り、宓戯氏が天地に順い、神明に通じ、万物の情を類した所以である。「人の道を立つるは、仁と義と曰う」「天に象を成し、地に形を成す」「后は天地の道を裁成し、天地の宜を輔相し、もって民を左右す」。これが三律の謂いであり、三統である。
三正について、黄鐘子は天正、林鐘未の衝丑は地正、太族寅は人正である。三正は始めを正し、地正はその始めに適い陽東北丑位に紐づく。《易》に「東北に朋を喪えば、乃ち終わりに慶あり」とあり、応答の道である。黄鐘が宮となれば、太族、姑洗、林鐘、南呂は皆正声をもって応じ、忽微なく、再び他の律の役とならず、同心一統の義である。黄鐘でなく他の律であれば、その月に当たって自ら宮となっても、その和応の律には空積忽微があり、正を得ない。これが黄鐘の至尊であり、並ぶものがない所以である。
《易》に「天を参じ地を両して数に倚る」とある。天の数は一に始まり、二十五に終わる。その義は三をもって紀す。故に一を置いて三を得、また二十五分の六、凡そ二十五置き、天の数を終えて八十一を得る。天地五位の合が十に終わることをもってこれを乗じ、八百一十分となり、暦一統千五百三十九歳の章数に応じ、黄鐘の実である。この義より、十二律の周径が起こる。地の数は二に始まり、三十に終わる。その義は両をもって紀す。故に一を置いて二を得、凡そ三十置き、地の数を終えて六十を得る。地の中数六をもってこれを乗じ、三百六十分となり、当期の日に当たり、林鐘の実である。人は天を継ぎ地に順い、気を序し物を成し、八卦を統べ、八風を調え、八政を理め、八節を正し、八音を諧え、八佾を舞い、八方を監し、八荒を被り、もって天地の功を終える。故に八八六十四。その義は天地の変を極め、天地五位の合が十に終わることをもってこれを乗じ、六百四十分となり、六十四卦に応じ、大族の実である。《書》に「天功、人其れこれを代う」とある。天は地を兼ね、人は天を則る。故に五位の合をもって乗ずる。「唯だ天を大と為し、唯だ堯これを則る」の象である。地は中数をもって乗ずるのは、陰道理内、中に餽する象である。三統相通じ、故に黄鐘、林鐘、太族の律長は皆全寸にして余分なし。
天の中数は五、地の中数は六、而して二者は合となる。六は虚、五は声、六虚に周流する。虚とは爻律が陰陽を夫し、登降運行し、十二に列して律呂が和する。太極元気は、三を函して一と為す。極は中、元は始である。十二辰を行い、子に始めて動く。丑に参じて三を得、寅にまた参じて九を得、卯にまた参じて二十七を得、辰にまた参じて八十一を得、巳にまた参じて二百四十三を得、午にまた参じて七百二十九を得、未にまた参じて二千百八十七を得、申にまた参じて六千五百六十一を得、酉にまた参じて一万九千六百八十三を得、戌にまた参じて五万九千四十九を得、亥にまた参じて十七万七千百四十七を得る。これが陰陽合徳、気が子に鐘し、万物を化生するものである。故に子に孳萌し、丑に紐牙し、寅に引達し、卯に冒茆し、辰に振美し、巳に已盛し、午に咢布し、未に昧薆し、申に申堅し、酉に留孰し、戌に畢入し、亥に該閡する。甲に甲を出し、乙に奮軋し、丙に明炳し、丁に大盛し、戊に豊楙し、己に理紀し、庚に斂更し、辛に悉新し、壬に懐任し、癸に陳揆する。故に陰陽の施化、万物の終始は、既に律呂に類旅し、また日辰を経歴して、変化の情が見える。
玉衡杓建は天の綱、日月初纏は星の紀である。綱紀の交わりは、原始造設に以て、楽を合するに用いる。律呂の唱和は、生成化を育むに以て、歌奏に用いる。指顧取象して、然る後に陰陽万物は条鬯該成しないものはない。故に成の数をもって該の積を忖し、法の如く一寸と為せば、黄鐘の長である。三分損一して林鐘を下生し、三分林鐘益一して太族を上生し、三分太族損一して南呂を下生し、三分南呂益一して姑洗を上生し、三分姑洗損一して応鐘を下生し、三分応鐘益一して蕤賓を上生し、三分蕤賓損一して大呂を下生し、三分大呂益一して夷則を上生し、三分夷則損一して夾鐘を下生し、三分夾鐘益一して亡射を上生し、三分亡射損一して中呂を下生する。陰陽相生は黄鐘より始めて左旋し、八八を伍と為す。その法は皆銅を用いる。職は大楽にあり、太常がこれを掌る。
度とは、分、寸、尺、丈、引であり、長短を度るものである。本は黄鐘の長より起こる。子穀秬黍の中なるものをもって、一黍の広さを度り九十分、黄鐘の長とする。一を一分と為し、十分を寸と為し、十寸を尺と為し、十尺を丈と為し、十丈を引と為せば、五度が審らかになる。その法は銅を用い、高一寸、広二寸、長一丈、分寸尺丈が存する。竹をもって引と為し、高一分、広六分、長十丈、その方法矩、高広の数は陰陽の象である。分とは、三微よりして著となり、分別できることをいう。寸とは忖のことで、尺とは卺のことで、丈とは張のことで、引とは信のことである。度は分に別れ、寸に忖し、尺に卺し、丈に張り、引に信ず。引は天下を信ずるものである。職は内官にあり、廷尉がこれを掌る。
量とは、龠、合、升、斗、斛であり、多少を量るものである。本は黄鐘の龠より起こり、度数を用いてその容を審らかにし、子穀秬黍の中なるもの千二百をもってその龠を実にし、井水をもってその概を平らかにする。合龠を合と為し、十合を升と為し、十升を斗と為し、十斗を斛と為せば、五量が嘉となる。その法は銅を用い、方尺にしてその外を円くし、旁に庣あり。その上を斛と為し、その下を斗と為す。左耳を升と為し、右耳を合龠と為す。その状は爵に似て、爵祿を縻するに以てす。上三下二、参天両地、円にして方を函み、左一右二、陰陽の象である。その円は規を象り、その重さは二鈞、気物の数を備え、一万一千五百二十に合す。声は黄鐘に中り、黄鐘より始めて反覆し、君が器を制する象である。龠は黄鐘律の実であり、微を躍して気を動かし物を生ずる。合は合龠の量、升は登合の量、斗は聚升の量、斛は斗を角して多少を平らかにする量である。量は龠に躍し、合に合し、升に登り、斗に聚まり、斛に角する。職は太倉にあり、大司農がこれを掌る。
衡権とは、衡は平、権は重であり、衡は権を任じて物を均し軽重を平らにするものである。その道は底の如く、準の正、繩の直を見るに以てし、左旋して規を見、右折して矩を見る。天にあっては旋機を佐助し、斟酌して指を建て、七政を斉にするに以てす。故に玉衡という。論語に「立つときは則ち其の前に参するを見、車に在るときは則ち其の衡に倚るを見る」とある。また「礼をもってこれを斉う」とある。これが衡が前に在り南方に居する義である。
権とは、銖、両、斤、鈞、石であり、物を称して施を平らにし、軽重を知るものである。本は黄鐘の重さより起こる。一龠は千二百黍を容れ、十二銖の重さ、両を為して両となる。二十四銖を両と為す。十六両を斤と為す。三十斤を鈞と為す。四鈞を石と為す。十八に忖し、易の十八変の象である。五権の制は義をもってこれを立て、物をもってこれを鈞し、その余の小大の差は軽重をもって宜しきにす。円くしてこれを環らし、肉を好に倍せしめ、周旋して端なく、終わってまた始まり、窮まりなし。銖は物が忽微より始まり、著となるに至り、殊異できることをいう。両は両黄鐘律の重さである。二十四銖にして両となるのは、二十四気の象である。斤は明のことで、三百八十四銖、易二篇の爻、陰陽変動の象である。十六両にして斤となるのは、四時が四方を乗ずる象である。鈞は均のことで、陽がその気を施し、陰がその物を化し、皆成就平均を得る。権と物が均しく、一万一千五百二十銖の重さ、万物の象に当たる。四百八十両は六旬が八節を行ずる象である。三十斤にして鈞となるのは、一月の象である。石は大のことで、権の大なるものである。銖に始まり、両に両し、斤に明らかになり、鈞に均しく、石に終わる。物は石に終わり大となる。四鈞を石とするのは、四時の象である。百二十斤の重さは、十二月の象である。十二辰に終わり子に復するのは、黄鐘の象である。千九百二十両は陰陽の数、三百八十四爻は五行の象、四万六千八十銖は一万一千五百二十物が四時を歴る象である。而して歳功が成就し、五権が謹まれる。
権と物が鈞して衡を生じ、衡が運んで規を生じ、規が円くして矩を生じ、矩が方にして繩を生じ、繩が直くして準を生じ、準が正しければ平衡して権を鈞する。これが五則である。規は円く器械を規し、類を得しめるに以てす。矩は方に器械を矩し、形を失わしめないに以てす。規矩相須い、陰陽位序し、円方乃ち成る。準は平らを揆え正を取るに以てす。繩は上下端直、経緯四通するに以てす。準繩連体、衡権合徳、百工これに由り、法式を定め、玉を執して輔弼し、天子を翼すに以てす。《詩》に「尹氏大師、国の鈞を秉り、四方は是れ維れ、天子は是れ毗れ、民をして迷わしめず」とある。皆五象あり、その義は一である。陰陽に言えば、大陰は北方である。北は伏のことで、陽気が下に伏し、時に冬となる。冬は終のことで、物が終わり蔵し、乃ち称すべきとなる。水は下を潤す。知者は謀り、謀る者は重んず。故に権となる。大陽は南方である。南は任のことで、陽気が物を任養し、時に夏となる。夏は假のことで、物が假大し、乃ち宣平となる。火は上に炎る。礼者は斉う、斉う者は平らかにす。故に衡となる。少陰は西方である。西は遷のことで、陰気が物を遷落し、時に秋となる。秋は胆のことで、物が呙斂し、乃ち成孰となる。金は革に従い、改更する。義者は成す、成す者は方にす。故に矩となる。少陽は東方である。東は動のことで、陽気が物を動かし、時に春となる。春は蠢のことで、物が蠢生し、乃ち動運する。木は曲直す。仁者は生む、生む者は円くす。故に規となる。中央は陰陽の内、四方の中、経緯通達し、乃ち端直できる、時に四季となる。土は稼嗇蕃息す。信者は誠、誠者は直くす。故に繩となる。五則は物を揆え、軽重円方平直陰陽の義、四方四時の体、五常五行の象あり。厥の法に品あり、各々その方に順いその行に応ず。職は大行にあり、鴻 臚 がこれを掌る。
《書》に「予は六律、五声、八音、七始詠を聞き、以て五言を出内し、女聴かんと欲す」とある。予は帝舜である。律呂をもって五声を和し、八音に施し、合して楽を成すことを言う。七は天地四時人の始めである。順に歌詠して五常の言を以てし、これを聴けば則ち天地に順い、四時に序し、人倫に応じ、陰陽を本とし、情性を原とし、徳をもってこれを風し、楽をもってこれを感ずれば、一に同じからざるはない。唯だ聖人のみが天下の意を同じくすることができる。故に帝舜はこれを聞かんと欲したのである。今広く群儒を延べ、博く謀り道を講じ、旧典を修明し、律を同じくし、度を審らかにし、量を嘉し、衡を平衡し、権を鈞し、準を正し、繩を直くし、五則に立ち、数を備え声を和し、以て兆民を利し、天下を一に貞し、海内の帰を同じくす。凡そ律度量衡に銅を用いるのは、名自ら名づけるのであり、天下を同じくし風俗を斉うるに以てす。銅は物の至精であり、燥溼寒暑に因ってその節を変えず、風雨暴露に因ってその形を改めず、介然として常あり、士君子の行いに似る。故に銅を用いるのである。竹をもって引と為すのは、事の宜しきに因る。
暦数の起こりは上である。伝に顓頊が南正重に命じて天を司らせ、火正黎に命じて地を司らせたと述べる。その後三苗が徳を乱し、二官皆廃れ、閏餘が次に乖き、孟陬が殄滅し、摂提が方を失う。堯は重、黎の後を復育し、その業を纂がせた。故に《書》に「乃ち羲、和を命じ、昊天を欽若し、日月星辰を暦象し、民時に敬授す」「歳三百六旬六日、閏月をもって四時を定め歳を成し、允に百官を釐し、衆功皆美なり」とある。その後舜に授けて言った。「咨爾舜、天の暦数は爾の躬に在り」「舜も亦た禹に命ず」。周の武王が箕子を訪うに至り、箕子は大法九章を言い、五紀が暦法を明らかにする。故に殷周より皆創業改制し、咸く暦紀を正し、服色これに従い、その時気に順い、天道に応ず。三代既に没し、五伯の末に史官が紀を喪い、暦人の子弟が分散し、或いは夷狄に在り。故にその記すところに、黄帝、顓頊、夏、殷、周及び魯の暦がある。戦国擾攘し、 秦 が天下を兼ね、未だ皇暇あらず、亦た頗る五勝を推し、自ら水徳を得たりと以為い、乃ち十月を正と為し、色は上黒とした。
漢が興り、方に綱紀大基し、庶事草創し、秦の正朔を襲う。北平侯張蒼の言に因り、顓頊暦を用い、六暦に比べて、疏闊中最も微近し。然れども正朔服色、未だその真を見ず、而して朔晦月見、弦望満虧、多く是に非ず。
武帝元封七年、漢が興って百二年、大中大夫公孫卿、壺遂、太史令 司馬遷 らが「暦紀が壊廃し、宜しく正朔を改正すべし」と言う。この時御史大夫兒寛は経術に明るく、上は乃ち寛に 詔 して言った。「博士と共に議し、今宜しく何を以て正朔と為すべく、服色は何を上とすべきか」。寛は博士賜らと議し、皆言う。「帝王は必ず正朔を改め、服色を易え、以て天より命を受けたることを明らかにす。創業変改、制は相復せず、伝を推し文を序すれば、則ち今は夏の時である。臣ら聞く、学は褊陋にして明らかにできず。陛下躬聖発憤し、天地に昭配す。臣愚、三統の制は後聖が前聖に復するもので、二代は前に在りと以為う。今二代の統は絶えて序せず。唯だ陛下が聖徳を発し、天地四時の極を宣考し、則ち陰陽に順って大明の制を定め、万世の則と為すべし」。ここに於いて乃ち御史に 詔 して言った。「乃ち有司が暦未定と言い、広く延べて宣問し、以て星度を考うるも、未だ讎わず。 蓋し 聞く、古は黄帝が合して不死、名は発斂を察し、清濁を定め、五部を起し、気物分数を建つ。然らば則ち上である。書は缺け楽は弛み、朕は甚だこれを難ず。依違して惟うも、未だ修明できず。其れ七年を元年と為すべし」。遂に卿、遂、遷と侍郎尊、大典星射姓らに 詔 して漢暦を造ることを議させた。乃ち東西を定め、 晷 儀を立て、漏刻を下し、以て二十八宿が四方に相距するを追い、終を挙げて朔晦分至を定め、躔離弦望を定めた。乃ち前暦の上元泰初四千六百十七歳を以て、元封七年に至り、復た閼逢摂提格の歳を得、中冬十一月甲子朔旦冬至、日月は建星に在り、太歳は子に在り、既に太初の本星度新正を得た。姓らは奏して算することができず、願わくは暦を治める者を募り、更に密度を造り、各自増減して、以て漢太初暦を造らんとす。乃ち治暦の鄧平及び長楽司馬可、酒泉候宜君、侍郎尊及び民間の暦を治める者、凡そ二十余人を選び、方士唐都、 巴 郡落下閎もこれに与った。都は天部を分け、閎は運算して暦を転ず。その法は律をもって暦を起こし、言う。「律は一龠を容れ、八十一寸を積めば、則ち一日の分である。長と相終わる。律長九寸、百七十一分にして終わり復す。三復して甲子を得る。夫れ律は陰陽九六、爻象の従い出ずる所である。故に黄鐘は元気を紀するを律という。律は法なり、取らざる法なし」。鄧平の治めるところと同じ。ここに於いて皆新星度、日月の行きを観、更に算をもって推し、閎、平の法の如くす。法は一月の日二十九日八十一分日の四十三。先ず半日を藉し、名づけて陽暦と曰い、藉さざるを名づけて陰暦と曰う。所謂る陽暦は先ず朔月生じ、陰暦は朔にして後月乃ち生ず。平は言う。「陽暦朔は皆先ず旦月生じ、以て諸侯王群臣に朝するに便なり」。乃ち遷に 詔 して鄧平の造れる八十一分律暦を用い、尤も疏遠なる者十七家を罷廃し、復た暦律の昏明を校せしむ。宦者淳于陵渠は復た太初暦の晦朔弦望を覆し、皆最も密にして、日月は合璧の如く、五星は連珠の如し。陵渠が状を奏す。遂に鄧平の暦を用い、平を太史丞と為す。
後二十七年、元鳳三年、太史令張寿王が上書して言う。「暦は天地の大紀、上帝の為す所。黄帝が律暦を調べたるを伝え、漢元年より以来これを用う。今陰陽調わず、宜しく暦を更むるの過ちなり」。 詔 して主暦使者鮮于妄人に下して詰問せしむ。寿王は服せず。妄人は治暦大司農中丞麻光ら二十余人と雑候して日月晦朔弦望、八節二十四気を候い、諸暦の用いる状を鈞校することを請う。奏して可とす。 詔 して丞相、御史、大将軍、右将軍史各一人と雑候して上林清台に上り、諸暦の疏密を課す。凡そ十一家。元鳳三年十一月朔旦冬至を以て、五年十二月に至り、各々第あり。寿王は課疏遠。案ずるに漢元年は黄帝調暦を用いず、寿王は漢暦を非とし、天道に逆らい、言うべきに非ず、大不敬。 詔 ありて劾する勿れ。復た候い、六年に尽くす。太初暦第一、即墨徐万且、 長安 徐禹の治むる太初暦も亦第一。寿王及び待 詔 李信の治むる黄帝調暦は、課皆疏闊、又た黄帝より元鳳三年に至るまで六千余歳と言う。丞相属宝、長安単安国、安陵桮育の治むる終始は、黄帝より以来三千六百二十九歳と言い、寿王と合わず。寿王は又た帝王録を移し、舜、禹の年歳は人年に合わず。寿王は化益が天子となりて禹に代わり、 驪 山女も亦た天子となり、殷周の間に在りと言い、皆経術に合わず。寿王の暦は乃ち太史官の殷暦である。寿王は猥りに安んぞ五家の暦を得んと言い、又た妄りに太初暦は四分日の三を虧き、小余七百五分を去り、以て故に陰陽調わず、これを乱世と謂う。寿王を劾す。吏八百石、古の大夫、儒衣を服し、不詳の辞を誦し、祅言を作して制度を乱さんと欲し、不道。奏して可とす。寿王は候課、三年を比べて下り、終に服せず。再び劾して死すべし、更に赦して劾する勿れ。遂に更に言わず、誹謗益甚だしく、竟に吏に下す。故に暦本の験は天に在り、漢暦の初め起こりより、元鳳六年に尽くすまで、三十六年、而して是非堅定す。
孝成の世に至り、劉向は六暦を総べ、是非を列し、五紀論を作る。向の子歆はその微眇を究め、三統暦及び譜を作りて春秋を説き、法を推して密要なり。故に述ぶ。
夫れ春秋を暦するは、天時なり、人事を列して目を天時にす。伝に曰く。「民は天地の中を受けて生ず、所謂る命なり。是を以て礼誼動作威儀の則ありて以て命を定む。能う者は之を養いて福と為し、能わざる者は敗れて以て禍を取る」。故に十二公二百四十二年の事を列し、陰陽の中を以てその礼を制す。故に春は陽中、万物以て生じ、秋は陰中、万物以て成る。是を以て事はその中を挙げ、礼はその和を取り、暦数は閏を以て天地の中を正し、以て事を作し生を厚くし、皆以て命を定むる所以なり。易の金火相革の卦に「湯武革命、天に順いて人に応ず」と曰い、又た「暦を治めて時を明らかにす」と曰う。是れ人道を和する所以なり。
周道既に衰え、幽王既に喪われ、天子は朔を班ずること能わず、魯暦正しからず、閏餘一の歳を以て蔀首と為す。故に春秋は「十一月乙亥朔、日に食あり」を刺す。ここに於いて辰は申に在るに、司暦は建戌に在りと以為い、史は建亥を書く。哀十二年、亦た建申流火の月を以て建亥と為し、而して怪しむ蟄虫の伏せざるを。文公より閏月朔を告げず、ここに至るまで百有余年、暦数を正すこと能わず。故に子貢はその餼羊を去らんと欲し、孔子はその礼を愛し、而してその法を春秋に著す。経に曰く。「冬十月朔、日に食あり」。伝に曰く。「日を書かず、官これを失う。天子に日官あり、諸侯に日御あり、日官は卿に居りて以て日を厎し、礼なり。日御は日を失わず以て百官に朝に授く」。朔を告ぐるを言う。元典暦始めて元と曰う。伝に曰く。「元は善の長なり」。三徳を共養して善と為す。又た曰く。「元は体の長なり」。三体を合して之を原と為す。故に元と曰う。春三月に於いて、毎月王を書くは、元の三統なり。三統は一元に合す。故に元一に因りて九三之を以て法と為し、十一三之を以て実と為す。実法の如く一を得る。黄鐘初九、律の首、陽の変なり。因りて之を六し、九を以て法と為し、林鐘初六を得る。呂の首、陰の変なり。皆参天両地の法なり。上生六して之を倍し、下生六して之を損じ、皆九を以て法と為す。九六は陰陽夫婦子母の道なり。律は妻を娶りて呂は子を生ず。天地の情なり。六律六呂にして十二辰立つ。五声清濁にして十日行う。伝に「天六地五」と曰う。数の常なり。天に六気あり、降りて五味を生ず。夫れ五六は天地の中合にして、民の受け以て生ずる所なり。故に日に六甲あり、辰に五子あり、十一にして天地の道畢り、言う終わりて復た始まる。太極中央元気、故に黄鐘と為す。その実一龠、その長自乗するを以て、故に八十一を日法と為す。是れ権衡度量を生じ、礼楽の繇り出ずる所なり。経元一を以て始を統す。易太極の首なり。春秋二を以て歳を目す。易両儀の中なり。春に於いて毎月王を書くは、易三極の統なり。四時に於いて事亡くとも必ず時月を書くは、易四象の節なり。時月を以て建分至啓閉の分を建つ。易八卦の位なり。象事成敗は、易吉凶の効なり。朝聘会盟は、易大業の本なり。故に易と春秋は、天人の道なり。伝に曰く。「亀は象なり。筮は数なり。物生じて而る後に象あり、象して而る後に滋し、滋して而る後に数あり」。
是を以て元始に象一あり、春秋二あり、三統三あり、四時四あり、合して十と為し、五体を成す。五を以て十を乗ずれば、大衍の数なり。而して道はその一を据え、その余四十九、当に用うべき所なり。故に蓍を以て数と為す。象を以て両両之し、又た象を以て三三之し、又た象を以て四四之し、又た奇を帰して閏十九及び据うる所の一を加之、因りて再び扐して両之す。是れ月法の実なり。日法の如く一を得れば、則ち一月の日数なり。而して三辰の会交う。是を以て能く吉凶を生ず。故に《易》に曰く。「天一地二、天三地四、天五地六、天七地八、天九地十。天数五、地数五、五位相得て而る後に各々合あり。天数二十有五、地数三十、凡そ天地の数五十有五、此れ変化を成し鬼神を行わしむる所以なり」。終数を 并 せて十九と為す。易は窮まれば則ち変ず。故に閏法と為す。天を参じて九、地を両して十、是れ会数なり。天数を参じて二十五、地数を両して三十、是れ朔望の会なり。会数を以て之を乗ずれば、則ち朔旦冬至に周る。是れ会月なり。九会して復た元す。黄鐘初九の数なり。経に四時に於いて、事亡くとも必ず時月を書く。時は以て啓閉を記す所以なり。月は以て分至を紀す所以なり。啓閉は節なり。分至は中なり。節は必ずしもその月に在らず。故に時中は必ず正数の月に在り。故に伝に曰く。「先王の時を正するは、端を始に履み、正を中に挙げ、余を終に帰す。端を始に履めば、序は則ち愆らず。正を中に挙げれば、民は則ち惑わず。余を終に帰せば、事は則ち誖わず」。此れ聖王の閏を重んずるなり。五位を以て会数を乗じ、而して朔旦冬至、是れ章月なり。月法を四分し、その一を以て章月を乗ずれば、是れ中法なり。閏法を参じて周至と為し、以て月法を乗じ、以て中法を減じ而して之を約すれば、則ち六扐の数、一月の閏法なり。その余七分、此れ中朔相求の術なり。朔中を得ず、是れ閏月を謂う。陰陽は雖も交わるも、中を得ざれば生ぜず。故に日法閏法を乗ずれば、是れ統歳なり。三統、是れ元歳なり。元歳の閏、陰陽災、三統閏法。易九厄に曰く。初め元に入り、百六、陽九。次三百七十四、陰九。次四百八十、陽九。次七百二十、陰七。次七百二十、陽七。次六百、陰五。次六百、陽五。次四百八十、陰三。次四百八十、陽三。凡そ四千六百十七歳、一元に終わる。経歳四千五百六十、災歳五十七。是を以て春秋に曰く。「正を中に挙ぐ」。又た曰く。「閏月朔を告げず、礼に非ず。閏は以て時を正し、時は以て事を作し、事は以て生を厚くし、生民の道は是れに在り。閏朔を告げず、時正を棄つ。何を以て民と為さん」。故に僖を善しむ。「五年春王正月辛亥朔、日南至、公既に朔を視し、遂に観台に登りて以て望み、而して書く、礼なり。凡そ分至啓閉、必ず雲物を書く、備え有る故なり」。昭二十年二月己丑に至り、日南至、閏を失い、至はその月に非ず。梓慎は氛気を望みて而して正せず、端を始に履まざるなり。故に伝は冬至と曰わず、而して日南至と曰う。牽牛の初に極まり、日中の時景最も長し。此れを以てその南至を知る。
斗綱の端は連貫して営室にし、織女の紀は牽牛の初を指し、以て日月を紀す。故に星紀と曰う。五星はその初より起こり、日月はその中より起こる。凡そ十二次。日その初に至れば節と為し、その中に至れば斗建下十二辰と為す。その建を視て而してその次を知る。故に曰く。「礼を制して上物す、十二を過ぎず、天の大数なり」。経に曰く春王正月。伝に曰く周正月「火出づ、夏に於いては三月と為し、商は四月と為し、周は五月と為す。夏数天を得る」。四時の正を得るなり。三代各々一統を据え、三統常に合し、而して迭りて首と為すことを明らかにす。三統の首を登降し、五行の道を周還す。故に三五相包して生ず。天統の正は、始めて子半に施し、日は色赤く萌す。地統は之を丑初に受け、日は肇めて化して黄く、丑半に至り、日は牙して化して白し。人統は之を寅初に受け、日は孽して成りて黒く、寅半に至り、日は生じて成りて青し。天は子に施して復し、地は丑より化して辰に畢り、人は寅より生じて申に成る。故に暦数三統、天は甲子を以てし、地は甲辰を以てし、人は甲申を以てす。孟仲季迭りて事を用いて統首と為す。三微の統既に著しく、而して五行は青より始め、その序も亦た之の如し。五行と三統相錯す。伝に「天に三辰あり、地に五行あり」と曰う。然らば則ち三統五星知るべし。《易》に曰く。「参五以て変じ、その数を錯綜す。その変を通ずれば、遂に天下の文を成す。その数を極めれば、遂に天下の象を定む」。太極は三辰五星を上に運び、而して元気は三統五行を下に転ず。その人に於いて、皇極は三徳五事を統ぶ。故に三辰の三統に合するは、日は天統に合し、月は地統に合し、斗は人統に合す。五星の五行に合するは、水は辰星に合し、火は熒惑に合し、金は太白に合し、木は歳星に合し、土は填星に合す。三辰五星而して相経緯す。天は一を以て水を生じ、地は二を以て火を生じ、天は三を以て木を生じ、地は四を以て金を生じ、天は五を以て土を生ず。五勝相乘じて、以て小周を生じ、以て乾坤の策を乗じて大周を成す。陰陽比類、交錯相成す。故に九六の変は六体に登降す。三微にして著となり、三著にして象となり、二象十有八変にして卦を成し、四営にして易を